( 202324 )  2024/08/16 16:37:38  
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叱れない教師はダメなのか? 教育現場が囚われる「毅然と叱るべし」の呪縛

WEB Voice 8/16(金) 11:53 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b901890ebeb59992d8cd091bc913e1d5c9ed779

 

( 202325 )  2024/08/16 16:37:38  
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教育現場における「叱る」行為について、臨床心理士の村中直人氏と元中学校校長の工藤勇一氏が議論する。

村中氏は「叱る依存」を定義し、叱る行為は権力構造に結びついており、強い立場の人が弱い立場の人をコントロールしようとする行為だと考える。

一方、工藤氏は「叱る」を相手を支援し、自分で問題を解決できるように導くことと考えている。

日本の教育現場では「叱ることが最善」という誤解が根強く、教師には毅然と叱るべきという信念が染み付いているが、神経科学や心理学からも心理的安全性が大切であることが示唆されている。

叱ることへの意識改革が必要とされる。

(要約)

( 202327 )  2024/08/16 16:37:38  
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教育現場にはびこる「叱る」という行為について、臨床心理士の村中直人氏、元東京都千代田区立麹町中学校校長の工藤勇一氏が対話する。 

 

日本の教育現場で根強い「叱る」という行為。その効果について、臨床心理士の村中直人氏と、元東京都千代田区立麹町中学校校長の工藤勇一氏が深く掘り下げる。果たして「叱る」ことは、子どもたちの成長に本当に必要なのだろうか? 書籍『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介する。 

 

【書影】叱ることには「効果がない」のか? 『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP新書) 

 

※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。 

 

【村中】今日のテーマは「叱る」ですが、工藤先生は普段、生徒を叱りますか? 

 

【工藤】叱りますよ。ただ、僕は頭ごなしに怒鳴りつけるような叱り方はしません。 

 

【村中】「叱る」という言葉は多義的で、人によってその捉え方はさまざまです。だから私は拙著『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)のなかで、「叱る」ことをこう定義しました。 

 

「言葉を用いてネガティブな感情体験を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為」。 

 

そして、この方法で他者をコントロールせずにはいられなくなる状態を〈叱る依存〉と名づけたのです。 

 

叱る行為は、権力構造と結びついたものです。弱い立場にある人が強い立場の人にものを申しても「叱る」とは言いません。叱るとは、権力の強い立場の人が、弱い立場の人に対して威圧的な言葉や態度で従わせようとしたり、何かを強要したりするものです。 

 

ですから、権力構造のはっきりした集団で強い立場にある人は、とくに〈叱る依存〉に陥りやすいと考えられます。教師も、児童や生徒たちを「導きたい」「変えたい」という意識から、〈叱る依存〉に陥りがちだと捉えています。 

 

【工藤】たしかに〈叱る依存〉になっている教員はいると思います。その理由は、日本の教育の仕組みが「叱らなきゃいけない構図」になってしまっているところに原因があるかもしれません。教員の多くが指導する方法として「叱る」以外の方法を知らない、またそういう訓練もしてきていない、ということが言えます。 

 

【村中】ええ、そういった現状をどのように変えていけばいいのか、今日はそのあたりもいろいろ伺わせていただきたいと思っています。 

 

【工藤】「僕も叱りますよ」と言いましたが、僕の叱り方は先ほどの村中さんの「叱る」の定義からすると、はみ出しています。というのは、相手にネガティブな感情を抱かせないこと、相手をコントロールしようとするのではなく、状況を自分で解決していくための支援をすること、この2つをモットーにしているからです。 

 

【村中】ほう、それを「叱る」とおっしゃるわけですか? 私にとってそれは「叱る」ではないので、興味深いです。 

 

【工藤】生徒が何かトラブルを起こしてしまったとき、教育者としてやるべきは「その体験を、生徒にとっての学びの機会に変える」ことです。「今後こういうことが起きたときはどうしたらいいのか」を自分で考えられるようにしてやること、そのための助言や手助けをしてやることです。 

 

どう行動したらいいかを自分で判断できるようにして、よりよく生きていけるようにするための支援をしてやること。それが教師の役割です。 

 

ですから、僕のなかでの「叱る」とは、大声で怒鳴ることでも、正義を振りかざして不適切行為をなじることでもない。ましてや脅したりすることでもないのです。 

 

【村中】聞けば聞くほどその対応は私には「叱る」ではないように感じます。工藤先生の「叱る」は私の定義よりもかなり幅広く捉えておられるように思いました。 

 

 

【村中】先生方が簡単には変わらなかったということもそうなのですが、日本の社会には「叱ることが最良の方法だ」という思い込みというか、妙な過信のようなものが根強くあるような気が私はしています。 

 

たとえば、子どもが社会的に好ましくない行動をしてしまったとき、「あの親はどうして叱らないのか」「甘やかすから、あんなふうに育つんだ」「きちんと叱らないのは躾の放棄だ」などといって親を咎める声が上がります。 

 

学校で何か問題行動を起こす生徒が出たときも、教師に対して「叱れないような教師はダメだ」とか「叱らないから子どもから舐められるんだ」といった論調の発言が出ます。 

 

つまり、日本では「叱らないと、叱られてしまう」んですよね。これらはいずれも、「叱ることが最良の方法」という思い込みがあるから起きることだと思うのです。叱ることは実はそんなに効果的なやり方ではなくて、むしろ副作用のほうが大きいのに、世の中にはなぜか誤解がはびこっていると思っています。 

 

【工藤】とくに教育現場は顕著ですよ。「教師たる者、毅然とした態度で叱るべし」という考え方が染みついていますから。そこに論理性はなく、ただ日本の伝統的な教えであるかのように信じられています。 

 

【村中】神経科学的な見地からも、心理学的見地からも、心理的安全性が確保されない状況において何かを強要しても有効な学びにならないことがわかってきています。にもかかわらず、教育現場の一線にいる先生たちが、「毅然と叱るべし」の呪縛から逃れられないんですね。 

 

【工藤】村中さんがいまおっしゃった「叱らないと、叱られてしまう」という意識もあるのだと思います。 

 

たとえば、自分が担任を務めるクラスでトラブルが起きると、教員は校長室に報告に来て「校長、申し訳ありません」と謝るのです。「生徒がやったことでしょ、あなたが僕に謝るようなことではないよね」と言っても、クラスに起きることの責任はすべて自分が負っていて、自分の管理不行き届きで起きてしまったかのように捉えているのです。 

 

だから、何かをしてしまった子どもを強く叱るし、トラブルが起きないようにしなくてはと思って、クラスの管理を強めようとします。 

 

【村中】はい、わかります。責任を強く感じるからこそ、トラブルを起こしたくないという意識が強くなり、担任の先生の権力が強化されてしまいやすいんですよね。 

 

【工藤】僕が固定担任制を廃止したのには、そういう仕組み、構造を崩したかったということもあります。 

 

【村中】やはり、「叱る」ことへの意識改革が必要ですね。 

 

村中直人(臨床心理士),工藤勇一(元東京都千代田区立麹町中学校校長) 

 

 

( 202326 )  2024/08/16 16:37:38  
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この文章群は、教育現場における叱り方や指導方法についての様々な意見や見解が表現されています。

一部の意見では、叱ることの大切さや、叱る際のスキルや根拠が重要だと述べているものもあります。

一方で、叱ることが難しい現場状況や、叱ることに対するリスクやハードルの高さに関しても指摘されています。

また、教育現場での叱ることに対して保護者や生徒からの反発やクレームが増えていることへの懸念も表明されています。

さまざまな事例や考え方が出ており、教育現場での叱り方・指導に対する複雑な問題が浮き彫りになっています。

 

 

(まとめ)

( 202328 )  2024/08/16 16:37:38  
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=+=+=+=+= 

元教員です。叱ると言う表現は適切ではない、本来は「指導」です。また罰と言う言い方も正しくない「責任」です。生徒の行った行為が正しくなければ、生徒の将来を考え正しい方向に導くのが指導です。「叱る」は最初の一瞬で、続く指導と理由が見えません、叱るだけでは教員の目的は達成されません。子ども達に、その行為の何が良くなかったのか、どうすれば良かったのかを理解させ導き根気強く正す。これが教育です。叱ること自体に問題はありませんが、次に続ける指導が見えていない先生が増えているのではないでしょうか。指導に自信がもてないからスルーしちゃう教員が増えています。 

 

=+=+=+=+= 

叱ると感情的に怒るは違いがある、怒るはいけないと学んできた。これは道理だと思っています。怒るの次は体罰に繋がる可能性も出てくるかも知れません。教師とて人間の1人なので自己の感情のコントロールをするのはなかなか大変です。さて、教諭の立ち位置は「教え、諭す」が重要と言われますが、今の時代にそれを実行するにはかなり厳しいと思います。時間も労力も対応数も約10年前とは段違いです。授業中に跳び回る子や叫び散らす子がいますが、周りにはしっかり授業を受けたいと頑張っている子も同室している訳です。大きな声を出してでも指導したい場面はしょっちゅうですよ。今や、叱るということは、かなり高い教師のスキルが必要となります。対応の難しい子どもたちも立派な人間だから、大切にしてあげたい気持ちはもちろんあります。なんとかしてあげたいのです。せめて教員が対応する時間や授業準備ができるような教育システムにして欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

子どもというのは理性で把握しきれない部分があるので、それこそ厳しく叱ることも含めた多様なアプローチが必要です。何が奏功するか分からない中でいろいろやる試行錯誤する必要がある。 

 

自分はあまり厳しい言い回しは使わないですが、長く現場にいて、厳しい叱責が不要とまでは割り切れないです。現場は未知の発見の連続なので、シンプルな原理原則通りにはいかないと感じています。 

 

=+=+=+=+= 

最近は、他の児童に指導しているのに叱られたと家で訴える児童が増えました。 

本心ではない言葉を発して褒めてもらおうとする児童。 

褒められた事しかしない児童。 

いい子症候群の児童が増えています。 

子どもの言葉に振り回される親も増えています。 

したたかな児童も増えています。 

保護者の言葉を真似して、死ね、首にしてやる、いいつけるなど言う児童。 

今後は警察官に摘発してもらう事も必要だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

以前も書いたことありますが、東京都千代田区立麹町中学校は、一見、普通の中学のように見えますが、都内から引っ越しをしたり、祖父母の家に住んでるように記載してまで、行くのを希望するような進学校です。だから、正直、あまり普通として、参考にならないと思います。 

いうこと聞く子、素直な子、大学進学を目指している子が多くいる中学校だと思います。 

下町の色々な家庭環境の子どもが通うような中学校の先生にもぜひ聞いてほしいです。 

 

=+=+=+=+= 

コミュニケーションは受け手が全てなので、どう指導したかではなく、子供がどう受けとったか。それに尽きると思います。同じように毅然として叱ったとしても、信頼関係のない教師にはそっぽ向くでしょうし、信頼関係があれば納得して、子供も行動を改めようとするかもしれません。方法論も大切ですが、普段からの教師の人間性が問われる時代になったと思います。 

 

=+=+=+=+= 

「叱る」と「怒る」の区別がつかない人が多いから「指導がなってない」ってなるんです。「叱る」と「怒る」は表面的には同じに見えるが、目的は前者が「相手の矯正」であるのに対し後者は「自身の感情表現」。単に我慢できずに「怒ってる」だけなのに、老獪さで「叱ってる」と開き直るわけです。 

 

その上で言うと、「叱る」は手っ取り早いが本人にダメージを負わせる。「指導」は時間がかかるが本人にダメージが少ない。根本として、心は癒えるより傷つく方が早いから、半々だと傷つく方が勝ってしまう。 

 

もっとも「どう感じるか」の部分ですでに個人差があるので難しいとは思いますね。 

 

=+=+=+=+= 

感情で叱る人と頭と心で考え叱る相手の特徴と性格をしっかりと捉えて叱る人。 

同じ叱るでも叱られる側からしたら大きく違いますからね。 

どれだけ相手を見ているかだと思いますが、担任の先生1人にその役割をするように求めるのは酷ですね。 

家庭においてもしっかりと我が子を見てどう接していけばいいのか考えないとね。 

たとえ担任が正しい叱り方をしたとしても親がそれにクレームを言ってしまうと担任が悪者みたくなる。そんな場面を何度か見てきました。叱る事に尻込みしてしまうのが今の世の中なんじゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

叱るという行為の裏に教員が生徒に本気で関わろうとしているかどうかが大切。叱らない代わりに、生徒に適当に優しく注意を与え、後は知らん、という考え方は決して良いわけではない。私の経験だが、教師は叱った後に生徒がどう変わったか、叱った後にさらにどのような指導をしていけば良いか、考えている事が多いと思う。「毅然と叱るべし」の言葉だけが独り歩きしてはいけない。 

 

=+=+=+=+= 

大事なのは、エネルギーの向きです。簡単に言うと、教育は子供にエネルギーを与えて元気にする事。元気な子は力を得て自由に学ぶ。ところが学校で、多くの子はエネルギーを吸い取られてしまう。先生も、全員にエネルギーを与える余裕なんかないから、多くの場合、子供からエネルギーを奪い、気に入った子に与えている。子供はエネルギー不足で、弱い子から取ろうとするから虐めが起きる。本来、家で親から十分にエネルギーが与えられてれば子は元気だけど、実際は親にも余裕が無い。機能不全家族では、逆に親が子からエネルギーを奪ってます。本来、子供には社会全体からエネルギーが与えられる仕組みがあった。過去には村の子や地域の子として全体で育てた。けれど児童性愛者の存在などで、それも機能していない。児童性愛者はエネルギー不足の子が成長した結果で社会全体の欠乏が原因。欠乏は家父長制が原因。持続可能性が無いから、何れ全て反転する筈です。 

 

 

=+=+=+=+= 

怒ると叱るは違うと思っていたが、今や叱ることも悪いのか。まあ越境入学してくる麹町じゃなく、西成とかで実践してから言ってくれ!って思うのだけどね。歌舞伎町とか、家庭そのものが崩壊しているような地区でも実践できるのなら、参考にできるけどね。どっちも自分に都合の良い事だけ理想だけ語って、理想を実現するコストについて触れていないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

私の子供が2人、小学校に通っています。 

月に一度参観日があり拝見していますが、確かに先生は生徒さんを叱っていません。 

ただ先生本人の資質により叱れないわけではないようです。 

ある生徒さんが授業中ウロウロして奇声を上げて廊下へ飛び出そうが「〇〇さん、席についてくださいね」くらいしか言えないようです。何やらそのような縛りがあるようです。 

じゃあその自由人の生徒さんは野放しなのかというと、専門的なスタッフとして介助人がクラスにいますね。とはいえ授業妨害甚だしいものですから、私は堪らず子供を学習塾に通わせました(元々本人が希望しない限り行かせるつもりは無かったのですが、授業が成立していない様を見て、これはいかんと別に学業ができる場を与えました。) 

他にも大きな声を張り上げる先生は、子供が通う小学校では見たことがありません。 

叱り過ぎもよくないですが、何かに気を使って叱らないのもどうかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

工藤さんは若い頃は生徒指導最前線にみえた方、「叱る」経験を幾度もしているから言葉にできると感じます。そうでない方ほど、机上の論的に語られ、語るは自由ですが違和感を感じます。教師の中に「叱る技術のエキスパート」は数多くいます。そのような方にたくさんお話を伺っていただきたいです。 

 

=+=+=+=+= 

「怒る」と「叱る」は違う。 

私は、教育において「叱る」は必要と考える。 

 

>叱るとは、権力の強い立場の人が、弱い立場の人に対して威圧的な言葉や態度で従わせようとしたり、何かを強要したりするものです。 

 

この定義に、少し異議あり。「権力が強い」の他に、「知見・知識がある」もあり得る。そして、例えば、 

「道路に飛び出してはいけません」については、有無を言わさず理屈抜きで子どもに教えていかねばならない。最初は「道路に飛び出すと先生にキツく叱られる」という「恐怖」も必要なのではないか。そして子どもの成長に合わせて、なぜ飛び出しては行けないのかを教えていけばいい。 

事故防止のためには、「先生は怖い」も時には必要。それは権力による支配ではない。 

 

=+=+=+=+= 

叱れない教師がダメだというより、愛のない人間は叱れません。子どもはやってよいこととよくないことのけじめがつきませんから、二度とやってはならないことについては厳しく叱らないと心で理解できません。火傷してから理解するようでは遅いのです。火傷ならまだマシですが、死んでしまうかもしれない。甘やかしが人間をダメにし、死んだ人間同然になるのです。パワハラで訴えられてクビになってでも、叱るべきときには叱るべきです。それでクビになるなら本望。そのくらいの覚悟が最低限ないと本物の教師にはなれません。子どもの教育に命をかける覚悟のない教師は本物の教師にはなれない。老後の自分の身の安全を図る教師は本物の教師にはなれない。 

 

=+=+=+=+= 

しかることは権力構造と結びついているとか、もはや熱狂に近い極端な思考です。こういう考えに囚われている人が何を言っても勝手な解釈でしかないと誰でも思うかも知れない。 

教育現場がとらわれることもない。そういう人がいることが悪いわけでもない。おかしな発想で現場を惑わせようとする呪縛の方が問題は大きいです。 

 

=+=+=+=+= 

負の行動を潰していくのではなく 

正の行動様式を強化、教えていくのが原則です 

そうすれば子供は何が正しいのかが分かる 

これは違う、それも違うと繰り返し指摘されて 

子供は疲弊していく 

そして指導が入らなくなっていく 

 

そもそもの話 

間違った行為を逐一指摘して叱責するのは 

教員側にとってもしんどいはず 

ただ古い教員はいまだにその思考に囚われて 

若手に子供を叱責するように指導する 

 

=+=+=+=+= 

言葉を用いてネガティブな感情体験を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為 

 

「思うようにコントロール」とか、まず定義がそもそもおかしいし教員に対する悪意を感じる 

村中さんは学校現場、特に教育困難校と言われる学校で教員の仕事を体験すればいい 

 

=+=+=+=+= 

今の生徒は教員から叱られると自分の都合の良いように保護者に伝える。その保護者は文脈や状況も考えずに教員の発言の揚げ足を取る。マスコミが報道。県教委が謝罪。それをマスメディアで観て世間が紛糾。「子どもの気持ちを考えることができない教員は辞めろ」「昔は良い先生が多かった。私が学生の頃は云々」。結論。教員は何も指導しない方が良い。叱るなんてとんでもない。イジメの加害者を叱ったり、指導したら加害者側の親が黙っていませんよ。教員志望の学生さん。こんな時代に教員になろうなんておやめなさい。 

 

=+=+=+=+= 

ちょっと前から子供は教師を屁とも思わなくなった。教師が怒ると教育委員会に言うとか平気でいうものがいるのではないか?海外のように義務教育で退学制度があると調子に乗ると退学になるから親も子供もいい加減なことばかりやれない。日本は教師にはむかうと痛い目に合うというものがない。教師の言うことを聞けないものを学校に来させるというのもおかしい。学校は子供が不満を解消する場ではない。教師の言うことが聞けないものは学校に行くな!!学校の雰囲気をだめにするだけで、邪魔者でしかないということを知るべきだ。ハッキリさせないから子供や親は調子に乗るわけだ。ちゃんとした線引きは必要だ。ハッキリしたルールを作るべきだ。日本ははっきりさせないことをよくやるなあ。逃げ道を作るやり方はいいことな 

 

 

=+=+=+=+= 

教員です。 

叱ったらモンペが怒鳴り込んできます。 

宿題を出さない生徒を叱る事さえできなくなりました。 

校則も平気で破る家庭も増えました。 

ピアス禁止なのにしてきたので注意すると「ブラック校則だ!変えろ!」と暴れ回ります。 

教育委員会は教員を守ることをしません。 

モンペに迎合し、教員を処分します。 

 

こんな職業に誰がつきたいのでしょうか。 

教員の不人気は当たり前です。文部科学省は教員の魅力で何とかしようとしてますが、ブラック企業そのものです。せめて、教員を守らないと。 

現実には罰金払わせたりしてるのでブラック以上の漆黒です。 

 

教育はすでに崩壊しています。 

担任がいない学校が普通に出てきました。 

 

若者は全然志望せず、志望してくれた人はどんどん休職、退職して行ってます。 

 

給料も上場企業の方が当然上。休みも上。人権もある。残業代も出る。能力がある人は志望する訳ないです。 

 

=+=+=+=+= 

教員です 

「叱る」が前提で常に叱ろうと前のめりのベテラン多いです「叱る」もそうですが「圧」も多く 頻繁に「態度で圧」をかけたり「声の圧」を使う人がいます 結局子どもは「緊張→命令待ち→命令しない先生なら悪さする」子に育ち、クラスの多くの子が1年で悪い子に育ちます 

「私の時は落ち着いてたんですけどねー(動けない子だらけ)」の怪しい先生多いですよ(新人以上のハズレ担任です)そうなると修正が非常に難しいです  

なるべく「圧」をかけずに、「道徳の大切さ」を説きつつ自由に伸び伸び活動させるのが教員の基本です 

 

=+=+=+=+= 

いたずらや怠惰・マナーやルール違反に対し、ゲンコツやビンタが当たり前だった昭和世代のオッサンですが。 

今となっちゃ、あの時ひっぱたいて貰えて良かったとすら思ってます。 

 

教育現場で先生方がこんなに疲弊してる昨今。 

今の教育のあり方、本当に正しいのでしょうか? 

 

何だかどんどん、間違った方向に進んで行ってる気がします。 

 

=+=+=+=+= 

教師よりも親すら叱れない現状が危ないだろう。親も叱られたことがなかったり、下手に叱ってると虐待と通報されたり。 

生まれたまま、好きなように生きる。みんな違ってみんな良い。北斗の拳の世界になるのでは。違いは腕力より経済力や知名度や政治力なところだけ。 

 

=+=+=+=+= 

もう少し現場の教員も管理職も勉強した方がいい。子どもたちが自分で考えて自己決定できる環境を作ることだけに集中した方がいい。一現場の職員として、自分もよく考えて指導します。同僚がうるさいんよ。 

 

=+=+=+=+= 

若い頃、職場の上司や先輩から「叱る」と「怒る」の違いを踏まえて「叱る」ことの大切さを教わったけど、その話からすればここで言う"呪縛"は「怒る」のことだし、工藤氏のやってるような叱り方こそ「叱る」なんだと思う。 

「毅然としかるべし」が間違っていないのは今でも変わらないと思うし、このお二人のやりとりって単なる"言葉の遊び"でしかないんじゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

叱らずに済むならそれが1番 

中学校に入りたての1年生の保護者から特に多いクレームは「中学校の先生怖い」だそうだ。 

小学校が叱らなくなり、次は中学校が叱らなくなり、高校……社会に出て初めて叱られるようになるかもね。 

その方がダメージ大きいと思うけど 

 

=+=+=+=+= 

困るのは、この記事のようにしっかりと諭し次へのステップを考えさせようとしても、それに乗ってこない自己中心的な児童生徒です。 

こんな理想的な指導論が通じる現場は限定的だと思います。 

今の日本の公立校での一般化は、残念ですが無理です。 

 

=+=+=+=+= 

元教員です。 

会社員から教員、今は自営です。 

 

様々な雇用形態や職場で仕事をしてきましたが、ごく一部の能動的で有能な方を除き、叱られたくない・怒られたくないをモチベーションにしている方は少なくありません。 

 

教育委員会が教員不足・教職忌避に対して、やりがい発信・試験日前倒し・受験内容および資格緩和、など誰が見ても的外れな施策を打っていますが、これも文科省や首長から叱られないため仕事しています感を装っているだけです。 

 

カドが立つので大っぴらに言われないだけで、ごく一部の優秀な方を除き、人は叱られず・怒られずにやり過ごせれば良いのです。 

 

特に教育現場では真面目に指導して児童生徒を叱ると、叱ることに対して納得されない保護者からクレームが来たり、SNSで晒されたりします。 

教員も労働者ですから、リスクばかりが高くリターンがほとんど無い叱ることは生存戦略のため避けるのです。 

 

=+=+=+=+= 

当時小学生でしたが叱るじゃなくて怒鳴られた事ありましたけどね状況確認もせずいきなりお前か!教室内に響き渡る大声でね他のクラスメイトの前でねちょっとした事があったんですけどそれなら後で呼び出すなりしてからしてほしかったよ周りのみんなもドン引きでしたわその後その教員からは何も謝罪も報告も無しやるならキチンと調べてから指導してくれ怒鳴るな子どもだとあれ下手すりゃ不登校になってたよあんな怒鳴る必要無いわ 

 

 

=+=+=+=+= 

論点違いのコメントになってしまいますけれど(<(_ _)>)、‘叱る’ということについて、忘れられない思い出があります。 

私は、元・学校教員でしたが今は所謂フリースクールで教えています。 

そのスクールでのこと、ある女子生徒をあること(生活リズムがルーズになっていたので)で注意しました。彼女が帰宅してからのメールででしたけれど。 

それに対しての返信:「叱ってくれてありがとうございました」 

これには本当に一本取られた気がしました。…一応ですが、口先の方便(便宜上の手段)とかでそう取り繕うような子ではありません。 

「叱ってくれてありがとう」これは大人でもなかなか言えない(思えない)ことですよね。 

思うに、叱ってもそれが本人の心に届いていなければ意味が無いと思うのです。 

本当にこの時は、私自身「やられた」というか清々しい気持ちになりました。 

 

=+=+=+=+= 

まともな子ども前提の話ですよね。 

はなから反抗してやろう、荒らしてやろうって子にこの理論は通じません。 

 

またそういう子にじっくり対応していると、他の子の学習する権利が阻害されますが、そこはどうせよと? 

 

=+=+=+=+= 

叱るのは教師としてのスキルがないからじゃないですか? 

授業や学級経営、環境作りが下手だからですよ。 

子どもが言うことをきかないのではなく、 

教師が言うことをきかせられないんです。 

考え方を変えましょう。 

 

=+=+=+=+= 

明らかに危険なことや暴力行為は厳しく叱って当然。場合によっては力ずくでもやめさせないといけない。 

言いきかせるには無限の時間がかかる。粗暴なやつやわからんちんだっている。 

 

=+=+=+=+= 

叱れない教師がダメなんじゃなくて、 

褒めれない教師がダメなだけだと思うが… 

 

100回叱るが、1回しか褒めないような教師おかしいでしょ。 

100回叱るなら100回以上生徒らを褒めてやれよって言う。 

何というか、叱り方がーとかそういう問題じゃないと思うわ。 

 

=+=+=+=+= 

臨任講師なんで、基本的に生徒を叱らない。負う責任は最小限にする 

むしろ、教科や教務主任、管理職に「文句を述べる」すべの方が何倍も必要 

 

=+=+=+=+= 

叱らず冷静に、問題の生徒を退学処分にすれば良いよ。 

いても邪魔なんだから。 

問題の生徒が登校しても追い出しちゃえば良いだけだし。 

 

=+=+=+=+= 

叱るにも根拠が必要や! 

教師自らが率先して部活やる姿を見せてこそ 

叱るにしても説得力が出るってもんや 

教師は全員部活顧問やれ!土日も出て来い! 

 

=+=+=+=+= 

理想論ばかりふりまわしてもダメ。毅然と叱れない先生の授業は概して崩壊しています。すると結局迷惑するのは生徒です。 

 

=+=+=+=+= 

叱ることで面倒な仕事が増えるから感情爆発先生以外は叱りません。モンペのイチャモンが面倒です。と若い先生は言います。 

 

 

=+=+=+=+= 

「毅然と叱る」と「パワハラだ」って言われる時代です。 

先生たちはたいへんですね。 

 

=+=+=+=+= 

どうやってやるかまったく書かれてない 

荒れてるクラスもたせてやってみてほしい 

 

=+=+=+=+= 

現場を知らない学者とボンボン元校長がことば遊びに興じている様子は、のどかですらある。 

 

=+=+=+=+= 

そんなことしてたら生徒に舐められるよ。偏差値の高い学校だけ見てきたんだね。 

 

=+=+=+=+= 

この臨床心理士…、「叱る」と「怒る」の区別がついてないんでない?! 

 

=+=+=+=+= 

何やってもいいけど、そこに意味がないと無駄。 

 

=+=+=+=+= 

叱って親が文句言ってきたら教師を悪者にするよね 

ガキがきっかけ作っていたとしても 

 

 

 
 

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