( 201139 ) 2024/08/13 01:08:40 0 00 円キャリーのポジション調整が終わった後に、円を買い進める実需は存在するのか、と唐鎌氏は語る(写真:アフロ)
貿易黒字国だった頃の日本では、円安は輸出増を起点とする景気の好循環につながる相場現象だった。 ところが、貿易赤字が定着し、投資だけで外貨を稼ぐ今の日本には、巨額の貿易赤字を背景とした「実需の円買い」は縮小している。 投機的な円キャリー取引のポジション調整が終わった後、円を買い進める実需の円買いは、果たして残っているのだろうか。 (唐鎌 大輔:みずほ銀行チーフマーケット・エコノミスト)
【著者作成グラフ】経常収支構造の変化。前回円安局面の2005-07年と2021-23年の経常収支を比較すると、日本の産業構造と「円」が完全に別物になっていることが分かる。本当によく分かる!
前回のコラム「株価大暴落の原因「600兆円の円キャリー取引説」の違和感、「円安バブル」崩壊で円高は再来するのか?」、では「円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊した」という解説に関し、類似の状況を伴っていた2005~07年との比較分析を行った。
貿易黒字大国だった当時と貿易赤字が定着した現在では、円にまつわる需給環境があまりにも違い過ぎる。当時は貿易・投資の双方で外貨を稼ぐ「未成熟な債務国」であったのに対し、現在は投資だけで外貨を稼ぐ「成熟した債権国」である。
国としての発展段階が明確に変わった以上、両時代は「別の通貨」と言っても良い。「別の通貨」なのだから、当然、金融政策運営の格差、端的には内外金利差に対する反応も変わってくるというのが筆者の立場である。
以下の図表(1)がイメージ作りの一助となるのではないかと思う。
例えば、2005年から2007年はFRB・米連邦準理事会(を筆頭とする海外中銀)が利上げ局面にある一方、日銀はゼロ金利で安定が見込まれていたことから円キャリー取引が流行した。
ただ、この時代の日本は巨額の貿易黒字も抱えており、現在のように円安が社会不安につながるような雰囲気はなかった。それどころか、円安は輸出増を起点とする景気の好循環(生産増→所得増→消費増)につながるため歓迎すべき相場現象として受け入れられていた時代である。
こうした中、当時においては「円安バブル」というフレーズは、たとえ株式市場に参加していない人々でもそれなりに実感できる状況にはあったと言える。これが図表で言えば(1)の局面だ。
■ 貿易赤字国として迎える利下げ
しかし、その後は2007年8月のパリバショック、2008年9月のリーマンショックを契機に円キャリー取引の急激な巻き戻しが発生、猛烈な円高に見舞われた。この際、輸出を景気回復の起点としていた日本経済は強い下押し圧力に直面した。
この時代の円高は、円キャリー取引の巻き戻しという「投機の円買い」に加え、巨大な貿易黒字を背景とする「実需の円買い」も重なっていたため、投機・実需の両面から強力な円高圧力に発展したというのが筆者の理解である。
これが(1)から(2)への局面移行であった。
この円高局面は2012年に75円台をつけるまで持続することになり、その後の日本企業の対外直接投資(海外生産移管や海外企業買収など)を加速させたという説は根強い。事実、この時代を境として輸出主導の貿易黒字拡大と円高のサイクルは日本で見られなくなっている。
これに対し、現在は(3)から(4)の局面移行に相当する。
既に直面したように、来たるFRBの利下げに合わせて円キャリー取引が巻き戻され、これに伴う円買いが発生する動き自体は防ぎようがない。しかし、今年1~6月の貿易赤字は約▲3.5兆円、単純に年率化すれば約▲7.0兆円だ。仮にこれが現実化すれば、歴代で上位5番目の貿易赤字額になる(図表(2))。
ちなみに、2005~07年の3年間について年平均の貿易黒字は約+9.1兆円だった。FRBの利下げが円高をもたらすのは変動為替相場制の摂理として不可避の展開だとしても、その度合いは貿易黒字国と貿易赤字国では異なるのではないか。
■ 持続的な円高局面が来るとは思えないワケ
昨年11月の本コラム「当然ではなくなった米利下げで円高の常識、「強い円」の歴史は繰り返すのか?」でも論じた事実だが、日本は「貿易赤字国として迎えたFRBの利下げ」についてほとんど経験がない。
強いて言えば、2019年7月末の利下げがこれに該当する。この際、確かに利下げ直後となる同年8月には大きな円高が進んだし、より細かく言えば、同年4月頃から利下げが織り込まれ円高が始まっていた(図表(3))。
しかし、結果的には利下げに着手した2019年7月末から計3回利下げしたものの、2019年12月末の水準は利下げ着手時と同じかやや円安だった。少なくとも前回の利下げ局面で日本は大きな円高を経験していない。
外部環境が違うのであくまで参考だが、円キャリー取引の巻き戻しが超円高を引き起こした2005年から2007年にかけてのような持続性を伴う深い円高局面を想定するには、あまりにも日本の需給構造は変わってしまっていることは押さえておきたい。
■ 為替相場のメインシナリオ
現状、筆者の抱くメインシナリオでは140円割れは難しいと考えている。
もちろん、どのようなシナリオにもリスクはある。仮に130円台に定着することがあるとすれば、米国経済における何らかの危機的な状況(例えば金融機関の経営不安など)が露わになった時だと考えている。
そうであれば、まとまった幅の利下げはどうしても必要になるし、日米金利差の観点から円高方向への弾みがつくことになる。
しかし、8月1週目で目にしている今のところの円高は、あくまでキャリー取引の巻き戻しに伴う想定された範囲内での値動きと整理したい。円相場の「本当の着地点」は、そうした投機的なポジションが去った後に露呈することになる。
果たして、投機の買戻しが去った後、円を積極的に買い進める理由は残っているのだろうか。筆者は難しいように感じている。
※寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です。また、2024年8月9日時点の分析です
唐鎌大輔(からかま・だいすけ) みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト 2004年慶応義塾大学卒業後、日本貿易振興機構(JETRO)入構。日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、「EU経済見通し」の作成やユーロ導入10周年記念論文の執筆などに携わった。2008年10月から、みずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)で為替市場を中心とする経済・金融分析を担当。著書に『欧州リスク―日本化・円化・日銀化』(2014年、東洋経済新報社)、『ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで』(2017年、東洋経済新報社)、『「強い円」はどこへ行ったのか』(2022年、日経BP 日本経済新聞出版)。
唐鎌 大輔
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