( 196794 )  2024/07/31 17:23:25  
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ある超進学校での「金融教育」を伝える新聞記事ーーその中身には大きな問題が隠れていたといいます(画像:Peak River/PIXTA) 

 

経済の教養が学べる小説『きみのお金は誰のため──ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』著者である田内学氏は元ゴールドマン・サックスのトレーダー。資本主義の最前線で16年間戦ってきた田内氏はこう語る。 

 

【写真】経済教養小説『きみのお金は誰のため』には、「勉強になった!」「ラストで泣いた」など、多くの読者の声が寄せられている。 

 

「みんながどんなにがんばっても、全員がお金持ちになることはできません。でも、みんなでがんばれば、全員が幸せになれる社会を作ることはできる。大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会を作るかなんです」 

 

今回は、田内氏が「卒倒しそうになった」新聞記事から、日本の金融教育の問題点について解説してもらう。 

 

■「ブラックユーモア」としか思えない新聞記事 

 

 先日、高校の金融教育についての新聞記事を読んでいて卒倒しそうになった。 

 

 全国屈指の進学校に証券会社の講師がやってきて、「日本の未来を明るくする方法」として、ドル投資を薦めたという内容だった。 

 

 投資による金儲けがけしからんと言いたいわけではない。僕自身も20年近くマネー資本主義のど真ん中で金融取引をしてきた。 

 

 むしろ、金融の裏側を知っているからこそ、卒倒しそうになったのだ。 

 

 学校でこんな教育をしていたら、日本の未来は明るくなるどころか、真っ暗な海の底へと沈没していく。この新聞記事はたちの悪いブラックユーモアにしか思えなかった。 

 

 2年前から高校で始まった金融教育。学校の先生たちが慣れない金融の話をするのは難しく、この記事のように証券会社などの外部講師が出張授業をおこなうケースが多い。 

 

 しかし、本来の金融教育は投資や資産形成などのお金儲けの話だけではない。金融広報中央委員会ホームページには、以下のように書かれている。 

 

金融教育は、お金や金融の様々な働きを理解し、それを通じて自分の暮らしや社会の在り方について深く考え、自分の生き方や価値観を磨きながら、より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて、主体的に判断し行動できる態度を養う教育である。 

 つまり、個人の生活を考えながら、社会のことも考えようねということだ。社会は他人事ではなく、自分の延長にある。社会という船がまるごと沈没してしまえば、自分も溺れてしまう。 

 

■「投資でお金が増える」理由を考える 

 

 

 投資によって自分のお金が増えるのは、お金が自己増殖しているからではない。投資を受けた人たちが、新たな技術、商品、サービスを生み出し、将来の消費者の生活が豊かになる。その消費者から支払われたお金の一部が投資をした人へと還元される。 

 

 たとえば、アメリカの株価を牽引する会社の1つにGoogleがある。Googleという検索エンジンを開発したのは、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人だ。開発当時、彼らはまだスタンフォード大学の学生だった。 

 

 1990年代にインターネットが普及し始めたころ、インターネット上の検索エンジンの精度は低く、検索ワードと関連の少ないページが検索結果の上位に表示されることが多かった。その不便さを解消しようと彼ら2人が立ち上がった。集まった投資マネーによって多くの人を雇うことができ、Google Mapなどのさまざまな製品を開発することに成功した。 

 

 彼らのように、社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組もうとする人がいるから、社会は暮らしやすくなっていく。その対価として消費者が支払うお金がGoogleに流れ、配当や株価の上昇を通じて投資家はお金を増やすことができる。 

 

 Googleの創設者たちは、事業を始めるときや拡大するときにお金が必要だったが、そのお金をバイトで稼いだり、株式投資をがんばって増やしたわけではない。投資してもらう側になったのだ。 

 

 会社を始めたい、お店を開きたい、アイディアを商品化したい。自分のやりたいことが社会の役に立つことであれば、投資や融資、クラウドファンディングなどの金融システムによって、お金を融通してもらえる。つまり、金融システムを利用することで、やりたいことの選択肢を増やせる。 

 

 ところが、現在の金融教育は主に投資教育に偏っていて、やりたいことを叶えるために「投資をがんばって賢くお金を増やしましょう」という話ばかりが聞こえてくる。 

 

 繰り返しになるが、金融教育とは、「より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて、主体的に判断し行動できる態度を養う教育」である。 

 

 「日本の未来を明るくする」には、若い彼らに社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組んでもらって、そこにお金が流れる必要がある。 

 

 

 そもそも、”金融”とはお金を融通するという意味だ。お金を融通さえすれば、社会が自動的に豊かになるはずはない。融通してもらった人が、そのお金を使ってどんな社会を作るかにかかっている。 

 

 それなのに、「君たちもお金を出す側にまわりなさい」と教え、さらには「アメリカの人にがんばってもらいましょう」とドル投資を薦める。 

 

 これが、「日本の未来を明るくする方法」なのだとしたら、完全なブラックユーモアだ。日本では新たなものは作られずに、消費者はアメリカにお金を払って利用させてもらうしかない。ますます円安も進むだろう。 

 

■現場が手探りの中、メディアの罪は深い 

 

 何よりも問題なのは、この金融教育に違和感を覚えずに、新聞記事にしてしまっているところだ。メディアのせいで「金融教育」=「お金を増やすための教育」とすりこまれている影響が大いにある。 

 

 お金や金融システムについては、高校社会科の新科目「公共」の中でも学習する。筆者自身、「公共」の教科書の執筆に携わったのだが、それだけでは十分に学ぶことが難しいと思い、お金の教養小説として『きみのお金は誰のため』を執筆したという経緯がある。 

 

 僕自身が、投資銀行で働いていたときの自戒の念もある。『きみのお金は誰のため』では、同じく投資銀行ではたらく七海がその思いを代弁してくれている。 

 

「投資の目的は、お金を増やすことだとばかり思っていました。そこまで社会のことを考えていませんでした。大切なのは、どんな社会にしたいのかってことなんですね」 

苦笑いで恥ずかしさを隠す彼女(七海)に、ボスが優しく声をかける。 

「そう思ってくれたんやったら、僕も話した甲斐があったわ。株価が上がるか下がるかをあてて喜んでいる間は、投資家としては三流や。それに、投資しているのはお金だけやない。さっきの2人は、もっと大事なものを投資しているんや」 

 

ボスは七海と優斗を順に見つめてから、ゆっくりと続けた。 

「それは、彼らの若い時間や」 

『きみのお金は誰のため』152ページより 

 アメリカで情報技術への投資がうまくいったのは、投資マネーが集まったからだけではない。自分自身の時間を費やして、問題解決のために立ち上がる若者が大勢いたからだ。明るい未来を作っていくのは、若い人たちの意欲と行動力だ。 

 

 学校の先生たちも、投資教育に偏った現在の金融教育に戸惑っているという話も耳にする。冒頭に紹介したニュース記事に登場する学校の校長も、現状の金融教育について「単純な投資の方法論や被害に遭わないようにといった注意喚起に終始しているように感じられるのは残念だ」と別の記事で述べていた。 

 

 金融教育が始まったばかりで、現場の先生や金融機関も手探りで進めている中、メディアが「金融教育」=「お金を増やすための教育」と喧伝することの罪は深い。 

 

田内 学 :お金の向こう研究所代表・社会的金融教育家 

 

 

 
 

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