( 202734 )  2024/08/18 00:12:00  
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コミケ前で動物の“残酷ポスター” 物議を醸したヴィーガン活動家「真実の方が過激だ。デモ活動だが演説はせず静かなものだ」

ABEMA TIMES 8/17(土) 18:05 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8ec5d10049fba4c04e5e1bc02d832e4266c48a83

 

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コミックマーケットの前で行われた動物の食肉加工写真を使用したデモにより物議を醸している。

ヴィーガンアクションとして行われたこのデモには賛否両論があり、表現の自由と動物の権利尊重のバランスについて議論が交わされた。

活動に関わる当事者の意見や動物権利団体の代表の意見も示され、対話を重視する立場からの意見など様々な立場が紹介された。

(要約)

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コミケ前で動物の“残酷ポスター”並べ物議 

 

 毎年盛況のコミックマーケット。今夏はある行為が物議を醸した。会場となる東京ビッグサイトの前、参加者たちが行き交う通路に多くの写真が並べられた。ポスターに写っているのは食肉加工された動物の姿だ。肉食に反対する「ヴィーガンアクション」と呼ばれるデモだという。 

 

【映像】通路に並ぶ写真、ポスターの詳細 

 

 主催者によると、警察への申請などの手続きは経た上で、人に食べられる動物がどのような目にあうのか、感受性豊かなクリエイターやオタクたちに伝えたかったという。しかし、Xでは「訴えたいことはわかるがこの写真は一線を超えている」「コミケに参加してマンガで訴えるほうが効果的なのでは」などの声が上がった。中には、わざわざ写真の前でハンバーガーやチキンを食べる人も。また、同じように動物の権利尊重を訴える団体からも、過激さは反感を買うという意見がある。 

 

 動物の権利と、表現の自由における過激アピールの是非について、『ABEMA Prime』でデモを行った当事者と議論した。 

 

箱山由実子氏 

 

 ポスターが過激だという指摘について、弁護士・ヴィーガン活動家の箱山由実子氏は「真実のほうが過激だ。活動自体は、特に演説はせず静かなものだと考えている」とコメント。 

 

 また、「子どもにそういった場面を見せられないのは、残酷なものを見せたくないという人間の良心だ。『かわいそう』と、泣く子もいるだろう。ただ、私は食べてはいけないとは思っていない。どれだけ動物が苦しんでいるかという真実を、義務教育や公共放送などで共通認識にする。“それでも自分は食べる・食べない”という選択をすることだ」との考えを述べる。 

 

箱山氏が当日受けた批判 

 

 今回の活動は、「感受性豊かな創作者・オタクを狙った」という。「コミケに来られるのは、とても考え深く、繊細で、本質を掴まれる方々だと感じている。そういう方々が写真をご覧になってどう感じるかな?という問題提起だ。真実を知っていただきたいという思いだった」。 

 

 箱山氏は当日の活動を振り返り、「コミケはオタクの聖地だから、次から来ないで」と土下座されたり、看板を踏み荒らされたりしたという。一方で、「エロ表現を制限されがちな業界だからこそ、他の表現の自由も守りたい」と応援の声もあったそうだ。 

 

 

箱山氏、過去の活動 

 

 過激な活動は逆効果になのでは?という問いに、「肉を食べる時に“ああいうパネルがあったな”と、思い返してくれたらいいと思う。肉フェスでのデモは今年で4回目、最初はすごい非難だったが、去年今年は“あ、ヴィーガンブースだ”“これも合わせての肉フェスだから”と言われた。みなさん慣れたのか、“しょうがないから放っておけ”かもしれないけれども」と答える。 

 

 その上で、今後について、「コミケの2日目が終わった後、ある宗教の勧誘を受けた。“自分たちが絶対的な正義で、他は悪で間違っている”ということを切々とおっしゃった。それでは反発を招く。ヴィーガンも“これが善で、こっちが悪”というのは駄目だと思う」との考えを示した。 

 

岡田千尋氏 

 

 認定NPO法人アニマルライツセンター代表理事でヴィーガンの岡田千尋氏は、過激な活動には否定的だ。「この行動が小学校の前だと少しやりすぎだが、コミケなどは表現の自由として、市民の権利として必要なことだろう」とした上で、箱山氏の活動の問題点を指摘する。 

 

「動物の写真や動画を使うこと自体は過激だと思わないが、いろんな方の反応から思うのが、“正しく伝わっていないんじゃないか?”ということ。写真や動画がいつ撮られたもので、誰が食べているのかがわかれば、より信憑性の高い情報として伝わるだろう。箱山さんが使っている写真はほとんどが海外のものだと思うが、多くの方は“アメリカ人は残酷だね”“ヨーロッパ人はこんなことをしているんだね”と言う。これは自分たちの問題だということを伝えるために、私は調査から始めた。日本人が食べていて、工場式の蓄産、持続可能性、社会や食の安全、環境問題にも関わっている。そういったことも含めて理解してもらわないと、食生活はなかなか変わらない。“真実を伝えたい”ということだが、真実から少し遠いのかなと感じる」 

 

“ヴィーガン活動”2人の考え方 

 

 また、偏見やアンチを増やす活動にも反対だ。「私たちの団体は、対話があってこそ社会は変わると思っている。動物の苦しみが大きいという問題に対して、多くの方が味方にならないと社会システムが変わらない中では、悪意を持たれれば動物自身が厳しい状況に追い込まれていく。企業や消費者、消費者団体、もしくは政府と対話をして、解決策も提示しながら導いていくことができると思う」とした。 

 

 アニマルウェルフェアは、ストレスをできる限り少なく、行動欲求が満たされた健康的な生活を送れるようにする畜産のあり方。「飢えと渇きからの自由」「不快からの自由」「恐怖や抑圧からの自由」「痛み・傷害・病気からの自由」「正常な行動を表現する自由」の5つの自由(5F)がある。 

 

 岡田氏は「例えば、採卵鶏のオスヒヨコは毎年65万羽が殺されているが、こうした不必要な苦痛、生死の分け方が、アニマルウェルフェアの文脈からなくなるといい。ニワトリ、豚、牛だけで年間851億頭、日本でも10億頭が殺されている。この苦しみを減らすというのは、お肉を食べる人こそにやってほしい運動だ。多くの企業も賛同するようになっているし、農林水産省もやり始めていて、ようやく日本もスタート地点に立っている。この流れを大きくしていくことが、851億頭にとってのメリットだと思う」と述べた。(『ABEMA Prime』より) 

 

 

( 202736 )  2024/08/18 00:12:00  
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この文章群からは、生命や食の問題に対する様々な考え方や立場が浮かび上がってきます。

一部の人は、動物や植物の命を大切にしながらも、食べることに感謝し、無駄にせずに食べることの重要性を強調しています。

また、伝統的な食文化や食肉処理に携わった経験から、残酷な状況や写真を公共の場で晒す行為に懐疑的な声も見られます。

 

 

一部の意見では、植物も動物も生き物であり、生きるためには他の生物の命を頂く必要があるという摂理を指摘しています。

食肉や魚の消費による動物の命を頂く行為について、感謝する姿勢や命を大切に受け止める心構えが求められていると述べています。

 

 

また、ヴィーガンやベジタリアンに対する理解と尊重、食肉に関する意見の多様性、表現の自由と配慮、および個人の選択の尊重など、個々の意見によって異なる視点や感情が表現されています。

 

 

(まとめ)

( 202738 )  2024/08/18 00:12:00  
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=+=+=+=+= 

植物だって一生懸命生きている。栄養剤を与えたり、正しく育てると立派な実をつける。 

熱帯雨林の大木を眺めるととてつもない生命を感じる。 

生きていくには動物でも植物でも食べていかなければいけない。 

肉食動物だって必要以上に狩りはしないけど、食べる時は草食動物を生きたまま食べてますよ。 

草食動物もこれからって時の新芽を食べたりする。 

食べるものに感謝していただきましょう。 

私は肉も魚も大好きです。 

 

=+=+=+=+= 

都内在住の40代ですが、父も祖父も銃猟免許を持っていて、子供の頃は毎年、冬になると狩猟に連れて行かれました。 

獲った鳥の毛をむしったり、教わりながら捌いて炭火で焼いて食べてました。 

釣りも好きで、釣った魚を捌いて食べてました。 

鳥も魚も、最初は「うわっ!?」と思いましたが、今では良い命の授業だったなと感じています。 

ビーガンの方は、それを信条として貫くのは自由と思いますが、人に押し付けるのはやめるべきと思います。我々もビーガンの人達に肉食を勧めたりしません。 

それを広めたいなら黙って自分の信条を貫いて、自然と賛同して集まって来る人を待てば良いのです。 

 

=+=+=+=+= 

肉や魚を食べなくても生きられるけど、健康でいられるのかな?タンパク質が大豆だけでは肝臓などに負担をかけるらしく、最近はお坊さんも保健所の指導で肉や魚を食べていると聞きました。 

 

食用動物の過酷な飼育環境の改善とか、命を無駄にしてしまうフードロスの解消とかなら、一緒に考えたいと思うけれど、食べるために殺生することを一律に悪と決めつめるような主張は、さすがに生物の生理に背くような極論だと感じます。 

 

主義主張のために、残酷な画像を公共の場に晒すようなやり方も、乱暴すぎますね。 

 

=+=+=+=+= 

太古より人類は狩猟で命を繋いできた。 

この人達の命の線引きはどこにあるんだろう。 

害獣(ジビエ)は良くて畜産はダメ? 

魚はどうなんだろう。養殖の魚はダメ? 

海外のようなヒステリックな活動ではないので、大きな問題にはならなかったが、コミケを楽しみにして来ていた人達の気持ちは考えているのだろうか。 

楽しい気分でいたのに、残酷なポスターを見せられて(目についてしまい)、気分が下がる人もいたと思う。 

であれば活動は、興味がある人だけが見れるように、個室や区間などで区切った展示を行うなどの配慮が必要だったのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

昔、屠殺した鶏を食すワークショップに参加しました。今まで生き物を殺す経験がなかったので、しめる時はもちろんショックも受けましたが、大事な命をいただいているというのがリアルに経験できて良かったです。これからは残さず食べようとか、無駄に買いすぎないでおこうとは思いましたが、可哀想だから食べないでおこうとは思わなかったです。 

 

=+=+=+=+= 

コミケは売る側と買う側、共にコミックマーケット「参加者」。 

そして創作やコスプレなどで自分を表現する事が目的の場。 

コミケに「参加」する気持ちも持ってない、 

創作やコスプレなどのコミケに則った表現で自分の主張もしないならば、 

ここはそういう人達の来るべき場所ではないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

まず、これを過激と見るか否かは個人の感覚。そこまで過激とは思わないし、子供に見せれんとは思わない。表現手法としてやめるべきとは全く思わないし、これが正しいと思ったならやればいいと思う。その表現の狙いは、果たしてどうでしたか、と。 

食肉文化がどうなんて今まで考えたことなかったし、食べるのやめようとはサラサラ思わんけど、こういう問題提起があるんだなということは勉強になったかな。 

 

=+=+=+=+= 

この時期は特にそうだが戦争反対を訴えるためにやたら残酷さを強調した記事が見られる。 

戦争体験の記憶を残し風化させないことは大事だと思うが、映像作品にR指定があるように心にダメージを与えることもある。 

津波の映像にトラウマを抱えている人への配慮があるように戦争体験にもある一定の配慮が必要と思う。 

 

=+=+=+=+= 

農家出身なので子供の頃に自分の食事が動植物の犠牲の上に成り立っているのは嫌でも強制的に理解して成長しました。 

そういう経験をしていない人が、食肉がどのような過程で生産されるのか知らず、こういうパネルで初めて知ってショックを受けるのは仕方がないことかもしれませんが、日頃から動植物の犠牲の上に食が成り立っていることを理解することは良いことだと思います。 

ただ、過度に過激な表現で切り取って可哀想、とかいう価値観を植え付けたり、ヴィーガンを布教するのは違うなぁと思います。 

私から言わせれば、植物だって動物と同じく息づいて成長していて、同じ生命である事は変わらないのに、植物は食べてよくて動物がダメという差別は、それこそ人間のエゴのように思います。 

もちろんそれを押し付けるつもりはないですが、動植物に感謝こそすれど、可哀想という感覚は子供の頃に食育とかで通過したうえで大人になって欲しいなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

植物だって生きています。 

 

植物は痛みを感じない・感情は無いなどと言われていましたが、最近の研究で葉や実が自身の意思で落とすとき以外に枝から獲られると、微弱な電気を発することが分かりました。 

 

実はこれが痛みを感じている証拠ではないかと言われています。 

また、キャベツなどは収穫する際にこの電気を発しますが、回りの同じ種の植物も収穫されていないのに同じ電気を発している事も分かっています。 

 

つまり、痛みを共感しているのではということです。 

 

ベジタリアンやヴィーガンの方たちの理屈では、植物は生きてるけど我々や動物や魚等の命とは違い、収穫しても良いとなってますね。 

 

ても、植物にもちゃんと感情がある可能性が出てきました。 

感情もある、次の世代を繋ぐための種を残す為に生きている。 

完全な生命の営みが行われています。 

 

我々の命と何が違うのでしょう? 

 

 

=+=+=+=+= 

食べるも食べないも個人の選択と言いつつ、食肉加工のこの一部分のみを切り取って扱うから反感くらうんです。畜産業の一連の流れを全て公開したらいい。屠殺した動物のために慰霊碑もあります。 

私自身動物に対して愛情はあります。でもお肉も好きですね。おいしい。だからこそ無駄にしないでちゃんと食べられる分だけを食べられるように調理。それが私に出来ることだと思ってます。 

屠殺現場でできる事は、いかに動物に苦しみを与えずに屠殺できるか。そこは確かに日本は遅れているとは思います。 

そういう事を社会全体で考えられればいいのではないでしょうか。「こんなに残酷、食べるのやめましょう」は違うと思います。 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンやベジタリアンは個々の自由です。そして肉食は動物がどういう過程でお肉にされているかを理解しています。農家さん 加工業者に感謝、もちろんお肉にも有難い思いで「頂きます」「ご馳走様でした」を言います。また講義をする場としてコミケは相応しいとは思いません。出店して本でも出せば良かったのに 

 

=+=+=+=+= 

中核派ですらコミケなら参加費払って同人誌を出す。 

 

郷に入れば郷に従えで表現の自由の場が目の前に広がっているのだからそれに参加すればいい。 

 

自分はサークル参加者だったけど個人的にはコミケにフリーライドして参加費も払わずゾーニング意識も完全に無視したような今回のデモは同人誌を出してる側からしたらノイズでしかなかったと思っている。 

 

=+=+=+=+= 

白黒ハッキリさせるという極端なのは、自分は違うと感じる。 

人間は狩猟もしてきたし、DNAの近いチンパンジーはかなりの肉食らしい。 

獣は食べなくても、魚は健康維持に大切だ。 

 

でも、牧場で牛さんたちが仲良くしてるのを見ると、願わくば幸せな一生を全うしてほしいと思うし、スーパーで売れ残り廃棄される食品を考えると、食材になった命に申し訳なく思う。 

 

だから、アニマルウェルフェアやフードロスへの意識、ビーガンといった概念や啓発活動など、極端でない範囲でそれぞれ尊重したいし、個人的には空腹でないのに三食食べるより、ある程度お腹空いた時に食べる、というのが健康にも良く、食べられる命にも優しいんじゃないかな、と思う。 

 

=+=+=+=+= 

農業・畜産系高校を舞台にした漫画の中で、卒業後、仕事として関わる学生達が写真の内容を学ぶ授業の話があった。 

小学校で食肉用の豚を飼う話もあったよね。 

トラウマを残すような写真を見せられたくはないけど、命をいただいているっていう事実は、きちんと受け止めていきたいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

植物も動物も生き物で生きてく為に 

それを殺生して食べないといけない、それは避けられない業だと思っている。 

だから食べ物を粗末にせず、感謝して食べるのが正しいんじゃないかな? 

ちなみに、ヴィーガンの人にとってペットの犬や猫が肉類を食べるのは 

どう考えてるんだろうか? 

人に押し付けなければ、肉だけ食べようが野菜だけ食べようが 

好きにすればいいとは思うけど。 

 

=+=+=+=+= 

コミケは創作的な表現をすることが目的のイベントなのに、食べられる動物が可哀想と言われても場違いな集団がいるなと思われるだけですよね。 

残酷な表現には普通注意書きをしたりしていると思いますけど、この人たちは「真実だから」とそう言う配慮をしていない。 

動物を屠殺する際に苦痛がないように取り組みをすることは正しいことですが、彼らの要求は「肉を食べるな」で、海外の農場の写真を勝手に使っているわけで、これじゃ誰にも共感してもらえません。 

 

=+=+=+=+= 

人それぞれの考え方だから別に否定もしませんが。米の苗が農薬に浸されて植えられ、稲が鎌や機械でで残酷に切られ、米にされるのは良いんだろうか。動かないし声も出さなければ何も感じないのかな。 

稲作なんてやってることは残酷そのもの。血は出ないけど。 

この人たち、皆が負担なく生活できるように懸命に動植物を育て食料を供給してくれる生産者へのリスペクトはないよね。 

 

=+=+=+=+= 

見かけました 

悲壮感漂う音楽を流しながらたくさん写真が置いてあるのを 

警察に聞いた人の話だと表現の自由としてデモ申請されたら止められないんだと 

人を不快にさせて同意を得ようとしたり押し付けてるわけじゃないとか言うの気味が悪い 

もし戦争反対の人が路上に死体の写真並べたりしてても同じ気持ちになると思うよ 

 

=+=+=+=+= 

個人的には動物を食べないことが良いこととは思わないです。 

 

そもそもの話人間は動物もある程度食べないと健康的に生きれないので、動物を食べないようにすると言うよりもその命をどうするかっていう方を考えさせたほうが良いんじゃないかなと思います。 

 

今世界では食品ロスなどが問題になってたりするので、せっかく頂いた命を我々が無駄なく使い、その命に感謝するということが一番大事なんじゃないかなと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

どんな生物だって生きている以上、直接的か間接的かはあっても他の生物の命をもらって生きている。植物だって突き詰めていけば、動物や昆虫の死骸や枯れた植物が分解されたものを栄養の一部として取り入れて成長していくわけで、有機物が含まれていない土に水だけでは実をつけることはできないと思う。 

肉食動物が他の動物を食べるように、人間が肉を食べることはそんなに悪いことなのだろうか。 

もちろん食べ物を粗末に、無駄にしてしまうことは良くないことだと思うが。 

屠殺もなるべく動物に苦痛が無いようにと改善されていると聞く。 

卵を生ませる鶏は効率重視のため改善されるといいとは思うけれど、これまでの日本の卵が安すぎて、消費者の意識改善がないと厳しそう。 

アメリカの方が、州によってはフォアグラとかフカヒレは禁止されていて、色々厳しいイメージがある。フォアグラは無理やり食べさせて太らせるから禁止も理解できる。 

 

=+=+=+=+= 

私は有名な和牛の産地が近くにあり、仕事で付近を通るときはほぼ毎回食肉処理場の付近を通りながら、心の中で合掌しながら通過してます。何の意味もないですけどね。私は庭の草刈りでさえ可哀そうと思ってしまうので、メシも生活も、「いつも大変お世話になっております。」感謝しかないです。 

スタートレックみたいに、なんでもコンピューターが出してくれればいいんですけどね。今のところ、ほかの生物の命を奪わずには生きていけません。 

 

=+=+=+=+= 

今もこれからもお肉を美味しく頂くけど、普段パッケージされた魚や肉がどのように育てられてどのように屠殺されてスーパーに並ぶかは知っておいても良いと思う。 

酷評も多いけど、10年以上前に観た『いのちの食べかた』という映画を思い出しました。屠殺のほかにも大きなファームで野菜や果物を栽培管理収穫するシーンや魚の養殖場のシーンもあって、この人口を維持するにはこれだけ合理的に食糧を作り続けなければいけないんだな…と想いを馳せました。 

魚ですら欧州では痛みがわからないよう気絶させてから切身などに加工してたり工夫もしていました。 

食の現実を知らしめるのはいいけど、残酷シーンだけ切り取るとか、その場で見たくない人に見せるのは違うと思いますが。 

 

=+=+=+=+= 

品川駅港南口に食肉処理センターがある。いつもいろんな場所から、牛が運び込まれている。よく、その牛たちと目が合う。 

「あぁ、今目にしているこの牛は、数時間後にはお肉にされちゃうんだな…」と思いながら、複雑な思いで見ている。 

 

センターの入り口には「場内撮影禁止」の大きな看板がある。今回の記事を見て「あぁ…こういう人達から、職人さんたちを守るための自衛措置なんだな」と認識を新たにした。 

 

センターの中には食堂もあって、ここのもつ煮込みは、自分の知るもつ煮込みの中では、ダントツで美味い。ご飯と一緒に注文してブッかけてお昼に食べていた。 

 

食堂から出て思わず「あー美味かった!」と独り言を言った後、入場前に目があった牛のあの目を思い出した。「ああ…俺は罪深い人間なんだなぁ…。」とつくづく思い知った。 

 

でももつ煮込みは美味かった。そして、それからも何回ももつ煮込みを食べに行った。 

 

=+=+=+=+= 

夏コミに行った。 

そしてこれ、実際に目にした。 

 

ヴィーガンを否定する気は無いけれど、このやり方には反感持った。 

今から楽しいコミケに行くのに、目に入る残酷な動物達の写真。 

訴えたい事は分からなくもないが、正直写真よりも、そのやり口が悍ましく思えた。 

それも中でスペースを取って、本などを出して主張するのならともかく、外で無差別攻撃。 

そもそも許可取ってるのだろうか…。 

確かに沢山の人が来る場所で訴える意味はあるのだろうが…楽しい気分に水を差された。 

 

動物も植物も同じ命。 

いつも感謝して、残さず頂いています。 

それはいけない事なのか…? 

肉食動物にも訴えるのか?( ゚д゚) 

 

=+=+=+=+= 

正直言って命をいただいているのは人間だけではない。植物をいただいたり、その植物を食べる草食動物をいただいている肉食動物もいる。 

その「食物連鎖」という関係性の中に人間もいるわけであり、文明の発展などで人間が「狩り」の部分で有利になり頂点になっただけ。 

人間は自我を持ってるから、そういう連鎖に疑問が湧く人がいるのも無理はないが、問題はそれを押し付けたりしてしまう人が出てしまうこと。私は動物の命をいただくことへの感謝を持っていただきたい。 

 

=+=+=+=+= 

アラ還の私の時代なのですが、自分も含めて 

大人たちもお肉も卵を食べているのに 

養豚場や養鶏場を営んでいる人を差別していました。屠殺場で働く人もです。 

日本の古来からの差別から派生していたのでしょう。子供心に じゃ、食べている私達は 

何者?と感じました。しかし犬や猫の死骸は身近にかわいそうと思ったり、人間と動物の違いはどこからくるのか?をも考え 

自然の摂理や不条理も感じたのを思い出しました。 

 

=+=+=+=+= 

結局、生き物は、水と塩以外は生き物由来のものを食べたり飲んだりして命を繋ぐしかないんですよ。 

どんな動植物の命も犠牲にしたくないならば餓死するしか道はない。 

そもそも、自分の肉体だって、生き物の犠牲の上に成り立ってる親から生まれてきたんだろう… 

 

食べ物を無駄にしない、食べてお腹を満たせることに感謝する、例えば蜘蛛の巣に引っかかった虫を見たらかわいそうと思うけど本当は自分も目に見えづらい形で他の命の犠牲の上に成り立っている…そういうことを教育するのが良いと思うし、その教育に無理やり残酷な画像を使う必要もないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

北海道のとうきび農家です。 

とうもろこしにも、命があります。毎日、その声を聞き、水をあげ、育て、そして出荷します。しかし、このような方たちからすると、トウキビの命を奪っているということになってしまうのでしょう。私はそれでも、命を粗末にしているとは思いません。申し訳ないとも思いません。ただ、命をいただくことに感謝しています。 

ただ、こうした方たちは、動物以外の命には興味がなく、命を奪うことには躊躇ないのでしょうか?それとも、お水だけを飲んで生きているのでしょうか?着ている服も、繊維を作るために動物や植物、鉱物などが関わっています。それは見て見ぬ振りなのでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

以前、愛護団体の方?が推奨している動画を見てしまったのだけれど、ショックで手足の震え、視界が崩れ落ち、冷や汗が大量に流れて来て大変な目に遭った。一部内容は自分が疑問に思っていたことの実態が分かり勉強にもなったが。人間が求める動物の用途は食べる為だけじゃないんだよね。そこは共感した。 

 今の人間は食べなきゃ生きられない因果な生き物。植物だって生きているし、それなりの意識もあるかも知れない。動物だけ取り上げても究極には意味が無い。食べる食べられるの問題はその生死を超えた所にあるもの。それが人間への問いでもあると思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

J・A・バヨナ監督「雪山の絆」を観てもらいたいね。1972年10月13日、アンデス山脈にウルグアイ空軍機が墜落した。生存する為には余りにも過酷で同年の12月の半ば過ぎに16名が救助された。なぜ70日以上も雪山で生きてこれたのか。 

生きるって大変なんだ。今日を生かされている事に感謝して犠牲になった生命達に「有り難う、いただきます。ご馳走様でした」と言わなくても思うべきかと。 

 

=+=+=+=+= 

食用として動物を育てる、そして食肉にするため殺して必要な処理をする。 

そうやって殺生して自分の栄養分として摂取するのだからこそ、感謝して無駄にせず食べることが大事。 

肉食うなと訴えるより、大量なフードロスを無くすための運動の方が良いと思うけど。 

 

=+=+=+=+= 

この人達が望む通りにヴィーガンが増えたらどうなるでしょうね。 

野菜や果物等の植物だけで食料が足りるんでしょうかね。 

最終的には動物が食べる分の植物も奪い合うんでしょうか。 

 

ヴィーガンは他の人が肉を食べているからこそヴィーガンでいられるんだと思います。 

本人達が思い描くヴィーガンの行き着く未来を聞いてみたいです。 

 

=+=+=+=+= 

人間は雑食動物であり他の肉食動物や雑食動物と同じように生きるためには本来は動物性タンパク質も必要な生き物です。 

 

個人の思想からヴィーガンを選択するのは否定されることではないけど、生物の種として人間を考えたら食肉は自然の摂理なので動物性タンパク質を摂取することを否定するのは行き過ぎた多種尊重だと思います。 

 

知能や文明もあるので食肉にするために動物の命を絶つ際、出来るだけ苦しまない方法を選択することが先進国のスタンダードになっています。 

このような過激な活動をする方は主張を正当化するためや食肉を非難するために動物たちの命が絶えたあとや皮を剥がれた姿をパネルにして場所も選ばずに不特定多数の目に晒す行為については動物の尊厳を傷つける残酷なことだとは感じないのでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

動物は大好きだ。虫も植物も可愛い。 

生きているというのは尊い事だ。 

食べる事も大好きだ。命を頂いて生きている。 

無益で不必要な殺生はすべきでないし、生き物を〆るなら可能な限り一瞬で、かつ痛みも無い方法を望んでいる。それはあらゆる国に願っている。 

ヴィーガンを否定はしないが、思想を押し付けたり牛乳捨てたり、残酷な写真を見せて訴えかけたりする事は否定する。 

肉食だろうが草食だろうが、命を頂かなければ生きていけない。1人の人間が大人になるまでどれ程の命をその身体に取り込んだのか。 

いただきますとご馳走様の概念を、食に対する教育をもっと真摯に学ぶ事が大切だ。 

 

=+=+=+=+= 

子どもの頃から魚を捌いたりしてたこともあり、こういう写真を見ても正直あまり響かず…だってその残酷さも「食べる」ってことでしょう?と。解体時の恐怖や苦痛は出来るだけ取り去ってあげて欲しいとは思うけれど、肉食やめようとは思わないですね… 

 

きっと「食べもの」と認識してる対象に対して、私達は鈍感なんでしょうね。 

肉食動物が狩りをする時に「こんなに幼い命を手にかけてよいのだろうか、わが子と同じ年頃ではないか」などと考えることなく牙を剥けるように。 

 

ヴィーガン活動家がこの残酷さを見て知ってくれたら変わるはず!と思うのは勝手ですが、それでも公共の場で掲示するのは不適切、というか非常識だと思います。 

あまりに自分達本位で、賛同が得られる方法とは思えませんね。 

 

=+=+=+=+= 

この活動を考えるときに、食肉を止めれば動物の権利向上に直結するのかはいつも疑問に思っています。食肉を抑えていけば畜産頭数を減らして過ごしやすい環境で飼育するということはできるのでしょうが、今の地球でそれらの動物が野生で過ごせる環境を担保して人類と共存することができる状態には無いのではないでしょうか。 

 

北海道の場合でも、熊やエゾシカが人間の生活圏と交わってしまう機会が増えており、人間の安全対策という名目で狩猟していますが、これを熊やエゾシカの権利向上のために中止しろと言われても難しいです。そこに野生で鶏や豚・牛も自由に生活できる環境を整えることも同様で、数が増えたら殺処分という流れになると思います。 

 

ヴィーガンの人達って、動物の肉を食べない以外に動物が自立して生活できる環境も整えるプランがあるのでしょうか?それが無ければ活動の意義が問われてしまうと思います。 

 

=+=+=+=+= 

表現の自由はあるし許可取っているなら良いけど、実際に見てないからなんともだけど、真実とは言え体調崩すような写真があるならなしかな 

下手すると人の人生に関わるし 

 

でも許可取ってのデモ扱いの展示か 

それを許すと模倣、際限が無くなるからやっぱりよろしくないか 

土下座した人の気持ちも判る 

と言うか普通に凄いと思う 

数多くの人がボランティアで公的機関と交渉して何十年もかけてきて作ってきた場が一人の行動から他の活動家まで集めて中止になる未来まである 

相手の意見を尊重した上で土下座と言う名のお願い 

どれだけ尊いか 

 

本当にやるなら企業ブースか個人サークルでも方法は開いているのだからやり方考えて欲しいとは思います 

 

=+=+=+=+= 

今の60代以上の農家なら屠殺のけいけんあると思います。 

その下世代からその経験へるんやけど、俺は死んだジジイが罠にかかったキジを捌く経験をしたからラッキーやと思ってる。 

生き物は臭い。そして、美味い。 

コレはホントにいい経験になったし、うちの子にも体験させたい。 

牛の屠殺はビデオでしか見た事ないが、鳥であの感じなら牛なんて相当労力使うなと想像出来る。 

 

=+=+=+=+= 

ここって道路としてはどう言う割り当てなんだろう。 

公道だったら警察に道路の使用許可証をもらわないと、看板一つに一人割り当てる様なモデルルーム案内方式を取らないと違法だし、ビッグサイトの私有道路ならビックサイトが許可を出さないと設置できないし、どう言う経緯で設置されているのかはっきりしたいね。 

 

 

=+=+=+=+= 

生きて行くうえで普通だろうがヴィーガンだろうが何かを食べ生きている、それはその命を奪う事なのだから同じ事。 

それをさも悪い事をしている風に見せているから、反発は起こるのだろうな。 

俺はどっちでもいいが、食べ物を残さない事が大事な事だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

どうなんでしょうね 私は菜食主義ではないのですが、信仰がありまして、ちょっと似てるかなと思うことがあります 日本では信者さんが少ないカトリック信徒です 

その信仰の人には大切なことも、信仰が違ったり、信仰を持たなかったりする人には全然重要じゃない 

そういう点があるかもと思うことがあります 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンなどは個人の趣向程度に収めておいた方がいい思想だと思う。 

動物を愛するから食さない、命を守るために関連したものも避ける、これが私の思想であるという自己完結型の遂行でよいのだと思う。 

これが本当に人が生きていく上で正しく、誰もが納得するものなら主張せずとも自ずとそういう思想に皆がなっていくだろう。 

気づいていないものを気づかせ、その思想に引き込もうとすることは思想の繁栄の目的以外の何物でもない。 

 

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私は植物の光合成を研究していたんだけどね。 

 

植物だって生き物だから。 

声を出したり目立って動いたりしなければその命を絶ってもいい、っていう考えがもう相いれない。 

生き物としての基本的な仕組みは何も変わっていない。 

ただ、その表現方法が違うだけ、だから。 

 

まぁ、自分がそうしたいのならそうすればいい。 

だけど、それを押し付けられるのは我慢ならない。 

ましてや、全くの場違いでのアピールは単なる迷惑行為。 

 

自分達が信じるものを主張する為なら何をしても構わない、っていうのであれば議論にもならないさ。 

ほとんどの人に嫌悪されるだけになるのではないのかな。 

 

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豊かだからこその選択肢であることを認識してほしいなとは思うな。 

そりゃ何を食べるかなんて自由だよ。しかしね、動物をエネルギーとしないという選択をするにあたりそれを人類がすべて履行するとなれば選択肢としてあり得るのか疑問がある。しかもヴィーガンレベルのものとするならなかなか大変だ。 

 

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食育という面でも、別に過激な写真が悪いわけではないと思うけど… 

実際に生きている動物を、誰かが殺して、それを食べている訳だし。 

ただ、ヴィーガンもグリーンピースも一般の人も同じで、見たくない物はみない。 

他の人もコメしていますが、植物だって生きている。 

人間の都合で、生態系を壊して畑を作り、人間の都合の良い物だけを栽培して根こそぎ刈っていく行く。 

それに対してどう感じるかが問題。食物に感謝して無駄なく大事に食べる意識を持つことが重要で、クジラを食べるな、牛を食べるな、などと、偏執的な意見を他人に押し付けるべきでない。 

食肉の現状を訴えるなら、ヴィーガンなど全く関係なく食育としてどうすれば良いか考えればよいだけ。 

欧米人の富裕層は、本当に綺麗毎だけで本質に全く目を向けようとしないね。 

家畜の生死を心配する前に、目の前で自分たちの思想が原因で戦争が起こり、人が死ぬことにも興味を持った方が良い。 

 

=+=+=+=+= 

もしコミケの考える「表現の一種」を謳うのなら、待機列ができる場所とはいえ“会場外の公共通路”であるこの場所でやったのは、内容に関係なく批判されるべき。だったら正当な方法でサークルなり企業ブースに応募してそこで持論を展開する必要があるのではないでしょうか。 

単に人が多く注目が集めやすい場所かつ、自由な表現の一種として活動しやすい場所として、都合よくコミケの名前を勝手に使ってるだけとしか思えない。 

 

記事の最後にある宗教の勧誘にもあいましたが、こっちは街ナカのキャッチよりもしつこく付いてきて、かなりうっとおしかったですね(触られたら通報してたんですけど、付いてくるだけだとセーフなんでしたっけ?)。 

 

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コミケに参加するならばマンガにとまではいかなくても、写真集+文章にまとめて1冊の本にして出版すれば良いと思う。 

ただ、ポスターを並べただけでは逆にヴィーガンの価値を低下させてしまうだけになってしまう 

 

まぁ、自分はヴィーガンではないからありがとうの気持ちをこめて「いただきます」と一言添えてから肉でも植物でも食べます。 

 

人間は生きる為に他の生物を食べるです。 

 

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訴えていくことはいい事だと思うけどね。改善されていけるわけであまり盲目的に命にありがとうと手を合わせてと洗脳させるのもどうかと思います。 

ひよこは産まれたばかりのオスは仕分けされてそのまま袋につめられて圧死させられますがありがとうという心境よりももっといい技術生まれないものかと願ったり鶏卵を高めの平飼いに変えたり鶏卵業界に投資したり。抵抗感や罪悪感を綺麗事を作り上げて無くすだけなのも目を背けすぎでは。卵がかえる前に仕分けるセンサーが最近開発されたのだって資源や労働力のロスだけじゃなくてそういう罪悪と向き合った人がいたからだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

この活動で、支持者が増えると思っているところがすでに理解できません。 

今回の会場は創作を楽しむ場であり、自分の主張を押し付ける場ではないと思います。TPOをわきまえない活動は、主張の内容がどうかという前に、その行動を良しとする組織の在り方自体がすでに受け入れがたいものに感じます。 

自分の主張を通すためならどこで何をしてもいいという行動原理は、過激で危険な活動につながる可能性もあると思います。 

主張している内容自体は是々非々で議論すれば良いレベルの問題だと思いますが、組織としての在り方や、活動方針などは全く共感できません。 

 

 

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お肉は美味しいので大好きです 

ただし、牛さんや豚さんが鶏さんや鹿さんがどのような過程を経て美味しいお肉になるのか、詳しくは知りません 

一度詳しく見学した後で、処理されたお肉を美味しく頂いて、いのちに感謝できる人間になりたいな~と思っています 

 

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人それぞれの考えがあるので否定しないが、動物だけを特別視するのはどうだろうか? 

 

最近の研究では植物にも感情に似た反応があるというのも発表された。 

 

他の動物を見て感じるのは他の生物の命を侵していいのは自分が生きるためだけで悪戯に他の生き物の命を侵すべきではないとは思うが、そこに植物、動物は関係ないと思う。^_^ 

 

別にヴィーガンの人を否定しないが、他人に自分の価値観を押し付けようとするのは違うと思います。 

 

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ヴィーガンになるかならないかは個人の自由。 

攻撃的にならない程度の議論もあっていいと思います。 

 

私がこの人達の活動に賛同出来る点は、生きている家畜がパック詰めされた肉になるまでの過程を教育として、子供たちに教えた方がいいということ。 

切り身が海を泳いでる、こういうことを言う子供達が本当にいます。 

 

難しい所は、屠殺業や肉屋がマイスターとして一定の地位にある欧米と違い、殺生に関わる職種が差別された過去がある日本では、寄らず触らず見ないふり、という風潮が未だに感じられる部分があります。 

衛生面の問題もあり、屠殺現場を直接見せるのは難しいかもしれませんが、自分の食べるもののこと、知らないよりは知っている方が確実にいい。 

 

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「動物を食料とすること」と「食べられる動物は苦しむ」と「食べられる動物は可哀想」ということは全て別々の事柄だと考える。 

私は、それらを一緒くたにすることは、むしろそれぞれの事柄について論理的に考えておらず、また、「可哀想→動物だって苦しんでいる→動物を食べることってどうなの?」と、問題を逆に捉えてるのではないかと考える。 

「動物を食べることは罪深い」というのは物事の考え方の一つにすぎない。それを他者に、特に、それらを何とも思っていない人間にぶつけることは、暴力である。思想・良心の自由をも犯している。 

 

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きちんと道路使用許可を得てやったのなら、それもまた表現や言論の自由の範疇であるから私は別にいいと思う 

ただそれらを見てどういう反応を示すかは受け手の自由だし、否定的反応や批判が出るのも相手の権利だからこの活動家の人の思う通りに行かなくても当然 

 

皆で楽しもうというある種の祭りの場で、こういったネガティブな活動をして参加者に嫌な思いをさせても賛同者は増えないと思うんだけどね… 

それこそサークル参加して、ヴィーガン食の啓蒙や肉食の何が問題かを科学的に分析した同人誌を出すとかした方が好感を持たれるのでは? 

本人達は真面目なのだろうが、個人的にはコミケに便乗利用している感があって好きではないなあ 

 

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人類が必要としている物は、動植物の命でもその生涯でもない。 

生物反応が作り出している「物質」である。 

 

そして今日の人類の技術は生命活動に依存せずに、その物質を生成する技術に王手をかけつつある。 

それが生命倫理に反する禁断の技術なのか、無意味に動植物を傷つ狩猟採取する必要から解放する革新なのか。 

夢や未来物語の空想ではなく現実問題として真摯に考えるべき時期になりつつある様に思う。 

 

結果として我々は農林畜産業に関わる多くの人々の生活基盤を奪い脅かす事になるが、他の生物を殺して利用するという生命発症依頼の数億年の習慣を転換させ添加物と化学物質として生産するか、伝統的な習慣的営みを踏襲して残酷でもナチュラルででオーガニックな食文化というものを続けるのか。 

 

両立しないものをどう扱うべきなのか? 

実際に話し合って妥協できるとか割り切れる様な問題ではないと思うよ。 

 

=+=+=+=+= 

肉を食べるということはそうゆう事なんですよね、グルメだなんだと言って「この肉は硬い」とか「脂が乗ってる」とか、 

肉に加工された『物体』としてしか見てない人は今一度動物の命を頂いてる。という事を有り難く感謝して食して欲しい。 

未来は動物を殺して食べるという行為がなくなる事を祈ってますり 

 

=+=+=+=+= 

主に生物を学んだ者です。 

基本的に動物などの消費者(人間も含む)は、他の生産者(光合成する植物)と消費者(動物・昆虫等)を捕食して生きています。 

しかし生産者(植物)は、分解者(微生物)が存在すれば、基本的に生存に不都合はありません(生殖活動などで、消費者を必要なよう進化してしまった植物は存在しますが、そもそも存在しなければそう進化しなかった筈です)。 

 

ですので倫理的には、動物の捕殺は許される(お互い様)けれど、植物の捕食は一方的な略奪であり、道義的に許されない行為ではないでしょうか。 

人は動物の生命・尊厳より、まず植物の生命・尊厳を優先して守るべきだと思います。 

植物に対する扱いの方が、はるかに残酷です。 

 

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こういう考えの最終的な到達点としては、食事を無くせるような社会を作ることだろう。さみしい考えだが。人間が増えていくならこれも一つの答えになってくると思う。ほんとうに遠い未来。食べるという行為が非常に高級なものになる可能性は存在する。 

なにをたべるか、なにをたべないかなんてのは本質をついてないのではないだろうか? 

 

=+=+=+=+= 

昭和でも初期ぐらいに産まれた世代は、 

農家なら家で鶏を飼っていて、卵を利用するだけではなくて 

首をキュッとやって殺して羽根をむしって血抜きして肉にして食べるなんて 

ふつうにやってた。 

 

最近はジビエ料理として人気だが、 

山間部に行けば、昔からイノシシ狩りして 

毛皮むしって血抜きして捌いて村人で分けて食ってた。 

 

山間部の民宿でボタン鍋食ったけれど、 

実際にそこのご主人が撃ってバラしたイノシシだった。 

 

エグいところ自分らでふつうに見ててそれでも食ってるし、 

ご馳走として振る舞ってるよ。 

 

生きていくことはサバイバルであって、生存競争に負ければ死ぬしかない。 

金稼げばそれだけで出てくる食品なんてどこにも存在しない。 

金稼ぐにしても競争に綺麗事なんてないじゃないか。 

 

デスクに座って美しいこと言ってるだけで人類は生きてはいけません。 

 

 

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畜産農家は保有する家畜の頭数制限で通年生計を立てていけるようにできるか、 

屠殺のサイクルを減らすために食肉を安全な状態で長期間店頭販売できるようにするには…と、肉を食べないことではなく無駄なく食べられるようにするにはどうするか、てのが現実的だと思うんだけどもね。 

 

=+=+=+=+= 

今回の訴えは「肉を食べないで」ではなく「生産の現場について知って欲しい」ではないでしょうか。 

 

命を奪うことの是非というよりは、飼育環境などにより不要な苦しみを与えていることが問題なのです。そして、その原因は「安く肉を食べたい」という人間のエゴにあります。 

 

生産効率化の名のもとに命をモノ(商品)扱いしてしまえば、いくら「いただきます」と感謝したところで、命を軽視していることになってしまいます。 

 

ペット産業で犬猫をモノ扱いするのが罪深いのと、本質的には同じであると思います。悪質なブリーダーが劣悪な環境で飼育するのはコストカットのため、利益をあげるためです。同様のことが畜産の現場でもおきています。 

 

=+=+=+=+= 

可哀想だからって無理があり過ぎますよ。 

だったら農家1軒1軒回ったほうがよろしい。食料ではないがペット産業、ブリーダーなんかもおかしい。植物も゙生きている。 

枯れたものや自然死したもの食べてほしい。 

石油由来のもで生活してほしい。シルクや綿も生命を有り難く享受しています。 

 

=+=+=+=+= 

やぐら橋の上で大音量でドナドナを流しており、コミケット準備会スタッフによる待機列に対する移動中の日傘の注意放送が聞こえづらかったのは事実でした。 

数万人を安全に移動させるのを妨害するのはどうかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

自分で育てたニワトリを自分で絞めて食べたことあるよ。 

とても残酷ではあったけど、ちゃんと殺してあげないと苦しんでしまうし 

放血をした後に、お湯に浸けてから羽毛をむしると、鳥の丸焼きの形になってなんか美味しそうに見えてしまう。 

それから鶏を解体して部位に分けて料理をしたよ。骨で出汁を取ったり、全部使った。 

そうやって食べるものかなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

写真見ていないんだけど、肉や魚を食べる時に嫌悪感を抱くような写真を見せるのは、やり過ぎではないでしょうかね。 

 

もちろん、そういう展示会を見に来た人が見られるというのは表現の自由として当然に認められるべきですが、見たくないと思う人に見せるのは違いますね。 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンの方にお聞きしたい。 

蚊が飛んでいても退治しないのかな。 

外出したら蟻を踏まないよう気をつけて歩くのかな。 

車を運転したら羽虫を全部避けていくのかな。 

屋根裏にネズミが巣を作っても気にしないのかな。 

野菜を栽培するのにも害虫駆除や害獣駆除が必要なのを理解しているのかな。 

家畜を食べないだけで生きとし生ける物の命を救ったことにはならないと思うんだが… 

 

=+=+=+=+= 

考え方は個々の自由だと思うのですが、食肉になる用に生産された動物なのだから何でもかんでも可哀想ではなくて、美味しく食べてあげることが何よりも供養になるとおもんですけどね…。ヴィーガンの人たちは肉は食べないかもしれないけど、革製品を一切排除した生活してるかと言われたらそうではないと思う。卵や植物だって生き物でしょうだなら「いただきます」っていうんです。 

 

=+=+=+=+= 

若い人は知らないだろうけど 

コミケは表現の自由の問題で開催できなくなりそうだった時期もある(エロとかもあるからね) 

それを我々や先人の努力によってなんとか開催出来るように自主規制等で頑張って存続させてきた歴史がある 

いつなんどきコミケが閉鎖されるかという恐怖と一緒に居た 

だからルールを決め、会場の中だけでしか表現しない。そうする事で一般の方の目に触れないようにして閉鎖を免れてきたわけだ 

いわば会場は神殿なんだよ 

 

それをこんな一般人の目に触れる神殿の外で活動しやがって、とんでもない暴挙だよ 

そりゃ企業ブースが一般化した時期からコミケが閉鎖されることはもう無いだろうけど、そういう歴史を持って開催しているイベントに 

とんでもないブチ撒きやって主張もくそもない 

 

=+=+=+=+= 

表現や思想は自由ですが、それなりの場所だけでやって欲しい。無関係のイベントなどにゲリラ的にやるのは本当に迷惑でしかありません。いくら自由とは言え、思想の押し付けは全く別の話。この人達って、では肉食がなくなった時、その仕事に関わる人や残った動物やら、そう言った問題には一切具体的な考え持ってないんですよね。自分達はこう思う!だから皆もそうして欲しい!そうすれば全てが幸せになる!大丈夫!絶対なる!なるから大丈夫!大丈夫だよー!だって幸せになるはずだもの!て理論にならないんですよね。 

 

 

=+=+=+=+= 

植物だって生きているし、そうなると酸素吸って生きながらえなくてはいけなくなるよね?究極行くと薬は動物実験で完成したもので命使ってるし、食う以外にも生き物の命の上で成り立ってるんだよ 

てか、せっかくの表現の場であるコミケなんだし、普段通りのポスターではなくマジで漫画とかで表現した方が効果あると思う。 

オタクの祭典と言われるがあれはみんなの好きや思いを発表する場だしねぇ。 

うまい下手とかそんなことより自分が思ったものを出す会場なんだよ 

そんなにヴィーガンを訴えたいなら本にして売るべき。 

 

=+=+=+=+= 

取引先の女性事務の方がヴィーガンだそうです。 

社内では同僚に対し何も言わないし食物についても何も言わないそうです。ただし… 

食物のせいか肌荒、艶、体臭が女性とは思えない程キツイそうです。 

やはりバランス良く食べる事が大切なんですね。 

 

=+=+=+=+= 

正当性と不当性は違うし、合法と非合法も違う。これは正当ですか?これは合法ですか?ヴィーガンが正しくてその他が間違いと何故言えるのか?それを証明しない限り永遠に平行線のままでしょう。我々は命あるモノを食べて生きて居る。それは動物も植物も昆虫でも同じだろう。食べるから良いのではなく、無駄にしない事が正しいのでは? 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンの人が自分は動物由来のものを食べない、というのはまだ理解できる。 

でも、それを周りにも強要してくるのであれば抵抗するよ。 

生命があるのは動物も植物も同じだ。 

植物は食べても良い、でも動物を食べたらダメだという理屈は違うと僕は思うし凄く傲慢な考えだと思う。 

植物には感情や意識がないって言うのは単に現代科学で認められてない話だけであり、決めつけに過ぎない。(一部、植物にも感情があるらしいと言う研究結果も発表されてはいるけれども、多分まだ世界に認知されるまでには行ってないのかな?) 

 

生き物の命を奪う事なく生きていけるのであればその方が絶対に良い。 

でも残念ながら現時点でそれは不可能だし、何も食べないのは生きることの放棄だ。 

何を食す、食さないは、各々の基準で決めれば良いだけの話し。 

他人に強要することでは決してない。 

 

=+=+=+=+= 

>どれだけ動物が苦しんでいるかという真実を、義務教育や公共放送などで共通認識にする・・・ 

 

それで何が変わるというのか 

食用を目的に交配を重ね増やしてきた家畜を自然に戻せとでもいうつもりだろうか 

自身の思想で動物性蛋白質を摂取しないというのは勝手だがそこに動物が苦しんでいるなどという理屈を持ち込むのは如何なものか 

それなら植物にも感情などがあると言われてことに対してはどう考えるのか 

動植物問わず他の生物の命を糧としなければ生命を維持できない生き物だという基本的なところを忘れてるんじゃないのかね 

 

=+=+=+=+= 

人間以外にも肉食の動物はいるし、肉を食べることはいわば自然なのでは。と思う。 

無駄に取りすぎない、残さない、命に感謝するということが大切なのでは。 

 

=+=+=+=+= 

残酷写真展示は話題にするだけ負けな気がしますのでスルーしますが 

 

記事の後半の経済動物にもQOLを的な視点は 

昨今オーガニック野菜に付加価値が見出された流れと同じスキームなら歓迎されそうなので 

スーパーの商品ラベルにアニマルウェルフェア基準合格とか書かれていれば 

高くてもそこそこの層に売れる時代が来るかもしれませんね、私は結構共感できました。 

 

すでにやってるみたいですが国際基準などと も整合とりながら行政と認証基準を話し合ったりしてもらえればいいと思いました。 

 

動物のと殺の写真などについても 

教科書にリアルに載せようよ、みたいな活動なら 

原爆教育の大切さみたいなスタンスで持っていけそうな気もするので 

それなら支持に値するかなと私個人は思います。 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンに賛成する訳ではありませんが。岡田さんの「反発を招かない活動を」という考え方には共感します。 

私は福祉職ということもあり、障害者やLGBTQなどマイノリティに関する社会の理解がもっと進めばと願っています。 

ただ、活動家の中には過激なデモや「認めないのは悪だ」くらいの強い主張をする方がいます。全体的には少数なんですが、声が大きい分、聞く方にとって印象が強くなってしまいます。 

ただでさえ昨今の急激な社会の価値の変化で、受け止めにくさや不安感から、カウンター的な反発や疑問も生じています。相手の価値観をぶち壊しに行く強引さは、同じ価値観で生きる方から足を引っ張ってると反発ありますから。 

 

=+=+=+=+= 

>「子どもにそういった場面を見せられないのは、残酷なものを見せたくないという人間の良心だ。『かわいそう』と、泣く子もいるだろう。ただ、私は食べてはいけないとは思っていない。どれだけ動物が苦しんでいるかという真実を、義務教育や公共放送などで共通認識にする。“それでも自分は食べる・食べない”という選択をすることだ」との考えを述べる。 

 

考える事は大切ですが、そういう写真を見せるのは違うと思う。 

命を頂いてるから、いただきます。ごちそうさまでした。です。この鶏、豚、牛を育ててくれた方に。屠殺場で処理してくれた方に。調理してくれた方に。 

ちなみに植物、野菜も生きてますからね。偏ったビーガンの方は泣かないとか声を出さないとか言うけど、生きてますからね。 

 

=+=+=+=+= 

なんだろう 

盲信的に信じてるだけ? 

ご自身が信じてることは否定しませんが、それを他者に無理強いするのは間違ってないですかね? 

私も幼い頃に、田舎で飼っていた鶏を 

捌くところを見ました 

首を撥ねて、血を抜きます 

首を撥ねられた鶏は、暫く放たれ、暴れ周り、息絶えます 

その鶏を、お皿に盛った物を見て 

なんだか涙が出ながら食べました 

こんな体験をしたのでしょえか? 

自分だけの価値観を、当たり前の様に 

押し付けないでほしいです 

 

 

=+=+=+=+= 

ヴィーガンの皆様は植物だけ食べて生活してるんだろうけど、農作物を自分で育ててみたことがあるのだろうか? 

家庭菜園程度でも、ほんの少しの食べられる野菜を収穫しようと思ったら、多くの「雑草」を躊躇せずに引き抜き、芋虫を踏み潰し、コガネムシを薬殺し、草取りの邪魔をする蚊や虻を叩き潰さないと、とてもできるものじゃない。 

農家ならもっと規模が大きいし、場合によっては腹をすかせた小鳥を追い払い、モグラを罠で捕殺し、野菜を根こそぎ食い尽くすイノシシや鹿まで捕殺しないと、収穫など覚束ない。罠に掛かった鹿を殺すのなんて、好きでやってると思ってるのかな? 

所詮、人間は他の生き物を犠牲にして生きていくしかないのであって、肉食だけを残酷だと非難するのはバランスが悪いのではないでしょうか。頂いた命を無駄にしないように、感謝して味わえばそれでいいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

自分たちが食べる分、一部でも野菜や植物を育てたことがあるんだろうか?生命をもらうのは動物も植物も変わらないんだけど?彼らは言葉こそ通じないけど、水や日光が足りなければ死ぬし、環境や条件が整わなければ実もつけない。要求した分お返しも多い。収穫するときは彼らの生命を奪うので、こちらも感謝と若干の悲しみが伴う。家禽と変わりないんだが。 

 

=+=+=+=+= 

肉食動物が草食動物を生きたまま食べる自然界。 生き物は食べないと生きていけないから、残酷なのは当たり前。 ただ、自然界だと草食動物は逃げれる可能性もあれば、食べられるまでは自由だっただろう。食べる為に育てる人間が残酷なのは間違い無い。 知ってても私は食べる。いただきます。ごちそうさまと。 

 

=+=+=+=+= 

これ、「どうせならサークル参加して自分達の主張を書いた本を頒布すればいいのに」って至極まっとうなコメントしてる人もいたけど、その中にゾッとするような指摘があった。 

 

曰く、こういった活動は、先導している人間がわざと大勢の前で相手にされないような行動をさせて孤立感を高めさせ、「あなた達のことを分かってあげられるのは自分達だけ」と囲い込み結束を高める手口で、カルトがよく使う方法なのだとか。 

 

=+=+=+=+= 

今日の夕食は焼肉! 

余す事なく美味しく頂きました。 

 

流石に牛が屠殺される所は見た事が無いけど、鶏は見学して頂きました。 

魚介類も卵も牛乳も頂きます。 

 

植物も命を頂いている事は同じ。 

命有るものを頂くので、ダメにして廃棄が1番良く無いと思うし、気を付ける様になった。 

 

活動家と言われる人立場って、反感を買うやり方以外は出来ないのでしょうかね? 

 

コミケと海外の牛の屠殺は関係無いのに。 

 

=+=+=+=+= 

せめて牛、豚、鶏をもっと本来の形で飼育してほしい。 

牧草で育てた牛はビックリするほど美味しい。 

生産数が減るし貧乏人はなかなか手が届かなくなるだろう。でも100年前ならほとんど食べていなかった。 

100年前の人と今の人はどちらが丈夫か。 

本来の食事をすべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

>私たちの団体は、対話があってこそ社会は変わると思っている 

 

対話の段階飛ばして告発連発してるアニマルライツがそれを言うのか、そうか…… 

 

それはさておくにしても、まぁ要するに、件のポスターは個人で同人活動してる作家がヴィーガン啓発の作品描いてくれるのを期待して展示場所を選んだって言うことのように聞こえるのだけれども 

 

そういうことなら正規の手続きでしっかり報酬払うことを前提に作画依頼出した方がいいと思うよ 

「動物に対する残酷描写」を好む人なら作画資料として見慣れてるだろうし、嫌う人からは反感持たれるだけだからたぶん誰も得してない 

 

=+=+=+=+= 

>肉を食べる時に“ああいうパネルがあったな”と、思い返してくれたらいいと思う。 

>箱山さんが使っている写真はほとんどが海外のものだと思うが、多くの方は“アメリカ人は残酷だね”“ヨーロッパ人はこんなことをしているんだね”と言う。 

 

>>私が少し疑問に思っていたことに触れられていた。さすがネットメディアだ、一般放送では無理だっただろう。 

是非、箱山氏には日本におけるアニマルウェルフェアの状況を正面から取り上げてもらいたい。 

もし、オープンな議論と評価ができるなら、日本の社会に裨益するところが大きいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

真実を知った上で焼き肉を食べにいくのは構わないでしょう 

肉食をするのが自由なら菜食をするのも自由 

 

個人的には昔から魚の方が好きだから、 

外食以外ではほぼ肉は食べないかな 

 

ハンバーガーとかも最後に食べたのはコロナ前だったと記憶してる 

 

=+=+=+=+= 

特に問題は無いように思うけどね。むしろ情操教育に役立つ。これをきっかけにフードロスとかを真剣に考える人も出てくるでしょうし。自分はベジタリアンもヴィーガンも否定しないしこれからも美味しく肉や魚を頂いていきます。 

 

 

 
 

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