( 198851 ) 2024/08/06 02:50:43 2 00 柔道で相次ぐ〝疑惑〟で五輪種目を目指さない剣道に脚光「下品なショーになることを懸念して…」東スポWEB 8/5(月) 20:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/bd29e5bf519a2282a4db11f8f32e85535d8934d5 |
( 198854 ) 2024/08/06 02:50:43 0 00 代表戦の階級が90キロ超級に決まった〝疑惑のルーレット〟
パリ五輪の柔道で〝疑惑〟が続出して混乱を招いている事態を受けて、同じ日本伝統の武道である「剣道」が脚光を浴びている。
今大会の柔道は各階級で〝疑惑の判定〟が続出して世界中で波紋を呼んでいる。最後の混合団体決勝(3日=日本時間4日)では、阿部一二三の試合などで不可解な判定が相次ぎ、3―3からの代表戦では、出場者の階級を決める際にフランスが最も望むテディ・リネールの90キロ超級が指名されるという茶番劇。これが〝疑惑のルーレット〟として、大論争を巻き起こしている。
本来の柔道が「JUDO」へと変貌した現状に、日本を中心に憂慮の声が上がる中で、対照的にスポーツとして五輪種目を頑なに目指そうとしない剣道が注目を集めている。
今回の柔道をめぐる混乱を受けて、小説家の山口恵以子氏は自身のX(旧ツイッター)で「日本剣道連盟は、頑なにオリンピック競技になる事を拒否している。それは正解だと、オリンピック柔道を見るたびに感じる。オリンピック競技になった途端、柔道がそうであったように、剣道は武道から、点取りスポーツ競技に変質するだろう。それは、剣道の劣化でしかない。剣道は武道を守ってくれ!!」と強く訴えて、剣道が五輪種目とならない方針を支持している。
SNS上でも剣道と柔道の経験者を中心にして議論を呼んでおり「五輪種目化したら本来の〝道〟という考え方や精神は破壊されるに決まってる。剣道を五輪種目化しない日本剣道界は賢い」「剣道が五輪に対してNOを言い続けているのは、今回の柔道(JUDO)みたいに下品なショーになることを懸念してなんだろうな」「なぜ、開始前後に『礼』をするのか 選手もコーチ陣も分かっていないような人たち 相手を敬う気持ちの無い選手・観客 不正し放題のルーレット こんなの武道じゃない」などと剣道が柔道の〝二の舞〟とならないことを願う意見が続出している。
本来の武道からはかけ離れる一方の「JUDO」。このままでは「柔道」が死語になる日も近いかもしれない。
東スポWEB
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( 198853 ) 2024/08/06 02:50:43 1 00 剣道に関する意見やコメントをまとめると、以下のような傾向や論調が見られます。
- 剣道はスポーツではなく、武道であるため、オリンピックの競技になるべきでないという意見が多く見られます。 - 剣道は相手へのリスペクトや礼節が重要であり、それを守り続けることの大切さが強調されています。 - 柔道やJUDOが競技性重視で武道の精神や礼節を失ってしまったとの指摘もあります。 - 日本の武道や文化を守り続けることの重要性が指摘され、オリンピック競技にする必要はないとする意見が見られます。 - 欧州やアメリカなど外国でも武道に対する理解や興味があるという意見や、日本の伝統や礼節を尊重する姿勢を示す外国人選手も存在することが指摘されています。 - 審判の難しさや質の低さ、技量の差など、剣道の競技性としての課題や問題点についてのコメントもあります。 - 一部では、剣道を守りつつも新しい視点を取り入れることや、海外での普及を進めるための工夫が必要との意見も見られます。 - 他の武道やスポーツ競技との比較や、武道の本来の姿や理念を尊重することの大切さについての意見もあります。
(まとめ) | ( 198855 ) 2024/08/06 02:50:43 0 00 ・学生の頃、剣道をしていました。 剣道連盟は、オリンピックの競技には、 ならなくて良い。剣道は、スポーツではなく、武道だから。と言っていた話を 思い出します。 剣道においては、相手へのリスペクトの思いから、ガッツポーズや、もちろん、ヤジなどありません。観客は、拍手のみ。 対戦者への敬意がなければ、競技すら、成立しません。 どんな時でも、相手への尊敬や立場を思いやることが大切だと思います。
・剣道経験者ですが、剣道がオリンピック種目になることは先ずあり得ないと思う。剣道は面、胴、小手、突きとあるが、そのどれにも1本を取るには素人では判断できないほど確実な打ち込みが必要で、審判はそれを凄まじい速さの打ち込みを見て判断しなければならない。フェンシング等はセンサーが付いていて、とりあえず相手の決められた箇所に触れると反応するが、剣道は単に当てれば良いと言うものでは無い。もし剣道をオリンピック種目にするならば、それ相応のジャッジができる審判が必要だが海外の人ではいくら剣道経験者でも不可能だろうし、また見ている観客は、1本の判断はわからないと思うのでクレームで溢れかえると思う。剣道は粛々と日本の武道として後世に伝えられば良いと思う。
・剣道の日本対韓国の試合を見たけど韓国選手のマナーの酷さはど素人の自分でも分かるくらい目に余るものだった。日本の選手はとても立派だったので尚のこと悪目立ちをしていました。世界の人々に日本人の「道」という心はなかなか理解出来ないのかなと思います。剣道が「Kendo」にならないためにも護ることは大事だと思います。
・剣道は五輪競技になど採用されなくても 有志の方々によって極めて好ましい形で世界に普及していると感じます。 これからもKENDOに成り下がる事なく、剣道を学ぶ人々がその本質を正しく受け継ぎ、後世に繋いでいかれる事を切に願います。
・剣道は賢明だと思います。あんなタックル技なんか見てしまったら。 柔道に限らず、グローバル化とやらで日本の良いところや良いもの、伝統や日本らしさが壊されていく気がしています。武道の心を理解しようとする外国人はあまりいないでしょうね。
・剣道は世界的に普及していないと思うので、そもそもオリンピックにできないんじゃないですか。日本でやれば別かもしれませんが、その必要もないと思いますし。 点取り競争になっても世界的に普及した方がいいのでは。そして世界の波に晒されたら確実に他国から強い選手が出てきますから、敗北することもやむを得ないことでは。ただそれによってより柔道が進化していけばいいんじゃないでしょうか。
・負ければ文句言って、勝ってれば文句も何も言わないんだろうな。外人の事を礼にかけるとか、やる資格はないとか言ってるが、すでに日本人自体が礼節というものを重んじていないよね。団体は詩さんも勝ったし、一二三さんも負けたし、最後は立さんで負けたならそれで良いじゃない…悔しいけど。やるのは本人達だし、日本国の代表として、日本人の重んじる礼節のお手本としてベストを尽くしていただいているが大変感動を覚えます。
・この7月にミラノで開催された、国際剣道選手権大会には61ヵ国が参加したそうです。 剣道の経験を持つ記者が、各国の参加者にインタビューした記事を読みましたが、海外の選手にも礼節の精神がしっかりと息づいていました。また何歳になっても続けられるという意見も多かったですね。剣道は今のままが良いと感じました。 ちなみに結果は今回も団体は男女とも優勝。個人戦は1位から3位まで日本の選手が独占ですが、それでも参加国が増えているのは、剣「道」が共感を得ているからこそと思います。
・今のオリンピック柔道は本来の礼節と相手をリスペクトする心からはかけ離れている。パリ五輪の柔道を見ていると畳に上がるところから礼もまともに出来ない選手がほとんど、勝つと礼もせず畳の上で飛び上がり相手へのリスペクトは全くない。オリンピック競技で有り柔道では無い。剣道は絶対にオリンピック競技にしてはならない。なった途端礼節を重んじないで道着も色付きになったり外国人の理事が増えいろんなルールを変更してくだらないショーになりかねないだろう
・フランスの国民的英雄とまで言われているリネールのおかげて、柔道とJUDOは似て非なるものだと理解できました。
リオ五輪の決勝で、凄い強い、史上最強とまで言われ、どんなものだろうと楽しみに見ましたが、終始組手を切ってまともに組まずに、たまに飛びついては攻めてますよアピールをして反則ポイントを得るだけのJUDOでした。
以来JUDOに興味は無くし今回のオリンピックも一切見てませんが、もはや「道」ではなく「SHOW」に成り果てたようですね。
KENDOになんてならなくて本当に良かったと思います。
・日本の目指す武士道とか一本柔道というのは理想主義的な「道」であり、それを壊して喜ぶことがフランスやオランダの目標のように見える。日本で生まれたマットウな柔道家がフランスに留学するとは思えない。「日本の柔道がどれほどくだらないか、オレたちがメダルを独占してるしてるのを見ればわかるだろう?」と日本人に向かって冷笑している。だからこそ歯を食いしばって日本の柔道家に一本柔道を目指してもらいたい。頑張れニッポン!
・昔欧州に住んでたとき、柔道指導者とは会う機会があったが、剣道はいなかったな。当時は世界に積極的に広めないんだな、と思っていたが、今の柔道見て納得。しかも、剣道は外国人にはかなり魅力的にうつってるから、すぐに人気が出るだろうし柔道と同じ点取合戦スポーツ化しそう。 合気道や、剣道という、道がつくものは、スポーツ化になる動きがあればすぐに阻止して欲しい。別物です。
・剣道有段者です。
剣道の国際試合では、試合中は観客は静かに見ています。技が決まった瞬間に大拍手です。
それは、観客も剣道を理解している人達だからだと思います。
五輪種目になったら、お祭り気分の観客が、剣道も観てみようかとやってくるでしょう。
柔道のような大歓声になるでしょう。 そうなれば、「道」ではない。 「Show」です。
剣道は、その格式と伝統を守る為に、五輪種目になるべきではないと思います。
・剣道は最後まで日本の武道を通して頂きたい。素晴らしい事だと思います。難民問題や外国人受け入れ問題が世界中で非常に危機的なまでの問題となりつつあるが、柔道が外国人を受け入れた結果であり剣道が外国人は受け入れるが剣道のルールは絶対に外国人も尊重して厳守する事(剣道の素晴らしさを理解しやりたくてやるのだから)と言っているのでありこの様な受け入れの姿が相互にウィンウィンな関係になる理想的な関係性に繋がる様に思える。
・柔道はもともとは自分自身の心身の鍛練にやるもので、稽古中に双方が怪我をしないように先ずは受け身をしっかりとる練習をするのだが、一方スポーツJUDOは勝負に負けないために怪我を覚悟で受け身を取らないように練習する。根本的にまったく考え方が真逆なんですね。 年少者がJUDOをマネすれば事故は必ず起こりますから、指導者の方はしっかり区別を付けて伝統的な柔道を教えるようにお願いします。
・剣道だけでなく、合気道、弓道等日本にはまだまだ伝統を守り続けている武道がある。 今の柔道は最早武道ではなく、格闘技。 伝統も礼節もなく、ただ勝てば良いという世界中どこにでもあるような競技に成り下がってしまった。 恐らく日本の選手は基本的には今でも柔道を追求しているのだろうが、世界は違う。 日本柔道そのものまで完全に変節してしまう前に五輪から離脱するのも一つの考え方だと思う。
・剣道は世界には行かないと思います。 テレビで試合を見ててもどちらが先に 面やコテを取ったかわからないです。 ビデオ判定もありません。 相撲はあるのに。
それが剣道だしそれで良いみたいですね。 流れや勢いを見て判断しているのでしょう。 このままの剣道でい続けて欲しいです。
・確かに今の柔道は、日本の本来の柔道ではなくまるでレスリングに近い柔道にしか見えませんから、剣道がオリンピック競技は無くても何ら問題はない。 ただ現実剣道となると世界的にもやっている国の人、どれだけいるのですから、それはそれで問題でしょう。 剣道ならば判定と言っても、決まり技以外ないですから、一本取るまでは永遠に続く。 万一にも相手側が逃げまくるようなら、それはそのまま負けを宣告したら良いだけですが、今の柔道も出来る限りリーチを延ばして逃げまくっている人もいますから、あんなのはそもそも試合放棄ですので、さっさと逃げている方の負けを審判が宣告したら良いだけなのですが、どうにもスキットしないのが今の柔道です。
・本来の柔道は、柔らかな道、すなわち、身体を柔らかく、そして、相手を引っ掛け、少し力を入れるだけで、自分より大きな身体の持ち主が倒れる。 これこそ、柔道の道だと思ってます。 そして、相手がいるからこそ、柔道ができる。相手への感謝の気持ち。 だからこそ、礼に、始り礼に終わる。 そして、勝ったからといって、喜ばない。 相手への感謝の思いがあれば、相手の気持ちをくみ、喜べないと思います。 柔道は無差別級にして、お互い寝てからの技の掛け合いはなし。巴投げはOK! お互い組んでからの点数なしの一本勝ちにすればいいと思います。
・今は剣道から離れているので解りませんが、 約40年前私が剣道をやっていた頃我が師であり、父の友人でもあった羽賀忠利範士(当時全日本剣道連盟常任理事)が家に泊まりに来たときに言っていました。「オリンピックに出そうとすれば剣の道ではなくなる。」「剣道は基は切合い、生命のやり取りだから高い精神性が求められるが外国人には中々理解出来ないだろう。」(羽賀範士は2年に一度カナダ、アメリカに剣道連盟の派遣で指導に行かれていた。)とおっしゃっていたのを思い出します。またオリンピック種目になれば体重別ではなく身長別階級制にされると冗談混じりに言われてましたね。
・剣道を習っていたものです。 剣道の一本はただ入れば良いわけではなく、気迫や残心がとても大切とされていた気がする。一本入ったかなって思っても残心がなっていないと一本を取ってくれません。それは審判によって違いがありますが、海外の方にはわからない部分だと思います。 まぁその分オリンピック競技に向かないのも事実。ですが私は今でも剣道が大好きです。
・柔道は格闘技になってしまい、心技体はどこに行った?と思ってしまう。もうここまでくると戻れないのだろうね。 魂を売ってしまった感があります。 剣道は、そんなことがないように守ってほしいです。剣道界は慧眼です。審判の問題はAIなど肉眼出ない方法を虎ノ門良いように思う。
・剣道の世界選手権をみれば一目でわかる 勝ちにこだわりすぎて理合の無い技を使ったり 公明正大な試合を崩そうとする外国人選手を正しい剣道で凌駕する日本人選手の戦いがある。 剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。 柔道も心技体を鍛え正々堂々と戦うことが本質だったと思うが、JUDOになってしまってからそれを理解できないのか人間によって形を変えられてしまっているのだと思う。
・五輪や世界選手権でメダルを目指す人には申し訳ないとは思うが、捕鯨と一緒で一度世界柔道連盟から脱退して日本本来の「柔道」を日本人の中で極めていくもありだと思うけど。外からまた「ガラパゴス柔道」と言われるかもしれないが、これはこれで全く問題ないはず。今は柔道で世界の選手に勝ったから本当の意味での柔道を極めていることとは別物だと感じる、今回の五輪を見て改めて思った。
・歴史を見ればそもそも剣道と柔道は成り立ちからして違う。 剣道は複数の流派が集まって創設したため柔道の嘉納治五郎のような創設者は存在しない。また全日本剣道連盟は「剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。」と定義しており、メダルを競うオリンピックにはそぐわない。 柔道は元々創設者の嘉納治五郎が柔術と他流試合を行う等勝負で柔道の優位性を示して普及させた競技であり、柔道の世界への普及とオリンピックへの参加は嘉納治五郎の悲願だった。日本人選手が金を取れないと謝罪し鈴木監督の団体銀メダルが「屈辱」などという発言も人間形成が目的ならありえない。 個人的には反則負け狙いの今の柔道は好きではないし、嘉納治五郎が喜んでイルカはわからないが、柔術→柔道→JUDOというのが歴史の流れなのかもしれない。
・アントン・へーシンクが、昔カラー柔道着を導入させろと欧州の柔道連盟が言った時に、内情を話している。 何故カラー柔道着かと言えば、欧州でテレビ放送するときに視聴者が分かりやすいからだと。 結局、欧州に於けるスポーツはビジネスなんだよ。 それは、オリンピックもサッカーのワールドカップも同じ。 なので、欧州の選手が活躍しないと視聴者が満足しないので、偏った判定になるし、ルールもしょっちゅう変えてくる。 剣道は、元々武士道だからそういうコマーシャリズムに毒されないのは良いことだと思う。 例えばフェンシングを日本が勝手なルール改正すれば、欧州の連中は物凄い非難を浴びせるだろう。 でも、彼らが柔道をJUDOにして勝手な解釈やろうが平気の平左だからね。
・中高と剣道をやっていました。 並行して、陸上もやっていました。大学は陸上を選びました。 陸上の方が魅力的で楽しかったからです。 結果として40歳位まで陸上競技を続けました。今、オリンピックを鑑賞するのは陸上競技だけです。 剣道には全く興味が無くなりましたが、柔道を観ていて思うのですが、今の日本人選手は柔道技で勝てる選手はいないのではないでしょうか?よく言うJUDO技ばかりで、観ていてつまらない試合ばかりです。かつての吉田秀彦選手や古賀選手の様なスカッとした技が誰が見ても柔道なはず。 どんなJUDOな試合になろうと、正々堂々、柔道技で外国人JUDO選手を倒せば良いことです。 もはや異種格闘技戦と思えばよろしい。日本人は柔道でJUDOに勝てば良いことです。
・今後間違いなく、柔道離れが加速していくと思います。日本発祥で国技とも言える相撲・柔道などにおいての武道的精神・心技体の心の重要性が、如何に諸外国の選手や関係者には理解されていないかが今回のオリンピックで更に明らかになりました。相手への尊厳や礼節等、何よりも大切なものを理解出来ない人々が、連盟を牛耳って国際的ルールを取り決め、尚且つ審判の教育も疎かにした結果が疑惑の判定などに繋がっています。柔道界の将来の為にも、未来を担う子供達がパリでの試合内容・光景を目の当たりにしてどのような思いでいるのか、影響を及ぼすのか等について、良識ある関係者は今一度深く考えるべきではないでしょうか?
・確かにオリンピックの柔道、競技としての柔道を見ていると、残念に思う事は多々あります。 ただ、一般の人はあまり知りませんが、オリンピックや世界選手権で活躍した外国籍選手の多くは、武道としての柔道を突き詰める為に、選手としての柔道を終えた後、日本に来て町道場や地域の協会で日本の柔道を学んでいます。 私もたくさんの元ナショナルチームの選手と同じ道場で稽古をしました。こんな所にあの選手が?という事は本当に多いです。彼らは小中学生と一緒に準備運動、稽古をし、稽古後は一緒に道場の掃除をしていますし、年配の先生の言葉に真摯に耳を傾けています。武道は競技で終わりではありません。むしろ競技の後の方が長いのです。
・確かに剣道は五輪種目で無いからケンドウにならずに済んでいると思います。 しかしこのままでは剣道自体をやる子供達が居なくなる危惧もあります。 今の剣道をしている子供達は親が経験者で小さい頃から親から指導されている子達が多いです。 逆に子供自身で剣道を選ぶ子は少ないです。 剣道は剣を持ち何とかくかっこ良いからと思っても、防具等にお金が掛かり、それを敬遠する親御さんもいます。 私の中学時代はわが町にも剣道の防具等を扱う店があったのですが、今では皆無になり、剣道の竹刀や防具を買う時にはかなり遠くの大きな町まで行かなくてはなりません。 剣道が流行ってもらいたいですが、ケンドウにはなってもらいたく無いですし、ましてやKENDOUだけは勘弁して欲しいです。 まぁある意味剣道の審判は柔道以上に難しいですから、オリンピック種目になったら、とんでもない誤審合戦になりそうですけど。
・剣道経験者です。技量あれば竹刀という魔法の杖を介することで体格差は問題なく埋めることができる。よって剣道には階級別がない。そして、試合も稽古の一環であるから、相手をリスペクトする気持ちを忘れないことが絶対。勝利のガッツポーズは取得した一本が取り消しとなるのだ。柔道のようにコロシアムの決闘になってしまわないためにも、オリンピック種目にならなくてよかった。
・武道は日本人としての作法が前提にあるところ、その作法を理解せず勝負にだけ特化したためJUDOになってしまったのではないか?と個人的には思う。 剣道がKENDOにならないことを願う。 ただ剣道のオリンピック種目化を拒否し続けると IOCは日本の武士道対西洋の騎士道と題して剣道対フェンシングなる新たな種目を作りそう。
・一部の空手連盟の方々もオリンピック競技を目指している様ですが、有る空手界の重鎮の方が10年以上前に言っていましたが、オリンピック競技になると、武道では無くなる!と懸念していました。
空手 剣道は現在アマチュアスポーツでもっとメジャー競技にしたいと言う気持ちもわかりますが、外国人の愛好家の中にも、武道の精神性が好きだと言う方もいます。 特にヨーロッパの方が多い気がします。
・剣道が五輪種目にしないのは当然の判断。 礼節を重んじるばかりでなく、判断はなかなか難しい。決まったと思っても打ち手が浅く、一本にならないこともある。 「打って反省、打たれて感謝」なんて外国人だけじゃなく、日本人にも理解できる人は少ないだろう。 一般の人が思っている以上に剣道は奥深い武道である。
・これはその他の競技などがどのような変遷をたどっているのかも知りたいところです。発祥の地、国というものはほぼ大体の競技にあるわけで、発祥の国の伝統や精神性などが重んじられつつ今日にいたるのか、それとも世界に拡散して一般的なスポーツ競技となった事で変化しているのか、という事ですよね。
・剣道の判定による決着は柔道よりももっと曖昧というか、審判の裁量によるってイメージ。
全国大会も毎年どの地域でやるかによって、開催県の選手がだいたい優勝するって聞くし。
結局真剣の重さとは程遠い竹刀だし、当たっても浅いだのなんだので実践に即していないし、やってる事は茶番でしょ。 真剣ならかすっても致命傷になる箇所もあるんだし、まだフェンシングみたいに当たり判定をきっちりした方が競技として見れる。
・色んな意見があるが個人的に思うのは日本の野球はどうなのかなと思う。
野球は本来アメリカが発祥でメジャーリーグはパワーとパワーのぶつかり合いで「打てるもんなら打ってみろ」というようなスタイルが本来のメジャーだった。
ところが日本人がそのやり方では生まれながらの体格差もあって勝てないので知恵を使うことにした。
そして日本の野球は緻密で逃げの野球と昔はバカにされていたが勝つという結果は残していった。
日本の野球が正しいのなら、今の日本の柔道は勝てないという時点で何かが間違っていると自分は思う。
そして剣道も本来は人を斬るための練習、すなわち命を懸けた戦いの練習なハズなのにいつの間にか精神論を重きを置く武道になり武士道ではなくなったんだなーと思ってしまいます。
個人的にはいつまでも古きに重きを置く考えには賛成出来ず、強きに重きを置くのが武道ではと思うのですが。。
・日本の武道精神だけが強調されていますが、欧米を見ても騎士道精神やスポーツマンシップのような考え方はあるので、武道精神が受け入れられていないという見方は一面的なのかもしれません。
よく野球では、大量リードしているチームがバントや盗塁を絡める攻撃をすることを戒める不文律のようなものがあり、MLBや国際大会では日本人選手がその点で批判の的になったこともあります。(そういう攻撃が良い悪いについては、私は何とも言えませんが。)
何が言いたいかというと、海外選手も日本人に対し同じような葛藤を抱いている可能性があるということです。
・ポーランドだったかな、剣道をされてる方がいて、防具を自分達で直しながら使っているとの記事を見たことがある。当たり前だけど、日本とは違って武道具屋などない環境ですしね。 対戦相手ばかりでなく、道具にも敬意を払う彼らは、間違いなく「道」を歩む武道家だと感じました。
・今月初旬に剣道の世界選手権がありましたが、柔道の比じゃないくらい審判の質が低くて驚きました。 県大会出場レベルの高校生の方がまだマトモな審判するだろうなってくらいひどかったです。 日本人審判なら絶対に認めないだろうなってくらいに軽い打突でも一本にしたり、また⁈ってくらい何度も合議したり…
もちろん、選手の技量も差がすごかった。 マイナー競技だから仕方ないけど、あんなの五輪種目になったら大荒れどころの話じゃない。
世界選手権は栄花直輝先生の頃からテレビ等で観ていますが、全日本選手権の方がよっぽどいい試合がたくさんある。
・剣道の世界選手権を見ていてさえ、とにかく勝てばいいという戦法をとる国がある。連射みたいにただ打ち込んでくるだけ。剣道体験者からしたら呆れるばかりです。 剣道の1本は竹刀の適切な場所で打って初めて取れるもので、元々は刀での対決が基準になっているし、打った後の残心もある。 外国人にそれが正確に理解できるとは思わない。そういった理由で日本選手権でも1本が取り消されることがよく見られるが、選手は誰も抗議したりしない。今のところ国際大会でもマナーは守られているが、それは剣道に敬意を持つ外国人だけが大会を志しているから。オリンピック種目となればそうはいかない。 剣道は剣道のままでいい。
・剣道も今や十分にスポーツ化してますよ。 あんな竹刀での叩き合いが武道なのかなと思います。 剣道が元々は真剣勝負の稽古であるならば、あんな叩き合いであるはずがありません。 真剣ならあんな叩き合いにはならないのです。 あれはいったい何の為の稽古なのか、本来の目的である真剣の扱いを学ぶという事を忘れ、竹刀剣法が独自に進化した竹刀道です。
・日本もこのまま、オリンピック競技である柔道を続けるのであれば、いつまでも礼に始まり礼に終わる、武道としての日本式柔道とは別に、競技としてのJUDOUをフランスやたの強豪国から学ぶ必要が有るのでは? 今のまま日本の国内だけで、一生懸命日本式柔道を極めても、結局は世界のJUDOUには勝てないし、ルールも日本式柔道のルールでは無く、世界のJUDOUのルールが優先されているし、技も進化している。 日本人がやらない技を、どんどん使って勝っている。 日本のお家芸も、いまではフランスなどの強豪国に歯が立たなくなっていますからね。 武道としての柔道では無く、競技としてのJUDOUを学ぶべき時期に来ているのでは? 国際柔道連盟の中でも、日本人の発言力はまったくと言って弱くなってますからね。 幾ら、日本人が主審の審判がおかしいと騒いでも、どんどんルールは変わって行きますから、日本人がそれについていけていない。
・学生時代に剣道も柔道も稽古していました。 記事にある通り、全柔連は方針を改めて、 IJFを脱退し、もっと講道館と手を携える事を 考えた方が良いのでは無いかと思います。 数年前の朽木倒しという名のタックル全盛の頃よりほんの少しマシにはなりましたが今は相手に指導を受けさせる競技に成り下がっています。それに引き替え剣道はスポーツショーとなることを拒み武道を極めています。そもそも 外国人に打突の正確性を見極められるとは思えませんし、“残心”などとても理解できるとは思えません。試合で優勝候補に勝てたとしても、小さなガッツポーズで反則負けになる事もあるのです。日本の武道は相手への敬意なしには成り立ちません。今の柔道はギリギリブドウと言えるでしょうが、Judoは品の無い格闘技でしかありません。日本の柔道家はそんな場所にいる必要はないでしょう。本当の柔道の修行がしたければ講道館に世界から来れば良い。
・剣道の審判をするような有段者に「剣道は何故VARを使わないのか」と聞いた事がある。「一本は機械では判断できない」とのこと。3人の審判があるけど、1人が旗を上げたら、他の2人が釣られて上げているとしか思えないんだけど。 水泳も柔道も中学総体が無くなる。少子化もあり、ルールがハッキリしない柔道より剣道を選ぶ子が増えるだろね。
・剣道を長くやりましたが、本当にオリンピック競技にしたら剣道はめちゃくちゃになると思います。 まず1本取ってガッツポーズは許されません(1本取り消し)。
先生には「勝ったということは真剣なら相手は死んでるんだ。常に相手に敬意を払い、恥ずかしい剣道をするな」と言われました。
今はそういうことをしっかり理解した立派な外国人選手ももちろんいますが、オリンピックでメダル争いの競技になれば、ただ「勝てばいい」人が現れるのは確実です…
・オリンピックでは、一つでも勝ち残りメダルを獲得するのが正義だし選手の目的です。 しかし武道は、
第一条 武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、有為の人物を育成することを目的とする
と明確に目的を定めてあるのです。 目指すモノが違うのですから、競技に対する姿勢もルールもかけ離れて当然です。 武道の精神を貫くなら、オリンピック種目に身売りしてはなりません
・嘉納治五郎先生は柔道をエンタメとして世界に広めたかったのではありません 殺人術であった柔術を平和な世でも残せるように。社会の為になる人間を作る為に。自らと向き合う道として柔道を広めたのです 技技体を磨きながら、負ける事は自らを向上させる相手がいるという素晴らしい事だと感謝する その連続を互いに繰り返す事で、困難を乗り越えて社会をより良くしていく精神を持つ人物をどんどん増やしていく このロジックを広めたかったのです 決して相手に勝つスポーツを広めたかった訳ではないと思います
そんな事広めるのが最優先じゃないのに、後世の(現在も含む)日本人は相手勝つ事を国威高揚として利用し 更にそれを世界に誇示し広める事を最優先してきた結果 単なるエンタメとして世界に根付きました
結論としては、こうなったのは日本人が原因です
・以前剣道の剣士からオリンピックとかは?と尋ねたことがあり。その剣士は、 そうですね剣道を世界に広めたいとは思いますが、審判の育成がとても難しいので、長い時間がかかります。そして、コンマ数秒の打突を正確に審判するこには経験や勘などだけではないちょっと説明しにくい要素もあるので。と言っていました
・日本に来て武術に傾倒し、日本人以上にその真髄を理解している外国人も沢山いるけど、やはり、その他大勢の外国人にとって武道の精神性への理解は難しいのかもしれない。
空手の宇佐美里香さんの息を呑むような型がYouTubeで見られるんですが、なんと途中で会場中から手拍子が(笑) 「そういうんじゃないからっwww!」 と一人でツッコミを入れちゃいましたが、多くの外国人にとっては、武道は神秘的に見えても精神性までは中々、理解できなんだなぁと思いました。
なので、剣道はオリンピック競技になんかならないで良いと思います。 せっかく、命のやり取りをしていた時代の名残があるのですから、ショーになってしまったら興ざめです。
・江戸時代末期、 剣術の練習が木刀から竹刀に変わる時、 同じ様な話があったと聞く。 歴史が過ぎていってもどんどん同じ事が繰り返されていくが、それに伴ってどんどん 道具は便利となるが、 精神は劣化していくのかもしれないね。
忍者は消えていくが 諜報活動は発展していくのと同じか。
時代に合わせていくのだね。
・スポーツは"DE-PORT"→"DISPORT"が語源と聞く。つまり、ポーティングしない→荷を担わない→働かない→戯れるという意味。だから、昔のフランスではガールハントもスポーツ、中国なら麻雀もスポーツ。武道とも、国民体育とも全く違う語源。けれど、相手をリスペクトし、正々堂々と戦うスポーツマンシップには、武道にも通じるものがあると思う。それをどうやって具現化していくかが人類の知恵の見せ所だろう。剣道は剣道界だけでやっていればいいというのは如何にも勿体ないし、スポーツマンシップに対するリスペクトを欠いているようにも思える。
・元々、現在の剣道は実戦を行わなくなった江戸時代に発展したものがベースだし、相手をぶちのめすための技術じゃないんだよね。ガッツポーズ一つで反則負けになる世界。 正しく理解して貰うのは大変だと思う。
・まあ、日本発症だから気持ちはわからなくはないけど、、、。他人を殺傷するために生まれた「殺法」が、鍛錬の果てに成熟し、精神的な道を唱える「武道」に進化したのと同じように、「武道」も時代の流れに合わせ、世界中の多くの人に親しまれ、楽しまれる「スポーツ」に進化していくことの何が悪いのかわからない。(進化の過程で生じる齟齬に憤りを感じてしまうのは仕方ないとして)フェンシングも、レスリングも、ボクシングももともとあった理念とは道をたがえ、現代のスポーツとして進化して、皆を楽しませているのだから。
・『JUDO』ファンも大勢いるだろうから『JUDO』はあってもいいと思う。 しかし、それとは別にせめて国内でだけでも『講道館柔道』を復活させてほしい。
昔の『講道館柔道』の教本には『一本』について確か「勢いよく相手の背中を畳にたたきつけたとき」のように書かれていたと思うが『JUDO』ではとにかく相手の背中を畳につけたら『一本』になる。たとえ、一緒に転んだような何のダメージもないときであっても。
また『JUDO』では連続して技をかけないとすぐ『指導』をとられる。技をかけていても『かけ逃げ』と判断されたらまた『指導』。そして、3回の『指導』で反則負け。それはそれで緊張感があると思う人もいるのかもしれないが、僕はお互いが一瞬の隙を狙って全く動けない時間があるのも緊張感があると思う。
この際『講道館柔道』と『高専柔道』あるいは『柔術』が別競技として存在するように、別競技にしてはどうだろうか。
・私も剣道経験者の端くれですけど、オリンピック競技と両立するとは思えませんから。剣道はこれで良いと思います。 オリンピックの柔道を見てフラストレーションを感じ「武道を理解していない」という方がそもそも無理があると思います。 歴史も文化も異なる他国の人に「道」を理解しろ、と言っても無理があります。もちろん、日本の伝統文化も含めて柔道、剣道、合気道、空手などに惹かれる外国の人はいますが、そういう人は背景も理解しようとされますが、そうではなくスポーツとして始める人に「武道というものは」という方が無茶です。
・記事は剣道を取り上げているが 日本の武道全般に言えること。
「試合」に限っても 『始め』から『止め(勝負あり)』までだけが 試合というわけではなく、試合場に入ってから 退出するまでの所作、作法、礼式もいわば 試合の一部。 (試合に連なるものとして決められているから)
ならば、精神性は追いつかないにしても 最低限、型通りに実践されて然るべき。 試合の規則を遵守するのと同様に。
それができない・不十分なのが 世界の大勢という現実を見せられると・・・
・その考えは正しいとはいえないのでは…。 剣道の有名選手を知っている一般人がいるだろうか…。 有名な柔道選手なら、ほとんどの人が何人か挙げられる。 柔道は世界で強いから応援する人も現れるのであって、剣道は狭い村の中でしか評価されない悔しさもあるはずだと思う。
・武道であろうとなんだろうが、五輪スポーツを目指し認められ、競技発展を願いIOCからの多額の分配金を頂戴することを選んだのだから、もはや日本のものではなくあくまでも世界の「スポーツ」です。自分達こそ柔道母国とかというのは遥か昔の話になったのですね。講道館柔道は日本人による全日本選手権を比類なき頂点として目指してもらいたいものです。
・剣道に関しては単にフェンシング以上にわかりにくく金もかかるので、一般的に浸透しづらい競技ってだけだと思います。 柔道をやっていた端くれとして、さすがに“下品なショー”は聞き捨てならないですが、柔道もオリンピックスポーツとして採用された以上レスリングや他競技と同様に、勝った時喜びや感情を全身で表したりする程度はもう少し寛容になるべきでしょう。 また、日本柔道に追いつくために外国人特有の体型やフィジカルを活かした独特な組み手が発展して存在することも受け入れなければいけません。角田夏実が得意する巴投げだって、どちらかといえば邪道の部類です。 日本人としての矜持は国内大会の講道館ルールで満たすしかないですが、団体戦で残り1秒まで1本を取りにいった阿部詩のような柔道は、日本でもなかなかできる人はいないです。 個人的には有効や注意を復活し、有効2つで技ありとかにしてはどうかと思う。余計わかりづらいか。
・幼い頃少しだけ剣道を習いました。竹刀による打撃が決まっても気や発声が合わないと一本にならない。 剣道とは精神を大切にする武道。 五輪種目になどになる必要はない。
剣を使う点取りゲームはフェンシングが既にあるしね。
・あぁ。確かに、今の柔道は点取りショーだね。 武道という、表面的な勝ち負けではなく 道の奥深さへの探究心や、謙虚さを貫く姿とか 外国人選手に、本来のそのような精神は皆無だし。
今回のパリ五輪の、柔道の競技会場。 暗転した会場にクルクル回る、色とりどりのネオンや 会場に流れる音楽に合わせ、観客が客席で踊ってる柔道の試合に、強烈に違和感を感じたもんなぁ…
柔道も、完全にただの商業開催のエンタメショーの一部にされてるから 礼に始まり例に終わる武道とやらは、一体何なんだろうか…?と我に返った瞬間があった。
声援や歓声は良いと思うけど 武道に、ミラーボールみたいな激しいネオンや、ノリの良い音楽が流れたり、DJに乗せられて踊る観客のダンスは要らない。 剣道には、今の姿勢を貫いて欲しい。
・実際に剣道がオリンピックにならないのは、武道がどうこうと言った思想的な問題よりも、柔道みたいな審判による反則ポイントが無いので決着つくまで無限に延長するというシステム的な問題のためではないでしょうか?だからと言って消極的な姿勢に反則を出すルールを作れば、後の先を狙うのが得意な選手に非常に不利になります。
・剣道で一本を取った後にガッツポーズなんかしたらその一本は即刻取り消されます。それは剣道の成り立ちを考えると納得がいくこと。剣道の場合は元々真剣勝負ですから敗者は絶命したこととなります。それで「ガッツポーズはないでしょ」という話です。(そうなればフェンシングもそうですが)お互いに自分の修行の相手に敬意を払い、禮を尽くす。これが根本にないとただの暴力(殺し合い)です。オリンピックとなると勝利至上主義がはびこりますから、どうしてもその理想は崩れるでしょうね。剣道の世界大会ですら怪しいわけですから。私も剣道はこのままでいいと思います。
・今回のオリンピックの柔道は審判の判定や運営に対する疑問が多すぎ、見るのが嫌になるほどだった。
五輪を目指さない剣道の姿勢は確かにその通りだし、今のオリンピックの状態であれば、柔道もJUDOから決別しないと、柔道の本質からどんどん離れて行ってしまうのではなかろうか? 日本人は武道をもっと大事にすべきなんでしょうね。
・すごいね。剣道界。 オリンピックになると注目浴びる脚光浴びることによって四年死に物狂いだからなんでも許されたら、道から外れても仕方ない。感動をありがとうになりがちだからね。 競技者としてはもちろんそれでいいけど武道家ではなくなるってことだよね。
・剣道はスポーツじゃないと宣言してる。 柔道は東京オリンピック招致に必死に柔道を宣伝してる。 その時にこれはルールを変えてはいけないとしていないとダメだったとは思うけどそれでも欧州の思考はアジアとか見下しているのでルールとか彼らが勝つためにいくらでも変えると思う。 剣道はスポーツじゃないのでオリンピック競技にしない理由はカッコ良すぎる。
・改めて説明するまでもなく剣道はスポーツではなく武道です。 普及する事は少しながらも関わらせていただいた者からすると嬉しいですが、オリンピックの競技になって、残心も何も無い一本が認められるのは経験者として全く嬉しくありません。
世界大会でさえ海外の試合への向き合い方が、余りにも酷い有様を見てるとオリンピック競技などになって欲しいとは一度でも真剣に剣道に取り組んだ事のある人は思わないでしょう。 先日、世界大会での日本チームの集合写真が役員が前で椅子に座っていて選手達が立っている事に非難の声もありましたが、それが当たり前と考えるのが剣道の世界だと思います。(選手自身が当たり前だと思っている)
また剣道の世界から一歩外に出たら、現在の風潮に合わせる事もしていると思います。 時代に合わせて変わらなければならない事もあるでしょうが、剣道の世界はあまり変わる必要ないと思います。
・伝統空手をやっています。空手道がオリンピック種目になるのは20年以上前から大反対でした。オリンピック種目を目指した結果どうなったか?ただのK1です。昔から今に至るまで、剣道連盟の方々の賢い選択を本当に羨ましく思っています。
・今回のオリンピック柔道はツッコミどころ満載。不正はないと思うが審判のレベル、均質に問題はあると思う。 柔道は世界中に広まりオリンピック種目になったことで日本国内で醸成されてきた礼節を重んじる武道とは変わってしまった。試合で勝ったあとのガッツポーズ。腑に落ちない判定。 柔道が世界で愛されるまでになったこと、柔道人口が増えたのは嬉しいことだと思う。 ただ武道としての本質が失われてしまったら元も子もない。オリンピック競技になったことで柔道は武道ではなくなりつつあるのかも。 ちなみに剣道はガッツポーズ禁止。 万が一、試合で一本を取りガッツポーズをしたら一本は取り消される…。厳しい稽古を続けた上での一本は確かに嬉しいだろうがやらない。 なぜ剣道ではガッツポーズが禁止か? それは剣道の源は武士道であり人間形成のための武道だから。 そして試合相手を尊重し礼儀と礼節で互いに向き合うものだから。
・剣道は1度東京五輪で候補に上がったし剣道側も前向きだった しかし世界的に見て競技人口の少なさとかで見送られた 剣道はやろうと思えば竹刀から高価な防具数点用意しないといけないがアジアやアフリカの途上国ではまったく知られてない国も多い ボール一つで出来るサッカーやバスケ、バレーみたいに世界に普及はまたまだだろうな
・柔道も剣道も道だが、日本には書道、華道等様々な道がある。 本来“道”とは「技術上達の道」=「人間形成の道」という風に、身体と心あるいは技と心を一つとして捉えようとするものだそう。 この理念に対して多少目を瞑っても普及を選んでJUDOというスポーツになった柔道。おかげで股間は蹴るわ、世界一のレジェンドが相手を煽るわ、今回のオリンピックはあり得ないと思うことが多い。 本来の“道”を大切にするなら、この行為があった時点で失格にしなければならない。日本の柔道家は金メダル以外国民に謝る姿を見るにつけ、“道”を追求しても強くなればなるほど重圧やストレスを受ける羽目になる。 審判のジャッジが間違えるのは他スポーツでもあるので100歩譲るとしても、商業や政治に影響を受けていると思われるような時点で、もう柔道は国外では無いと思う。
・日本には柔道・剣道・茶道・華道・書道、色んな道がありますがどれも精神の鍛錬や礼儀・節度の教えが含まれています。スポーツ柔道はそれで有りだと思いますが、本来の「道」の部分は徐々に劣化してきているのかも知れませんね。下品なショーと云う言葉を見て書道と書道パフォーマンスの違いを思い浮かべてしまいました。(否定する意味ではありません…)
・昔の海外選手はまだ日本の精神、柔道の精神を学んでいたと思う。礼も振る舞いも立派な海外選手も多数いた。 ルール決定の主導権を渡したことと、海外選手が多数派となったことが要因かな。
スポーツチャンバラと剣道のように、スポーツJUDOと柔道に分けたらいい。
・JUDOはスポーツ。柔道は武道であったが国際大会で行われるJUDOに出る為、そして勝つ為に武道ではなくなってしまうだろう。剣道は道を求め、武道であり続けようとしている。剣道の選んだ未来が正解だと思う。
・なぜ道具を使う剣道と素手で組み合う柔道を比較するのか? 問題なのは、本来の柔道技が変化していること。 肩を畳につけることができれば既存の技にこだわる必要がないとさえ思っているのではないか? 礼節については、日本人だってなっていないのは、今大会の号泣や判定への不満からの態度からして外国人を批判できるものではない。 剣道は竹刀を使う為、基本の面胴小手以外に反則的な攻め方がそもそもでいないので、多種多様な攻め方ができる柔道と比べるのはどうだろうか?
・剣道経験者です 剣道は己との闘いです 人と競って商業的なスポーツに成り下がるのは剣道の真髄とは全く違うと思います いずれ欧州勢の有利なルールができたりと、全く違うものになるのではないのかと… 柔道が良い例でしょう
・分けたら良いんじゃないかな?脚光を浴びたい人はスポーツJUDOをやれば良いし〝道〟を追求したいなら柔道をやれば良いし。なんだかんだ言ってもオリンピックは4年に1度のスポーツの祭典。そこで優勝したいって人は少なくないと思う。剣道も多分そう。中には剣道がオリンピック競技になって欲しい人も居ると思うんだよね。だったらスポーツKENDOが有っても良いのでは?と思う。割り切って両方やる人も出るかもしれない。ただしスポーツJUDOもKENDOも段位はいらないよね。〝道〟じゃ無いんだし。柔道や剣道は武道でJUDOやKENDOはあくまでスポーツみたいな。日本人にはそんな選択肢も有って良いと思います。
・剣道は五輪などの種目にしてほしくない。広まっては欲しいが、日本の最後の聖域。外国人の意のままにはされたくない。フェンシング勢の活躍は素晴らしいが、剣道とは全く違うものと思う。日本古来の伝統を他国の思うがままにされたくないし、許してはならないと思う。
・こんな状態だからこそ日本が本当の柔道で勝って欲しい 強くなって本当の強さを示して欲しい 裾野を広げる事も大切かも。 フランスの柔道人口が日本の4倍も居る事もフランスの強さかもしれない
・本題とそれます。 今回のゴルフを観戦して、私の意見ですが 発祥時代のルールでは、池ぽちゃで事故。 ライン外れて草むらで事故。 以上だと競技が進まない。 なので、発祥国のルールを永年の試行錯誤で 改め、競技が存続しているのだと思う。 柔道も発祥が日本であることは紛れも無い事実。過去も今後もルールが変遷すると思う。 でも、そのせいにしないで やっぱり日本は強い。 と世界を納得させる柔よく剛を制する 日本柔道に期待します。
・剣道は、本当に良い判断だと思います!日本伝統の武道の柔道は、もう既に、柔道ではなくレスリングの様だ!ルールも…しかも、日本柔道連盟は、全く国際柔道連盟では無力だ…日本の伝統ある武道の柔道を守る為に、オリンピックから柔道を外して、国際柔道連盟から、脱退して日本が、主体となって新たに、柔道連盟を立ち上げるべきだ…
・剣道に対しての判断は正しいと思います。 柔道が世界で有名なものになった今、外国ではJUDO以外の呼び方もされている。 正しい柔道が世界に拡がらなければ意味が無い。 世界で柔道している人達に柔道とは何かと聞いても、スポーツぐらいにしか思ってないんでは? 相手へのリスペクト、畳の上での態度、全てが真の柔道とかけ離れすぎてる。 これは、日本が言うべき所で言えずにいたからというのも分かる。
・道と付くものには精神的道徳的名誉があり、礼に始まり礼に終わる。 相手の事を認め尊敬する闘いでもある、どの師に付き認められたかにもよるし、道場にも格式もある。 神前に礼をして、道場に礼をしなければ始まらぬほど礼は大切である。 その時に何を思って礼をするのか、それすらも知らずに事を始めるは柔道に在らず。 礼儀を知らぬものに道は無し、魂なき柔道などあり得ない。 柔道とは修行でもある、精神も学ぶのだ。 オリンピックの格闘技は柔道ではなく、JUDOであるべきでフランスのJUDOの発音は揶揄するわけではないが気付くだろう。 決してそれは、柔の道ではない。
・国際柔道について少しwikiってみた。この仕切り役である国際柔道連盟は歴代会長が1987年以降日本人がいない、本部もハンガリーと日本国技の柔道がJudoになってる現実だた。日本の影響力は無いに等しい? 柔道は高校の授業でしか経験無いが、柔道の父嘉納自身が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」はJudoにはあまり浸透して無いのかも。 一方で自分も含めこの時期だけ俄か柔道ファンになる人も世界中いるしメジャーになるのは悪い事では無い。 勝っても負けても礼を重んじ、その真摯なプレイスタイルは観るものにも感動すら与える。 本家である嘉納師範の弟子達がきちんと基礎固めして無いのが原因では?
・確かに 今の柔道は本質を失ってしまった。 審判員自体が柔道の経験がないか、または、それほど競技生活をこなしていないのではないかと疑いたくなる。 何とも下品なスポーツになったものだ! 柔道と言うよりも、レスリングの変化系と新たな名称にした方が良い。 日本国内の柔道関係者も罪は重い。日本国内で審判規定が二種類もあるのも、納得のいかない部分である。 国際ルールと講道館ルールがあるのもおかしい。いずれにしても、日本発祥のスポーツと言う名称だけは残るだろう?
・フランス発祥のフェンシングもオリンピック競技になって随分と変わってしまったと聞いたことがあります。年配の方は武道のフェンシングとスポーツのフェンシングは別物と考えているそうです。
・日本の柔道と国際的な柔道は、別物と考えた方がいい。日本の柔道が五輪などの国際大会にそのまま通用するかどうかは不透明である。しかしながら、日本の柔道を真に極めた達人は、五輪でも勝つ可能性は大であると思う。
・柔道は、日本人が大事にしてきたスタイルとはかけ離れた形で国際ルールが定着してしまいました。 剣道がオリンピックに出ないのは正解です、二の舞間違いありません。 仮に相撲がオリンピック競技になったとしたら・・ちょっと考えるだけで分かる。 日本の武道は日本人が守らないといけない。
・興味深い記事でした。 剣道は頑なに オリンピック競技にはしない! 武道であり スポーツではないから。 道であり 点取り、勝ち負けではないから。
礼を重んじ 相手を尊敬するところからはじまる。 そのままでいて欲しいですね。
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