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「ぶん殴ってもいいですか」戸塚ヨットスクール校長のYouTubeチャンネルに非難殺到「体罰は善」主張に呆れる声続々

SmartFLASH 8/20(火) 15:50 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/20aa2a198290b4d5c2193d195689016d76349225

 

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「令和ヨットスクール」のYouTubeチャンネルを開設した戸塚宏氏は、体罰に関する持論を展開して物議を醸している。

かつて戸塚ヨットスクール事件で知られる戸塚氏は、体罰を行ったことで塾生5名が亡くなり、懲役6年の刑を受けている。

YouTubeチャンネルでは体罰の効果を説明し、「体罰は善」と主張しているが、これに批判的なコメントが殺到している。

(要約)

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体罰について語る戸塚氏(YouTubeチャンネル「令和ヨットスクール」より) 

 

 かつて5人の若者が亡くなった「戸塚ヨットスクール事件」で知られる、戸塚ヨットスクール創設者の戸塚宏氏が、8月8日、YouTubeチャンネル『令和ヨットスクール』を開設した。初回は『【戸塚宏】令和の今、体罰を語る』のタイトルで動画をアップ。体罰と暴力の違いなどについて持論を展開し、物議を醸している。 

 

【写真あり】事件が起きた当時の戸塚ヨットスクール 

 

「自身も実績のあるヨットマンだった戸塚氏は、1976年に『戸塚ヨットスクール』を開校。当初は『オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てる』ためのスクールとして発足しましたが、次第に、戸塚氏の “スパルタ指導” が、非行や引きこもり児童の更生に効果があると評判になり、戸塚氏はメディアから『救世主』などと注目されるようになりました。 

 

 ところが、1979年から1982年にかけて体罰が原因とする塾生5名の死亡事故を引き起こしたことが発覚し、マスコミは連日のように報道しました。 

 

 戸塚氏は、傷害致死罪、監禁致死罪で起訴され、2002年に懲役6年の刑が確定。2006年に出所しています。現在も同校の校長をつとめていますが、今は0~8歳の子どもを指導していると本人が語っています」(事件担当記者) 

 

 このたび開設された戸塚氏のYouTubeチャンネルは、動画の最後に流れる説明によれば「戸塚先生を支援する2人の青年」が運営しているようで、「戸塚校長の意思を後世に残すべくYouTubeを始めました」とのこと。 

 

 動画内で、スタッフから「体罰と暴力の違い」について聞かれた戸塚氏は、 

 

「どう違うの? 体罰と暴力。(子どもたちの)進歩を目的とした有形力の行使。これが体罰だ。いいこと。体罰は善なんよ」 

 

 などと、強烈な自己主張を展開。教師による体罰が当たり前だった自身の小学生時代を引き合いに出し、「体罰によって自分が進化したという実感を得られた」と体罰の効果を説明し、「暴力は自分の利益のためにやるもの」「体罰はやられるほうの利益のためにやるもの」と持論を語った。 

 

 しかし、こうした戸塚氏の主張に対して、コメント欄には、 

 

《亡くなった方が居るのに体罰は善って…これは何言っても無駄みたいですね。今の時代子供に強く言うことは大事かもしれないけど、戸塚さんがやったことはどう見たって指導じゃなくて暴行です》 

 

《体罰を受けた子供が健全に成長できると思えない》 

 

《じゃあ俺がこの進歩のない老人の進歩を願って頭ひっぱたくのは良いことで善てことだよね?》 

 

《この考え方を正すためにぶん殴ってもいいですか》 

 

 などと批判が殺到。8月15日にも『令和の若者へ、愛のある喝』のタイトルで新しい動画をアップしているが、こちらのコメント欄にも《まさに昭和の亡霊》など、批判が殺到している。こうした声が、戸塚氏の耳に届くことはあるのだろうか――。 

 

 

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(まとめ)このテキストでは体罰や教育に関する様々な意見が述べられており、一定の理解や支持を示すコメントもあれば、否定的な意見や懸念も見られます。

過去の体罰がその後の人格形成や社会問題にどう影響するか、また現代社会において体罰の是非やその限界についての議論も含まれています。

一方で、厳しい指導が必要だと考える声もある一方で、適切なルールや信頼関係の下でのみ有効な場合もあるという意見もありました。

教える側や受ける側の立場や人間性、環境や社会背景など、様々な要素が影響を及ぼすことが指摘されています。

どんな指導方法も一律に良し悪しを断定することは難しく、各々の状況や背景を考慮した上で個別の判断が必要であるという意見も含まれていました。

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=+=+=+=+= 

知人の母親が子供をここに入れていて話をよく聞いてました。 

客観的に私が思う事を書きます。 

 

ここは、学校から見放されて、家族もどうしようもできないと判断された子供たちが集まる場所です。 

そういう子たちは学校に行かなくなり、悪い友達と一緒に行動するようになり危ない道に進む事がほとんどですが、 

ここに入れる事で強引にですが正しい道に進めるようになっています。 

子供たちがどういう感想を持っているかはわからないですが 

少なくとも知人の母親の子供は感謝していたと聞きましたし 

何より母親が本当に助かったと感じていました。 

 

こういう側面を知ってるので 

私は否定も肯定もできないですが、 

大げさに「ここは問題ですよー叩いてくださいー」という記事や話題を見るたびに 

そのやり方は違うのではないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

教育に関する話題は、個人的な経験論を一般化されて語られることが多い。 

個人の経験も否定してはいけないが、データをとり、冷静に議論することも大切だと思う。 

 

体罰については、状況によって是々非々が変わってくる。 

0点をとったから体罰をする、いじめをしたから体罰をする、など。 

 

体罰は絶対にだめだ、という意見もありだが、クラスメイトの学習権や生存権を否定する行動(授業中に騒いだりいじめをしたり)をした場合、ルールを定めて手順を踏んだうえで、スクールポリス等が出動するようになって欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

どうなんだろうねぇ 

時代的にも悪なんだけど 

小さい子供は優しく諭すようにしても結局自分が痛いとか怖いって思いをして初めてやめる部分もあるし 

叱られることなくノビノビ育って相手の気持ちをわからない大人になったり 

怒りの加減がわからない教師もいたりするし 

ちょっと前に中国の小学生が逆に先生ぶん殴るって事件見てると 

あんまり優しくしすぎるのもどうかな、とも思う 

 

=+=+=+=+= 

誰にでも決断を迫られる瞬間はあります。良い方、悪い方、どちらに転ぶかはわかりません。しかし何もしなければ事態はどんどん悪化します。とにかく運を天に任せて一か八かやってみる。他に方法が無ければ仕方ないことだと思います。当事者がどんな結果になってもそれを受け入れると覚悟を決めて進んだ道なら他人がとやかく言う筋合いは無いと思います。戸塚ヨットスクールのポリシーはある意味「毒をもって毒を制す」でしょう。しかしそれを必要としている人たちがいるという事実がある。事情は人それぞれです。いくら批判しても代案を出せない以上は外野がああだこうだと首を突っ込んでも仕方ないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

畜生、いわゆるヒト以外の動物相手でも、体罰による教育は少なくなってきましたが、この方は未だにヒト相手にそんなことを言ってるんですね。 

 

短時間でいうことを聞かせる方法だとは思いますが、堂々と「体罰は善」という姿勢はちょっと… 

 

個人的には、程度にも寄りますが、場合によって体罰は止むを得ないとは思いますが、決して最良の方法ではないとも思います。 

 

=+=+=+=+= 

事件当時は不登校や引きこもりは心の弱い人がなると考えられていて 

強引だろうと無理やりにでも何かを成功させる体験が心を強くすると言われていた 

戸塚式が合った人は戸塚さんを評価するだろうけど、合わなかった人は親にも不信感を持つようになり親子関係も以前より悪くなったと記憶している 

戸塚ヨットスクールのやり方は非難されるレベルだろうが、それでも当時の親たちは子供をどうにかしたい。子供と一緒に生活はできないと悩んで当時でも悪評が多かった戸塚ヨットスクールに子供を入校させていた事だけは知っていて欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

体罰になるかは別にして、その行為をする前に大切なのは、その人のことを真剣に思う気持ち、寄り添う気持ち…、簡単な言葉で申し訳ないが「愛情」、「利他の心」があるかどうかだと思う。 

 

実際にスポーツの世界で未だにそういうのはあると思う。時代的に許されないが、程度こそあれ一番キツイのは「無関心」「無視」「ネグレクト」だと思う。シゴキ、みたいな言い方が適切か分からないが、それを受け入れる子どももいる気がする。 

 

問題なのは、昔のPL学園とかの甲子園常連校や都道府県の野球強豪校などで起こっていた、先輩からの可愛がり。イッコ上は天皇で、ニコウエは神様、みたいな感じで、メチャクチャ下が理不尽な扱いを受けてきた。先日も某日本代表クラスの女子バレーボール選手が話していたが、先輩のユニフォームなどを選択するのが日課だったとか。20~30代の人でもその世界。そんな世界でも、やはり愛や慈しみがあるかないかだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

伊東四朗さんが戸塚さんの役をやって映画化までされていました。 

 

当時を思い出すと、家庭内で暴れ、更生の為に、ヨットスクールに強制的に入所させて亡くなる方がいたと記憶しています。 

 

当時から賛否朗論あり、家庭内暴力のお子様の厚生施設として最後の砦的な施設として多くの著名人が支援していた事を思い出します。 

 

私の記憶が間違っていなければ石原慎太郎さんも賛同していたと思います。 

(間違っていたらすみません) 

暴力を振るわず更生させることが出来ればベストですが、どうなのでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

「善」とは言わないけど、ウチは叩きます。 

何度か言っても怪我をするような危ないことをした時。 

お母さんに悪意のある言葉を吐いた時。 

片付けなかったおもちゃは、例えば先月誕生日に買ったプレゼントでも捨てます。 

叩いたあとに、なんで叩かれたかを一緒に考えます。 

自分の気持ちでは叩きません。 

意味のある体罰は、必要悪だと思っています。 

 

=+=+=+=+= 

元教員です。名古屋の大学に居たころ見学に行った事があります。約40年前でした。当時は家庭内暴力など中高校生非行が社会問題になっていた時代。教員志望の私は現状をキレイごとでしか説明できない教育評論家に不信感を持ち、参考にと見学に行きました。今でも強烈に残っているのは戸塚校長の絶対的な自信でした。多くの親や教師が子どもの扱いになす術が無かった時代にウチに来れば100%更生できると言い切る戸塚校長はその方法は別として新鮮で頼もしく感じたのも事実でした。実際に当時、多くの親が戸塚教室の門をたたいたものです。戸塚校長を非難するのは簡単で分かりやすいのですが、それに代わる方法を当時は誰も示す事ができなかったように思います。 

 ところで、子供に迎合する事しかできず、いじめ等が横行し社会問題となっている今の教育界に彼ほどの明確な教育方針を持った教育者は居るのでしょうか。 

 

 

=+=+=+=+= 

この人の大間違いなところは、「誰でも彼でも同じ方法で矯正ができる」と考えていることでしょう。世の中には向こうっ気の強い人もいれば臆病な人もいます。それをすべて同じやり方でどんな人間でも良い方向へ導くことができると考えているところがおかしいのです。 

ここに入れられて、自分に自信をつけて新しい道に進んだ人もいるかもしれません。しかし、逆にここで受けた仕打ちがトラウマになって、より症状が酷くなった人も確実にいると思います。 

親御さんとしては、万に一つの奇跡にすがりたい場合もあるかもしれませんが、よくよく考えたほうが良いです。 

 

=+=+=+=+= 

我々50代中盤より上の世代には少なくともある一定レベルの体罰を支持する人たちは結構いると思います。 

その様に育てられてきました。 

おかげで今があることを感謝している気持ちもあります。 

※戸塚ヨットスクール出身ではありません 

 

しかし時代は変わりました 

こっぴどく怒られることを知らず、大人を怖がらず礼儀も知らない、人を敬う・慕うという気持ちが乏しい人間関係の中で育った人たちが作り出す社会がこれからの社会です。 

でもそれが時代の流れというものなのでしょうね。 

それを理解しておかないと会社内でも管理職として生きていくのは厳しいです。 

 

=+=+=+=+= 

スポーツを教える・教わるにあたって、その不出来を叱るのに体罰は使ってはならない。 

 

自分が思う唯一許される体罰は、その生徒の行為が本人や他の者に大怪我や命の危険を与えると考えられる場合。 

一度は口頭で注意し、それでも繰り返すならその時は体罰を与えてもいい。 

 

優しく注意して大怪我や命を落とされてはたまらない。 

次にやった時に誰か死ぬかもしれないのだから時間的猶予もない。 

その危険性を伝えても守れないなら、それは身体で覚えてもらうしかない。 

 

=+=+=+=+= 

ポリコレなどと同じで、それでも関わる人が居て、関わりたくないと距離を置く人がいるのがこの世。 

指導される側も体罰が有効な人と、そうでない人がいる。これぞ多様性。 

ある意味、この人の信念だから、誰がが言ってどうにかするのは無理。嫌なら視界に入れにいかないのが最善。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は行き過ぎは悪です。 

軽い体罰やアフターケアが出来るなら善です。 

 

最近指導してると出来てないからやり直させると涙目になる子供が多すぎる。 

怒ってるわけでも体罰してるわけでもないのに反復練習させるだけで涙目。 

 

指導するときに親から叩かれた事がない人〜とか怒られた事がない人〜って毎年聞くけど20年前ぐらいで3分の1程度だったのがこの数年は8割近い。 

 

こういうのが大人になると社会はどうなるか! 

 

先生が子供に怯えて指導してる状態が異常。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は善だとは思わんが、時と場合によっては有効な方法だと思う。 

力でしか押さえ込めない子どもはいるんだよ。力にしか従わない子どももいる。非行に走らせたままだと、取り返しのつかない行動を起こすこともある。そうならないように、恐怖で押さえつけることだって必要だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

口頭で軽く注意しただけで、病んでしまったり自死してしまうような人もいれば、引っ叩かれようがぶん殴られようが、へこたれず前向きに進む人もいる。 

体罰は良くないという意見には全面的に賛成しますが、一部の子どもや人にはときに効果的であったりする場合があるのも事実かもしれません。 

けれど、それ見極められない人が体罰を振るうから、教育の筋道から外れ、非効果的で無意味で酷い「暴力」になる。 

そしてその「見極められない人」が、今の世の中の大多数なのです。 

 

=+=+=+=+= 

昭和45年生まれの小生ですが、今のご時世でしたら虐待といわれるような、父からの躾を超えた暴力を日常的に受けて育ちました。 

当時は、幼少期での子供同士の喧嘩や、ヤンキー全盛期でしたので、地元から外に出れば喧嘩を売ったり売られたりと、緊張感のある日常でしたが、今の時代には無いさっぱりとした清々しさがありました。 

たった数年、数十年の間にすっかり世の中が変わってしまいましたが、昔の体罰や暴力と、今のネット社会での吊し上げ、どちらも肯定出来るものではありませんが、昔は勇気を持てれば、抵抗する術が有っただけ、誰でも非直接的に誰かを攻撃出来る今の社会よりもずっと良かったなと思います。 

炎上を煽るようなネット記事を書いているライターの質の悪さも助長しているのでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

とはいえヨットだからね。死と隣り合わせの環境においてぶん殴ってでもわからせないとあっさり死ぬことがある。自分が勝手に死ぬのは良いけれど他人を巻き込む可能性もある。踏切内で遊ぶ子供になぜダメなのかを諄々と諭しているうちに跳ね飛ばされて死ぬより首が後ろに回るくらい張り倒したほうが良い場合もある。一律ダメだとするより命に係わる場合はまた別なんじゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

まあ、体罰の度合いや程度も見ずに、その全てを一律に体罰、そして「体罰=悪」と決めつけてるのも、洗脳の一つとは感じる。今じゃ道路に飛び出そうとする子の肩を引っ張るだけで体罰になり、ナイフで脅す子の頭を叩いただけで懲戒処分→退職。結果的に、教育現場では「教師に対する暴力や暴言」が溢れ、教員側はメンタルヘルス問題が激増。何かを注意すれば「教育委員会に訴えるぞ」と親子共々に言われる。次第にうつによる休職や退職が増えていき、今や教員採用倍率は、過去最低。現場は人手不足でまわらない惨状が生まれている。体罰を禁止するのは、なんら構わない。ただ、体罰が無くとも成立する「現実的な社会構造例」は、まだ誰も示せていない。 

 

 

=+=+=+=+= 

確かに事件はあったけど、 

スクールを出た人で校長を悪く言う人はあまりいなかったと記憶してるけどね。 

体罰だけがクローズアップされてるけど、 

最終的には結果が出せているかじゃないのかな。 

事件があった時代よりも今の方が子供はずっと陰湿なことをやっている。 

親が子供に嫌われることを恐れて叱らなくなり、𠮟り方を忘れ、 

子供のミスは他人事のように扱い、そして人や社会に責任を押し付けている。 

そう考えたら決して悪とは言い切れない面があるということだよ。 

カッコつけた正義感を振りかざす前に考えるべきことはあるだろう。 

 

=+=+=+=+= 

体罰という線引きではなく、言葉による言い方であっても、それがその生徒・子供にとってプラスであるかが大事だと思います。 

「甲の薬は乙の毒」。人(子ども)によって何が薬で何が毒となるかは違うはず。どうであれ、根底に愛情があることが前提ですけれども。 

ただ、体罰ということで考えれば、それを受ける者が自分で納得しているか(自分を省みる機会となっているか)、本人が納得できず不条理と思っているかで違うと思います。 

つまりは、教える側と教わる側の信頼関係ではないでしょうか。 

ただ、愛情の無い(心を痛めることのない)体罰は言語道断だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

戦争の抑止力と一緒ですよね。子供が非行に走り暴力を振るうなら、対処する大人も体罰により子供の暴力を抑える事もあるっていう。今の学校にはその抑止力がないことは事実で、どうせ先生は手を出せない、大人は手を出せないと思って好きにする子供も一定数はいる。 

亡くなるほどの体罰はダメだろうけど、頭にコツンとゲンコツ一発や、悪いことした手を叩いても体罰だって騒がれる世の中で、言葉だけでそれを解決出来る大人がどれだけいるんだろう 

 

=+=+=+=+= 

体罰を受ける側は正論に基づいた体罰だと理解しても、正論のためには体罰は許されると無意識に理解します。その体罰の正当化は形を変えていき、排他的な状況になれば、暴力武力の正当化にまで拡大解釈されてしまいます。体罰の原因とかそんなの関係ありません。体罰そのものの精神の深層への影響です。ですから体罰は許されるものではありません。 

 

ただ、 

「泣いて馬謖を斬る」 

この精神で体罰を行えるならば許されるでしょう。ですが、心からの涙を流しながら力の行使をできる人はどれほどいるでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

確かに自分が小・中学生の頃は宿題忘れたり悪いことをしたら先生から穴バットを食らってた。それは自分が悪いことをしたから怒られて当然だと思った。 

でも、今は時代が違う。 

こういった行為は悪い。体罰は悪い。って時代にそれを受けた子供が自分と同様悪いことをしたから怒られた。って思うだろうか? 

今の世の中がいいか悪いかは別として、認識が違う時代では効果も結果も違うということを理解しないといけない。 

 

=+=+=+=+= 

当時を生きた世代なら、肌感覚でわかるが、引きこもりや自閉症について、当時は、今よりもずっと世間の風当たりが強くて、社会進出が困難なのはもちろん、その存在自体を、家族が表に出さず、社会関係から、抹殺するような風潮があった。こういった時代背景から、体罰で精神を追い詰める方法は、実際には、最終的な更生を期すという意味ではなく、再起不能までに陥らせるための、虐待行為による犯罪行為であったのだが、当時の社会風潮では、世間も、家族も、容認まではいかずとも、否定もできない(またはしない)領域が存在したのは、事実である。だから、今の令和の時代にまで、こういった、当時の暗黙の事項を、容認しようとする風潮は、理解しがたい。 

 

=+=+=+=+= 

こう言った場所は必要だとおもいます。 

正論だけでは解決できないことも沢山あるし、現状の状況を利用し調子に乗っている者も沢山居るのも事実、勿論こうなってしまった育て方をした親に原因があることお理解した上で、第三者に預ける考え方も有りだと思う、但し預ける見極めは慎重に考えないといけない。 

 

=+=+=+=+= 

今から40年以上も前は暴力がすべてを支配する北斗の拳のような時代だったのです。学校では喧嘩や暴行や体罰が当たり前のように横行し、暴力に耐えられないと生きていけない時代だったのです。女子ですら暴走族のレディースというのが流行りであり、喧嘩の対抗戦が至るところであり、暴力に耐えられた子だけが生き残っていきました。そういう時代であったので、当時は存在価値があったのでしょうが、今の平和な時代には全くそぐわないとは思います。 

 

=+=+=+=+= 

一理あると思います。善と悪と言う言葉は別として、他人ではなく、親ならば我が子が学童期に入って時期に教育として「理不尽による虐待」ではなく、本当に悪い事をした時のしつけの折檻はのちに、その痛みや苦しみ辛さ悲しみなど、全ては因果応報と言う学びを知り、また他人を傷つけてはいけない事がその身をもって理解するのではと思います。昔から世の中は何も変わっていませんが、ここ数年、親兄弟や女性を衝動的に暴行して絶命させるなど、あとながら運転の故意的な事故もそうですが、何度いっても理解ができない者には必要な行為だと感じます。今の一部の若者は、恐怖を感知できない思考の人ばかり。 

 

=+=+=+=+= 

殴る、蹴るで育てられた昭和のおっさんです。なにくそ!と反抗心を持って成長させてくれたその恩師に対して、今は何の恨みもありません。 

ただ、今の時代に体罰以外の指導方法はなかったのか?と思います。 

時に感情に任せ体罰を喰らった時もあります。思うに体罰は一番簡単な指導方法。言うことを聞かない馬にムチを打つようなもの。指導者や教師はもっと悩んで指導方法を考えなきゃいけない時代であり、それが今の指導方法。変わらなきゃ。 

体罰を受けた子供たちは中には「打たれ強い」大人に成長する事もあるけど、多くは「打たれ安い」大人になってしまいます。 

 

 

=+=+=+=+= 

体育会ヨット部の出身者です。 

昔、週刊誌に戸塚ヨットスクールの部屋の写真が掲載されましたが、鍵が無い以外ヨット部合宿所とほぼ同じ感じでした。また、ディンギーは一瞬の判断違いで死亡事故に繋がっていくので、厳しい指導は致し方ないかとも思います。 

 

ただ、自然の脅威を感じる事、理解できない人にいくら体罰しても無理。 

昔は発達障害とかの診断も難しかったので、スクールに入れられた人にはそういう人も複数おられたかと。 

 

=+=+=+=+= 

いま26歳ですが 

私が高校の時、10年前ですね 

ちょうどそのころ剣道の先生が体罰をしていました 

 

それでも筋が通っているのは先生であって 

指導、ルール、マナーなど必要最低限なことができていない生徒にのみ所謂体罰をしていました 

その必要最低限なことができていない生徒の中に自分も入っており 

当時はすごく反抗的でした 

 

20歳の成人式以降 

先生と仲良くなり 

自分のために叱ってくれる、自分がきかないなら叩いてでも正しい道を示してくれる 

 

こんな先生は私にとってはなくてはならない存在でした 

いまでも先生のおかげで非行に走ることなく満足のいく生活を送れていると感謝しています 

 

=+=+=+=+= 

世の中の流れとか風潮は別して、間違いなく正解の一つだとは思う。 

どんな時でも場合でも有効なのではなく、これはどんな手法も同じで。 

もしかしたら、この方法をもっと進化させることができていれば 

見方は全然変わってたのかもしれんね。なんにしても、一つだけの 

正解なんてあるわけがないんだから、いろんな手法の意味や特色を 

知っている人が適材適所で適用できればいいんだろう、 

 

=+=+=+=+= 

この方の人間性や人格は置いておいて、体罰が必要か否かを議論するのは良い事だと思います。 

必ず一定数はどうしようもなく、矯正が必要な子どもはいてます。 

子どもに親が暴力を受けている件数の方が今は多い事実をちゃんと報道するべきです。 

体罰を擁護する気はないですが、それならば、暴力を振るう子どもは隔離するべきです。イジメも犯罪としてちゃんとしましょうよ。 

 

=+=+=+=+= 

このような極端な事例だと勿論それが悪だと思ってしまうが、でも現実に体罰の全てが悪だとは思わない。 

その境界線を引くには個々の事情や環境的な要因もあるから、善でも悪でも見て取れる。 

その上で体罰が成り立つ要素としては、やっぱりお互いの信頼関係であったり、前提の部分の合意形成というところに重点を僕は置くかな。共に生活なり目標に向かっていて、自身が強くなりたい、成長したいと本人お気持ちがあってまずは第一に始まる。そこから指導するものとしても、生徒の夢や目標を達成させたいという気持ちがちゃんと伝わる事で、最低限必要な合意形成はつくられると思う。僕も体罰があった世代だし、柔道や格闘技をやってきて痛みが伴うことでも強くなれたと考えれるところもある。 

でもこの事例のように行き過ぎた指導によって独りよがりな善を振りかざす者と話しても理解し合えるとは思えないので、この校長の前では全てが悪に見える。 

 

=+=+=+=+= 

以前勤めていた会社の研修で体験入学したことがあります。 

とはいえ私達はあくまでお客さん扱いで暴力を振るわれる事もなかったですし、生徒さんに対しても我々のまえではそのような行為は控えていたようです。 

一度だけ小学生ぐらいの生徒さんが教官に殴られているのを偶然見かけたのですが、その小学生ぐらいの子が大の大人に本気で殴られたのに泣きもせず痛がりもせずまったく無表情だったのが何よりも驚きでした。 

他の生徒さん達も訓練中はもちろんそれ以外でも年相応に戯れあったりする様子もなくとても異様な光景に見えました。 

体験入学を終え帰り支度をしていた我々のところに一人の生徒さんがやってきて「タバコ、何本か置いていってもらえませんか?」と言われた時には、何だ隠れてそういうこともやってるんだとちょっぴりほっとした気持ちになりました。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は時として必要だとは思っているが、決して善ではない。 

良くない事をしているという意思をもって行わないと意味がない。 

体罰をしてしまったという罪の意識をしっかり持たないといけない。 

「自分はこの人に手を汚させたんだ」と感じてもらわないと体罰を行う意義がない。 

そうやって痛みを共有しないといけない。 

体罰はお互いの信頼関係がないとただの暴力となる。 

 

=+=+=+=+= 

こればかりは親も含めて意味なく暴力的な人間もいますし怒って殴るか殴らないの線も人によって違いますし、最初からの流れをずっと見て見ないと判断できないし、判断する側も自分ならこれでは怒るがあれなら怒らないと違いがありますから戸塚さんのぶん殴るも彼の中でのルールや時があるのだろう。と。これまでに殴らなければ分からないだろう。場面に出会わなかったからだけでこれから先にあるかもしれない。無いことを祈るが。 

 

=+=+=+=+= 

高校の時に1つ上の先輩に、中学の時に戸塚ヨットスクールに親に無理やり入らされたって人がいました。 

普段は大人しいんですが、タガが外れるとものすごく暴れて教師だろうが、同級生だろうが殴ってました。 

結局は体罰で性格の矯正を図ろうとしても、それは一時治まるだけで根っこの部分は変わらないどころか、やられたらやり返すみたいな感じになっていて、その先輩のことは後輩である私たちも怖かったです。 

廊下ですれ違っただけで、虫の居所が悪いとつかかってきましたから。 

 

=+=+=+=+= 

結構な数の批判も肯定も出来ないという中立風に肯定してるコメントが目立ちましたが 

果たして説得も出来ず言葉で通じない子供を入学させたのに亡くなってしまった子供の親達は 

ある程度の範疇を超えた暴力に納得したのでしょうか? 

人が亡くなってるわけです。この人の発言の背景には亡くなった子供達がいるのに体罰は善と言う意見に理解を示せる人達がいるのが不思議です。人によって「ある程度の体罰」はそれぞれですが言う人によって恐怖感が違うと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

先日も未成年複数人で一人を取り囲み鉄パイプで殴る事件がありましたが、こういう人間が身の周りにいてほしくないのは多くの人が思っていることではないでしょうか? 

 こういった人間が更生されるなら暴力も肯定したくなりますが、無制限状態になるとそれはそれで危険なのもまた事実でしょうから難しいと感じます。 

 

=+=+=+=+= 

亡くなった人がいるとかはとりあえずおいておいて… 

自分としてはいじめをした側の生徒とか、そういう系の手に負えない加害者側の生徒とかはこういう所に放り込んで痛みを知るってのは、矯正不可に近い子だったらアリだと思ってる 

 

そもそもなんで被害者が逃げるようにならないといけない? 

むしろ加害者が同じような目に遭って痛みを知るべきだろうと思うんだが 

条件付きでならアリだとは思う 

 

=+=+=+=+= 

体罰は善って言うのは一般的におかしいとは思うが 

彼のスクールに入る子供は 言わば 積み木くずし的子供 不良ではない手のつけられない子供が入って鍛え直されている 

そう言う子供を叩き直すにはやはり体罰は必要かもしれない 

噛み癖のある犬を治すにはやはりアメとムチが必要なのと同じで 

人間も時として力が心を変える手段になることもあると思う 

 

=+=+=+=+= 

体罰が善とはいわないけれど私は必要悪と捉えます。 

 

子供の世界ではいくら大人が教えても 

身体の大きな力の強い子が弱い子からオモチャを取り上げたり、 

気分が悪ければ付き飛ばしたり叩いたりの世界があります。 

 

現在は保育士や教師が暴力をふるう子を叩くことなどありえなくなりました。 

そこで叩いた子は、人を叩くけれど自分は叩かれないという矛盾がでます。 

必ず居ます。 

 

叩かれる痛みを知らず機嫌が悪ければ人を叩く子供、 

言葉だけの綺麗ごとでは治りません。 

せめて叩かれた子がいたい思いをすること位は、実感して欲しいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

私は40代半ばですが、私が小学生低学年あたり、戸塚ヨットスクールが全盛の頃は、あからさまに不良と呼ばれる中学生、高校生は多かったと思う。昭和のヤンキーというか、スクールウォーズのような感じです。私が小学生の頃は、スクーター乗りながらシンナー吸ってるヤンキーなんかは毎日普通に出くわしていた。小学生や中学生の時は授業中に校庭をバイクで何周もしていく馬鹿を何回も見た。校舎内にバイクで入ってきた事もある。リアル金八先生。最近はそんなの見ないから、悪い子が減っている時代なのだろう。 

昔はそんな風だから体罰による指導は致し方なかったと思う。 

ただ、今は時代も変わり、子供の背景も変わっているから、胸を張って体罰を強調するのは如何なものかと思う。戸塚が言ってるのは体罰ありきの指導方法。今の時代、指導方法も科学的に体系化されたものが確立されていると思うので、子供に合わせたアプローチの仕方を考えるべきだ。 

 

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当時子供の時、悪さをすれば家から1時間くらい出されたり、正座、説教、平手打ちなどは普通でした。ですが自分がそれくらい悪い事をしたと後に理解出来ます。ある程度の体罰はしないと自分がやらかした事の匙加減が分からず大人になります。親が家庭教育で社会常識を教えていれば戸塚もいらないです。親が子に向き合う事が希薄であるために子供が外に出た時に悪さをすると思います。重ねて言いますが親と子が向き合わなければ子供が社会に出た時、とんでもない事件を起こします。戸塚校長の意見は100%同意は出来ませんが若干は必要悪だと一定の理解は出来ます。 

 

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暴力は連鎖して不幸を招く。それは間違いない 

道を大きく踏み外した子供が、自力で普通の生活を送ることは難しい。矯正する施設も必要だと思う。 

本来は親が責任を持って更生させることができればいいが、道を踏み外すような教育が根底にあるから無理だろうな。 

暴力が暴力を呼ぶが、暴力を受けた人間全てが暴力的になるわけでもない。自身の経験から暴力を極端に嫌う人になるパターンも生まれる。 

環境と個人差があり過ぎて一言で片付けることはでき無い。 

刑務所が何故存在するのか。人間を矯正する施設が必要だから。刑務所の背景は人間性を奪うこと。極端な環境に置かないと人格形成を変えるのは無理 

綺麗事が好きな世の中だが、不幸な事件は無くならない。体罰無くなって学校は平和になったの?無責任なアホな大人が増えた気がするけど 

 

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引退教師です。体罰の善悪はともかく、偉いと思うよ。生徒を叱るって大変な労力だからね。今は言葉で叱っても親にとやかく言われるからね。僕なんか馬鹿らしくて黒板向いて授業やって鐘がなるの待ってたからね。今のセンセイは生徒とフレンドリー ファーストで生徒が悪いことやっても苛めやっても見ぬふりみたいだからね。それに比べたら本気度は高いだろう。体罰は危険だから止めた方がいいだろう。そのくらいの気持ちで叱るのはいいと思うが。僕が子供の頃は軍隊上りの教師がいたから大変だった。木刀で殴られて頭蓋骨が変形したままだ、、、 

 

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私自身、2人の男子(もう成人しましたが)の父親です。 

子供が小さい頃、自分の怒りの感情に任せ、怒鳴ったり叩いた事があります。現在でもとても後悔しております。 

絶対、子供達は気付いていると思います「これは叱っているのでは無く、怒っている」と。 

成人した今、「あの時はゴメン」と謝罪しました。 

 

しかし世の中にはどうしようもなく許せない若年層の犯罪があり、厚生しないだろうと思われる「生きている価値ね人間達」がいるのも事実だと思います。 

 

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体罰はごく稀に気づきを生むことがあるのかもしれない。古今東西、老若男女、やり方や教え方は様々ある。しかし、現在の日本では法律で体罰は全否定されている。法律で決まっているのだから戸塚氏がどんな事例を語ろうが議論の余地はない。体罰を肯定したいなら、まずは法律を変えるか、最高裁で判例を得るしかない。 

 

 

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言葉や態度で同格として行うのが「教育」 

暴力や恐怖で上から行うのが「調教」 

だと俺は思っている。 

 

その前提で体罰問題の本質は「全ての人間は教育だけでしっかりと育つのか?」という命題ではないかと考える。 

そこから体罰容認派の考えは 

「自分よがりであったり会話が成り立たない相手」に対して有効な「教育」が存在するのか?そのような相手には「調教」を使うほうが効果的なのではないか?そして「教育を受けたが結果の出なかった人生」と「調教されてある程度の結果が出た人生」の2つうちどちらが良いのか? 

といった感じから産まれてくるのだと考える。 

なのでこの考えを打ち砕くためには「教育によってどんな人でもそれなりの結果を残すこと」が必要なんだけど、これが難しいというか、まず無理なんだろうね。 

 

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暴力等・体罰等で支配してはいけない というのが日本社会です。いい加減、体罰肯定派は「倫理観」を持ってください。 

 倫理は 効果が有るのか・無いのか 以前の基準であってその基準では日本社会では認められない とされているのです。たとえば、勉強をしない子供を銃やナイフで脅し、勉強ができたとしましょう。それは効果があっても、倫理的に不適当であると判断します。この2つの基準を理解してください。 

 「子どもの教育」「学校」となると倫理が無視され、効果が有るのか・無いのか で判断されるのが不思議なところです。一方で大人の社会では、上司が部下に暴力をふるえば逮捕されます。子どもにだけ暴力を認め、自分たち大人には認めない。子どもは殴っていいが、殴られたくはない:これほど気持ち悪い大人がいるでしょうか。 

 

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姥捨て山ってあったんですよ、ここはその子供版なんです。 

戸塚さんは先駆者だし、事件が表沙汰になって有名になっちゃったけど、他人は別として親御さんは感謝している人が多いんですよね。 

2000年代、大学生の時に親御さんからの依頼で、家出の子供を捕まえて施設に入れるというバイトをやっていました。自分たちはゲーセンでチマチマやっている子から、繁華街で徒党組んでいる子供たちまでを命懸けで捕まえて送致しました。 

社会のためになると思っていましたが、中には施設内で死ぬ子もちらほら。そこに直接的な責任感は感じませんでしたが、思い出深いのは親御さんの全てが「ありがとうございました」って言うんですよね。 

それぞれの権利や倫理があって、何が正しいかいまでも分からないけど、そんなもんなんです。 

 

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体罰を肯定するわけではないが、この校長が指導してたのは誰もが匙を投げる本当にどうしようもない手の付けられない子供がスクールに入学してたってことね。 

普通の家庭の子供じゃない。 

そんな子供を公正させるのは並大抵の常識じゃ通用しない。 

育てたことないからわからんが、そういう相手なら力でねじ伏せることも必要なのかもしれないな。 

 

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今の時代、何があっても叩いたら悪、とされるのかと思ったら、意外にもここのコメントはそうではなくて驚きました。自分は中学の頃、体育の時間、他の輩と一緒になって、ある同級生をからかっていました。その子はただ笑っていました。多勢に無勢の状況でした。自分が相手をイジメている、なんて思いもしませんでした。その時、その状況を後ろで見ていた体育の教師が来て、からかっていた者を横一列に並ばせて「歯を食いしばれ」と言って片っ端から平手打ちしました。全員体が支えられないほど吹っ飛びました。それが終わると「分かるな!」と一言言って終わりました。全員下を向いて自分たちの行いを恥じました。みんなでその同級生に泣きながら詫びました。同級生は笑っていました。その時にコレがイジメだったんだ、と気づきました。みんな気づきました。殴ってもらって本当にありがたかったです。そういう教育も残して行って欲しいです。難しいですが。 

 

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虫の頭をちぎったり、力加減をせず叩いたりするのは他者の痛みをわからない子供時代に多い。  

人から1度も叩かれた経験ないまま大人になって想像力だけでわきまえた人間になれるかというと難しい人達もいるだろう。  

このヨットスクールで殴られることで何が痛みか知れる人もいるにはいるだろうが、これが正しいと思い込んで後輩に体罰を引き継いでいく人間もいる。  

殴られる経験などなくてもわかる人にとっては余計なお世話でしかない。 

 

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体罰は善とは言わないが… 

最近の風潮として白黒つけたがり、体罰はダメ、恫喝というか強く怒るのもダメみたいになっちゃってるが、それで世の中良くなったのかな? 

どっちかって言うと怒られたこともない子供が多くなり、悪くなってきちゃったように感じる。 

 

数年前に自分の子供が通っている学校で教師が子供を恫喝したと言って停職処分になった先生がいた。 

子供に理由を聞いたら、親が作ったおにぎりでキャッチボールをしていた子供に先生が注意したことが発端らしい。 

その時の教師が強く叱った事が原因で停職処分になったとのこと。 

 

行き過ぎた体罰等は仕方ないと思うのだが、体罰は絶対的に悪と決めつけるのはどうかと思う。 

今の世の中こんなこと言うとボコボコに言われるんだろうなと思いつつ、匿名でボロクソ言うのと、名前を出してちゃんと怒ってくれるのはどちらが良いんだろう? 

 

あっ! 

戸塚ヨットスクールの話は別です。 

 

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この人が、誰かれかまわず体罰したわけではなく、保護者から依頼された対象者に対する、教育方針の一部分に体罰がある、ということ。 

過去の行動で、懲役刑を受けても、この人は全く変わらなかったのか。刑務所の矯正プログラムでは、解決できないタイプの人なのだろう。 

昭和の時代より、今は教育の選択肢が増えたと思う。この人に我が子を預けなければ良いだけではなかろうか。 

 

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そもそも私は体罰容認派なんですが。(積極的賛成でなくて、やらないと仕方ない場合もあるよね派) 

中には体罰が無いとものを言う事聞かない子がいるのは否定しようもない話だと思ってる。 

 

それでも怪我をさせたり殺したりした経歴がついてしまっている人の発言だと言う前提で聞くと「こいつ、反省してねえな」って感想が出てきてしまう。 

よく料理は愛情って言葉があるけと、その愛情の正体ってレシピを調べる時間だったり、細々とした下拵えだったり、とにかく食べてもらう人への愛がなければやってられない手間暇の事なんだよね。 

その意味で言えばこの人の体罰には愛を感じない。例えば怪我をしない叩き方を研究していれば犠牲者はでなかった。その辺の反省もなくて「体罰は善」とか言ってもどうせ言い聞かせるのが面倒くさいから殴ったんでしょ?って言われても仕方ない事をやってると思う。 

 

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体罰を受けて行動が改まる子は、次に同じ相手に同じことをやるとまた痛い目をみるという学習をするのだけど、何がいけなかったのか、何故いけなかったのかを同時に気づくことができなければ、その子への教育ではなく周囲のため(治安・秩序の維持のため)の教育だと思う。 

その子への教育とするならば、何が、何故いけなかったのかに気づくまでを見届けるのが責任だけど、何をもってその子が気づいたと見極めるかは判断が難しいと思う。そこまでを見越した上で体罰を肯定しているのだろうか。 

 

 

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記事は戸塚さんを批判したいんだろうが、ヤフコメではある程度は必要と言うコメントが多い。要は必要悪であって、どうしようもない場合の最後の手段なんだよね。素行が悪すぎて家族に暴力を振るい、家の金に手を付けても警察には言えないとか、言っても家庭の問題と言われたりとかね。子供側を守る仕組みはあるが、親を守る仕組みはないからね。追い出す前の最後の施設だと思えば、ある程度はこういった考えは必要だと思う。 

 

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体罰は善とまでは思わないけど 

体罰自体は必要だと思う 

実際、子供のころに体罰に該当する行為を受けたことがあるけど 

今30代になって体罰がありがたかったと思ってる 

体罰が無かったら今の私はひねくれ者になってたと思う 

 

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うーん 

状況によると思う。気持ちの強い子とか口で言っても聞けない子などは体罰(ゲンコツなど) 

効くかもわからないが、気持ちの弱い子とかにやるとかえって逆効果。 

その子の性格をよく考えてやらないと後々戸塚ヨットスクールの過去の事故みたいに大変なことになる 

 

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戸塚校長のは素晴らしい。昔は体罰は、当たり前でした。体罰、ゆとり教育が日本をダメにしました。体罰叩きは政策。強い子どもたちに育つのを阻むための仕組み、それが体罰バッシングなのです。昔の大和魂があると困るわけです。体罰こそ教育なんですが、政府は、体罰をして立派な人間になるのが嫌らしい。戸塚校長を文部大臣にするべきです。今の日本のいろいろな問題の根源は、ゆとり教育と、先生が体罰をすれば叩かれる、その間違った世の中のせいです。昔の軍隊みたいに、スパルタでやるしかありません。大和魂を復活させるのです。そうすれば、いじめもなくなります。スパルタで心身ともに鍛え上げれば、いじめはなくなるんです。日本の弱体化がいじめの根本的原因です。先生に体罰の権限を。戸塚校長を文部大臣にすれば、いじめなんて一発でなくなります。これに反対してるのは、すぐテレビの意見に左右され、自分の頭で考えられない人間たち。 

 

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体罰が善は言い過ぎかな?とも思うけど、保護者にも問題があるのでは? 我が子が可愛いのは、親なんだから当たり前と思うけど、可愛いと常識、道徳、教育は別物だと個人的に思うけどな~ 甘やかして育てる訳じゃないだろーけど、、、 まぁ~それを個性と言う時代だから何とも言えないけど、親でも甘さから教育できない、回りの仲間にに迷惑をかける、それを教育者たちは教えるんだもの、先生にビンタやゲンコツを貰うって事はそれなりに注意をうけ、それでも言うことを聞かないならビンタやゲンコツを貰うのでしょ? 周りに掛けた迷惑より、自分の子供を叩いた事で教育者を責めるなら、責め立てた親は周りの子に謝りなよと思うけどな~。 体罰だ暴力だと騒ぐ前に自分の子供も周りに迷惑をかけちゃったんだと考える必要があるのかなと。 

 

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確実に時代に逆行した考え方で受け入れられないだろうね。 

20年くらい前だが、小学生の時に宿題やらなかったら担任にジャイアントスイングされたな。それからちゃんと宿題やるようになったな。 

それで学んだのは、不利益を被らないようにきちんとやるべきことはやるってことだよね。 

戸塚みたいな考え方は容認できないし、擁護は出来ないけど、やるべきことをやってなくて叱られずに育つのも大人になって困ると思うけどね。 

 

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戸塚校長の手を挙げての体罰ヨット訓練で成功例が出た体験が忘れず、ある程度の自信が確信に変わってしまったのだと思います。 

体罰で非行が矯正されたのは、元々生徒が改善し易い性向を備えていたのかも知れませんし、戸塚校長への信頼感があって更生に立ち直ったかも知れません。 

このため、体罰を一括りにして有効とするのは危険が伴なうと思います。誰がやってもいいのではなく、遣る人と遣られる生徒との信頼関係を築かなければ反発を生むだけで、更生の効果は薄いのではないかと思います。 

一度、体罰を使うと、効果を求めて次第にエスカレートするのが暴行の性向なので危険には違いないのです。 

過去に、これでもか、これでもかと体罰を振るって5人の死亡例をだしてしまった事実からも、暴行がエスカレートする危険性を見ることができます。 

自然科学に見られる法則とは違って、体罰が非行の更生に役立つとの普遍性はないと思います。 

 

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せっかく(?)話題になっているので私見を。これヨットスクールが何かしら「成果を出した理由」は体罰ではなくヨットの鍛錬だと思っている。体罰は「引きこもり」の人をそこへ向かわせる手段として使われただけだろう。ヨットでの鍛錬の様子をTVで見たことがあるが、あれはライフジャケットを付けながらも「一見して生死ギリギリな環境に身を置く」そういう面で効果があったのではと思っている。 

どういうことか?人間は生死に関わる事態では「火事場の馬鹿力が出る」が、それは脳内で大量の「ノルアドレナリン」が出ている。それは集中力ややる気の素だから当然「凄いエネルギー」が出せる。引きこもりの方は鬱的なものにせよ、このノルアドレナリンや同種のドーパミンが殆ど出ずに「何もできない」「動けない」。そういう状態が鍛錬で改善した例があったからこそスクールが流行ったのだと見ている。ただ校長が体罰を重視しているなら「それは勘違い」だ。 

 

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何で見たのかは思い出せないけど、子供たちを海岸に並べて寝かせた上をこの人が歩いてるのを見て、幼児心に恐ろしかったし、今でも忘れられない。 

「言うことを聞かなければヨットスクールに入れる」と脅し文句として言ってた親も、あとになって酷いなと思ったけど、当事者じゃ無い私でさえ辛い記憶として残ってしまってるんだから、実際に体罰ではなく暴力を受けた人は一生の恐怖で傷になってますよね。 

 

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他でもコメントしたが、戸塚ヨットスクールに関して社会学者・小室直樹が詳しく分析している。ザックリ述べると、戸塚ヨットスクールに入れられた子どもは、社会病の一種、無連帯(アノミー)を発症していた。それらの治療に絶大な効果を上げたので、戸塚ヨットスクールのやり方を、ただの虐待するのは間違っている。しかし、創設者・戸塚宏はミスを犯した。それは精神病の子どもいた事である。戸塚宏には専門外であった。その為、死者が出てしまった。 

同じ過ちを繰り返さない為にも、戸塚ヨットスクールの功罪は、教訓にする必要がある。 

 

 

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体罰を含んだ躾や教育に効果がある場合があることは否定できない 

しかし体罰は制御や管理が難しく、暴力との線引きも曖昧で、取り返しのつかない事態になり得るから、全面禁止の流れにあるのだと思う 

 

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善でも悪でもなく方法の一つでしかなく、それだけに固執していいわけもなく、それが必要な場面も必ずある。ぶん殴られなきゃわからないやつもいればぶん殴られなくてもわかるやつもいるし、ぶん殴られて当たり前のやつもいればそれを必要としないやつもいる。ただ一つの方法ではないしそれを善だと言い切れるやつの拳は絶対に善じゃない。 

 

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体罰をしても良いと保護者が容認しているので、部外者がどうこう言う事ではない。 

入校する時に指導方法の説明はされていると思うので、過度な傷害行為がないのなら他人がどうこう言う事ではない。 

以前はさじ加減が分からず、5人も死なせてしまっているが、近年死者が出てないと言う事はそれなりに現代に合わせて修正しているのでしょうね。 

こう言う所を必要としている親もいるのが現実だし、それについて他人が間違っていると言うのは間違っている。 

 

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教員です。 

最近は、先生の説教を神妙な顔して聞くけど、終わった瞬間「あーうぜー!まじなげー」みたいな感じの生徒をかなり見ます。非常に見てて不愉快ですが、言ったところで何も変わらない。 

そりゃそうでしょ。説教きいときゃ終わりなんだから。殴られるわけがないんだし面従腹背に徹しますよね。 

 

普通の学校では「体罰=暴力」と捉えて、全面禁止がいいと思います。でも、どうしたって聞かない子に対しては、戸塚ヨットスクールのような施設が必要だと思います。今の世論が許さないでしょうけど。。 

 

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全否定する人は余程周囲に恵まれている人なのでは。 

諸手を挙げて肯定するわけではないけど、 

他人の迷惑・痛みを想像できない子どもは増えていて、 

大体そういう子どもの保護者は叱れない。 

全てが善なのではなく、時に善にもなり得る手段ではあると思う。 

 

=+=+=+=+= 

体罰が叱るの範疇であるなら善といってもいいと思う 

怒るの範疇に入ると悪だけど、それは体罰に限った話じゃないし 

ようは罪に対する妥当な罰で反省を促しているかどうかが重要 

今の学校みたいに叱ることもできないような環境が正しいとは全く思わない 

 

=+=+=+=+= 

論点を分けるべきだと思う。「すべての子供に対して体罰は必要」なのか「義務教育で落ちこぼれてしまい非行、情緒不安定でどうにもならない子を制御するために体罰は必要」なのか 

戸塚氏の主張が前者ならスクールの卒業生の実績を検証すればよい。社会で輝かしい成果を収めている人がどれくらいいるのか。ほとんどいないならたいした教育方針ではないということ。 

後者の主張ならまずそこにフォーカスした議論であることを説明しないと話が広がりすぎるし優秀、素直な子供がいる家庭の人達にはなかなかそういう難しい子を抱えている家庭の実態が伝わらないのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

私自身の体験なのですが、 

 

自ら、集中して物事に取り組めません。 

 

親に殴られながら取り組んだモノ・コトはいまも私の中にのこってるんですが 

 

自分でやりたい!と思って取り組んだことは全部途中でなげだしてます。 

 

今は大人で客観視できるからこそかもですが、私自身が学び成長したいのであればある程度のスパルタは必要であると考えてます。 

 

ただ、子供、他人はまた別の存在なので体罰はしないほうがいいと考えてます。それは、合わないかもしれないから。 

 

=+=+=+=+= 

やりすぎは良くないけど、手の甲をピシャリ位は体罰って言わないと思うし、その痛みを知って人の痛みも知るみたいな事って、昔からある躾のひとつだと思う。 

 

今の親はちょっと叩いたくらいで何でもかんでも「虐待」みたいに言うけど、そもそも親の躾がなってないのに学校に躾を任せといてちょっと叩いたら「虐待」みたいに言うなら、自分で責任もって子供を躾けたらいいと思う。 

 

ただ、命は大事にしなくちゃダメなのでこのおっさんが過去にやったことは許されることではない。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は善とはいえないが、それでも現代の20代の連中のメンタルは弱すぎるよ。ちょっとは親や先生に理不尽に殴られたり、友人同士で殴り合いの喧嘩したりさ、そういうの経験しとかないと、無菌状態のメンタルじゃ生きていけないよなという気持ちもある。 

 

 

=+=+=+=+= 

これ、当時を知らない今の若い人達には到底理解できないでしょう。あの頃は、いわゆる家庭内暴力、学校内暴力の全盛期。だから、先生もいわゆる暴力教師、、中学の時、なんかやらかした生徒が10発以上ぶっ叩かれているのを見たことある。そんな超不良が更生されるという、そんな超ヤンキーを持つ親からしたら泣いて喜ぶ施設でした。それが行き過ぎ、死亡事件となり、風向きが変わった、というわけ。だから、当時を基準にしたら、別に呆れはしない。令和を基準にしたら、そりゃ呆れるけど。 

 

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何回か密着番組も流れてるよね 

 

見たのは17歳だったかな?の不登校の女子高生が預けられてたけど 

結局屋上からこの塾の屋上から飛び降りて亡くなった件 

あとは小学校低学年が夏休みの間預けられてたけど 

普通にそこにいる中高生や大人から叩かれてるのがびっくりした 

 

放送自体は平成最後の方だったと思うけどまだこんな塾あるんだってびっくりしたのは覚えてるかな 

 

=+=+=+=+= 

どうかな。 

言葉で言ってもわからない子には、こういう行動をすれば痛い思いをするから止めておこうと脳が認識はするから、問題行動は直せるとは思う。 

ただ、それは痛い思いをしたくないだけで、その行動が何故いけないのかを本質的に理解させたわけではない。 

もし理解していた上で問題行動を起こしてしまう子がいたら、体罰は必要なのかも。 

 

=+=+=+=+= 

体罰=悪ではないと思うが、体罰は圧倒的な力関係の上で成り立つもののため、与える側が自身の感情や力加減。体罰を与える場所などが完全にコントロールできるのか?が問題になると思う。実際にはそんな人はほとんどいないでしょう。現にこの戸塚氏も死亡事故を何件も起こしている訳でコントロール出来てないということだ。従って体罰と暴力は区分出来ないということになる。 

 

=+=+=+=+= 

私は60過ぎていて、中学は野球、学生時代はラグビー部にもいました。 

しかし、親兄弟以外から体罰を受けたことは一度もないですし、それが当然だと当時も今もおもっています。 

 

しかし、戸塚さんの指導している子供はかなり特殊であって、そんなケースでは体罰もありかとおもいます。 

 

決して一般的な教育の場ではおこなうべきでないです。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は、悪であり犯罪です。そのような環境で育った子供が大人になり暴力事件を起こします。戦争にもつながる。暴力は駄目、話し合いで解決することを子供に教え平和な社会を作ろう。我らは、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存することを確認する。 

 

=+=+=+=+= 

体罰はある意味効率的な指導方法なのは間違いない。 猛獣だって躾ける事が出来るのだから。 

 

とは言え、人間に対して体罰を前提とした指導を行う必要は無いかなと。 

 

ただ、言葉で言っても伝わらない相手は一定割合いると思うので、そう言った場合には仕方ない面もあるんじゃないかな? 

 

正直、今の教師はやりにくいと思いますよ。 

教師が殴ってこないことを子供達が知ってるんだからw 

 

そりゃ言う事聞かない子も増えるさw 

 

少なくとも学生時代、教師に散々叩かれたり、拳骨を食らったりしてましたが、理不尽な体罰をしてきた教師には恨みしかありませんが、納得出来る体罰の場合は教師に感謝してますし。 

 

体罰って、戦争と似たようなもんかなと。 

外交の一手段としての戦争と言うカードは存在するが、行使しないで済むなら極力回避した方が良いみたいな。 

 

=+=+=+=+= 

事件化しているから肯定するわけではないが 

戸塚ヨットスクールにくるような子供は非行や引きこもりが多いから 

学校で行われている正攻法で更生するのが難しいのはある 

少なくても根気強く言葉掛けだけで改善するのが不可能なレベル 

また親にとっては最終手段でここで更生できなかったら縁切りや勘当する感覚で入れている 

 

普通に学校通って生活していた子供や親はそれらを留意して主張を聞いた方が健全かも 

 

=+=+=+=+= 

この人の言ってることも理解できる部分もある。 

何でも体罰と決めてしまったばかりに、少年少女が増長して犯罪は増えていると思います。 

そこに少年法が重なり、重大犯罪を犯しても少年法に守られることを知ってて犯罪を犯すものまで出てきている。 

 

=+=+=+=+= 

世の中には言葉で諭すだけでは、やみくもに反抗したり、激高してしまうと衝動が抑えられない人がいます。ふざけた態度を繰り返し、さらにエスカレートした行動をとる人もいます。往々にしてその人たちはのちに痛い目に合う訳ですが、「体罰を善である」とする人の存在は、時として「命の恩人」であるかもしないという可能性があるのだと痛感しています。 

 

 

 
 

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