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政府、核軍縮への影響懸念 G7大使の長崎式典欠席 原爆忌

時事通信 8/9(金) 7:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/48187fd212d0bd5764522ec3481af9ef5f209597

 

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日本政府は、G7の駐日大使らが長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を欠席することに注目しており、核軍縮の取り組みに影響を与えないかが懸念されている。

岸田首相は核兵器国と非核兵器国の橋渡し役を果たす立場で、核なき世界に向けた機運づくりに力を入れている。

政府は長崎市がイスラエルを式典に招待しないことを決めたことで外交問題に発展する可能性を懸念しているが、市の方針に変化はない。

G7の連携が崩れないように意思疎通を強化する考えが示されている。

(要約)

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閣議に臨む岸田文雄首相(中央)=8日、首相官邸 

 

 日本以外の先進7カ国(G7)の駐日大使らが長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を欠席することになり、日本政府は岸田文雄首相が重視する核軍縮の取り組みに悪影響が出ないか状況を注視している。 

 

【写真特集】戦争の記憶~1945年8月、ヒロシマ、ナガサキ 

 

 米英仏という核保有3カ国を含む欧米諸国との間に溝が生じかねず、「核なき世界」に向けた機運づくりに水を差す恐れがあるからだ。 

 

 首相は核兵器国と非核兵器国との「橋渡し役」を担うとの立場。唯一の戦争被爆国として「被爆の実相」を世界に伝えつつ、現実的な手法で働き掛ける方針を繰り返し示してきた。 

 

 与党幹部によると、政府は長崎市がイスラエルを式典に招待しないことを決め、各国大使らが反発していることが分かると、外交問題に発展する事態を懸念。鈴木史朗市長と関係のある現職閣僚や元参院議員を通じて水面下で翻意を促したが、市の方針は変わらなかった。 

 

 林芳正官房長官は8日の記者会見で、「式典は長崎市主催行事だ。各国外交団の出欠についてコメントする立場にない」と述べるにとどめた。首相周辺は「日本政府も招待される側だ」と語り、打つ手には限りがあったと強調している。 

 

 G7の枠組みは日本外交の軸の一つ。ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢、東アジアの安全保障に関してもG7の連携を重視してきた。外務省幹部は「イスラエルを招待しないとなれば、欧米主要国とあつれきが生まれるのは当然だ」と指摘。共同歩調が崩れないよう意思疎通を強化する考えを示した。 

 

 首相は6日、米国のエマニュエル駐日大使らも出席した広島市の式典で「核兵器のない世界への道のりが厳しいものであっても、歩みを止めるわけにはいかない」と表明した。長崎でも核軍縮へ決意を重ねて示すが、大使欠席が影を落としそうだ。  

 

 

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(まとめ) 

欧米諸国や日本政府を含む核保有国の軍縮への意識や行動について、イスラエルを巡る議論や式典における外交的な対応に関する様々な意見がある。

一部の意見では、現実的な国際情勢や政治利用を重視し、他国を招待しない選択を支持する声もある一方で、より包括的な平和の概念や核軍縮への理想を追及すべきだとする意見も見られる。

また、式典や外交においては、政治家や自治体の判断が国内外でどのような反応を招くか、国際関係などの視点も考慮すべきだという指摘もある。

核軍縮の必要性や実現可能性に対する懸念、そして平和を築くための選択や課題についての考察が寄せられている。

( 199900 )  2024/08/09 14:56:15  
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・核保有国を含めた欧米諸国の軍縮への意識など、この程度のもの 

イスラエルをどうしても切れないアメリカが言い出して 

アメリカの機嫌を損ねたくないヨーロッパ諸国が追随したということ 

 

日本政府の本音も同じ 

日本が本当に核の廃絶を目指そうというのなら、水面下で長崎市に翻意させようとするような行動には出ないでしょう 

 

核を持っている国が外交、軍事面で絶対的な優位性を持つという現在の世界情勢が変わらない限り、こういう駆け引きはなくならないですね 

 

 

・自治体が主催する行事に国家が実施すべき政策行為を期待するほうがおかしい。市長の活動家然とした核保有国非難を中心とした現実離れしたスピーチを聞けば、日本政府が世界と共同して核軍縮に望むという協調性が全く読み取れず日本の立ち位置がわからなくなる。政府は広島長崎に任せずに政府が主催する式典を実施するべきでしょう。 

 

 

・長崎市長さん、立派じゃないですか。 

「ジェノサイドを行っていると思われるイスラエルを、平和の祭典に呼びたくない」、子供に聞かれても答えられる、まっとうな理由だと思います。 

そして、逆に招待した広島市長さんも、確固たる信念が見え、スピーチは素晴らしかったです。 

 

招待する、しないが問題ではありません。 

どのような形であれ「核反対」の、平和への強い思いを発信することが、被爆地の首長としての責務だと思います。 

 

アメリカが、ヨーロッパだけが正義なわけではない。 

 

 

・自国で起こった惨事ではないし、毎年の他国の行事という認識なのでしょうね。 

1945年にどのような悲惨なことが広島長崎で起こり、その後何十年にもわたり、被爆者が受けた苦しみがどのようなものであったのか。 

おそらく世界各国は、核兵器に対する日本の曖昧な立ち位置に不満や疑問を持っているのだろうと思います。 

アメリカの核の傘に守られている日本ではありますが、なぜに核兵器は悪であると言い切ることができないのでしょうか? 

このようなダブルスタンダードな立場をとっている限り、広島長崎での平和式典が虚しく感じられてなりません。 

 

 

・残念ながら、現実的に考えて核兵器を無効化する技術が開発されるまで、核廃絶は不可能だと思う。なぜなら、人類が獲得した技術知識として既に世界中に広がっているから。また、例えば世界中で各廃絶を決めても、ある一国がそれを秘匿していれば、その国が世界の軍事面での覇権を握ることになるから。核廃絶の理念は大切だが、核兵器の存在を所与として、我が国も核被害を受けないための現実的方策を考えるべきだと思う。 

 

 

・まず、外務大臣更迭。 

外務省は何をやってるんだって話。潤沢な非公表の機密費を好きに使って、給料ぼって。こんな目に見える式典の根回しも、ろくにできないんじゃ話にならない。外務省が機能不全と言わざるを得ない。こんなほころびから、外交問題になる可能性があるなら、不出来な外務官僚の尻拭いをするのは、当然であり、大臣は辞任という形で責任を取らざるを得ない。それほどの失態だと外務省は感じてもらうしか、改善の本気度を促す方法はない。戦争を回避する方法は外交、根回しが最優先で最後の砦だ。その役割を担う外務省としては、あまりにも、あまりにも、お粗末過ぎると思う。 

 

 

・核軍縮への影響懸念とは、報道する方は大きく大袈裟に伝えた方が金になるかもしれないが、報道のプロならもう少し他の書き方はなかったのだろうかと考えてしまう。単なる煽り記事と読んでしまい、本意が伝わって来ない。 

 

 

・本当に核や戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えたいなら、「来ないでくれ」ではなく、むしろ可能な限り、戦争当事者国も招待して、「この悲惨さを今こそ見てくれ、聞いてくれ。この過ちを二度と繰り返さないために今のうちに、思い留まってくれ」と訴えるべきではないかと思う。もちろん、当事国が参加するかどうかはわからないし、出席したから、変わるとも思えない。何を言っても無駄だから切り捨てる 

というのではなく、聞いれなくても訴え叫び続けていく。忍耐を要するが、それが世界唯一の被爆地となった県、国が果たすべき大切な役割なのではないだろうか? 

 

 

・イスラエルは自衛権の行使だから無差別攻撃でも許される、とする立場に立つ米欧。 

米国の原爆投下も自衛権のための戦争だから問題なかったとする立場。これらが同じ価値観に立つものとすれば、核兵器の使用も大量無差別攻撃も非難されるいわれはないと明言してしまった。もうこういう国々を招待するのは難しくなってしまった。米欧は舵を振り切ったというメッセージ。 

 

 

・この時こそイスラエル大使は呼ぶべき。同時にイラン大使にも招待状を送るべき。同席するかどうかは不透明だけど。 

両国に核戦争の悲惨さを知ってもらうのはとても大切な事です。それこそが日本のできる平和外交、戦争拡大抑止策のはず。イスラエルにもイランにも友好的な日本にしかできない役割で、世界の安定に対するこの役割は世界中で日本にしかできない事です。感情論ではない外交を展開した方が良いとは思いますね。 

 

 

 

・自分も長崎の式典は少し見ましたが、やはり日本に三度目の核の惨禍を起こさせないようにするには、核武装以外に選択肢は無いことを強く思いましたね。 

いくら核廃絶を訴えようと、核保有国にはそんなものは馬の耳に念仏であり、本音で言えば被爆者には何の同情もしていないでしょうね。冷酷に聞こえますが、これが有史以来の人間なんです。そのような世界なので、もし、日本に核兵器を使えばそちらにも同じように核を使うことをアピールすることが、まさに我が国のノーモアヒバクシャへの理想へと導くことを忘れてはならないと思います。いまの日本人や、その子供たちが中露北朝鮮の核兵器に怯えることなく安泰に暮らすためには、相手と同等かそれ以上の核による報復手段を持つこと以外現状では考えられません。何度も申し上げていますが、報復手段を以て相手を抑止することを放棄するというのは、自らの生存権を放棄した自殺志願者と同じです。 

 

 

・核軍縮はわかっていてもできないだろう。 

今の世界情勢からみれば不可能だ。 

G7大使が欠席なのも理解できる。平和と核廃絶だけでは世界は動かない複雑な要素が絡み合って難しい。 

ただ式典は長崎市主体で行うのだから欠席は気にせず粛々と式典を挙行すればよい。 

 

 

・被爆国としての核兵器反対運動の意義は理解するが、現実にはこの運動の世界的広がりは極めて限定的で、むしろ核軍拡の危険性が迫っているのが現状だろう。そもそも核被爆は日本が始めた戦争の結果でもあり被害者感情の強調だけでは世界を説得する動機としては弱いのかもしれない。現にアメリカでは核使用によって更なる戦死者の増加に歯止めがかかったとの肯定説が存在する。確かに原爆投下によって、破滅的な本土決戦が中止されたことも事実であろう。核限定ではなく、広く戦争反対や軍縮活動の展開を日本が先頭に立って進めていく必要がある、これが日本の宿命的な使命であると思う。 

 

 

・核廃絶は美しいスローガンではあるが、今の世界情勢を見て、日本の立ち位置を間違ってはいけない。日本は核をもつ独裁国家に囲まれている危機感が無さすぎる。核で脅してくる周辺国に、話し合いだ、外交だなどと言っても軍事力も核も無い日本が、どれだけ対抗できるのか。頼れるのは核を持つ独裁国家ではないはず。協力しなければいけないのは独裁国家ではない。まるでロシアや中国と仲良くすればいいというような姿勢が、許される世界情勢なのかを、もっと考えなければと思います。 

 

 

・イスラエルを招待しないのは長崎市の政治的スタンスなんだから堂々としていれば良いと思います。同時にイスラエルを招待しないなら自分たちは出席しないというのもその国のスタンス。どちらも政治的な意図でやっていること、どちらの立場を支持するかも人それぞれ。残念なのは長崎市長が「政治的なものではなく、ただ静かに式典を行いたいから」などとイスラエル不招待の理由をごまかしたこと。これは「式典会場の近くで特定の勢力が大騒ぎする可能性があるのでその勢力に静かにしてもらうために迎合します」と言っているのと同じ、波風立てたくないのだろうけど、「テロに屈します」と言うのと変わらない。 

 

 

・欠席後の対応 

 

今年の参加見送りはそれはそれであるメッセージ性はあると思います。来年以降、長崎がどう対応して、各国がどう対応するのか、そのことの方が今後は大事な気がします。来年の広島でどうなるのか、長崎だけが何かあるのか。 

 

広島長崎以降の惨禍を出さないためにも、この式典を続けることは大事だと思います。 

 

 

・核保有国はもともと核軍縮には興味なく、新たな核保有国を作らない姿勢なので日本と一致しない。ロシア、イスラエルは広島、長崎に専門家を派遣して調査済み。悲惨な状態を見て、その効果に自信を持って核推進している。各国の政府に働きかけるより国民に知らせる活動が重要です。広島、長崎の展示をオリンピック開催地で行う。核兵器の犠牲になるのは市民だと知らせる事で政府を動かせる。 

 

 

・核によるマスディストラクションということでは唯一の国だけど 

核関連兵器での被曝となると違う 

今の平和が本当に何によって支えられているのかを日本も考えなくてはいけないのではと思う 

外交でも今回のように意思表示は必要だしそのためにはありとあらゆる力を持っていないと今の平和を維持できないと思う 

 

 

・世界平和を祈念する式典が逆に各国の立場の違いを鮮明にさせて対立を煽ることになってしまうのは残念だ。 

平和祈念であるならばロシア、ウクライナ、イスラエル、パレスチナなどすべて参加させることにこそ意味があるはずだ。 

戦争の当事国の一方のみを平和を否定するものとして排除することが、一定の価値に偏ったプロパガンダと取られることはやむを得ない。 

G7大使の不参加を教訓として学ぶべきだ。 

 

 

・少なくと非核三原則のうち、持ち込ませずは削除が必要。ドイツやイタリア等のNATO諸国の核兵器非保有国は、米国との条約で、有事の際には米国から核兵器が供与される事になっている。日本も抑止力として同じような条約を締結すべき。世の中の状況は時代と共に変化しているので、日本も変化していかないと、他国からの侵略に怯えながらの弱腰外交を展開しないといけなくなる。 

 

 

 

・核軍縮は謂わば理想を求める活動なのだから、本来現下の国際情勢をある程度捨象して成立する物語だと思う。結局、理想主義を刹那的に共有はするが、式典が過ぎれば現実的な国際情勢を考えざるを得ない。良くも悪くも式典はそのような前提で運営されるべきだが、長崎市はやや現実的な国際情勢に踏み込み過ぎた感がある。理想主義という正論を真正面から否定するのは簡単ではないが、現実の国際問題が混入してくれば、その決定は容易にできる。お付き合いで参加していたが、その理由はなくなったと判断された。現実は理想に優越するものだ。 

 

 

・大変残念な事ではありますが、 

今世界の現実に目を向けると核軍縮が非現実的な事は明らか。 

当然私とて核戦争など望むはずも無いですが、 

核が完全無力化されない限りは核軍縮する気など世界各国は無いのでしょう。 

 

ここで日本に二つ選択肢があります。 

・気軽に撃ち込まれないために日本も核を持つ 

・気軽に撃ち込まれる覚悟で核非武装を貫く 

どちらが自国防衛の為に良いのか、難しいところですね。 

 

 

・長崎、広島の記念式典が核軍縮を促す事を目的の一つとしているのは明白なのだが、その上に平和があり、戦争など無くして核を使わずとも良い世界にしようというのがあるのではないか? 

「いやいや、人間社会で多少のイザコザは避けられないのだから、核だけは無くしておこう」という立場なら、「核じゃなければよいのね?」と言って毒ガスやウイルスなどの開発が進むだけなんではないだろうか。 

 

ロシア、ベラルーシに対しても同様なのだが、主催者側から拒否の立場をとるというのは、孤立を促すだけで、むしろ平和というか、話し合いによる戦争回避という向きとは逆行している気がする。 

 

 

・心情的に核軍備強化を望む個人は全世界で少数派だと思いますが、国として考えたら一度手にした圧倒的な兵器は他の国が手放さない限り廃棄は出来ない。 

 

私も個人的には広島・長崎の資料館を見て改めて無くすべき物だと思うが、今もそうですし子供達やその下の代に核兵器持つ国に日本が脅かされるかもしれないと考えるとカウンターパンチいつでも打てますよ!と核武装も選択肢に入るかもしれないと考えてしまう。 

 

 

・これはこれでいいと思いますが難しいですね。 

イスラエルの立場や経緯はいろいろとあるのは理解するとして、イスラエルは核保有国だけど、別に核を使おうとしているわけではない。 

ヒロシマ・ナガサキを核廃絶のアイコンとするのか武力禁止のアイコンとするのかで変わると思う。 

ヒロシマ・ナガサキはあくまで核の反省の歴史を忘れないためのものとして捉えていたほうが良い気もしますが… 

武力行使は当然に良いことではないけど、じゃあ経済封鎖で飢え上がらせるのは許されるのか、情報戦争で特定の国だけ拒絶したり無視するのは許されるのか… 

平和の定義って難しい 

 

 

・暑苦しい猛暑の8月に、同じ内容の式典を二度もやる必要は、時代的にあまりない … 歴史は段々に風化していくのだから … それに合わせて、外国の招待は交互にやって他方開催は縮小してもいいだろう … 広島・長崎で相談する時期に来ていると思う 

 

 

・今や世界は「新冷戦」時代。6ヶ国+EUの出席辞退はアメリカの差し金だろうが、同盟国の悪事には目をつぶってでも絶対に支援するというのが今の厳しい世界情勢の中でのやむを得ない戦略だろう。そうすることで、イランの反撃へのアラブ諸国の同調するのを牽制できる。 

ロシア、イラン、北朝鮮や場合によっては中国とも対抗するために西側も綺麗事は諦めて結束せざるを得ない。 

 

 

・これは違うと思う 

私はイスラエルどころかロシアなども含めて招待すべきと思う。 

戦争の悲惨さを思い起こし二度と同じ過ちを繰り返さない為の平和の式典 

ならば今まさに戦争をしている国こそ招待し目を向けさせるべき。何かを理由に特定の国や人を排除することが何事も争い火種であって、別け隔て無く共有し合えれば戦争なんて起きない。 

招待に応じるかは別の話で平和の式典で門戸を閉じちゃ意味がないと私は思う 

 

 

・核軍縮とは、国際的な対立さえも超えた人類社会の課題。イスラエルが招待たいされないからと言って自国の出席を見送るというのはまさに原爆の日の式典を政治的圧力に利用しようとする思いがさらに重なった。欧米のイスラエルより路線に尻尾を振り続ける日本政府は考え直すべし。翻意を促すなどもってのほか。長崎市長の判断を支持する。 

 

 

・戦争や核の悲惨さを叫び、平和の尊さを訴えるのであれば、全ての国に参加を呼びかけるほうが良いと思います。 

 

戦争の当事国に直接、平和の大切さを訴える機会をみすみす見逃すことはないと思います。 

 

参加するしないはその国の判断ですが、平和を考える機会を設けることは、戦争の悲惨さを体験した人にしかできないことです。 

 

 

 

・広島、長崎の式典に特に被害者遺族皆さんの思いは天に伝わっているといつも感じます。しかし日本国内でのこの式典をG7やら他国に出席をお願いする事自体が政治利用とされてしまってます。これは本来の碑としての目的から外れているのでは?と疑問を感じます何故なら核保有は減ってはいませんし性能は遥かに進んでいます、要は抑止なのです。誰も被爆を望む国などありえませんから恐怖の武器を備えたのです。近年は爆発・破壊ではなく人間だけを標的とするウイルス兵器、ガス等多種に渡って用意されているとか、人類同士の諍いは貧困、財閥の差がある限り悲しいかな終わらないのが現実なのでしょうか。 

 

 

・毎年この日になると、高校の修学旅行で行った長崎原爆資料館で被爆者の方が壮絶な体験談を涙ながらに語って下さったことを思い出します。想像もできないような悲しみの過去の中にあっても、長崎は本当に素敵な街でした。戦争と原爆の犠牲になった方々へ心より哀悼の意をお捧げします。 

 

 

・核兵器廃絶と世界の恒久平和というこの式典開催の趣旨に従った英断である。 

ガザで虐殺を繰り返すイスラエルがこの式典に招かれること自体、式典開催の意味がぼやけてくる。政治的な思惑はともかく、式典の意味を再確認させた今回の長崎市の対応は、核軍縮、世界の恒久平和に向けた発信力を高めたと思う。 

G7との各軍縮への取り組みに影響がでるかもしれないとの懸念。たしかにあるかもしれないが、核軍縮への取り組みは様々。 

この平和式典は政治的力学や国益の損得勘定とは全く異なる。趣旨はシンプルであり政治思惑とは無縁の恒久平和への祈りである。 

 

 

・広島・長崎の追悼式典は、各国大使を招待した時点で、反核兵器の国際的なイベントになっており、ロシア、ベラルーシを招待していない時点で政治的な意思が働いています。 

従って、開催にあたって長崎市長は、政府と十分意思疎通を図って対応する必要があり、単に追悼式典であること、警備上の問題だという理由での不招待としたことは思慮不足です。 

特に警備上の問題をあげるのであれば、テロを恐れて招待しなかったということで、テロの脅威に屈したという印象を海外に与えることになります。 

ただ、今回のG7他国の大使が欠席した件は、核軍縮のG7の連携に影を落とす等々の論調は、はっきり言って余り問題は無いでしょう。 元々、核軍縮は核保有国にとっては、理念追及であって、実効性は求めていないでしょうから。 

 

 

・そもそも本気で核軍縮する気があるのか。 

あるとすれば、そうした国がイスラエルを偏重すること自体おかしなことだろう。 

欧米の偏重に足並みが揃うとか揃わないとかの問題ではないはず。 

日本政府の核軍縮への本気度も問われているのだと思う。 

 

 

・呼ぶ呼ばないは手段であって、主催者は開催目的が達成されることを優先に考えるべき。他にも考慮すべき事項はあるだろうが本筋は外してはいけないと思う。 

長崎市長は厳粛、平穏といった目的を口にするが、1番の目的は戦争を繰り返さないようにすることであるはず。 

当事者を外すことで式典は平穏に進むだろうが、果たして平和はどうか。 

当事者を呼んで、戦争反対を訴える選択肢はなかったか。当事者に訴える貴重な機会を無くしてしまった事が残念。 

 

 

・長崎の式典の参加を見てみるとアメリカやイギリスは建前では核軍縮という立場だけど、本音では核軍縮する気はないことが明確になった感じ 

ロシアや中国などに対しては核軍縮という立場で、イスラエルなどアメリカやイギリスに関係する国には核軍縮ではない立場になる 

 

日本はアメリカと繋がりが強いから、国としてイスラエルに強く言うことはできない 

今回は長崎という原爆を投下された自治体だからニュートラルな立場で、イスラエルを招待しないということができたが、日本政府主催ならアメリカを気にしてそんなことはできなかったと思う 

 

軍縮って立場で見解が変わるもので、自分たちが被害者側になるのか加害者側になるのかで賛成反対も変わってしまう 

 

 

・イスラエルの件は複雑だし色んな意見がある問題です。ウクライナとロシアの問題よりさらに難しいと思います。イスラエルにやっていることは明らかにやりすぎだし良くないと個人的には思うけど、この一連の闘いだけならハマスの先制で始まっているし、長い長い歴史で培われた互いの正義と恨みがある。 

 

欧米諸国はこういうことを外交問題にすることはない理知的な国々と思いますが、国によっては外交問題にしてくることもあったかもしれません。地方自治体が外交に触るのは危険です。長崎市の主催だから好きにすれば良いんですが、危うい決定になるから国とも少し話して決めたほうが良い案件かなとは思いました。 

 

世界情勢も国同士の関係がいろいろあり、特に昨今は簡単ではなくなっています。今回出席しなかった国が平和を軽視しているように言うのも違うと思います。 

 

 

・核軍縮には影響無いと思います。 

北韓が手放す訳無いし、核兵器保有国 

がどれだけ国際関係で有利な立場に 

立てるか、日本政府が知ってるはず。 

核廃絶は、それを超える兵器や戦法が 

出現した時です。 

世界中どこの国家元首も本気で核廃絶が 

出来るとは思ってないのでは? 

 

 

・被爆地長崎市の平和式典だ。政府が介入することは筋違いだし、ましてG7の大使がイスラエル大使への招待が無かったことに対する抗議も甚だしいお角違いだと思う。平和や核廃絶を願う立場からすれば、ガザ地区民間人への大量虐殺の疑いで訴えられているイスラエルを招待しないのは当然といえる。 

長崎市も日本政府も日本の立場を毅然と押し通すことの方が大事だ。 

 

 

 

・結局のところ警備上の問題であるのならばイスラエルとパレスチナの双方を招待しなければ良いだけの話。 

そもそも本当に警備上の問題ならばパレスチナに対するリスクも大きい。ハマスの指導者がイランで暗殺されるなどパレスチナに対する脅威は明確に存在する。しかしながらイスラエルのみを招待しなかったので警備上の問題は建前に過ぎないのではないかという疑念が生じた。 

その結果が今回の事態を招いた。長崎市長は真意を明確にするべきだ。本当に警備上の問題なのか正直に話すべきだ。 

長崎市長の対応により日本がパレスチナ支持だという誤解を世界に広げている。日本は本来中東問題に中立だ。早速パレスチナ大使が政治利用していることからも誤解が世界中に広まっていくだろう。 

長崎市長の対応は外交問題を招く結果となった。パレスチナ支持の者が多い日本国内とイスラム圏などでは大評判となっているが欧米からは白い目で見られる有り様。 

 

 

・もう大使迄招待する大々的な慰霊祭・記念式典はやめて、広島市民、長崎市民の祈りレベルくらいにした方が良い。いつまでも被爆国だと声を大にして言っていると連合国(国連)の敵国条項のまま、米国属国のまま、日本は独立・主体性のない国だと思われてしまう。太平洋戦争のことは心に秘めても外向けには清算済みの外交態度を持った方が良いと思う。外向けに風化させることこそ未来の日本を作っていける。 

 

 

・核軍縮というが、何れにしても核の増減があっても無くなることはない。なら、この式典の意味あいも含めてイスラエルを呼ばないという選択肢はどうだったのだろう。人間関係において、無視をされたりハネにされると人間って余計に意固地になる。そんなことをするより、日本は当事国ではないのだからそれらを諫める役割をすべきではないのだろうか。市長の気持ちも分からないではないが、もう少し大人の対応をした方が良かったのではないだろうか。 

 

 

・長崎市長は視野が狭い。今起きてることより、これから起きるかもしれない事により更なる過ちが起こされるかもしれない間違った未来を見せることの方がこの式典の意味がある。排他的な物事の考えを示したところで何の解決にもならい。現実を直視しないもの後の考え方を日本はすべきでは無い。過去に大きな過ちを犯した政府として、また、唯一の核被害国として核を保有するG7に警鐘を鳴らすべきだと思う。こんなたかが一介の市の代表程度の人間に大事な決定をさせるべきでは無い。 

 

 

・この様な式典に招待されたからされないからで出席する、しないと言うものなんですか?政治を持ち込んでいるのはどちらでしょう?靖國神社参拝ではないけど、一個人といて出席することも出来ると思います。亡くなられた方々は悲しいでしょう。これからは本当に哀悼の意を表したい方々のみで行う事を望みます。 

 

 

・式典が 

無事開催されるのであれば 

それをたゆまず 

繰り返すことで表現するしかないと思います。 

 

世界情勢は緊迫の色を変えることなく 

紛争地域の拡大と期間の延長が見え隠れします。 

 

そういった情勢も見れば 

ここで核軍縮への影響懸念…と表現しなくても 

 

それを政治と政策で実行している国々は 

それらを国民が支持している事も背景にあるから 

 

過度に反応するのは 

マスゴミくらいにしていてほしいし、 

 

そういう目線で 

式典が取り上げられる必要もないと思います。 

 

 

・自分たちの頭上に落とされれば変わる可能性が無きにしも非ず(それでもあまり高そうには思えないが)だが、今の核保有国には核を廃絶する意思なんて端からなく、これまでも儀礼的に参加してきただけのこと。今回の件で、”いざとなれば、何でもやる、自己の利益にかなうなら虐殺・民族浄化もいとわない、仲間内でそれをするものは支援するが、本来の仲間外には絶対に同等の権利は許さない、日本は仲間外”という、彼らの本音が明らかになっただけでも長崎市の判断は意義があったと思う。 

 

 

・結局は日本などその程度の重要性しか無いという意思が明確になった。利用価値は経済的な面だけだったという事が。 

この先、経済劣化していくに比例して扱いが目に見えてぞんざいになる。国際的な存在感をどうやって取り戻すのか。政治家においては和を以て、、、は一旦置いといて、アメリカに忖度せず、空気は読まず、濁さず、簡潔に、強く主張していかないとストレートな列強相手には到底渡り合っていけない。本来、世界各国、日本のかの強靭な、潜在的な力は脅威だったはずだ。今こそ、そろそろアメリカに抜かれた牙を再生しなければ、本体が解体されてしまう。 

 

 

・そもそもロシア、中国、その他北朝鮮等の核保有国への核軍縮のビジョンすら持てないで核軍縮を叫んでも何も変わらない。 

西側諸国だけで核軍縮が進められる訳が無く結局は核軍縮は机上の空論。現実は逆に今中国が核兵器の増産をしてる事とか日本ではほぼニュースにもならないんですよね。 

 

 

・多くの人命が奪われた国同士の思惑や政治的な駆け引きで起こった悲惨な戦争が2度と起きない様にと開催されている式典に国としての思惑や駆け引きを持ち込ませないで欲しい。 

 

 

 

・長崎や広島は、被爆地としての立場をあくまで堅持した姿勢を貫けばいい。 

 

ただ、イスラエルを招待しない理由を明確にしなければならない。会場に不穏な空気ができるとか曖昧な長崎市長のコメントは説得力がない。 

 

核兵器を持つ可能性がある直接的な紛争当事国に、被爆地としての姿勢を貫くでいいではないか。 

 

この件で、曖昧な日本政府とは立場が違うことは、何ら問題ない。むしろ、核保有国に、その放棄とともに、核を背景にし紛争を起こすことに、強いメッセージを出すいい機会だ。 

 

ここで、怯んでは被爆地の市長は失格です。 

 

 

・戦争を繰り広げ、多数の死者を出す国に出席する資格はない。 

 

広島は、招待したことに驚いたけれど、公に批判を浴びせた。 

長崎は平和を祈念する式典に参加すらさせない。 

どちらも正しいと思う。 

 

国益を考えることは大切だけど、他国や日本の政府も、平和を願うのならば、イスラエルを理由に不参加や、外交懸念など考える必要はない。 

 

原爆祈念式典は政治とは離すべきだし、ただ原爆は三度あってはならないことと認識する一日になって欲しい。 

 

核保有国や、アメリカの原爆投下支持派の意見や行動が変わることはない。 

それでも、広島と長崎を筆頭に、平和と核廃絶を諦めないで欲しいと思う。 

世界に2か所しかない、原爆の資料館を見て欲しい。 

 

 

・話し合いで解決をする平和モデルを是としておきながら自分が悪と定義するものを受け入れることができないってどうなの? 

もうそれでは話し合いがそもそも成立しませんよね。 

自分で唱えて自分で拒絶するという致命的な矛盾。 

武力を否定して平和を唱える連中が信用できないのはこれに尽きる。 

話し合いでの解決は相手を受け入れて肯定する余地がないと文字通り話にならない。 

そして戦争における話し合いとは、自分が最も嫌悪するような相手と握手やハグをするようなものである。 

善悪で物事を決めて勧善懲悪を是とする潔癖症な体質では到底実現できない。 

猫が好きだけど猫アレルギーみたいなものです。 

悪を許す事ができないなら話し合いはもうやる前から破綻している。 

これではいざという時に自分の正義で癇癪起こされて決めることも決められず、なし崩し的に備えも備わらないまま戦争になる有様が目に見えている。 

結局武力は必要になる。 

 

 

・政府が水面下では動いたかも知れないが、最終的には長崎市の意思を尊重したのはよかったと思います。日本はアジアの一員であり敗戦国です。ユダヤに対して何の負い目もなく、戦後のスキームに参画してもいない。その立場から、いれば、そもそもイスラエルをあの場所に作った行為こそが力による現状の変更そのものだった。そして今現在イスラエルが行っていることは無差別な一般市民の殺戮に近い。その意味で長崎市は筋を通し米英G6が圧力をかけても政府は翻らなかった。評価すべき事だと思います。広島市も知事の挨拶はイスラエルをもろに批判する内容だった。それはそれで評価できたと思います。 

 

 

・核を持たない世界は現代では通用しない。他の国が持っていたら持つしか無い。相手は拳銃で刀では太刀打ちできないでしょう。 

核の取り扱いについての合意を明確にしていく事が今重要だと思います。 

 

 

・一地方自治体の首長が、こういう、外交問題を引き起こしかねない行動をとるのは、私はダメだと思いますね。 

 

外交・防衛については、国全体の利益に関わることですから、特定の地方自治体の有権者による付託しか受けていない方が、勝手なことをしてはいけない。 

 

 

・今後原爆で亡くなった方の慰霊の式典には、政治的な理由から拒絶するのではなく、是非核兵器を持つすべての国の大使(代表者)を呼んでほしい。 

ロシアも中国もイスラエルもパレスチナも、北朝鮮すらも。 

 

そして彼らに核兵器の怖さ、残虐さをしっかりと伝えてほしい! 

それがなくなった原爆犠牲者の方々に対するせめてもの我々の責務と考えます。 

 

 

・日本が唯一の被爆国としてその記録を後世に残す事は必要かと思います。 

 

が、だから皆さん核を無くしましょう、我々も持ちませんは、残念ながら世界には通用しないのが現実です。 

現実は現実として受け入れる必要はあります。 

だってそれが現実だから。 

 

寧ろ核保有国は、広島市、長崎で起きた事を見ながら改めて核保有の重要性を再認識してるとも思える。 

 

政治の世界に情は通用しない。 

 

日本もどうすれば日本国民を最も安全に出来るかを情抜きで考えるべきなんです。 

 

 

・長崎市主催行事なら、国の政治は考えず、日本にある大使館にはすべて招待すればいいのにと思う、来る来ないかは相手が考えること。 

その国が日本に大使を置いているのだから、それを何かの基準で選ぶのは間違っていると思う。 

核について平和的に考えるなら、どんな判断基準で平和について差別することができるのだろうかと思う。 

 

 

・現在、戦争や紛争に関わっている国や地域があり、参加で混乱をきたすことが懸念されるにしても、それらの国に被曝の実相を伝えることは、被曝国としては重要なことではないでしょうか。 

 

 

 

・核軍縮なんて進んで無いでしょ。これが現実だと思いますよ。ロシアが核をちらつかせてウクライナ侵攻を続けてる現実、それを制止出来ない国際社会を見れば、核の脅威が機能してるとしか言えないですよ。訴える事と慰霊する事しか出来ない日本の現状を受け入れるしかない。 

 

 

・でもさぁ…日本が核保有していれば北朝鮮が弾道ミサイルを発射する事も無かったと思うし拉致問題も早期解決出来たのでは?と個人的は思う…抑止力って大切だなって思ったのがやはりウクライナを見てだよね…はっきり言ってウクライナは核を手放したからこそロシアが攻めて来た訳だからあるのとないのとでは違うと思います 

 

 

・武力による現状変更を「したい」国が一定数ある現状、「したくない」国側は少なくとも拮抗するかそれ以上の武力を持つ必要があります。 

究極的には「したいが無理」だと思わせて武力放棄させるか、政権をひっくり返すしか無いのですが、現実には北朝鮮の様に「無理だと思ってない」フリするだけでも優位に立てる事が判明しちゃっているので難しいですね。 

 

 

・長崎市長が一部の偏屈な声に耳を傾け過ぎたのか、失政でしょう。この式典の目的は国際社会に仲間はずれの国を作り出すことではないはず。 

イスラエルもロシアも招待して原爆の惨さを伝え、全世界の核兵器保有国を巻き込んで核兵器の縮小廃絶に向けて国際社会をリードしていくことが、原爆で亡くなられた方々への鎮魂になるのではないでしょうか。 

 

 

・>核軍縮への影響懸念 

 

影響はありません。そもそも核軍縮の空気はありません。 

ロシアがウクライナに攻め込み、核使用も辞さないと言っている。そんな世界情勢で核廃絶する国なんて無い。 

どちらかと言えば、攻め込まれる可能性を減らすために今からでも核を手に入れて配備しようとする国の方が大くて当然でしょう。 

 

 

・国際司法裁判所は、今年、イスラエルの攻撃に対して、自衛権を認めず「ジェノサイド」相当という判断を下しました。 

 

一方、西側欧米諸国は、正当防衛だという立場。 

 

つまり日本への原爆投下も、根底では侵略国日本に対する正義の鉄拳だ、という立場を変えていないと露呈されたということです。 

 

どうしても埋められない溝があるということが分かりました。 

 

オーサーは、長崎市民の心を傷つけたと言いますが、そうではなく、やはり、、です。 

 

 

アンケートによると、長崎、広島の中高生のおよそ6割は、核は無くならないと考えています。 

 

 

・イスラエルの攻撃は人道を逸しているのは分かるが、ではウクライナはどうだろう?敵に対しドローンでボコボコにし、何万人ものロシア兵を殺している。そもそもハマスが人質取り仕掛けて来た事。それに対し殲滅を目標にガザ侵攻に踏み切ったが、ハマスは一般人に紛れ、病院や学校の地下に拠点を構築している。日本人ならお話会いして平和に解決だろう。しかし過去PLO との和平でお話し会いも和平もやって見て裏切られると知った。ロシアは確かに招くべきでは無い。だがイスラエルは事情が違う。自治体判断でジャッチしてはいけない事だった。 

 

 

・平和祈念や核軍縮なんて欧米にとってはポーズでしかないし、式典も形式的な外交の場でしかない。だから形式だけは拘るんだろうけど。 

欧米のユダヤ人優遇は日本人にとっては一般的な価値観ではない。人種差別とか人種優遇とか面倒な事を押し付けようとしないでほしい。 

何にしても民主主義国の地方自治体の話なので、これ以上騒ぐのはおかしな話です。 

 

 

・むしろ、長崎市は、戦争当事者にも招待して平和を訴える方が良かった。 

心を開いて、全てを巻き込む心の広さを示すべきだった。 

イスラエルを招待しないことの結果が地球平和への訴えにどれだけ役に立つのか、結果論ではあるが、その希求の願いに逆行しているという結果になっている。 

 

 

・プロテスタント福音派クリスチャンです。 

イスラエルはパレスチナをテロから平和にしているのであって正しい戦争をしています。アメリカもテロ後に中東を平和にしました。平和を築く為の正しい良い戦争はあります。 

 

 

 

・イランの賓客であったハマスのトップが殺害され、その報復が懸念されている状況の中、いかなる会合でもイスラエルの人間と同席するのは極めて危険だと言わざるを得ない。 

長崎市長はよく賢明な判断をされたと思う。 

G7側の欺瞞をぶち壊す格好の標的になりえる場であったのでオリンピックでフワフワしてる最中でもあるから最良の決断だろう。 

 

 

・鈴木市長には敬意を捧げるが、イスラエルの蛮行についての非難を、この機会に強く発信すべきだ。欧米各国はユダヤマネーで動かされており、彼らの圧力に屈してはいけない。政府は核保有国と非保有国の橋渡しなどとか言ってるのは全くの詭弁、正論で行くべきだ、米英国などと大きく対立しも、世界に核兵器根絶と平和を訴え、世界に発信すべきだと思う。それが世界における日本の地位、格を上げることにも繋がるだろう。 

 

 

・どこの国を呼ぶ呼ばないなんて長崎市側の判断なので好きにすればいい。あくまで主催元の勝手の話だ。 

もちろん行く行かないもそれぞれの国の勝手であり、どう判断してもその国の自由だろう。 

 

そしてこの件に関して日本政府がどうこういうのはお門違いに過ぎる。政府がコメント出したり介入したりなんかすればそれは地方自治の否定につながる。 

 

 

・戦争をしているからイスラエルを招待しない 

戦争、紛争をしている国こそ逆に招待すべきではないのか 

核開発・核爆弾、国際政治の取引材料の一つとして扱われている現状を考慮すれば戦争当事国も招待し、応じる応じないは相手国の判断に任せニュートラルの立ち位置の方がより平和の願いをアピールできるのでは 

平和を呼びかけたが、ノーを突き付けられたの立ち位置 

核シェア、韓国でもドイツでも議論されていることを考えると、日本もあれはあれ、それはそれと割り切る状況なのかも 

 

 

・核軍縮云々はもはや机上の空論なのでどうでもいいけど、長崎市長の独断でイスラエル不招待を決めたのがそもそもおかしいんですよ。 

 

イスラエルとパレスチナ、絶対にイスラエルが悪いとなぜ言えますか? 

 

スターリンだって在任中は大粛清など世間に知られていなかったし、ヒトラーは民主的な選挙で選ばれたんですよ。でも後年の評価は「平和に対する大罪人」ですよね。 

 

正義か悪かは、個人の価値観であり、また後年の人たちが判断することであって、いま見えている限定された事象だけでイスラエルを招待しなかったのは、「平和」とは程遠い思想です。 

 

 

・今回の「招待しない決断」は、抑止力としての核を放棄する考えの無い人達からすれば招待状を政治カード化したという認識を抱いただけに終わってしまった気がする。 

 

私は広島の人間だけれども、核の根絶は事実上不可能だと思う。 今の核保有国が皆で一斉に無くしても、ミサイルや飛行機に搭載せずとも、どんな小さな国であっても材料さえあれば使いたい所の近くで製造して自爆テロさえすれば用は足りる。 

それを報復としての核使用まで取り上げてしまったら収拾のつかない事になるだろう。少なくとも核保有国にしたら報復の手段を手放す事は自国からとは考えないだろう。 

 

広島・長崎の役割は、この地で起きた悲劇を世界に伝え核の使用の代償の大きさを世に広める事。まずそれが「核の使用の抑止力」となるだろう。 核の使用は代償が伴うと思えば躊躇する。その間に次の手を考えれば良い。 

 

こちらから核の恐怖を広める事を止めるのは悪手ではないか? 

 

 

・こないで!ではなく、むしろ来てもらって平和の大切さを感じてもらいたい。 

政府も長崎に翻意ではなく、G7の国々に翻意してもらう動きは取れなかったのか。日本政府も原爆に対してその程度という認識が良くわかりますね。 

核兵器をなくすという理想を掲げ続けないと、亡くなった方々に合わせる顔がないと思えない国になり下がったのでしょうね。 

平和の祭典に招待しないという行動も、何とか出てもらおうとしない行動も違和感を覚えます。誰のための何なのか今一度考えて頂きたい。 

 

 

・核廃絶は不可能。 

対立する勢力がある以上、相手が核兵器を持つまま、核を手放す事など出来ない。 

ウクライナが実例。 

(ウクライナは米露+独仏の要請に応じ核兵器全廃。条件は4国が安全保障責任を持つ事。だが核破棄数年後にロシアクリミア併合~全面軍事侵攻で戦争突入) 

 

G7が重要なのは米英仏が核保有国であり、国連安保理常任理事国な事。 

国連が機能不全の今、日本の国際影響力はG7が頼みの綱。 

彼等が同調してくれないと、日本主張など世界で一顧だにされない。 

(外交は交渉+経済力軍事力の両輪。軍事力が欠ける日本、影響力は殆どない) 

核削減や縮小も同様、中露が受け入れる可能性は皆無。 

(中国は核弾頭核原潜増産。中露は核ミサイル最新化、露北は核先制使用明言) 

米英仏主導で実現する他は無い。 

その彼等が最も嫌う事がロシアイスラエルの同一視。 

日本政府が焦るのも当然、現実否定しても事態は変わらない。 

 

 

・もうこれ以上当てにならない 政治家や権力者など役に立たないから 招待などやめた方がいい。外国要人なども同様。パレスチナやウクラウナの問題も解決できないような者どもを当てにするのはやめよう。招待は天皇陛下だけでいい。後は長崎の人たちと全国の一般の自主的参列者と マスコミと。これくらいでないと 本当に心のこもった慰霊祭にならない。体裁を整えるだけならやめた方がいい。 

 

 

・世界平和が「お互いの事、お互いの立場を真っ先に考える」事を第一義に取り上げるものなら、 

水をさす…と云うのは、 

もともと核保有国に絡む、式典に消極的だった者、 

行くきのない人間の口実に結びつけた、つまり「国の渡りに船」の宣伝ではないのか?と感じられてくるのは私だけではない筈。 

今、戦争を仕掛けている侵攻国は、長崎に関係なく、エゴが目的であり、 

そもそも核許容を一丁目一番地とする国であり、今あるエゴ戦争と直接結びつけるには保有国の保身の責任転嫁の言にしか見えない。 

 

 

 

・米国もロシアも核兵器は減らしています。一時期米国は1万発、ロシアは1万2千発の核を持っていましたが現在は半減しています。しかしこれは別に不必要になったから、と言う訳でなく、核1発の抑止力がよくわかって来たから軍事費削減の中で老朽化した兵器を廃棄したからです。簡単に言えば100発だろうが1万発だろうが、核兵器保有国とは戦えない、と言う事です。 

 

なので絶対に0にすることは有り得ません。0と1では大違いです。 

米国が初めて原爆を日本に落とし、その威力を目の当たりにした世界の首脳は「戦争の後の世界を支配するのは核兵器保有国だ。」と悟ったのです。 

その5つの国が米英ロ中仏の常任理事国です。そして現在でもこの5つの国だけが国連安保理の拒否権を持っている。核廃棄に賛同しているのは非保有国だけなので余り意味はないね。 

 

 

・色々と言われてるみたいですけど、この式典はあくまでも地方自治体の行事であって、国の行事ではないです。なので、米英仏が外交問題にするなんてあり得ないし、マスコミもあまり騒ぎ過ぎない方がいいですよ。政府にしてみれば、不快感はあるでしょうけど、心配はしていないと思いますよ。 

 

 

・長崎が欧米に追随しない意見を発出したことに意味があると考える派。 

中身のいい悪いは別として。 

欧州やイスラエルはともかくアメリカは、沖縄や厚木基地・横須賀を 

はじめとする国内の米軍基地を軍事戦略上切り離すわけにいかないか 

らこうやって異を唱えられても本質的に反発出来ないはず。 

むしろ、日本はこうした関係性をもっと切り札的に利用していれば良 

かった。本来そうした駆け引きが出来る関係性こそ健全な関係なので 

はないか。アメリカ様が守ってやっているというのではなく。 

 

 

・式典への出欠に関わらず、核保有国を含む各国は核軍縮に非常に消極的だ。そもそも口々にコメントを残すが腹の中は同じ。近い将来、間違いなく後悔することになるだろう。核戦争はいつか起きる。もはや、誰も止められない。 

 

 

・中国が核弾頭保有量を増やし、北朝鮮が核配備を誇らしげに宣言し、ロシアが核を恫喝に使っている 

イデオロギーが異なる東側が核軍縮と逆行をしているなか、西側だけが核軍縮したら、抑止力に問題がでて地域の平和に深刻な影響が懸念される 

東側にどうやって核軍縮させるかが大事 

 

 

・平和を祈る式典だから長崎市は金だけ出して市民主催でやればいいのでは? そこには政治家や各政党や労働組合なども招待しないこと。各自が個人として参加すればいい。 

とにかく政治色を出さないことに尽きる。 

 

 

・今回の長崎の決定は今後の日本の行方にも関わる事でもっと真剣に捉えたほうが良いと思う 

イスラエルではなくパレスチナを招いた。という事は日本はテロリスト側に回った!と他国から捕らえられてもしょうがない 

て事になる事はいい加減平和ボケし過ぎてる外務省も多くの識者と言われる人も一般の日本人も理解したほうが良い 

 

 

・今年の広島と長崎の式典には正直がっかりさせられました 

普通の罪なき一般人が、ある日突然得体のしれない核爆弾とやらで一瞬にして命を残虐に奪われたことに対して、心静かに祈り、追悼するべき式典であるはず 

それを行政が勝手に政治色を加え、軍縮だの核なき世界だのと言い始めてしまった 

参加者も勝手に絞り、あの国は良いけどこっちはダメとか 

取り巻く活動家も大騒ぎするし 

政治とはかけ離れた一般の方々の慰霊ではないのか 

なんの目的でやっているのかと聞きたい 

世界に向けて、日本の舌足らずで浅はかで自分勝手な有り様を発信してしまったと感じます 

 

 

・長崎市の主催のイベントです。普通に考えば、都合がつかないとか以外の理由でイベントの招待者から出席を断られたら、主催者側の失態ではないでしょうか。 

断られる可能性があるなら、招待しては駄目と思います。 

 

 

・式典は本来遺族と国民が鎮魂と祈念を行うために開かれるもの。単なるパフォーマンスとセレモニーではない。主要国に招待状を出すのも二度と悲惨な戦争を起こさないよう平和の構築に努力してもらいたいとの趣旨。他国を侵略したり他民族を虐殺するような国を招待しないのは至極当然のこと。政府は影響を心配する前に被爆国としてやるべきことがあるだろう。 

 

 

 

 
 

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