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赤信号で止まると怒られる! 市場でケンカは日常茶飯事! 暴走族すら道を譲る武闘派集団「昭和のデコトラ水産便」がヤバかった

WEB CARTOP 8/19(月) 20:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/06655d731fe5c5b33a4a53dddf34c9aebe834efc

 

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映画『トラック野郎』は実際のトラックドライバーの世界をかなり脚色していたが、当時の水産便は荒々しく、競争意識が強く殺伐としていた。

デコトラ文化も日本独特のもので、現在は仕事に派手なデコトラを使うことが難しくなったが、デコトラ業界は現在でも盛り上がっている。

映画『トラック野郎』のヒットによりデコトラが一般に知られるようになり、映画の内容も実際のトラックドライバーとは異なる部分があった。

当時のトラック業界は景気が良く、トラックドライバーは荷物を運ぶことで稼いでおり、特に水産便は競争が激しかった。

現在は規制が増え、荷主の立場が強くなり、昭和時代とは異なる状況になっている。

(要約)

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映画『トラック野郎』はかなり脚色されていたというが、それでも当時の「水産便」はかなり荒っぽく、数々のエピソードを残していた。 

 

 荷物を運ぶトラックに派手な装飾を施すことで知られる日本独自のデコトラ文化。令和となった現在では、派手なデコトラで仕事をすることが難しくなったが、デコトラ界は飾り方のスタイルを変えながら、現在でも大いに盛り上がっている。 

 

【画像】「トラック野郎」以外にもデコトラが活躍する映画があった 

 

 そんなデコトラが世間に知られるようになったのは、1975年から1979年にかけて公開された映画『トラック野郎』の大ヒットによるもの。惜しまれながら他界した菅原文太さんと愛川欽也さんという両雄が繰り広げたハチャメチャな内容で、大衆の心を鷲掴みにしたのである。 

 

 映画には喧嘩のシーンがお決まりのように組み込まれていたが、仕事の内容自体も現実のトラックドライバーとは遠くかけ離れたものだった。むしろリアリティよりもバラエティ色を押し出した内容であったからこそ、大きくヒットしたのだろう。 

 

 とはいえ、威勢のいい、いわゆるトラック野郎たちによる喧嘩が多かったのは事実である。オイルショック後の当時の日本は景気が良かったため、物流業界も大いに盛り上がっていた。物量にトラックの数が追いついていなかったために、トラックドライバーの天下だったのである。個人所有の白ナンバートラックでも仕事ができ、荷物を積めば積むほど、そして走れば走るほど稼ぐことができた当時のトラック野郎たちは、文字通り体を張ってハンドルを握っていたのだ。 

 

 なかでも鮮魚を運ぶ水産便は血気盛んで、誰もが1番に目的地へ到着することを目指していた。もちろん、(鮮度が悪くなる前に届ければ届けるほど)稼げるからである。食事やトイレ休憩すらせず、一心不乱にトラックを走らせていたのだ。 

 

「昔は本当に凄かったよ。関東と関西を走るトラック街道の某国道なんてさ、夜間に赤信号で止まると、なんで止まるんや! って後ろのトラックドライバーに怒られたんだもん。俺なんか当時は駆け出しの運転手だったから、なんで怒られたのかわからなくて、本気でびっくりしたよ」。 

 

 そう話してくれたのは、昭和時代のトラック業界をリアルで駆け抜けた、Aさん。現在は、関東で運送業を営んでいる。 

 

 

 そんなAさんは、暴走族とのやりとりが印象的だったとも話す。当時は暴走族も過激で活発だったが、先述の国道を横切る際はたとえ自分側の信号が青であっても、赤信号側の国道を爆走するトラックが途切れるまで待っていたというのだ。いくら喧嘩上等な彼らであっても、猛スピードで走ってくるトラックと事故を起こせばひとたまりもない。そこには根性論などは関係なく、暴走族が止まらざるをえないような異様な光景が実際に起こっていたのである。 

 

「あの頃は、デコトラって呼び名はなかったけれど、映画の前から賑やかなトラックはちらほら見かけたよ。とくに青森や東北ナンバーの水産トラックはランプをたくさん付けたりしていたから、夜でも派手だったしな。サイドミラーで電気をつけた派手なトラックが見えてきたら、東北の魚屋だなってすぐにわかったもんだよ。彼らはなにせ急いでいるから、姿が見えた瞬間に道を譲ったもんだよ。素直に危ないし、邪魔をして絡まれたら厄介だしね。雪でも雨でも関係なく、猛スピードでかっとんでいたからね。映画でもあったけれど、市場での喧嘩は日常茶飯事だったよ。荷物の取り合いも凄かったし、荷降ろしの順番にもうるさかったからね。誰もがほら、1番おいしい仕事をしたいから。とくに鮮魚の追っかけをやっていたドライバーは恐ろしくて、本当に近寄りがたかった。あの映画ではかなり脚色してあったけれど、市場の荒々しい雰囲気だけは現実の方が凄かったかな。俺にはできないって思ったから、鮮魚や野菜なんかの市場仕事は請けなくなったからね(笑)」 

 

 なんともリアルなエピソードだ。 

 

 やがて平成の時代になると景気は停滞し、立場が逆転。荷主天下になってしまう。荷物よりも運送会社のほうが増えてしまったため、無理難題を押し付けられるようになったのだ。そのため賃金は安くなり、多くの規制や制限が課されるようになった。それも当然の流れなのかもしれないが、トラックドライバーの世界は大きく様変わりをしたのである。 

 

 誤解を招いているかもしれないが、無茶が通った昭和の時代のほうがよかったというような考えではない。どう考えても過積載運行や労働時間などに厳しい規制がある現代の方が、真っ当だからだ。ただ、反社会的な生き方がある程度許されていた時代で、かつ景気も良かった時期があったのは確かだし、人間も生き生きとしていたような気がしないでもない。 

 

 もちろん法を犯すのはご法度であるし、周囲に迷惑をかけるような行為はよろしくない。やや逆説的かもしれないが、綺麗ごとや正義感だけではなく、もっと人間らしく生きられる世の中になってくれることが、景気回復の近道であるようにも思えてならない。 

 

トラック魂編集部 

 

 

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このテキストの傾向としては、昔のトラック運転手や運送業界に関する懐かしい思い出やエピソードが多く含まれており、時代背景やトラックドライバーの労働環境の変化なども取り上げられています。

また、一部ではトラック運転手に対するイメージや違法行為についての意見も見られます。

 

 

論調としては、昔と今との違いや時代の移り変わりに対する思い入れや批判、トラック運転手に対する賞賛や批判など、さまざまな立場や意見が混在しています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

昔のトラックは、それ相当の経験と技術、人並み外れた体力がなければまともに走らせる事すら難しかったし、手積み手降ろしなんて当たり前だった、だからこそ当時のトラックドライバーは一般のサラリーマンと比べて遥かに高給取りだった。 

小泉竹中の規制緩和以降、バブル崩壊で仕事量が減っているのに新規参入業者が増え、仕事の取り合いによる運賃のダンピン合戦となり、荷主が圧倒的に強くなってしまった事により、今やトラックドライバーなんかやるならコンビニのアルバイトの方がよっぽど稼げるようになってしまった。 

 

=+=+=+=+= 

確かに昔は西に行くには東名か中央しかなかったからなあ東名じゃトラックの大名行列だったよな車間なんて2メーター位で皆んな走ってたよな排気入れれば右ウインカーってな今思うとよく死なずに走れたなーって思う。そのかわり夜中に東名でパンダにスピードで捕まったけど昔のお巡りは人情みあったんだかわからないけど素直に認めると他の軽い違反でやってくれたわ、今の時代絶対あり得ない事だわ。ご安全に。 

 

=+=+=+=+= 

随分前に4トンで地場だけやったけど請け負いで市場や色々卸してました 

当たり前かのごとく過積載してましたし 

止まるなんて考えた事無かったですね 

止まるのは食料買う時と燃料入れる時位って言っても過言やない位でした。 

稼げたし色んな意味で楽しかったです 

 

=+=+=+=+= 

もう、30年以上昔ですが自分も急いでいたので必死の思いで雪の積もった高速道を丁度100K程で走ってました。 

その脇を長距離便がガンガンと追い越して行きました。 

トラックドライバーには絶対になるまいと思いました。 

 

トラックにまぎれて高速バスも追い越して行きました・・・冬季に高速バスには絶対に乗るまいとも思いました。 

 

=+=+=+=+= 

魚の供給または需要が減ったのか、昔ほどぶっとばしている水産のトラックを見なくなった気がします。または冷凍技術の進歩で急がなくても良くなったのでしょうか。 

新鮮な魚は午前中には届かないので、昼過ぎとか午後に買いに行くのが良いと聞いたことがあるのですが、今でもそうでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

昔のトラック乗りは、エンジンの仕組みやタイヤ交換などの知識は備えないと、いざという時は自分だった。だから、点検やエンジンの音にも敏感だった。また、過積載で走った。だから、運転技量も経験も必要だった。その分、走れば走るほど稼げた。 

 

=+=+=+=+= 

此の年代から「過積載を後押しした」大型各メーカーの馬力争いが始まった。いすゞがニューパワーで250ps、Zで260ps、ふそうが230.265.280.300と4種「全V8」日野が直6の260psから追加でV8の280psが出た。UDも負けじとダルマV8、280ps 水産系はふそうと日野が独占状態 特にふそうは登りで強かった。いすゞは路線屋向きで全くダメでした。その後各社400ps前後まで上がり現在に至る。「排ガス規制は無く燃料も激安」2000年頃から直6ターボ主流になり面白くなくなった。 

 

=+=+=+=+= 

18歳(昭和58年)当時、普通免許で4トン車乗りデビュー。 

会社の先輩曰く、「夜間深夜の名四国道(国道23号)は絶対に赤信号でも止まるな、ブレーキ踏むと後ろからラッパ鳴らせられるぞ」と教えられました。飛島村から桑名区間は80キロで赤信号ブッチぎりのトラック爆走時代がなつかしい・・・今は数十台規模の運送会社を真面目に経営しています笑 

 

=+=+=+=+= 

平成のヒト桁時代、山陰道はなかったものですから、国道9号線は日本海高速と呼ばれてました。 

島根県の江津や益田を深夜に70km/hぐらいで走ってたら、後方からものすごい勢いで追い上げてくるトラックが…、道を譲らないとなぁ、なんて考えてたら、あっという間に追い越して行ったのは4トンの冷凍車でした。 

90〜100km/hで走ってたのも多かったなあ。 

あの時代、深夜の9号線は無法地帯でした。 

 

=+=+=+=+= 

規律が厳しい運送会社は車両の改造を許さない 

荷主側からすれば、規律の緩い会社よりは厳しい会社に大事な荷物を依頼したい 

自分の家の引越でデコトラ来たらどう思うか考えればわかる話(実際はそんな引越会社ないけど) 

覚悟の上なんだろうけど、仕事の幅を減らしてまでお金かけて改造するのは正直理解出来ない 

 

 

=+=+=+=+= 

国道なんかは赤信号で止まろうとするレジャーなんかはよく捲ってたのが印象的です!暴走族なんかは前からきたら関係なしにブレーキなんか踏まずに突っ込みました!当たり前ですけど彼達もいい子だから避けます!おそらく速度灯なくなるかそんぐらいまでやってたのではないでしょうか! 

 

=+=+=+=+= 

派手なイルミネーションだけではなく、衝突時の歩行者保護皆無の突起物だらけの外装、夜間は速度違反、信号無視、追い越し違反は当たり前であり、横断歩道で渡ろうとする歩行者が有ろがクラクションを鳴らしまくる。 

高度経済成長著しい昭和時代はこのような外装の車で運転をしても、依頼する荷主があり、運送会社も黙認していた 

懐かしい、昔はよかったなどとは全く思わない。 

今でも一部の白ナンバートラックやダンプにそのような外装が散見されるが、どう見ても低レベルの運転手としか見えず、自らの評価を下げている。 

 

=+=+=+=+= 

30数年前、深夜から明方の国道4号線の福島西バイパスを調子に乗って100位で走っていた俺を120~130で抜き去って行ったのは、活魚便のトラックとトレーラーの頭だけの奴らだった。俺を抜いていったポルシェを抜いて行くトラックも居た。違法な無線機か何か使って信号変えてるなんて話も聞いた。 

 

=+=+=+=+= 

セリに間に合わせるのに必死なトラック達の為に、路線便は追い越し車線なんか出ませんでした。追い越し車線を右ウィンカー出しっぱなしでガンガン走ってるトラック。走れば稼げた時代でしたね。 

今は、走れない稼げないで、なる人もいないくなりましたね。 

 

=+=+=+=+= 

昔自分がいた会社は高速代を辛坊したら例えば九州から関東で往復5万円の使わなかった分の8割バックがあったから運行費と合わせて給料に手を付ける事はなかったよなぁ。家に帰れなかったけどさ。 

まぁその分家族が贅沢してたけどね。 

 

=+=+=+=+= 

今でも水産便はイカついトラックに乗ったイカつい人をたまに見かけますね。気合い入ってるなぁと思いますが、今の時代白ナンバーで運送仕事は大変でしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

東海〜築地便やってました。 

帰りは銚子で積んで東海地区の市場か通り越して関西の市場(笑)!楽しかったです。 

今は、うんち拭く紙や鼻紙運んでます。つまらん毎日ですが市場便やってたより時間あるしボーナスも運送会社にしては、そこそこあるからかわいい嫁のためと思えば辛くないです。 

 

=+=+=+=+= 

観るのは面白いんですが、夜は眩しくて迷惑でしたね(笑) 

私の先輩は〇川急便で3年頑張ってキャッシュでマンション買ってました。 

自分もチャレンジしましたが半年で身体壊しました。 

でも税込みで400万は稼ぎました。 

鮮魚便は事故も多かったのでチャレンジしませんでした。 

そういう時代だったのです。 

今は成熟した時代なので。 

 

=+=+=+=+= 

昔の東名では大型トラックで180キロ近く出して走っているのは当たり前、おまけにCB無線積んで敵対するチームといざこざは日常茶飯でしたね。 

今でも水産便ややっちゃ場のトラックでもリミッターカットして、CBやっている人も化石ながらいるのもすごい。 

 

=+=+=+=+= 

その頃は、右車線を塞ぐバカは居なかったような。塞いでいたら、大型が車間無しで煽ってた。 

鮮魚便に乗用車で付いて行くと、東名東京インター〜名古屋インターまで3.5時間、吹田まで5〜5.5時間で着いたが、新東名が出来た今はこの時間では着かない。 

下道も246用賀から阪神高速松原か阪奈で東大阪辺りなら、1号線有料バイパス群を地元車のケツで迂回して、8時間少々で着いたが、バイパス群が整理された現在では到底無理です。 

昔は暗黙の了解というか、掟みたいなのがあり、現在みたいにアホな運転するのが少なかったかと。 

 

バ川崎民国の1Kで民団連中の族が、トラックに喧嘩を売った所を目撃しましたが、トラックの運転手が切れて、ノーブレーキで単車に乗り上げ、Uターンして破壊していて痛快でした。 

 

 

=+=+=+=+= 

スピードをガンガン出して大量の荷物をどんどん運ぶなんて米国の長距離ドライバーみたいじゃん。 

昔は日本の長距離ドライバーも元気だったんだな。 

今じゃ変な規制と米国を遥かに下回る法定速度で、すっかり元気がない。 

 

今じゃ日本で元気のある長距離ドライバーは米国でガンガン飛ばして運んだほうがずっと稼げるな。 

 

=+=+=+=+= 

若い番号で並走する高速が無い国道はよく◯◯高速とか呼ばれてた…俺の周りだけかな?w 

R19 木曽高速とか、R7 日本海高速、 

R9 山陰高速、みたいな。 

高速料金も運行費と一緒に運行毎に現金で預かって節約したら自分の小遣い増えるし、 

今と比較したら色々とやりたい放題だったかも。 

定期便で帰り荷が出来上がってない時に、会社に内緒で近場一発現金払いの内職したり、 

北海道帰りに空車で函館港でフェリー待ってたら、積み下ろしはやるから荷台だけ貸して小遣いもらったりもあったなぁ。 

今考えるとホントにやりたい放題www 

高速のPAやドライブインで休憩中にコンコンとチンピラが来て、偽ブランド物や無修正のエロ本やエロビデオも法外なお値段で押し売りしに来ていたな。 

ま、今となればよい思い出。 

 

=+=+=+=+= 

重量×速度の二乗なので、トラック自体が危険な代物です。 

80キロリミットの厳守と違反取り締まりの強化、運転支援装置の義務化とか。 

安全対策を徹底して欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

タービン唸りガバナーの封印切ってアクセル床まで踏み倒し高速ミッションで160Km/h超の高速走行が当たり前の東名でしたからね… 

オンザラジオは27.005MHz、今考えると恐ろしい事をしていました。 

 

=+=+=+=+= 

夜間の国道23の豊明辺りは赤でも止まるなが定番でしたね。横からも青信号でもゆっくり確認しながら通過でした。 

 

=+=+=+=+= 

今だって トラック野郎を超える運ちゃんは いっぱいいますよ。やっちゃ場回り(市場回り)をする輩は夜のバイパスの信号なんて みんな無視で走ったり 法定速度で走ってたら煽られどこではないです。トラックがトラックを煽られなんて日々毎日そんな世界があるんです。あまり書いてイメージを悪くなるので この辺で。 

 

=+=+=+=+= 

東名高速なんかでは追い越し車線突っ張っても 

追っ掛けが来たら道空けてたなー 

ずーっと右ウインカー出してくるから(笑) 

でも譲り合いもあって左車線詰まっててもライト消して譲ってくれるし追い越し車線復帰も後続がライト消して譲ってくれたりもちろんサンキューハザード 

今みたいな傍若無人な馬鹿なドライバーは少なかったよなー 

まあ40年ほど前の昔話ですがね。 

 

=+=+=+=+= 

大阪発の運送屋やけど 

確かに高速1号線やったな 

自分は東なら沼津まで下走ってたから 

ただ無線や横のつながりがない 

会社で走ってたので 

トラック野郎の映画みたいな事は 

してないけど 

 

=+=+=+=+= 

V8積んだ日野ZMの回送車の音、パワーは最高やった。登坂路なんてパワーにモノ言わせてダンプ軍団を蹴散らして走れたな。 

あまりに音がいいもんでマニ割りなんてする気も無かった。 

 

=+=+=+=+= 

76年から81年迄 長距離運転手してました。 

UDサングレイト/Cシリーズ、 

ふそうTシリーズ/Fシリーズ 

他 いずずも日野も乗りました 

信号守ってたら怒られる国道ねw  

名四国道ですなww 

 

 

=+=+=+=+= 

そもそも夜中はトラックしかいなかったし、みな血気盛んな20代がメインだったからいろんな意味で無理が効いたんだよね。懐かしいよ。 

 

=+=+=+=+= 

働き方改革が通用する世界ですか? 

ドライバーを奮起させてた周りにも問題があるのでは…今はどうなんでしょう。無関係な人を事故に巻き込むのだけは、勘弁して欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

時代感が満載のお話ですね 

今でも市場関係は慣れないドライバーだと 

荷卸しの際に車を停める場所が解らないと 

厳しい言葉を浴びせられると聞きました 

 

=+=+=+=+= 

青は進め。黄色も進め。赤は燃えるように突き進めと教えられました。止まるのは燃料補給のみ。2年で身体壊しました。給料はサラリーマンの3~4倍。 

 

=+=+=+=+= 

平成の運送業界での荷主天下は、運送業者同士での値下げ合戦を招いた本当に「不要な規制緩和」に起因してる事を何故書かない? 

 

=+=+=+=+= 

昭和50年代に夜中に近所の主要県道で、信号で止まろうと、ブレーキ踏んだら 

後ろから、止まるなボケ!と大型トラックから拡声器で怒鳴られた。 

 

=+=+=+=+= 

運転手へのリスペクトは希薄ながら。 

 

架装技師。 

 

メタルワーク職人。 

 

ペインター。 

 

看板職人へのリスペクト。 

 

偽りなく抱き候。 

 

=+=+=+=+= 

昔は、リミッターがついていなかった。 

高速を右車線で走って、右にウィンカーを出しながら走ってたなぁ~。 

 

=+=+=+=+= 

映画でも出てきたが 昔は、その場の現金払いだったので やる気と気合がちがった 

 

=+=+=+=+= 

バブルが崩壊するまでは日本はイケイケだったからね。 

今はこじんまりした奴が多くなった。 

 

 

=+=+=+=+= 

ライターさんの語学力が・・・ 

もちろん、(鮮度が悪くなる前に届ければ届けるほど)の所。 

、も()もない方が読みやすいと思うのですが。 

 

=+=+=+=+= 

昭和に築地の魚河岸でバイトしてたけど、大人から高校中退の不良少年までみんな荒かったね。 

 

=+=+=+=+= 

昭和のトラックドライバーは職人。 

令和のトラックドライバーは奴隷。 

誰がこんな世の中にしてしまったんだよ!! 

 

=+=+=+=+= 

>綺麗ごとや正義感だけではなく、もっと人間らしく生きられる世の中になってくれることが、 

信号無視することが人間らしいと思える人たちと共存なんてしたくないよ。 

 

=+=+=+=+= 

その規制を作ったんは、自民党議員!議員がぼろ儲けに、なるように規制を作ったからかな 

 

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良い時代でしたね、物事に陰湿さが無く良い時代でした。 

 

=+=+=+=+= 

大型トラックのいるコンビニ駐車場のゴミ散乱をなんとかしてほしい。 

 

本当に汚い。 

 

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今でも名阪国道とかはガラの悪いトラックはぶっ飛ばしてますけどね。 

 

=+=+=+=+= 

右折待ちで譲ってくれるのはトラックの暗黙のルールらしいね! 

 

=+=+=+=+= 

今でも気色悪いトラックをたまに見る。 

運送業の質を下げる行為は止めていただきたい。 

 

 

=+=+=+=+= 

茨城や栃木、千葉あたりでは現行で最新ですね。 

 

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リミッターつく前の魚屋のトラックは速かったw 

 

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なかなか威勢のいい話だが、当時のトラック事情を知る人は少なくとも65歳以上だよね 

お爺ちゃんの昔話だね 

 

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昔、国1に在った看板。「赤信号は止まりましょう」 

 

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当然 ムラサキのケンメリ ワンテール乗ってたんでしょうなぁ。 

 

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さくら水産 

 

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今も水産便は速いような気がする 

 

=+=+=+=+= 

さくら水産かっこいいなぁ 

 

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当時、東京の団地冷蔵はやばかった… 

 

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緑の速度灯が懐かしい 

 

 

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ちゃんと税金とか計算してたのだろうか、、 

 

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さくら水産カッコええな 

 

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菅原文太を思い出しました(^^) 

 

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今はデカ箱残土だな 太く短く 

 

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こんな事やってお金が貰えるんだからスゲえモンだよ… 

 

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おおげさだよ。by昔をしるもの 

 

=+=+=+=+= 

ドライブインで食事して車で手帳確認してたら、 

チンピラみたいな中年男性が手に何か小箱を持って、 

運転席の窓越しに話しかけてきた。 

 

「なぁ、オタクこのくだもん(果物)買ってくれへん?」 

なんだ?コイツと思い「要らない」というとそいつは 

派手な4t車に戻って行った。 

明らかに積荷をくすねて個人的に販売しようとしてたと思う。 

 

当時の高速道路では「活いか」と書かれてるトラックが 

前方車を煽りまくり、マッドマックスの様にスッ飛ばしてた 

のを覚えてる。 

 

トラックの運転手ってそんな人間ばかりかよ・・・ 

って当時は思ってた。 

 

=+=+=+=+= 

なんでこんなイカれた奴らを礼賛する記事を書くかね? 同じ大型乗りとして言う 水産物の冷凍冷蔵車、通称は魚屋と呼んでるが、 お前ら人間じゃねえ! 頭のネジが外れてるんじゃ無い、最初からネジなんか無い奴らだ!魚屋上がりの同僚が市場(通称ヤッチャ場)で他の魚屋が手鉤でいきなり肩を刺してきて、「先に下ろさせろ!」とわめいたらしい ところがその同僚は喧嘩に強くて逆にギタギタのボコボコにしたって言ってたw 皆さんこんなイカれた奴はほんの一部だからね! 一括りにせんといて欲しいよ! 

 

=+=+=+=+= 

日本の負の遺産。トラックドライバーの民度の低さ。訳ありの人間でも関係ない。ペットボトルに小便して投げるどころか未だに酒飲んで運転して人殺す。まともにやってる大手運送会社のドライバーが可哀想 

 

=+=+=+=+= 

確かに荒っぽい。この人たちと、最近見なくなったが、新聞配送トラックは、近づかないことだ。 

 

 

=+=+=+=+= 

あれほんの一部のアホが自己中の運転して音もうるさくトロトロ走ったり、スピード出したりわけわからん! 

ついでに窓からカップラーメン捨てたり弁当の殻捨てたり、運転ヤメロ 

 

=+=+=+=+= 

正味な話、昔は覚醒剤とか、 

マジでやってる人もいたから、 

暴走族と揉めても、 

薬のパワーで.... 

 

=+=+=+=+= 

今だって法定速度で走るとクラクション鳴らして煽るトラック野郎いっぱい居るよ。こっちもクラクション鳴らしてやったぜ。 

 

=+=+=+=+= 

いくら景気が良かろうが、いくら人が生き生きしてようがそんなクソみたいな考えが通る時代なんてやだね。 

 

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昔の運転手は覚醒剤やってる奴が多かった 

 

=+=+=+=+= 

こんな走りやってたから今でもトラックドライバーは免許あればバカでも出来るってバカ扱いされる。 

 

=+=+=+=+= 

つまんないコメントする香具師もいるなぁ。 

そんな香具師は宝くじでも買ってればいいよ(笑) 

 

=+=+=+=+= 

こんな事を記事にするのは構わないが、その行為を当時は当り前と喋るのが、どうかしてる。まるで、今の中○人と同じ。 

 

 

 
 

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