( 201669 )  2024/08/14 16:18:49  
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「はい、ここ泣くところね」パリ五輪のスポーツ報道に強烈違和感のワケ…「余計な解説」「煽り」「ビジネス臭」にうんざりの国民

みんかぶマガジン 8/14(水) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/04ad1ea9f4b8ec03748f901e4ba57b63f40ce76a

 

( 201670 )  2024/08/14 16:18:49  
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パリ五輪での日本選手の活躍や経済効果、スポーツメディアの変化について述べられている。

ネット時代になり速報性や記録性が重要視される中、スポーツメディアは感傷的な記事に頼ることが限界であると指摘されている。

五輪報道はビジネスの色合いが強く、テレビ中継やメディアの報道内容に疑問が持たれている。

一方、夏の高校野球(甲子園)の魅力はビジネスから距離を置く姿勢やリアルな競技の魅力からくるものとされている。

スポーツメディアはリアルを追求し、時代の変化や視聴者の多様な価値観にどう適応していくかが問われている。

(要約)

( 201672 )  2024/08/14 16:18:49  
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Adobe Stock 

 

 パリ五輪は柔道やレスリング、フェンシングなどで日本選手が活躍し、メダルラッシュに沸いた。日本での経済効果は2500億円にものぼるとの試算も出ている。完璧といえるまでに鍛え抜かれた身体や技は魅力し、人々に感動と勇気を与えるものだ。しかし、テレビ中継やネット配信で「伝わってくるモノ」が五輪報道で消えてしまうのはなぜなのか。経済アナリストの佐藤健太氏は「速報性や記録性の優位性が失われた今、感傷的な記事で煽るスポーツメディアはもう限界なのではないか」と指摘するーー。 

 

「経営はどこも厳しくなっている。記者の数は減り、どこに貴重な『資源』を集中させるか選択せざるを得ない。働き方改革もあって朝から晩まで取材させることもできず、かつてのようにはいかない」。あるスポーツ紙デスクはこう苦笑する。 

 

 かつてラジオや白黒テレビの前に人だかりができていた時代、スポーツメディアは「記録性」とともに一定の「速報性」も兼ね揃えていた。だが、今はテレビで眺めるまでもなく、スマホ1台あれば多くのスポーツをリアルタイムで見ることができる。売り物だったはずの「記録性」もネット検索すれば一発で結果を知ることができる時代だ。そこにスポーツメディアの優位性はほとんどない。 

 

 その結果、五輪報道でも顕著なのが「お涙頂戴」モノの感傷的な記事だ。「苦節○年」「兄妹の絆」「リベンジ」など時代が移り変わっても、昭和の価値観の押しつけが続いているように映る。もちろん、それらはアスリートたちが悪いわけではない。スポーツメディアの報じ方に問題があるのだろう。 

 

 簡単に観戦に行くことができず、情報量も少ない米大リーグの大谷翔平選手に関する報道は、いまだ需要がある。実際、スポーツメディアは「大谷シフト」で多くの資源を割いている。ただ、それでも余計な解説モノは嫌われ、純粋にホームランシーンなどを動画で視聴する人がほとんどだ。 

 

 なぜ人々はスポーツメディアを嫌うようになったのか。結論を先に言えば、それは「リアル」を追求するようになったからだろう。先に触れたように、かつては「リアル」を簡単に知ることができなかった。だが、令和時代の今は違う。「お上」から指令が出されるように“押しつけ型”で報じるメディアのやり方は、リアル追求時代に通用しなくなったのだ。 

 

 

 一般社団法人「日本新聞協会」の調査データ(2023年10月時点)によれば、主要スポーツ紙の部数減は著しい。2000年には約631万部あったものの、2008年に500万部を下回り、2023年には191万6357部まで減っている。2022年からの1年だけで約24万部、10%超も減少しているのだ。 

 

 五輪報道を見ていて違和感を覚えるのは、「ビジネス」の面が色濃いことだ。アスリートたちの活躍は素晴らしいのだが、どうしてもメディアを始めとする企業の影を感じてならない。五輪の商業化は1984年のロサンゼルス大会が有名だ。放映権、スポンサー、グッズ販売、聖火リレー参加費などスポーツビジネスは五輪と切り離せないものとなっている。 

 

 五輪をテレビで見ていると「CMが邪魔」「余計な解説で冷めてしまう」という声も少なくない。さらにスポーツメディアが「お涙頂戴」とばかりに感傷的な記事で煽る。別のスポーツ紙デスクは「東京大会も例にならって同じだったが、五輪は巨額のお金が動くビジネスの場でもある。スポンサーのことも気にしなければいけない。ライブで結果を知っている人々に対して、どのように、何を最も強調して伝えるべきなのかは難しい点だ」と打ち明ける。 

 

 五輪報道と対照的に映るのは、8月7日に開幕した夏の高校野球(第106回全国高校野球選手権、甲子園)だ。公益財団法人「日本高等学校野球連盟」(高野連)と朝日新聞が運営・開催している大会だが、そこにビジネスの影は感じられない。高野連は学生野球の「商業的利用」を禁止しており、放映権料や100周年を迎えた甲子園球場の使用料も無料となっている。入場料の収益が柱なのだが、今大会のチケットは最も高い中央指定席でも2000円だ。その意味では稀有なモデルと言える。 

 

 ビジネスとの距離に加えて、甲子園の「リアル」は人々を魅了する。真っ黒に日焼けした顔、鍛え抜かれた腕や脚の太さ、焦りや緊張を隠さない表情、プロではあまり見られないようなミスの数々。スポーツビジネスによって「つくられた魅力」でない分、甲子園のリアルは面白い。中継するNHKのアナウンサーも余計な解説はしていない。それらを考えれば、リアル追求時代においては甲子園こそ最強のコンテンツと言えるかもしれない。 

 

 

 ただ、甲子園開幕翌日の8月8日付主要スポーツ紙を読んでみたが、その扱いは決して大きいとは言えない。東京中日スポーツ(160円)の1面は、プロ野球の中日・松木平優太投手が7イニング無失点の好投を見せたものの、打線がDeNAから1点も取れず試合が引き分けに終わったことを大々的に報道。甲子園関連は8面でセンバツ王者の健大高崎(群馬)が英明(香川)に競り勝ち、「春夏連覇へ好発進」と報じた。 

 

 デイリースポーツ(160円)の1面もプロ野球で、阪神・岡田彰布監督が連敗で4カードぶりの負け越しが決まった試合後に選手たちにカミナリを落とした、と報道している。甲子園関連は7面で健大高崎の2年生エース・石垣元気投手が最速153キロの速球で好救援を見せ、「春夏連覇へ完封発進」などと報道した。 

 

 スポーツ報知(160円)は1面でパリ五輪レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級の文田健一郎選手が悲願の金メダルに輝いたことを大きく取り上げている。「グレコ40年ぶり」「東京銀『ダメ人間』経て雪辱」との見出しだ。甲子園関連は10、11面で、こちらも4回途中から救援した健大高崎の石垣投手が無安打無失点に封じた「ノーノー救援」を取り上げた。 

 

 日刊スポーツ(160円)の1面も文田選手の金メダル獲得。「40年待っていたぜ」「封印投げ技解禁 磨いた守りと『ハイブリッド』」などの見出しが躍る。甲子園関連は7面で、選手宣誓した智弁和歌山(和歌山)の主将・辻旭陽選手が元米大リーグ選手のイチロー氏から先輩らが授かった「努力したとしても報われるとは限らない。しかし、努力しなければ報われることはない」という金言を用いたことなどを報じた。 

 

 サンケイスポーツ(160円)も文田選手の「涙の銀から3年 笑顔のリベンジ」。甲子園関連は4,5面で、開幕戦を飾った滋賀学園(滋賀)が有田工(佐賀)を下したことなどを扱っている。もちろん、「編集権」は新聞社にある。五輪やプロ野球の方が大事だという人もいるだろう。ただ、そこにはスポーツメディアとの温度差を感じてならないのだ。 

 

 甲子園の試合の視聴率は、プロ野球の人気試合と比べても遜色ない高いものだ。60回大会のPL学園(大阪)対高知商(高知)は50%近くを記録し、30%超の視聴率を記録することは珍しくない。 

 

 

 2023年夏に107年ぶりに優勝した慶應(神奈川)と仙台育英(宮城)の決勝の平均世帯視聴率は19.3%(関東地区)で、第91回選抜高校野球大会の動画配信は累計2億1400万回も視聴されている。 

 

 逆に言えば、「余計な解説」や「ビジネス臭」「煽り」がない分、リアルを追求する人々は甲子園で素直に熱狂することができ、球児たちの白球にかける思いに感動しているのではないか。その意味では、異例のビジネスモデルと言える甲子園を「最強のコンテンツ」と捉えられないスポーツメディアはもはや限界と言えるだろう。 

 

 人口減少が止まらず、人々の価値観が多様化する中、スポーツメディアはどのように生き残っていくつもりなのか。新聞が読まれない時代に向き合わなければならないのは自分たちの「リアル」であることをまずは認識してもらいたい。 

 

 金メダルを獲得すれば手放しで称賛し、敗北すれば「はい、ここで泣くところね」といった報じ方は何かスポーツメディアによる誘導のように感じてならない。これだけネット上とは異なる観点からの報道を続けていれば、ますます読者を失うことになるのではないか。独りよがりの価値観を植え付けるのはネット時代には不可能だ。 

 

佐藤健太 

 

 

( 201671 )  2024/08/14 16:18:49  
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このテキストは、スポーツ中継やスポーツ報道に対する様々な意見や批判が述べられています。

一部の意見では、実況や解説の過剰な演出や煽りや、感動を売り物にする姿勢が問題視されています。

また、選手へのインタビューや取材の仕方や、アナウンサーや解説者の台本調整についても疑問が提起されています。

 

 

一方で、選手への敬意やリスペクトを持つべきという意見や、感動を演出することに否定的な意見もあります。

また、スポーツ中継や報道が商業的な側面も持っているという指摘や、メディアの役割やスポーツ報道のあり方についても議論が展開されています。

 

 

全体を通して、スポーツ中継やスポーツ報道における感動や情報の伝達方法、アナウンサーや解説者の役割に対する様々な意見や疑問、提案が述べられていることが伺えます。

 

 

(まとめ)

( 201673 )  2024/08/14 16:18:49  
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高校野球は、むしろ選手自身が感動を義務だと勘違いしている。数年前の選手宣誓で、「皆さんを感動させることを誓います。」と言ったのには驚いた。演劇部の大会なら観客を感動させるのが目的だろうが、高校野球での感動は結果であって、目的ではない。そもそも十代の子どもが大人たちに向かって、あなたたちを感動させてやるよって言うようなもの。やたら感動を求めたがる報道の影響だろう。 

 

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東京五輪の時は、自国開催だった事もあって、全ての競技が 公式YouTubeで見る事ができた。 

 

それには実況や解説がついていなかった。 

 

入院中で、暇だったら事もあり、それで柔道全階級全試合を観たら解説がない私と解説ありで観ていた家族とでは感想がずいぶん違った。 

 

馬場馬術も解説がなくても楽しくて。 

 

素直にスポーツを楽しめるたので今大会もそういう公式YouTubeないかなー?と期待したけとも、なかった。 

 

総合馬術団体でメダル取れたのに、その競技の様子を全て観ることかできなくて残念だ。 

 

東京大会の時のように、YouTubeで全配信してくれたら、若い人も観るかも知らないのにな。 

 

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オリンピックと高校野球ではあまり比較にはならないと思いますが、学生スポーツはメディア的には商業的ではないですが、水面下の選手の争奪戦に関してはどの競技もかなり商業的です。 

その結果プロ選手になる人もいるし、企業がスポンサーにつき競技を続ける選手もいますし、学生のうちにスポンサーがつき、オリンピアンになる人もいるので学生スポーツのもう1段階上の競技大会がオリンピックだと思います。 

オリンピックの中継で競技に集中して欲しいので今から実況は控えますなんて行った事は過去一度も聞いたことがない。それは放送事故になりますから。 

当然ですがあんな大きな大会は商業的でなければ実現不可能です。 

スポーツ新聞の部数が減ってるのは単にスマホで見れるから需要がなくなった。 

新聞に関しても同じです。鮮度の低い情報を買う時代ではないのです。 

 

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昔々あるアナウンサーの方とお仕事した際に、スポーツ中継、それもオリンピック中継を任されるのがステイタスだと話されていました。確かにそうだと思いますが、最近の民放の方は特に名言を残そうとあざといと感じます。同じ競技を中継してるならNHKのBSで観ますが、運営が民放と共同なんでうざいと思う事も多々あります。 

 

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かつて日本は経済も人口も右肩上がりの時代だったが、もはやそうではなく文字通りの多様性が尊ばれるこの時世、マスメディアのステレオタイプの方法論が通用しなくなったというだけのことだろう。 

 

多くの人がナイターの巨人戦や誰それの金メダルに熱狂していた時代ではない。様々な業界や場面でアップデートが要求されている。マスメディアもまたそうしなければ生き残ることはできない。 

 

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言わんとすることは理解できるけど、スポーツ観戦から感動を抜くと何も残らないし、選手側からしてもビジネスにならなければ継続することは難しいからな~ 

一般人ができないテクニックやパワー、ダイナミックさを見せることに価値があって、そこに至るまでのストーリーを織り交ぜながら感動を演出することは悪いことだとは思わない 

 

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何年か前のマスターズで松山英樹が日本人として初の優勝に輝いた瞬間。 

長年マスターズを中継していたTBSの放送席はとても静かだったな。 

マスターズの重みと価値を知る実況・解説陣だったから、長い沈黙がその偉業ぶりを雄弁に語っていた。 

西陽に照らされて歩く松山を映す映像も美しかった。 

これがスポーツ中継の一つの極致だったと思う。 

 

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この記事に誤りがあるので触れておきます。 

甲子園のチケットが高くて中央指定席の2000円と書かれていますが、これは7日から9日の2部制のチケットであり、10日からの中央指定席のチケットは4200円です。 

 

しっかりとお調べになってから記事にした方が良いかと思います。 

 

勘違いされる方がいるかもしれませんので。 

 

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感動は見る人がそれぞれで感じること。アナウンサーも解説者もそれぞれが違う感動をして、言葉にして良い。それがいつの間にか、感動するポイントをつくられ、ナントカとワードを流行らせようとする恣意的なモノが丸見えだし、やたら喋りまくるし、うるさいとしか思えない。 

スポーツだけでなく、どんな場でも期待する言葉を本人たちの口から出させようとして、質問もつまらない、くどいものが多い。答えを期待するのではなく、もっとインタビュアーの質問する能力をあげてほしい。 

 

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もう少し客観的事実を土台に議論してほしい。 

スポーツ紙の部数減を、「スポーツ紙が嫌われるようになった」証拠のように言っているが、スポーツに限らず新聞全体が部数減の時代で、これは新聞というメディア自体の問題ではないか?証拠として弱い。 

 

速報性でSNSに勝てなくなった結果、エンタメ性を重視し、それが嫌われている要因と指摘している。だが、解説も演出もない単なる報道としての記事なら、SNSで十分と誰も読まないのではないか?解決策が根本的な変化の要因を無視している。 

 

全体的に筆者の印象論に見え、説得されなかった。素人に見えるわかるように、事実と丁寧な論理で説明してくれると嬉しい。 

 

 

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オリンピック出場選手の背景や努力を報じるのは全然悪くないことだと思うけどな。全選手詳しく知ってる訳じゃないから、そういうことを知ってる知らないで応援の仕方や得られる感動も違うと思う。 

問題なのは過剰に凄い選手だと、メダルメダルだと煽る事だと思う。本来であればメダルにかすりもしなくても実力通りなのに、過剰に期待された分視聴者はガッカリに感じてしまうし、人によってはそれが選手への誹謗中傷に繋がる可能性がある。 

視聴してもらいたいがための過剰なメダル煽りの方が問題視すべきだと思う。 

 

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オリンピックが感動を売り物にしたビジネスに利用されているのはよく分かるけど、高校野球も似たようなもんじゃないの? 

高野連の売上調べてみましょうね。 

筆者は高校野球好きなんだろうけど、逆に自分はオリンピック観ても高校野球全然観ないし。 

要は好みの問題だと思いますけどねぇ。 

 

自分がオリンピック観てて1番要らないのは敗者への直後のインタビュー。 

負けて頭真っ白の中喋るのが仕事でも無いアスリートにマイク向けるのは立派な暴力だと思ういますけどねぇ。 

愛想無いからって叩かれてた方居たけど、燃え尽き症候群になった方は分かるだろうけど本当に思考停止して言葉出なくなるし、敗者はそっとしてあげるのもマナーだと思いますよ。 

 

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アナウンサーの絶叫 

 

スポーツ番組全般なのだけれども、映像で観ればわかるところをなぜ大きな声で実況するのか少し分からい部分が有ります。 

 

世界でいろんな国のスポーツ中継を比べてみると全般にサッカーはどこの国でも絶叫が多いのも事実なのですが。 

 

出来れば、会場での雰囲気のみの音だけ流す、サブ音声とかが欲しいです。観客はどんな応援なのか、選手の息遣いとか。ライブの情報はネットから得たら良いので。 

 

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ライブ中継は素材、そこに加わる背景などの情報は調味料。 

正直スポーツ観戦は素材だけでも十分に味わえるものなのだ。そこに多少の味付けがあるとより感動は増すだろう。が、調味料過多になると台無しになる。 

素材の味を殺さない程度の味付け、その塩梅こそ大切と思う。 

 

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共感する部分があります。 

その選手の言葉をドラマチックにアナウンサーが紹介する事が多いですが、もの凄い脚色にうんざりすることがあります。この試合にかけているのは事実でも、アナウンサーがそこまで感情込めて代弁すると、かえって冷めるので選手の言葉にもっと忠実に語って欲しいとよく思います。 

そしてどうしても相手国の選手を悪者のように扱うところがあり、皆努力して五輪の場に立っていることは同じなのだから、もう少し相手国選手にもリスペクトして欲しいと思います。煽りすぎるから選手の中には勘違いする人も出るのだと思います。 

 

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オリンピックの観戦は、やはりライブ中継が一番良いと思います。全部の競技は観戦できないので、自分の関心のある競技に絞ってみました。この対戦の意味、勝ち負けの価値、簡単なルールの補足程度の説明で十分です。キャーキャーという絶叫とか、得点ごとに吠える・・・うるさいだけの解説にはうんざりです。純粋にスポーツ観戦を楽しむ中継にして欲しい。仲間や家族と楽しむパブリックビューイング的な観戦は一層楽しいです。 

 

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スポーツの世界は予想の枠を超えた出来事に感動する事も多いが 

そうした事をより盛り上げようとアナウンスの方が絶叫したり 

明らかにそうした結果を予想してお誂え向きのフレーズを用意されていると 

折角の感動を半減させてしまう事も有る。 

ユーチューブで阪神タイガースの江夏豊投手が 

公言通りに王貞治選手から奪三振のシーズン新記録を作った場面を見ていたら 

当時のアナウンサーの方が「此処は黙って二人の対戦を眺めましょう。」と解説者を制していた。 

しかし、暫くしてその間が耐えられなかったのか思わず解説者の方が話し始めた場面があった。 

そうした場面で「邪魔だから黙ってろ。」と迄は言わないが、 

必要以上な煽りや作られた名言を折り込んでこられると興醒めする事もある。 

 

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高校野球も観る人にとってもはやエンタメのコンテンツの一つにすぎませんが。それもかなり時代錯誤な。 

炎天下での練習、試合にこだわり、丸刈りが爽やかだと価値観を押し付け、ヘッドスライディングより駆け抜けた方が安全で早くても一生懸命さをアピールできる方法を取るなど、ツッコミどころは満載です。 

 

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息も整ってない試合直後の選手に対しミックスゾーンで同じ様な質問を繰り返す。 

同じくミックスゾーンで結果を出せなかった選手が一番悔しいのに傷口に塩を塗る様な質問をする。 

視聴者以上に興奮し冷静さが微塵も無い実況。 

等々、伝える側の姿勢を今一度見直して欲しいと感じてます。 

 

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92年のアルベールビル、バルセロナくらいまでは体操競技やフィギュアスケートをよく見ていました。NHKのアナウンサーが「国際映像でお届けします」と言っていましたが、各国の選手の演技を満遍なくたくさん映してくれました。その後、人気選手や日本選手のリプレイ、ズームアップ、レポーターのトークが増え、つまらなくなりました。BS放送がはじまり、尺を埋めるためのムダな演出が増えた気がします。 

 

 

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杉本清さんが用意したフレーズを、上手く実況に織り込めてしめたと思ったら、それはびっくりするくらいウケず、咄嗟に出たフレーズやなんなら体調不良でアナウンスして、失敗したと思った中継の方が評判が良かったと著書に記しておられました。 

でも、今の中継アナウンサーは、あまりにあらかじめフレーズを用意しすぎているかなと思いますね 

栄光への架け橋だのようにハマるものもありますが、そのフレーズをねじ込みたいがために、そもそものアナウンスが疎かになっていることが多々ある 

 

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もう必要な情報を個人で集められるので大げさな身内びいきのアナウンス、解説はいらないと思っている。 

野球中継の第2音声で場内音だけの放送があるときはそれで十分楽しめる。 

今回のマラソンなどでは選手の息遣い、応援の声など周辺音だけにしてほしい思った。(関係ない話や応援アナウンスが五月蠅すぎる) 

従来通りの放送を聞きたい人もいると思うので、少なくとも第2音声で実現してほしいな。 

 

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途中までは良かったのだが高校野球の下りが出てきてから読む気がなくなってきた。個人的に甲子園にも商業主義は感じるんで。熱中症リスクが増大していても球児が炎天下で汗を流しながら球を追う画が一番需要があるから絶対に会場変更はしないし、もしくは甲子園に屋根はつけない。そういう意地を感じます。実況に関してもNHKだから目立たないけどBS朝日だったら五輪の絶叫と似たようなモンですよ。 

 

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スポーツ報道や、アナウンサーの実況は何のためにあるのかということ。 

知らせることが主な仕事だけれど、盛り上げるのも一つの役割ではないかな。日本の代表として出場しているのだから、国と国の戦いなのだから、国民が応援するのは当たり前かと。ヤラセではないし、ルールがはっきり分からない人たちも実況のおかげで分かりやすく見れている面も大いにあると思うけど。 

 

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テレビが放送すると、感動場面とかをクローズアップしたり、何度も繰り返し放送したりで、テレビ側が受け手の受け取り方まで決めてしまう事がありますね! 

 

ここ、笑いのポイントとか、感動場面とか、NHKでも解説のアナウンサーが、手取り足取りこの場面はこうですと解説してしまいますね!(((o(*゚∀゚*)o))) 

 

受け手が自由に見て、感じて、受け取る事も大切です!自主性、感性、個性が損なわれてしまいますね!お受験の試験みたいなもので、ここはこう言う意味で書かれていますみたいなので、それで正解とか間違ってるとか! 

Σ( ̄□ ̄;) 

 

人によって違うポイントを見ていても良いと思います! 

 

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テレビ番組を見ていて、一番腹立たしいことは、スポーツは勝つか負けるしかない世界に、これまでの努力を記録した映像を各局が一斉に放送している。違和感が半端なくある。努力は本人が語るべきものであり、映像は、対象選手が気を許した者だけと契約すべきだ。しかし、日本のテレビ局は選手が一度断ると、全てのメディアにまで嫌悪感を抱かれる。全てのインタビューや取材に答えていては、時間だけでなく、神経まですり減らすことになる。 

そんなことも理解せず取材し、勝手気ままに発言し、数字が取れるよう内容を作り上げる手法だ。リアリティを追求する現代の若者には、もはや古臭くて通用しない。 

北口さんは、トレーニングの場をチェコにして正解だったと思う。日本国内にいれば、メディアに煽られたファンや取材陣に追い回され、練習どころではなくなる。 

 

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番組の編成もだけどアナウンサーのインタビュー質問や記者会見での記者からの質問すら定型化前例にならったつまらないものでその答えも予め準備してあったような量産型のものばかり、これでは見る側もそこに何を感じるも無く印象になど残らないだろう 

取材や会見など大きな大会のときだけやってきて不勉強な記者やディレクターが手を抜いたものをやるならスポーツ取材はもっとアウトソーシングして専門記者やライターにやってもらえば質も上がるし密着度が高いものになると思うのだけど 

 

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おそらくひとつのルーツとして古舘伊知郎氏のプロレス中継があるんだろうと思う。彼の野太い声によるあおる様な中継はプロレスでこそ意味があるのに、その後、様々なアナウンサーが真似をして、なんでもかんでもスポーツ中継に胴間声的な絶叫を入れるようになった印象がある。 

 

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オリンピック中継自体が無駄に「ショーアップされ過ぎ」の印象が強い。解説者のあり方にも疑問を感じるケースもあった。解説が「熱い」のは結構だが、度が過ぎると「あつ苦しい」とも感じる。中には公共の電波でその言葉遣いはどうなんだろう・・・というものもあった。また選手の個人情報を小出しにしながら、自分の存在感を出す解説者もいたが、本来の姿とはかけ離れている。選手の人柄をさりげなく伝え、あとは視聴者にそれぞれの競技の魅力を伝えることを第一にしていただきたいと思う。解説者がパフォーマンスに走っては本末転倒だ。あくまでもアスリートファーストを忘れずに中継をしていただきたい。 

 

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五輪の番組を見てはいたが見たかったのはスポーツであってスタジオの芸能人、コメンテーターや現地キャスター・解説者の顔ではないのだが現実には選手が写る時間より解説者やコメンテーターのうつる時間がやたらと長い 

現地報道とかはその最たるもので「やる気が感じられました」とか五輪会場で何を言ってるんだといいたくなるような紋切り型のコメントばかり 

キャスターなど局の人間や芸能事務所が押し込んできたようなルールもろくにわかっていないような芸能人の顔を映すぐらいなら他国選手の演技を見せてもらった方がよほど楽しめただろうと思える番組ばかりだった 

 

 

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単に伝える側の問題だと思います。にわか仕込みの人間が最後までにわかみたいなのが多すぎます。ちょっと知ってる視聴者なら(そんな浅く狭い知識でその場にいるんかい!)って思うんじゃないでしょうか。今ならYouTube見れば過去映像なんか簡単に見られますし、勉強不足が伝わって来る感じですね。 

その競技や選手を詳しく知っている人もそうでない人にもわかるような実況をして初めて伝わるんじゃないでしょうか。 

 

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確かに最高の素材が揃う五輪には、余計な解説は不要。 

不要どころか不快である事すらあります。 

でも、テレビ局は沈黙を恐れ、不必要に感動を演出したがるのですね。 

炊き立ての魚沼産コシヒカリにマヨネーズをぶっ掛ける様なものでしょうか? 

 

源流は、昭和の白黒テレビで見るプロレスでしょうかね。あれはあれで、現場とメディアが一体となって親父と息子達は大盛り上がりでした。 

 

方向が歪み始めたのは、F1中継にそれを持ち込んだ古舘伊知郎さんからでしょうか?オリジナルF1ファンからすれば、ドライバーに変な冠名を被せての素人丸出しの実況中継はノイズでしかなく、黙っててくれよと思ったものでした。 

まあ、その中継が評判を読んで新たなF1ファンを作り出した事も事実でしょうけど。 

 

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甲子園を引き合いに出して「そこにビジネスの影は感じられない。」とか言ってますけど、毎年同じ場所で開催している大会と毎回開催場所が変わるものを比較されてもね。 

球場は元々存在しているところを利用し 

周辺の交通機関はできあがっているものを使い、 

選手村を作るわけじゃなく、参加校の宿泊費、交通費、飲食代等々は「自腹」 

確か、審判も無料のボランティアだったかと 

放送だって、NHKが勝手にやってるだけ。 

つまり、主催者?高野連の支出はほぼほぼゼロなのではないかと思います。 

掛かっているのは高野連の人の”人件費”のみ?(チケット売りのバイト代とか?) 

オリンピックだって、 

毎年同じ場所で開催し続けて、 

選手の”接待”をせず、 

開会式、閉会式は選手の行進のみ 

にすれば、支出を抑えられるのでは? 

まぁ、IOCが巨万の富を得ようとするので、そうはならないんでしょうけど。 

 

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五輪放送に限らずだがスポーツ番組で何でそこまで一人の選手の感動物語を押し付け見せつけなければならんのか、昭和感覚とか感動ポルノとか言われているが、特に民放にその傾向が強いね、NHKもそれは薄いけれど御多分に漏れずってとこかな。該当する選手の戦い振りを伝える方、アナも解説者もギャアギャアワーワー騒ぎまくって見苦しいというか うるさいんだよ、もっと冷静に伝える事できないのかと思ってしまう程騒がしい。 

興奮し感動するのはアンタ達じゃなく見てる観客や視聴者なんだから。 

 

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会社が名実況を求めているから、それに応えるためにアナウンサーも準備しなければならない。変なプレッシャーがかかっているのかなと推察する。 

でもスポーツを純粋に楽しみたい視聴者からすると、日本以外の選手の情報など、幅広い情報をもっと知りたい。 

だからスカパーやDAZNなどが重用されているんではないでしょうか。 

 

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いつかのオリンピックにおける「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ」という言葉が名言だともてはやされた。 

それ以来いなその前からアナウンサーは事前に人を感動させらられる言葉をいくつも用意しているようだし、声も大きくなる。 

まあそういう言葉がもてはやされている間は直らないんじゃない。 

最近耳が遠くなってアナウンサーの言葉がよく聞き取れないようになって良かったよ。 

 

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ネットやSNSの即効性に新聞のような紙媒体が勝てないのはもう明らかにだと思う。 

新聞をわざわざ見るのは、ネットには載っていない本人との対話の部分や勝利へのプロセスを各視点から多角的に分析した結果などが記載されていれば見ようかなと思うが、 

そもそも活字もデジタル化が進んでいて紙を使う意味そのものがなくなってきているので、同じ土俵では戦えないのかなと思います。 

 

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何となく分かる。自分は球場に行かない時はテレビを音無しで見ながらラジオを大音量で聞いてる。面白くもない解説や地元よいしょのアナウンサーの声を聞かずに済むし打球とか球場の音が大きいので臨場感が高まる。 

 

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スポーツ中継に限った話じゃないでしょ 

バラエティの字幕だって同じで 

視聴者に「ここ笑うところですよ」「感動的な話ですよ」と 

わかりやすく演出することが是とされている 

それはなぜかと言うと感動するポイントがわからない視聴者がいるから 

ヤフコメの人でも「理解力が低い人」が見られるように 

テレビ視聴者にも同じことが言えるのである 

ある程度、レベルの低い所に合わせてあげないといけないので 

レベルの高い皆さんはちょっと我慢してあげてください 

 

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69連勝の双葉山が安藝ノ海に負けたとき、実況アナウンサーは何が起きたか認識することができず、傍らの人に「双葉、負けましたよね」と確認し、それから「双葉敗れる!」をマイクに向かって連呼したという。それしか言葉が出なかったという。 

 

そのとき、実況アナは、双葉山もいつかは負けるときがあるから、そのときのために原稿を用意していた。しかし、そんな原稿は役に立たなかった。 

 

今のオリンピックでは、優勝の瞬間、うまいことを言おうと、あらかじめアナウンサーが原稿を用意しているらしい。そして、用意した言葉を高らかに語りだすわけだ。嘘くさい。実に嘘くさい。 

 

 

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東京五輪では、あれだけ賛否が分かれた(というより圧倒的に延期・反対が多かった)にもかかわらず、始まってしまえば手のひらを返したような熱狂的なテレビ報道にうんざりしたことを思い出す。 

オリンピックを含め、スポーツの報道は、独りよがりの価値観の押し付けそのものに見えてしまう。スポーツがカルチャーの一つであるとしても、多くの中の一分野でしかないはず。なのに、ことスポーツに関してだけは「国民こぞって応援しましょう」「みんなが感動して当然」という異常に肩入れした報道。 

テレビにとってはお金を稼げる分野なのかなと思うが、こんな報道を続けていけば、多少スポーツに興味があった視聴者も、完全に離れていくだろう。 

 

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アナウンサーも爪痕残そうとしてるんだと思うし、仕事なのでやはりそういう想いは理解できます。 

とはいえ、五輪などは選手や試合があってこそです。 

見れば誰でもわかるレベルの解説や、下駄を履かせるような実況、相手無視の日本選手ファーストな絶叫はちょっとどうかと思います。 

 

選手は4年に一度、人生をかけた晴れ舞台。 

アナウンサーもそれくらいの想いで臨んでいるんでしょう。 

でも、あくまでも選手や競技があってこそです。 

そこで自分をアピールするのはお門違いだし、それは素人の我々にも伝わります。 

 

喋るのがブロのアナウンサーか用意したコメントよりも、ありきたりな言葉だけど選手達か発する試合後のコメントのほうか響くのはそういうことだと思います。 

 

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先輩たちが作り上げた名インタビューを目指して、模倣して、定型フォームにして、お手軽に仕事を完了する意識になったのでしょう。選手は競技では一流でも人間性は別問題なのに、真剣勝負の直後に局が欲しい定型文的な回答を求めるのは酷です。泣きがあれば笑いもあり、自慢や悔しさ、その選手らしいコメントを引き出して欲しいです。 

 

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うっかり最後まで読んじまったけど、ダラダラとつまらない事ばかり書いてあって何が言いたいのか全然わからん。 

何が不満なの?じゃあ若者が求めるリアルって何を指しているの?って感じ。 

確かに五輪は一大ビジネスで嫌なタイミングでCMが入ったりするけど、でもそうやってスポンサーになってくれている企業さんがいるからこそ、今回の五輪はTVerなどの無料コンテンツによってマイナーな競技でも「リアル」タイムで観戦することができたわけで。そこは本当に感謝ですね。 

あと甲子園の中継がリアルに感じるのはNHKでの放送だからで、熱闘甲子園なんて完全にお涙頂戴だよね。別にそれが悪いとは思わんし。 

自分の意にそぐわないと「昭和の価値観」って時代のせいにするやつ増えたよな。 

ちなみに「リベンジ」はK-1で生まれて「平成」の怪物君が流行らせた言葉だけどね。 

勝手に国民代表、若者代表を名乗るなよと。 

 

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TVは映像音声を正確にそのまま視聴者に届ければ良い。その「リアル」により視聴者が感動したり笑ったり時には憤ったりすることで楽しめば良い。 

その本質を歪め、上から目線で俺たちが楽しませてやろう、こうすればヤツら(視聴者)は感動するだろう、スポンサーが金出してくれるだろう。 

そういう不遜な思いが透けて見えるから視聴者が離れたということだと思う。 

面白い企画、手法があってもそれを上奏していくと有名大学を出た頭でっかちの幹部から次々にダメ出しされてくだらない演出に成り下がる。 

それがTV局をダメにしているのに気付いていない幹部連中。 

そんなやつらか作り出したコンテンツが面白いわけがない。 

 

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この方の言われている事に賛成する。 

ただ、スポーツ報道に限る事でしょうか? 

事件・事故で「被害者」への強引なインタビューで「お涙・怒り」ちょうだいの意図を持った報道。 

地震・台風・洪水などの被害者へのインタビュー報道も同じ構図で、「被害者」へのいたわりも何もないやり方は避難されてしかるべき。 

まさしく「営業上」の意図を持ったやり方は辟易しますね。 

 

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お涙頂戴物は記事だけではないよね。 

テレビでも、感動を誘おうとしているかのようにメダル候補を取材し、感動的に作り上げてる意図が見て取れる。 

昔の言葉で言えば「くさい演出」だ。 

これで、興ざめしてしまう。 

テレビの演出に影響されたかのように、選手も「感動してもらえるように」といったコメントも発するようになっている。 

 

今回マラソンが、いつもの大会より注目されてなかったためか、過度な演出がなくて良かった。その分、選手が走りで見せてくれた。ゴール後も「楽しかった」とのコメント。世界と渡り合った充実感が感じられ、見ていて心動かされるレースでもあった。 

 

飾りつくられた言葉に感動はないと思う。 

 

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TVは普段はNHKを観ることはほぼないが、オリンピックとかは見たい競技が民放でもNHKでも放送される場合は必ずNHKの方を視聴します。 

 

民放は余計なタレントとかが出てくるのが気に入らない。NHKは余計な演出がなく純粋にその競技を楽しめるので。ここの記事にもある高校野球もNHKだから余計な演出がなく楽しめるんだと思う。 

 

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ライターもかなり昭和の価値観だと思う。 

高校野球も興味ない人からすれば、単なる高校生の部活の全国大会で、他にも全国大会やってる部活は沢山あるのに、なんで視聴料徴収しているNHKが、他の番組停めてまで全試合放送するのか疑問。 

感動云々のために、足攣らせたり、体調崩しながらあの猛暑の中でやる必要あるのか。そう仕向けているのは、まさにこの筆者のような期待を高校野球に持ってる人がいるからなんだろうなと思う。 

 

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安易な感動物語は、むしろ甲子園にこそさかんに利用されているじゃない。試合に出られないキャプテンがスタンドから声援、とか、背番号1を剥奪された元エースが背番号11で熱投、とか。高校野球の視聴者は、むしろ、純粋に野球のプレイを見たいというより、そこに至る過程を含めて楽しみたいと思っているので、感動の押し売りが忌避されづらいんですよ。 

 

新聞は、ライブ感ではテレビやネット配信に勝てません。だから、新聞で高校野球を詳報しすぎても需要がありません。7回裏の〇×高校の攻撃、スクイズの処理で1塁に悪送球。このプレイの裏側を探る、なんてやってもつまらないんです。その点、文田の試合の細かな動きに伏線を読み取って解説するのは、テレビにはできない、新聞(や雑誌)ならではの報じ方です。なかなか顧客を掴みづらい業態ではありますが。 

 

 

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五輪はほとんどみなかった。スポンサーや伝える側に胡散臭さが漂っていてみる気になれなかった。事実を坦々と伝えることが許されない何らかの忖度がみえる。 

選手に対する誹謗中傷などがあったということだが、誹謗中傷する連中の精神構造は容易に想像できる。自分たちが出来ないことを選手に託して応援する五輪報道と重なる。 

伝える側にも大きな責任がある。 

 

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感動は個人の感性によるものであり、今のテレビのような煽られたり、強いられたらするものでは無いと思います。今は、結果だけを見て、メダリストが出演して過去の苦労や試練を流して、感動を強いる番組は見ません。 

苦労や試練は、アスリートだけではなく、そこらじゅうの人が行っています。 

 

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悪いけど高校野球の方がどれだけビジネス臭がするかこの人おかしくないかな、所詮高校生の全国大会を、お涙、感動、青春、汗で朝日新聞、毎日新聞、高野連、NHKが勝手な作り上げた理想の高校生に仕立て、無理やりこの酷暑の中、おこなっている。やっと現在は球数制限なども行うようになってきたが、精神的には、苦しくても投げぬく姿を求めているような、まったく高校生の3年間という限られた時間を一生のもののように扱いつけ込んだ。お涙、感動を販促、視聴率に反映させる。これこそ日本的で最も酷いビジネスなんじゃないでしょうかね?違和感は甲子園には何十年も漂う臭いものだと思いますよ。 

 

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純粋に中継を楽しみたいのに周りが勝手に盛り上がって余計な事をしてくれるので視聴者の側からすれば大変盛り下がるのだ。特に日テレは酷いしスポーツ中継をバラエティー番組と勘違いしている節がある。昭和の名残りと言うか何か勘違いしている。名実況と呼ばれた人達ってのは人々の記憶にも鮮明に残るしコメント一つにしても意味がある。今の実況は騒いでいるだけで何も心に響かない。唯々静かに集中して見させて貰いたい物だ。 

 

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オリンピックでも甲子園でも、何か選手に不幸やハンデみたいなエピソードがあると「コレ幸い」とばかりに連呼しているのが気になる。昨年お父さんが亡くなった、とか、障害のある家族がいる、とか。 

 

試合前から「お父さんに約束した金メダルに向かって!」とか煽って、試合中は「天国からお父さんが...」、で負けたら「届かなかった想い!」とか。しかも、選手本人は多分金メダルを約束したとかそんな事言っておらず、テレビ局の脚色だと思われる。 

 

不幸エピソード、感動エピソード絡めようとし過ぎて、胸焼けしてくる。 

 

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お家芸、霊長類最強、サムライ‥手垢のついた言い回しがマスコミは大好きだね。とにかくストーリーを作り上げたがるところが問題。 

 

いい例が「阿部兄妹の連覇」 

お兄ちゃんも妹さんも個人であるのに、兄妹をセットとして見てしまう。金メダルは当然、連覇も当然みたいな「雰囲気」を作り出した。だから視聴者も「なぁんだ」みたいなガッカリ感を持ってしまう。 

 

フェンシングやレスリングといった躍進した競技には陽が当たり、競泳などは見向きもされない。勝負ごとと言ってしまえばそれまでだが、軽薄な気がしてならない。 

 

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『余計な解説』これに尽きる 

特に民法のアナウンサーがうるさすぎる 

絶叫もいらない 

NHKも解説者によっては?な者もみられるからどんどん視聴者が退いていく 

スポーツ解説で顕著だったのがブレイキングの解説者 

イェーイとか、最高!とか 

全く解説になってないのに解説者として放送に入れる必要があったのか 

もっとしっかりと解説(視聴者が理解できる)ができる解説者を望む 

 

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アスリートのバックグラウンド系のコンテンツやとplayers tribuneが一番好きやけどな。 

昔、テニスのマレーやヴィーナス・ウィリアムズの記事を読んだ時感動したもん。 

選手達の人生観だったり大切にしてるものが本当によく伝わってきたし。 

 

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興味深く面白い記事ですね。かなりギリギリのラインで問題提起していて共感してしまった。 

 

これって、テレビ離れにも似た現象のように思えますね。ネットの動画配信サイトでは、見たいものがお勧めとして既に用意され、更に検索すれば殆どの映像は閲覧できる。逆にテレビで何か面白いものないかザッピングしても、どこもCMばかりで無駄に時間を浪費させられるため、それならもういいやとネットに切り替えてしまう。仮に見たい物に辿り着いても、くだらない内容だったり、期待を裏切られてしまい、半ば呆れてテレビを消してしまう。 

 

コンプライアンスの締め付けや、視聴率を幅広い年齢層に求めるがあまり、内容が薄く、得られる情報が極端に限られているためコンテンツとしての魅力がない。スポーツ誌や報道のありかたもまた然りなのでしょうね。時代は変わりました。 

 

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見出しのとおりだと思う。ただし、余計な解説、煽り、ビジネス臭がするのは、スポーツだけではない。政治番組でも芸能人のゴシップでも偏向解説で視聴者を惑わし、火のないところに火をつけ油を注ぐ。スポーツや映画をテレビで見れば、やたらと見たくないコマーシャルを強引にいくつも見せられ、本当に興ざめしてしまう。コマーシャルは番組の一番最後にすべて回してほしい。 

 

 

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オリンピックの商業主義を批判する所には賛同するけど、甲子園の捉え方がおかしいな。 

 

甲子園は、野球のルールも知らないような人でも熱心に応援するほど魅力のあるコンテンツだが、そういう人が応援している要因は記事にあるようなスポーツとしての「リアル」ではない。 

 

そういう人は、地元の子供達が野球を通じて青春を輝かせる姿を、親や親戚のような目線で応援している。 

 

地域の情報を交えて「身内である事」を強調したり、親孝行のエピソードなどを交えて「子供である事」を強調すると、喜んで応援に力が入るものだ。 

 

「地元の子供達」という要素を無くし、純粋に「真っ黒に日焼けした顔、鍛え抜かれた腕や脚の太さ、焦りや緊張を隠さない表情、プロではあまり見られないようなミスの数々」だけを放送しても、野球マニア以外には見向きもされないよ。 

 

商業主義は不要だけど、物語性は必要。 

 

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タイトル見たら「はい、泣くところね」って現場で指示が出てるのかと思った…。 

確かにネット全盛の時代に既存のスポーツ報道が苦悩しているのは明らかですが、この記事だって特に目新しい内容でもなく、ただ長いだけの駄文に見えるのは私だけでしょうか。 

筆者自身もそのうんざりされる側にいることを認識した方が良いのかもしれませんね。 

 

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どうかな?いわゆる「感動の押し売り」だったら高校野球も大概だと思うし、むしろ元祖な気がするけど。 

もともと日本人は「苦節◯年」みたいなのが好きだし、事件や事故の記事ですら感情的な方に持って行きがち。 

 

今、そういうのが嫌われるようになったのは、ネット記事の見出しと同じで過剰であれば良しとするメディアと色々な記事を読んで目が肥えたユーザーとの間の意識のギャップではないかな? 

 

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何事も終焉を迎える前はこういうパターンなのでは?と思いながらこの記事を読みました。 

飽きられる前段階は、本当に感動を届けたいと思う方々が発信してきたものが、それが受けると気づかれるとパターンとしてのテンプレから逆算して、お涙頂戴に仕上げていく。それが安易な方法ですからね。そして、そこに警鐘をならす意見が始まる。 

おそらく、お涙頂戴だとしても、伝える側にその想いを届けるという信念さえ込められていれば、そんな言われ方は押さえ込めると自分は感じていますが、どうでしょうか。 

 

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五輪のスポーツ報道への批判ありきで書いているからか、高校野球に関しての話が頓珍漢過ぎますね。 

高校野球も感動やストーリーありきの報道が多い。見る側もチームの背景を見て感情移入したりするので、一部強豪校は可哀想なくらいにヒールにさせられたりもする。リアルな感動だから、とか言うがそれは別に五輪選手も対して変わらない。 

 

ビジネスについても、一部は抑制しているのかもしれないが全体的に見たらどう見てもビジネス。 

やっている球児や審判についてはビジネスじゃないかもしれない。五輪はアマチュア中心とは言え、スポンサーが付いていたり何らかの企業や団体に所属している選手がほとんどでビジネス0ではない。何なら高校野球の方が稼ぎのないアマチュア学生をネタにしてビジネスやってないですか?って思ってしまう。 

 

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パリ五輪の選手たちが戻りましたがテレビ局は1週間は引っ張るでしょうね。「金メダル秘話」とかどこまでいっても大したことのない「秘話」が出てくる.WBCの時もそうだったけどまさにメディアによる感情の押し売り。五輪ハラスメントですね。メダル取った選手も「努力は裏切らない」とか「信じれば夢はかなう」とか心地よい言葉をマスコミに言わされているようです。そして「地獄のような3年間でした」と涙をあおる。負けて号泣ももうやらなくてはいけないような雰囲気。「金メダル?楽勝でしたよ。頑張ったもん」て言える選手が出てきてほしいです。 

 

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作り手側は気づいていないかもしれないけど、見る側は作り手がスポーツ好きか(情熱を持っているか、愛しているか)、大した興味もなく単なる仕事としてやっているかを敏感に察知している。カメラアングルにしても、実況の言葉選びにしても。興味が無いならないで淡々と引いた絵+事実だけを言葉で伝えてくれればまだいいけど、視聴者はこれを求めているハズって押し付けが来た時はロクなものにならない。で、作り手(特に実況)が爪痕を残そうとかした時はほぼ隔日に最悪な物ができる。 

 

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アナウンサーが準備したコメントは興ざめします。 

東京オリンピックなら「~真夏の大冒険!」とか、それが受けたと勘違いした「金メダルに恋した~」とか、本人の意思とはほぼ関係なく感動させたがりのキャッチフレーズです。 

 

また、最近は選手自身もコメントを仕込んだりします。 

高校野球あたりは選手もマスコミ慣れしていたり、すれているので注目されたがりのコメントを発したりします。 

こちらも興ざめします。 

 

そうは言っても、オリンピックでは人生を賭けている選手が多いので、自身が発するコメントは当然重みもあり、人の心に響きます。 

 

そこまで人生は賭けていないかもしれませんが、高校総体の中継はとても楽しめます。選手の素の喜(怒)哀楽が見れますから。 

もうそろそろNHK教育で高校総体の中継が始まるので楽しみです。 

 

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高校野球は大人の言うことを聞く子供達が評価されます。 

監督、審判、マスコミなどの言うことに疑問を持っても異論を言わないっていう、いわば兵隊さん教育、戦後なら歯車教育の賜物ですね。 

主体的に独創的なビジネスで成功している人に元高校球児はいないでしょう。 

 

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野球中継の話になるけど、サンテレビのボックス席は何故虎ファンから支持を受けているかといえば、試合開始から試合終了まで、アナと解説だけでシンプルに試合を放送してくれるから。 

そして、そのサンテレビの放映権を奪ってまで放送する在阪キー局の中継が不評なのはサンテレビのやっている事を全て守れないから。 

スポーツに外野が過度な演出はいらないよ。 

 

 

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人間なら誰にでも、好きな人間も嫌いな人間もいるので、日本人選手なら例外なく全員好き、全員を全力で応援するということはないと思う。だから、立場上仕方がないことは理解するが、オリンピックを中継する若いアナウンサーが、大声や、普段見せることのないような大きな動作で喜びや悲しみを表現する姿にはわざとらしさと不快感しか抱かない。 

 

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お涙頂戴、感動をありがとう、余計な解説等は、今に限らず昭和の昔からありました。多くの人が嫌悪しながらも、しかし当時はTVや新聞でしか情報を手に入れることができなかったので、視聴率が高く販売部数も多かっただけです。つまり、今も昔も報道姿勢や内容は変わっておらず、パリ五輪の報道から急にうんざり感が広がったわけではありません。情報入手の選択肢が増え、TVや新聞がその影響を受けただけでしょう。 

 

また、高校野球報道と対比させていますが、汗と涙、根性、青春、さわやか、などのキーワードを使って煽るその報道姿勢は、五輪や他のスポーツ報道と大差はありません。それどころか、この炎天下の試合中に少なからずの球児たちが熱中症になろうとも、抜本的な改善をしようとしないのは、ビジネス的になんらかの忖度があるからではないでしょうか。 

 

この記事は正論を述べているようで、実は的外れではないかと思います。 

 

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スポーツはやっている人が満足感を得るためのもの。 

見ている人は、見ても上手にならないし、お金も入らないし、満腹にもならない。 

結果がよければ、良かったねと思うが、ただそれだけ。 

オリンピックを含め大相撲、高校野球などのスポーツ番組は有料化して観たい人だけが見ればよい、その代わり基本料金を大幅に下げる。 

 

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多くの国民はうんざりとはしていないと思うけどね。選手の皆さんが、いろんな背景のもと、それぞれの想いを持って、常人では想像できないレベルの努力を重ねた結果なのだから、普通に伝えるだけでも、心を動かされるストーリーになる。 

個人的には、オリンピックなどの時期に必ず現れる、自分だけは目線が違います的な、斜に構えた上から目線の記事のほうが、目障りに感じます。 

 

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海外の実況、解説で試合を見ましたがこんなに違うんだって思いました。 

日本は選手の背景をやたらと伝えたがるし、よー喋る。 

ほんと感動誘因、お涙頂戴。 

4年前のこと、落選の思い、仲間との絆、引退を考えたこと、復活劇、親、兄弟、妻、旦那との話などなど。 

 

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まあ、五輪に限らずスポーツ全般に言えることですよね。 

昨日の高校野球 滋賀学園ー花巻東の試合はうんざりしました。 

実況の花巻東贔屓のコメントがウザくて滋賀学園頑張れ!って思いましたもん。 

一年生の注目選手がいて大谷、菊池の母校ですから勝ち残ってほしいって 

メディア側の気持ちも解らなくはない。 

しかしあからさまなんです。滋賀学園関係者に失礼だったレベルでした。 

公平を保とうとする解説者も大変だったでしょう。 

 

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マスメディアのステレオタイプの方法論が今だ、色濃くギトギトな背脂のように残し続けている番組が存在する。 

それは日本テレビ「24時間テレビ愛は地球を救う」である。地球を救う?であるならば、早く救って見せて欲しいモノだ。 

 

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速報性も記録性にも劣るからお涙頂戴にシフトしましたみたいな言い方ですけど、日本のメディアはスポーツだけではなく昔からそんなもんですけどね。 

サラリーマンであるが故に会社内検閲で上層部の方針に歯向かったものなど書けるはずがなく、その上の人間達が時代遅れなのだから発行されるものが古臭くて押しつけがましいものになったとしても全く不思議では無いですよ。 

今まではマスメディアが発信する以外に何も情報を得ることが出来なかったですけど、それが変わってからもう何年も経ってますよね? 

であるのに、どこも何一つ変わろうとしていない。 

何かを変えようという兆しもない。 

この国のお粗末さが凝縮した組織になっていると思いますし、それが大衆にバレバレだから、国民レベルのデカい主語の人数に役立たずのような目で見られているんだと思いますよ。 

 

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同意できる部分もなくはないけど、大半は筆者の好みの話じゃないかなあ。 

 

国民が熱狂するのは大抵、スポーツも含めて大きなカネの動く商業コンテンツで 

今回の五輪でも「ビジネス臭にうんざり」している様子はないけどな。 

「リアル追求」もまるで逆で、ネットとSNSの普及で、国民は「リアル」よりも 

「(フェイクでも)刺激的なもの、魅力的なもの、心地よいもの」に群がるようになった。 

youtubeやX、インスタあたりなんか典型でしょうに。 

飾り気のない事実より「盛った」「映える」「偏った」「切り抜き単純化」 

といったコンテンツのほうが圧倒的に需要がある。 

大体、高校野球の「昭和的」お涙頂戴と感動演出も大概ですよ? 

 

スポーツ紙がああいう色を付けて報道するのは、それを求める人がいて 

今のところ比較的ビジネスとして成立するからにすぎない。 

向こうは商売なんだから、外野よりずっと消費者ニーズを理解してるよ。 

 

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オリンピックに限らず主に競技の実況に言えることなんだけど、率直に言うと大概「必要以上にうるさい」のよね。 

本当に感動すべき場面では語らずともその場面が発する空気で自然と感動する。むしろその時には素人には理解しにくい部分を手短に静かに解説してくれるだけでもいい。それをやたらと安っぽい表現で声高にまくし立てられるからかえって冷めてしまって台無しにされる。あんたはその他大勢の観客じゃないだろって言いたくなるくらいに。 

そういうアナウンサーを見ると、勢いだけの芸が未熟な芸人を見てる気分になる。要は未熟なんだろうね。アナウンサーとしてはまだまだ。 

 

 

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スポーツメディアを自認するにはスポーツに対する掘り下げが浅過ぎる。 

データを見せながら分析が入るのはせいぜい野球くらい。他のスポーツは公式記録を見れば分かる情報を載せるくらい。スポーツメディアに関わる人達の多くがスポーツを勉強していないし、文化の醸成も怠ってきた。アスリートの努力という、他人が作ったもので楽にご飯を食べられなくなっただけ。 

ネット社会になり、情報取得の優位性がなくなったことと、読者が「ホンモノ」を嗅ぎ分けられるようになったことは凋落の主因じゃないかな。 

 

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親中や親韓なテレビ局が売名行為を目当てにしかも中韓寄りなコメンテーターに喋らすことがなぜかウケて、バラエティ番組でもひな壇芸人とかに喋らせ、視聴者に喜怒哀楽を誘導するのが定番化してしまったことがそもそもの原因として挙げられる。言うなればそんな番組を好んで観てきた国民が一番悪いのだけれど、これだけネットに情報が落ちているのだから、もう自分の判断で情報を捨拾選択してもよいのではないか。 

 

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視聴者がなかなか知ることのできない情報を伝えてくれるのはスポーツ報道の役割だと思う。 

たとえば、やり投げ金メダリストの北口榛花さんが単身チェコまで行ってコーチを受けチェコ語まで話せるようになっていることなど、一般的な視聴者はなかなか知らないこと。 

ただ、増田明美氏のようにアスリートとしての活動に関係ないことまでベラベラしゃべるのは困るが。 

感動する部分を決めるのは視聴者であり、キャスターによるわずらわしい煽りは、むしろ感動を損ねてしまう。 

 

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年をとると涙腺が緩むものですが、そんな私から見ても、そこまで「ここで泣け!」という演出をスポーツ報道に感じることは最近あまりない。むしろ、その競技の面白さや特性を報道する側が全然わかってないから、そんなわざとらしい演出すらできなくなってるんじゃなかろうか。 

 

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時代は変わっていってるのに、メディアの相変わらずの前時代的な報じ方に虫酸が走ります。 

 

典型的にうんざりしたのがコロナの時。 

 

「不要不急の外出は控えましょう」、数日後には「観光地が悲鳴を上げています、このままでは廃業することになる」。 

 

ダブルスタンダードも甚だしい。 

後者は何を目的に報じてる訳?多分何も考えず、ただ事実だけを伝えているだけ。 

事実を伝えることは悪くないが、「不要不急の外出を控えましょう」が意味ないことになるとか考えず、これで観光地に人が殺到したら、また「不要不急の外出は控えましょう」のスパイラル。 

余程、他に報じることが無いんでしょうね。 

 

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年々酷くなっている。スポーツ選手自身がいかにもそう思っているかの如く代弁者になって放送しており、本人にとっても却って印象的にマイナス効果になるのではないか。鈍感なのか、その点マスコミ側はさっぱり分かっていないようだ。スポンサーのご機嫌取りなのか、無理して盛り上げようとしているのが視聴者から見てわざとらしい。最近ではスポンサー関係ないNHKのアナウンサーまで同調している。日本サッカーもそうだが、大谷選手に対しても、最近は好感度より嫌悪感の方が強くなって来てしまった。この日本の放送文化、なんとかならないのでしょうか。 

 

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いや民放でCMがじゃまなら放映自体できないけどね。 

見てたけど、そんな途中でぶった切るようにCM入ってなかったけどなあ。 

まあ視聴者からすれば素直な感情として番組のおまけにCMが付いてくる感覚なんだけど、ビジネス的には(スポンサー、放送局、代理店にとっては) 

CMに番組が付いてるわけだし。 

 

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ストーリー性を際立たせようとすると必ず過去を振り返ることになる。 

そこに「感動」「秘話」「絆」「愛」とかキーワード盛り込めばまぁああいうものができるよな、って思う。 

 

多分それに飽きたというのもあるし、冗長的なんだよね。時間をわざわざ作って期待を持たせる前置きが長いというか。しかもCM前と後も長くて、同じこと言ってるだけなの。 

要は中身がない、薄い。 

 

(昔のアニメも、ドカーンと爆発したあとどうなっているのかに15分かけたりして結果飽きちゃって。それと同じじゃないかな) 

 

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阿部兄妹は好きだし応援しているが、メディアが兄妹の絆を取り上げてばかりだと正直冷めてしまう。 

インタビューで阿部詩選手が一歩下がろうとしたことを一二三選手が止めたことを取り上げて感動的だと演出するメディアが情けない。感動ポイント探すことに必死すぎる。 

 

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この件、どこかが記事にしてくれないかな?と願っていたところ。 

あの阿部詩選手の号泣シーン。 

カメラマンやマイクもここぞとばかりに密着してくれたおかげで、『泣くな!』『みっともない!』『礼儀をわすれたか!』のアンチコメントに溢れてしまった。 

しばらくして、その後に親元で日本のオニギリを頬張っているシーンや兄の応援で手をたたいているシーンはほんの少し。 

当事者や観客にマイクを向けると声が大きくなるのは当たり前。 

その時も他の畳の上では試合が行われているのにメディアの手法はやり過ぎだと思った。 

 

 

 
 

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