( 197211 ) 2024/08/01 17:11:51 2 00 「スポーツ選手に武士道のようなものを求めすぎ」 長谷川良品さん、パリオリンピック報道に苦言 「やたら美談にしたてあげようと」中日スポーツ 8/1(木) 10:50 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b5f0b49046186533767d72910f84b7bbdff98b73 |
( 197214 ) 2024/08/01 17:11:51 0 00 柔道女子52キロ級、2回戦で敗れた阿部詩(小沢徹撮影)
元放送作家でユーチューバーの長谷川良品さんが1日までにX(旧ツイッター)を更新。テレビ局のパリオリンピック報道を通じてスポーツ選手に「武士道のようなもの」を求める風潮に苦言を呈した。
◆村尾三四郎、女性審判の判定にぶ然【写真複数】
柔道女子52キロ級の阿部詩が2回戦で敗退した後、畳の上で号泣したことについて賛否の声が噴出するなど、競技の中継だけでなくワイドショーなどでも選手の一挙手一投足がネタになり、ネット上で一喜一憂する毎日。長谷川さんは「やたら美談にしたてあげようとするテレビ報道のせいでスポーツ選手に対し清廉性や品行方正はもちろん、なぜか武士道のようなものを求めすぎなんですよね。てか、なに武士道って」と私見をつづった。
フォロワーから「こんばんわ。『武士道が!』という方とX上で何人かの方と交流したのですが、どなたからも私は武士道を感じませんでした」との声があがると、長谷川さんは「はい、まさにこれなんですよ笑」と反応。
さらにコメント欄には「柔道の事でゴタゴタあって日本は武士道精神みたいな流れだ」「阿部詩ちゃんの事、そしてもうすぐ始まる夏の甲子園大会でもそうですがもう考え方古すぎます。武道の精神が~とかド派手なガッツポーズが~とか今の若い人たちにとってはそんなのどうでもいいんだから」「マスコミ相手にも堂々と放言する(元競泳選手の)千葉すずみたいな逸材出るのをひそかに期待しています」「五輪そのものに冷めた感じですね。東京で無理やり開催した辺りで冷めました」「スポーツ辞めた後、政治家になってすっかりダメ人間になった人、多いのにね」など、さまざまな意見が寄せられた。
中日スポーツ
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( 197215 ) 2024/08/01 17:11:51 0 00 ・武士道のようなもの求めすぎって礼に始まって礼に終わるがルールだと思うけどそれをせずに座り込んでたらいつまでたっても相手選手は終われない、畳から降りられない、休憩できない。ただ立って待ってた相手選手の表情が何とも言えない感じだった。これって技とか習う前の基本中の基本だと思うけどね。
・外国人選手が勝利した後、畳を降りて、コーチのところまで行って、コーチ向かって一礼してから、共に退席されるのをみました。おそらく、普段の練習や試合の時でも、この習慣(作法)でやられてるんだろうなと感じました。 JUDOに武士道なんてない、といえばそうかもしれないけれど、ちゃんと儀礼を重んじる精神性を大切にしながら柔道に取り組んでる方が世界にもたくさんいるんだなぁとしれたシーンでした。
・柔道は「武道」であり他の競技とは違う性質を持っていて試合に負けてああいった泣き方は残念ながら絶対に良くない。負けたのは相手がただ強かっただけ、また審判が仮に誤審をしたとしても一切の抗議をせずに負けた自身に何が足りなかったのかを再度反省をする、それが本来の武道精神であり、もし泣きたければ誰もいないところで泣かないといけない。武道は「生涯武道」であり一生かけてやるもの、それを再度よくよく考えて取り組めば素晴らしい選手になるはずです。
・ちなみに柔道では柔道連盟試合審判規定の9条で「正しい礼法を実行することは非常に重要である」とあり、各地域の連盟に試合の審判にあたっての内部通達が出ています。 よって試合でガッツポーズをとったり喜怒哀楽を表明することは正しい礼法に該当しない、つまりルール違反になるということになり、これらは武士道精神のような不文律の曖昧なものでは決してありません。
ただしこの規定に罰則は定められておらず(内部通達には「相手の人格を無視するような言動は反則負け」になるものの、それ以外は注意にとどまります。)、外国人は罰則の無いルールは守る必要がないと考えるので、国際大会では守られないことが多いです。また日本の連盟も普及を目指していたのでそこまで浸透させなかった実情もあります。 いつの間にか日本人選手も国内では徹底されているのに国際大会では平気でガッツポーズをとる選手までいます。
・武道の精神の前に、国の代表として戦う選手は、勝負け関係なく相手の選手をリスペクトするような振る舞いが大切だなのでは。 詩さんのプレッシャーは計り知れないもので、本人にしか分かりえない事です。次回はそれを乗り越えられるような、強い意志とリスペクトの精神を磨いていただきたいと思います。 心技体(メンタル・テクニカル・フィジカル)、最強の兄弟を見たいです!
・共存共栄を認めず、残酷な手段で解決しようとする現実を目の当たりにして、人間味のある心が洗われるようなエピソードはうれしい。必ず勝敗のあるのが試合だけれど、相互が対戦までに至る努力を認め合い尊敬する。決して敵対しない。勝ち負けにこだわらない徳を積む道を歩んできたと信じたい。シンボルにも表しているようにオリンピックは競争だけで終わらせられない国際大会だし、戦火が終わる気配のないタイミングでの開催も影響しているのだと思う。
・敗れて悔し泣きしてるのをみっともないとかリスペクトが無いとか、精神的に子供だとか書かれてる事が多いように感じるけど、そう書いている人たちは高校球児が甲子園で敗れて泣きながら砂を集めてるのもみっともないって言うのかな。 敗れて涙を流す選手の気持ちは当人ではないからわからないけど、少なくともオリンピックのために本当に沢山の事を犠牲にして本気で臨んだからこそ、あそこまで公衆の面前にも拘わらず号泣してしまったんじゃないんですかね。 沢山の人の協力・応援があったからこそオリンピックの舞台に立てたという思いがあるなら、期待に応えられなかったという悔しさやもどかしさもあったでしょうし。 それと詩選手、そんなに言われるほど畳から降りるのに時間かかってなかったと思うけどなぁ。 オリンピックを楽しみにしていた人達に「叶わなかったけど夢を見させてくれた」と思いたいものです。
・オリンピックの勝利至上主義、メダルの数で評価されることに関して柔道の精神からはずれるという意見があります。詩選手に勝った選手が最後まで喜びを表さず、負けた選手に敬意を表したことこそ、日本柔道の真髄を体得した姿勢だったと感服します。嘉納治五郎先生の教えや講道館で何を教え、何を世界に広げて評価されてきたのか、時代に応じて変わっていくべきものと、守り続けていくべきものについて解説していた柔道界の方がもっと語るべきだと思います。
・息子が小2の時、柔道の県レベルの大会で初めて優勝した時ガッツポーズをしました。指導してくださった先生はとても喜び、彼の労をねぎらってくれましたが「相手のことを考えて。柔道でガッツポーズして良いのははオリンピックで優勝時ぐらい」とたしなめました。親子とも、そんなものかと納得し、その後息子は何度も優勝しましたがその後は一度もしておりません。 オリンピックでガッツポーズを見るたび、ひょっとして柔道人生最初で最後のガッツポーズかもしれない、とか思ったりします。
・武士道じゃなくて武道ね。武士道と武道はちがうよね。この長谷川さんって人は武道経験がないんだろうね。武道をやったことがあれば今回の件は不思議に思うけど。。技より先にまず礼節、精神面を叩き込まれるから。基本中の基本だと思うんだけど。 オリンピックの柔道は違うんだという意見もあるけど、それなら道という名前を使わないでほしい。柔術とか、柔道風スポーツとかにすれば良い。
・柔道に武士道精神なるものはありません。武士道は日本独自の規範意識ですので、それは国際的なスポーツである柔道には当てはまりません。。柔道は明治15年に嘉納治五郎氏によって創立された講道館が発祥です。柔道という名前も嘉納治五郎氏が付けた名前です。そして「心身の教育を目的」にしています。国際柔道連盟にもその規定があります。そういう成り立ちを理解していれば、柔道が他のスポーツとは違う精神で形成されていることがわかります。武士道に通ずるところはあると思いますが、柔道は独自の規範で形成され、少なくともオリンピックに出場する柔道選手はそれを理解している筈です。心身の教育を目的にしたシステムである国際柔道連盟の信義則に反する行為は許されません。感情の抑制も柔道の教えですから、他のスポーツと比較して論ずるべきではないと思います。それが理解できないなら柔道をするべきではなく、非難するなら見なければ良い。
・柔道は武術であり、普通のスポーツとは違います。柔道家はスポーツマンであると同時に武道家であるべきです。実際、大日本帝国の軍隊格闘技でもありましたし、今でも兵士の格闘術に組み込んでいる国も多数あります。その礼式がいらないのであれば、他のスポーツをやれば良いだけだと思います。柔道家でありたければ、同時に武人であるべきだと思います。
・50年程剣道を嗜んでおりますが、JUDOに関してはもう、武士道云々を求めるのは無理かと思いますね。 何故、柔道や、剣道でガッツポーズが禁じられているのか、それは鍛練の目的が己に打ち勝つ為であって、対戦相手に勝ったか負けたかは、単にその結果の1つでしかないからです。 昨日より今日、今日より明日の自分が成長してゆくように精進し、自分の後に続く者には、自分が持っているものを惜しみなく与えてゆく。 そのように教えられてきて、教えています。 還暦を迎える今日、後どれほど生きられるかは知りませんが、20代の時より残された時間が少ないのは確か。 自身の寿命が尽きるその時を意識して、今一瞬一瞬を悔いのないように過ごしてゆかねば、ようやくそのことを噛みしめる所へ辿り着きました。
・柔道だけに限らず、個々の戦い、チームプレーでも有って当然の振る舞いであり、姿であることを忘れてはいけない。この試合に臨めるのは、自分だけの実力か?それを支える周囲の人達、一番に大切にすべきは対戦相手である。周囲の人たちに感謝し、対戦相手を尊重して、そこから生まれる礼節、マナー、負けもなお清々しい気持ちで対戦相手を受け入れる事の出来るようならなければならない、仮に納得のゆかない判定が出たら、権利の範囲内で主張し、相手もそれを認め、仲裁役が決定を下す。決定された以上、それを受け入れる。そう言ったものが普通だと思う。
・こういう考え方があっても良いと思う。 ただ武道にサムライ魂の潔さ、武士道の美しさを求める意見もあって良いと思う。全く不要と言うなら、茶道もあぐらかいて茶を飲めよという話になってしまう。 批判する事そのものが武士道らしくないという意見もあるが、大事に思っているからこそ一言言いたくなる事もあるのでは。 自分は格闘技をやっている端くれだが、やはりサムライ魂的なものに憧れて始めたし、対戦相手への敬意は大事だと思っている。それを否定される理由は見つからない。
・スポーツ選手に武士道を求めてる訳では無いと思いますが 柔道に関して言えば、武士道というか、精神を鍛えることも一つと考えられていて、ただ、相手を倒して勝てば良いと言うものではないので、当てはまらないのでは無いかと思います 人ですし、色々な感情が出てしまう事はあるとは思いますが、詩さんの場合は、周りもしっかりサポートしてあげれば良かったのにな、って印象はありましたね、誹謗とかではなく、実際に勝った選手も微妙になるし、次の試合のスケジュールもあると言う事を踏まえると、意見されても仕方ないかと思いました
・スポーツに精神性を求めることは悪くないとは思うが、相手がそこに乗ってこないのであれば、逆に足をすくわれる原因となりかねない だがまあ日本はそれでずっとやってきたんだし、それを急に辞めろとはいかないだろ スポーツの勝ち負け以上に礼を重んじるとか精神性を高めるという姿勢は、多くの競技者が必ずしもオリンピックに出るわけでもなく、部活動などで行なわれる部分ではむしろ有効なことではないか あくまで国内大会での考えではあるけどね 大きな怪我がなく、勝ち負けに関係なく思いっきり戦える環境が整ってほしいと思うし、今回、やたらと審判の存在が目立っているのは、スポーツ観戦する者としてはちょっと目障りかな
・例えばメジャーリーグでも武士道精神ではないですがアンリトンルールと呼ばれるものがあり、基本的には対戦相手に対して敬意を払うためのものなんですよね。ファンがそういったものを「求めるすぎる」のはともかくとして、やはり対戦相手がいないと競技そのものが成り立たないのですし、さらに言えば審判や会場を運営しているスタッフなど多くの人々が競技に関わっているわけです。 オリンピックの主役は戦っているアスリート達ですが、周囲に対する配慮は忘れてほしくないと思います。武士道精神とはそういったものではないのでしょうか。
・これは武士道だけの事だけではないと思います。スポーツ全般、とくにオリンピックは日本代表として行ってる訳だから、あの詩選手の号泣場面は率直な感想はみっともないと思いました。日本代表なのに、詩選手のファンですがちょっと引きましたね。コーチもコーチでなぜ早くに会場から連れ出さなかったのかなとも思いました。あの号泣を美徳としては残念ながら見れないですね。でも詩選手にはこれからも頑張って頂きたいと思います。
・ゴルフのマスターズや全英オープン、サッカーのワールドカップ、テニスのウィンブルドンとかみたいにオリンピックとは別に柔道として最も格式の高い大会を日本で(名前は日本柔道世界選手権とかでも何でもいいが)作って、海外のランキングの高い選手を招待して、「本当の柔道」の大会を開催、続けていかないといかんとおもう。そしてスポーツ化してしまったJUDOをそっちに寄せて戻していく作業が必要なんでしょう。審判も招待制にして技量の底上げをしないといけないでしょうね。
・武道精神と捉えても、スポーツマンシップと捉えても、国の代表選手が世界に注目される中、ギャン泣きし見苦しい姿を晒し、他者への敬意と配慮に欠けた行動であり、共通してそぐわないものだったと思う 各国皆、敗者は辛く悔しい思いをしているし、彼女だけが特別な訳じゃないし、誰もそんな真似はしていない いずれにせよ国を代表する選手としての、あるべき姿では無かったと思うし、心を鍛え礼節を重んじるのは、武道としてもアスリートとしても共通してると思う
・武士道とは、忠義奉公を尽くすことであり、社会貢献をなす意志である。 スポーツや武道とは、なんの関係もない。 ただ、武道にしてもスポーツマンシップにしても、相手に対する礼を重んじることは大切であり、それは試合中は勿論、対戦後もあって然るべきことで、 相手のみならず、関係者の皆様に対しても尽くすことが求めてられている。 これを、理解した行動を取れる人が真の勝者たり得る。
・海外の選手が日本の武道にはまる理由のひとつに武士道の精神が学べる事でもあります。オリンピックレベルの試合になると生きるか死ぬかのような精神状態にまで追い込まれるので人間の本性が出やすくもあると思います。詩選手がお詫びをいれたことも武士道精神だし素晴らしいではないですか。評論家記者は自分は出来ないのに言いたい放題でおかしいでしょう。レベルに関係なく学ぶ場所が武道であるのです。
・柔道って、ていうか武道って「道」つまり「人生」だから道って言葉が入ってるんですよ。 別にオリンピックがスポーツのジュードーの大会ならそれで構いませんし、そのジュードー選手を批判するつもりもないです。が、これまでの柔道家を見て育った日本人として、その時の勝ち負け以上に、柔道家として凛としている方に、日本人外国人関係なく感動します。個人的にはいつまでもそういう競技であって欲しいとは思います。
・今回柔道を見ていてほとんどの方が勝っても負けても武道の精神を守り許される範囲で嬉しさ悔しさを表していたと思います。今回詩選手が泣いた事悔しがった事は問題ではないと私は思います。 何が問題だったのか。それは次の試合に出る選手が進行が遅れギリギリの精神状態で待つ時間が延びた事。居たか居ないかはわかりませんが場合によってはリズムを崩された選手もいたかもしれない。スポーツは公平でならないと思う。1人の選手が怪我などでの対応なら仕方ないが泣くと言うだけで進行を遅らせるのは武道だろうが他の競技だろうがダメな事ではないでしょうか。
・日本人のうちでも圧倒的多数の人の先祖は、武士なんかではなくただの農民や町人。 それがいつの頃からか「日本人たるもの武士道精神を持つべし」と多くの人が思うようになってきた。そもそも農民や町人にはそんな物はなかったのに、だ。
日本の「〜道」と名のつくものはその道を極めることが本来の主眼であり、力や技術を向上させるだけではなく、必ず精神性を伴う。それは単に武道だけでなく華道や茶道なども同様だ。 柔道は海外に広まりいつしか「ジュードー」になってしまったが、例えば剣道のようにたとえ相手を打っても残心がなければ一本と認めないという、精神性を残したスポーツも現存する。 弓道はアーチェリーと違い、ただ的を正確に射るだけでなく、その所作を含め心を無にすることに重きが置かれる。
まあ武士道精神と言わないまでも、たとえ誤審で敗れたとしても自らの力が足りなかったと反省するくらいの潔さはあっても良いように思う。
・スポーツマンシップとは、スポーツ選手が身につけておくべきとされる競技精神のこと
柔道の精神とは「自他共栄」 「相助相譲・自他共栄」を略した言い方で、その意味は、「自己の栄えのみを目的とせず、助け合い、譲り合い、融和協調して、共に栄えることを目指す」ということである。 柔道の技は相手との関係でなされるものであり、その稽古は相手があって成立する。相手は自分の技を高めてくれる大切な存在であり、互いに助け合い、感謝し、敬意を払うべき存在である。礼法の意義もここにある。 柔道の修行において自分と相手は、「助け合い、譲り合い、融和協調して、共に栄えることを目指す」関係となる。
・別の視点で私も一言。 オリンピック選手たちの言動は、日本人考察の宝庫だ。 日本人の精神構造からして、「自分のために頑張りました」「負けましたが、最高の舞台で楽しめました」とは言えないのだろうな。 ップレベルの争いでは、勝負は「時の運」と思われるのに、入賞しても金メダルでなくて謝る者さえいる。 日の丸を背負された日本選手はツライ。あえて、「オリンピックでも、まず楽しめ」と選手にエールを贈る。
・まあ柔道なので武道ですよね。武士道とは士道であり武道とは違いますね。 スポーツでありながら礼に始まり礼に終わる、それが柔道ですね。 求めているというか、柔道家はそのような姿を目指しているわけです。 それが、感情の昂ぶりで目指す姿ではない姿を見せてしまう、それが自分であれば自らの未熟を恥じ、それが他者であればあえて指摘しないのもまた武の道ではあります。
・柔道は日本において、剣道とともに柔剣道として学校の体育に取り入れてられ庶民に広がっていってます。その中で礼に始まり礼に終わると言う精神も日本人を形成するアイデンティティの一つになったと思います。 柔道は国際化の中で薄まっていますが、剣道では未だ明確に残っており、試合中後のガッツポーズは一本取消しの判定のはずです。 日本人が柔道に対して精神性を求めるのはおかしくは無いと思います。他のスポーツに対しては求めるものでは無いなと感じます。
・まず、「武士道」と「武道の精神」とは意味合いが違います。それを理解することから始めましょう!!
そして、柔道は個人戦ですが、オリンピックには日本代表選手団として参加しています。競技の強さだけでなく、日本代表としてのマナーやモラルに反しない行動が求められます。それが日本代表としての責任です。
負けて悔しいのはオリンピックに参加してる選手なら全員に言えることです。悔しいのは自分だけではないし、次に試合をする選手の集中を妨げるような行為は代表選手としては褒められるものではありません。
・本来の武道は自己の心身の鍛錬が目的であり勝ち負けにこだわってはいけないもので、勝って喜びを表す事は勝ちに執着することにつながってしまうから、勝ってガッツポーズをすることなどが禁じられているのだと思う。 実際のオリンピックなどの競技会は目一杯勝ち負けにこだわっているもので、そもそも武道の目指すところとは違う。 武道をやりたいのならばオリンピックなどとは別のところでやれば良いのではないかと思う。
・武士道かどうかはわからんが、柔道は武道の一つではあるかもね。
とはいえ、これが海外の選手だったら美談に伝えないんでしょうね、報道陣と第三者は。 とりあえず、畳から降りてからね。ということでしょうか。 あるいは、泣くにしてもコーチ陣は足早にあの場(試合会場のカメラに映る場所)から離れるようにした方が良かったかもね。 このオリンピックのために頑張ってきて、ケガにも耐えてここまでこれたのだから。ましてや大好きなお兄ちゃんと一緒に金メダルとりたかったという事もあり感情が爆発してしまったのでしょうが。
ただ、これに関しては誤審ではないのが救いかな。怒りの矛先が変わりそうだから。
・武士道っというかマナーというかね。 これの問題は泣いたことより、進行を遅らせてしまった事かな。 泣きたくなる気持ちは恐れ多いけどわかる。でも次の試合を控えている選手もいたし、勝った選手に対しても失礼かな。 ただ人間だからね。仕方ない。
武士道というなら永山選手の時に起きた誤審については武士道を重んじるならあの負け方は無かったと思う。 自分も昔は剣道を習っていたが、残心について日頃教えられた。 あのマテの時に相手も力をに抜くはずだと思って、力を先に抜いてしまったのは残心が足りなかったと思う。 もちろんルールは重要だし、協議の柔道と武道の柔道は別なのわかる。しかもいつまでも締められないように力を入れ続けるのもスタミナを消費して疲れてしまう。 個人的にもあの誤審は許せない。
だけど武士道という話なら相手の力が抜けて逃れられるまで残心を保つべきでもあった。
・この方が知らないだけで柔道で勝った際にガッツポーズなんぞしようものなら指導者に物凄く叱られますけどね ただ、オリンピックに出るような常人には計り知れないようなプレッシャーに晒されている人が勝って思わずガッツポーズしても誰も責められないでしょう それはそれこれはこれ 柔道は武道ですからその精神を重んじてます
・柔道・剣道・弓道と日本古来の武道は武士道が基本にあるのは常識、それが嫌ならするなやと言いたい。礼に始まり礼に終わるのは根本だと思います。やった事のある人は判る筈です。批判してるのはきっと知らない人でしょうね。柔道はスポーツでもあり精神修行の場でもあると思います。
・世間で言われてるのは 「武士道」じゃなくて「武道」じゃ ないですかね。 でいうと「柔道」はそういうカテゴリー なので「武道」の心を話題にされるのは 仕方ないかと。また、時代で片付けずに 「柔道」と「JUDO」の区別を保つのも 日本としては大切さな役割りではないかと 思います。 かと言って、その考えを個人に強制したり 攻撃したりして良いはずはありません。 お互い尊重するべきです。 詩さんはあの時ああしたかったし、会場で温かい コールもあって。 後からご自分で思うところもあるでしょう。 それでいいのかなと思います。
・元放送作家でユーチューバーの長谷川良品さんが1日までにX(旧ツイッター)を更新。テレビ局のパリオリンピック報道を通じてスポーツ選手に「武士道のようなもの」を求める風潮に苦言を呈した。
だったら各々の武道を消滅させるしかないですね。剣道には剣道の、柔道には柔道の、空手には空手の、競技を行う者への「心構え」を作った上で成立させたものですよね。競技を行う者はその「心構え」を理解し遵守した上で競技を行い続けます。武道を行う者にその「心」を求めなくなったらその武道の存在意義はありません。
・スポーツ選手に「武士道」を当てはめるのは確かに違うとは思います。また柔道も試合審判規定には「正しい礼法を実行することは非常に重要である」とあり、中高生の試合でガッツポーズをとったり、畳をたたいて悔しがったりすることは、ルール違反に当たります。 ただ、これらは「武士道」とは違い明文化されています。逆に柔道選手は「武道家」であることは明確には求められていないはずです。だから、長谷川さんのご指摘は的はずれになります。 一般論として、オリンピックに出場するほどの柔道選手は「心身の教育を目的」とした国際柔道連盟の信義則を理解しているのは当然だということです。 そのひとつとして、礼節を重んじるというのも、柔道のひとつの教えですから、他のスポーツと違い、それを求められるのは、特性上あってしかるべきでしょう。 でも日本選手も畳の上でも平気でガッツポーズする時代ですから。
・普通の現代人が武士道精神なるものに触れて、感じて生活する機会ってあるんでしょうか。少なくとも私はない。ない、というか武士道精神が何なのか説明できない。だから知らずのうちにその精神に則って生活しているかもしれないし、してないかもしれない。そんなもんでしょ。SNSで攻撃する人も武士道精神という言葉を出してその人を注意する人も、みんな可笑しさで溢れてる。
・競技をやると勝敗追及の結果として、根性が悪くなるという調査結果もあるようですが、そこに偏らずに人間性をとどめようとする日本武道独自とも言える行動指針の表現が「武士道」「武道精神」なんだと思っています。 大会に同行するとたびたびのルールや基準の変更、選手のレベルも素晴らしく向上しているのを感じます。 それに伴い、審判にバレない位置での反則や、ポイントを無効にするために相手の反則のように装う技術も高くなっています。 審判も経験がないとうっかりそれに合わせてしまうほどです。 海外にも行く審判の先生方に聞くと「海外は更にお金が絡むケースもあるので選手は必死です。だからバレなければ反則も実力の内という感覚。」との事。 そんな中で勝ち上がり、世界で戦う選手らには頭が下がりますが、そんな彼らだからこそ武道の本分である礼作法を後進らに見せてほしいと思う。 指導の末端として、あまり大きな声では言えませんが。
・礼に始まり礼に終わる →柔道だけで無くても普段から皆 やってます。ただ、できなかったからと 言って非難されるものでも無い。 お互いに全力を尽くして試合して 最後は勝ち負けよりも手合わせして くれたことに感謝する。 海外の選手たちのなかにも素晴らしい 武道の精神をお持ちの方がおります。 最後まで悔いなく力を発揮されること を望みます。
柔よく剛を制す 身体が大きい、力持ちだ。 そんな人たちを技で制していく。 これこそが柔道の魅力だ。 国際大会の柔道、今回の五輪は 指導などの累積で勝敗が 決することが多く見られます。 もちろんルール上ではなんら 問題はないのかもしれないが お互いが何か納得していないように 感じます。 ポイント取るのも良いが やはり一本勝ちがみたいです。 素人の浅学で恐れいります。
・武道の武の意義は本来戈と止むの二字よりなる会意文字である。武の本義は人と人との争いを止め平和と文化に貢献する和協の道を表した道徳的内容を持つものである。故に真の武道は争いを求め相手を倒し自己の名誉や自身の幸福のみを追求する道ではない、、、人も立て我も立てる道が本来の武道である。しかし現在武道と呼ばれているものは本来の武道でなく勝負事、スポーツ的なものが多い。なので柔道などの勝負術であるオリンピック種目に武士道精神を求めるのはなかなか難しいと思う。筆者のおっしゃる通り「やたら美談にしたてあげようと、、、」は無理がある。もっと温かく見守ってほしい。
・うーん、でも柔道って、「武道」ですから仕方がないですよね。本当に大切なのは精神なんだよっていう。 これを疎かにして国際的に広めてオリンピック競技にしたことで、変になってきているのではないのでしょうか。 今やレスリングと何が違うのって思ってしまう。 日本人だけ「武道」を求めるのではなくて、柔道を愛する海外の柔道家の方たちに、もっともっと「武道」とは、柔道の「技」とは、という本質を広めていかないと、柔道ではなく「スポーツ柔道」になってしまうような気がします。
・武士道・感動・美談・涙…皆んな好きですもんね。 普段の自分は真逆の生活してるのに、、、 誤審の問題も、審判員が負けと言ったら負けなんだから。 柔道の篠原選手が誤審で負けた時、「自分が圧倒的な強さで一本取れなかったから負けた。誤審は関係ない」という主旨のコメントしてましたけど、流石と思いました。 オリンピックの舞台なんて、一般人にとってはある種バーチャルみたいなものなので、あまり入れ込まず、気軽に応援します。
・私は武士道云々じゃなく、大人の振る舞い、対戦相手へのリスペクトという視点で、選手自身が後から自らの態度を見直した方がいいと感じてます。話題になった泣きじゃくる場面も、私の勝手な想像ですが、あの選手があそこまで泣く精神状態を、まさか自身がこんなとこで負けるはずがない、と思ってたことで動揺したんじゃないかと思ってます。そうであればやはり対戦相手への実力を過小評価してたことにもなりますし、あの数分泣きじゃくるのは、対戦相手、後の競技の進行の遅延も含めて競技全体へのリスペクトに欠けた行為に見えました。
・自分は日本人として、また柔道の有段者として「武士道」と言う言葉では適切かどうかわからないけど、精神性は求めたいと思います。 それを茶化す様な放言は見捨てることが出来ないので書いていますが、私もスポーツに精神性を求めるのは個人の勝手だと思っています。だから切り離したら?って思います。 ですが昨今の「日本の武道である柔道」に対する誤審が多く、とても我慢がなりません。私は以前より「柔道の国際化」に関して否定的で、審判の育成が追いついていないと思っているのです。 レスリングよりも立技で美しく投げる柔道に、西洋人が求めるものがあるのかもしれませんが、そろそろ見直しても良いのでは?と思います。
・武士道は行動規範みたいなものだから 「こうあるべき」という立ち居振る舞いですよね。 まあ今も昔も日本人は何かしらの立場がある人に そういったことを押し付けがちですよね。 でも行動規範は何かしらの問題にならないように 立場がある人たちが自分たちに課すものですから 第三者がどうのこうの言うのは違う気がします。
今の時代ガッツポーズはある程度許容してもいい気はします。
・日本柔道の精神はその道にいない人には伝わりにくいだろう。スポーツ柔道として見れば例えば「礼」は必要ないが、国内外問わず柔道を志す人間の多くがこの「礼」の精神に魅かれてこの道を選択しているように思う。「多様性」にとってはこういった「固有の価値観」は敵視すべきものなのだろうか。
・東京オリンピックのガッツポーズや今回の号泣を見る限り、阿部選手は武道としての柔道に邁進している武道家ではなく、スポーツとしてのJUDOを極めたいアスリートなのだと思います。 そう考えるとこの方の言っていることは一理あるのかなと感じました。
・「道」とつくものは技術だけでなく、精神的な習熟も求められる物なのですから、当たり前の批判だと思います。
心の習熟が伴って初めて「道」という一字がその行いに付くもののはずです。
心技体という言葉昔からありますが、心の伴わない技術は単なる殺人を前提とした暴力だと思うし、体を鍛えることで更なる技量の向上、心の成熟にもつながると子供のころに習っていた剣道の師範にはご指導いただきました。
どこぞの元国会議員と違い、畳の上での醜態をさらさなかったのは良かったと思います。「礼」の意識がしっかり学べていたのではないでしょうか。その後の行動については賛否両論あるとは思いますが。
・武士道を全て肯定するわけではないですが、「なに武士道って」と言い放つ人が武士道を語る事自体が変な話で、知らないなら尚更調べてから語れば良いし、体験してみてから語りなさいよ。真夏の地獄のような合宿や大会に臨む日々の練習などは正に武士道であり、それらを乗り越えて彼らはオリンピックを戦っている。負けたら批判も覚悟の上だろうし、当然頂点を狙って鍛錬している。 その上で迂闊にも取り乱し泣き崩れてしまった事になんら落ち度はないしむしろ頑張ってきたのに負けてしまった悔しさがそうさせたわけだ。
だが、武道とはそういうものでは無いという事。 そこを世界の柔道はオリンピック競技に昇華してから蔑ろにしてしまってきた。 だからこそ永山への締め落とし行為が看過されてしまったわけで、スポーツ精神を語るのは結構だが、元々武道である柔道を大衆スポーツみたいに語るのは断じてあってはならないと私は思う。
・武士道、とか、柔道の精神、とかに無理やり絡める必要ないんですよ
普通に 「相手を尊重しよう」 「運営に関わっている人に迷惑かけないようにしよう」 とかでいいんですよ
柔道、柔道、っていうけど、私も柔道三段でそれなりに修めて来ましたが、 「ひとそれぞれの」柔道があるんですよ 勝ち負けに強くこだわりたい人もいるし、勝ち負けを超えた精神性を求める 人もいる
だけど、柔道とか武士道とか関係なく、負けた相手や勝った相手を尊重しな ければならない そうしないと、その競技そのものが衰退してしまう だってたとえば経験者が初心者をいちいちディスっていたら、誰もその 競技をやろうと思わないでしょう
他にも色々な意味で尊重が必要だし、それは柔道に限った話ではない
ひとそれぞれの競技への接し方があるし、そこに武士道とか絡めだしたら 同調圧力にもなりかねない
・この方は面白いですね。ご自分で「武士道的なもの」とあやふやに形容しておいて「てかなに武士道って」と自分にツッコんでいるだけに見えます。
五輪報道が武士道的なものを求めすぎているとは一体何を指しているのでしょう?それって本当に武士道の話ですか?
記事を見る限り阿部詩さんの報道の例しかありません。確かに報道は行き過ぎていてしつこいという意見が多く聞かれますが、誰もそれを武士道を求めているとは捉えていないですよね?
日本代表選手が大舞台で号泣して相手選手に気遣わせてもなお泣き続けたことが問題だというその価値観のどこが武士道なのか私にはわかりません。
武士道とか美談にしたがるといった話以前の、もっと最低限の敬意と礼儀の話だと思うんですが。もちろん報道や世間の叩きが過剰なことは同意しますが。
武士道に賛否あっていいと思いますが、変な理屈で武士道を悪く言うのやめてもらっていいですか?
・柔道を日本の武道ととらえるのか国際的なスポーツととらえるのか、そこの相違でしょうね。単なるスポーツと見れば畳の上でド派手にガッツポーズ決めてもいいし相手を挑発してもいいし、指導狙いで相手の反則負けを狙ってもいいし、武道としてみればそう言う勝ち方は違うんじゃないの?となる。阿部詩選手の号泣に関しては感情の爆発なんであってそれを武士道どうこう言うのはまた違うような気もする。
・選手たちも武道を極めようとする道半ばだと思います。日々努力を重ね、極めようと努力している。少しかじった事があるくらいの私なんか比べものにもならない。そんな選手たちのまだまだ未熟な部分が露呈した時に、それを指摘し、叩くのであれば、その部分も踏まえて、上を目指して努力している選手を応援してあげたい。その中で、露呈してしまった未熟さを克服すべきだという事は、たぶん選手が一番理解していると思う。それを信じてあげたい。 武道、武士道というなら、その選手に対して、その未熟な部分の指摘を、反論のできないような場で、相手の意図の詳細も確認もせず、公然で切り捨てる事はむしろ武士道に反する行為であると思う。 これが出来るのは、SNSの場面ではなく、一対一の場面で、今まで指導してきた先生が直接本人に責任を持って伝える場面ぐらいだと思います。
・もう柔道という名のスポーツになってるから武道じゃない。勝ってガッツポーズが当たり前になってるんだから。本来、そんなのが許されないはずだったのに。だから剣道はメジャースポーツになってない。メジャースポーツになる必要ないけど。
それにしても見苦しかったのはたしか。3年間努力してきたのは阿部選手だけじゃないはずなんだから。一流アスリート(本人はそうおもってないかもしれないけど)だったらそこら辺はちゃんとしててもらいたいと思うのが日本人の感情なんだと思う。
・「オリンピックスポーツ」としての「柔道」ならば武士道みたいな精神性は不要なのかもしれませんが、「武道」としての「柔道」はそういう精神性みたいなものの涵養も大事だと思いますけどね。
いわゆるアスリートさんに品行方正やら武士道的倫理観みたいなものを押し付ける気はありませんし、どっちかと言うと「成績を出せれば人柄はある程度変な人でも構わないんじゃない」とも思いますが、他の種目のスポーツ選手だったら気にならないようことでも、「武道家」として見ると気にかかるってことはあるのかもしれませんね。
本来的な「武道」の趣旨から行けば、少なくともその種目に携わる人(選手とか)にはそういう精神性みたいなものを世界共通で持っていてほしいなとは思いますね。
・柔道は他の競技スポーツとは異なる独自の規範があるかと思ったら、そうでもないのですかね。 武道としての柔道のあるべき姿が、スポーツ競技の一般的な行動に吸収されてしまって特別感が無くなった感がします。これは一人を批判することではなく、柔道界全体の問題のように思います。
・武士道ではなく、武道ですよ。 礼に始まり礼に終わる 自分も高校時代やっていて、まず教わるのがこれでした。技とかよりも。 柔道は国際化してしまったせいなのかスポーツ化してしまったのでその辺が薄れてしまいつつあるのは否めない。 別にそれが悪い事だとは思わないけど、武道精神を否定するのも如何なものか。 試合の場を去るまではまだ終わってない。最後まで相手に礼を尽くす。 というのは武道でなくても美しい行為だと私は思うのですが… こういった意見を「批判」ではなく、「苦言」として受け止める事は出来ないだろうか。 とかく昨今は、誹謗中傷に発展したり、単なる意見までもそのように取られたりする事が多いように思う。 武道というのが失われつつあるのも時代の流れなのかもしれないが…
・「柔道」は、日本古来の武術である「柔術」をベースにしたスポーツ 「柔術」は、もともと武士が戦場で戦うために体を鍛える方法のひとつなので 柔道=武士道はあながち間違ってないしその精神は尊重すべきだと思う。
・武士道以前に、他の選手がスタンバイしているあの会場で、進行を妨げてまで泣きじゃくっるマナーとモラルの問題ですよ。 武士道があろうが無かろうが、国を代表して出場するアスリートとしての自覚が足りないって話です。
アマチュアはより、マナーやモラルを求めまれます。 それが嫌で出来ないなら、RIZINやUFCでプロ格闘家を目指せばいいわけです。 それらのプロ団体ならいくらでも泣こうがガッツポーズしようが、強さと華さえあれば文句は言われませんよ。
・柔道が、武道なのか?スポーツなのか?はさておいて。オリンピックを目指してる時点でスポーツとして考えるとすると、世界ランク1位が下位の選手に負けるのもスポーツだし、どれだけ練習しても本番で実力が出せないことがあるのもスポーツ。 また、審判の誤審があるのもスポーツ。 結果はともかくとして、戦いの後に涙する者もいるでしょう。でも、その心意を探るのは下世話なこと。まして、結果や選手、審判の批判なんて、もっと恥ずべきことです。 「お疲れ様」、「ありがとう」、そんな言葉と拍手だけで十分じゃないですかね。
・武士道という言葉が使われることには疑問を持っているが、阿部詩のふるまいやはり柔道の「礼にはじまり礼におわる」精神から外れたものだと思う。 阿部詩が泣きたいくらいショックを受けたことは重々承知の上でまだまだ精神が未熟だったと思う。 柔道はスポーツだけど同時に武道でもあり格闘技でもある。世界の頂点に立ち他の柔道家たちの憧れの存在になったのだから、範となるよう己を律してほしい。
・日本の柔道人口約20万人に対し、フランスでは現在約80万。 人口を考えると更に大きな差がある。 (1億2500万と6790万) やっぱり楽しくなきゃ続けられないですよね。 フランスから学ぶことは多いと思う。 あとドンマイ川端さんからも。
日本人がイメージする柔道と世界のJUDOとは差があるし、礼法を含めた「道」の精神を求められれば選手も辛いと思う。 でも愚直に正々堂々と組んで勝つ日本人選手をみると、グッとくるんですよね。 贅沢で勝手な話ですが。
・日本人からしたら柔道は武道ですからね、礼儀作法を含めたものだと考えるのが自然だと思います。 ただしオリンピックはスポーツなのでその精神性を求めすぎてはいけないとは思いますが、多くの日本人はその認識でいますから日本人がそれに反することをしたらどうしても批判が出るのは仕方がないのかなと。
・言動一つで相手に不快な思いをさせること。 個人の勝手な価値観を押し付けることはナンセンスであること。 柔道には、『精力善用』『自他共栄』の理念があることを踏まえて、 試合に勝てば喜ばしいし、負ければ悔しいのは当たり前の感情だ。ただし国が違えば、ガッツポーズやピースサインは相手を侮辱する行為として捉えられる。だからと言って武士のように、勝っても負けても感情的になるな、とも思わない。 勝者が敗者を慮ったり、敗者が勝者を称え、内省して前に進む姿を、競技者も観戦者もそこに教育的価値があるのならば"武士道のようなもの"にも価値はあると思う。そして、オリンピック競技としてあるのはそういった点ではないだろうか。 まぁ、柔道したことないから知らんけど。
・そもそも、今日の柔道の礎を整備した嘉納治五郎先生は、礼儀や精神修養の部分を非常に重視していたと思うが。彼は、その考えにもとづいて柔道の国際化を進め五輪種目にしたわけで、「道」の礼儀や精神修養は関係ないというのなら、もう柔道じゃないたんなる一格闘技でしょ。それでいいなら、もう日本の柔道とか騒ぐのは止めて、JUDOと思えばいい。日本人としては、かなり残念な気がするけど。とはいえ、外国人選手の多くだって、礼や所作はきちんとしてたから、もとの柔道の精神性は受け継がれてるんじゃないの?
・別に私はスポーツ選手に武士道は期待してはいませんが、柔道・剣道・空手道等は武道と言うものが根源に有るのではないですか? おそらく多くの日本人は礼節と言う言葉を知っていると思うが、武道に関わる人は一番最初に教わる事で、柔道がオリンピック競技になってから、勝てば飛び跳ねて喜ぶ姿が見受けられる様に成ったと思う。 サッカー選手や野球選手に武士道は期待しません!
・武士道や美談はいらないけど、「それらしい振る舞い」は求められると思います。 何も品行方正、清廉潔白であれとは言わない。ただ、勝てば何してもいいという態度とか、周囲や相手を顧みずに感情の抑制を失う態度を見せてほしくない。 特に五輪の代表は、本人がどう思っていようが、「ロールモデル」の役割を背負っていると思う。だからこそ、国が支援をしているのではないか。 勝ち負けはしょうがない。でも、態度くらいはちゃんとしてほしい。
・格闘技経験者です。 武士道って習ったことないのでわかりませんが侍から発生しているとしたら上下関係をはっきりさせて上の人間に都合よくするシステムというか教育?なんですかね。 武士道ってヤクザの上下関係や礼儀に似てますね。 まあ、戦国時代は現代のヤクザより汚く理不尽で残酷でした、その人たちの考え方を美化して学んだところで今の時代に合うとは思えません。
・武道って技だけでなく精神もしっかり考えがあります。 だから礼儀に関し厳しいのです。 ちゃんと礼をしなさい、靴は揃える、相手のことを考える。
空手、剣道、柔道、日本拳法、少林寺拳法など精神を重んじる武道は多いです。 いくらいい結果を出しても、精神が未熟だと残念な気持ちになるのは多いと思います。
柔道では精神を重んじないのですかね。礼の意味も教えなくなったのだろうか。
・今はもう武道であってもスポーツ化しすぎていて古来の武士道精神とか言う人も実際は少なくなっていて、私も武道の一つをずっとやってきているが実際はスポーツであると実感している。ただその競技ではガッツポーズをしたりすれば勝利は取り消されるわけで、唯一の武士道精神の砦が残っている。実際他のスポーツでも礼儀とかほぼ変りがないし、共通しているのは対戦相手に勝者や敗者の立場になっても敬意を最大限示すということ。だから必要以上に喜んだり悲しんだりすることは相手への侮蔑になりかねず、相手のその時の気持ちを推し量る事がどうしても求められる。なので、その時に相手の立場に自分が立ったとしてやられたら嫌だなってことを控える事と、他の人に迷惑が掛かる事は控えるだけの話をいつの間にか感情論にすり替わって議論している。
・これは一理あるよね。凝り固まった考え方が選手を委縮させたり協議の発展を妨げたりすることもある。ただ、スポーツの観戦の仕方や求めるものは人それぞれであっていいはずで、こっちの多様性を認めることが先決じゃないかな
・武道に求めるのと武道以外のスポーツ(特に野球)に道を求めていいのかはそれぞれ別なんじゃないかな 大の大人が人目もはばからず大泣きするくらい真剣に向き合って取り組んでいたからで、それはとても素晴らしいこと
・今の若い子にとってどうでもいい。。
まぁそうなんでしょうけどね。 ただ20年、30年前の若い子にとっても別にどうでも よかったんだと思うんです。 それでも継承してきたものではあるんですよね。
魅力として残しながら現代的に見直していく、 そういう感じでやれるのが一番いいのかなとは思います。
そういう古く時代遅れの文化自体が商材になり得る時代でもあるしね。 全部捨ててしまうと、海外からみて日本の魅力ってなんだと いうことになる気はします。
・一般論として長谷川氏の発言の主旨には同意しますけど。
柔道に関しては、 基本的に国際大会は「スポーツとしてのJUDO」であって、日本の武術としての柔道ではないので、それは当然スポーツとしてみることになるんですけど。 スポーツであると割り切った上で、某選手のあの振る舞いは、同情はするけど肯定はしがたいと思うんだよねぇ。
柔道がオリンピック種目になったばかりの頃、優勝した日本人選手がガッツポーズをしたら、国外の柔道界から「柔道の本家である日本人選手が礼に反するのか」と言われた時代もあったりして、その頃は「まだスポーツとしてのJUDOではなく、武道(精神文化)としての柔道の方が主流だった」ってことかねぇ。
・武士道精神などで礼儀を重んじる。として おかないととんでもなく乱れる可能性がある んじゃやないかなとおもいます。いざ試合 ともなると殺気がすごいでしょうし。 一方、スケートボード、サーフィン、 ブレイキン、BMXなどは対戦相手がいい プレーをすると自然と讃えたりしてますよね。 特に武士道精神はなくても。
・武士道や騎士道、礼儀や相手へのリスペクト、そういう精神は現代ではスポーツマンシップという形で継承されてる だからこそスポーツマンにも礼儀は大事だし阿部詩選手の試合後の行動はやはり相手へのリスペクトに欠け、大会進行を妨げたのは事実です
・たしかに武士道の精神みたいなものが残業代不払いとか そういう所につながっているのかもしれない でも基本的には日本人全体が武士道みたいなものを持って真面目にやってきたから ここまでの経済大国になれたと思ってるけどね 文化というのは大事だと思う
・スポーツでも武道でも、礼儀は大事だと思う。 フィールドと呼ばれるコート内とか 柔道なら、四角い白線内(今回のオリンピックでは黄色の畳かな)その中では礼儀をキチンとするべきだとおもいます。 相手や審判に対してのリスペクトなのでは? 勝った・負けた気持ちを爆発させるのは、そのフィールドを出てからするのが礼儀なのではないでしょうか?
・うーん…AIでも書いてるけど柔道はスポーツであり…ということに違和感なくしかない。あくまで武道とスポーツは別。 柔道はもとを辿れば戦の中で刀がない時に身を守り相手を倒すためにあみだされた武道のはず。 それをスポーツにおろしただけで本来は武道であり殺し合いの練習だと思います。 むしろこの件だけでなくフェンシングなんかもそう… 命の取り合いではなく剣の先についたボタンの押し合い…技は凄いと思うがアタマの中で描くフェンシングとはなんだか違う…これが武道とスポーツの違いなのかなと思います。
・柔道が日本の柔道から世界の柔道に変わってきている。日本人は海外の文化を取り入れて日本式に変えてきているのと同じだ。世界での柔道は別の柔道に変わってきているということだろうなあ。元祖日本の柔道を学びたいなら日本に行くしかない。寿司も海外に行くと海外式にアレンジしている。味は本場にはかなわないだろうが、
・必要以上に清廉である必要はないし時代劇の武士みたいに振る舞う必要もないと思うけど最低限の礼は必要でしょ 柔道に限らずどの競技の選手も必死に頑張ってきてるんだから負けて悔しいのは同じだがみんな涙を堪えて会場を後にしてる 競技終わるたびにみんなひっくり返って大泣きしてたら収拾つかないでしょ幼稚園じゃあるまいに 泣くなとは言わないけど大人なら舞台降りるまでは毅然と振る舞いその後で好きなだけ泣けばいいと思う
・彼女に否定的なことを言う人の中には武士道と言っていた人も少なからずいました。自分は武士道とは言いませんが、進行に支障が出るほど泣くのはどうかと言いました。そういう選手は他にもいますか?いたら、やはり感心しません。
>スポーツ辞めた後、政治家になってすっかりダメ人間になった人、多いのにね
ダメになったのか元々そうだったかはわかりませんが。皆、運動選手や芸能人のことをよく知らないのに勝手に幻想を抱いて感情移入します。自分は有名、人気というだけで投票すべきではないと思いますが、橋本聖子氏、最近だと堀井学氏等、政治家になって本当の姿がわかると幻滅して叩きます。元々応援していた人なのかそうでないかは定かではありませんが、応援していた人は裏切られたような気になって極端に走る傾向があるかもしれません。自分は運動選手上がりの議員には元々期待がない分、呆れるだけで叩いたりはしません。
・国際柔道連盟にしても、柔道ではなくてJUDOなんだろう。 日本国内の柔道大会ならば「礼」は重要だ。 しかしオリンピックはIOCブランドのスポーツ大会で、IOCの利益が優先する。 参加している団体は、IOCブランドを借りているに過ぎない。 よってIOCにとって都合の良いことは許される。 泣きじゃくることによってプラスの評価が高まったとしたら、それは正しい行動だったと言える。 参加している選手はIOCブランドにあこがれているのだから。 武道は利益目的ではなく、スポーツは利益目的だ。 この違いを理解しなくてはならない。
・「・・・武士道のようなものを求めすぎ」との見方がありますが、柔道だから、武道だからというつもりはサラサラない。 同じ競技をして自分を負かした強い相手を少しリスペクトしようというもの。 あんなにギャン泣きされたら相手にすれば「私、なんか悪いことをしちゃったの」になりそう。24歳のいい大人なんだから、と石頭で化石人間は思う。 もちろん大泣きする気持ちは充分理解はできる。 マスコミを含む周囲は「兄妹そろって連覇」と、勝利が既定路線の雰囲気を作り、NHKはファミリーヒストリーでこれでもかと放映する。 本人も「負けたら大変な事になる、負ける事は許されない」との言い知れぬプレッシャーがあったのは間違いない。こんな企画は勝っても負けてもパリ五輪後に流すべきと思っていた。
・だって柔道は武道から派生したスポーツで、日本ではまだ武道として認識されているからね。自身の考えはともかく、そういうものを求める人がいる事に理解を示せないのは狭量すぎる。 北島康介がレース後に水面を叩いて喜んで、インタビューでチョーキモチーって言っても別に文句言われなかったでしょ。柔道選手に求められてしまう事と、マスコミの報道の仕方がおかしい事と、それ以外の事が混然一体となった批判になってしまっているが、それぞれ別の問題でしょうに。
・敗れて悔し泣きしてるのをみっともないとかリスペクトが無いとか、精神的に子供だとか書かれてる事が多いように感じるけど、そう書いている人たちは高校球児が甲子園で敗れて泣きながら砂を集めてるのもみっともないって言うのかな。 敗れて涙を流す選手の気持ちは当人ではないからわからないけど、少なくともオリンピックのために本当に沢山の事を犠牲にして本気で臨んだからこそ、あそこまで公衆の面前にも拘わらず号泣してしまったんじゃないんですかね。 沢山の人の協力・応援があったからこそオリンピックの舞台に立てたという思いがあるなら、期待に応えられなかったという悔しさやもどかしさもあったでしょうし。 それと詩選手、そんなに言われるほど畳から降りるのに時間かかってなかったと思うけどなぁ。 オリンピックを楽しみにしていた人達に「叶わなかったけど夢を見させてくれた」と思いたいものです。
・柔道は日本人にとっては「武士道」であっても、外国人からすればただの「スポーツ」だからね。勝ってガッツポーズをしてはいけない理由なんて、欧米人には分からないんじゃないかな。 逆に日本の野球だって、大量点で勝ってるときの盗塁とか、内野安打を積み重ねて個人記録を稼ぐ某選手のプレースタイルは、アメリカ人からみてBASEBALLでは無いだろうしね。
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