( 201962 )  2024/08/15 16:24:02  
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 お笑いタレントであり、YouTuberとしても知られるフワちゃんが、X(旧Twitter)にて、同じくお笑いタレントのやす子に「お前は偉くないので、●んでくださーい 予選敗退でーす」と引用リポストをしたことで日本中から非難を浴びている。反響の大きさを受けて、フワちゃんは8月11日、Xにて活動休止を表明した。そして、フワちゃんが出演するスマートフォン「Google Pixel」のCM動画が8月6日にすべて非公開されるなど、その影響は経済界にも及んでいる。ところが、フワちゃんはその後、Xのサブスクリプションユーザー限定で、また挑発的な発言を投稿。その発言が切り取られて拡散されたため、再度炎上した。 

 

 そんな「失礼キャラ」を貫徹するフワちゃんについて、フランス哲学者の福田肇氏は「フワちゃんをいまさらになって『無礼だ』と干すのは意味がわからない」と冷静に指摘するーー。 

 

 今春、『月』(2023年、石井裕也監督)という映画を観た。2016年、神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で起きた、障がい者無差別殺傷事件を題材として書かれた同名小説(辺見庸)を映画化した話題の作品である。重度知的障害者を収容する施設で働く、磯村勇斗演じる介護士は、ふまじめな他の男性介護士たちとは一線を画して、障がい者たちに献身的に接していた。彼は、しだいに「意思疎通ができなければ人間ではない。生きている価値はない」という観念にとり憑かれ、ある晩、凶行に及ぶ……。 

 

 また、ちょっと前、『ロストケア』(2023年、前田哲監督)を鑑賞した。介護士の斯波宗典(松山ケンイチ)は、介護家族から慕われ、仲間内からも尊敬される心優しい青年だった。ところが、検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が働く介護センターが担当する高齢者の死亡率が異様に高いことを突き止める。斯波の勤務シフトと、高齢者たちの死亡日の奇妙な一致を確認した大友は、取調室で斯波を追及する。斯波は、「殺した」のではない、認知症や寝たきりの老人をかかえる家庭の壮絶な介護地獄から、家族と本人を救ったのだ、と供述をはじめる……。 

 

 2018年、衆院議員の杉田水脈は、月刊誌『新潮45』で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と主張、「生産性」のない者は、福祉政策の対象から除外されるべきであるという見解を示した。 

 

 人が生きていることの価値や意義を、意思疎通の有無、自立能力、QOL(生活の質)、生産性などで測るという誘惑に、私たちは常にさらされている。「安楽死」や「尊厳死」がたえず議論の俎上にのぼるのも、だからである。もちろん、当事者やその家族ではない人間が、「人は生きているだけで尊い」とヒューマニズムの理念を唱えることはかんたんだ。しかし、老老介護、ヤングケアラー、重度の障がい者や植物状態の患者の世話に疲弊した家族、そして被介護者や患者当人さえも、心をふと掠めてくるこの誘惑と闘いながら、それもやはり生きることの意義を必死で問い続けているのだ。 

 

 

 したがって、私は、「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」と、芸人のノリであっけらかんと言い放つ能天気さが好きになれない。 

 

 なぜ「オリンピック」という、身体能力の高さを競走しその順位づけを競うジャンルと同じ水準で、「生きる」というデリケートな営みを問うのか? 

 

 おまけに「皆、優勝」というのは概念矛盾だ。「優勝」は順位の最高点であるから、「優勝」は、2位や3位、「予選敗退」との対立においてはじめて意味をもつ地位である。ほんとうに「生きているだけで偉い」のなら、そこに順位を前提する評価はなじまない。 

 

 もしこんな粗雑な放言に「救われた」「癒やされた」と思う人がいるなら、それは、安っぽい「自己肯定感」をくすぐる慰めに緩和される程度の生きづらさしかもっていないからだろう。 

 

 2024年8月4日、やす子によるこのXの投稿に対して、フワちゃんが「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と引用リポストした。この発言がネット民による非難、スポンサーの降板、彼女が出演するラジオ番組からの引退という反応を惹き起こしている。 

 

 しかし、フワちゃんのリポストは、やす子の投稿の〝論理〟を逆手にとってつくりあげた言明である。 

 

 つまり「SはPである。PはXに等しい。よってSはXである」という命題を、「PでないものはSではない。PはXに等しい。よってSでないものはXではない」とひっくり返したわけだ。 

 

「生きている」人は「偉い」、よって「皆優勝だ」というのがやす子の仮説だ。フワちゃんは、そこから「偉くない」のであれば、その人は「生きていない」はずだ、よって「予選敗退だ」という結論を導き出したのである。 

 

 フワちゃんの発言は、この程度にはロジカルであり、やす子の無神経で情緒的でお気楽な発想に比べるとまだしも、それなりにインテリジェンスがあり、ウィットに富んでいる。 

 

 私はフワちゃんの「失礼キャラ」や〝多幸症〟(euphoric)的な芸風をどうしても好きにはなれないが、あえてフワちゃんに好意的に言うなら、フワちゃんは、やす子の安易でステレオタイプな〝ヒューマニズム〟に反射的に反感を覚え、(乱暴で攻撃的な表現ではあったが)こう切り返したのかもしれない。 

 

 彼女も、「送信する意図のないフレーズを操作ミスで誤送信した」と、後付けで苦しい弁解をするよりは、このように釈明したほうがまだしも、わずかながらでも理解者を獲得することはできたのではないか? 

 

 

 フワちゃんの「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」という引用リポストの宛先は、あくまでやす子という個人である。「偉くない人はみんな死んでくださーい」と一般化して言っているのでは断じてない。したがって、この事件は、当事者同士が解決すれば済む話である。 

 

 実際、フワちゃんはすでにやす子に面会して謝罪し、やす子も8月8日、Xで「フワちゃんのことめちゃめちゃ許してます!もう終わりにしましょう!」と綴っている。それでいいではないか。 

 

 当事者でもなく、関係者でもないネット民たちが「やす子=被害者(善)」「フワちゃん=加害者(悪)」という粗雑で単純な構図をつくったうえで、ここぞとばかりに〝義侠心〟を発揮し、集団ヒステリーのようにフワちゃんを一方的に袋叩きにするのは、「失言」という甘いエサに盲目的に食いつく飢えたアリの群れのようで、実に見苦しい。 

 

このたった25字程度のフレーズが、フワちゃんをして失わしめたものは大きい。教科書会社「開隆堂出版」は8月8日、2025年度から使われる中学技術・家庭の教科書に掲載されていた、お笑いタレントのフワちゃんの写真を削除することを決定、文部科学省に訂正申請した。8月9日、ニッポン放送はフワちゃんをラジオ番組「オールナイトニッポン0」のパーソナリティーから降板させる。8月11日には、フワちゃんは、自身のXで、芸能活動を休止すると発表するにいたった。 

 

 だいたい、「失礼キャラ」「奔放キャラ」という危なっかしい路線で売り出しておいて、「失礼」な言動をいまさら「不適切発言」として仕事を干すというのはおかしい。フワちゃんの「失礼」は今始まったことではない。(やす子のように何度も共演した旧知の仲ではなく)まったくの初対面の、しかも先輩タレント、大物タレントを呼び捨てにし、彼らに無礼をはたらいたのは一度や二度ではないが、それらは、予定されているシナリオだから見過ごされるのか。視聴者にあたえる、「他者を尊重しない 誹謗中傷する行為」(ニッポン放送)という印象の大きさは、今回に勝るとも劣らなかったのではないか。それとも、フワちゃんも〝賞味期限〟が過ぎたので、今回の「失礼」を口実にメディアからそろそろ消えてもらおうという算段なのか。 

 

 

 法令遵守(コンプライアンス)に努めることや企業倫理、社会規範に従うことが、社会生活を営むうえで重要であることは、いまさらいうまでもない。こんにち、だれでもSNSなどを利用して手軽に情報発信することができるようになった。企業や組織のメンバーの倫理観に欠けた発言、配慮に欠けた軽率な行動がその信頼を失墜させることもある。逆に企業や組織の不正を、内部・外部問わず告発することもかんたんにできる。だから、現代においてコンプライアンスを守ることは、リスクマネージメント(危機管理)とともに、企業や組織の生命線となった。 

 

 とはいえ、とりわけ日本において、コンプライアンスとリスクマネージメントの協働が、寛容性の低い、強迫神経症的な社会を形成している一面があることは否めない。フワちゃんの「死んでくださーい」のメッセージが、事務所やスポンサーなどのコンプライアンスに違反するなら、〝それ相応〟の処分を適用すればよいだろう。しかし、〝それ相応〟が、出演枠からの永久追放に値するとは、フワちゃんの芸風を好きになれない私にとってさえ、どうしても思えない。私には、むしろやす子の「生きているだけで偉い、皆優勝」の能天気さによる生(せい)の問題の矮小化と、こんな軽率な放言に癒しや慰めを求める人々の安直な「自己肯定感」の方が、怖い。 

 

 フワちゃんの復帰第一弾は、やす子との漫才で、自虐ネタをぜひお願いしたい。 

 

 やす子:「生きているだけで偉い! みな優勝でーす!」(とボケる) 

 

 フワちゃん:「おまえは偉くねえよ。死んでくれー! 予選敗退です」(笑)(とツッコむ) 

 

 こんな〝ブラックジョーク〟に視聴者が笑えるようなら、その頃の日本はもう少し風通しがよくなっているはずだ。 

 

福田肇 

 

 

 
 

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