( 199406 ) 2024/08/08 00:31:41 2 00 「号泣騒動」の柔道・阿部詩選手 勝ちにこだわり“精神修養”を忘れた「周囲の大人の未熟さ」FRIDAY 8/7(水) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/56ad3793b09e26d638a5156004a9e7833b96aa36 |
( 199409 ) 2024/08/08 00:31:41 0 00 2回戦で敗退し“号泣”する東京五輪金メダリストの柔道・阿部詩選手
連日のメダル獲得で盛り上がりを見せているパリ五輪。オリンピックといえばもちろん競技の勝ち負け、誰がメダルを獲得するかに注目が集まるのだが、勝敗だけでなく、大舞台では繰り広げられるさまざまなドラマを見ることができ、単なるスポーツ大会で終わらないエンターテインメントの要素が溢れたイベントだ。
【画像多数】「号泣のウラで…」柔道・阿部詩 ″合い鍵″半同棲のお相手は8歳年上「カリスマ美容師」
笑顔や涙、悲喜こもごものシーンが連日テレビで流れているが、中には物議を醸すものも。
とくに話題になったのは、女子柔道52キロ級に出場した阿部詩選手が、2回戦で敗退した際の“号泣”する姿。これにはSNSでさまざまな意見が飛び交った。
テレビを見ていて、
「どうしたんだ?」
と思ったのは私だけではないだろう。オリンピックを含めいろいろな大会の中継ではこれまで見たことのない光景だった。これには、
《もらい泣きしました》
《血の滲むような努力をしていたと思うと感動しました》
と擁護する声も多いのだが、
《泣きじゃくるのは控室に帰ってから。他の選手にも迷惑》
《柔道家なら控室で泣くべきだろ》
と批判的な意見もあった。
これに対し、テレビに出ているコメンテーターたちは、おおむね阿部選手に寄り添う意見を述べていたが、一部コメンテーターの、
《番狂わせが起きた》
《オリンピックの魔物に負けた》
という解説には首をかしげたくなる。
阿部選手は確かに金メダル候補だったかもしれないが、相手のディヨラ・ケルディヨロワ(ウズベキスタン)だって世界ランク1位の選手だ。番狂わせでも魔物でもない。しかも見事な一本勝ち。相手の選手に失礼だろう。
阿部選手に同情する声の中で、“3年間大変な努力をしてきた”ということが多く聞かれるが、相手選手だってそれ以上の努力と練習をしているかもしれない。
中には“天才”といわれ、努力する姿をおもてに出さずとも、上手い選手は存在する。だがそういう選手に限ってそれこそ、他人の倍以上、見えないところで練習していたりするものだ。格闘技ではよくあることで、単に勝った選手が負けた選手より強かっただけなのだ。
東国原英夫氏が、出演した番組の中で、
「悔しいのは分かるが、あの泣きはどうなのかな。柔道家、武道家として毅然としてほしかった」
「勝っても負けても礼節を重んじて取り乱さない。心技体が問われる」
と持論を述べたが、これに対しては非難の声が多い。一方で、森本毅郎氏がMC を務める番組で
「あの態度はないな」
と大筋では東国原氏と似たような苦言を呈していたのに対しては、なぜか絶賛する声が。
たしかに、フルコンタクト空手を30年以上修業している私もそう感じたのだが……。
柔道は日本で生まれたれっきとした“武道”だ。武道では技の取得と同時に“精神修養”も求められる。
またゴールはなく生涯修行を続ける。昔から、強くなるだけでなく心を鍛えて、礼儀正しい大人になるようにと子どもに武道を習わせる親は多い。
『新・平家物語』や『宮本武蔵』の作者である吉川英治氏が監修した某フルコンタクト空手団体の道場訓に、
《心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること》
《質実剛健を以って自己(おのれ)の精神を函養すること》
という条文がある、これは武道を学ぶ上での心構えを示している。
しかし「喫煙・飲酒問題」でオリンピック出場を辞退した女子体操の宮田笙子選手に関しても言えることなのだが、彼女たちの責任ではなく指導してきた周りの大人たちの責任でもある。
勝負の勝ち負けだけにこだわり、指導者が武道精神の鍛錬をおろそかにしていたとしたら、阿部選手に武道家たる心構えを求めるのは酷なことだ。
果たして「柔道の父」である嘉納治五郎はどう思うだろうかーー。
文:佐々木博之(芸能ジャーナリスト)
FRIDAYデジタル
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( 199410 ) 2024/08/08 00:31:41 0 00 ・柔道経験者です。始めた時にまずは『礼に始まり礼に終わる』、他のスポーツとは違い勝ったからとガッツポーズしたり、喜んで笑顔を振りまいてたしない、相手に敬意を払って礼儀正しく行動するコトを学びました。時代やルールとともに根本の武道の素晴らしいとこまで変わってほしくないです。
・若い子が人目をはばからず、泣く姿は羨ましくもあります。私は笑うことも泣くことも少なくなりました。 人目を気にせず、思い切って泣ける阿部選手は周りの目を気にして生きている私にとって羨ましいです。私も昔みたいに自分の気持ちに正直に生きていきたい。そんなことを感じました。 まだ若いです。ここから成熟していく『阿部詩選手』を見守っていきます。応援しています。
・一生懸命、血の滲むような努力を続けてオリンピックの舞台に立ったのです。そこで負けてしまったのは想像を絶する悔しさだと思います。大号泣も当然です。しかしながら「場所」が悪かった。控え室に戻ってから好きなだけ泣き叫ぶべきだった。成人なら、柔道家なら。彼女は一般人ではない。「心・技・体」にことのほか厳しい鍛練と立ち振舞いを求められる「柔道家」です。
・彼女への批判の声が大きくて、別の社会問題の側面を呈しつつある状況で、矛先が分散し始めてるように感じる。
記事にあるように、周りが彼女の精神を鍛えきれていない事は有るのかもしれない。
けど、最終的には彼女なんだよね。 彼女がどう有りたいか。
精神的に大きな痛手を負ったからこそ気付けた事を、今後の自分に活かして欲しい。
・東京オリンピックで勝ってから、柔道家から半分タレントに変わったのではないのでしょうか。お兄ちゃんと兄妹連覇を目指して、テレビに出たり雑誌で表紙を飾ったり、モデルになったり。柔道も仕事になったのでしょうから、これからどんな道に行くかご本人が決めることですよね。
・感情が爆発したのをコントロールするのことは難しいけれど、日本の武道の精神は心技一如という言葉があるように、肉体的なものと精神は一体であるとするものである。 私はコーチにも責任があると思う。彼女を守ってやらねばならなかった。あのように感情を爆発した姿をあれ以上晒さないように、バックヤードにすぐに連れ出さなけばならなかった。その場で止まって慰めていたが、彼女を誘導してその場を離れるべきだった。彼女の名前をコールする観客の手前、その場に止まったことも考えられるが、彼女を世間の批判から守るのであれば、あの対応は考えるべきだと思う。
・別に泣くのは構わないと思う。常人では想像付かないような努力をして来たのだろうし、負ければまた4年間待たないといけない。ただそれはオリンピックの舞台に立つ全ての人に当てはまる。
でも柔道は「礼に始まり礼に終わる」のだから、しばらく頭抱えて茫然自失するんではなく、さっさと開始線に戻って道着を整え、礼をして試合を終えるべきだった。それが相手への敬意。それから泣くのは構わないと思う。確かにあの姿には心動かされるものがあった。
ケルディヨロワ選手の方が終始落ち着いていて、まさに柔道を体現しているようだった。詩選手を投げた後でもすぐさま腕をとりに行くのを見て、強ぇなと思った…ら、大体世界ランク1位だった、「まさかの敗戦」なんて失礼だよ。
・精神の修養が足りないとか言うけどさじゃあそれって20代半ばの若者でも身につけられるような簡単なものなのかね? 何年にも渡って死に物狂いの努力を重ね多くの人たちのサポートと期待と重圧を受けていながら開始早々に道を断たれた悔しさや悲しさなんかをコントロール出来るようになるにはそれこそ長い年月の修養が必要だと思うけどね
・阿部詩さんは、本物の柔道家になれていなかったということですね。 精神的にも、まだ子どもだったということじゃないでしょうか。 本人の努力と才能で、いつしか負け知らずになっていました。 世界一になって当然という気持ちが、本人にも周りの人たちにも蔓延していて、負けたときの振る舞いなんて考えてもみなかったんでしょうね。 今まで、いろいろな競技で残念な負けの試合がありましたが、あれほど取り乱した選手は、記憶にありません。みんな、詩さんの様に泣きたかったと思いますが、みんな必死でこらえて、日本代表としての立場を保っていたのだとおもいます。 それが詩さんは、できなかったということです。 子どもなんですよ。 今回、ものすごく良い経験をされたと思います。 これを機に、心身共に、立派な柔道家になってほしいです。 そろそろ、お兄ちゃんも距離を置いてあげた方がいいのではないでしょうか。
・ここにも書いてあるように、詩選手は東京オリンピック金メダルだったかもしれないが、相手の選手は世界ランキング1位の選手。どちらが、強いかハッキリしてるはず。それに、ケルディヨロワ選手はその後、金メダルを取った。でも、キレイに勝ったのは詩選手のときだけである。そう考えたら、やっぱりあの態度はいただけなかった。練習をしてたかもしれないが、テレビにも出てたのも事実。もっともっと、技、心を磨き鍛えて復活してほしい。
・私個人的には勝っても負けても冷静に、普通に礼をして終わって欲しかった。 悔しいのは分かりますが、出場選手皆んな努力しているんですよ。 阿部選手は柔道家としては未熟だと正直思った。 比べるのはおかしいと思いますが、角田選手の振る舞いがカッコよくファンになりました。角田選手おめでとう!
・個人的には、心技体が揃った完璧な運動選手などいないと思うので、日々の練習や敗戦、失敗から学んでいけばいいと考えています。 成長の個人差はあります。たがら、阿部選手が気づいたときにいい変化が生まれると思います。 (自分はロジャー・フェデラーを尊敬していますが、若かりし頃はゲーム中、うまくいかないことに、ラケットを破壊したり、叫んだりしていました。自分の気づきや周囲のサポートがあり、徐々に変化して偉大なテニス選手の一人になりました。)
・昔オリンピック柔道で君臨した山下選手が決勝戦で、対戦相手の負傷した足を攻めずに戦い続けたエピソード、柔道精神の一端を思い出します。 悔しい感情を爆発させることは人間として自然なことだと感じますが、日本の国技、伝統武芸発祥の柔道代表選手として出場したからには、その名に恥じない振る舞いも重要な要素だと感じます。
・泣くことに関しては当たり前だと思います。我々には想像も出来ない程の努力をしてきて金メダルだけを目標に全てを捧げてきたのだから悔しい気持ちは当然なのかなと。 でもレスリングの須崎さんの対応の方が清々しく映りました。
・きっと、本人が一番あの行いに対して身にしみてるだろなと思っただから、もう本人にどうこうはいいかなと思う。
でも、スポーツにおいて頂点を目指す人は 喜怒哀楽の表現が豊かなことと、精神面のゆらぎを律することを両立できなければいけないだろなとは思う。
聖人君子でなくてもいいけど、 他者やサポートする人モノへの思いやりや、ライバルへのリスペクトも。
柔道以外でもできてる人はたくさんんいるし、できてない人もいる。 いろいろな日本選手の中でも、精神面のコントロール力の差があるなと思って見てる。。
・柔道選手として鍛錬され世界のトップを争う力を付けて来られたけど、柔道家としてはまだまだ未熟という事なんでしょうね。 力の差が無いなら心の差で勝敗が付くでしょう。 やはり心技体と言われる様に、技より心が先。 今回の事で本人が一番分かったでしょうし、周りにもそれを示してくれたと思います。 今回のオリンピックで日本柔道はガタガタと言われていますが、心に対する指導が疎かになってしまったという結果ではないでしょうか。
・こんな事は誰も言わないですが、今の日本は普段から会社や近所でも挨拶すらしない方が多いので柔道も礼に始まり見たいな事は有る面、今の日本人らしく無いかな?古来の伝統を守っているのは剣道、茶道、華道、弓道で柔道自体はオリンピック種目になり武道よりスポーツの道を選んだと思います!元々は講道館も多数有る流派の1つの派でしたので武道的な要素は年々削られてますよ、それは見映えする立ち技に特化し寝技や関節技が少ない方式に現れているかな?寝技は地味だからか直ぐに待てです、観客に解りづらいですよね!投げ技も本来は相手が気絶や大怪我する位の一撃必殺なのですが、それなら凄惨過ぎて放映出来ないからか単に肩が付くかどうかですからやはりオリンピックスポーツと思います!阿部選手は疑問ですが、昔の人と違い今は他のスポーツ選手も良く泣きますし自ら大変だったと話す方ばかりですから…一億幼稚化ですかね?
・難しいですね。もちろん、その武道が求めるものがあると思いますが、その時の時代で感情の出し方は変わってきているかもしれません。昭和だったらこのようなことはなかったかもしれません。しかし、今は令和となり様々なものが多様になってきたので感情の出し方も昔とは違うのかもしれません。
・こう言うのって、その後の本人の対応で変わって来るものだと思うのですよね。 本人があの時は動揺して相応しくない行動でしたと言えば、そんな事はない仕方ないって声が大半になるのですが、本人身内が良しとしたり同情をかおうとした発言すると反論が強くなる。 お気持ちは凄くわかりますが、上手く立ち回る事も大事なのかと思います
・精神修養という言葉を初めて知りました。武道の世界に身をおく人だと当たり前に耳にする言葉なんですかね。心身ともに鍛練が必要な世界は、時に剥き出しの感情を我慢することも必要ということですか。私はオリンピックのいち視聴者として、あのシーンはグッとくるものがありました。本気で挑んで覚悟を決めたからこそ出ている感情だと思いました。勝った負けたも大切であると思いますが、少なからず私の心には響きました。ありがとうございました。そして阿部詩選手お疲れ様でした。どうぞ今回の騒動で心痛めませように。
・連覇したお兄さんは取り上げられるのは分かるけど妹は金メダルの角田選手や永瀬選手より取り上げられてて何だかんだチヤホヤされてる印象。負けたのが反って初心に戻れて良かったのかもね。今回妹に勝った相手選手の方が大人で凛々しかった。最終的に金メダルも獲得で納得した。
・最近は本来の柔道の精神とはかけ離れた態度が目につくようになりましたね。どこかの記事にJUDOと柔道は違うって書いてありましたが、ホントそう思うようになりました。 審判の質も下がってるようにも見えます、だからこの様な判定に疑問を持たれてしまうのでは無いでしょうか? あの騒動、本人は取り乱している状態なのだからコーチもしくはスタッフが控室に連れて行かないといけなかったのでは? あの号泣が全世界に晒し者の状態になっていた。映し続けてるカメラも問題だよね。 記事にもあるけど3年間頑張ってきたのは他の選手も同じ、つまり相手の方が強かっただけなんですよ。本人もカリは必ず次の五輪でって言ってるので、それに期待しようではないか。
・これから成長があるのかも知れないがね。大人ですし、柔道の精神も兼ね備えて一人前に扱われるものかと。お兄ちゃんから離れて、自分の精神を鍛えて欲しいわな。って感じましたっけ。まあ、今後の精神的成長に期待してます。
・卓球の愛ちゃんの幼少期の頃とかぶりました。 皆、悔しい思いしてますし、泣きたい時もあります。 そんな時こそ、どんな振る舞いが出来るか? と、私は思います。 悔しくても勝った相手をリスペクト出来る人は美しいですよね。
・私は、次の試合を待つ他国の選手への精神的な影響が非常に心配だった この試合に賭けてすべてを捧げてきた選手たち 精神を集中して〝よし!さあ、次〟と思っていたのに乱されなかったか、迷惑をかけなかったか、怒ってはいまいかと…
予想できないことが起きて現場の人も困って、どうしていいかわからず暫し呆然だったですよ
周囲のことも考えて欲しかった、と思った人は多かったでしょう ほとんどの人は敢えて口に出さないだけだよ 非難中傷と批判されるの知ってるから 言ってる人は、それ覚悟で言ってるんですよ
・あの映像が世界中に発信されずっと残ると思ったら阿部詩選手、可哀想 いつもあんな泣き方するんだったら直した方がいいと思う 阿部ファミリーは団結してるんだろうけど囲まれて涙拭きながらおにぎり食べてる映像も幼い子のようで元金メダリストとしては手本になる姿には見えなかった 泣くのは当然だが叫び泣きが非難されてるんだと思うな
・日本がjudoにも古来から受け継がれてきた武道としての精神性を求めるなら、あの姿はなかった。 一方で、世界はスポーツとしてのjudo をやっている。組まない。1本を決めるよりはポイントを気にする。勝ったらガッツポーズ。 これらは、柔道が大切に守って受け継いできた武道の姿ではない、と思う。
日本は柔道を守っていくのか、judo をやっていくのか。
もし柔道を守っていくなら、judo をやっているオリンピックや世界大会は辞退し、柔道を愛する人たちで、別の大会をやれば良い。 剣道は剣の道を守ると言う精神から、オリンピックとは距離を置いている。
・阿部選手は確かに金メダル候補だったかもしれないが、相手のディヨラ・ケルディヨロワ(ウズベキスタン)だって世界ランク1位の選手だ。
見てて思ったのは正にコレ。
兄の一二三もパリ大会では世界ランクは6位とトップ10中盤で優勝したので、ランクが全てではないけれど、ディヨラ・ケルディヨロワは直近の世界選手権を2年連続で銀メダル、パリまでにランク1位になるほどの選手。 その相手に負けを信じられないとばかりに人目も憚らずコーチ?に縋り付いて癇癪を起こした子供ばりにギャン泣きする姿は正直に言って異常さすら感じた。 終わってみれば、ディヨラ・ケルディヨロワが金メダルと番狂せでも何でもない結果に。 ディヨラ・ケルディヨロワが阿部詩に技のかけ逃げがあったとも言われているけれど、武道という面から見ると相手への敬意が皆無と取られても仕方ない振る舞い。 アレは一体なんだったのか、何を見せられていたのかと。
・JUDOを否定して、こんなの柔道じゃないって言う人が今回の五輪では多かったが、 武道としての本来の柔道を世界に求めるなら、礼節についても世界に示していく必要があると思うけどね 阿部詩選手はまさに現代的なスポーツ選手というか、 自分のために努力し、自分のために戦い、負けたときも自分のことしか考えられない 外国のJUDO選手でもあそこまでの状態にはならないので、海外に武道の精神を示すどころの話ではなくなってますね
・一般社会も同じ。営業等で血のにじむような努力してますから。負けたからといって仕事中や人前で泣くようなことはしない。いい大人なんだから周りの責任ではない。技は練習で鍛えても精神までは練習で鍛えることができなかっただけ。普通は経験が精神的にも鍛える糧になる。やっぱり今回は武道の精神としてあえてはっきりいうがみっともない。
・柔道家と柔道選手
この両者に第三者が求める物は違うと思っている柔道経験者です
道を極めるために自己鍛錬をするのと競技として結果を求める事がイコールとは思わないからです
相手を敬う気持ちはどちらも持ち合わせる事が望ましいのでしょうがね
・一般の人の立場として。号泣したことについて思うことがあっても、もう少しおおらかな気持ちで見守る度量があってもいいと思う。ちょっと気に入らないことがあればすぐにワーワーいうのもどうかと思う。気持ちにゆとりを持ちたいものだ。
・何でも分析すれば良いのですか?あそこに立つことが出来たのは彼女自身、彼女の人生、振る舞いも彼女の自由。私は彼女号泣した事で迷惑かけられてない。しいて言えば、次の試合の選手、関係者、審判団が言うならまだしも、テレビで観ていた人、コメンテーター誰も何も迷惑かけられてない。 柔道経験者の人の意見も、柔道の精神含めありえない態度でも、自分の意見は周りの人とリアルで話し合えば良い。合ってるとか間違ってるとかではなく、彼女が自分で掴んだ場所で、誰かにとっては間違ってる態度でも、法律に関わるような事ではないんだから、どう振る舞おうと自由ではないでしょうか? タダで見ているので、批判するのがよく分からない。 政治家じゃないし。 褒められるような態度であろうがなかろうが、彼女が自由に振る舞えば良い 全ての選手ににそう思う。 なんだかなと思う態度だったら、公に書かず、家族や友達とリアルで意見をくみかわします。
・番狂わせも何も、世界から強い人達が集まっているんだから、誰が勝つかなんてわからない この人が勝つとも決まっていたわけでもない 自分が勝つ気でいたって、勝つとは限らない 『まさか』とか『番狂わせ』っていうほうがおかしい おごりたかぶってるなって、こういうことなんだろうなと思う 勝負なんだから、タイミングやら何やら色んな要素も関わってくるんだし、勝てて当たり前とかないし 変な期待とプレッシャーかけすぎだと思う
・主の言っていることも違うと思う。 柔道を生活の主とし、国民の期待を受けて成し遂げなければ 避難の嵐を食らうことも十分にわかっている、 格闘技者としてではない柔道家。明らかに主とは違う。 精神性とかどうとかそういう問題ではない。 まさに心からの叫びだ。 相手のほうが強かった。確かにそうだが それと心の感情は予期せず彼女から発生したものだ。
4年をひたすら柔道に費やし、イベントにも参加し、 柔道普及のためやりたくないかもしれない場所にも 足を運ばざるを得ない彼女のステージには 僕らには到底わかり得ないものだ。
30年フルコンをやってようが彼女のステージは もっとちがうところにあることを理解すべきだ。
・武道としての柔道と言ったり、ある時は今のは柔道ではなくスポーツとしてのJUDOだと言ったり、使い分けは避けて欲しい。JUDO選手に武道家の心構えを求めるのも矛盾する話。感情表現していいんんじゃないか?それが他者に感動を与えるスポーツのいいところ。
・メディアが取り上げすぎて、誹謗中傷を助長してるよう感じてしまった。誹謗中傷の定義を見て、誹謗中傷にあたらない言葉を使って、攻撃する為に批判的な投稿する人もいる。自分の意見を言ってるつもりで攻撃する気もなのに、誹謗中傷と捉えられて、攻撃される人もいる。それらを見極めることは、難しい。なら、誹謗中傷の事柄をもっと明確にしていくか、残念ながらSNSをそういう場所だと割り切ることなどが必要になってくると思う。
私としては、選手が見るかもしれないSNSで傷つく言葉は、言わないでほしいと思う。だけど、あそこは、あの選手は、こうするべきだった、それでは、だめだ。という批判的意見も間違ってないと思う。せっかくSNSでいろんな人の意見を聞ける場がありそれを利用してるのだから、お互いに違う価値観を敵と見ないで、押し付け合わないで、受け入れられる文化だと良いと思います。
・フランス選手が勝って派手なガッツポーズを取ると柔道の精神を知らないとコメントして、 阿部詩選手が負けて泣き顔でロクな礼をせずにコーチの所に戻って号泣する姿には同情する、彼女の鍛錬の時間を考えると号泣するのは理解するとコメントするのは、ダブルスタンダードでは?
阿部選手をリスペクトして勝っても決して喜ばずに礼を尽くした勝ったウズベキスタンの選手の方が日本の柔道の礼節を理解して実行していたので、阿部詩選手との対比がより鮮明に写りました。
柔道の礼節と言うなら海外選手も同じように扱うべきだし、喜怒哀楽を畳の上でも許容するなら海外に選手にも礼節を求めることをすべきではないと思います。
ウズベキスタンの金メダルを取った選手が柔道の礼節は引き継いてくれるでしょう。
・あれを男子柔道家が同じことやったら、もっと大変なことになるだろう。
彼女は両親、偉大なお兄ちゃん、常にそばにいる練習パートナー等にいつも守られ、女の子として大切にわがままを許してもらえる末っ子の子供なのだ。 今回もいい子いい子してもらって、可愛い、可愛いと甘やかされてるのではないか。武道そっちのけ、そういうのを許される、叱られない環境にいるんだと思う。 悔しい気持ちもわかる、でももう次同じことはしないでね
・全くその通りだと思います。勝てばいい、メダルを取ればいい、そんな風潮が選手たちを蝕んでいると思います。 何年か前の吉田沙保里選手もそうでした。負けていつまでも泣きじゃくり、相手へのリスペクトをできませんでした。勝っているときはスポーツマンシップを言っていても、負けたら自分の感情のままになってしまう姿にはガッカリでした。今回のことでそんなことも思い出しました。
・私はいいと思うけどな。 柔道の発祥の地日本で、柔道の文化や精神を大切にしたいのはわかる。 でも、それは時代とともにかわるものなのでは?日本以外の国の柔道がスポーツになりつつあり、色々ポイントの取り方でも批判あるようだけどもね。日本だけ柔道やっていて、これからスポーツ柔道に勝てるのかな?日本選手だけがそれを求められるって不利じゃない? しかも喜びや悔しさ、悲しさの感情を出さないっていいことなのかな?相手への配慮は必要だけど、気持ちを出すなってそんなにいい文化なのかな?甲子園でもそういう風潮ある。日本に脈々と流れてきた武士道みたいなものがあるんだろうけど、社会に密かにある、滅私奉公だとか、我慢だとか、そういう文化に繋がっているんだと思うけど、もうそういうの無理じゃないかな?
・大騒ぎに値するほど、泣いてしまったのは仕方ないのかもしれませんが、あれだけの大泣きにより、場が中断した事は一言、情け無いではなく、場をああしてしまった事を謝るべきだったのでは。と思います。 私が母親ならそうアドバイスします。
・初めてみました。 同情すると思っていましたが、これは酷いなと正直思いました。 まず、相手にリスペクトがないと感じましたね。 見ていて恥ずかしくなりました。 悔しいのは凄くわかります。泣くのもわかります。でも自分のことだけで精一杯だったんだろうな。勝ち負けがある事だから…終わりはしっかりして欲しかったし…場所も考えないと…ボリュームがね。少し残念でした。
・自分が正しいと思ってコメントを寄せることがすれ違いを生み、そのすれ違いが感情を持つことで誹謗中傷を生む。いちばん大切なのは阿部選手の思いを聴くことなのだが周囲がこれだけうるさいと語ることも困難だろう。いま語ることが無理なら自分から語れるまで待つことが周囲の人間がすべきことだと思う。自分は選手のことを思って語っているという正しさの主張が幕をひけない原因になっている。
・心技体、この全てを揃えていない人達が批判してそこに何の意味があるだろうか? いつまでも引っ張り続ける人達のほうが人として学ばなければいけない事が多いのではないか。 もういい加減この話に終止符を打って次のチャンスに賭ける選手達を素直に応援して上げるぐらいの器を持ってください。
・彼女の指導者や親の立場なら、あるいは同じくらい柔道に打ち込んだ方なら批判するのもありだと思うが、そこらの素人が批判するなどおこがましいと思います。少なくともほとんどの人間よりは努力し、鍛錬しているはずですから。
・まだ,この話題を引きずらせるのですか⁇ フライデーのような週刊誌メディアはいつもそうなのですが、わざと誹謗中傷を助長させるかのような記事を書いていますよね。 さらに追い討ちをかけ、煽るような報道は慎むべきなのではないでしょうか。 ある意味,メディア側の過剰な報道にも責任はあるように感じてしまうのですが…。
様々な意見はあるかと思います。 この件についても詩選手はその後語っていらっしゃって、様々な意見も受け止め理解されていたように思いました。 人生をかけて挑んだ結果は、本当に悔しくて泣きたくなる気持ちも分かります。 帯同されたコーチにも伝わっていると思います。 もう,この話は終わりで良いと思います。
・24歳の社会人が、大勢の人前で、ぎゃん泣きし、インタビューに対して自分の兄を「お兄ちゃん」呼ばわり。しかもマスコミはこれらを感動物語にして、大絶賛。 昭和生まれの60代ですが、以前はこのような行為をしてしまった後は、恥ずかしくて人前に出られなかったと思います。 武道だからというよりも、人や社会が未熟になってきたのでしょうか? 昭和も遠くなりました。
・自チーム、相手や審判、関わってくれた人々への礼と敬意や感謝が何より先。 そして頑張った自分を見つめ直す。 確かにここまで来る過程の山あり谷ありの年月、生半可なものではなかったはずで、悔しいのはわかります。 でも勝負の覚悟が出来ていれば動じないはずです。自分ファーストではないのです。 オリンピアンや一流アスリートでなくても、どこの世界でも一緒です。
・勝つ事だけに、拘らせたのは!周りの大人達ですそれ故か!金メダル以外だったら謝ったりします大体の競技が、それです。確かに目標等は、高い所設置した方が良いけども?銀でも銅でも構わぬ。要は!代表として出場した事実だけでも凄いよ。「精神修養」忘れたりはしてませんよ!あの時は、本人が一番に驚いた筈だよ。感情が抑え切れ無かった為に、号泣してしまった。予期せぬ出来事が、起こってしまったからです。
・国際試合を控えたことでランキングが下がり、阿部詩選手はシード権を失った。 くじ運も悪く、世界ランキング1位の選手と2回戦で戦うハメになって敗れた。
国際試合を控えたのは詩選手ではなく日本柔道界が取った こざかしい作戦だろう。 『日本の情報を外国に与えたくない』という理由で。 今回、出場した日本選手は みな同じ作戦を取っていたから 柔道大国 日本に世界ランク1位の選手が ひとりもいなかった。
それは良いとして、外国人選手の情報はしっかり集めていたのか? 専門家も誰も言わないが、阿部詩選手が負けた試合で、開始間も無い時間で内股がすっぽ抜けた。 内股すかしを食らっていたら 開始10秒で敗退だった。
詩選手は絶対に協会批判はできないだろうが、『もっと国際試合に出て外国人選手の強さを体感しておきたかった』と思っているんじゃないか?
・父が柔道の有段者です。やはりうたさんの件は気持ちはわかる、普通の人間には到底理解できない血反吐を吐く思いをしてあの場に立ってるのだから、と。ただやはり武の道を行く者なら潔く負け、控室などで吐くほど泣くのが筋だと言っていました。ただ、彼女の慟哭はどんな競技でも本気で歯を食いしばって血が溢れかえるような思いをした者なら理解できる、そう言う経験のない人が無闇矢鱈に石を投げていいことでもないと言っていましたね。
・選手になってからの周りの大人達の指導というより、競技を始めた当初の教育の影響が大きいと思う。飲酒や喫煙だって家庭教育の問題。監督やコーチの仕事の領域ではない。
別の記事に、今カレと元カレの存在が詩選手の精神的な支えになっているとあったが、もし本当なら疑問。彼女に必要なのは誰かに頼るのではなく自分と向き合うことじゃないかと思う。勝っても負けても泰然自若としていられるかどうかは愛や恋とは関係ない。むしろ邪念に過ぎない。
・空手を趣味で30年やってるのは分かったけど… とんでもないプレッシャーの柔道家日本代表に選ばれて、勝って当然のような雰囲気の中で戦い、それに敗れた経験もない趣味空手の人が、離れた場所から他人を叩きまくるのが、空手を30年続けて得た礼の姿勢なのかな?と思ってしまった。
・勝ち続けた人にそれを経験させるのは無理だろう 勝ち続けて、オリンピックで負けたというのが不幸だっただけでしょう
経験していなければ、あくまで本来の24歳の普通の女性の精神力が相当なので、それと比較して未熟とか幼いはおかしい
唯一批判されることといえば、対戦相手に対してのリスペクトと、柔道界の一員として、自分の試合後他の選手の試合に影響を与えないことの思いが抜けていたと言うこと
この記事が言っている精神修養という抽象的なものでなく これまで勝ち続けていたことで、自分の技や体力のレベルアップに目が行き過ぎ、相手選手や柔道へのリスペクトが足らなかった部分が一番の原因であると思う
記録を争う競技でなく、1人ではできない競技 相手がいて、相手が強いからこそ自分も強くなれるのが柔道の本質だと思うし、十分その力はあるのでそこを目指してほしい
・ギャン泣きの最中に観客席のご両親は動揺しているようには見えなかった。
あれほどまでに泣き叫んだら、精神的にしばらく人前には出られないのかと思いきや、観客席でおにぎりを頬張る姿が。。。
そして、兄も動揺することなく五輪連覇。
以上のことから、あの泣き方は五輪で負けたからなのではなく、ご家族にとっては「いつも通りの出来事」なのではないかと思った。
・違法行為とは分けるべき。 日本では20歳未満の飲酒喫煙は違法である。他方で、国際大会で負けた際に泣き喚いてはいけない、というルールは無い筈だ。 真の強さは確かに精神修養に基づくのだろう。例えばイチローや大谷サンの様な一流選手に無礼な、或いは未熟な、振舞いは見受けられない。しかし彼等も勝ちには拘っている筈だ。 ましてや五輪は普通4年に1度しかない。取り返そうと思っても次のチャンスは4年後だ。今大会においても、兄妹揃っての連覇が期待されるというプレッシャーは相当なものだったろう。そんな中でも、彼女は自らの攻撃的なプレースタイルを崩さなかった。引けば勝てる試合を引かなかった結果、僅かなスキを突かれて負けたのである。 果たして彼女の振舞いは未熟と言えるだろうか。私には正々堂々と闘って負けた様にしか見えないし、その闘いぶりを勘案すれば、泣き喚く事は寧ろ必然の様に思える。
・そのうちに本人から話されることではあるので応援団としては黙っていたほうが良いのだろう。しかし当人の気持ちを類推するに体勢を整えようとした一瞬をつかれて一本取られ、そういう事が無いように練習をしてきたのが決められたくやしさに見えた。当人が一番思っている未熟さを号泣も含めて見守るべきでは無いか?加納治五郎は自他共生で他人の嫌がることはしていない。
・人間は感情の動物である。勝って喜び、負けて悔しがるのは 自然な心情の発露なのだ。阿部選手の大泣きが見っともない、 恥ずかしい等、批判されるのは仕方がないが、
何も、負けたその場で座り込んで泣き叫んだのではなく 畳から降りてからの、込み上げた号泣である。
泣く事自体を「修行が足りない」と叩くのは、勝って大げさに 飛び跳ねてガッツポーズをするような他国の(柔道)選手達 にも同様に向けられる批判だろうか?
日本人なのに?「取り乱し過ぎ」という論法は乱暴である。
寄ってたかって日本の恥?の様に叩くのは、ネットに溢れる 同様の、集団リンチに他ならない。
・強靭な精神力というのなら、その点ではまだまだ精神修行が足りないのは確かだろうが、いつまでも責めるのはお門違い。次元の違う強さを持ってる柔道家なのは間違いのない事実、そしてまだまだ成長過程にあることも間違いないだろうと思う。阿部詩はもっと大きく強くなる、凡人である自分は彼女が怪物になっていく過程を温かく見守ろうと思います。
・今まで沢山のオリンピックがあり、沢山の金メダル受賞者を見たけど、ほとんど忘れてます。そんなもんでしかない、視聴者にとっては。 ただ、バルセロナオリンピックの男子マラソンの谷口浩美選手は別です。 優勝候補でもあった谷口さんは途中で足を踏まれて転倒、靴は飛んでしまい、拾いに行って……それでもグイグイ追い上げ、8位入賞。 ゴール後のインタビューで、「途中でコケちゃいました」と。 人のせいにするでもなく「これも運命です」と。 大泣きもせず、淡々と、恨みごとひとつ言わず。 ずーっとこの方のこと忘れない。 私にとって、あなたは人生の金メダリストです。
・心の底から物事に打ち込んだことの無い他人・ご意見番が騒ぎすぎ。 柔道家? その前に1人の人間として全てを注いできた事が結果として否定されてしまったら、自己嫌悪、怒り、無、そして涙。 どれが選ばれるかは人によるでしょうが、自分を自分が傷付ける結果にならなくて本当に良かった。 日本代表として選ばれ全力を尽くした。 それが全てかと。
・号泣してる阿部詩の背後、少し離れたところで次の選手がそわそわしながら出番を待ってる姿がボンヤリ映っているのが見えたとき「ああ、これはマズイな」と思った。 周囲が見えてるコーチ陣がなんとかしてあげるべきだったね。 会場のウタコールも「もうわかったから、そろそろ退場の時間じゃないの?」の意思表示が入ってたと思う。
・柔道を含めてオリンピックほどの大会はやはり勝つ事を求められています、阿部選手の泣き方は尋常ではなかったとは言っても彼女の置かれた立場は我々の想像出来るものではなかったと推察します。 確かに武道は礼を重んじるようですが、それを全面に出し過ぎてもやはり勝負の世界は勝つ事を優先されるようです。 まだ若く将来のある彼女にそこまで求めるのは可哀想だと思います、負けてみたりスランプに落ちたりしてこれまで足りなかったものを身につけるのではないでしょうか。 四年後に強くて清々しい阿部選手を見たいと思います、余りにも長く意見することは控えて優しく見守ってやりたいです。
・指導者か武道精神なんて言う事自体、日本の柔道が特別だと思っているのではないだろうか。その奢りが阿部選手の号泣。相手をリスペクトする気持ちが少しでも持ってほしい。それは武道精神でもなんでもない。人として当たり前の事。柔道で精神が鍛えられない事は過去のメダリストや指導者が実証済み。
・もうこの話題は要らない。書かれている内容ももう既視感しかない。十分議論は尽くされた。 ロスに向けてまた4年間は長くしんどい歩み、心と身体のペース配分を考慮し、今回のリベンジを果たしてほしい。 そして柔道は団体戦の雪辱も果たしてほしい。
・理性の問題じゃないんです。極限の努力をしていない人が語る話ではないと思います。もちろん感情は制御できるのが望ましいが、畳を降りた後の号泣を責める人は想像力が欠如していると思います。
・日本女子柔道阿部詩さんも今回の事で勉強になったはず。気持ちを切り替えて団体混合で銀メダルを手にしたのは大きいです。それも監督コーチをはじめとするスタッフたちがしっかりサポートしたからである。 もうこの事であれこれいうのは辞めるべきだ。
・阿部選手は超一流の柔道家です。精神性も重きを置かなければならない。そんな事は本人が誰よりも理解してるはずです。今までそんな阿部選手をみてきました。 私はあの負けてからの号泣に異常さを感じました。感情をコントロールできなかった、そんなレベルのものじゃない。パニック発作だと思いました。 誰よりもあんな姿を見せたくなかったのは阿部選手なんじゃないでしょうか。 次の団体戦でしっかり活躍できたことに評価が集まって欲しいです。
・いや審判含め五輪に出てくるほとんどの外国人は柔道を武道とは思っていない。スポーツの一つだと思っていますよ。だから指導狙いのかけたフリやタックルまがいの技が流行り出す。
・オリンピック開催前にNHKのFamily Storyで阿部一二三、詩選手の回を拝見しました。
一二三選手曰く、詩選手は小さい頃試合に負けると悔しさのあまりよく泣いていたとか。
オリンピックでは敗戦後の号泣姿が話題になっていますが、幼い頃の気持ちを失わずに今も柔道に直向きに向かう姿勢に感銘を受けました。以上。
・阿部選手も若いですからね。 海外勢と同じように「柔道」ではなくて「JUDO」なんでしょう。 これはもはや似て非なるスポーツなので、仕方ないといえば仕方ないかなと。 「国際的」になるってのは、いいことばかりじゃないってことです。
・柔道の世界トップクラスの選手が、精神的に未熟なわけないけどな。 逆に自信があり過ぎたのか、兄との兄弟連覇の約束が重すぎたのか。感情のタガが外れてたね。 例えば、死を目の前にして動じない人がどれだけ居るだろうか? 彼女が文字通り死ぬ気でこのオリンピックにかけてたとしたら、あの涙も仕方ないのでは無いでしょうか。
・金メダルという世界で1人しか貰えないものを目指して努力を続けてきた人間の悔しさに対して同じ舞台に立ったことない人間が口出しすべきでは無いと思いますね。私は素直に悔しいという感情を出せる姿に人間らしくて良いなと思いました。この記事の方がよっぽど未熟だと思いました。
・数十年競い合うこともなく、期待されることもなく自身の精神修養に数十年かけた人と若者を一緒にすんな、てのと 精神修養それだけ積まれた方に水ダウ的なドッキリを仕掛けてみてもらいたい、て気持ちがある。
その精神修養が本物なのか。
下手をすると人生を否定するに等しい結果になるかもなので実現しないけど、
・今の柔道は武道では無いよ。嘉納治五郎も「この様な柔道を作る積もりは無かった」と言っている。カラテだってそうでは無いか。極真と寸止めと五輪出たさに争って、政治力のある寸止めが勝った。偉そうな事は言わない事だ。
・東京オリンピックで、阿部詩選手が決勝で勝利してガッツポーズで喜びを爆発させてた映像が昨日の事の様に思います。 あの、泣きじゃくる所と良い、感情を爆発させるタイプなんでしょうね。
・褒められた行為ではなかったとは思いますが、ペナルティを受けたわけでもないしもちろん犯罪でもない なにより本人も反省してちゃんと謝罪したことに対していつまでグチグチグチグチ言い続けるの? いまSNSに暴言書いた芸能人が「人としてありえない」と大炎上してるけど、こんなことをいつまでも延々と叩き続けることに関しては人としてなんとも思わないんですかね…
・もうそっとしておいてほしいな 阿部詩選手って日本代表だけど、まだ未熟さが残る若者なんですよ それをいい大人がよってたかって批判するだなんて、こっちの方がよっぽど礼節を欠いてると思います まだまだ伸び盛りな日本の若者達をこれからも応援してきたいです
・精神修養を極めた本当の武道家なら、道場で教え子に「これはだめだよ」って教育はするかもしれないけど、いちいちSNSで批判的な発言をする事はないよね。こう言う人はSNSで烏合の衆が誹謗中傷したらどうなるのか理解していると思う。
負けた後の行動が自分のポリシーと違ったら、イラつく気持ちはわかる。それは人間だから仕方のないこと。
でもそれを伝えるのは、せいぜい家族や仲間内だけに留めておくべきで、こんなこともわからない人が多すぎる。こんな世の中になったらアンガーマネジメントができない人間の多さが浮き彫りになってくるよな。
急激にインターネットが普及しすぎて、それを使う側がまだまだ成熟してないんやろうな。
・詩ちゃんはご両親と二人のお兄ちゃんがいてみんなで守ってくれてるから お姫様状態。 まだまだ精神的には子供なんだよね。
おにぎりパクパク食べてる姿見て そう思ったよ。
今回こういうことになって これからきっと成長するよ。
・それが正しいとして、それを言っていいのは「精神修養を欠かしていない未熟ではない大人」だけでしょう、と言っているのですよ。
週刊誌のライターやお前らネットの住民の中に、オリンピック日本代表選手以上に精神修養を積み成熟した大人であると堂々と言える者がいるのなら、その者だけが石を投げなさい。
でも本当にそんな偉そうなことを自称する大人がいたら、そいつが「成熟した大人」だと誰が思うだろうか、その恥ずかしさがわからない人間がどれほど成熟した大人なのだろうね。
だから、こういうことを言うのは、五輪三連覇の野村忠宏や金メダリストで元代表監督の井上康生とか、そのくらいの人間だけでいいんですよ。
オフの場で言うのは構わないが、対象者が何百何千のその声を目にするようなところで書くなよ。それを恥ずかしいと思えよ。それこそが何より未熟な大人の行動ではないのかね。
・運動は見るのもするのも大嫌い、オリンピック時期は本当につまらないと感じてる私ですが、詩さんの涙には感動しました。 ああ、精一杯頑張ってきたんだなあって。 悔しさ爆発させて、次、また頑張るのかなってスポーツに初めて応援したくなりました。 詩さん、頑張って下さい。 結果自然成です
・スポーツ競技選手に武道家を求めるのが間違い オリンピック金メダルを目指す人に何を求める いろんな事を犠牲にして金メダルを目指してる、弘道館柔道がなんなのか理解して投稿すべき 柔道普及のために競技性に舵を切り、武道の部分を削ったのが弘道館
・筆者は、過去の五輪で連勝が途切れて大泣きした吉田沙保里選手の振る舞いについても、周りの指導問題と絡めてきちんと批判したのでしょうか。 彼女もまた、リングを降りてからの号泣きでしたが。
勝利至上主義として団体の姿勢を批判したいようですが 勝利至上主義の根源は、五輪となると無理やりメダル候補と持ち上げてまではしゃいで商売に走るメディアにあったのでは。 柔道だけをその例外として、勝利以上に修養こそが大事な武道なのだと、メディアが五輪における柔道団体に対して論陣を張ったことがあったでしょうか。
・葛藤があったとしたら小狡い勝ち方をしようとする世界標準のJUDOに合わせなければならないという歯痒さからくる悔しさなのかも。 でもそれはもう何十年も前から始まっていたこと。 それほど、日本人として日本人らしく柔道をして勝つのは年々難しくなっているのだろう。
それなればこそ、、、 と思うのは私がオッサンだからだろう。 それもこれも全て致し方無し。 それを泣いても致し方無し。
・まさに記事の通り。皆オリンピック目指して出場してきた一流選手。 よく、まさかや番狂わせってすぐ言うけど、例えば前回メダリストがメダル取るのが当たり前みたいな言い方やめてほしい。 まさかや番狂わせって言う考え方なら、毎回同じ人がメダリストってことやろ。 世代交代もあるから負けもするやろ。
・最初は「想像を絶する努力をしてきたんだろうし、辛いよなぁ」って思ってみてたけど、だんだん「これ、いつまで泣くん?」って感情でテレビ見てた。 途中から同情より呆れ?戸惑い?の気持ちを抱いてしまった視聴者・観客も多いんじゃないかなー
・あれは古来の武道たる柔道とは似て非なるスポーツと考えるべきです。このスポーツの競技人口はブラジル200万人、フランス50万人、日本はたった12万人。もはや日本のお家芸でも何でもないし、日本でそんなに人気無いのになんか強いよね、程度のもの。それに精神修養なんて求めてはいけません。
・個人的に思ったのは詩選手があれ程までに 悲痛な叫びを止められなかったのは 負けなしできたが故の、(他の人が味わってきたであろう)数年間分の悔しさとか敗北感が あそこで集約し一気に押し寄せてきたからで 彼女にしかわからない感覚だと正直思います。 周りにどう言われようが 自分自身の弱さと向き合って、また前に進み 挑み続けるであろう詩選手を これからも応援したいと思ったから あの場でコールが上がったのでは? もしかしたら、次の選手や他の試合をしていた選手には迷惑かけたのかもしれないけど、 それは迷惑かけられた本人が文句を言ったり 訴えるべきであって、関係ない私たち ましてやアスリートでも武道を志してるわけでもないど素人がこうじゃないかああじゃないかと 責めるのは違うと思うし、 勝手に代弁しちゃいけない気がする。 それぞれが思うことは違うのだから 関係ない人達が彼女を責めるのは違うと思う。
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