( 200129 )  2024/08/10 01:01:03  
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女子ボクシングのイマネ・ケリフ選手のジェンダーを第三者が語ること自体が人権侵害になりうる(写真:PA Images/アフロ) 

 

パリオリンピックのボクシング女子で出場資格をめぐりさまざまな意見が出ている。発端は、8月1日、女子66キロ級の2回戦でアルジェリアのイマネ・ケリフ選手と対戦したアンジェラ・カリニ選手が開始46秒で棄権し、ケリフ選手が勝利したことだ。 

その後、昨年の女子ボクシング世界選手権で、国際ボクシング協会(IBA)が出場基準を満たせないとしてケリフ選手ら2人(もう1人もパリ大会に出場)を失格にしていたことを理由に、SNSを中心に同選手らの性別や出場資格をめぐって激しい議論が勃発。中には誹謗中傷も数多くあり、スポーツにおける多様性への理解や議論が世界的にも未熟なことが浮き彫りとなった。なぜ批判はこんなにも膨らんでしまったのか。スポーツとジェンダーに詳しい、中京大学スポーツ科学部の來田享子教授が解説する。 

 

■自らの正義を何の気なしに振りかざしている 

 

 今回の件は、選手がルールのもとで試合に出て戦っているだけであり、他の選手と同じように扱われるべきなので、本来であればこうした記事が出ること自体いいことではありません。彼女のジェンダーを語ることで深く傷つく可能性もあるし、そもそも誰かのジェンダーを他人がとやかくいう必要はない。しかし、あまりに誤解と誹謗中傷が多いので、事実関係をきちんとする必要があるでしょう。 

 

 今回、ケリフ選手らに対してSNSで厳しい意見が目立つのは、批判する人の声のほうが大きいからでしょう。自らの強い正義感に基づいて語るときほど、人は自分が差別しているとか、誰かを傷つけていることに思い当たりにくいのではないでしょうか。競技の公平性に対する、ある種の正義感があるのだと思います。一方、当事者は自分が声を上げると叩かれるのではないかと黙ってしまう。 

 

 冷静に議論すべきことだと思っている人は、こうした論争の中には入らないかもしれません。これは人権侵害にとっては「傍観」につながりかねないため、悩ましくはあるのですが、「誰か傷ついている人がいるのにこんなことを言うなんて」と思ったら、気持ちが苦しくなってその場から離れる人もいます。知識があればジェンダーの知識のない人と対話を試みることができるかもしれません。 

 

 

 しかし、性の多様性に関する科学や理論は急速に進展しており、学校教育でも十分にカバーされていないため「何かおかしい」と思っても言葉にするのは難しいという人も多いのではないでしょうか。 

 

 今は小学校や中学校でも「LGBTQ+」の人権を大切にしようといったことは学ぶかもしれませんが、トランスジェンダーや性分化疾患(DSDs、男性、女性の典型と考えられている体の構造とは生まれつき一部異なる発達を遂げるさまざまな状態)などについて歴史的、医科学的に学ぶ機会はまれです。少なくとも私たちの世代はこうしたことはまったく教わってきませんでした。 

 

 例えば、トランスジェンダーとはどのような困難さを抱えた人生なのか、DSDsの場合はどうなのか、その苦しさは、その人が置かれた環境の違いも含めて考えると当事者でなければおそらくわからないでしょう。そうではあっても、人生の苦しみを抱えている人の存在を否定したり、存在をことさら取り上げたりすること自体が人権侵害だと、誰もが理解する必要があります。 

 

■根拠ない「推測」に基づく報道の大問題 

 

 今回の件では、当初、奇異な出来事という論調で取り上げたり、選手たちがトランスジェンダーなのかDSDsなのかを根拠なく推測して報じているメディアもありました。確認もしないまま高度なプライバシーに属する情報を添えて「あの選手はもしかしたら……」と読者が推測できるように書いたり。しかし、途中からこれは誹謗中傷の類だろう、とか、人権侵害だろうという論調が主流になってきました。 

 

 冒頭にも書きましたが、自分の性に関わることを他人に大っぴらに噂されたうえに、競技の場にいるべきではない人間であるかのような疑念を持たれることは、人として、選手として耐えがたい苦痛です。 

 

 もしそれが自分や自分の家族だったら……と思えば、人の生き方に関しては、言っていないことを第三者が公然と語ってはいけない場合があると、容易に気づくのではないでしょうか。 

 

 だからこそ国際オリンピック委員会(IOC)は今回、「選手は女性として生まれ、出場資格はパスポートの記載に基づく」という表現を使っています。だからといって、額面通りパスポートだけで判断しているわけではありません。 

 

 

 バッハ会長も「女性として生まれ、女性として育てられ、女性のパスポートを持ち、長年女性として競技してきたボクサーが2人いる」との声明を出しました。女性であり、今回のルール上、適正に女子競技に参加する資格があると判断された人たちだということに尽きます 

 

 こうした表現は国際的な人権基準に則ったものであり、パスポート上の文字面だけで判断していることと同義ではありません。そして、ルールの適正性は、その競技の関係者や専門家が議論して、可能な限り公平なものへとブラッシュアップしていくものだと思います。 

 

■13競技がトランス選手向けの参加ポリシー公開 

 

 これはトランスジェンダー選手の参加ポリシーについてですが、筆者の研究室が6月に調べた時点では、今回のパリ大会の実施競技になっている33競技団体のうち、13競技団体がホームページ上に公開をしています。 

 

 水泳や陸上、アーチェリーは2023年の6月、自転車は7月など、ほとんどが1年前、あるいは半年前と、これを適用しているかはわかりませんが、代表選手が決まる前に公表しています。 

 

 それぞれの競技には特性もありますし、基準を決めることは容易ではありませんが、中には正直、実質的にトランスジェンダー女性(出生時は男性だが、性自認は女性)が出場するのは難しいと思わせるものもあります。 

 

 例えば水泳の場合、トランスジェンダー女性は、「『タナー・ステージ(編集注:思春期の発達段階を示す1つの指標)2以降、または12歳以前に男性としての思春期を経ていない』場合にのみ参加資格を有し、12歳以降一貫してテストステロン値が2.5nmol/L以下である証明」が必要としています。12歳以前に男性としての思春期を経ていない、とは、12歳以前に思春期を男性の身体で迎えていない、と解釈できるでしょうか。 

 

 性に関する自分の在り方は、心理のほかに社会と自分との関わりの中で確立されていきます。それを12歳までの間に確固としたものにし、親や周囲も受け入れる、というケースはかなりまれでしょう。 

 

 トランスジェンダーなどに対する人権の尊重、保護を大切にしている国であれば本人の希望があれば医療的措置を受けることもあり得ます。しかし、法律がなく、性別移行そのものが認められていない国もありますし、親にも話すことができない状況は日本でも見受けられます。 

 

 

 それらの観点では、当事者のリアルな人生に基づいて規定を決めているのだろうか、スポーツの公平性以前の、人が生きることに関するリアリティをどのように規定に含めていけばいいのだろうか、と考えてしまいます。 

 

■「公平性」を見極めるの難しさ 

 

 基準・規定作りにおいては、競技団体はもちろん、医学・法学・倫理学などの専門家、当事者を含む選手たち、当事者支援団体や人権団体など、多様なステークホルダーで多角的に議論することが求められています。また、参加資格がないと決定する場合は、公平性が損なわれることの証明がなければならないと、IOCは提唱しています。 

 

 その検証をしない限り、不公平とは言えないわけですが、基準を定めるためのエビデンスを得るのは難しい。だから各競技団体とも規定は作り始めているけれども、苦労しているということでしょう。実際、今は暫定ルールであり、定期的に見直すと明記されているものもあります。 

 

 今回、ボクシングについても改めて調べましたが、基準が公開されていません。その状態の中で、昨年の世界大会では、IBAは2人の選手を失格としました。なぜ大会中にこの2人だけを特定し、どのような基準を、どのような根拠に基づき決定したのか、まったくわかりません。 

 

 推定に基づき性別検査を実施し、根拠を明確にしないまま、1回の会議だけで決定してしまっています。しかも、今年のオリンピック大会になってから、身体状況に関わる情報を本人の了解なくIBAは暴露してしまったのです。この全体像が人権侵害であり、選手の権利の侵害を疑わざるをえないものにしています。 

 

 本来であれば、大会前に基準が公表されていなければならないし、その基準やルールの妥当性が検証されている必要があります。そして、公平か否かを判断するためには、一定の競技レベル以上のボクサー全員の身体状況について客観的に判断できるデータが必要なはずですが、失格とした2人だけの検査結果のみで行っています。このやり方が、科学的な手続きとして成立しているのかどうかすら、判断できない状態です。 

 

 

 
 

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