( 197865 ) 2024/08/03 14:41:07 0 00 ・不登校のまま、学力の高い高校に受験したい?ってどんなレアケース?
学力の高い高校に進学できたとして、しっかり登校できるの?普通はそう合った懸念があるから、通信制に通って、さらに勉強したければそこで大学受験を目指すんだよ。
内申はそれ自体問題もあるけど、不登校の子供の問題を解決するために、それを変えるのは反対だ。 嫌な目に遭いながらも頑張って通学して勉強している子たちが大多数であり、不登校だけど受験するというレアにたいして、彼らが左右されるのはおかしい。
・中学で不登校だった子は、高校でも不登校になる可能性が高いのが現実です。 全日制高校からしてみたら、ちゃんと通学できる子を採りたいと考えるのは自然なことだと思う。 もちろん、不登校の子にも再起のチャンスは必要。特に、いじめや病気で通いたくても通えない子に対しては。
ただし、通えなくてもなんとかなるのは、中学までなのも現実です。 高校、大学、、、ましてや就職したら、通えないけど給料ください!は通用しない。高校入試を緩くしても、どこかで壁にぶつかるということは教えていくべきだと思う。
・うちの会社にも学生時代不登校だった人を採用したことが有りますが、かなり控えめに言って「お荷物」になってしまいました。分からない事は自分の判断で勝手にやってミスをしたり、投げ出したりが当たり前で、業務上のチーム内のコミュニケーションも満足に取れない。出来る限り優しく注意すると子供の用に拗ねてしまい、上長がその件で本人と面談をすると「〇〇主任にひどく怒られた」などと言う始末。結局正社員なのにシュレッダー作業や社内郵便物の運搬くらいしか任せられる仕事がない状態。 不登校に寛容なのも結構だが、お勉強だけついて行けても社会に出たらポジション無いよ?結局「不登校に寛容さを!」ってのは学生期間の事しか考えてない取り組みだと思う。一番大事な社会人になってからという視点が欠落してる。
・いわゆるギフテッドの人とか、集団生活に向かないけど能力の高い人も少なからずいるのではないかと思います。ネットワークも発達していますし、通信制を全日制の下と位置づけるのではなく、ハイレベルな通信制学校を作るなどして、学校に通わなくても活躍できる道を作ってあげることが本人のためにも社会のためにも重要ではないかと思います。
・不登校の理由により考慮してあげたいと思うが、実際には、不登校が続いている以上、受け入れる高校側もその生徒を受け入れる事が出来ないなかで、受け入れるのもまた、無責任と言えるだろう。
一方、内申書ではすべての教科で共通する「態度」「取り組み姿勢」などは必要なのだろうか?とは思う。すべてをまとめての1つの評価でいい気がする。 精神的に発達している人ほど、このあたりはうまくやり、すべての教科で同じような評価を受ける。結果、オール4,オール5という人がまあまあいる。
中学生くらいだと、まだ精神的に幼い人もいるわけで、全員が「態度」や「姿勢」で先生が望むようなコミュニケーションが出来る人ばかりではない。 このあたりをまったく評価しない理由もないが、今の内申は各教科に「態度」「姿勢」の配分があるせいで、結果的に勉強自体よりも、先生達が望む態度等に比重が重くなってしまっている感じがある。
・高校は中学と違い、単位という考えがあり、授業への出席が足りないと定期テストで点を取ろうとも単位がもらえません。 そもそも不登校の生徒が、出席を必要とする高校に、不利益のないように入試を受け、普通に中学校に登校していた生徒が落ちる可能性がある仕組みには賛成できません。 倍率が1倍を切る学校や、通信制の学校を選ぶなど、今ある制度で十分なのではないかと思います。 そして働き方改革の観点から、中学校の先生に今以上の働きをさせることは酷なことだと感じます。
・長男は、小学校高学年から中学校まで不登校でした。当然成績はほとんどが1か2。 行きたい普通科の高校が見つかり、3年生から家庭教師をつけて何とか合格しました。 知らない顔ばかりの高校で水を得た魚のように元気になり、吹奏楽部の部長を勤めて卒業式で表彰までされて。 中学までがどんなに居心地が悪かったのか、よくわかりました。 可能性を狭められてしまう生徒が30万人もいるのは、制度が破綻していると言えます。定時制や通信制だけでなく、普通科ヘの選択肢を持たせてやってほしいです。
・大学にもAO入試があるように、高校受験にも出席率を考慮せず試験成績のみで選抜するなど多様な選抜方法があっても良いかと思っている。 私の自治体では公立高校受験で重視される内申が部活10割と言われていた。強制的にどれか入部しないといけない運動部しかなく、一度入部すると変更が出来ない。スポーツが出来ない生徒や不登校の子も部活の成績や参加率が低いので不利。 国立や私立は内申を考慮しないところもあり、逃げ場があってよかったと思ってる。
・無理な事はしなくて良いと教えられておられるのか分かりませんが、社会に出れば理不尽や不条理に突然巻き込まれる事なんて学生の間どころではない日常の様々な場であるんですよ? 学生期間と言うのは社会に出る為の練習の側面があるので、不登校になったからと、特別扱いしなければならないんですか? 内申点が低くなりがちなのは、評価出来ないからでしょう? 評価出来る制度を作ってくれではなく、自分を他に合わせる事を学ぶ事が必要だと考えます。 こういう事を要求するから、教職員の作業量がどんどん増えて時間外労働が180時間超えとか、あり得ない勤務時間になって追い詰めてしまう事になるんです。 一度の失敗で止まってしまった人間が克服して次に進む為には問題を解決する能力を発達させる必要があるんです。止まったまま次へ進ませる事は出来ないので、必要な事は制度を変えるんじゃなく、不登校を克服させる事です。
・学校はそこに登校してきた児童生徒に教育を施す場所です。いじめにあって来れなくなった子については別ですが、それ以外に原因がある不登校の子にまで教育はできません。
日本国憲法には保護者は子どもに教育を受けさせる義務があると書かれています。 つまり、学校に来れない子については学校外で保護者が相応の教育を受けさせなければなりません。 その子の将来を考えていろいろな機関に相談していくのは保護者の責任です。調査書の件も入試時に扱う比重が少ない学校を探しましょう。
・『不登校に寛容な学校を増やす』のは賛成するが、やり過ぎに注意が必要だと思う。
不登校になる人には、様々な理由があり、画一的な対策は無いとおもう。 そのため、学校側に今以上の「不登校に対する理解」が求められる。
一方で、枠を設けるなどは逆差別になりなりかねない。 単純に「こうすれば正解」と言うのは無く、微妙なバランスが求められ、しかも正解が無いため、最高のバランスでも批判が出るだろう。
議論を重ね、常に最適解を探さ続ける、これしか無いと思う。
・高校入試に求められる点に平等な評価がある。不登校で特別活動や体育に不参加の子と全てに参加した子をどのように評価するのか。不合格者を出す必要のない学校、科なら良いが不合格者を出す必要があれば、評価方法を明確にしなければならない。 また、仮に合格できて入学したとしても、その多くは不登校になってします。全日制の学校では授業の出席が大前提。出席日数が基準に届かなければ評価の対象にならない。 また、不登校の生徒をクラスに持つ担任は、家庭訪問や欠席した授業のフォローで大変な負担になる。担任の持てる力はひとつ。不登校の生徒に力を割けば他の生徒にまわす力は自ずと小さくなる。 不登校の生徒の為に通信制や午前、午後だけ登校する学校、修業年限を設けず単位取得で卒業できる学校など様々である。県や学校に柔軟性を求めるのでなく、生徒自身が柔軟に発想してはどうだろうか。
・定時制の高校に勤務しています。様々な背景を持つ生徒がいますが、中でも起立性調節障害で朝起きられず中学校の時はほとんど学校に行っていなかった生徒もかなりいます。そのような生徒たちも夕方からの定時制高校ではほぼ皆勤で過ごすことが多いのです。夕方から学校で学び体力と学力を少しずつ身につけて、体のリズムを整えていきます。本当に何人もそのような生徒を見てきました。 ただ、義務教育段階で身につけるべきことを高校で取り戻すのはなかなか難しいし大変です。
そもそも義務教育をほぼ学校に行かず卒業させるのはどうかと思います。今ある夜間中学のコンセプトではなく、定時制高校のように早めの夕方から始まる定時制中学校を設置してはいかがでしょうか?問題はあると思いますが、夜間中学校が存在しているのならば可能なのではないでしょうか?
・内申も地域で全く違うようですね。 我が子のところは、やはり当日の試験の配分の方が高いです。内申の影響があるとしたら、当日のテストの点が同じで、次は内申での判断…くらいの感覚かもしれません。 そもそも学校生活が苦手のようで、定時制の選択なのでしょうが、今はN高というようなのもありますし、色々選択肢を持つことが大切かなと思います。 どの子も学校が合わなくなる、という可能性はありますので、大学までの道をこうならねば…と考えるのでなく、どんな道が他にあるのか…探すことも大事でしょうね。
・当然学校や、その後の社会出ても不登校の人を積極的に受け入れるのは難しいと思う。それは差別でも偏見でもなくリスクオフです。会社は雇う以上労働者に一定以上の責任がのしかかります。あえてそういう人を採用するメリットは無いです。行きたい高校があったとしても、やはり評定には事実を書くべきです。それでも受け入れてくれる学校なら、それはそれで良かったねって事ですね。チャンスは平等にあるけど、それを掴むには少なからず努力が必要かと思う。自分にあった学校や仕事を探したほうが将来のためになると思う。
・高校で音楽を担当していました。 多くの自治体の中学校の内申点は「保健体育」「技術家庭」「音楽」「美術」の比率を高くしています。昭和の中頃まではこの科目も入試にあったのですが、昭和40年頃を境になくなりました。その代わりに内申点を高くした都道府県が多かったと思います。 問題点は、不登校になるとこの実技4教科は学習しないのです。学習しないまま高校に入って類似教科を受けることになります。厳しいですね。 ある勤務校で中学校で不登校の子を受け入れたことがありました。3年間無事に過ごして国立大学に行きました。確かに成功例は結構あります。
・元教員です。現実的な解決策として公設の不登校支援施設の活用を考えてはどうでしょう。私の勤務した2つの市には存在しました。数も施設も教育内容も関係者の努力などもあって、年々充実してきていることを聞いています。何より出席扱いになり、斜線にもオール1にもなりません。私立のフリースクールや塾の場合は出席扱いにならない場合もあります。市町村によって考え方が違うことがありますが、文科省の方針として出席扱いの施設をできるだけ増やす方針が出されています。一度はチャレンジしてみる価値はあると思います。
・高校教員です。不登校傾向にあった生徒、障害による特別支援の合理的配慮を要する生徒など入学生は多様になります。実際はただでさえ多忙で病気による休職者も複数おり、教員人数が足りません。保健室指導や別室での試験対応等で授業準備の時間さえ取れなくなる教員が増える現状を知ってほしいです。授業の空き時間に行えた業務を部活終了後の夜間に行うことになります。残業時間が月当たり120〜170時間になる教員が多い私の学校では、個別対応はマンパワー頼りであり、いつ誰が心身の不調から病気休職してもおかしくない現状です。様々な生徒に合わせ、通信制や特別支援学校が存在し、適切な課程でゆっくり丁寧に指導や支援を施すことに意味があります。自分の子どもを無理に全日制の課程に送ろうとする保護者のエゴや現実逃避が垣間見えることもあります。これらは不登校や障害に対する理解不足や逆差別になることがあると思います。
・エキスパートの石川一郎さんの意見に素直に賛成です。
高校は義務教育ではないため、意欲がある、学校運営にプラスになる、学校生活楽しんでくれる生徒を集めたいというのが、偽らざる本音であり、それは大学も会社も同じ、その指標の一つが内申であると思います。
学校の先生から一度怒られた事で通学自体がままならなくなる生徒を積極的に受け入れても、結局高校は年間の出席日数や成績によって留年もあるわけで、中学以上に社会性や自己管理力が求められる。 そんな中に色々な選択肢を与えてくれるのが通信制なわけで、内申や成績をあまり重視せず、自由な通信制を選んだらいいと思う。 大学合格実績が高い通信制のエリート校が彼女に本当にあっているのか、本人が本当に願っているのか?大学入学目指すだけなら、大検だってあるわけで。 内申に必死になる理由がいまいちわからないですよね。
・高校生と中学生の子をもつ親です。義務教育の期間なんだから、不登校の時点で内申点が下がるのは仕方ないのではないでしょうか。公立高校が全てではなく、内申点が悪くても入れる私立高校はたくさんあると思います。そこまで寛容になる必要はないと思います。
・特別枠とか枠を設けて一般受験者が狭き門になるのはちょっとどうかと。 大学受験では既に半数が一般受験以外の推薦枠等で入学しており、頑張って受験勉強してきた子たちが受験する時点で残り半分の枠を取り合っているのを考えると可哀そうになる。 結局社会に出れば、個々の事情で特別待遇など受けられないわけで、学生のうちであっても自らの行動が自らへ結果として帰ってくるのは受け入れないといけないのではないか。 昔とは不登校に対する考え方が変わってきているが、登校という行為そのものも生徒のやるべき事である以上、程度問題はあるだろうが不登校はデメリットになるのは当たり前だろう。
・いじめでの不登校を除けば、不登校の子の一定数が対人関係の対応力に乏しいということは明らかです。そういう意味では学力があるなしにかかわらず学校へ行って学ぶと言うことに困難性が顕著なわけで、受験に際しては平等を重んじることは必要ですが、たとえそれで合格したとしても高校へ通えるかと言えばそれはまた別の話です。この子たちに必要なのは支援のありかたを有効なものにする。それが大事。対人関係がさほど上手でなくても能力を活用できるような仕事=生活の原資を作ってあげることが必要です。
・私の住む県の高校受験はほぼ点数で決まるときいています。 知り合いの子供さんは不登校ですが、塾には通っていて勉強はできるようで県でトップの高校を目標にしているそうです。 親御さんも下調べはかなり徹底しているようで、 点数さえ取っていれば大丈夫!というスタンスで なんだかなぁ…と思ってしまいます。 学校に通うという基本的な事ができないのに、 勉強ができるというだけで希望の学校に行けちゃうのね。 だったらみんな嫌な行事や授業休んで塾行って学力カバーして点数さえ取ってたら学校に行く必要性がなくなってきますよね。 真面目に毎日通っている生徒があほらしーって思わないように考慮してほしいです。
・在住する都道府県により公立高校の入試要項は異なります。今日では不登校などの事情に寛容性を示している地域は増えています。私立高校はその学校の方針により過年度生や不登校の生徒を受け入れない学校が今も多くありますが、諸事情を考慮してくれる高校も存在します。また、入学後に不登校になる生徒のケアができることもあって全日制の私立高校が通信制の課程を最近になって併設するようになったところも少しずつですが増えています。 不登校などで将来の高校受験に不安を持つ方はそれなりの数がいらっしゃるでしょうが、まずはお住まいの地域の複数の教育機関に問い合わせてみてください。ぶっちゃけた話、学校の担任の先生は知識や考え方が人によってまちまちです。同じ学校の先生でも複数の方の意見を得る機会を持ったり、不登校などの支援をする市町村の施設、不登校の生徒を支援する学習塾など様々な機関から情報を得ることをお勧めします。
・イジメで私立高校1年で不登校になり、予備校に入り浸り、大検受けて医者になった知り合いがいます。人の痛みが分かる良い医者です。 元々の頭の良さがあったにも関わらず学校が合わないというのはあることです。教師とも合わない、教師も何もしてくれない。 教師を当てにすることを止めて、やりたい仕事に就けるにはどうすれば良いかを考えたと言います。教師のレベルが絶望的に低下している今の学校に振り回されて人生を台無しにされるなら、別の歩み方を用意して上げるのも大切なことです。
・教育業界関係者です。 これを言い出すのなら、高校入試をなくすしかない。 学校に行っていない、学力が高いわけでもない、何か一芸に秀でているわけでもない。そういった生徒が選ばれるような選抜試験なんて作りようがない。 地方では、公立高校が定員割れをしまくりで、地域トップの進学校でも全員合格をしてしまっている中、本来その高校についていける学力がない生徒が苦しい思いをして、指導する側も難しい対応をしている中です。 きちんと学力や習慣など、自分に合った環境で努力をするのがいいと思います。それを学校・生徒の本人の双方が選別するのが入学試験です。特別枠など作らない方がお互いのため。
・元中学校教員です。高校入試のためにたくさんの調査書(内申書)を書いてきました。ハッキリ言って、欠席日数が多い生徒は入試に不利です。ところが、欠席日数が多い生徒でも一人一人の事情はそれぞれです。病気・事故の場合、家庭環境の激変、・・・。その場合は調査書には具体的な事情は記入できないので、願書と調査書を高校に提出した後で、長期欠席の詳細を高校側の担当者を訪問して、直接口頭と文書で伝え、入試での配慮をお願いしてきました。ところが、長期欠席の理由が生活習慣の乱れなどの場合は、高校側に説明はしません。
・やむを得ない不登校(いじめ、病気など)についてはある程度の配慮は必要だと思いますが、コミュニティへの不適合についてまで配慮するのは無理があるように思います。 「学校には行きたくない、けど良い進路に進みたいから成績は高めにほしい」自体がロジックとしておかしいですよね。 そもそも学校は勉強だけ教える場ではなく社会性の獲得の為のものではないでしょうか。 やむを得ないものは別として、まずはどうしたら学校に行けるか、全部の授業が無理なら少しでも良いなどの環境を整えることの方が大切なのではないでしょうか。
・不登校の子は現状、通信か定時制、または私立に行くことが多いと思います。 選択肢としたら、現状でもこれだけある。 全日制の公立校なんかに特別枠を設けるのも良いですが、まず全日制にきちんと通えるのかの問題は学校側で解決できることでもないと思う。 現在いじめ等理由が明確で不登校になる子よりも、理由が不明瞭な子が多い。 我が子の小中では、完全不登校よりも別室やフリースクールが多かった。 小学校でフリースクール行っていた子で 私立の中学に行った子もいます。 その後ちゃんと行っているかはわかりませんが。
・これは難しい問題。毎日決まった時間に、暑さや寒さの中時間をかけて登校して、授業を受けたり委員会や部活で頑張る姿を先生がきちんと見ることのできる生徒と、登校せず日頃何をしているか分からない生徒の評価が同列に扱われるのは、前者からすれば納得いかないと思う。学校に行かなくても成績さえ残せば評価が同じようにもらえるというのなら、誰も学校にわざわざ足を運んで頑張ろうとは思わないだろうし、ホームスクーリングができる金銭的余裕のある家庭とそうでない家庭に大幅に差もでる。不登校というといじめや家庭に問題がある場合もあるけれど、実際は面倒くさいとかなんとなく嫌とか、それこそゆたぼんみたいなパターンの人もいて、それら全てが「不登校」と一括りにされ、救済すべき立場として扱われるのもどうなのかなと思う。
・うちにも不登校児いますけど、そういうもの(内申点ゼロ的な)は当然だろうなと思って不登校させてるし、本人にも折に触れて言っています。それでも良いから学校行きたくないって言うんだから、本人には現実をしっかり受け止めてもらいます。
学校へ行くことが是であるこの世の中で、行けてないんだから不利なのは当然で仕方のないこと。昔に比べて通信制や定時制、不登校児を中心に受け入れてくれる学校が増えているだけで十分ありがたいことだと思っています。それに特別枠で入れたとして、今まで不登校だった子が切り替えて通学できるかも疑問ですし…。
・高校は義務教育ではない点や受験の際に学問以外の点で受験生を評価し、その高校の入学の是非をはかります。
一方で、 不登校の方は、不登校というその人の特徴の1つとして、それは、調査書に記載はされます。 高校は筆記試験結果のみならず、内申書や調査書などトータルで受験生を評価していく時代です。不登校の特徴の子を不合格にする学校もあるのは普通のことですし、合格にする高校もあるでしょう。
他方で、大学の場合、同じく義務教育でないです。欠席が多いと基本的には単位が取れず、その教科の単位が取れず、進級の是非や最終的には退学につながるというシンプルなシステムです。
つまり、高校以上は自由教育域であり、行く側も、受け入れる側も双方の意思次第であるシンプルなシステムです。 ことさら不登校の特徴がある子を特別視するのは、違和感を感じます。
・現職(高校)37年です。 今の高校は入試で「不登校枠」があります。 私が担任したクラスでは4人が精神疾患の診断書を提出していて、 中学時代から不登校(傾向)でした。 担任をするとやはり親心のような情が湧くもので、 本人や親との電話連絡や家庭訪問、カウンセリングの仲介など、 本来の授業準備や分掌の仕事を後回しにして面倒を見てしまうもの。 大学入試も大学と連携して相当なケアをするのですが、 結果は全員進学を決めて卒業していきました。 学力は様々でしたが、早慶レベルの生徒もいるのは事実。 個別に教えていると良い質問をするしこちらも楽しい。 逆に悪くすれば退学や自殺というのもまた事実で、 要は現場に予算(人)をつければ、 受け入れは可能で意欲ある職員もまだ残っている。 労働環境を(やっと)指摘してくれる今の世論には感謝であるけれど、 名もない若者を少しでも羽ばたかせる仕事は良い思い出にもなります。
・公立高校に関しては、試験当日の点数が他の受験生に比べ非常に高ければ不登校の生徒でも合格する可能性はあります。ただ、進学校では受験者の殆どが高い点数をとるので不登校の生徒がそれを上回るというのはほぼ不可能です。また、比較的入りやすい高校に合格出来ても3年間続けられる生徒は一部で殆どの場合途中で退学してしまいます。どうやって壁を破れるかは自分次第。 因みに通知表の成績は絶対評価です。余程のことが無い限り「1」はつきません。「殆ど授業に出ていない」「テストの点が著しく悪い(例えば20点以下)」「テストの点が悪く授業態度も目に余る」等の理由があって「1」になっているはずです。
・大学入試でも、単純なテストの優劣だけで、合格を決める数が減っています。指定校推薦、学校推薦、AO入試など、高校時代に学校で何を頑張ってきたか、高校の先生にどう評価されたかを加味して合否を判定します。調査書が良くなければ、高校に行けないのではありません。難関大学進学を目指す都立進学校に行くのが難しいだけで、いける都立高校はあります。また、高校に行かなかったとしても認定試験で大学受験のチャンスは手に入ります。 単に、先生の言うことは聞かず提出物を出さなかったり、成績が悪かったり、周りともめごとばかり起こしている人と、同じ高校に行くのが嫌なだけなのではないですか。
・高校なんか無理してまで行くところじゃないよ。 少し成長した生意気な子供たちが、スクールカーストに踊らされて、勉強がおろそかになったり、人間不信になったりするでしょ。 さらに不登校に拍車がかかる可能性があるよね。偏見だけど。 高等学校卒業程度認定試験に合格して、難関大学や国家資格取得を目指してはいかがでしょうか。同じ境遇の仲間とつながって、研鑽しあうのもいいよね。 ネットやAIを駆使すれば、受験勉強はどこでもできる。 いずれにしても、自分の人生は自分で切り開くしかありませんから。
・厳しいことを言うようだが私もその湯女子を見て何とか高校に行けるようにしたことがある。しかし、結局高校にはいってもまた同じことの繰り返しが始まる。発達障害であればなおのことだ。現場の先生方はそのことは周知しているはずだ。であれば、高校という選択ではなく、生きるための就職や技術習得の方が長い目で見てその子の人生のためではなかろうか?内申点が1であるのは定期テストを受けなければ当たり前だ。賢さややる気ばかりに目を向けるのではなく、自分の得意分野を見つけ出し社会に「役に立つ」ところで頑張れるように指導することが大人の役目であるように私は思う。みんなが言っている高校に行きたいのであれば、同じ努力は必要である。だが、それを必要としない高校もあるので、それを見つけて選択するのも一つである。みんなと違うことをしている子がその子たちと同じものを手に入れるのは、難しいこと。理解を得られることも時間を要する。
・うちの子は、東京都で公立で中学3年間不登校でした。一緒に学校に行って進路指導室で勉強しましたが、ほとんど行けませんでした。 東京都は、チャレンジ校というのがあり内申関係なく作文と面接のみで受験出来ました。 学校が遠いと通えなくなるので、思い切って近くに引越しました。環境も変わり知っている人もいないのでリセット出来たようです。 結局3年間皆勤で成績優秀賞も頂き、卒業後は保育の専門学校に行き、今は児童館職員をしております。皆さんの話をみるとレアなことだったんだと改めて思いました。暗いトンネルを歩いてるような感じでしたが、通信ではなく通学を選んだおかげで自信を取り戻せたような気がします。チャレンジ校みたいな学校が増えるといいなと思います。
・難しいことなんだけど、 しんどくてもツラくても這うようにして登校してる子、体調不良でもテスト勉強頑張り当日も必死で挑戦してる子、苦手が多くても得意な教科一生懸命やってる子、全教科駄目でも委員会や部活やってる子、教室に通えなくても別室登校したり、学校と連携してくれるサポート校に通い、出席日数を稼いでる子、いろんな子達が頑張ってるんだよね。 最近はホームスクーリングを提唱してるサポート校もある。 七海さんと親御さんの気持ちはよく分かるけど、世の中一人一人の障害に理解してくれるわけでないからね。 うちも昨年度トータル一ヶ月分欠席した。様々な理由から心身ともにどうにもならなかったから。今年度受験生。問い合わせたら欠席日数より成績をおさめることが重要とのこと。今年はなんとか頑張って通学してる。 自治体ごとに違うかもだが、七海さんも勉強頑張ろう!夏は復習と定着できるいいチャンスだよ!共に頑張ろうね。
・小学校や中学校で不登校だった子がどうして高校には進学したいのか、そこを掘り下げて欲しい。学校だけが学びの場ではないことを知っている大人たちが増えてきて、フリースクールや専門の塾などの仕組みも充実してきている中にあって、敢えて苦手な学校というシステムにまた足を踏み入れようとしているのはなぜか。大学受験のためといっても高校に進学するだけが方法ではないにも関わらずだ。 学校は社会の中の一つの仕組みでしかないのだからそれに適応できないからと言って人生が終わるわけではない。そしてその仕組みの枠組みで付けられる内申点に限界があるのも当たり前。だから周りは内申点という狭い世界のシステムに文句を言うより、まずは学校だけではない選択肢もしっかりと提示すべきなのではないか。それでもなお進学を希望するなら、その仕組みの中でどのように生活するか、入試後も見据えてビジョンを明確にさせるべきだろう。
・息子の同級生は、小5の後半で先生の圧が酷くて不登校になり、中学校に進学しても「学校」という場所が嫌いで、とうとう3年間来なかった。 中3の親子レクで、3年間のスライドショーを作ったけど、その子と親御さんに聞いて、桜の下で学生服を来た姿の写真を載せていいか聞いてみたら、一枚だけ載せて欲しいと言われた。在籍してた証だって。 スライドでその子の姿が一瞬見えると、クラスの皆んなが喜んで「いつの間に撮ったの!元気な姿で良かった!言ってくれたら会いたかったのに!」と歓声が上がった。 その子はこっそり学校に何度か来て、自宅で勉強を頑張り宿題を提出し、県内有数の進学校に合格。家にいながら自分のペースで進路を見据えて、本当に頑張ってた。
不登校の理由はそれぞれかもしれないけど、甘えが原因なら何らかの方法で正す必要があると思うけど、彼のようなケースなら学校も対処できると思う。
・不登校でもいいですよという学校に学力選抜入試を受けて合否を決めてもらえるようにすればいい。 その代わり不登校受け入れ不可の高校だってあっていい。不登校の子に指導時間と労力を奪われず全員に指導が行き届かせたい高校にも言い分はあるし、不登校でない子だけで学びたいという子どもの権利も守られるべき。
・何らかの配慮を考える必要もあるかもしれないが、一番大切なのは真面目に学校に通い続け、その上で受験も頑張った子たち。 あくまでこの子たちが絶対に不利にならないような制度なら色々考えてみる価値があると思う。
・元教職(高校)です。中学で学校に行けなくなった生徒には様々な理由があると思います。不登校になったことを否定するつもりはありません。ただ、高校でそれなりの覚悟がないと高校でも同じことが繰り返されることが多いです。今は通信制など学びが多様化していますので、偏差値のレベルより、自分に合った学校を選ぶべきだとおもいます。どこに行くかよりどう過ごして卒業するかだと思います。
・不登校の子の受け皿として、通信制の高校も一つの手だし実際大勢進学しているはず。 不登校の理由は実に様々でひとまとめには出来ないものの、行きたくない時もちゃんと登校し授業や行事に参加、テストや課題をこなして評価を受けている子たちと同等に、は不公平でしょう。 カウンセリング等受けながら通信制や自由な校風の私立高等で社会に出る準備を始めたら良いと思う。公立の定員割れ底辺高に入れてやれば?ってのは反対。逆効果だよね。
・小学校、中学、高校ですら、もはや学歴ではない。 学歴と呼べるのは大学からである。そして大学の受験資格は、大検という純粋な試験のみで与えられる。わが国では、試験のみで大学への門戸は開かれているのだ。 だから、義務教育で学校に行けなかったとしても、なんら負い目を感じる必要はない。大学で、学びたいことができたら、大いに挑戦して欲しいと思う。
・高1の親です。 中学の1年半不登校でした。内申1は当然だと思います。 下の子が中学に入学し日々努力する姿を見て特にそう思うようになりました。
高校選びは最初から全日制は外しましたが、全日制のような情報は少なく中学の教員も情報を持っていない為とても苦労しました。
登校日数が選べる通信制は年間80万円位かかります。しかも単願がほとんどでした。 運良く入学できたのは公立高校の定時制(倍率1.8)。単位制で教員の人数が全日制に比べ圧倒的に多く、スクールカウンセラーは2人常駐。6割が不登校経験者です。経済的、福祉等で支援が必要な子もいます。ごく僅かに有名大学へ入学する子もいるようですが早くから塾などに通っているとの事でした。
ヤフコメ欄、不寛容な今の世の中を表してますね。 不登校に否定的な言動が多いけど、やり直せる場所もあるし本人次第だということも分かってほしいです。まだ学生ですよ?
・不登校の理由は背景は人それぞれだけれども、登校していない以上、内申点が付かないのはしょうがないのではないかと。評価できないもの。 内申見ないで当日テストのみで判定の高校とかもあるし、そういう人はそういうとこ受けたほうがいい。 ただ、中学で不登校の人は、人間関係と環境を一新して高校に進んでもやっぱり不登校になる率が高い。 ちょっと前に、行事だけ参加して事前の準備なども一切来ない不登校児のためにクラスメイトが当日のお世話係として犠牲になっているというのもあったけど、やっぱりそこは区別すべきだと思う。 差別じゃなくて区別ですから。
・多様性を認めるのは正しいのかもしれませんが、どうも最近の日本はマイノリティ優遇が過ぎると感じます。この記事の不登校生の問題ですが、そもそも高校以降は義務教育ではありません。中学までは不登校であっても退学にならず卒業できますが高校は留年も退学もありえます。自分の周りでも高校に入学後にもやはり登校できず辞めていく子もみてきました。 中学に投稿できていない状況で、それでも進学校を受験したい、と言うのは本人の希望なのでしょうか?家庭や周りの環境がその道を選ばせているのでは。 入試は判定基準を明白にし、公平に行われるべきで、内心を利用しない不登校生枠と言うのを設けるのであれば、それは既存の枠の別にプラスアルファで増やすくらいのことをしなければ、我慢してでも3年間通学し受験に臨んだ子供が可哀想です。
・学校は社会に出る為の練習の場です。不登校で進学出来無いことを選んだのは、自身でしょう。会社でも出勤していない人は給料を貰え無いことと同じでしょう。不登校で不利益を被るなら、我慢して登校するか、フリースクールに通うか。選択肢はあります。状況を直す努力をしてから言うべきです。
・なかなか難しい問題 いじめや人間関係で無理してしまうより、学校へ行かない選択の幅をとも考えるけれど 仮に問題児で学校へ行きたくなくて行かない割に頭がやたらといい場合もある それでも端からみたら、出席していないことになる
色んなトラブルがあっても何とか登校してる子もいるから出席を評価されるべきではないかなと思ったりもする
それに目先の登校不登校でなく最終的な目標は人として自立することなのだから、不登校のままでは恐らく就職など困ってしまうだろうし 難しい問題だなと思う
・不登校の生徒の進学先という課題は、一昔前より選択肢は大分広がっていると思います。「調査書の壁」とありますが、中学校はあったことを書く(=調査書)わけですから今も昔も変わっていません。変わったのは、高校側の受け取り方です。調査書は気にしません…という立場で生徒を募集している学校が増えたということが今と昔の違いです。ただ、学校側も入学したはいいが「お金」を払ってくれなくなる(=退学)と利益が減るわけで、そこの見極めを受験時に判断するわけです。ただ、数年後に社会に出て行く中で「特別枠」なんて用意できるわけもなく、保護者の庇護もいつまでも続けられるわけもない。いつ適応できるようになるのか…、そっちの対応の方が社会的な問題だと思います。生活保護?支援金?様々なものが現在の体制でもありますが、そのほとんどが税金ですよね?高校入学だけの問題ではないと思います。
・高校生の娘の友人にも中1から不登校の子がいます。中3だけは何とか頑張って学校へ行って内申点をもらい全日制高校に進学しました。が、高校でも不登校となり出席日数が足りなくて退学→通信制高校へ変わったようです。 不登校の理由にもよりますが、高校へ入ったら問題なく通えるとは限りません。 中学校側が進学のために内申点を何とかするのではなく、受け入れる高校側が不登校に対応してくれないと意味がないのではないのでしょうか。
・我が家にも中3の子どもがいます。 今年度から、受験調査書に出欠席の日数は記入しないこととなりました。 我が子は不登校ではありません。 が、学校が楽しくて仕方ないわけでもありません。 毎日「めんどくさー」と暑い中登校しています。 登校している子は授業の他にも当番活動や生徒会役員、校内清掃なども頑張っています。 不登校の子どもの進路を狭めて欲しいわけではないですが、登校している子どもに加点はしてあげて欲しいと思います。
・コロナ以降、一段と不登校は増えた印象です。現在では道は一つではないので、単位制や通信制など自分にあった学校を選べばいいと思います。就職も然りで、自分で起業する力をつけるとか、一人でできる仕事を探していけばいいと思います。要は自分の(子どもの)適性に早く気づくことです。そこに気づかず、全日制普通高校、大手総合大学、一般企業を目指すからお互いに大変になってしまうのではないか、、、
・不登校の児童や生徒多いですよね。 もうずいぶん前から、無理やり学校に行かせるのはやらなくなってますね。
都道府県によっては、調査書(いわゆる内申書)と当日の試験点を、10:0や0:10で見るところもあります。ただその判断は学校に任されているので、都道府県内の高校全部がそういう判断をする、ことにはなってません。 調べて、受験できて受験したい学校を選ぶしかありませんね。 自分が住んでいない都道府県でも受験できたりしますから。
通信制高校が流行りですが、自分で学習を進めないといけないので、自己管理能力がしっかりしてないと続かないと思います。ただ卒業しただけになります。
何か好きなものを見つけて、それを端緒にして学習に取り組むのがいいでしょう(当たり前ですが)。 いずれにしても、「耐性」というのはある程度必要です。
・小中学校段階で「学校に行かない」という選択をする子が、なぜ15歳の春になると「学校に行きたくなる」のか。
所属欲求や将来の進路に関わる親の願望もあるのでしょうが、進路はあくまでそれまでの行いに基づいて行われるべきであるし、高校側もそれに沿った複数の受け入れコースを設置し、どちらを受験するかは本人の覚悟次第。 ただ、通常のコースに「不登校に対する特別措置」があってしまっては、学校に通っている子供たちとの不公平感が生じる。
現状、不登校生徒はフリースクールや通信制、定時制等に進学しているケースが多数派で、不登校生徒の実情(学力、心理的ケア等)に特化した進路先を確保、周知していくしかない。
・自分としては、諸事情はどの家庭にもあるだろうし、子供にもあるだろう。 高校受験という「より大学進学に有利になる進学校に入ろうとする」選択だけを考えるのであれば、差が出るのは当然の結果と言うこと。 不登校が自分の将来のために糧となると考えて、選択した(せざるをえなかった)ということで、まだまだ長い100年時代の人生を歩めばいいだけと思う。
・実際には、義務教育期間で不登校になると、高校は通信制に入る子が多いと感じます。 内申云々のせいではなく、学校に通えないから。 全日制普通科の高校に通いたいなら、踏ん張って中学には通わないと。
欠席日数が受験要項にひっかからない公立高校の受験でも、今は面接があったりするので、病気以外の理由での不登校は相当不利になると思います。 私立は欠席日数を要項に載せて受験すらさせない学校も多いです。病気も理由にできません。
不登校の子が増えたから特別枠を〜という流れは良くないと思います。 社会に出ても特別枠はあるのですが、それは障害者のための枠です。 障害者枠を不登校の子で埋めるのは納得できないものを感じます。非常に軽度なのに障害者手帳を取得すれば障害者枠に入れるので。 養護学校に通う障害のある子と、本来なら普通学級に通える不登校の子は同じではないと言いたい。
・不登校で自動的にオール1は正当な評価ではないのでかわいそうだと思いますが 高校進学において通信制や定時制の選択肢も高卒認定もあるので ここでは今まで不登校だったがここで生まれ変わりたい!というタイプの生徒が対象となるかと思います、応援したいですね。
いたずらに不登校者にも受験の不利を撤廃というよりは 不登校から抜け出したい意思や説得力が見受けられないと、 受け入れる高校としても残念ながらリスクが拭えないと思いますし 記事を見る限り調査書を足切りにしてるわけではないようなので そこは実力で群を抜いた試験成績を収めれば合格は全然可能なのかもなとも思いました。
でも若いうちの失敗の克服って人生の大きな体験になるから 頑張りたいという芽をなるべく摘んでしまわない方針については 誰かのチャンスを奪うこととのバランス感覚も必要なものの 我が国の未来の人材の人間力を養う上では良いかもなとは思います。
・実際には、義務教育期間で不登校になると、高校は通信制に入る子が多いと感じます。 内申云々のせいではなく、学校に通えないから。 全日制普通科の高校に通いたいなら、踏ん張って中学には通わないと。
欠席日数が受験要項にひっかからない公立高校の受験でも、今は面接があったりするので、病気以外の理由での不登校は相当不利になると思います。 私立は欠席日数を要項に載せて受験すらさせない学校も多いです。病気も理由にできません。
不登校の子が増えたから特別枠を〜という流れは良くないと思います。 社会に出ても特別枠はあるのですが、それは障害者のための枠です。 障害者枠を不登校の子で埋めるのは納得できないものを感じます。非常に軽度なのに障害者手帳を取得すれば障害者枠に入れるので。 養護学校に通う障害のある子と、本来なら普通学級に通える不登校の子は同じではないと言いたい。
・不登校枠を通常の学校に設けるより、不登校用の学校を用意した方がいいんじゃないかな。既存学校の不登校枠はどうせ小さいだろうから不登校生の対策に費やせる力は半端になるし。 それなら不登校に力を振り切った学校を用意した方がいいと思うんだよね。今はそれが成立するくらい不登校いるだろうし。 不登校はこれから増えてく一方だろうから先手打っていかないとってのもある。
・内申点という教師の主観が多分に反映される不平等極まりない制度を廃止すれば良い。 校内活動の反映は推薦資格を得るための条件にでもすれば 現状とさほど変わらない状況を作り出せる。 ただ高校になると単位不足で進級できないという事もあるため 中学の時不登校で高校進学で変われるのか?とは思うが 再チャレンジのきっかけになるなら、中学生くらいまでは そういった救済はあってもいいと思う。
・高校と言うのは大半が『全日制普通科』だから、学校に来てなんぼで来ない子は評価出来ない。と言うより、欠席オーバーしたら留年だし卒業出来ない。
中学も登校してなんぼの世界。不登校で学校に行けないなら通信制の中学、高校があるからそちらに行くべき。通信制に行くのは嫌だからテストだけで評価判断してくれとか、オンラインで授業受けるから登校したと認めろとかは悪いが、定められたもの以上をむさぼろうとするわがままだ。
素直に通信制など自分に適したサービスを生業としているところに行くべき。
・こう書くと厳しいかもしれんが、内申点って学校教育を受けるという勉学に向かう姿勢の評価だから不登校だと低くなって当たり前で、そういう学校という教育スタイルにあってませんよって子を受け入れてもらえる内申点評価をしない学校を目指すか進学をあきらめるしかない。 不登校の理由は数あれど、結局学校というシステムにマッチできなかったゆえの話で、そういう人を受け入れても通常の学校だと再び不登校状態になり易い。そうなれば学校側にも負荷がかかるんだから受け入れないって判断も仕方がない。 高校・大学が義務でなく高等教育である以上無制限の配慮・受け入れを期待すべきじゃない。
・色々な人生選択、進路選択がある中で学校通学がうまくできない人が居るのも仕方ないところだが、幼稚園・保育園から高校までは基本的には通園通学して集団の中で社会生活を通じて自宅ではできない様々なことを学んだり体験していくことで成人していくのが現代社会(特に日本では)における必要経験なのだろう。 勉強は自宅で一人でも出来るし、フリースクールのようなところでも出来るが、学校生活を通じた社会経験は得られない。 不登校となった理由は様々だが、社会経験を通して集団の中での生きてきた評価が内申に記されるわけで、学校としてはその評価を高くすることは不可能だ。 それまで不登校だった者が環境が変わって通学登校できるようになることもあるが、相当な本人や周囲の頑張りとサポートが必要なことが多い。再び不登校になる懸念を内申からどう見るかは受験校の方針や考え方次第です。何とか道を切り開くしかありません。
・内申点というのは、社会性を身に着けているかどうかの評価点だと思います。コミュ力だけでなく、嫌なこと(行事とか宿題とか)もこなす力があるということです。そして社会性は、文字通り社会に出た時に最も重要視されます。テスト点だけが、企業の採用を決めるのであれば面接はいらないわけですから。
いじめや病気で不登校の子には救済策が欲しいですが、誰にでも甘くすればいいわけではないと思います。逆に、いじめの事実があるような子の内申点はマイナスにすればいいでしょう。
・小中学校の先生はいいよ。どれほど休んでも次の学年に進級出来て卒業出来るんだから。でも、高校の先生は週にある授業の回数が科目によって違うから、「あと何回休んだらアウトですか?」と担任が各授業の先生に聞いて回らないといけないんですよ(もちろん出席簿で自分でカウントすることは出来ますが)。じゃないと、「何で言ってくれなかったんですか。うちの子は留年して人生狂うんですよ。どう責任取ってくれるんですか。」と親が担任を責め立てる。そして、マスメディアが食いつく。不利っていうんだったら「高校に入ったら休み過ぎて留年しても自己責任」というのを中学校が高校受験をする全生徒にしっかり洗脳しておいてください。
・そもそも、不登校の場合内申点が低くなる→高校が無い進展を重視し(つまり不登校者を排除する意思を持っている)という点が問題に思います。 高校側が不登校と言う事に対して本人に責がある場合ばかりではないしそれを理由に排除しないというなら、内申点を見る際に出席日数などの要素を見ればそれで済むことだと思うのです。 中学が何を伝えるのか、高校が何を求めるのか 問題はそこにあると思います。 中学としては不登校なら不登校と明確に伝わる内申書を作成すればよいし、高校が各校なりにそれを判断すればよいのだと思います
・例えば社会科なら「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習. に取り組む態度」という観点でABCをつけ、すべてがCでないと評定1にはなりません。頑張って家で学習してテストだけでも受けて学校がそれだけでも評価できれば1ではありません。どうしても主体的に学習に取り組む態度が評価しようがないのですが、それ以外はAを狙うチャンスはあります。ただテストの観点問題の達成率が40%を割ってくると、C評価となる可能性は高いです。がんばって家でも勉強してくださいね。
・勉強はできるのに、不登校で内申が悪いから何とか対応する必要があるとのことですが、勉強ができるのは、生きるための一つの能力にすぎず、提出物を納期通り提出する、提出物を作りこむ、人間関係をうまくやる、自分の意見をロジカルに主張する、などの社会に適応するうえで、さまざまなことが内申点に反映されていると思う。 それを考えると、不登校生には厳しい意見かもしれないが、学力以外は放棄しており、やるべきことをやっていないのだから、それで行きたい学校に行けないのは受け入れる必要があると思う。
・不登校の理由にも色々あると思うけど、例えばいじめが原因で不登校になるケースであれば、被害者ではなく加害者側を学校に来させないようにすべきだよね。 その人(被害者)から学校生活、学習の機会など奪ったんだから。 正常であればそんなことしないんじゃないの?誰だって相性ってものがあるんだから、苦手だな、嫌いだなって思う人は多少なりともいるでしょ。 誰とでも仲良く楽しく、皆友達だなんて現実では不可能なんだから、気に食わない相手なら事務的な関わり(学生なら係や委員会など)だけであとはスルーしとけば良いんだから。 それなのに、わざわざ自分の立場が悪くなるいじめをしてしまうのは、とても正常とは言えない。
・発達障がいでこのようなことが苦手だとか、持っているその特性を学校や周囲に話して理解してもらうほうが、お子さんは守られると思います。実際現場ではそうなんですよ。今は支援の必要な子ばかりではなく、今はユニバーサルデザインなど誰にでもわかりやすい、またその子にあった支援をというのが当たり前になっています。 一番、損なのは、発達支援が必要かどうかの指標となるテストや発達相談を拒み、お子さんの困り感をそのまま有耶無耶にしてしまうことです。支援クラスでその子に合った進捗度で達成し、自己肯定感をあげていくことはその子の笑顔に繋がりますから。
・不登校になった原因にもよりますが、小、中学校が不登校気味だった場合、高校進学した途端すんなりと通えるようになるものなのでしょうか。元々集団生活が苦手とか、先生に怒られた、友人とのトラブルがきっかけとか理由は様々だと思いますが、高校生活でもそれはあり得る話。不登校期間が長いほど、集団生活自体が負担に感じるかもしれない。 実際は通信制高校に進む子も多いと思う。
・社会は基本的に協調性や社会性を求めます。勉強が出来る事で求められる事は少なくほぼ無いと思います。 不登校でも夜間定時制や通信制の高校に通い、中学の同級生と同じ会社に就職した例もあります。 いい高校いい大学に通わないと就職できないと言う会社は協調性社会性重視しますので、採用されない事や採用されても辞めてしまう事もあります。 高校でも頑張って入った学校についていけない馴染めないで辞める子もいます。
近年のポリコレ問題もそうですが、無理して入れると社会バランスが崩れて影響が出ます。 「身の丈」とはよく言ったものです。
・不登校に対する学習のフォローがないのが実情。でも教員は進学させることが任務だと思っているので、本人と親の意向に従いすすめています。進学できても入学式だけ行って休んでいる或いは1ヶ月で退学することが多いです。受け皿となる候補をもっと検討して欲しいです
・大学のような単位制のゆるやかな高校を設置するのがいいだろう。 授業は講堂のような中教室で講義形式で行い、語学や体育、芸術のみ 番号順で区分けするといい。 対人関係やイジメに不安のある生徒さん向きである。 通信制でそれに近いことはやっているので、登校重視の高校が望ましいだろう。 受験資格は中学卒業見込みで十分だろう。
・いじめが原因で不登校になった同級生がいますが、 いじめられた側は内申点が低いのに、 いじめる側ののうのうと学校に通ってる奴が内申点高かったりします。 校則を守ってるかだの細かいどうでもいい部分じゃなく、 根本の人間性を客観的に評価する指標としての内申点であってほしいと思います。
・不登校でも定員割れの高校ならほぼ無条件で合格できますよ。
しかし個人的には、不登校の子進路先は通信制の高校がいいと思います。 不登校を肯定する人が、どうしても全日制に固執する理由がわかりません。 本人が全日制を希望するなら、まずは中学校の段階で登校し始めることだと思います。
・これ、ゆたぼんが去年身をもって教えてくれてたけど、不登校は自由だけど進学は自由じゃないってことですよね。義務教育は行かなくてもその年になれば卒業だけど、学校に行ってないってことはその間の課程を終わらせてないのと同じ。毎日コツコツ行った子と行かなかった子に差あるのは当たり前。ただ発達の問題やイジメで行きたくても行かれない子の場合もあるし、フリースクールも金銭的な問題で選べない家庭もあるかも知れない。オンライン授業の参加でも内申が最低限は取れるくらいとかなんらかの救済の配慮はあってもいいかも知れませんね。
・自分の母校の桐蔭学園は高校入試でも内申点関係無し、学力試験だけで決まるオープン入試だった。
同級生には中学時代ほとんど学校行かずオール2以下だったってのもポツポツいたな。それでも当時の理数科の偏差値は70超でみんな頭は良いからほとんどが難関大か医学部に進学した。
今もオープン入試やってる学校は沢山あるから内申悪い子はそういうところ受ければ良い。公立の地区トップ校よりレベル高い進学校からいわゆる底辺校まで色んな学校でやってるから。
・公立の場合は何より登校できるのか?退学せずに卒業できるのか?というのを重視したりするので、授業についていけるのかどうかという点で試験結果も見る。不登校の生徒は他の生徒に比べてきちんと登校するかが分からないところがある。登校しない生徒を入学させてしまうと、やる気のあった生徒を1人不合格にしてしまう可能性もあるので特別扱いというのは難しい問題とは思う。
・自分もグレーゾーンの子どもだったので、一歩間違うと不登校になっていた可能性もあった。でもギリギリ踏ん張り一応一般的な歩みをたどった。 自分の性格から考えると、不登校になっていたら、今よりも更に自分のことしか考えられない人間になっていたと思う。 今でもしょっちゅうチームワークの力が劣っているなぁと感じるからね。
ちなみに現在、紆余曲折を経て、不登校の人間と対面する機会も時々ある。 多少は彼らの気持ちも分かるつもりもあるのだが、正直なところを書かせて頂くと、彼らは参加した組織に少しでも「本当に少しでも」自分に合わない所があると、すぐに逃げ出す傾向がある。 そして、その「合わない所」を真っ先に探そうとする傾向があるので、対応し切れないと感じることも多いです。
正直な、そして個人の感想です。
・本当に病気やいじめでの不登校なら何とかしてあげたい。 でも、生活がだらしなかったり、良く勉強ができて学校の進度が遅いから等の理由で不登校なら救わなくてもいいように思う。学校は勉強だけでなく他者との関りも学ぶところだと思うから。 不登校で中学終盤に勉強がよくできるようになって、低い内申がつくでもなく不登校枠で受験できるなら、毎日嫌なことに耐えながら学校に行ってる内申が低い子からしたらやってられないね。『数年不登校で受験期には勉強だけできるようになる』というのを選択する子が増えたら学校が要らなくなるかも。そんな子たちが増えて社会に出たときに人とのコミュニケーションで困らないのかな?と考えてしまう。
・不登校にも色々なケースがあって、いじめとか、病気とか、単なる怠けとか、一概には言えないけれど、毎日ちゃんと登校して、勉強なり部活なり、一生懸命頑張っている子が一番に報われるのが当たり前であってほしい。今は休まず学校に通っても、皆勤賞すら無い学校が多いらしいけど、そういうのも一つの努力の結果だと思うし、勉強が苦手でも評価される項目を減らさないでほしい。
・昔、同級生で中学の時不登校だったらしい子は高校でも夏休みでいなくなっちゃったよ。通信制に移ったとかなんとか。成人式で会ったら元気にしてたけどね。 高校も辞められても困るだろうし、偏差値以外にも校風はしっかり調べるべきだと思う。ウチはまあまあの偏差値でバリバリやらせるところだったからなー、大雨で電車止まっても休みにならないとかね。もっと受け皿があればいいとは思うけど、不登校の原因も色々で対応が難しいだろうことは想像できる。
・大人になれば理不尽な環境だったら転職すればいいですけど、子供はホイホイと転校できないですから、環境と絶望的に合わないことはあると思います。自分は転校先の地域が荒れていて、中3だったので1年は耐えられましたが兄弟はやられて不登校になってました。でも大人になった今は普通に働いてるし恋人もいます。普通の人でも通うのに苦痛な環境ってあります。そういう中で病んでしまったとき、やり直しがききづらいのはきついなと思います。高校なんてほぼ義務教育みたいなものなんだから受験一発評価でよいと個人としては思います。学校に一生懸命いってれば基本学力は足りてるはずなので。素行は結局学力にそれなりに反映されるので、内申っているのかと個人的には思います。スポーツならスポーツ推薦がありますしね。
・不登校だったと言う事実が不利にならず合格者が増えるという事は、毎日学校に行って人間関係を学んだ児童の不合格者が増えるという事。
記事の中には無かったけど、実際の合格者のその後を知りたい。 合格した不登校の子供と、同学力の授業も学活も部活も評価が高い子供でその後の学校生活はどうなのか。
・入試というのは,受け入れる側がどういう学生を欲しいのかという話で,不登校の受け皿づくりをするのはずれていると思う. もちろん,不登校にも理由は様々だろうが,不登校を作ってしまう家庭的な要因を含んで,入学後のリスクを考えると受け入れる側も躊躇するのが普通だろう. 受け入れる側が,ほしい学生を見抜ける入試制度を作ってしまえばそれで良いという話なのではないか
・どのような生徒をとるかは各々の高校が決めることで、外野が〇〇な生徒をとるべき、とらないべきと言うべきではない。 不登校であっても試験の学力が高ければとる学校もあるだろうし、学力が低く不登校であっても気にしない高校も当然ある。そういったことを各学校が決めることで、多様性が生まれる。
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