( 198312 ) 2024/08/04 17:10:26 1 00 8月2日の日経平均株価は、前日比でマイナス2216円と大幅下落し、歴史的な暴落となった。 |
( 198314 ) 2024/08/04 17:10:26 0 00 8月2日の日経平均は前日比でマイナス2216円。歴史的な大暴落となった
一瞬、自分の目を疑った人もいるだろう。8月2日の日経平均は、前日比-2216円の大暴落。とはいえ、これは歴代2番目の下落幅。では“歴代1位の下落”のとき、日本市場はどんな様子だったのだろうか――。
【写真を見る】37年前、パニックに陥った東京証券取引所の様子
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今年は新NISAが始まった年とあって、証券口座を開き、新たに市場に“参戦”した初心者投資家も多いと言うが、そうした人たちにとっては、あまりに厳しいデビュー年となった。
「投資なんて手を出すんじゃなかった」と嘆く人。
「茂木、河野、そして植田。一生許さねぇ」と恨み節を吐く人。
「ここでじっと耐えれば、いつかはきっと上向くはず」と祈る人。
そんな“ため息”に包まれる日本列島だが、今回の大暴落をも凌ぐ「-3836円」の超大暴落を記録した1987年の10月20日、市場では何が起きていたのか。
37年前の大暴落も今回と同じく、震源地はアメリカだった。まず10月19日の月曜日、ニューヨーク株式市場ではダウ平均株価が508ドル、率にして22.6%の大暴落を記録した。米国政府の財政赤字と貿易赤字への警戒感が一気に噴出し、コンピュータによるプログラム売買の普及も相まって、まさに「売りが売りを呼ぶ」展開に。ご存じ、全世界の株式市場を道連れにした歴史的な大暴落、「ブラックマンデー」である。
翌20日の東京市場はその流れを受け、下落幅約4000円というパニック売りを引き起こした。額にして約60兆円。日本の国家予算に匹敵する時価総額が1日で失われたことになる。
今回の暴落は、日銀の利上げによる円高という要因もあるが、8月1日に起きたアメリカ経済の先行きの不安によるナスダックとダウ平均の同時安の影響を受けているという点で状況が似ている。
当日の東京証券取引所はどんな様子だったのだろうか。当時、写真週刊誌『FOCUS』1987年10月30日号の取材に応じた東証関係者によると、
「株式表示ボードが▼印ばっかりなんて、東証始まって以来のことです。▼印は前日より値下がりした株で、▲印が値上がり株なんですが、昭和28年の“スターリン・ショック”の時だって、全部▼印なんてことはありませんでした」
ちなみに「スターリン・ショック」は1953年3月5日にソビエト連邦の最高指導者・スターリンの死去をきっかけに起こった株価暴落のこと。その「-10%」が長らく日経平均下落のワースト記録だった。
同じく、当時『週刊新潮』1987年11月5日号の取材に答えた経済評論家は市場で起きていた“異常事態”について、こう解説している。
「実は今回の暴落で大損した人はまだいない。20日の大暴落で、大きく動いたのは株価だけだからです。売りが出ても買いの注文がないので商いが成立せず、この日の商い量は普段の3割ほどに過ぎませんでした。売ったのは、ほとんどがアメリカの投資銀行や投資信託といった機関投資家で、日本の株主の注文はほとんど成立していない。つまり、現時点ではまだ“損切り”は発生していないのです」
また、経済部の記者は「異常と言えば最近の株式市場そのものが異常だった」と振り返っていた。
「超低金利時代とあって、カネは市場に溢れるように流れ込み、5年前は6千円だった日経平均は2年前には1万3千円台に。そして今年の正月は1万8千円台になって、あっという間に2万6千円台まで駆け上がりました」
まるで、今年の日経平均と同じではないか。
空恐ろしくなってきたところで、最後は当時の暴落の最中、それでも株をセールスし続けた証券マンの「売り文句」で締めたいと思う。
(いずれも当時の『週刊新潮』1987年11月5日号より)
「暴落だと騒がれていますが、20日が大底で続落はないと思います」
「むしろ、こういう下落時こそ投資家にとってはチャンス」
「買い増して取得単価を下げておけば、半年ほどで暴落前の相場水準に戻りますよ」
「株主の構成が若返ったことで、むしろ再度高値を狙う土壌が整いました」
果たして週明けの日経平均の行方は――。
デイリー新潮編集部
新潮社
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