( 201368 )  2024/08/13 17:42:59  
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様々な意見が寄せられていますが、共通して感じられるのは、墓や葬儀に対する考え方が従来の形態から変化している点です。

社会の変化や個人のライフスタイルの変化に伴い、墓やお墓の維持、葬儀などにかかる負担や費用に対する検討が進んでいます。

家族や子供への負担を最小限に抑え、かつ自身の希望も実現させる方法を模索している声が多く見られます。

また、自然葬や永代供養など、伝統的な形態にとらわれず新しい方法を取る考え方も広がっています。

これからも個々の価値観や状況に合わせた様々な形態が選択されることが予想されます。

(まとめ)

( 201370 )  2024/08/13 17:42:59  
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・それぞれの意見がありますよね。どれも間違いではないし。 

私は死んだら、お墓も何も不要だと思っています。葬式も不要だし、さっさと火葬して、遺灰も可能なら燃えるゴミに捨ててもらっていいです。 

死んだら、人間はただ無くなるだけで、遺族には故人のために、墓の維持費、何回忌だとか、死んでから何年もお金を使い続けるのは、今の時代に合ってないと思うから。 

お金は今を生きている人のために、使ったらいいと思っています。 

 

 

・私は佐賀の田舎で生活してます。次男ですが本家の後取りとして土地家屋を相続しました。当然、墓も仏壇も管理することなります。この度、墓の老朽化により納骨堂を選択しようとしましたが親戚の反対により墓を新調することになりました。300万、軽い出費ではないけれど、これも家長としての勤めと弁えてます。しかし、今後を考えるとその選択が正しかったかは分かりません。子供達に余計な負担を与えてしまったのかもと思ってます。 

 

 

・私が死んだら葬式などやらないように。散骨してほしい。墓など絶対に建てるな、最も不要な金は寺や葬儀屋に対しての費用である。全て自分の家族、自分の子供達の未来に使いなさい。 

死んだ後に子供達の負担になどなりたくない。 これが私の両親の気持ちです。 

 

今の時代はコロナを境に、急速に本当に今とこれからの自分にとって価値があり、必要か不必要かの線引きをする意識が多くの人に芽生えたように思えます。 物価は上がる一方、収入はほぼ横這い。 毎年の儀礼事で大きなの費用を毎年のようにかけていくのは厳しい。 

自分は今現在生きている人であっても、いつも心の中に想いが宿っていて、日々感謝ができて気持ちを馳せることで充分に豊かさを感じながら生きていけると思ってます。 人は生きてこそ。思い出や、魂の様なものは無形のものである以上、その想像は金をかけ続けなければならないものではないはずだと思います。 

 

 

・もともと仏教が葬式を行うことが一般的になったのは江戸期らしい。 

映画や小説でみるように、庶民はその辺に埋めて石を積んで自分で弔っていたのだろう。 

金のかかる葬儀や墓の維持は明治昭和の営業努力によって獲得したもの。あえて仏教形式する必要なく、共同墓地でも十分だろう。だいたい昭和の団塊世代の生み出した金のかかる冠婚葬祭、盆暮れ正月の儀礼などは、継承する必要はない。お盆なども大混雑の中、帰省して交通事故や過労で大変な方が多い。 

いろいろな事物を絶つ時が来ている。 

墓はあった方がいいとは思うが、寺の周りに墓石立てて、事ある度にお布施は庶民にはきびしい。 

 

 

・私は一人っ子ですが、母は私に継がせる気マンマンです。嫁いでいますが主人は次男なのでつげないこともないのですが、すでに祖父母が入って両親が入ったら私で終わらせようと思っています。都営の公共墓地なので使用料は安いけど遠い。私の子供は2人女の子。1人は発達グレー。なにより長女なんだから次男のところに嫁げとか、ここを継ぐのはあんただからとか言われ続けたのが嫌だったからです。娘たちにはいいたくない。自分たちのお墓は自宅からすぐ近くの樹木葬にしたいと思っています。私たち夫婦が入ったらおしまい。自分が死んだら自分で出来ないので主人がもういなければ最後の手続きは娘にやってもらわないといけませんがなるべく負担にならない方法を探して最期を迎えようと思っています。 

 

 

・今や仏壇やお墓があるような田舎の実家では、若い人が暮らしていける収入を得るのが難しいですからね。空き家も増えてきています。都心で若い夫婦が共働きで子育てをするのは難しく、親元で子育てできれば少子化対策にもなると思うのですが・・政府は地方を見捨てるんでしょうか。もっと企業を地方に分散させるなどの対策があってもいいと思います。 

 

 

・日本も様々な意向がある多様な時代になってよかった。 

私も父が癌になり術後5年も定期的に診察を受けて無症状だったのに、ある日から腰が痛いと言い始め突然咳が酷くなり検査したら、助からないレベルの癌転移が発覚し今はその時を待っている状態です。 

幸い墓等の希望があったのでどの様に埋葬するかは決まっていますが、杖ついてヨボヨボになってでも生きて欲しいと今になって沢山の後悔が押し寄せているのが辛い。 

 

 

・檀家ですが、とにかくお金がかかる。 

人が一人亡くなると、戒名、お経、お車代と、数十万円が一瞬で飛んで行きます。 

檀家にもグレードがあるようで、お葬式にお坊さん呼んで100万円かかったというお宅もありました。 

また、お墓に名前を刻むのも、骨壺をお墓の中に入るのも、結構なお金がかかります。 

無宗教で、小さい頃から、先祖を祭る習慣がなかった自分にとって、お墓こそ、贅沢品だと思っています。 

リビングに、故人の遺影を飾り、たまにお水やお花を供えて、時々思い出すだけで、十分だと思うので、仏壇も要らないと思います。 

 

 

・そもそも、現代の墓の形ですらそんなに長い歴史はありません。 

 

祭祀や埋葬の形がずっと変わらず続いてきたし、これからも続けなければいけない・・・と思うのは単に過去を知らないだけであって、誤解です。 

 

祭祀や埋葬というのは常に変わり続けてきたものであって、これからも変化し続けるものです。 

 

 

・お世話になっているお寺は檀家も多く、お墓の数も多いお寺なんですが、檀家も年々減り墓じまいするところも出てきています 

お墓も空きが出てるけど今は新たにお墓を持つ人は少ないですね 

お寺も今後を考えて永代供養墓を作り永代供養も募集しています 

寺院も生き残りを考えていく時代になっていくと思います 

無宗教でお墓も仏壇も持たずにお骨は散骨や永代供養墓にいれるのがいいと思います 

お墓文化が続いてきましたが今後は形として残す文化は減っていくと思います 

 

 

 

・私は海への散骨を希望しています。私が亡くなった後も私を時々思い出してくれるとすれば、子供と孫まででしょう。墓がなくても思い出してもらうためには、それなりの生き方をして、周りの家族を大事にしていれば、残った者も時々思い出してくれるだろうと考えています。 

そんな終わり方ができるかどうかのほうが私には大事かな。 

死んだら戒名もいらないし、大きな海に撒いてもらって、自然に帰りたいと考えています。 

 

 

・地元の役所で、「合葬墓」の募集をしたら、すごく人気があって抽選?になったと聞きました。身寄りのない人を優先するルールだったかと思うけれど、私は誰でも合葬墓を利用できるようになるといいなと思います。テレビでちらっと見ただけですが、台湾は行政でお墓を管理していると聞いたことがあります。個人で代々お墓を管理するのは、今後難しい家が多くなると思うので、お役所で管理する合葬墓がもっと利用しやすくなると、とても助かります。 

 

 

・家で手作りでも良いから、小さな仏壇みたいなものを置き、写真や花等を飾って亡き人を偲んだらもうそれで良いのではないかなと思う。 

墓など必要なく、遺骨は散骨したら良い。これからは、そういう時代になると思う。葬式屋、墓石屋、寺院、墓苑、などは時代の流れには逆らえず形を変えて行く事になる。 

あまり因習にとらわれることなく、死後のことも、自由に考えたらよいと思う。 

 

 

・子にも先立たれ、一人娘だった妻も病で亡くなり、妻と子とお墓で一緒になるのをささやかな心の支えにしていましたが義母が墓じまいする気でいることを先日聞いてよく考えたら義母亡き後、墓の管理者は私しかおらず、私が死ねば誰もお墓を管理する人がいない無縁仏になることに気がつかされました 

 

小さい頃から漠然と死んだらお墓に入るものだと思っていましたがそれも簡単なことではないのですね 

 

 

・5月に母が亡くなりました。末期癌だったのでそこから終活を始め、生前に墓地も購入。樹木葬で契約しましたが、そこからあっという間にその霊園が完売。いま皆さん考えることが同じだなと思います。いまの霊園は良くできてて、手ぶらで行っても花からお線香から全て揃ってる。気軽に立ち寄れて管理もしっかりしてて、一人娘の私のために負担にならないところを選んでくれたのかな、と先ほど子供たちをつれて墓参りをしながら思いました。 

私も早めに子供の負担にならない方法を考えておこう。そう思います。 

 

 

・近年は少子高齢化の影響が顕著ですから、出来るだけ後世に迷惑や負担をかけない弔いが求められてきている。余計なカネのかからない葬儀、火葬、埋葬、墓、などなど。一部地域の火葬場不足も含めて、国策として取り組んでもいいと思う。 

 

 

・死んだことは悲しいし弔う気持ちは大切だとは思うけど、今生きてる人の生活を中心に考えていいと思う。 

お墓関係が面倒なら無理せず墓仕舞いしたほうがいいし、大切にしたいならすればいいし、人それぞれで 

 

 

・私はお墓に全く興味もなければ意味も見出だせません。 

妻と息子には葬式は必要ないし火葬だけでいいし無駄なお金は使わないように日々伝えています。 

死んだ自分にお金なんかかける必要性がないと昔から思っていので自分には最低限の弔いでいいと思ってます。 

他の家族には同じようにしろとは思ってもないし好きにすればいいとも思ってます。 

生きてる家族に負担になるなら無理に見栄をはらずに簡単に済ませれば良いではないでしょうか。 

 

 

・凄い不思議な話だけど、普段生きててお寺に行くことなんてまずない。むしろ、初詣とかで神社に行ったり、カトリック系の私学で教会施設に入ることの方が余程多いように感じる。それなのに死んだ瞬間に仏教徒にされてしまうことに強い違和感を覚える。 

なので親が亡くなっても、所謂お坊さんを呼んで御経上げてもらうとかは考えてないし、自分自身死んだら直葬、骨も散骨とかで良いと思ってる。 

 

 

・私は一人っ子で実家は九州です。 

両親は私に負担をかけまいと15年前に実家の近くにお墓を購入してました。 

私は転勤族で現在は定年後は東京に住まいを構えています。 

3年前と一昨年両親が亡くなりましたが、せっかく両親が購入したお墓なので(例えば新築マンションを購入して一度も入居しないでは可哀想かな?)と思い1年ほど両親が購入したお墓に埋葬いたしましたが両親の居ない九州に今後行く事もないことから昨年9月に九州の墓仕舞いを行い私の住まいから車で30分くらいの樹木園に私達や愛犬も埋葬可(6人分) 

でしたので両親を先に埋葬いたしました。 

近くに埋葬できいつでもお参りに行ける事から本当に良かったと思っております。 

 

 

 

・昨年から実家のある地方の田舎で暮らしてます。 日々子供の頃の情景を思い出すのですが、半世紀ほど前は近所の冠婚葬祭には人が集まり賑やかだった。 

うちも祖父母が亡くなった時は近所の人達がすぐ来てくれて町内会として葬儀を仕切ってくれた。 今や世代も二つほど変わり、人間関係も希薄になってしまった。 こんな状況なので弔いのカタチやお墓事情が変化していくのは当然のことと思う。 幸い、うちは先祖が残してくれたものでなんとか間に合っているので、今後も最低限の形で守っていくつもり。 

 

 

・うちも去年父親が他界しました。本人の希望で葬式も簡素にし、骨を海に撒き仏壇も置いてません。私も死んだら人は無になる、と思っているので同じようにしてほしいとおもいますが、墓も仏壇もないとゆっくりと故人のことを考える時間は減るなと感じています。そういう意味でも墓や仏壇という風習があるんだなと感じました。 

 

 

・いろいろな考え方はありますが、どれが正解かはわかりません。 

うちは同い年の妻が4年前に44歳で亡くなりました。田舎なので、子供たちはこちらに残る保証もありませんでしたし、樹木葬にしました。 

実際子供たちは県外で就職し、樹木葬にして正解でした。私が亡くなった時も同じようにする契約はすでに行っています。 

妻は、戒名や仏壇はいらないと言ってましたが、私の気持ちのため、戒名と仏壇はあります。ただ私が亡くなったら子供達には戒名と仏壇はいらないと言っています。 

結局気持ちの問題じゃないかな? 

 

 

・我が家は夫婦で永代供養塔にしました。 

通常のお墓のように土地もいらないし、13回忌までお寺で自動的に供養してくれるので、子供達の負担にもなりません。 

住居も市営住宅なので空き家になる心配も無いので助かっています。 

夫婦どちらかが先立って一人になったらコンパクトな団地の市営住宅を 

紹介して貰おうと考えています。 

お互い負担にならない方法が1番良いと思います。 

 

 

・私も、子どもにお墓を面倒かけたくないと思い、改葬を検討しました。 

しかし、お墓に祖父母だけでなく、叔父や叔母も入っているので、いとことの連絡相談に一苦労。叔母に関しては別にお墓があるので、そちらに移すとなったのでしが、お骨が風化して土になっていたため、お骨を分けることが出来ず、諦めた経緯があります。 

それでも改葬は考えているので、不謹慎ですが母が亡くなったタイミングが次の機会かと思っています。 

 

 

・死生観が変化したのかなあ。私の父が亡くなったときは、それはそれは「墓づくり」プレッシャーが物凄く、都心から遠く離れたところに作りましたが、田舎とは違うのですよ。墓参りするのも一大決心がいるような遠いところ。母親はまだ存命ですが、母親がなくなったら、墓をしまって、家から近いところに預かってもらうところ(お墓である必要は全くない)を探そうということになっています。子供の負担を考えたら、遠くに墓なんか置けませんよ。死生観というよりは現実論なのではないでしょうか。葬式も、家族層の相場が高くなっているので、それもやらず、焼き場で簡単な式を済ませて終ろうと思っています。 

 

 

・改葬許可を出す仕事をしてますが、職場の多くの人が自分の墓はいらんと思ってますね。納骨してある骨って、簡単に動かせないんです。 

 

というのも、人間の骨の場合、その骨がどういう骨かという事が証明できないと、改葬するにしても次のところで受け入れてもらえないんです。もしかしたら殺人など事件性があるかもしれないから。 

 

なので故人の骨だという証明書を墓の管理者(お寺など)に出してもらった上で、役所に改葬許可を出してもらうという手続きが必要になります。ちなみに改葬許可は骨1人につき1枚必要。場合によってはお寺にお金を渡さないといけなかったりします。 

 

墓問題は遺骨がある限り、付きまとう問題なので、私と夫は墓を作らないことにしてます。遺体を焼いた後の遺骨は受け取らなくていいからと子供に伝えてあります。それか完全に灰にしてほしいですね。 

 

 

・墓じまいをした方が言っていたのですが、墓って土地を買って家(墓)を建てているのと同じようなもの 

それを更地にするんだから手続きも面倒だしお金も結構かかるよと 

で、我が家は両親とも「墓はいらない」言っているので、自治体で管理している共同墓地にみんなで入る事にしています。 

そこに住民票があれば、1万程度の手数料を支払うだけなんです。 

残される側を考えると、これからはこういう方法もありなんだと思います 

 

 

・昨秋亡くなった父は生前から「お墓も仏壇も要らない」「散骨にして欲しい」と言っていたので、家族で話し合い一周忌の少し前に散骨する予定。 

母も「自分の時もそうして欲しい」と言うので、その心づもりでいます。 

 

生前からある程度決めておいてもらえると残された家族としては助かるなというのが本音。 

家に写真(遺影ではないもの)とお花を飾って、自分なりに父に思いを馳せています。 

 

 

・長男なので両親の墓と仏壇を引き受けました。墓は次男に後は任せて、墓仕舞いしてもかまわないと言ってます。私は散骨で十分。家内も同じ考えみたいです。ただ、私の姉弟はうるさいので、いなくなるまでは、おいといてと言ってます。仏壇は次男が家を建てるときに置き場を作ってくれ、引き受けてくれますが、小さな仏壇にしとけば良かったと反省してます。 

 

 

 

・マイホームの空き家問題と同じなのかなって気がしています。 

納骨したての頃は故人を想う気持ちが強いのははもちろん、お墓のケアも頻繁に行うけれど(自分もまだ若い)年取るにつれて体がしんどくなるし、訪れる親族も減る。維持費もかかる。 

元気なうちはいらないと言っている人でも、なくなる前にやっぱりほしいという人もいますよ。死生観はギリギリまで変化しますね。 

 

 

・難しい問題ですが、1番の理由は墓の近くに墓守りする家族がいない事でしょうね。 

昭和の時代は多くのケースで兄弟誰かが、その家を継いでいたので、墓守りする人がいたけど、今は核家族な上にその子供は育った家に残らないケースが多くなって来てますからね。 

そうなると、本籍の近くにある墓に行くこともかなり大変になって来ていると言った方々も多いと思います。 

だったらと地元の便利のいい、永代供養をしてくれる合同墓のある墓地か、完全な墓じまいという選択になるのも無理ないでしょうね。 

供養すらしないとなると寂しい話ですが、田舎に置かれたままで忘れられた墓よりは、ちゃんと供養してくれる新しい方法を取り入れてくれる方がご先祖様は嬉しいでしょうね。 

 

 

・お墓の管理を誰が引き継ぐか、もありますが地方だと「檀家になっているお寺の跡継ぎがいない」という問題もあります。 

実家がお世話になっているお寺は、先代が亡くなり息子さんが他のお寺での修行から戻って継いだものの40代の独身で、お寺のサポートをする「住職の奥さん」というポジションがおらず母=高齢の先代住職の奥さんが引き続きお寺のサポートをしてる状況ですが「母が倒れたら今後はわからない」「本山から新しい僧侶を派遣してもらうかも」、とお寺の方が途絶えそうな状況で、そんな後継者がいない寺社が地方にはたくさんあります。 

「代々お墓を引き継ぐ」という文化は明治あたりから始まったようですが、昭和平成令和と大きく価値観だけでなく生活や親子の継承も変わりそろそろ限界なのでしょうね。 

お寺側が限界ではどうしようもありませんし。 

 

 

・現在人は 

時間的、金銭的余裕が無いから 

小さなお葬式が流行っているのだと思う。 

 

私個人的にも葬式は不要 

昔のように 

葬式で新車が買えるような費用掛けるくらいなら 

貯蓄するなり、好きな物を買ってくれた方が良い。 

 

遺骨も骨壺で保管や 

石やコンクリートの墓地へ埋葬されるよりも 

自然葬で 

例えば、桜の木の根元にでも散骨して 

自身が樹木と一体化し 

キレイな花を咲かせされたら嬉しい。 

 

 

・今はそれぞれ自由ですから必ずお墓を持たなきゃいけないというわけでもないし、ましてや長男だから墓守しろとかそこまで厳しい家柄も少ないでしょう。 

しかしそれはそれぞれの考え方で強制ではないけど、墓もって供養したいという考え方の人は持てばいいと思う。 

跡継ぎなどいなくても永代供養などもあるし、意味があるかどうかはそれぞれの家で考えるべきだし、宗教などによっても考えて方が違うのですから、答えはあるようでないと思う! 

今私達がいるのは先祖がいるおかげと先祖を重んじる家系と今を生きるのに精一杯だから生きてる者が最優先と考える家系と、どちらも間違いではないと思う! 

 

 

・自分が死んだ後にもお墓の掃除や維持や何回忌とか手間は掛けさせたくないですね。 

そこに足を運ぶだけでも迷惑かけてますからね。 

位牌くらいはいいかもしれませんが、それもいざ処分するのも気を遣わせますし。 

この前歌手のGACKTが言ってました。自分が死ぬ時は墓は要らないから灰は海に巻いて欲しい、その時期になったら自分を思い出してくれるだけでいいと。 

その考え方には納得しました。 

 

 

・子供はおらず、夫婦だけで暮らしていてもいずれどちらかに先立たれてしまう。 

そこで最後は安楽死を認めてほしい。自分で自分の骨は拾えないのだから。 

 

家や他の財産の処理をしてから、知り合いにお別れを言って、体ひとつで安楽死の為の病院や施設などへ行ってあの世に行かせてもらって、後は流れるようにそれを請け負う業者さんに火葬場からの公共施設の合葬墓に入れてもらってお終いとしたい。 

 

身寄りのないまま病院のベッドに縛り付けられて天井を見続ける毎日とか、自宅で臭いを発するまで誰にも知られることなく腐乱死体となっていくのは誰でもイヤでしょ? 

 

 

・長子です。自分も墓じまいしたいが、自分の父親が頑張って建てた墓なので、言い出せない。 

自分は田舎独特の空気感が苦手で地元を離れて長くなり、正直帰る気もない。 

墓は実家近くにあるのだが、定期的に帰省はするものの、墓参りや掃除は全く行けていない。 

実は、その墓のある場所や環境が、どうも苦手なのだ。 

周囲が住宅に囲まれていて、閉そく感があって、牢屋に閉じ込められるような感覚にとらわれる。 

しかし、兄弟は結婚して相手の家に入ったため、近い将来両親が亡くなったら、後を継ぐのも入るのも独身の自分だけ。 

そういえば、神道なので実家に小さな神棚があるが、あれもどうしたら…ほんとに気が重いし、悩ましい。 

もし自分なら、叶うなら、骨ひと欠片残らず全部地元の海に巻いて終わり。そうしてほしい。墓参りも掃除も要らない。 

面倒事はできるだけ遺したくない。 

 

 

・家族葬で身内を見送りました。 

予備知識がほぼ無い状態で、決定権のある身内がどんどん決めていった結果、普通よりやや安い程度の金額にまで膨らみました。それなのに家族葬だから新聞にも載せない、誰も呼ばないので、全額自腹になりました。 

色々と学びました…。 

中途半端にお金をかけるなら普通に皆さんに来ていただいて助けてもらう(結局お互い様だし)。お金をかけたく無いなら、お棺だって装束だってすぐに燃やしてしまうものだと割り切り質素を徹底する。 

ただ、故人や故人と一番仲の良かった人の意思が優先ですけどね。 

 

 

・墓仕舞いと並行して、遺骨の集約整理を私の親族の間で行いました。 

具体的には、父方三兄弟が各々所有していた墓と遺骨のうち、次男三男の墓は墓仕舞いして、納骨堂に納める遺骨と、長男である私の父の墓に移す遺骨とに分けたのです。 

その線引きは、比較的墓参りに行ける私の父の墓には父方三兄弟共通の遺骨と、事実上墓参りを卒業させてもらう遺骨との違いです。 

墓仕舞いは、「墓参りを卒業させてもらうという気持ちを込めて」行いたいと、深く感じた出来事でした。 

 

 

 

・今でも立派な墓を建てようって世代がいます。 

 

誰も見にこないし、関係ない人は手を合わせにも来ない。 

なのに、立派な墓をこしらえることで見栄をはる。 

 

日本人だけども、アメリカのような芝生に小さなお墓があって 

お花を手向ける、お墓を維持するにしても、手入れも容易い 

こんなお墓が本当に理想です。 

(地震があっても被害が少ない、日本に向いてます) 

 

仏壇もコンパクトで十分なのでは? 

 

 

・お墓って本来、遺された人のためにあるものだから、本人が要らないよと言っても子供も同意見とは言い切れません。 

他にも延命処置をするしないとか、最期を迎えるときに会いたい人、食べたいもの、してほしいこと。まわりの人と自分の意見がみんな同じなんて思わないほうがいい。それが家族の諍いの種になったりもします。 

家族が困らないように、かつ自分の望む死に方をしたいなら、生前の元気なうちにたくさん話して「どうしたいか、どうしてほしいか」を決めておくことをおすすめします。 

 

 

・昨年、親戚が墓じまいと樹木葬の両方行った。 

後日、詳しい話を聞いたら「亡くなったペットと家族が一緒に入れるのが樹木葬だった」「子供に負担掛けたくなかった(お子さんが遠方住み)」が理由だった。 

 

理由を聞いて共感したよ。自分の所も、追々、そうなりそう。猫と一緒に永遠の眠りに就きたいから。 

親の方は「面倒くさいから、海に遺灰を撒いてくれ!」とずっと言っている。 

面倒くさいで撒き希望の為、その日が来たら全力で大海原に撒いてやる予定。 

 

 

・元々、今のお盆の時期のように 

お墓と、盆彼岸などの行事っていうのは下手すると当代の家族をその場所に繋ぎ止める手段になりかねないのよね 

当然それが暗に存在していて、それで家も寺も存続するという意味になるわけだから 

 

最近は、市などの公営墓地などでも永代供養、もしくは合葬という区域を用意してきている自治体もある 

 

全体的に、もう墓をキープできるような近所にお墓がある、家族親族が多数いるような世帯じゃないと自分が最後になる可能性も高いからね 

下手すると墓作ったけど、自分が結婚してなくて後継もなしってなるとそのまま放置墓になりかねないし 

 

どうせ処分されるなら事前に個人の墓は閉めてしまって、合葬などで親を葬り、さらに自分もそこに入れてしまう段取りを作っておくしかない 

 

正直、個人的には盆彼岸も年に何回やる気?って思うし 

故人を偲ぶなら自由でいいんだと思うけどね 

 

 

・古いお墓を見るのが好きです。江戸時代のお墓や室町時代、古くは鎌倉時代のの五輪塔とか見るとこの人はどんな人生だったのかとかワクワクしながら想いを馳せてしまいます。私はお墓とは亡くなった祖先と対話出来る唯一の場所だと思ってます。人生で辛い時や苦しい時にお墓参りして想いを告げるとなぜか帰りは気持ちがスッキリする事があります。確かに維持管理は大変ですがそれを面倒だからとか思った事は一度も有りません。今日までの命のバトンを受け取った今生きてる私達子孫がやるのが当たり前だと思ってるからです。しかし時代なのかお墓が段々と無くなっていくのは寂しいですねぇ。今日はお盆です。これからお迎えに行って参ります。 

 

 

・余裕がないのが本音ですよ。 

昔はみな収入が少なかったにしても反面支出も多くはなかった。だからお盆やお正月くらい贅沢したり年に一度は家族旅行したり。 

でも特に今現在では物価高騰もあるし、便利になった分だけ費用もかかる。昔はなかった通信費、電気や水道、ガス、ガソリンも高値で、生活用品や食料品も4割り増し、子どもは塾や習い事が当たり前なのに共働きしても所得は上がらない。 

生きて行くだけで精一杯の状況で墓まで手に負えないのが本音だと思う。 

 

 

・最近は、1人で来てる方も見かけます。 

 

気持ちなのですが、お墓は直接汲みで水かけるよりキレイなタオルを濡らして拭く方が良いと教えられました。 

 

拭くと真っ黒で名彫も指使ってなぞると真っ黒てす。 

少し奮発したお花を持って少しのお供え後、心がスッキリします。 

 

やはり、散骨等も個々ですが、 

自身は、会いに来た気持ちで、お墓が良いです。 

 

 

・墓じまいを検討しています。 

問い合わせをしたところ、何やらずいぶんな費用が掛かるようです。 

うーん、と考えているうちに数か月たってしまいましたが、我が子に負担を掛けたくないので、絶対に自分の代で墓じまいをしたいです。 

自分自身も亡くなったら、樹木葬にしてもらいたいと思っています。 

お墓は、残った人の心の拠り所になることもあるのはわかりますが、負担にもなるものです。 

 

 

・新型コロナの流行りは世界中に様々なダメージを与えたし、二度と嫌だと心底思っているけれど、死生観を変えたこと、葬儀が簡素になったことは唯一良かったことだと思っている。 

 

今や兄弟は2人3人くらい、一人っ子も珍しくない中で介護が終わったところから墓の管理に一生縛られ、望まぬとも子の世代へ繋ごうだなんて時代にミスマッチすぎる。 

 

とは言っても先祖を大事に思うことや仏さまに手を合わせる気持ちがなくなったわけではなく、従来の仏壇や墓を持つことが純粋に先祖に手を合わせることへの負担になっているのは自分自身でも感じている。 

 

合同葬や樹木葬などが罪悪感なく一般的になってほしいと切実に思う。 

 

 

・自分は65歳。父も母も見送った。家には仏壇が、寺には墓がある。自分はそれで良いと思っている。仏壇も墓も、死者との接点なのだ。 

 今年、古い友人が孤独死した。事情があって、葬儀には彼の友人の誰一人、行かれなかった。それが心残りで、自分達でお別れ会を開いた。 

 最近思うのだが、葬儀や三回忌というものは死者の為にするものではないと。あれは生き残った者達の心の慰めに行うものなのだと。 

 

 

 

・世代差、価値観の変化も含む、社会的文脈の変化によって考え方が変わってくるんだと思う。 

それもこれも遺骨が存在するからその置き場所に困るわけであって、骨が無くなるまで焼き切って貰えばあとは遺影を家においとけば万事解決とは行かないのだろうか? 

骨まで無くす技術を開発して欲しいと個人的には思う。 

 

 

・私の家も昨年、墓じまいをしました。 

私が一人っ子で女、さらには未婚で結婚しても子供を持つことは難しだろうと思うので、家族、親戚で話し合い、祖母が亡くなったのを機に。 

住んでいる近くのお寺に永代供養できたので、今まで遠く大変だった墓参りが近くなり嬉しいです。 

さらに、数年前に生前供養というかたちで両親と私の供養もしました。 

私が無縁仏として亡くなって、離れたところに埋葬されたとしても、魂は両親と共にいられるようにと願いを込めました。 

 

 

・冬に母が亡くなりまして、本人の希望で集団の樹木葬となりました。 

長年、抽選に応募し続けてやっと当選。契約と支払いが済んだばかりでした。兄弟姉妹にも話を通しておいてくれたので、揉めずに来年の納骨が決まりました。 

父とは離婚していて財産も何も無かった人ですが、引き際だけは整えてくれていて。本当にらしいねと何方様にも言って頂けるほどキレイな最期でした。本当に感謝しています。 

 

子供いない私たち夫婦はペットと入れる家族葬の小さな墓を買いました。葬式も読経も戒名も不要。骨にして納めてくださいと今からお願いしています。 

 

問題は母の実家の墓。今日墓参りに行って来ましたが、今は私な墓参するだけ。叔父一家はどうするつもりなのか。 

 

 

・一昨年母、昨年父と続けて亡くなって代々の墓に納骨しました。 

ただ二人ともそれなりのものを遺してくれました。 

続けて欲しいと思うなら自分も次の代へそれなりに遺して、 

有難がってもらえる、お参りしてもらえる先祖にならないとな、と思います。 

 

お墓も一度やめちゃうと先々で復活なんてしませんし、 

今まで続いてきたものですから、なるべく続けたいと思っています。 

 

 

・4人兄妹です。父と兄が入ってるお墓の鍵を預かり掃除をする担当?になってます。今思えば何故私だったのか…。私は母が大嫌いなので母が入ったら墓の面倒は見たくありません。このままでは私がいなくなれば私の子供達の役割になりそうです。なので早々に兄妹に話そうと思っています。私は子供達には背負わせたくないので海洋散骨をお願いしてあります。お盆前に実家の仏壇じまいの話を母にしたら「私が帰る場所がなくなるでしょ(怒)」と言ってましたが母は全く仏壇の世話はしてません。兄妹誰も仏壇を引き継ぐつもりはないのでこれも早々に話し合いたいと思っています。 この世を去った後まで迷惑は掛けたくありませんからね。 

 

 

・墓じまいが増えている理由は、死生観の変化だけではないと思います。 

最新型のお墓のことは知りませんが、昔ながらのお墓を維持していくには、手間もお金もかかります。 

たまには掃除や草むしりをしなければならないし、何やかやとお金もかかります。地震などで墓石や囲いが崩れたりすれば予期せぬ出費に見舞われます。 

先祖を敬う気持ちや、いずれ自分も入る場所はととのえておきたいという思いは誰しも少なからずあると思うのですが、とにかく日々が忙しく、心に余裕を持てず、懐も寒い、という人たち(それを誰が責められましょう)が日本でどんどん増えているのです。 

 

 

・その家それぞれかとは思いますが、私は亡くなったご先祖様に敬意を払うという形は色々あっていいと思います。 

後々子孫の負担になるのであれば、個人的にはお墓も要らないと考えています。 

家の中に小さくてもどこかコーナーを設け、思い立った時に、個々人が故人を偲んでお線香を添え、思いを馳せれば充分だと思います。 

ただ墓じまいをするにも、かなりお金が掛かるという話も聞きます。 

それをどこの代でするかは悩みどころではあります。 

 

 

・義実家の父母が亡くなって、葬儀を終えたあとも四十九日、一周忌はもちろんのこと、新盆、三回忌、七回忌…と延々と続く法事に、口には出せませんがもう少し簡略化してもいいのでは?と思っています。今年も主人は迎え火のためだけに帰省します。欧米では、葬儀の後は各々で故人を悼むというスタンスで、日本のように何年も続く法事の習慣は諸外国にはないと聞きました。お墓もこうしてだんだん簡略化されていく中で、田舎の義実家では立派なお墓も仏壇も新しく用意され、否が応でも次の世代の孫たちが継承していくんでしょうね…令和の世、こういったお墓や法事についてはもっともっと柔軟になっていくことを願うばかりです(先日も十三回忌の話がでました^^; ) 

 

 

・親には長生きしてもらいたいし、骨になってもそばにいたいと思うけど、お墓は骨をずーっと管理する場所。 

手を合わせる場所として「墓」という場所があるだけ。 

その場所にお金を払い続ける… 

自分や子どもたちにも管理のためのお金のしばりを続けるのは? 

人は死んだら骨になる。 

手を合わせるための場所が、高いお金を出して引き継がれて行くのは…と考えるようになって来た。 

 

 

・新しくお墓を建てました。原発事故の被災地で、これまでの墓地は線量が高く、イノシシも出るので行けなくて、別の場所に移転しました。お墓を閉じることも考えましたが、亡くなった家族のいてくれる場所、と感じて(ここはもう理屈ではなく)、お墓を前にして少しホッとしています。子どもはいますが、継ぐとは限らないので、お墓の門には家の名前は片方だけ刻み、片方には別の姓も入れられるようにしました。お墓は私には大切な場所ですね。子どもが負担と感じるか、心の支えと感じるかは、私のお墓や先祖への対し方に依るのかもしれません。 

 

 

 

・お墓は、家族を持っている人が信頼できる寺社にゆだねられるのならあってもいいと思う。お骨を合同収骨的に縁を切るのが忍びないのなら、1か所にいくつもお骨を収納できるのだからレンタル倉庫と同じという見方もできる。 

 

お墓離れが進むのは宗教やしきたりにありがたみや必要性を感じないからだと思う。 

先日義母が亡くなり導師の法話は「大谷の本」の読書感想文だった…。義父の時はウクライナ戦争の話。義父母にまつわる話も弔問者が心が整う話も教訓になる話もゼロ。 

 

義父の時にいた後継者予定の若い坊さんは逃げてしまったのも納得でき、なぜ義兄は歴史が長くとも所蔵美術品の自慢話ばかりするこの坊さんの檀家になったのだ?とイライラする。 

葬送の形が変わるのは「救いや必要を感じない」からだと思う。 

 

 

・両親が亡くなった際、、甥が名前を継ぐからと、甥が就職した遠い場所に姉が埋葬を決めました。 でもその甥は転職し、他家に婿入り、名前も変わり、更に遠方に引っ越しました。 

埋葬した場所が遠くて行けませんが、何かにつけ両親を想い、感謝をしています。 私も夫も自分達が死んだら、埋葬しなくて良いと考えが一致しています。 子ども達がたまーに思い出すことがあれば、それで良しです。 

 

 

・妻の実家がある地方では、 

いまだに、子孫の為に新しい墓石をたてたり(しかも正式な墓地でない、自然発生的に出来た集落地域墓地で管理者なし)、数百万もする巨大な仏壇を購入したりします。 

大きな墓石を立てると子孫繁栄し幸せになると信じているのです。 

浄土真宗なのですが、何周期とか毎年の命日、毎月の月命日で、費用も時間も費やす状況です。 

毎月、誰も居ない家に帰省し僧侶を迎えないといけません。 

このお盆時期も、独特の風習があり費用が嵩みます。 

これからの複数の墓しまい、仏壇しまいも考えたないといけません。 

子供達や孫の為に、時間とお金を使いたいです。 

 

 

・がんサバイバーの自分としては、墓じまいの内容よりもこのお母さんが人間ドックと区の健康診断を定期的に受けていたのに、何故がんが末期になるまで分からなかったのかが気になる。初期では見落とすことはよくあるが、末期=あちこち転移があって手術ができない状況になるまで見つからないのって医療側に問題はなかったのだろうか。 

 

 

・私も本家の長男と言う事でお墓を守る事を言われ続けて負担に思ってましたので子供達には負担をかけたく無く父母が他界したのを機に墓じまいをしました。勿論、心の中では生き続けてます。冒頭に思われるかと思いますがそもそも論からすると釈尊の時はお墓・葬儀と言った概念は無くキリシタン弾圧の為に江戸時代に禁教令に基づき島原の乱以降、五人組や檀家制度が確立して現在に至ってます。勿論、故人との思い出を大切にしながら時代の変化に応じて個々人の価値観・状況に応じて変化していくのはある意味自然な事ではないでしょうか。心こそ大切だと思います。 

 

 

・私は合祀墓に入れてもらうつもりです。 

亡くなった古い友人のお墓のある霊園の一角に合祀墓があり、自然の中、きれいに管理されています。そこの墓標には、亡くなった方々だけでなく、生前に権利を買ってある人たちの名前がすでに彫られています。命日と年齢が掘られていないのでわかります。ご家族のどなたかが亡くなって、生きておられる方のお名前が並んでいる、そのような形がけっこう多いです。幼馴染も、同じ合祀墓に入るつもりだと言ってます。すでに彼女の親族の方がそこに入ってますから。65歳で年金をもらうようになったら権利を買っておこうと思います。 

 

 

・先日父を亡くしました。無宗教で、お墓はなくお寺に直葬でいいと本人は言ってましたが、母が私が骨になったら一緒に納めてと泣いていたので納骨せず家にいてもらっても良いかなとおもったりしています。私はダイヤモンド葬にしたかったのですが、本当に骨をつかってくれるのか不安で日本でもメジャーになったらいいのになぁ。。急にいなくなると、どんなかたちでも近くにいてほしいとおもうものなのだと実感中です。もう少ししたら落ち着くのでしょうか。 

 

 

・日本の檀家制度は、江戸時代のキリスト教禁令に伴い、仏教の檀家にならない人はキリスト教徒であるとみなした時から強固な物になった。 

つまり、お寺から檀家として認められないと 

キリスト教徒とされて死罪となるから、お寺が人の命を握るようになったのである。 

この時から、お寺は大切にされたのであるが、現代ではそのような外的強制力を持たない。 

お寺は、葬式を出発点として、法事の儀式に必要なだけで、強い必要性はなくなった。 

だから、経済原理に従い、お坊さんの生活の維持の為の費用を負担する事を避けるようになる。 

 

 

・自分ががんになったのをきっかけに妻と話し合い昨年親族を説得し墓仕舞いしました。 

子どももいる長男家の長男が先を見越して子どもらに負担になると判断したなら仕方ないと…。 

自分は死んだら自宅の生垣の根元にでも散骨して欲しいと伝えてます。 

特別な墓参りや法事はいらないから、かつて自分の土地、自分の家だった場所で相続した子どもらが過ごす傍らで孫や子孫の成長を見守れる存在になれたらなと思いましたので。妻も賛同してくれたのでもし可能なら妻と隣同士の生垣に散骨になれば言う事無しですね。 

割とガッツリ理系の理屈で生きる人間だったので死後の世界なんてないし死んだらどうにもならないから勝手にしてくれと思ってた自分が、病気で死にかけた後にそんな考えに変わるとは思わなかったと家族も驚いてました。 

今はお墓という形に拘る時代でもないですし、人それぞれ、家それぞれですよね。死後に家が売りに出されたら夢枕不可避ですが 

 

 

・父が若い頃、養子縁組で、兄弟とは別姓となり、その墓も受け継ぎ、子供の頃は、意味もわからずに、お墓参りをしてきました。 

私で終わるので、両親が健在のうちに、墓じまいすることにしました。 

墓じまいに、一番お金がかかったのは、墓石を更地にして返す為の墓を解体する費用でした。江戸時代から続く墓だったらしく、5基分です。土葬と火葬の骨があったと聞きました。 

同じお寺の永代供養墓にしたので、今日は、朝一で、お参りに行ってきました。 

父の他の兄妹からの協力は、一切なく、墓じまいしましたが、よかったと思っております。 

墓じまいの為、戸籍調べしたのですが、なんと我が家が先祖だったというオチがつきました。 

 

 

 

・私の両親は田舎で暮らしていて、父親は末っ子なのにお墓を継いでました。 

その父が13年前に亡くなり、母と相談して檀家を辞めて永代供養の墓石が出来る段階で墓じまいをしました。 

生前、父も私が田舎に帰ってこないだろうと思ってたので、『永代供養で良いと』言ってたので。 

 

そんな母も3年前に病気になり亡くなったのですが、病気を知った段階で元気な内に仏壇じまいをしておきました。 

母は希望で『沖縄かどこかの海にでも散骨してくれれば良い』と言ってたので、海洋葬に。 

 

一人っ子なので墓じまい・仏壇じまいをしておいて良かった・・と思いました。 

産まれて来る時の希望は出来ないけど、亡くなる際はある程度自分の希望は出来ると思うので、元気な内に希望を聞いておくのが良いのかと思いました。 

 

 

・代が変わったら、その代の判断で決めれば良いと思います。  

いくら親がお墓について主張しようと亡くなった後では何もできないわけだし、後に残された人間がその後どうするかを決めて行動に移すしかないのですから。 

親戚だって口は出しても実際に墓守りを代行してくれるような人はいません。 

多大なストレスを抱えて悩むほどの意味は無いし、思い切った判断をしてスッキリと人生を送った方が賢明ではないでしょうか。 

 

 

・墓だけの話ではなく、合理化を突き進めれば日本のほとんどの風習は意味のないものになってしまう。 

風習が変わればそこに住む人の価値観も変わる。 

もう日本らしいものはあと百年もすれば跡形もなく消滅しているかもしれない。 

死んだら私の思考は終わりなんだけど。 

死んだら他人の思考も関係ないんだけど。 

グローバル化(合理化)が進むってそういうことなんだろうなと、後世の縁もゆかりもない日本の現代人が当たり前のように享受していることを経験できないかと思うと悲しく寂しい。 

 

 

・親が買ってた墓地はやめて兄弟が集まれる場所に墓のない納骨にしました。 

今はいろいろあって安いのは全部の骨を一緒くたにしてる所もあるしうちは3回忌などに骨壷を出してくれてお経をあげてくれます。 

多分子供が高齢化しお参りに来なくなったら一箇所にまとめるのでしょうがそれまでは親の骨を管理していただけるので助かります。 

 

散骨は親が希望してたり思い出の場所があればでしょうね。 

 

 

・私は長男で父親も長男。当然今は墓管理をしていますが、子どもは娘二人。父親には近いうちに墓じまいすることを伝えています。県外で暮らすかもしれない子どもたちに墓管理は負担が大きいと思います。 

叔父叔母にも了承済み。叔父叔母からしたら両親の墓がなくなって?しまうのは、思うところもあるかもしれませんが、自分たちに孫ができると盆暮れの帰省も減っているので、帰省時に永代供養したところに参ってもらうことにしました。 

私のところは共同墓地で先日利用している者たちで墓掃除があったんですが、毎年墓掃除に参加する人数が減っていますね。空き地は皆で草抜きなどしますが、お墓があるところは手を付けるわけにもいかず雑草が伸び放題。 

たぶん墓じまいしないと将来はうちもああなるのかな、と見ています。 

 

 

・私は本家の長男なので、将来先祖のお墓は私がつぐ予定でしたが、祖父が亡くなった時に父が気を利かせてくれて、父の弟に先祖の墓の管理、全ての祭祀関係について今後一切、私を含め父に協力を求めない事を条件に財産は全て渡すと言ってくれ、財産は何も貰えませんでしたが、その代わり私は将来お墓を引き継ぐ必要がなくなり安途しております。 

将来は私のいとこが引き継ぐ事になってます。 

母方の実家もすでに墓じまいを済ませており、将来の祭祀について心配する必要が無くなったことには両親に感謝しておりますよ。 

もちろん両親が亡くなった場合は、遺骨の管理は地元のお寺に全てお任せする事で話もついています。 

まあ年間利用料としてお布施が30万円ほど掛かりますが、それで全てお寺が管理してくれるのなら安いですよ。 

お墓や仏壇などは、それこそ放置する方が何かと嫌らしい気がしますし、お寺に任せた方が後腐れなくて良いですよ。 

 

 

・現代社会において、先祖を大事に思う人が少なくなっていると感じます。 

これだけ様々な事が判明している中で、神や仏を重んじても理不尽な事も多くあり、こんな事を重んじても自分が死ねば関係ないという考えが広がっていると思います。私も墓じまいはするつもりです。檀家は維持費や寄付を求めて来て、今後も後世の負担が必要であり、私の代で良い形にしたいと思っています。 

 

 

・ご先祖様のお墓を守ってますが自分には身内いないからあるタイミングで墓じまいはしないといけないと考えてます。個人的にはお墓はあった方がいいと思いますが新規で購入とかはお金も高いし住んでる場所から距離あったり大変だと思います。無理はする必要ないと思いますが供養すると言う気持ちは持ち続けるのは必要かと 

 

 

・自分は9歳のときに母親を亡くしていて、今57歳なので、もうかれこれ半世紀が経とうとしています。 

家に仏壇もあるし、実家の近くにお墓もあるけど、毎日仏壇に手を合わせるなんて無いし、墓参りも殆ど行って無いかな。 

自分が独身なのもあって、お墓や仏壇等の周りの価値観も、大分変わってきたと思うし、自分自身の考えも変わってきました。 

基本的には、霊や母親の思いは、そこ(墓や仏壇)には無いのかなと思ってます。 

ただ、自分の中では、結構母親のことを思い出す、思いを馳せることも、1週間に1回くらいはあって、あれから何とか還暦前まで生きてこれたこと、まあ、パッとしない会社員生活だったが35年近く働いてきて最近退職したこと、ずっと独身だった事(弟が2人孫を残しているので勘弁!)、とりあえずは健康で経済的には何も困って無いことを、報告したり、母親が生きていたら、どんな説教されるんだろうかな……と時々は思っています 

 

 

・一人っ子で相手や子供なし。 

父が亡くなり、予定では私の母と父の妹がお墓に入ります。親族は父方や母方のいとことその子供たちのみ。継ぐ人はいません。申し訳ないけど、私で墓じまいをするつもりです。今の所は父の妹が墓守をしていますが、場所は電車で1時間半は掛かるし、年を取れば私も行き辛くなります。折を見ていとこたちに墓じまいの予定を伝えるつもりです。 

ちなみに自分の終活も考えてます。愛猫と一緒が良いので、海に撒いてもらいたいな。一人っ子は大変だよね。 

 

 

 

・自分は9歳のときに母親を亡くしていて、今57歳なので、もうかれこれ半世紀が経とうとしています。 

家に仏壇もあるし、実家の近くにお墓もあるけど、毎日仏壇に手を合わせるなんて無いし、墓参りも殆ど行って無いかな。 

自分が独身なのもあって、お墓や仏壇等の周りの価値観も、大分変わってきたと思うし、自分自身の考えも変わってきました。 

基本的には、霊や母親の思いは、そこ(墓や仏壇)には無いのかなと思ってます。 

ただ、自分の中では、結構母親のことを思い出す、思いを馳せることも、1週間に1回くらいはあって、あれから何とか還暦前まで生きてこれたこと、まあ、パッとしない会社員生活だったが35年近く働いてきて最近退職したこと、ずっと独身だった事(弟が2人孫を残しているので勘弁!)、とりあえずは健康で経済的には何も困って無いことを、報告したり、母親が生きていたら、どんな説教されるんだろうかな……と時々は思っています 

 

 

・十年ほど前、新しい墓を買ったばかりの義父が急逝しました。若くして墓を引き継ぎ、義父のアパートを引き払うとき、仏壇も引き継ぐことになりましたが、まあお寺への「ご挨拶」やら、「魂抜き」など、なかなか面倒でした。引き継いでからも、お墓の維持費など細々としたお金も払わなければならず、寄付やら行事ごとの炊き出し?のお手伝いも頼まれ、仕事でいつも断ったりで、嫌な顔はされずとも心苦しかったです。 

最近、住職さんが病気で亡くなり、20代の息子さんに代替わりしてから、がらりと変わりました。法要は希望者のみ。炊き出し?は人が集まらず、作っても残ることが多いため廃止、お経はYouTubeで配信、支払いは手渡しか銀行振込のみだったのが、ネットバンキング、ペイペイも可になりました。お寺もミニライブや子どもの遊び場に開放してるそうです。モットーは「軽く永く」の付き合いだそうで、時代に合っているなと感じます。 

 

 

・私は身寄りの無い兄の面倒を見ていましたが葬式は別の兄と二人で火葬する時に拝礼するだけの火葬葬と言う形式で行い、お骨は海洋散骨で済ませました。個人的にはこの様式が一番簡便で合理的だと思います。子供が居ないのだから墓参りする人も居ないので墓は論外だし樹木葬も誰もお参りする人が居なければ意味が無い。なのでお骨も溶けて無くなる海洋散骨するのが一番だった訳です。兄弟等がお参りしたければ何処にでも繋がっている海のどこかに向かって拝礼すれば良いのですから。四方を海に囲まれている日本では身寄りが有ってもこの形式が一番合理的だと考えます。 

 

 

・石に名を刻むのは、後世の子孫がわかるようにするためであり、その生い立ちは家族制度に結びついており、必ずや家を守ることが大事だったことから墓石文化があり、墓の豪華さや戒名でどんな人だったかが人目で分かるようになっているものであるが、それも身分や官位があったかであり、現代の平等の上では墓になを残す意味もないのが現実であろう。またお寺の維持についても豪農や庄屋、殿様が寄進するなど面倒をみてきたが、現代に豪農はなく、資産家も田舎にはいないし、自治体の長は寄付することができないため、そもそもお寺の運営を継ぐ子供も減少してる訳なので、いぜれは荒れ寺になるであると予測するので墓という既存概念が揺らいでいるところである。 

 

 

・どのように死者を弔うのであれ、それが少しでも残された人間の心の慰めになればいいと思う。 

墓という存在がそれになり得るならあっていいし、墓なんて下らない、という考え方もよくわかる。 

死者は死んだらそれきり(だと私は思う)が、生きた人間は、その後を生き抜いてゆかないといけないから。 

数年前に父が他界したが、葬式も墓に入ることも望まなかった。私も同じだ。 

私は天国も地獄も信じないけれど、「俺の子だもんな」と父が笑っているような気はする。 

 

 

・鬼滅の刃でお墓を大切にするお館様が最後に言っていた、想いは永遠。かつてはあった一族の想いが、宗教やお墓という形で長い間繋がっていたけど、これからはどんどんそう言った繋がりは忘れ去られて行くのでしょうね。 

私も親戚一同で集まる事はなくなってしまい、子どもたちは従姉妹のことさえあまり知らないです。諸行無常、それもまた宗教観。 

墓じまいをしても、永代供養にすれば今まで想いを繋いできたご先祖の気持ちも尊重した形になるので問題ないと思います。 

 

 

・お墓というのも、埋葬の儀式も、生きている人のためのもの。 

年に一度でも数回でも、ご先祖や近しい人の死を悼み、手を合わせることで自分自身の生き方を問う行為になっていると感じます。 

 

長い時間をかけて、、、仏教ならば33回忌とかまでかな。その死を思い、自分の気持ちを整理していく。大事な人の死を受け入れていく。 

 

人によって様々ですね。それでいいと思うし、時代に合わせて色々変わっていくのは悪いばかりでもないというか。 

 

私はまだ気力も体力もあるので、それが続く限りは実家のお墓の管理も手伝いたいなと思ってます。墓地の草刈りは地元の人たちが交代でやってくれているので、お盆などの帰省の時に手を出せる範囲のことを。 

 

お寺さんやお墓との行き来でも、気持ちにスイッチが入る感覚があって、その時間は完全にご先祖様たちの元へ行ってます。私にとっては、あの時間は癒しですね。 

 

 

・最近は自然葬なんかも増えているようですが、私はお墓の仕組みを変えていく必要があると思っています。墓石を残しても実質的な意味は無いし、確率的に無限に残るものでもありません。切実なところでは、核家族化が進む今では、大抵のお墓は、すぐに無縁になってしまいます。仮に今は大家族の一族でも、いつか家系は途絶え、忘れられる筈。これは殆ど確実と言ってよいでしょう。 

ですから、それよりも私は国が戸籍やマイナンバーなどを利用し、仮想空間上に国立メタバース墓地を作り、無料で永代管理するようにすればいいと思います(国が戸籍やマイナ管理してる訳だし)。そこで国民全て亡くなれば祖先としてお祀りすれば良い筈です。希望により本人のデジタルクローンなどをアップできれば、AI化した故人にネットで会ってお話できるようになるかもしれません(今は、そういう技術もありますからね)。その様に3D仮想空間にお墓を残せればいいと思います。 

 

 

・家の次は墓だな~と笑っていた世代です。 

見送るのは子供世代、宗教観も変わるだろうし、高齢者施設から一度も自宅に戻ることもなく冷蔵庫/斎場/火葬場へ・・・自宅に仏壇も無いでしょう。 

骨を遺骨とするか、ただの焼骨とするかで大きく変わる。 

ヒンズー/小乗仏教国では水は天に昇り、雨となって地に戻ると水葬にする国もある、そして見送った人に会いたければ水辺に行けばよいという。 

見送りの形は人それぞれ、心を持って見送ればよい。 

 

追伸;遺族預かり施設(骨壺を収めておく施設)の永代供養は13回忌迄、それ以降はローカルの合同墓に移動します。 

NEWSでは購入と言っていますが多くは売却ではありませんレンタルです。 

契約前に契約書を良く読むことをお勧めします。なお、契約会社の倒産もあり 

 

 

・私は母親が実家近くに墓を何とか手に入れました 

親と嫁いでいない姉や私が入れるように、兄家族も入れるようにとしてくれました 

 

でも私は豪雪地帯で生まれ育ち実家や土地柄、長年いじめを受けたことで嫌いな場所であること、家族とも合わないため居づらいこと、不便なこともあり入りたくないです 

 

どこかの樹木葬(できれば希望の場所)ををしてもらいたいと思います 

そろそろ母親やきょうだいに言うべきかなと思います 

 

 

 

 
 

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