( 202162 )  2024/08/16 02:01:07  
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(撮影:今井康一) 

 

「軍部の台頭」「日中戦争の泥沼化」「資源確保のため」など……かつて日本がアメリカに戦争を仕掛けた原因はさまざまな学問で研究対象になり、現在では多くの事実が明らかにされています。 

なぜ勝算が低い戦争に日本の軍部は突き進んだのでしょうか。経済学的にその理由を紐解くときに見えてくるのは、意外にも人間の心理面でした。 

※本記事は、書籍『超速・経済学の授業』から一部抜粋・大幅加筆したものです。 

 

【画像でわかる】勝算の低い戦争に突入してしまうワケ 

 

■なぜ勝算の低い戦争に突入したのか 

 

 1941年12月、日本はアメリカに攻撃を仕掛けました。いわゆる真珠湾攻撃です。その結果、1945年の終戦まで国内外で多くの犠牲者を生みました。 

 

 「両者の国力の差は歴然だったのに、なぜ日本は勝算の低い戦争に突入したのか」。多くの人がこのように疑問に感じたことがあるはずです。現在では経済学などを中心に、その理由は次の2つの理論で説明できると言われています。 

 

 日本が戦争を仕掛けたことを説明する理論 

・パワーシフト理論 

 

・プロスペクト理論 

 

 ひとつはパワーシフト理論という考え方です。パワーシフト理論とは、国際政治学の理論のひとつで、国と国の力関係が急激に変化したり、不安定になったりした場合、戦争に発展しやすいという考え方です。 

 

 特に衰退する国の場合、国力の低下を不安に感じて、敵対国に早めに戦争を仕掛けるインセンティブが働くとされています。 

 

 1941年12月、日本が真珠湾攻撃で第2次世界大戦に参戦した頃のアメリカと日本を比較すると、アメリカは世界恐慌で受けた不況から脱出して景気が回復していました。 

 

 一方の日本は次の理由から経済力が弱まることが見込まれていました。 

まず、エネルギー資源の問題です。当時、日本はアメリカから石油を輸入していましたが、アメリカは日本への石油の供給を停止することを決定していました。石油輸入の7割をアメリカに頼っていたので、供給が止まってしまうと日本の備蓄量で賄ったとしても、2~3年で底をつくことが見込まれていました。 

 

 次に戦力面です。ヨーロッパで第2次世界大戦が始まった1939年の頃、太平洋地域での日米の戦艦や空母による軍事力の差はそれほどありませんでした。なぜなら、アメリカは、その軍事力を欧州の戦争に振り向けていたからです。ところが、アメリカは大国の経済力で、太平洋地域の軍事力を増強しつつありました。 

 

 

 そのため、数年後には太平洋地域での軍事力の面でも、不利な状況に追い込まれることが濃厚となっていたのです。実際、零式艦上戦闘機(零戦)は約1万機が生産されたものの、 アメリカは戦争中に約30万機の航空機を生産しました。こうした状況を踏まえて、日本はアメリカとの差が拡大する前に戦争を仕掛けるのが得策と考えました。 

 

 国力が低下することがわかっているなら、いまのうちに戦争を仕掛けたほうが有利だからです。まさしく、パワーシフト理論が働いたのです。 

 

■プロスペクト理論はリスクを評価する 

 

 勝算の低い戦争に突入したことを説明するもうひとつの理論は、2002年にノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマン氏とエイモス・トベルスキー氏によって発表されたプロスペクト理論です。 

 

 行動経済学に基づくプロスペクト理論では、損失を受ける場合にはリスク愛好的(追求的)な行動をとる傾向があることがわかっています。さらに私たちには高い確率ほど低く評価し、低い確率ほど高く評価するという心理傾向があるとも想定されています。 

 

 わかりやすい例が宝くじです。宝くじでは1億円が当たる確率はとても低いのに、「もしかしたら当たるかもしれない」といった非合理的で歪んだ判断をすることがありますよね。多くの人は日々の生活のなかでも「確率を正しく認識できず」に行動を取っているのです。 

 

 当時の状況で考えてみましょう。まず、実際、当時の軍部が有力な経済学者に日本の国力でアメリカに勝てるのかどうか、シミュレーションを実施させたところ、多くの経済学者の答えは「ノー」でした。 

 

■日本にあった2つの選択肢 

 

 日本の国力とアメリカの国力の差から開戦しても勝算が低いことは軍部もわかっていたのです。そのうえで、日本には2つの選択肢がありました。 

 

 日本の2つの選択肢 

① アメリカに戦争を仕掛けない 

② アメリカに戦争を仕掛ける 

 

 ①はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置などの経済制裁によって日本の国力は弱ってきており、このままでは2~3年後にはアメリカにひれ伏すことになる。それでも戦争を避けることで破滅的な損失を防げるので、これをやむを得ないと考える。 

 

 

 ②は高い確率で決定的な敗北を喫するが、極めて少ない確率で日本に勝算がある。すなわち、日本が東南アジアを占領すると、イギリスに対して優位に立てる。これには欧州戦線で同盟国のドイツが欧州で勝利する可能性があることを想定していました。 

 

 もしそうなればアメリカは、日本と戦うメリットが少なくなるため、戦争をやめて日本に有利な形で和解の道を選択することも考えられたわけです。 

 

 ①では確実に損失が発生します。 

 

 ②では極めて少ない確率ですが、開戦したほうがよい結果が得られるかもしれません。 

 

 プロスペクト理論では、開戦する場合の(高い確率での)損失よりも(極めて低い確率での)利得のほうをより大きく評価します。 

 

 かなりリスキーな選択ですが、そのリスクある選択が冒険的な気分へと昇華していき、日本は開戦へと突き進んでいったということが説明できるのです。 

 

■勝つ可能性を過大評価する心理的な圧力 

 

 冷静な確率論で考えるのではなく、勝つ可能性を過大評価する心理的な圧力が働いたと考えれば、日本の参戦理由を理解しやすいかもしれません。 

 

 世界各地では現在も戦争や紛争が発生していますが、戦争と経済がどれほど深い関係にあることか、さらに我々がいかに不確実な考えに基づいた行動をするのか理解できたのではないでしょうか。 

 

 イデオロギーや感情論ではなく、経済との関係から戦争を見つめ直す。そうすることで、私たちは世の中の空気に流されない冷静な見方ができるはずです。 

 

井堀 利宏 :東京大学名誉教授 

 

 

 
 

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