( 200274 ) 2024/08/10 14:52:39 0 00 AR作品「KNOW NUKES」。渋谷の街に原爆が落ちたときにできるキノコ雲をシミュレーションして表示する
来年で終戦から80年。次第に先の大戦の経験者が少なくなるなか、戦争の伝え方をデジタルでアップデートしようと試みる人たちがいる。白黒写真のカラー化、原爆被害のデジタルアーカイブ化などに取り組んできたのは東京大学大学院の渡邉英徳教授だ。デジタル化によりアクセスしやすくすることで、戦争を身近に感じさせるとともに、新たな世代に受け継いでいくことができるという。渡邉教授や、報道や平和活動でデジタル化に取り組む人たちを取材した。(文・写真:科学ライター・荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
ARコンテンツの体験会で、操作法を教える中村涼香さん(中央左)
7月25日、炎天下の東京・渋谷。駅前のスクランブル交差点の前で、数人の若者が手に持ったスマートフォンをかざしていた。その画面を覗くと、スクランブル交差点の先にあるビルの背後から、原爆のような「キノコ雲」が立ち上がった。若者らは真剣な表情で画面を見つめていた。
「これは渋谷から1.5kmほど離れた代々木八幡あたりに、広島型の原子爆弾が投下されたときに発生するキノコ雲です。AR(拡張現実)技術を使ってシミュレーションしています」
こう説明するのは、ARコンテンツを制作した任意団体「KNOW NUKES TOKYO」の代表を務める中村涼香さん(24)だ。
長崎県長崎市に生まれ育った中村さんは、大学3年生だった2021年5月に、核兵器廃絶に向けて活動するKNOW NUKES TOKYOを立ち上げた。
長崎の原爆被害の実態を可視化する「ナガサキ・アーカイブ」。被爆当時の写真や証言を地図上で示し、クリックすると詳細がわかる(提供:渡邉英徳)
今回の企画は、ウクライナ侵攻をするロシアが核攻撃を示唆したこともあり、できるだけ身近な形で核兵器の脅威をたくさんの人たちに伝えたいという想いから始まった。仲間と企画案を話し合ううち、中村さんの頭に浮かんだのが東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳さん(49)だった。
2010年、渡邉さんは長崎に原爆が投下された際の被害について、証言した被害者のいた場所や写真の撮影された場所を地図上に示し、原爆被害の実態を可視化する作品「ナガサキ・アーカイブ」(アーカイブは保存記録の意)を制作していた。
「私は高校生の頃、ナガサキ・アーカイブを使って長崎に修学旅行に来た人たちを案内する活動をしていました。その経験があったので、渡邉さんに協力を仰げないかと思ったのです」
連絡を取ると、渡邉さんからすぐに返信があり、2023年暮れには監修として協力を得られることになった。企画案を練った結果、原爆の象徴的な存在、キノコ雲をスマホのAR空間上で渋谷の街に出現させるという案にまとまった。
「キノコ雲を描くことについては長い時間をかけて話し合いました。長崎大学の先生や長崎原爆資料館の人たちにも意見を伺い、最終的に、きちんとメッセージ性があって、フェイクニュースなどに利用されないように対策をとれば大丈夫だろうという結論となり、制作にとりかかりました」
AR作品はアプリを通して今年8月1日から9月30日まで公開しているが、どんな反応があるかドキドキしていると中村さんは語る。
「キノコ雲という核兵器を象徴するモチーフを使って表現するにあたり、渡邉先生にいろいろと相談に乗っていただき心強かったです。表現はまだ完璧ではないので、公開後にいただいた意見も参考にしてアップデートしていきたいです」
中村さんたちのほかにも、戦前戦後の写真をデジタル技術でカラー化したり、ネット上のマップに配置したりして、新たな表現方法で戦争の記憶を未来につなげようとしている人たちがいる。その中心にいるのが、渡邉さんだ。
大型液晶パネルを組み合わせると臨場感が増す。表示されている写真は関東大震災時の航空写真
東京・本郷の東京大学の研究室。7つの縦長の大型液晶パネルが並べられた装置には、グーグルアース(立体的な街のつくりまで見える、グーグルによるデジタルの地球儀)による東京の高層ビル街の画像が表示されていた。装置の前に立つと、視界いっぱいに画像が広がる。渡邉さんが言う。
「大画面で見ると、没入感が違うと思います」
コントローラを操作すると、3D地図に古いモノクロの航空写真が重ねられた。建物が軒並み崩れ果て、大きな空き地が広がっているようだった。
「これは関東大震災が起きた直後に撮影された写真です」
現在の風景と同じ位置で過去の写真を見ると、平和な街にも大災害によって壊滅的な被害を受けた過去があったことがわかる。渡邉さんはこれまで戦争や災害の写真や映像に新しい技術を取り入れて、さまざまな表現を行ってきた。代表的なものが白黒写真のカラー化だ。
「2016年にカラー化AIが登場したときに、色がつくことで自分の受ける感覚が大きく変わることに衝撃を受けました」
写真は呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍工廠砲煩実験部から撮影した広島のきのこ雲(元の撮影:尾木正己、カラー化:渡邉英徳)
そこで始めたのが、同じ日付の日に起きた出来事を伝える白黒写真を色づけしたものをTwitter(現在のX)で発信する活動だ。沖縄戦、広島と長崎への原爆投下、あるいは全国各地の空襲写真。渡邉さんは、当時のそうした写真を国内外から入手し、AIを使ってカラー化し、それらの情報をSNSで発信している。7月16日であれば大分空襲(1945年7月16日)のカラー化写真、7月26日であれば松山空襲(1945年7月26日)のカラー化写真をXで発信する。
東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳さん
「毎年、同じ写真を投稿していますが、そのたびに同じような感想をもらいます。初めて見た人もいるし、一度見た人でも記憶がよみがえるのだと思います。ただ写真を投稿するだけで終わるのではなく、写真をきっかけにたくさんの人たちと交流できることが重要です」
心がけていることは、デジタル技術を駆使することで、見る人がリアリティーをもって戦争を感じられるようにすることだという。
「モノクロがカラーになったり、3D技術で映像が立体化して見えたり。そうすることで、戦争が遠いことではなく、身近に感じられるようになる。いわば“他人事”から“自分事”に感覚が変わると、戦争とは何だったかを考えるきっかけになると思うのです」
もともと渡邉さんは戦争に関する研究者だったわけではない。大学卒業後、ソニー・コンピュータエンタテインメントに勤務し、ゲームソフトの開発をしていた。その後、大学教員に転身し、情報デザインやデジタルアーカイブの研究を進めていた。
すると、そんなデジタルアーカイブ作品を見た長崎の若者から声をかけられた。それがきっかけで、2010年、「ナガサキ・アーカイブ」を制作することになった。
「マップを生かしたデジタルアーカイブは、グーグルアースが誰でも使えるようになったことでつくりはじめました。以来、アーカイブに使うシステムを変えたり、文字情報や画像だけでなく3Dデータも配置できるようにしたりと、新しい技術をすぐに取り入れ、進化させています」
ナガサキ・アーカイブ以降、戦争や災害を伝えるための依頼や相談が盛んに持ちかけられるようになった。2011年のヒロシマ・アーカイブ、同年の東日本大震災アーカイブ、2012年の沖縄平和学習アーカイブ……。さまざまなデジタルアーカイブの制作につながっていった。
渡邉さんは太平洋戦争に関連する写真をその日の日付に絡めて投稿し続けている
こうした戦争や災害のデジタルアーカイブは、テレビや新聞などの報道関係者からも注目を集め、デジタルコンテンツの制作やイベントなどを共同で実施するようにもなった。
2015年に、地方紙の沖縄タイムスと協力して、沖縄戦デジタルアーカイブ「戦世からぬ伝言」を制作。記者が戦争体験者に取材して得られた証言や生存者の足取りをデジタルマップに落とし込んだ。2023年8月には広島テレビなどと広島市内で、今年8月には長崎国際テレビなどと長崎市内で、戦争の光景を若い世代に伝えていくために「ミライの平和活動展 ~テクノロジーでつながる世界~」をそれぞれ共催した。
日本では毎年8月になると、戦争を振り返るテレビ番組や新聞記事が多く発表されるものの、最近は、視聴者や読者の関心が得られにくいとも伝えられる。
だが、渡邉さんは「日付に紐づけて毎年報道することの意味はあります」と理解を示す。
「戦争末期の日本では毎日どこかで空襲があり、多くの人が亡くなりました。それらを俯瞰したり、世界で起きている戦争と重ね合わせたりする報道があってもいいでしょう。経験者が少なくなったなかで、戦争の悲惨さを伝える新しい手段の一つとしてデジタル技術があると思います」
渡邉さんの取り組みから刺激を受け、現代の戦争をデジタルアーカイブ化した報道関係者も出てきている。
ウクライナ侵攻開始から半年後にキーウ近郊のイルピン橋を取材する梁田さん。イルピン橋はロシア軍を食い止めるために破壊された(提供:梁田真樹子)
特設ページを開くと、ウクライナの首都キーウ近郊の地図が表示され、7つの場所が示されている。その下段には、それぞれの場所に対応した写真が表示されている。
クリックすると、衛星画像、3Dデータ、現地の写真を組み合わせた、より詳しい情報を伝えるスライドが現れ、インタビュー記事も掲載されている。2022年10月に公開された読売新聞オンラインの特設ページ「ウクライナ 戦時下の復興 キーウ近郊からの報告」だ。
読売新聞記者の梁田真樹子さん。ジャカルタ支局特派員、政治部記者などを経て、2022年6月からパリ支局に勤務
「侵攻開始から約半年後のキーウ周辺の様子を取材し、侵攻直後に取得されたデジタルデータと比べ、戦争の悲惨さとともに現地の人たちのたくましさを伝えました。現地の人の声は私が取材してまとめました。それらと侵攻直後の生々しさを伝える3Dデータを組み合わせたデジタルコンテンツとしてまとめることができたのは、渡邉さんのおかげです」
そう語るのは、このページの制作を主導した読売新聞記者、梁田真樹子さん(43)だ。現在パリ支局に駐在している。
2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、インターネット上には、戦況を伝えるさまざまな衛星画像や3Dデータが掲載された。渡邉さんはそれらの画像やデータが撮影、取得された場所を特定し、デジタルマップと重ねたものを連日、Twitterに投稿していた。すぐに世界の人たちと共同の「ウクライナ衛星画像マップ」プロジェクトへと発展した。
そんな渡邉さんの活動に注目した一人が梁田さんだった。
梁田さんは、デジタル技術に関心の高い社内の有志とともに定期的に勉強会を開いていた。2022年3月、勉強会のゲストとして招いたのが渡邉さんだった。勉強会の内容は「ウクライナ衛星画像マップ」プロジェクトにも及んだ。
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