( 200938 )  2024/08/12 15:57:15  
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(まとめ): 

 

日本の学校現場では、教員が生徒の問題行動や家庭の課題に対応する際に、限界を感じ、疲弊するケースが多いようです。

教育と福祉の課題が複雑に絡み合っており、教員の負担が増大しているという声が多く見られました。

厳しい業務環境や責任の重さにより、教員の過労や心の負担が深刻化しているとの指摘もありました。

 

 

一部の教員は、教育委員会やマスメディア、政府など社会全体に対し、現場の問題や教師の負担を真剣に考え、改善を求める声が挙がっていました。

教員の働き方改革や専門家や支援機関との連携強化、学校現場の負担軽減など、さまざまな提案が出されています。

 

 

一方で、教員の中には、教育に専念すべきだとする意見や、限界を越えて負担を抱え込んでしまうことへの懸念も表明されていました。

教員の役割や責任、仕事とプライベートのバランスを考える必要性について、改めて議論を促す意見も見られました。

( 200940 )  2024/08/12 15:57:15  
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・元教員です。 

分掌は、生徒指導部を担当。 

 

犯罪レベルでも、保護者や生徒に気を遣い、警察沙汰にしない事が多いのを現場で良く疑問に感じていました。 

何事も穏便に済ませようとするのではなく、警察とは連携をとって、時には保護者や生徒と戦う事も必要だと思っています。 

 

穏便に済ませようとするから、対応する教員は病むし、家庭も同じ事を繰り返している。 

犯罪と指導は違う次元であり、社会的に法令違反する家庭に対しては、警察、時には弁護士を入れた対応を考えていくべき。 

 

サービス業で店舗運営をしていた時は、顧客の犯罪は直ぐに警察を入れる。入れなければ、同じ客が何度もゆすりに来る。 

学校の生徒との関係は、顧客との関係と違い、人間関係が複雑ゆえ、簡単に警察を入れたがらないが、外部ともっと連携すべきだと思う。 

 

 

・現職です 

児童問題に対して数十年前より案件が重くなっています 学校だけでは対処できなくなっています だからといって行政等はなかなか重い腰はあげてもらえず 正直、真面目に向き合う教員ほど病んでいきますし、荒波に揉まれてない教員も増え病むケースが増えてきています 給与を上げたくらいでは教員は増えません このままでは日本の教育の質が落ちるだけではなく崩壊の一途です 

マスコミの方々にもこのピンチを救っていただく方で動いていただけないかと切に願うばかりです 

 

 

・子どもの問題行動を子どもの責任にするのではなく何を変えていけばいいのかを子どもの特性生育環境など様々な角度から考え働きかけをしていくことが必要だと思う。そのためには担任がひとりで抱え込まず様々な情報を集めて一致協力して試行錯誤を繰り返していくこと。この先生には辞めてほしくなかった。必要な先生ほど辞めるという言葉は残っているのは不必要な先生だけという言説につながる。今も頑張っている先生にマイナスイメージを与えないようにありたい。 

 

 

・いじめ問題も根幹には社会や家庭の問題に起因するもの。今回のような虐待事例も然り。これを学校や担任教師だけに押し付けてしまっているのが今の日本社会。教員にそれなりの権限が与えられているならいいが、何の権限もなく人も予算も無い中で、ボランティア的に対応するのは限界すぎる。他の子も30人も40人もいるんだし、他の仕事も山ほどある。 

いじめや虐待は学校に問題があるのではなく、家庭問題として捉え、警察などが対応すべき事案だ。なぜ教育委員会や学校が謝罪しなければいけないのか。それなりの人員や予算を付けているなら別だが、時間外労働の対応が多いにも関わらずだ。 

結局は、政府という名の自民党が裏金にしか興味がなく、子どもに予算を使っても自分たちの票田にならないから。国民も仕事と生活に追われて教育や社会問題とまともに向き合うことができない。ちょっと出ればプロ市民とか意識高い系とか言って叩かれる風潮。 

 

 

・近親者に教職者がいます。まだ正規雇用になる前の話しだけど。 

地元でも荒れている言われてる定時高校に行った時、喧嘩だなんだと怪我する子供達は多くて。 

病院に連れてこうとして、保険証を持ってない子がいる事にショックを受けていた。 

子供が怪我をしても連絡とれない、かけつけない親がいる事にも。 

荒れていると言われている子供達のバックボーンには、様々な理由があって。 

それに気づけた事は大きな経験になったと話してくれた。 

 

 

・中学校ですが、この仕事は結果的に教員の努力によるのか、ただ運が良かったのか検証が難しい。学力だって本当はで予想でしかなく、塾も含めて自分で伸びたのか、教員の努力なのか、はっきりはしない。荒れた現場こそ、教員の努力なのか、たまたま恵まれた集団によるのか、本当はわからない。だから改善の必要ないとは言わないが、生徒の為に自分がやらなければという使命感は真面目な方に多いが、同時に自分の力で他人の人生すら変えられるという発想は場合によっては独りよがりの思い上がりとも言える。子どもとはいえ、人間は1人だろうと100人だろうと、そんな安くない。この方の心中お察ししますし、この方が思い上がっているとも思いませんが、良い意味のテキトーさが必要かと。 

 

 

・私たちの仕事は残念ながら福祉ではなく、教育なんです 

こういった子どもは悲しいですが教育ではなく福祉の出番です 

 

授業を妨害する子を落ち着かせるためにスライド作り 

他の子どもの学ぶ権利はどうなるんでしょうか 

過度なスライドやプリントは、子どもの学びを受動的にさせます 

 

残念ですが、どうすることもできないです 

施設など、親が育てるのがしんどい家庭はもっと地域で育てるようなそういう仕組みが出そろえばいいのになと思います 

 

 

・この先生は、とても熱意のある方だと思う。ただ、私たちがしがない一教員であり他の児童にとっても担任だということを忘れてはならないと思う。この子の将来のために、またはその当時のその子の困り感解消のために、万引きをしたときになぜ児童相談所に通告しなかったのだろうか。スクールポリスにも連絡したのだろうか。この児童への「接し方」を探ることも大事だが、この児童の「困り感解消の道筋」を模索するのが第一優先だと感じる。ただ、校長!校長がもっと動いてくれ! 

 

 

・日本の学校教育の特徴は、「教科指導(教材研究や作成、授業、評価)」「集団指導(給食指導や当番活動や宿泊等の行事)」「生徒指導(生活や問題行動指導)」「部活動指導」「保護者対応」等々を子ども関連との理由で、個々の教員が全てに深く関わっていることだ。更に、教育研究や研修、調査報告や会計業務も付け足され、多種多様な職務を求められている。これらをこなすために、平日の長時間、土日出勤、更に持ち帰りをせざるを得ない。表向き全人教育を掲げているが、中身は「親代わりの何でもかんでも学校丸投げ(子育ての外注)」を社会や親が求めており、今も尚進行形だ。狙いは何か?親の子どもと過ごす時間の削減に伴う就労時間と就労人口の確保なのだろう。 

 

結果何が起きているかは、全てとは言わないが、この記事の子どもを見れば学校だけでなく、社会構造を全体を変えない限り、このような子どもは増えこそすれ、減ることはないのではないか? 

 

 

・このような記事を読むと、管理的・威圧的な指導について考えさせられる。教員の多くは、同僚や管理職の目を気にして、子どもの問題行動が起きないように管理的に指導していく。できないと、保護者だけでなく周りからの批判ある。 

難しい局面であるが、暴れている子どもの保護者は、どのように事態を捉えているか気になる。何より保護者も周りの親から何を言われるか分からない。何とか暴れそうになったら別室で対応する許可を取りたい所である。(子ども本人が納得するかは別で)管理職が上手に保護者の所に入れれば一番良いのですが。 

誰がもっても、上手くいかない子どもを若い新人教師に任せるのは違うと思う。 

 

 

 

・子どもを本当に守るとは、どうすることがベターな判断なのか、もう一度考え直す必要があります。誰のどの行動が認められるのか、線を引くことが、これからの子どもの未来の判断力や行動につながります。そのためには本人との継続した対話が必要です。そのために関係性を保つことは必須です。長い時間が必要で、簡単なことではありません。継続した関係性を保つシステムが求められます。今の学校のシステムでは対応は不可能です。国、行政で考えるべき問題であることは間違いありません。 

 

 

・この記事はまじめに教員の現状の一つを書いている。 

教育委員会は学生や講師に仕事は8時間労働で、5時以降の残りの時間は自主的、個人的、趣味的なものだとしている。 

一方、学生や講師、採用された教師は、教育に必要な問題解決の時間だと考えている。 

 

一部の自治体を除いては、現状の把握はあまり行われていない。 

教員は8時間労働という教育委員会の説明は、学校教育や教育委員会への不信感を招くことになっている。 

これらに加えて給食時間がなく、休憩時間も取れないという状況もあり、教員離れに拍車をかけている。 

 

 

・こういうときは、管理職(教頭)に言って対応してもらったほうがいい。具体的には、暴れたときは職員室へ連絡して教頭にヘルプに入ってもらう。教頭に相談して、sswなどに対応してもらう。常に無担任の教員をひとりつけてもらう。親に毎日連絡して、学校にきて授業中の様子をみてもらう。など、一人で抱え込まないで管理職にも責任の一端を担ってもらった方がいい。それが、上司の仕事だ。上司をもっと活用して、一人で抱え込まないようにしないといけない。教員は責任感が強く、問題がおきても自分で抱え込んでします。会社では、上司がサポートして問題を解決する。教員はもっと管理職に頼らなければならない。そこが、世間知らずといわれるゆえんだ。 

 

 

・児相に出向経験のある教員です。 

そもそも虐待があるとわかった時点で、即児相案件にすることが法律で義務付けられています。学校が抱え込むことではないし、法律に反します。何とかしよう、なんとかしてあげたいという気持ちは痛いほど分かりますが、仕事は生活の一部でしかない。自分の健康、家族の健康が何よりも大切です。まず法律をしっかり学ぶべきです。 

 

 

・担任だからクラスの出来事を1人で抱えないといけないシステムだが、数人で共有出来るシステムなら、どのように対処したらいいかとか共有しやすいと思う。 

最終責任者はいてもいいと思うが、35人の児童生徒を1人の大人で責任持つシステム自体、重荷で精神的にも体力的にもキツい。 

 

 

・学校や教師の役割を遙かに超えていると感じた。 

 

確かに家庭に問題がある場合でも、学校で何とかしようとする姿勢は立派 

ただ日常的な暴力があると聞いた時点で、通報や福祉に相談してあげるのも 

大人の仕事だと思う… 

 

一人の生徒に時間を取られ、他の生徒がおろそかにされるのも又別の問題があると思う 

もう一人の教師が何とか頑張るような事柄ではないし、校長も無理言うなと思った… 

真面目な人こそ心が折れる、その理由がこうゆう事にあるんだと感じた。 

 

 

・チーム学校などという言葉が一般化し、学校のトラブルが外部機関と連携すれば解決するかの如き印象を持たされるが、記事のように、劣悪な家庭環境に介入し、解決できる問題など、実はほんの一握り。学校や専門機関のアウトリーチにある諸問題が非常に多い。限界があるのだ。一例を上げれば、ヤングケアラーの問題。地方自治体の中に、デイサービスを派遣する仕組みを作ったところも見受けられるようになったが、残念ながら、先進的な自治体でもそこどまり。学校が出来ることと言えば、児童・生徒に自治体の窓口を紹介して繋ぐことが精いっぱい。その窓口も、繋がっても支援の内容が不十分なこともあり、結果として児童・生徒が救われないケースが多い。残念ながら、日本の社会保障はまだまだ至らないし、ましてや行政の末端の学校はそれに輪をかけて至らないことが多いのが現実。 

 

 

・読んでいて、本当に胸が痛くなりました。よく外部から「がんばれ」「なんとかなる」「君ならできる」等と、期待と共に半ば押し付けに近い形で、難しい子どもを任されることになります。 

力があればあるだけ、そのリスクも高まります。もちろん、その学校の中では一番の実力者なのでしょうが、メンタルやられるのは誰も同じです。 

担任だけでなく学校全体で頑張ってる例もたくさんあります。管理職とて、一緒に苦しみもがいている現場だらけです。 

しかし、それを管理する教育委員会や各自治体が、「現場でなんとかしろ!」の一点張りなのです。 

そして、心が壊れて離職者が出れば、それもまた現場の管理職の責任でと影の尻尾切り…なんの改善もありません。 

もう、学校教育は終焉を迎えようとしています。現場のせいではなく、法的な措置も講じられない綺麗事だらけの歪んだ精神論のせいです。 

 

 

・「教室では、担任の先生の言うことを聞く」教育現場がこの「前提」で動いている限り、クラスに1人でも担任の指示を守れない児童生徒(授業中、大声を出す、突然暴れ出すなど)がいた場合、どんなに力のある教員が担任してもそのクラスは崩壊します。担任がその子の状態を把握し、トラブルを回避するなど完璧な支援を行うことが出来たとしても、他の子はどうなるでしょう。いつ暴れ出すか解らない子が同じクラスにいたら、授業に集中できるはずがありません。また、「その子なら許されること」を自分たちがすると厳しく注意されるのですから、理不尽に感じるのも当然です。 

 1人の児童のために、他の子を犠牲にしなければならない現状は、明らかに間違っています。しかし、これを口にすると「弱者を排除するのか」と糾弾されるので誰も何も言えません。日本の公教育は限界を迎えつつあります。システムそのものを変えない限り、間もなく崩壊するでしょう。 

 

 

・教員です。教育指導困難校に勤務していました。この記事の場合は問題のある生徒が1人だけですが、高校の場合はさらに困難になります。 

 

近隣の学校から問題のある生徒が集まってきます。それはもう、世紀末のようでした。家庭に問題がある家庭が9割、本人が暴れ回るもの当然で、近隣の店でも暴れ、警察にほぼ毎日お世話になる毎日。 

 

1年目の時は本当に病んでしまいました。 

 

教員の無力さ、何もできないこと、成り立たない授業、生徒からの暴言、保護者からの暴言、問題の生徒を退学させようとすると評価が下がるから辞めさせたくないという管理職。 

 

毎年、初任者が入院するような学校で、退職者も多く出ました。 

この記事は1人の生徒のことだけです。高校の指導困難校についても記事にして欲しいところです。 

 

 

 

・「教員の限界」とあるが、限界は自分で決めること。私も過労で2度入院した。若くて自分の限界を精神論で乗り越えようとしていたから。現在の教育の問題点は教師の仕事が定時で終わらせることができないほど、あまりにも多いこと。また、仕事の優先順位をつけられないこと。しかし、残業代がでないこと。この3つかと思う。そのために、本来教師の課題でない福祉の課題や親の課題も引き受けてしまっている教師も少なくない。まずは、定額働かせ放題と揶揄される給特法を廃止にもっていかないと、教員不足の問題は先延ばしになるだろう。 

 

 

・子どもに警察を呼ぶことを脅しにすることは良くないことですが、暴力はしては絶対してはいけないことです。その基本理念は曲げてはいけないと思います。子どもに虐待している親もまたその親に虐待されているとなると教師一人で助けるのは難しいですね。いろいろと助けてくださるところないのかなって、思います。子ども時代そういうクラスメイトいました。でも仲間に入る表現がわからないのだと思いました。そのうちそっとしておけば、心を許すこともあると思います。 それより、たちが悪いのはうらやましいのかわからないが、仲間で虐待されている子をいじめや嫌がらせのように正統的な理由をつけてストレス発散してくる子どもです。こちらを対処する方が重要だと私は思っています。 

 

 

・教員の限界ってそれは当たり前のことで、だからチームで対応しなければならないのでしょう。(学校内の職員だけでない児相やソーシャルワーカーなども含む) 

「本当に必要な先生ほど辞める」とは? 

その先生一人に任せっきりだから? 

その先生一人だけが頑張ってたから? 

こんなケースこそ、学級担任制ではなく、教科担任制(学年で担当する)を導入し、チームで学び、検討しながら対応していくことができれば、 

「本当に必要な先生たちは辞めない」と 

なれるのではないかと思います。 

 

 

・教育と福祉の課題が複雑に入り混じって多種多様化している、いじめ不登校、モンペ、PTA、部活…。数多くの問題を学校中心に解決するにはもう無理だということをマスコミはもっと報道すべきです。教員の不祥事やプールの水締め忘れなど全国ニュースで取り上げるよりもっと子供達の現状を報道していって欲しい。 

 

 

・色々な教員に対する記事を読んできましたが、最も腑に落ちる記事でした。まさに今の教育現場は毎年崩壊との紙一重な状況だと感じています。教員も含め、もっと色々な人が教育に関わって、それぞれの立場で子どもたちと向き合っていかなければと思います。 

 

 

・努力は認めるが..全て引き受ける事は美談ではない。記事を読むと虐待を認知し、子ども自身が救いを求めている状況。児相へ連絡を入れ、保護を検討すべき案件。しかし、記事にはないので、連絡を入れてない?この時点でガイドライン違反。虐待は愛着障害を招くが..ここまで問題行動を起こしている子どもや親へどう対応するか、その知見が教育現場にはない。専門家に聞いたりするのは結構だが、付け焼き刃では無理。決して学校は万能ではない事を肝に銘じて、この子の幸せを考え、リソースをどう活用するか、そうした視点を持つべきだろう。判断は校長なのだが、保護者トラブルを恐れ、および腰? 

 

 

・本当にお疲れ様でした。 

こどもの問題行動には複合的な要因が重なり合っていることも多く、親の貧困や無関心、実は精神や軽度知的障害などを抱える場合もあります。 

 

役所は往々にして学校を頼ります。こどもと接す 

る時間が時として親より多いのもありますが、内実、教員は定額働かせ放題の、業務をお願いする相手としては頼みやすいからです。 

 

そして疲弊して自信をなくして辞めていく。 

 

あと、管理職が教員の限界をわきまえていないこと。その教員が自分と同じようにできるとは限らないのです。管理職が現場にいた頃とは、時代も環境も立場も力量も異なるからです。 

 

可哀想なのは、放ったらかしにされた、クラスの他児童生徒です。担任が主な教科を持つ小学校は特に顕著です。 

 

教員のできる範囲には限界があります。でも勤務時間には上限がありません。熱血ドラマのようなスーパーマンを求めないよう、家庭も役所も世論是正が必要です。 

 

 

・問題の根本は、学力はトップテンを要求しているのに、出している予算は36位と途上国並みであることにある。当然、要求している業務に応じた予算も人も出していない。なのに、メディアも専門家も対応すべきと理想論を振りかざして責任追及して対応を要求するが、理想を実現する為のコスト=予算と人員には触れないから、自主的活動=勝手に働いている事にして、対応を要求するのになんの責任も取らずに、全ては自己責任にするという無責任な働かせ方を要求してきたからでは? 

実際、予算が無いからと定数は昭和の終わりからほとんど変わらず、学習内容も脱ゆとりでもとに戻している。人数も学習内容も詰め込んで我慢させているのでは?そして、教師にはタダで勝手に働いている事にして、何の責任も手当も出さずに働かせているのでは? 

 

 

・教員不足の中で言うのもなんであるが、1クラスに1担任では「各児童生徒に目を配らせる事は不可能」と思えます。 

副担任を導入して、小学校は2名(担任がほぼ全教科の授業を受持つ為)、中学校は1名(教科担任制である為)ずつ割り当てて欲しいと思います。 

 

 

・いじめや、学級崩壊。 

学校に守秘義務がある。世間の皆様には語れない背景が、子供の人数分、保護者の人数分ある。 

この記事はとても丁寧に取材、説明されていて、現職としての実感にズレがない。実はこういう背景から問題が起き、マスコミは見えている表面だけを批判し、現場教員が孤軍奮闘しているのだ、と知ってもらえるのは有り難いです。 

 

 

 

・私も学校で一番厄介な暴力的な子どもを、異動した学校で事情もわからず引き受けさせられ、あっという間にクラスが崩壊し、休職して心を病んで最終的に退職した教員です。一生懸命にその子を守ろうとしてしまい、他の子をないがしろにした(そのつもりはないが)報い?でした。仕事が少しできたから、こんな大変な子どもを引き受けさせられ、自分が何もできないと思い知らされ、おまけにクラスもダメになって、いいことはひとつもありませんでした。仕事ができないから、いつも恵まれたクラス、学年を担任し、それでも普通に働いている人を見ると、なんで私がこんな目に合わされたんだろうと悲しくなります。あんたよりよっぽど学校に貢献してきたのにって。でも、もう二度とやりたくはないです。自分に力がないことがよく分かったから。でも、この記事のように、こんな大変な仕事を一人に背負わせているからこうなると思います。 

制度を変えないと続きます。 

 

 

・「生活指導」の名のもとに、子どものしつけまで引き受けてきたのが日本の学校。私立であっても、違法行為でもはたらかない限り簡単に退学にはならないのが現状だ。 

 

昔、ある警察幹部が「素行の悪い中高生を先生たちが必死になって引き受けてくれているから、我々は何とかやっていけている」と述べていたことがある。 

実際、日本の青少年の犯罪率はアメリカなどと比べると1ケタ少ないのだが、学校が問題のある子どもを簡単に放校したり、生活指導を一切行わなかったら、犯罪率は欧米並みになっていただろう。 

 

しかし、それは多くの教師の自己犠牲によって成り立っている。昨今の教師不足を招いているのも、勤務時間が長く、授業以外の仕事がありすぎることが原因だ。早い内に手を打った方がよい。 

 

具体的には 

①カウンセラーや福祉のスタッフを増員する 

②生活指導から一切手を引く 

 

日本の将来にとってどちらがいいのか、よく考えるべきだろう。 

 

 

・家庭での児童虐待は「福祉」の分野。 

学校で落ち着いた生活を送れるようにすること、学習を教えることが「教育」の分野。 

教員の本分は「教育」の分野であり、家庭での問題に気がついたのであれば「福祉」へ連絡を行うこと。それ以降は「福祉」を中心とした動きになるが、連携していく。 

何でも「教育」が中心になるわけではない。それはドラマの中での話。 

全てを「教育」の中で解決しようとするから「教員の限界」なんて言葉が出てくるのでしょうね。限界ではなく境界です。教員だろうが福祉の人だろうが、児童生徒を救うことができるようにすればいいのですから。 

 

 

・この先生が思う良いことも一人の負担が重く、分担しても考えは様々で反対する人も居て進まないこともある。 

記事中盤「管理的・威圧的な指導で~」とあったが、実際は物凄い反動をした奴が居て、小学生の頃はまだ可愛げがあったが、中学から怖い奴に変貌…中1の頃は怖い体育教師が目を光らせてたが、中2でその体育教師が移動してしまい、見えない所で体の小さい子に青あざつけるなど陰湿なイジメ加害者に変貌するなど拍車がかかり、そいつは中2半ばにその体育教師の赴任先へ転校した。 

ただこの体育教師…悪い意味で威圧的で、中1の頃にその青あざつけられた小さい子に対しても運動能力の低さを理由に過剰叱責したりと…優しさが無く、良い先生ではなかったです。 

虐待、威圧は周囲にも迷惑だった体験談でした。 

 

 

・個別の児童生徒対応が求められる学校現場とクラス。文科省基準の40人学級では到底ムリです。1対1でも苦しい場面があるのだから。 

 

荒れた児童生徒対応で、その担任教員は疲弊してしまう。また、児童生徒のバックには色々な保護者もおり、必ずしも学校に協力的というわけではない。日々の生活で手一杯の家庭や児童生徒もある。同時にすべての児童生徒が保護者の愛をしっかり受けていることはまずない。 

 

そんな中での学級経営は大変。ベテラン教員でさえ参ってしまう。いきなり大学出たての初任ではまずムリだろう。 

 

文科省の学習指導要領、学校制度は、そんな現実への配慮に乏しい。中教審の打ち出す理想論がとおり、現場は混乱の一途。 

 

教育環境悪化、労働環境悪化、離職の増加、教員不足で公教育は崩壊状態。 

 

文科省は混乱の責任が取れますか? 

 

 

・元教員です。隣のクラスと比べて、よくもまぁこれだけこちらに集めましたね。と、思うクラスを持つこと多数。口では協力するからと言うが、効果のある協力は無し!あったとしても、その時だけ。結局1年間で満足いく授業なんて一回くらいしか出来なかった。職場の宴会で気楽に笑うことも出来ず、同僚の笑い声が嫌で職員室に居られないとか、本当に病んでました。 

転勤するとだいたいこんな感じ。 

最後の方は、どうしてもの部分は持つけど、あとは思いっきり条件をつけました。そうでもしないとこちらが壊れます。 

なんとか定年まで勤め上げました。 

 

 

・問題に真摯に向き合って立ち向かう先生が疲弊し、 

他者を罵って責任を回避する先生や 

問題を見て見ぬふりをしてうまくやり過ごす先生が 

生き残る。 

 

そんな、悪貨が良貨を駆逐する現象が 

職場によっては起きています。 

民間でも同様な職場はあるかもしれませんが、 

学校でこんなことが起きれば教育力の低下を招きます。 

 

 

・公立中学校の生徒一人当たり年間教育費の税金の 負担額は約100万円を超えるとのこと。不登校児童生徒への税金負担額について、児童生徒の特性に合った学校に転校するための給付奨学金としてほしい。不登校児童生徒は教育を受けさせてもらえない以下の事実がある。某政令指定都市では、登校した児童生徒のみが学習支援システムを利用可能。学校の教室内でしか使えないシステムを市教育委員会の要件を元に業者につくらせた。約100万超の税金が年間投入されているにも関わらず、【年間数枚の紙プリント】を保護者に言われて、嫌がらせのように数枚抜いた状態で教員が不登校児童生徒に渡す。(不登校児童生徒に対して現場校長が主体となりスクールハラスメント)某政令指定都市にはこのような杜撰な学校現場が存在する。市教育委員会と学校現場校長(元市教育委員会指導主事)は身内のため機能しない異常な状況。不登校児童生徒が深夜校内で自殺未遂も闇に。 

 

 

・真摯に職務に向き合って戴いている多くの先生方にまずは感謝です。 

給与増等当たり前で、教員の主務を教科指導に限定し、其れ以外の雑務職員を配置し、自己研修体制を確立し、先進国の様に休暇を2ケ月位は保証し、教員免許は修士取得者とし…以上の事は先進国では既に行われている事をマスメディアはもつと報知すべきである! 

此の国の全ての面での後進国実態は、政治体制は勿論、教育体制に因がある事は明確では! 

大衆が変れば愚衆政治が変わる! 

愚衆政治が変れば世の中変わる! 

のにね~ 

 

 

・極めて、単純に指摘します!担任として、受け持っているのは、問題行動のある児童だけではありません!本来、他の児童に費やすはずの多くの時間を犠牲にして、問題行動の児童に関わなければならないのはおかしな話だと思うが、皆さんはどう思いますか!だから、学級全体の学力は沈没の一途になりかねない! 

 

 

 

・あきらめず、とことん関わって、短い間に変容をみせる子もいれば、まったく変わらない子もいる。そんな子どもも、いつか自分との関わりが生きる時が来る、と信じて送り出している。 

結局、何もできないとは思わないし、そう思ったら続かない。 

 

 

・教員の限界=世の中の企業も同じです。良い人は去って行きますよ。性悪がどの世界も残って行きます…でもね本物は生き残るんですよ。時間がかかりますが、最後に勝つのは正義です。もちろん悪も生き延びますが、負けちゃいけない。 

 

 

・最悪、死ななければ、大丈夫。虐待もマイナスばかりではない。鍛えられるし、成長出来る。試練を乗り越えてこそ、大輪の自分の花を咲かす事が出来る。 

 

 

・同じクラスの児童が心配になった。1人のために我慢してる部分が大きいのでは。彼を見捨てるとかではなく、児童福祉の方面との連携が必要ではなかったのか。 

 

 

・どんなに荒れたクラスでも、ちゃんとやる子はやってるからね。 

「クラスが荒れてるから、うちの子ガー」って言ってくる親は、自分家の躾を見直すといいよ。 

 

 

・先生の仕事じゃないよね 児相や福祉の仕事だよね 

公務員という待遇を悪用する人がいる一方でこうやってなんでも抱え込もうとする人もいる 

福祉のことまでやろうとすればそりゃキャパオーバーになるでしょ 

 

 

・特性を持った子供が増え、主張の強い親が増え、そんな状況で学校が戦うために備わった「武器」など何もない。 

 

 

・勉強を教える人と問題行動を解決する人を別にしてそれぞれに必要な権限を与えないと有能な人ほどやってられないよねぇ。 

 

 

・担任にとっても子どもにとっても,毎日同じ人がいることは恐怖です。やり直さなければいけません。誰か助けられますか?結局できません。 

 

 

・教員の努力と根性に頼りすぎ。虐待の対応を教員がやっているの日本ぐらいじゃない?教員を「定額の何でも屋」にしてしまった文科省の罪は重い。 

 

 

 

・この人は教員の仕事を勘違いしている  

 

教員はそのクラスに1人しかいないのに、その子に寄り添おうとしている! 

じゃ、他のおとなしい子たちは放置? 

その騒がしい子ばっかりのように感じたが… 

 

教員の仕事をしっかりやってください! 

教員の仕事は、子供達に勉強や協調性を教えてよい納税者に育てることです 

だから、国の税金を投入しているのですよ 

国の、未来への投資とも言えます 

 

私は、納税している者として、この教員はクビにしたいですね 

可能なら…  

 

かわいそうに。  

同じクラスだった子供たちはさぞかし迷惑だったでしょう 

 

先生はそのうるさい子供にばかりにかかわり、授業はその子中心… 

私がクラスメイトなら、一緒に暴れたくなりますね 

 

 

・「必要な先生ほど辞める」 

今の社会の反映。 

今の日本でやっていくには、イエスマンになるしかない。 

学校は社会の反映である。 

 

 

・教員不足の責任は文科省と教育委員会と校長にあります、すでに手遅れ、できる教員ほど辞めていく。 

 

 

・虐待を受けている子が学校にいるときは先生もケアに関わるべきだ 

学校の外までは面倒みきれないよ 

 

 

・虐待の事実があるなら、児相案件じゃないの? 

児相には通報しなかったの? 

 

 

・優秀な先生ほど視野が広く見えているものが違うので辞めます。 

 

 

・しつけの出来ていない子供を預かる義務まではないと思う 

 

 

・これ、この人は本当に必要な先生なのか? 

 

 

・教員、、なんだかんだで怠ける。 

真剣に頑張って 

 

 

・昔の先生は偉かったんだなあ 

 

 

 

・子供の命を大切にするのが当たり前の世の中なのだから 

養育できない親から引き離して 

子どもを育てる組織を充実させるべきですね 

 

施設で育った子どもは、中には自閉症の症状を出したり、栄養を与えても摂取できず死ぬ子供が増えたり、厳しい状況の施設では弱い子供からだめになる 

ということが知られてます 

 

でも世の中がこうですから 

いっそのこと 

施設を充実させて 

社会で子育て人育てできるように 

世の中を作り直せばいいんじゃないですか 

そのつもりで施設を作ればちゃんと育つかもしれませんよ 

親を治すのは無理 

 

犯罪者や893、引きこもりを増やすんじゃなくて 

働き手を増やしましょうよ 

 

 

・躾、ゲンコツや蹴り、ケツバットごときで暴力とかぬかす子持様が多いから当然。わがままな子持様の輩を野放しにしてるせいで人生台無しになる。こんな割に合わない職、冷静に考えれば、よっぽどの好き者以外近寄らんほうが良い。更に担い手が減ることを切に願う。論ずるに値しない。 

 

 

・このレベルの子を教員が向き合えってのは無理だろう。 

福祉や司法の領域。 

一定期間で更生の余地が無いと判断された場合、脳外科的な手術で欲求を無くすことも選択肢に入れるべきでは。 

 

 

・恐らく暴力をやってる主体は母親 

父親だけならこうはならない 

 

 

 

 
 

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