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上野千鶴子氏 五輪報道に苦言 アスリートに「国家など背負ってほしくない」「エゴイストに見えてくる」と指摘し賛否両論

デイリースポーツ 8/4(日) 21:23 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c9ea4255e28cc57e4491a31c84dbe74f214671a9

 

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上野千鶴子氏は社会学者で、東京大学の名誉教授である。

最近、自身の旧ツイッターを更新し、パリ五輪期間中の報道に苦言を呈し、アスリートに国家などを背負わせるべきでないと訴えた。

上野氏はマスメディアのオリンピック中心の報道にうんざりしており、アスリートに対してエゴイストに見えると述べた。

彼女の意見には賛同する声もあれば、反対する声もあった。

(要約)

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 上野千鶴子氏 

 

 社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子氏が4日、自身のX(旧ツイッター)を更新。パリ五輪期間中の報道に対して苦言を呈し、アスリートに対して「国家など背負ってほしくない」と訴えた。 

 

【写真】「日本の皆さんにすいませんという気持ち」号泣謝罪した阿部一二三 

 

 上野氏はXで「マスメディアの報道はオリンピックばかり。うんざりする」と、昨今の報道のあり方に苦言。さらに「アスリートに国家など背負ってほしくない。彼らがだんだんエゴイストに見えてくる」とつづった。 

 

 この投稿には「今回は、ほんとうにそうゆう感じがしますね」「まやかしの平和の祭典。商業主義」「東京五輪から続く、オリンピックに対して批判的な意見を言いにくい空気感は、本当に嫌な感じがします…」などの賛同意見や、「何で日本だけスポーツ選手を讃えると悪いんですか?」「何故そんな事を言うのか…。努力して道を極めたものは美しいじゃないか…」「嫌なら見なければ良いだけ」などの反対意見が寄せられた。 

 

 上野氏は日本における女性学のパイオニアとして知られ、今年4月に米タイム誌が発表した毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」にも選出された。 

 

 

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(まとめ) 

- 複数の人が、アスリートが国を背負って戦うかどうかについて意見を述べている。

 

- 一部では、アスリートが国家を背負う必要はないという意見や、自らの意識や個人の努力を大事にしている姿勢を求める声がある。

 

- 一方で、国を代表する選手がその責任や誇りを感じることに賛成する意見もある。

 

- 話題の中心人物である上野氏の主張に対しては賛否両論があり、中には彼女の意見に否定的な反応も多い。

 

- アスリートの視点や努力、国際大会での競技について考える機会になった一方、エゴイストとのバランスや国の代表としての役割を見据える必要性を感じる声も見られた。

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・流石は「東大」という国立大学の肩書を背負い、「フェミニスト」を代表するかのような発言を繰り返しながらお金持ちと結婚し、「格差社会」を批判しながらタワマンに住み高級車を乗り回す大先生のご意見だと感服する次第であります。 

 

 

・ハッキリ言って  

オリンピックとは  

国を代表する選手が持てる力を出し切って  

正々堂々と競技することそれ自体に  

至高の価値を置いている  

そこが普段世界中で行われている様々なプロフェッショナル競技などとは一線を画しており  

そこに世界中の選手と国民は魅せられ熱くなるのだ!  

この興奮をわかりやすく国民に伝えることは  

メディアの重要な仕事の一つと言える  

ということで 

世界がその価値を認める4年に一度だけ開催される3週間足らずのこのスポーツの祭典に対しては  

できるだけ寛大な姿勢をお願いしたい! 

 

 

・国を背負って、というよりその人が日本で様々な人達に支えられて、その大切な人達の為に頑張りたいという気持ちが自然と「国を背負う」という形になっているのではないだろうか。 

誰とも競わず日本代表になる競技者などいない。その無数の敗者の気持ちも背負って来ているのだ、そう簡単に背負うなとは部外者が言えない言葉だ。 

それらに想いが至らないならば、その人は競技などやったことがないのだろう。 

変に背負ってプレッシャーになって欲しくないのは山々だが、それを胸に秘めた上で勝つのが強者なのだと思う。 

 

 

・おそらく大半の国のオリンピック選手は日本以上に国家を背負っていると思うよ。 

日本はまだ平均的な家庭であればいろいろなスポーツをすることが出来るし 

スポーツ関連の仕事もあるよ。 

しかし海外ではいくら才能があっても経済的に国家の支援がないとスポーツができない国もたくさんある。 

それでも日本のアスリートだってオリンピックに出場するとなると国家の支援がないと無理だろう。 

そして日本国民は日本の選手を応援する。どこの国でも一緒だよ。 

学生だってスポーツの試合であれば母校を背負う、全国大会になれば都道府県の期待を背負う。 

母校の生徒や卒業生、都道府県民は代表選手たちを応援するよ。 

応援はしてほしい、でも期待を背負いたくはないなんてことはないよ。 

 

 

・国立の東京大学教授だった上野先生は国家の禄を食む意識や責任感なと全然背負ってなかったでしょうが、オリンピック代表選手には国費が投入されてますから多少は国の代表としての誇りは持って挑んで貰いたいですね 

 

 

・国家を背負うという表現は言葉遊びに近い。 

 

代表選手は各競技を勝ち抜き、日本の代表に選ばれる。 

競い合ってる当事者達は一体誰か。 

日本国民である。 

 

結果日本国民の代表であることに変わりはない。 

国家を背負うなんてものは、メディアが扇動しているような風潮にあるが、それは大きな間違いである。 

 

代表選手達はそんなこと誰に言われなくも、当たり前のように心構えている事。 

現実として、数多くの敗者、又は国家的なサポートがあっての日本の代表なのだから。 

 

むしろ余計な戯言は敗者、関わるスタッフ、代表選手達への敬意を欠く行為だということを自覚せねばならない。 

 

 

・国を背負って戦う 

選手個人の感覚でしょ 

という声もあれば 

五輪選手は国を背負って戦うべき 

という声もAIは拾っていますね 

 

個人的にはそもそも、べき論が好きでは無い 

ので、選手個人の自発性で良いでしょ 

とは思うし 

戦前のテニスプレイヤー、佐藤次郎 

という偉大な選手がいましたが 

自身も周囲も期待と国を背負うという 

意気込みが強く、 

プレッシャーに苦しみ渡欧の途中で海に身を 

投じています 

 

願わくは挑戦した事自体を称える社会で 

あってほしいです 

 

 

・ただの運動披露会になるのだが。 

自身が属している国家や組織、例えば競技団体、私なら剣道場の威信を背負って競技を競うからこそ選手が厳選され国際大会に出れるのであって、「国家など背負ってほしくない」などの妄言こそエゴイストの意見ではないでしょうか。 

上野氏に家族がいるのかも興味ありませんが、上野氏がメディアに出て一定の支持を得ていることを家族が誇りに思っており、また、上野氏自身が家族を背負って言論界で糧を得ているのであれば、恐ろしいほどのエゴイストですね。 

 

 

・3年前の東京オリンピックで、オリンピックをゼロベースから考える人が増えたと思います。国連が主催しているわけでもないし、実際は平和の祭典でもないです。競技を見たり結果を知ることが、自分の生活や人生に直接関係なく、それに費やす時間がお金が効果的ではないと考える人も少なからずいるでしょうね。そういう人たちの発信を受け入れられない人もまだいるでしょう。 

 

 

・ニュース番組がオリンピック一色になってるのはどうなんだろうと思う。始まる前から選手の練習場を訪れてインタビューし、「メダルとります」みたいなことを言わせようとするし、プレッシャーをかけすぎなんじゃないかね。 

能登も秋田も大変なことになってるし、世界情勢も刻々と変わってる。株価もしかり。国民の生活に直結するようなことはそっちのけで、祭典ばかりを報道してるはおかしいよね。ニュースとは別にオリンピック特番でやればいいのに。報道の在り方を考え直すべきかと。 

 

 

 

・「国家」というワードを意識している選手は果たして一人でもいるのだろうか?五輪に出場している方々も含めて今の若い人たちは「国家」などという言葉なんてぜんぜん意識していませんよ。敢えて言うなら、「日本国民」みたいな感じだと思います。国民の代表として世界の舞台に立っていることは間違いないわけだし、そういう舞台に立つと自らが日本人であることを普通の人よりも強く意識するもの。それはとても自然で健全なことだと思います。 

選手が「国家」を背負っている、なんて、上野氏のような「国家的なるもの」を忌避する方々が勝手に作り上げている昔ながらのイメージでしかないと私は思います。過剰反応ですよ。選手たちは純粋に愛国心と自らが日本人であることを意識しているのだと思います。ただ、愛国心自体が悪いような主張をするのであれば、もう取り付く島も無いのですが。 

 

 

・色々な点で分かるなぁという感じ。 

私は上野氏と同意見。表現の仕方はストレート過ぎるので言い方の問題はあるだろうが、基本的な考え方で言えば完全に同意 

公金が投入されてるんだから背負って当然というよくわからない意見はともかくとして、国内の競技者の代表としての自覚をもって臨むということと、国家の威信を背負って臨むと言うことは全然意味の違う話し。前者であれば自然な話しだとは思うが、後者だとするならばちょっと共感出来ない。仮に「あの」大谷選手が「MLBの舞台で日本の威信を背負って活躍します」と言ったとしてもだ。そういうのは余程の人物でなければ共感しづらいのではないだろうか。 

なので、普通に自分の為すべきことに全力を注ぐことで十分だと思う。 

 

 

・私は大阪大学卒です。 

40年近く前の私が学生の頃、この先生は大阪大学に勤めていました。 

女性論の講演があり聴講しました。 

さかんに女性論やジェンダーのお話をされていました。 

質疑応答の時間、私は「なぜ先生は今日紫色のスカートを履いていらっしゃるのですか」と質問しました。 

先生のお答えはありませんでした。 

この先生の本質は、そういうことだと思います。 

 

 

・私はこの方と違う意味で背負って欲しくないというか、背負わなくていいですよ。と言いたいです。とにかく楽しんで欲しい。先ずそこに出れるまで努力して結果を出したからこそプレイ出来るわけです。もちろん協力してくれた家族、仲間、応援してくれてる人に感謝は必要でしょうが、それも強制されるものではなくその人の自由です。 

 

 

・この人の意見って、全て非生産的で無意味なんだよね。 

選手本人が考えればいいことで、それ以上でもそれ以下でもない。 

個人的に文系の学問にあまり国費を投じるべきではないという考えだけど、そうした考えに至った原因はこの人の存在が大きい。 

 

 

・誰に教えられたという訳でも無いのに日本人は日本の選手を応援する。当たり前だがアメリカ人はアメリカの選手を応援する。フランス人はフランスの選手を応援する。この極めて自然な形が結局国家を背負っていると言う形態になっているんだと思う。誰に教えられたというものでは無いんだな。人間の自然な姿だと思う。それをエゴイストに見えて来るとか意味の分からん事を言っても説得力が無いね。自分の子供が運動会で頑張っていりゃ、その家族は自然と応援するでしょう。応援して貰ったら❝やっぱり自分の家族は自分の味方だ❞と思うでしょう。それと同じだと思うがね。 

 

 

・確かに国家を背負ったら相手のミスを誘って勝ちを取るのが勝負とは言え、相手がミスしたらメダル確定だのという思考ができてしまう。 

だからボード系の選手たちみたいにお互いを讃え合って喜ぶ心意気を見習ってほしい。 

 

 

・オリンピアンは自我が強そうだし、エゴイストの面はあるかもしれないが、一流になる人は才能に加えて人一倍自分を律して努力としてきた人が多いからやっぱり美しくみえるな。言葉よりも、その人の表情、姿形そしてたたずまいがそれを雄弁に物語ってる。だから五輪をテレビでみてエゴイストだのと不愉快になるよりも、爽やかな気持ちになることが多いかな 

 

 

・国民が、個々のアスリートの活躍を期待し応援する。 

アスリートは、その期待や応援の重みを感じる。 

 

それに賛否があるのは分かるが? 

 

何故に、期待や応援を受け止めたアスリートをエゴイストなどと、言うのだろうか? 

 

期待や応援を糧にして、高みを目指す事は、非難すべき事ではない。 

 

例え、それが個人的利益に結びついていても、それは才能や努力の正当な成果と誇るべきものだ。 

 

 

・オリンピアンは、多くのアスリートの中での競争を勝ち抜いて、日本代表として戦っている。一方、受験勉強を勝ち抜いて東大に合格して官僚になる者もいる。両方とも国家を背負っていると考えて必死に戦うと言う意味で質的に変わらないだろう。オリンピアンがエゴイストなら、官僚もエゴイスト、そしてこの上野と言う御仁もエゴイストだ。教授と言う肩書だけで大して国に貢献もしていないのだから、こんなことを言えるほどの資格はないだろう。まあ、これをニュースにするくらいなら、もっとオリンピアンの報道をして欲しい。 

 

 

 

・発言全部を聞いたわけではないので、反論として正しいのかわかりませんが。日本一を目指して切磋琢磨してきた選手達。その選手達の中から代表で、1番強い方がこの大会に出ているんですよね。自分が倒してきた選手達の思いや、サポートしてくれた人々、国も多分お金だしてるでしょう?みんなの気持ち背負って、別に良いんじゃないでしょうか。凄いプレッシャーの中、一生懸命勝ちにいく選手観て、素敵だし、楽しいですけどねぇ。国家背負うなとか、エゴイストとか、なんでそんな感想が出てくるのかな。 

 

 

・子どもの遊びで、「ジャンケンをして負けたら勝った人の背中につき、それをやっていくうちにどんどん列が長くなっていき、最後に1対1でいちばん強い人を決める」ての、あるじゃない?五輪の代表もあれと同じ。国内予選で負けた他の選手はもちろんだけど、そのスポーツをしてない人もそれは「棄権した」のと同じだから。すべての国民は代表選手の後ろについて応援しなければいけないし、代表選手はすべての国民を背負って世界大会に出場してるんです。 

 

 

・背負わせなくていいと思うけど、自ら背負いたい選手もいると思う。 

それを誇りに感じて力が出るならそれも良いだろう。要は、強制にまで至らなければいいということ。 

日本代表なんてそうそうなれるもんじゃないですからね。 

東大生だって教授だって、日本のリーダーになるんだろ、世界と伍して活躍したい認められたいとか、ノーベル賞取りたいとかあってもいいだろう。そのくらいの気概がなければ歴史に名を残すことなんかできないであろう。 

 

 

・100 年前の英国のオリンピアンたちは、あくまで心身の鍛錬のためにスポーツをやっていた。五輪が終わったとたんに実業、法曹、宗教伝道などの世界へ戻っていった。国を代表する名誉は感じていたが、競技にすべてを捧げるようなことはなかったし、そんなことを期待されていなかった。映画 「炎のランナー」 を観てほしい。美しい作品だ。100 年前のパリ大会を舞台にしている。 

 

 

・上野さんと違ってこの大会に出てる人たちはずっと競技の世界に身を置いていて、本当に小さい時から年齢の成長に伴って、市町村、都道府県、全日本の大会で、1番を目指してきた人ばかり。日本の頂上を極めれば当然世界と戦う。国家、って言葉に政府だのある政党だの、そういうものまで包含して、背負う必要はない、と彼女は言ってるんだろうけど、日本の頂上に立ち、次の相手はどこ? ってなった時に、当たり前にジャージに日の丸が付いてて、JAPANとかNIPPONとか刺繍が入ってるユニに袖を通すし、それが選手の目標になる。自分は日本一でここにいる、だから国旗や国名の入った服を着てる。背負おうが背負わなかろうが、彼らは自他ともに日本の代表だ。 

 

 

・オリンピックに出場する選手は、どの国でも程度の差はあれ、少なからず国家を背負っている気概と意識で日々を戦っている。金メダリストが例外なく国歌を歌っているのが何よりの証左。 

 

「国家を背負ってほしくない」という主張は、いわば「オリンピックに出場してほしくない(目指してほしくない)」と同義であり、アスリートに対する敬意を微塵にも感じない。下手をすると、日々努力と研鑽を重ねているアスリートたちへの盛大なる侮辱です。そんなアスリートに対し、自身のイデオロギーを押し付けようとする上野さんの姿勢こそエゴイストの極み。 

 

 

・国家など背負う必要はありません。 

確かにメダルが多いと嬉しいですが、スポーツの楽しさ、悔しさを伝えるべきです。 

それが感動を与えます。 

国家を背負うと思っている選手もいると思いますが、プレッシャーが上回って実力が発揮できず、悔し思いをする選手がたくさんいます。 

それを観ると残念に思ってしまいます。 

 

 

・宮田選手がオリンピック辞退に追い込まれた時、某タレントが「多大なる国の予算使う。ルール守れなかったら当然外される」と発言、つまり税金で支援されてる者は国家を背負っていると同然、ルールは人権よりも優先され厳罰もあり、結果を出すべきとプレッシャーを掛けた訳です。実際に勝利至上主義のエリートの集まりな訳ですからそれでモチベーションが上がるだけならいいですが、すべての競技者に求める必要はないと思います。試合に負けて、テレビに向かって謝罪する映像を見る度に「違う、謝らないで欲しい。十分に感動させてもらいました」と思う自分と、 

 試合中にラ・マルセイエーズを歌い出して相手選手にもプレッシャーを与え、ブーイングでこれでもかと罵るナショナリズムを目の当たりにすると「そういうものかー」と感心して、めちゃくちゃ日本贔屓になって相手国選手を罵り、勝てば喜び負ければ我が事のように悔しがるのが素直に楽しむ方法じゃ 

 

 

・各々の国を代表した選手たちが海外の代表と競い合う 

それがオリンピックだと思うのですが 

メダル獲得した選手に国から報奨金が出たりするのもそういう面があるからでは? 

オリンピックっていつから個人的に楽しむスポーツイベントになったのでしょうか 

 

 

・国を背負うかどうかはともかく、同じ競技で同じ舞台を目指して切磋琢磨しながらも夢破れた人たちの想いは背負うものなのでは? 

それは別に勝ち負けの結果ではなく、最後まで全力を尽くして投げ出さずに戦うことだったり、たとえ思うような結果が出ずに負けても、潔くそれを受け入れ堂々と振舞うことだったりね。 

 

 

 

・知らない人が多いがそもそも前提として 

オリンピックは国家間の競争では無い。 

国家からは切り離されるべきものとされている。 

なので開催地も国でなく都市名で呼ばれているわけで 

選手登録の仕組み上や様々な利権が絡んで現在のような形になってしまっただけ。 

原点に帰れば『国』を背負う必要は全くない。 

ただ、他の人も言う通り特に団体競技は『国』を背負うことが原動力になってることも否めないので 

国の代表として出場したという『誇り』を持つことが大事ではないでしょうか。 

 

 

・そりゃ日本代表だからね 

 

彼らのプレイや行動・発言次第では、これだから日本はにもなるし、流石日本ともなる 

これは日本が他国の選手を見た場合でも同じ事が起きる 

 

選手側の立場として、国民代表というのがピンとこなくても、同じ競技をしてきてライバルたちの代表としてでもある 

だからそれぞれの思う「日本代表」としてという重圧も背負っている 

 

重圧に押し潰ささそうな人は肩の力抜いてと思うことはあるし、負けた時の謝罪もそこまで謝らなくてもと思うこともある 

そう言う意味での背負い過ぎないでなら分かるが、この人の言葉はどっからか上から目線しか感じない 

 

この意見には全く同意しかねます 

 

 

・国家を背負うのは、ある意味で仕方ない。 なぜなら各所で税金が投入されているのだから。 しかしながら「国家の代表として恥ずかしくない態度で、全力を尽くして臨むという義務を負う」だけのものであり、「金メダル等の優秀な成績を収める義務を負う」わけではない。よって精一杯頑張った選手を結果で責めるのは違うと思う。 

 

 

・ユニフォームに国旗が縫い込まれたりそれをモチーフにしたデザインになっていたら、代表になれなかった敗者の事を思えば出場選手がそういう意識になるのは普通かと思います。 

て言うか、代表になるまでのそういう心身の苦労を察する事無く、アスリートをスポーツバカを見るような感覚の人がエアコン無しの選手村を作ったり評判の悪い食事を提供したりセーヌ川で泳がせたりさせてるんだと思います。 

特に敗者の気持ちが分からないような人にそんな苦言を言われる筋合いは無いです。 

 

 

・世界と戦える最高の舞台がオリンピックだった昔とは違いますよ? 

世界戦に慣れた選手達が、手の内知り尽くしたライバルとこの舞台で戦うのが今のオリンピック。 

 

国を背負う背負わんも既に個人で判断していい時代がきてるのに。今さら何を言ってんのか分かんない。 

 

社会学者って何の功労者なのかは知りませんが、ここの話には乗らない方が得策だと思います。 

 

 

・小さい規模だけど、学校で代表になるのだってそれなりの覚悟はうまれる。代表に選ばれたらそれなりの責任を感じるのは普通ではないだろうか。 

押し付けるものではないとは思うけど、選ばれて何も感じない人はいないだろうし、それを力に換えられるのであれば別に悪い事ではないと思う。だからホームの代表選手って活躍するわけで…。 

 

 

・というより、アスリートに限らず、ひとたび海外に出たら、誰もが国家を代表しているという意識を持つことが必要だと思います。海外で不祥事を起こしたら、「A氏が不祥事を起こした」ではなく、「日本人が不祥事を起こした」と報じられることを忘れてはなりません。 

 

 

・この上野という人は、どのような理由でエゴイストという表現をしたのだろう。 

試合に臨む意識はアスリート一人一人、それぞれが独自のものを持っているはず。 

 

それまでの育ち方、競技生活の背景、関わった人々との関係や想いから、国家を背負う競技者もいると思う。 

オリンピックゲームを楽しむ競技者もいると思う。 

 

この上野という人の意見には、その一部に競技者を思いやる気持ちが見えはする。 

しかし、エゴイストに見えてくるなどという発言には、むしろこの方自身がそうなのではないか、という思いの方が強い。 

学者さんで社会的地位もある方のようだけれど、本当に考えた発言だったのだろうか。 

思慮深さを感じない発言だと感じた。 

 

 

・代表として出場したんだからその結果を批判しても良いけど誹謗中傷しては成らない。 

批判と誹謗中傷は全く違うもの。 

そして代表として出場したからとて結果に付いて謝罪する必要も義務も全くない。 

その世界を味わえた事に先ずは喜んで悔しい気持ちがあったらリベンジしようとしたら良いし精一杯やったなら結果なんて度外視してそれだけで自分を褒めたら良い。 

 

 

・国を背負って戦うのは違う 

国に誇りを持って戦うが正解だと思う 

親に、配偶者に、友人に同郷のみんなに、所属チームや企業のみんなに、応援してくれる日本のみんなに。自分をここまでしてくれた日本のみんなに誇りを持ってというのが正解だと思う。※海外のコーチや指導を受けてきたアスリートもその人たちをひとくくりに考えてしまおうよ!ってことでセーフ 

 

 

 

・五輪に対してどういう感情を持つかは個人の自由です。しかしながら、それは個人の価値観で、他人に強要したり他人を批判すべきものではない。選手に誹謗中傷する輩と根は同じだと言えます。 

まして人にモノを教える立場の者が言うべきではない。同様の事をテレビで発言した大学教授もいましたが、あなた方も充分エゴイストです。しかもアスリートと違って、感動も爽やかさもないエゴイストです。 

 

 

・この記事が正しいとすれば、上野さんは「アスリートがエゴイストに見えてくる」と言ってるのでしょうか。意味が分かりません。それとも報道関係者のことをいっているのか?さらにはアスリートが「国家を背負って」と勝手に言ってるけど何を根拠に言っているのか? アスリートの思いは様々。「日本の名誉のために」と「国家を背負って」は違うでしょう。さらに言えば突然「国家」を持ち出さないでほしいと思います。選手は「国家」など大げさでなく「日本」「JAPAN」のために頑張っています。「国家」という文字を勝手に持ち出したところに、上野さんの思惑が感じられる。 

 

 

・全く関係ないようで、関係あると思うのですが…。 

SNSって、トラブルや問題を起こし過ぎと思いますが。 

この方の意見は意見で、わざわざ拡散する必要性があるとは思えません。 

そうすると誹謗中傷があったりしますよね。 

SNSに善し悪しがある事は分かっていて、意見が違う人や通じない人もいるわけで。 

Xやインスタ,FBなど、やめますって人出てきてもいいと思いますがね。 

 

発言の共有、拡散のメリット、デメリットを今一度考えたらどうかと思いますが。 

 

オリンピックの賛否はさておき。 

 

 

・背負っても、背負わなくても個人の感じ方だし、表現的にも 自分ため、親のため、応援してきた人、日本人として、日本人の代表としてどれも違和感ないです。  

上野氏と私の立ち位置から見えるものが違うのでしょうね。 まあ、マスコミに関しては都合の良い立ち位置でを選んで報道しそのバランスが中立ですから、上野氏の意見は理解できます。 

 

 

・そもそも、この方と同じ考えで日本を背負って戦う気がない代表選手は存在してるのか疑問です。現状を把握する為に一度調査したらいいと思う。その結果が半数を超えるようなら選手の意見を尊重して国を背負って戦ってくれなどとは言いません。 

 

 

・多くのアスリートが日本代表として戦っていると思いますが、国家を背負うなんて意識はないと思います。 

昭和じゃあるまいし、国や周囲の支援に感謝しつつも自分のために戦っていると思いますよ。その意味ではエゴイストかもしれません。 

 

 

・選手は国家なんて背負って努力なんてしてないだろう。自分との闘いの結果を求めている、それに対して国民は応援している。只ほかの国の選手、とり分け、中国、北朝鮮、韓国あたりは国家を背負っているだろう。この、東大名誉教授は、東大の入学式の式辞でも自分の考えを独占的に流布している。社会学者の地位を利用し、価値観の絶対化をことあるごとに行っている。それは、大衆には支持されていないことに気づくべきだ。 

 

 

・うーん、日本国内の狭い視野だけでボヤいている氏よりも、世界の舞台で躍動する選手たちの気持ちに耳を傾けたい。まずは選手の素直なモチベーションの足を引っ張らないでほしい事。それと、こんな事はみんな百も承知している事で、あえて言うことではないと思う。当たり前のことを大きな声で、さも正しげに言うのがこの人たちの特徴で、あまりデリカシーがあるとは言えない印象。 

 

 

・まず、「アスリートに国家など背負ってほしくない。彼らがだんだんエゴイストに見えてくる」というのは、発想として逆ではないか。その理由からのべると、徹底的な「エゴイスト」であれば、あるいはそれが可能であれば、そもそも「国家」などというものは意に介さない。 

 

旧東ドイツなどのステート・アマチュアは、そうすることがその後の唯一の道だったからこそ、「国家を背負って」いたのだと思う。しかし現在は、徹底して「エゴイスト」であろうとすれば、他国に亡命して亡命先の国籍でトップを狙うなど、すでにオリンピック自体は「国体化」している。国籍を超えたほうが利益を得られるチャンスが有る選手は、とっくに国籍など変えている。 

 

それは私は大変健全な判断だと思う。「育ててくれた祖国であろうと、受け入れてくれた国に感謝する」などという共同体との同一化欲求が古い発想であること、これに関しては上野氏に私は同意する。 

 

 

・オリンピックに限らず、世界大会もアジア大会も国体も甲子園も、選手たちは地元や応援団の声援で元気をもらい頑張れている部分はあると思う。全員ではないかもしれないが、お国の期待に応えたいというのは、自然な気持ちではないだろうか。そういうピュアな気持ちを、識者が国家や民族とか、イデオロギー的なものとくっつけた論調にするからおかしくなってくる。メディアはあれが仕事だし、他国も状況は同じ。それにメダルをとった海外選手の自国での処遇は、日本のそれとは比べものになりません。それは国家を背負っているということではないのかな。 

 

 

 

・国威を示すとかいう意味での国を背負うなら要らないけれど、国の代表という意味なら別にいいと思う。 

一般市民が勝負の結果にとやかく言う権利なんかないけど、国の代表を応援して、讃えるくらいさせて欲しい。 

彼らの直向きに努力する姿はホントに清々しいのだから。 

 

 

・アスリートがエゴイストに見えてくる…は自分はない。 

 

彼らをエゴイストと言うなら、 

事実を淡々とではなくメイクドラマ的(或いは故意に第三者の言葉を借り批判的)に扱いたがるマスコミ、メディア各種にこそ思う。 

自分達の飯の種にせんとアレコレ話題を高揚させようとしてるのがわかる。 

 

アスリートは代表ではあるが国家を背負ってはいない。 

代表者は勝利の責任を負うのではなく。 

持てるMaxの力を大舞台で発揮するよう努める事が責任。 

それに賞金がかかっていようと、 

人間の能力の極限に挑み鍛錬してきた中身を思えば、あって当然だと思う。 

 

潔く誠実に勝負に向かい、 

結果勝ちに繋がる事を選手も観戦者も願い楽しむ祭典。 

 

それをマスコミが昔から選手達に国を背負わせ、 

負ければ国の恥的批判を第三者の言葉と共に挑発的に責めてきたせいで、 

マスコミでなくアスリートがエゴイストに…などと言われる羽目になってると感じる。 

 

 

・「国家を背負う」というのは完全に感覚の問題だと思うが、昔のオリンピックの選手に感じていた「オーラ」「国を背負っている感」を、今の選手にはほとんど感じない。 

そのような「オーラ」がないなら、実質的にオリンピックは終わりだろう。そして、今後それが回復することもないと思う。オリンピックは20世紀の遺物である。 

 

 

・基本的に自国の選手を応援してる人が多い。マスコミもその流れで報道する内容を統一する。結果によって選手は期待に答えられなくてマスメディアを使って謝ったり気持ちを伝える。応援する側も応援を伝える者も、応援される側も当たり前の流れに沿っているだけ。 

 

それは見方によっては国家を背負ってるってみえる。けど単純に同じ国の国民だから自国の選手を応援してるだけじゃないのか? 

 

その流れに反応して国家など背負うなと、息巻くのは意識過剰なんじゃないですかね先生?。皆そんなそんなスタンスで応援してないと思うけど?先生のものの見方が捻れてませんかね? 

 

 

・上野氏の言い分がエゴイストに見えてくるのは何故だろう。 

 

私自身も国家を背負うとか、そもそも思ってはいないが国家・国民・同じ競技の代表である事は間違いない。 

其々の競技で、其々の国家中で一番同士が戦うオリンピックは、ある意味最高の競技と言う事だな。 

世界大会や世界選手権も有るけど、多くの競技が一堂に会する五輪はある意味国家隆盛を示す機会でもある。 

 

勿論、今の五輪は商業主義だしIOCも公平公正だとは言えない。 

だが参加する事に意義がある以上、参加しない選択肢はない。 

 

だがしかし、平和や友愛・公正・公明・平等・公平や正しさは今の五輪には無いとしか言えない。 

従って五輪を運営するIOCを解体し、クーベルタン男爵に理念オリンピズムに戻るべきだろう。 

 

 

・本人が意識するにしろしないにしろ 日本国内の選手から選ばれた代表なのだから 

代表に選ばれた時点で自動的に背負っているものだと思うがなあ 

 

勝ち負けに関しては本人次第、我々が口出しできるものではないけど 

態度だとか姿勢だとか、そうしたところは日本人として誇れる姿であってほしい、と願うことはおかしなことなのだろうか 

 

 

・国家と言うより企業から何から背負いますから 

はっきり言ってロサンゼルスオリンピックから商業主義移行 

その為全てのベースがお金なんですよ、 

ある意味オリンピックアスリート=オリンピックでメダルを取る為のプロの選手 

だから選手選考もスポンサーの意向があったり、フラッグも背負い複雑なものになった。 

昔松野明美さんがのバルセロナ五輪女子マラソン代表選考騒動も所属していた会社が小さいからマラソンを外されたとも言われています。 

浅田真央さんがソチオリンピックでの練習地はアルメニアの砂や石ころが混じった真冬の屋外リンクでした。 

ロシアサイドはスケート界のカリスマ真央の為にモスクワの屋内リンクを用意をすると言ったのに日本スケート連盟は辞退したとか、明らかに誰かの意向組んで妨害だと思えます。 

まあ政治家でしょうけど 

 

 

・選手の強化費用として、税金が使われているので、仕方がありません。 

企業のスポンサー料だけでは、賄いきれません。 

参加する事に意義がある、メダルの色も数も成績も問わない、と選手が指導者が日本国民が納得できるとは思えません。 

 

 

・MLBの選手は普段はナショナリズムと無縁だが、トラウトら何人かのスターがWBCや五輪でプレーしたいと言った。国のために戦いたいらしい。自分の働きが国民の喜びや国の名誉に繋がる。そういう願望は否定されるべきものなのか?例えば、ある選手が特定のマイノリティを代表してそのために活躍したいと思うことがありうるが、国家でなく郷土、人種等について同種の願望を持つのは駄目なのか?もし国家が駄目で他のものなら良いとしたらそれはなぜか?戦後の日本には国家否定の感情または思想があるが、それは粗雑なもののようで、何が言いたいのかよく分からないし(多くの人は軍国主義の反動でそうなっているだけで、大してものを考えていないと思う)、国家否定の傾向のある人達の多くは本人が思うほど個人主義的に見えない。 

 

 

・オリンピックの生い立ちを考えたら分かりそうなものを 

国家を国民の思いを背負って誇らしく参加しているのだ 

古代ギリシャが戦争を中断して競技で勝敗を争ったのが起源 

メイン会場に一番目にギリシャが入場することで分かる 

平たく言えば、現代では平和を保つための代理戦争ともいえる 

国威を上げるため共産圏では特に力を入れているのでも分かる 

勝つために国が資金と環境の提供を選手に行うのである 

そして世界もその場を提供する 

ただ単に個人の競技なら世界は自国の選手にそれ程熱狂しない 

相手国に勝利することで熱狂するのだ 

国を感じ一体感となる 

ナショナリズムを意識させるが、あくまでルールがあってこそ成り 

立っているのがオリンピック 

スポーツに関心の無い層が何かとケチを付けたがる 

本当にスポーツに取り組んだ経験などないのだろうと思う 

 

 

 

・昔と違うので選手は国家は背負ってはいないと思う。但し「メダルが獲れる可能性が高い競技ほど強化費を沢山交付される「傾斜配分」というシステムが有るので、次の世代の強化費がどれだけもらえるか?を今の世代の成績が背負う形にはなっている。 

 

 

・プロアスリートなんかエゴイストじゃないと出来ないし他の選手を蹴落として日本一になんかなれないでしょう。 

ブルーロックでも 

「FWと言う点取り屋はエゴイストたれ」 

とエゴジンパチが言ってる。 

そのぐらいの精神力が無ければ出来ないと思う。 

オリンピックは商業主義過ぎて見る気がしないってのは一つの意見として分かる気がするけど、人生かけてる選手を非難するのは違うと思うよ。 

 

 

・日の丸をつけて世界の舞台に立つということは国家を背負っていると言う事です。そんなことも分からないで偉そうに言わないでほしい、世界が戦争や争いで乱れているかこそスポーツで平和を訴えるのは素晴らしいと思う。 

 

 

・確かに、選手が自分で言ったのなら、それを伝えるのは構わないけど、「日の丸を背負って」「日本の誇りをかけて」とか、マスコミが勝手に言うのはおかしい。 

 

しかし、敢えて広言することで、集中力を高める選手も居るのだから、上野氏の「国家など背負って欲しくない」も、同様に余計なお世話で、それは個人の自由でしょう。 

 

つまり、当事者の選手以外が言うことではない。 

 

 

・プロ野球選手やJリーガーがファンの気持ちを背負うなってことか??? 

 

競技の違いはあれど、日本人ならどの競技でも漏れなく日本人選手を応援しますよ。 

 

国を背負ってるというのは比喩表現かもしれないが、国民の期待、応援を背負ってるのは確かなことだし、出場している選手もその事を理解しているからこそ出場しているはず。 

嫌なら辞退などもできるはず。 

 

出場する時は応援よろしく!で、負けたら国(期待や応援)は背負いませんじゃちょっと都合が良すぎませんか??? 

 

もちろん謝る必要はないし、謝罪など求めていない。 

しかし応援してくれた方や支えてくれた方々への想いはあって当然じゃないかな??? 

 

 

・個人的には別にいいけど。 

そうなると税金を使うべきではないし、マスコミ含め世間もこんなにオリンピックに注目する理由もなくなる。 

実際のところ国を背負う事で一番メリットあるのはアスリートだと思う。 

 

 

・この方本気でスポーツに取り組んだことないのかな? 

五輪の選手達は日本国内の厳しい五輪の代表者争いに勝ち抜いて今パリに立っているわけですよ 

 

何人もの悔し涙を見てきている 

彼らはその気持ちがわかるから彼らの代表として戦っている 

そして今までお世話になった恩師や家族や応援してくれてる母校の先輩や後輩や会社の先輩や後輩や家族や友達や応援メッセージをくれる日本の視聴者の思いも背負っている 

 

これをまとめて国の為に戦うと言ってるんですよ 

それをエゴイストとか失礼極まりないですね 

本当にこの人が教授なのか? 

いくら反日思想が強いからって日本のために頑張ってくれてる選手達に失礼だと思います 

 

こんなもの日本だけじゃなくて各国の選手達が国の為に戦ってる 

それを否定するようなことをいう必要ないと思います 

 

 

・平和の祭典とは誰が言って、誰か信じているのか。 

古代ギリシャでは国家存亡の危機であっても、祭事を優先して軍事を控えた。スパルタのテルモピュライの戦いが一例。 

当時のオリンピックは平和のために行ったのではなくて、祭事だから戦争を避けただけのこと。 

ナチスの行ったベルリン五輪はプロパガンダだったし、ロスやモスクワ五輪もそれぞれの陣営が出場を拒否している。 

ミュンヘン五輪ではイスラエル選手団にテロが起きているし、ウクライナ侵攻は北京五輪でのパラリンピック開催中の出来事。 

誰も平和の祭典とは信じておらず、その時代の政治情勢が反映している。 

リベラルな方々は、自身の都合の悪い歴史を無視する傾向にありますね。 

 

 

・ある意味で国家を背負った戦いだから注目されるんですよ。 

ただの世界大会だと注目されないスポーツも観る人達が増え、賞金も出る。 

そりゃ普段から観ない人達が「こうあるべき」とか議論するのはズレているとは思いますが、「エゴイスト」と言うのも普段から観ていないのなら言う資格はありませんね。 

誰がエゴイストか、冷静に考えても分からないなら思想ですね。 

 

 

・みんな日本国内の選考会で他の人を蹴落として日本代表の座を勝ち取ってるので、国を背負う気持ちはわかるなぁ。 

社会科学の大学教授仲良し集団で仲間内で昇進を決めるから大した論文書かなくてもいいから一人一人の責任感がないのかもね。 

 

 

 

・>アスリートに国家など背負ってほしくない。彼らがだんだんエゴイストに見えてくる 

 

私達日本国民は全ての人達ではないですが、オリンピック出場選手に日本国を背負わせてしまいがちですが、選手達は国家など背負ってないと思います。もし選手達が国家を背負うので有れば、待遇をもっと良くしないといけませんし、メダル獲得者や入賞者の方々は国からあらゆる面でもっと優遇されても良いと思います。またオリンピック出場選手というのは、自己との戦いなので、エゴイストというよりも、良い面でナルシストだと思います。 

 

 

・別に国家を背負ってるわけではないでしょうけど,日本という国に対して世界が持つイメージや心証に結構影響するのは確かでは.日本人から見た海外だって同じようなものでしょう.他に外国を知る機会を持っている人は割合からいえば多くはないでしょうし. 

 

 

・どうも選手批判にも聞こえてくるのだが…国の代表として戦って競技する以上、選手本人の意識に程度はあるにせよ責任感じて戦っているんだと思う。 

それが責任を背負いすぎなくていいという趣旨にも聞こえないし、エゴイストという批判はどうなのだろうか。 

 

 

・たまに本当に上野氏を崇拝する女子、いや女史に出会うことがある。彼女達は平凡な男の私からすると能力は高いがしかし独りで生きることを強いられ、本人だけ気づきてないマッチョな雰囲気を漂わせ、当の上野氏とは全く違った生き方、私からは不幸に見えるようなライフスタイルを、これが女だと鼻息荒く納得させながら生きているように見えます。 

 

 

・まずは「金持ち喧嘩せず」の格言を上野氏に提示させていただきます。かなりの日本人は最近になって気づき始めましたが、日本は控えめで自虐的な国民性が特徴です。自分はフランスやスイス、ブラジルに行きましたが、どんなとこにろにも国旗が掲げられています。小さな居酒屋や、のどかな田舎路地でも国旗だらけです。だからどこへカメラを向けても国旗が写ります。それらの国は国家を背負ってオリンピックやワールドカップに出ます。勝つために「戦う」のです。国家そのものも国威高揚のために作られています。対して日本の国歌は実に厳かで神々しいと思います。日の丸をかかげ堂々とその国歌を披露することは美しい平和の祭典の象徴となることでしょう。 

 

 

・エゴイストって、他人を顧みず自分だけの利益を追求する行動や態度を持つ人の事を指すんだけど、チーム戦やペアだとそれじゃまず勝てないし、そもそもいかなる競技でも他人を顧みないその精神ではリスペクトを得ることはできませんよ。国を背負う云々ではなく。 

 

選手の考えにもナショナリズム・グローバリズムの強弱はあるだろうけど、日本の国籍を持っている以上、日本の方々にお世話になった確率は非常に高いわな。お世話になった方や応援してくれた人に感謝や謝罪をすると、自ずと日本人になる可能性は高いし、それが日本の方々に向けられることになるのは自然な流れだけど、その上で、上野さんにはアスリートがエゴイストに見えると。 

 

それ、上野さんが日本の事を嫌いなのが原因なのでは? 

 

 

・「結婚なんか無意味」とか言って、そういう本まで書いて、ちゃっかり自分は金持ちと結婚してるような人のいう事ですからね。 

話を聞く価値全くなしです。 

 

まず、スポーツ紙とはいえニュースにすること自体、記者とそれにGoサインを出す上司の思考を疑いたくなりますが、コメントランキングトップになっているようなので、そういう意味では大成功なのかもしれません。 

 

 

・ほんと、背負ってなんかほしくないよ。 

 

昔のような貴族や王族、大財閥のいる時代じゃないんだからさ、 

特別な才能を持った人たちが、自分のスキルで演舞や競技で活躍してくれたらいいね!と、みんなでちょっとずつ税金からや寄付して送り出すっていうパトロンスタイル、スポンサーシップに世の中変わっただけだからさ、 

 

一位でも三位でも十位でも、 

精一杯やって、各国の競技者と交流し、技術を高めあって、あー楽しかった! 

で帰ってきてくれたらそれで良いじゃない。 

 

 

・オリンピックは、国家を代表した選手が競い合うというスタイルが、今や時代遅れになりつつあるんだと思う。スポーツファンは世界のトップレベルの競技を見たいのに、マスコミは日本の選手がメダルを取ったかどうかなどという内輪向けのニュースばかりやっている。報道も「苦難の四年間」「家族の応援」「郷土の誇り」みたいなベタな記事ばかり。そんなのスポーツと関係ないし、ワンパターンでいいかげん飽きられてきてるよ。 

 

 

・甲子園に出場する高校球児などでも、「国民に希望と勇気を与えたい」などと口にすることが多いが、そういう「うぬぼれ」をマスメディアが煽り、スポーツ選手の一部は自らをアスリートと名乗り、一般国民より上位の存在であるかのような風潮を作っていることが問題なのだと思う。 

だから、不甲斐ない成績には「誹謗中傷」が起きるのではないだろうか。 

 

 

 

・国家単位の出場枠であり、JOCにも税金を使って出場するんだから何をか言わんやだな。 そんなに国家を毛嫌いするなら国家から縁を切って生きればいいだろう。 背負うの背負わないのという考え自体が大間違い。国を挙げて応援してもらっている立場をわきまえて行動すればいいだけのこと。 あとはスポーツマンシップに則って正々堂々競技して勝っても負けても自分に勝てればそれでいい。その姿に応援している国民は感動するのだから。 

 

 

・国家を背負わされる選手がエゴイストではなく、選手に国家を背負わせる周囲がエゴイストなのではないでしょうか。 

選手達は国を代表してという意識はあるでしょうし、そういう意味での愛国心は高まっているとは思います。 

愛国心というと国家への忠誠という事を思い浮かべる方もいますが、郷土愛や家族愛も愛国心の形式の1つ。 

競技を頑張り楽しむ選手達がもし満足する結果を出せなくとも国家の恥にはならないでしょうし、そういう言葉を周囲が投げかけるならばその周囲の者が恥だと思います。 

 

 

・色んな考えがあって良いのだけれど、アスリートが日本を代表する事の自覚を持ってその事が頑張れるモチベーションになるなら構わないと思う 

 

応援してくれる人の思いを胸に頑張るアスリートたちを「エゴイスト」呼ばわりする方がよっぽどエゴイストじゃないの? 

 

確かに期待という圧をかけ続けるマスコミの在り方に少なからず疑問を持つ事はあるけどね 

 

 

・アスリート自身が自ら国家を背負う意識で競技なんて初めて無いだろう。 

 

SNSでの誹謗中傷にしても、サッカーチームが負けが込んだ時にサポーターが暴挙に出たりするように上位のアスリートになればなるほど地域のチーム意識や勝ち抜いて国の代表に選ばれた状況から周囲の目が国家を背負わせてるって言った方が正しいのだろう。 

 

開会式の入場の動作から競技の内容にしても一億総評論家のごとく評価するし、SNSがその思いを良くも悪くも誰でもが発信できる世の中、柔道なんてお家芸と言う事もあってネットの無い時代からメダルを取って当たり前、メダルが取れなかった時の度を超えたバッシングもあったりと全ては周囲の目しだいだ。 

 

五輪報道は仕方がない、感動的なドラマにして視聴率上げないと元が取れない程に放映権料が高すぎるのもある、現実に放映権料を払ってないとニュースと言えど大谷選手の映像を流せないじゃない、そんなもんだ。 

 

 

・代表とは、 

 

一部分によって、それの属する全体を表し示すこと 

 

とある。 

 

JAPANを背負っていることには違いない 

 

個人で国際大会に出場しようとすれば、コストが見合わないのだけれども、税金によるサポートがある限りは背負うことにはなるよなぁ 

 

まあ当然、日本体表になる以前にチームや都道府県の代表も経験しているはずだから、いきなり負担に思うことはないと思うけど 

 

 

・国民体育大会は県を背負って争っていると見る人もいれば、国民の体育向上を願ったお祭りと思う人もいれば、故郷を懐かしんでその出身者を応援する人もいる様々な人が楽しんでいるものです。運動会の赤白みたいに一体感をもった仲間が楽しんでいるでもよいかも。 

 そんな多様な形でスポーツを楽しんでいるオリンピックに水を差すような事を言っても良いけど無粋だよね。いやならみなきゃよいだけです。なんで左の人はなんでも国家間の争いにこじつけて物事をみるのだろうか?国家の威信をかけて国ぐるみのドーピングを行っている中ロに文句言ったことを聞いたことがない。 

 

 

・昔 マラソンの人だったか もう走れないと言って死んだん人がいた、 この時も メディアの過度の期待を一心に背負わされて 亡くなってしまった。 

 

恐らく見ている側も 報道する側も 過度の期待を賭けて居ることを認識していない 

そういった事は 今も昔も 日本は全く進歩していないのは やはり島国だからなのか、 教育や言葉も絡むかも知れない。 

 

 

・上野千鶴子氏は「国家を背負う」というところに、戦中の軍人-兵隊の有り方を重ねているのかも知れません。確かに何かと、「選手に対する敬意が足りない」とか、「選手をリスペクトすべきだ」とか、あるいは命がけで大変な努力を払って戦う彼らへは、批判すらしてはいけないといった風潮などもみられ、ちょっと似ているなという気もします。エゴイストという指摘はよく分かりませんが、「国家など背負ってほしくない」という言葉には、そういったものが滲んでいるような気がします。 

 

 

・そりゃあ無理というもの。 

オリンピックの本質は国の代表の競い合い。憲章もそれに従って作られているしね。 

ただし、国の代表だからと言って、成績が振るわなかったことを謝罪したり、非難されたりするのはおかしいと思う。 

成績がどうであろうと出場は努力の成果だろうし、精一杯競技をしたんだろうから、胸を張って帰ってくればよいし、受け入れられるべきでしょう。 

 

 

・現状のオリンピックは事実上、国別対抗戦になっています。というか、最初からそういうものとして始まりました。国別対抗戦ではないオリンピックがあり得るのかと考えれば、その答は限りなくNOに近いと思われます。 

 

 

 

 
 

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