( 201314 ) 2024/08/13 16:50:15 0 00 Adobe Stock
パリ五輪が終わった。開幕前、五輪に及ぶ日本国内の経済効果は2500億円にも上るとの試算がでていた。日本も多くのメダルを獲得した一方で、この大会についてはどこかスッキリしない気分の国民も多いのではないだろうか。例えば、疑惑の判定の数々に憤っている人もいるだろう。ほかにも、トライアスロン競技でのセーヌ川の水質問題についても大きな議論を巻き起こしている。出場選手の中には嘔吐したり、体調不良を訴えたりする選手が相次いだ。例えばポルトガルオリンピック委員会はトライアスロンの混合リレーに出場した男女の2選手が胃腸感染症を発症したことを発表している。ギリシャの日刊紙『Ethnos』は「フランス人よ、恥を知れ! われわれはここ数十年で最悪の五輪を見せられている」などと声を荒げた。一体何が問題だったのか。経済誌プレジデントの元編集長で、作家の小倉健一氏が解説するーー。
パリ五輪では、日本人選手の活躍、悔しい審判のジャッジなどさまざまなことが起きたが、一番印象に残っているものは何かと問われたら、パリの中心部を通り、街のシンボルとも言える「セーヌ川」での大惨事と答えるかもしれない。ここで泳がされ嘔吐し、体調不良を訴えた選手には同情を禁じ得ない。「セーヌの水質はきれいとは言えないけど、それでもこれまでよりもずっとマシになった」「他の選手も条件は同じ」だからとドブ川へのダイブを強要された訳である。
パリでは大雨が降ると、排水がセーヌ川へと流れ込むため、川の中に含まれる大腸菌などの細菌の量が増加する。この影響で川の水質が悪化し、健康に悪影響を及ぼす危険性が高まってしまった。
<下水道整備ではいま、雨水と生活排水の配管を分離する「分流式」が主流だが、パリには雨水と生活排水が混ざり合う「合流式」が多く残る。このため大雨が降って水位が上がると、排水が下水処理場にたどり着く前にセーヌ川に流れ込み、汚染の元凶になってきた。上流の河岸からの農薬流出、観光船の増加が水質悪化に拍車をかけた>(産経新聞、8月6日)
実は、セーヌ川での水泳は禁止されていた。何世紀もの間、この川は洗濯物の汚れ、人間の排泄物、中世の肉屋が投げ捨てた動物の部位などのゴミ捨て場だったのだ。19世紀には、工場や人間の廃水が直接セーヌ川に流されることが多かった。その禁止措置は1923年から続いており、理由はまさにこのような水質の悪さによる健康への危険があるためである。改めて述べるが、セーヌ川を汚染する大腸菌や腸球菌という細菌は、しばしば糞便(ふんべん)に由来する汚染物質と関連している。
これらの細菌が含まれている水を飲んだり、口に入れたりすると、体にさまざまな病気を引き起こすことがある。例えば、これらの細菌が体内に入ると、下痢を起こしたり、尿路感染症という病気になったりすることがある。尿路感染症は、おしっこをするときに痛みを感じたり、おしっこが濁ったりする病気である。また、肺炎という肺の病気や、敗血症という血液の中で細菌が増える病気になることもある。このように、大腸菌や腸球菌が含まれた水を飲むと、健康に大きな悪影響を及ぼす可能性がある。
2024年のオリンピック・パラリンピックを控えて、フランス政府は川の水質を改善するために15億ドル(約2000億円)という巨額の資金を投入した。この資金は川の水をきれいにするために使われたが、残念ながらその効果は期待を大きく下回るものとなっている。つまり、思ったほどの水質改善が見られず、健康被害が続出した訳だ。
<流れる水をこの目で見た印象を率直に言えば、泳ぎたいとは思いません。日によって変化はあるものの、緑がかったり、降水後には茶色っぽく濁ったりしています。実際、街行く人に尋ねても、同じような印象を持つ人は多いようです。パリ在住のステファニー・ベスクさんは「泳ぐなら海へ行く。セーヌ川で泳ぐことに、多くの人は抵抗感があると思う」と話します。とある女性は「これを見てよ」と川岸を指さしてくれたことがありました。流れがよどんだ場所ではありましたが、そこにはペットボトルや発泡スチロール片らしきゴミなどが浮かんでいました>(読売新聞、8月7日)
と現場の記者はレポートしている。読んでいるだけで吐き気がする描写であろう。
<パリ2024の広報担当者は、火曜日にGlobal Newsに電子メールで寄せた声明の中で、"アスリートの健康と福祉は我々の最優先事項である “と述べた。/「セーヌ川で開催される競技に関しては、水質検査が毎日行われ、競技を続行するかどうかの決定は、国際トライアスロン連合がパリ2024と連携し、検査結果とさまざまな(特に健康に関する)基準に基づいて行う」と広報担当者は述べた>(英字メディア『GLOBAL NEWS』8月6日)というが、ではなぜ選手たちは、泳いだ後に嘔吐し、体調不良を訴えているのだろうか。
「レース後は10回も嘔吐した」と語ったのは、カナダのタイラー・ミスラウチュク選手だ。「健康な状態でスタートラインに立ち、全力を尽くした。 もっとやりたいこともあっただろうが、それが僕のすべてだ」とトライアスロンマガジン(7月31日)のインタビューに答えている。
アメリカのセス・ライダー選手は、セーヌ川の大腸菌レベル上昇に備え、型破りな(しかしどうやら科学的裏付けのある)方法で備えたのだという。
「大腸菌にさらされることは分かっているので、日常生活の中で少しでも大腸菌にさらされることで、大腸菌の閾値を上げようとするのです。/そして、それは実際に科学によって裏付けられている。 実証済みの方法です。 トイレに行った後は手を洗わないとか、一日のうちのちょっとしたことでいいんです」(ザ・アスレティック、7月28日)
ザ・アスレティック誌によれば、<医師がライダーに同意するかどうかは別として、これはパリで健康を維持するための戦略の一部である>という。トイレに行って手を洗わない…狂った世界線とはまさにこのことだろう。
選手の体調不良から混合トライアスロンの試合を辞退することになってしまったベルギーのDe Standard誌は、「(トライアスロン)レースは冗談のようだった」と指摘し、以下のように、怒りをあらわにしている。
<ベルギーのトライアスロン選手マーテン・ヴァン・リール選手は、「選手たちがまるで操り人形のように扱われているサーカスだ」と、パリ2024のトライアスロンに対する注意の足りなさを批判しました。/ベルギーのトライアスロンチームは、ミシェル選手の体調不良の原因を汚染されたセーヌ川の水質にあると考えています。ジョリエン・ヴェルメイレン選手は、個人トライアスロンの後に、「見たくもないし、嗅ぎたくもないようなものを見たり、嗅いだりした」と語りました。セーヌ川の水質は、オリンピック期間中ずっと問題視されており、いくつかのトレーニングセッションも中止されました>
ソーシャルメディア上では、オリンピック期間中、「#JechiedanslaSeine」というハッシュタグの使用が増加し、マクロン大統領が糞まみれになっている画像や、川のほとりでトイレットロールを掲げて人々が大勢集まっている画像がアップされていた。なお、「JechiedanslaSeine」は、「Je chie dans la Seine」というフランス語のフレーズの一部だと思われる。このフレーズを直訳すると、「私はセーヌ川でうんちをする」という意味になる(この表現は非常に不適切な表現であるため、日常会話では使わない方が良いだろう)。
そんなセーヌ川だが多少なりとも改善をしていると指摘する環境団体もいる。
<「パリには、セーヌ川が今、健全な状態にあることを知らない人がたくさんいます。 きれいだとは言いませんが、水生生物にとっては健全です」と環境教育センター、Maison de la Pêche et de la Natureのディレクター、サンドリーヌ・アルミライユは言う。 「私たちは水質を、そこに何が生息しているかという観点から見ています。 魚種が多ければ多いほど、環境は健全になるのです」/彼女がパリ郊外で育った子供の頃、汚染に強い魚は4種しか生き残れなかった。 実際、1970年代にはパリのセーヌ川下流は生物学的にほぼ死滅していた。 現在では36種類の魚が生息している>
しかし、1988年にセーヌ川で沐浴すると宣言したジャック・シラク大統領(当時)と同様に、エマニュエル・マクロン大統領(現職)も、2024年オリンピック村の公式落成式で、大会が残す遺産を賞賛しながら、「セーヌ川で泳ぐ」と約束した。セーヌ川の浄化は、パリ2024年オリンピックの主要なレガシーのひとつとなることを意図したものだが、その約束が果たされることはあるのだろうか。
小倉健一
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