( 197041 ) 2024/08/01 03:14:15 2 00 柔道・日本人撃破で客席に煽りジェスチャー 新添の相手に指摘「礼もせず…」「好きになれない」THE ANSWER 7/31(水) 20:13 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/4ee482403bc4d21eb1c940fbf72dae38e56e94b0 |
( 197044 ) 2024/08/01 03:14:15 0 00 準々決勝で技あり優勢負けを喫した新添左季(左)と勝利したサネ・ファンダイケ【写真:Getty Images】
パリ五輪は31日、柔道女子70キロ級が行われ、昨年世界選手権女王の新添左季(自衛隊)が準々決勝でサネ・ファンダイケ(オランダ)に技あり優勢負けを喫し、敗者復活戦に回った。相手選手が勝利直後に観客を煽るジェスチャーを取り、日本人ファンは「礼もしないうちから観客煽る選手は見るに堪えない」と指摘した。
【画像】「礼もせず…」 新添撃破で煽りジェスチャーを取った相手の画像
新添は開始2分ほどで小外刈りを受けて倒された。技ありを取られ、劣勢のまま敗戦。勝敗が決まった直後、ファンダイケは畳に座ったまま両手を広げ、下から仰ぐようにジェスチャーした。観客の拍手を煽って笑顔を見せた。
X上の日本人ファンからは「勝って嬉しいのは絶対だけど、盛り上げムーブとかやめてほしいな 礼に始まり礼に終わるですよ」「礼もしないうちから観客煽る選手は見るに堪えない」「好きになれない」「礼終わるまで観客煽るのやめーやと思う」と柔道精神に反する行為に批判的な声が上がった。
THE ANSWER編集部
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( 197045 ) 2024/08/01 03:14:15 0 00 ・同じオランダのヘーシンク選手は金メダルをかけた64年東京五輪決勝戦で神永選手に勝った瞬間、歓喜のあまり畳上のヘーシンク選手のところに駆けつけようとしたオランダ選手団数名を制して上げず、神永選手に深く礼をして畳を降りた真の武道家だった。今のJUDO は好きになれない。
・1964年の東京おりんぴっくで柔道が種目に採用されてから60年。 オリンピックのおかげで大変普及しましたが、柔道からJudoになってしまいました。 礼に始まり礼に終わるのが柔道 礼もしないうちから観客煽るのがJudo
テニスも普及が進み、ラケットを叩き折る選手や、優勝して興奮してウェアを自ら破いてしまう野蛮な連中までプレーするようになりました。
いずれも審判のレベルも含め、普及の是非を考える時期かもしれません。
・日本人の知る昔からの柔道と世界で行う柔道は違うものと思った方が良いと思います。海外での大会は単なる格闘技です。それぞれの国に普及して変わっていっていると思います。審判も同様で、レベルが低いこともありますが、審判する目線や判断基準が違うように感じます。しっかり技あり以上で勝ちきるしかないです。
・見ていて非常に不愉快になりましたね。 勝利してからの感情の発露は仕方ないにしても、煽るのは絶対に違う。相手へのリスペクトが完全に欠如している。 ケルディヨロワ選手を見習って欲しいです。
・今はどうか知らんが、昔剣道やっていたとき、礼をする前にガッツポーズなどしようものなら一本取り消されてたな。礼儀の問題もあるんだけど「残心」の問題なんだよね。倒したと思った相手が息を吹き返したとき無防備な状態だったら○られちゃうよ、ってこと。「待て」の合図で力を抜いたら(合図に気づかなかったと主張する相手に)絞め落とされたって試合があったけど、この「残心」の観点から厳しい意見を持つ武道家、必ずいると思う。
・まぁいいじゃないの。所詮それまでの選手であり、呼応する観客含めその程度の国民性ってこと。その国では柔の精神なんてとうの昔に忘れ去られているようだから、どんな罵詈雑言を浴びせようと相手が分かっていなければ無駄でしょ。
ただ、1964年の同国へーシンク氏は間違いなく我々日本人を立ててくれた。負かした神永氏に対してはもちろん、オリンピックでは宿敵になると分かっていながら懇切丁寧に稽古を付けてくれた日本という国に敬意を表して畳から去った。だからいつまでも「あの人に負けたんならしょうがないな」と語り継がれるんじゃないかな。
・日本が柔道でオリンピックに参加することそのものを考える必要があるのかも。 日本がこだわって大切にしてきた柔道と、世界で流行っている柔道とは、別のものになっている。恐らく日本が何を言っても、多勢に無勢だろう。 世界の潮流に流されて、守り続けてきた伝統や精神を棄損するぐらいなら、志を同じくする世界の人たちと、本来の柔道を守っていく道もあるように思う。
・もはや色々な国でスポーツとして認識され、オリンピックの競技になるぐらいなので、ある意味仕方の無い事の様な気がします。 同じ日本発祥の剣道は、世界大会などは開催されますが、スポーツ要素よりも伝統を重んじ、礼儀や規律を守っている様な気がします。 どちらがいいとは言えませんが、今回の様な不可解な判定がまかり通る様な競技にはなって欲しく無いですね。 審判の方も、もう少し、日本発祥の柔道の伝統などを勉強していれば、待てが出た後に落される様な規律違反の様な判定は出せないと思います。 あらためて、正々堂々と戦うと言う日本の伝統だけは守っていきたいですね。
・昨日の永瀬選手の金メダルが決まった直後の立ち振舞。勝利してなお顔には出さないあの姿勢。 あれこそが柔道という武道の礼儀をはっきりと示した美しい姿で鳥肌が立った。
柔道はjudoと言われるくらい、今や武道ではなく競技としての側面が強くなってしまった。 とはいえ国際化が進み相手に勝つことだけを追い求めてしまう格闘技のような扱いになってしまう事自体は 競技を普及する上で仕方のないこととは一定の理解はします。
それでもやはりあの様な美しい振舞を魅せられると、本来あるべき姿はやはりこちらだなと強く感じました。
・剣道愛好家です。 柔道はやはりオリンピック競技になった事でスポーツと化し、もはや武道ではなくなったのですね。 礼もろくに出来ない。 勝てばガッツポーズ。 負ければ泣き崩れる。 審判に不満な態度をとる。 剣道はここに危惧し、オリンピック競技に入ろうとしないと聞きます。 剣道もこんな事になったとしたら私は剣道辞めると思います。
・フランスだけに留まらず、ヨーロッパの柔道は独自に変化している様ですね。進化ではなく変化です。フランスでは柔道人口は日本の4倍だそうですね。数の力で色々と変えられそうです、と言うか変えられてます。ルール無用の格闘技に成り下がりそうで心配です。
・良くない行為ですが、日本の柔道家もしましたしね… 日本、世界を問わず徐々にスポーツ化してきていることを実感 スポーツ化されていないのは、柔道の審判員ですね。一度審判を下したら、変わらない。 相撲でも大勢の審判員で審議してビデオを見て決める時代ですから、そこは変わって欲しいものです。
・これねぇ、、、
テニスにも同じ話があって、昔は相手と審判、試合自体に敬意をもって臨む、ということが統一して意識されていて、本当に一握りの選手を除いて基本審判は絶対、試合中は喜怒哀楽を出さない、勝っても相手を思いやる、という事がプロ選手全員でできていた風に思います。
試合後は相手と目を合わせて握手→審判にもお礼を言って握手、あまり喜ばない、これが見ていて清々しかったし、テニスが好きで良かったなと思う瞬間でした。
関係の有無はわかりませんが、打つ時に声を張り上げる選手が出現したあたりからラケットを投げる、審判に暴言を吐く、ボールをどこかに打つ、あげくに握手拒否、審判に暴言を吐いて去る、というのが見られるようになりました。
柔道も、”ただ勝てば良い”とは違うはずなんですけどね、、、。
本当の意味でそのスポーツが成熟するためには、やはりマナー面の維持、向上も大切だと思います。
・日本の古来の柔道は所作の美しさと体の強さがあり世界にも認められましたが、世界はJUDOをしています。進化ととるのか?別物ととるのか?少なくとも海外で行われる試合は、選手も指導者も観る側もJUDOという競技と認識を変えないとと思います。
・相手に対してリスペクトがあればあのような行いにはならない。 勝負事なので戦う前は相手を倒すことだけを考えて全力で向かっていくにしても、勝負が決したら負けた相手を讃えることまでが柔道家としての本来のあるべき姿なんだと思う。 見ている側からすると、スポーツというのは最も平和な争いであって欲しい。
・残心がないよね。 審判の一本は掛けた技の判定であって、試合のファイナルジャッジじゃない。審判の勝敗判定が無いうちから緊張を解いてしまったら、武道じゃなくなるような。 相手に敬意を表するってのは、最後の最後まで油断しないこと。「今回は私が勝った。でも、あなたはとても強いから最後まで緊張を解けない。」これが負けた武道家に対する最大の敬意と思う。 空手や剣道は必ず残心の動作があるし、しなかったら一本は取り消されたりするけど、JUDOはそのへん緩いというか。
・カナダ柔道男子73キロ級のマルジェリドン選手は礼の所作もキレイだし、待てのあとにすぐ立ち上がり開始線にもどるなど戦い方も素晴らしかった。世界には礼節がいい選手も多いのでそういう選手をより取り上げてほしい。
・日本が柔道を国際化させてきてしまった事が、日本人の柔道精神などよりも、スポーツとして勝利する事が大切であるというのが、世界的な風潮になってしまった。 日本よりもフランスの方が、圧倒的に柔道人口も多いわけだから、実態として日本の考え方を世界にわかってもらうのは、もう無理な話です。 もっと昔から、剣道のように国際化しないように日本人が頑張っていけば良かったかも知れないが、現代の柔道のように、世界中の人が熱中してやるスポーツになったのなら、日本の柔道ではなく、世界の柔道として、国際ルールや世界の考え方に日本人が同調していく必要があると思う。
・オリンピック全体に言えるのかもしれないんですが、ショーアップぶりが、盛り上げ方が興業てきというか、こういう盛り上げ方で合ってます?って思う。バレーボールの中継見てたけどいちいち点数が入ったあとサーブの構えに入るまでの何秒かの間ガンガン音楽かける。いちいちうるさい。タイムの間とかセットの間ならばまだしも。なんか光り物を観客にもたせて客席の照明も演出したりして。スポーツ見たいんですけどねぇ。うるさくって。でもこの流れでいくと、次のオリンピックでもそうなんだろうな ますます ショーになっていくのかな 見たいのはそういうやつだっけ?
・今の人達はただのスポーツって認識なのかもね、それは日本人として受け入れられないけど、世界に普及したスポーツとしては、どうしょうもできないですね ルールに組み込まれない限り
だけど日本の選手は武道というのを常に思いながら柔道に取り組んで欲しい どんなにスポーツ化しても日本は柔道の創始者としての立ち振る舞いを忘れないで欲しい!
・日本古来の柔道の精神は素晴らしいとは思うけど、今オリンピックで行われてるのは、あくまでメダルを争うスポーツとしての “Judo”。ベースボールと野球が別物と言われるように、国際試合においては、柔道とJudoも別物と受け入れるしかないのでは? 日本選手が礼節を重んじるのは素晴らしいが、他国の選手にまでそれを強要することはできないと思います。
・スポーツだから、変化していくのも仕方ないことなのかもしれませんね。 日本発祥だから、柔道の礼節を守ってと言う気持ちも分かるのですが。
山下泰裕さんと戦ったラシュワン選手は素晴らしい人で後世まで語り継がれてますが、そう言った傑物はなかなかいないですよね。
・私は金メダリストの斉藤仁時代からずっと柔道が好きで見てますが、この15〜16年間の外国勢選手の礼儀が全くなってないと思ってます! 柔道は礼に始まり礼で終わるんです! 勝って嬉しいのは勿論ですが、本来は礼を終えて畳を降りてからガッツポーズやら雄叫び上げるものですよ! 各国のコーチもその点が理解できてないから選手にも教えてないと思います! 本当に漢字の柔道からローマ字のジュードウになってる気がして、とても残念に思います! 審判のミスも結構あって、選手たちは命かけて戦ってるのに、あまりにも未熟な審判にも腹立ってます!
・礼を含む「道(DO)」の重要性、重みをどこまで伝えられるかだが、指導の最初にはあったとしても、ルールブックには無いので、軽視されてしまうだろう。 「空手」に対しての「テコンドー」は、当てればポイントとなる明確なルールを持って、いち早く国際社会に受け入れられた。同様に本来の「柔道」と、国際的な「JUDO」で、悲しい事だが分けて考える必要があるかもしれない。
・柔道が世界に広がり、オリンピック競技になった事は良いと思う反面、本当の柔道ってこんな感じだったかな?と思う事が多くなる場面がかなり多くなりましたね。 勝っても負けても真剣勝負であったのならそれはお互いにとても納得のいく結果でしか無いはずです。礼儀作法、相手に対するリスペクト。それを全く理解しない相手に負けるのはとてつもない屈辱だろう。 その様な意味から考えても、 阿部詩選手は負けた相手から学んで欲しいと思う。負けから学ぶ事はきっとても多いです。彼女は阿部詩選手の事をリスペクトしていたのだから。 むしろ彼女の様な人に負けてとても ラッキーだった。次のオリンピックでまた阿部詩選手と対戦したいと思ってるはずですよ。
・柔道とJUDOは違う。武道とスポーツの違いだ。 って思うしかないんだろうな。
ただ、それで不愉快に思った人はその心を忘れずに、日々相対する人に敬意と礼儀を持って取り組んでほしいと思う。 それが自分の人道として美しい生き様に導いてくれるんじゃないかと思う。
・柔道とJUDOは違うということだと思う。試合が終わってお互い気持ちよく握手やハグしてるのをあまりみたことがない。日本人選手でさえ判定に不服があると畳から降りないとかやってるし、礼にはじまり礼に終わるというが、スケートボードの10代の選手の方がよっぽど相手に対する礼儀がある!
・剣道はオリンピック種目になると「武道ではなくなる」からという理念を持っているそうです。 もしかしたら柔道をオリンピック種目にしたことで武道、格闘という場所から離れてしまい、ただのスポーツになってしまったのかも知れません。 柔道はJUDOになった時に精神性とか礼儀とかなくなってしまったのかも。 日本人が思うような気持ちで柔道をやる人は減っているのでは? 礼に始まり礼に終わるという精神性… それを求めるのは無理かもしれません。 これは日本人と海外の人たちの成り立ちが違うから。
・日本柔道協会の責任も多大にあると思う。 道着にしてもなぜ白なのか強い主張もせずロビー活動もしないでなし崩しにされて柔道とは何なのか伝える努力もしてこなかったから武道としてではなく単なるスポーツの1つとしてひろがってしまった部分もあるのかなと思う。 大事な部分はきちんと言葉で伝えないとこう言う事になってしまう。
・柔道はオリンピックから脱退した方がいいんじゃない? オリンピックはJUDOって名の競技なんだから。 さっきバレーボール見てて思ったけど点数取れば喜び、点取られたら悔しがる。それが普通の感覚であって、それを押し殺しての礼を押し付けられてもなぁって感じもしますし。 礼を軽んじてる訳ではないですし、柔道大好きなんですけど、今回の騒ぎで、あまりにも礼儀や武道なんだからというバッシングや意見が重苦しく感じてます。
・礼に始まり礼に終わる。 武道をしている人間なら当たり前。 柔道は世界に出てから全く違うものになりましたね。 剣道などはガッツポーズで1本が取り消しになるくらい厳しいかと。 礼節も出来ない人間が柔の道を理解しているとは思えません。 柔道会も今後礼節が出来ない場合勝ちを取り消すくらいしないとダメでしょう。
・礼は、人と交わるに当たり、まずその人格を尊重し、これに敬意を表することに発し、人と人との交際をととのえ、社会秩序を保つ道であり、礼法は、この精神をあらわす作法である。精力善用・自他共栄の道を学ぶ柔道人は、内に礼の精神を深め、外に礼法を正しく守ることが肝要である。 これに尽きると思います。
・煽りジェスチャーもそうだけど、柔道を格闘技と間違えてませんか?て思います。 こんなのはだいたい同じ国の選手たちです。 柔道ってこんなスポーツじゃない。オリンピックの競技だろうと時代が変わっても、1番大切にすべき所は変わっていいはずないと思います。 かと思えば、外国の選手たちで柔道の礼儀や心を持っている人たちを見て感動する事もあります。これまた同じ国の選手たちです。
・これが本当の姿。柔道を礼に始り礼に終わるというよりかは格闘技、レスリングのようにとらえる海外の選手は多いです。 よって、勝てば興奮して観客をあおって喜んだのだと思います。 金メダルとれるといいですね。
・阿部兄弟と理屈は一緒です。礼の後、畳をおりた後ではなく、観衆の前では柔道選手としての立ち振舞いをして欲しいものです。一二三選手の喜びの振る舞いにも、解説者は「礼終えた後ですから」等と一生懸命フォローしていたのが滑稽でした。日本人でも出来ない選手がいるのですから、何を言っても説得力ありません。 国際化を求めて柔道は世界に出ていきましたが、これで良かったのか?と思う反面、ケルディヨロワ選手のような振る舞いを見ると、期待をしたい気持ちもあります。 今後は、ウルフがやらかさないかちょっと心配ですが、ウルフがやらかすとしたら金メダルをとった時ですから、それはそれで期待したい。矛盾してますね。 永瀬選手やかつての大野選手のような選手が特別だったのかと錯覚してしまいます。日本柔道がんばれ!
・もう、Judoは要らない。 柔道に戻らなければ、嘉納治五郎先生の広めたかった柔道はこの世から消滅してしまいます。 ただ皮肉なことに嘉納先生はオリンピックには多大な期待をされていましたから、今日の柔道が世界中に普及し、オリンピック種目になっていることには喜んでいらっしゃるとは思います。 が、スポーツ化され、選手も審判も今回のオリンピックのような状態に満足なんでしょうか。
・自分が小学生の頃だからもう40年近く前、剣道をオリンピック競技にする話が持ち上がってた。 けど、IOCからおよそ剣「道」とは思えない改悪ルールを示されたので拒否。 日本剣道連盟が「よし」と言わない限り、剣道はオリンピック競技に出来ない、となって、今に至る。 剣道や剣術をやってる人口はフェンシングより多い。だから世界中の「剣士」がオリンピック競技になることを望んでる。 でも、たった一行、たった一語の変更、取り違えを許すわけにはいかない、と当時の会長が拒否したので、剣道は「KENDO」にならずに済んだ。 子供だったので記憶があやふやだが、その時の会長が話し合いの途中で事故?で亡くなったので、連盟はその意思を変えない、と言うような説明だった。 師範から「お前らはオリンピックに出られるかもしれない」と言われた数日後の書面通達だったよ。
・柔道は、格闘技を究めるだけでなく、人としてあるべき姿も希求したから世界的に広まったと思います。しかし、昨今の勝ちさえすればいい、セコい競技は柔道ではないと思います。柔道と称してセコい勝ち方をすれば、格闘技でなくて、不意討ちとか武器など、競技ではない事でやられるかも。
・もうずいぶんと前からオリンピックでやってるのはスポーツの柔道であって武道ではない。 スポーツやってる感覚の人にとって、勝つことが全てだし『礼に始まりー』なんて通じないと思うよ。 柔道が世界的なスポーツになった時点で、武道からは離れてると思う
・同じ日本の武道である剣道は、勝ってガッツポーズをすると、失格 敗戦になる。 世界選手権は、全世界の選手が剣道の礼節をきちんと守って行われている。 剣道をオリンピック種目にしないのは、スポーツとなると礼儀が崩れてしまうから。
柔道も 礼儀に反することをしたら、勝ちを取り消し失格にするくらいでないと、武道としての礼儀は保てない。
・今や世界各国で柔道がスポーツとして取り入れられて来てるが、柔道の大事な所は全く無視され、海外の柔道は見よう見真似の格闘技に近くなって来てる。 組みもしないで払いのける。 日本人の礼にはじまり礼に終わる。日本人だけの考えなのか? 柔道精神はないのかと思う。 柔道、剣道、弓道等。他にも書道や茶道などいろいろあるが、道と言う字が使われ礼儀を大事にするが、海外の人らは理解出来ないのだろう。 それが見よう見真似のやり方になり、勝てば良いになってるのでは? 最後の握手は礼ではない。
・柔道を単なるスポーツ競技としか見ていない選手には勝てさえすれば良い訳で、対戦相手のことや試合が完結していないことなど考えもしないで自分の喜びを優先するのでしょう。 柔道が国際化した結果とも言えるのですが、日本の武道の精神性が広まらないのは残念です。
・色んな競技があります。 卓球なんて1ポイントごとに奇声をあげたり、バスケなんて相手を威嚇したり様々なアピールやガッツポーズをしたり、柔道だけ礼に始まり礼に終わるなんて言ってるのは日本だけでもう日本を離れ始めた競技だと思います。 勝って嬉しいのはどんな競技でも同じですので、もうそんなことは言ってられないのかな。。。
・柔道国際公式ルール9条に違反しています。 9条は罰則が無いため、外国人は罰則の無いルールは守らなくてもよいと捉えるため、こんなことがまかり通ります。 これは外国人が柔道を人に道を学ぶ武道と理解していない証左で、講道館が海外普及という実利を求めるあまり、柔道の本当の教えをおざなりにしたことによります。
あろうことか、日本人でさえ幼少から礼を徹底されるのに国際大会で喜怒哀楽を顕す選手さえいます。
・日本の武道の精神を理解せず強ければ良い、勝てば良いと思っている選手がオリンピックの舞台に立つこと自体が問題。 とは言え!過去に金メダルをとった日本人柔道家の所作も誉められたものではない。今の時代だから映像はいくらでも見れますよ。
・武道における礼儀の意味を勘違いしている、というか、自分たちに都合よく解釈しすぎているように思う。 武道の精神では、基本的に負けたら死んでいる。死んでいたら、相手は何をしているか判らない。だからそこに礼節は必要ない。 武道の礼節は基本、勝負が決する前、自分が毒殺されたり闇討ちされたりしないように、自分は相手を毒殺などしない、というアピールのためにある。なのであくまで勝負の決着がつく前に発揮されるものなのです。 負けた相手にまで礼を尽くすようになったのは、竹刀剣道が発達した江戸中期からですよ。
・メダリストでも人格者とは限らない 少し前、日本の柔道金メダリストが事件起こしてたし 心技体の心が無くても強い人は強いわけで 本当は国の代表には気高い精神も持ってて欲しいよ
・日本の武道競技の中で「剣道」がオリンピック競技じゃないのはフェンシングっていう武器を使う競技が別にあるから。ってのが一般論になってるけど、実は日本の剣道連盟がオリンピック競技にする事を拒否ったんよね。 先にオリンピック競技になった柔道を見て、武道を礼儀よりも強さを優先して騒ぐ国際スポーツにしたくないって。 柔道は世界的に普及できたけど、当初のルールなくなってもたな。
・柔道ってこういうものでしたか?なんか海外の選手の品格のない振る舞い、後ろから見ていると別の格闘技かと思うような試合ぶり、礼もできず,しても軽く頭下げるのみで,意味わかってやってるのかって感じで,最初からずっと見ていて不快でしかありませんでした。同じく訳のわからない指導の数々や誤審を行う審判も全く理解できず,柔道とは程遠いものと感じたのは私だけでしょうか。ヨーロッパではたくさん柔道教室ができて子供のお稽古として人気だとか,でも本当の柔道が行われているとは到底思えません。ますます海外様式のかっこいいJUDOは柔道とはかけ離れて行くことでしょう。
・礼については、この選手に文句言っても仕方ない。 待ての後に攻撃するような選手は非難されても仕方ないと思うが、こういう礼儀や作法は、結局は、その国の指導者や審判、最終的には協会が正しく指導できてないだけ。 スポーツだからは、スポーツ全般に失礼だと思う。それぞれの礼儀、作法があり、皆それに従って喜びを表現してるのでは?
・柔道とJUDO の違いなんでしょうか。 過去に空手と合気道を嗜んでいた、古いタイプの人間のせいか、そういう変化をうまく受け入れられずにいます。 ( なので、オリンピックは全く見ていません )
そもそも武道か否かに関わらず、どんな競技でも 礼儀・マナー って大事なんじゃないかなと思っています。
・日本人特有の礼儀の精神は日本人だけで 良いと思う。 世界の柔道は武道ではなくてスポーツ。 礼儀や武道家の精神論で金メダルは取れない。スポーツ化して 柔道が世界的に普及してる証
・外国では柔道習う時、「礼法」って教わってないのかな? 日本ではまず最初に教わると思うんだけど。 礼法もできない、礼法の心得もない者に、柔道の試合に出る資格なんかないと思うんだけど。 今後は昇段審査や試合出場資格認定に、礼法の筆記試験でも設けた方がいいんじゃね?
・ラグビーのノーサイドのように、礼節も柔道の中に残って欲しいと願う。 しかし、それがもう無理なことを我々は受け入れる時期かもしれない。 別記事でフランスの柔道の競技人口は日本の4倍以上とあり、驚いた。 普及に努めた日本人の先人に敬意を表しつつ、JUDOは日本人の手を離れてしまったと自覚する。 五輪や世界選手権で毎度のように割り切れない想い、もう割り切らないと。
・日本人は講道館柔道の教えを大切に、オリンピックの参加をやめた方が良いと思います、世界柔道等の真の世界大会をやりましょう、日本式の柔道を守る外国人も多いと思います、検討を祈ります。
・日本人が礼節、武道とかを大事にしたいのならもっと「柔道とはこういうものだ」という普及活動をしなければならないと思う もはや国際的スポーツなのだから黙っていてはドンドン変化していくだろう 馬術とはこういうものだ、ノルディックとはこういうものだ、…と欧米はドンドン主張したりルールまで自分達に良いように変えてくるではないか アピール、主張がなければ世界では相手にされない
・所作はその人の心の表れだから、本人にしかどうにもできるものではないが精神を錬磨する面がおろそかにされがちなところは大いにあるのだろう。 それをどうにかしたいと思うなら、柔道界でルール化すればよいだけのこと。 日本の武道ではなく、ヨーロッパの騎士道を起源としているフェンシングにはそうしたことがきちんとルール化されていると聞いています。 フェンシングだと、試合で勝った後でも3者に対して「礼」をしないと「反則負け」だそうです。 3者は、対戦相手・審判・観客だとか…
・1964年の東京五輪以降、全世界で柔道人口が増えたことは、柔道経験者ではない自分にとっても喜ばしいことと思っていましたが、いつしか「柔道」は「Judo」となり、英語力の低さもあり、国際柔道連盟においても日本の影響力は漸次低下を余儀なくされ、今日に至ります。
「礼に始まり礼に終わる」を理解してくれる外国人選手も少なからずいると思いますが、中には、「I beg your pardon?」と、皮肉な笑いとともに答える外国人選手もいることでしょう。
これは、国際化の悪しき側面だと思います。 今のインバウンド公害も同様。 はじめの頃は、こんな日本に、日本の文化に関心を持ってくれて純粋に嬉しいと思っていた日本人も、あまりのマナーの悪さや傍若無人の振る舞いに辟易しているのではありませんか? 柔道を単なるスポーツのひとつと考える外国人の考え方に合わさざるを得ないのだろうか?
・柔道だから違和感があるのでしょうが、他の競技では日本人も当たり前の様に喜びを爆発させるじゃないですか。 柔道を始める切っ掛け、思いは人それぞれであってあまり押し付けるのもいかがなものかと思います。
・この勝ち方も先日の阿部選手の負け方も、武道としてはありえない。 相手を讃え、勝って自身を制することが武道。
「柔道」ではなく「JUDO」が今のオリンピック。それでも日本人として武道の精神は貫いて欲しい。
・人間の限界なんですかね。 柔道のJUDO化で「精神修養と堕落」と言った論文か記事でも書けそうな時代になりましたね。 精神修養もビジネスと結びつくと、お金か名声(名誉ではない)を求めて堕落していく。 それを広めようとした先達が、これらを見たら、どのように思うのでしょうね。 このような事態が横行しているならば、私個人としては、最近、議論になっている現行の柔道国際組織とは、別に組織を立ち上げるのに賛成ですね。
・あれは私が中学生でした。神永さんが負けた時、父はじっとTVを見ていましたが、ヘイシンクは立派な柔道家だと言ってました。後でその意味が分かりました。その後だんだん見なくなりました。試合の後の仕草にだんだん嫌気が差してきたようです。なんか父は父の、と言うか日本人のアイデンティティが失われていくことに何か感じていたのでしょう。永瀬さん良いですね!前はあまり騒がれませんでしたが、東京オリンピック辺りから変わりましたね。吉田選手も世田谷高校あたりからみてましたが、あの細い身体からスペインオリンピックでは見事な体に仕上がり、金を取ったときにはバンザイする程喜びましたょ。古賀さんもずっと見てました。ガンバレ 日本柔道!!。
・外国の柔道の選手の礼儀とかあーだこーだ言っても仕方ない。柔道をしているとはいえ文化も違うし。日本の柔道家が誇り高く柔道の精神をもって、日本の柔道の強さ美しさ素晴らしさを見せつけてくれたらいい。
・もう外国人に日本の礼節やマナーを求めるの無理じゃないですか?昨日今日の話しじゃないし…スポーツも観光も政治も、日本人が日本人のためだけにで良いと思います。他国に期待しても踏み躙られるだけ。
・木村政彦氏の逸話で相手が自分を倒そうと2倍の練習をしたら、本人は3倍の練習をした! でしたか? そうするしか今のJUDOで日本が勝つすべは無いのかなとも思う。 もちろんもの凄い練習量をこなして参加しているのだと思うけど。
・礼に始まり 礼に終わるというのを ルールに盛り込んでもルール上 やらなきゃいけない ことやってはいけないこと ということでその精神などを理解し行動するわけではないので 意味ないですしね まあとりあえずやらないようにさせるには 反則負けにすればいいんじゃないですか
・まあ、コレがスポーツ柔道の現実でしょう。 でも柔道の礼節身についていない日本人選手もいるし、完璧に柔道精神身につけている外国人選手もいる。 勝ち負けの喜怒哀楽を相手に見せない礼儀くらい身につけてこその柔道。
・日本の柔道と外国のJUDOは異なる。外国のは単なる、柔道に似せた格闘技に過ぎない。柔の道の何たるかも理解していない選手が多い。だから礼の何たるかもわからなし、ただ、勝つ事だけ、メダルが欲しいだけ?心身を鍛える気持ちは見受けられない。
・これは「柔道」じゃなくて「JUDO」なんです。礼儀や作法なんか無くても良いって「競技」だと思ってます。「柔道」から「JUDO」に変更された時点で我々日本人は勝てないルールに巻き込まれてるんです。日本人選手は文句無しの一本じゃないと中々勝てません。無礼な態度を取られても、エコ贔屓な判定でも「JUDO」を受け入れた以上我慢せねばなりません。
・これに関してはもうしょうが無い。日本人以外がやっているのは柔道では無く、JUDO。 礼節が一番なのではなく、国の為、自分の為にただ勝利することが全て。残念ながらそうしたのもまた世界へビジネスチャンスを求めた日本の柔道関係者なのだから。
・ルールとして、しっかりとした礼は必須で、握手は任意/自由として欲しい。また、試合直後にガッツポーズなどの行為をしたら、次の試合は指導2つから始まるようにして欲しい。
・パリオリンピックのこの競技は柔道ではありません。 JUDOです。 柔道といっしょにしてはいけません。 JUDOに日本人の理事すらいません。 ヨーロッパ諸国でかってにこしらえたルールで行っている、スポーツです。 柔道ではありません。 そのうち日本人が勝てばルールが変わるスポーツです。 柔道がみたければ日本選手権を観ましょう。
・ファンダイケは2回戦の試合でも、日本の解説者の方から「試合巧者」と微妙な表現で呼ばれるとともに「日本の子供にhあこういう柔道はしてほしくないですね」と言われていました。 もともとファンダイケは柔道の心を何も学んでこなかったただのJUDOレスラーなんでしょう。
・いや分かるよ。日本人の武士道精神。そして本当に日本の武士道精神を尊ぶ気持ちはすごく自分自身ある。 ただオリンピックはスポーツ大会であり、武士道精神を外国人に教えようと思ってもなかなか難しい。 それが受け入れられないなら柔道をオリンピック競技から外せばいい。 オリンピック競技として成り立たせたい、でも外国人の武士道精神がわからないやつは許容できない。は都合良すぎ。 そこまで文句言うならオリンピック競技からはずしてもらい、もう一度judoではなく、柔道に戻すしかない。
・日本では「柔道」、外国では「JUDO」でしょ。品格が違うんです。軽々しいJUDOになっているから。だからこそ、日本人選手には、世界が見ている前では、真の武道の姿を見せて欲しいんです。
・日本人選手も、格上の相手を侮り勝てるつもりで戦って負け、礼をしないうちから嘆き悲しんで、促されてようやく形式的に礼をして、挙げ句試合進行を妨げるレベルで泣き喚いてた選手がいましたね。
発祥国の日本ですらそれを指導陣がヨシヨシして、世論でも非難一辺倒ではなく擁護がそれなりにいるような有り様なのですから、他国で敬意を欠く選手がいても残念ながらそういうものだと思います。
・柔道、やっぱり海外に伝わって途中でおかしくなってそのままなんだな。
最初の指導者が日本人でも、日本でしっかり学んだ人でも、その人が去ったらおかしくなるのよくあることだけど、これだけ外国人選手も審判もおかしいとなると、これは一度大きく問題にするべきなんじゃないのか。
・余り日本発祥だから、もっとリスペクトしろ的な発言はしないほうが良い。そう言う選手もいるし、そうでない選手もいる。色々な価値観を持ってオリンピックと言う場に集まる訳だから自分の価値観を押し付けては、寧ろ反感を生む。
・礼にはじまり礼に終わる。そう習いましたが、今時強い方が勝ち。日本人なら批判受ける行為だか、他国の選手に批判しても。負けたら審判の誤審、礼が欠けている。負けてからグダグダ言っている行為も恥ずかしく、礼に欠けるのでは?判定が覆る事はない。 あっさり相手が強い事認めて褒めた方が美しい行為では。
・かつてオランダのヘーシンクは敗者に対する欠礼を許さない柔道精神の権化だったが、60年経った今では、オランダのJUDO選手はただの格闘技アスリートに成り下がった。JUDOとは柔道を起源とするスポーツであり、武道ではないことを示す良い例ですな。
・日本古来からの「道」とつくものに、外国人はそもそも分かる筈も無い。 日本柔道連盟は、それを無視しいわゆる「金」のために柔道をオリンピック競技としてしまった。結果、柔よく剛を制す、ではなくなった。ただ勝てば良いと言う、単なるスポーツに成り下がった。 古来から、日本の精神の修練、神が宿ると言われる、「刀」の剣道は精神修練であり、勝敗をこだわるものではない。日本剣道連盟はオリンピック競技には絶対にしないと、昔から言い続けている。それで良いのだ。 柔道に道は無くなった。
・柔道家なのに柔道の本質を解っていないでオリンピックという大舞台に上がることは非常に恥ずかしいことだと思います。ただ目の前の勝負に勝てば良いとだけ教えられて柔道をやっているならば、この選手及び背後の組織は柔道から離れたほうがいいと思います。礼のない柔道など柔道ではないし、相手を蔑ろにしてのこの振る舞いは三流選手の証でもあります。
・選手には指導者がついてます 親の顔が見てみたいじゃないですが 各国の指導者に柔の精神をもって指導してもらいたい そのあたり日本は世界に強く発信してもらいたい
・お客さんを煽ってはいませんよね 拍手しろ!みたいにも見えませんでした 単純に個人の嬉しい感情を表しただけで悪意はありません 微笑ましかった^_^
以前、鈴木桂治さんもガッツポーズをして非難されてました 柔道ではなくJUDOになってるのは日本も同じことです
詩さんのギャーギャーを理解しようとするんなら、両手上げて喜びを示した選手も理解しましょう 同じ感情表現です
・本来の“柔道”にあるべき『礼に始まり礼に終わる』をせずに一定時間パフォーマンスをした選手に対しては、勝利を剥奪するか、少なくとも指導を与えたうえでゴールデンスコアにしてもよいのではないでしょうか。
・日本人選手が全ての国際大会で礼節ある態度、勝っても負けても畳の上では感情を出さず礼を尽くす、という態度を取り付けて勝ち続ければ、外国人選手も変わってくるだろう。でも、日本人の選手にも、勝ってガッツポーズ、バンザイしたり跳び跳ねたり、敗者を思いやる態度を取らない選手なんて沢山いた記憶がある。
・なるほどね。JUDOと言う名前だけであって道ではないと言うことか。子供の頃とはいえ剣道をやってた自分からはいささかと思ったけど、確かに違うものなのかも知れないな。 日本が言ってもダメだろな。海外の柔道家がこれをどう評するかでJUDOの方向性は変わってくるのかな。
・オリンピックでやっているのはJUDOであって柔道ではない。 礼も反則技も関係のない、ただの楽しければ良いというスポーツだ。 この程度のことでいちいち頭に来ても仕方がない。もし、しっかりやるならば、礼を失する行為に対して反則負けとするようなルールを作らないと日本国外では意味がないのだろうね。
・礼に始まり礼に終わる。 まだまだ海外選手には柔道精神の意味を良く理解してない選手が多々見られる。 指導者には技を教える前にしっかりと教えて 欲しいと思う。 柔道にパフォーマンスは持ち込まないで欲しいものです。審判も注意くらいしてくれよ!
・柔道が世界で行われるスポーツになっていることは嬉しいし、煽りゼスチャーも反則ではないんだろうけど、柔道の精神なんかも含めて広がってほしいものです。
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