( 199279 )  2024/08/07 16:21:04  
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やりがいを持って仕事に励んでいた頃の立石良二さん(仮名・65歳)。その後、社長が交代し会社の居心地が悪くなり、退職を決意することになる…… 

 

日本の会社員の大多数は、収入が激減し、居心地の悪い職場になるのを知りながら、定年後に再雇用の道を選んでいる。実際に会社に残った人たちの声を紹介する。 

 

⇒【写真】会社の酒席にて。立石さんが社長だけでなく、部下から慕われていた様子が窺える 

 

●立石良二さん(仮名・65歳) 

設備メーカー・技術課課長→再雇用で嘱託社員 

退職時年収900万円→再雇用の年収500万円 

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首都圏の会社に勤めていた立石良二さん(仮名・65歳)は、52歳のときに親の介護のため九州の設備メーカーに技術職として転職した。 

 

「技術開発にも積極的で、大いにやりがいがありました。社長が目をかけてくれ、会社のお金で関東の大学に通い、先端技術を学んで技術開発のリーダーにも抜擢されたほど。社長には『ウチは60歳定年、65歳で再雇用も定年だけど、同じ待遇を保証するから、その後も会社に残って支えてくれ』とも言われました」 

 

ところが、定年前になると風向きは一変する。 

 

「社長が交代となり、一転して経営陣との関係が冷え込んだのです……。経営方針も変わり、開発に力を注がず、過去の製品を流用した量産型の商品が主流になり、やりがいは失われました。そのうえ、業績連動型の報酬体系に変わり、給料が半減してショックでしたね。 

 

でも、それだけじゃ済まなかった。私が所属する開発部門は『カネがかかるバクチ打ちのお荷物』と社内で陰口されるようになり、まるで針のむしろ。早朝出社して深夜まで仕事をしていたのに、全否定された気がして虚しくなりました」 

 

前社長の置き土産で、再雇用の定年65歳以降も会社に残ることはできたが、立石さんは退職を決意する。 

 

「ちょうど65歳のとき、妻が『住宅ローンの返済も残り10年だし、もう辞めてもいいんじゃない』と言ってくれ、退職を決断しました。肩の荷が下りたのか、心身ともに調子がよくなったのを覚えてます」 

 

職場のスポイルで疲弊したメンタルヘルスを救うのは、家族の後ろ盾なのだ。 

 

取材・文/週刊SPA!編集部 

 

―[会社員の終わり方]― 

 

日刊SPA! 

 

 

 
 

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