( 200441 )  2024/08/11 00:12:02  
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「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶

読売新聞オンライン 8/10(土) 18:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fd531c409e8a876999bfc7dc387dd10f37029d6a

 

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過去に広島で被爆した後東さんとアメリカで留学中の古賀さんが出会い、原爆に関する議論や語り合いを通じて交流を深める様子が描かれています。

後東さんは被爆体験を語り、古賀さんは米国で核被害の研究に挑戦する意向を示しており、原爆が持つ意味や平和に向けた願いを共有し合っています。

(要約)

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 「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。 

 

 原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 

 

 孫と祖父ほど年の離れた2人の人生が交錯した。 

 

リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供) 

 

 「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」 

 

 米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。 

 

 「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」 

 

 リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 

 

リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供) 

 

 古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。 

 

 半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。 

 

 「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。 

 

 <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 

 

 

被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で) 

 

 被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」 

 

 1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。 

 

 何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。 

 

 あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。 

 

 それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 

 

後東さんと古賀さんが交わした手紙 

 

 古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました> 

 

 しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。 

 

 古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。 

 

 以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」 

 

 コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。 

 

 2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 

 

 

古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん 

 

 <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。 

 

 後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」 

 

 翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。 

 

 まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」 

 

 4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 

 

核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影) 

 

 2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。 

 

 後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。 

 

 2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。 

 

 「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 

 

田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で) 

 

 後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。 

 

 昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 

 

 

世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影 

 

 7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。 

 

 「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。 

 

 後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。 

 

 核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。 

 

 ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 200443 )  2024/08/11 00:12:02  
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この記事の傾向や論調としては、以下の点が挙げられます: 

 

- 原爆投下に対する反省や反感が強い立場が多く見受けられます。

特に、アメリカを非難する意見や、核兵器の非人道性を批判する声が多くあります。

 

- 続く世代への平和の伝達や教育の重要性について、多くの人が意識を持っており、被爆者の証言や被災地の訪問が必要と語る声も目立ちます。

 

- 日米の認識や価値観の違いについて言及するコメントがあり、戦争における視点の相違や教育のあり方についての考察も見られます。

 

- 核兵器に対する反対や廃絶を訴える声や、核兵器の人道的問題に触れる意見も散見されます。

 

- 過去の歴史を認識し、同じ過ちを繰り返さないための努力が必要との意見も多く見られます。

 

 

(まとめ)

( 200445 )  2024/08/11 00:12:02  
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・別の記事を読みました。 

アメリカで精神科医をやられてる方の記事です。 

同じような葛藤がありましたが、アメリカの言い分はあるとして、皮膚が溶けて亡くなった人、一瞬にして影として焼いてついてなくなったと人、喉が渇いて水か欲しいと川に飛び込んで亡くなった人、白血病でなくなった人、その人達がいたことを忘れてはいけないと、そのストーリーを知らずして仕方なかったと原爆を語るべきではないと、その上でnever again というべきと。 

私はすごく共感しました。安易に原爆を肯定すべきではなく、そのことは唯一の被爆国の日本の役目だと思います。 

 

 

・日本は無残な側、敗北者の側として戦争の忌避感が高く否定的に描きますが、勝利して、かつ利益を享受した側は全然違う見方をしてるはある事だと思います。 

勝利が先ずはただしく、守れなかった負けた側が正しいは無く、是正されて両方間違っていたになるくらいだと思います。 

正しくないと言われるのは受け入れがたく、謝罪や保障などしたくないので勝利者側の強い立場で黙らせる方に動きやすいかなと思います。 

日本だって日本に勝者がいた戦国時代や明治維新くらいまではいい面や盛り上がった面も取り上げられてると思います。 

日本の戦争は勝つとしてもやっては駄目という強い意識は、海外選手とのスポーツなどで勝てば良い、許されるとかでの礼儀の軽視とかの感覚の違いに影響していると思います。 

 

 

・アメリカには 

ダーウィンの進化論に異議を唱える学校もあるくらいですから。 

 

歴史教育について 

日本とアメリカの学校の教師同士で もっと交流したら良いと 

思います。 

 

普通、留学は 生徒ばかりが注目されますが、 

教師の留学があっても良いと思います。 

 

 

・核兵器は非人道的な兵器であると非難される。では、人道的な兵器とはどのようなものなのか、答えられる人はいるのだろうか? 一度に数十万人の人を殺傷する核兵器は、空襲で通常爆弾(焼夷弾)により数十万人の命を奪った事実や、沖縄で多くの人命を奪った火器や砲弾とは異なるものなのか、甚だ疑問だ。 核兵器以外の人命殺傷手段が人道的であると言えるのか考える必要があると思う。要は、人間を殺傷する武器そのもすべてが非人道的な物であり、いかなる口実でもっても肯定してはいけない存在であると思う。 核兵器を含むすべての兵器を使用した者はその兵器によって報いを受けることを覚悟すべきであると思う。 兵器によって人間の幸福を得ることができると思っている内に世界(全人類)が滅亡する未来があることを一時も早く世界の人々が理解するべきであると思う。 

 

 

・私も娘が小6の時に、広島の原爆について一緒に学びましたが、敗戦国の日本と、勝利国のアメリカでは原爆への認識の違いがわかり驚きました。 

私が幼い頃に学んだ原爆への恐ろしさ、戦争反対精神から一転、アメリカは原爆を落としたからこそ終戦に持ち込めた、アメリカは戦争で勝ったんだ!という認識の違い。 

教育の大切さ、教えること学ぶことの大切を改めて感じた出来事でした。 

 

 

・雲の下で人が沢山亡くなったのだから、校章は日本人とかアメリカ人の枠を超えて、人間の立場から見ると悪趣味ですね。見方って色々できますし、今も戦争は起きていますが、人間痛みや苦しみを感じるのは一緒で、勝つか負けるか以前に、血が出たら誰でも痛いです。人の痛みを反対側の人は誇りに思っているというなら、その人もいずれ病気なりなんなりで苦しむと思います。ウクライナで戦争が起きていますが、SNSは戦争の抑止力にはならないんですね。同じことが再び起きないようにできることは、人の痛みを増やすことは間違いで、痛みや苦しみから救うことが正しい行動であると認識することだと思います。 

 

 

・アメリカ国内でニュースになっていないだけで、 

アメリカ人にも核兵器の被曝者はいます。 

 

戦術核の使用の可能性を探っていた米軍が、 

爆弾使用後の土地に歩兵を歩かせて 

その後の健康状態を「人体実験」した事実があります。 

米兵たちは何の訓練か知らされておらず、 

ただそこを歩くように言われました。 

 

そんなの広島や長崎の民間人と同じになるに決まってるし、 

思った通り同じになりました。 

 

米軍は直後は事実をひた隠しにして、 

公表はされましたがどれだけの米国民が興味を持ったでしょうか? 

 

 

・祖父と孫ほども年齢が離れているのに、本当の孫と祖父以上に、コミュニケーションが成立しているのはすごいと思いました。 

原爆が落ちたことなんて、若い人からしたら過去の歴史として目を瞑って通り過ぎたい人も多い中、日本人としてキノコ雲の校章に疑問をもって正面から向き合おうとする姿は偉いなと思いました。後東さんも証言者になってくれて良かったですね。そのお歳で英語を話すというのも大変なことだったと思います。 

これからも貴重な被爆体験がひとりでも多くの人に届くよう証言していってほしいと願わざるを得ません。お二人の苦労が報われるよう祈っています。 

 

 

・賢い女性ですね。 

良い記事でした。 

今は原爆記念館にアメリカ要人が立ち寄ったりするようになりましたが、つい最近までは原爆のおかげで戦争が終わった正当性を貫徹するために記念館に来ることはありませんでした。 

現在は、記念館の趣旨を世界平和にする方向性の上でアメリカ要人は立ち寄るようになりました。 

どんな理由であっても人間を大量殺人したことには変わりありません。 

幇助したことを誇りに思うことは違うと思います。 

古賀さんはよくおやりになったと思います。 

そして被曝体験者の話というのはとても重要です。 

後東さんと協力しておやりになったのは効果的です。 

後東さんの行動も素晴らしいと思います。 

 

 

・第二次大戦時には、日本も含め核爆弾の開発競争があり、米国が真っ先に実用化を成し遂げ、実戦に投入したと聞いております。 

核爆弾の開発に協力した科学者達も、科学技術の進歩を夢見て研究に勤しんだのだと思いたいが、皮肉にも人間を大量に虐殺する兵器に利用された。 

政治的な判断もあったろうが、実際に起きた言葉では言い表せないような惨劇を想定していたのだろうか? 

今核兵器を持つ国は多い。互いに使わせない為に持っているという屁理屈のような建前である。 

核開発の科学者が、想定外の利用をされたように、核のボタンを握る人物が賢明である保証はない。 

1日も早い核や大量破壊兵器・化学兵器の廃棄・廃絶を望むものです。 

 

 

 

・映画オッペンハイマーはアメリカ人にしては、突っ込んだ作品だと思った。同じ事象でも見る方向が違う。昔から言う「勝てば官軍負ければ賊軍」なのだろう。それでも、分け隔てない良心と知恵を持つ人がいる。そういう人に語り継ぐ大切さを感じた。 

 

 

・79年経って身を結んだお二方のご縁と、勇気に頭が下がります。アメリカで声を上げること、見知らぬ相手に手紙を出すこと、語り継ぐこと、ドキュメンタリーを制作し、残すこと。素晴らしいです。 

いよいよ、生の語り部が少なくなっています。 

私は40代ですが、小学生の頃、夏休みには祖父母の戦争体験を聞く、という宿題がありました。 

思い出したくもないと多くを語ろうとしない姿、空襲や機銃掃射の話を、悲しかったよ、戦争はいけないよと話す姿に、戦争の怖さを実感しました。 

子どもにも、沖縄のひめゆり、広島の原爆ドームに連れて行き、資料館で学びましたが、戦後生まれの私の、「祖父母から聞いた話」がどれほどの説得力をもつか疑問です。でも伝え続けないと平和は続かないと思っています。 

どうか、生の語り部の皆さんが健康に留意されて、一日でも長く、一人でも多くの方に、平和の尊さを伝えていただけることを願っています。 

 

 

・アメリカ人の大半は、未だに原爆投下は正義だと考えているんですよね。戦争を終わらせるための必要悪だったと。 

で、日本は戦後80年経っても敗戦国のレッテルを貼られたまま、国防も原爆を落とした加害国のアメリカに頼るしかない状況から抜け出せない。 

日本はいつまで敗戦国だと、原爆を落とされても仕方がない国だったと見下され続けなければならないのかと、最近強く思います。 

 

 

・先の大戦で原爆が使用されたことについて、いまさらどうこう言うつもりはない。日本も本土決戦を覚悟していたことも考えると、当時の価値観、状況では正しかったのかも知れない。 

ただし、現在の価値観で評価すれば大量破壊兵器の民間人への使用は絶対に間違っている。まずは当事者であるアメリカがそのことを認めなければならない。アメリカが過去の核使用を反省の対象としたとき、真の世界平和、核廃絶の入口となる。 

 

 

・スペインではコロンブスを偉人としていない 

ドイツやイタリアで、ヒトラーやムッソリーニを偉人としていない 

当のオッペンハイマーは、死ぬまで後悔している 

リッチランドの人たちは、何も知らされずに作らされてただけで、別に開発したわけでもないし・・・ 

 

大戦終結に対して影響力は無視できないほどあったとは思うが、一般人大量虐殺といった事実から目を背けてはいけない。 

誇りに思うこと自体は否定しないが、誇りに思うなら、その前に被害をしっかりと見つめてほしい。 

 

 

・もし私が当時のアメリカ人として生きていたなら原爆について肯定的だったでしょう。もし当時のアメリカ人が広島に生まれ自分以外の家族が被爆していたならアメリカを憎んでいたでしょう。 

人は生まれた場所や時代、教育そして個性によってどのような考えになるか変化する。 

自分の国に誇りを持つことも重要であるが、もっと大切なことは相手の立場に立って物事を考えようと努力することだと思う。完全に理解する必要はなく理解しようと努めるだけで十分だと思う。 

 

 

・原爆の製造に関わっていた地域の意識や考えの違いに疑問をもって校内向けの番組でご自分の意見を堂々と主張した古賀さんは勇気がありますし、その考えも素晴らしいと思います。そして、その発信が日本にも届いて被曝者である後東さんの心を動かして自分の被曝体験を語って行こうと意欲的になったこともすごい事です。若い古賀さんの思いと被曝経験によりとたんの苦しみを味わった後東さんの思いが一人でも多くの方に届いて欲しいと思います。 

 

 

・私は40代。祖父母と一緒に暮らしていました。二人とも他界していますが生前に戦争の話は少し聞いたことがありますが、あまり多くは語ろうとしなかったです。二人が他界し、遺品整理をしていたところ戦時中のアルバムが見つかりました。祖父は中島飛行機の武蔵工場?で働いていました。賞状も見つかりました。どんな思いで働いていたのか聞いてみたかったです。そして終戦後どんな気持ちだったのかを。恥ずかしながら広島の原爆資料館にはまだ足を運んでおらず。小学生の頃に結構戦争ものの本を読んでいたので、正直ちょっと怖いんです。写真でまざまざと目にするのが。でも勇気を出して訪れてみたいと思います。またアルバム引っ張り出して思いを巡らせてみようとも思います。 

 

 

・東北出身の私にとっては原爆は昔の遠い場所で起きたことだった。なんて無知で浅はかだったんだろう。アメリカにはもっとそういう人がいるんだと思う。 

広島ではまだ原爆は終わっていない。 

仕事の関係で3年ほど広島市に家族で住んでいた頃、小学生の私の子が8月6日の登校日に泣きながら帰ってきた。被爆者のおばあちゃんの話を聞いたんだと。 

語り継いで日本にも世界にも発信していくこと、とても尊敬するし、重要なことだと思う。 

 

 

・大量破壊兵器を使って、無抵抗で非武装の非戦闘員を、計画的に大量殺戮するという行動は、少なくとも21世紀においては、たとえ戦時下であっても犯罪とされます。 

当時はそういう概念の無い、まだ人命など「紙屑程度」の価値しか無かった時代ですが、この二つの世界大戦を経て、法になりました。 

つまり、当時なら法規制は無かったけれど、現在なら重大な犯罪にあたる行為です。 

少なくとも、恥ずべき行為であったという自覚は、必要なのです。 

 

 

 

・すごい!核兵器根絶に向けた一歩一歩を着実に進む若い古賀さんの姿と高齢ながらも未だやらなきゃいけない事が有ると励む後東さん、お二人の姿が尊い。 

 

ただ文句言ってる大人達よ、見習おうよ。これが未来に向けた希望の実現への行動。 

戦争反対とか核兵器反対言ってるだけなら誰でも出来るけど、自分にしか出来ない何かで訴え行動する事って凄く大事です。 

 

私も小さくとも日本の良さ、尊い歴史を後世に伝え継ぐ事に奮闘努力して行きます。 

 

 

・自分が育った環境や国、地域で思考が違う 

押し付けや上辺ではなく広島の資料館で写真を見て何を感じるかを外国の方には自分自身で体感してほしいですね 

換気により教えられている事も全く違うと思うので 

 

私自身も教科書では見聞きしていましたが1番の衝撃は小学校の時に行った資料館でした(現在の前の資料館) 

大人になっても数年毎に訪れます 

何度訪れても心が辛くなります 

 

 

・昔、古賀さんがリッチモンド高校のインタビューしている動画をみました。原爆を落とした側と落とされた側の感覚に違いに驚きました。アメリカの高校生は「キノコ雲のマークを誇りに思う」と答えていました。 

 

もともと原爆が小倉に落とされる計画が曇りのため長崎になったので、動画の中で「曇りだったから私は今ここにいる」という内容のコメントをされていたのも印象に残っています。 

 

私たちは広島や長崎で平和学習をする機会もあり、原爆の恐ろしさを知っています。 

キノコ雲の下で起きていることを知ってる側と知らない側。 

 

国内外問わず、多くの人に資料館に行って原爆の恐ろしさを知って欲しいです。 

 

古賀さんのその後が気になっていたので、この記事で知ることができ良かったです。 

私も次の世代の子供たちにしっかり平和のありがたさや原爆の恐ろしさを伝えていきたいです。 

 

 

・当時、戦争を終わらせるために原爆が必要だったとか、それを最初に完成させたのはアメリカだったとか言われたらアメリカ人が誇りに感じたとしてもそれは自然なことかなと思います。 

けれど原爆投下の結果その街で起きたことを具体的に知ったら、本当に必要だったのかな?と感じる人が多いのではないでしょうか。その辺はアメリカの教育では触れないらしいですが…。 

戦争に勝った側か負けた側かは問題ではなくて人類共通の過ちとして地球人みんなが認識してくれたらよいと思います。 

 

 

・価値基準は多々あるがそれではルールにならないので古代ローマは国際法を作った。人類の戦時国際法として、軍事目標主義が原則。民間人大量殺戮は違法と認識されてきたが、現代が古代から進んでいるのか、疑問に思われる事例が散見されるね 

 

 

・アメリカ人の大半は日本への原爆投下は他人事、または戦争を早期に終わらせる手段としてやむを得なかったと正当化している。今はオーバーツーリズムで富士山周辺や京都が大変な状況だが、一人でも多くの方が広島へ行き、広島の空気と原爆資料館を見学して欲しい。目と肌で感じて欲しい。 

 

 

・近年だと、阪神淡路大震災、新潟の中越地震、そしてまだ記憶に新しい東日本大震災。他にも様々な自然災害が日本列島を襲い、今なお被災を余儀なくされている人達が大勢います。 

 

戦争は自然災害とは全然違う。 

 

けど、戦争を知らない我々世代がこれらの規模の震災を思い起こすだけでも、当事者は震えあがる程の恐怖を感じているだろうし、同じ日本で災害の映像を目の当たりにして、緊急放送の緊迫感を添え付けられました。 

 

申し訳ない限りですし、苦しみの重みの様な事でマウントを取る様な議論も勿論するつもりもありません。 

 

戦争の大惨事とは比べ物にはならいかも知れませんし皮肉な言い方になってしまいますが、これらの自然災害の大惨事等で、ほんの少しは想像出来るし苦しみも理解出来ます。 

 

戦争は人為です。なので人の理性が働けば防ぎ得ます。 

 

こんな苦しみが人為的な事であってはいけないと思います。 

 

 

・古賀さんはもちろん当時の状況は知らないし分からないだろう。 

しかし、原爆を直接体験した人と密接に情報交換できる最後の機会が与えられている。 

原爆のおそろしさを知り、今の若者が原爆についてどう捉えているのかを逆に被爆体験者に伝えられる。 

単にドキュメンタリーを制作するにとどまらず、戦争の実態を周知する活動に発展していけばいいな。 

 

 

・勝てば官軍の思想こそが核兵器肯定論です。 

 

あの戦争も核を使わずともアメリカ優勢で勝てたのをあえて核を使ったのも、世界中にインパクトを与えるのと、実戦使用した際のリアクションとデータ取りが主目的です。 

 

結果として悲惨な状況に追い込める強者の証となってしまいました。 

 

アメリカが核を誇りにしている以上はアメリカの思想、いわば核の悲惨より、核の威力への礼賛と相手を屈服することができる。相手が悲惨なことになっても敗者の戯言としてその思想は世界中に根深く残っています。 

 

核保有国またはその国と提携している国で日本の悲惨な話に心から耳を傾けて聞こうと言う国は皆無でしょう。 

 

 

・多くの日本人は、原爆忌は過去の反省、教訓ととらえ長崎が最後の被爆地でありつづけることを祈り、世界に訴えてゆくべき日であり、原爆を投下したアメリカを非難するものではないととらえている。しかし、アメリカ側からしたら、それこそ日本と韓国が慰安婦や徴用工問題でもめているように、原爆忌がアメリカを非難するものだと受け止めるアメリカ国民も一定数いるものと想像する。日本が思うほど、原爆忌のセレモニーなどが国際的にはよく受け止められていないかもしれない。 

 

 

 

・嬉しく思います、罪も無い犠牲者が、あの世でも原爆の怖さに、今も震えて天国に、届かぬ方々の無念な気持ちに、思いを馳せると、何故戦争をやりたがる人間が居るのか、悲しい気持ちになります。歴史上最悪悪魔の兵器です。どんな理屈を付けても、神は許さないと私は考える。アメリカ合衆国は被災者に、人間としての過ちを認め、心から哀悼の誠を捧げ、真の友好親善を確立して欲しいと願います。 

 

 

・戦争の終結を早めた。 

確かにそういう話もありますが、おそらく数週間早まっただけの話かと。もはや日本には反攻する余力は残されていませんでしたから。後付けの話もいいとこですね。それに広島や長崎にはあえて空襲を控えて油断させたところで原爆の効果測定をするという人体実験も含まれていたのは事実。非人道的に変わりはない。大戦そのものに対してはお互い様だろうが、非人道的兵器を用いて多数の民間人を実験台にした事実にだけは目を背けてはいけない。未来永劫、忘れることは無きように。今後も核だけは使用すべきでない。 

 

 

・「原爆投下」というコインの裏と表の話です。 

 

日本側からすると被害は甚大、数十年に及ぶ被害や無差別に苦しんで死んでいった方々が大勢いるという事実。 

一方でアメリカ側からすると、これ以上続いても無意味に死者が増え続け、継続する戦争に終止符を打ったと捉えられている。その後、核について研究が発展して人類にクリーンエネルギーの可能性を示し、一定程度は実用化している。 

全く違う認識があるが、これらが語るのは歴史教育に他ならない。 

 

理解し合えるかは不明ですが、相互に理解をする努力をした方が後世に良い影響を与える可能性が高いと思います。 

 

 

・まず、世界に核廃絶運動を訴えかけた所で、日本人の言いたい事をどの国も額面通り受け止める訳では無い事実を日本人が認識しないといけない。だから被害者目線で、原爆で長崎、広島が痛ましい思いをしたのと同じくらい、日本も一方的被害者では無く、アジア諸国にして来た加害者としての立場、両方について教科書に載せる勇気が必要なのだと思う。 

 

 

・当時のアメリカの本音は「戦争終結のための原爆投下」ではなく「あくまでも原爆投下ありき」だったわけでしょ?戦後の東西冷戦を見据えて。核兵器をいち早く実戦で投下してその威力を誇示したかったわけだから。 

単なる原爆の凄惨さや人道を無視した点にとどまらず,そこまで踏み込んでもよかったかな? 

 

 

・個人的に、核分裂利用が人類の英知の一端として人類史に残る歴史の一部だとするなら、核兵器はその核利用史の中で最も間違った利用方法だと思ってる。 

 

天満小は木造旧校舎が解体された折に現代の授業で使われていた黒板の裏から古い黒板が出て来て、そこに原爆投下後に学校に避難してきた市民たちの家族などに向けた安否情報が残っていたというニュースを聞いたことがあります。 

 

米国人は広島長崎への核投下が太平洋戦争の終結を早めたと学校で教わっているそうですが、まあそのことに関しては未だ議論の的とはいえ、にしても核兵器が制御不能な大量破壊兵器であることは論を待たないでしょう。 

 

第二次世界大戦当時の核攻撃の被害者が鬼籍に入り核の非人道性の記憶が薄れる中で、世界の趨勢を決める各国の指導者の中には、核兵器への認識が甘く、単に敵に大打撃を与えることのできる強力な爆弾だとの認識しかない者さえいる始末。 

悩ましいことです。 

 

 

・欧米人に反省文化は無い。仕事していて良く分かる。勝てば良かった、自分達に都合良く解釈して実績にしてしまう。自分達が不利になれば、ルールが悪いやらなんだかんだでルールまで勝手に解釈する。 

時間は掛かるが、日本人としてはこの悲劇を決して正当化してはいけない、これからもひたすら訴え続けないといけない。やめたら、その時点で日本人は原爆被害を容認したと解釈される。 

今回も、イスラエルの参加拒否に対して露骨に不参加した状況見て、彼らは少なくとも誠意の有る味方では無い事を改めて思った。 

 

 

・この地域の住民以外には、驚きな映像だと思いたいが、幼少期からの洗脳とは恐ろしい。核の恐ろしさがまるで判ってない。よくアメリカ人が、これで戦争を終わらせた、そうでなければもっと死者が出ていただろうとか言うが、人がほとんど住んでない場所に落としてビビらせて終結させる事も出来たはず。この学校の生徒を原爆資料館に連れて行った時の反応が見たい。 

 

 

・核兵器は絶対に保有も使用もするべきではありません。当時のアメリカには冷戦を見越しての思惑があり力を誇示する目的も確かにあったでしょう。しかし、太平洋戦争中に日本が核兵器を保有していたら躊躇なく使用したと思います。 

 

 

・原爆を使用しなければ戦争が長引いて死者が増えたと言うのは想定であり、実際どうなったかは分からないし、自身の身内が被害者であっても、原爆を正当化する事が出来るのだろうか。 

そして想定ではなく確かなことは、原爆で何十万人という一般人が言葉に出来ないくらい悲惨に亡くなったという事実である。 

ここを重要視しないと世の中から核戦争は無くならないと思う。 

 

 

 

・人気ブログの「世界の日本人妻たち」から。  

米国では「真珠湾攻撃」と「原爆投下」を小学生の時から教育しているようだ。その時、日本人の子供はなんとも嫌な立場に追いやられるという。  

そして、「トルーマン大統領が原爆投下を決定して多くの米兵の命を救った」も教科書に載っていて、徹底的な刷り込みがされているとも。 

そんな中、勇気がある。拍手!! 

 

 

・手っ取り早く多くのアメリカ国民に原爆が如何に非人道的な兵器であるかを無慈悲に学習させられるのは、アメリカ本土の都市が広島・長崎同等の惨劇に見舞われる...これ以外はない。 

 

日本政府は米の核戦略傘下にある(と思っている)ので立場上『平和利用』の核について論じるが、廃絶対象の核には触れない。 

民間人による勇敢で地道な頭の下がる努力は「100万の米兵の命を救った」の一言で多くの良識ある米国人にも伝わりにくい、伝わったとしてもその効果は一滴の小さなしずくが水面に落ちた程度。 

 

米本土に第三国から核弾頭が打ち込まれる事態はあり得ない。あったとしたら学習どころか世界が終る。 

 

人間は失敗・間違いを犯す生き物。緊張はいつか切れる。勘違いも起こる。システムは突然不調を来す。不測の事態はあり得る。自業自得を待つ。 

 

 

・「南予は昔から白血病が多いから」 

2000年秋に、我が母校で次期生徒会長と謳われた、一つ下の優秀な子が、15歳で亡くなった。急性白血病で亡くなり、それを知ったうちの母が残した言葉である。 

 

国内でもよく槍玉に挙がる伊方原発の風下となる地域が南予地方で、何かが飛んできているのではと思うようになったきっかけとなる出来事だった。 

 

しかし、八幡浜、伊方地方には、その原発があるからこそ食い扶持がある、という産業があるのも事実で、一概に否定も肯定も出来ない。しかし、原子力を扱うなら、このどちらの事実も知っておくべきだと思う。 

 

原爆なら尚更だ。 

 

 

・アメリカでは核投下が肯定的に捉えられているのですか。知らなかった。 

 

恐ろしいものと教わって育った私には、落とした国も恐ろしいものを落としたと自覚していると思ってました。 

 

ウクライナの戦争を境に、世界は平和ではない。 

一触即発だし、アメリカに追随することの危うさも感じました。 

平和ボケしてました。 

身の回りがたった70年平和だっただけでした。 

広島の悲劇を証言してくれて、ありがとうございます 

アメリカでこんな校章があると教えてくれて、ありがとうございます。 

目が覚める思いです 

 

 

・昔シンガポールで仕事してた時、シンガポールの仕事仲間から、 

 

「ここが、日本人によって大虐殺が行われた場所だよ。日本人は時にクレイジーだよな。」 

って言われたことがある。 

その時何も言えなかったし、改めて戦争の歴史を勉強してみると、日本もかなりひどいことしてたんだなと思い知らされた。 

 

日本は原爆の被害者なのは確かだが、それまでの日本の行いも理解しておく必要があると心から思う。 

 

 

・人類は核兵器という「パンドラの箱」を開けてしまった。そして使ってはいけない核兵器を使ってしまった。もう後戻りは出来ないところに来ている。 

人類の歴史は核兵器のない時代には戻れない。核兵器保持による戦争抑止力は必ずしも否定出来ないが、再び核兵器の使用は人類の滅亡に直結すると言われている。 

それならば広島長崎の被爆体験が少なくとも核兵器使用の抑止力となることを祈らずにはいられません。 

 

 

・原爆の是非はともかく、日本の敗戦に対する反省のないコメントが結構あるのは怖いですね。軍部が主導したのは確かだけど、マスコミも含め、戦争を推し進めた体制があったこと、早期の講和に応じない世論があった歴史なのです。 

いろいろ近くに緊張がある状況ですが、先の戦争には学ばないととあらためて思います。そういう意味では戦争を忘れないと感じさせてくれる話ですよね。 

 

 

・日本人からでさえ時々出てくる「原爆のおかげで第二次大戦は早期終結でき、犠牲者も減らすことができた」という言い訳は、アメリカの歴史学者でさえ否定しているという事を日米の若者にも広く知らしめるべき。 

原爆なんか落とさなくても日本にもう戦争を維持する能力は残ってはいなかったし、アメリカ自身が参戦を促したソ連が、想定以上に前のめりで参戦してきて、モタモタしてると日本の北半分はソ連が持っていきそうな情勢になったので、慌てたアメリカが早期終結のために核を使っただけのこと。 

非戦闘員の一般市民が数十万人住んでいる都市に核兵器を落とした米国の罪は永遠に消えない。 

 

 

・戦争には絶対正義はないが勝敗はある。日本は総力戦をしていたのだから、米国は、東京大空襲のような市街地を目的とした焼夷弾を雨のように降らせて,日本政府の戦意を削ぐのは当然の事だった。そして原爆投下も米国の立場なら正当化されて当然だ。戦争とはそういうものだ,敗戦国の日本が戦勝国の米国を批判する権利は,日本が無条件降伏をした事で無くなってしまった。私自身は,米国に,原爆投下の責任を追求するのは無駄だと思っている。日本国民が戦争責任を追求するのなら,当時の日本政府に対して行うべきだ。勝てる見込みが無い戦争で,日本国民を騙して犠牲にしたのだから。特攻作戦とか有り得んし,インパールは戦死ではなく病死。ミッドウェーでは航空母艦を用いた作戦にド素人艦長でボロ負け。山本五十六元帥が航空母艦での空中戦の時代と主張したのに,戦艦大和も武蔵も当時のGNPの3分の1も費やしたのに撃沈。国民を騙した罪は大きい。 

 

 

・「誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。」 本人が口にした言葉か分からないが、一方的にNOを突きつけない対話型のアプローチは今後も重要だと思う。相手側が聞く耳持たなくなる事は、最も避けるべき。 

 

 

 

・アメリカ人は勧善懲悪ストーリーが大好きだが、第二次大戦も同じ。侵略を続ける極悪国家の日本帝国を正義の味方アメリカがやっつけたという刷り込みをアメリカ政府が自国、そして戦後日本でも行った。アメリカ人にしたら原爆投下は最後に悪者にとどめを差した「必殺技」みたいな感覚だろう。罪悪感を感じているアメリカ人もいるが、偉業と考えてる比率が高い。しかしこの女子学生は勇気、行動力が凄いな。 

 

 

・戦争を早く終わらせて、これ以上の犠牲を出さなかったのだから必要な事だった 

あれで良かったのだと言うアメリカ人は多い 

(そう教えられてもいるだろう) 

 

では被爆国がアメリカであったなら、沢山の一般人の犠牲者を出したのがニューヨークやワシントンやその他の地域だったなら、これで戦争が終わったのだから仕方ない、これ以上の犠牲を出さなくて良かったと言えるのかと思う 

 

日本を一方的に擁護しているのではない 

戦争はどちらが勝っても負けても悪い事だ 

簡単な話なのに、人間は欲深い 

 

 

・今日本に観光に来る外国人が増えている。 

その中で、原爆ドームに訪れる外国人もまた増えており、訪れたアメリカ人の多くが核攻撃がどんな惨状を作ったのか理解し、衝撃を受けています。 

 

核攻撃は日本の卑怯なパールハーバーの報復であり、又、アメリカの軍事力の偉大さを世界中に見せつけた上で第二次世界大戦を勝利に導いた「功績」と認識していたわけです。 

 

アメリカの教科書には、その「功績」を讃えるかのような文面とキノコ雲など俯瞰で撮った写真しか載っていない。 

人々がどうなったか、街がどんなことになったのか、その「残酷な事実」をまでを教えていない。 

 

我々はパールハーバーも核攻撃も戦争において起こった悲劇の全てを絶対に讃えてはいけない。 

戦争という、今となっては非現実的にしか思えないような惨状を正しく理解して、断固否定し続けなければいけない。 

 

 

・アメリカ人が原爆投下を正当化するのは間違っているし、日本人の中にも日本が戦争なんかしたから落とされてもしょうがなかったんだと考える風潮があるのも間違いだと思います。東京大空襲も含めて、一般市民を狙った攻撃は戦争犯罪ですし、一発の爆弾で何十万人もの市民を殺害する原爆を投下したことは、紛れもなく戦争犯罪です。日本の戦争についてどう評価するかは別にして、東京裁判で罰せられるべきはトルーマン大統領ですし、投下した現場の兵士たちだと思います。日本人はこの事についてもっと怒っていいと思います。 

 

 

・勇気ある女性ですね。それにしても校章にしているなんて驚いた。原爆を落とした事に対して、米国の人々はなんら反省など全くないのだと思い知らされる。むしろ誇っているのだとしたらこんなに悲しいことはない。 

当時、降伏を伝えていたのにも関わらず長崎と広島で種類の違う原爆を実験的に落としとんでもない数の人々を殺した米国。その後、被爆者少女たちを招待して治療したことを美談にしていたが、実際は被爆の怪我の経過をリサーチしたかっただけで関わった25人中1人は手術ミスで死亡したと知った。米国に過ちを繰り返させない為にも日本は米国から真に独立せねばなりません。 

 

 

・9.11ワールドトレードセンターが煙を上げて崩れ落ちる様子をテレビの生放送で見ながら、不思議と何の同情も起きなかった。多分だけれど、アメリカ人がそれまでやってきた殺戮行為を責めないよう心が凍りついている、その反動だと思う。 

 

原爆投下で広島14万人長崎7万人の無辜の市民を殺戮した米国の行為を自分は責める気はない。日本人の多くはそれを敵国ではなく「戦争」のせいにすることで合理化している(それが憲法9条で安全保障をこじらせている原因なんだが)。責めない代わりに9.11テロで3,000人ぽっちが死ぬくらいは仕方ないんじゃないの我慢しろよ、みたいな冷たい感覚を友人米国に対して抱いている。 

 

キノコ雲を誇りに思っているアメリカ人を見るとき、そんな自分の考え方に対する迷いや疑念が薄れて安心感を感じるのだ。肉親を殺されて泣いている友人を見て、そういやこいつ前に人殺し自慢してたなと思い出す感じ。 

 

 

・ドンドンやって欲しいですね。アメリカは二次大戦後、すぐに広島に調査団を送り、人体にどういう影響があったか?を徹底して調査しました。被爆者の臓器を集めたりです。つまり、原爆投下には人体実験的な側面があったことは否定できず、同じことをナチスドイツにやっていたら、ナチスが行ったユダヤ人虐殺と同じだ!とアメリカは非難され、歴史にも裁かれていた。トルーマン氏に広島への原爆投下のゴーサインを出させたのは広島が軍事都市であり民間人への被害は少ないと部下に騙された、という説があります。民間人に甚大な被害が出たことを知り、トルーマン氏は朝鮮戦争では原爆の使用許可を出さなかった。アメリカや自分が残虐行為を行った指導者として裁かれることを嫌ったからです。マンハッタン計画の根本は、二次大戦後の世界でアメリカが軍事的優位をどう確保するか?でしたが、日本が見事に原爆の破壊力を測る実験場になってしまった。 

 

 

・古賀さんと後東さんの行動に、胸が熱くなりました。 

戦争終結から約80年、当時と今じゃ価値観が大きく異なります。戦勝国と敗戦国、白人と黄色人種などの視点の相違も大きく異なるでしょう。しかしながら古今東西、人命の尊さは普遍です。 

 

「マンハッタン計画」の拠点として核兵核産業で栄え、自国を戦勝国に導いた誇りは、当時は称賛に値したのでしょう。その裏側に、広島・長崎以前から無抵抗の無辜の民を大量虐殺し続けた米軍の行為があります。 

 

これら歴史的な事実を踏まえ、リッチランド高校生には、広島や長崎への修学旅行に来てもらいたい。未来ある若者に、核兵器のみならず戦争の現実を学んでもらいたいと思います。そして「火垂るの墓」もぜひ一度観てもらいたいです。 

 

 

・日本は唯一の被曝国って言う事があるけど、戦争で使われた唯一の被曝国なだけで、原爆や水爆による被曝者は日本人以外にもいるんだよな。 

映画オッペンハイマーでも映ったけど、実験場にいた人 軽装だったし、第五福竜丸の件もあるし。 

広島や長崎に捕虜としていて被曝した人も。 

人種や立場が違っても、理解し合えるものはあるはず。まず話さない事には進まないけど。 

 

 

・いい記事ですね。 

 

核開発の街で異議を唱えた古賀さん、70数年も言えなかったことを話しだした後東さん・・どちらも凄い勇気と行動力の方ですね。 

 

一人でも多くの人に、お二人の想いが伝わることを祈っています。 

 

 

 

・戦争は悪。それに使う武器も悪。特に核兵器は作った人も使った人も人間扱いするべきではない。原爆投下を誇りに思ってるとか異常にしか思えない。 

原爆でどれだけの民間人が亡くなったか。その後放射能の後遺症でどれだけの人が苦しんだか。そのことを世界中に伝えている人が本当の英雄です。 

 

 

・この活動をなぜアメリカでしかやろうとしないのか?先ず中国でやるべきであろう。日本の核攻撃のために既に80発以上の原爆を搭載しているミサイルが準備されているのだから。 

次に北朝鮮に向けて声を上げるべきであろう。 

そしてアメリカか。 

 

だがアメリカ人は必ず言うであろう。日本への原爆投下は日本が本土決戦をすることを止めて降伏をさせ、100万人のアメリカ人の命と500万人の日本人の命を救ったのだと。 

 

それに今の日本はアメリカの核によって守られているのに、ナゼアメリカに向かってのみこういう話をするのか、と。 

よく考えて活動をすべきだ。 

 

 

・偏った価値観や物事すべてを正当化する風潮を変えるのは、本来なら生粋の米国人でないと出来ない事だと思う。軍事力を行使出来ない被害者意識を植え付け、それを利用して米国は独立出来ない日本を利用してきました。物事の捉え方は国民個人レベルで変化していますが、それでも核の使用は正当化出来ないものだという事は、その後使用されていない事からして明らかです。 

 

 

・言葉悪く言うなら、欧米列強の植民地政策さえなければ、太平洋戦争は起こっていなかったかもしれない。 

江戸時代の黒船来航から、日本を植民地化しようとして出来なかった欧米、特にアメリカ、イギリス、フランスが、独自に急速に進化する日本を恐れ、一方的な軍縮を科したことにより、日本は植民地にはならない!と抵抗したことは想像に易くない。 

 

未だにオリンピックの笛や、各種スポーツ競技が、欧米優位なルールで行われている。 

結局、世界は何も変わってない。 

 

確かに日本軍は悪いこともたくさんした。しかしその背景を知ると、そうさせた理由は、欧米諸国にもある。 

 

焼夷弾を無差別に落とし、既に抵抗力を失った日本に原爆を落とし、大量殺戮したアメリカという国を、私は生涯許さないし、今も世界の警察を気取りながら、自国の利益ばかり考えているなと冷めた目で見ている。 

 

私には、アメリカもロシアもイスラエルもハマスも一緒だ。 

 

 

・どんなに原爆の悲惨さを語っても響かない人には響かない。 

今、過去にあった戦争について興味を持つ子供達がどれくらいいるだろう。 

子供に限らず、原爆の事、戦争の事を真剣に見聞きしようとした事がある人はどれくらいいるか。 

 

今35の私ですがすでに周りには戦争について考えた事がある人は少ない、むしろ居ないに等しいです。 

原爆資料館も沖縄の資料館やガマも授業で行ったけど、記憶に留めている同級生はいるのだろうかと思います。 

戦争について興味がありいろいろテレビや本や記事を目にして夜うなされた事もありました。 

でも、それについて誰かと語ろうとは思えなかったし自分も何一つ行動には移せていない。 

ねぇ、戦争や原爆投下についてどう思う?ってなぜか気恥ずかしくて切り出せません… 

 

だから、こういう語り手の方から話を聞く機会を授業等で増やして考える場を設けてくれると良いなと思います。 

 

 

・日本人は米国の原爆投下を非難する事を以って、自らの過ちを否定はしない。日本人が受けた原爆投下を始めとする無差別攻撃による市民の大量虐殺行為は、例え私達に過ちがあったとしても、非難されるべきではないかと言う想いがある。一つ言えるのは、第二次世界大戦は、絶対善と絶対悪のハルマゲドンなどでは無かったと言う事です。戦争をその様に捉える人が絶えないから、この世界から戦争が無くならない。 

 

 

・当時の日本が今より少し前の北朝鮮並みに外交に長け、さらに原爆を開発していたらどうだったろうか、歴史にタラレバは愚の骨頂と思うが戦争は起きなかった可能性が高く、広島も長崎もなかった。日本が2度も被爆国にならない為には、核保有による抑止力を持つ必要がある。日本は核で恫喝する独裁国家、権威主義国家の中露北と隣接している事実、脅威に真剣に立ち向かう必要なある。 

 

 

・アメリカにとっては第二次世界大戦に勝利した核兵器は正義なのだろう。 

映画でも侵略者を壊滅させための兵器として核兵器を使用する場面が多く、あのゴジラを復活させるためにも核兵器を使用するなど、アメリカにとっては正義の武器なのだろう。 

 

 

・若い人が戦争体験の辛さを勉強なさるのは良いと思う。 

まあそれが何か「有名になりたい」だとか「良い大学に入れる」などの欲望に繋がらなければいいが。 

戦争、原爆はもちろん反対。 

理由は、一瞬で多数の人が死傷し、戦争と関係ない一般市民までも大規模に犠牲になり、後遺症で苦しみ、結婚も避けられる、子どもを産んでも40歳前後でなくなった方もいるし、体に熱線の後遺症や痛みが残り苦しんでいる人がいる、放射能汚染で環境が破壊されて、世界、人類にも良くないと、たくさん理由があるから。 

しかし、原爆の研究、作成に関わったアメリカ人と広島の被爆者のかたが話し合ったニュースを以前観て、アメリカの原爆関係者は、絶対謝りませんでした。 

理由は、日本軍が悪い、原爆を落とさなければもっと人が死んでいた、パールハーバーは日本が仕掛けたんだとか 

確かに、旧日本軍の戦争行為、満州事変は大きく反省すべきところです。 

戦争は絶対ダメ 

 

 

・また終戦記念日が近づいて来くるとこの時期にこういう特集記事は多い。リッチランドの人々が誇りに思うという核産業。これを日本人は不快に思う。しかし原爆が落とされなければ大日本帝国は特攻攻撃を続け降参せず戦い続けもっと大きな犠牲者を出していたかもしれない。加害国と被害国の心の差は変わらなくても不思議はないと思う。 

 

 

 

・そのキノコ雲の下で一瞬にして街は無くなりあまりにも悲惨極まりない地獄絵図になってしまった。その後80年経ってもなお放射線障害に健康が脅かされてしまう事を誰が想像できただろうか…広島、長崎への原爆投下は無警告な新型超兵器の使用という点では非人道的で許す事は出来ない。それだけに核兵器の攻撃使用は長崎を最後にしないといけない。 

 

 

・アメリカは昭和20年11月に九州に上陸するオリンピック作戦。 

昭和21年3月に関東平野に上陸するコロネット作戦。 

を計画していた。 

日本本土に上陸して地上戦をするとアメリカの兵士にも沢山の死傷者がでる事が予想された。 

昭和20年7月のポツダム会談中のトルーマン大統領に原爆完成の電報が届いた。 

ポツダム会談に乗る気ではなかったトルーマン大統領は原爆完成の知らせを聞くと急に元気になった。 

これでソ連の力を借りなくても戦争を終わらせれる。 

トルーマン大統領から見ると自国の若者を無駄死にさせないために原爆を投下した。 

 

戦争は勝てば官軍負ければ賊軍なのでアメリカが正しいのです。 

 

 

・核兵器の製造も使用も賛成する国民が圧倒的に多数の国だ。 

 

過去に使用したことで後悔をするなどとは考えるのは幼稚だ。「リメンバー、パールハーバー」を教え込まれている国民が、そのために使用したと考えるのに疑問が起こるのが無理だ。 

昨年10月からガザの住民が殺傷に遭っていることでも、一部大学生が非難の声わげる以外に、大勢の国民は無関心かイスラエルの攻撃は当然とみていることからも分かる。多国同士の争いでのこと。 

自国が”事前通告なしの急襲にあっての戦争”に核兵器を使って、というのが"普通の米国民”であろう。 

だから、原爆犠牲者慰霊式典よりイスラエルを重く見るのだ。 

 

 

・私も米国に留学し、原爆を扱った授業で揉めました。 

 

アメリカ側での一般的な論理はこうです。 

 

本土決戦になれば、多くの米軍兵士の生命が失われる、それを阻止するために、原爆投下はやむを得ない決断だった。そして、本土決戦になれば、多くの日本人の生命もまた失われていたはずだ。だから原爆投下は、結果的に多くの日本人の生命をも、また救ったのだ。 

 

広島生まれの私は反論しました。「百歩譲って、前半は認めよう。米軍最高司令官として、トルーマンは米軍の犠牲を減らす義務があったろう。だが、後半は余計なお世話だ。認めることはできない。広島で失われた14万の日本人の生命も、本土決戦で失われたかも知れない日本人の生命も、重さに変わりはない。それをアメリカ人にどうこう言われる筋合いはない。」 

 

奴らからはぐうの音も出ませんでした。 

 

 

・批判覚悟で。 

10年くらい前、原爆投下したパイロットと対面した被爆者が、割と穏やかな口調ではあるものの「謝ってください」と詰め寄る場面があった。パイロットは「私は国の指示に従ったまでだ」と謝罪はしなかった。でも表情は凄く苦しそうだった。原爆の被害がどんなものかわかっているからこそだと思う。でも軍の任務を果たしただけ。彼はその任務を任命されたことを誇りに思っているかと言えば、多分そうじゃない。苦しんでる様子でした。自分がその当事者じゃないからと言われたらそれまでだけど、詰め寄って「謝ってよ」と言うのはなんか違うなって思った。 

 

 

・正直、最近はもう疲れてきてしまいました。 

日本の崩壊を1日1日感じる。 

来年の今頃、私はこの世にいるんだろうか? 

どうせ、戦争で死ぬなら、木っ端微塵にしてくれ。 

一瞬で、恐怖も感じる暇がないくらい一瞬で殺してくれ。 

そう言う風に毎日考えてしまい、ご飯も食べれず。 

政府が改憲発議を言い始めた8月7日から体重は4kg減りました。 

睡眠薬を飲まないと寝られない、でも、眠ったら次の日には状況が変わってるかもしれないと思い、怖くて眠れない。 

暇があれば考えてしまう。 

絶対に憲法改正、緊急事態条項は決めちゃいけません。 

私には可愛い子供がいます。旦那がいます。 

こんな苦しい思いを戦時中の母親・妻はしてたのか… 

そう思うと、ますます苦しくなります。 

政治家は国民を守るのが仕事のはずなのに。 

苦しめる事しかしない。もう無理です、この国は。 

 

 

・体験 しない事には 最終的には 分からないだろうけど AIのこの時代電子世界とかに原爆が起こした世界を再現して、世界に広める事がいつか いつか 出来たらいいなと 思う 世界の核兵器を持つリーダーは必ず経験体験する ように。 

 

 

・とても良いポイントに気づかれたと思います。 

さらに追っかけられることをお勧めします。 

ポイントは 

日本がなんの為に戦ったのか? 

一方のアメリカはなんの為か? 

通説ではなく、自分の頭で考え、結論にたどり着かれてほしい。 

 

 

・原爆投下が妥当だったかどうか、今更考えても仕方がない。今は核保有国に囲まれている日本が再び核攻撃を受けないためにはどうしたらよいかを考えることだ。 

核を持たずに中国やロシアの言いなりになる平和主義者でいるか、核を持って国を守るかの二者択一である。 

80年も前のことをブツブツ言ってる時ではない。被曝式典なんかもいい加減止めるべきだ。 

 

 

・こういうことが日本ではタブーなように、アメリカでは当時の原爆使用に疑問をはさむ事がタブーなのだ。 

ちなみに地上核実験がネバダ州で盛んに行われていた時ラスベガスのホテルからは核実験の閃光が見える事をウリにした核実験ビュープランもあったのだ。 

 

 

 

・ちょっと話違うんですけどうちの子供たちはハワイで生まれ育ってるんですが 真珠湾攻撃の時期になると肩身が狭くなるってよく言ってました 

下の子が行ってた高校は日本軍がその高校を立派な建物なので政府の主要施設と間違えて攻撃した銃撃の後が残ってるので時期になるとその話をされるそう。 

あとはよくパールハーバーに遠足にも行き、その時の被害を聞かされる。 

正直言わせてもらうとそのあとに原爆落とされたんだからいつまで経っても日本が責められる感じは正直 

抵抗がある…んですけどね 

 

 

・アメリカの教育で育った人は核兵器に奪われた無辜の市民達の命への想像力が無い 

 

そういう言い方を日本ではすることがあるけど、基本的に核兵器がもたらす被害への意識、被爆者への想像力や哀悼の念は日本人にしか無いと思う 

 

それは初等教育から繰り返し繰り返し核兵器の残忍さを伝え、教育の外でもはだしのげん等悲惨さを擬似的に体験する機会が他国より桁違いに多い環境で育ったから。それでようやく、キノコ雲の下で何が起きていたかを想像しようとする心の働きが生まれる 

 

そして想像しようとしたからといって必ずしも想像できるわけではないし、理解したり同情したりできるわけでもない 

 

記事中に後東さんによる惨状の描写があるけど、これを聞いた米国人がその場で当時の状況を想像できるとは思えない。それは米国人だからではなく、そういう情報に触れる頻度が足りないから 

 

だからバーベンハイマーなんかをやってしまう 

 

 

・日本は最初の原爆被害に遭った国であり、最後の被災国にするための努力を原爆を投下した米国は行う責任があると思う。 

原爆の揶揄はナチスのホロコーストに等しい行為。政府からも働きかけが必要。学校のシンボルが原爆のキノコ雲になっているとは…、当時の米国内の印象操作などもかなり過剰だったのだろう、今の時点でも歴史認識がそうなら米国の倫理はかなり遅れていると思う。 

 

 

・アメリカの学生達は核で日本を敗戦に追いやった事で世界への侵略を止めたアメリカは英雄で、日本は原爆攻撃を受けて当前の蛮人だと教えられてる 

 

自分もずっと高橋氏が言う様に核兵器を作っても其の威力は未知数、世界に強い国アメリカを演出する為に机上では分らない威力を人間で試したくて仕方なかった、戦争ハイになって居た時の米大統領はトラ・トラ・トラの打電を解読し日本の奇襲攻撃(だと思っていた)を知っていたが、原爆を使う理由を作る為に気付かない振りして攻撃を待って居た、平和の為は詭弁で核兵器の威力を試す為に奇襲攻撃されたと日本を実験場にする為の嘘で、自国の強さを世界に見せ付けたんだと思う、其れが証拠に大戦後の米国は世界の警察と言われて来た 

 

 

・多くの日本人は、原爆投下の是非について今あえて訴えて議論することはないが、アメリカ人が表立って正当化するならそういうアメリカ人には日本人も黙っていないだろう。 

核兵器を持っている国が持っていない国に核攻撃を仕掛けるのが正当化できるということは、現代でも同じということだね。 

ロシアが優勢でもウクライナが果敢に反撃して、ロシアが核兵器を使用したら正当化できるってことだね。 

 

 

・原爆の破壊力の脅威は余すところなく言われ聞かされている。 

問題をそれだけで片付けている気がしてならない。 

なぜ、原爆攻撃を受けるようなことをしたのかを一切言及しないのでは、根源の解決にはならない。 

ナチスのホロコーストと同じものがあって、なぜ当時ユダヤ人があれほどドイツ国内にいたのかを誰も説明しない。 

原点を明らかにしないと、悲劇は繰り返すのみである。 

 

 

・今更ではあるが、アメリカは日本に対して大量虐殺を行ったことに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、思考を止めている。広島、長崎に原爆を落としたことは無論のこと、東京を始めとした都市空爆では多くの民間人を殺した。日本は真珠湾を攻撃したが民間人の大量虐殺を行ったわけではない。奇襲を受ければ反撃として大量虐殺が許されることはない。アメリカは日本への大量虐殺に向き合わないのでイスラエルに対してガザへの虐殺を止めることができないのだと思う。日本は右の人も、左の人も一緒に事実を基に戦争を検証すべきである。詳しい人たちがどんどんいなくなってしまう。原爆記念日にイベントをやっているだけでは核の扱いは何も変わらない。持たざるものが持つものに放棄しろと言っても誰も聞かない。 

 

 

・同じ人類として、被爆者の気持ちになれない、被爆者側の立場に立てない人は、将来同じような経験をきっとしますよ。宇宙は人類に対して平等ですから。人類が同じであることを経験によって保障しますから。誰かを殴れば、必ず誰かから殴られるのです。罪は永遠に消えません。死んで終わりではないからです。死んで終わりなら、人類に進化はありえません。 

 

 

・今ロシアがウクライナに戦争を”早く終わらせる”ため核爆弾使用してもアメリカ人は肯定、非難することはできない 

アメリカに同じように核爆弾落とされてもしかたないと納得できるのか? 

後付で戦争終わらせるためとの言い訳で民間人の大量虐殺を有耶無耶に自分達が逆の立場でも何も言えないとわかってるのかな? 

 

 

・アメリカで無差別に銃を乱射して人が亡くなる。 

亡くなられた被害者の家族よ。 

悲しいだろ? 

悔しいだろ? 

無念だろ? 

 

原爆落とされて無差別に殺された。 

同じく 

悲しい 

悔しい 

辛い 

無念 

 

同じ辛さを背負う 

 

先頭という名のもので正当化せず 

落とされた被害者の気持ちと向き合ってほしい 

 

 

 

 
 

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