( 197656 ) 2024/08/02 18:13:52 2 00 性別騒動の女子ボクサーをめぐりIOCが声明「すべての人は差別なくスポーツをする権利を持っている」出場の正当性強調 パリ五輪2回戦で強打浴びた相手が号泣棄権デイリースポーツ 8/2(金) 3:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c6e584c7d125d97790bdd2c31b12c34c629bea27 |
( 197659 ) 2024/08/02 18:13:52 0 00 IOC・トーマス・バッハ会長
国際オリンピック委員会(IOC)は1日、パリ五輪のボクシング女子66キロ級で昨年世界選手権で性別適格性検査で不合格となったイマネ・ケリフ(アルジェリア)が2回戦で勝利したことを受けて広がった波紋に「すべての人は差別なくスポーツをする権利をもっている」と声明を発表した。
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声明では「パリ五輪のボクシングトーナメントに参加するすべての選手は大会の資格と参加規程、パリ2024ボクシングユニットが定めたすべての医療規定を遵守している。これまでの五輪のボクシング競技と同様に、選手の性別と年齢はパスポートに基づいて決定される」と、強調。予選でも適用されているとし、同じく昨年不合格となっていた57キロ級のリン・ユーチン(台湾)も含めケリフらは「2人は女子カテゴリーの大会で長年にわたり活躍してきた」との認識を示した。2人は東京五輪などにも出場しており、昨年の世界選手権での失格については「IBAによる突然の恣意的な決定で正当な手続きなしで突然失格となった」と、説明した。
今大会では2回戦でケリフと対戦したアンジェラ・カリニ(イタリア)が強打の前に開始46秒で棄権。その場で膝をついて号泣し「本当に鼻が痛くて、最初のパンチで血が出た。この棄権は降参ではない。それはIOCが判断することです」と訴えた。同選手のコーチも「受け入れるのは難しい」と語った。英国メディア「ガーディアン」など海外メディアはIOCのルールはIBAよりも緩和されていることなどを指摘し、ケリフらの出場に疑問符を投げかけている。
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( 197660 ) 2024/08/02 18:13:52 0 00 ・差別と区別は違うというのはもうずっと言われてるし、そもそもこれは権利とか多様性とかいう話よりもっと根本的に学術上の話。どうしても権利を主張するのなら第三の枠を設けるべき。無理やり既存の枠に押し込めるのは解決じゃないし、それこそ「公平な勝負を行う」というその他全ての一般の女性選手の権利を侵害している。ボクシングの他陸上なんかもここの線引きは明確にする結論を出してるし、権利云々とかぬかすのは完全にスポーツのあるべき精神から逸脱した主張。
・誰にでもスポーツをする権利はあると思いますが、大会に出場することとは別の話だと思います。件の試合で負けた選手はリングをおりる前握手を拒んで一切相手の方を見ていませんでしたが、この先勝ち上がった時も相手に同じ様な対応をされるんじゃないかなと思います。このような状態で手に入れたメダルで嬉しいのでしょうか。フェアじゃないと思われるような勝負になるほど力の差があるのなら出場資格を与えられるべきではなかったと思います。
・「すべての人は差別なくスポーツをする権利を持っている」というのは女性の試合に男性を出す事じゃないと思う。男性と女性を分けるのは区別であり男性が力一杯殴れば女性は命すら危ない。IOCの差別と区別を履き違えた判断で死者が出ないことを祈るばかり。
・運動能力を競うオリンピックなのだから、思想や社会的性別の問題ではななく、生物学的性別にもとづいてのみ議論をするべき。 性別を決定する染色体は、XとYで長さや役割も大きく異なります。この選手がXYである以上、男性並みの運動能力を備える可能性があって、その優位性の有無も踏まえて、コンタクト競技に参加することに対する合理性を検討する必要があると思います。
・何故、この人の染色体は男性で、パスポートは女性なのか、その辺の事情が分かりませんが、この場合基準とすべきは、パスポートより、染色体ではないでしょうか。
男女は、筋力等に明らかな格差がある為に、ほとんどの競技は男女別にして競技しているのですから。 男性の染色体なら、男性の筋力があるということになりますから、女性として競技参加はおかしいのでは?というのが、普通の感覚だと思います。
バッハ氏は、そこをきちんと説明すべきではないでしょうか。
・こういうのは競技団体の判断を優先してほしい。 ボクシングは体格差による優劣がはっきりしていて、そのため他競技と比べてかなり細かく階級分けしている。この選手は、生来女性としての外見があるとはいえ、先天性の性分化疾患の影響で男性ホルモンの影響を受けた男性的な体格をしている。競技団体であるIBAが性染色体に基づく男女分けを決定したのなら、IOCもそれに倣ってほしい。 競技による差はあっていいと思う。例えばアーチェリーなんかは生来の外見に基づいた男女訳でもいいのでは。いずれにしろ判断するのは協議に対する造詣の深い競技団体に任せたほうがいい。IOCなど「政治」団体が口出しすることではない。
・スポーツする権利はあっても大会のルールは区別を付けることが重要。陸上競技や水泳など、男女で体力差がはっきり出る競技は、性別移動を認めるべきでは無いと感じる。出来ればパラの中でそういう人の競技を創設すれば良いと思う。性別移動を認めてしまえば、殆どの競技で男子では勝てなかった人が、女子に移動してメダルを取っていくことが増える。大会として女子選手の尊厳を護ることは重要だと思う。
・「すべての人は差別なくスポーツをする権利を持っている」 差別じゃなくて区別の話じゃん…。骨格も筋肉量も違うのに、手術をしたから元男も女として戦えます、なんて無茶な話あるか。 第一回アテネ大会では女が出られなかったのを、第二回パリ大会で女にも門戸が開かれた。そして、そこから約100年経ってようやく男女参加者が同数になったんだ。先人たちが切り開いてきた女子スポーツの道を台無しにしてはならない。
・そうじゃなくて体格とか身体の作り的な問題なのでは?社会的には性差別は良くないことですが、スポーツの大会で精神的な性別は女性ですって言って男性の体格の選手が出てきたら、それだけでもう反則だと思います。負けた選手がパンチが異常に重かったというのはそういう事でしょう。競技での男女というのはウエイトクラスと同じ階級的な意味あいだと思うので、そこはちゃんと区別しなければならない気がします。
・パスポート次第という決まりが次代に合わなくなっていると思います。 IOCもバッハも東京五輪の頃から既に良くない噂がありました。最近のアメリカではスポーツにおける行き過ぎた、表面的な平等主義が見直されつつあるというニュースもあります。 しかし競技スポーツは女性選手の多大な努力があり、人生を左右するゆえ、ただ単に過渡期だからと言う猶予はなく、IOCは即刻、然るべき正しい判断をするべきだと思います。
・IOCは来るってる。悪いがそう思わざる得ない。 彼らはオリンピック利権の集金マシーンでしかないことは周知の事実だが、それだけならまだよかった。 選手の権利を客観的視点に基づき公平を保てるならば極論、接待や賄賂を含めた金など開催国との間での汚職に過ぎず、些細な問題でしかない。 しかし、選手の努力だけでは埋まらない、肉体的性差・フィジカルのギャップを容認するならそれはスポーツではなくそれは純然たる暴力以外のなんでもない。それはスポーツ界全体を揺るがす大きな問題だからだ。 同じ努力をしてきた男女が殴り会えば、大抵男が勝つ。それは生物としてそう言う風に出来ているからだ。それは多くの人にとって常識でもある。 パリオリンピックにより女子スポーツは永遠に失われるだろう。その戦犯の一人は間違いなくバッハだ。
・差別という単語を使うから難しくなる。 例えば、ウェイトリフティングの女子の試合に男子が出たとすると男子が有利になる(多分ね)。有利にはなるが女子選手の生命に危険が及ぶことはない。 でも、種目がボクシングとなると話は別、生命に関わる。とてもシンプルな話だと思う。
・すべての人は差別なくスポーツをする権利があるというなら、少なくともこの方はボクシングのように人を殴ったり倒したりする種目に出てはいけないと思う。危険すぎる。 ボクシングを選んでる時点で、相手より優位に立てるのだからもうそれ自体がアンフェア。この方と対戦する人たちのことも考えないと、それもまた不平等だと思います。性別として男性ではないのなら、周囲にそれくらいの配慮はしてほしい。
・差別なくって、そういう問題ではないと思うけど。心がどうこうの問題ではなく、生物学的な分類で争うべき。これは差別ではないよ。 負けた選手かわいそすぎるだろ。4年間どれほどの努力をしてきたかって考えたら…。 多様性や寛容性も大切かもしれないけど、それによって不利になるような選手が出てくるんじゃ本末転倒だろ。
・生物学的にはY染色体が1本でもあれば男性ですよね。 つまり、Xが2本あってもYがあれば男性であり、Xが1本しかなくてもYを持たなければ女性だったと思います。 クラインフェルター症候群やターナー症候群でもそのように認識されていると思います。 今回の選手はY染色体を持っていたと言うことですので、生物学的には男性と判別すべきですが、生物学の定義とスポーツの定義は必ずしも一致しないと言うことなのですね。
・パリ五輪開会式でLGBTQがもてはやされたのは、実はIOCのこうした意向が反映されていたのかも知れない。 女性競技に元男性がOKとなれば、あらゆる女子スポーツが否定され、男女別の競技スタイルは性差別として弾劾されることになる。 女性は圧倒的なハンデを背負い、競技から排除されかねない。 IOCバッハ会長が競技スポーツの大変革を促す重大決定をした意味は重い。 スポーツ競技はコロシアムの剣闘士時代に戻ってしまい、商業主義にますます傾斜していくことになるだろう。、
・そもそもなんで男子と女子で競技を分けているのか。
それは、一般的に、男子は筋肉量が多く、力やスピードにおいて女子よりも有利な場合が多いため、男女混合で競技すると女性が不利になる可能性があるためです。
なので、精神的男子・女子の違いは関係なく、肉体的な違いによって分けられているのです。
もし、本当にトランスジェンダーを尊重するのなら、肉体は男子で精神は女子、もしくは肉体は女子で精神が男子という新しいカテゴリーを作るべきだと思います。
・理念も大切だけど、通念に重きを置かなければいけないケースもある。ボクシングのみならず、柔道やレスリングだって体重別に階級がある。「私は2冠制覇したい。体重がそこまで達していないが、1つ下の階級で挑みたい」と願う人に「全ての人は……権利を持ってる」。とはならない。減量して落ちる筋力を維持する努力をしないと挑めない。それが通念。染色体レベルで女性ではないのであれば、いくら本人が希望したからと理念だけで参加させても、筋力が染色体レベルでの話で女性と異なる通念を置き去りにしてしまうのは、真に平等ではないのでは?と思いました。
・そもそもなぜ男女で分けているのかと言えば、筋肉量や骨格など生物学的男女差の影響が大きい分野では男女で可能なパフォーマンスが異なり、特に女性スポーツの推進において男女別大会とするのが適切との考え方に基づくはず。 男女差の程度は競技にもよるが、例えば重量挙げの体重無制限クラスでは2種目合計で男性で492kg、女性で335kgが世界記録となるが、ずいぶんな差である。こうした種目で肉体的にはほぼ男性の選手が女性として出場すれば、男性カテゴリでは代表になれるか微妙な選手でも比較的容易に世界記録を出せてしまうだろう。 自分は格闘技については詳しくないが、おそらく格闘技も男女差が極めて大きい種目の一つになるのではないかと思われる。仮に治療などにより生物学的優位性が全くないと医学的に断言できるのなら別だが、緩やかな基準で出場を認めるのは、ヘビー級の選手をミニマム級に出すようなものなのでは。
・生まれながらに女性として大人になった人と男性として生まれ生活した人がジェンダ問題で女性としてと言う事なんですが、これは、ジェンダー部門も作るべきじゃないかな。生まれながらの肉体の男性を女性の筋肉と判断出来る根拠はない。 ランナーでも以前居ましたが、性器うんぬんじゃなく、元の男性の肉体から、女性の筋肉や身体になったと言う根拠が必要だと思います
・オリンピックという場で、開会式も含めてポリコレをあからさまに実践していますね。 「すべての人は差別なくスポーツする権利を持っている」はその通りです。 ただ人類には、身体・物理的に男性女性の2種類しかない。 特にボクシングのようにフィジカルが直接影響するスポーツは、身体上の性別で分ければ良いだけ。 平等、差別、自由等を完全に履き違えてますよ。
・もちろん全ての人にスポーツする権利は等しくある。でも今回の件は差別ではなく区別だと思う。なぜそれが分からないのか。誰も差別はしてない。遺伝子的な問題で本人の意思とは関係なく判明した話であって本人も女性として生きてきた中で気の毒だけど、こればっかりは区別が必要としか思えない。区別は差別ではない。誰も出場するなとは言っていない。この選手はこの選手で輝ける場、輝ける条件がきっとある。それは今回の場ではなかっただけだと思う。同じ条件の下で闘う競技なのだから、今回単純に条件が揃ってないんだしそりゃ不公平が生じるよね、それはどうなんだという話。そろそろ差別と区別の理解をしてほしい、ほんとに。
・サッカーやラグビーも混合でやるのかって話し。性差別とか権利とかではない。人間という動物の性別上男女の力の差は中学生以上になると明らかに大きい。一緒にやると危険な事はわかっているはず。それよりも世界から性差別批判される事を避けただけ、女性が男性として生活されている方が男性スポーツの中で対等にやれる人は殆どいない。男女のカテゴリーを分ける様に多様性に合わせたカテゴリーや競技を作る方が良いと思う。オリンピックが無理ならパラリンピックでも良いのではと思います。
・全ての競技で今後は起こりうるだろうから、これから世界的に競技項目の枠を超えてどう取り組んでいくべきか考えていく必要があるし、その課題を乗り越えたら新しい価値が生まれると思う。一緒にやるのか別枠を設けるのかわからないけど排除するのではなく、それをも取り込み新しい平和のスポーツの祭典になって欲しい。
・今回は女性選手の賢明な判断で大変なことにならずに済んだが本人の精神的なダメージはとても深いと思う。 バッハ会長は権利という言葉をはき違えていると思う。 もし、この試合で女性選手に何かあればどうするつもりだったのかきちんと説明をしてもらいたい。
・差別が許されないのは、平等な世界を実現する上で弱者の権利を守るためであって、スポーツのルールは元より、全ての規則はこれに則って定められねばならないと思います。 特にボクシングという競技は、骨格や筋肉など身体的条件で圧倒的に男性が有利なスポーツであると聞いた事があります。 加えて、同性同士でも体重に関しては厳密な階級制をとり、可能な限り条件面での平等が図られる様管理されて初めて成立する競技であるのは、昨今のプロボクシング界でも話題になることが多く皆さんよくご存じの事と思います。 ジェンダーの権利保護は大切でしょうが、そのための手段によって多数の女性の権利ばかりか生命健康までが危機にさらされるのであれば、本末転倒と言わざるを得ません。 早急に参加資格の再検討を行う必要があると思います。
・元男性が手術をして女性に性転換したと思ってる方が多いですね。 自分も当初はそう思っていました。 なぜこの選手が女性とみなされているのか なぜY染色体を持っているのかという点がほとんど報道されていません。 意図的に隠しているのでしょうか。 議論が必要な問題ですが、まずは正確な情報を伝えてもらいたいです。
・男女分けているのは同じウエイトでも筋肉量の差があるためだし、性別変更なんて想定していなかっただけだろうに「すべての人は差別なくスポーツをする権利をもっている」その通りだと思うけれど、最もらしい言葉での言い訳でしかない。ノンバーバルなカテゴリを作るとしても男性から女性、女性から男性はやはり異なるし、男性ホルモン自体がドーピングだし。なし崩しに参加を認めるのではなく、皆が納得する議論をすべき
・ドーピング検査はかなり厳密にするって聞いたことあるけど、なんで性別確認はパスポートなんやろ? 差別だ区別だと騒がれるのは当事者にとっても辛いだろうから、IOCは性別判断の生物学的な基準を出して不適の場合は出場不可、トランスジェンダーに配慮したいのであれば女性から男性になった方も含めたカテゴリーを作ってパラリンピックに出てもらえればいいと思う。
・今後もジェンダーについて考えることはいいと思います。 ただ別の記事で医者もジェンダーの診断が難しい事や性の揺らぎで何度か性転換されてる記事を見ました。まだまだ判断が難しく様々なケースがある状況でジェンダーのオリンピック参加を推進しなくても良いんじゃないですかね。 今、ジェンダー問題で苦しんでる方には申し訳ないですが、無理に進めて事故や事件など起きると余計な差別や反感が生まれると思います。もう少し控室など設備面や体格差やルールなど検討してからの方がお互い気持ち良く大会に挑めるのではないかと思います
・差別なくスポーツをするのであれば区別が必要。 ジェンダーのこのような問題は今の区別では解決できない。 寧ろ元男性が女性枠で出場すれば力の差が顕著に出ることは必須。 ただ、認められたうえで出場しているのであればそれを非難することは出来ない。非難するのであれば矛先は主催側。 時代に合わせたルールを制定しなくてはいけないのであれば、男女のみの区別ならず、心身共に性別が適合した枠でそれぞれが競技すべきと思う。
・生物学上の自然な流れを無理やり、医療で変えようとも無理があるし、それを区別することに何が問題あるのだろうか。形式上はいくらでも性別変更が可能なのかもしれないが、生物学上においては性別の変換なんて自然の流れではないし完全には不可能な話ではないだろうか。 そうして区別を図ってきたことで、人類は秩序を保ってきたというのを、あまりにも権利の主張の声や幅が大きくなったせいで、長く続いてきた人類の性への価値観が変えられるというのは憂慮すべき事態だと思う。
・確かに 実質的な体力差などは 性差をなくしようとする世の方向性が言われるようになってから縮まってきているとは思うが、一夜にして変わるものではないので 本来これは時間を要する事だと思う。そしてこの件のように明らかな差が垣間見れる状況もあると言う事はみな足並み揃えて一気にそうなるものでもないと言う事を改めて意味してるとも思う。これを強引ともいえる速さで定着させようとすれば 今回のような負けた側の不満につながるし、もっと時間をかけてとした場合、今回勝った側の立場の人たちからの不満につながる。とにかく難しい問題。最終的に男性・女性 どちらに属するかと言う事を前提とするなら、その移行期間(完了と判断できる時期は見当がつかない)はやはり ジェンダー階級を設ける外ないのかな?というところに行き着いてしまいますね。
・選手は出場許可が出たから出場したまでで、運営側が全て悪いと思います。 この選手の場合だと出場するには男性の試合に出してあげるべきだったと思います。 ただボクサーパンツ1枚ではなく上半身も隠れる女子のユニホームで出してあげれば良かっただけ。 それが嫌だと言うならば出場できないというルールに統一して欲しいです。今後もこの話題続くように思うので。
・これを差別と言うなら、全ての競技は性別関係なく実施されなくてはならないし、もっと言えば、税別で別に協議することはどうなのかと議論しなくてはならない。 そうではなく、この問題は男女の差を認めたうえで、その区別をどう行うかの議論である。女子の試合に男子の身体能力を持つアスリートが参加したことが今回の結果だ。明らかに選手は命の危険を感じている。 現行のルールでは同仕様もないのかもしれないが、明らかに今後のルール改定の検討対象であり、その議論を深めなくてはいけない段階にある。
・差別と区別は違う。 差別はなくす必要あるけど、オリンピックにおいて大事な公平さには区別は必要だと思う。
女性・男性と分かれた競技になってるものは、筋力などの体格差があるから分かれている。 それなのにパスポートに登録されているものとしてしまうと、女性にとって不利な試合になってしまい、それこそ公平性に欠けてしまい、それこそ女性差別なんじゃないかと。
ジェンダー問題は扱い難しいだろうけど、日々努力してるアスリートたちの公平な戦いが見られるオリンピックであってほしい。
・闘技系の競技は同じ性別であっても体重で細かく分かれている ほんの少しの差でも勝負に影響するし、事故が起こると命に関わる 身体的な特徴として男性として育っていないのかもしれないけど、かなり珍しい特徴のはず 珍しい特徴の選手が二人も代表に選ばれているということは、ある程度有利なんだろうと思う まともな国では考えられないけれど、国の主導でそのような人を集めて女子代表として送り込むことも考えられる 前例を認めるべきではない
・オリンピックの出場は身体的性別で分けられるべきです。特にボクシングなんて、身体的性別が男性のボクサーに女性が敵うわけがありません。 ただのリンチですよね。下手をしたら命に関わる事態です。
身体的性別の公平性が選手の安全性よりも優先されるのであれば、オリンピックなど開催する必要性はありません。
パラリンピックのように、 性別不適合者だけの大会を別に開催すれば良いと思います。
・同じスポーツで男女が分かれているのは肉体的な差異があるからで、特にコンタクトスポーツでは女性に肉体的危険が及びます。これは性差別ではなく、選手、特に女性選手肉体的にダメージの保護のために必要なことです。それがないがしろにされていないですか?
ところで、ボクシングなどの肉体的なダメージを競うような競技はラグビーなどのコンタクトスポーツとは少し違うのではと思います。そろそろ考え直したほうがいいのではと思いますけど。
・オリンピックルールはすべての出場者にとってフェアであるべきだと感じる。 騒動のボクサーは性別を変更していないためトランスジェンダーではないことから、彼女を非難するのは適当ではないが、生まれつき男性に限りなく近い筋力・体力を持ったアスリートが女子格闘技に出場できる現ルールはオリンピックの公正さを損失する要素となっている。 一方でクレー射撃などの筋力・体力に依らない競技では男女の区別の妥当性を議論する余地はあると思う。
・スポーツはざっくりいえば「人間という生物能力の制約の中でどこまで能力を高められるのかを競うもの」だ。だから、生物学的に身体能力の差がある男女を分けてるし、体にハンデがある人のためにパラリンピックを設けている。それぞれの制約の中でどれだけ能力を高められるのかを競っているだけで、社会的男女を区別してるわけではない。自認こそ最優先としていく事で、今後おこる新たな問題として、人間の身体のロボット化だ。まだ技術が未熟だから問題にならないが、いずれ脳以外の全てがロボット化されて人間の身体能力を凌駕する人が必ず現れる。その人が「私は人間なのだからオリンピックに出場させるべきだ」と主張したら、どうするつもりだ?自認が最優先なら、容認するべきだし、その先にあるオリンピックはただのロボット技術を争う大会だ。社会的に男女の選択肢はあってもいい。だが生物学的な壁が存在するスポーツや医学は別で考えるべきだと思う。
・ボクシングは体重と性別で細かく階級分けしている競技。 グローブとヘッドギアを付けているとは言え、殴り合いするのだから体格とパワーに大きな差があるのは問題では?。
いくら女性と認められると言っても、染色体Yを持ち男性の骨格とパワーを持っている選手を同じ階級で殴り合いさせるのは、命の危険があるし不公平ではないかと思います。
トランスジェンダーの問題とは別物ですけど、直接の肉体接触がある競技については、差別ではなく区別としてどうにか分ける必要があると思うけどなぁ。
・今回の選手は、生まれてからずっと女性として生活してきたようです。他の女子選手より運動能力が高いことから良い成績を出し、オリンピックにも出場できたと。近年はLGBTの文脈で話題にのぼるけど、世界レベルの大会に出場する女子選手の遺伝子を調べたら男性だった、という事例は昔からときどきあります。検査して初めて「男性です」と言われるので、本人にとっては気の毒な話ではあります。
・根本的な事がわからないんですが、この選手は性転換で男性から女性になったということですか? ならば、性転換した人だけのカテゴリに入れるべきだし、もしそれがまだないなら出場を見送るべきです 男女以外のジェンダーレスが世界的に言われているのだから男女以外のカテゴリを作らなきゃ 性転換を否定はしませんが、生まれた時の性別を変えるんだから、普通とは違うと認識されても仕方ないでしょう
・権利とかは認めるとして、力の差を考慮すべきだと思う。IOCの皆さんも一度実際にパンチを受けてみて判断コメントするべき。理想と現実の差を肌で感じれば不平等になる現実はわかると思います。女子体操につり輪が導入出来て男子と同等の演技が出来るか?平均台は男子でも同等の演技は出来ると思う。力の差が結果に直結する競技の扱いは、見直すべきだと思う。女性の公平平等な評価を守る為にも。
・多様性の世の中って言っても、スポーツのカテゴリーでは男性女性と分けられてるものに関しては、そこはきちんと区別しないと。 普段の生活では別にどうこう言わないけど、競技に関しては男女によって体格差や筋力量の違いで勝敗が左右されるから分けられてるので、性別変更されても元男性では明らかに女性とは差がでてくる、それを良しとしたらもう男女で分ける意味がなくなってくる。 そこは差別ではなくて区別なのだから、現在の性別より産まれの性別で分けないと不公平感がでてくる。
・精神的性や社会的性と、生理的性や肉体的性を同一視する単純思考が招いた悲劇。IOCの浅慮は、双方の選手にとっても観客にとっても不幸。人が性別に関わらず平等であるべきなのは疑う余地もないが、工夫が必要だ。例えばシニアサッカーに70歳や80歳でパンツの色を変えるというローカルルールがあるが、これは差別のためではなく皆でスポーツを楽しめるようにするための工夫。
・スポーツに限ってはこれは危険だと思いますしやはり公平性をどこで保つかも議論になりますね。 男性と女性では体格差や力量や運動能力も違いますしこれは差別と言うより元々の人間の持ってる物ですからね。極論ですがマイクタイソンが私は女性ですと認められた場合金メダルは確実ですし相手を壊してしまう可能性すらある。これを公平安全と言えるかどうか?やはりスポーツに限っては慎重に色々答えを出すべきではないでしょうか?
・他の方もコメントしているとおり、差別することと、区別することは決定的に違うと思います。 精神が女性であることは否定しませんし、受け入れられることではありますが、筋肉等、肉体が男性であることは事実です。 人としての尊厳を守ることは、もちろん重要なことですが、一方で、このような女子選手のこれまでの努力が否定されるような事態も、ある意味、人としての尊厳を踏み躙るものではないでしょうか。 その辺をしっかりと考えていかないと、スポーツにおける女性というカテゴリーは崩壊してしまうのではないでしょうか。
・性差による区別は、社会生活を営む上であれば不合理として排斥されなければならない場面があることは理解できます。ただ、性差は体つきの違いという生物学的な差を生じるものです。これは、スポーツとしての公平性を維持するという観点から見て、果たして不合理な区別なのでしょうか?例えば、スポーツにおけるドーピング規制は、公平性を維持するためのルールです。性差に由来する肉体の差に応じた区別は、ドーピングと同じく公平性を確保するために必要な規制ではないかと思います。 どれだけIOCが問題ないと言っても、競技としての公平性が確保されないのであれば、もはやスポーツではないですよ。相手の選手の4年間を返してほしい。
・ボクシングって体格差でダメージが全然違うし違う体格の対戦は危険だから細かな階級があるんだよね。今回の試合は同じ階級なのかを疑うくらい体格差(骨格と筋肉量?)があるように見えた。 特殊な体質の人の権利も大切だがそれは過去に権利を蔑ろにされてきた多くの一般女性の権利を踏み台にして実現されるものであってはならない。 やるなら別カテゴリーがいいところなのではないだろうか。
他のスポーツは手足が長かったり、身長が高いのが明らかに有利なものも多いし、軽くて体の柔らかな10代が有利な競技もあるけどそういう事に対する階級差を作ろうという話はない。危険ではないからそのまま放置されてる。でも"全ての人に権利を"を錦の御旗にすると身長の低い人のクラス、体質で痩せられない人のクラスとかそのうち出てくるのでは。
・これが「差別なく」だとして、もっと突き詰めると男子と女子で分ける必要ないんじゃないかという話になって、でもそうするとおそらくほとんどの競技が男子で占められる。それがどうしてかというと、筋肉量が男子の方が多いから、ということのはず。そうすると、オリンピックにおける性の区別に関して、現在の男性ホルモンのテストステロンの値の基準がおかしいか、全く別の基準も加えないといけないのか、という話になるということなのかなと何となく考えました。
・難しい問題ですね。多様性を対応するために、根本的にルールを変えなければならないと思います。そもそも何で男子と女子に分けるんでしょうか?体格差があるからじゃないでしょうか? そのままトランスジェンダーの選手を現在のルールで出場させるじゃなくて、もっと他のパラメータを考えた上でクラスをわける必要だと思います。
・アメリカでも、女子スポーツに関して「どう見ても1人だけ体格が違うのに女子として競うのはどうなんだ」という世論が形成されつつあるように見えます。 厄介なのは、当事者が「女性として競技に参加できない」ことを差別だと感じてしまうという点、そして、当事者の感情を元に差別問題という政治的なイシューにされてしまう点でしょう。
日本から見ていると「マイノリティのワガママ」にしか見えない側面がありますが、調べていくといろんな問題と絡んでおり、簡単に解決できる問題ではないのだと思わされます。
・スポーツするなとは誰も思ってない。男の体つきで女性と戦ったら有利であり、本来の女性の活躍を阻害する。男として戦ったらオリンピックに出れないけど女として戦ったら出れる、メダルが取れるとなったら悪意ある人間も出てくる。オリンピックに出るために国籍まで変える人間がいたのだから、性別変えて出る、国の方策としてそうさせるというのも出てくるかもしれない。本当にそれでいいのかちゃんと議論して決める必要ある。
・差別と区別は違う。そこがブレると そこには毅然としたルールが必要であって、同じくらい守られるべき安全や安心が不可欠だと思う。それがあって初めて「正々堂々」と試合ができるのではないか。 パスポートの性別をもとにしているの自体、違うと思う。
精神的な性別を持ち出し始めたらキリがない。 肉体の勝負なら、肉体での区別をするべき。 例えば男性の体の50kgと女性の体の50kgだったら、つけられる筋肉量だって違う。
マイノリティーを、どうのこうのというつもりはない。 ただ、マイノリティーに合わせすぎてマジョリティーが疎かになるのは違うし、最悪スポーツ界が破綻していくと思う。
・本人の望んで性同一性障害になったわけではないので、この問題は競技に限らず世界的にも歴史的にも過渡期だと思う。数値によって参加を決めようとしているようだがそもそも無理があると思う。体格、パワーで根本的に性差が出やすい競技では最初から差があると思うし、今のままでは女性アスリートはいずれやる気を無くしてしまいそうだ。個々の事情は考慮しながらなんらかの新しい考え方は必要だろう。あと本人の意思に限らず第三者に利用されるケースも出て来るだろうから…。
・生物学上のオス、メスと、人間が定義する男性、女性の区別がイコールではないので難しいですね。スポーツはどちらを基準にすべきでしょうか。ダイバーシティ、インクルージョンを語るとき、平等、公平、公正という言葉がよく説明されますが、公正に新たな枠組みを作るのが良いように思います。
・将棋やチェスなど身体能力が問われないものや、百歩譲って卓球やバドミントンなど比較的男女でも戦えるスポーツならまだわからんでもない。 しかし今回のボクシングはフィジカルコンタクトはおろか、殴り合うスポーツ。男女の体の構造や筋力は明らかに差があり、性自認云々以前の問題で、いのちの危険すらある。 身体が男性の選手が心身ともに女性の中に混じるのは言語道断でしょう。差別とかではなく、女性選手の保護を考えてほしい。 同じ体重でも女性と男性では筋力に大きな違いがあるので、公平性に欠けるでしょう。
・多様性の尊重には、まずは差別する事なく区別することから始まる。
オリンピックに女性枠として参加して批判が生じると多くのトランスジェンダーを抱える人からすればマイナスでしかないと考える。
パラリンピックでトランスジェンダー枠として新設し、区別したうえで競技させればこのような批判は起きないし、多様性の尊重にも繋がる。
そもそも、現在のルールで不都合が生じていることから、トランスジェンダーという問題がでているのに、既存のルールに無理に当てはめようとすると必然的に批判がでる。
・今回の件は、差別ではなく区別だと思います。身分証や心が女性でも生物学的に男性なのであれば、男性の体を持った方が有利になるのは必然です。ましてやボクシングのように殴り合いをする競技であれば、競技者の生命を脅かすことにもなりかねない。他の方も意見されているように、「第三枠」を設けるべきだと思います。
・そもそも馬術以外の全ての競技が何故男女別になっているのか、バッハさんはきちんと説明できないだろう。それは区別であり、どこにも差別の意図はない。パスポートの性別と競技、特にボクシングのような格闘技の性別を一緒だからにしたらダメだ。また、ボクシング協会を否定するような発言も控えるべきだ。第三の枠なんていらない。この選手は男性で出場すれば良いだけ。実際FtoMは元の性別である女性で出場している。男だと勝てないとかは、また別の問題で、選手側のスポーツマンシップにも問題はある。
・パラリンピックでは選手の障碍レベルに合わせて、細かくカテゴライズされてますよね。
平等を謳うのなら、ジェンダーレス方も別にしないと混乱のもと。
既に多くの皆さんも仰ってますけど、これは「差別」ではなく「区別」。
パラリンピックではそのカテゴライズが細かすぎて問題にもなっていますが、性別を1ないし2増やすのはそう大変でも無いのでは? これが真の多様性とも思いますけどね。
・もちろん今回はレギュレーションに沿っているのだろうけど、今後は改定が必要だよね。
数年前にちょっと違う記事で男性ホルモンの数値に基準がある事を知った。 イメージで申し訳ないが、例えば1〜10で1〜5が女性と認める範囲。一般的な女性は3だとします。
元男性は6〜10だった数値をホルモン剤などを使い5まで下げれば良い事になる。 しかし女性が3の数値をホルモン剤を使って4や5にするとドーピングという事で選手生命終了になる。
どちらもドーピングだと思うけどね。 現状は元男性が遥かに有利な状況なのは明白
・ケリフ選手 女性として生まれ 女性として育てられ しかし 性分化疾患で染色体は男性 彼女のように女性器を持って生まれた男性?・女性?(遺伝子的には男性ですが、生まれた時外観は女の子)をどの位置でスポーツに参加させるのが良いのか? 特に格闘技のような相手に身体的ダメージを与える競技には事故も伴うので非常に難しい問題ですよね。男子・女子の他の第3枠を検討する事も必要になってくるかもしれないですね。
・性差が身体の構想上の違いも生んでいるのだから、同じ競技で競うのは無理があります。 また、生まれ持った性別をパスポートなど公的書類の上でも変えるのは、やはり間違いだと思います。 書類上は男のままでも女性として生きることのできる社会が正しいのであり、目指すべきところなのであって、書類上の変更は本来必要無いと思います。
・明らかにされた情報から考えられることはこのボクシング選手は身体の外観が女性だからずっと女性として育てられてきたはずです。 成人になられてだんだん肉付きが男性のように発達し、内性器の卵巣がないので乳房は女性のように発達しません。染色体と腹腔内にあると推測される精巣から分泌されているテストステロンを調べれば、医学的にはいわゆる女性とは異なります。このような方は出生時に女性とされてますからトランスジェンダーとは違います。 生まれた時から女の子として育てられて、後に筋肉隆々となったから急に男性になれというのも無理があるでしょう。もちろん日本にもこのような方はおられ、精巣を摘出してホルモン療法を受けて女性として生きる事を選ばれていても周りは気が付かないでしょう。これらの方はトランスジェンダーでは有りません。
・パリ五輪は規定上、有効とするしかないでしょう 但し今後としては別だと考えます 基本的に五輪は賞金のないアマチュアの大会ではあるが、今やスポーツ全般が職業として成り立っていることは事実だし、注目が集まる中で皆真剣にトップを取りに行く 個人的には染色体に関する体格の男女の差を理解し、各国の男女の登録とは別に性転換や機能上の男女のくくりで分けるべきだと思います 診査の制度も必要かもしれません 近代において、この判断はバッシングや抗議が起きるでしょう しかし、主に格闘技や身体接触があるスポーツでいずれ重大な事故が起きますので、この五輪後にしっかりと議論してほしいです
いずれにしても今大会の規定では有効であり、物議を受けてのIOCの声明は正しいし必要であったと思います 自分は正直、ジェンダー問題、LGBTQを心理的には受け入れていませんが、民主的に決まった制度や存在として受け入れています
・マイノリティーへの配慮は必要とは思うが、行き過ぎた配慮と言うか、どこまでの配慮が必要なのかと言う線引きがまだまだ不十分であるように思えます。
今後100年後、1000年後には、もっとましな基準線が見いだされるのかもしれませんが、現代の私達にはまったくわからない事ゆえの黎明期なのかもしれませんね。とりあえず模索するしかない。
・女子の部門では内面が女性で身体は男性の選手が圧倒的有利となり、 内面も身体も女性として生まれた時点で圧倒的不利な条件になる。 男子部門では内面男性で体格が女性の選手が圧倒的不利になりますね。 いずれ成立しなくなる物事もたくさん出てくることでしょう。 まず要素として身体的特徴が多大な影響を与える分野では生物学的な男女差は区別されるべきであり、今の流れではまた新たな格差や差別が生じます。
・もー性別を2つのカテゴリーに分けるのが難しい時代なのではないかと思う。 個人的な考えで偏見とかもあるかもしれません。 スポーツを多くの人にしてもらいたいと思いますがLGBTの人はオリンピックに出れないって思ってしまいます。 動物的な性別は2つだとは思いますが精神的な性別は今増えてるので多様性というのであればそういったことも見直すべきではないかと思います。
・「すべての人は差別なくスポーツをする権利を持っている」
と言うのであればもって生まれた性別があり例え性転換したとしてももって生まれた力には必ず男女差があり、どうしても出すのであればLGBTのみの協議にするべきであり、今回の協議は根本的に男対女の勝負に過ぎず最初から女性不利は分かっている事であり何らかのハンデを設けるなどしないと今回の結果は誰しもが予測できた。
危険を感じて棄権したらから結果的に何らケガをしなかったからいいものの、頭部に男性の全力パンチを入れて女性が無事でいられるかを試合前に判断する為の協会じゃないのか?
最近の差別を理由に反論を封じる世界的風潮は明らかに間違っているし、この世界に生まれた時に与えられた男女という性別は絶対に変えられない。 大人になってそんなこともわからないような人がルールを決める危険性は子供でも分かると思う。
・これって女子の部門に、男性の体つきをした”女性”が出場したってことだよね?いくら性自認やパスポートでは女性でも、筋肉や体力は男性と同じだろうから、女子の部門に出たらチート扱いになって不公平だし相手に与える攻撃力も上になるから危険。性自認が男性の女性が、男子の部門に出場する(自分の方が不利の立場)のはいいとしても、今回のはダメでしょう。差別じゃなく区別として参加すべきでない。
・スポーツをする権利はあるし、女性として生まれ育ったその存在も尊重されるべきものだと思うけど、これはジェットコースターの規定身長に満たなければ乗ることが出来ないのと同じで、それを曲げて通せば人命に関わる責任があるということ。 何のために適格性検査があるのか、意味をなさない。 死亡事故が起きてしまった場合IOCの会長はどう責任を取るというのか。辞任じゃ済まない過失だと思うが。
・難しい問題だが女性であるとの主張で競技会へ出場するならば最低でも性転換手術は必要と感じる。 ホルモンバランスや筋力も違うだろうしね。 誰もがスポーツを行う事は否定しない。 本人が性の問題で競技会へ出る事が出来ないのならばパラリンピックの様に別の競技会を開催しても良いのかもと思う。
・一般男性が試合に出る場合、パンチを打つ際手加減とか躊躇があって威力が落ちたり、急所を的確に打つようなことはないが、今回の件は、自分は女性枠で正々堂々でているから、手加減や躊躇が一切ない本気の打撃で急所を躊躇なく打ち抜くからより危険な気がする。
・スポーツに女子という枠が設定されている事。
トップのスポーツに限定される事で、 オリンピックに女性の参加を求めるなら、 そもそもハンデキャップが分かりきっているから作らざるをえなかったという話なのでは?
そうなると、男性ホルモン値が高いというこの選手はオリンピックの女性の競技枠では出せなくなると思います。 他の女性の選手に対して初めから、対等では無い。
当人も自分の病気がこの競技で有利になる事を知って出ているでしょう。
適合手術が云々も関係なしに、 性別の関係ない枠を使ってもいいとは思いますが、女性枠では反則だと感じました。
・これでLGBT以外の女性アスリートはかなり辛い事となりましたね。かわいそうに。国家間での対応もおそらく異なると思いますので有利不利がきっと出てきますね。 LGBTの権利推進派の人達の意見はどうなのでしょう?今のままで良いと思っているのか別枠つくるべきと思っているのか等見解を聞きたいものです。別枠つくるとLGBTではない生物学的男性の偽装出場の可能性まで出てきそう。トイレや更衣室の管理、犯罪防止などの対策も必要かと思われますけどそのあたりもお聞きしたいものです。
・「選手の性別と年齢はパスポートに基づいて決定される」っていうのは違うと思う。各国によって性別の判断は異なっているし、メダルを狙う国では恣意的な操作もできてしまう。男性の体で育ってくると、女性に比べると筋肉量や骨格が大きくなるので、性転換をしてもベースが異なってしまうので、ボクシングなどの格闘技では危険を伴うことになりかねない。 行き過ぎた多様性の容認の気がしてならない。
・「差別なくスポーツする権利」と「大会に参加する権利」は違う。だから競技として「男女」に区分されているものが多いはず。競技として、生物としての人間の性差がハンデにならない馬術とかは男女が同じフィールドで争ってきた。勝敗は別として、人と競わないマラソンやひとりづつ滑るスキーのタイムレースなどでは男女同時参加は可能だが、ボクシングなどの格技では、対戦相手の命にかかわることもある。生物学的に峻別しないといけない時代になっている。
・半陰陽なんですかね。染色体まで違う場合、様々な現れ方するみたいですね。並の男性より身体能力高かったりの反面、特定の病気が出やすかったりも有る様子。個人差は有るでしょうが。 感情や思考だけの場合は更に肉体の性の影響そのものかと思います。生まれた肉体の性と思春期までが男性なら、男子の括りだと思います。少なくともスポーツや記録の世界では越えてはならない。
・ひとまずは、パスポートの記載に従うというルールに基づいている点で正しいと言えるだろう。が、そのパスポートの記載はオリンピックで性別判断に使用されることを前提とはしていない。だから発行した国も責任を負わない、負えない。この無責任の構造は、改善しなければならない。今後も同様の事が繰り返されるのは、スポーツ全体に対してマイナスでしかない。
・全ての人はスポーツをする権利があり競う権利もありますが男女が同じステージで闘うことは違う。 元々、性差があり筋肉量も強さも違うので男が有利なのは明らかなのでたとえ性を換えた処で生まれ持ったポテンシャルが違うので性転換選手は除外するか素の性で戦うのが公平だと思う。
・差別なくスポーツをする権利=区別なく競技に参加できる権利ではないと思う 別にやりたければ勝手にボクシングのトレーニング積めばいいと思うし、その時点で充分差別なくスポーツ出来てる。 それ以上を求めるのはちょっとワガママかなあという気がするし、本人もいちいちケチをつけられちゃ楽しめないかと。 もし私が騒動の選手と同じ体に生まれたら自己ベストを伸ばす形で楽しめる(=自分と戦う)競技を選ぶかなあ。
・分別と差別の区別がついていないようです。 分別というのはカテゴリーなどルールを作るうえで公平性を保つためのもので、そのルールの中には安全というものも担保されていなければなりません。 この場合の男女は差別とは違う問題です。 もしこんなことがまかり通るなら女子の競技の全ては今後ジェンダーで埋め尽くされることでしょう。女子というカテゴリーなのだから生物学的に女性でなければなりません。 本来であればジェンダーというカテゴリーを作ってその中でも元の性別ごとに分けるなどの配慮があって成り立つもので、ジェンダー問題全般に言えますがジェンダー問題を政治利用しようとするあまり社会を無視しているように見えます。 こういった問題は本来社会に委ねられるべきで政治が主導するものではありません。
・差別をしているのはありませんが、五輪やスポーツ競技のトランスジェンダーは男性から女性の方ばかりで体力や筋肉量も力の違いは大きく試合や対戦をしてダメージを受けて怪我や命の危険も伴う可能性があるのであれば、今後オリンピックは男性、女性、トランスジェンダーの3つの部門に分けてそれぞれの競技を行うように見直すべきだと思います。
・何故スポーツが男女で分かれているのかという根底を覆すような出来事だと思います。 スポーツは身体能力を競うものです。 男女では身体能力に大きな差があり、公平性を保つためには身体の性によって区別する必要があると考えます。 いくら心が女性だと主張したところで男性の身体であることに変わりはなく、「彼女」の出場は不当ではないでしょうか。
・ボクシングは、他のスポーツ以上に階級制度を分けて「区別」してきたスポーツ。階級、カテゴリーをしっかり区別して、選手の安全を守って欲しいです。 多様性を主張される方々は、いつも「差別」と「区別」を一緒に主張されている。 正当性を強調するのと一緒に全体との協調をとってもらいたいものです。
・多様性を認める事によって出場カテゴリーを増やしたら切りが無い。「格闘技」と云う言葉から考えると「全ての性別で体重階級もなし」でやるのが本来の形だと思います。ある競技では女性も勝ちたければ大きくなる必要があり、ある競技では男性も柔軟性を磨く必要があるかもしれない。勝ちに拘るなら自分に合った種目を選べるので、競技の方が「多様化」されてきた現代でカテゴリーを更に細分化する必要はないと思います。
・「生まれた時に割り当てられた性別」「出生時に医師から割り当てられた性別」というような言い方は、本来この選手のようなDSDs(性分化疾患)の人に使われていたんですよね。 その「割り当てられた」という言い回しをなぜかトランスジェンダーの話にも使い出しているから誤解した人も多く、ややこしい。トランスジェンダーの人の身体の性別は生まれた時にははっきりしてる。
この選手はトランスした訳ではなく、生まれた時から女性として生きてきたが、性分化疾患なので実際体格差など出てきた様子。ボクシングのようなスポーツでは分けないと危険なのではとは、とは思う。 水泳などは女性部門と誰でも参加OKのオープン部門で良いと思うが、ボクシングではその分け方でも不十分かもしれないとは思う。DSDs(性分化疾患)の選手と男性選手が戦って危険性はないのかなど、個人的にまだ良くわからないから。
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