( 197929 ) 2024/08/03 15:54:23 0 00 Adobe Stock
パリ五輪が盛り上がっている。日本国内での経済効果は2500億円にものぼるという試算も出ている。そんな中で、予想外の敗北を喫した柔道女子52キロ級の阿部詩選手をめぐり、スポーツメディアとネット上の反応で真逆とも言える温度差がみられた。まさかの一本負けに号泣した阿部選手にSNS上では「対戦相手の前で泣き叫ぶのは失礼」「最低限の礼節は弁えるべき」「さすがにカッコ悪い」といった辛辣なコメントが相次ぐ。だが、主要スポーツ紙は「きょうだい連覇夢散」「温かい拍手と『ウタ』コール」などと感傷的な記事で迎えたのだ。なぜ、ここまで温度差が生じるのか。経済アナリストの佐藤健太氏が解説するーー。
またか、という思いがした。7月27日に女子48キロ級で角田夏実選手がパリ五輪日本選手団第1号となる金メダルを獲得し、最高のムードで試合に臨んだはずの阿部選手。28日の2回戦で途中まで有利な戦いを見せたが、ディヨラ・ケルディヨロワ選手(ウズベキスタン代表)に一本負けした。
2021年の東京五輪では兄の一二三選手と兄妹で金メダルを獲得し、パリ五輪の「本命」と見られてきたのは間違いない。スポーツ各紙には「詩、あゝ無情 ぼう然、慟哭」「詩まさか 5年ぶり敗戦」などの見出しが躍り、阿部選手の敗北を大々的に報じた。
本命視された選手の敗北は衝撃を与えたかもしれない。だが、これは本当に「番狂わせ」と言えるものなのか。相手は世界ランキング1位の選手であり、名もない選手が“一発屋”的に勝利をつかんだわけではない。たしかに日本にとっては絶対的な女子のエースと見られていたかもしれないが、勝負は実力だけでなく時の運も、審判との“相性”もある。それを「まさか」「無情」と評しているのには違和感を覚える。
思い出すのは、2000年のシドニー五輪で柔道男子100キロ超級の篠原信一選手が決勝で敗れた時のことだ。相手のダビド・ドイエ選手(フランス)にかけた「内股すかし」が見逃され、誤審によって敗北した。コーチたちはアピールしたものの、篠原選手は敗れて銀メダルとなった。
表彰式で悔し涙を浮かべた篠原選手の言葉は、何とも言えないほどズシンと響くものだった。「弱いから負けた。それだけです。不満はありません」。決して言い訳をせず、控室で涙を流す篠原選手に感動した人は少なくないだろう。この試合がきっかけとなり、ビデオ判定が導入されることになった。
今回、敗北した阿部選手は畳に突っ伏して大号泣し、自力で歩けないほどの状態となった。元宮崎県知事の東国原英夫氏はYouTubeチャンネルで「勝っても負けても礼節を重んじて取り乱さないというか、毅然とした冷静な態度というのが柔道なんじゃないかなと思うんですね。心技体が問われる。本当に苦しかったんでしょう、悔しかったんでしょう。周囲に配慮を欠いたのではないかと思います。ちょっとリアクションが稚拙だったのかな」と指摘。SNS上でも「カッコ悪い」「見苦しい」といった批判的なコメントが相次いだ。
もちろん、勝負に敗れて泣くことが悪いわけではない。試合の進行を妨げたという観点はあるにせよ、無名選手だろうが絶対的なエースだろうが悔しいものは悔しいのは当然だ。ただ、Jリーグ初代チェアマンで日本トップリーグ連携機構の川淵三郎会長は2020年5月5日にYahoo!ニュースで配信されたインタビューで、「グッドルーザー」の意義を次のように説いている。
「スポーツマンシップの何たるかを理解すれば、自然と、そういう振る舞いにつながっていくと思いますけどね。負けたときの態度、そこにこそ、スポーツマンとしての品位が表れる」
「僕らはサッカーでは何度も表彰する側に立っているでしょう。そういうとき、準優勝のチームを表彰するの、本当に嫌なんだよね。不愉快そうな顔をして、ニコリともしない。握手も嫌々。勝って当たり前と思っているチームほど、そういう態度をとる。なんちゅう態度をとるんだって怒鳴りたくなったことが何度もありますよ」
「選手がベストを尽くすことができればメダルはいらないみたいなことを言ってしまうと、無責任な気もしてしまいますしね。あくまで、勝ちにいってこそ、グッドルーザーたりうるわけですから。難しいからこそ、一層、そうあってほしいわけですよ」
「メダルを取っても忘れられる人は忘れられる。でも、グッドルーザーは、永久に語り継がれますよ」
川淵氏のインタビュー記事では、敗れた選手も相手をたたえ、毅然として戦いの場から立ち去る「グッドルーザー」は私たちの心を捉えるとする。それは篠原選手の振る舞いであり、1992年のバルセロナ五輪男子マラソンで他選手に靴を踏まれて転倒し、メダルを期待されながら8位に終わった谷口浩美選手の「こけちゃいました」に代表されるという。
今回、阿部選手を破ったケルディヨロワ選手はその後も勝ち進み、金メダルを獲得した。表彰式後の記者会見に応じた彼女は、阿部選手に勝った時に喜びを爆発させなかったことをこのように振り返っている。
「彼女はレジェンドで、完璧なチャンピオン。試合がすべて終わるまで表情を変えたくなかったし、彼女をとても尊敬している。だから喜びたくなかった」。前回王者を撃破することを目標に突き進んできた世界ランキング1位のライバルから、ここまで敬意をはらわれる阿部選手は日本だけでなく、柔道界のレジェンド的存在だ。だからこそ、という思いがあるからSNS上には期待とともに、失望が広がったのだろう。
阿部選手は自らのインスタグラムで「日本代表として、日本という素晴らしい国を背負い戦えたことを誇りに思います。情けない姿を見せてしまい、申し訳ございませんでした」と謝罪した。柔道男子66キロ級で五輪2連覇を達成した兄の一二三選手は「情けなくなんかない。ここまでの道のりで苦しい事も沢山あったのにそれを見せずにただ前だけをみて人生をかけて頑張ってきた詩は最高にかっこよかったし1番輝いてたよ」「心の底から詩の事を誇りに思います。2人で必ずまた頂点に立とう! また家族で前を向いて頑張って行こう!」とエールを送る。
阿部選手がなぜ敗北したのか、何が足りなかったのかは本人や専門家が分析を重ねれば良い。それよりも気になるのは、日本のスポーツメディアが多角的な記事を掲載せず、ほぼ同じような感傷的な記事で取り上げたことだ。まるで「お涙頂戴」と言っているように感じる。
その理由をあるスポーツ紙デスクは「ずっと対象者を追いかけて取材してきたから気持ちが記事に入ることはある。速報性ではテレビやネットに勝てるわけがなく、デスクとしては感傷的な記事を書くように指示せざるを得ない」と語る。とりわけ、スポーツは会場にいかなくても、テレビや動画で「リアル」を追うことができる。スポーツ紙はネット記事を配信しているものの、生中継に勝るモノはない。
だからこそ、スポーツ紙は「速報性」で勝負するのではなく、その選手の背景や思いに着目した「ストーリー性」を重視するのだという。こうした姿勢は米大リーグで活躍する大谷翔平選手の報じ方でも共通するところだ。日本で流れる記事の「原材料」はほとんど同じであり、そこから飛び出した独自素材かと思ったら日本テレビやフジテレビによる大谷選手の新居報道のようになってしまう。
その結果、スポーツ紙を見比べてみてもトーンが変わらない記事が目立つのだ。金メダルを獲得すれば手放しで称賛し、敗北すれば「はい、ここで泣くところね」といった報じ方は何かスポーツメディアによる誘導のように感じてならない。これだけネット上とは異なる観点からの報道を続けていれば、ますます読者を失うことになるのではないか。独りよがりの価値観を植え付けるのはネット時代には不可能だ。
別の主要スポーツ紙幹部は「テレビやSNSで『結果』を知っている人に読んでもらう記事はどうあるべきなのか。ビジネスモデルとして模索し続けているが結論は出せていない。スポーツ報道のあり方は今後さらに難しくなるだろう」と説明する。気がつけば、新聞の部数は下落の一途をたどり、テレビも見ない若者が増えている。
そうした中でマスメディア報道とネット上の反応の温度差はスポーツに限らず、政治に関しても見られるようになった。価値観を押しつけようとするメディア側の姿勢と、それを拒否する人たちの戦いは今後も続くだろう。二極化する温度差は縮まるどころか、さらに拡大していくのは間違いない。
佐藤健太
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