( 199885 )  2024/08/09 14:39:06  
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・核兵器の使用は二度とないようにしてもらいたいですが、 

核兵器の廃絶は無理だと思います。 

アメリカ、ロシア、中国などの大国が既得権益を手放すとは思えないからです。 

核兵器がなくなる時は、むしろ核兵器よりも強力な兵器ができた時とかかな、って思います。 

原爆犠牲者を出した広島、長崎、そして日本から核兵器の被害を訴えることは重要だとは思いますが。 

それでも戦争や武器はなくならないですよね。 

 

 

・違和感しかない式典でした。 

政治的な意図はないとしているなら、すべての国の代表なりを招待することでしたね。 

首相も参加して居るのだから國民の総意と思われてもしょうがないね。 

只・理解あるロングボトム駐日イギリス大使・コーヘン駐日イスラエル大使・エマニュエル駐日米大使が、9日午前増上寺(東京)で行われた長崎原爆殉難者追悼会に参列してもらった事には大いに感謝するしかない。 

 

 

・二度と核が使われないように願っているし、廃絶させたい気持ちは一緒。だが、どうやって廃絶するかを考えたら、 

・核兵器、原発含む各施設全撤廃。全て破棄。 

・技術資料、データは全て焚書。 

・知識、技術のある人間、伝播していると思われる一族全て根絶やしにする。 

ここまでしてロストテクノロジーにしないと完全に核廃絶はできないと思うし、現実問題無理だと思う。 

そうなると、如何にして使わせないか、少なくても自分の住む土地が核の炎に包まれないか、を考える事はとても重要。 

 

 

・市長としての発言としてはこれで良いと思う。 

本当に核を無くしたいと思う。 

 

しかし、国会や一国の首相が同じトーンでは行けないと思う。 

現実的に国家や宗教が多様であり、人間の業がある限り、ただ反対を唱えても核廃絶は不可能だと思う。 

むしろ、いかなる人間も国家も思想も不完全だからこそ核の抑止力を持たざるを得ないという現実を互いに認めあうことが出発点だと思う。 

 

 

・有史以来の兵器 

 

人類の歴史で、こん棒と弓矢のレベルから、徐々に徐々に文化の進化と共に強力な兵器が生み出されて、この先も核兵器の中でも相当にエネルギー密度の高い兵器が開発されていくであろうことは確かにその通りだと思います。 

 

たとえその実現が難しくとも核兵器廃絶を唱え続けることも大事だと思います。 

 

 

・8月6日に地上波で、広島への原爆投下後、アメリカが情報収集に来る様子を放送していたが、悲惨な姿の民間人を前に、淡々と仕事をこなす姿に人間という生物の不気味さを感じた。遠く離れたアジアの島国で起こった事を、陸続きの国で目の当たりにし、SNSで拡散された時に初めて、使うとどうなるか理解するのかなと、たまに思う。今、沢山の人が広島、長崎の被爆関連施設を訪れているが、核の怖さを知る人が少しでも増え、いつか手放す選択に繋がる事だけ願っている。 

 

 

・ヒロシマ・ナガサキ、 

年々報道が少なくなっていきますね。 

特にナガサキは、ほとんどの日本人、 

「ヒロシマの次」くらいの印象。 

当然ながら年数はどちらも同じですが、 

おそらく、ナガサキの方が風化は早い…。 

また、東京大空襲は、 

東日本大震災を期に、一気に報道が減りました。 

その東日本大震災だって、次第に風化を感じます。 

計画停電をして、あれほど悔悟した原発ですが 

電力需給ひっ迫の折は、 

「Co2出さないんだから原発増やせ」 

なんてコメントもよく見ました。 

能登半島地震でも、昨夜の地震でも、 

地震のたびに原発が危ぶまれているのに。 

これ、とても危険だと思います。 

 

地震のような自然災害は止められません。 

でも、戦争や原発事故は 

人間の所業で止められます。 

風化させない。 

語り継ぐ。 

戦争なんて、本とテレビでしか知らない世代の私ですが 

その重みだけは、常に胸にあります。 

 

 

・数千年、数万年前からしたら、人類は飛躍的という言葉では済ませられない程、平和に幸せに暮らせるようになった。 

大昔の人には夢想でしかなかった世界になった。 

例えば日本だけ見ても、一つの国として統一され、地域ごたに対立して殺し合うなんてこれっぽっちも考えられなくなった。 

核兵器廃絶は今すぐには無理だと思うし、今後それ以上の壊滅的な兵器が開発されるかもしれない。 

しかし未来では今の我々には想像もつかないほど平和な地球になってるかもしれないし、そうなるよう期待したい。 

 

 

・人類には太古より争う性があり、生まれながらにして身を守る高度な動物本能が備わっている。武器を無くす事はすなわち無防備な状態になるということ。人が人を傷つけなくても、人以外から力が加わった時、絶対的な力を持った武器が無ければ戦う手段を失う。それは地球外から突如として来るかもしれない。よって人類が手に入れた最強の武器を手放す事は絶対にあり得ないのです。大事なことは人間同士で2度と使用しない事です。 

 

 

・遠くに居る多数の敵を倒すのに刀などの近接武器より火器の方がより効率が良い武器であるから、世界の軍隊で普及し、一般的な武器となりました。 

火器は遠くに居る敵を威嚇することも出来ますが、それは刀では出来ませんよね。 

今の時代でも自軍に火器の使用を禁じ、刀を選ぶよう強要する国がありますか。 

火器を核、近接武器を通常兵力と考えれば、どこの国を例えた話かわかるでしょう。 

我々は人類全体が生き残ることを考える前に、日本人とその子孫が生き残るために何をすべきかを考える必要があります。 

高い意識で人類の未来を考えるのは結構ですが、そうしているうちに、他国は生き残っているのに日本のみ滅びに瀕する、なんてことになったら目も当てらません。 

 

 

 

・長期的に見て、そうなる可能性は高い。インドなど、911のどさくさの形で核保有が咎められないような国もあるし、北朝鮮も米中対立が和らいだタイミングで広く承認された核保有国となる可能性もある。核使用が許されている限り、核保有国はゆっくりとであっても増えていく。核保有国の増加は偶発的核戦争の発生確率を引き上げるし、偶発的核戦争から全面核戦争に至る可能性もまた上がる。人類の保有する核兵器は人類の99%を死滅させるに十分な数があり、それが引き起こす文明の崩壊は残る1%を0にする公算が高い。 

後から振り返ってみて、人類絶滅の直接的原因が全面核戦争である可能性は十分にあるし、核廃絶しておけば人類は絶滅を免えたという事も十分にあり得る。どうやって核廃絶を実効的に行うかという事にはまた不断の努力を要するにしても、少なくとも絶滅戦争の可能性を保持している事は意識し続けねばなるまい。 

 

 

・そうなってほしいし、理想はそのとおりや思う。しかし、残念ながらそれは絶対に無理や。人間の歴史は争いの歴史。動物の本質でもある。食糧、縄張りの争いから、領土、宗教、欲、権力のため戦争をする。人間は全員が理解し合えるはずないし、気に入らない奴は必ずいる。絶対に戦争はなくならないし、武器もなくならない。棒で殴って一人殺す、銃で数人殺す、戦車や飛行機で多数を殺す、究極が核兵や生物兵器やろな。人を殺す本質はどれも同じ。今後も存在する前提で何事も対処することは必要。絶対に人の争いはなくならない。 

 

 

・広島長崎の、原爆の被害は二度と起こさせたくないという意思はそのとおりだしそうなって欲しいが、エキスパートコメントの村野氏のコメントのとおり、日本は中露朝の核兵器国に囲まれて、米国の核の傘に守られている状況。 

核兵器のない平和は求めたいが、核兵器がなくて戦争に巻き込まれる世界より、核兵器はあっても戦争が抑止される世界の方が好ましい。 

 

 

・核兵器は抑止力として必要。というのが大勢を占めてる。だけど、核があってもなくても戦争は起きている 

心配なのは争いはエスカレートするという事。世界大戦は遠い過去の記憶となり、戦争に対する拒否反応は薄れている 

中国も北朝鮮すらも核弾頭の保有数が年々増加。使わない核兵器をせっせと溜め込んでいる 

いつか誰かがスイッチを押したら、報復で核が飛び交うらしい。 

核は抑止力というより、人類の過ちへのカウントダウンだ。無くすことはできない。人類は破滅を自ら選択している。 

 

 

・例えば原子力発電が無くなる世界ってより強力で安全な発電方法が開発された世界 

 

対して核兵器が無くなる世界ってより最悪で脅威的な兵器の誕生を意味すると思う 

 

なので無くすではなくこれ以上増やさない。そして使わせない世界を作る事がベストだと思う 

 

 

・日本だけ核兵器廃絶や平和を一生懸命に訴えたとしても今の世界情勢からして到底実現不可能な問題です。理想に向かって訴えを続ける必要はあります。 

ただ、日本周辺に核兵器を保有しその力を誇示する国があるのも事実です。 

廃絶は絶対条件だと言っていますが物事には絶対はないと思います。 

 

 

・長崎出身です。 

もちろん理想は廃絶なのだろうけど、核を持たない事はある意味「丸腰」という事になる。 

有事の際に核があることが抑止力となるし、同じ土俵に立つことになる。 

もちろん使うようなことがあってはならないけど、バランスを取るためにも意識をアップデートして保有するというのも必要な事かと思います。 

 

 

・核廃絶は不可能という大前提で、本音と建前を、うまく使い分ける必要がある。 

一地方自治体が核軍縮を訴えるのは建前を担う役割としてしょうがない(ある意味、特定層のガス抜きとしても必要) 

ただ日本の政府として同じ方向性でいいはずはない。今後、自衛手段としての核は持たざるを得ない。このような行事への関与はその方向性と矛盾する。なので、長崎、広島関連行事への政府の関与は、無くすか極小化すべき。 

 

 

・理想は確かに廃絶出来ればとなるし、それに向かい努力することも必要だろう。 

しかし人間に人種としての差別や宗教的なしがらみ、領土問題などがある限り不可能な話になる。 

順序とすればそれらの問題を解決し、世界平和が成されてからだ。 

その為にまず何をやらなければならないのかも考え行動しなければならない。 

 

 

・多くの方がおっしゃっている様に、現実的な話をすると核廃絶というのは困難であると感じます。核兵器は使用しない。が、今の人類に残された道かと思います。 

 

この様な考え方は、長崎、広島の後遺症に苦しむ方や遺族の方にも多くいらっしゃると自分は思っています。 

が、そんな事は口が裂けても言えない、という日本独特の同調圧力や空気読みがあるのではないかなと。 

こんな日は言えない(言わない)方が良いとは思いますが、平時はそういう意見もちゃんと言える様になる平和な社会を願います。 

 

 

 

・イスラエルを招待して安全に行われた広島での式典。 

一方で、 

イスラエルを招待しなかった長崎市の決定に対して、米英仏独伊カナダの6カ国とEUの駐日大使が出席しなかった。 

2010年以降、米国が原爆の日の式典に出席するようになり、核保有国に被爆の実相を伝える努力を続けきた。 

今回の件で、 

核兵器廃絶に向けた取り組みやG7の結束に影響が及ばないことを願っている。 

 

 

・理想論として核兵器の根絶が望ましいのはその通りだと思いますが、現実には日本の国防力向上を阻害すべく日本国内で活動する中露を筆頭とする情報機関にいいように利用されているのが実態でしょう。 

現政権への批判や反発を避けるために該国国民の不満を外に向けるべく国威高揚や領土拡張への野心を隠さないこれらの敵性国家に囲まれている限り、日本としてはむしろ可能な限り米国などの外国に頼らない核武装の方法を模索し、これらの敵性国家とせめて対等な立場で交渉できる状況を構築する事が急務だと感じます。 

 

 

・その宣言に間違いはないと思います。79年間も広島長崎で訴え続けても核は無くなっていない世界の現実。今回は何故かイスラエルの名を出してG7に反感を買った失策。この79年間で正規戦争は無かったかも知れないがグレーな戦いに内乱、テロにウクライナ。被害者の数を合計するとどんな数値が出るのか想像も出来ない。長崎宣言の内容検討が求められているのでは? 

 

 

・言いたいことは分かるんだけど、ロシア・中国の脅威を考えると抑止力が最も重要なのであって、話の通じない隣国に対して行う対応では無い様に思う。 

 

例えるなら、ヒグマを目の前にして猟銃を廃絶を唱えるようなものかと。 

 

やるのであれば、核配備をきちんとした上で、そちらが廃絶するのならこちらも廃絶する準備はありますよ、と言うことですかね。 

 

 

・核が抑止力になってる、と言う面は確かにあるだろう。 

しかし、では何故ウクライナやパキスタン(ハマスはテロ組織と言っても殺されてるのは国民)は、核保有国に刃向かうのか。 

何故ロシアやイスラエルは核使用を躊躇っているのか、核報復は直接はないのに。(欧米がウクライナの為に核報復するか国連軍は拒否権で動けないだろう) 

全面戦争は避けようと言う理性が残ってるから、アメリカはじめ国際世論が流石に怖いから、と言うことではないのか。 

 

これは持てる国と持たざる国の争いの場合。 

双方持ってる場合も同じではないか。 

双方持ってないと、泥沼か、大国の調停か 

また、いずれの場合も第三国が武器・資金支援や直接介入すると被害拡大してる気がする。 

 

この理解が正しければ、やるべきことはかなり見えてる気がするのだが、それでも出来ない理由は何だろう。 

 

 

・「核廃絶は無理、だって大国が」という意見が大半(かつ現実的)でしょうが、だからこそそれを前提(出発点)として、廃絶を目指す事には大きな意味があると思っています。夢ばかりを語る事をよしとしませんが、今生きている我々は不可能と思われていた多くの事を可能にして現在に至っています。わずか数百年の間に、月の地面を踏み、目に見えない生き物やエネルギーを使いこなし、地球の裏側で起こった事を瞬時の内に知り得る、そんな未来を当時誰が想像しえたでしょうか。自分の代では不可能な事も我々の子孫に少しでも可能性を残していく行動は、今生きている我々の使命だと思っています。間違っていますか? 

 

 

・良いことを言う。 

本当にそうだ。 

平和を創り出すものがたくさんいれば戦争なんて起きなくて起こそうとしてもその力で収束するだろう。 

でも戦争を、起こそうとする人の数が、力が、それを上回っているからいつまでも無くならない。 

だから、一人一人が平和を作り出すものになり、立ち上がってほしい。 

 

 

・核保有国による、力による現状変更の横暴や、北朝鮮が繰り返してきたミサイル発射などもあり、我が国も核保有すべきではないか?とのコメントも、昨今多く見かけるようになりました。 

 

国を守る為、また近隣の国が日本の領土を脅かさんという国際情勢の中で、他国に舐められないように、という心情は充分に理解できるところです。 

 

ただ、日本は唯一原爆を落とされた国である事を鑑みるならば、核保有ではなく、核兵器を無力化する技術に心血を注ぐ事こそ、最も優先すべきなのではないかと考える次第です。 

 

核兵器の無力化が実現すれば、他国が保有する一切の核兵器は、多額の維持費を食うだけの無用の長物となります。それは、日本を守るのみならず、核兵器の脅威を排し、人類の平和の礎になると確信します。 

 

原爆を落とされ、多くの人が亡くなり、慟哭した日本が、核保有国の拡散ではなく、核廃絶を使命として、それを全うする事を心より願います。 

 

 

・現実には無理でも、訴え続けることがチカラとなる。ロシアがウクライナに核攻撃を示唆しながらできていない現状は、核廃絶を訴え続けている被爆者の方々の見えないチカラがあったからではないだろうか。これからも核を現実に使われないチカラとして、日本は被爆者の方々に頼らず、廃絶を訴えていくべき。 

 

 

・毎年この時期に思うけど核を無くすよりまずどうしたら戦争を無くす事ができるかを考えたほうがいいと思う。核兵器が無くなれば戦争は起きないとでも思ってる人が多いのかな。 

強い武力がどんだけ戦争を起こさせない抑止力になってるか理解したほうがいい。 

 

 

 

・核兵器を超える兵器が作られれば廃棄されます。但し、現在最強とされる「神の杖」のような兵器は実現しません。敵国のリーダーを一瞬で抹殺するような兵器は軍産複合体にはメリットが無く、世界のリーダーに旨味はないからです。国民に恐怖や敵愾心を植え付け支配に利用出来る核兵器は魅力的存在です。 

 

 

・被爆者や関わる人達の核廃絶への思いはわかるけど、現実問題として無理なんだよ。 

ウクライナにたくさん核ミサイルがあったら、あんな一方的にやられてない。NATOの支援があって何とかなってる。核をなくすことより使わせない仕組みが大事。 

 

 

・アメリカやロシア・中国など核兵器が現在の大国間戦争をけん制している今 

戦力のバランスが崩れると世界大戦が勃発する危険があるのも事実。 

普通の平和を祈る方々のみが世界で暮らしていれば核兵器は無くなるだろう。 

が、現実は欲と権力にまみれた人々が国のトップに立ちやすい環境で 

プーチン氏のように自分の考えは意地でも変えず、人々の命をも自分の 

物みたいに簡単につぶしてしまう。 

こんな人物が居る限り抑止力として核兵器の保有は必然的だと思う。 

当然世界からすべての核兵器が無くなれば一番良いのだが・・・。 

 

 

・多くの人は戦争は人を殺すことだと思っているのだと思います。 

しかし戦争によって人を殺すことは単なる手段であり、目的は「相手の富を不当に奪うこと」です。 

昔は富を奪うためには領地を占領する必要がありました。そして占領のために戦争という手段を用いたのです。 

 

しかし現代は違います。 

経済という別の手段で相手の富を不当に奪うことになったのです。 

戦争という手段を用いなくてもよくなったのです。 

 

戦争さえなければ平和なのか? 

経済行為による不当な富の奪い合いは果たして許される行為なのでしょうか? 

 

「核廃絶」を目指すことは立派なことかもしれません。 

しかしそれは本当に願う平和なのでしょうか? 

私たちはもっとよく考えなければなりません。 

 

 

・核爆弾の被害に遭われた方はどれだけの辛苦を味わったか、想像を絶します。ただ長崎にしろ、広島にしろ、ただ核が壮絶にひどい、非人道的と訴えて、核廃絶が成し遂げられるか、世の中の道理はそんな簡単ではないというのが現実ではないでしょうか。日本の戦争責任はどう考えるか?と問われた時に、色々やったかもしれないし、やってないかもしれないし、だけど核だけは別なんだというロジックが、どれほどの説得力を持つのか。もちろん、被害者の壮絶な人生を見れば相当な説得力は持ちます。だけどそれだけで、廃絶まではいきません。なぜ核が必要となったのか、代替は?そこに切り込めない限り、回答はないと思います。そして核を投下したのはアメリカですが、核を投下させたことに日本は責任がなかったのか。核爆弾を当時日本軍が持っていたなら他国に落とすことに躊躇をしたのか、そこは日本として捉えないといけない整理されずに残る課題と思います。 

 

 

・核の廃絶と戦争がなくなってほしい気持ちはもちろんあるが、核兵器が戦争を抑止しているのもまた事実。ウクライナ戦争でもロシアに核兵器がなければ西側諸国と戦争になっていた可能性はある。(ロシアのしている事は湾岸戦争の前にイラクがした事とほとんど同じ)もちろん核がなければロシアに制裁できてよかったという考えがある事も否定しないが。 

 

 

・「戦争」に参加した時点で、日本は完全なる被害者ではないのだから日本の犯した罪も同様に振り返る必要があると思う 

現在のロシアやイスラエル同様、日本も中国や東アジアに領土を広げていった事がそもそもの原因なんですよね? 

民間人は巻き込まれただけというけど、今私は「ロシア人奮起してプーチン止めろよ」と思うし… 

核云々の前に全ての国が国境を超えず、他国を尊重していく事が大事だと思う 

 

 

・たくさんの人が日本の起こした戦争に、理性的思考がどれ程あったのかを問う反省が深く行われていたら原爆投下以前には戦争を終結させる事が出来たと思っている。軍部の権力に基づく専制国状態で国家を掌握していた構造下で生きることが精一杯の国民が犠牲となった事実を世界に伝える活動は日本人として永く続ける意義は高いものである。これからも賛同します。さらに今紛争を起こしている国のどちらにも自己の正当性だけの主張の再考を望みます。 

 

 

・核兵器は、人類が大戦を防いで生き残るか核で滅びるかをギャンブルにかけるようなもので、手放しで安心を与えてくれる代物ではないということを、広島・長崎が教えてくれる。当時唯一の核兵器実用化国だったアメリカが原爆を落とした時代に比べ、大国だけでなく独裁的な小国にまで核が渡り、一部は行方不明とされたままの現代は、どこで核の火が上がるかについて予測不能な面がある。今後もこれが拡大すれば時計の針を戻すことは更に困難になると考えられ、核兵器廃絶に向き合うなら今が最後かもしれないという気持ちがある。 

 

また同時に、市長が述べる非核兵器地帯というのは既に存在し、主に赤道から南半球を中心に成立している。日本は日米安全保障の絡みで入れない。ただこれは簡単ではなく、参加国は多くが徴兵制で、紛争を抱える国も多い。戦争となれば通常兵器で徹底抗戦する意思と兵器と訓練された国民を育てずにこれをやれる場所に、日本はない。 

 

 

・確かに核廃絶ができれば素晴らしいことだと思う。 

ただ具体的にどういうプロセスでそれができるのかが重要だ。絵空事で訴えるだけでは単なる憧れにすぎない。お互いの国が抑止力として持っている以上、廃絶に向けた道のりは厳しいものとなるだろう。そして仮に削減に合意できたとしてもそこから互いの国への疑心暗鬼が始まる。以前のような実質的二カ国の超大国の削減でも難しかったのに、今は中国が覇権を強く意識し、北朝鮮やイラン、パキスタン、イスラエルなどの使用のハードルがより低いと予想される国の利害も絡んでいる。持たざる国がほとんどを占める以上、持つ国の優越感を捨てさせるのは容易ではない。よほどのことがない限り、核保有国に核のカードを捨てさせることは難しいと思う。 

ただ、だからといってこのような平和への訴えが間違っているとも思わない。こういう素朴な思いを持つ人々が声を発し続けることは、道標として大切なことだと思う。 

 

 

 

・核兵器を廃絶するのは難しいだろう。核兵器は相互の抑止力として存在しているので保有国が廃棄するとは思えない。世界を滅ぼすような戦略核兵器を国家が使う可能性は低いと思うが、小型の戦術核は使う可能性がある。だから核の恐怖を訴えることは無意味ではない。怖いのは国家ではなくテロリストが核兵器を入手すること。自らを含め滅亡することを厭わない集団もいるのだから。 

 

 

・そのメッセージを、できるだけ多くの人に届けようという発想にどうしてなれなかったのか、と思います。 

 

なぜ参加国の選別などしてしまったのでしょうか。戦争被爆国というのは、世界で唯一無二の立ち位置です。 

 

式典の準備段階での一連のゴタゴタで、例えばグローバルサウスの国々からすれば、結局日本はG7や同盟国の枠組みでしかこの世界を見ておらず、地球全体を見渡す視野がないという印象を持った事だろうと思います。核兵器廃絶の願いも、平和祈念も、本気度がないと受け取られても仕方がありません。 

 

日常的なG7や同盟国との付き合いも、戦闘中の国々に対して停戦を促す意見の表明も、世界唯一の被爆国として世界平和を訴える役割も、それぞれ別々のもので、区別すべきものでした。それをゴッチャにする必要などありませんでした。 

 

立派なスピーチが、少ない参加国の人々の前に虚しく響き渡ったのかと思うと、とても残念でなりません。 

 

 

・福田須磨子さんの言葉は、恩讐の彼方にある人類全体に対する真摯な警告だと思います。 より多くの人に伝えていかないと思うし、紛争国など特定の国を批判排斥することなく、参加してもらった方が良かったように思う。 

我々日本人は、これまでの教育の中で原爆の悲惨さ、被爆の実相について学んんだり、不意に知り合いが被爆者手帳をもっていることを知ったりなど、ほかの国の人よりは原爆のことを現実に起こった出来事と感じているが、ほかの国の人はまだまだどこか遠くで起こった絵空事のように感じている人が多いと思う。こちらから来るものを拒むのはよくないと思う。 

 

 

・核兵器が世界大戦の時代を終わらせたのだと私は思う。 

現状の世界では核兵器の存在が大国同士の戦争を抑止している効果は否めないが、いざ使用された時や甚大な自然災害により制御不能になった時に、地球を破壊しかねないリスクはありますので無いに越した事はないが、核を放棄するには世界がいくつもの国に分裂して、宗教や民族の対立がある限りは厳しいと感じます。 

しかし、長い歴史の編纂により出来たこの世界が簡単に変わるとは思えず、人類は核により滅亡する運命にあるのかも知れませんね。 

 

 

・広島はイスラエルも招待しましたが、長崎はイスラエルを招待しないで、日本以外のG7各国の出席拒否の反応を招きました。どちらの行動が核廃絶に地球を近づけたでしょう?長崎と異なる態度を取った広島は日本内部の意見の柔軟な多様性を表していて大切な存在でした。 

 

 

・考えてみると、ミサイル攻撃でも核兵器使用でも中心域にいた人は死ぬ。後者は一発の影響範囲、さらに環境への影響が膨大な点で差異があるもの。 

同種被爆が起こらないようにこうした式典、宣言は大変重要なこと。 

戦禍の反省として、日本は、外交努力の極みを追求し続け、自国は勿論のこと、余裕があれば他国領域においても、核使用回避をさらにできれば戦争の回避を図ることが責務だろう。 

わすれてはならないのは、日本は他国に侵攻し沢山の人命も奪ったこと、国民のうち大勢はそれを阻止できずむしろ手旗を振っていたこと、政府中枢部は戦争回避を有効に出来なかったこと、原子爆弾製造を試みており仮に製造できていればどこかで試用した可能性も推定できる点だろう。おそらく世界の多くはそうみているのではないかと思う。 

 

 

・核兵器は威力がありすぎて兵器としては実用性はありませんが、 

戦争の抑止力になっていると言われると、否定ができません。 

 

もちろん、核の無い世界は理想ですが、核を廃絶した場合、 

逆に世界中で戦争になったり、核に代わる兵器の開発合戦に 

なるのではないか…と懸念しています。 

 

生物は基本的に争いが好きなので、平和は訪れません。 

 

 

・百年以上前に、夏目漱石が「科学技術の進歩が必ずしも人間を幸福にするとは限らない」というような事を言っていたが、核兵器に限らず、現在のデジタル化や生成AIなど、デメリットが普及前から声高に言われているモノも、「新しい技術を社会に展開して利益を獲得したい」連中が殊更にメリットや必要性を喧伝して、結果的に社会を窮地に追い込んでいるような気がする。 

 

 

・イスラエルの参加を認めないという決断をした長崎に心から賛同と平和を希求する心意気を感じました。参加しなかった何カ国の思惑はわかりません。ただ、人間同士の殺戮はどうかもう無くしてほしいです。対話と友好が人類が生き残る最期の砦と思います。核は決して抑止力にはならず、不安と恐怖と疑心暗鬼を招くだけと思うのは私の思い込みではないと思います。実際そうなっているではないでしょうか? 

 

 

・核保有国の全てが「戦術核兵器」で被爆して、 核兵器の悲惨な現状と将来への影響を体験しないと 核兵器は廃絶できないと思います。 

でも、保有国は広島・長崎から約80年経過した現代の核兵器がどの位の破壊力、殺傷力があるかどうかに強い興味があると思います。 

とんでもない破壊力・殺傷力がわかれば「使うのは止めよう」と思うかもしれません。 

ウクライナ、イスラエルに使われない事を願います。 

 

 

 

・イスラエルを招待しなかったのは本当にマズイ。 

どんな国でも全世界が全組織が参加するように努力すべきだったと思います。その価値がこの日にはあります。 

『君たちが争いたい、争わざるをえないのはわかる。ただ、万が一、一時の感情で核戦争が起きたら、自分たちの身内がこのような惨事に巻き込まれる危険があるわけだ。その事をきちんと考えて、各人英断をすることを期待する。』 

このメッセージを訴えることが、真の平和に働きかけることになるのではないでしょうか? 

 

 

・長崎鈴木市長は誠に正論、彼は東大卒業後に英国そして米国の大学で専門課程を習得し欧米の政治カルチャーにも精通している、」その彼のイニシアチブで今回のイスラエル対応を行ったことは熟慮断行であり、打算的な観点からイスラエル支持に回る現在の欧米の姿勢に間違いなく一石を投じ、これは歴史が評価する政治姿勢でですねある。ロシア、イスラエルのヲ今の政治手法と方向性を何を以って許せるのか、そこを問いたいですね 

 

 

・核兵器をなくすには、核兵器をもっても無意味な状態・状況にならなければなりません。 

それをどう作るかが鍵ですが、核兵器は管理も保管も廃棄もコストがかかるのですから、いまのところ核兵器を凌駕するものが生まれることぐらいしか想定できません。 

軌道上に弾道ミサイルの起動を変える(妨害する)仕組みが出来るとか(発射したところに戻るとか)、できないものですかね。ノーベル賞ものかと思いますが。 

 

 

・アインシュタインを含めオッペンハイマーなどのユダヤ人科学者が原爆開発をし、完成させた罪は深い。しかし、ユダヤ人建国の為の努力だったことを考えれば、民族の悲願を達成した意味はあるのかもしれないが、他人の不幸の上に幸福を築くことは大きな罪に変わりはない。また、こうした原爆を戦争に使うことを当初から計画していたルーズベルトやチャーチルが直接マンハッタン計画に最初から関わって、投下場所を日本にしたことの方がもっと罪が重い。日本人は、ルーズベルトやチャーチルを英雄視するきらいがあるが、それは大きな間違いだ。日本人は、まだ明治維新前後から20世紀末までの歴史のほとんどを知らないし、研究出来ていない。すべてが断片的で、間違った評価が多すぎる。若い人たちがそこを明らかにする努力に期待したい。 

 

 

・ロシアの様に、他国を侵略しても自分が攻撃されたら核使用を仄めかせば相手方(ウクライナのバックにいるアメリカ等)は攻撃を躊躇する。北朝鮮の様にどれだけめちゃくちゃやっても、核を持ってそれを運用(長距離弾道ミサイル)出来る能力を持つ事で武力制裁を受けない。 

 

こんな都合の良い兵器現時点では代替が無いですから、現に保有している国が放棄するなんてないでしょうね。それを唯一やったのがウクライナ。その結果が現状です。 

被害を受けた側(広島長崎)からすれば心情的には理解できる主張であっても、現実には今の国際政治、軍事は核保有が前提で成り立っています。 

日本も、ロシアや中国の侵略を受けたくなければ、現実的な最適解は核保有をして軍事的に独立する、またはアメリカに核の傘を強化してもらう(今以上にアメリカの言いなり)、でしょう。 

残念ながら、理想は現実の前には儚いものです。 

 

 

・核兵器を持っているから大規模な戦争にならないのは明白だが、立場上それは言えない。核爆弾を落とされるとどれだけ悲惨なことになるかを訴えることが逆説的な意味で核兵器が使われなくなる=平和になるということだから訴え続けることに価値がある。 

 

 

・世界に発信だと思いますが、特に戦時中の国に届けるべきメッセージなのではと思い、今回の事前の騒動は残念ですね。なんだか虚しさが残るばかりです。時勢において誰に強く発信するかも大事なのではないでしょうか。耳をふさがせるのでなく、聞いて頂く姿勢が必要と感じます。 

 

 

・絶えない紛争、なくならない核兵器…しかし現状をただ追認するだけでは、ますます核兵器が増え、戦争も終わらない。戦争は一部の強欲なものたちによって引き起こされていると言っていい。そんな不条理をただせるかどうかが人類に問われている。人類の歩むべきは不条理を打ち破って持続可能な世界をめざすこと。 

 戦争・紛争がない世界の実現にこそ希望とあると信じる。 

 殆ど奇跡的な確率でこの地球に生を受けたものとして、平和な世界の実現をあきらめるわけにはいかない。 

 

 

・長崎の首長は式典参加国を個別に選ぶ必要はなかった。今パリ五輪でロシアとベラルーシが国家としての参加を拒否され両国選手は個人として参加している。従って長崎県もパリ五輪に準ずればよかった。イスラエルの招待を拒否する必要はない、政治に絡めていないと市長は発言しているがイスラエルを招待しなかったこと自体政治的行動だ。パレスチナ側はこの判断に賛同している、すでに政治的に影響を与えている。G7は大使級は欠席し領事級に留めた。核廃絶は理想だが一方で日本は米国の核抑止力で守られている。もし米国が日本を取り囲む核保有国のロシア・中国・北朝鮮に対し、核による抑止力を果たさないなら、今頃日本はこれらの国々に核で脅され国家としての存在も運営も脅かされていただろう。 

世界で紛争が絶えない、ロシアは一方的にウクライナに侵略。イスラエルはパレスチナ武装集団が先に国民・国家を攻撃し反撃。ロシアと同じではない。 

 

 

・区別なく、戦争をしている国を招待しなかったことは、 

誰に遠慮することもない、 

戦いはだめだ、人間を傷めるな、 

その主張、一点だと思う。 

どちらが正しい正しくないが問題ではではない。 

 

その事を非難される筋合いはない。 

 

ナガサキは、損得勘定を捨て、 

しがらみをふりきって、 

すべての人が目指さなくてはならない道筋を体現してくれた。 

 

尊敬するし、感謝する。 

 

反発した国々が、冷静に、落ち着いて、 

ナガサキの思い(人類に対する愛)を理解してくれることを願う。 

 

ナガサキは、自分本意ではない、 

限りなく、全世界のことを考えて行動していると思う。 

この度のことに反発した国のことも、 

戦争をしている国々のことも、 

その影で目先の私腹を肥やしている人々の事も。 

 

 

 

・区別なく、戦争をしている国を招待しなかったことは、 

誰に遠慮することもない、 

戦いはだめだ、人間を傷めるな、 

その主張、一点だと思う。 

どちらが正しい正しくないが問題ではではない。 

 

その事を非難される筋合いはない。 

 

ナガサキは、損得勘定を捨て、 

しがらみをふりきって、 

すべての人が目指さなくてはならない道筋を体現してくれた。 

 

尊敬するし、感謝する。 

 

反発した国々が、冷静に、落ち着いて、 

ナガサキの思い(人類に対する愛)を理解してくれることを願う。 

 

ナガサキは、自分本意ではない、 

限りなく、全世界のことを考えて行動していると思う。 

この度のことに反発した国のことも、 

戦争をしている国々のことも、 

その影で目先の私腹を肥やしている人々の事も。 

 

 

・理想だけど至難です。リビアのカダフィ大佐は、核保有をやめたとたんにアメリカに殺されたので、北朝鮮は確信的に核保有に邁進。 

ロシアの核兵器使用の恫喝にアメリカもヨーロッパも及び腰で、核の力が証明されてしまっています。 

それに、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国だけではなくて、インド・パキスタン・イスラエル、更に北朝鮮といった地域紛争の当事者が核保有、又は懸念国ですが、あのイスラエルが保有していて、イスラムの核兵器はパキスタンのみなので、更に広がる懸念がありますね。 

 

 

・人類という括りであれば正しい間違っていない。 

 

ただし国防という意味では持つべきだと思う 

ウクライナは核兵器を放棄した事によってロシアの侵攻を許した。 

ちなみにこの時核兵器放棄の条件としてロシアと不可侵条約を結んでいる。 

しかし当たり前のように破られたから・・。 

 

この先どの道食料、資源エネルギー問題でいずれ戦争しないといけない時は 

必ず来る、日本から仕掛ける事は絶対なくても、攻め込まれる可能性が高い 

ウクライナも核を放棄していなかったらこんな事にはなっていない。 

実際核持ってる時はクリミアなども侵攻される恐れはまったくなかった。 

 

 

・核廃絶は絶対条件というのは正しい 

しかし其の為のプロセスとして日本も核保有の必要性がある 

ロシアや中国が正論を闘わして核廃絶に賛同するわけもなく 

核放棄の実現性はない。 

日本を始め多くの有力な核保有国が誕生した結果 

世界で中露も含め核廃絶に向かおうと 

日本の提言の試みなら実現性はある。 

 

 

・昭和の時代では日本は核根絶を世界へ訴え平和な国として良かったと思います。しかし令和の現状は日本単独でロシア・北・中国を対等に対処出来る防衛力も不足しており国防はアメリカ頼りで何とか守られていたのが現状。しかし今後のアメリカの政治次第では防衛に関して自国で対処する必要が出るかもしれません、万一の可能性に備える為にも核保有する議論は進めておく必要は大いにあります。(防衛のための核保有、先制攻撃では絶対に使用できない憲法で運用する) 

 

 

・いくら核の悲惨さを訴えても保有国の指導者は核を手放さないだろう。悲惨なことは百も承知であり、だからこそ保有しているのだから。 

ただ核を廃絶しようと唱えても、それだけでなくなるものではない。 

どのようにして廃絶するのか、方法を提案すべき。 

提案をしなければ、何十年訴えても、何もしていないのと同じである。 

日本の核配備については、現在の日本周辺国の状況により判断すべきであり、日本が被爆国であることとは全く無関係に判断する必要がある。 

 

 

・なんだか、核兵器廃絶運動の場に変わりつつある。平和宣言と言う名のもとに核兵器廃絶よりも身近な戦争反対を訴えるべきでは。戦争は人の心を貧しくする。罪もない家族や子供達が犠牲になる事は最大の悲しみだと思います 

 

 

・原爆が投下されたところがそれを発信し続けることはあたり前のことだし賛同します。 

周りになにを言われようと 

確固たるメッセージの発信は間違っていない。 

 

いろんな国が今や、やりたい放題でなくなることはないだろう… 

とくに大国は 

それでもきっぱりしたメッセージを発信することには意味があると思う。 

考えかたは人それぞれだ。 

でも投下されたことを甚大な被害を風化させてはいけない。 

 

 

・「核廃絶」なんて、本当に可能なんでしょうか? もし、大国が「核廃絶」をしても、テロ国家やテログループが(隠し)持ったら、それこそ、不安定な世界になるんじゃないですか?  

 

これは「銃」についても、同じことが言えます。悪い奴だけが(不正に)銃を持つ、どうやって身を守ればいいのでしょう?  

 

そうそう、こう言うと、「警察があるじゃないか」と言う人がいるかも知れませんが、世界には「警察」はありません。核テロには、絶好の条件なのです。 

 

 

・日本だけ核兵器廃絶を言っても世界から無くならない以上、日本が再度核攻撃される可能性はある。 

実際、核兵器が無くなったウクライナはロシアは約束を破りウクライナに軍事侵攻されている。 

平和の抑止力として日本は核武装もしくは、それ以上の兵器を持たないと平和なんてただの綺麗事に過ぎない。 

 

 

 

・現実は各国が核抑止力による力の均衡を信じ、国と国、民族と民族の戦争は終わらない。核兵器廃絶は空絵事のように聞こえるが、廃絶を訴えるのをやめたらそこでお仕舞だと思う。今回、アメリカを始め一部の大使が参加しなかったのは残念。ロシア、イスラエルを招待しなかったのは主催者の長崎市の判断だが、各国は政治的な問題にせず共通して少なくとも核兵器による惨禍について共有して欲しかった。 

 

 

・市長は余りにも視野が狭く、政治的に偏りすぎている。 

なぜ紛争国の全てを呼ばないのか?最後の被爆地として、ウクライナもロシアも 

イスラエルもハマスも呼んで、なぜ戦争の愚かさを発信しない? 

政府と外務省の意向もあろうが、そこは被爆地の首長として大きな声を出すべきです。 

そういう努力をすべきでした。 

偏狭な姿勢を貫いたことで、最後の被爆地長崎の声が世界に届かなかったことは 

被爆2世の一人として、極めて残念なことでした。 

 

 

・毎年毎年記念式典をやっているが、今の子は今日が何の日かもわかっていない人が多数いるのには驚く。終戦記念日も知らないし、太平洋戦争も知らないやつもいる。何を小学校で習いに行き、平和学習もしている。こんなの小学校教諭の自己満足でしかない。そこから変える工夫をしないと全てが無駄になってしまうよ。怖い現実が目の前にある。 

 

 

・核兵器を作っている人にとったら、「遠い異国で、自分に全く関係ない、知らない人」が何万人も死んでも良心が痛まないんだろうな。 

それより、普通の工場より放射性物質手当、危険手当が高いから、手を休めるはずがない。 

本気で、核保有国の指導者が一致して、核兵器を無くそうと考えない限り、ただの理想になってしまう。 

 

 

・核兵器は自国を守る為、抑止力として『必要』ってのは解る。その思考は北朝鮮と同じなんだよね……かと言ってウクライナ情勢を見てても戦争抑止力としても必要だと一般論でも解る。 

核兵器は必要だと考えてる人は 違う角度からも少し考えてほしい。。。『世界に核兵器は必要か?』ってのも。……世界に核兵器が必要という答えが出せる者ならば各国が保有すべき、未保有の国には核技術を提供して保有国を増やすべき。ってトチ狂った答えも出せるはずだからな。 

世界に核兵器は必要ないという答えを出せるならば、廃絶を目指しても保有はしないという答えが見えるはず。 

自分中心の考えで保有してきたのが今の核保有国というのも見えてくるはず。 

 

 

・核兵器より強力な兵器かもしくは完全に無害化できる兵器が実戦配備されたら核兵器も廃絶できるかもしれないかな 

最も核兵器がダイナマイト程度の普遍的な爆弾に扱いが格下げされるか、通常兵器による大戦が常態化するかもしれないが、今を生きる人には関係ないから何も考えずに核兵器廃絶を叫べるんだろう 

 

 

・核兵器廃絶は徐々にでは実現は不可能。世界で同時に核兵器の保持を禁止しないといけない。 

しかし現実的に考えてそれは無理。核兵器の廃棄ってのはチキンレースみたいなもの。 

核兵器は軍事に対する抑止力として保持するのが目的なので、核を放棄したとなると頼ってた抑止力が消える。 

国にとってはそれが付け入る隙になる場合があり、それを恐れている。 

 

 

・お金を持っているけど使わないのと、持っていないから使わないのでは、同じ使わないでも大きな違いがあると思う。核もこれと同じような気がする。 

大切なのは使わないことで、お金同様に核が存在する以上はその存在を認めた上での他国との関わり方が必要なのではないでしょうか。 

 

 

・時代は変わった 

核を使用することは許されないが 

自衛、防衛のために核武装は絶対に必要 

でなければ日本みたいな小国、隣国に侵略される可能性は大いにある 

イメージできる。隣国の言い分だって簡単に考えられる。案外侵略したところで世界からの非難だけで終わる可能性も想像できる 

 

 

・米国務省の報道官は8日の記者会見で、「イスラエル大使も招待されることが重要だから大使は欠席の措置を取った」と説明した。前日には大統領報道官が事態を把握していないと言っていたので、各国に不参加を働きかけたのがエマニュエルだという事がはっきりしたのではないか。米国とイスラエルの二重国籍者で、父親がテロ組織イルグンのメンバーだったこの男は、以前から強引さと自己顕示欲の強さで知られていた。日本政府が長崎市長に圧力をかけたのも、エマニュエルの要請だろうが、他国の地方自治にまで介入した訳だ。 

 

 

 

・核廃絶は現状夢物語でしかない 

G7は核廃絶の式典よりもイスラエルのご機嫌を取るほうが大事なのだ 

しかしそれは誰が悪いわけではなく、この世界は弱肉強食の残酷な世界だからなのだ 

しかし人はパンのみに生きるのではなく夢物語を叫ぶ式典も大切であろう 

 

 

・核兵器廃絶は人類が生き残る絶対条件ならば、戦争してるに関わらず核保有国は必ず招待すべきではないのか。いや戦術核使用も囁かれる戦争をしてる国だからこそ招待して戦争やめろと説得すべきなのだ。戦争してる国のどちらにつくかは政治でしかない、平和の祭典に政治を持ち込むべきではない。 

 

 

・1988年、当時の本島等市長が「天皇には戦争責任がある」と言って、テロリストに銃撃され瀕死の重傷を負ったことを思い出した。遡れば、潜伏キリシタンの歴史もある。平和に対する強い思い、長いものにも巻かれないという風土があるのだろう。長崎市民がうらやましい。 

 

 

・まったく市長のおっしゃる通りだと思います。結果的に内外から注目を浴びることになった今回の式典では、例年にも増して市長の崇高な理念を訴えることができたと思います。今後はその理念をどのように実現できるのか、政治家として全世界に示していただくことを期待しています。 

 

 

・核廃絶が望ましいことは多くの人が異議はないだろう。 

ただ問題はそのプロセスで日本が核の脅威に晒されるような事があってはならないと言うことだ。 

 

まずは中国、ロシア、北朝鮮の拡張路線や領土侵攻、武力による威嚇がなくならなければ日本も核の傘から出れない。 

 

 

・核の使用は絶対に禁止で良いと思いますが、代わりになる脅威が無い限り核を廃絶するのは不可能でしょうね。 

 

むしろ、核によって世界のパワーバランスが保たれているのが現状だと思います。 

 

 

・そういう形で核兵器廃絶をしたいなら、実績として核兵器を放棄した国が侵略されず、平和を享受出来ることを示さねばならんのだが、ウクライナが真逆の結果になっている。あそこはソ連時代に配備された核兵器を全て廃棄した。しかし、廃棄ことが原因なのか、そうではなく、もとから侵略するつもりで廃棄させていたのかは不明だが、残念なことに戦禍にある。 

核兵器で殺されなくとも、町が壊され多数の市民が殺されている。 

残念ながらこれをみてしまったら自主的に廃絶を選択する国は無いだろうね。 

悪魔の兵器だと言われようとも、それをなくせば自分も弟妹や子供達も殺されてしまう現実がそこにあるとすれば。 

ウクライナは日本がアメリカの核の傘に守られていることを明確に示した。もちろんアメリカが善だったり常に正しい訳ではない。無差別殺戮は止めなければいけない。 

 

 

・「原爆を作る人々よ」と呼びかけ宣言しながら、そういう国々の代表が出られない式にどれほど意味があるのでしょう。私は、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・パキスタン・インド・北朝鮮・イスラエルという核兵器保有国の代表も出席していただいて、核兵器がいかに恐ろしく悲惨な結果を生むのかを少しでも実感していただいてこそ、平和祈念式典として意義があるように思うのですが。 

 

 

・核兵器の廃絶を訴えるのは素晴らしいことです。ただ、公式に核を所有していない日本で訴えても、効果に乏しいので、公式な核保有国、米・ロ・仏・中・英、その他、インド・パキスタン・北朝鮮、あとはイスラエルと、イラン・シリア・ミャンマーにも飛んで、その国の首都で、核廃絶を訴えてくるべきじゃないの?特に、平壌、北京、モスクワなどで重点的にね! 

 

 

・核兵器があっても、それを使わないよう努めればいいのではないでしょうか? 

 

いざというときのため、己を守る武器は必要です。 

 

世界の恒久平和は理想論であり、現実的にはこの世から争いや戦いが完全になくなることなどないはずです。 

 

人間の世界も自然界と同じです。人間の天敵は主に同じ人間。リスクに備えることは生き延びていくのに欠かせません。 

 

 

 

 
 

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