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三国志で最強の武将は一体だれだったのか?もっともがっかりした武将との対比

JBpress 8/7(水) 11:06 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/631465be7f2a202691aa7429dfb033c0c0b71a3d

 

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約1800年前に三国時代を描いた歴史書「三国志」には曹操、劉備、孫権などのリーダー、諸葛孔明らの智謀を持つ軍師や勇将たちの活躍が描かれており、その中で強者の中でも最強の武将が誰か考察されています。

武将たちの活躍は、当時の軍隊全体に大きな影響を与えており、彼らの戦いや知恵は三国志の魅力の一部です。

最終的には、魏の曹仁、蜀の趙雲、呉の周泰が最強の武将候補として挙げられ、曹仁が最強とされました。

ただし、最強武将の選定には攻守のバランスなども影響し、他のがっかりさせられた武将たちも挙げられています。

(要約)

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中国の趙雲像 モリオ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons 

 

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?  

 

【写真】三国志の中でがっかり?な武将、関羽の像 

 

■ 多数の猛者の中で、三国志最強の武将はだれなのか?  

 

 三国志には、屈強な武将たちが登場します。騒乱期の呂布、魏の夏侯惇、蜀では関羽と張飛、呉では太史慈や甘寧など。活躍した時期や地域が違うため、すべての武将がライバルと戦ったわけではないのですが、誰が最強であるかは、三国志ファンなら一度は考えたテーマでしょう。 

 

 歴史上の戦いは、一つとして同一の条件はなく、所属する軍団の指揮官の強さや賢さ、愚かさにも勝敗は左右されます。それでも、当時の武将の強さは全軍の影響力を大きく左右し、猛将がいる部隊は、その武力で敵を圧倒したり、不利な状況を防いだりする。強い武将たちの大活躍がいくつも描かれているのも、三国志の魅力の一つといえるでしょう。 

 

■ 戦闘マシーンの「呂布」、豪勇でならした「太史慈」などの武将たち 

 

 議論の入り口として、書籍『三国志最強は誰だ? (一水社)』と、『「三国志」最高のリーダーは誰か(ダイヤモンド社)』の2冊をまず参照してみます。前者では、多数の武将を「戦闘力」「知力」「財力」「人望」「統率力」の5つの要素で分析しています。 

 

 この書籍の結論として、単純な戦闘能力では「呂布」「太史慈(呉)」を挙げており、部隊指揮能力では「張遼(魏)」を挙げています。この三人は、それぞれ武力が突出していたために、君主からスカウトされていることも共通点です。 

 

 三国志ファンならよくご存じの呂布は、弓術や馬術に優れており、194年の戦いでは曹操軍の夏侯惇を捕虜にするなどの強さを見せています。呉の太史慈は、孫権の兄である孫策に一度敗れて配下になり、その後の活躍で魏の曹操も欲しがったほどの武勇の人でした。 

 

 (ただし太史慈は、赤壁の戦いの前年の206年に41歳で病死) 

 

 一方、書籍『「三国志」最高のリーダーは誰か』では、武将を7つのタイプに分けています。 

 

 それぞれのタイプで選出されたのは「飛将=呂布、公孫瓚、馬超」「猛将=夏侯淵、張飛」「勇将=趙雲、甘寧」「名称=曹仁、張コウ」「智将=司馬懿、杜預」「忠将=夏侯惇、周泰」「義将=関羽、張遼」です。 

 

 選出されている将をさらに絞り込むため、ここでフィルターを追加してみます。「戦い抜いてなお、天寿を全うした」「後方支援などではなく、前線で活躍した」の2つです。 

 

 「戦い抜いてなお、天寿を全うした」といえるのは、「馬超」「甘寧」「趙雲」「曹仁」「周泰」「夏侯惇」「司馬懿」「張遼」の4人であり、「前線で活躍をつづけた」の追加条件をクリアするのは「甘寧」「趙雲」「曹仁」「周泰」「司馬懿」「張遼」となるでしょう。 

 

 夏侯惇は、隻眼になってから後方支援が多くなったため除外。また、上記の中で「司馬懿」は、純粋な武将ではなく、戦闘指揮官としての側面がほとんどなので除外します。すると、 

 

 (魏)「曹仁」「張遼」 

(蜀)「趙雲」 

(呉)「周泰」「甘寧」 

 

 となり5名が残ります。これは既にかなり納得感のある結果だと思われます。ここであえて、もう1つのフィルターを追加してみましょう。「活躍した時期が早い」「集団が小さな頃から武勇を発揮していた」ことです。理由は、大軍は自然に有利で勝ちやすく、小規模の劣勢軍団では、戦闘はより厳しいものになるからです。 

 

 

■ 「集団が小さな頃から武勇を発揮していた、最強の武将とは誰か」 

 

 魏の曹仁は、曹操配下で193年頃から活躍を始めており、袁紹との大戦争(官渡の戦い、200年)のかなり以前から戦いを始めています。曹仁は、集団が小規模な頃から武勇を発揮していたという条件にぴたり一致します。 

 

 趙雲も200年以降の劉備がまだ流浪の小軍団だったころから活躍し、劉備が皇帝になるまでの苦難の道のりを共に奮戦し、関羽、張飛、劉備の死後も戦い続けたという点で、条件に一致します。 

 

 呉の二人の武将のうち、周泰は孫権の兄の時代から活躍を始めています。呉の軍団が小さな頃に全身に傷を負いながらも孫権を助けたこともあり、のちの赤壁の戦いでも活躍をした古参武将かつ極めて強い武将だといえます。 

 

 「集団が小さな頃から武勇を発揮していた」というフィルターで脱落するのは、「張遼」「甘寧」の二人となり、最強のセレクションに残った3名は「曹仁、趙雲、周泰」となりました。 

 

■ 魏の曹仁、蜀の趙雲、呉の周泰はいずれも最強に相応しいが… 

 

 3名は、いずれも最強の武将にふさわしい人物だといえます。一方で、この最終選定に問題があるとすれば、いずれの武将も「守備的な任務」が多い印象があることでしょうか。攻撃に加わる武将のほうが、守備的な戦闘に配備されるより生き残りやすいのは道理です。 

 

 キャリアの開始時期を考えると、ダントツに曹仁が早く、なおかつ生涯を通じて戦い続けたことを考えると「最強、No.1は曹仁」といえますが、曹仁がキャリアの最後を敗戦で終えていることを考えると、「呉の周泰こそ最強、No.1の武将ではないか」とも思えます。 

 

 趙雲は、長坂の戦い(208年)で魏の大軍に追いつかれた状態ながら、劉備の息子を救い出して戻るなど、極限状態でもその武勇と聡明さを失わない活躍をしています。その意味で、この3名からさらに絞り込むのは非常に難しい。 

 

 魏の曹仁、蜀の趙雲、呉の周泰の3名を選出しこの段階で、あえて追加の2名の武将を挙げてみます。魏の徐晃と、呉の朱然です。理由は関羽の敗死と関連があることです。 

 

 関羽の最後の戦闘である樊城では、樊城を守る魏の曹仁をギリギリまで追い詰めています。 

 

 樊城を救出するために、魏の司馬懿が呉に蜀を裏切らせる計画を立て、救出の指揮を武将の徐晃にさせて成功しています。呉の朱然は、敗走する関羽を生け捕りにして、関羽は呉軍によって処刑されました。 

 

 もし樊城の救出が成功しなければ、関羽は曹仁を破っていた可能性があり、最強の武将は関羽となったかもしれません。現実には、司馬懿の知恵と徐晃の武勇が分岐点を作り関羽を破り、朱然は関羽を生け捕りしたのち30年間近く、呉の最強の武将として活躍しました。 

 

 徐晃は曹仁を救出した戦いでも勝利しており、戦い続けてなお天寿を全うしたことでも最強の武将の条件を満たしています。呉の朱然は孫権と生まれが同年で、今回の最強武将選定では、「次の世代」として除外します。曹仁と徐晃は、優劣を決めがたい存在です。 

 

 今回結論をあえて出すとすれば、曹操のキャリアの初期、大軍団になる前の状態から武将として活躍を続け、大きな失敗のないままに戦い続けて天寿を全うした曹仁を最強、No.1の武将としたいと思います。 

 

 魏は三国の時代でもっとも版図を拡大した勢力であり、その戦闘も「守りよりも攻撃」が多かったことが、魏の武将を最強に選定する最後の要素と致しました。 

 

 

■ 逆に、もっともがっかりさせられえた武将は誰か?  

 

 これは、219年に呉との戦闘で敗れた関羽でしょう。要所であった荊州を巡る戦いで、もし関羽が敗れて敗死をしていなかったら、その後の天下三分の計がどうなっていたか、三国志を読んだ人なら一度は想像をしてみたのではないでしょうか。期待や可能性が大きかった意味でも、関羽の敗死は武将としてもっともがっかりさせられた出来事です。 

 

 次のがっかりさせられた武将は、恐らく馬超ではないでしょうか。北方で曹操を悩ませた頃の若き躍動感とは異なり、蜀の劉備の配下となってからは大きな活躍はなく、人生の前半で体験した苦難や浮沈の影響か、出がらしのような状態に感じてしまいます。 

 

 もっとも、曹操との抗争で、一族が壊滅するような運命をたどったのですから、それも仕方ないかもしれませんが。蜀の武将として大活躍をする事績がなかったことは、後世で三国志を読む私たちを、少し寂しい気持ちにさせます。 

 

 魏の武将としてのがっかり将は、夏侯淵でしょう。猛将として有名をはせながら、蜀との重要な決戦で敗死して、劉備軍団を天下の一角をなす勢力に成長させてしまいました。夏侯淵は武勇に優れても、知略のない人物だと曹操に思われていた記録が残っています。 

 

 最強の武将たち、そしてがっかりさせられた武将たちを対比すると「武勇を支える知略」「攻めと守りのバランス」などの要素が浮かび上がります。三国志の時代でも、強者や智者が生き残りをかけて戦いを続けており、時間の経過とともに、戦いながら学習をし続ける「戦闘的な学習知力」が武将たちの運命を大きく分けていったと考えられるのです。 

 

鈴木 博毅 

 

 

( 199283 )  2024/08/07 16:27:57  
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(まとめ) 

異論や主観が多く、それぞれの武将に対する評価は様々です。

三国演義や正史、ゲームの影響などでも評価が異なるようです。

曹仁や呂布、張遼などが最強とされる一方、趙雲や馬超などががっかりしているとの声もありました。

個人的な好みや視点によって最強の武将が異なり、三国志にはさまざまな魅力があることがわかります。

( 199285 )  2024/08/07 16:27:57  
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・趙雲は『三国演義』で最も人気ある武将ですが、墓はその存在すらほとんど知られておらず、成都市西端の大邑県の街はずれの草むらに小さく目立たない形で残っています。 

 

劉備の墓は成都市内中心部の諸葛孔明を祭る武侯祠裏にあり、その諸葛孔明は陝西省漢中市勉県に巨大な陵墓があり、関羽は全国各地に関帝廟があり、張飛もゆかりのある四川省南充市の古都・閬中に立派な像と共に祀られているのと比較すると、その落差に驚きます。 

 

趙雲が大活躍した長坂坡の戦いの地・湖北省宜昌市に属する県級市・当陽には劉備の子を単騎敵陣に乗り込んで救う銅像がありますが…。趙雲は中国では趙子龍と呼ばれることも多いですね。 

 

がっかりさせられた武将の代表で馬超が出てきますが、彼の墓は漢中市勉県の孔明陵墓近くにあります。他に成都市郊外にも陵墓があります。 

 

三国演義の人物はいずれも脚色され過ぎて実像とはかなり違っていると思いますが。 

 

 

・攻めのスペシャリストと言えばやっぱ黄忠だろ!入蜀戦や漢中戦で敵の拠点をドンドン攻め落とし、魏の名将まで討ち取った武将は関羽とこの黄忠くらいだろ?(関羽は龐徳)他にも蜀では北伐で郭淮を破ったことのある魏延、なんだかんだで魏の喉元まで迫ったこともある姜維とか 

もっと攻めが上手い武将が評価されてほしいな 

 

 

・ラストで馬超について触れているが、馬超が劉備についた後全く活躍しなくなった原因は、「異民族騎兵を使えなくなったからだ」と考えている。 

 

鮮卑や匈奴といった北方異民族は恐ろしく強く、彼らを味方につけた群雄は存在感を示している。何なら、三国を統一した西晋を滅ぼしたのも北方異民族だ。 

そして、馬超も北方異民族の騎兵を率いていた。 

 

だが、劉備の下に駆け込んできた馬超は、流浪の末に流れ着いた状態。そんな状況の馬超に、北方異民族がついてきている可能性は低い。 

つまり馬超は自らが勇名をとどろかせる原動力をなくした状態で、これでは活躍しようがない。 

 

劉備としては将来の北伐で北方異民族を味方につける事には意味があるので、異民族の手懐けに定評がある馬超が来たことを大喜びした。 

だが、北伐の前に馬超が死んでしまい、結局馬超を役に立てられないまま終わってしまったのだと思っている。 

 

 

・あくまでも個人的な意見ですが、武将として最も強い武将といえば呂布で間違いないのでしょうが、次にくる武将は是非、張飛を推したい。 

どうしても横山光輝三国志のイメージが強いのですが、最も人間らしく欠点も多いが戦闘力においては右に出るものがいない、というキャラクターが大好きです。 

 

 

・演義から入って、正史を読んでガッカリした武将としては趙雲と馬超が双璧かと。趙雲の演義での活躍はほとんどフィクションでそもそも記述が少なく、馬超に至っては人格的に問題あるんじゃないかと思わせるくらいムチャクチャやらかしてます。ゲームだとどちらも最強クラスな上にイケメン風に描かれるのが常なんですけどね。 

 

 

・総合的に見ると曹仁ですが、他にも曹操には沢山の武将や軍師がいます。曹洪、夏侯惇、夏侯淵、于禁、楽進、張遼、許緒、荀彧、郭嘉、程昱、司馬懿、司馬師、司馬昭、徐晃など上げるとキリがないですね。曹仁は忠義はもちろんですが、貢献度最強でないかなと思います。武なら呂布、張飛かと思います。 

 

 

・この時代には鐙は中国に伝搬しておらず 

馬にのって槍などで戦うっていうのが 

幼い頃から馬に慣れ親しんでないと出来ない特殊技能だったそうな 

 

後漢初期も呉漢や馬援が最強に挙げられるように 

この時代の最強兵種は騎兵で 

その馬を巧みに操る北方の異民族と交流なり戦いをしていた 

北方出身とされる張遼や呂布なんかが候補かなと 

ベタですけど 

 

特に呂布は史実でも一騎討ちをしたり 

遠くはなれた所に刺さった戟を弓で撃ち抜いて戦争を止めさせた逸話なんかは史実として残っていて 

個人の武勇に関しては特筆に値する 

 

実際に敵が恐れていたのは個人の武勇ではなく 

騎兵を用いた将としての力量でしょうけど 

 

 

・演技は民間伝承の部分や物語としての脚色が強いので正史だけで判断すると軍師最強なら 

郭嘉、周瑜の二強かなと思いますね 

郭嘉がいたら赤壁の大敗はなかったであろうという名軍師、曹操が中原を取れたのも彼の進言が大きい 

周瑜も荊州から蜀に攻めて天下二分の計を早くから唱えていた名軍師。 

周瑜がもっと存命していたら演技の中とはいえ諸葛亮のあれほどの活躍はなかったであろうと思う 

一対一の最強の武将なら 

演技を含めると趙雲も候補なんですけど 

正史だと紹介が簡潔なのと五大将軍のなかでも地位が低かったりなどちょっと疑問点があるんですよね。なので 

関羽、呂布、張飛、1番乱世が荒れていた状態の時に前線に立って呉の基礎を築いた小覇王孫策、それと一騎討ちで互角な太史慈あたりかな 

一騎討ちの数で考えると呂布、関羽、張飛、その中でも一騎当千の最強武将と戦ってる回数だと関羽、張飛。関羽は最後捕まっているので、張飛かな。難しい 

 

 

・黄忠と呂布が一騎打ちしてたらどっちが勝ったかな?”武勇”だと張飛や典韋も好きだし許緖や魏延も捨てがたい。”名将”ってなったら黄忠や張遼、徐晃とか龐徳もいい。”知将”となると程昱とか司馬懿、実は徐庶も好き。”人望”で考えると曹操とか周瑜とか、ダークホースで孟獲とか。演義と正史のことをおっしゃる方がおりますが、正史もバイアスがかかっているものです。曹仁は言わば身内でしょ。 

 

 

・ダントツに呂布でしょう 

 

武勇の面でも、部隊長としても、単に「武将」とするなら最強では? 

ただ、「騎兵指揮官」として強いので、大軍指揮はまた別でしょう。 

 

歩兵指揮官として優秀なのは、曹操・曹仁ではないでしょうか? 

しかし、矢張り「騎兵」で蹴散らすのが、強い武将のイメージです。 

歩兵で包囲したり攻城戦したりは、武将と言うより知将です。 

 

 

 

・友達から聞いた情報なので確証はないけど、 

呂布軍が強かったのは駐屯先の民家にもきちんと礼を言って 

略奪暴行を禁止した規律の高さだったらしい。 

だから部下の中には、大乱の時代の当たり前が出来ずに 

ストレスを感じて離反していったという話を 

正史を読んだという友達がしてくれた。 

あと民族的には馬超もそうだけど西か北の方の馬賊だったみたいで 

堀が深くエキゾチックな風貌で美形に見えて、 

馬からの騎射が得意なので一撃離脱の戦法が取れるから 

白兵戦でも有利みたいな話を聞いた。 

 

 

・あまり有名とは言えず、ここでも名前は上がっていませんが、張遼の後任の合肥の守護神満寵も張遼に負けず劣らずの名将です。 

他にも文聘や臧覇等、一般的にはあまり有名でないマイナー武将でさえ、有名どころと遜色ない能力を持っている所が魏の人材の豊富さを表していますね。 

ちなみに、曹一族では、曹仁以外にも、曹真も対蜀で活躍した名将なんですが、三国志演義では両人共に良い所なしのやられ役というのが何とも……。 

 

 

・そもそも最強ってその武将が全盛期の時の年代が各武将それぞれ違うだけに論じても意味が薄い気がする。 

 

それぞれの将がその時々に対応、対処していって武功を高める訳だし、戦場には出ない内官でさえなくてはならない存在だっただろうし、最強は誰かというより一番好きな武将は誰かくらいな形で良いと思えてしまう。 

 

勇あって智が無い、智あって勇が無い、勇も智も無いが統がある等、本当に様々。 

 

最終的に白い目で見られた劉禅も幼少期から成熟期迄の間、周囲に仕える者力量次第で名君になった可能性も否定出来ないし、呂布にしても力を示す前に裏切りで暗殺なんて形も紙一重な時代だった訳だしね。 

 

それでも最強はって問われたら、武将というくくりではないながらも、騎兵の速さに自らの脚で付き従う兵士全員かな。 

 

 

・総合的に最強は曹仁で間違いないでしょう。曹操が飛躍出来たのも彼の業績なくしては不可能だったでしょう。彼は武、智、勇を兼ね備え、そして耐えるべき時に耐えられる精神の強さが半端無いと思います。 

 

 

・三国志では本文にあるような呂布を始めとした武将が最強の議論に上がるが、自分は敢えて文鴦をあげたい。 

趙雲の再来とも言われたそうだが、正直趙雲と比較されたら文鴦に失礼。三国志後期では最強といえるだろう。魏から活躍して最盛期は晋になるが、あの時代にあれだけ個人で武名上げた武将はいない。乱世が終焉に向かっていて活躍の場がそれほど残されていなかったのが悔やまれる。生まれてくるのが少し遅かった。 

 

 

・総合で曹操孟徳! 

 

統率部門 武力部門 知略部門 魅力部門 領地経営部門 

とかで分けなくては、不毛な争いにw 

 

演技で蜀がベースアップしてるので、もっと魏と呉の良さと、晋を建国するまでの司馬懿の苦悩にクローズアップして欲しいですね。 

 

 

・蜀目線の記録だから蜀に大きく肩入れされているのは間違いない 

当時の勢力は中華を100とすれば勢力は魏が65呉が20蜀が15といったところか 

どんな武将や知将を並べても圧倒的1位は曹操 

やはり彼は大英雄 

 

 

・個人的に趙雲が好きだけど、実は戦場でそれほど目立った場面はない。 

顔良、文醜、華雄、龐徳など名だたる将軍を葬って来た関羽かなぁ。 

しかし関羽は張飛の事を私より強いと言った。 

更に呂布は関羽、張飛(と劉備)たちと打ち合いになっても五角という事はやはり呂布が最強なのか?と思っています。 

 

 

・甘寧は荊州に居た頃に黄祖の元で呉軍と戦って凌操(淩統の父)を討ち取ってるし、張遼も丁原や呂布に仕えている時から武勇を発揮していたからこそ曹操に降って直ぐ中郎将に任じられたんでしょう。 

この二人を「集団が小さな頃から武勇を発揮していた」の項目を満たさないから除外ってのはやや強引では? 

 

 

・魏のがっかり武将と言えば、夏侯淵よりも于禁では? 

 

演義では出番があまり無いけど曹操に初期から従って各地を転戦して功績を立て続け、曹操からの信頼も厚く魏随一の名将と讃えられていたのに、関羽に敗れて降伏してからは、忠義を貫き降伏を拒んで処刑された龐徳と比較され続けて、曹操からも露骨にがっかりされたり、呉でも罵倒されたり、ようやく魏に帰還出来たと思ったら、曹丕からは最大級の辱しめを受けて憤死する羽目になり、死後もその生前の業績は殆ど評価されない事になったり。 

 

一度の失敗でそれまで築き上げて来たモノ全てを失った気の毒な人だと思う。 

 

 

 

・張遼の評価低めじゃない? 

合肥の戦いのリアル三国無双は小勢を率ていた訳だし、しかも最終的に「遼来来」という言葉を産み出し呉にトラウマを与えている。後ろに夏侯惇の徐州青州26軍が控えていたとはいえ、彼がいなかったら魏は危なかったかも知れない。 

 

 

・記事を読むと最強の武人が曹仁ということでそれなりに納得できる。ただ、これまでの自分の様々な三国志知識でいうと呂布も捨てがたい。尤も、二千年近く前の人物の話なんて正確なことは誰にもわからない。こういう議論を楽しむのが吉。 

 

 

・演義イメージで許されるなら・・・ 

既に老境にあった黄忠が、なお壮年期の関羽と互角に戦っている。 

三国誌序盤に黄忠が呂布と戦っていたらと想像が膨らむし、もしかしたら出番に恵まれなかった最強将かもと思うのだけど。 

 

 

・生きた時代は違えど、原作者の同郷バフが掛かりまくりで、完璧超人になったいう説のある趙雲。 

実際のお墓の扱いを見ると確かにそうかもと思えてくる。近年はコーエーも拍車をかけたかw 

 

 

・自分は董卓だと思いますね。 

騎兵としての武勇もあり弓の名手でもあり北方の騎兵を率いてトータルで言えば当時最強だったと思う。 

だから、黄巾の乱で頭角を現して曹操劉備や孫堅など英雄を抑えて漢王朝を支配して 

董卓包囲網を敷かれるまでになった。 

これも董卓が強すぎたからです。まともな政治の駆け引きをせず、その武力だけで中華を一時支配した。 

 

 

・周泰が小集団の頃と言えるなら、張遼降伏時も十分小集団と言えるレベルだと思うが。 

周泰の相手が厳白虎、劉よう、許貢に対して張遼の相手は袁紹、張繍、(劉備)となる。 

 

また、史実なら趙雲、周泰は許褚と同じく近衛の役割 

 

更に言うなら趙雲は大幅な演義補正が 

 

と一個人でもケチをつけれるので、全員納得の結論はないでしょう。 

 

 

・結局誰が最強がっかり将なのかよくわからん記事。乗せられて読んでがっかり。 

周泰と趙雲とか正史みてるの? 

個の武勇と軍指揮能力とは違うだろ。 

個なら呂布ダントツ、日本戦国での上杉謙信と同じよーな対峙して勝てない武力。 

呂布が本当に曹操に仕えて騎兵を率いて指揮どーり動いてくれれば曹操は天下統一できたと思う(笑) 

軍指揮能力なら曹仁一択、ラストが敗戦で除外?趙雲も北伐時に曹真の大軍にオトリとして負けてますが? 

 

 

・呂布かな? 

魏なら張遼かな。 

蜀なら五虎になるが、馬超、超雲も活躍が短い 

呉なら甘寧、周泰か。 

 

がっかりさせられたのは、劉禅と晩年、認知症になった孫権。 

 

董卓や呂布も悪名がありますが、父娘で二つの王朝、魏と西晋の滅亡の要因を作った賈充と賈南風。 

歴史上類を見ない。 

 

 

・決められるものではないでしょう。 

それぞれ自分の好きな武将が最強では無いかもですが1です。 

老ては駿馬も駄馬との言葉もあるでしょうけど年老いても凛とした武将が好きです。 

やっぱり趙雲子龍ですかね? 

 

 

・曹氏と夏侯氏は間柄の深い親戚だから割と忖度はあったと思う 

 

記事とは関係ないけど個人的には徐庶がすき。それと曹氏と司馬氏の魏内権力争いは面白い 

 

以前、三国志が1番好きな国民(中国除く)は日本人って読んだことあるけど皆さん詳しいですね 

 

 

 

・正史だけの記述を見て判断するなら張遼か関羽、 

蜀出身の陳寿の多少贔屓が含まれているとすれば 

張遼でいいのではないかと考えます。 

 

軍師としての最強は法正、内政最強は孔明、 

君主としての総合力は曹操でしょうか。 

 

 

・KOEIのものをはじめゲームだと、曹仁など魏の武将を客観的に評価するとほとんどの武将が実際のゲームより数値を上げないといけなくなるからバランスが崩れちゃうんだよなぁ。 

 

 

・「三国志」を知ったのが「蒼天航路」からでしたので… 

「曹仁」のイメージがムードメーカー的立ち位置の愛されキャラに思ってしまいます… 

史実では最強クラスだとは存じませんでした… 

改めて三国志について掘り下げてみたいと思います… 

 

 

・(正史という)前提で考えるのならば本文中の人物たちだろうね。でも挙兵してから死ぬまでずっと闘い続けた劉備は相当な豪傑だよ〜。負けて体勢をもとに戻す能力は誰にでも出来るものではない 

 

 

・趙雲は典韋の様な親衛隊長 

曹仁は長きに渡り戦場にあったMVPかもしれない 

五関を破って千里を走り 

赤壁では曹操を情け見逃した 

最後は関平ともども蜀に殉じた 

関羽こそが最強だ! とします 

 

残念は確かに馬超だが、 

関羽の弔い合戦の前に寝首を〜の 

張飛も残念だ 

 

 

・・・別に個人戦やったわけじゃないからねー。 

「最強の武将」が個人技なのか大将としてなのか書いてないから判らないけど、まぁ個人としては呂布、戦闘指揮官としてなら曹操軍の誰か。 

あとあんま目立たんが水戦なら周瑜といったとこかねー。 

同じ人数の部下で戦って一番強いのは曹操かね(陸戦限定。)。 

少ない人数で多数に負けないのは張飛か趙雲。 

そもそも戦闘は軍師とやらが「あーせいこーせい」って言うから武将の器量で勝敗決るわけでもないし。 

 

 

・これは色々意見が分かれるだろうなー 

史実と三国志演義の差もあるし、それぞれ贔屓の武将もいるし 

私としては関羽ががっかり武将はちょっと違うんじゃないかとも思いますが 

 

 

・積み上げ式で評価したら曹仁納得。 

 

楽しく談義するために、、、そうだなぁw 

誰を挙げればと考えてみたんですが、孫堅とか如何でしょうか? 

結構、武力統率戦術カリスマ行動力もろもろハイアベレージで、当該時期で相対的に見たら武力という意味では1番目立ってると思いました。 

長男もまた然りで終わりが物凄いガッカリですが。行動力カリスマ性と表裏一体で奔放だったのかな? 

小覇王を有し、伝国璽を持ち、袁術を誅し、官渡前に荊州揚州持ってたら・・・。と考えちゃいます。 

 

 

・現実的にはその日の体調だったり天気だったり全く意味のないランキングだけど、曹仁はこれまでマニアしか評価されてなかったから個人的にはいいランキング 

 

 

・多くの人が無意識のうちにコーエー三国志がベースにあるでしょうねw 

自分もだけど。 

大昔の事実なんて誰にもわからない。だから.あーだこーだ言って楽しめばいいと思う。 

 

 

 

・単純な一騎打ちとかなら呂布張飛関羽辺りがトップだろうけど戦となると関羽のような文武両道タイプに軍配が上がるかな 

ちなみに日本のことわざに漁夫の利てのがあるけど、これは劉備の留守中に城を乗っ取った呂布に習って呂布の理が日本に渡ったことに由来する 

民明書房ry 

 

 

・初めて三国無双のゲームした際の虎牢関の呂布の強さには驚きましたね。 

登場シーンもかっこよかった。 

 

 

・矢も槍も通さない藤甲兵を率いる兀突骨が最強だと思う。 

 

油をしみこませた藤甲は火に弱いと言われるが、通常の歩兵だって火に弱いのは同じ。 

 

 

・呂布奉先だろうな。 

弓にも槍にも長けていて、更に一日に千里を翔ける赤兎馬ときたらかなうものはいない。 

超飛、関羽でも敵わなかったのだから。 

 

 

・蒼天航路の張遼の活躍を描いた遼来々のエピソードはカッコ良かった。 

武を極めた者として描かれていた。 

 

 

・ここでも魏延の名前が上がらないとは。 

 

多くの兵を指揮できる魏延は蜀じゃ、関羽張飛の亡き後最強クラスだと思うけどな。 

 

 

・230年以降に活躍したのでいつも名前は出てこないけど、街亭や漢中を劣勢の兵で守り抜く王平は評価されてもいいと思う 

 

 

・曹仁や張遼には異論ないけど。史実ベースなら趙雲はないかなぁ。 

最強ではないけど個人的には李典とか張郃とか好き。 

 

 

・すごいよなぁ 

2000何も前の人たちが今もこうやって誰が最強とか議論になるんだもんなぁ 

現世の人間が2000年後に話題になるだろうか? 

今の日本人なら大谷翔平が記録残して野球の神として崇めららてるくらいかなぁ? 

政治家なんて誰一人話に登らんだろうなw 

 

 

・単独戦で最強は呂布でしょう。 

劉備、関羽、張飛の3人を 

1人であしらってましたから。 

横山光輝さんの漫画の受け売りだけど。 

 

 

 

・私見ではございますが、私め的には、意外と徐晃がお強かったかと? 

三国志の登場人物では、毛玠が好みです。 

彼が居たからこその魏建国かと? 

 

 

・周泰は孫権のとんでもないアルハラ、パワハラにも耐えた凄い人。短気が多い三國志においては貴重な人です。 

 

 

・今はAmazonプライムで見れないが、スリーキングダムはいろんな武将に焦点を当てて構成されているので、見応えあり。 

 

 

・三国志演義は基本、歴史の資料じゃないからなぁ…あれは当時の(三国志の時代と言う意味ではなく)流行りとかを取り入れた現代小説でしかないのよなぁ…個人的には張飛にもガッカリしたなぁ 

 

 

・曹仁を選ぶのはとてもいいなと共感しました 

曹操の代わりの指揮官を務められる唯一無二の名将ですよね 

 

 

・張遼は演義でその活躍は控えめに描かれるけれども、史実は物凄い武勲を上げていたとか。 

 

 

・三国志はみんな思い入れもあって、熱くなりますよね。 

記事も興味深く読んだけど、誤字は興を削がれるので、注意してほしい。 

 

 

・曹仁は三國志演技被害者の会の筆頭として名前が上げられる事もある、正史と演技では扱いが大きく異なる武将としても有名ですね。 

 

 

・「集団が小さな頃から武勇を発揮していた」というのは確かに強さの要素の一つだ。今まで考えたこともなかった。 

 

 

・光輝版三国志の信者としては、やられキャラの曹仁や地味な周泰の最強説には納得できないですね…。がっかり武将の3人には納得出来ますが。 

 

 

 

・純粋に武力で決めて欲しいな。 

あと、年齢で能力も変わってくるだろうし役職でもやれることが限られてくると思う。 

 

 

・まぁ曹仁は納得なんだけどね 

途中の論理がおかしいところが何ヶ所かあるんだけど、大丈夫? 

攻め込んだほうが守りの任務より生き残り安い、とか… 

 

 

・何をもって最強というのか知らんが史実なら兵法とかの統率の話しかないよ。一騎討ちとかほぼ創作であり、そもそも大将がリスク背負ってあんな事しないよほとんどw 

 

 

・関羽にがっかり、なんて意見初めて聞いた 

 

最後、痛い敗戦したけど、人生通じて見れば比肩し得る人材は曹仁ぐらいでは。 

 

 

・姜維が居ないのは残念…孔明も知力・武力もカリスマも認めていたぐらいだし、登場した頃にはもう蜀の国は未来が見えてたから仕方なかった事でしょう。 

 

がっかり武将はやっぱ馬謖ですな(苦笑) 

 

 

・コラムでは酷評だけど、蒼天航路の夏侯淵のスピーディーな戦闘シーンは最高だった。 

 

 

・三国志か三国演義でまったく違うと思う。 

三国志なら曹仁か周泰、三国演義なら呂布か関羽じゃないかしら。 

 

 

・がっかりに関羽の名があがるとは思わなかったです 武将には数えられませんが阿斗ってのは血筋は良いが人として一番がっかりですよね 

 

 

・関羽の名前がないのが意外。 

個人的には魏の張遼なんやけどな。 

蒼天航路の影響やけど。 

 

 

・馬超は蜀で目立った活躍はしなかったけど武力だけで言えばほぼ最強クラスでしょ。 

 

 

 

・蒼天航路を読んだ人は、 

呂布が最強だと思うでしょうね。 

そりゃ、あの描き方、人間離れしてますもん! 

 

 

・1800年経った今も、神として世界中の中華街やチャイナタウンで祀られている関羽がすごくすごい。 

 

 

・FCの三国志で武力100は呂布 

知力100が孔明、魅力100が劉備 

それをいまでも信じている40代後半の 

おじさんです。 

 

 

・「司令官・軍団長」「前線指揮官」「個人の武」で分類してくれたら分かりやすいかな。 

 

 

・三国志の武将の話はワクワクしますね 

光栄のゲーム、横山光輝の漫画を思い出します 

 

 

・正史と演義を区別してないし、誤字や年号の誤りもあり、もっともがっかりしたのは読者では無いでしょうか 

 

 

・やっぱ曹真推しだな。司馬懿の引き立て役とか言われてるかもしれんけどそんなことはない。 

 

 

・馬超は大物FA選手として入団時騒がれたけどサッパリだった野球選手みたいな感じ 

 

 

・小さい時は三国志好きだったが段々大人になってどうでもよくなかった 中国情勢が原因かな 

嘘何千年の歴史 

 

 

・元にしてるのが演義なのか史実なのかがわからないです。それによって全然違いますからね。 

 

 

 

・魏延はどうだ? 

孔明に徹底的に嫌われて全否定されたにも関わらず、あれだけの活躍をしたのだから 

 

 

・夏侯惇は闘いに滅法弱いんじゃなかったっけ? 

曹操の唯一無二の忠臣でランクインかな。 

 

 

・個人武勇ならともかく趙雲は無いわ。 

護衛隊長みたいなポジションだぞ。 

蜀は関羽以外ありえない。 

 

 

・趙雲って史実だと将軍っていうより劉備の親衛隊長クラスだったんじゃないの? 

 

 

・最強は呂布・関羽・張飛あたりが浮かぶが、自分が君主で城を守らせるなら張遼。 

 

 

・黄忠が最強でしょう。 

武功的にも各種エピソード的にも。 

 

 

・中学生の話し。 

「初デートで三國志の話しをするのはヤメローッ!」 

長井秀和のネタを思い出しました(笑) 

 

 

・純粋な戦闘力という意味では呂布で良いんじゃないかな。 

 

 

・確かに最強ではないだろうが、 

自分の好きな黄忠が 

文章のどこにも出てこなかったことに「がっかり」だよ 

 

 

・昔からの甘寧興覇推しとしたら 

このような記事に挙げられることが嬉しい! 

 

 

 

 
 

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