( 200041 )  2024/08/09 17:10:36  
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「そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいい」 超ド級の「問題発言」を発した女性アスリートの本心

デイリー新潮 8/9(金) 6:20 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/1325917fb4253c8f99f2892db27125a492da3975

 

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1990年代に日本の水泳界をリードし、2度のオリンピック出場を果たした千葉すずさんが、メダルにこだわりすぎることに対して直言し、バッシングを受けた。

しかし、現在の日本のアスリートは自分の気持ちを堂々と表現し、配慮されたコメントをしている。

過去の千葉さんのように批判を受けるアスリートもいたが、今はメダルを獲れないことを責める声は少なくなっている。

一方で、感動ストーリーから逸脱した者には依然として厳しい目が向けられている。

マスコミの力は衰えたが、SNSなどを通じて匿名の人々がアスリートに直接意見を述べることができるようになり、アスリートたちはより多くのスキルを習得する必要があるかもしれない。

(要約)

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1990年代、日本水泳界を牽引し2度の五輪に出場した千葉すずさん。メダルに執着しすぎることにストレートに異を唱えバッシングを受けた。二十数年経ったいまメディアや視聴者はどう変わっただろうか――(※画像は「千葉すず 公式ホームページ」より) 

 

 パリ五輪に限ったことではなく、近年、日本人アスリートの「コメント力」の高さには目を見張るものがある。社会人経験がそう長くない、あるいはまったくないにもかかわらず、彼らは実に堂々と自分の気持ちを口にする。そのコメントは応援してくれる人、スポンサーその他関係者が決して嫌な気持ちにならぬように十分に配慮されている。 

 

【写真を見る】「千葉すずさん」発言が大炎上した20歳の頃の“凛々しすぎる競泳着姿” アイドル的人気を誇っていた千葉さんも、現在は4児の母に 

 

 本心では同じ質問を繰り返したり、妙に番組に寄せた言葉を誘導しようとしたりするメディアにイライラすることもあるのだろう。 

 

 実際に、そんな本音を口にしたアスリートも過去、いなかったわけではない。 

 

 有名なのは、競泳の女子日本代表だった千葉すずさんの言葉だ。1996年、「ニュースステーション」(テレビ朝日系)に出演した彼女は、アトランタ五輪に関するインタビューで、日本人がメダルに執着しすぎることをストレートに批判して物議を醸した。放送禁止的な表現が含まれていたこともさることながら、ある意味で真理を突いていただけに、世の反発は大きかった。まだSNSが存在していない時代だったので、マスコミが主戦場となって彼女への批判が盛り上がりまくった。今で言う「大炎上」である。 

 

 戦後のさまざまな問題発言を振り返った一冊『問題発言』(今村守之著)は、この発言についてこう評している。 

 

「千葉の気持ちもわからないではない。普段はさしたる関心ももたないくせに、こういうときだけ躍起になる。しかも期待に応えられなかったら、一気に叩く。また『スポーツ選手は爽やか(でなければならない)』などという勝手なイメージの押しつけも、千葉にとっては鬱陶しかったのではないか。この発言は、それを拭い去るには十分な役割を果たしたと思われるからだ。 

 

 そういうイメージを強調し固定化したのは明らかにマスコミである」 

 

「号泣」が注目された柔道の阿部詩選手は、会見でSNSのコメントについて触れて、「温かい言葉が人としてはうれしいかなと思いました」と語った 

 

 放送前の段階で、彼女の競技はすべて終わっていた。放送禁止用語の部分だけが有名になっているが、同番組で彼女は他にも刺激的な言葉を口にしている。個人は決勝進出がかなわず、団体での4位がベストという成績。メダルへの期待もあっただけに、期待外れという評価もあったようだ。 

 

「実際やってみて下さい、皆さん」 

 

「そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいいんですよ」 

 

 あまりに強い言葉だったため、彼女は強い批判にさらされることとなる。 

 

 

1945年の終戦から東日本大震災の2011年までのさまざまな分野の著名人による85の「発言」を収録 『問題発言』今村守之/著 

 

 数少ない擁護派は人気コラムニストのナンシー関さんだった。彼女は雑誌「ナンバー」誌上で次のように述べている。 

 

「千葉すず、嫌われてるらしいではないか。どう転んだって好かれるのがオリンピック選手である。思い返してみてほしいが、かつて嫌われたオリンピック選手がいたか(中略)。 

 

 ちょっとやそっとの事は美談に変換される。オリンピックはそれほどの浄化作用を有しているのだ。絶対正義だから。そんな中、千葉すずは叩かれている。よっぽどの事である。(中略) 

 

 千葉すずが受け入れられなかった理由は、視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が勝手につくった『感動をありがとう』に着地するはずの物語に乗ってくれなかったからである。感動という快楽を享受というより貪(むさぼ)るためにつくった物語に、千葉すずは収まってくれなかったのだ。(中略) 

 

 要するに『私のステキなアトランタ物語を邪魔するなんて許せない。せっかくキモチよかったのに、キーッ』ということである。(注・千葉すずは)そんなチンケな物語に乗ってやる必要などこれっぽちも無い」 

 

 メディアや視聴者の勝手な予定調和的「感動ストーリー」に協力なんかしなくていい、とナンシーさんはいうのだ。四半世紀も前のコラムながら、その指摘は今でもそのまま通じるものだろう。 

 

 千葉さん自身は当時の騒動をどう捉えていたのか。騒動から5年後、発表した著書『すず』(生島淳氏との共著/写真・藤田孝夫)には、彼女の本心が語られている。 

 

「いまでも、同じことを言う。間違いない。メダルを獲るのは、私なんです。期待するのも楽しむのも結構。でも、その期待を、私に求めて、それで結果が悪い時にいろいろ言うのは、やめて欲しいし、筋違いです。そんなにメダル欲しいなら、自分でやったらええねん。自分でやってみたらええ、っていうのは、ひょっとして、あなたには出来ないから、黙ってなさい、というように受け取られてるのかもしれないけど、それは違う。 

 

 メダル、メダルいうんやったら、自分で泳いで獲ればいい。どんなにつらいか大変か、分かるから。泳げるものなら、泳いでみい、ということ」 

 

 アトランタ五輪の直後には、メダル獲得がかなわなかったことから、「オリンピックを楽しみたい」という大会前のコメントまで蒸し返され、批判の対象となっていた。これについては次のように語っている。 

 

「楽しみたいっていうのはですね、水泳の合宿というのをご覧になれば分かると思うんですが、本当に辛いものなんです。私が何もしないで速いと思ったら大間違いです。練習するから、速いんです。オリンピックとなったら、限界まで追い込まないといけないし、もし合宿とかが楽しくなかったら、それはそれは辛いことになるんです」 

 

 千葉さんの問題提起の効果もあっただろうか、今日ではメダルを獲れないことを責めるような論調はほとんど見られなくなってきた。一方でナンシーさんが指摘した、「感動をありがとう」ストーリーから逸脱した者への目は依然として厳しい。 

 

 

 マスコミの力は明らかに衰えたが、匿名の人たちが過剰なまでに選手の言動に厳しい目を向け、思うままに注文を出せるようになった。その声はSNSやニュースのコメント欄などを通して選手に直接ぶつけられている。「号泣」が注目された柔道の阿部詩選手は、会見でSNSのコメントについて触れて、「温かい言葉が人としてはうれしいかなと思いました」と語った。 

 

 千葉さんの頃よりもさらにアスリートたちが習得すべきスキルが増えてしまっているのかもしれない。 

 

デイリー新潮編集部 

 

新潮社 

 

 

( 200043 )  2024/08/09 17:10:36  
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(まとめ) 

選手たちがメダル獲得のために取り組む努力や厳しい競技環境、その中でのプレッシャーについて指摘がなされています。

オリンピックやスポーツ競技の中での勝ち負けや活躍に対する国民やマスメディアの期待や批判、選手への心情についてさまざまな意見が寄せられています。

社会全体が選手を支え、勇気づける姿勢やメダル獲得以上に選手の努力やスポーツマンシップを評価する考え方についても共感が示されています。

また、選手の本質的な意味や努力に焦点を当てることが大切であるとの意見が多く見られました。

( 200045 )  2024/08/09 17:10:36  
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・選手一人一人誰だってメダルを取る為にこの4年間の間に練習を積み重ねて来たんだが世界の壁は高く厚いその中でメダルを取る事は言葉では言い尽くせない程厳しい況してや背中に日の丸を背負っているのだから多くのアスリートとの中から選ばれて行くのだから 

そこだけでも凄い事 メダルを取れた 

選手 自分の力を発揮出来ぬままメダルに届かなかった選手もいる 帰国した選手にはお疲れ様でした。の言葉だけでいいのではないでしょうか 

 

 

・自分が関わったことがあるスポーツであればあるほど、代表になる事自体がどれだけ凄いことか理解できる。ましてやメダルなんて異次元の事だということも。 

 

でもスポーツに全く関わりのない人にとっては、テレビでやってるプロスポーツと何ら変わらないのですよね。一般の人にとってはオリンピックもエンタメの一つに過ぎないから、ヤイヤイ言われてしまうのです。それはTV放映権に支えられているオリンピックの宿命かもしれません。加えて以前は決して表に出る事のなかった一般大衆の心のつぶやきが大量にSNSに溢れる様になってしまいましたからね。 

難しい時代になりました。 

 

 

・千葉すずさんのコメントをリアルタイムで見てました。 

本当にそうだなと思って聞いてました。 

私は当時まだ学生でしたがマスコミの煽り方が気持ち悪いなって思っておりました。 

とにかくメダル、メダルですからね。 

あと、とくに女性アスリートで少し容姿が目立つ人ばかりとりあげたり。 

それは今も同じで、アスリート見ていると言うよりマスコミがアスリートをタレント化させようと必死になっている感じ。 

スポーツそのものの素晴らしさは勝つため(己に勝つも含めて)にその努力を継続している姿であり、試合ではお互いが全力を出し会う姿ではないかと思う。 

 

 

・オリンピック出場が公的な使命なのか、それとも私的な選択なのか、その認識のギャップに起因する問題でしょうね。 

 

私も子供の頃は、オリンピック選手は国の威信をかけた代表として「がんばれ日本!」と応援していました。しかし、成長するにつれて気づいたのは、選手たちは国のためというよりも、むしろ自分自身の生活やキャリアのために競技に臨んでいるという現実です。これはプロスポーツでも同じことが言えるでしょう。 

 

そのことに気づいてからは、以前のように期待したり応援したりする気持ちが薄れてしまいました。結局、他人の仕事の成功に過度に期待しても、自分に直接的な利益があるわけではないのです。それならば、オリンピックも世界選手権も「そんな大会が開催されているんだな」という程度の認識で十分ではないでしょうか。過度な期待や失望を避けるためにも、もう少し距離を置いて見るのが賢明かもしれません。 

 

 

・その通りです。 

あと、中継権を勝ち取った放送局がその競技の日本代表を実力以上に持ち上げて視聴者に過度な期待させるのが問題だと思っとります。 

難しいのかもしれないけど、日本代表の世界での位置を正確に伝えて、それに見合った、若しくはそれ以上の成績を残せたなら拍手喝采するのが良いと思います。 

日本がもっと大人になったら、成績ではなくて、オリンピアンの努力とスポーツマンシップに拍手を贈れるようになるでしょうけど。まだ暫くは無理ですね。 

 

 

・昔、某会社に勤務していた頃、難易度高目な国家資格に社命を受けて取得に励んだ経験がある。遊びたい若者時代だったけど、仕事が終わった後も眠い目を擦りながら、休日や盆正月もかなりの時間を犠牲にして試験勉強に励んだ。それでも簡単に合格出来るものではないから、不合格の度に役員から罵声を浴びせられたりした。そんなに言うなら自分で取れよ!と思ったりもした。結局3回目の挑戦で合格したけど、給与にも大して反映されない、何のために頑張ったのか?と問われれば、よく分からない。残ったものは、少しだけ人に自慢できるという僅かな自己満足だけ。 

 

 

・当時千葉すずさんの言葉を聞いて、まったく 

そのとおりと思っていました。 

3位になれば「おめでとう。汗と涙の銅メダル」 

4位になれば「メダル逃す。〇〇選手号泣」 

となってしまうのはおかしいし、選手も 

「メダル(あるいは金メダル)取れずに 

すいません。」などと言わなければ納得が 

得られないのもどうかと思う。 

日本を代表して言っているとか、税金使って 

行ったのにとか参加する費用しか出してもらって 

おらず、普段の練習にかかる時間と労力から 

すれば常人にはできない努力だと思う。 

 

 

・勝てば官軍、負ければ賊軍みたいなSNSの論評や誹謗中傷は辟易する。この本音の意見は全く間違ってない。どれだけ選手たちは日の丸背負って代表として世界で闘い、その中で世界のレベルに追い越せばメダル獲得がなんぼのオリンピック。参加できることに意義が大きいオリンピック、メダル獲得ありきの考え方は違うきがする。堂々と日本の代表選手としてメダル獲得より清き正しく正々堂々と闘って欲しい。それでいいじゃないか!? 

 

 

・自分も小学生の頃からオリンピックでメダルを獲ることを目標にしてきた人生なので、千葉選手の気持ちは分かります。4年ごとにあるオリンピックではやっぱり日本人選手の金メダルを期待して見ています。しかし金メダルが取れなくても、メダルが取れなくても、決勝に残れなくても。日本代表に選ばれ出場しているだけでもとんでもないことです。学業で言えば東京大学の理Ⅲに合格するより難しいでしょう。ですからオリンピックに出場している日本人選手すべてを尊敬しています。金メダルの人も予選敗退の人も素晴らしいです。 

 

 

・メダルに固執するのはその競技団体がお金が欲しいから。だけど世界中から、努力を重ねてオリンピックにたどり着いたアスリートばかり。その差は大きくないことがほとんど。しかも4年に一度というプレッシャーの中では、実力を出せても簡単には勝てないと想像する。取れないから選手を叩くのは本当におかしいと当時も思った。勝手に盛り上がってるのはマスコミ自身。千葉氏は当時からさまざまな問題提起をしてきた。それで変わってきたこともある。今のアスリートももっと発信して良いと思う。みんなが発言すれば、少しずつでも変わる。 

 

 

 

・当時千葉すずが言った言葉を聞いて、若いのに凄いなと思った。また共感した。しかしマスコミは批判の嵐である。なぜそうなるか、マスコミは自分達が期待した選手がその通りの結果を出さないと、叩く。また競技以外の部分も自分達がえがいたストーリーから逸脱した行動、言動をする者を批判する。はずれてもマスコミが面白いと思ったら、新たなストーリーを作りだす。選手に寄り添う気持ちがない。自分達は社会を代表しているという思い上りがある。最近SNSなどによって、マスコミと違う意見が世間に浸透し、自分達の売り上げがへり、焦りだしている。SNSは弊害も多いが、良い点もある。 

 

 

・「国民」と主語を大きくして、皆がメダルを望むように取り扱うのも違うのかな、と思います。 

私はオリンピックが開催されなくても別に構わないし、やりたい人だけ集まって勝手に競えばいいと思う。 

 

これを国民的イベントのように演出すれば、メディアやスポンサーに利があるから、人為的にそう見せてるだけでしょう。 

 

選手が考えている以上に、「どうでもいい」と思ってる人は結構いると思いますよ。 

 

 

・あの当時、私は社会人になったばかりの頃だったか、若かったし、千葉さんの言っていることは何も間違っていないし、選手なら皆思っていることだろうと感じていたので、批判が渦巻いた時は驚きましたね。 

若い人たちは、千葉さんと同じ考えだよ!と思っていたけど、当時は個人の考えを発表する場もありませんでしたからね。 

 

それにしても、ナンシー関さんのコメントは痛快だなあ。 

私はこの人の発言が好きで、週刊誌なんかで見るたびに、ほんと胸がすく思いをしてました。 

生きておられたら、今でも大活躍していたはず。 

アトランタオリンピックから28年も経ってるのか。 

このSNS全盛時代に、ナンシー関さんなら、なんて言うかな。 

 

 

・オリンピックってスポーツの祭典で、周りも本来はただの観客。 

観客もマスコミも応援する立場なのに、国を代表してるからと、出場する選手に対してやたらといろんなものを背負わせてしまう。 

一番大事なのはアスリートが全力を出せる環境を仕組み的に作ることで、彼らが何を思おうがそこは寛容であって欲しいと思いますけどね。 

 

 

・オリンピックはこれだけ注目されて、莫大な金が動いているのに、選手には還元されていないですよね。 

育成でも、ほとんど保護者の自腹だし、地域の後援がなければ続けられない場合もある。 

メダルを取っても、最近は一時金が出るようになったが、本来なら年金を支給すべきじゃないかな、と思います。 

観る側やマスコミがストーリーを作って、感動を盛り上げるから、期待した結果が得られなければ勝手に裏切られたと思う。 

そう思うなら、もっと選手の生活や育成環境に配慮して欲しいですね。 

 

 

・ある冬季オリンピックの選手が金メダルを獲得した時に、子どもの頃のエピソードや映像が流れてきたときに、5~6才頃だったと思うが映像の中でオリンピックで一番になることと言われていました。メダル・メダルと思っているのは一番は、選手や回りをサポートする指導陣、親ではないのかしら。 

その選手も子どもの頃から努力して金メダルを獲得できた。 

 

 

・最近アスリートのコメントで気になるのが、「見ている人々に夢と感動を与える」ですね。感動や夢は人から与えられるんじゃなくて見ている側から自ずと湧き上がるものちゃうかなと。周囲の過度な圧に近い期待を感じ取ってコメントしてしまうのかもしれませんが、もう少し気楽にいって欲しいな。 

千葉さんは現役当時にわりとはっきりものを言う人だったので、反感を買ってしまったのかなとは思いました。 

選手たちは自分の体力、知力、技術を尽くしたうえで、五輪独自の雰囲気や運も楽しんで欲しいなと願いますね。 

 

 

・他人に競り勝つということにやはり意味はある。それはそれを目標に努力を重ねてきたからだ。だからそれはその人にとっての価値でしかない。対してメダルを取ってほしい、勝ってほしい、は他人がその人に託す想いというもの。それももちろん戦う人には力にはなる。だが、託す想いとは託される人をなじったり批判したりするものではないだろう。どこまでいっても自分にできないことをできる可能性のある人に任せるという構図は変わらない。それはどんなことでもそうだと思う。仕事でも任せる以上は期待して待つ。期待した結果が得られなかったら労って反省して、また一緒に次を目指す。それだけだと思うんだが。 

 

 

・プレイヤーとしてやっていた競技や長年のファンならもっとできたとかパフォーマンスが悪かったと言えるのでしょうが、オリンピック競技においてはそこまで詳しくない人まで残念だの言うのは如何なものか。 

参加することに意義がある。 

それを忘れてはいけないと思う。 

参加した時点で日本を背負って行ってくれている。 

それだけで感謝。サッカーなどもそうだが、本戦に出られない協議もある。 

たくさんの選手がオリンピックで出ることができることは誇らしいことです。 

競技を終えた方々にはお疲れさま。楽しい時間をありがとうございました。と伝えるだけで良いと思います。 

敗者の弁を聞きがる人多いですよね。 

 

 

・普通に考えて世界一になるって凄いことで、その瞬間世界でたった一人ですから。才能と努力と運が3つ揃わないと絶対に無理。私は、作り物ではない真剣な選手たちの人生をかけたパフォーマンスが観ることができるからオリンピックが好き。金メダルが取れなくても代表権を勝ち取りオリンピックに出場したことが素晴らしいことだと思います。 

 

 

 

・戦争を繰り返していたような時代からしたら戦争ではなくスポーツで国同士が戦って勝ち負けを決めるというのは平和的でもあり人が本来持っている闘争心も満たされるので国の代表に国民が過大な期待をしてしまうとこがあると思う。 

昔はそのプレッシャーが辛くて自死した人もいると聞く。 

 

でもこの千葉すずさんあたりから選手は国のためではなく自分のために戦えばいい、って風潮になっていったと思います。 

自分が苦しい練習をして頂点に立つために頑張ってきたのだからそれでいいと思う。 

 

 

・何日か後の楽しみにしていた旅行に体調をあわせるだけでも簡単じゃない。 

4年に一度しかもその選考過程にも様々な山があり、極限状態で戦っている人に向けられる過度な期待と期待に応えられなかった時の落とし方が異常だと感じていました。 

負けて謝る必要なんてない。戦い抜いた皆さんお疲れ様でした。 

日本を代表していることは事実だが、こっちは勝手に楽しませてもらっているだけです。 

関係ないけど、こういう話題でいつも思うのは、日本代表にここまで熱くなる国民が多いってことは、またまだ日本愛を高めるチャンスは眠っている。何とか千鶴子みたいに代表選手がエゴイストに見えてくるとかいう狂った思考のやつはほっといて、日本人が日本に誇りを持てる社会を作ってほしい。 

 

 

・水泳経験者です。千葉すず選手は、もっとも尊敬できる水泳選手の一人です。1991年の世界選手権の400m自由型で銅メダルを取ったことが本当に衝撃的で、アメリカのジャネットエバンス選手に対抗できる日本人がいるんだってことが本当にびっくりしました。 

 

個人的に思うことですが、結果ありきではなくてスポーツの中身を楽しめる人ってあまりいないのかな?と感じています。勝敗に一喜一憂しながら応援するのも良いことだと思うのですが、常人ではできないプレーの内容を楽しめる人が増えたら、メダル、メダルっていう人は少なくなるのでは?と感じます。 

 

 

・昔、俺は水泳をやっていました。過去のオリンピックの名場面で岩崎さんの金メダル獲得は凄い嬉しかったし、北島さんの金メダルも興奮して声が出ました。千葉さんや長崎さんが取れなかった時は、純粋に悔しかったですよ。それは、勝手に俺が思い込んでいたのもありますが、敵ではなかったですよ。チーム日本水泳応援団でしたから。だから旦那さんが銀メダル獲った時も嬉しかったですよ。今幸せならいいですよね。 

 

 

・メダルの目指すのは国民ではなくアスリートで、その活躍に国民は自分をオーバーラップさせて歓喜する、それがオリンピックの図式でしょう。千葉さんのコメントはストレートであり間違っていないし、今ではSNSですがなぜマスコミやリスナーに叩かれるのか分かりませんでした。昔の選手は悔いはありません、とか美談のようなコメントをしてましたが、今では悔しいですと率直な気持ちを表現するようになりました。過酷な練習と大変なプレッシャーと向き合ってきた選手の気持ちも知らずにインタビューするマスコミやファンにグッと堪えまくるよりは感情露わにする方が人間らしいと思います 

 

 

・選手にメダルを取る事を期待するのは悪くないとは思います。選手には大きなプレッシャーですよね。ただ、メダルを取れなかったとしても選手に労いや感謝を言うのは当然だし、試合中のミスや実力を十分に発揮できなかったとしても批判してはいけない。批判や苦言を言う人には私も「じゃあ、あなたが出れば?」と思います。どんな結果でも良く頑張りましたねとありがとうの気持ちしかない。 

 

 

・スポーツって自分だけでは完結しない。 

 

スポーツって無くても死なないんだよね。 

 

プロフェッショナルって金を生み出す事を求められるわけで、競技人口を増やす為に魅せなきゃならない。 

金を出す支援者が、お金を払って見に来てくれるファンが、発信してくれるメディアがいないとスポーツって成り立たないから。 

 

誰もお金を出していない状況であれば、そこには純粋な応援という声だけが届くというのが現実だと思います。 

 

 

・このインタビューをリアルタイムで見ていたけど、本当にそう思った。 

個人的には痛快だった記憶がある。 

当時の記者もくどかったしメダルを取れなかった事を責め立てるような雰囲気が強かった記憶がある。多分、移動費用とか色々なものが国のお金や各協会の負担だったために、聴く側もどこか横柄になっていたのか。今も、各局がメダルの数を色別に日々集計しニュースにしているけど、それを全面に出す必要はないと思うけどな。 

 

 

・個人的には、みんな好きで負けてるわけでもなく、それぞれが自分の目標のために勝とうとしてるんだし、頑張らずに負けた人なんかいないんだから、試合の結果はどうあれ「お疲れ様」でいいと思う。 

 

日本代表として、日本を背負って立つ部分もあるけど、個人的には日本人として世界に恥を晒すような真似さえしてくれなければいいと思う。 

正々堂々と戦った結果、負けてもそれは勝負の世界だし。どれだけ強くても一瞬の隙を突かれて負けることもある。 

それで負けても日本人を叩くのではなく勝者を賞賛するようになってほしい。 

負けた方だって勝ちたくてやってるし、負けたくてやってるわけじゃない。 

 

 

・自分も水泳をスイミングで習い選手コースで練習し一様頑張りました。メダル確かにわかる。ただ自分が欲しくて選ばれ、泳いでいたと思う。国なんか背負う必要は、ない。各選手が自分の為に頑張ればいい。特に日本のスポーツは、(アマチュア)食べていけない。その様な国なのだから全ては、自分の為でいいし、国民は応援すると思うよ。 

 

 

 

・もちろん選手の中にも実力差があってそもそもメダル獲得が難しい選手もいるだろうけど 

メダルをとるために必死で努力してメダルに見合う実力が自分にはあると信じて挑んだ選手がメダルを逃してしまったとして、 

「頑張ってダメなら仕方ない、メダルとれてなくも頑張ったよお疲れ様」と言われて嬉しいか?とは思うんだよね 

煽るような言葉は当然ダメだけど変に気遣いした労いの言葉も時にグサっとくると思う、目標に届かず悔しい思いを選手はしばらくそっとしておいてあげればいい 

 

 

・大の巨人ファンだった亡き祖父が、良くテレビの前で観戦していたことを思い出しました。エラーやミスはもちろん、点を取られると大騒ぎ。なにやってんだ!、もう交代だ交代!なんて叫んでました。 

私はそこまで興味がなかったのですが、家族で応援して熱くなれるこの時間はとても好きでした。 

今問題になっている選手への誹謗中傷はきっと、このあくまでお茶の間だけでの内容をネットに流してしまうことに原因があるのだと思います。応援して熱くなること自体は決して悪いことではないからです。 

 

負けても良いんです、その頑張りが金メダルなんですから、なんてスタンスで貴重な時間を使って応援する人はまずいないと思います。 

とことん熱くなってハラハラドキドキして、泣いて笑うくらい心を揺さぶられなければ感動も生まれません。 

ただ、それを公やネットで公開する必要は無いですよね、ということだと思います。 

 

 

・よく選手が勝った後に周りに感謝というように、実際、家族や会社や国にサポートを受け、お金をふんだんに出してもらいやっていられるのがスポーツなのでは? 

だってオリンピックにでてほしいなんて誰も頼んでいないし、好きで始めたんだろうし、勉学も仕事もせずに好きなことに毎日没頭できるって幸せなことじゃないのかな。 

そもそもスポーツやってたら、今までの人生たくさんの旨味を受けて来たでしょうし。本来なら手の届かない大学、就職もできちゃうわけだし。 

とにかく応援する人がいなきゃ、成り立たないのがスポーツだから、周りを蔑ろにするのは全然違うと思う。普通の人は毎日面白くもない仕事をして楽しくもない勉学に励んでいる人が殆ど。4年に一度くらい、日常を忘れてスポーツ一喜一憂して観戦したっていいと思うけど、それすらだめなら、スポーツ選手のいる意味がなくなっちゃうのでは? 

 

 

・息子がサッカーをやってた時、年末の蹴り納めで代表が毎回仰ってた。 

「親は上手くいかなかったことばかり言わずに良かったプレイを褒めてください。口だけなら誰でも言えるんです。観てるだけだとああすればいい、こうすればいいと簡単に言ってしまいがちですがお子さんたちがどんなに難しいことをやっているか、是非やってみてください」 

自分自身は元々あまり言う方ではなかったものの、子育て全般において親としての心得になりました。 

 

 

・期待や応援や報道なども含めて、何でも「やり過ぎ」は良くないと思う。 

しかし、「自分で泳げばいい」というのも「やり過ぎ」な発言だ。 

 

「やり過ぎ」を「やり過ぎ」で潰そうというのは不毛な争いしか生まないだろう。 

 

近年は「やり過ぎ」な差別を「やり過ぎ」なポリコレで潰そうとして、不毛な争いになっているケースが増えているように思う。 

 

パリ五輪はそれが全面的に表れている。 

 

バランス感覚を大事にして、異なる価値観同士でも協調して生きていけるような社会になったらいいと思う。 

 

 

・勝っても負けてもオリンピックに出場するだけで立派です。あんなに身体をボロボロにしても最後まで戦い続けてきた日本を誇るオリンピアン!私たちは最後までしっかり応援して帰ってくる選手にお疲れ様、ありがとうと感謝を伝えたいです。私は勝っても負けてもこの感動と勇気を忘れない。あと数日で終わります。胸を張って帰ってきて下さい!!頑張れ日本!! 

 

 

・当時、千葉さんはメダルを期待されアイドル的人気だったから重圧に苦しんだ。あまりにマスコミがメダルのことばかり言うから、いい加減にして欲しいと抗議した。その結果、世論からもバッシングされてしまう。しかし、本音で抗議したことにより、やがてアスリートの気持ちが尊重される時代になっていく。彼女の抗議は正しかったのだろう 

 

そもそも、日本のスポーツ会は、努力や忍耐、結果を求めすぎてきた。そして悲劇もあった。古くは、東京オリンピックのマラソンで3位に入賞し、一躍日本のヒーロー扱いされた円谷幸吉が、さらなる期待による重圧らに苦しみ、3年後に「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残し27歳で自殺。当時の日本の社会に大きな衝撃を与えた。こういう悲劇もあったことを忘れてはならない 

 

 

・私を含めて、頂点どころか人生の勝ち組にすら入れないものが、応援できる、勝利に浸れる、悔しい思いをできる。 

選手達にはありがとうといいたい。 

血税がという人が多いが、スポーツに対する投資である。投資は成功もあり失敗もある。 

将来の優秀な人材を増やすためでもある。 

批判に明け暮れている人が多いと、成り手が少なくなり、血税を無駄にするかも知れない。 

 

 

・大会に出場すると言う事は現状、国内で最高のコンディションを金揃えた選手。 

それでも世界の壁を目の当たりにして崩れる選手もいると思う。自分はある武道で日本武道館へ7回行って全て良い成績が取れませんでした。会場の雰囲気に完全に飲み込まられてしまうんです。自分と比べるのも失礼なのですが、その場になると練習した事が出せないんです。大会に出る事が不安で憂鬱でした。 

オリンピック、世界大会、世界の舞台に向かって前進する事がどれだけプレッシャーかきっと味わった人にしか分からないでしょう、 

勿論自分には到底無理です。何を言いたいか分からなくなってしまいましたが、。 

とにかくオリンピック選手全てが想像も出来ないくらい凄いんです。楽しむなんて事が言える人は考えられないんです。素晴らしいのです。こんな事を思いながら、競技後の選手同士の握手を見るとお互い解放されたんだ、頑張ったねと違う視点で感動します。 

 

 

・この発言以降、オリンピックを楽しむと言った方向に進み、特に水泳はアフロヘアのカツラを付けて登場する選手もいたりして本当に楽しんでいた 

 

しかし、冬季のキングオブスキー選手が、 

アフロカツラと、競技を楽しむ意味の違いを語っていたインタビューを聞いて、本当の競技の楽しみ方を理解した選手もいたのでは無いだろうかと思う 

 

何れにしても、選手ファーストの流れを作った功績は大きい 

 

 

 

・選手が国民の期待に沿う必要はないが、国民が選手に期待するのも自由。国民の期待が有るから大会が盛り上がるし、選手も応援によってモチベーションが上がるのも事実。双方にとって良い連鎖反応が起こる事が望ましいが、応援するファンも選手との間に適度な距離を取るべきだし、選手も国民やファンの期待に沿う必要はないとは言いながらも、自己ベストは尽くして欲しい。 

ベストを尽くした結果がメダルに繋がるのが理想だが、そうはならないところに競技の難しさが有る事をマスコミは国民に対して、知らしめる必要が有る。 

 

 

・日本が強い競技も移り変わります。 

だから水泳でメダルが減っても仕方ないのでは? 

それでも日本のメダルは少ない方ではないはず。 

今回現地で体調崩した人も多かったかも知れません。 

選手の人の頑張りが褪せることもありません。 

 

メダル取れなくても堂々と帰ってくればいいです。 

本人が悔しいなら4年後にまた頑張るんだから。 

 

 

・確かにそうですよね。全世界の競技人口のたった3人しかメダルは獲れないのですから。 

言われすぎるのは確かにプレッシャーすごくてそれはよくないなと思うけど、選手も競技させてもらってる感謝の気持ちは忘れないで欲しいなと思う。 

ただ、全力を尽くしてプレーしてる姿にはこちらも本当に勇気と元気と励みをもらえます。 

ありがとう。 

 

 

・千葉氏の言う通り。 

私はテレビを持ってないし、だからほとんど見ないが、市民マラソンを走って完走メダルをもらう。 

当たり前のことだが、自分にとっては、会ったこともない他人の金メダルよりも価値がある。 

市民マラソンでもらった完走メダルのことで、走らない人からうるさくされたら、『自分で走ってみたら』と思うだろう。口に出すほどのことでもないが。そもそも見せびらかさなければ、とやかく言われることはない。 

でもマラソン大会を支えてくれている人たちはリスペクトしたい。 

 

 

・4年に一度、世界中から 

それぞれの種目の得意な人達が集まり 

その中でパフォーマンスを競う 

それこそ世界中が注目する舞台で 

そんな人達に囲まれる 

その状況を楽しんで欲しい 

そんな選手たちが観たい 

 

その裏では様々な大人の事情があるのも知ってる 

自分の叶わなかった夢を選手に託す人も 

いるだろう、単にルックスに惹かれて 

ファンになった人もいるだろう、そしたら 

例え結果がでなくても、それごと応援すれば 

良いんじゃない? 

 

 

・千葉さんとは数年前縁があって水泳指導を受けた。 

障がい者の水泳指導を頼んだら、快く受けて頂いた。 

オリンピアンとか全く関係なく、水泳が好きで、教えるのが好きな楽しい人だった。 

指導は厳しく、駄目なものは駄目とハッキリ言われ、褒めるときは心から褒めておられた。 

普段のトレーニングでは見れない緊張感があった。 

自閉で知的障害のある子の指導に困っていてお願いしたら、快く受けてもらった。 

一言二言話されたら、すっかりすずさんに打ち解け、それからは褒められて泳ぎも楽しそうに頑張っていた。 

あとで聞いたら、「特別なことはしていない、本人がしたいようにさせて、良いところを褒めていただけ」といわれたが、泳ぐときのオーラはすごく指導の真剣さもあり、皆さんに良く伝わったと感じた。 

本当に気さくで、なんでも答えてもらい楽しく為になる時間を過ごさせてもらった。 

 

 

・応援した結果、メダルに届かなくても、惜しかったなーとか残念だったなーくらいは感想としてアリだと思う。 

それは子供の野球を応援する親でも同じような感想を持つのだから。 

 

しかし、そこに努力が足らないとか浮かれすぎとか、なんの根拠もない素人批判を本人に投げつけるのは違うと思う。 

オリンピックはプロスポーツではないのだから。 

プロスポーツなら、ある程度の批判は仕方ないし、それがないと強くもならないとは思います。 

けど、オリンピックにそれを持ち込むのは見る側の分別がないことの証明でしかないと思われます。 

 

 

・マスコミの煽り方に問題があると思います。 

自分はサッカーが好きなので、男子の代表が金メダルを取るなんてよっぽどのことがない限り無理だというのは分かっています。 

しかしテレビ等ではいかにも決勝まで戦えるかのように取り上げることに違和感を覚えます。 

逆に柔道などはさほど興味がありません。 

ですので今回の阿部詩選手は世界一の選手なのだと思っていました。 

しかし実際は阿部選手と対戦した選手が世界ランク一位だと言うこと。 

視聴率を上げたいからなのかはわかりませんが、もっと正確に情報を伝えてもらえればなと思いました。 

 

 

・かつて松本人志さんが「よくスポーツ選手が国民の為に頑張ったとか言うが、本当に試合中に国民の事を考えていたのか?」という内容を本で拝見した事がある。まさにその通りだと思う。感情移入して応援するのは悪くないが、感情が入りすぎると結果が芳しく無かった時に批判に繋がる。国民は一歩引いた目線で応援するのが良いのではないか。 

 

 

・実際、メダル煽りしてるのはテレビ、スポーツ紙などのメディア。時にはムダなプレッシャーをかけて選手の足を引っ張ってきた。 

古い話だが、鈴木大地、小谷実可子はプレー直前までメディアに付きまとわれて、普通に取れるメダルを危うくされた。妨害を乗り越えて、期待通りにメダル獲得できたのは彼等の超人的な精神力の賜物。 

 

 

 

・千葉さんの言うことはもっともですし凄く理解できます。 

我々が応援しなければいけないのはあくまで選手でありメダル獲得ではないはず。 

オリンピックを楽しみ全力を出しその結果がメダルであり、それを讃え賞賛するのが本来の姿のはず 

 

とはいえメダルメダル!という他力本願の大多数の期待・願い・想いを全部背負ってそれを力に変える器の大きさを持ってる選手がやはり強いのかなと 

 

 

・選手個人は一人、一方それを見てなんだかんだと言うのは何百万、何千万人。その中には、それはそれは「あれな人」がたくさんいるでしょう。その人達に、誹謗中傷、批判を控えるように呼び掛けたところで、効果なんてない。何せ「あれな人」なのだから。選手は、過度に反応しないことが大事でしょう。そもそもスポーツは、団体戦であっても自分との孤独な闘い。それに対戦相手、登場人物はこれで十分。声援も批判もすべては、登場人物以外が勝手にやっているだけのこと。中にはタレント性豊かな選手がいて大勢から好かれるでしょうが、皆がそうでなければならないことはない。 

 

 

・『参加することに意味がある』 

という言葉こそ、マスコミや我々が意識すべきことだと改めて思います。 

 

私もそうですが、素人でも戦術とか選手選考にいろいろ言いたい、 

それはスポーツの楽しみの一つだと思います。 

 

一方で、誰かが言ってたけれど、人格否定のような悪口などは 

仮に言ったとしても内輪だけにすべきだし、SNSで公にするなんてむしろ恥ずかしいと 

私なんかは思いますが、その辺の区別ができない人が増えている、 

同様にきちんとした批判なのに、人格否定と曲解してしまう人も増えているのも悲しいですね。 

 

 

・どんな仕事でも、結果が出なければ相応の批判があるのは当然の事。弱小競技ならまだしも、日本の競泳は戦前からずっと世界ではトップクラス。メダルが基準になるのは、大それた事では無い。 

 

そもそも、仕事というのは、お客さんが、そのほとんどの場合によって、「自分では出来ない事」を、お金を払って、「専門家・熟練者」に成し得てもらうもの。自分では家が建てられないから大工さんに頼み、自分ではお寿司が作れないから板前さんに頼む。かといって、欠陥住宅だったり食中毒が起きたからといって、唯々諾々と受け入れる必然性など無いもの。 

 

千葉すずさんが、全能・万能人間なら謝りますが、本来、「自分が出来ない」事を、対価を払い他人がする事により、この世は回っている。おそらく、彼女自身も。私は、タイトルにあるような発言は、いつの時代でも、30年経った現代においても、嘲笑・冷笑する他ない、笑止千万にしか値しない発言だと思う。 

 

 

・確かにメディアも中継するインタビューとか含めてメダルメダルうるさいし、時には相手選手に対して失礼なだなって思うこともあるなと思う。 

よく使われる、まさかの、悪夢のとかもそう。 

この千葉すずのコメントは言い方はきついけど全くその通りだよなと今見ても思う。 

確かに注目されたり、期待されるのはあるけど。結果だけで手のひら返しのようなことを言われるのも違うと思う。 

 

 

・日本国民と五輪の選手の関係が変化していった。昔の日本では、五輪の日本人選手は出征兵士のようなものだった。お国のために戦うのが務め。アジアにはそういう感じが多少残っている国がある。その対極には、選手は完全に自分のために戦うという考え方がある。マラソンの円谷の頃は前者。マラソンの中山はそういうのに多少反抗した。記事にあるような90年代終わり頃にも転機があり、選手は自分のパフォーマンスに対するメディアなど他者の評価を拒絶するようなところがあった。最近は選手の談話に「皆様のおかげ」という発想がよく見られるようになったが、時代に逆行しているんじゃないか。ところで団体競技の日本代表(特に人気競技)だと国の代表という性格が強まり、出来が悪いと国民から叩かれる。これらは戦争の代用品という面がある。 

 

 

・オリンピック競技の中にはサッカーやバスケのように一つの産業とし成り立っているものもあれば、応援してくれる人、お金を出してくれる人、国からの支援がないと成り立たないものもあると思います。である以上、自分が主役で外野は黙っていろというのは少し乱暴ではないかと。 

 

過剰にメダルの有無で騒ぎ立てるマスコミは気持ち悪いですが、千葉さんの発言も配慮が足りないと思います。 

 

確かに皆あなたのようには泳げません。だけど違う分野で同じように努力して、重圧にさらされながら結果を追い求めている人は沢山います。 

 

 

・多くの国民は、どの選手に対してメダルの獲得を願っています。出来れば取ってほしいと思うのは当たり前です。それが応援という形で表れているのです。 

世界各国も同じでしょう 

しかし、メダルが取れなかったとしても、多くの国民は、批難はしません 

メダルを獲得できる可能性のある選手には期待大でしょう 

 

選手がオリンピック出場する事は、相当な努力をしたくさんの事を失い、犠牲を払ってきている事も理解しています。 

 

メダルが取れなかった選手に対して、批判する人は一部の方ではないでしょうかと思います。精神年齢の低い大人ではないかと思います。 

 

超ド級のコメントした元選手発言は、いいとも悪いとも言えませんが 

何かコメントの真意というものが どうなのかなと感じました。 

 

素人の方がメダルを取る事はあり得ません 

 

 

・ほんとそれ。 

 

便利な世の中になったもので、地上波で放送しない競技もリアルタイムで視れるようになった。 

 

日本選手がメダルに届かなかった競技でも、強豪国やレジェンド選手相手に一矢報いた奇跡の連続を沢山見させて頂いた。 

 

日本敗退後の試合でも、世界の実力を見せつけられるハイレベルな試合には自室から拍手を贈ってしまった。 

 

できれば世界大会やインターハイも視えていればもっと興味深く応援できるのだけど、全て見えるオリンピックは素晴らしいと思う。 

 

でも、地上波がメダル至上主義で誘導している以上は、残念ながらずっと変わらないでしょうね。 

 

 

・自分ではできないことをやってのけるからアスリートはリスペクトされる。順位がつく以上観戦する側はメダルを期待する。代表選手ともなれば公費も投入される。行き過ぎたメダル偏重報道は良くないし、獲れなかった選手をバッシングするのは論外だが、選手だってメダルは欲しい。国の代表として国旗が一番高く掲げられることに誇りを持つ選手も未だに多い。見る側も競技する側もメダルの色や獲得数にある程度期待するのは致し方ないと思う。千葉さんが「泳ぎを楽しむのが大事」という発言に対しても「それなら市民プールにでも行ってください」と批判された。彼女の真意はそんなことではないのだが、有名になるとちょっとしたことで揚げ足を取られる。スポーツの本来の意義は楽しみながら身体を鍛えることだが、その中でずば抜けた才能のある人が努力を重ねて代表になる。メダルは誰でも欲しいが選手の努力や苦悩にも少しは目を向けて欲しいということだろう。 

 

 

 

・メダル言われたくないなら日本の代表としてオリンピックに出なければ良いだけの話ではないか。日本に関わりなく、個人の名誉だけが関係する大会のみに絞って個人的な賞を好きなだけ集めれば良い。それをしない選手本人に責任があるはずで、国家vs国家の大会において日本の躍進を願う観客を責めるのは、筋違いを通り越して八つ当たりだと思う。 

 

 

・そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいいんですよ。 

 

仰る通り!素敵な名言です。取りに行こうとする人、それが出来る人だけでも凄い。我が子にいつも言ってる。 

 

手が届かない欲しいモノがあったり、長年夢見て目指す部分は、他力じゃなく自分でやってみてから考えたらいいと。勝ち負けじゃなく、そこまでの過程が如何に素晴らしいか。そんな景色がメダルを目指す世界って見てるだけで工夫努力、好きな事が嫌いになった事もあるでしょう。そんな姿が大会などでも垣間見れ、素敵過ぎます。 

 

 

・千葉すず選手の発した言葉が、悪いとは思えない。メダルに執着する国民も、可笑しいと思う。メダルがたまたま取れなかった場合でも金メダルの力がある選手は存在。オリンピックにはいつも魔物いるし、どんな結果でも頑張って来た選手を労うのは、人としての、高い品性だと私は思う。メダルよりも大事な事って、スポーツにはあると思う。オリンピック、冷静に観覧すべきであると思う。 

 

 

・マスコミが煽っているのは確かだけど、それが仕事だからね。スポンサーがあって成り立つわけだし。千葉すずがバッシングされていたことは同情した。でももう少し大人の態度は必要かと。 

観戦する側は選手がメダルをとろうがとれまいが日々の生活に何も影響しないんだけど、日本人がとれたらやっぱり嬉しいし、とれなかったらがっかりするし選手に同情もする。時には外国の選手にも。同調するのは観ているものの感情として普通のことかと。 

とれなかった選手を責めるのは絶対やめて欲しい。かといって、責められて「だったらお前がやってみろ」という言い方もどうかと思う。何にしても昨今他人への言葉がきつすぎるのに憂えている。 

 

 

・メダルを取ってほしいと応援する気持ちから、負けると落胆して、冷たいコメントを発信しているのだと思います。インターハイや国体に出るだけでもすごいのが現実です。オリンピックなんて夢の夢です。オリンピックを楽しんで活躍してくれたらメダルは関係ありません。五輪アスリートはみんな素晴らしいです。 

 

 

・なんだかスカッとしました。国民の期待って言うかメディアの期待が高くその煽りを受け、それを間に受けて敏感に反応しちゃうのかなとも思いました。 

選手は素人には理解できない程の努力をしてあの場に立っているのは確か、もう、それだけで賞賛にあたいするし、結果は良くても悪くても本人が一番その重みを感じるのではと思います。 

メダル何個?なんて質問は、もう良いので選手に対して、素直に負けた悔しさには想いを馳せて、勝った時には共に喜ぶだけでも、十分にオリンピックは楽しめるのかと。 

 

 

・強化費として多額の税金を投入しているから、必然的に国民から成果を求められる。強化費を出すのをやめた方がいいんじゃないの? そうすればその分の予算を被災地復興とかに回せるし、選手もプレッシャーを感じる必要はなく純粋に競技を楽しめる。 

 

 

・ナンシー関さんの視点はやはり鋭い。 

 

やってみろと言われて、 

ほとんどの人は全く考えることもなく、脳内で「不可能」という答えだけが返される。 

 

その中の一部の人だけが、他力本願で自分は全く努力せず、感動だけしようとしていたと気付くのではないか? 

それでいて、気付いても、恥ずかしさからそれに蓋をして、打ち消そうとしてか、より批判をするなんて人もいるんだろう。 

 

オリンピック選手程の努力は無理としても、 

多くの人が経験していることとしては、受験勉強とかテスト勉強か。 

あれを経験したことがない人(かなりの高齢者とか、子供とか)にあれこれ言われるようなもの。 

 

 

・千葉さんの発言は、正論ですが刺激が強かったですね。 

それを日本の国民が幼すぎて、 

世界を知っている選手たちの気持ちが理解できなかったのです。 

 

なぜか、この記事読んでキャンディーズの解散を思い出した。 

個人が自由に生きる方向を決めたいのに 

こうあるべきだという固定概念に苦しみ 

彼女たちの気持ちを理解せずに多くの人は騒いだ。 

 

こういう発言があって、当事者の気持ちが理解できるようになり 

社会が成熟するのだと思います。 

 

 

・千葉さんはアトランタ五輪以降メディアからも「我が強く問題発言の多い選手」ということで悪意を持って切り取られた発言も多かった。 

 

結局シドニー五輪の代表選考に漏れたことでCASに提訴して水連とも敵対することになり日本代表クラスの実力を持ちながら引退後も日本水泳界から干されることになった。 

 

それでも千葉さんを慕う後輩選手は多く、ある意味でいろんなプレッシャーに苦しむトップ選手の本音を代弁していた人なのではないかと思う。 

 

 

 

・千葉さんが五輪に出場した時代はわかりませんが、現在は多額の税金が五輪強化費として投入されているので、一般国民からするとメダルという成果を求める声がでてくるのでしょう。だからといって取れなかった場合に誹謗中傷することが許されるものではありません。 

私もマスコミの感動押し売りは鬱陶しくて不愉快ですが、その一方でそういった報道によって国民の多くが関心を持ち、それによってスポンサーが付くといった側面もあるでしょう。 

なので、そういった不愉快なことを言われないようにするためには、税金の投入を一切やめて、自身の経済力、個人や企業からの寄付のみで、活動することが望ましいでしょう。 

 

 

・国の為に頑張ります。そこまではいいとして、アスリートの方々は兵隊ではないのだから国の責任まで背負ってやる必要はないと思う。だから全力をだしてメダルが取れなかったら国民に謝る必要もないと思う。またメダルを取れなかった選手に誹謗中傷を言うなんてもってのほか!!お疲れ様と労いの言葉を掛けるのが当たり前だと思う。それが出来ないなら最初から応援してはいけない。 

 

 

・全くの正論。 

選手にメダルを期待するのは悪くない。 

しかし匿名でSNSで口汚く選手を批判するのは、ある種の犯罪にも感じる。 

選手は大半の時間を厳しい練習や心身の調整に充てている。 

快適な室内で寛いている人が無責任に誹謗中傷することは断じていけないこと。 

内々であれこれ言うことは悪くはないと思う。 

しかし世間に向けて発信するにあたっては責任をもって慎重にするべき。 

 

 

・河西三省の時代なら心から感動して中継してたけど、令和の中継は視聴率と局内の出世、ギャラと好感度だけが目的でアスリートの努力に対する尊敬なんてこれっぽっちもあるわけがない。そのくせ視聴者に感動の押し売りをしないといけないから大声を出したり、うけそうなコメントを事前に用意したり。音声なしの中継を義務付けるべき。 

 

 

・見てました。 

久米宏に乗せられての発言と私は感じました。 

久米宏は「楽しんで…」とも言っていたが、 

それはリラックスさせる意味合いではなかったかな。 

メダルを目標に頑張ることは悪いことじゃないし、期待の言葉をかけることも悪いこととも思わない。 

大多数の人は才能と努力で頑張ってる選手に最大の敬意を送りたいし、皆さんそうだと思う。 

 

それがあの「自分で泳いでみればいい」の言葉を聞いてビックリした。マスコミに追い込まれての発言かとは思ったが、 

随分ふざけた高飛車な発言で、これ以来 

千葉すずを応援する気にはならなかった。 

 

 

・主張自体何が問題なのかわからない。メダルを取るのは国ではないし、選手も国からお金をもらって仕事を請け負っているわけではない。選手は選手自身の人生をかけて自分のために勝つためにやっていて、その結果にメダルがあるだけ。その競技が好きでやっている人もいれば、親の期待をかけられてやるしかない環境だったり、それぞれの事情があるだろう。 

 

 

・応援の言葉より、誹謗中傷の言葉の方が選手に伝わりやすい。メダルに執着して汚い言葉で罵るのは一部の人間。メディアも、わざわざそれを取り上げて話題にする。全体からすれば、ごくわずかであっても、その言葉を聞いた選手はたまらない。すぐ税金の話を持ち出すし。見ていて、本当に反吐が出そうになる。自分だったら絶対耐えられない。それでも頑張っている選手はすごい。 

 

 

・自分はさほどスポーツに興味ないので選手が思いきり力を出しきれて後悔無く闘えたら、と思ってる 

メダルはメダルでそりゃあ凄いし報われたのだから本当に良かったね、と涙することもある。 

負けても勝っても晴れやかに堂々と帰国してほしい 

悔しさも当然だし諦めず次の過程にしてほしいとも思うけどねぇ 

ただ平和の祭典でスポーツ交流で世界が見てるのでスポーツマンシップっていうのかな 

礼節はあって欲しいが。 

日本は厳しいのかな、外国の方が厳しいと思っていたわ 

 

 

・正論だと思うが、そこに突っ込むなら、そもそもオリンピックで好成績をとることを国家プロジェクトとすることの是非も問わねばならない。所詮は個人の努力とそれに対する対価であり、同国人とはいえ他人は傍観者にすぎないと割り切ることに振り切れれば素晴らしいと個人的には思う。国をあげて応援とか国策として強化の度がすぎることで、平和貢献というよりナショナリズム高揚の場となっているように感じる。 

 

 

・いやそうなんよね。 

いろんなスポンサーとか組織、団体の思惑が絡んでる感じがして、とにかく結果と話題性にメディアが先導して群がってるイメージ。 

パリ五輪も大半の日本人が寝るまま惜しんでテレビにしがみついてるみたいな表現や報道もたまにみるけど、全然んな事ないと思うし。五輪のみならず、色んな国際大会になるとなんでもそうなってるイメージ。 

 

 

 

・それはその通りだと思います。代表選手に選ばれるために相応の努力をし、いろいろなことを我慢してそこへ辿り着いたのだと思いますし、代表に選ばれた誰しもがメダルを得るために最善を尽くし頑張ったと思います。ただ、残念ながら勝利の女神が微笑まなかったと言うだけのことだと思います。 

 

 

・でもね、その逆もあるんよね 

メダルを取れば、すごいすごい言われる。 

要するにハイリスクハイリターンということ。 

そういう世界に、身を投じたのは自分でしょと。 

サラリーマンをして、休日に泳ぐ。そういう選択肢もあるわけです。 

でもそうではなく、水泳選手を選んだ。 

プロであるから、いいプール、いいコーチを使えて、世界の選手と刺激的な戦いができ、泳いでるだけで収入が得られる。でも同時に、プロであるから、カスタマー(観客)からは好き勝手言われる。でもそれは当然ですよね。 

 

 

・各選手の人生なんだからね。努力して努力して、その上でオリンピックに出場出来た。それだけでも大変だ。 

それからオリンピックでメダルを獲得すること自体もっと大変な事。 

日頃からの努力が報われるか報われないか、報われなかった(メダル獲得出来なかった)選手達の方が圧倒的に多い。 

けれど、それを見て一般の我々が、非難するのは筋違い。考えてみたら自分達だって、日頃努力しても報われない事は有る筈。その時に、追い打ちをかける様なこちをされたら分かるだろう。 

最近何だか、簡単に非難する事が年代を問わず増えている。自分にも当てはまってしまう事だけど。コメントを書いた時には、「投稿する」を押す前に、自分が書いたコメントを読み直して、それから判断して押して欲しい。 

決して上から目線での気持ちは有りませんので。誤解のない様にお願いします。長い割に内容の無いコメントですみません。 

 

 

・過去は週刊誌を中心としたマスゴミだけの問題が、今やSNSで一般市民も巻き込むカオスと化した。誹謗中傷の対象になるのはスポーツ選手だけの問題ではなく、ごくごく一般人の誰しもが晒されて炎上し、個人情報を特定されて、ネットリンチにあう可能性を抱えている。人間の中には心無い輩も多く、陥れてやろうとする行為はSNSの拡大と共に増え続けている。日本でも一億総クレーマー社会で、今回のオリンピックも選手への賞賛よりも、誹謗中傷の方が話題になっている。もう個々人のモラルでは済まない問題になっており、これには毅然とした法的規制が望まれる。匿名や言論の自由ということを盾にして、言いたい放題の状況は変えなくてはならない。 

 

 

・それ、選手たるもの一番言っちゃいけない言葉・・・ 

 

並外れた才能をもって選ばれた人たちがド素人相手に力んじゃ、それこそ「素人に毛が生えた・・・」と揶揄される。 

 

トップアスリートというものは常に孤独、そして孤高の存在なのだから結果出してナンボ。アマチュアスポーツといえど、やることはその道のスペシャリストでありプロフェッショナル。 

 

 

・でもさ、メダルのありがたみを一番享受できるのも、間違いなくアスリートだからね。 

 

もちろんメダルは自分のやってきたことに対する、ご褒美であり、証明であるし、当然全ての選手はそれを一応目標にはするだろう。 

 

でもそれ以上に、確実にメダルは将来の収入を約束してくれる「手形」となる。テレビに呼ばれ、マスコミに呼ばれ、競技会場や公演に呼ばれ、議員にさえなることができ、それも呼ばれるだけでなく必ず「金メダリスト」「銀メダリスト」などの称号も一緒に紹介され、何年も場合によよっては10数年だって呼ばれ続けることになる。 

 

アスリートの本心としても、当然メダルを狙っていくはず。 

もちろんオリンピアンになることも難しいが、メダルってのはおそらくそのオリンピアンの中でも圧倒的にステイタスかつお金としてやってくるものだ。 

 

 

・私はスポーツ選手が凄い努力をしているのは理解しますがだからといって一般人より上だとは思えません。 

スポーツは本来娯楽です。凄く悪い言い方をすると暇つぶしであり、ゲームなどの娯楽と何ら変わりがありません。 

それを競技と言うものにしてエンタメにしているわけですが、本来速く走る。早く泳ぐ、遠くまで投げる、突き合いがお上手、投げ飛ばすのが上手い、なんてのは自己満足や単なるお遊びであって、それを突き詰めたからって「ならお前がやってみろ」と言うのはだいぶおかしいと思います。 

こんなお遊びが仕事になり職業になるのは、それを見ることに価値を見出して観客、一般人でありそれにお金を出している企業です。 

皆のおかげで職として・スポーツ選手として成立しているのを忘れないで欲しい。 

 

 

・1980年代頃の五輪は出場するだけでも名誉だった。近来、食文化も西洋、欧米文化して体格的にも海外に負けない様になりつつある。身長は骨格面からどうしても負けてるが、パワー、体感はどの国にも負けてない。メンタル的な弱さはあるがそれの強化は難しい所だ。ハングリー精神では今の日本人は世界には勝てない。 

 

 

・日本だけじゃなくどこの国もそうなんだけど、同じメダルの中でも、銀でも叩かれる個人やチーム、銅でも絶賛される個人やチームといろいろな立ち位置がある。 

このセリフは金メダリストからは絶対漏れない言葉で、微妙な立ち位置にある人ならでは言葉だろう。 

ただ期待されているからこそ言われるのであって、多少の税金の補助もあって日の丸の代表として出場する以上はどんなに可能性薄くてもメダル目指して競技に望んで欲しいと思う。 

 

その結果として届かなかったとしても、メダル目指して精一杯がんばりましたがダメでした、でいい。 

こんなセリフを言うなら出場辞退して欲しい。応援した人も気分いいものではないし、何よりバックアップしてきた人たちや代表になれなかった人たちも立場がないだろうに。 

 

 

・大会に出場するだけでも凄いこと、そう思っているから、結果がどうあれお疲れ様としか思わない。 

 

チーム戦でも個人種目でも、成績が悪かったとしたら、世界はやっぱ凄いなぁと思うだけの一般観客側でしかないので、個人攻撃は本番の結果でどうとか文句言うような心境になれない。 

 

目指すものが違ったり、担うものが違うだけで、 

スポーツや音楽の環境に恵まれた人もいれば、熱意でフォローやスポンサーが付いて出れた人もいるでしょう。 

 

言動があまりに不適切ならブーイングも出るだろうけど、今の時代は五輪を楽しみたいと言っても誰も起こる人は居ない。 

それくらい時代とともに変わるものに対して、キーキーするのはナンセンスです。 

 

ライバルに卑劣なことをしたわけでもないんだから。 

 

 

 

 
 

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