( 197845 ) 2024/08/03 02:22:45 0 00 ・悔しくて泣くのは仕方がないよね。連覇の重圧、金メダル取って当たり前というプレッシャーの中で必死に頑張ってきたものが、報われなかったのだからショックも大きいでしょう。 でも次の試合の進行を妨げてしまうから、裏で泣いていればここまで賛否の否は無かったのではないですかね。
・悔しさ、悲しさの表現方法は人それぞれだと思う。
ただ、これまで詩さんに負けてきた多くの人も詩さんと同じ悔しさ味わってきたはず。 品位とか品性って事ではなく、あなただけが負けたんじゃない! あなたの今までの勝利の裏側には多くの敗者、悲しみがあるって事を今回の負けを通してしっかり胸に刻んで欲しいかな。
そうすれば、悔しさの表現方法も少し変わるのかな?って思います。
・感情を抑えるのは、畳の上だけでいいと思います。 畳を降りたら自由にしたらいいと思います。
48キロ級だったか、3位決定戦で勝った選手が、スタンドにいる彼女の関係者に長時間にわたってハグして回っていました。そのあとにまだ角田さんの決勝があるのに試合進行を長時間にわたって遅らせていましたが、そういう行為もダメということになりませんか?
競技の進行を妨げるという意見もありますが、畳を降りて号泣していましたので、その脇を通って粛々と試合進行すれば何の問題もなかったはずです。 阿部詩選手が、退場するまで待っていたのは、運営側の配慮です。
・阿部選手個人を見れば、泣きたければ泣けばいいし、それを否定も批判もしない。でも、あの場で、あの時に、あの振る舞いは無いだろう。 だって、試合に負けて悔しくて思いが溢れ出た選手全員が同じ行動をしたら、それは全て認められ、許されるのか。 阿部選手だから許されるのか。日本人ならば許されるのか。 あの時、次の自分の試合を待つ選手の気持ちを考えてみよう。 感動して勇気をもらった人もいたかもしれないが、強烈なプレッシャーと闘い、極限までに集中力を高め、自分の試合に臨もうとしていた時に、目の前であの行為で待たされる...、驚きや衝撃を受け、少なからずマイナス影響を受けた選手もいたはず。 それは阿部選手だから許されるのか。日本人ならば許されるのか。 私が次の自分の試合を待つ選手の身であったとしたら、迷惑なことこの上ない。
・負けて悔しいのはわかるけど何だろう少し引っかかる。勝ち負けを競っているのでどちらかが負けるのは決まっているのに。子供の頃、私が勝つと泣いて怒ってわめいて私が悪いかの様に不貞腐れる友達がいた。同じ剣道部だったので練習試合の時もだけど、ゲームなどで遊ぶ時だってわざと負けていたので全然楽しくなかった。楽しくないを通り越して辛くて悲しかった。武士道とかそんなたいそうな事を言うつもりはないけど真剣に勝負した相手に対してもう少し気を配ってもいいと思う。
・武道家であろうが、スポーツ選手であろうが、更に武士道があろうがなかろうが悔しくて号泣しても良いと思います。 今回の件の問題はそう言う事ではなく、次に試合を控えている他の選手が準備や集中したい一番ナーバスになっている場で、いくら悔しいからと言って何分もその場に座り込みあの大声で号泣し、時間と場の雰囲気を乱した行為は美談でもないし、肯定されるべき事ではないと思います。ただ、だからといって誹謗中傷されるのも違いますし、同じ選手であれば自らの行為がどれだけ他の選手にとって良くないことかは十分理解し反省しているでしょうから、今後は今回の反省を踏まえ精神コントロールをより身に付けまた頑張ってねってだけだと思いますけど。
・わたしが違和感を持ったのは畳を降りてコーチと接してからずっとその場に留まり続けたことです。それもほんの暫しなら別に構いません。それが長すぎたんですよ。 感情の吐露は問題ないと思ってます。色んなタイプの柔道家がいて、それはそれで個性でいいじゃないですか。 その場に留まり続けたからその模様が放送され続け、ハンディカメラマンまで張り付いてずっと流されて、会場もコールして拍手してなんとか送り出そうと騒然となりましたね。大会運営に明らかに影響し、次に畳に上がる選手は困惑したかも知れない。 そこだけなんですよ。だからコーチに対して思うんです。諭すか窘めるかしてなんとか歩かせるか背負うかしてでも裏まで連れてって思う存分号泣させてあげてほしかったとね。 その一点ですよ。号泣するのはしょうがないもの。箍が外れてるんだからね。
・外国人選手にとってはJUDOなのですが、日本人選手には柔道だと思います 私が柔道を始めた頃は、稽古の中で態度も厳しく指導されました 時代は違いますが他の出場選手を見ていると今も態度の注意はされているように思うのです 特に一二三選手なんか顕著ですよね
他の競技は飛び跳ねて喜んでも何も思いませんが、柔道だけは日本人の中で求めるものが違うのではないでしょうか 観ている人は、やっぱり柔道の日本人選手は外国人選手と違って、勝っても負けても所作は綺麗であって欲しいと思うのではないかと思います
・あくまでも自分個人の意見だけど、最近のスポーツ選手ってタレント化しすぎてるんだと思うんだよね。 (柔道、卓球、ゴルフ、バレー、バスケ、フィギュアなど。) 頑張って練習してオリンピックとかに出て、ちょっと結果が出たらバラエティー番組とかに出過ぎててなんだかなと思う。
挙句の果てに今回は試合進行の妨げになるぐらいの騒ぎになってたし、余計スポーツマンらしからぬ姿が目立ってしまった。
悔しいのは分かるけどほとんどの選手は負けててもちゃんと挨拶して下がってる訳だから、やっぱり今回の失態は悪目立ちしちゃうよね。
・もともと柔道、剣道、空手道、合気道など、道のつくものは日本古来の心を鍛える、精神鍛錬する場だったと思います。武道とスポーツが同じように比べられてしまい、勝利至上主義といった方向に向かっていきました。まず、武道はオリンピックから撤退する事。相手と競うものでは無いんです。相手を敬うといった日本古来の仏教の精神で自分自身を鍛えるものなんです。日本人が日本人らしくなる為には、もう一度皆んなで考え直さなければいけないと思います。
・勝った選手はあの阿倍詩に五輪の大舞台で勝ったんだから狂喜乱舞で大喜びしてもおかしくなかった。でも凛として決して取り乱すことなく礼節を守って畳を降りた。武士道は何かと言われれば、勝って驕らず敗者に敬意を持ち心の吐露はそっと陰で厳かに…という彼女の振舞いそのものかと。 今回敗けはしたものの世界最高峰の柔道家がそんな振舞いの欠片もなくただ感情的に泣き叫ぶ姿はどうなんだろうって思うのも自然。 結局勝った彼女は見事に金。素晴らしい武士道でした。
・剣道経験者です。 ちょっと引っかかるのが今回「武士道」という言葉が出てきていますが、柔道は「武道」であり、「武士道」とは似たところはあれども別物だと思うんですよね。
それはさておき、武道では「礼に始まり礼に終わる」「試合場を出るまでが勝負」、これは基本のキであり、学び始めから口が酸っぱくなるほど言われることで、長く続けていればいやが応でも体に染みついていくものです。
今回の件については、いつもは出来ていることかもしれませんし、大舞台で気が動転していたとも思いますが、心からそれが抜けていたのであれば未熟と言われても仕方のないことだと思います。
・泣く事は否定しません。 悔しかっただろうし、堪えても自然に涙はてしまうでしょう。
「感情を吐露する」事も否定しません。 ただ今回は… 周囲を戸惑わせる程、そして、会場を巻き込む程、その吐露が度を越していた事が問題なのだと思います。
付き添っていたコーチもあそこまで詩選手を会場に留めてはいけなかったと思います。
子供達には剣道を習わせました。 「武士道」とまでは言いません。 でも、そこで挨拶や礼儀、強くはなかったけど、学んだ事は多かったと思います。
・白黒決着着けるようなことではないよ。感情が溢れ出し号泣してしまったのは仕方が無いのでは?ただそれはあの場では我慢するべきだったと。取り分け柔道は礼節を重んじるから相応しくないと。言い出したら切りが無いし阿部選手もコメントだしてるのだからそこでおしまい。 この元放送作家さんの武士道を揶揄するような発言は余計。新渡戸稲造の武士道という名著もあるので一読の価値はあると思います。
・武道家としてどうこうじゃなく、あの号泣というか、泣き叫ぶ声には驚いた。 裏に戻って泣くのならいくら泣き叫ぼうといいと思うけど、人前ですよ? しかも、選手としてもかなり注目されてる立場のはず。 この人に限らず、自分が勝ったら相手の前ではしゃいで飛んだり跳ねたり叫んだりして、負けた時には号泣って、普通に考えてもどうなのよ?って思う。しかも、あんなにうるさく泣き叫んだ人、今までいなかったと思う。
・武士道だとか、礼に始まり、、とかは経験者でもないのでわからないですが、スポーツとして考えても、あの振る舞いは相手に失礼なんじゃないですかね。
実際強いんでしょうけど、この私が負けるなんて受け入れられないって思ってそうなのが透けて見えるんですよ。
他の競技を真剣にやってましたが、常勝の人であっても大会中にあんなことされたら、他の出場者や関係者からしたらかなりウザいだろうなと思います。
そりゃ大声出して泣くだろうけど、誰か手伝ってでもとりあえず動いたほうがよかったですね。
・本人も想定外の早期敗退になってしまって一種のパニック状態になってあのようなことになったのかもしれませんが相手がキレイに技を決めきって一本とったのだから潔く受け入れるしかないと個人的には思いました。 感情の吐露はもちろんあってもいいですがそれならたとえば海外の柔道家がジャイアントキリングでメダルでも獲得した際に負かした相手に「みたか!」って威嚇するようなことしてもOKになりますね。 強靭なメンタルも兼ね備えたアスリートなのですから詩選手に勝っても喜び表に出さなかった相手選手やカメラの前では涙をみせまいと必死にこらえようとした村尾選手のような立ち振る舞いを個人的には支持しますし、今後も応援したくなります。
・オリンピックや世界選手権のチャンピオンくらいになるといくら若くても心身とも武道の師範、達人、マスタークラスと思っていました マスターでも負けることはあり今回のような対戦相手の起死回生の技で負けた時は「お見事」「参った」と相手を称えるのがマスターである所以と思います しかし号泣という本人中心の心境に陥ったのは至極残念でオリンピックチャンピオンくらいではマスターと呼ばれる境地に至ってないことを改めて認識しました
・私は、剣道人です、剣道家とはおこがましくて言えません。 オリンピク種目ではございませんし、オリンピック種目にしてほしいとも思った事はありません。剣道は武道のひとつであってスポーツとは少し違うと思っています。きちんとした礼に始まり礼に終わります。現在の柔道にしてもきちんとした礼をされる方は少ないと思います※会釈程度の礼しかされていません。勝っても負けてもきちんと礼節を行いコート外にて喜びは最低限度です。 敗者を敬う心を大切にするためです。初心者の子供の試合で1本を決めた剣士がおり、初心者ゆえに喜びでガッツポーズをするとその1本は取り消されてしまいます。 応援もしかり、黙って観戦し有効打が入った時のみ拍手が許されるのです。 多少の掛け声のみは許されますが大声の声援は注意が入ります。周りの雑音がうるさくて「まて」の声が聞こえなかったなどとは愚かな環境です。彼女は柔道家なのか JUDO選手なのか?
・誹謗中傷はSNSで簡単にできてしまいます。 過剰に誹謗中傷が拡がり炎上ばかりになると、取り締まりが強くなり、結果的に言論の自由が奪われることとなります。 誹謗中傷にあたるかどうか冷静に考えて、モラルある発言で言論の自由を守ってほしいです。
・大泣きしようがガッツポーズしようが一向に構わないけれども、せめて畳から降りてからにしてほしいかな。 畳の上で泣き崩れてしまったら、次の試合を始められない。感極まっている瞬間にはなかなか難しいと思うけれども、次の選手たちのためにも、泣くのは畳を降りてからの方がよかったんじゃないかと思った。 それに、柔道は本来、単なるスポーツではなく武『道』だから、華道や茶道、剣道、弓道などと同様に、礼儀や作法、立ち居振る舞いまで含んでのものだと思うし、精神性が求められることはおかしいことではない。 勿論、畳の外でどんな言動をしようとも本人の自由だけど、畳の上では武道を修める者としての所作や精神を重んじてほしい。 ただ、これは今に始まった話ではなく、日本人選手に限った話でもないので、阿部選手ばかりを槍玉にあげるのは良くないし、誹謗中傷はもってのほかだと思う。
・結果を受け入れると云う気持ちよりも感情が抑えきれ無かったんだな〜って思いました。
オリンピックと云う大舞台で、一昔では当たり前だった大衆の観てる前で醜態を晒すなと云う考えが薄れてしまったのかなとも思い 個人的には勝負の世界で舞台上で感情を表す寄りも、勝っても負けても舞台から降りるまでは、堂々と胸を張り凛とした姿が見たかったですね。
・柔道をただのスポーツでは無いと位置付けにしたのは柔道の協会の方でしょう。
柔道に限らず相撲でも弓道、空手等々はただの道の付く競技はスポーツ以上の位置付けにしたいのか、強くなる以上に稽古に精進する事によって 人格や人間的に高める事が良しされている部分がありますよ。 それが悪いとは言わないですが、 それならそれ相当の人格な人間性を求めてしまうのは仕方ない事だと思います。
・当方高2の3月に、「講道館柔道初段の認定」を受けてます。 認定後先輩からきつく指導を受けました。 「黒帯を汚すことはするな」、「礼で始まり礼で終わる」を、きつく指導受けてます。 【柔道は格闘技です負けて泣くはご法度です。泣くなら礼が終わった後支度部屋でひとりで泣け、他人に見せるなと】 阿倍誌は、猛攻仕掛けたが相手も強者です、苦しい状況で返し技で一本取りました。勝負の掟です、こんなすごい勝負最近見たことがない。 もっと強くなり、やり返す力を身に付けてください。 無きはご法度です、黒帯も泣いてます強くなってください
・感情の吐露くらい普通です。何にも悪くない。ただ…批判している人の多くは、「感情の吐露」と言う個人的なことより「勝者を称え、戦う場を作ってくれた審判に感謝を示し、次の人の為に場を空けてる」という公を優先すべきではないかと言いたいのでは?武士道なんて高尚なことではなく、この残酷な場面でも他を思いやる気持ちを持ち続けて欲しかった…と言う思いだな。それって日本人が好きな美意識じゃん。
・日本発祥の武道に精神性をもとめることには確かに違和感はあるが、もともと明治・大正期に日本に紹介された欧米のスポーツの根底には騎士道があった。ゆえに騎士道と類似した武士道を日本側が主張することには歴史的必然がある。 こと柔道に関していえば、もともと人殺しの手段であった柔術を加納治五郎がルールを整備してオリンピック競技になりうるスポーツとして普及させた。正にオリンピック精神と柔道精神が合致している所以である。そして柔道がスポーツであるために必要不可欠なルールが「参った」と審判による「待て」だ。これが守られないとき柔道はただの暴力になる。審判には単に勝敗を判定するにとどまらず選手の安全を任されている。今回男子60Kg級で起きた騒動は選手の生命にたいする責任を審判が果たさなかったことが一番の問題だと思う。
・日本の武道における武士道とは、❝礼に始まり礼に終わる❞ 日本で学んだのなら、まずは礼儀を教え込まれたはず。そう考えるとあれは無いと思います。 柔道の中心が欧州になってからは、ただのスポーツになったので武士道も無くなり、色々と日本人にとっては、違和感のある選手の振る舞いや審判の判定が多発するようになった気がする。
・大前提として柔道は武道です。これは単に勝ち負けが目的ではなく人間形成の道なのです。だから礼に始まり礼に終わるという言葉がある様に武道は本来は「スポーツ」ではないのです。気持ちは理解しますが、相応しくはありません。 これとは別の話ですが最近の技をとったらガッツポーズしたり声をあげたりするのは本当に恥ずかしいです。繰り返しますが武道です。剣道ならその一本は取り消されます。
・泣くのは本人の自由だ、感情の問題だから本人にもコントロール出来ないだろう。でも大会の進行の妨げになっていたことは事実、待っている選手のメンタルにも影響したはずだ。あの状態では本人には何も出来なかったと思われるので、コーチなどの関係者が他に与える影響を考えたしかるべき対応をすべきだった。
・武道とは言え1人の人間 そこには感情があります 悔しさが溢れ出る時もあります それがオリンピックで出てしまった これはやってる選手にしか解らない 感情だろう この為にやってきたと 言っても過言ではないのだから この一瞬の為に努力を してきたのだから 悔しさの表現は人それぞれ 人間らしさを観れるのも オリンピックの醍醐味
・全世界の人も同じ事をしたい気持ちでしょう 時間も推し次の試合にも影響及ぼし控室でして欲しい気持ちでした 畳から抱き上げられた姿は見たくもなく礼に始まり礼に終わる教育不足と甘えを感じました まだまだ世界の中でも日本は女性に甘い国だなと痛感し五輪は判定疑惑や納得していない選手も様々です 潔くして欲しかった気持ちです
・ハッキリ言って 号泣することになった理由が問題だ 察するに1本取られた瞬間に金メダルへの夢が なくなったという事実を彼女自身ではどうしても 受け入れ難くて思わず号泣したものと思われる 号泣した理由の背景にあるのは 大会2連覇とか 絶対に金メダル とか言う 勝利・メダル至上主義にあったと言わざるを得ない しかしオリンピックである以上 出場している選手全員に金メダルの可能性がある オリンピックで求められる精神とは たとえ想定外の敗北を喫したとしても 競技場では自分の感情をコントロールして 試合後の相手選手へのリスペクトや観客への感謝を 伝えられるレベルの精神なのだ! これを軽視する最近の風潮は大いに疑問だ スポーツとは 勝って嬉しいとか負けて悔しいとか それだけに終始するものではないのだ いずれにせよ 彼女はより強力な精神を持って次のオリンピックの舞台に立つはずだ! 今から楽しみである!
・そうです。 もう国際柔道には、武の道はないと感じます。 それを日本の柔道は武の道をもって制しようとしているのです。 日本から見れば美徳。 しかし海外からすればスポーツ。 日本の美徳、武の心とは多少異なる感覚。 文化の違い。その一言につきます。 見る角度が変われば評価も変わります。 あっちの国はあー言ってる、こっちはこー言ってる。賛否両論。それぞれの価値観で見ればよいと思います。 ただ詩ちゃんは残念だったけど、相手は世界ランク1位。策や運で取れるランクではないので、、、単に凄い試合だったと思う。勝つことだけが全て!だとすればそれは武の道からも外れます。日本側で武を唱えるならば、都合の良いところだけでなく心底武の道としてみてほしい。
・武士道を持ち出さなくてもあの場合、大会の進行に支障を来たすことは控えるのがスポーツ選手としてのマナーではないでしょうか。 感情を爆発させるのは試合会場ではなく控室まで堪えるべきだったと思います。
・日本人の良さって何でしょうか。あくまでもイメージの話です。 一般的には礼儀正しく潔いみたいな所があって、外国人からその部分を褒められると嬉しくなるものです。 最近は何でも自由だと言いますが、礼に始まり礼に終わる。柔道精神とか武士道とか武道がどうだとか言いますが、日本人はそれを求めるのです。 日本の武道はその精神を教えるのですから。 勝てばいいのではなく、人間としての強さとは何かを教えることがが重要なのでは無いでしょうか。武道を始める時にそんな話を聞きますけどね。 柔道がただのスポーツなら構いません。日本人がそれを忘れたらどうなんでしょうかね。日本人の価値、それは尊いものです。 美空ひばりの「柔」聞いてみてください。深いですよ。
・柔道と五輪の関係が問われている、スポーツなのか、武道なのか、ごちゃごちゃになっていて、泣いていいかダメなのか、ダメというなら日本の協会が感情を露わにするなかれと選手に徹底した方がいいし、さらに判定が難しい技がたくさんあり誤審も多くなる、五輪の審判団ともしっかり競技しもう一度しっかりと日本柔道はどういった方向でいきたいのか、日本は五輪に参加するにあたり、どうしていきたいのか、それによって参加や不参加を決断する時期に来ている。
・試合進行も妨げるし、 シクシク泣くなら、こちらも感情移入出来ますがあれだけのギャン泣きは 相手にも失礼とわたしには感じました。
子供の、グズった際のギャン泣きでも 不快に感じる人もいるでしょう。
見てる人を不快に思わせるような 過剰な感情表現はそうなる可能性が あることを、この方にもわかって欲しいです。
・高校野球なら、どんなに悔してもすぐに整列し、礼をし、相手の校歌を聞く。 次の試合の妨げになるということはあり得ない。10代の高校生にそこまでのことを求めるのはどうかということもあると思いますが、高校生ができることがなぜ…と、どうしても比べてしまいます。
・確かにメディアはスポーツに美談・感動を持ち込む事に躍起だが、この件は美談とは違う。「セルフコントロール」「相手へのリスペクト」の問題だ。仮にも武道と呼ばれる競技なら、尚の事重要である。
「スポーツ選手に対し過剰な清廉性や品行方正を求めるようになった」
この見解には条件付きで賛同するが、そもそもそう仕向けたのは「スポーツ界」だ。スポーツ界は自身の発展・繁栄(集客・集金)の為にスポーツを神聖化し、他の娯楽とは一線を画する「高尚なもの」「素晴らしいもの」「美しいもの」というイメージ戦略を行い、成功した。スポーツ神話など今に始まったことではないし、最近この手の問題や不祥事が増えたのは利己主義が進み、パワハラ云々で躾も出来なくなり、選手に対してグリップが効かなくなったに過ぎない。
スポーツなど本来美しいものではないが、今迄それを売りにしてきた以上、そこは貫いて貰う必要がある(アイドルと同じ)。
・それでもまだ批判をするコメント多いですね。 24歳の女性、立派な大人だという人もいますが、まだまだ未熟なところがいっぱいあると思うし、経験もまだまだ浅いところかもしれない。こんな負け方、こんな感情初めてだったのかもしれない。後に、この姿を本人が見た時、どう思うか?だいたいは、恥ずかしいと思うだろう、反省もするだろう、次回は恥をかかないようにと、成長していくものだとおもいます。
・泣くこと自体は問題ないと思うけど流石にあれは… 大半の人は負けるし、そのそれぞれが必死に練習してあの場所に立っている。悔しい思いをしている人も沢山いる。子供じゃないんだから、裏にはけるまで少しの我慢が必要だったと思う。
・どう感じるかはそれぞれで、全てを誹謗中傷と断じるのは違うと思うけど、本人は反省してるし周りが変な擁護はしないほうがいいと思う。詩さん絶対良くなれる! ただ当の選手たちに聞いてみたい。あれは美しいのかと。きっと賞賛はしないだろう。 あと部外者は黙れという意見も違う、オリンピックの本質が選手の為というか人類平和みたいなものだったはずで、各国税金も使ってるメッセージ性を持つエンタメとして成り立ってるのは否定もないから。
・まず、武道を主張すると言うのであれば、オリンピックの趣旨と武道としての柔道は、相容れない事を理解するべきだろう。 つまり、スポーツとしての柔道ならば、オリンピック精神と勝ち負けを競技としてとらえる事は問題がありません。 しかし、武道としての柔道ならば、勝ち負けを目的とするオリンピックとは相容れない事になります。 武道は、「己の修練の場」であり、勝ち負けを目的とはしていません。 なので、スポーツとしての柔道と、本来の柔道は別物として発展させるべきではと思います。
・長谷川さんの言うことすごく納得します。その通りだと思います。そのまんまはお叱りを受けるかもしれないなどと前置きまでしてどうなのかなと投げかけるような結局ははっきりと言わないどこまでも逃げ腰な物言いです。阿部詩は負けて号泣はしたものの試合中はとにかく攻めの姿勢でした。そのまんまのような人が柔道云々武士道らしいことを言ってほしくないです。都知事選で160万票取ってから人が変わってしまいました。
・もし、苦手な角田夏実選手から一本負けを喫していたら、あんなに泣かなかったのでは?って思ってしまった。 決して、泣く事が悪い訳では無い。 ただ、青畳の上やメディアが挙って取り上げるであろう場所で号泣し過ぎるのはちょっとなぁって感じました。 相手から技ありを取って、僅かな隙が出来た事は認めるしかないだろう。 甲子園球児が甲子園で負けて号泣するのと感情は同じなんだろうけど。 難題ですよね。 感じかたは様々だから
・スポーツマンシップが必要なのは当たり前ですし他選手や運営の邪魔にならないのも必要です、しかしあのシーンはもう自分でも制御出来なくなる程心が壊れかけたのだと思いますよ?
人生には大切な人との別れや長年目指した目標を少しの失敗で失ってしまったりなど、途方もない悲しみと悔しさで折れてしまう事もあるでしょう 詩選手にとってあの試合はそうだったのでしょう。 高齢のコーチが崩れ落ちそうになる詩選手の肩を支えながら2人でヨロヨロと去っていく後ろ姿が忘れられない…目に焼き付いてしまった
個々の状況構わず見境ない武士道精神や迷惑を死ぬ程毛嫌いする風潮に流されず、会場の声援コールと同じように日本の柔道界や政府より力のあるメディア側も受け止めてあげる懐の深さをお願いしたいです
・この話題を見ると、柔道の松本薫さんが負けた時に鬼の形相で「はらわたが煮えくり返る程(負けた自分に)腹が立ってます」ってインタビューに答えてて、鳥肌モノだったのを思い出します。 さすが野獣!カッコ良かったです。 それと水泳の田島寧子さんの「めっちゃ悔しいですぅ〜、金がいいですぅ〜」と答えてたのも印象深く、あっけらかんとしててなんてチャーミングなんだ!と関心したのを思い出します。
・柔道は武道からスポーツに変わっていったんだよ。 世界的なスポーツになる過程で、相手に指導を3回取らせて勝つという戦法が新たに生まれたんだと思ってます。柔道で勝つためには、この戦法にも順応するしかないのでは。
指導3回負けで不可解な負けと言ったところで、しかたないのかも。
・泣きそうになり泣くことを我慢することはよくありますよね。でも泣くのを我慢していたものが限界に達したときに溢れるように泣き出す事ってありませんか。そうなると自分で制御ができないケースもあります。 彼女は負けた瞬間驚いた表情でパニックのようにも見えました。それでも柔道家として礼に終わるまでは冷静を保とうと必死に耐えていたのではないかな。礼をしてコーチの顔を見て我に返り爆発したかのように感情が溢れ出てきたのではないでしょうか。 3年間の想いや、日本中からの期待も感じているでしょう。しかもメダルに届かない序盤での敗退。感情が溢れ出て立ってられないくらいのパニック状態になるのも分かるような気がします。 試合進行を妨げた件はまわりの人が協力してあげるべきだと思う。パニック状態の人間をコーチ一人が肩を貸して退場するのは簡単な事ではないでしょう。運営スタッフが協力してあげてもよかったのではないでしょうか。
・期待の大きい人ほど裏切られたとの思いが強い。そのストレスのはけ口がネットへの書き込み。性格の良い人は相手を労り、悪い人は社会的に問題になっているのを知りながらある事無い事で中傷する。収まりませんな。しかしこれも一時的なもの。確かに気持ちいいものではないが有名税と思ってどんと構えてやり過ごせばいい。言葉によって人生が左右されるなどあってはならない事です。
・元放送作家の人が「武士道」という頓珍漢な言葉を持ち出して、報道を混乱させている。 「武道」と「武士道」は大きく異なる。 「武士道」は、「主君のためなら、腹切りも名誉」という世界を意味している。こういった異なる概念を以て話を進めないでほしい。 誰も阿部選手に「武士道」など求めていない。 ただ、「武道」をやる以上は、負けることも覚悟で臨まなければならない。 負けた時の感情がどのようなものであれ、自分の感情(精神)を律することができるのが、「道」を追求する「武道家、柔道家」なのではないかということである。 勝負の世界において素人の子どもの試合でも、負けてあのレベルまで長い時間大号泣しているのを自分は見たことがない。 人気のある女性選手だからといって、日本社会の何割かの人が、「感情の吐露くらい普通」と同調するのだとしたら、傾きかけた岸田政権と同様に日本人の精神も傾きかけていると言わざるを得ない。
・阿部詩さんが冷静になってコメントしてた通りでいいんじゃないか。情けない姿をってね。 あの時は我を忘れて冷静さを失っていた。パニック状態だっただろう。 一夜明けてあの映像を自分で見たのか、それとも関係者の誰かに指摘されたのか知らないが一大人として、アスリートとして、柔道家としてあの態度は良くなかったと思ったんだと思うよ。 だから一応謝罪ということにしたと思う。別に謝らんでもいいけど自分なりに反省するとこだったんだよ。また団体戦に出るなら応援すればいいだけ。今度は嬉し泣きにしてくれるだろう。
・日本でのスポーツにおける根性論が未だに絶えない結果が、阿部選手への非難となって出ただけだろうね
数年前には絶滅したはずの、科学に基づかない『根性論』が再現してきたにすぎない
試合の進行を妨げたと言う批判は、何を根拠にしているのか全く不明 会場からの退出を指導されたと言うが、それは試合の進行を妨げたと言う根拠にはならない
コーチがそっと寄り添って場外へ連れて行こうとしていたよね
大勢の観客の前での阿部選手を思いやっての、心配りであったかも知れず、退出を指導した方の本当の心の中を確認もできていない者が、勝手に自分の判断で批判するのはルール違反も甚だしい
喜怒哀楽を表面に出さない日本人は、海外では少し気持ち悪くすら感じられている
数十年前の昔、高校野球でホームランを放った選手がガッツポーズをして「アウト」に事すらあった
その頃から何も進化できていない
・泣いたのが悪いわけではないです。悲鳴にも似た声を上げ歩けなくなるようなメンタルに問題があるのだと思います。 いろんな選手がやはり悔しくて泣いています。でも、一生懸命涙を拭い、気丈に振る舞ってインタビューにも答えている姿は感動します。 詩ちゃんは、甘えん坊の妹ちゃんからぬけきれていないのだと思います。今回の件で一回り大きくなれれば良いのではないでしょうか?
・テレビの放送は時代に、、。こう書くと、時代にって何?みたいのもあるのは事実かと。年齢や価値観によって色々なんだと思います。ただ思うのは情報、印象操作はあるのかなと。それはスポンサーや政治が絡んだり、ある一定層の受けを取らなければ成り立たない。というような背景があるのかなと。詩選手が成った行動は賛否があって当然で。でもそれが当然の世の中で。ただ、それだけ。個人的には今後も応援してます。
・日々平凡、生ぬるい環境にいるので想像でしかないが、格闘技はルールはあるものの、ある意味で戦争に近い気がします。五輪は国を背負って、やるかやられるかの極限状態で相手と組み合って、まさに日常ではありえない戦争の状態。試合後現実に戻ったら、それはもう気が緩んで感情任せに人目をはばからず泣き叫ぶ人がいてもおかしくない。先祖の侍とか武士とか綺麗に語る人多いけど、刀で人をあやめたりしていたんだから、とんでもなく殺伐としていた環境だったと思いますよ
・「悔しさを露わにする行為は理解できるが、 その場所と時間が適切ではなかった」 その通りだが周りの審判やコーチが早く宥めていれば良かった。 それをしなかったのは周りの責任だね。 観客も審判も不手際があると思う。 普段そんな立派ではない連中が匿名で言っているのもある。 何時までも非難するのは如何かな。
・何で、スポーツ選手は正々堂々とか爽やかなイメージなんだろう。スポーツ自体が相手の弱点を攻めたり、騙したり、フェイントかけたり、審判の目をごまかしたりする競技なのにさぁ。いい人で正直者で優しい性格の人間はスポーツしても、そこそこの成績しか残せないと思う。
・武道に限らず、 道のつくものはすべて、 その技術のみを極めるものではなく、 技術を学ぶ事を通して、 人としてどう生きるかを 求道して行くものでは。
その一つの柔道が、世界のオリンピックの競技になったのだから、 世界の理解が追いついてないからといって、 その精神性の部分を手放して、 世界の解釈に合わせなくてもよいのでは? むしろ、 柔道とは、こんなスポーツですよと、 理解を促していく必要があるのではないか。 (日本が元祖、一番のその真髄を知っているのだから。)
といって、詩さんを否定している訳ではなく、 詩さんも道半ば。今回の事も道を歩く過程で起きた事に過ぎないと思う。詩さんも、しばらくして我にかえったようだし。
ただ、詩さんのために、 武道の精神を否定したり軽いものにしようとすることはやめてほしい。 詩さんの感情を肯定する為に、 武道の道に対する考え方まで否定する必要はないと思う。
・今まで修練してきたことを試し合う=試合だよ、相手が居るから試し合えるんだから相手にも審判にも先生にも応援してくれる家族・友人にも関わってくれた人全てに感謝しなさい、と小中高やってきた剣道で教わった身としてはアレは敬意を欠く行為だと思う。
けれどそんなの阿部選手だって教わってきたことだろうし、それを忘れてしまうくらい悔しかったんだろうなと思うとこの議論に関してはどっち付かずの感情が生まれる。
・柔道をはじめ日本の武道は、格闘技やスポーツではありません。 道場や試合会場にあっては、試合に勝っても負けても相手を思いやり感情を抑えるものです。 海外の武道家の方が、より熱心に武士道を理解しようとされている方が多いのではないでしょうか。 悔しいのは当たり前ですが、場所をわきまえるべきでしょう。
・今まで修練してきたことを試し合う=試合だよ、相手が居るから試し合えるんだから相手にも審判にも先生にも応援してくれる家族・友人にも関わってくれた人全てに感謝しなさい、と小中高やってきた剣道で教わった身としてはアレは敬意を欠く行為だと思う。
けれどそんなの阿部選手だって教わってきたことだろうし、それを忘れてしまうくらい悔しかったんだろうなと思うとこの議論に関してはどっち付かずの感情が生まれる。
・泣くことが悪いのではなくて、次の選手達の試合を止めてまで、あの場でずっと泣き続けていた事が問題なのでは? 最初はかわいそうだと思っていたけど、なかなか会場から立ち去ろうとしないから、正直「長いな」と思って見ていた。 泣き喚いていた姿を報道陣に写真もバシバシ撮られていて気の毒だったし、コーチが抱き抱えてさっさと会場をあとにして、人の目のつかない所で好きなだけ泣かせてあげれば良かったのに。
・柔道や剣道、茶道などは、日本独自の精神性を求めるものであっていいと思います。 しかしオリンピックや他の競技会のJUDOは、いわゆる柔道とは異なるルールな訳ですから、別なスポーツ競技と捉えるべきなんでしょうね。
・悔しくて泣くのは当然でしよう。 オリンピックの為に必死に練習して挑んだ試合で負けたんですからね。 ただ全ての競技でもそうですが、メダルを取れるのはほんの一握りの選手だけで、取れなかった大半の選手はほぼ全員が負けが判明した途端に泣きたい気持ちで一杯で辛坊して控え室?で泣いたはずですね。 負けた選手の中には今後の生活が一変する人達も有るでしょうね。 オリンピックでの好成績が貧しい暮らしから抜け出す手立てだった人も有るんですよ。 詩選手の一生懸命やってきた気持ちから負けた絶望感は計り知れないでしょうがほとんどの選手がそうなって帰国するんですよ。 試合場は個人の技量を競う所で個人の自由にする所ではないでしょう。
・少なくとも柔道はいくらスポーツ化してるとは言え武道ですから、最低限の礼儀は小さい時から教わってきてるものだと思います。 まぁ、小学生の頃から教わってた道場の館長なりがあれを認めるのならそう言う指導の元で成長してこられたと言う事なので他人がとやかく言う事でも無いんでしょう。
・卓球の平野選手とか他の選手もやはり悔しくて涙を流してます。 確かに感情を吐露すること自体は、誰でも当たり前だと思います。 だけど、阿部選手以外の皆さんは、対戦相手にも周囲の方にも、誰にも迷惑をかけずに涙しているわけです。 武士道云々というか、一人でやっているわけではないスポーツの勝負において、相手への敬意は最低限、必要でしょう。 あの阿部選手の大泣きはそういったスポーツマンシップが欠けていたと思う人がいてもおかしくないと思いますよ。
・阿部詩選手は、時々テレビに出てバラエティでもインタビューを受けたりしてそれなりに露出していた人だから、コメントされやすいと思います。 露出を避けるタイプの人なら違ったと思います。 「無敵の怪物」になりたいとコメントされてましたが 怪物が泣いちゃいましたね。
・武士道と柔道は全く関係ありません、茶道が武士道と関係ありますか、書道が武士道と関係ありますか、本来なぜ道が付くか?その修行の中でいかに自分を昇華させ自分にかかわりあう、周りの人間も幸せに導くそれが道なんだと思います。武士道は主に武士と呼ばれる人間のあり方生き様を説いたものが武士道です(信義礼智心)を重んじる考え方。元放送作家さん一緒くたはよくないです。
・柔道をやっている人が、これは武道なんだと思っているのか、または、スポーツなんだと思っているかによって違う。 ただし、柔道、剣道や空手と言った種類の格闘技では、昇段試験の際、礼を失すると合格できない。 黒帯なら当然そのことはよく知っているはずで、しかも、超一流の選手で他の競技者の見本になるべきという立場で考えると自ずと答えは出るのではないか。 オリンピックは柔道ではなく、JUDOではあり武道ではなく単なる競技であるとすれば、そのルールの範囲でよろしいのではないか。
・私は柔道をスポーツとは思っていません。 柔道、剣道、茶道、華道、日本発の「道」は精神を錬磨するものだと思っていますし、強ければそれでいいとか、技量が高ければそれでいいとは思いません。 そこが日本人の良い部分であるし、日本の誇りだと思っています。 もちろん柔道を単なる競技として捉えている人もいるでしょうし、そうした人達が阿部詩選手の行動を擁護することも構わないと思います。 でも私は「道」が意味するものを捨ててはいけないものだと感じますし、今の若者には関係ないとか、理解されないというのは同じ日本人として悲しいですね。「道」の精神こそが日本人らしさだと思っていますので。
・詩さんの感情は止められないから批難はできないでしょうが、参加した選手全員にそれが許されてあちこちで居座って号泣されたら収拾がつかなくなるでしょう。 柔道や剣道、空手も今はスポーツなんでしょうが、やはり礼に始まり、礼に終わる競技であってほしい。 フェンシングも試合後の握手を拒否した人が失格になりますが、そういう勝敗以外のルールもありだと思います。
・自分も仕事でとても悔しい思いをして、泣き叫んだ事あります。人間本当に悔しい時、悲しい時おかしくなります。上司は何も言わず、ただただ側に居てくれました。 号泣している相手に対して、いちゃもん付ける悲しい人間にはならない様に生きて行きます。
・何の努力もしていない外野がとやかく言うことじゃないと思う。 その会場にいた人はちゃんと阿部詩さんの気持ちを慮って「詩コール」して励ましてあげていたので、ちょっとぐらい次の試合が遅れたって外国の方々は気にしません。 一生懸命練習して本番で負けた人を批判しないで「よく頑張った」って慰めてあげれば、負けた人も次は頑張ろうって気持ちになるのにね。
・色んな意見が、あってしかり。ですが 私も最初は阿部選手も何人も敗者を作ってきたのだから敗者は貴女のように泣いたでしょうか? と思いました。でもね。後でまた映像をみると 私も泣けてきましたね。やはり私は阿部選手が好きで応援してたのだと感じました。 一旦リセットしてまた前に進む阿部選手に 拍手を送りたい。
・オリンピック代表に選ばれるために子供のころから努力し続けてきて、金メダルを目指して練習し続けて、一つの試合で次に進むことのできないくやしさは凡人には分からないし想像もつかない。でも次のインタビューでは泣きはらして、すがすがしい顔をしていたと思います。それでいいのでは? またロスオリンピックに向かって努力されることでしょう。 悔しくてあんなに泣くぐらいの努力、少なくとも私はしたことがない。
・この件を議論するにあたって重要かつ抜けていることは、他の選手が”実際に”どう感じていたのかという部分。これについては他の選手が「邪魔だった」「迷惑だった」とコメントしていた事実(記事)は無いように思える(少なくとも僕は見ていないので、あるのであればどなたか教授してほしい)。 つまりここのコメントで「他の選手の邪魔」というのはあくまでも推測に過ぎず、何の論拠にもなっていないただの誹謗中傷と同じ行為。 僕は、あの会場の「ウタ」コールがあの場の雰囲気の全てだと思っています。
・阿部選手泣くのはいいんだよ、本当に一生懸命やってきて負けてしまった、悔しいから泣くいいんだけどあの場であれだけ時間かけてしまうと次の試合進行の妨げになり他の選手の迷惑になるから、あの行動が注目を浴びてしまっている。 でも柔道は礼に始まり礼で終わる訳でしょ 武士道的な物を求められても仕方がないと思う。これはあくまでも個人の考えです。
・J-CASTの執筆者に一言、発祥が日本の武道からであるから当たり前の事ですよ。 何を世界観面しているんですか、オリンピックで世界中の柔道かが一堂に競う様になってズレが生じて来たからオリンピック独自の規則が制定されたんです。 だからオリンピックのやり方に文句言ってはいけないのだけど、日本本来の柔道から広まった各国の中でも違っているよという選手が居るのは当たり前それが伝達された柔道と言う武道だから。 オリンピックでは日本古来の作法を行っていないのだから其処に日本を持ち込んでもいけないし日本人も日本有きの競技をしてはならない、当たり前の事が出来ていない世界中の人たちです。
・東京で兄妹で金メダルを取り、パリでも二人で金メダルを取る為に死に物狂いで稽古し、「勝って当たり前」みたいな空気で想像を絶するプレッシャーがあったと思う。
なのに優勢に試合を進めていたのに見事な「一本負け」。
負けた瞬間は何が起こったかを理解出来なかったと思う。
個人的には、阿部詩選手を批難する気にはなれない。
ただコーチは畳を下りて泣き崩れてる阿部詩選手を無理に立たせて少しでも早くバックヤード等に連れて行った方がよかったと思う。
あの長い時間の号泣映像は消えないんだから。
・まずは柔道はスポーツなのか武道なのかをハッキリして欲しい 私も剣道をやっていたけど必ず武士道の精神が存在します。 柔道がスポーツならスポーツマンシップを持ってれば良い。 ただ武道とするならばそうは行きません。 武道とは先ずは精神が大切・・少なくとも人前で泣きじゃくる行為は武士道に反する。 本放送作家だかなんだか知らないが、日本の伝統を舐めるな。 今まで何人の人が武道を極めんが為、武士道精神を学んだか・・
正直言って今や柔道はただの近代スポーツだと思う。 かっこいいからと都合の良い時だけ武道と言い、こんな時だけ武士道 なんて・・・と
負けて泣きたい気持ちは判るが、武道を志す者としては精神があまりにも未熟 剣道・空手・柔道・・とあるが柔道が一番武士道から離れていると感じる 仮に剣道で負けた選手が人前で泣くか? 武道やっている人間であり得ない
・ケルディヨロワ選手は完全な負け試合になるところを阿部詩選手の勝ちは動かないと観て流した審判団によってチャンスを得た。 見事詩選手の油断を突いて奇襲戦法的な谷落としを決め、一本を取りました。 運も味方したかも知れないが 、彼女の執念の賜物だと思うけど、敢えて詩選手は偉大なチャンピオンまと讃えるに留まった。 恐らくは真っ向から詩選手を圧倒出来る強さを求めて進んでいくであろうケルディヨロワ選手は本当に良いライバルだと思います。直前の強化合宿でも詩選手との乱取りを断り、仕上がり具合や恐らく奇襲の為の谷落としを見せないように警戒していたのに対して詩選手や協会はおおらかだったと思います。 お兄さんの言葉の意味を噛み締め、ケルディヨロワ選手との勝負の綾を悟り、自らの不覚を悟ったから泣いたんだと思います。 自分自身がなにより油断を悔やんだんじゃないかな。
・柔道の指導者は「柔道家として」とか「武道家として」という指導をしてるのではないのですかね? これを否定するのであれば根本的に指導者の指導方法を否定するということになりますが? 別に時代の流れと共に指導方法は進化していってもいいとは思いますので素人のコメントよりも柔道の指導者のコメントを聞きたいですね。
・そうだねぇ、泣いて良いとは思う。 泣きながら退場して、裏でもトイレでも控室でも誰かと最後は号泣していたら、良かったとは思う。泣き崩れて、やはり進行妨げたっていうのが1番問題なだけで。もし、阿部さんの前の試合でそんなことが起こったときにご自身はどうなんだろう?と平常心を保って試合出来る人と出来ない人もいるでしょう。 そこは世界から参加している大会、自分だけの大会や練習会、予選会ではないので、もう普通に大学、社会人のスポーツ選手はその点は考えなければと思う。皆さん、私達にはわからないとおっしゃるが、子育てや仕事も同じですよ、皆さん日頃からとんでもないプレッシャーやストレスと戦ってらっしゃる。何もオリンピック選手だけが特別と思われない方がよい。 生きてるだけで全世界の人ストレスと戦ってるのです、赤ちゃんから老人まで、特別はない。 もしあるとしたら、紛争地域の方々それ以外の事は普通です。
・武士道とかではなく、柔道をやっていると常に相手へ敬意を払うことや勝って奢らず、負けて腐らずといったようなことを教え込まれます。 それが柔道精神というようなものです。 ですから、詩選手も身についているはずなのに我を忘れて号泣してしまったのが指摘されたのだと思います。 スポーツマン云々とかは関係なく柔道家としての有り様の問題です。 柔道家として感情をコントロール出来ないことが問題なのです。
・五輪って世界最高のスポーツ選手を決める祭典だと思ってるんだけど、その最高峰の戦いで敗れた時に悔しさは抑え込めない時もあるんじゃなかろうか。それまでの途方もない苦労や辛さが報われぬまま終わるって、多くの人の想像を超える苦しさだと思う。確かにその場や時間を乱したかもしれない。でもそんなことで責める人は世界見渡してもそんなにいないんじゃないかなと思う。喜んで飛び跳ねる選手もいるわけだし、五輪の運営側もそんなの分かってる。文句言ってる人が一番多い国は日本じゃないかな?
勿論、それに甘えてはいけない。全選手が同じ振る舞いをすれば進行も大変になるわけだから。でもそれを責めるのは違う。五輪という舞台に立っている選手たちはそれほどの苦労と辛さを味わい、プライドを持ってあの場にいる。誰よりも真剣な人たちがあの場所にいる。ああいうふうになる選手がいることは、悪いことじゃない。あまりにも責められすぎだと思う。
・詞選手は大ケガからオリンピック出場までよく復活したものだと思います。 天才柔道家には耐え難い屈辱だったのでしょう。 凡人には分かりませんが、それだけの悔しさがあったのだろうとしか言えません。 でも、まだまだこれからです。 どん底から這い上がっていく姿を、これから四年間応援し続けます。
・いい事言うね。スポーツマンシップみたいなものは人として好きなんだけど、それは淡白であれという事では無いんだよね。 人を攻撃する情熱には感心できないけど100年も生きない生き物の活動だから、泣きなさい、笑いなさいの輝きも美しいよね
・>「スポーツ選手に対し過剰な清廉性や品行方正を求めるようになった気がしています」
嘆かわしい。刺青やピアスや茶髪や言葉遣いなどが問題視されたなら清廉性や品行方正を過剰に求めすぎという意見も分かるが、そんなもんは柔道選手に求められていない。
それぞれの批判を読めばすぐにわかるように、殆ど全ての批判は「最低限のマナー」を求めているだけ。とりわけ武道はその精神が大事にされており、Judo黎明期の90年代はともかく今では海外選手たちもその精神に共感して柔道というスポーツが国際的に普及している。
柔道に限らず多くのスポーツは勝負事であり、格闘技は激しく危険の伴う争いであるからこそ特に相手への敬意を払う振る舞いが強く求められる。そういうものがなかったねという話なのに、これ分からん日本人も増えてきたんだね。
・映像を見て、どう思ったかは人それぞれでいいと思う。 どう思ったかを求めてもいない相手に、誰かもわからない人が、ワザワザSNSで相手に伝える必要がない。そこには、こうあるべきだ!という悪意しかない。 選手の態度が悪かったとしたら、監督や協会、先輩などが選手と話し合うことであり、それを第三者が介入する必要も、求めてもいない。
どうしても意見したいなら、身近な人に、俺の意見は正しい!と聞いてもらえばいい
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