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「生物学的な議論があるかもしれないが社会的に女性として生きてきた人が批判されたのは遺憾」日本ボクシング連盟会長がパリ五輪の性別騒動に個人的見解

RONSPO 8/19(月) 8:22 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/3958a01e0cc341d911b61333cd19c6534f1c4c7b

 

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日本ボクシング連盟の仲間会長は、パリ五輪での性別騒動に対して、IOCとIBAの政治的対立やジェンダーに対する思想的対立が背景にあると指摘しました。

また、生物学的な議論はあるかもしれないが、社会的に女性として生きてきた人が批判にさらされたのは遺憾だとも述べました。

今回の騒動の中で、台湾のリン・ユーチン選手も金メダルを獲得しました。

(要約)

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性別騒動に巻き込まれた台湾のリン・ユーチンも金メダルを獲得(写真・ロイター/アフロ) 

 

日本ボクシング連盟の仲間達也会長(43)が18日、パリ五輪で起きた性別騒動についての個人的見解を述べた。仲間会長は、今回の問題の背景にIOC(国際オリンピック委員会)とIBA(国際ボクシング協会)の政治的な対立やジェンダーに対する思想的対立が絡んでいたことを指摘した上で「生物学的な議論はあるかもしれないが社会的に女性として生きてきた人が批判にさらされたのは遺憾だと思う」と伝えた。パリ五輪では女子66キロ級でイマネ・ケリフ(25、アルジェリア)、女子57キロ級でリン・ユーチン(28、台湾)の2人が性別騒動に巻き込まれ、誹謗中傷にさらされながらも金メダルを獲得した。 

 

【映像】NBAカリーの妻らがパリ五輪決勝後に会場外で現地警察とトラブった問題映像 

 

個人的見解を語った日本ボクシング連盟の仲間会長。6月に就任したばかりだ 

 

 パリ五輪で性別騒動に巻き込まれた2人の金メダリストの戦いを東京五輪で入江聖奈、並木月海という2人のメダリストを生み出した日本ボクシング連盟はどう見ていたのか。連盟が、今回の騒動の引き金を引いたIBAに加盟しており、検討していた脱退に踏み切れなかったという現在の立ち位置もあってか、「連盟内で議論はしていない。どちらに立つというスタンスではない。あくまでも会長の個人的見解」と前置きをした上で、仲間会長が見解を語った。 

「IBAとIOCがもめている政治的議論のなかでIBAが、このタイミングで(性別適格性検査での失格問題を)ぶつけてきた。(性別適格性)検査がどこで行われたのか。WADA(世界アンチドーピング機構)の承認機関だったのか。なんの検査をしたのか。各国のNF(統括団体)レベルで、正確な情報を把握できていない中で、染色体検査結果という超個人情報を暴露された。このタイミングでこのオープンの仕方は少しどうなのかな?と思う」 

 そう疑義を呈した。 

 IBAは昨年の女子世界選手権でケリフとリンに性別適格性検査を行い、一般的に男性が持つ「XY」染色体が検出され、失格処分にしたと発表して騒動のきっかけを作った。だが、仲間会長が指摘するように検査の実態が不透明で、IOCも会見を開き「IBAの検査は不透明で欠陥がある」と指摘している。 

 さらに仲間会長は今回の騒動には「議論が2つある」とした。 

「ひとつは生物学的に男性に近い女性が女性の個人競技スポーツに出場すべきかどうか。(もうひとつは)こういう結果(染色体の検出)が出たから、大会から除外すべきだと言って除外されるものではない。政治的、社会的、思想的なところから完全に切り離して、専門家を交えた科学的議論をして、大会に応じて基準を発表すべき。この問題が政治や思想に使われてはいけない」 

 昨年IBAは、不正が横行する不透明なガバナンスを問題視され、IOCから五輪の統括団体としての資格を取り消されて排除された。IBAはそのIOCに対決姿勢を強めて今回の性別問題を持ち出し、トーマス・バッハ会長に対して個人攻撃も行った。2021年の東京五輪も、その前の世界選手権でも、出場の認められていた2人の性別騒動が起きた背景には、そのIOCとIBAの政治的対立がある。 

 

 

 またLGBT権利運動に懐疑的な立場をとる人気作品「ハリーポッター」の作者、J.K.ローリング氏や、イタリアのメローニ首相、米国のドナルド・トランプ元大統領らが批判的なコメント、投稿を行い、思想的な対立にも巻き込まれた。 

 だが、一方でIOCは、パスポート、戸籍に基づいて出場資格を与えており、ジェンダー選手ではなく今回の2人のように生まれてからの性発達が一般の人とは異なる「性分化疾患(DSD)」の選手への明確な基準が示されていなかった。 

 世界陸連は男性ホルモンの一種であるテストステロン値に基準を設けたが、陸上のロンドン、リオ五輪金メダリストのキャスター・セメンヤ(南アフリカ)が、スポーツ仲裁裁判所と欧州人権裁判所に訴えるなどの波紋を呼んだ。  

 仲間会長は、東京ベイ・浦安市川医療センターで循環器内科の部長として勤務、心臓、血管のカテーテル治療医として業界で名の通ったドクター。だからこそ生物学的な見地から、基準作りの重要性を訴えるのだ。 

 仲間会長は、最後に「生物学的な議論はあるかもしれないが、社会的に女性として生きてきた人が批判にさらされたのは遺憾だと思う」という言葉で今回の性別騒動に関する見解を結んだ。 

 IOCも「すべての人間に差別を受けることなくなくスポーツを行う権利がある」との声明を出している。 

 

 

( 203271 )  2024/08/19 16:38:09  
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この一連のコメントから分かるように、多くの人が議論の焦点として、性別や生物学的な要素とスポーツ競技の公平性や安全性について深く考えています。

一方で、個人の尊重や差別の排除、選手の安全性に対する懸念も表明されています。

また、科学的な基準や検査方法を設定する必要性についても意見が分かれています。

議論の際には、公平性や選手の安全性を重視しつつ、個人の尊重や差別のない社会を築くための配慮も求められるようです。

 

 

(まとめ)

( 203273 )  2024/08/19 16:38:09  
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=+=+=+=+= 

もし日本人でこのようなボクサーが誕生した時にJOCとしてどう対処するのかを示さないと、なんの為の見解なのか分からない。ボクシングという危険が付きまとうスポーツでこれは有りなのか無しなのか。基準をどうするか。現女子ボクサーが納得する形の見解を出さないと。 

 

=+=+=+=+= 

女性として社会で生きていく事には、何の問題もないですがスポーツでしかもオリンピックでしかも性別を分けたスポーツとなればそこは疑問があると思う いくら世界中男平等だと言っていますが、スポーツとなれば男子と女子は別に競技している中で 気持ちや精神的には女性と認められていても 筋肉やホルモンなどの分泌が違うと思います ですので今後はしっかり検査方法や判断基準を決めるべきです 

 

=+=+=+=+= 

ルール内で戦っても命を落とす危険がある競技で、国を代表するくらいトレーニングや経験を積んだ人がすぐ棄権するようなルールの想定外の存在を、簡単に判断はできませんよね。 

会長の挙げた2点に含まれると思うけどスポーツとして最低限の安全が担保されないことには、競技が成り立たなくなってしまう。 

ルールで吸収できるなら彼女と戦ってみたいという選手だって出てくるかもしれない、そういう方向に発展してほしい話ではあるかな。 

 

=+=+=+=+= 

生まれ持った性差が影響するスポーツのような大会・記録会においては「生物学的性別」でエントリーを受け付けるのがよいと思う。しかし、戸籍や身分証明書で性別を変えていることが珍しくなくなった現在、一般社会でそれをどう確認するかは課題だろう。 

経緯からも当事者を批判するのは違うと思う。むしろ本人にそのつもりなは無かったかもしれないが、社会に課題を示し考えるきっかけを作ったことはよいことだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

これは他の選手がどう考えているかをちゃんと無記名でアンケートを取るなりした方がいいと思います。 

 

生物学的に超えることができない壁がある、ということは認めてはならないと思います。 

 

当人は生まれてきたままであっても、それが男性とみなされるの出れば女性競技に出ることができない、ということが他の女性の尊厳を守るために必要な措置だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

団体の会長が安易に個人的見解を述べるのは控えた方が良いのではないでしょうか。女性として生きてきたことを問題しているのではなく、選手の安全性を確保して極力危険性を排除しなければならないからルールを決めているのであって、選手生命を脅かすことがあってはならないのだから、そこを述べるべきではないでしょうか。生物学的な議論があるかもしれないが、という部分が一番の問題点だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

連盟は 新団体への加盟を検討しているということだったが、そこまではまだ踏み切れなかったということか。 

しかし個人的な見解 といっても、会長が公開の場で話した言葉は重い。 

そこに 連盟としての苦渋 が見える。 

 

入江聖奈さんは、実際にリンユーチン選手と対戦してきた経験から、大きな差は感じなかったこと、彼女の練習 姿勢へのリスペクトを話している。 

入江さんの発言が顧みられていないことは残念だ。 

 

連盟は選手たちのためにも、速やかな決断が必要だ。 

 

=+=+=+=+= 

別に選手が悪いのではなくてルールを決める主催者に問題があるだけ。 

明らかに圧倒的、身体的に有利な選手を区分けもせず同じカテゴリーに入れるのがありえないのです。 

体重によってあんなに絞り切るほど厳格に制限かけられているにも関わらず身体的な男女の違いを無視して良いわけがない。 

これらを分けられる事に至ったとしても差別でもなんでもない。 

 

=+=+=+=+= 

この問題は慎重にすべきとは思うが、ボクシングは生命に関わるので 

生物学的に男性であるならば、これは考えないといけない問題のように 

思える。 

実際にパンチを受けた人は、かなり違ったと話している訳ですし。 

出場できないのは理不尽とか、かわいそうとかの意見は出ると思うが、 

身体にそうした不公平は、沢山ある。 

耐えている人は大勢いる。 

パラに出ている人だって、本当はパラでは無い方に出られたらと思って 

いる人もいるだろう。 

みんな、何かに耐え、何とか折り合いをつけて生きている。 

男性と女性とでは、どんなに頑張っても身体的な差はある。 

それを一緒にするのは厳しいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも論としてほとんどのスポーツで男女分けがされているのは男女平等やハラスメントの観点からではなく性別による身体能力の差によるものでしょう。だから身体能力に差があまりない小学生は一緒に体育の授業をするわけで。 

であれば精神的に女性であるかどうかより肉体的に女性であるかどうかの方がスポーツの世界では重要であるように思う。でなければ今後メダル云々のレベルではなく障害や死亡を伴う事故が発生しかねない。 

今後の対応としても女性の枠組みの中に男性の肉体を持つ女性を入れることに対する労力よりも男性の枠組みの中に男性の肉体を持つ女性を入れる方が既存のジェンダーフリーの延長線上で行けて対応しやすいと思うのだけど。 

 

 

=+=+=+=+= 

これから先、必ず同様の問題が起き、議論が起きることになる。 

 

スポーツの性質上、生物学的に男女を区別する必要があるというのであれば、人権上の問題があるとされていることは確認した上で、染色体で判断するしかない。染色体「Y]が入っていれば、それがXXYだろうが、女性的な身体的特徴を持ち合わせていようが男性、そうでなければ女性と判断するしかないと思う。 

 

オリンピックをはじめとした大きな大会に出場する際は、事前に染色体検査を受ける事を義務付ける。もちろん、これまで自認してきた性とは違う結果がでてしまい、後の人生が大きく変わってしまうリスクがある。このリスクを踏まえた上で、検査を受ける(=大会に出場する)かを判断してもらうところが落としどころになるのでは? 

 

=+=+=+=+= 

性別は自分の意思で変えられるという性自認の概念が普及した反動として、生物学的な男女の区分はどこにあるかに焦点が当たり始めたということだと思う。 

特に、スポーツは、男女の体力差が如実に影響するから、今後、より科学的根拠に基づく区分が重要となってくるのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

話は理解できる。 

今回の件は元男性がお気持ちひとつで女性扱いしろと言ってるわけではなく、生まれついての特徴を持った人の事案だと知ったとき、排除するのが当然とまでは思えなくなった。 

 

しかし、これをボクシング競技の参加資格として認めてしまうと、もう生まれつき持ってる人と持ってない人の差が埋められないほどの影響があるわけで、競技として成り立たないとも思えた。 

 

個人的見解としては 

持ってない人が努力で超えられる範囲ではないと思えて、 

認めるべきではないと思ってる。 

 

=+=+=+=+= 

ボクシングがなぜ性別や、細かい体重別に分かれてるのかって考えると、社会的よりも生物的にどっちなのかというのが優先されるのではないでしょうか。本人の意思を尊重するのも大事ですが、他の選手の安全を担保する方が大事なのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

社会的に女性として生きてきたのはもちろん認める。それと競技の中で公平性を保つことは別の問題だと思います。公平性というのは競技に参加する両者にとって納得のいく環境を整えることです。これは差別ではないと思います。団体として染色体異常に対するルールの細分化に踏み込む団体が出現しても良いと思います。ボクシングという競技においてどのようなルールを有する団体が公平か、勝利者が権威を手にするかは世論が判断するでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

以前にテレビの科学番組で、男女ははっきり分かれているのではなく、両極から緩やかに変化すると言っていて驚いた。男性らしい女性や女性らしい男性も存在するのはそのような性のグラデーションの中に存在しているとのこと。 

 

その中で性で区別する競技は、やはり科学的、客観的に分けて試合をしないと特に格闘技では相手へのダメージが大きすぎる。 

 

次回のオリンピックまでには世界中がはっきりと分けられるように基準を作らなければ、怪我人が出るようになる。 

 

=+=+=+=+= 

その個人を攻撃するんじゃないけど、ボクシングは危険な競技。 

厳格なルールの中で行わないと、相手選手も事故になってしまう可能性がある。 

 

選手としては、特殊能力だろうが、自分が活躍できるなら出場したいだろう。 

化学と倫理の境界線の中で、どう判断するのかを世界で見解を統一すべきなんですよ。 

で、個人的には前述のとおり、本人には気の毒だが出場は禁止したほうが良いと思う。 

安全面でもよくないし、ボクシングの興行面でもアンフェアな空気が消せずにつまらないものになってしまう。 

 

=+=+=+=+= 

持って産まれた染色体が男性としての方に傾いていても、女性として生きて来てボクシングのオリンピック選手に成った。と言うこの方の顔も体型もやはり男性にしか見えませんでした。日本でも多様性を認めようとの動きが有りますし、色んな人が居て当然だとは思いますが、女子のボクシングの場合オリンピックの時の映像を見ても、やはり女性だとして参加するのは対戦相手の女性が不利に成ると感じました。多様性を認めるので有れば 

パラリンピックの方で出場してもらう等での対応も可能だろうと思います。世界中にこうした両性を持って生まれて来た人達は沢山居るのですし、その方達の身体能力を考えたら普通の女性選手は将来、こうした対戦相手には勝てそうも有りませんよね。多様性を言うならば今の時代に合った選手規約を作るべきだと思いました。 

 

=+=+=+=+= 

スポーツは同じ土俵で競い合うもの。たとえば何㎏組なんとかとか何百mハードルとか、無差別戦なら別だが短距離専門の選手が長距離戦には出場しないし軽量級が重量級では出場はしない。社会生活が女性で心も女性であっても、体は男性の筋肉を持っているとしたら、女子として戦うことはドーピングしてる選手となんら変わらないのでは?今後もこんな事例をOKとししあいにでても良いと言うなら、もっと明確な規定を作るべきである。 

 

=+=+=+=+= 

社会的なジェンダーと,一般的に認識されている性別による身体能力とが整合しない状況で,既存の性別区別に押し込めようとするから問題が生じる。社会的なジェンダーと身体能力による性別を一致させるためには,男性,女性のほかに,女性的男性,男性的女性,そのほかなどに区別する必要がある。パラリンピックでは色々な障害によって区別されているのだから,ジェンダーで細分化するのは十分に可能なはずだ。それをしないのはジェンダーの考え方自体が成熟していないのだと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

社会的に女性や男性として生きるのは別に何も否定されることではないし、個人の自由だと思う。だけど、スポーツなど体を使って競う場ではそれは通用しないんじゃないかなと思う。 

いくら精神的には女性や男性として生きてきたとしても、染色体や身体的な特徴が異なるのであれば、そこは厳密に分けないと決してアスリートを平等に扱っていることにはならないと思う。 

 

男性、女性、生物学的に女性に近い男性、男性に近い女性 

と細かくカテゴリーを分けるしかないのでは? 

 

=+=+=+=+= 

スポーツとして単純に持って生まれた筋力や生命力でクラス分けするという単純なことかと思う。そこに本人の性自認や生い立ちまで絡めているから複雑になるのではないかと個人的には思います。一部の協議を除きウエイト別にクラス分けしてるのは同レベルでの体格で行う為だと認識している。今回はそれが 

ウエイトではなくて男性の遺伝子を持つ肉体の筋力、スタミナが問題視されての批判かと思います。同じ努力をしたならやはり生態系により優れている方が強くなる。有り体に言えば対戦相手にしてみればその選手の性自認も生い立ちもあずかり知れない事でただ不公平としか思えないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

そもそもなぜスポーツにおいて女性というカテゴリーが出来たのか、基本に立ち戻って考えなければいけないと思う。 

世界的に性別変更などが認められる国々が増え、生物学的には男性でも、適合治療を受ければ女性としてパスポートにも記載される機会が増えたと思う。 

多様性は否定するものではないが、こと身体的能力によってカテゴライズされるスポーツのおいては、それにより著しい不公正が生じてしまい、既存の枠組みを無意味なものにしてしまうと思う。 

 

=+=+=+=+= 

性差をもとに区分を付けている中で性に関する疾患持ちなのだから議論になるのは仕方がないと思う。 

その疾患がもたらす症状がスポーツの観点で異常値をもたらすようなものかをきちんと調査したうえで結論付けて欲しいとおもう。 

 

性疾患の発生割合に比べて、オリンピックでの金メダル数が多い気もするので有意な影響があるように感じるが、そもそものサンプル数が少ないんですよね。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも体重による厳格な制限があるスポーツは、身体格差がそのまま生命危機にも直結するから階級を設けている。 

問題は厳格な階級分けがあるスポーツにおいて、身体的な男女の違いや染色体を無視するかどうかだ。明確な基準作りのきっかけになると思う。 

今大会の金メダリストが批判に晒されるような環境を作り出した協会関係者の責任は重い。 

別に選手たちが日常的にどのような暮らしをしてきたかとか、各国で定める戸籍上の性別が何であるかとか、そこは個人の自由を尊重して良い。 

大事なのは世界の女性アスリートを守るための体重制限以外の基準作りだ。 

 

=+=+=+=+= 

この疾患は自分の意思に反しておこる為、自分自身がこれからどう生きていくのか決めなければいけない。逆に言えば、ホルモン剤で調整していける。今現在オリンピックに、女子・男子しか分けられていないのが現実。それでも出場したいのであれば、いわゆる女性ホルモン、男性ホルモンの正常値になるまで施注する必要がある。そこからがスタートでなければ、他選手と同等にはならないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

走ったり泳いだり球技で得点を上げたりするのと違って 

相手の体にダメージを与える競技は危険度が段違いになる 

ボクシングや柔道が、わずかな体重差で細かく階級分けされているのは 

100年以上の歴史があって悲惨な事故がたあったからです。 

有利不利ではなく危険であるので早急にルールを整備しないといけない。 

 

=+=+=+=+= 

「生物学的な議論があるかもしれないが社会的に女性として生きてきた人が批判されたのは遺憾」 

 

とあるが逆に生物学的に一般的な女性として同競技で努力してきた人達に対してはどう言葉をかけるのか。仕方ないよね、マッチアップしたら戦ってね、とでも? 

批判されてしまった要因は女性として生きてきた、ということではなく、性別で区別されている競技に参加したことではないか。 

性自認はセンシティブなことだが、競技は性の区別をつけないと身体能力に大きな差が出てしまうのは事実。ボクシングであればその差は命に直結するのは分からないはずがない。 

最近は都合のいい多様性、公平性という言葉ばかりが先行するが、差があるのは当然でそれを区別する必要があることはたくさんあるはず。 

スポーツにおいては性自認ではなく物理的に男性か女性かで分けなくては競技が成り立たないと考える。 

 

=+=+=+=+= 

IOCは遺伝子検査でXY染色体=男性という基準を設けていたが、それだけでは性差を明確にすることが難しく廃止したと聞いた。ボクシングのようなコンタクトスポーツが種目になったからには、安全性のためにはアンドロゲンやテストステロンの数値に基準を設けたほうが良いと思うが、外科的措置をとっていない限りはあくまで特異体質であろう。その結果がその選手の性別の否定になることは望ましいことではない。 

 

=+=+=+=+= 

ドーピング問題の場合には、どれだけ自分の生活を厳しく律して競技に打ち込んだ選手でも、意図的な場合はもちろん、自己責任ではない場合においても、違反者(陽性反応者)は試合に出場できません。 

 

それは、他の(違反をしていない)選手との公平性や、また競技に寄っては対戦相手に与える危険性が考慮されるからですよね。 

 

であれば、性別問題の場合に関しても、過去の育成歴や選手の努力に対する感傷的な評価ではなく、相手と比較した場合の実質的な影響(公平性や危険性など)を考慮するのでなくては、ドーピング問題との整合性がとれませんね。 

 

そこへの言及がないのは「新しく発生している様々な現象に対して自分たちが作ったルールが対応できていないこと」への単なる認識不足なのか、それともこの機会を利用して自分の政治的な思いをぶつけたかっただけなのか分からないですね。意図的なものなのかなと思われてしまっても仕方ありません。 

 

 

=+=+=+=+= 

オリンピックや世界を目指さなければこんなことにならず生きていけたかもしれないと思うとかわいそうだな。。 

しかし実際のところ、私はかつて長距離をやっていましたが、当日かなり足の速い子がいて。体型がガッチリしていて『あれは男だな、、、』なんて囁かれていたのを思い出しました。 

ボクシングに限らず、一般的に運動能力は男性の方が上ということを鑑み、かつ、こういう問題が起こるのならどの競技においても対策は打つべきなのかもしれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

スポーツは身体的能力のぶつかり合いだと思います。ですから、全てのスポーツに男女の区別はいらないのです。 

しかし、トップアスリートでは男性よりも女性の方が身体的能力的に不利なため、別途女性のみの戦いが生まれたと思います。 

つまり、スポーツは身体的能力の差により区別しています。階級があるスポーツはまさにそうです。 

そう考えると、今回の2名の選手は男女ではなく、身体的能力として、どのランクに入るのかが問われるのではないかと思います。 (男性と一緒か?階級が違うか?)もしも何処にも属さないならば、パラリンピックで新たなスポーツとして組み立てれば良いのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

女性に対して、女性でないとか見た目がどうとか、そういった差別的な発言が公然と為されていたことは遺憾ですし、あってはならないことだと思います。 

もやもやするポイントは、「男性的特徴を持つことを才能として受け入れるべきなのか」です。トップアスリートになるには、当然努力だけではなく生まれ持った才能も一定必要です。その中に、遺伝に基づいた男性の特徴を含めるのが適切かどうかはもやもやします。女性カテゴリは決して男性より「身体的に劣った」人のためのカテゴリではないわけですから。このもやもやを、科学的見知からハッキリさせて欲しいですね。 

 

=+=+=+=+= 

記事の前段にある、検査のあれこれがこの件での一番のポイント。 

 

そもそも選手の性別情報を暴露する事自体団体としておかしいですし 

(何かあったのだとしてもそれは本人との協議の上ですべき事です)、 

何処でどう行われた検査か不透明、その検査があったかすら不透明、 

そんな状態でIBAの態度が信用できないというのは流石に前提かと思います。 

 

DSDに関する議論自体はあってもいいかもしれませんが、 

そもそも今回の件に関してその議論が該当するかすらわからない、 

ということは今回何度でも言っておこうかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

既出の「生物学的にどうなのか」を日本ボクシング連盟から聞きたかったが、それについていまだ様子見ということだね。両団体の意向を受けてから議論したいのだろうが、連盟として独自に動かなくて良いのか。なぜならボクシングには格闘技という側面があり、であるから細かく区別されている訳で、危険ガトモナウ以上、早急に議論し科学的にも道義的にも見識を深めていかないと、選手側、つまり今回のように金メダリストと対戦者、両方がお互い心身共に傷つく羽目になる。外野も少し落ち着く必要はあるが、選手ファーストなら早めに日本ボクシング連盟として独自に動かないと、彼女らを管理する組織として能動的とはいえんかな。 

 

=+=+=+=+= 

いや個人を批判するのではなく、肉体の数値が女性の基準を超えるなら出場させてはいけないのではと言う批判です。 

 

それを認めれば、ドーピングをやってる選手と同等な異常な強さを発揮してしまう。 

現に今回問題になった2選手はタフさが女性としては相当強かった。 

 

社会的に女性として認めるのと、スポーツで女性と同じ立場に扱うのは一緒にしてはいけないと思う。 

差別ではなく、そうしないと肉体の強度の差が顕著に出てしまう。 

 

簡単な問題ではないが、議論はちゃんとするべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

選手というよりも競技委員会についての批判だと思うけどね。IBOの基準ではアウトなのにオリンピックではパスポートの性別のみで判断しちゃってるから問題になってる思う。 

東京オリンピックではテストロン値の規制があったし、今回の大会でそういった規制の必要が明確になったんじゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

この件は科学的な発展によって男・女の生物的境目の解像度が上がって、二色だと思ってた境目が実は結構グラデーションだったけど、スポーツ的には二色として境目を決めなきゃねって話…で良いのかな? 

知らなければざっくりで良かったのに、分かってしまったことで厳密に基準を定めなきゃいけなくなるのは大変ですね…。 

スポーツやゲームにおけるレギュレーションは大事ですから、社会通念とは別に人体の遺伝子レベルでレギュレーションを定めようって動き自体は賛成です。定められるのであればですが。現時点で問題も起きてる訳ですし。 

多くの人が納得できる境目を決められたら良いですね。専門的な話過ぎて自分のような一般人は勝手なこと言えない…。 

 

=+=+=+=+= 

男性としての体の定義、つまりどの程度の筋力、どの程度のテストステロンが境界として適切か示し、それを満たせば男性。満たさなければ女性と科学的に決定すればいい話。心が男性か女性かはスポーツでの区分には不要。別に参加する大会のタイミングで今回は男性、前回は女性と変わることがあっても、柔道で階級が変わるようそれで構わないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

階級違いで試合しても危険はあるし 

体重超過で試合したら危険はある 

もし身体の構造に違いがあるとしたら筋力の違いは男女とは同じ体重でも、かなり違いがある 

危険はあると思うので 

ちゃんとした取り決めをしてルールを作ってほしいとは思う 

 

 

=+=+=+=+= 

個人が社会で活きてきたことを問題にしている声は少ないのではないでしょうか?今回スポーツの規則に踏み込んだ特化した問題に限りであり、その生物学的に男でルールとして原則的に守るべきものを守らないで参加した本人たちの態度とオリンピック執行部の姿勢に批判が集まっているのであり、その国の社会に女性として生活するのは自由でありその社会のルールで問題なければ良いのであって、彼女彼を人格否定している方は少ないと思う、また否定している方の一部には人格人生観の違いで幾人かはいるのは仕方ないかもしれないと思う 

 

=+=+=+=+= 

政治問題と性別判定問題は切り離して考えないと駄目だ。 

IBAだけではなくてセメンヤ問題で長い法廷闘争を行った世界陸連もIOCの性別判断を厳しく批判している。 

女性として生きて来ようが来まいが、性別学的に男性的な身体的特徴を有し身体能力を有しているものが女性のカテゴリーで試合をするのは不公平。 

その公平を期すために男女別のカテゴリーを設けている。 

世界陸連や日本ボクシング連盟会長が言う通り、客観的な科学的生物学的性別判定基準を設定しないとまたケリフのような問題が起こる。 

それは性未分化に対する差別とは全く別の話。 

スポーツ競技は公平であるべきで、それを差別だと非難するのは全く的外れ。 

不公平を許すべきではない。 

 

=+=+=+=+= 

女性として生きてることに、何も口を挟むものではないのです 

ただ格闘技に於いては考慮すべき点があるんじゃないかと皆が思うわけです 

ボクシング連盟の会長で医師でもあるのなら余計わかるでしようよ 

XY染色体をもつものと持たざる者の有為な相違を、、、、 

公平性を担保するなら早急に新たな指針枠組みを示すべきです 

 

それが出来ないのなら野放しにしてみればいい 

柔道、水泳、100M走、レスリング、、次のオリンピックが楽しみだ 

 

=+=+=+=+= 

生まれてすぐ親が性別を選んで戸籍が作られることになるし、手術でどちらかに寄せたりして、遺伝子や本人の意思とは関係なく社会的性別を生きているひとが、身体的能力の優位性が遺伝子によるものだとして突然排斥される。実際には遺伝子のみが身体的優位性を決めている訳でなかったりしても非難する側の耳にはもはや届かない。 

もっと時代が進んだら、性別のカテゴライズが細分化されるかも知れない。 

 

=+=+=+=+= 

自分としては、生物学上としての見方も重要かと思います。 

女性としての心は持つが、体は男の力を持つ。生活していく上での差別や批判は勿論NGではあるが、体格的な差が明らかであるスポーツでは対戦相手に対しても考慮など、更なる検討も必要かと。 

 

=+=+=+=+= 

差別や誹謗中傷はもちろん絶対にやっては駄目。 

タイムの差、距離の差で比べる競技ではなく生身で殴り合う競技で筋肉の差は命を危険に晒す事にもなりかねないと思います。 

 

今回は出場させた側の落ち度ですが、自身でも普通の女性に比べパンチ力、筋力等上回っているのは分かっていたはずなのに それでもボクシングを選び一般女性を殴り倒してメダルを取りたいと思う神経が批判される原因になっていると思います。 

 

=+=+=+=+= 

この議論て基本リアルの話ではないと思う。この選手個人の生い立ちや検査の妥当性を論じてる訳でもなく、選手個人を批判してる訳でもない。この選手が生物学的に男性であるのかすら議論してる方には基本的にはどうでも良い話で、どういう定義かは知らないが生物学的に一般に男性の身体を持つ者が女子として出場することの是非を論じてるに過ぎない。この選手が生物学的に男性の身体なのかは医学的に定義する話で議論する話ではない。検査に関しても妥当な機関で妥当な検査を行ってくれれば良い話でコレも議論する話ではない。 

 

=+=+=+=+= 

『男性ホルモン(テストステロン)を増やす』のはドーピングとして禁止されているのに、『男性の身体での女子競技参加』が許可されるのはフェアじゃありません。 

そもそも男女で競技が分かれているのは、肉体のポテンシャルが違い過ぎるからです。 

男性が女性を殴り倒すのは、反則以外の何物でもありません。 

 

性別を自称されるだけで、女性選手がメダルを奪われる現状を重く見るべきです。 

 

=+=+=+=+= 

ボクシングのように直接、相手と殴り合うスポーツには性別の明確な基準があってほしい。パスポートの性別やこれまでどちらの性別で生活してきたかのようにあいまいな基準でなく生物学的にどちらの性に属するかの基準が必要。なぜなら、相手選手の生命に影響するからです。 

 

=+=+=+=+= 

どうしても「女子」として出場したいのであれば、いくつか上の階級で出すなど、生物学的男性としてのハンデを与えるという方法もある。 

ただ、ボクシングや柔道、レスリングといった体重別に階級が分かれる競技にしか適用できないので、自分で言っておきながらあまり現実的ではないのかな。。。 

 

難しい問題だけど、知恵を出し合ってなんとかしてあげたい。 

 

 

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相手選手の安全面に関してあまり言及されていないようだが、それについてはどう考えてるのか?身体的特徴が「男性」であるということは同じ体重でも筋肉量が多く、それだけ相手選手へのダメージは甚大。あらゆる競技はその公平性もさることながら、安全性ゆえに性別を分けている。IOCの判断は結果から言えば同じ体重なら男女関係ないということだから、安全面を度外視してますよね。 

 

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もし、遺伝子上の性別で区分するのであれば過去の五輪選手の遺伝子上の性についても調べる必要があると思う。ボクシングに限らず、柔道やレスリングなどの格闘技種目出場者は特に念入りに。 

 

たぶん、今回のボクシング選手のように遺伝子上の性別が男性の選手は過去に存在したと思うし、そういった選手をどう扱うか、についても議論する必要がある。 

 

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生物学的が一番の問題では?男性ホルモンが普通に分泌されて筋力等が男性で有れば肉体的に特異なことによる罪のない自然なドーピング。一般女性が男性ホルモンを投与すれば当然ドーピングになる。良い悪いではなく肉体的メカニズムの問題。これは当然区別されるべきで、本人には気の毒だけど了解してもらうのが協議を管理するする方の責任であって、ただ偽善者ぶって参加を認めるのは違う。ヘルスさん達の参加を認められない事をきちんと学術的に説得するが役目。ヘルスさんにいたっては過去の報道で子宮と男性器はないが卵巣と精巣があるとの事。これが事実ならば卵巣があっても子宮が無ければ卵巣機能は低下して女性ホルモンの分泌は少なくなる。逆に男性器は無くても精巣があれば男性ホルモンは普通に分泌され肉体は男性に近い事の無る。しかもこの特殊な場合は生まれた時に男性器がないから女性となっただけで、どちらでも選べることになる。 

 

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「生物学的な議論はあるかもしれないが、社会的に女性として生きてきた人が批判にさらされたのは遺憾だと思う」 

 

これはそのとおりだと思う。 

ただ、各国が万人に1人の精鋭を発見に激化すると、万人に1人のこの疾患の女性が選ばれやすくなってしまう。 

もちろんXYだからといって必ず筋力が優位になるとは限らないが、女性の中で筋力が付きやすい人にXYの人が含まれうる。おそらく、これまでも居たんじゃないだろうか。そういう出力のポテンシャルのある女性が無意識的でも選抜されて、オリンピックや世界大会を目指して強化されれば、男性的な出力を開花させうるだろう。 

 

でも、生まれた時に外形的に「男の子だ!女の子だ!」と祝福された子を、早々に遺伝子検査して「この子は外性器は女性ですけど、遺伝子は男性です」なんて突きつけられるか? 

宗教的に保守的な地域だと殺されるかもしれない話だ。 

 

結論にはまだ時間がかかりそうだな。 

 

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「社会的に女性として生きてきた人が批判にさらされたのは遺憾だが、生物学的な議論は必要」 

だと思う。 

発端がロシアであれ政治的にどうあれ、性別を分ける基準がパスポートというのはあまりにもお粗末。 

生活の上では女性として生きることは自由ですが、染色体に異常があるのなら競技選手としてはストップをかけるべきだし。 

それを私は女性だの一手でおしてくるなら、ある程度の批判もあるでしょう。そこは選手自身が選ぶ道。 

 

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一部には選手本人を批判した声もあっただろうし、それは確かにおかしいこと。選手は出場を許可され、そしてルール通りに戦ったのだから選手本人が批判される理由はない。 

ただし、そもそも出場を許可したIOCの判断には疑問があるし、その点の批判に対してどう答えるのかが重要。 

その点、連盟会長のコメントは問題点を正確にとらえてはいる。後はこの点の議論がどこまで本格化していくのか。 

 

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そもそもボクシングは細かいクラス分けをするほど、体格による影響が出るし、危険度も増すと思う。 

性の問題と別として見解を示して欲しい。 

本人が非難されるべきではないが、認めてはいけないと思う。 

 

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第一に確認すべきは、二人の選手が本当にXY染色体を持っているのか、女性の基準を超えるテストステロン値なのかだという事だと思う。現状では事実確認が行われておらず、曖昧な状態になっている。ネット上には彼女達を男と断定する多くの記事が氾濫しているが、必ずしも正しいとは限らない。実際、当初の記事はトランスジェンダーの男が参加しているというものだった。 

IBAと新団体WB、そしてIOCは統一した基準を策定すべきだと思う。 

 

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今回の問題はその生物学的な議論じゃないですか。オリンピックの女子種目でしょう。 該当の選手が批判に晒されたことが問題というなら、始めから男子の体質で、遺伝子的にもそれか、それに近いというなら、始めから参加させるべきではなかった。 他の一般の女子選手の不公平、不利益に繋がるし、格闘技ともなると生命の危険もあると専門家がのべている。 一般の女子選手の安全や権利を守るべきだ。 

 

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スポーツが男女別に明確に区別されているのだから、いくら女性として育てられたと言ったって、それは精神面の話であって、肉体面は男性の遺伝子を少しでも持っているんなら、それは男性だと思う。女子競技に参加してはいけないと思う。心理学ではなく科学的に対応するしかない。 

 

 

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社会的な性と競技区分の性別は関係ないでしょう。何で関連付けたコメントをするんですか?各自のタイムを競うだけの陸上競技ですら男女どちらのタイムとして取り扱うか問疑されるのに、特定の対戦相手と直接勝ち負けを決める格闘技のような競技では、参加資格として性判定が必要になるなど前提が異なって当然なのでは。 

 

=+=+=+=+= 

多様化が今後ますます当たり前になっていく流れだとすれば、五輪という特殊な大会に限らず、日本スポーツ界全体で今のうちから議論して一定の基準とか決めておかないとならないのでは? 

特に男女別競技だったり、男女混合とかね。 

 

何が正解なのかはっきり分からない。 

 

複雑にしすぎてもダメだろうし、ぶっちゃけそんなルールをドーピング同様うまく誤魔化す国とか組織、団体が出てこないとも限らない。 

 

一番簡単なのは男女別という分け方自体を廃止してしまうことだろう。格闘技や武道などの体重別はあっても男女別はなしにする。 

 

そうなると、現状の記録からしてもほとんどの競技で男性ばかりが優位になってしまうことになるけど。 

 

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もちろん当該選手の人格や尊厳を守り認めるべきと言う考えもわかりますが、こう言う選手を女性として同じ土俵に立たせることが女性の権利を侵害することにならないか?と言うことももっと議論されるべきです。身体の構造がまるで違うのでハンデがありすぎる。スポーツはお互いイーブンの条件で行われるのが絶対的なルールだと思うので男女平等の世の中ですがこればっかりは平等とはいかないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

その通りですね。 

スポーツ競技への参加資格は人間が決めるものですので、安全性や公平性などを総合的に判断して決めるしかないです。残念ながら、社会の多様化もあり、すべての人の意見を応えられることはありません。 

現時点、IBAが運営している世界選手権では大会中に当該選手を失格扱い、と判断を下しました。一方、IOCタスクフォースで運営しているオリンピックはこの選手たちに参加資格を与えました。それぞれにそれなりの根拠があるのでしょう。 

これらの団体の方針に意見するのは問題ないが、少なくとも、開催団体の規定に従い、ルールに従って競技に参加した選手個人を批判するのは、まったくのお門違いです。 

 

=+=+=+=+= 

ジェンダーを批判も否定もしない。 

 

ただ、世の中には捨てないといけない、叶わない夢はたくさんある。 

努力ではどうにもならない才能は確かに存在する。 

それを不条理だと言い、周りが忖度してしまったら全てが曖昧になる。 

 

スポーツ界の男女の違いは、心的な事ではなく肉体的な話でなければならない。 

じゃないと、特にボクシングなんかは相手選手の命に関わる問題だと認識するべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

実際の男子ボクシングでも、同じ身長同じ体重なのに骨格的な差でかなり上の階級を主戦場としてるなんてケースは多々ある。 

それ故に生物学的な意味での男女はどうしても越えられない壁はあると思う。 

その人がどう生きている・生きてきたかの問題を問うてる訳ではない、スポーツとしての公平性においてどうか?という議論。 

 

=+=+=+=+= 

社会生活を営む上で女性であることを否定している訳ではない。男女別の競技への参加においては生物学的な性別判断が必要であるというのは当然である。なぜ男女別に分けているかを考えれば当たり前の話で、それを否定するなら男女別にしなければいい。 

 

=+=+=+=+= 

本人が悪いとか良いとかいう問題ではない。 

単純に考えれば誰にでも理解でるはず。 

女性と男性の腕力、体力は圧倒的に差がある。 

女性の筋肉量は上半身が男性の50%位、下半身は男性の70%位しかないと言われる。 

男性の肉体を持った女性が、女性同士で競技すれば結果は容易に想像できるだろう。 

国際大会における肉体的性区別は必要であると思う。 

今までそれをしてこなかった事自体がおかしい。 

 

=+=+=+=+= 

基本的に皆さんこの方が女性であると認識していると思います 

生まれてから普通の一般的な女性として成長されたでしょうしね 

ただ、スポーツの場でということになるとちょっと違うのかな?とは思います 

今の時代では難しいのかもしれませんがいろんな議論が必要で、それがあまりなされないままオリンピックという大きな舞台に出てしまったものだから公平性や安全面の部分で批判が出たのだと思います 

簡単に多様性とかいう言葉で生物学的に一般的な女性と一緒の舞台それもボクシングというある意味危険な競技に出場させて大丈夫だったのだろうか?とも思います 

いろいろ言われてしまった当事者も、危険を感じながらリングで戦った選手も選手全員が被害者のように感じてしまいます 

 

=+=+=+=+= 

女性として生きてきた人が批判される状況を作ったのはパリ五輪とかじゃないの。そこで生物的に男性に近く平等性に欠けるから出場出来ない判断していれば批判を受ける事はなかったし、他の選手が今まで努力してきた事が水の泡になる事もなかったと思う。他の全ての選手を考慮するか1人の男性寄りの選手を考慮するかなら他の全ての選手を考慮するべきだと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

日本ボクシング連盟の会長は、我々より遥かにボクシングに詳しいのは確かでしょう。「生物学的」「安全性」「女性の枠での公平性」などなど、これから専門家の元に議論されて結果をだすでしょう。 

 

今現在、専門家が出せていない問題に関して、個人の選手に対し誹謗中傷してはならないと感じています。何が問題かと言えば、ボクシング連盟の会長もはっきり言っていますが選手に対して誹謗中傷は許されない。誹謗中傷とは、容姿に関する差別的な表現が含まれます。 

 

データや専門家の答えがない状態でいつまでも個人や容姿が批判されてる状態が問題ではないでしょうか。意見するときは言葉を選ぶべきでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

女性か女性でないかを一本線で区切ろうとするから難しいのでは。 

筋力にアドバンテージが出来るのが問題なら、何か筋肉量に係るものを測るような検査をして階級分けに反映させれば良いのではと思う。 

 

=+=+=+=+= 

IOCも「すべての人間に差別なくスポーツをする権利がある」との声明を出している。 

だから、そこは誰も反対していないし、その通りですよ。問題は国際試合に出場する場合の、基準をどうするのかということ。男女別としているスポーツなら、どこで男女の区別をするのかを問うているのです。当事者である選手を誹謗中傷してはダメだし、訴えるのも当然だと思いますよ。しかし、今回の参加基準が明確でもなく、招待されたということを考えれば、ことさら私は女性だと叫ぶのは、どうなのでしょうか、対戦した女性への配慮は多少なりともあっていいのではないかとも思います。IOCとIBAの争いのせいにして、逃げないでほしい。問題はそこではないのです。マスコミやスポーツ団体のほうが、LGBTQと絡めて問題のすり替えをしようとしているように見えて、不快です。明確な基準を作り女性スポーツを守って言ってほしいというのは、誹謗中傷ですか。 

 

=+=+=+=+= 

性別でわけているのは 

身体的構造からくる運動能力に与える影響の大きさからではないのかと思っている。 

筋肉の付き方や骨の大きさなどで運動能力も変わってくるのだから。 

身体的構造で性別分けするべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

社会的生活ならその人が生活してきた性別、 

生活したい性別で生活するのは十分ありだとしても、 

競技は別だと思う。 

男女別に分けて行われている競技なら 

それは生物学上の性別で分けないと意味が無いと思うけど。 

格闘技系が同性であっても細かく階級別を敷いているのか考えれば 

自ずと答えは出てきそうなものだが。 

 

=+=+=+=+= 

体重は定量的、性別は定性的な指標として格闘技ではクラス分けが行われてきた。これからは性別もテストステロン値を定量的な指標として、体重とともに2次元的なクラス分けが必要になるのか・・・。細かすぎて、順位を争うような代物ではなくなってしまいそう。 

 

=+=+=+=+= 

1. 各個人が平等にボクシング競技に参加出来ること 

2. ボクシングが競技としての公平性を保つこと 

 

この2点を満たせれば良いわけだが、性分化疾患により、女性として産まれてきたが、テストステロン値が高く、骨格や筋力など一般的な女性と明らかに異なる個人が出てきた場合、女性として一括りで扱った場合、この2点はどうしても両立出来なくなる。 

 

そのため、まず、2を成立させなければ、競技としての成立が難しくなり、その状態を放置すれば、競技は衰退していくことになるので、2を確保した上で、無差別級など1の実現方法を考える必要があると思う。と思いつつも、別枠とした場合、参加人口は極端に少なくなり、競技開催自体が難しくなったりと1の実現は難しいだろう… 

 

競技運営側が、しっかり優先順位を明確にして対応するしかない。 

 

=+=+=+=+= 

「生物学的に問題があるかもしれない」っていうのはどうなのかと思います。生き物は機械ではないので予め個体差が出来るような仕組みになっています。スポーツだって個体差があるから、それを競う意味があったりするわけでしょう。ある確率で変異があるのは、生物の仕組みとしては当然のものです。それが適応的な変異であれば広まるし、適応的でなければ広まらないというだけのこと。全ての人間は同じではなく異なるけど、それは問題ではなく普通のことなんです。そういうことが染色体やホルモンの関係で生じる事で起きたとして、それも生物学的に有り得る範囲内のことなので、問題というのは、ちょっとちがう。それが生きられないような変異であれば疾患という事になり問題になるけど、そうではなく生存に問題のない変異は個性に過ぎないものです。異常ではなくバリエーションです。 

 

=+=+=+=+= 

社会で生きてゆくこととスポーツはまたベクトルが違うように感じる 

日本ボクシング連盟会長の見解は具体性が足りず、もっと踏み込んだ見解を期待していたので物足りなく感じた 

やはり疾患が判明した時点で何らかの治療を受けてもらい、女子としてボクシングを続けるのか、もしくは男性としてボクサー登録し直してもらうかの選択を提示すべきと思うのだが 

 

=+=+=+=+= 

今後性別が不明確な社会になって逝くと想います、その際に問題になるのが性別で分けられるスポーツ 

スポーツ選手の性転換は禁止とし、遺伝子検査実施を義務化し遺伝子的、肉体的に性別がどちらなのか?を明確にし、性別による肉体の不公平を無くす対策が今後必要性を求められる想います 

 

 

=+=+=+=+= 

大前提としてルールの中で「公平に」競うのがスポーツ。そのためにボクシングだって男女や階級を分けて競う訳だから、科学的、生物学的知見を踏まえ公平性についてこれから議論していくのは当然だと思う。 

 

ただ、今回問題になった選手は自身が意図的にズルをしているわけではないし、それに彼女はボクサーである前に一人の人間。そして人間には「心」がある。 

彼女をズルしている悪者扱いするのは違うし、例え正論であったとしても彼女の心を傷つける誹謗中傷は肯定できない。 

 

言葉は人を傷つけることもできるし救うこともできると思う。言葉をみんなにとってもっとプラスになるように使っていきたい。 

 

=+=+=+=+= 

これは、現役でも過去のアスリートでも男性なんじゃないかと思えるような女性ってけっこういるので、ガチな検査やったら大変なことになると思う。 

失格ならまだ良いが、今まで女性として暮らしてきたのが否定されるんだから本人もショックだろうし、バッシングや、将来どっちの性別で生きていったら良いんだと悩まされることになる。 

 

=+=+=+=+= 

何を言っているんだ。 

 

社会的に女性として生きてきたことが問題なのでは無い。 

生物学的に女性であるかどうかこそが問題の本質ではないか。 

 

なぜスポーツが男女別に行われるのか考えれば自明だ。 

男女は筋肉量や運動神経に大きな差があるからだ。つまり生物学的に男性であるか女性であるかがスポーツにとっては最も重要なことのはずだ。 

 

=+=+=+=+= 

心情的なことや世論の問題は結構です。これは競技スポーツとして、彼女がスポーツマンとして『出場する権利はフェア』ですが『競技者としてアンフェア』と考えないのかどうかという問題です。男女平等は間違いないですが昔から『男が女に手を出すな』とか『男は女を守るべきだ』とか言われてきたのには、生物学的、科学的なことはさておき、意味があったからです。女性の立場を押し通して平等だけを主張するなら男女混合のトーナメントにしたらいいです。女性は出場しませんし、無理矢理リングに上げられたら、某選手のように身の危険を案じ、結果に失望し、戦意を喪失して棄権するはずです。 

 

=+=+=+=+= 

男女の区別って、スポーツをはじめ、まだ明確に結論づけられていない領域がたくさんある。そういった議論が分かれている領域において、当然のように権利が認められているがごとく振る舞って周りの人に迷惑をかける。そういった前のめりで自分勝手な姿勢が社会を混乱させ、ジェンダー問題の進展を妨げていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

IBAとIOCの政治的対立があって、IBAを否定するようなルール運用をIOCが行い、「パスポートの性別で出ていい」って雑な運用で今回の事が起こったと。 

同時に、IBAがIOCを批判するため彼女の個人情報が流布されたということだろうか。 

その背景を鑑みると、その政治対立に使われて巻き込まれた選手に個人的見解のお気持ちとして配慮する気持ちは理解できる気がする。 

何にせよ、思想や政治的正しさとかよりも、選手の安全や健康を第一に考える事を団体は考えてほしいものです。 

 

=+=+=+=+= 

遺伝子レベルでも 

他の選手よりも優位な可能性があるなら 

完全なイコールコンディションではなくなる 

 

他の選手から不満が出ないなら問題ない 

しかし今回は 

不満がない、という状況では言えない 

 

遺伝子レベルで公平だ、という根拠を 

示す義務はあると思う 

 

=+=+=+=+= 

女子サッカー、女子バスケというカテゴライズも差別 出場機会という観点から言うなら15人制、7人制ラグビーの別枠も他競技のアスリートからすれば差別 全空連傘下の選手がオリンピックに参加できて日本空手協会所属の選手が参加できないのも差別 ジェンダーに限らずかように誰かの立場から見える差別は蔓延しているのだが 今回ボクシング参加資格に対する見解が特定団体のロビー活動と賄賂の結果ではなくIOCの本心なら、ぜひ是正して見せてほしい 

 

=+=+=+=+= 

だから、染色体と筋肉の関係をきちんと示すことが必要なのではないですか? 

男性の持つ染色体が男性的な筋肉を作るのだとしたら、それはもう、スポーツにおいては男性の部類、筋肉の異なる女性との、まして殴り合いのボクシングという競技では圧倒的に力が違うわけだから、いくら普段女性として生活していようと、男性の筋肉を持つ人に女性の大会への出場資格は無理がありますね。それを示していなくて、会長という方が感情で物申しては遺憾と思います。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも、ボクシングをオリンピックの種目にする必要があるのだろうか。殴り合う競技は興行としてはおもしろいが、アマチュアスポーツとして普及を図ることとは、一線を画するように思う。テコンドーも同様だ。これらの格闘技の協会がいろいろと問題を報じられることも気になるところだ。 

 

 

 
 

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