( 197584 )  2024/08/02 16:55:45  
00

Adobe Stock 

 

 パリ五輪が盛り上がっている。国内の経済効果は2500億円にも上るという。そんな中で、柔道男子60キロ級で銅メダルを獲得した永山竜樹が準々決勝で同じく銅メダルのフランシスコ・ガリゴスに不可解な一本負けが大きな論争になっている。ガリゴスのインスタには「あなたがやったことは柔道ではなく殺人未遂ですよ」「神聖なる柔道に対する冒涜」など厳しいコメントが寄せられている。作家で元プレジデント編集長の小倉健一氏が解説するーー。 

 

 7月27日、パリオリンピック柔道60kg級に出場し、準々決勝で敗れた永山竜樹選手が、自身のSNSに準々決勝で敗れたスペインのフランシスコ・ガルリゴス選手とのツーショットをインスタグラムで公開した。準々決勝では「待て」がかかってからのガルリゴス選手の絞め技により意識を失い、それが「一本負け」とされる不可解な判定で永山選手は敗退した。判定に納得がいかなかった永山選手は、試合後の握手を拒否し、抗議をしたが判定は覆らなかった。その後、永山選手は敗者復活戦で勝ち上がり、銅メダルを手にした。 

 

 試合直後から、ガルリゴス選手と主審のエリザベス・ゴンザレス氏に批判が殺到した。東スポWeb(7月31日、https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/311375)には、柔道審判の国内・国際ライセンスを持つ関係者のコメントとして、 

 

「『待て』は選手に聞こえるように大きな声で言わなければならない。会場がうるさくて聞こえなかった可能性もあるが、それでも離さなかったら、相手をタッチしてでも止めなければいけない」 

 

「日本では(こうした判定は)あまりない。日本の審判は委員長がきめ細やかに指導する。あのような絞め技は危険な状態なので、一番大切に教わる」 

 

 と指摘があった。審判の下したジャッジが覆らないルールとはいえ、「待て」の後で「一本」を取るという論理的にあり得ないジャッジをした審判、「待て」の後で相手選手を絞め続けたガルリゴス選手の両者への批判は当然のことだろう。 

 

ガルリゴス選手の母国スペイン(MARCA、7月27日、https://www.marca.com/juegos-olimpicos/judo/2024/07/27/66a5450aca4741706a8b4572.html)では、逆にガルリゴス選手を擁護する報道があった。「パリ大会で我が国初のメダルを獲得したスペイン人は、準々決勝で永山竜樹を破った後、日本から脅迫を受けていた。実際に日本人選手は試合終了後に握手をしなかった。そして、そこから論争が始まった」という内容だ。 

 

 

 また、ガルリゴス選手のコーチであるキノ・ルイス氏は、「ガルリゴス選手に対して日本から不快なメッセージが届いているのだが、なぜなのか理解できない。フラン(ガルリゴス選手)は自分の仕事をしただけだ。何を抗議しているのかわからない」とコメントしている。さらに「負け方を知らないといけないし、エレガントでないといけない。どうして挨拶しなかったのだろう?」と述べた。 

 

 スペインの柔道界は「呪い」とまで表現されるほど、不振が続いていた。シドニーオリンピックでイサベル・フェルナンデスが金メダルを獲得して以来24年間も表彰台に上がっておらず、今回、ガルリゴス選手が獲得した銅メダルは「希望のメダル」(MARCA紙)であった。今回のパリオリンピックではじめてのメダルもガルリゴス選手の銅メダルであり、母国の新聞として応援したくなる気持ちも理解できる。 

 

 その後、ガルリゴス選手が永山選手のもとへ「謝罪」に来たという事実を、スペイン紙は無視するのかと思っていたが、きちんと報じていた(7月30日、MARCA)。永山選手のインスタグラムに掲載された英文「友人のフランシスコ・ガルリゴスが私に会いに来て、謝罪を申し出てくれた。彼にとっても不運な結果だったと思う。パリで彼と試合ができたことに感謝している。誰が何と言おうと、私たちはみな柔道ファミリーなのだ」(筆者訳)を紹介し、その後に続く文章で、「日本人によると、審判がすでに技を止め、試合を止めたにもかかわらず(これは柔道では’MATE’として知られている)、ガルリゴスはさらに数秒間絞め技を続けたという」と、あくまで「日本人によると」という注釈付きで、何が起きていたかを示唆している。 

 

 記事の最後では、永山選手が挨拶をせず、日本からの脅迫があったことを指摘しつつ、ガルリゴス選手のコメントを紹介している。そのコメントは以下の通りだ。 

 

「ガルリゴス選手は論争に巻き込まれることを望まなかった。みんな自分の意見を持っているし、どの試合でも100%で臨まなければならない。『レフェリーが「待て」を出したのに、音がうるさくて気づかずに続けていた。昔からそうだったし、ルールはみんな同じだ』」 

 

 

 記事はこの判定が揺るぎなく正しいものであるかのような構成になっている。この不都合な真実(ガルリゴス選手が永山選手に謝罪をしに来た)を報じるだけ偉いとは思うが、やはり母国の報道だけあって認知に歪みを感じるのは、日本人の私だけではないだろう。 

 

 しかし、ガルリゴス選手を擁護したのはスペイン紙だけではなかった。永山選手の試合後の行動を「スポーツマンシップに反する」と報じたのは、米国メディア「エッセンシャリースポーツ」(7月27日)である。記事全体が永山選手への批判に満ちている。 

 

「試合後の永山の行動は、ファンの共感を得ることはほとんどなかった」 

 

「スペイン人柔道家との握手を拒否した後、日本のスターはユニフォームを直し続け、手振りでリプレイの見直しを求めた。しかし、判定は覆らず、永山はもう少しアリーナにとどまり、最後に退場した。その行動に聴衆たちはブーイングを浴びせた。最後のコールがまだ自分に有利でないことがわかると、彼はためらいがちに一礼してマットを降りた」 

 

「永山がガルリゴスと握手を拒否したことで、何人かのファンが激怒した。あるファンはこう言った、『日本人側の名誉が低い。皮肉なことに、スペイン人は日本で生まれた武道において、彼のライバルを1000倍も尊敬していた』。柔道における単純なお辞儀の行為は、尊敬の印として機能する」 

 

「多くのファンは、永山の行為は常軌を逸していると考えていた。柔道は、実践的な格闘技でありながら、相手への思いやりを併せ持つことで発展してきた。あるファンは、『日本人はスポーツにおける価値観と敬意を思い起こすべきだ』と指摘した」 

 

「別のファンも同意した。『日本人はなんて性格が悪いんだ。悪い敗者、ライバルと審判を侮蔑する…スポーツマンシップに反するとして失格にすべきだ』」 

 

「彼のオリンピックの旅で話題になるのは、たとえ判定に争いがあったとしても、対戦相手に対する彼の態度だろう」 

 

 永山選手の怒りは誤審に対するものだけでなく、「待て」の後に絞め技を続けたガルリゴス選手に向けられていたのだ。競技場の観衆がそのことに気づいていないため、その観衆の怒りをそのまま永山選手にぶつけるのはおかしな話である。 

 

 しかし、「柔道」という競技を崇高な精神の象徴と考えていたアメリカ人記者(シモーネ・ピント氏。同紙のプロフィールによれば、水泳と陸上競技を担当し、テイラー・スウィフトが好きらしい)の怒りには、興味深いものがある。日本人が持つとされる高貴な精神の発露としての「柔道」が、世界中に広まっている瞬間であろう。世界からの敬意を受けることは、名誉なことである。 

 

 永山選手だけでなく、不可解な判定が続いているパリ五輪の柔道競技において、日本が国際競技を脱退し、国内に引き篭もるという論調には、再考の余地があるかもしれない。しかし、このミスジャッジをどうにか防ぐ手立てはないだろうか。 

 

 

 調べてみると、国際柔道連盟はビデオアシスタントレフリー(VAR)を導入している。他にも審判技術のトレーニングを継続している。しかし、「ビデオ判定導入後も、ビデオをチェックする立場の人間の能力に疑問がある。どれだけシステムを充実させても、運用する人間次第では意味がなくなる。そして大会後に誤りを認めて謝罪しても、ほとんどの場合は結果は覆らない」(松原孝臣著、文春オンライン、7月29日)というのが実態である。 

 

 つまり、ビデオをチェックするレフリーの技術不足が問題であるが、柔道という競技の審判レベルをどこまで上げられるかは不安が残る。日本人が日本人と海外選手との試合をジャッジすることがアンフェアである以上、国際的な審判員のレベルを上げるには限界がある。外国の審判レベルが日本と比べてそんなに高くないのは、仕方がないことだ。 

 

 ここは「審判AI」の誕生を待つほかない。そしてそれは、そう遠くない将来に導入が実現できるのではないかと期待している。 

 

小倉健一 

 

 

 
 

IMAGE