( 198876 ) 2024/08/06 14:57:05 2 00 【平和宣言全文】「希望胸に行動し、核抑止力依存の転換を」広島市長朝日新聞デジタル 8/6(火) 8:16 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ca0c8bfb31310fc9fbce554ca5c8b26b33655102 |
( 198879 ) 2024/08/06 14:57:05 0 00 式典で平和宣言を述べる松井一実・広島市長=2024年8月6日午前8時19分、広島市中区、遠藤真梨撮影
広島は6日、被爆から79年の原爆の日を迎えた。広島市中区の平和記念公園で平和記念式典があり、松井一実市長が平和宣言を読み上げた。
【動画】渋谷のスクランブルに「きのこ雲?」
■平和宣言全文
皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。
平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創(つく)られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。
戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。
また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。
1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗(しつよう)に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。
皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。
争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166カ国・地域の8400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。
昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。
NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。
本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。
令和6年(2024年)8月6日
広島市長 松井一実
朝日新聞社
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( 198880 ) 2024/08/06 14:57:05 0 00 ・『「希望胸に行動し、核抑止力依存の転換を」』。
これを中露北の指導者に言ってもらいたい。
しかし、広島市長の立場で出かけても相手にされない。総理大臣が出かけても同じだ。 価値観が違っているのだ。力だけを信じている国に物を言うには相手が話し合いに応じざるを得ない軍事力を持つ必要がある。
理想を理想として持ってもいいが、まずは現実を直視することが大事だ。
・核を一度持ってしまうと手放せない。 核を持つ国に対して抑止力として対抗できるのは核しかない。 日米同盟はあるが、有事にアメリカがどこまで本気で日本を守ってくれあるのかは不明。自衛隊の戦力だけでどこまで自国を守れるかも不明。 戦争反対を掲げても責められたら終わる。 これからの防衛情勢はすごい厳しいし変わる時にきてるのかもしれないですね。
・暑さ続きで、生き地獄だ、なんて思っていたけれど本当の地獄は戦争だと気付かされる朝でした。指1本火傷して辛くて水に浸けたまま寝た事もあるけれど全身火傷なんて想像を絶する痛みでしょう。 子供達の「生きたくても生きられない人々」って言葉が、今現在も使われ 世界で起きている事にやりきれず悲しむしか出来ない情けなさを感じる。 戦争も核も好きなんて人いない筈なのに どんどん悪い方向に向かって行っているようで、毎年この式典を見ても涙を流すだけで心は晴れない。
・戦争反対、核兵器反対は正しいと思う。
だけど、今のウクライナの状況を見ると、ウクライナばかり攻撃を受けていて、核兵器を持つロシアは本土に一切攻撃を受けていない事実がある。 ウクライナ国民が、絶えず命の危険にされさているのに対し、ロシア国民は、全く危険が及ぶことがない理不尽な状況が、2年以上も続いている。それは、ロシアに核兵器があるからだとみんな知っている。 それに対して、広島市長は何と答えるのか聞いてみたい。
核兵器が、現に今、ロシア国民の命を守っている事実をどう考えたら良いのでしょうか。それでも核は不要と言える根拠は何なのでしょうか、聞いてみたい。
・自分は広島県出身で祖父は被曝者手帳を持っていたが、核兵器保有国間での武力衝突が一度も起きていない不都合な事実に目を向けるべきだと思う。核攻撃を受けた都市の市長として、毎年コピペの自己満足の綺麗事を並べた美辞麗句に酔いしれるのでは無く、平和のためにも核保有か核シェアリングを認める勇気を持つべき。核兵器の戦争抑止効果を素直に認めるべきである。
・理想の核兵器の無い世界を目指すには、持ってる国が先に全て手放さないと成立しません。 核保有国に訴えかけましょう。 しかし、100%手放さないと思うので、核ある世界の中で日本がどういう国防体制を築いて行くかを考えるのが現実的だとは思います。
・もはや世界から核を廃絶することは困難でしょう。逆に益々増えていくのが目に見えています。 廃絶が無理なら、使わないための政治を行うことでしか平和を維持できない。戦争は今もどこかで続いており、人間が存在する限り終わらないでしょう。私は、被爆国として世界に伝えることは十分行っていると思う。日本から原爆の惨状を伝えるこの式典はもっと工夫して世界に発信するべきだと思う。
・現在に至るまで核抑止が成功し続けている現状がある以上、まあハッキリ言って核の放棄は難しいですね。ロシアの弱体化と中国の経済失速で、核削減の話し合いが持たれれば減らす事はできるかも知れませんが。既に核を持ってる国の核使用よりも、核の拡散が最も脅威だと思います。
・悲しい事ですし、先人の意思は受け継がなくてはいけません。 ですが、人類は一度手に入れてしまった強力な兵器を手放すことは絶対に出来ないでしょう。 昨今の情勢をみても明らかです。 もちろん理想は核無き平和な世の中なのですが、核抑止は現状絶対といって良いほどの力があります。
・悲しいことだけど、もう核を持っていない国は核保有国と対等に話はできません 日本は世界唯一の被爆国だけど、その悲惨さを他国、特に核保有国に伝えるには日本も核を保有して、核を撃てば報復するぞ!報復されたら自分の国がこうなるんだぞ!でなければもう伝わりません
悲しいことだけど、これから先日本も核を保有しなければならない時代だと私は思います
ただ、広島のような悲劇は二度と繰り返してはならないと私は思います
・冷戦が終結し世界に平和が訪れるかもしれないと思えた時間は短かった。ロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルとパレスチナの紛争によって、国家間の対立と戦争の構図はまったく変わっていないのだという現実を、あらためて突きつけられました。松井市長と子どもたちの代表の言葉には落胆と怒り、そして願いと決意が感じられました、世界の恒久平和が幻想だとしても、人類が滅亡に向かっているとしても、夢みる力を忘れないようにしたいです。
・現状では核抑止力は必要で手離せ無いでしょう。核兵器使用で脅し戦争を仕掛ける国がある以上やむを得ないと思います。核廃絶は理想では有りますが、核保有国は絶対手放さないでしょう。それより我々も核兵器を所有し脅しに屈する事無く話し合いに参加出来る環境づくりを推し進める方が核抑止に繋がると思います。
・核保有国が核を手放すとは思えない。核廃絶が現実的に不可能なのだから、一元管理を目指すしか方法はないと思う。 まずは、G7の核から一元管理する方向に進めるのはどうでしょうか。加盟国に核を使われたら反撃をするようなルールに基づく運用をしつつ加盟国を増やし、他の核保有国にも一元管理への加盟を促す。最終的には国際機関として加盟国以外の核保有を禁止し、違反した場合は経済制裁などの制裁を加える。 核兵器が誕生してしまった以上、完全に無くすことは出来ません。このような方法でしか核の脅威を減らせないのではないかと考えています。 そのための一歩として、日本も核シェアをして共同管理の運用能力と信頼関係を築くことも必要だと思います。
・広島市長が、広島市民の前で話すならこれでいいのかもしれないが、ウクライナ戦争を見てもわかるように、核兵器を持ってるものが「使うぞ使うぞ」と言うだけで大きな抑止力になって、欧米諸国の参入を抑え込んでいる。 仮に中国が、南西諸島に侵攻し「撃つぞ撃つぞ」と脅したら、ウクライナ同様日本だけで迎え撃つしかなくなる。 今回のウクライナ戦争で、持つものと持たざる者の立場は明確になったのだから、広島や長崎市民も、現実を見て新たな認識を持ってもらう時期に来ていると思う。
・今年も今日がやってきましたね。 平和を享受する私にとっても祈りを込めてこれからの世界を想う日であります。 大国同士の相互確証破壊の恐怖は収まったかに見えますしたが、ウクライナ戦争でそれも元の木阿弥。これからも唯一の被爆国としての責任を負う必要があると思います。
タイトルを忘れたある映画で、「たくさんの核兵器が怖いんじゃない、一発だけ欲しがっている奴が何より怖い。」というセリフがありました。宗教分断も広がる中、核テロも大きな恐怖の対象です。こういった手合いにHIROSHIMAの祈りは絶対届かない。世界が向かい合わなければいけない問題は、少しずつ形を変えているのではないでしょうか。
・国家に仕える立場としては国益と国民の保護を何よりも優先するべき その中で他国の脅威から自国民を守るという考えは、自治体の首長であっても常に念頭にあるのが当然と思います 取分け日本は敗戦国であり世界唯一の核被爆国ですから、もう二度とあのような惨劇に国民が合わぬよう、世界で唯一核武装する資格があると個人的には思ってます
抑止力を核に依存しなくなったときは、核以上の抑止力ができたときです しかし現在は核が最大の抑止力であり、核をどう運用するかというのが戦略の基本です
言い方を換えれば、日本は核爆弾を2発も食らっているのにまだ核反対とか言ってるの?国民を守る気あるの?と言われても仕方がないということです
それが現実であり、国家としては現実に基づいた議論を常にするべきと思います
・核兵器を根絶することには賛成する。 しかし、現在日本の尖閣諸島沖を遊泳している中国海軍の艦艇を領海から追い払うには警告だけでは足らず、最終的には武力による排除を実施しなければいけない時が近く来るだろう。 その時、日本が通常武力だけではなく核兵器を所持していた場合 日本における被害は最小限に抑えることが可能となると考えられる。 結局は、国民がどういった道を進みたいのか、意見を主張していかなければいけないのかなと思っている。
・核兵器をなくすのは無理です。そもそも戦争を起こさないためにはすべての国が核保有した方が良い。核不拡散の取り組みは核保有国が自分達の優位性を保つための取り組みです。ロシアとウクライナを見ていても判るでしょうが、核保有国は非保有国に何をしても許されてしまうのです。 日本は例え制裁を科されたとしても自立のためには核保有が必要です。
・理想は大切だけど、理想を主張して受け入れてもらえる力がないと。今戦争の起きてる地域に行って、戦争は悲惨です。平和解決しましょう!って言ってもどうにもならないでしょう。 何度も言います。理想を持つ、目指すことは大切です。でも順番があります。理想を持ち→他国や価値観の違う国家が聞く耳を持つ軍事力(核戦力も含め)、経済力をつけ→理想を実現する動きを始める。 真ん中が抜けてたら、何もできないと思う。 特に核戦力は唯一の被爆国だからこそ、使用した時の怖さがわかる。世界で唯一の、保有しても一番使用の危険が少ない、抑止力としてのみ保有できる国だと思う。
・核兵器廃絶というのは正しい道でしょうが今の核保有国の軍事状況から見れば出来るはずはありません。日本は核を持ちませんがアメリカの核の傘に入ってるからこそ抑止力があるのです。もし話し合いで解決する事ができるのであればウクライナやガザのような悲惨な事態にはならないでしょう。人類はなんと愚かで危険なモノを発見して実用化してしまいました…広島、長崎の悲惨さは繰り返してはいけません。
・ウクライナ ロシア イスラエル 中東 中国 台湾 北朝鮮…
あり得ないことがあり得る世界の情勢 核を抑止力に使うのはいかがなものかと思っていたが
どこかの国が崩壊して 抑止どころか核が離散したら 恐ろしい事だと感じた
あり得ないことはあり得る世界 つい最近、たかだか79年前の悲劇が 再び起こされない事を本当に願う
・平和を祈念します。 被爆国として沢山核犠牲者を出したのに、思いも経験も時と共に風化してきます。 いま核の抑止力がなければと仰る気持ちも十分分かります。沢山の脅威があってウクライナの事例も目の当たりにして。 でも、私は思います。核の悲惨さは十分な脅威と。保有するにも決断過程が必要だし、莫大な費用も要する、諸外国へ説明も繰り返される、そんな経過が残ると、持ったら止めるにも甚大な労力と費用が掛かる。 甚大な労力と費用が掛かるなら争いの根源である、憎し、嫉妬、宗教上の問題、あらゆる事を市長が仰るよう対話や交流で融和する道もあるのではないかと思います。お互い自分さえ良ければと思う事も、恐怖に抗えず武器を誤射する事も貧富の差も、終わりない闘いなので出来るか分かりません。核は出来る。でも根源の解決が無ければ新たな悲惨が生まれるでしょう。諦めず核推進派とも対話する、方法も考えながら。平和を祈念します。
・広島ではどのテレビのチャンネルも(NHK2チャンネル以外)平和記念式典の生中継をしています。他県は通常のニュースをしています。 日本全国のテレビで生中継を放送すると良いと思います。 広島市の学校は今日が登校日で平和について考えます。これも全国でやったほうが良いと思います。
・言っていることに強く共感しますが、やっている事には反対ですね。
声高に平和を謳うだけでは平和になりません。 オバマが核兵器廃絶のスピーチしてノーベル平和賞受賞したけど、結局ほぼ何もしておらず1発も減っていない。
大変美しい話しなんだけど、アメリカ軍最高司令官としては無理があった。
もし本気で核兵器を廃絶するなら、核抑止力を無力化する技術を開発するしかないと思う。無力化されるなら、世界の指導者が核兵器に予算を投じて核拡散は収まる。
ウイルスとワクチンの関係と同じで、もちろんその新しい技術も将来的には超えるでしょうからイタチごっこになりますが。
オバマは核廃絶の研究に予算をつけたら本気だと思ったけど、結局は絵空事でしたね。
ですので広島市長の宣言も虚しい。 中ロは攻めてこないので自衛隊は違憲で廃止。というのと同じに聞こえてしまう。
廃止したいなら実行しないと。口だけじゃダメだ
・ウクライナ侵攻が続き、北朝鮮の核と、中国の覇権主義がある今、核廃絶を訴える広島市長の言葉は悲壮に聞こえました。けさは大部分の日本人が、「心情的には市長の言う通りだが、アメリカの核の傘なしに日本は守れない」と感じたことでしょう。 だがそれでも、広島は核廃絶を訴えるべきだとも思いました。核兵器が三たび使われる時は、悲劇が世界に広がる時です。核抑止の現実の片方で、誰かが「核は実際に使われたら地獄だ。頼るのはおかしい」と訴え続けなくてはならない。実体験を持つ広島・長崎が諦めたら、誰がやるのですか…グレタさん任せですか? ロシアの核の脅威について「広島市長は何と答えるのか聞いてみたい」というご意見もあるが、それは違います。被爆地は被害の当事者で、核抑止の代案を出す責任など、まったくありません。それは国政政治家の任務であり、また広島市長を問い詰める前に、私たち自身が深く自問すべきことでしょう。
・平和式典を見ながら思ったのだがいい加減式典は屋内でやろうよ? 暑そうな正装の賓客の姿を見ていてこちらがハラハラした 国際会議場の大ホールなら平和公園・資料館からも近いし、小学生の心のこもったスピーチがやかましいデモ隊の声に邪魔されることもなく穏やかな式典を行うことができると思う
・毎年毎年この日に式典が行われていますが、果たしてなんの意味があるのでしょうか? 理想を掲げる意義はあっても、現実的な効果を期待することはできないのが現状です。 よく続けることに意味があると言われますが、少なくとも戦争体験者がいなくなってしまう数年後までに『核廃絶』が実現することは無いでしょう。 その後も世界で唯一(そうであって欲しいですが)の被爆国としての役割を実行して行くのであれば、少しでも現実的な行動が求められるのではないでしょうか?
・核兵器を放棄したウクライナがロシアに侵攻されている現状があるので、むしろ世界は核兵器の重要性を再認識しているだろう しかし日本が核装備をするかと言われれば、NPTの枠組みで核兵器保有国を増やすという選択肢はないので不可能だろう 逆に核兵器禁止条約に舵を切るかと言われれば、それも核の傘に頼る日本は調印することは不可能だ よって現状維持するしかない
・戦後80年間ずっと式典で抑止力を訴えてきましたが、現状は、北朝鮮まで核を持つようになって、むしろ悪化してます。この辺でもう核兵器はなくならないと現実を見つめて、日本も核武装して本当の防衛をするべきと思います。いくら美辞麗句を並べても、現状では核兵器撃ち込まれて、日本滅亡です。核武装と言うといきなり感情的になる方々が一定数いますが、それでは80年間解決できなかった現実を見るべきです。
・理由は何であれ、日本は戦後80年近く戦争をしていない。戦争に加担していないという言い方は難しいかもしれないが、少なくても国民が戦災に遭うことはなかった。まずはこの状態を何が何でも百年続けること、そして、その間にそうなった理由を明確にすること。要するに、戦争をしなくても済む方法をはっきりさせること。宗教であれ、領土であれ、憎しみであれ、そのギャップが大きくなれば人々は戦うという選択に傾く。他者に何かを求めることはとても難しいことで、先ずできることは自らを律すること。日本が日本である為に、私たちがその国民である為に、その根拠はまさに「恒久平和」の意思なのではないか。
・「もし1ヵ国が核兵器を独占したらどうなるか」想像してほしい。 そうなれば世界征服が可能となり、他の国はその国の思いのまま隷属を強いられる。 ウクライナが多大な犠牲を払いながらでも戦争を継続しているのは、他民族による支配は戦争より悲惨なことを知っているし、実際に経験させられたからだ。 全世界が核廃絶に合意した後、どこかの国が隠し持っていた核兵器を持ち出せば、この恐怖は現実のものとなる。
プーチンも金正恩も核兵器を恫喝の手段として公然と使用しているが、使用には踏み切れていない。それは西側諸国もまた核兵器を有しているからだ。
この現実の前では、高潔な理想は虚しい空論に過ぎない。
・お立場としては、こう話さざるを得ないでしょう。しかし、人類は作ってはいけないものを作って、それを広島、長崎で使ってしまった。この世に使われない発明などないのです。あれば使いたい、使うべきだ、それが現実です。ですからその前提に立ち、冷然と核抑止論が存在するのです。この世から核兵器を排除する、削減することと、今ある状態の中で、どのように壊滅的戦争を回避し軍事的均衡を保つかを考えることは、分けて論じないと、おとぎ話のような理想論になってしまいます。
・暴力団が警察には手を出さないでシ◯バ代渡すほどの上下関係なのは、警察の方が力も権力もあるからです。 警察に力が無ければ、中南米の警察と麻薬組織みたいな関係になる。 平和主義を謳うのは正しい事だけど、非保有国みたいな弱者に言うのではなく、核保有してる強者を言葉で屈服させないと意味が無い。 むしろ核を拡散させない事は、保有国の立場だけ強くさせる事になってるのが現状。
・武力による抑止力は、大国同士で武力を持ち合うことで「少しでも攻撃したらそれ以上の武力でやり返されるかもしれない」と仕返しを恐れ合う事で発揮するものです。 しかし、事実、武力での反撃を恐れずアメリカに攻撃した『大日本帝国』という国が存在します。 更に日本だけではなく、2001年9月11日にもアメリカは攻撃されています。仕返しを恐れない国には核抑止力は発揮されないのです。 更に戦争を仕掛ける人間は無傷で、仕返しを受けるのは庶民が戦争の常です。 広島長崎のような「やり過ぎた」攻撃を減らすために、90年代は米ソ連間で兵器削減交渉の動きがありました。数少ない人為的な被爆国である日本には再びその運動を働きかける義務があります。
・戦争や核兵器反対は勿論だと思いますし、唯一の被爆国として世界に発信し続けなければならないと思います。しかし、現在の情勢を考えると核兵器を持っていない国がいくら声を挙げようがあまり効果がないように感じてしまいます。日本も核兵器を保有し、保有国と同じ土俵で会談を行う時がきているのではないかと感じます。いくら日本が戦争はしないと宣言していても、ミサイルを打ち込まれれば最後です。今の憲法では日本は守れません。近隣には、かなり危険な思想を持った国がいくつもあります。
・お互いが核を持つから抑止力になる。まあこれは被害側の発想ではないよね。持つための大義名分的な発想だからね。ある漫画でも言っていたが、人には一瞬で戦争を終わらせる手段を持っている。一斉に銃を下すことだと。その勇気を持てるようにしたいものです。
・銃前であれ銃後であれ、実際の戦争を経験した人が、多くの人々が目の前で殺されたのを見たその気持を、今の人は恐らく心底迄理解出来ない。経験者の話を聴くと重みや実感や「それだけは繰り返してはいけない」という気持の強さは本物と感ずる。それはまさに正しく、そこに至ってしまえば必ず後悔する。それは本当だと思う。 唯、それは「理想」でもあり、現に世界各地で何の罪も無い人々が、武器で脅されたり、侵略されたり殺されている中で、「平和憲法」や「第9条」や「外交」だけで侵略が防げるのか。まず防げない。属国になれば別かも知れないが。 新兵器にせよ、核にせよ、衛星にせよ、外交にせよ、平和憲法にせよ、これがあれば安心でなにも心配せずに居られる…という事は決してない。何を持っていようが、常に考え複数の手段で何重にも防御する、その努力は常に必要なのだ。ゆえに平和憲法があれば安泰と考えるのは怠慢でしかない。
・私も少し前まではそのようなことを考えていたが、イスラエルに対してイランがどう出るかを考察してみた。先の攻撃をことごとく迎撃により阻止されたことを考えると、もはや手の打ちようがない相手に対して使う攻撃はテロ攻撃や、核攻撃、生物化学兵器の利用が効果的かもしれない。絶大なる後ろ盾を手中に収めているものに対しては、命を懸けて対抗するにはそれほどの覚悟が必要かもしれない。それほど、イスラエルの最近の活動は縦横無尽なものであると感じている。我が国も長年にわたりアメリカにいいように扱われてきていると思う。戦中戦後の映像を見て無残にやられ亡くなった方々のことを思うと居た堪れない気分になる。私はアメリカ人がとても嫌いだ。この敵(仇)をとるまでは平和の祭典などありえない。それが大和魂なのではないのか
・確かに広島市長の言うことは正論ですが綺麗事ばかりでは国は守れません。ウクライナ約パレスチナを見れば分かることです。日本周辺は世界でも有数の不成者国家が密集してる地域です。これらの国から国土を守る為に綺麗事だけではダメです。日本の軍備力強化、早急な各武装が必要です、防衛の為には最低でも100基以上の核武装が必要ですね、もし第二次世界大戦の時に日本がアメリカ全土を攻撃するだけの核武装していれば広島や長崎の惨事はなかったと思う。核廃絶など絶対にできないのでそれならば日本も核武装すべき、
・もしかすると核があるから現在の戦争、紛争レベルで落ち着いているのかもしれない。ロシアが核もっていなければNATOはウクライナを支援し反撃してしていただろう。そうなれば第3次世界大戦になっている。 中印の国境紛争も互いに核保有国だから小競り合いレベルで落ち着いているという考えもできる。
争いの根底にある宗教・民族思想の相違、独裁・領土拡大志向の存在などが無くならない限り、世界から核が無くなっても平和にはならないと思う。
・アメリカの政治的、経済的エゴによる民間人大量虐〇の犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。私の大叔母も犠牲者です。 その事実を知ったうえで、いま世界を牛耳っている軍事産業を主たるものとするグローバリストの横暴を世界の国々が気づき、一刻も早く排除し、前向きで希望ある未来を創れる世界になれるよう日本人として、個人として、できることを考えたい。
・現憲法はGHQによって押し付けられて制定されました。ハーグ陸戦条約は占領軍が被占領国に憲法改正を押し付けることを禁止しています。現憲法は戦時国際法に違反して制定されました。
米国は日本が再び軍事的に力の実体として復活することを阻止したく現憲法を押し付けました。
中国や北朝鮮の核ミサイルは日本に照準を合わせています。抑止力なしで国民の安全と生命を守ることはできません。抑止力を保持したうえで外交交渉をすべきです。
・平和宣言は悪い事ではない。 残念ながら世界では効力は発揮出来ない。 希望や望みに託す訴えに論破する余地はない。現実はロシアのように核で威嚇する国も有り、それを傘に戦争の有利性を持つ卑怯な 国も有る。核を持たない国が核廃絶を訴え、核保有の国は核禁止を提唱しない。 つまり抑止力が世界に均衡を保たせる。 唯一の核被曝国として発信する事は良い事だと思う。しかし、核を持たない事が世界平和という事が違う事を理解した上で、日本は 発信しなければいけない。
・現実は核の抑止力が一番効果があります 気持ちは理解できますが理想論でしか無いです 広島市民としては、こう言うしかないのも 分かります
泥棒に遭ったら防犯策を強化します そりゃあ超ド田舎みたいに鍵を掛けなくても 出掛けられたら良いですけど 普通の街中では鍵を掛けるとか防犯カメラを設置するとか しますよね
日本でも警官は拳銃を携帯しています 犯罪の抑止力になります 銃社会のアメリカなら州によっては一般人でも 家に防犯で所持出来ます
今の現状の世界の平和維持に「核」は必要です 当分は続くでしょう 日本も核シェアリングすべきと考えます ウクライナを見れば当然だと思います 逆に核を使わせないために核を持つのです ウクライナは核を手放した為に侵攻されました
広島こそ核に対する考え方の転換点に来ていると 思います もっと現実を直視して欲しいです
・平和宣言の文章は一つ一つ素晴らしいと思うが、現実と乖離している。 私たちが、いくら平和を願って、平和のために努力する精神を持っても世界は変わらない。 なぜなら、独裁者がいるからだ。 ようは、独裁者を排除しなければ世界が変わることはない。 我々が必死に戦争はよくない、してはならないと叫んでも、独裁者が核武装していけば、戦争は避けられないものだと心得ましょう。
・還暦を過ぎたが、私が子供の頃は8月6日は早朝からどのチャンネルもこれから始まる祈念式典の映像が映し出され、「いつもと違う」厳かな(子供心には少し怖いような)雰囲気を感じていた。
今朝テレビを付けたらどの局もオリンピックの話題一色。 賑やかな音楽を伴う映像と共に一喜一憂するニュースキャスターたち。
別にオリンピックニュース自体を批判しているわけではない。 ただ半世紀以上の時代の流れと、「あぁ、平和な世の中になったんだなあ」と思った。
当時の私と同じ年頃の子どもたちは、今朝果たして何割が原発のことを考えただろう。
今の日本の平和も過去の犠牲の上に成り立っている。 どうかそのことだけは忘れずに今日という日を過ごして欲しい。
・理想と現実は違う。 ウクライナは核を放棄したので、ロシアに侵略された。過激な反撃の力が無いと、侵略されてしまう。日本は、アメリカの核の傘の下にいるから、攻撃されないだけ。 ただ、政治家が理想を語るのはありだと思います。イスラエルを招いて、スピーチを聞かせたのは良かったと思います。
・核廃絶を訴えることは否定しない。 だけど、被爆国として、被爆地の市長として、最優先にやらなければならないことは未だ核の脅威に脅されている現状を打破すること。 どんな手を使っても、核武装を抑止力としようが、二度と核の脅威に晒されないことが最優先課題。 それらを成すことが被爆者への責任であり未来への希望になる。 核廃絶などの理想論はその後で良い。
・世界の政治家に願うことも必要だが、広島としてもっと積極的に世界にできる独自の活動を宣言してはどうでしょうか。 予算なくともクラウドファンディングでもよいので、世界の学生を広島に絶えず招待し、意見を交換・発信し、連携を結ぶ都市を増やすなど、 「広島の為政者」ならではの行動を盛り込んでいってはどうでしょうか。 今の世界の政治家に物申して、世界の人々の心を変えていくことは難しいのは、わかっているはずです。
・こういった話題が出ると義務教育の核に対しての教え方を考え直しても良いのかなと感じます。何故核を手放さない国があるのか?手放せばどうなるか?核の代わりには何がなるのか?そしてその代わりのものは核を手放した時とどう違うのか••••••。教育として考えていけば、核廃止という言葉だけ先行せず現実的な案も出るかもしれない。
・攻める力ではなく守る力も必要かと思います。 いつもと変わらぬ生活風景から一転、地獄とかしたその様に心が痛みます。 それとは別に式典の黙祷前に流れる生オケのおどろおどろしい音楽はなんとかならならないですか。 いつからああいった演出をするようになったのですか。 エンターテイメントではないのですよ。
・戦前昭和の日本は満州事変勃発以降、日本にはアジアを解放する理想があると思い込み、日中戦争、さらには太平洋戦争へと進みました。その結末は、誰もが知っています。「アジアを解放する使命」といえば言葉はきれいですが、実際は、英米勢力をアジアから追放するのが目的で、「日本が東洋の盟主」になるのが最大の狙いです。この時期の日本は完全に、理想に走りリアリズムが欠落していました。広島市長による平和宣言も、リアリズムが欠落してきれいごとを述べているだけという点では、昭和戦前の日本とまったく同様に思えてしまいます。 日本への他国からの核攻撃をなくすためにも、日米同盟による拡大抑止は必須のものです。
・団塊の世代があと3年程で80歳を超えていく。核廃絶は被爆国日本の義務だと思うが、政府に全くその気がないので無理だと思う。政権が変わらない限り無理だと思う。実際、核廃絶が世界で叫ばれるためには、広島、長崎はあまりにも犠牲者が少なかった。さらに時間も過ぎた。将来、核廃絶が世界で真剣に叫ばれるには、核によって一度に一千万人以上の犠牲者が出ないと無理だと思う。どちらかというと今はそのチャンスに近いように思う。ロシア―ウクライナ戦争かイスラエル―ハマス+イスラム諸国戦争に核が使われて数千万人が亡くなれば、戦争が終わり、核廃絶が叫ばれるだろう。日本は、できるだけこれらの戦争国の一方にだけ多大な協力をすることが要となる。今年中に達成できれば素晴らしい。
・被爆した方々、その親族遺族の気持ちは理解しているつもりです。 その上で、人間が人間である以上、力で力を押さえつける事は必要です。 つまり、核抑止力に依存しない力を得る為には、核を無効化する力を得なくてはなりません。その力をどこよりも早く日本が持ち、日本が主導して不要となった核兵器を処分していく。これが最も現実的な解決方法であり、日本がやらなくてはならない事だと考えます。
・唯一の被爆国。その原爆が投下された地、広島市の市長の言葉だけに重みがあります。でも、世界中の指導者が、そう思ってくれれば良いのですが核を放棄したばかりに攻め込まれたウクライナの例もあります。核を使わせないために核を持つ、という考え方は野蛮で短絡的な発想ではありますが、今の地球上では最も確実な方法でもある訳です。世界平和のため、という国連だって常任理事国の拒否権があるため、意見の統一もできない。何かしらの抑止力を発揮する事すらできません。少なくとも武力戦争が起きない為には、自らも武力を保持しない限り無理なのです。本当に難しい時代。
・そういう願いは大切ではあると思う。それすら出来なくなったら俺ら人間は終わりよ。ただ、核の抑止力がなければ無理な現実もあるけどね。ロシアとウクライナで俺含め皆さんよくわかったと思う。 戦争したらお互いが相手をヤバい状況にできる非人道的兵器に頼らざるを得ない。それが無難で簡単な平和の作り方。
・残念ですが、ロシアは不明ながら北朝鮮と中国が日本へ核兵器を向けている事は明らかであり、常時「恫喝」されているわけです。
西側諸国を批判する前に、お隣の国へ苦言を呈されては如何ですか?そんな非人道的な威力をもった兵器を向けられている以上、同じ威力の傘で守ってもらう以外に方法はありません。
残念ですが、お互いが絶対に歩み寄れない以上、どれだけ危うかろうと、相互確証破壊状態こそが核兵器不使用の均衡を保つと、ロシアが証明しています。
話し合いで解決できるという空想家の方々は、いつまでも精神論を唱えていないで、どうぞまず中国と北朝鮮を説得しに行ってきてください。
・「イスラエル・パレスチナ情勢の悪化により」とは、ずいぶんと一方に忖度しましたね。「現在も続く、イスラエルによるガザをはじめとするパレスチナ自治区への虐殺行為により」でしょう。 昨年は、ウクライナに肩入れしてロシアを名指しで批判したのは広島県知事、首相で、広島市長は特定の国名を挙げずに平和記念のスピーチをされました。今年はどこかに忖度せざるを得なかったのでしょうか。 平和記念の名を借りての政治的思惑を含めたスピーチは、原爆被害者への冒涜につながると懸念します。
・防衛力抜本強化しても「核」というカードを切られたら終わり。 時代は核。 ロシアの核は水爆。 宇宙空間から大気圏に突入するマッハ28の弾道ミサイルに積む水爆。 原爆を起爆剤とする水爆の威力は概ね原爆の10の3乗倍。 1961年、ロシアが「ツァーリ・ボンバ」という水爆を大気圏内で爆発させ、その威力に世界中が驚いた。 爆発の衝撃波は地球を3周した。 この時の威力が広島のおよそ4千倍のエネルギー。 エネルギーを半分に下げての結果だ。 ロシアは既にこの時点で「広島原爆の一万倍」という 凄まじい核を手に入れていた。 現在、弾道ミサイルに搭載される核は最大このレベル。 大都市に向けられたら一発で1~3千万人が消える。 水爆弾道ミサイルの照準を首都に向けられたら、 人質取られたのと同じ。 正に一発で国が消える時代となった。 「ロシア領内の軍事目標を米国の武器で攻撃することを禁じている」 所以はそこに有る。
・日本が核兵器を所有するとしても、移動体に搭載しなければ、核保管庫を狙われれば、大惨事になってしまう。 日本の技術を持って、今後、主力とするならば、レーザーしかない。 光の速度で、核ミサイルを迎撃できるし、光線だけに飛翔体への戦闘時において、失敗はない。 問題は、レーザーの高温光線を発射する、光線を維持する電力だ。 レーザーは、爆発ではなく、溶解させる直線光線なので、海上ならば、水平線までしか効力はなく、そのまま光線は宇宙へ抜けてしまう。 そうなると、オゾン層に穴を開ける事となり、温暖化促進となってしまう。 なので、核無力化させる方法があれば、一番良いのだが。
・核兵器を持つ事が不利にならないと減る事は無理かと思う。 しかし過度な経済的制裁等すると、 昔の日本みたいに制裁等に対抗しようとする。 現時点では核兵器には核兵器で! が均衡を保つ唯一の対抗処置になっている。 どうしたら「核抑止力依存の転換を」実現出来るのか? 核兵器を減らそう無くそうと言うだけでは大変厳しいのかなと感じる。 核兵器を無力化する事が出来ないものだろうか?
・核抑止力以外に戦争を抑止できる兵器があるのでしょうか 他に有れば置き換えできると思いますが、無いのであれば頼るしかないので許容するしかないと思います 他国の領土や資源に野心を抱いたり、イデオロギーを強要したり・・・ 政治的にも経済的にも相容れないことを行わないと宣言していても無視する輩がいる以上は対抗手段を講じるしかないのです 仮に、これらを行う輩がいなくなったとしても、今の核兵器保有国が核抑止力を全面廃棄するとは思えません 他国を心底信じることが出来るのかという問題に突き当たります
・核抑止力依存の転換はまさに正論中の正論です。核以上に強力で安全な兵器が出来ない限り難しい問題です。 日本としては、核抑止力依存の転換を良い続けるしかないですね。
・核のない世界が平和かと言うとそうでもないんだよね、世界には凶悪な兵器はまだまだたくさんある。核廃絶は否定しないが、実現が遠い目標を目指すより安全保障を強化した方が現実的な平和が得られる。
・人が人間であり続ける為には何が必要か。 それは豊かさしかないのだろうか。
地球はひとつしかない。 人類の大切な大切な地球を破壊しても、自分たちが生き残ればいい。という究極的な身勝手さが底辺にある。 人とのつながり、国家間のつながりは人の欲望を抑える事に繋げられないだろうか。
今、平和の祭典のオリンピックが行われてる。でも一方では人を殺傷している。 オリンピック停戦を行う事はできないのだろうか。 戦略的戦術的にありえない。と言えばそれまでだけど、地球上で誰か努力してんだろうか。
・日本はなぜ軍事費の大増額や敵地への攻撃可能の方向へ舵をとるのか?
日本は唯一の戦争被爆国として恒久平和を希求して、決して戦う姿勢をとってこなかった。 そういう国だから他国も攻撃する事が出来なかったのではないか。
しかし、中途半端なファイティングポーズをとろうとしているのはなぜなんだろうと思ってしまう。 他国からしたら、日本にも戦う考えがあるととられても仕方ない。
本当は強い人は戦わないのである。 毅然とした平和の姿勢で話し合いの場に臨めばいいのではないか。
・「理想論」として核廃絶を訴えるのはよい、また実際に被害にあった広島や長崎の市長が、心情的に核を容認する事が出来ないのも理解出来る。一方で世界にはレイシストは沢山いる。そんな人達と話し合いで核廃絶の合意形成出来ると本気で考えているのならナイーブ過ぎる。
ウクライナ戦争の例を見るまでもなく、核を所有している侵攻国のロシアには、核の報復を恐れてかつてのイラクやアフガニスタンの様に国連軍やNATOが乗り込んで制圧出来ない。
現実的に1番恐ろしいのは核の拡散。テロリスト等の手に渡れば容易に世界を恫喝出来てしまう。再度世界各国で核を所有して均衡を保つ「冷戦」時代の様な管理をすべき。日本も短射程の戦術核を持ちSLBMとして搭載した潜水艦を常時遊弋させた方がいい。
・これは平和の為の式典ですから、世界196カ国全てに招待状を出し、来てくださる国には参加いただくべきだと思います。 例えその国が戦時中であっても、経済活動が繋がっている限り、争いに加担していない国はほぼないのだから。 私が誇りに思うことは、原爆を他の国に使えばいい、と言った被爆者は誰一人居ないことです。 報復の連鎖を止めようとしているのです。 だから、全ての国がここに集うべきなのです。
・かつては核兵器を無くす運動だったかもしれないが、核兵器を使わせない運動に変わってきている。あの兵器の恐ろしさを伝え続けることで抑止力たり得るようになる。これからも続けていきたい。
・核抑止が無くなればアチコチで戦争が起きますね。その場合の責任を取れますか?私は言いたいです。 もしもウクライナが核保有をしていればウクライナ戦争は無かったでしょう。北朝鮮みたいな国が存続できるのも核保有国だからですが、少なくとも戦争は起きない。 核の有無より戦争が起こりにくいシステムの方が私は良いと思いますよ。
・戦争のない世界が理想です。日本が世界に見本を示せば良い。私もそう思います。しかし、そうもいかないのが現実です。日本社会においても、それをやっちゃだめでしょ。って事でも、力関係により否が良となることもあります。日本社会においても理不尽なことが沢山ある中で国際社会においても同じ事が言えると思います。国際社会においては、様々な国の様々な考え方がある以上、日本の常識は通用しない。なら、国際社会における常識に習うしかないし現実的に今もアメリカの核の傘下にいるから現状が保たれているのだと思う。それに、何の根拠もない「希望を胸に行動し」って希望だけを持ってもし取り返しの付かないことがあったら誰が責任を取るんでしょうか。総理が責任を取っても取りきれないと思いますよ。それを、一市長が口にすることではないと思います。個人的には、無責任発言だと思いますが。
・その発言を聞き入れてもらうには、力(パワー)が必要だと思う。経済力か武力のような相手を黙らせるだけのパワーが必要。 今の日本にそれだけのパワーがあるのか?と問われると少し足りないように思う。 外交などで海外諸国と親密な関係となり支援、後押ししてもらうにしても時間がかかる。 今の世界を見ると、どこの国も力がないように思うわ。力がないから武力を示して相手より優位な立場であろうとする。
相手の気分次第なのだろうなあ…。
・それを核を持たず非核三原則を是としている日本国内で宣言しても、誰にも響かないし効果も無い。 弾道ミサイルとともに核開発続ける北朝鮮、世界最大級の保有数を目指す中国、そして現実に使用をためらわない発言を繰り返すロシア。 それらはすべて日本の隣国です、彼らに向けてそこに届くように、ピンポイントに宣言しないと、意味無いどころか日本国民からの支持も失ってしまう。「なにを呑気なことを言っているんだ」と。「無防備にそいつらに攻撃されたら死ぬのは俺らなんだぞ」と。力の掛けどころは正しく行わないとダメだわ。 それとも単なる祈りなのかな。8月6日と9日なら静かに耳を傾けますけどね。
・市長の平和宣言は、国際政治を全く無視した理想論に終始した現実味のない残念な言葉でした。むしろ、小学生代表の「願うだけでは平和はおとずれない(中略)、一人一人が相手の話をよく聞くこと。「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。私たちにもできる平和への一歩です。」という言葉には心打たれた。
・自国が核を保有しておらず、かつ他国が核を保有し使用されるという状況になることを恐れたことで核保有国が広まったという事は否定しません。 だとしても、「だから疑心暗鬼を止め、核を放棄しよう」なんて言ったところで、信用なんて絶対できない国があるのもまた偽らざる現実でもあります。 そもそも、世界中の人々がお互いに信頼しあえるというような世の中なら、戦争や紛争なんてものは起きていませんからね。
・この机上の空論も空しく、今まさに中東で核が使われようとしています。 もしくは、ウクライナが先かもしれません。
何事も話し合いで済むと思う事は自由ですが。 そんなお花畑理論で世界は動いていません。
数少ない被爆都市の市長なら、世界を相手に現実的提案も出来るはず。 建前が主の平和宣言とは違う、本音の外交を政府に働きかける事ができる。 それが広島と長崎市長の、被爆都市の首長だからこそ言える事でしょう。
・素朴な疑問。 もしウクライナが核保有国だったらロシアは侵攻しなかったのではないだろうか?そうだとしたら、何の罪もない一般市民が犠牲にならずにすんだのではないか? 常識が通じない指導者のいる国には核抑止力は有効なのではないかと思う。
・ヒグマに「人間を襲わないで」と諭しても通用しないから痛い目に遭わせて「人間に近づけば殺される」と学習させるのと同様、ならず者に認識できるのは「平和共存」という理念ではなくて「核を撃てば反撃されて自分たちもやられる」という現実の実力です。
広島市長も政治家ならば、核兵器を全廃させる現実的可能性のある具体的な対案を出していただきたい。
・被爆した人は、核兵器を持つべきという考えなのでしょうか?戦争経験者は、もっと武力を拡大するべきという考えなのでしょうか?
私は核兵器の所持が自国の平和をもたらすものだとは思いません。核を使われる脅威からはある程度、避けられるかもしれませんが、人が核の脅威から逃れるには核が無くなることしか答えは無いと思っています。 どれだけ綺麗事と言われても、私の考えは変わりません。
「皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。」 松井市長の冒頭の発言がとても印象的でした。
・企てる者達が改心するか、世界が人類の危機に直面するしか真の平和に切替わるチャンスはない。但し、その死は新しい生命の誕生と新しい地球環境に適合した輪廻転生の場として全てが生まれ変わることになる。そのキッカケを日米が創らなければならない。日本はこの式典の様子を世界中に拡散していくことで世界中の一人一人の意識改革を促していって欲しい。
・銃社会のアメリカで武器や銃を取り締まり禁止にしたい人もいる。一般市民がライフルなどを保持することを許可されるアメリカでは、トランプ大統領が銃撃された。 日本は過去核爆弾を落とされた。 核廃絶は、不可能な武力だ。 広島市が世界から核を廃絶したいというならば、地球連邦政府を樹立に動き、全世界から税金をとって、エネルギー政策、教育、インフラなど世界政府として動いた時に、地球から核廃絶が叶うかもしれない。 それほど難しいことだけれども、地球連邦憲章など、地球連邦政府樹立のために、現在の国連分担金を徐々に地球連邦樹立のための準備金としてせんげんして動くくらいはできそう。 そうでなきゃ、愚かな戦争や弾圧は続く。 あとは地球連邦の制度設計に世界中の知識人と叡智の結集した方がいい。
・今朝のNHKテレビで平和記念式典を観ていました。 日本が太平洋戦争や中国への侵略をしたのが原因で 広島・長崎が原爆により被災。 開戦時の日本は軍事政権で開戦反対が出来なかったと記憶しています 日本政府は例えば国連総会で被災時の広島・長崎の状況を発信して 核兵器の恐ろしさを全世界に発信すべきと思います。
・現実的に無理だと思う しかしながら核兵器を実際に使った国はアメリカで使われた国は日本 その威力に世界の指導者は目が眩み我先に核保有を進めている 核保有国がロシアのように他国に攻め入っても国際社会はロシアに対して何も出来ない 何も出来ない事を出きるようにしなければ核を放棄する事は出来ないだろう
・今年も広島市長は立派な宣言を残した。 一方の岸田は官僚の作文を読むだけ。 同じ広島の人たちが選出したとは思えない差だった。 戦争や紛争が無くなれば、核の根絶はできる。しかしそれは極めて遠い話だ。しかし、核を使ってはいけないと、核禁条約の締約国となることはどの国にもできる。 だが、日本をはじめ、為政者たちは被爆者がみんないなくなるのを待っている。今年、平均年齢は85を超えた。 そんな為政者を選ばないようにする、結局は各国の市民に委ねられている。
・核兵器を所有している日本で叫んでいても虚しい感がある。やはりここは核保有国に行って直訴して欲しい。 北朝鮮がなぜ核兵器を保有することになったかというと、財政が苦しく技術力もない国でも保有できる効果的な兵器だからと思う。そう考えると市長の言うような転換は現実社会では困難だろう。
・普遍的な価値観を共有できない核保有国が周りを囲んでいる日本。むしろ核抑止力の強化を図らないと平和を保てないところにきていると思います。日本も相互確証破壊による平和を実現するべきだと思います。核保有と平和は両立出来ます。
・日本は唯一被爆国であり戦後世界へ向けてその悲惨さを訴えた続けたが逆に核保有は増えました、恐ろしいから威嚇になると考えたのでしょう、しかし未だ戦争は終焉したかと言えば終える事はありません、それが様々な説がありますが起こさなければ無くなるのではないからです。今では原爆と言われた核爆弾も小型化されたり、更に焼き尽くしたり破壊とは無関係のウイルス兵器や空中散布型の静かな兵器も現にできています、しかも速攻ではなく目立たないものまで開発されています。要は開発し保有する比較的強国の心ひとつで悲劇は起こるという人間世界の不完全な部分がある限り戦争は無くなる事は無いのか。
・核兵器反対と言っても原水禁と原水協の対立もあるなど、反対運動も様々。 アメリカでは原爆投下は正しい選択と思っている人が多数派だ。 一方で自衛隊はどんどん増強され、海外へも派兵されている。安保反対も今なら安保堅持に様変わり。 一体戦後平和主義はなんだったのか?本当に意味のある平和主義だったのか? 結局、何も考えず軍事防衛問題を白紙にしておいて、ひたすら平和を呪文の様に唱えるだけの役に立たない平和主義だった気がする。
・核抑止力がないとウクライナみたいに攻め込まれるし攻め込んだロシアは隣の国、北海道が戦場になることを考えると実際には無理。 沖縄を狙う中国、実際に戦力の無くなった時期に竹島を占領した韓国、領土を狙って戦争中のロシア、こんなのに囲まれていると核抑止力依存からどう転換していいのかわからない。
・原爆が投下された広島や長崎、地上戦になった沖縄など、確かに悲惨だが、戦後の慰霊については首相が臨席したり、犠牲者の調査が行われ、名前の入ったプレートが作成されるなど手厚い。 比べて、東京大空襲は、東京都や政府に米国に対する遠慮があるのか、単独の慰霊堂さえなく、関東大震災と一緒にしたのが両国にある程度だ。震災による事故死・自然死と、空襲による虐殺死を同列に並べるとはどういう神経をしているのだ!更に、東京大空襲の犠牲者調査は、今となっては、ほとんど行われず、当然、名前が刻まれたプレートもない。一応、毎年3月10日に慰霊会は行っているが、皇族も首相も、閣僚も来ず!都知事は昭和40年まで一度も来ず、ソレ以降は人によりまちまちだ。広島や長崎が悲惨だったのはわかるが・・ 東京だって十万人以上の犠牲者を出しているのだが・・
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