( 203384 )  2024/08/20 01:36:57  
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社会人のマナーに「こんなの常識でしょ?」と考える大人世代に若者たちが感じる不満 「それって明文化されてましたっけ?」

マネーポストWEB 8/19(月) 15:15 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/648d76d96c73ed70e5fec4cb36f7142137ab9a18

 

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若者と大人世代の間には「まじめ」に対する認識のズレがあり、若者は明文化されたルールに従うことを重視する一方、大人は暗黙の常識や同調圧力を重視する傾向がある。

例えば、エスカレーターの利用や仕事上のマナーなどがその一例である。

金間大介さんは、ルールをルーズにせずシビアに守ることがまじめな振る舞いとし、若者に対してはルールを明文化して周知することが重要だと指摘している。

バイアス(先入観)に支配されず、お互いの違いをオープンに受け入れることが重要だと述べている。

(要約)

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まじめな若者はエスカレーターに1列で乗る大人たちを、ちょっと引いた目で見ているという(イラスト/オオノマサフミ) 

 

 公共の場でも会社内でも、大人世代にとっての常識が、若者に通用しないシーンは少なくない。そんなとき、若者を大人は「ふまじめ」と決めつけてしまいがちだが、若者が取った言動には、しっかりとした理由がある。金沢大学教授・東京大学客員教授の金間大介さんは、そこには「まじめ」に対する認識に大きなズレがあると指摘する。大人は若者の言動をどう受け止めればいいのか。 

 

【表】強迫観念が強い、他人からの視線を気にする…他、まじめな人の心理的傾向 

 

「まじめで素直」という若者の心理的特徴を「いい子症候群」と定義した金間さんは、“まじめな大人たち”をどう見ているのだろうか。 

 

「“ルールを守る”という視点でいえば、多くの大人はまじめではないと思います」(金間さん・以下同) 

 

 代表的な例が、エスカレーターのルールだという。 

 

 各鉄道会社では、数年前から「エスカレーターは2列で乗ってください」とポスターや貼り紙で告知をしている。法律ではないが、明文化されたルールだ。 

 

「でも現実は、歩く人用に右側(地域によっては左側)を空ける“暗黙のルール”がまかり通っていますよね。安全上歩かないでください、と言われているのに、です。 

 

 まじめな若者は合理的なので、明文化されたルールには『決まりだから』と抵抗なく従います。だから、エスカレーターに1列で乗る大人たちを、ちょっと引いた目で見ているのが現状です。 

 

 一方、50代以上の大人たちは『みんながそうしているのだからそうすべき』という暗黙の常識や同調圧力に従うのが、まじめだと思っている。若者と大人世代では、まじめに対する認識に大きなズレがあるということです」 

 

 職場を例にとってみよう。大人が「これがまじめな社会人のマナー」と考えるのが、以下の行動だ。 

 

●メールの文頭に「○○様」や「お世話になっております」をつける 

●若い社員が率先して電話に出る 

●若い社員から先に挨拶をする…… 

 

「50代以上の人なら『皆これまでやってきたことだし、こんなの常識でしょ?』と考えるでしょう。ところが、若手としては『それって明文化されていましたっけ? 一つひとつお願いされてもいないのに、やらなかったらふまじめだと思われるのはおかしい』というのが本音です」 

 

 若者は大人を「ルールは守らないのに暗黙の常識に従わせようとする」と感じ、大人は常識に従わない若者を「ふまじめだ」と断じる。いったい、どうすれば折り合いがつくのか? 

 

「大事なことはルール化し、シビアに遵守しましょう。それが公平でまじめな振る舞いだと思います。 

 

 部署内やグループ内の小さな決めごとでも、“こうする”と決めたら明文化して全員に周知し、やらなかった人に対してはしっかり注意する。若い人は、ルールだと納得すれば、気持ちよく従うはずです。 

 

『言わなくてもわかるだろう』とか、人によって対応を変えるといった一貫しない態度がいちばんダメです」 

 

 ルールに関しては、若者の方が合理的でまじめだったのだ。 

 

 

「こうあるべき」思考になってしまうのは、暗黙の常識という「バイアス(先入観)」を基準にしてしまうからだと金間さんは指摘する。 

 

「2人の異なるタイプの女性アスリートがいたとしましょう。特にシニア層のかたは、不器用だけれどコツコツ頑張るタイプを応援したくなり、SNSで華やかな姿を発信するタイプは、『ふまじめだ』と嫌いがちです。 

 

 でも、楽しいことを発信したからといって、その選手が怠けているわけじゃないですよね? それも根拠のない『バイアス』です」 

 

 どうしたらバイアスを取り除くことができるのか。 

 

「若者の意見を『けしからん』と拒絶する前に、『へえ、そんなふうに思うんだ』と一度受け止めてみてはいかがですか? その結果『やっぱり理解できない』でもいいんです。無理に共感する必要もなくて、違いをオープンに楽しめばいいと思うんです」 

 

 1つずつ、心のバイアスを取り除けたら、もっと生きやすくなりそうだ。 

 

【プロフィール】 

金間大介さん/金沢大学教授、東京大学客員教授。イノベーション論を専門とし、教育や人材育成にも精通する気鋭の研究者。近著に『静かに退職する若者たち 部下との1on1の前に知っておいてほしいこと』(PHP)がある。 

 

取材・文/佐藤有栄 

 

※女性セブン2024年8月22・29日号 

 

 

( 203386 )  2024/08/20 01:36:57  
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この記事全体からは、若者と大人の間での常識やマナーに関する認識の違いや、暗黙の了解やルールの重要性についての指摘がされています。

記事中には一部の人が適切なルールやマナーを守っていないことに不満を示し、若者に対しても教育や指導が不十分であるとの意見も見受けられます。

一方で、年代や世代に関係なく、人それぞれの性格や経験によっても意見や行動が分かれるという指摘もありました。

最終的には、様々な意見がありつつも、マナーやルールを尊重し、相手とのコミュニケーションで問題が起きた場合には説明や理解を深めることが重要だという点で多くの意見が一致していました。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

若者は真面目、大人は不真面目という前提。 

 

若者は明文化されたルールに従い、大人は明文化されていない暗黙のルールに従うという前提。 

 

シニアはコツコツ努力型を好むという前提。 

 

バイアスがかかっているのは、若者ではなく大人という前提。 

 

寄り添うのは若者ではなく、大人の方だという前提。 

 

色々なバイアスがかかった記事かと思います。 

 

=+=+=+=+= 

例えば、車道を自動車で走る際には制限速度以下で走るのがルールですが、大概は制限速度プラスアルファの速度で流れています。 

ルールに従うのが若者、世間に従うのが高齢者となれば、将来的には制限速度以下でみんなが走るようになるんでしょうかね。 

自動運転の車は制限速度以下で走る設定なんだとなれば、自動運転の車が増えていけば自然と全体がそうなるのかもしれませんけど。 

 

=+=+=+=+= 

若者同士でも明文化されていない 

暗黙のルールやマナー的なものはあるはず。 

 

都合が悪いときだけ明文化とか言うのは 

幼稚な自己正当化だと感じます。 

 

飲食店で何も注文しないで 

注意されたら 

「注文しなきゃいけないって 

どこに書いてあるんだ?」と 

のたまう輩と大差ないと思いました。 

 

言われたことに異論があるなら 

明文化うんぬんではなく 

異を唱える理由を説明するのが大人でしょう。 

 

=+=+=+=+= 

学校だけでの小学校から大学まで色々違う。 

文系と理系でも文化は大きく変わる。 

地方でも変わるし会社毎に変わる。 

部署でも変わる。同じ部署でも支店で変わる事もある。 

旗日や昼ドンなど今は無い風習を元にした言葉は死語になる可能性が高い。 

時代で同じ言葉でも意味が変わる。 

暗黙の了解も言葉も通じない事は良くあると思った方がいい。 

新しく来た人は何の知らないと思う位で丁度いい。 

暗黙の了解が通じる物同士で長い事一緒にいると、前提条件や主語を省略して伝わらない。 

聞く時も暗黙の了解を元に判断して曲解して間違える。 

そして伝わらないと相手を馬鹿扱いしたり、真面目に聞いていないから理解できていないだけだと言った扱いをする。 

明文化してマニュアル作らず、何度も教えるのは面倒だとか最近の若い奴はと言ってキレ出す。 

年寄りが客観的かつ現実的な状況把握をして認識を変える必要があると思います。 

 

=+=+=+=+= 

世代による違いではないように思うな。 

今時、、、歩きスマホは若者もジジババもやってるし、人混みで周りの人に危ないのに日傘をヘーキでさしてる人も年齢(男女も)を問わない。 

 

明文化されてる事や、周りに危険な事をやってる人は世代に関係なく不真面目で迷惑な人だよ。 

 

それと職場で電話を取らない若者、新しく入った人は経験の蓄積が進まない面がある。入りたてなら周りも教えてくれるけど、1年も経ったら周囲はどう反応するか。 

多分、上司先輩は最初に指導や理由説明もしてるだろうけど、余りクドく・厳しくは言わなくなったからね。今のご時世、余計な世話をやいてパワハラとかブラックとか言われてもかなわん。ダメな奴は評価しないだけ。 

 

=+=+=+=+= 

例としてエスカレーターの若者を取り上げたと思うんですが、埼玉県はエスカレーターを歩かないだ止まって乗る事を義務化していますし、駅にはポスターも貼ってありますが、若い人はガンガン右側に歩いていますよ。 

この手の記事は世代間で特徴をつけて対立させたいのか、「?」な内容が多い。 

モラルとかルールに従うのは世代間よりも人間性だと思います。 

50代以上だって、ルールには従いますよ。 

若い世代だって、暗黙のルールに従う方もいます。 

 

=+=+=+=+= 

若者世代が自分なりの解釈で動くことで斬新な発見があることはあるが、大体が経験不足による非効率な行動にしかならないのだよな。 

慣習や常識ってのはマニュアルで学んで学び取れるものでもなく、周囲の大人の行動を観察し、模倣し、自分の中で解釈して身に着けていくしかない。 

若者が少ない世の中だから大事に育てていくべきだろうけど、その優しさがアダになって何も感じ取れない社会人になってしまっては意味が無い。 

教育段階でもっと実用的な学習をしないと、こんな総マニュアル化しなければ動かない若者は増えるでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

確かにエスカレーターは関東なら左に避け、関西なら右に避けるのが、慣例となっている。明文化されたマニュアルがあると便利だが、マニュアルに頼るだけでなく、その場その場で臨機応変に対応することも大人の対応ではないかな。こだわりすぎると苦しいだけ。気楽に考えたほうがいい。エスカレーターは、乗り換えとかで急いでいる方もいるだろうし、そういう方は通してあげようよ。私も時間に間に合わなさそうなときには、すみません、と通してもらいます。人それぞれの事情があると思います。それが多様化というものです。 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターの片側空けは、必ずしも「暗黙のルール」というわけではありません。 

 

この習慣ができたのは90年前後のようですが、当時は事業者側が敢えて「片側空けキャンペーン」を打っていたのです。 

その始まりは関西の阪急グループのようです。 

 

片側空けルール自体は日本発祥ではなく、イギリスでの習慣を参考にしたという研究結果も出ています。 

先進国のマナーとして、片側空けが正しい乗り方であるという刷り込みが、特に団塊〜団塊ジュニア世代あたり強いのではと思われます。 

 

要するに中高年層も、ちゃんと当時の「明文化されたルール」に従っているに過ぎず、別に不真面目とかいうことではないのです。 

変わったのはルールのほうです。 

 

=+=+=+=+= 

昔は若い社員なんかがマナー違反したときに、ちゃんと叱って(注意)くれる先輩がいた。 

自分も若い頃ミスしたけど、先輩が後から注意してくれた。「ああいう場では○○しなさい!失礼にあたるぞ!」とかね。 

今は……今の若者の必殺技「パワハラ」があるからなw 

叱られる心配はないけど、学ぶ機会を失ったね。 

そもそも「叱られたくない」と思うのが間違い。叱られて→頑張って→叱られて→頑張って を繰り返すんだよ。そしたら、いつの間にか強くなっているよ。 

 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターの件でいうと、片側に並ぶのはリスク管理でもあります。鉄道会社が明文化しているとしてもエレベーターの側に人は配置していませんよね。両側に立つのが正解かもしれませんが、世の中には変わりものが結構いますよ。後ろからそれこそ煽る人に遭遇したらどうすれば良いのでしょうか?鉄道会社は、トラブルになった時、どう対応してくれるのでしょうか。具体的かつ効果的な対応策をきちんと提示して下さい。 

 

=+=+=+=+= 

以前自宅を賃貸にしていた時、不動産会社は「お世話になっております」をメールにつけない人でした。 

他にもいくつか疑問に思うこともあり(給水の工事が必要になったときも、突然見積もり書を送ってきて、理由は記載ないとか…)担当を変えて欲しいと本社に連絡したら「なぜだか理由を知りたい」と電話があり、そのことも伝えたら、「思っていないことを書けません」と言われました。 

世代が違ったのかもしれませんね。 

でもせめて手数料払っているお客さんには、「お世話になります」くらいつけて欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

明文化しない欠点は、別に歳より若い関係なく、先にやり始めてある程度の人数が集まったら、誰でもやってるイメージかな。 

 ただその中で規模が大きくなってくると、組織の中のグループ毎に勝手に暗黙の了解であるルール作って、従わないやつに絡んでるって構図は良くありますね。 

 それに対して中高年は声を上げないが、若手は声を上げる。だから若手vs中高年と言う構図になるだけであって、暗黙の了解を作り明文化しないのは、何も中高年に限った話では無いと思います。 

 あと、一括りにはできませんが、傾向としては、若手は正面切って矛盾を指摘する一方で首を垂れる事を嫌う、中高年は黙って言うこと聞かず適当にやり過ごすのが大人で優れていると勘違いして、言ってくる相手によって態度を変える(これがより若手の反感を買うのだと思いますが)、と感じます。 

 どちらにせよ上記のような人間が増えると組織は傾きます。 

 

=+=+=+=+= 

今一つ、納得出来ない。 

エスカレーターが初めて導入されたのは、1970年の大阪万博。その時に一緒に取り入れられたのが、片側歩行のルール。 

若者が明文化されたものに従う。句点にハラスメントを感じる世代が読み書きを重んじると思いますか? 

スケボーやブレイキン、若い子たちの活躍は凄かったし、そういう子たちが真面目に頑張ってないなんて思えない。素直に素晴らしかったですよ。 

結局、お互い、素直にコミュニケーション不足だと思いますよ! 

 

=+=+=+=+= 

若い人が率先して電話取り、挨拶、当たり前だと思う世代です。明文化されていなくても当たり前にやるべきなのだけど初めからできるとも思っていないですよ。何度言われてもやらない覚えないから不真面目と捉えられるので、世間の常識はそうやって覚えていくものだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

現代版の「今どきの若いもんは」ですよね。 

世代間の対立はいつの時代にもありましたし、珍しいことでもない。 

ただ今は少子化の時代でどうしても若者側の勢力が弱い。 

これまで悪習と呼ばれてきたものを壊してきたのは若い世代の勢いだったりするので、そういう意味では社会の硬直化が心配ではある。 

 

=+=+=+=+= 

身近なところを例にあげるなら 

子育てしてる母親に対してでしょう。 

 

メイクをはじめファッションを楽しんでると、 

ちゃんと子育てしていないと決めつけた言われ方をしたり、 

 

父親が母親の代わりに公園に連れて行ったりスーパーに買い物やら家事をすると母親は旦那にやらせて怠けてる扱いしたり。 

 

今は言われないかもしれないけど、女性=家事育児という観念が強かった時代があった。 

 

 

こんなの常識でしょって世代ごとに価値観が変わるから、今の若い者はとか、言葉の乱れがどうのこうことか、そんなレベルのことだとおもうけど、 

 

ひと昔のネットスラングに常識的に考えてというのがあって、 

その頃の世代の常識論も記事にしてほしいです。 

 

=+=+=+=+= 

最近のエスカレーターでは、歩く人はたしかに減ったが、片側を空けるのはそのままで、1列でエスカレーターに乗る為に、行列を作っているのを見かける(年齢は関係ない)。 

これを見ると、正気かと思う。2列で互い違いに乗ればパーソナルスペース的にもまだいいが、やはり片側を空けなければという意識は、変わらないのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

大人と若者という曖昧な分類を取っ払って見るのがいいと思う 

暗黙のルールについては、原則的に従うべきじゃないと思う 

中には良いルールもあるかもしれないけど「暗黙のルールに従うべき」と言ってしまうと、良くない暗黙のルールをコントロールできなくなってしまう 

良いルールは明文化する 

明文化してみたけど都合の悪くなったルールは見直す 

暗黙のままだと都合の悪いルールをいつまでたっても見直せないよね 

 

=+=+=+=+= 

記事の内容は、若者とかオジサンオバサンとか関係ないと思うけどな。 

考えもなしに「お前の常識を押し付けんな」とか叫んだら間違いなく「協調性のないやつだ」と思われて生きづらくなるだけだからな。 

あとどんな人間でも、育ってきた環境で大なり小なりバイアスはかかってるから、完全に取り払うのは無理がある。 

なんでそういうルールがあるんだろう?とまずは思考し、理解する。 

それに納得ができないなら、世の中そんなもんだと諦めるか、自分はより良い提案をすればいい。 

聞いてくれるかどうかは別だけどな。 

 

 

=+=+=+=+= 

他人との関わりの中で、ある程度の決まりごとが発生するのは当然の帰結。社会経験の浅い若い人が、自分だけの感覚的発想で「挨拶に意味ある?」とか「上司や先輩とのプライベートな飲み会に行かないといけない?」とか考え、しかも実行しちゃうとか、他者との関わりに興味がないのかと思ってしまう。 

まあ、エスカレーターの2列乗りについては、走ったりといった危険行為をしない限り、立ち止まるラインと歩くラインに分けた方が、絶対効率がいいと思うけどな。 

 

=+=+=+=+= 

マナーや常識は、「物理法則ではなく法律でも決められてない "本来どうでもいいこと" をどうでもいいでは何が正解か分からず困るから便宜的に ”統一した正解” を決めておくもの」なので、本来はどうでもいいんです。ドアのノックを何回しようが、結婚式やお葬式にどんな服装で参列しようが、高級フレンチのコースのフォークやナイフをどの順番で使おうが、どうでもいい。でも「どうでもいいからお好きにどうぞ」と言われると逆に困るから、一応の正解を決めておくのが「マナー」。 

 

まぁ、子供の頃は世間体も糞もなく「どうでもいい」と言われて好きにするのが楽なのはわかるが、年取ると「正解を決めといてもらった方が楽」になるから。 

それがわからないのは、まだまだ若いってことですよ。年取ればわかる。 

 

=+=+=+=+= 

仕事でのことなのかにもよって変わってくるけど、名文化のメリット・デメリットがあるよなぁと感じる。 

 

本来はルールではなくてエッセンスや目指すべきゴールを共有・名文化すべきと思っている。じゃないと、これやったらOKでしょ、という思考停止に陥ってしまう点はデメリットと考える。 

 

=+=+=+=+= 

明文化されてないのがおかしい、と考えるのは分からなくもないです。 

ただ世間というのは非常に厳しいもので、明文化されていなくても守らなければならないルールというものがあります。マナーはそれそのものです。 

あくまでも一例でしかありませんが、深夜10時から早朝5時くらいまでの時間帯に、洗濯機や掃除機を使わないようにする、なんて例はどうでしょう。 

明文化なんてされていません。故に上で示したこの時間帯ですら人それぞれ前後する余地があり、場合によってはこれらを使わないというマナーすら理解できない人もいるでしょう。 

ですが、マナーだと言われて理解できる人のほうが圧倒的に多数です。理由は言うまでもないでしょう。 

マナーとは他人を不快にさせないための経験則の共有です。理解できないのは仕方がないにしても、守らないと不要な敵を作ることがありますし、諦めて守ったほうが無難ですよ。 

 

=+=+=+=+= 

古今東西、常識なんて違うのが当たり前。まず前提としてそれが常識である。 

で、俺(40代)にとっての常識を60代の人や20代の人に押し付けても、「はぁ?」と言われる所は多々あると思う。 

>●若い社員が率先して電話に出る 

これなんかは「入社してすぐの新人が2年目3年目、5年目10年目の先輩と同じ仕事を同じペースで仕事が出来る訳ないでしょ?だから電話を取る仕事は新人にやって貰うのがチームとして最も作業効率が良い訳。」と、相手に分かるように説明してあげたらいい。超合理的じゃん。 

このように、「何故こうなったのか?」「何故これを変えないのか?」という常識の背景を教えてあげましょう。教えないから理解して貰えない。 

ただ俺たちおっさん世代にもそういった背景を知らずに、知ろうともしない思考停止君はいます。最近の若者は云々~って文句言ってるのはそういう人種じゃね?と俺は思う。 

 

=+=+=+=+= 

必ずしも若者が率先して電話を取るべきとは思わないけれど、そうでなくても自宅に固定電話が無い家庭が増えているのに新人時代に練習しておかなくて大丈夫?と思う。 

会社に電話があって外線が掛かってくるのに「(慣れてないからor苦手だから)電話取りません」は理由になりませんよ。 

むしろ逃げ回って、ある程度の年齢になってまともに電話対応出来ない方が恥ずかしいと思いますが。 

 

=+=+=+=+= 

どっちでも良い話。 

ただ、多様性や個性の時代だからマナー(一般常識)は薄らぎつつある。 

その点は理解しておくべき。 

曖昧なままで何となく済んでいたことがこれからはバチッと決めなくてはならない。 

良いことに様に思えるけど、決めるまでが大変で逆に非効率になる。寧ろタイパと権利を気にする若年層にとっては厳しい時代になるかもね。 

 

=+=+=+=+= 

イギリスは少なくとも今までのところ成文憲法というものを持っていない。 

しかし、持っていないと言いながら、歴史を振り返るものですから、例の「マグナ・カルタ」に始まり、たとえば「権利の章典」とか、その他いくつもあるんだけれども、歴史上に残る憲法的な基本文書というかな。 

そういうものは国民の前で確認はされている。 

歴史上、こんなふうにして、その時々の状況のなかで、日本人がまもるべき価値意識と規範感覚は、絶対に正しいものだったとは言えないだろうけど、そういうものだと見なされていました。 

そういう国家物語の流れがあった。 

それを重要なreference point、参照点として、今の状況のなかで、家庭から議会に至るまでの諸制度のなかでルール、マナー、エチケットに従って議論を積み重ねつつ行動している。 

要は、「歴史の英知」を現在において活かすための議論があればいいんです。 

 

=+=+=+=+= 

そういう線引きガーを言い過ぎると自分の首まで絞めることになるよ。 

ルールじゃないからやらなくていいですよね? 

賃金がでない領分は自分と関係ないですよね? 

それは確かにその通り。 

しかし人間と云うのはとこまでいってもロボットじゃなくて感情で動いてるもの。 

人間の活動には浮き沈みの波があるからこそ、ピンチの時に他人の助力が必要になる。 

昔ながらの言い方をすれば「気の利く人間」というものが、コミュニティを円滑にし人望を集めて巡り巡って自分に返ってくるんだよ。 

線引きガーを唱えるのはいいけど、それはよほど自分の仕事が完璧で他人に迷惑かける事が一切ないレベルじゃないと言えない台詞よ。 

そんな事ばかり言ってると誰も助けてくれないし見向きもされない人間になって苦しむことになるのは自分だよ。 

 

=+=+=+=+= 

んー、なんか「まじめ」「ふまじめ」、ルールだから、明文化してないから、とか言う問題ではないと思う。 

ルールじゃなくても円滑に人間関係築くにはマナーは必要だし、だからと言って自分が心を病むほど人に合わせてしんどい思いしなくてもいいし。 

電話にでるのは近くにいる人、手が空いてる人、気づいた人が率先してすればいいし。 

挨拶なんて、若い・年寄り関係なく誰でも気づいた方が気持ち良くすればいい。 

自分の意見も持ちつつ、いろんな人の意見にも素直に耳を傾けて、「ごめんね」「ありがとう」「すみません」と言えればたいてい円滑にやっていけると思うけど。 

 

 

=+=+=+=+= 

この記事に書かれている若者って社会人のようだから大人だよね。 

18歳以上は成人と明文化されているしね。 

わざわざ若者を大人と違う人間のように扱う必要はないと思うよ。 

まあたしかに世代によって常識やマナーのとらえ方や真面目の定義には違いはあるだろうね。 

ただエスカレーターの乗り方は年配者も若者も認識はそれほど変わらないと思うし横断歩道などで赤でも渡りだす人、歩きスマホなども年配者と若者で真面目の程度は同じだと思う、世代よりも個人による差だよ。 

一方でLINEやイベント、推し活などには若者特有の明文化されていない常識やマナーがあると思うよ。 

数十年たてば今の若者も年配になりその頃の若者と常識やマナーの考え方が違ってくるよ。 

 

=+=+=+=+= 

ゆとり世代だけど、その価値観で生活するのは勝手だけど、そのうち周りから評価されなくなるからやめとけ。 

むしろ、明文化されてなくても、ここに書かれていることを率先して行動する若手の方が間違いなく評価される。 

 

=+=+=+=+= 

全てを明文化するのは不可能だから、道徳観や倫理観を養うのが大事だし、協調性も行き過ぎない程度に持つ事で対人関係も上手く行くはず。機械じゃないんだから何でもルール化すれば良いってものでは無いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

要は今の核家族社会で、両親が働いているような家庭では子供の躾が行き届かない現状がある 

良いとか悪いではなく、そういう社会なのだ 

 

大人世代ではそうした事が普通に躾けられていたので、「なぜそんなことも知らない?」となる 

で若者側は苦し紛れに「それって明文化されてましたっけ」となる 

彼らは本当に知らないのだ 

企業にもこうした発言をする者を時々見かけるが、逆に「では明文化したらどうですか」と言ってもそれを啓蒙しようとはしない人の方が多い 

彼らは家庭はもちろん小さい時から地域社会との関わりも希薄なので、挨拶もできないのである 

 

今、平等、公平論が闊歩する世の中だが、世代に関係なく社会性が希薄な日本人の割合が増殖してうまく人間関係を保てない人が多い 

下手に人と関わると、面倒に巻き込まれることを恐れているのだ 

 

なんか違うんだよなあ と思う今日この頃である 

 

=+=+=+=+= 

挨拶を先に云々は体育会系の部活だけじゃないの? 

普通の社会人は気が付いたほうが先に挨拶するぞ。 

メールというか手紙の書き方みたいな一般的なマナーを知らないのは若いからではなく、単に無知で無教養なだけだと思う。 

ネットでよく取り上げられるマナー講師が最近作ったマナーは若者のほうが詳しそうだけど、あれが正しいマナーとして定着することはあるんだろうか。 

 

=+=+=+=+= 

世代に限らず人様のことをとやかく文句を付けて詰り命令する人は、大抵自分自身はいい加減で能力不足だったりする。人の上げ足ばかり取る癖に自分は動かない、動けない何をするのか全く理解してないというのが多い。そんな人職場に大勢います。経験上こういう手合いは相手にするのが一番悪い、適当にあしらってその場から去ることが一番です。 

 

=+=+=+=+= 

私は40代後半の人間だが昔からの暗黙のルールはあらためておかしくないか?と自分が思うことはやらないようにしている 

それは思考停止の行動でそれは危険だから 

記事に書いてるメールの挨拶文やエレベーターの乗り方など常に自分でおかしいと思う事を探しているとも言えよう 

そして新しい習慣に慣れるのはかなりの時間がかかる 

それは人間の心理だから仕方ない 

若い人もオヤジになったら若い頃の習慣はそう簡単には変えられないだろう 

オヤジも若い頃はそうだった 

30年後今のオヤジが入れ替わった時にエレベーターは立ち止まって乗る習慣が根付くと思う 

若い頃に教えられた習慣はそう簡単には抜けないのだから、それは50代前後になるとようやく分かってくるのである、だから私は若い人に自分のやり方を押し付けない、しかしそうすると少し上の世代からあいつはダメだと言われる、だから皆んなそうするのだろう 

 

=+=+=+=+= 

若い人に親や大人が注意したり、教えてあげないから分からない事も多いのでしょう。 

大人が注意して教えても、素直に聞けば良いが、文句と不満ばかりでは、何も言いたくなくなる。 

だから大人は何も言わなくなるけど、腹の中は不満だらけだ。 

それでも何も言わないのは、困るのは、本人だからと思っているからなんですね。 

 

=+=+=+=+= 

まぁひと昔前なら社会に出る前に周りの大人に注意されたりして覚えていくことを、ある時から逆ギレする変な親が増えたりいらぬお節介だと敬遠する風潮がまん延したおかげで、学ぶことすらできずに非常識なまま社会に出てしまった人間が増えてきているというのもあるとは思う。 

 

=+=+=+=+= 

40代半ばですが、別に「みんなそうしてるから、今までそうだから」なんていう理由にならぬ理由で言うてるわけじゃないですよ。 

むしろ、ビジネスの世界では合理性のないことはバサバサ切り捨ててますよ今は。(働いてないひとの世界のことは知らない) 

丁寧にしなさいというのは、そのほうが後のこと考えると合理性あるからです。 

なぜ指摘されてるのか、反抗心を取っ払って少し大人になってフラットな心で考えたら分かると思うけども。最近は、反抗期のままですか?という幼稚な子が多いなとは思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターで言えば、老若男女全てに対して「2列1列言う前に、エスカレーターでは乗り降り以外で歩くな!歩きたい、急ぎたいなら横に階段があるのでそっちに行ってくれ」と思うのと、2列式のエスカレーターを設置するから片側を空けたり歩いて行くので、エスカレーターは1列式のみにすれば良い。と思う。 

ついでに地下鉄の出口へのエスカレーターは、ちゃんと地上迄設置してくれ!最後が階段だと足が不自由だったり心臓が悪い人間には最後が苦痛だ。 

あと下りもちゃんと設置してくれ! 

 

=+=+=+=+= 

エスカレータの片側空けも、メールの「お世話になっております」も、普及途中で広まったもの。エスカレータは「真ん中に」などとアナウンスされていたし、データ量制限や効率の面からメールに挨拶は付けなかった。 

 

=+=+=+=+= 

つい先日、息子にエスカレーターの乗り方について言われた事が、この記事にある「なんで2列に乗るよう言われてるのに右側空けなきゃ行けないの?」って。 

 

「そうだね、2列に乗るのが正しいんだよ。だけど日本では永らく急がない人が左(地域によっては逆)、急ぐ人が右側を歩くってのが定着してるんだよ。だから、決まりを守らず右側を歩く人が今でも沢山いるんだよ。正しい事をしてても、そう言う人が多いからトラブルになる確率が高いでしょ?だからトラブル回避の意味でも右側はなるべき空けとこうね」 

 

って言っといた。 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターと、メールの文頭の話は違うでしょう。挨拶の話ともまた違う。 

 

ただこの世には「不文律」というものがあるということは共通認識として持った方が良いし、それらが刻々変わってゆくことも。 

 

というのは日本でなくても世界中そういうものがあるのが現実なので。書いてないけどやったら不興を買う、危険なこともある。 

 

例えば、他人の子供の頭は撫でたらいけないとか、大差でリードしていたら盗塁したらいけないとか。 

 

=+=+=+=+= 

ルール作っただけではダメですね。今の若者は、合理的、論理的に考えるので、なぜそのルールなのかという合理的、論理的な理由付けがなければ、おそらくそのルールを積極的には守りません。ルール作るなら作るで、意味のあるルールを作る必要がありますね 

 

=+=+=+=+= 

職場の暗黙のルールについては、そもそも終身雇用の崩壊という大前提が崩れているのに、年配側の理解や対応が追いついてないことが原因だと思う。 

若者に理不尽なことしてると愛想尽かされて転職して逃げられるのがオチですよ。それでも根性がなくて逃げ出したと言いそうだけど。 

 

=+=+=+=+= 

いや、普通に若者もエスカレーター歩いているが? 

何なら、エスカレーター横のホーム狭い部分に、「ここで待たないでください」って書いてあるのに普通に立ってるし(別に若者だけじゃないが)。 

というか、昔と比べたらマナーとか常識もネットで簡単に調べられるのに、物事知らなすぎる。覚えようという気がないのか? 

マイルールを作るのも結構だが、それだって明文化してないでしょ? 

 

=+=+=+=+= 

いや違う。こういう理解の有るイイ大人ぶった知識人の「若者迎合」が世の中に悪影響を及ぼしている。 

 

先ずエスカレーター。 

確かに私も一列に並ぶ。何故なら二列に並ぶと後ろから来たルール違反者に「威圧」を受ける事が有るからだ。私の体験では威圧してくるのは若者の方が多い。 

 

メールの文頭に宛名を書くのは誰宛か明確にするため(誤送信対策と複数に送っている場合の誰主体なのかを示す(to ccとも組み合わせて責任の序列を示す)ため)だし、若手(新人)に電話を取らせるのは取引先会社や先方の担当者の名前を覚えさせる為と、より重要な仕事をしている上中堅社員の手や思考を止めさせない為だ。 

 

文字数が有るのでこれ以上は書かないが、多くの慣例には理由が有る。勿論形骸化しているものも有るが、先ずは何故そうなのかを考えるべきだ。 

そもそもマニュアル(明文化)がなければ何も出来ない“バカ基準”をどうにかして欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

確かにあるよなーそういうの、とは思う。 

実際「常識」とか「当たり前」で従わせようとする人って思いのほか多い。 

確かに知らずにそれを指摘された若者側からしたら、「常識だから従うっていうけど、じゃあ常識って何?」って思うのは当然の反応なのかも。 

いやむしろ若者側からしたら「常識だから従え」といってなんの根拠もない行動を強制や制限させられてる方が、むしろおかしいと思えるだろうね。 

ただ説明したら納得はするというけど、マナーに関しては理屈で説明しても納得できない部分ってのが少なからずあるから、そういう所が難しい。 

例えば「自分は不快でも何でもないのになんで他人はこれを不快に思うのか」なんてマナー違反なんかは、やっちゃダメだと理解させるのは至難だし。 

 

=+=+=+=+= 

今の時代、過保護に育てられた子供達が過保護を会社に求めてる感じするなぁ。 

 

仕事もまだ覚えてない新人が電話取ったりして周りの手伝いをして今の自分に出来る事をやるというのは仕事として当然だと思うんだけどな… 

 

また指示されても納得出来ないからやらないって給料貰ってる立場の人がやる事では無いけど… 

 

 

=+=+=+=+= 

明文化されてなきゃ出来ないのならそうすりゃ良い。 

そういう人に合わせ、こちらとしても別にそれをいちいち面倒見てやる必要も無いと思ってる。 

ただ仕事の取引先の人がそれなりの年齢でそれなりの立場の人ならだいたいこんなん出来て当たり前と思ってるしこの程度でいちいち突っかかってくるような人なんか「なんだこいつ?」って思うしなるべく付き合わないようにしようと思うだけだけどな。 

がっつり稼いでる人はいちいち面倒な事考えずお互い気持ち良いと思うことを気持ちよくやるだけ。 

 

まぁ皆さんの言うように、若いからとか関係ないかな。 

面倒で口ばっかりの平社員おやじはいるし、要領良くがっつり稼いでる若い子もいるし。 

 

=+=+=+=+= 

学校でルールやマナーを守れない子供が、聞いてない書いてない言われてないって言ってたな。単に自分が聞かない見ないだけなんだけどね。まあ、そういう子供が大人になれば、当然こうなるよね。ハッキリ言うけど、明文化したら従う子は、しなくても注意を聞ける子ですよ。 

 

=+=+=+=+= 

個人的には、同じ人間の中で20代と40代を比較すると、40代がより成熟していると思う。 

そうすると、おそらく世間一般において、若者より中高年層の方が成熟している。 

若者は、未熟であるが故に理解できないものを受け入れられない。 

中高年層は、その成熟をジェネレーションギャップのタイミングにおいて発揮すべきだ。 

大人の余裕、というやつを見せてやろうではないか。 

ムキになることはない。 

ほんの20年前、我々は大人だったが、彼らはオムツを付けていたのだから。 

 

=+=+=+=+= 

その手の暴走する常識が正直苦手。 

最近だとアスリートファーストとか。 

ヒップホップは韻を踏まなきゃいけないとか。転売禁止とか。ドラマや映画は原作に忠実にとか。 

 

ただ、最近はそういう信じ込みって本能とか生来の性質なのかなと思う。人間の本能を無碍に出来ない。愚か者扱いするのも愚かな気がする。 

なんか上手い人がうまいこと楽しませて、知らない間に変化に対応できてる風に引っ張って上げたら良い気がする。 

 

禁煙とか人種差別みたいなもんで、全然ついてこれなかった人達が知らない間にやや慣れてきている。そういう煽動も必要かと。 

 

=+=+=+=+= 

自分がとんでもなく痛い思いをして、恥ずかしい思いをして、肌身を通してしか分からない、学べないコトが山ほどある。 

長い時間と年月をかけてやっと気付く、自分の小ささ、アホさ加減‥。 

そうした中でも自分の価値や人生の意義を見出すことの大切さ。 

理不尽極まり無いこの世界の中において、なお。 

良心を見失わずにいることの大切さ。 

ブレない自分をそんな中でどう築き上げていくか‥。 

若い人たち、挑戦してみたまえ。 

君たちのために。 

君たちの未来のために! 

 

=+=+=+=+= 

訴求したいのは、頭柔らかくしてジェネレーションギャップを楽しもう!ってとこですかね。いいと思います。 

個人的に市民権があるかどうかよくわからないマナーは大人だろうが若者だろうが、押し付けてこられたら嫌な気持ちになります。マナー講師ってどういうつもりなんですかね?新しいマナーでいうと、例えば渋沢栄一の一万円札を結婚式のご祝儀に使うと失礼とかって誰が勝手に作るんでしょう。鬱陶しいな〜っていつも思います。 

 

=+=+=+=+= 

今の年寄だって、若い頃はその頃の年寄に反抗しまくってたからねぇ。 

あまり難しく考えずに、若者が至らないと思えば教えてあげれば良いし、年配者は自分の常識がご都合主義になってないかくらいは振り返ったほうが良いと思うよ。 

業務に支障が出るなら明文化したほうが良いと思うけど、仕事じゃないならそんなに目くじら立てるようなことかなぁ? 

若者も年寄りがと拒否感に固まらず、何故言われるのかをちょっと落ち着いて考えれば良い。 

で、変えるべきは変え、壊すべきは壊し、守るべきは守る。 

時代はそうやって作られると思うので。 

 

=+=+=+=+= 

なんだか陳腐な内容に思えてならない。 

極端な例というか抽象化しすぎて、分断を楽しんでいるだけではないかな。 

 

若者は「習ってないことはしなくていいし、教えてくれない大人のせいだ」とか「明文化されてないことをいいことにサボタージュしているにすぎない」とか「マイルールを決めて、それに合わないことを排除している」とかいう評価軸もあり得るのに。 

 

=+=+=+=+= 

大人だろうが若者だろうが大きな心を持ってコミュニケーションをとるしかない。お互いに揚げ足ばっかり取るとうまくいかない。ちゃんとお互いに説明して納得させるしかない。 

 

=+=+=+=+= 

私は逆に今の若い人たちは真面目で優しくて人に気を遣い過ぎてると思う。 

今の50代以上が若いときはもっと不真面目でわがままだったと思う。 

でもその分他人のわがままや気の利かなさや間違いにも鷹揚だった。 

「それって明文化されてましたっけ?」 

なんてことを言うなんて考えもしなかった。 

どっちがいいって問題ではないんだけど。 

 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターの件は、50歳台以上?の方が、片方に立って片方を空けるほうがマズイですよ。 

戦後の民法改正に対応できず(理解せず)に、家長制度を振り回すことと同じだと思います。 

事例としてはマズイ事例だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

ルールを守るから真面目という感覚ではない。 

ルールを徹底的に守る人は、真面目より 

生真面目、クソ真面目の方が近いのではないでしょうか。 

 

真面目のニュアンスには、従順、物静かといった、人と違うことをしない。といったものが含まれているように感じます。 

 

いわゆる常識を知らない、慣例を知らないのは 

不真面目ではなく、物知らず。 

不真面目のニュアンスには 

反抗的、非調和、サボリ、悪行の意味合いがあると感じます。 

 

=+=+=+=+= 

この記事にある教授と謝罪した記者はエスカレーター事故があった時には女性セブンでキチンと謝罪できるのかな? 

 

この教授は若者の名を騙って自分のイライラを書いてるだけでは? 

 

エスカレーターについてはメーカーが直々に"歩かないで、その為にも二名ずつ乗ってください"と発表している。 

だから施設もその旨を放送で客に告知しているのだ。 

結果的にステップに1人づつなのは他人が隣に並ぶのが嫌な人が多いからなだけ。 

 

文句があるならメーカーに言ったら良い。 

 

=+=+=+=+= 

この記事で書かれてる大人世代に関しても、また若者世代に関しても実は本質は同じなんじゃないかな? 

 

結局どっちも何も考えないで済むから楽なんでしょ 

 

この記事で言う大人世代は周りがやってるんだから自分もやってれば大丈夫だよねって考え方なわけだし 

 

若者世代に関してはそれが決まり、ルール、規則だからそれにさえ従っておけばいいよね 

って考え方なわけじゃん。 

 

結局共通してるのは考え方とか書いちゃったけど何も考えてないってことじゃない? 

 

周りがやってるからってやるべきではないこともあるし、ルールだからってやらない方がいいケースなんかもあったりするし、なんならルールに従えばなにをしてもいいなんて考え方なんかは危険なわけだし 

 

周りがやってるけど自分だけ違うことをした方がいいこともあれば規則には沿わないけどやった方がいいこともあるでしょ。 

 

要は自分の頭でちゃんと考えてやることが大事なんじゃないの? 

 

=+=+=+=+= 

自分が社会に合わせるのは当たり前だと思うのだけれど。 

若いとかそういう問題じゃない気がする。 

「明文化」などというのは従いたくないための言い訳。 

エスカレーターの常識などは別に誰も教えてくれるわけでもなく、自分の目で見て理由に納得して学んでいくもの。 

それこそが当たり前だと思うなぁ。 

 

=+=+=+=+= 

実際それほど意味ないのかもしれないけど明文化されてないそこに配慮があるのには違いないとは思うんだよね。だったらもうちょっと他に向けるべき配慮があるだろと思わなくはないけど自分にも恩恵のある事には配慮出来てもそれ以外には無頓着なのが往々にして人間の性だからなぁ。 

 

=+=+=+=+= 

単に経験の差なのもあるよ 

色々な事をやる内に身についていったのが大半でしょ 

まぁ、中にはおかしなルールが存在するのも確か 

エスカレーターに関してはホントおかしいのに律儀に守るなぁとは思う 

 

=+=+=+=+= 

明文化されてないからやっていいとかやってはいけないとか、法律を調べにいくことできてからそういうことは述べるべきでしょうね。少なくとも温故知新できてすらない若者は慣習にまず従うべきだろうよ。 

 

=+=+=+=+= 

私も(もう、若者、なんて口が裂けても言えないけど) 

インスタでキラキラな写真集を作っています。 

別にマウントがしたい訳じゃなく、 

例えば小学生の女の子が、 

きれいなシールを集めたシール帳とか 

大切にしたりするじゃないですか。 

あれと同じ。 

「自分だけの宝石箱」という気持ちです。 

公開はしているけど、 

隠すものでもないから公開しているだけ。 

 

これを、「だから?」「マウント?」って取る人がいます。 

「チャラチャラしてるよね」って人もいます 

(カフェとか庭園が多いので、 

そんなにチャラチャラしていないと自分では思います)。 

でも、自分だけの楽しみ、 

そんなにいけない事でしょうか? 

どこまでも生産的でないといけないの? 

って思います。 

 

自分が、地味に実直に生きたいなら、 

それはそれでいいと思います。 

でも、同調圧力って言うのかな、 

みんながそれじゃないといけない? 

何だか不思議な価値観です。 

 

=+=+=+=+= 

世代が下がるにつれ、どんどん読解力が劣化していることは学力テストなどで明らかなのに、どの口が明文化なんて言っているのか? 

書いておいてやったって、読まないし、読めないじゃないか。ちょっとしたコラムやニュースも、ヤフコメ見たら「長い…」。本当に日本人か? 

それでいながら、なぜか「コミュニケーション能力」とやらをやたら重視する意味も分からない。 

 

 

=+=+=+=+= 

若者の多くは指示待ちばかりみたいな固定観念持ってる人いるけどそういう人は殆どいない 

そういう人は一部の問題児である事は若い人も理解してるし大抵はしっかりしてる 

言われた事しかやらないみたいな人が周りに多いのは組織自体のレベルが低いからそういう思考停止人間が集まるだけだろう 

 

=+=+=+=+= 

若者若造が臨機応変する判断力が無いだけの話である。コレが出来ないと言う事は要するに一般常識判断力が無いと言う事である。臨機応変判断力が無い連中が1聞いたら10やれと言っても世間知らずだから無理なのが目に見えている。明文化されなくともきちんと意味真意を察知して臨機応変に行動しろと言う事である。コレが出来ないヤツは本当に何処へ行ってもまともに通用しない上に使いモノにならないのがオチ。本当に今ドキ最近のヤツは「相手から言われた真意(※本音※)を読み取り確認しながら察知して行動する」と言う事が余りに出来ない成ってない若者若造が本当に多い。私達上司世代が明文化しなくてもきちんと言われた事は察知して読み取り臨機応変に行動しろと言う以外本当に無い話。いちいち上司世代に明文化させるな。コレこそ本当に逆ハラ以外の何事何モンでもない。恐らく私と同世代以上てある上司世代は同じ事思った人多いだろう。 

 

=+=+=+=+= 

基本ルールは従うべきだけど、でも何時でもルールに従うことがイコール真面目ではないと思うのですよね。 

時には相手の立場に立って物事考えるのも必要だと思いますよ。 

その辺の柔軟性が今の日本人に欠けているところ。 

つまらない国になったなぁーなんて仕事してても街歩いていても良く思うようになりました。 

 

=+=+=+=+= 

若者と50代の違いは違いでいいが、事例のエスカレーターは、長い年月の中で皆がそうするようになった結果という意味では合理的だと思うのだが? 

若者は明文化されているからやる、 

これは合理的というのだろうか? 

 

=+=+=+=+= 

マナー軽視の風潮があるという話。 

若い人、特にコミュ不足の人たちは、まあ、大人もたけど、意味もよくわきまえずに、自分の脳内で不合理と感じたら捨て去る傾向があるね。 

そんなことに不満もないが、まあ、ビジネス的にはマナーのよい人?色々配慮のできる人の方が有利だわ。 

お陰様で若手に突き上げられる感は全くないね。 

 

=+=+=+=+= 

それを言い出したらあらゆることを明文化しなくてはいけなくなる。 

どんな些細なことも、めったに起こらないレアケースなこともいちいち明文化しなくてはいけなくなる。 

この状況、あえて若者がドヤ顔でいいそうな言葉にすると、どんだけ「コスパ」悪いんだよ。 

そんなのコスパが悪すぎるから、お互いが歩み寄って「常識」を醸成しておく必要があるんよ。 

偏屈な若者、偏屈な大学教授にいちいち物事をストップさせてほしくないんよ。 

 

=+=+=+=+= 

仕事においては、皆が快適で円滑に業務を遂行するための最低限のルールを明文化するのが良いでしょう。単なる、仕事のための集団なので、飲み会の様なしきたりを強要したり、「了解しましたではなく承知しましたと言え」と言うような、言葉尻を捉えて些細なことをしつこく指摘する、文化は消失して欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

自分の思い込みによるルールでブチギレている60歳以上の人間は多いと思うけどね。 

若い人は、まだ長年の思い込みとか習慣が年齢的にないから、比較的まだ柔軟性があるのではないかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

私の住んでる所は田舎なので、そもそも「エスカレーターの片側を空ける」と言う、暗黙のルールが存在してない。 

  

大体この記事自体が「若者はこう、大人はこう」って決め付けてるのは、どうかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

分からんでもないです。 

私は転職経験ありますが、その経験がない上司が自社でしか通じないことを常識でしょ?という事があります。だったら分掌で規定するよう要求すると逆上します。世間知らずって最強だよなと内心嗤います。 

 

 

=+=+=+=+= 

本来ならば仕事の標準化や可視化の起点となる 

「気づき」の言葉で優秀な人が使っていた言葉でした 

 

最近は他責型人間の言い訳として使われることが多い 

自分の失態を絶対認めない意識高い系人間の常套句です 

 

明文化されていない 

詳細化が足りない 

分かりづらい 

 

コレをループさせるだけで自分のやらかした失態は 

ほぼほぼ全て手順やシステムのせいにできます 

周囲は軽蔑していますが… 

 

優秀な人ほど使わないかも? 

 

=+=+=+=+= 

自己都合で正当性を主張する時代。 

指摘すればパワハラ。 

指導すれば多様性。 

モラル以上に警察に逮捕されなければ何をしても良し? 

若者カップルの会話 

信号が赤だから止まったよ。 

ルールを守ってすごいだろ。 

と彼氏。 

ルールを守ってカッコいい。 

と彼女。 

真顔で会話する姿を見て平和だなぁ。 

今の現実。 

 

=+=+=+=+= 

「長幼の序」「時のモラル、マナー」を教わった60,70,80歳世代もほどなく…。 

次世代の人たちが住み易いルールを作って歴史を築き上げていけば良い。 

加えて心に余裕が有ったら、長老の言う事を知っておく事も 次世代のルール作りに邪魔にはならないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

新入社員に「挨拶は新入社員から積極的にするように」と言ったら「それって強制だったらパワハラですよ、挨拶は気が付いた方が先にやればいい」と言われた。その時感じたのは今の若者は何事も合理的に考えるんだなと思った。残念ながら先輩を敬う気持ちは薄いみたいだ。 

 

=+=+=+=+= 

社会経験が浅いから、明文化しといてくれよって話でしょ。聞いてません!みたいな。その若い人とやらがあと4、5年(実際そんなにかからない)したときに、まだ明文化が必要なんて思ってるかどうか、ですよ。まず、いないでしょ。誰もが通過する経験です。 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターは2列だと駅員は言わないよね。 

キャリーバッグは転倒させられるか、蹴飛ばしてしまうので立てて持つようにしてほしい。これも言わなくなったね。 

 

危ないから止めろ。これだけで良いのだけどね。明文どうのこうのは別に 

 

=+=+=+=+= 

エスカレーターの終わりが近づき年寄りがゆっくりあるき始めると後ろからダッシュをかけて追い抜く人10代・20代の人を何回か見たことがあるけど危ないよ。 

 

=+=+=+=+= 

>『へえ、そんなふうに思うんだ』と一度受け止めてみてはいかがですか? 

 

若者もお互い様。 

社会に出たのなら社会の常識や、職場やコミュニティでこれまでに培われてきた暗黙のルールも一度受け止めてみてはいかがですか? 

 

労務条件とか明文化されてないといけない部分はともかくとして。なんでもかんでも明文化とかどこに書いてあるんだ、書いてないなら守る必要ないなんてナンセンスだと私は思います。若者だけでなく常識的なルールを守らない中年~高齢者の主張でもよく聞きますけどね。 

 

=+=+=+=+= 

ルールと慣習 

今の若者も、自分にメリットのある 

慣習には従いますよ 

あくまでも、自分にとって 

メリットがあるかないかが判断基準、 

正しいか正しくないかで動いているわけではない 

 

=+=+=+=+= 

会社も地方支店地方営業所、それも場末になるほど「現代風」なモラルは排除されるよ。支店長だの、所長、部長課長、古参社員の振り見てすかさず同調しないと会議の案内が来なかったり、メーリングリストから自分だけ外されたり… 

 

 

 
 

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