( 203219 ) 2024/08/19 15:42:02 2 00 心が女であれば女湯に入っていいのでしょうか?銭湯が拒否したら差別になりますか?…広島高裁「手術なし性別変更OK」の衝撃、弁護士の見解みんかぶマガジン 8/19(月) 9:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b3d19ac34bf26c9498e49832edd43d33f8623672 |
( 203222 ) 2024/08/19 15:42:02 0 00 (c) Adobe Stock
広島高裁が「手術なしで男性から女性への性別変更が認められる」判決を出した。そこで疑問が生まれるのは銭湯における対応の仕方だ。経済誌プレジデントの元編集長で、作家の小倉健一氏が詳しい弁護士にぶつけてみたーー。
LGBTをめぐって、二つの象徴的なニュースが報じられている。
1つは、2023年11月、三重県桑名市の温泉施設で、客が女湯で体を洗っていた男を発見し、従業員に伝えて通報し、43歳無職が建造物侵入の現行犯で逮捕された事件だ。調べに対し男は「心は女なのに、なぜ入ったらいけないのか全く理解できません」と話しているという。東海テレビのニュースサイトに「2024/01/30 21:30」に配信された記事によると以下だ。
<警察によりますと、この施設では受付で客に更衣室のロッカーのカギを渡す形式で、従業員の女性は「女性の格好をしていた」ため「女性」と判断し、女湯のカギを渡しました。/公衆浴場を管轄している厚生労働省では、生活衛生局の担当者によると「おおむね7歳以上の男女を混浴させない」と定めた指針があり、男女の区別については2023年6月、「身体的特徴で判断するもの」とする通知を出しています。/つまり「心や戸籍は関係なく」男性器があるなど、外見が男性の場合は男湯、外見が女性の場合は女湯に入るのが公衆浴場のルールで、ルールを破れば建造物侵入など罪に問われるということです>
つまり、銭湯、スーパー銭湯においては、男湯、女湯は、人間の外見的な特徴で区分されることになっている。男性器があれば男湯へ、女性器あれば女湯へということだ。
これは、私の感覚と合致するものだ。身体的特徴があっても男性を恋愛対象とする人が存在する人は誰もが知っている。しかし、身体的特徴が男性である限り、心が女性であったとしても、女性専用のトイレや風呂に入ることは無理だろう。
フランスの人類学者エマニュエル・トッド氏(自他共に認める「リベラル」な志向の学者である)は以下のように語っている。
<生物学的、遺伝学的に定められた「男女」というものは、そもそもないと考えたり、それを超えられたり、あるいは変えたりすることができるといったような考え方が生まれてきている>
<私は西洋人として自分を考えていますし、慣習面でもリベラルな人間なんですけれども、いま西側で見られるのは、男女の対立関係とか、敵対関係に基づいた男女関係というものなんですね。あるいは「男女には違いはない」といったような考え方。そういうものがあるわけですけれども、私は、そういったことに疑問を抱いている>(AERAdot.[2023/06/22/ 06:30配信])
私もトッド氏の「疑問」に同意するものだ。生まれた後で性別を変えた人とそもそもの性別の人とを社会が等しく扱うのは、風呂やトイレの問題も含めて現実的に難しいのではないと考えている。
そして、もう一つのニュースだ。7月10日に、広島高裁が「手術なしで男性から女性への性別変更が認められる」判決を出したのだ。朝日新聞(7月11日)が詳細を報じている。
<手術が必要かは人によって異なるとされている点などを重視。性別変更には常に手術が必要と解釈すれば、意思に反して体を傷つけられる手術を受けるか、性別変更を断念するかという二者択一を迫ることになり、「過剰な制約で違憲の疑いがある」との判断を示した。/手術が必要かは人によって異なるとされている点などを重視。性別変更には常に手術が必要と解釈すれば、意思に反して体を傷つけられる手術を受けるか、性別変更を断念するかという二者択一を迫ることになり、「過剰な制約で違憲の疑いがある」との判断を示した>
つまり、身体に男性器があってもホルモン投与で女性的な身体になってさえいれば外観要件を満たすので、女性への変更を認めるのだという。
しかし、この判決は、この先、さらなる混乱を招きそうである。
生まれつき女性ホルモンが少ないなどの理由で、女性的でない体つきをしている女性であっても、女性である。そこにきて、女性ホルモン投与によって女性っぽい身体的特徴をしているが、男性器を有する人も女性となった。
男性器がないことが女性であるという条件にならないし、女性ホルモンのあるなしも女性であるという条件にならないし、女性的な体つきであるかどうかも女性であるという条件でないというなら、一体、どこで「女性」であることを判断していくのだろう。
多数の中小企業の顧問を抱えるかたわら、離婚事件なども扱い社会問題に詳しい城南中央法律事務所(東京都大田区)の野澤隆弁護士に疑問をぶつけた。
――手術をしなくても女性として認める判断には、一定の合理性があるかもしれない。しかし、「女性」という定義をはっきりさせないと、銭湯やトイレで混乱が起きる可能性がある。
(野澤隆弁護士)
法律の問題は、「ポジティブリスト(PL)」と「ネガティブリスト(NL)」という二つの考え方に基づいて主張されることが多い。ポジティブリストは「特定のことだけを(役所が)許可する」という考え方で、ネガティブリストは「特定のこと以外は自由にしてよい」という考え方だ。現代社会は自由を大切にしているため、今回の判決はネガティブリストの考え方に沿っていると言える。日本の裁判制度は、個別の問題を解決することが目的であるため、手術を強制しないという判断には合理性がある。
しかし、この考え方をすぐに一般社会に広め、ルールとして固めるのは現時点では難しい。実際には、ポジティブリストとネガティブリストが混在し、わかりにくいルールが試行錯誤されることになるだろう。まずは、「男性器がある人が女性用の銭湯やトイレに入ることは禁止する」というルールを徹底した上で、「当面は男性的な見た目の人は多目的トイレを優先的に使う」ことを努力目標として目指すのが現実的な落とし所だ。
――トランスジェンダーの「女性」を装った男性が、女性用トイレなどの「女性専用スペース」を利用することで、女性の安全が脅かされるのではないかと多くの人が心配している。将来的に、手術をしなくても性別を変更できるような法律が認められた場合、トランスジェンダーの人たちに対する性別の確認や社会での扱いはどのようになっていくのか。
(野澤隆弁護士)
まず、継続的にホルモン治療を受けていることを証明する資料を提出させる方法が考えられる。また、生活保護の調査のように、役所の担当者が生活状況を点検し、覗き目的、露出狂などの犯罪者と誠実な誠実な性同一性障害者を区別する必要がある。その上で、戸籍とは別に、後見人制度のような特別な登録制度を作り、性犯罪などの裁判で不当な主張などが事実上できないように制度を整えることが必要だ。
さらに問題となるのは、結婚や税金、社会保障の分野である。特に、「所得税の配偶者控除」「相続税の配偶者控除」「年金の第3号被保険者」「遺族年金」「健康保険料の世帯合算」といったテーマは、政治に関心がなくても政治に強い影響を受ける重要な問題だ。
進歩的な学者・テレビのコメンテーターといった立場の方であれば、「(そもそもの優遇措置自体を縮小・廃止する方向で改革し)性別とかに関係なく好きな者同士で結婚すれば良いだけだ」と発言し大学での講演やテレビのワイドショー番組を盛り上げればそれで十分です。
が、保守系政党が強い日本の政治の現場でその発想で事がすぐに進む可能性はほぼなく、「先に悪用を防ぐ規制をかなり厳密に作り、その規制があるので適用例がほぼないまま時間がかなり経過する。その後、このままじゃ制度そのものの意味がない、といった意見が広がり、規制緩和が少しずつ行われる」といった長期のプロセスを経るのではないだろうか。
個人的にはかつての臓器移植分野における制度設計や運用例などと似たような経緯を辿る可能性があるとみている。
ーージェンダーや性同一性障害に関する議論には、社会全体の理解を深め、バランスの取れた議論が重要である。
小倉健一
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( 203223 ) 2024/08/19 15:42:02 0 00 =+=+=+=+= わざわざ女湯に入らなくても、時間指定で貸し切りにできる温泉もあれば客室露天風呂がある旅館もあるので、そっちを使えばいい。 トイレも最近は多目的トイレがあるのが普通。 何故わざわざ女性だけの空間に行きたがるのか、理由はシンプルだと思う。
=+=+=+=+= 医療関係の専門家ではないので、的外れかもしれませんが、生殖は基本的な欲求だと思います。そして、その過程で性的欲求があるのでしょう。ヒトにおいては生殖行為は基本的に「特定の」1対1で行うものであり、他のヒトに見せるべきものではないと感じるものだと思います。原則として特定の相手以外とはとりわけfemaleは思うものでしょうし、行える時期の問題もあることでしょう。もちろん、高次の観念において、例外は多々あるでしょうが。 集団と接する可能性がある場合に基本的には着衣をするのは、それを連想するからであり、裸となる場合には性別で区分し、生殖行為と無関係であることが保証されていて欲しいと考えるのがマジョリティと思います。 自身の感想として、GIDの方にとっては申し訳ないのですが、ジェンダー区分のあるスペースでは外性器は多数者にそろえて欲しいと思うのですが、当事者の方にとっては無理がある希望でしょうか。
=+=+=+=+= 決して差別を容認するものではないが、今の性的マイノリティの方々への対応(擁護)は逆に異常にも思える。まるで腫れ物に触る様な扱いにも見えて仕方がない。
本人の心の中は当人にしか分からない。周囲が客観的に判断できる(ほぼ唯一の)手段が身体的特徴であり、アパホテルの様に身体的特徴で男女を区分して浴場利用を制限するのは至極合理的なこと。広島高裁の判決には違和感しか覚えない。
性的マイノリティの方々の苦悩や苦労はマジョリティ側には真の意味では分からないことだとは思うし、社会として歩み寄ることは非常に大切なことだとは思う。その一方で自分たちの主張ばかりを押し通そうとするのではなく、マイノリティの方々にも所謂”世間一般”への理解と上手な落とし所というものを一歩引いて考えて欲しいと思う。
双方が相手の立場を想いやれる居心地の良い社会になることを切に願う。自分には妙案はなく申し訳ないが…
=+=+=+=+= 心と体の乖離があるのなら、その性別の見た目にこだわるのは当然だと思う。全く意味がわからないし、個人的には理解しようとも思わない。 例えば、心が女の男性が男湯に入って周りの男性の裸を見て興奮するとしたらそれもおかしい。男性の裸見ただけで性的に興奮する女性ってほとんどいないと思うので。心が女なら、男の体が女湯に入ってくる恐怖わかんないのかなとも思う。
=+=+=+=+= 不安で最近はお風呂屋さん行かなくなりました。もし1人の時に遭遇したらどうする? 通報するは当たり前だが、出会いたくない!!受付の店員さんは男女どっちのお風呂行くか監視ちゃんとしてるのかな? 怪しい人がいたら気付いてくれる? 注意したり確認したりしてるのか? めちゃくちゃ気になります! いかにもならですが、かつらとか被り下を向いていたらわからなかったり、はっきりしなければ一瞬通るくらいでは声かけれなそう!
=+=+=+=+= こういう従来のものとは似て非なるモノが発生して、ジワジワと侵食していって、種として立ち行かなくなっていく現象は、個体として見たら「癌」と同じなんだよな。「悪性新生物」とはよく言ったものね。 マクロファージが機能してないから、種としては終焉に近付いてるんだろう。地球規模で言ったら人間自体が癌なのかもしれんけど。
=+=+=+=+= 公衆浴場は男性器が付いているかいないかの判断でいいんじゃないか?心が女性であっても男性器が付いている人が女湯に入ってきたら、女性は恐怖を感じるだろうし、多感な中学生ならトラウマに成りかねない。 申し訳ないが自己主張するのも良いが、自分が周りからどう見られるか、どう思われるか考えて欲しい
=+=+=+=+= 手術を強要しなくなったからと言って、公共浴場が必ずしもその人たちを受け入れなければいけないと法律が決まった訳ではありませんよね。タトゥーを入れている人はお断り!のように〜各公共浴場で個別に判断し、しっかりと規制すれば良いことだと思います。本来、コレも一方的に制限している訳ですから間違っているのだと思いますが「他のお客様が怖いや不安などを感じないように」の理由でタトゥーの方を制限しています。別に法律や条例で決められている訳ではありません。また、中にはサービスを特化し利益を優先して、積極的にジェンダーレスの方を受け入れる公共浴場もあるかもしれません。そうやって住み分けをすればいいだけの話です。 わざわざ不安を煽るようなタイトルで、多様性が広がることを恐れるのを助長するような記事には問題を感じますね。公共浴場も国が運営しているわけではなく民間企業ですから、制限すればいいだけの話ですよ
=+=+=+=+= 広島高裁のこの判断はたぶんほとんどの人が違和感を感じていると思う。いつも主けど、司法判断する方々は自身が湯治しになった場合も同じ判断出来るのか?ということ。例えば交通事故の被告が飲酒運転して人を跳ねて殺しても、過失運転致死。もしこの被害者自身の妻や子、親等の身近な方だとしても危険運転致死傷罪てはなく過失運転致死で裁けるのか?っていうこと。このような司法判断がとても我々一般市民の感情とはかけ離れ判決を出す。なんだかとても虚しい。検察も不起訴理由を開示しないのも釈然としない。このように近年やたらこのような誰もが納得する司法判断がない気がする。
=+=+=+=+= 心と体は分けて考えないとならない場面もあると思います。
心が女性なら、女湯に男性の体の人が入ってくることに対する恐怖や嫌悪感もわかるのでは? それがわからなくて「心は女なのに」と言う人は、本当に女の心を持っていると言えるのか私には疑問です。
逆が問題になっていないのも疑問。 男湯に「心は男だから」と女性の体を持つトランスジェンダーの方が入る事例があるのかないのか。 ないとしたら、なぜ女性の体を持つトランスジェンダーの方は男湯に入ろうとしないのか…
その違いはなぜなのか疑問です。
本当に難しい。 認めることと、全く同じように扱うことは違う気がする。多くの人が書いているように、温泉旅館に行くなら貸し切り風呂があるところを選べばいいし、トイレなら誰でも使える多目的トイレもある。
それじゃあ駄目なの?
=+=+=+=+= そもそも完全なる性別変更という自然的に考えて無理だろうし、心は可視化できない中で、そういう点では手術は性別変更に対する本人の意志を示すものだと思うのだが。 手術をしてでも性別を変更したいというのなら、そのくらいな意志があるのだと理解できるけど、手術なしの主張だけで性別変更できるのはあまりにリスクが高すぎると思う。 最近では少数派にばかり寄りすぎて、多数派に影響の出かねない判決が各地の裁判所から出てしまってることは憂慮すべきだと思う。
=+=+=+=+= 性別とは何かを定義付ける必要がありますよね。 男女の身体的特徴を指して分けるのか、DNAレベルで判定するのか、精神的な性をそれとするのか。 社会生活を送る人間にとって見た目は重要で、一般人に関しては生殖器の状態は最も判断しやすい区分けだと個人的には思います。 精神は誰にも目に見ることは出来ませんから。
=+=+=+=+= お風呂って基本リラックスして癒されたい場所なんだよね。 法律とか差別問題とかそんな単純な問題ではなくて、 利用者全員が安心、安全であることが前提なのが公共浴場。
なので、自分が安心して入浴施設を使えるにはどうしてほしいか ってのをマイノリティの人は考えた方が健全だと思う。 時間掛けていいし、家族風呂とか個室風呂がある温泉宿とかもある。 差別とかそう言うこと以前に何故そんなに自分のアイデンティティを 押し付ける必要があるのかなって思います。
大浴場で入浴できるようになるには、 もっといろんな方法あると思うんだよね。 そういう話を事業主とかに提案して、みんなが安心して入浴できるようになればいいだけじゃないんでしょうか?
=+=+=+=+= ニュースで見るのは、男性の身体で心が女性の問題ばかりですよね。 身体で考えないと、その場に出くわした方には苦痛でしょう。
逆の女性の身体で心が男性の方のニュースを見たことがないです。 心が男性の場合は身体を重視して女湯に入っても問題ないし、男湯を選んでいる事案が発生していませんしね。
貸し切り湯や混浴がある施設を利用すべきではと思いました。
=+=+=+=+= なんでマイノリティのために生活が脅かされなくちゃいけないの? 差別する気はないけど、マイノリティだけが特別でもないし、それ以外の人が全て悩みがゼロとは限らない。 がんで身体の一部を失った人もいる。 その人たちだって自分から望んでそうなったわけではないけど、不便を感じながらも自分の可能な範囲で生活してる。 実際大腸がんでストマーをつけた知人は個室のお風呂しか入らなかった。 トイレだってオスメイトのあるところしか使えない。 それでもその限られた中でめいいっぱい旅行を楽しんでました。 マイノリティの自分たちだけが差別を受けてる、不幸なんだって言う考え方がちょっと苦手です。
=+=+=+=+= この問題は制度や議論が全然足りていないと思う 風呂トイレなんかは体で判断ってのが正しいと思うけど、ちょっと前の裁判でもどこかの未手術のT女性に遠くの女子トイレを使用させたのは駄目ってなったし例外だとしてもなんか判断がブレてる気がする これは例だけど体で判断するにしても微妙な外見だったときには毎回男性器のあるなしチェックしなきゃならんのか?登録とか証明書発行とかした方がいいんじゃないか?といった議論があってもいいと思う とにかく色々諸々議論が必要なんじゃないかと思います
=+=+=+=+= いくら法整備しても、司法がそういう判決下しても、嫌悪感を抱く人は一定数いるのでそういう人の心情を無視していいのかと言う問題は残ります。
そういう嫌悪感には「我慢しろ」と言い、心が女で体が男の人に我慢しろと言わないのは不公平です。
入れ墨みたく問答無用でご遠慮いただくか、水着着用で入るような施設のみとするしかないと思いますよ。
=+=+=+=+= 大事なのは、自分の価値観を周囲に強要しないこと。自分の価値観は社会の価値観にある程度合わせていかないと、社会全体に迷惑を掛けるし、また自分自身が社会から拒否されてしまう。 もちろん自分自身のアイデンティティを変質させる必要はない。ただ妥協点がどこにあるのか、そこは社会との対峙の中で見出していかないといけない。 マイノリティだから妥協しないといけないわけではない。マジョリティもマイノリティに合わせて妥協している。お互い被害者意識を持って対立してはいけない。
=+=+=+=+= マイノリティーへの配慮が必要なことはよくわかりますが、その配慮が大多数の一般の方々に対しては不快なもの・違和感のあるものならば、それは妥当では無いと判断すべきではないでしょうか? 今回の場合、銭湯の女湯を使う、大多数の普通の女性が、“心は女性”と主張する見た目男性が一緒に入浴することを快く受け入れられるか否かだと思います。 配慮はしながらも、多数決が優先されることは致し方ない場合はあると思います。
=+=+=+=+= 手術なしで性別変更はあらゆる所で混乱を招きますね。
たとえば、身体は女性なら、心と戸籍は男性でも生物学的に妊娠出産が可能な訳ですよね。 私の出産した病院は、産後の授乳や講習などは大部屋で指導だったので、みんな胸をさらけ出して授乳してましたが、そこに心が男性の方が混ざる事になるのかしら?
そうでなくても婦人科系の病気で通院などもあり得ますね。 産婦人科の病院内は混乱しそうですね。
=+=+=+=+= 無手術で性別変更は あくまで書類上の戸籍のうえで って事なので
公衆浴場や公共の場で性別を分けて利用している場合は 身体的特徴で判断する事は可能
身体的性別は変えられる事はない 手術等で身体的特徴を変えることは不可能ではないので
そういう施設やサービスを受ける場合は最低限 身体的特徴を変えることが必要なのかな
=+=+=+=+= このままでは、日本の温泉文化はなくなってしまいそうですね。さみしいけれど
心が女性(体が男性)は、本人しか分からない事で、外からは判断できません。体が男性の人が堂々と温泉(女性風呂)に入れるようになれば、子連れや女性は女性風呂に行かなくなるだけです 旅館等は個室風呂にしなければ、お客が来なくなりますね
ジェンダーの問題を欧米に合わせようとするけれど、そもそも文化や歴史が違うのに、全て欧米に合わせるのは無理があると思います… 欧米では温泉文化はないし、子どもに対するケアは日本以上に厳しいです。そのかわり?ヌーディストビーチ等、大人が自己判断で行く限定的な場所はありますけれど
しかし、そもそも心が女性なら、同性に男性の体を見せたくないと思うような気がしますけど…
=+=+=+=+= 身体は男性だけど心は女性という人は存在しないと思う。嗜好として男性である事が厭で女性になりたい人ならいると思うが。思考パターンや感じ方は男女の違いが結構出る。しかしトランスジェンダーの思考や感じ方は何処までもいっても男性の延長線にあるように感じる。男性が持つ女性のイメージと本当に実在する女性は根本的に違っている。トランスジェンダーの女性は男性イメージの女性なのだと感じる。
=+=+=+=+= 心が女性なら、見知らぬ男性(見た目は)が女湯に入ってきたら、女性側は恐怖ということは感じないのでしょうか? 心は女と言われても、証明のしようがないですから、このような場合は見た目の性別で判断されるでしょう。 銭湯のような公衆浴場ではなく、貸切風呂や露天風呂つき個室などを利用するのが良いと思います。 トランスジェンダーの人もそうでない方も快適に過ごせます。
=+=+=+=+= トランスジェンダーの気持ちを理解してほしいというのは解る。しかし、「心は女なのに、なぜ入ったらいけないのか全く理解できません」とは受け入れられない。自分の気持ちを理解してほしいなら、「心が本当に女かどうかがわからない見かけ男性」が裸で入っていた時の「トランスジェンダーじゃない人達の気持ち」も理解すべきだ。仮に心は女性なのを証明できたとしても同じだろう。ここはひとまず男湯に入るか、あきらめるしかない。 将来トランスジェンダー用の施設が充実することにはなるかもしれないが、コストやスペースの確保、どちらのタイプのトランスジェンダーなのかの公的証明書なども考えなくてはならないだろうから、なかなか進まないだろう。そう思うと気の毒なことだとは思う。
=+=+=+=+= 自分が女湯に入ったら他の女性客がパニックになるであろうという想像力の無さ、気配りの無さからくるもので、これは性別の問題とは関係ないと思う。 "心は女性"というなら、入浴されてる他の女性への配慮をして欲しいし出来るはず。女湯に男性の体をしている人が入ってきたら、お客さんは驚いて頭が混乱するだろう。間違えたのか何なのか分からず、従業員に言いに行く人もいると思う。女湯に体が男性の人が居たらどう思うか、心が女性なら分かるはず。
=+=+=+=+= 裁判所にコメントを求めるべきだと思うね。
司法は独立しているのだから、独自に判断してもらっていいんだけど、この件については裁判所判断が原因で社会に混乱をきたしている。裁判所は社会の混乱を収めるのが本分ではないか?
手術無しで性別変更出来るとだけ判断して、その後のことは知らぬふりというのは無責任だろう。しかも、裁判所判断が原因で未手術で女湯に入ったケースも実際に発生しているのだから。
=+=+=+=+= いや無理でしょう。 性別とは生物学的な身体的特徴と、生殖器官の分化的な差異に基づいて決定されるべき事象であり、本来であればその分別や決定に対象の精神性を介入させる余地すら有りません。 因みに、生物学的な意味での性別の両性の定義とは、所謂雌雄異体という事であり、雌性配偶体と雄性配偶体が明瞭に区別出来る事です。つまり身体的特徴や身体構造の差異、生殖機能や性腺機能が確実に分別出来る事を言います。 つまり自分の思い込みでは通用しないのです。
=+=+=+=+= いまは貸し切りの温泉も増えてるしみんなが嫌な思いしないんだからそういった方は貸し切りにいけばいいよね。そんなに値段も高くないし。
トイレも多目的あるところも多い。どうしても緊急でどうしようもない時は身体で決めればいい。嫌な思いするのが自分だけなのか周り全員なのか考えたら行動もわかるだろう
=+=+=+=+= 性同一性障害当事者の多くが求めているものは、女湯に入る事でも女子トイレに入ることでもなく、埋没後に元の性別が周りに知られない事。 その点では、男女共用の多目的トイレや個室の更衣室が最も有効。 現に、当事者アンケートでも性別専用トイレより多目的トイレを利用される方が最多であることが判明している。 問題は、性同一性障害者の多目的トイレ利用や個室空間を設け配慮することへの理解だ。 多目的トイレには性的・目的外利用を防止するためにも、身障者・高齢者・性同一性障害者・子連れ等々と具体的な利用者のガイドラインを厚生省が策定することが必要。 個室更衣室に関しても、一定規模以上の施設(会社、学校、プール等)には男女別とは別に、個室の空間を一室は設けるように規定を設け、場合によっては助成金を出すべき。 銭湯などの温浴施設に関しては、家族風呂といった貸切風呂を増やす方向で行くしかない。
=+=+=+=+= 見た目で判断するしかないです。 見た目で分からず自己申告にすると、犯罪につながる可能性もあります。 ジェンダーに配慮するには最初から混浴にするしかありません。 そうすると、異性に対して嫌悪感を持つ人が温泉で楽しむことができなくなります。 見た目と中身が違う人は家族風呂を利用するといいです。
=+=+=+=+= 三つのトイレ
とある国のとある空港に、トイレが三つありました。男性用、女性用、そのどちらでもない用。この先こういう考えで行かないといけないのでしょうかね。
お風呂の場合、流石に三つ用意できないでしょうから、男性でも女性でもない方をは、ご遠慮お願いしたいというのが本音です。
=+=+=+=+= 戸籍上の男女は裁判所の判決通り。私は公衆浴場やトイレに関してはそれぞれが男女どちらに入るかルールで線引きするべきだと考える。男性器、女性器の所持等の身体的特徴が一番メジャーと思われるがこれが差別的と言われる事があるが、営利であろうと非営利であろうと施設の運営に支障をきたすのでそう線引きせざるを得ないし、それを掲示して明確にする事が重要かと思われる。「心と身体に別の性別を持つ人はどっちに入っても良い」施設を利用すればいいし、それが嫌な人はそこを利用しなければいい。そのような施設がなければ自分でつくるしかないね。どんな施設も運営元があってそこを利用させてもらう立場ならルールに従うべき。嫌or出来ないなら行かなきゃいいし、行く権利がない。これは差別じゃなく区別であって、運営を成り立たせるにはどうしようもない事。自己主張も大事だけど社会で生きるにはどうしても社会に合わせざるを得ない事も多いのが事実
=+=+=+=+= ジェンダーの古典的な名言に「ジェンダーは耳の間にあり、セクシャリティは足の間にある」がありますが、まさに性的アイデンテイティと身体的性差のズレがこの問題ですね(苦笑)。 しかし男性の姿をした者が女性のお風呂にいれば気になる女性がいる方が当たり前、基本的人権は「公共の福祉」に反しない限りで認められるものです・理念としては正しいが現実は女性一般にストレスを与える現実がある。トランスジェンダーの概念が社会的に定着するか、男女の裸に対する考え方が変わるまでは、トランスジェンダーの「女性」が女風呂に入るのは早すぎる。
=+=+=+=+= 法律がどうかって事よりも、公衆浴場等は今までは通りの区別の仕方が妥当だと思う。 あくまでも身体的特徴が優先されるべきだと思うよ。
混浴の温泉に入ってたら、どっちだって分からないから、そういう所に行けば良い。 差別してるんじゃなくて、区別でしょ。
トランスジェンダーの人達も、トランスジェンダーじゃない人達の事も考えるべきじゃない?
お互いに歩み寄ろうってのは理解できるけど、全てを受け入れろってのは、今の時点ではハードルが高いと思うよ。
=+=+=+=+= 私は男性ですが、例え心が男だからといって身体が女性の方が男性トイレや浴場に入ってくることには違和感…というか、正直嫌です。 男性の私でこれなので逆の立場…心が女性で男性の身体の方がトイレや風呂に入ってきたら、確実に嫌悪感を示すと思うんですがね。 風呂みたいに全裸になるところに、異性(の身体)が入ってくるんですから。
=+=+=+=+= 各自の戸籍の性別変更は構わないけれど、それで男女別の施設の利用までそれを適用するのはおかしい事。電車でも更衣室でも銭湯等でも、そこに必要なルールをそれぞれの施設で設ける必要があると思う。それは差別ではなく区別。そうしないと悪用する人が出てくることも容易に予測される。
=+=+=+=+= 「性の自認の為に、本人に身体的・精神的な苦痛を伴う処置を強制する」。 これだけならば、今の時代に賛成する人は僅かだと思うが、その判断の結果が社会に齎す影響が、完全に抜け落ちている。それは、司法の役目ではなく社会の役目であるにも関わらずに、メディアも司法に問うた人達も「バンザイ良かったね」で済ませ、社会活動との整合性の議論さえ封じ込めるかの雰囲気もある。少なくとも、この問題を司法に問うた人達は、そこを明らかにする義務があると思う。でないと、次はこの記事で問われた様な問題を、司法に問うのではとの疑念が産まれる。
=+=+=+=+= どうせなら、早くこの件で裁判をやって欲しい。今までの裁判で、裁判所は社会的な影響も考えているのか?
でないと、現場が困惑する。施設側の対応も、ある程度法律の指針が無いと、クレーム処理に困る。
もし、OKなら、所謂女性は、公衆浴場を使わない、という選択もある(「性別変更」OKを理由に、既にそうしている人もいるかも知れない)。
=+=+=+=+= 私はMTFです 適合手術は受けていませんホルモン治療のみです、 いつか適合手術を受けて生物的に女性の形になればもくかしたら行く時が来るかもしれません それはそれで、その時によく考えて、行動すればいい事で 手術をしてないのに、公共施設のましてや銭湯なんて行く気が不思議です、 もちろん自分も好奇な目で見られるのも嫌だけど、周りの皆さんに、ご迷惑を掛けてしまう方が辛いし、下半身の手術のみで、ホルモン治療等で胸も豊かになり見た目も女性になれば男湯に入っても好奇な目で見られるのも考えたらすぐわかります、 きちんと適合手術を受けることで自分自身、もちろん周りの皆さんにも不安にさせる事が無いと少なからずそう思います それを撤廃して心だけなんて、当事者でもダメだと思います、みんな命懸けで治療して、適合手術に挑むんです、そんな簡単な事では無いと思います
=+=+=+=+= 差別だ差別だと声高に叫ぶ人たちが一番差別的になっていることがある 何にしても、差別と区別の違いをしっかり認識してそこははっきりさせていかないと、今の社会はおかしくなる一方だと思います
=+=+=+=+= 外見は男性であっても、心が女性。 戸籍上、正しく女性と認められている以上、この方が女湯に入るのは、法律上同性であるので問題ないし、最も逆もまたしかりである。 私は外見が女性で心も戸籍上も男性となっている方が、男湯に来てもそれは全く問題ないと考えている。 外見に囚われヒステリックにならず、ファジーさと寛容さがお互いに必要であり、理解をすることが、それこそ真のジェンダーである。 私の友人も外見は男性、心が女性の友人がいるが、男性と温泉に入るのが精神的に苦痛で、仕方なかったという。
=+=+=+=+= 日本人はこの手の話題を敬遠したがる。 社会的問題としてきっちり議論して国としての見解をしっかりと出す必要がある。 これと同じように夫婦別姓に関してもだが議論が別れる内容に対しては臭い物に蓋の感覚でいつまで経っても国としての答えを出さないのは問題。 議論を尽くした上で国として見解を出したとしても、様々問題が発生するだろうが敬遠せず議論を尽くした結果であれば、現状より納得できるのではないか。
=+=+=+=+= 昨年から女子トイレなどに男性がいても通報等は「差別は許されない」等訴えられるリスクが伴う。通報しても例えば小田急電鉄の公式回答は「女子トイレ利用を妨げる事はできない」。
そもそも明示的に禁止する法律を作らず建造物侵入の主観的解釈で逮捕する事は罪刑法定主義に反する憲法違反。主観的解釈だから理念法に過ぎないLGBT法であっても主観が変われば影響が生じる。主観が変われば裁判では経済産業省トイレ裁判最高裁判決と同様に合法になる可能性がある。特に建造物管理者の認識が上記小田急電鉄のような場合合法となる。全ての国民が安心云々も抽象的すぎて同性婚裁判のようにどう判断されるかわからない。つまり通報して逆に訴えられると負ける可能性があり、その判例を盾に男性が入るようになれば国民生活は混乱。
アメリカのトイレ騒動のような社会的大問題になりかねない。そしてこういう問題を起こさないための罪刑法定主義。
=+=+=+=+= これまでも性転換手術をした元男性が女湯にいたかも知れない。 利用客が何も違和感を感じなければ、本当に心身共女性なのだろう。 これが大前提。 トランスジェンダーはなぜか男性が多い。 身体の繋がりの部分で自分は男性が好き、多分私は女なのだろうという人もいるのでは? でも心が女、と主張する人でもごく小さいコミュニティの中で認められたい人と、普通の女性として認められたい人がいる。 誰も違和感を感じない、普通の女の人と同じ態度であれば、特に問題は無いと思います。 でも男がいきなり入ってきて、キョロキョロしていたら、女性客は皆逃げるでしょう。 トイレも風呂もそういう問題なのでは?
=+=+=+=+= 要するに身体不自由の方と同じく特別扱いが必要ですね。だから同じように医者から証明書をもらえばいいと思います。その証明書で市役所からLGBT証明カードをもらって現時点に利用出来る施設を明確にすればいいと思います。
=+=+=+=+= 一般的な性的指向の人とLGBTQの人を平等に扱うならば、LGBTQの人達専用の温泉施設を作るべき。 そういった施設を作るかどうかは、運営会社の判断であり採算が取れなければ不必要と考えるだろう。 民間の温泉施設であれば、利益を追求するのが至極当然の話であるので運営会社の判断を尊重するのであればそれに従うべきだ。 おそらくこのような施設に第三・第四の性別に分けた区画なんて予算的にどう考えても余分に作れない。 性的マイノリティーの人達にしたら「性別というカテゴリー」事態に違和感を感じ性別自体無意味と感じる人がいるようなので温泉施設は区別のない一つでいいと思うんだろうか? ただ、施設の区別をなくしたらほぼ99%の女性は施設を利用しないだろう。 単純計算で売り上げの半分を失うことになる。 民間が運営する以上今の形態がベストであり、変えることはリスクを伴う。 気の毒だと思うが、しょうがないです。
=+=+=+=+= 性染色体の型を戸籍やマイナンバーに記載しましょう。 温泉や更衣室使用はこれからはマイナンバーの提示をもとめたらいい。 手術済もマイナンバーに記載して。
公共のトイレは「だれでもトイレ」を沢山作ればいい。ただし、間口は広くして。個室への出入りはわかりやすく。異性の子どもを連れてる時とか、災害時にもその方が助かるし。 もちろん男性専用も女性専用もそのままで。
個人的には、染色体型を受け入れられる治療を保険ですべきと思う。 XYなら心が女性でも、 男性ホルモンを補充し、女性ホルモンを抑えてあげれば、男性の身体を受け入れられるようになるのでは?と思う。必要なら持ってうまれた性を受け入れるカウンセリングをしたらと思う。
その方が、身体の負担が少ないはずで、本人も早く楽になれるのにと思う。
=+=+=+=+= 「心の性別」を大切にしたい人がいるのと同じ、人数的にはそれより多くの「体の性別」を大切にしたいと考える人がいることをなぜ蔑ろにするのか? 「心の性別」と「体の性別」が別物であり同等に大切なら、風呂やトイレなどの場で「心の性別」と「体の性別」のどちらが重視されるか?を考えてどちらを尊重するか決めるのが妥当だと思う。 「体の性別」を軽視しそれを大切にしたい人を踏み躙りながら「心の性別」を尊重するようにおしすすめられても受け入れがたいだけだと思う。
=+=+=+=+= 性別増やせばいいだけじゃね? あと特殊な人はちょっと不都合があるって それはなんでもそうじゃん 左利きの人は使う道具が限られるとかさ 土台とかシステムは基本的には多数派が便利なようにするのは当たり前 そうしないといろんな事が回らなくなって全体が不具合を起こすんよ 1割のストレス緩和の為に9割がストレス抱えたらそのコミュニティは終わるよ 9割のストレスを緩和して余裕を作って1割をできる範囲でサポートするのがベストやろ
=+=+=+=+= 昔ならこんなの論争にもならなかったんだけどね。 LGBTQ理解法案が可決したせいで司法判断を待たねば正解はわからない。 警察は通報があれば逮捕事案になるが、検察は起訴出来るのか? 我が国の検察はあのカルロス・ゴーンが非難した様に「起訴=有罪」であり、その確率は99%と言われる。それは裏を返せば「殆ど不起訴釈放している」、とも言える。最近ではSNSで話題になっているが、外国人犯罪者が逮捕されても、検察で不起訴になり無罪釈放されているのだ。検察は理由を全く言わずにすぐに釈放しているので政府側から何らかの指示があった、と思わざるを得ない。何しろ自民党内ですら反対の方が多かったLBGT法を強引に成立させてしまった岸田政権のやる事は、常識で考えてはいけないのだろう。米国大使のエマニュエルに媚びを売った、と考えるのが自然だと思う。
=+=+=+=+= そもそも温泉に入ると言う選択肢は、難しいのでは… 考えてみれば、心は女性でも身体は男性なのだから、身体つきでわかるし、そうなった場合、問題に発展しかねない。 温泉側の対応が、とかも含めて。 露天付きの個室を借りるとか、色々自分で工夫すれば良い。 わざわざ問題を起こさなくても。 周りも巻き込むだけ。
=+=+=+=+= 入浴施設の男湯か女湯のどちらに入るかを、心の性はともかく身体的特徴で決めるのが望ましい。その考え自体はいいけど、どうやって確認するのかな。従業員が相手の性器を見て判断というわけにもいかないと思うし、上半身だけじゃわからないし。
=+=+=+=+= そうなるともはや女湯は存在できなくなります。利用する人が減るかいなくなるからです。 なぜ男と女を分けているのかを考えればわかることですが、オリンピックでの騒動はじめこの問題の一番の被害者は心も体も女性である大多数の人たちなのだということを考えなくてはいけないと思います。
=+=+=+=+= 「区別」と「差別」を意識的に分けて使う社会環境にならないと、この問題はなくならない。 そもそも差別問題の根底は、差別撤廃を目指しているわけではなく、社会混乱を目的としているのだから、今は、ほぼ目的を果たしていると言える。 本当に、くだらない問題である。 前提として、互いの尊厳を認め合うことになるが、その先に、家庭の存在価値や、国家としての威厳が成り立たなければ、結局、自我の意識も不安定になるのに、本来的な、視点の言及には、目を向かせようとしない。
=+=+=+=+= この話と逆で女性から男性に変更しました。 私はもともと公衆浴場を使いたいと思わないので、子供の頃に2度ほど入って以降使用していません。 手術・変更した私が思うのは、『公共施設を使いたいのであれば、世間に認められるレベルの外見と免除事項を持つ必要がある』ことを当事者が納得していないことが問題です。 一般の人との交流を怖がってマイノリティの狭い世界に入り浸ったり、当事者ではない謎の援護団体が大騒ぎした結果だと思います。 『私は女性なんだから女子トイレに入って当たり前』という感覚を植え付けた環境が良くない。 女性だと主張するなら、女子トイレ・浴場に男性が入って来た時の嫌悪感や恐怖が理解できるはずです。 『戸籍上女性として扱える』ことと『女性として女性向け施設を使う』ことを混同してはいけない。 GID関連のタレントさん達は、こういう時にこそ影響力を発揮して、きちんとした情報を発信して欲しいですね。
=+=+=+=+= LGBTQはある人間が作り出した一つの分類法にすぎない。これに限らず何にでも分類法がいくつも提案されているのは普通で、どこかに閾を設けて人間が勝手に定義しただけ。そして「分類は破綻する」ので、各自がどの分類を採用したいかに尽きる。 私は身体的男女2分類を採用するが、男/女の中でのバリエーションは否定しない。「そういう男/女もいる」で良いじゃないか。本来の性に違和感を感じるのは「男/女とはこうあるべき」という前提があるので、それこそ彼らが好きな「多様性」を否定していないか。
=+=+=+=+= ちゃんと、全てを整えた人が旧来の性別に混ざろうとする事に関しては、少なくとも現代社会は歓迎していた。 今の反発は、『私は私だから自分を変える気はない。だけど性別は既存の物を使わせて貰う』という自己中MAXに対するものだからね。そこはハッキリさせておきたい。 もう‘’他‘’という性別を新設してくれよ...
=+=+=+=+= 心が女性って何? 女装がしっくり来るから? 別に男女で服装が決まっているわけではないので、男性でも女性でも着る服は自由です。 恋愛対象が男性だから? 男性でも女性でも、誰を好きになるのも自由です。 手芸、貴金属等、女性が好みそうなものが好きだから? 男女関係なく趣味の選択は自由です。
男女の区別は性格など全く関係なく、身体的な特徴のみで決まります。 それ以外の要素は先入観や思い込みでしかない。
=+=+=+=+= この逆(心が男性で体が女性)の方がこの手の問題を起こしたのを聞いたことがない。 例えば男風呂に心が女性の方が入ったとしても中にいる男がそれを嫌がらないから、ではなくてそもそも入る方がいない。 それはその方々が、男風呂に入らないことを選択しているからで、なぜそれが女風呂でできないか不思議でしょうがない。 なぜそこまで女風呂に入りたいのか? 意味がわからない。
=+=+=+=+= >心は女なのに、なぜ入ったらいけないのか全く理解できません
なぜ男女で分けているのか理解していないだけ。 その上で、自身の特徴に他の女性が不信感を持たないだろうと思っていたのかが理解できない。 もしその場に、もう一人の男性の姿をした人が入ってきたらどう思ったのか?
身体的に変えなくとも性別変更が可能なら、それ相応のリスクがあるのは 受け入れるべきであるとは思う。
=+=+=+=+= 現時点では、という注釈は付けざるをえません。 それでも私たちはとにかく、短絡的な思考に陥らない事が大切です。 性別変更が手術無しでOK=本人が申告すれば身体的異性の風呂やトイレに入ってOKでは、決してありません。記事中の厚労省の方針の通り、入浴の可否は外見上の特徴によって、事業者・管理者が決める事が出来ます。従わなければ利用の拒否や、警察への通報も可能です。 理性的に考える事をせず、いたずらに不安だけを募らせて、不毛な対立や偏見の拡大を煽らない心掛けが必須です。
=+=+=+=+= 俺は病的な多汗症でエアコンの温度を今より5度下げて欲しいと常々思っている でも思うだけで特に何も言わない。それは俺が少数派だと理解していて、俺に合わせたら多くの人に迷惑をかけるとわかっているからだ 少数派への差別はいけないし、多数派に迷惑にならない程度の配慮は必要だけど、少数派なら慎ましく生きるべき
=+=+=+=+= これ、どうなるんだか全く分からない。 そもそも、男女に分けているのは何でかな、それが差別の始まり? 自称女性って言う男性も現れる可能性がある。 そうなったら、合法的な混浴になるって事よね。 その内に男女別の銭湯ってなくなり、混浴だけって事になりそうね。 時代は繰り返すのかねぇ・・・ 江戸時代に戻るのかもね。 プライバシーの概念も変わるかも知れない。 混浴に慣れるには相当の時間が掛かるかもね。
=+=+=+=+= とても難しい社会問題です。 例え性転換されたとしても女性からは解るので 負目を感じて公共施設のお風呂やトイレ等は 使用しづらいと考察してます。 自己防衛と工夫したりして生活してるのでは。 法整備されたとしても心が晴れるのか疑問です
=+=+=+=+= 公衆浴場が体の性別関係なく、心の性別で分けるようになったら公衆浴場そのものに行きません。体の性別でしっかり分ける公衆浴場もあるでしょうからそっちに行きます。
=+=+=+=+= 心が女性であると第三者に証明、判断出来るものがない中では、やはり問題が生じると思います。性同一性障害の通院歴があり、医師に心は女性だと診断されていても、その場では分かりません。 もし、身体的には男性の見た目の数人が女湯に入ってかたら、女性は恐怖を感じると思います。司法と現実のズレの解消がされるのは当分、先かと。
=+=+=+=+= 昔女性同士のカップルが温泉に入ってきました。 身体が女でも心が男の人とも、一緒のお風呂って抵抗ありますよ。 ジェンダーってこういう問題もあるんだなとスポーツの世界でも感じたし、単なる差別問題で片付けることではないと改めて感じました。
=+=+=+=+= 心は誰にも見えないから、何とだって言える。 例えば、染色体もジェンダーも性自認も性的特徴も男の僕が、「心は女」と言っても、証明も否定もできない。
だから、最低でも目に見える客観性は必要になってくると考えている。
それに、LGBTQも人権的観点からの保護はされるべきだけど、一般女性もそれはしかりだしね。
=+=+=+=+= 心が女性の方が男湯に入るのが嫌だと言う感情は尊重されるべきで 一般女性が外見男性の方が女湯に入ってほしくないと言う感情に優先されると言うことなのだろうか? 入ってくるなと言う権利も認めてあげて欲しいものですが
=+=+=+=+= 極めて不思議なんだが、風呂やトイレなど男性女性と区分されるべき領域になぜ入り込もうとするの?そこを男>女、女>男のトランスの人たちという別の領域を作り出して区分が絶対に必要な領域に入り込もうとせず、別領域を作り出したらいいんじゃないの?銭湯などであればトランス混の日なるものを作って貰えばいいじゃない?裁判を起こすくらい積極性があるなら、狭い領域かもしれんが社会を住みやすく変化させる積極性があっても良いんじゃない?
=+=+=+=+= 自宅にお風呂が無いわけじゃないでしょうから、わざわざ問題になりそうな銭湯に行く必要があるんでしょうか? 例えば皮膚に病気がある、傷跡がある、他にも身体に何らかの問題があって、公共のお風呂に入りたくても入れない方はたくさんいらっしゃると思います。そういう方は、自宅のお風呂や、旅先では貸切風呂や客室にあるお風呂を使うなど色んな工夫をされているはず。我慢もされていると思いますよ。 どうしてジェンダー問題となると特別な枠でのお話になるんでしょう。私の友人にも心が女性の戸籍上は男性という方がいますが、その方はたとえ女風呂に入ってもいいと言われても絶対に嫌だと言います。理由は単純に「恥ずかしいから」だそうです。
=+=+=+=+= 別に自己申告でもそれほど問題があるとは思えないが、そんなに心配なら性器の形状と性自認に差異がある場合は「証明書」のような形にすればいいのでは? 手続きとか自己申告でいいし、女だから男だからと得にも損にもならない社会を目指しているんだから、登録自体は簡便にしてとくに問題ないだろ。登録後の変更は難しくしたらいい。 銭湯で女性の裸を見たいから女性になるってのも別に構わないのでは。それで実生活に支障がないのなら。 同性になら裸見られてもいいが異性には見られたくないって感覚(性に対する認識)が更新されるべきだよ。 性犯罪が起きるという懸念に対しては同性であっても犯罪が起きないような対策が必要なのでとくに変わらない。犯罪者が女湯に入ってくるという心配をトランスジェンダーが女湯に入ってくるにすり替えてはいけない。
=+=+=+=+= こういう裁判こそ一般的な意見が得られる 裁判員裁判にするべきだと思います。 手術なし性別変更を司法が認めたとしても 入浴のルールは各施設に委ねられているのだから 拒否しても何の問題も無いと思います。
=+=+=+=+= 「心が女です」って心なんて第三者にわかるわけない。心が女であっても身体構造が男なら世間の認知は男なんだよ。 オリンピックも性別の件で揉めてた競技あったし、心とか精神とかあやふやな物差しじゃなく、いろいろな場合の性区分の線引きを明確にしないといけないと思う。
=+=+=+=+= 「区別」は必要だと感じています。 心が女性だとしても、見た目が男性なら 女性からしたら違和感や不快になります。 それだけではなくて、これを悪用し、 犯罪にもなりかねるのかとも思っています。 差別ではなく、やはり「区別」は 今後も必要。 銭湯だけではなく、トイレや更衣室も
=+=+=+=+= 公証書類や服装などは本人のことなので可能な限り 本人の自由を尊重すべき。 風呂やトイレは他人のことが大きく含まれるので、身体的特徴基準判断であたりまえ。多目的を使いたければ使えばいいし、女装した男性が男性トイレにても(←逆も)、ギョッとしないメンタル、寛容性が周りに必要。ただこのためには身体的特徴基準が徹底されていることが前提。 だと思うのですが。 個人の人権や自由は、社会の中で制限されると思います…。
=+=+=+=+= 紛らわしいのは確かにそう、そういう判決が出たと思いますが
身体が男ならば女湯に入ってはダメだとみんな言ってる だけどずっとこういう質問が来ると言うことは足りないということ
もっと公にハッキリ言うべき人が言わないといけない
=+=+=+=+= 以前にスーパー銭湯行った際、男湯でなのですが長髪で小柄な40代くらいのシリコン入れてる?って感じのしっかりとしたお椀型乳房がある男性?が入って来ましたが、なんか怖かったです…
男性器そのままで。(当然そうなのでしょうが)
そんな感じの方が女風呂に入っていくのかと思うと、やっぱり皆さん怖いと思うんですよね。
いまは貸切風呂とかもありますから、そういうところをご利用になった方がお互いの為だと思います。
=+=+=+=+= 風呂なし住居は存在しますので問題はついえませんね これタトゥーお断りのほうがよっぽど差別的なのですが、不快感の程度はこちらのほうが大きいと思います 差別ではなく区別は必要と感じます
心女性で体男性の場合、 女湯に入ると他の客は不快になり 男湯に入ると当人が不快になる コインシャワーはあるが全国的に広く設置しているわけでもない 困りまにも困りますね 公式に(温泉施設において)混浴なら問題ないのに
=+=+=+=+= 手術もタダではないですし、それに耐えられるかどうかの体力面の問題もありますから 現実問題として「何らかの理由で性転換手術を受けられない、家風呂も無い、近所の銭湯ならともかく個室の風呂に通う金もない」という人は存在しうるので 「どうせエロ目的だから考慮する必要なし!!」と決め付けて誹謗するのではなく「だとしたらどうにかならないのか?」を考えることは大切だと思いますけどね
とはいえ、現実的には何の証明もなく受け入れるのは難しいので「申し訳ないけど我慢して、人が少ないタイミングを狙って男湯に入ってね」としか言えないとは思いますが それでも「そうして苦しまざるを得ない人もいる状況だ」ということは認識しておくべきだと思います
=+=+=+=+= 数年前女装をした方が駅ビルの女性トイレから出てきました、正直エッ?って思ってそれから心は女性の方?と思って、その後ただの女装したいだけの方?と思って、その後ただ女性トイレに入りたかったそのために女装した変態オヤジか?警察に連絡か?と思った。 多様性難しいです、明らかに女性と見える方が女性トイレから出てきたらこんなに悩まないなと思います。
=+=+=+=+= 伝統的な男女の2元論からその間に立つカテゴリーが成立しているので、場面ごとに決めていくしかないのではないでしょうか。 例えば先のパリ五輪のボクシング問題ではパスポートがどうこうではなく肉体を武器として競い合うスポーツで公平にするのはどうしたらよいか、という具合に。女湯問題では、優先されるのは本人の気持ちよりも公共性のある場で大勢がどう感じるか、を基準にすべきでしょう。今回の広島高裁の判断は”誤審”だと思います。
=+=+=+=+= 「過剰な制約で違憲の疑いがある」との判断を示した> 大きな間違いの判決だと思う。 確かに憲法では拘束を受けない自由がうたわれているわけだけど例外はある、社会を混乱させる犯罪者を取り締まる法律は合憲。これと同様に社会に混乱をきたす性転換手術の法律は合法。社会の混乱を証明するのがこの記事そのもの、性転換手術が違憲で手術なく性転換を裁判所が容認した事により社会に混乱が起きている。
=+=+=+=+= 例えれば、心のきれいな方は右の扉へ、そうでない方は左の扉へ自己申告でお通り下さい…となった場合、果たして他人からは「ぱっと見だけで」真偽を見分けられるだろうか? 人の心の中まではじっくり付き合わなければ他人は分からない。 世の中、瞬時に外見で判断せねばならない時は男女の区別以外にも多々あるので、銭湯はその範疇に入ると思う。心の中身は関係ない場所です。
=+=+=+=+= 広島高裁の判決は、戸籍上の取り扱いを判断したものではないのでしょうか。 それと銭湯の問題は、別と思います。 銭湯が男女を区別する時、戸籍を見るのか、身体的特徴を見るのか、そういう問題だと思います。
=+=+=+=+= 本当に心が女なら、男の体のまま女湯入るのが平気だとは思えないし、入りたいと思うと思えない。 これ認めるなら、心が男の女は男湯に入る事を徹底してほしい。逆は例外だとか、個人の選択の自由だとか、時と場合によって使い分けできるなら選択肢が増えて他の人より有利になるからね。そんな不公平許されないと思う。
=+=+=+=+= いいカッコするからこうなる。 心の性を認めた以上、いいとこ取りなんてできないよ。
最初から「心の性別と公的・生物学的性別は全く別の話」ってことで終了してればこんなことにはならなかった。 「普段A型を自称するのは自由ですがあなたに輸血するのはB型ですよ」「普段仮名を使うのは結構ですが公文書には本名を記入してください」っていうだけの話。
=+=+=+=+= 簡単な解決策はすべて混浴にしてしまうこと。
性の羞恥心は文化的、社会的に後天的に植えつけられるものだと考えられる。本来は男女の入浴を分ける理由などない。
江戸時代までは混浴が当たり前。日本の伝統を重んじる保守こそ混浴を推奨してはどうか。
=+=+=+=+= はるか昔から心と体の違いで悩んでた人がやっと世間に認められ始めた だからって社会が直ぐにそれに適応できるとは思えない そこに権利を主張して声をあげるのも違うと思う
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