( 203149 ) 2024/08/19 02:10:31 2 00 アラン・ドロンさん死去、88歳 仏俳優、「太陽がいっぱい」時事通信 8/18(日) 15:09 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/8c33d6e442d27efc461b262b72626dab4b2d1bae |
( 203152 ) 2024/08/19 02:10:31 0 00 フランスの俳優アラン・ドロンさん=1971年5月、撮影場所不明(AFP時事)
【パリ時事】「太陽がいっぱい」(1960年)など多くの映画に出演したフランスの名優アラン・ドロンさんが18日、中部ロワレ県の自宅で死去した。
【写真特集】映画スター アラン・ドロン
遺族が同日、AFP通信に明らかにした。88歳だった。「二枚目スター」の代名詞で、日本でも女性ファンをとりこにした。死因は不明だが、脳卒中で療養していたほか、リンパ腫も患っていたという。
35年、パリ郊外ソー生まれ。4歳の時に両親が離婚し、里親に育てられた。後年、仏誌パリ・マッチのインタビューで「不幸な幼少期だった」と振り返っている。17歳で軍に入隊。インドシナへ出征後、放浪の末に映画界を目指した。
57年、「女が事件にからむ時」で銀幕デビュー。ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」で、友人を殺し財産を狙う貧しい青年役を好演して一躍脚光を浴びた。「太陽はひとりぼっち」(62年)、「山猫」(63年)、「地下室のメロディー」(同)などでも主役級を担った。
一時ハリウッド入りしたものの水が合わず、フランスに戻って「冒険者たち」(67年)、「サムライ」(同)、「ボルサリーノ」(70年)などで男の友情や孤独、執念を演じた。「真夜中のミラージュ」(84年)で仏セザール賞主演男優賞を受賞。「危険なささやき」(81年)では監督も務め、俳優ジャンポール・ベルモンドさんらと共に仏映画界を代表する地位を確立した。
私生活では、俳優ロミー・シュナイダーさんとの婚約を解消、ナタリー・ドロンさんと結婚・離婚し、ミレーユ・ダルクさんと事実婚。女性関係は華やかで、晩年には連れ添ってきた日本出身の女性とドロンさんの家族が訴訟合戦を展開するスキャンダルもあった。
自身の名をブランドにした香水が人気を博すなど、実業家としても成功した。2017年に81歳で引退を表明。19年にカンヌ国際映画祭で長年の功績をたたえる「名誉パルムドール」を受賞後、脳卒中で手術を受けたことが明らかになった。最近は衰弱した様子が伝えられていた。
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( 203153 ) 2024/08/19 02:10:31 0 00 =+=+=+=+= 60年代のフランス映画を代表する大スターであり、イケメンの代名詞みたいな人でした。
最近、日本人妻と子供との間で財産相続をめぐる争いになっていると聞いていましたが、一応ご健在と知れて安心していました。
ご冥福をお祈り申し上げます。一つの時代の終わりを告げられたように感じています。
=+=+=+=+= 私の中では戦後たくさんの2枚目映画俳優がいましたがアランドロンは別格。他の俳優と違うのは魔性的な美しさ。あのブルーの瞳。生まれもユーゴスラビア出身でいろんな混血が混じったことが彼の美貌を引き立たせたと思います。瞳がブルーだと太陽の光、昼間、夜によって瞳の色が変わって時には、宝石のように輝くそうです。サムライ、太陽がいっぱい、黒いチューリップ、怪傑ゾロ、ジャンギャバンとの共演作などたくさんのいい映画作品残しました。D'URBANのCM、カッコ良くて映画みたいなCM、今では作れないでしよう。最初、ルックスだけの俳優と思い好きではありませんでしたが作品を観る度にアランドロン好きになりました。美貌だけではなく彼自身話していましたが素晴らしい作品、俳優、監督に恵まれましたね。最後の恋人が最近日本人女性と知ってビックリ。彼ほど世界中の女性を虜にし男性から羨望を受けた映画俳優今後出てこないでしょう。
=+=+=+=+= アランドロンさんといえば、フランスの二枚目俳優!私の親くらいの世代です。 笑点の番組の中で、小遊三さんがよく自分自身と被る?二枚目として「アランドロン」の名前を出していました。 正直、アランドロンさんの作品は見たことがないのですが、先月BSNHKで放送された「サムライ」を録画しているので、じっくり見たいと思います。
=+=+=+=+= びっくりです、私の世代では無いのですが、誰もが認めるホンマモンのイケメン、紳士と言った素敵な俳優さんでしたよね。昔の写真や、映像是非ご覧ください。ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 1970年代、アメリカ映画に並ぶほどの人気を誇ったフランス映画のスーパースター。本国ではベルモントの人気がすごかったらしいですが、日本では、マックィーン、ニューマン、イーストウッドらと共に人気投票のトップ常連。日本中をドロン旋風が席巻してました。特に日本で人気があったので毎年のように来日していたのでお馴染みの人でもあり、ポルナレフと並んで60代以上にはただただ懐かしい。
=+=+=+=+= 思わず声が出てしまった。 60年代フランス映画を象徴する人物だった。 現代の目で視ても、お洒落でカッコいい、その上で深みのある人物を演じられていた。 この時代のフランスは、ハツラツと輝いて見えた。 故人の業績に敬意を払うとともに、御冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 1960年代はフランス、イタリア、アメリカから沢山の音楽や映画が日本に入って来た最高の時代。 その中でも日本人を驚かせた美男子がアランドロンさんでしたね。 日本もそうですが海外も同じようにこの世代の有名人が亡くなっていく時代になってしまった事が残念でもあり感謝でもあります。
=+=+=+=+= 昔からの洋画ファンにとって、憧れのスーパースターです。60年代の映画はテレビで、70〜80年代は映画館で拝見させて頂きました。 80歳を過ぎた頃に引退を表明されてましたね。 80年代、当時の日曜洋画劇場のスポンサーがレナウンだったので、D'URBANのCMにアラン・ドロンさんを起用し、そのCMが特にカッコよくて、当時高校生位だった私は非常に憧れていたのを思い出しました。男のカッコよさを教えてくれた大スターに、心からご冥福をお祈り申し上げます
=+=+=+=+= 順送りとはいえ、やはりショックです。私が映画に興味を持ち始めた頃の俳優が、ちょうどアラン・ドロンさんと同じような年齢層の方たちです。元奥さんのナタリードロンさん、つい最近の例では、アヌーク・エメさんがお亡くなりなっています。分かってはいても、訃報に接すると喪失感が襲ってきます。意見は分かれるでしょうが、個人的には「サムライ」がアラン・ドロンさんの最高傑作ではないかと思っています。今晩は、サムライを鑑賞することにします。ご冥福をお祈りします。長い間、ありがとうございました
=+=+=+=+= 私の年代での外国人のハンサムボーイの代名詞がアラン・ドロンでした。 もう、88歳だったのですね。 今でも、素敵で 横顔は惚れ惚れするイメージしかありません。 時代は確実に動いていますね。 御冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= この俳優さんの作品で見せた銃捌き姿は一流。結構有名で、経歴が傭兵経験がある方で納得でした。カッコイイ姿の中にある非情さの演技は経歴から出ていたのでしょう。故三船敏郎と共演した西部劇のレッドサンでも感じさせてくれます。最近銃絡みで事件となりましたが、若かった頃を忘れられなかったのでしょう永遠の二枚目スターらしい方でした。
=+=+=+=+= 世界的なスターで2枚目の代名詞みたいな存在でした。実際にみた映画はそんなになくても名前を知らない人はいないでしょう。数年前に引退されましたから、体調も良くなかったのかもしれませんね。 日本では野沢那智さんが長年吹き替えをしていましたが、野沢さんはドロンの吹き替えは疲れると言っていたそうです。ノワール映画が多く渋い演技を求められるからでしょうか。ドロン自身は動物好きで気さくな人だったみたいですが、やはり永遠の2枚目イメージが付いて離れず、美しすぎるのも大変なんだろうなと思ったりしてました。 フランス映画の不世出のスターのご冥福を祈ります。
=+=+=+=+= 太陽がいっぱい。太陽の光が眩しい夏に逝かれたのですね。 フランス映画では個性的なアクの強い男性俳優。ジャン・ギャバンやジャン=ポール・ベルモンドなどが活躍していた時代。 美青年キャラは決して好意的な評価は得られませんでした。 主演作品の太陽がいっぱいをまだ知らない方はぜひ観てください。 美しい若者でした。 そしてあのテーマ曲は心に残ります。 日本で当時美男=アラン・ドロンでした。 ひとつの時代の終わり訃報を知ると過ぎ去る過去にふと胸がつまります。 ご冥福を祈ります。
=+=+=+=+= 太陽がいっぱい で魅せられました。映画音楽も大ヒットしました。 凄い二枚目で、日本ではかなり注目されましたね。 フランスでは、ジャン. ポール.ベルモントの方が人気があったそうですが、日本ではアラン・ドロンのほうが人気でしたね。 来日した時、Yシャツを沢山買い込んだとのニュースが印象的でした。 スーツのダーバンのテレビCMもしてました。 夫はそれで、ダーバンのスーツを新宿伊勢丹で購入しました。素敵なスーツでした。 夫婦で、アラン・ドロンは青春の1ページです。
=+=+=+=+= 『太陽がいっぱい』を90年代半ば頃に今はなき銀座シネパトスへリバイバル上映していた際に観に行きました。 スクリーンに映し出されたアラン・ドロンを初めて観た時これが世紀のフランス人大スターかと。 映画自体も初見だったので、衝撃でした。 何度観ても名作中の名作です。 BSで録画したいたものを、また追悼の意味を込めて観たいと思います。
謹んでご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 特に1950年代、1960年代に活躍した有名人の訃報を見ると昭和や20世紀がどんどん遠くなっていく感覚がする。ついにこの時が来てしまったという悲しさに襲われる。このアラン・ドロンさんの訃報は、10年前の高倉健さんや菅原文太さんの訃報と同じような感覚になった。
=+=+=+=+= アラン・ドロン、ジャンポールべモンド共にポケットに手を突っ込んで歩く姿は格好良い。 しかし日本の街中でポケットハンドが決まった姿はまず見かけない。 古い考えかもしれないが基本的にポケットハンドはお行儀が悪く、スーツ姿でもアウトローの雰囲気を匂わせる。若い頃の石原裕次郎だってそうだった。 紳士的な振る舞いを求められる士官を育てる兵学校でもポケットハンドは戒められていたと記憶する。
=+=+=+=+= 小遊三師匠の「いないいない、アラン・ドロン」、何か不謹慎ですがそれを真っ先に思いました。世界的有名俳優だから誰もがその作品や功績を知るのですが、ついに逝去されたと思うとき、同じ俳優は二度と出ないと確信もしました。心よりご冥福を祈ります。
=+=+=+=+= 大好きな俳優でした アランドロンは、「俳優には二つのタイプがある。アクターとコメディアン。コメディアンは、台本を読み込み役をどう演じるかを深く分析する。アクターはその人になりきる」みたいなことを言ってたことがあると思います。コメディアンは演劇の技術を学ぷ。アクターは自分の人生経験を投影する、と。 技術があればどんな役でもこなせる。経験を投影できる役は限られるという意味かと思いました。 そして、彼は自身を「アクター」だと。 貧しい環境に生まれ、兵役も経験し、その恵まれた容姿を買われた俳優。しかし、容姿だけではない「人生」を演じることができた。カッコいいとしか言えない。安楽死を望んでスイスに移住したと思うが、どんな最期だったのだろう? 合掌
=+=+=+=+= 1960年代はフランス、イタリア、アメリカから沢山の音楽や映画が日本に入って来た最高の時代。60年代のフランス映画を代表する大スターであり、イケメンの代名詞みたいな人でした。私の世代では無いのですが、誰もが認めるホンマモンのイケメン、紳士と言った素敵な俳優さんでしたよね。その中でも日本人を驚かせた美男子がアランドロンさんでしたね。最近、日本人妻と子供との間で財産相続をめぐる争いになっていると聞いていましたが、一応ご健在と知れて安心していました。昔の写真や、映像是非ご覧ください。ご冥福をお祈りいたします。ご冥福をお祈り申し上げます。日本もそうですが海外も同じようにこの世代の有名人が亡くなっていく時代になってしまった事が残念でもあり感謝でもあります。 ひとつの時代が終わったわ
=+=+=+=+= フランスの俳優さんだが 日本での人気も凄かった。 外国の美男子といえば ジェームスディーンさんかアランドロンさんでした。
アイドルの歌謡曲の歌詞に男前の代名詞として出てきたり 漫才師さんにも 横山アランドロンさんってコンビがありました。 当時 子供でしたが 紳士服のCMや自動車のCM 今でも記憶しています。
ご冥福を心より お祈りいたします。
=+=+=+=+= 昔、洋画にはまってロードショーやスクリーンを毎月購入していた。男優、女優の人気投票があって女優はオードリーヘップバーンがずっと1位でその後トレーシーハイドが1位となった。男優はポールニューマンやクリントイーストウッド、スティーブマックイーン、チャールズブロンソン等大人気の俳優がたくさんいたが、1位の座は何年もアランドロンが君臨していた。太田裕美の「アランドロンと僕を比べて~」とか榊原郁恵の「アランドロンのマネなんかして~」とアイドルのヒット曲に名前が出てくる大スターだった。テレビ各局が洋画番組を持っていた頃は、スターが亡くなると追悼番組として各局がその俳優の映画を特番として流してた。近年は洋画をテレビで流すことがないからアランドロン追悼番組もないのだろうなあ。
=+=+=+=+= 老人ホーム勤務です。うちの施設では石原裕次郎好きな方々が多数。その中、一名、私はそうでもない、という方がいて、じゃあ誰が好きですか?と尋ねたところ アラン・ドロン、とのこと。もう数名裕次郎よりアラン・ドロンという方がいてそんな方はどことなくちょっとおしれゃな方が多いように感じていたところでした。 私はなんとなくフランスのイケメンの俳優さんという認識で、すでに亡くなられた方かな、と失礼ながら思っていました。 明日皆さんに伝えたら悲しむだろうな。
=+=+=+=+= 映画自体の話題より「イケメン」のキーワードでの知名度が 大きかったと思います、当時の日本人の憧れやや外国人への 畏敬の念のあった時代の代表的存在であったと・・・・。 自分自身も会話の中でアランドロンのようにという会話を していたように思います。 「太陽がいっぱい」は男前の男性の野望を描いていましたが とても危なげで魅力的な男性を旨く演じていました。 アランドロンの名前の響きがとても心に残っています。 一時代の終わりでしょうね。 ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= アラン・ドロンは、私の研究対象である森茉莉が愛した俳優です。彼女の美男子の根底には、アラン・ドロンがいます。作品にも、アラン・ドロンモデルにした登場人物がいます。間違いなくアラン・ドロンは美男子の代名詞でした。私は世代ではないため熱狂的なファンではありませんが、森茉莉を通じて彼の「美しさ」を永遠に愛し続けます。 御冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= イケメンの代名詞と言えばアランドロンさんでしたね。 二枚目っていうのはこういう人なんだろなって本当に雲の上存在。 映画は「太陽がいっぱい」がなんと言っても有名で名作ですが、私は「ボルサリーノ」も大好きで、ジャンポールベルモントとの豪華共演も良かったなぁ。映画のラストで白のスーツで颯爽とした姿が眩しかった思い出があります。 真夏の眩しすぎる地中海の太陽の季節に、溢れるような色気。それが似合う俳優さん、稀有な存在でした。 また「太陽がいっぱい」や「ボルサリーノ」を映画館の大画面で見ること出来たら。そしてアランドロンさんの訃報を聞いた時から何か夏の終わりも感じたりもします。
=+=+=+=+= 「太陽がいっぱい」からの大ファンでした。「サムライ」以降主にフィルムノワールで活躍され、「シシリアン」「暗黒街の二人」等も好きでした。紳士服ダーバンのCMに出演され当時高額だったにも関わらずスーツを購入した記憶ががあります。 とにかくハンサムの代名詞でした。 長い間楽しませて頂き本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さい。
=+=+=+=+= 出川哲朗さんが以前番組の企画で手を振って頂き感動されていました。子どもの頃からの大ファンだったそうです。 世代ではありませんがとても端正な顔立ちのイケメンだったそうですね。 出川さんの心にも多くのファンの心で生き続けて頂きたいです。
=+=+=+=+= アラン・ドロンさん。 代表作「太陽がいっばい」と同じような真夏のギラギラした季節に88歳で旅立たれました。 特に団塊の世代にとっては、憧れの存在でした。 ダンディでブルーアイのイケメン。 出演された映画はほとんど観に行きました。 青春の思い出です。 特に夫は、アラン・ドロンのファンで、彼がイメージキャラクターの紳士服のCMに感化されて、何着も購入したことをフッと思い出しました。 遠く日本からアラン・ドロンさんの御冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 映画が大好きで高校生の時は、名画座に通って古い映画を観て雑誌のロードショーやスクリーンを毎月購読してました。アランドロンは、太陽がいっぱい!でなんと美しい男性なんだろうと胸が切なくなり大ファンになりました。日本に来られた時もニアミスで逢えずで残念な想いでがあります。フランス映画・・銀幕の大スターで本当に素敵でした。心よりご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 数年前に亡くなった母が若い頃好きだったアラン・ドロン。当時は「美男子」の代名詞のような方でしたね。 「冒険者たち」「山猫」「サムライ」「太陽がいっぱい」…などなど数々の名作に出演して、私たちに強烈な印象を残しました。 単なる2枚目ではなく、そこはかとない暗さや憂いを含んだ俳優として、この先も記憶に残り続けることでしょう。 ご冥福をお祈します。
=+=+=+=+= 稀代のハンサム男優さん。 アラン・ドロンさんの作品は沢山観ました。 ハンサムだけど、どちらかとゆうと悪役が多い印象。 地下室のメロディーやボルサリーノとか大好きな作品でした。 主役じゃないけど、山猫のタンクレディ役はとても魅力的な若者を演じてよかった。 まぁ、語り尽くせないほどの作品がありましたね。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= ビストロSMAPに出演した際にリップサービス、忖度を完全無視の率直コメントをされていたのが強く記憶に残っています。世代的に俳優としての彼をよく知らないのですが、大抵テレビで料理を食べる時は、美味しいというものですが自分の意見をスパッという姿に衝撃と感銘を受けました。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= リアルタイムで見たわけではないが、アラン・ドロンが出演した映画はヨーロッパ映画の傑作で、主演のアラン・ドロンは燦然と輝くスターだった。なので、特にここ数年は彼が生きていることさえ不思議な感覚があった。「太陽がいっぱい」「山猫」「冒険者たち」これらは1960年代の世界であり、そこでドロンは輝いていたのだから。晩年はドロンにとってもしかしたら耐え難いものだったかもしれない。かつての栄光は生きながらえるたびに色褪せて、架空のものになっていく感覚。彼ほどこの悩みに長期に苦しんだスターはいなかったであろう。今ようやくその鎧を外した。冥福を祈ります。
=+=+=+=+= ハンサム 今で言うイケメンの代名詞はアラン•ドロン! でも、イケメンって どこかちょっと欠点があっても 総体的にはカッコ良いの、 概念ってあると思いますが アランドロンは断然 ハンサム!です! 映画を観ると どの角度から見ても完成された美形です。 当時演技はイマイチと揶揄された時もありましたが 改めて映画を見るとやっぱり演技派で、 芝居も上手でした。 私もいつかあの世に行ったら 逢えるかもしれないので、 楽しみです。
=+=+=+=+= 私が生まれる前の映画だが、「太陽がいっぱい」や「友よさらば」や「冒険者たち」といった映画を観ました。古き良きフランスって感じで憧れました。 明日から連休なので観ようと思います。 この映画を観るとフランス語で理解したくなって、アテネフランセのパンフレットとかもらってくるのですが、やはり一歩踏み出すのが重くて、自転車をこぎ始めて、公園の端から端までこぎきるにはどうしたら良いかと悩んでしまいます。 ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 日本でも高い人気を集め間違いなく一時代を飾った俳優ですね。 つい最近「太陽がいっぱい」を再鑑賞したばかり。25歳の頃の作品。 端正で、ある意味美貌ある横顔に秘めた野心や欲望を破滅的に描いた ルネ・クレマン監督の傑作です。 ニーノ・ロータの哀調ある音楽も素敵でした。 破綻して行く完全犯罪はまるで心理劇の様な魅力もあります。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」や「山猫」等の文芸作品 にも出演し本国では二枚目と言うより演技派として評価されました。 「ショック療法」ではオールヌードを披露し話題を集めました。 「さらば友よ」の様な硬派な役から甘い恋愛物までオールラウンドに演じ、 類稀な名優だったと思います。度々来日し親日家でもありましたね。 心よりご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= アラン・ドロンさんは世紀の二枚目として一斉を風靡しましたが、2018年にNHKBSプレミアムで放送された独占インタビューで拝見した彼も、良い歳の取り方をされていて素敵で、ラストメッセージが心に響きました。
「太陽がいっぱい」は、マット・デーモンさんの「リプリー」や、韓国ドラマ「ミス・リプリー」などリメイク版が出ていましたが、本元の映画を思い起こしながら試聴したものです。
以前、黒柳徹子さんがお話しされていたアラン・ドロンさんとのドキドキエピソードは、本当に興味深かったです。
私たちを魅了させてくださったアラン・ドロンさんのご逝去、大変胸が痛みますが、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。
=+=+=+=+= ジェームス・ディーンと並んで「ハンサム」と呼ばれる銀幕のスターといえばアラン・ドロンでしょうね 「太陽がいっぱい」を観たことがない若い世代の方たちでも映画の題名ぐらい一度は聞いたことがあるのではないでしょうか? 稀しくもフランスでのオリンピックが開催され、閉会直後に人生の閉幕とは 最期まで大スターで人生のエンドロールを飾られたと思います 心よりご冥福をお祈りいたします
=+=+=+=+= 「太陽がいっぱい」、「サムライ」、「冒険者たち」と並んで私が好きなのは、「エアポート'80」です。ドロンさんの操縦するコンコルドが、撃ち落とすために発射されたミサイルをかい潜って生還するシーンが大好きです。最高にカッコよかったです。この映画、CGが今一つであまり話題にはなりませんが、今でもDVDでよく見てます。それにしても、残念です。生前の名作・名演技に感謝します。
=+=+=+=+= 単なる二枚目俳優ではなく日本人の美男子概念を変えた方です。 それまで「歌舞伎役者の様な」厳つい顔が主流であった美男子の定義に大きな目にクッキリした二重瞼、高くすっきりした鼻、薄い唇、全体に甘い配置の美男子概念を付け加えた人。 何処かアランドロンに似た部分が有ると美男子に位置付けられ、 アランドロン似と言うだけでイケメンと表現するよりリアルに美男子である事を伝えられるそんな人でした。 今でもある部分は踏襲されていると思います。 是非若き日の彼をご覧ください。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 当時イケメンという言葉はなかったけれど、世界でも有数の美青年?handsomeというか、”絶世の美男”といわれ、美形のなにかの例えといえば”アラン・ドロン”と出てくるほどの世界的大スターだった。 映画「太陽がいっぱい」は彼の代名詞となる作品で、いま観ても色あせることなく人々の心をぐっと引き寄せるだろう。もう88歳になられる方だったんだね。 生前の功績を讃え、謹んで故人のご冥福を祈ります。
=+=+=+=+= アラン・ドロンやジャンポール・ベルモンドが活躍した60〜70年代はフランス映画の絶頂期だと思う。 人間ドラマとスリリングな展開がくり広げられるフレンチフィルムノワールは、今観ても色あせない面白さ。 最近はリュック・ベッソンがいるが、やはり彼はハリウッドの焼き直しで、この頃のフランス映画のオリジナリティには及ばないんだよな。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 父が大の映画好きだったので、幼い頃からアラン・ドロンさんは知っていて、なんて美しい人なんだろうと思ってました昨年彼の古い映画を見て、改めてこんなに品がよくて美しくてハンサムな人は今いるのかな?って思いました。生まれ変わったら又アラン・ドロンになって欲しいです
=+=+=+=+= 「太陽がいっぱい」「サムライ」「冒険者たち」「地下室のメロディー」「さらば友よ」…立ってるだけで絵になる男とはこの人のことを言うのだろう。正真正銘の「映画スター」としてスクリーンにその姿を焼き付け、そして観る人の心に焼き付いた。よく「ダーバン」のCM出演を受諾したものだ。 先日のジーナ・ローランズもだが、亡くなってもスクリーンでは永遠に輝き続けてくれる。まだその作品を見ていない方々も少しずつ探してみて、なぜここまで名の残る存在になったのか是非とも自らの目で納得してみてください。
=+=+=+=+= アランドロン、ど真ん中の世代です。
自分も歳をとり、端正で出来上がり過ぎた顔は、今ではあまり好きになれません。 しかし、青春真っ盛りな頃、嬉しかった時、悲しかった時、「太陽がいっぱい」の映画音楽で癒されたでしょう。
「太陽がいっぱい」ばかりではありません。何度も映像を見たのは、「冒険者たち」です。 バックに流れる音楽を今でも時々聞きます。ありがとう。心よりご冥福を祈ります。
=+=+=+=+= 小学生の時にテレビで太陽がいっぱいを拝見しました
小学生の私にでも名曲と共に映るはらはらさせられる話しの展開に夢中にさせられ、青年のアラン・ドロンがすごく素敵だった事を記憶しております
昭和40年から50年頃はテレビで映画の放映が毎日のようにされていましたので 昔のハリウッドやフランス映画もたくさん見る事ができました
アラン・ドロンさんのご冥福をお祈りいたします
=+=+=+=+= 彼ももう米寿になられてましたか。 地下室のメロディーのお洒落でクールな演出で彼の世界にはまり、怪傑ゾロの痛快なヒーロー像に一喜一憂し、暗黒街のふたりで人間と言うもののせつなさと不条理を痛感させられました。 それぞれの作品に共通する、落語のオチにも似た強烈なラストシーンの重みも含め、私の人生にいつも大きな影響を与えてくれる人でした。 長い間ありがとう。どうか安らかに。
=+=+=+=+= 映画太陽がいっぱいの中の真夏の太陽のようなギラギラとした激しさを秘めた瞳の青年が忘れられない。 甘いマスクに隠した卑屈なまでの反逆心と攻撃性。 そしてあのラストの己の手にかざした太陽の日差しの中で迎える結末。 見終えてなお身体に残る真夏の日差しに焼かれたような気だるさ。 全てはアラン・ドロンだからこそ名画となったように思う。 さらば友よも素晴らしい映画だった。 また一つ時代が終わったように思う。 御冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 「太陽がいっぱい」の印象が強すぎて、他の映画を思い出せないくらいです。 20年ぐらい前でしょうか。来日して、SMAP×SMAPに出た時、ずっとお酒を飲んでいて、番組の進行は全くおかまいなしの酔っ払いで、ちっとも紳士じゃなかったのが、逆に親しみを感じさせました。 ご本人が亡くなっても、素晴らしい作品はずっと生き残っていくと思います。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 俳優になる前の若い時にフランス海軍に入隊し第一次インドシナ戦争に従軍 スターになってからの作品に自分が従軍した戦争を描いた反戦アクション『名誉と栄光のためでなく、Lost Command』があり勿論フランス人役ですがアメリカ制作の映画で台詞も英語でした。 私も少年時代ドロンの活躍を知ってる世代で日本でとても人気がありよく来日してました。故人のご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 美男子の代名詞のような存在でしたね。アイドル歌手として活躍した榊原郁恵さんの楽曲ではタイトルや歌詞にまで二枚目の代名詞として実名で使われていたほどです。和製ナントカと称する宣伝文句が流行った時代でも流石に和製アランドロンだけは有り得ない別格、雲の上の人みたいな存在でした。古き良き時代がまた遠くなりました。心よりご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 初めて若い頃のアラン・ドロンさんの写真を見た時は思わず息を飲みました。この世にこれ程のイケメン、男前がいるのかと驚きでした。そりゃ世界的な大スターになるわ、と納得したものです。フランス映画の顔として、お元気なら今回のパリ五輪の開会式で必ず登場するかなと期待していましたが姿が無かったのでやはり高齢で健康上無理なのかなと思いましたが。名作「レッドサン」は良い思い出です。
=+=+=+=+= 1970年代に、当時小学生だった私も知っている二枚目(イケメンという言葉は好きでありません)スターでした。生まれつきの端整な顔立ちでしたが、それに反発したいのか「40際になったら自分の顔は自分のものである」と言っていたのを記憶しています。確かに甘いロマンスのヒーローでは無く、中年の渋い役としても良い味を出すようになっていました。
=+=+=+=+= アラン・ドロンさんといえば、日本で1番知られているのはダーバンのCMかなと思います。アラン・ドロンさんのカッコいい映像の数々の最後にアラン・ドロンさんがフランス語で「ダーバン………」と言って終わるのですが、何と言ってるのかと話題で溢れた時期もありました。 「太陽がいっぱい」は主役のアラン・ドロンさんが友達の大富豪の息子を殺して、彼になりすまして、更なる時間もお越しながら逃げ切れるかと思いきや最後に衝撃の展開がというところで終わる映画ですね。この後どうなるかは誰もが同じような結果を予想すると思いますが、見た人が決めて下さいという映画でした。主題歌はなく、そのテーマ曲が日本でもかなり流行りました。 アラン・ドロンさん正に元祖イケメンの素敵な方でした。天国でゆっくりお休み下さい。
=+=+=+=+= ご冥福をお祈りします。フレンチダンテイズムを映画を通して教えて頂き有り難うございました。ボルサリーノが私はお気に入りで、ボルサリーノ2のエンディングで「続く」とあって「3」を楽しみに当時してました。引退後にDiorの香水ポスターに出ているのをパリで見る機会がありましたが、フランスでもまだまた人気があるんだと思いました。来日も何度かしており、一度見る機会がありましたが、オーラが凄かった事を覚えています。パリオリンピックが終わり、命日となりました。映画を好きになるきっかけをくださり本当に有り難うございました。家にある60本位のDVDを今日から順番に見て行こうと思います。
=+=+=+=+= 1990年23歳の時、友人とパリにアランドロンのディナーショー付きと言うツアーに参加しました。 名前は知っていたけれど、あまりそのディナーショーには興味が無かったのですが、記念写真を撮影と言う事で、写真を撮るグループの中で一番若かった友人と2人に指名がかかり、アランドロンの両側に腕を組んで座り撮影して頂きました。その時に、なんて素敵なおじさまだろう。と胸がキュンとして一瞬で心奪われました。
=+=+=+=+= 「太陽がいっぱい」のラストシーンは衝撃的でした。天真爛漫とも言える笑顔とスクリューに巻きついた死体が引き上げられる映像の対比は圧巻でした。「冒険者たち」も最後の要塞でのシーンが印象的でした。二枚目俳優の代名詞みたいな感じでしたが、難しいキャラクターを見事に演じる演技力は素晴らしかったと思います。
=+=+=+=+= 昭和の時代は名画座全盛期で、2本立てや3本立てで安く映画が観れる映画館が都内に沢山ありました。「冒険者たち」は確か「勝手にしやがれ」目当てに観に行った時の併映で観たのが最初だったが、「冒険者たち」の方に心を奪われてしまいました。フランソワ・ド・ルーべの美しい音楽とラストシーンは自分の永遠の宝物です。リノ・ヴァンチュラさん、アロン・ドロンさんとこの世を去り、ついにジョアンナ・シムカスさん一人になってしまいました。聞けば80歳とのこと。ご健勝をお祈りしております。
=+=+=+=+= 同年代俳優では本国ではJ.P.ベルモンドの方が圧倒的人気で俳優としての格も上だった。所謂イケメン大根役者のように言われていたが若い頃のルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」を10年ほど前に見て演出と脚本さえ良ければちゃんとした演技ができるのだと見直しました。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= アントニオ・バンデラスのマスク・オブ・ゾロを見て、アラン・ドロンのゾロを知りました。アラン・ドロンの時代でなかったので、格好良さが分からなかったのですが、ゾロを見て納得しました。マスクから覗く青い目が素敵で色っぽく、世界中の女性が夢中になったことを理解しました。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= ちょっとだけ世代がズレている為「太陽がいっぱい」を最初に見たのは小学生のころTVでの放送ででした。 子供故に主人公の心情への理解は少し届かなかったが、物語のサスペンス感とそれを象徴する映像と音楽にとても引き込まれました。 サインの練習をするシーン、ラストの船を上げるシーン。とても印象に残っています。 他に「ボルサリーノ」「友よさらば」「地下室のメロディー」「アランドロンのゾロ」「山猫」あたりが彼の出演作の好きな映画でした。 ご冥福をお祈りいたします。
「燃えよドラゴン」で一世を風靡したブルース・リーの登場により映画雑誌の人気投票の1位が入れ替わってしまったが、それまでずっとアラン・ドロンが1位というとんでもないことが続いていた時代です。 人気の凄さがわかります。
=+=+=+=+= 生まれ持った男の色気で生きて来た人と思いきや、若い頃はかなりご苦労されていたのですね。個人的には眉間にしわを寄せた厳しい表情に人生の重みを感じました。マフィアとの関連もささやかれていてダークな部分もまた妖しさに磨きをかけていたように感じます。 この方もまた不世出の俳優さんだと思います。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= ああ、ついにアランドロンも鬼籍に入りましたか。世紀の二枚目俳優として フランスのみならず、日本でも圧倒的人気を誇っていましたね。よく来日も してくれました。ファンを大切にする人間性も人気の要素だったですね。 バート・ランカスターと共演した「山猫」が、一番好きな作品でした。 野心の塊のような青年貴族を輝くばかりの美貌と戦闘力でのし上がろうとする 役柄がピタっとはまっていました。ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 男前の代名詞、我が家にも父が買ったであろう「太陽がいっぱい」のシングルレコード、ジャケットにはヨットを操舵するアラン・ドロンの有名なビジュアルが。 「タータータタータータータタ…」主題歌はいつでも頭に蘇る。
フランス五輪の閉会式を彩った世界的スターの中にフランス人はいなかった。 でも確かにフランスがカルチャーの核心地にいた時代があり、その代名詞と言えるスターだった。
=+=+=+=+= 私は40で、親から話を聞いて知りましたが、本当にアラン・ドロンは美男子でした。 『太陽がいっぱい』等翳りのある役が多かったですが、『アラン・ドロンのゾロ』のような快男児も面白かった。
不世出、そして絶世の最後の美男子と言っても過言ではありません。 ギリシャ彫刻のようなスタイルと美貌、そしてあの美しい青い目に、心を奪われました。 生まれついた美貌。 男性として、俳優として魅力的。 離婚はしたが多くの女性と浮き名を流し、富と名声を得た、最強の男性。
しかし、パートナーだった日本人女性と子供達との間で醜い争い。 長男アントニーは父アランを憎んでいるとも聞きました。 果たして、介護していたヒロミさんと子供3人の今後はどうなるのか。
今日実家で父にアラン・ドロンのスキャンダルを話したばかりで、 大変驚き、そして悲しいです。
アラン・ドロンは、私にとって永遠に美しいかっこいい男性です。
=+=+=+=+= ギャングや若いなよなよした役、ジプシー役などもこなし、とにかくかっこよかった。スーツのCMでも彼の着こなす姿に憧れ、大人になったらダーバン買おうと思っていた(大人になったらすっかり忘れていたが…)。晩年はずいぶん頑固爺さんのような言動もあったようだが、紛れもなく子供の私にとっては憧れた方のお一人でした。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 私はアランドロンさんは今でも一番ハンサムだと思っています。 数々名作を観てきました。 改めてフランス映画って昔は名作が多かったと思います。 代表作は太陽がいっぱいで、世に知らしめた作品。 今すぐ出てくる映画作品で、さらば友よ、ボルサリーノ、冒険者たち、地下室のメロディ、シシリアン、暗黒街のふたり、高校教師、世にも怪奇な物語、友よ静かに死ね、レッドサン等々。 ご年齢的にしょうがないですが、残念です。 ご冥福をお祈りします。 今まで楽しませてくれてありがとうっていいたい。 アランドロンさんの作品は何度も観ましたが、作品は永遠に残りますのでこれからも楽しませて頂きます。
=+=+=+=+= びっくりです!つい1週間前にドロンさん主演の「怪傑ゾロ」を配信動画で観たとこでしたから。「フランスイケメン俳優」のハシリとも言える方でしたね。日本でもいろんなCMに出られてました。「D'URBAN」や自動車の「カペラ」などが有名でした。奇しくもパリ五輪終了後に逝かれるとは、ドロンさんらしい粋な演出だな感じました。御冥福をお祈り申し上げます。素敵な俳優さんでした。
=+=+=+=+= アランドロンも遂に天に召されたか。ただの二枚目ではなく、演技力も抜群だった。太陽がいっぱいで人気出たけど、その後ハリウッドへも渡ったが、水に合わなかったね。この人は主役やってても、ブロンソンと共演した(さらば友よ)やアメリカ俳優のリチャードクレンナ(リスボン特急)等相手役の魅力を引き出す等、不思議な俳優だった。男性にも人気が有り一時期、日本でも年間 3〜 4本公開された年もありましたね。私の好きなスティーブマックイーンと生まれ育ちも似ており、若き日に軍隊で戦争の経験もあった。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 好きな作品は幾つもあるが、 冷静な判断をすると、世界のプロが選ぶ映画ベストランキングに入る名作では、ヴィスコンティの『山猫』と『若者のすべて』、アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』、メルヴィルの『サムライ』と『仁義』、クレマンの『太陽がいっぱい』、ロージーの『パリの灯は遠く』があり
この他の作品は、名作ランキングに選ばれた例は皆無に近いが、『冒険者たち』はロベール・アンリコの代表作かもしれない
=+=+=+=+= アランドロンさん、今風にイケメンと表現するには、あまりに美しく手が届かない、正に銀幕の貴公子でした。還暦過ぎの私が子供時代に、母が大好きだった俳優さん。太陽がいっぱいの不幸な過去を背負った影のある美青年は、アランドロンさんでなければ演じることができなかったと思っています。後年のリメイクされた作品は、あまりにも違い過ぎました。フランス語に憧れて勉強し、10年程前にNHKがアランドロンさんにインタビューをした番組での彼のフランス語が理解できた時の嬉しさが忘れられません。日本のファン向けにゆっくりと美しいフランス語を披露してくれました。最近の日本人妻を名乗る女性との関係は、真実だったのかな?私には、手の届かない永遠の貴公子ですね。ご冥福をお祈りします
=+=+=+=+= 渋い2枚目で忘れ得ぬ俳優さんでした。いまでも太陽がいっぱいの映画メロディーはクッキリと映像と共によみがえります。私はこの映画で損得勘定で生きる人生ではなく心で生きる。気持ちで活きる。このような人生の価値観を感じていたものです。 オードリー・ヘプバーンやアラン・ドロンなど 日本人に近い感性を持つ俳優にはあこがれたものです。ご冥福祈ります。心で合掌。
=+=+=+=+= 昔、入った喫茶店に、アランドロンが座られた席、と言う貼り紙があった。 へぇーと驚きと共にこの光景をご覧になってたのかと満悦。 十数年後?に通りすがりに見ると、店主が変わったようで、建物の雰囲気も、職種も変わったものに。一期一会なんだなぁと訃報を知って、淋しくなった思い出が蘇りました。
=+=+=+=+= アラン・ドロン、すでに88歳に成っていたんですね。母が好きな俳優さんで「太陽がいっぱい」のVHSを借りて視聴した事がありました。とても素晴らしいスリリングなストーリー、特にラストシーンが印象的でした。これに似たストーリーで後に故 萩原健一さんが「青春の蹉跌」で見事な演技を見せてくれました。とても懐かい作品で今回の訃報を知り、真っ先に頭に思い浮かびました。安らかに眠って下さい。
=+=+=+=+= 特に日本で人気のあったアランドロン。日本では2枚目とアランドロンは同意語でした。 アランドロンと言えばD'URBANのCMを思い出す、そして太陽がいっぱいのポスター。 社会人となりスーツ買った記憶が。そのぐらいカッコ良かった。 いっぱい名画座で観させてもらいました。
当時、中学や高校とお金無い時に二番館、三番館をハシゴしてました。 私は当時ロバートレッドフォードファンでしたが、スティーブマックイーン、ポールニューマンら名優の映画をたくさん観れた。 多感な時期にフランス、イタリア映画もいっぱい観れて良き時代、良き青春でした。 ありがとう。
=+=+=+=+= ご冥福をお祈りします。ほとんどの映画を観たな~ストーリーというよりアラン・ドロンの顔を見ている感じ。好きな映画は太陽がいっぱい、サムライ、冒険者たち、シシリアン、暗黒街のふたり、ジャン=ポール・ベルモンドと共演のボルサリーノ、チャールズブロンソンとの「さらば友よ」はかっこよかったな。主な女性もロミー・シュナイダー、ナタリー・ドロン、ミレーユ・ダルク。マルコビッチ事件では苦労したね。沢山楽しませてくれてありがとう!天下の二枚目スター!
=+=+=+=+= 小学生のころ、1971年にダーバンのCMが始まり、夢中でしたね。子ども心にかっこいい。淀川長治さんが解説していた日曜洋画劇場枠。週に一度、そして番組内で何回か。映画より見逃さないようにしていた。そのうち中学生になってから映画館に通い、ボルサリーノとか、暗黒街のふたり、などなど。太陽がいっぱいや冒険者たちを最初に観たのは日曜洋画劇場だったかな。何年か前にジャンポールベルモンドさんが亡くなって、アランドロンさんの病気も伝わっていたので心配していましたけど、ついにその日が来てしまったかという感じ。映画を再見して、しのびたいと思います。
ダーバンのCMは本邦初、外国人俳優を起用したものだったと何かで読んだ。シリーズで10年続いたようです。YouTubeにとても高画質な映像が何本も出ています。かつての制作関係者がアップしたのかなと思うほど。ダーバン、何それ? という方はぜひ。
=+=+=+=+= イケメンという言葉が登場するまで使われていた「美男子」の象徴だった人。ロードショーなどの映画雑誌の人気投票では必ず1位で、日本のCMでもダーバン他多くのコマーシャルに登場していた。親しみやすいというより憧れの人だった。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 二枚目(今は死語か。少し前はハンサム、今でいえばイケメン)俳優の代名詞みたいなフランスを代表するような俳優さんでしたね。 全作品を見たわけではないですが、出世作で代表作である「太陽がいっぱい」、リノ・ヴァンチュラ、ジュアンナ・シムカス共演の「冒険者たち」、孤独な殺し屋を演じた「サムライ」が個人的にはベスト3です。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= アランドロン代表作といえば「太陽がいっぱい」ですが、ビィスコンティ監督の「山猫」の野心あふれる青年タンクレディ、「若者のすべて」のロッコもすばらしかったです。老いの残酷さに安楽死を望んでいるというニュース、日本人の内縁の奥さんを子供たちが嫌ってトラブルなっているというニュースに、胸が痛んでいましたが、昨年のクリスマスに息子さんたちと元気な様子の写真がニュースになってほっとした記憶があります。 多くの人が彼に感動と勇気をもらったと思います。今夜は「山猫」を見つつ、安息をお祈りします。
=+=+=+=+= 母と同年代で私はリアルタイムで映画を観たわけではないけど、彼の若い頃の美男ぶりは右に出る者はいないと思う。里親、インドシナ出征経験からくるのか、美男だけど暗い瞳がゾクッとする色気を放っていた。実生活でも暗黒社会との繋がりが噂されていたが、日本も欧米も昔の芸能は多かれ少なかれ持ちつ持たれつ共存していたのでしょう。 近年は現パートナーと子供達が諍いを起こし、晩年を汚したな...と悲しく思います。
=+=+=+=+= またレジェンド級の大スターが亡くなりました。 ワシにとってのアラン・ドロンの思い出は何と言っても チャールズ・ブロンソン、三船敏郎と共演したレッド・サン。 シネラマでやってたけどチビだったんで連れてってもらえず 数年後テレビ放送で見ました。 憎たらしい卑怯者の盗賊のボス役がハマっていて最後まで卑怯者 だが撃たれて命乞いの中ダメ押しを喰らって死ぬ。 アラン・ドロンだからカッコ良かった。 浜村先生も寂しく思っているでしょう。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 先月から今月にかけて2回連続くらいでドロンの日本人妻のインタビューが掲載されていて、まだ本人は生きていると思ったら亡くなられたか。 この人が美男子の代名詞で、日本に何回も来日していた時代には、日本の二枚目俳優で背が高い人は「和製アラン・ドロン」というニックネームで呼ばれることが多かった。代表例は草刈正雄と沖雅也だろう。 世紀の二枚目で映画全盛期のスターといえば、ロバート・レッドフォードくらいになってしまった。長生きしてほしい。
=+=+=+=+= 美しい方でしたが、女性関係はかなりひどく、少なくとも結婚するべきではない人だなという印象。後年の日本女性とのトラブルが嫌な印象ですが、そもそもロミー・シュナイダーとの破綻からして彼女を不幸にしたイメージが強い。彼女の後半生は美しい演技とともに不幸の影がつきまとっていたが、その種を蒔いた感じがすごくした。
=+=+=+=+= 学生時代、第二外国語でフランス語を選択していたのだが、用例文に ‘Alain Delon’ という単語が出てきて、「ん?何のこと?」と一瞬思ったのだが、これこそが、あのアラン、ドロン氏の綴りなのだと気が付いて、いたく感心したのを思い出す。
またフランス語を少し齧ると、フランソワーズ・モレシャンさんの日本語がなぜあのリズムと抑揚なのかにも合点が行ったのも懐かしい思い出。
=+=+=+=+= 年齢的には相応なんだろうが…最近も日本人妻からDVを受けたとか自宅から大量の銃が発見されたとかニュースはあった。太陽がいっぱいは唯一無二出して、1960年代、70年代の二枚目の筆頭のような俳優だった。二枚目が災いして映画俳優としての評価はそれほどでもなく本当はもっと高く評価されていい俳優だと思う、SMAPの番組に出演した時も彼らが子どもに見える二枚目ぶりだったなぁ。心からご冥福をお祈りいたします。天国で三船やブロンソン、ジャンポールと会えるといいな…。
=+=+=+=+= カッコいいというよりも、ほとんど笑わないのでシブイという表現の方がよく似合っている俳優さんでしたね。 フランス映画というのは、かつて栄華を極めた頃があり、その後ハリウッド映画の影に隠れていきましたね。 フランス映画というのは、単に娯楽で見るような映画ではなく、美しい風景と共に、人と人との感情だとか、やるせない気持ちだとか感情移入するような映画なので好みも分かれるのでしょうね。 アラン・ドロンと言えば、日本人にも人気があり、現在のトム・クルーズよりもイケメンだったと思う。 感動する映画を、ありがとう! ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 昨年、自宅に隠しでた大量の実銃を警察に摘発されたニュースでビッグガンの健在を懐かしく、頼もしく感じてたから残念です。
映画で好んで使用した1911の扱いの巧みさは、50歳で早逝したスティーブ・マックィーン同様、使い慣れた自然な所作でカッコ良かった。
ボルサリーノで共演したジャンポール・ベルモントは早くに亡くなりましたが また子供時代のヒーローが召されてしまいました。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 日本では稀代の二枚目俳優として一世を風靡していたけど、本国フランスでは割と性格俳優的なポジションだったと聞いたことがある。 それこそフランスではベルモンドこそがそういう位置だったとも。 二枚目目は二枚目でもこの方の場合は、相当な悪ガキだったそうで、インドシナ戦争にも従軍していて(たぶんそこで人を殺めている)、上品な顔立ちとは、反対にいい意味でワイルドでもあったそうな。
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