( 200631 ) 2024/08/11 15:45:21 2 00 フランス哲学者「パリ五輪開会式を批判する人は無知すぎる」…心憎いほどに計算された演出に「フランスはまだまだ健在だ!」みんかぶマガジン 8/11(日) 9:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/da71e5197bc1f4fe7cc55ddf2271e4895af6fc59 |
( 200632 ) 2024/08/11 15:45:21 1 00 パリ五輪についての経済効果や開会式の演出について議論が起きている。 | ( 200634 ) 2024/08/11 15:45:21 0 00 Adobe Stock
国内での経済効果が2500億円にも上ると試算されたパリ五輪。そこで思い出されるのが、賛否を呼んだ開会式の演出についてだ。フランス哲学者の福田肇氏は「パリオリンピック開会式の演出に使われた伝統的な表現技法などを何も知らずに批判するのは無知すぎる」というーー。
前回書いたが、私はオリンピックには何の関心もない。
そういう人間にとって、オリンピックが開幕して以降の各テレビ局の報道には(毎回のことであるが)うんざりせざるをえない、というか苦痛である。どのチャンネルも、いつ観てもオリンピックの同じ試合を伝えている。他に報道しなければならない案件はないのか? それとも、オリンピックが始まるや、犯罪や社会問題が激減するのか? 国際紛争が停戦にもちこまれるのか?
2002年のフランスで開催されたワールドカップを、「いっさい報道しません!」とフランスM6(地上波民法テレビ局)は、当時わざわざCMで流していた。国民の多くが熱狂するイヴェントを100%扱わないという自社のポリシーをあえて視聴者に強調する。日本でこれをやったら顰蹙ものだろう。しかし、ただ報道権をもっていないだけなのに、それを負け惜しみのようにあえて「自社のポリシー」に仕立て上げ、きわどいメッセージを繰り出すユーモアが、いかにもフランス一流のエッジの効いたエスプリだと、私はこれを目撃するたびに苦笑いしたものだった。
物事や観念のネガティヴな面を、挑発的あるいは野卑なしかたで露悪的に表現する一種のレトリックを「偽悪語法」(ディスフェミスムdysphémisme)という。フランスは、ディスフェミスム大国である。
フランスの国民的アーティスト、故セルジュ・ゲンズブール (1928-1991)は、1984年「レモン・インセスト」(Inceste de Citron)という、娘シャルロット・ゲンズブール (1971-)とのデュエット曲を発表した。直訳すれば「レモンの近親相姦」。PVでは、上半身裸のセルジュと、あられもない下着姿のシャルロット(当時まだ13歳!)がベッドのうえで戯れながら、ショパンの「別れの歌」のメロディーに載せて近親相姦を謳歌している。日本のアーティストが発表したらまちがいなく〝良識〟派の総スカンを喰らうであろうこの「炎上覚悟」の確信犯的な作品は、フランスでは、Je t’aime, moi non plusとならんで、ゲンズブールの名曲のひとつに数えあげられている(もっとも、このJe t’aime, moi non plusは、セクシーな吐息やあえぎ声を入れたため、実際に日本では放送禁止の憂き目にあった)。
クロタン・ド・シャヴィニョル (crottin de Chavignol)という有名な山羊の丸いチーズがある。日本ではあまりなじみがないが、バゲットを輪切りにしてこのチーズを載せ、オーブンで焼いてサラダ菜とともに食するシェーブル・ショーというサラダがその代表的な食べ方だ。しかし、この名称、直訳すれば「シャヴィニョル村のうんこ」である。村の唯一の特産品である高級チーズに、わざわざ「うんこ」と命名しなくてもいいのでは、とチーズに同情してしまうが、この命名センスこそ、茶目っ気たっぷりな、フランス人独特のディスフェミスム的ユーモアである。
2024年パリオリンピック開会式が、日本人をはじめ、ファンダメンタルなキリスト教信者など、〝良識〟派の方々からさんざんな悪評を被っている。ためしに、開会式を扱うYouTube動画の視聴者コメントを任意にひろってみると、いわく、
「マリー・アントワネットのあれ、ああいう故人を侮辱・嘲笑する様な行為は日本人には軽蔑感しか抱かせない」
「フランスが心配になる開会式でした」
「マリーアントワネットの生首を肯定し、キリスト教を侮辱するフランスに対して嫌悪しか持たなくなりました。キリスト教ではありませんが。笑って済ませる話でないという事を自覚してほしい」等々。
こういう人たちは、「Mr.ビーン」を観ても、きっと「英国王室に対する不敬だ」とか「障がい者を笑いものにしている」と「正論」を盾に眉を釣り上げて非難するのだろう。
パリオリンピック開会式を、フランス独自の表現技法の伝統と歴史的・宗教的コンテキストを知らずに感情にまかせて論評するのは、批評する者の無知をさらけだすだけだから気をつけたほうがいい。
フランスは、〝オリンピック専用〟の巨大建築物をわざわざ新設することなく、既存の歴史的モニュメントやアーキテクチャを効果的に使用してオープニング・セレモニーを演出した。その構成は、あたかもパルクール(parcours。フランス生まれの、障害物を超えるなどの移動動作で心身を鍛えるスポーツ)のパフォーマーのような、覆面をつけた聖火ランナーが、水先案内人としてパリの名所を駆け抜けながら、フランス共和国の理念Liberté(自由), Égalité(平等)、Solidarité(連帯)等々を次々に再発見していく絢爛なスペクタクルである。その道程に、(知る人ぞ知る)歴史や映画の名シーンに対するオマージュやパロディを散りばめた(ときには悪趣味な)ショーが挟まれていく。
酷評を一身に集めた、みずからの生首を抱いたマリー・アントワネットのダンス。「セファロフォリー」(céphalophorie)という概念を知らずにこれを語るのは、「去勢」という概念ぬきで精神分析を理解しようとするのと同じだ。セファロフォリーは、斬首され殉教した聖人が、みずからの頭部をかかえて歩行するというエピソードである。フランスの聖人伝においてこの物語類型の代表者は聖ニケーズ(saint Nicaise)であり、聖ジュスト・ド・ボヴェ(saint Juste de Beauvais)であり、あるいは使徒パウロ(saint Paul)である。
1830年フランス7月革命を描いたドラクロワの有名な絵画『民衆を導く自由の女神』(La Liberté guidant le peuple)のイメージに引き続いて、血まみれの生首を抱いたマリー・アントワネットが叫ぶ、 « Ah! Ça ira! Ça ira! Ça ira! Les aristocrates à la lanterne. Ah! Ça ira! Ça ira! Ça ira! Les aristocrates, on les pendra! »(ああ!うまく行く!うまく行く!うまく行くよ!貴族たちを街灯に吊るせ! ああ!うまく行く!うまく行く!うまく行くよ!貴族たち、俺たちはやつらを縛り首にするぞ!)と。このせりふは、1790年ころから歌い継がれたフランス革命を象徴する革命歌 Ah, Ça ira! の歌詞の冒頭である。貴族の処刑を宣言する民衆の歌を、斬首された側の、しかもセファロフォリーに伍する者として蘇生させられたマリー・アントワネットに歌わせるとは、いかにもフランスらしい不謹慎でアイロニカルな演出で小気味いい。
続いてキリスト教に対する揶揄だとして大ブーイングを浴びたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作『最後の晩餐』中の人物配置を、ドラァグ・クイーンたち(しかも中央の全身青塗りのフィリップ・カトリーヌはほぼ裸!)によって再現させたかのようにみえるショーである。しかし、これを『最後の晩餐』のパロディと受け取るのは、いささか早とちり――というかむしろ〝失錯行為〟――というものだ。
このスペクタクルを監督したアーティスト、トマス・ジョリー(Thomas Jolly)は、「『最後の晩餐』だって? 俺はそんなところからインスピレーションを受けてないよ。わかるよね、テーブルのところにいるのはディオニソスだよ。なぜかって? そりゃ、ディオニソスが祭典の神だからさ。」と弁明している。実際、このショーがレオナルド・ダヴィンチの件の作品ではなく、むしろヤン・ファン・ベイレルト(Jan van Bijlert, 1598 ?-1671)の『神々の宴』から着想を得たことを指摘する声も少なくない。この絵画は、海の女神テティスとプティーアの王ペーレウスとの結婚を祝して神々がオリンポス山に参集し繰り広げる宴を描いたものである。題材の面からも、構図の面からも、こう考えた方がはるかに合点がいく。
ちなみに、『最後の晩餐』は、フランス語でla Cène(ラ・セーヌ)と言い、このショーの舞台となったla Seine(ラ・セーヌ。つまりセーヌ川)とまったく同じ発音である。もし、トマス・ジョリーが、あえて紛らわしい構図を採用したうえで、観客や視聴者が河川名から無意識に連想したla Cèneをこのシーンにあてはめるようトラップを仕掛けたのだとすれば――このアーティストは、心憎いほどに計算された演出をやってのけた、というほかはない。
セファロフォリーのマリー・アントワネットが叫ぶ旧い革命歌は、1954年の映画Si Versailles m’était conté (「もしもヴェルサイユが私に語ったなら」)の主題歌として、エディット・ピアフ(Édith Piaf)によって歌われた。そして、オープニングセレモニーのラストシーンを飾るのもまた、エディット・ピアフの永遠の名曲「愛の讃歌」である。スティッフパーソン症候群なる難病と闘病中で、歌手活動を休止していたセリーヌ・ディオンが、エッフェル塔をバックに同名曲をフランス語で絶唱する。いささか雑多な要素を詰め込みすぎにみえた一連のスペクタクルを、このベタな選曲と人選で一挙にまとめあげてしまう構成はズルすぎる。セリーヌ・ディオンの神々しいまでの勇姿と表現力に感極まった「フランス2」(国営テレビ局)の女性キャスターが泣いてしまってその後のナレーションがボロボロになったのも致し方ない。
もう一度いうが、私はオリンピックには無関心である。しかし、アート・イヴェントとして2024パリ・オリンピック開会式を観てみて、ディスフェミスムとアイロニー、オマージュとパロディを惜しげも無く散りばめて世界に向けて「どや?」と放ったこの挑発、フランスはまだまだ健在だ、と少しうれしくなった。
福田肇
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( 200635 ) 2024/08/11 15:45:21 0 00 ・あの開会式のパフォーマンスを手放しで讃えられる価値観そのものを否定するつもりはないが自分には到底同調は出来ないね。欧州の中でもとりわけフランスは気高くて価値観を平然と押し付ける印象が強い。選手村でのヴィーガン食推奨も然り。アスリートの食事面なら直近で行われた東京五輪の選手村食堂でのデータを参考にすれば簡単に何をどれだけ用意しておくべきか把握出来るはず。それをせずに自分たちの価値観だけで提供しようとするから各国の選手たちからクレームが絶えなくなる。謙虚という言葉をフランスに対して贈りたい。
・かなり苦しい言い訳めいた内容に感じます。 これを『最後の晩餐』のパロディと受け取るのは、いささか早とちり――というかむしろ〝失錯行為〟――というものだ。 『最後の晩餐』の壁画を知っている人の中で、世界中で多くの方がそう受け取ったのは事実です、受け取る方を非難するのではなく、そのように見られる演出をした方を、たしなめるべきだと強く感じます。 特に多様性を前面に出しているなら、それを不快に思う意見も受け止めないと矛盾していますね。 マリー・アントワネットの演出などは、常軌を逸して入るとしか感じない。 この記事の方のような考えを持っているのも、ひとつの見方かも知れないが、個人的にはグロテスクでエゴの押し売りに思う。
・先日、生まれて初めて野村萬斎の狂言を見て来た。内心、理解出来るのかなと不安だったが、思ったよりも台詞の内容が理解出来た。最初に野村萬斎の狂言の説明が有ったので、尚更分かりやすかったのだろうが、色々理屈を捏ね回さなくても面白い物は面白い、楽しい物は楽しい、気持ち悪い物は気持ち悪い、つまらん物はつまらない。 人それぞれの感性の問題ですが、経験上あと付けで長ったらしい解説の必要な作品ほど、つまらない作品です。
・フランスでイスラム過激派のテロが多発するのはなぜだろうと疑問でしたがこの記事を読んである程度理解できました。マリー・アントワネットは殉教者ではなく革命の犠牲者です。最後の晩餐ではないと言ってもバチカンまでそう受け取ったのであれば日本の政治家あるあるの「誤解を与えたならば」そのものです。 フランス文化の不勉強を指摘するより受け手の感情を勉強した方が良いと思います。
・ドラマや映画を一度観て、どういう意味か直ぐには分からないことが多い。二度三度観てようやく理解出来ることはある。絵画や例えば前衛的な物を理解するには事前の知識があったほうが良いのかも知れないが、1番最初に観た印象も大事だと思う。後付けの知識でなるほどと思うよりは、最初の直感のほうを私は大事にしたい。そういう意味で開会式を評価するなら、何だか気持ち悪かったが正直な感想です。私の感覚とは合わないということ。それだけ。
・マリーアントワネットだけじゃなくて、ルイ16世も出して欲しかった。悪いのはマリーアントワネットだけじゃないのに。 難しいことはよく分からないけど、ギロチンで首を切られる人達を視てストレス発散していた国だから、マリーアントワネットの演出も娯楽だったのだと思う。 私はマリーアントワネットが可哀想だと感じました。
・方向性が間違っている。マイナスの方向にマックスなら、つまり「最悪」と言うこと。「絶対値の大きさ」だけで測るのは大きな間違え。 五輪のような、世界的なイベントでは「誰かが傷つく」「誰かが嫌な思いをする」「意図的に貶める」「作為的に悪い表現を行なう」「悪意ある表現」などは極力避けるべき。特に「意図的、作為的、悪意」があったら、最悪。「気付かずに、過失で」なら、謝罪で済むが、「意図的、作為的、悪意」があるのなら、謝罪では済まされない。「パロディだから許される」なんて基準は存在しない。 正直「なんじゃこりゃ?」が個人的な感想。あれでは、関係者や信者やファンが嫌な気持ちになる。決して褒められる演出では無かったことだけは確か。 関係者で無い自分でも「嫌な気分になる」なんて「最悪」の開会式だったと思います。
・筆者さんの仰る「ディスフェミスム」をライトティーズとしてとらえた場合、それは一種のユーフェミズムとして認知される。すなわち、アントワネットとMr.ビーンの対比はメトニミーとして認知され、パラレプシスを用いるまでも無くオクシモロンの趣を有するが、それがシネスージアである以上、結果的には一つのジューグマであり、パーソフィケーションの際たるものだと考える。
だがコレはあくまでシミリーであり、「人生」を「旅」に喩えるようなメタファーを持ち合わせていない点が今回のパリ五輪の開会式におけるハイパーバリー欠如として受け止められてしまった以上、日常のエリプシスならいざ知らず、公の場でのレティセンス公表は、まるで出来の悪いトートロジーのようではないだろうか。
といいつつ、この文章自体がアイロニーであり、レトリカルクエスション的な意味合いを持つパレンシシスであることを、聡明な筆者さんは是非理解してほしい。
・90年代後半フランスにいた頃よく見ていたM6。このチャンネルがw杯を放映しないのはらしろ当然だ。昼間はアメリカの2時間ドラマやシリーズものが並ぶ。夜はエロものが多い。土曜など家族で見るには際どい番組もあった。自分など目を凝らして見ていた覚えがある。今は知らないが、つい懐かしくて書いた。
・庶民は哲学者ほど知的ではない。
そして、そういう無知な人々に伝わらない表現は自己満足でしかなく、 多くの人に見ていただくセレモニーとしては、 失敗だったと言っていいのではないか。
無知すぎるという批判でなく、 こういう風に見るとあれはあれで楽しめるよという提案だったら 良いと思うけどな。
・筆者はフランス研究家とおっしゃっているが、フランス文化をあまり知らない素人には文章が非常に分かりにくい。
貴方がフランス文化を尊重するのは自由ですが、批判する人の意見があるのが言論の自由だと思う。
・それを押しつけと呼ぶ。
高校生が仲間内だけで盛り上がっていて粋がっているが、外から見ていると子供のお遊びにしか見えない時がよくある。
それに似ている。
自己陶酔して突っ走るが現実はついていけない。 そのパターンを何度も繰り返していると思うのですが。
違った意味でフランスはまだまだ健在ですね。
・表現・芸術の自由があり、露悪的な技法は、認められているのでしょう。 しかし、それは舞台との適合性が問われます。道徳や社会通念への挑発は、五輪では場違いです。権威を嘲笑し、偽善を暴くのは芸術ですが、世界が視聴する開会式にはそぐわないものです。通俗的なものを逆手に取った表現で、悦に浸ることが、国の称揚・賞賛につながるのでしょうか。 また、受け取る側にも解釈の自由があります。無知を指摘し芸術として褒めるのでは、開明派気取りなだけ。フランスの読み解きができるなら「良識派」という対立図式を作らずとも、噛み砕いて理解を求めれば良い話です。それが、筆者が専門の哲学対話でしょう。 フランスは、ケルト文化や王朝期にも魅力があります。革命を金科玉条とするあまり、逆に革命から抜け出せないアイロニーを感じます。 下劣な魅力・甘美さは、TPOを間違えれば、物笑いの種になるだけ。式には裸の王様が登場していましたね。
・ダラダラ長いだけでフランス擁護にしても苦しい言い訳じみた記事だな。 あの着想や発想が生煮えで全体のペースも細部もバランスも練り込みが足りない開会式で「フランスを理解しろ」とはかなり横柄に思える。 野心ばかりが先行して実行が伴わないマクロン大統領並に迷走してる姿が反映されてるってのが正直な感覚だ。 「エスプリ」とは、フランス語で「精神」や「機知」を意味する言葉であるが、この開会式が機知やウィットに富んでるとは到底言えたものではないだろう。
・内容からして、評価は分かれると思う。 海外メディアでは、ロシア国営放送は、 ネガティヴな内容だったが、 イギリスやアメリカなどフランス側の国は ポジティブな反応が一般的だったからな。
政治的にも、 イスラエルにアメリカイギリス連邦各国EU各国が 強く同調して、団結を見せる一方で パレスチナに日本イランやアフリカが気持ち的に同調してるように。
同じものを見ても世界は分断する時代でもあるもんな。
今回のNBC(米テレビ極)視聴率は、全米で過去最高だったようだ。 前回の東京大会では、全米の視聴者数が過去最低だったということで。
全米では良くも悪くも、2024パリは 過去最高だった2012ロンドン をも超える視聴者数ということで、エンタメとしてはよかったのでしょう。
・もしもあれがフランス流の計算された演出で一流の知識人はあれが面白いっていうのならその人たちの価値観は現代では受け入れられない時代遅れになり下がったってことなんだよな 東京五輪開会式が叩かれた理由を思い出してほしい 思想がどうのこうのじゃなくて単純につまらない 解説を聞いても納得できない あのような物をありがたがる人間は価値観のアップデートが必要だと思う
・解説を見ると、なるほどーと面白さを理解できました。でも生中継で世界万人が見る平和の祭典でやること?とは思います。専門家が4ページにも渡って解説しないと面白さが伝わらないなんて、捻くれすぎですよね。それこそがフランスの皮肉的表現の文化を表しているのかもしれないけど、伝える工夫は必要だと思いました。分かる人だけわかればいいと突き放すのもフランスらしいと言うのかしら。
・開会式のあの問題となったシーンをテレビで見て、あまり気分の良いものとは思わなかった しかし批難するほどの気持ちもわかなかった。そこまで関心が自分にはなかったのかな ただ、この哲学者が「無知すぎる」というのは違和感がある オリンピックの開会式は、そんな博識を持たないと理解出来ないイベントなのか?理解出来ない無知なものは黙って見てろ、ということか? 以前よりフランスの高慢さは、他者の気持ちを逆なでさせている(フィガロの風刺画、とか)。選手村の酷い食事などもその高慢ゆえだろう フランスでは通じることを外部にまで押し付ける、その傲慢さこそが、批判・批難の根っこにあると思う
・確かに、フランスにとってはマリー・アントワネットの○刑は平和の象徴?なのかもしれないけど、五輪は平和とスポーツの祭典であり血なまぐさいものを連想させるのはいかがなものかと しかも、これでブルボン家、ハプスブルク家、オーレリアン家、ボナパルト派、キリスト教と多方面から怒られても我関せずなのはどうなんだろうか
・マリーアントワネットはフランス人ではないよ。 長年敵対関係にあった、フランス・オーストリア間の和解の象徴として 政略結婚だった。 平たく言えば「仏墺和解の証として、オーストリア女帝の娘をフランス皇太子の妻として迎える」って事。 「和解の象徴」であるマリーアントワネットを処刑したを美化するのは オーストリア選手団に対しても失礼でしょ。 それにマリーアントワネットが溺愛していた跡取り息子、ルイ17世への 酷い処遇(ここでは書けない程、酷い)の事もフランス人は美化するのか?
・すごいね、この哲学者とやら。
「開会式を批判する人は無知すぎる」って? バチカンや教皇を「無知」だと?
時代が時代なら「破門(人権剥奪)」になりかねないことをよく言えるな。 それにキリスト教信者にも強硬な一派だってあるのに、よほど命が惜しくないと見えるな。 とりあえず明日からは隣人のキリスト教信者に警戒しながら生きていくことになるだろうね。
・いやいや、それを言ったらローマ教皇庁が無知であると発言したことになってしまう。開会式の演出がキリスト教を侮辱しているように見えたのをローマ教皇庁が問題視しているから指摘してきたんだけど。何を考えているか知らんが、あまり変なことは言わない方がいい。
・子どもの教育に悪いものを放送しないことは、今も変わらない価値観ではないでしょうか。だからこそ映画にはR指定という視聴制限がありますよね。 少なくとも、パリオリンピック開会式の一部はR指定が必要と思いました。 自分的には、女装したひげの男性が踊り出し、生首が歌い出したのを見て、具合が悪くなり視聴困難となったのでテレビを消しました。 ちなみに、嗜好が合う仲間内であのようなことを行うことに反対しているわけではなく、自分的には「生理的にまったく受け付けない」という心身上の「どうしようもないこと」なので、これは差別ではありません。 世の中にはそういう人が多いのではないでしょうか。それとも少数派ですか?でも意識高い系の人は少数でも一人も取りこぼさないんですよね。尊重してくれるんですよね。
・私もオリンピックには興味がないが、選手の方々がベストな状態で競技に挑める環境を整えることはホスト国の責任だと思う。 それができていると思われていないから批判が大きくなっているのではないかと感じています。
・でもその偽悪語法とやらで移民・LGBTや人権活動家・環境保護活動家らといったリベラル系の連中はどれだけ嘲笑されてるんだ? そういった方面で炎上したって報道は全く無いけど。 そこが「聖域」で対象にすべきでないっていうなら他の価値観でも適用するべきではないんだよ。 W杯フランス大会の時、フランスで「今のフランス代表は半分以上が元移民で本当のフランス代表ではない」ってフランスの政治家が発言してフランス国内で猛批判されてたけど、それらも笑って受け入れられるぐらいでないと。
・哲学者という方々は、一般的な考えを否定される方が少なからずいます。 それが哲学というものかもしれません。 結局は見た方それぞれが自分の考え方で観たら良いと思いました。 ちなみに私は好きじゃないです。
・フランスを知るものも知らないものも、あの開会式のパフォーマンスは誰が見ても気持ちが悪いのではなかろうか。 無知すぎるといわれても、歴史の黒い部分を、栄光のように、また血なまぐさく表現するのはいかがなものか。 心憎いほど計算された演出とは、到底思えない。
・それこそがフランスだと言えば、それまでだが…。
「どや?」、まさに独りよがりの極致ではないか。 日本のみならず、そこが各国から鼻につくと感じさせる根本であろう。 元より、他に理解を求めようとする意識など無く、自身が絶対的正義、押しつけがましい主張を展開するばかりでは賛同を得られるはずもあるまい。 開会式のみならず、それが大会運営にも如実に表れているからこそ、選手からも不満が噴出しているわけで…。
「独自」は主体的で良かろうが、「独特」は裏をも返せ、「一流」は認められてこそのものであろう。 フランス哲学者という肩書だが、ただのフランスかぶれの戯言を聞いているようで…。
・人の感じかた各々で違いますから 共感する人も居れば 否定する人もいる それでいいと思うけどね。今回は受入れ難い人が多かったのかな? まあ これをオリンピックの開会式でやる意味はどうなのかと思うけどね。環境保全や ビーガン食に 開会式 ちょっと押し付け過ぎる気もしますけどね。
・選手村に冷房が無い 選手達は快眠出来ない
選手村レストランのメニューも 肉類が少なく選手達から不評 (東京の方が遥かに良かったの声) ベストバーフォーマンスが発揮出来ない
汚染されてるセーヌ川を泳がせる 体調不良になった選手が出た
今回のパリオリンピック フランスの評判を落としまくっている そう思えて仕方が無いのだが。
・自分たちが実現したい政治の実現のためにすべての貴族を悪者に仕立て上げ、反対勢力は暴力により言論封殺した、フランス左翼の犠牲者であるマリー・アントワネットを結局は今も総括せずに悪者扱いしているその思想に疑問を持った人が多いわけで、芸術の表現方法うんぬんではないのですが。
・日本のメディアは絶対にグローバリズムという言葉は使わない。 弱者救済と言いながらマイノリティ基準の社会を作る。 移民を増やし慣習を破壊する。 最も嫌うのはナショナリズム。 今回の開会式は、あっけらかんと西側グローバリズムを表明した。マクロンも満足してるだろう。
・撤退したスポンサーや苦言を呈したバチカンも『無知』だったんですかね? そうした一般人ではない方々でさえ不愉快に感じるレベルだったわけで、「ごく一部のフランス通」しか喜ばない演出だったのは明白です。 身内の大会ならともかく、オリンピックという世界最大級のイベントで身内ネタで喜ぶという愚かなことをした自覚は持ってほしいものです。
・ミスタービーンを引き合いに出す理由がわからない。オリンピック開会式と規模の違いと注目度が桁違い。子供目線だと怪物の姿をしたまるでハロウィーン衣装の大人が賑やかそうに登場してきたにしか見えない。大人目線だと品格の欠片もないパロディにあやかった倒錯の世界。哲学だなんてちゃんちゃらの取って付け。
・アートイヴェント(笑)ではなく平和とスポーツの祭典だからみんな違和感を抱いてるんでしょ??
映画と比べる時点でナンセンスなのはそっちでは
当時の貴族王族の子孫やローマ法王が諌めてるのに、無知だと断ぜるのはどれだけ知った気になってるのか
お偉いさんたちに『素人質問で恐縮ですが』とか言われてほしい
・何を言ってんだか?世界中のごく普通の一般人が見ている方が圧倒的に多い、ごく限られた芸術に詳しい人しか解らない演出を評価し批判した人を無知は無いだろう、普通の一般人が見て解る演出をすべきじゃあなかったのかな、そんな事も解らないフランスの哲学者の方がはるかに無知じゃないかな!
・「フランスのエスプリ」とか言って、「ちょっと斜に構えて皮肉やブラックユーモア入りの気取った表現」がシャレてるとされている感覚が、開会式にはモロに出た感じだった。フランス人にはウケたのだろうけど、世界的には粋な演出というよりも困惑と混乱だろう。 宗教を揶揄する最後の晩餐もどきもだけど、特にマリーアントワネットの斬首パフォーマンスはエスプリというにはまさに度が過ぎたと感じる。マリーアントワネットはフランス人ではなくオーストリア人だからね。 他国のオリンピック開会式で、東條英機の絞首刑を「事実だから」とパフォーマンスされたら日本人はもちろん穏やかではいられないのと同じこと。
・選手宿舎にエアコン無し、食事はまずいし、温暖化ファースト をテーマに置き、人に優しいは後回しってフランスは一体何様? マクロンは温暖化税を強制的に徴収しようとして、フランス全土で 抗議活動が過激になり略奪、放火等が行われました。
その影響で温暖化税を撤回しました。当然ですよね?存在しない CO2が主因の温暖化ですから。
❰宇宙天気予報 太陽黒点❱で検索してください。大きく多く 黒点が出現しています。弱くなった地磁気をすり抜けて 紫外線、磁力線が太陽から大量に侵入しています。 それが温暖化、異常気象の原因です!
・モダンアートの個展なら、それを承認するのは個人の自由でしょう。 世界に発信するスポーツ競技大会の開会式をグロテスクで不思議な演出に終始させてしまうのは どうでしょうか? 外国に居るフランス人が、呆気にとられてたようですから、答えが出ていると思います。 フランスは中央集権的・社会主義な国ですので、トップ責任者のやりたいように演出が決まってしまいます。今回は駄目だった、ということですね。
・昔のことはともかく、目にするパリオリンピック 歴史と伝統を重んじる荘厳な式典を期待・・・。国民性がよく分かった一大イベントであったのは間違いない 「無知」・・結構です もうこれ以上フランスのことは知りたくありません
・マリーアントワネット、最後の晩餐の演出 選手村のエアコンなし、食堂の杜撰さ バスがちゃんと運行されない セーヌ川の汚さでトライアスロン順延 サッカー モロッコの観客に2試合もフィールド内の侵入許す 数々の競技でフランス笛と言われた怪しいレフェリング(特にバスケ フランス戦ほぼ全部) リネール確定ガチャ(実際はそうではないんだろうけども)と取られかねない演出
最後の閉会式までまた何か一悶着あると思ってるが、パッと思いつくだけでこんなに問題噴出したオリンピックなんて記憶にないけどな 「フランスはまだまだ健在だ!」なんて書いてるのは傲慢さ?それとも適当さが健在なのか?
・あらゆるものがパリから生まれていた百年前の「どや?」を見せられてもな。 この学者さんが解説するディレッタンティズムは、本人が繰り返すようにオリンピックの本編と何の関係もない。 ロックコンサートに行って、前座で雅楽を聴きたくない。
・なんでオリンピックという世界的大衆のためのイベントが、フランスとかいう欧州のローカルの専門家が解説しなきゃわからないんだよ。たかがフランスの文化を知らんだけで「無知」になるのか。西洋の啓蒙主義に毒されすぎて多様性の時代にそぐわないな。
・東京オリンピックのお粗末さから比べたら天国と地獄ぐらいの差があると思う。パリの開会式を批判する日本人の中には、賛否両論の評価に便乗して、相対的に東京の惨めさを誤魔化そうとする人が居るように思える。 韓国には一人当たりのGDPで抜かれた。人口3分の2のドイツにはGDPそのもので抜かれた。「ニッポンが一番イー」の民には耐えられない流れだ。それを端的に示したのが東京大会の開閉会式のお粗末さだ。 それを攻めたパリの開会式への批判的な意見を奇貨として留飲を下げる。何とも醜い深層心理も感じられる。 ただ、パリの開会式について敢えて批判させて貰うなら、東京の閉会式で流れた街中を舞台にする映像が余りに素晴らしかったので、それを現実化する時にインパクトが消えた。それでも、やはり生の威力は凄い。歴史的建造物をバックにすると、作り物の在来型の演出は時代遅れになるのか、と言う印象を持ったのも事実だ。
・開会式だけでなく、選手村やセーヌ川、フランス贔屓の判定問題。これほど批判が多い五輪は無かったと思う。史上最低の五輪として記憶されるかもね。100年開催されない理由がわかったわ。
・乗客船が沈み船長が客に海に飛び込ませようとする場合、イギリス人なら「紳士なら飛び込め」と言い、アメリカ人なら「飛び込めばヒーローになれる」と言い、日本人なら「みんな飛び込んでいる」と言い、ドイツ人なら「飛び込むのがルール」と言い、フランス人なら「飛び込むな」と言えば飛び込む。
・オリンピックと言う名の国威掲揚マスゲームみたいなのがずっと気持ち悪かったのだが、今回のようにアーティストが活躍したりスケボーやブレイキンの若者が権威に振り回されず伸び伸び演技する様子はいいと思いました。日本で開催は勘弁してもらいたいけど。もう国を背負って心身を病むような領域にいくのは健康のためのスポーツとして本末転倒だ。
・全く同感です。 とても素晴らしい、フランスならではの、芸術的な開会式パフォーマンスでした。
あんなに長くなくて良いと思いましたし、雨の中で気の毒でしたが、それは本筋とは違います。
・フランスは、歴知的に文化と価値観を押し付ける国でしたね。 かつて侵略した領土で、植民地でした行為を、世界から各国が集まるオリンピックでするのはやりすぎでは。
・理解できない理由を無知だからというのはいかにも学者らしいものの言い方ですが、無知な私でも今回の開会式は素晴らしかったと思います。
・環境だから費用だか知らないけど エアコン無し、肉なしで 栄養補給も休息もままならないオリンピック
まあそれがフランスなんだというなら そうなんでしょうね。
・「フランスを題材にしたものを使って観客を楽しませて喜ばせる<エッジの効いた反論を呼びかねない演出をやってアピール」ってことなんだとしたら、結局は批判上等の演出ってことじゃん。 何でこの筆者は批判がおかしいみたいなことを言っているのやら。
・メッセージは皆に伝わらないと意味ないよね。世界の祭典だろ?身内だけの自己満足なイベントは言語道断。今回はフランスの悪い面が凝縮されたオリンピックで、パリがならず者の吹き溜まりのような街に見えたよ。
・選手村の、実質的なヴィーガン食の押し付けを決定した人達も、 多分ものの考え方がこの人と一緒なんだろう 自分達の価値観を相手に押し付けるだけで、相手がどう受け取るかという発想がまるでない
・舞台裏のドキュメンタリーもN◯KBSで観ましたが、開会式はフランス特有の独り善がりの塊みたいでした。 まるで1994年公開の映画プレタポルテを観てるようでした。
地元フランス人の本音を訊いてみたいものです。
フランス人は「走ってから考える」典型的なラテン系なのであの開会式も理解はできなくも無いですが。。。 ※因みに英国人は「歩きながら考え」、ドイツ人は「良く考えてから走って」、日本人は「良く考えて動かない」ですね。
・フランスらしくて良かったと思うよ。それと同じ基準で考えると、東京も日本らしくて良かったと言える。費用対効果とか、いかにも日本らしくて素晴らしかった。
・批判する人を批判するのもどうかと思う。いろんな考えがあって良いのでは?不快に思う人もいれば、痛快と思う人もいる。たかがオリンピックの開会式。へーそうなんだで良いのでは?
・水上での選手入場は斬新で良かったが、多くの演出でフランス人が悪趣味であることがよく分かった。 しかし、そのフランス人が日本の漫画アニメが大好きということなのでわからないものだ。 上位階層が悪趣味なのかな。
・こういう人たちは、「Mr.ビーン」を観ても、きっと「英国王室に対する不敬だ」とか「障がい者を笑いものにしている」と「正論」を盾に眉を釣り上げて非難するのだろう。
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ロンドン五輪の開会式でMr.ビーンが登場したけど、そのとき他者や他国を逆撫でするような表現があっただろうか? 更には殺人シーンがあっただろうか?
記事のテーマが開会式の出来栄えなんだから、同じ『開会式』で語ってくれ(汗)
・芸術ってのは 普通に見たら滑稽以外の何ものでもないものが多いよね。 オリンピックとかは ひねくってこねくり回して「この芸術が一般人にわかるか?」みたいな演出はいらない わかりやすく 感動させたり驚かせたり で良いよ。 新しい芸術なんか ほぼ作者の自己満や芸術家きどりの 偉いだろマウント取りにしか見えん。
・読んでいて判らなかったのが「2002年にフランスで行われたワールドカップ」のくだり。 サッカーのワールドカップなら2002年は日韓合同開催。これは日本人ならなかなか忘れたりはしないと思うし、フランス開催なら1998年。 何か他のワールドカップの事?
・アートの祭典だったなら知識人にしか理解できないものでもいいと思うが、五輪の開会式でやるものではない。 万人に向けての大会で知識人にしか理解できないものを披露してどうするんだ?
・なんかあれこれ後付けの言い訳みたいだが。 批判してる奴らには理解出来ない感覚が違うとでも言いたいのかね? それがズレてるから世界中から批判もあるのでは?
・哲学者のような方にはウケるでしょうね。世界のごくわずかの方ですけどね。私には芸術センスがないのでわからないですし、分かろうとも思わないし、哲学者のように頭も良くないので分かりませーん。
・何か逆張り感が凄い。 大多数に理解されなかったら何のための演出かと思うけど。本当にこんな意図で作られた開会式だとしたら勘違いも甚だしい。
・大抵の一般人に見て理解できないもの、哲学者でないとわからないものはやはり批判されてしかるべき。この哲学者の方が無知で無理解。
・そんな哲学がどうとかなんて世界中の視聴者は考えないんだよ。 直感的に見て不愉快なものをやる感性がおかしいって叩いてるのに何を長々と書いてるんだ。 もしかしてパリ五輪関係者から金もらって提灯記事書いてるの?
・ナチスが嫌うもの、規制するもの、弾圧するもの、と考えられるならなんでもやってみたほうが良い。
意味や考察は後でドンドンやれば良い。
・批判する人を見下したいなら見下せばいい。 フランス万歳したいならすればいい。
その代わり、こっちのやることにケチつけんな。日本のメディアが五輪だらけでウンザリだぁ?だったら、フランス行け。フランスなんて開催国なんだからもっと五輪だらけでしょうよ。知らんけど。
・バチカン、ローマ法王も非難しているのもを正当化する、そしてイスラム教には同等の事は怖くて出来ない時点で終わっているんだよ。
・全体の99%が理解できなくてその99%を無知というのなら、それは残り1%の人間の独り善がりに感じるね。
・フランス人固有の哲学や価値観を押し付けるから無理が生じる。自国中心なのは五輪特有の広報だから致し方ない。
・無知って言うわれも別に良いけどとにかくフランス人にしかわからない事だから 哲学者って他人に無知言うのはどうかな?
・博識ある分析や評価が正しいかどうかはどうでも良い。またフランス開催を望む人達が居るかどうか。
・構造主義やらポストモダンやらフランス哲学をやってるらしい大学の先生ならいっぱいいそうだが、なんで一言も発言しないんだ。福田肇さん?あんたって誰?
・哲学者にしか理解されないような価値観を 身勝手に押し付けてくるから批判されているのでは?
・なるほどね。 なら、なんでクレーム入った時にこのように弁明しなかったのかな? ローマ教皇庁からも批判されてなかったっけ?
結局それってあなたの感想ですよね?
・知識ひけらかす割に「確信犯」の使い方を間違えているのが気になるw 「一般的にこの誤用が浸透しているからセーフ」とか思っているのかしら?
・知ったから理解できるほどの演出ではない。本能的に拒否反応を示したくなる次元の不快感だったぞ。
・多くの人はそうは思わない。 フランスの評判が益々下がるだけだから黙して語らずが良いと思う。
・そういうことだったら、高尚な芸術の分かる人たちだけで勝手にやってください。オリンピックは万人のものです。
・フランス哲学者ってフランス人の著名哲学者かと思ったら、ただのフランスかぶれのよくいる日本人でした。
・かなり落ち目に感じますけどね。大統領がマクロンだかミクロンだか知りませんけど、恥リンピックになってしまった。
・だらだら長い言説に価値を観え出す例は極端に少ない。言い訳、ほら吹き言説が続くだけだから。
・ロボ馬がショボい上に長かった。 馬の登場時間はもう少し短くてよかったわ。
・自国だけの開催なら独りよがりの内容でも好きにしろと思うけどこれ国際大会なんだよなあ
・これを機にフランス人の感性が理解出来ない事が分かった。
・ほかは、ともかく、セーヌ川の、競技は、いかがな、ものか、あきらかに、どぶ川では、ないか
・フランスのメディアはテレビ東京と東京MXでできていると思えばいいのか。
・でもローマ教会が批判したら動画削除したよねw
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