( 203723 )  2024/08/21 01:35:51  
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実際問題として地元でイトーヨーカ堂や西友のようなスーパーが撤退すると買物の利便性が恐ろしく下がるケースが多いです。 

ショッピングモールよりもイトーヨーカ堂や西友の方が普段使いの買物には利便性が高い事って多いのです。 

地元民の都合よりも大株主や外資1stの経営が津々浦々まで広がっていることを実感させられています。 

 

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自分の生活圏にも数店舗のイトーヨーカドーがあります。食料品のフロアはどこも混んでます。激安スーパーに比べると値段は高いけど、地元民にとってはなくてはならないお店なので、応援の意味も込めて利用しています。特に運転免許返納した高齢者にとっては死活問題です。イトーヨーカドーは子供の頃から買い物した場所なので頑張ってほしい。 

 

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昔通っていた保育園が近くだったので帰りによく立ち寄っていました。子供の学用品なども揃っていたので急に必要になった際などお世話になりましたね。鶴見川の土手で遊ぶ時にはトイレをお借りしたり、バーベキューの買い出しをしたり、、最寄りのスーパーではなかったけどなくなると寂しいですね。 

店長さんの最後のご挨拶を拝見しましたが、とても感動しました。従業員のみなさん、新天地でもがんばってください。 

 

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身近な便利な店が無くなって困るのはやはり地元の人たちです。ずっと残すためにはやはり、単に価格だけを求めるのではなく、応援するつもりで買い物をすることが必要だと、このような閉店のニュースを見て心から思いました。 

 

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1986年に東証一部上場の某食品会社に入社しました。 

配属された部署ではイトーヨーカドー 

(以下IYと略)が取引先の1つであり、 

私の担当した問屋もIYに卸しており、IYは大口取引先でしたから 

会社も問屋もIYを大切にしていました。 

当時、IYはPOSシステムで商品を管理しており、POSシステムがまだ普及していない時代でしたから、最先端の流通システムで管理しており、商談もデーター重視で現代的でした。 

IYは取引先から飲食の接待を受けることを禁止しており、私の会社の西友さんの担当者は物品の供与や飲食の接待をしていましたので、その点でも素晴らしい会社でした。 

ダイエーも勢力のある時代で 

IYの本社、ダイエーの軍艦ビル、共に港区の芝公園に本社があり、商談をしていました。 

時代の流れで百貨店(デパート)、GMS共に、 

かつての輝きを失いましたが 

IYが日本の流通産業の最先端の時代があったのです。 

 

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うちの近くのイトーヨーカドーは本当になくなってほしくないです。近隣の大型スーパー(小型のショッピングモール)の中でも、飛び抜けて子連れ買い物に便利です。 

オムツ交換台、授乳室(しかも身長体重測ったりできる)、ベビーカーと一緒に入れるトイレ、ベビーキーパー付きトイレ、こどもトイレ、2ヶ月くらいから使えるcombiのカート、フードコートに子供が使いやすい低めの手洗いもあります。 

また、疲れた時に座れるベンチもあり、荷物をまとめたり、連れの買い物が終わるのを待つのに使う等、老若男女問わず買い物しやすいです。 

食品以外だと、ベビー用品(オムツ、離乳食)や介護用品(オムツ、食品)も販売しています。 

 

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元社員で働いていたものです。 

私が働いてた頃も、業績は下がりつつあり、特に生鮮食品以外の部門は厳しかったです。 

私は精肉部門担当だったので、まだ良かったほうかも。 

天下のイトーヨーカ堂がこうして撤退や買収といった話が出ているのは、本当に寂しい思いです。 

閉店した店舗で働いてた職員さんお疲れ様でした。 

ありがとうございました。 

 

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結局、イトーヨーカドーがなくなる原因を作ったのは、利用者自身だよね。閉店のセレモニーに集まるくらいなら、もっと普段から買い物していればこんなことにはならなかったんじゃない?感謝の気持ちや名残惜しい気持ちがあるなら、それを実際の売り上げで示して欲しかった。お店も慈善事業じゃないんだから、経営が成り立たないと閉店は避けられない。自分たちの生活に密着していた場所がなくなるのは確かに寂しいけど、それを守るための努力はもっと早くから必要だったんだと思うよ。 

 

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10年くらい前かな。ヨーカ堂5号店くらいの屋上遊園地があった三ノ輪店が閉店する時もたくさんの人が見に来て、ローカルテレビが最後を撮影し、最後の方のお客さんは会計後、店員さんがアーチを作りその中を通り、みんなが拍手をする中外に出る。最後鳴り止まない拍手の中その当時の店長さんが挨拶してまたみんなが拍手と感謝の声。完全に立派な卒業式だった。 

自分もたまたまそのアーチを通らせて頂きました1人です。 

 

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西日本に住んでいますが、開店から20年弱でイトーヨーカドーが閉店しました。 

 

食料品売り場は広いし清潔感はあるし、 

子ども服から大人服まで、雑貨はもちろん文房具やおもちゃまで、全て買い揃えることができたので利便性がよく、お買い物はほぼイトーヨーカドーでした。 

でも、近くに競合店ができて閉店。 

 

昔から地元が出店しているスーパーも、自前で洋服や文房具、日用品を置くことはなくなり、そのフロアに無印良品が入りました。 

 

日本全体に、付加価値のあるものに拘って購入する余裕がなくなっている気がします。 

気がつくとユニクロや無印良品などにとってかわられていて、画一的な品揃えだなぁと感じます。 

 

 

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まさに綱島店に数十年前によく行っていた者です。 

 

学生時代には地下のポッポでタコ焼きやラーメンやポテトを食べたり、社会人になったら日用品や衣服に食料品とお世話になりました。 

 

今は都内に住んでいて何年も行くことがなかったのですが、あのあたりではヨーカドーに行けば何でも揃う感じだったので感慨深いものがあります。 

 

近いところとなると食料は東急ストアやまいばすけっとは今もあるのかな?服はマックスハウスはつぶれたならどこかあるのかな?と思う次第です。 

 

(ちょっと歩きますが)駅近スーパーといえばヨーカドーだったから、閉店となれば寂しく思う人は多いはずです。 

 

買収でどうなるかはわかりませんが、ヨーカドーは減って行っても残っていってほしいものですね。 

 

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イトーヨーカドーなどの総合スーパーは食料品以外の売り上げがずーっと悪く、以前から経営はよろしくありません。(これは百貨店も同様ですが) 

かつての稼ぎ頭だったアパレルからの撤退を昨年ようやく決めましたが、総合スーパーをやめるのが遅すぎました。 

食料品、そして立地が魅力的な店舗は場所貸し、つまり不動産屋として生き残れる可能性もありますが、先行きは厳しいです。 

 

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綱島のヨーカドーは、私も子どもの時からよく行ってました。子どもの頃は母と美容院帰りに、中高生の頃はプリクラ撮ったりブックオフ行った後に地下にあったポッポでポテト食べたり。 

綱島のシンボル的存在だったので、寂しい… 

皆それぞれ家族や色んな思い出が詰まってるんですよね。実家がなくなるような感覚はすごくわかります。。 

 

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近所のイトーヨーカドーも数年前に閉店になって、食品以外や専門店の売上が厳しいのかもしれませんが、季節の変わり目など寝具やインナーなどとても助かっていました。ホームセンターなどは少し離れた場所にあって。 

で、私は特にポッポが好きでした。フリフリポテトや今川焼に超普通のラーメンなど。懐かしいわ。 

 

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近所で数年前に閉店したイトーヨーカドーは、子育て時代に大変お世話になりました。夏は気軽に遊べる避暑地、疲れた時のフードコートは台所、急に必要になった文房具、ノートの駆け込み寺として大変便利でした。未だに、ロスが続いてます。確かに夕方や平日はお客様より店員さんが多かったけど、本当に大好きでしたし、今でも大好きです。 

 

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総合的な大規模店舗の運営が困難な時代になったようで、数年前、川口駅前のそごうが閉店したときも時代の流れを感じました。馴染の店舗か閉まるのは、やはり淋しいですね。 

そごう跡地は未だに建物だけが残り、商業施設として運営されていません。 

イオン、コストコ、アウトレットモール…自分のような素人には、特色を持ったスタイルが生き残っているように見えます。 

 

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以前、近くに住んでいました。駅からは少し歩きますが、レストランも 

あるし何でも一通りそろっていて、本当にありがたい存在でした。 

綱島駅周辺にはトイレ施設があまりないので(駅の中にはある)、清潔で 

安全なトイレが各階にあるヨーカドーさんには大変助けられました。 

綱島のオアシスの様な存在だったので、閉店は本当に残念だし寂しいですが 

心から、ありがとうを言いたいです。 

 

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東京葛飾区だが最寄り駅前のイトーヨーカドーは2年前だったか閉店したね。建物はそのままある。屋上がクルマの教習所というせいもあるけど。 

でも駅前の人通りは減ったような気がするね。歩きやすくはなったけど。 

 

陸の孤島みたいな場所にライフスーパーがあるが、1階の食料品に比べて、2階の生活用品売り場はけっこう閑散としてるけどね。ここは赤字でもよいと営業してるのかな? 

 

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イトーヨーカドーで売ってる服は、別に特別オシャレでも無いけど、日本のメーカーで品質の良い物が売ってた印象です。昭和の頃は、家族みんながヨーカドーで買った服を着ていたのが思い出です。服から食料品までひと通り買い物して、地下食料品売り場に併設の「ファミール」で、ラーメンとか焼きそばとか家族で食べるのが休日の良くある過ごし方でしたね。 

 

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昔から利用していたスーパーや百貨店が閉店するのは本当に自分の人生においての一時代が終わるようなものでとても悲しい気分になりますね。 

昔と違い新しい施設などいっぱい建って仕方ない所もあるし、老朽化などで建て替えるより閉店した方がという理由もあるんだろうけど、あまり大きな百貨店などより、地元の小さなスーパーなどを利用していた者からした、本当にどこに何があってとか分かりやすく人も凄く混んでるわけでもないから行きやすいのがメリットでしたね。近くのイオン(SATYの小さな店)やイズミヤなどが閉店になって、少し遠いイオンなどを今は利用していますが、本当に今だ広くて混んでて買い物だけで疲れます。 

これからだんだん小さな地元のお店が潰れイオンや業務スーパーなどがほとんどあちこちあって、仕方ないかもしれないが何か昔ながらのお店が減っていくことに切ない気分になり景色が変わるのが辛いですね。 

 

 

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地元民です。 

映像の最初の部分の静止画を見て、「なんだか綱島店に似てるな」と思ったら、ほんとに綱島店だった。大ショック。 

衣料品は手に取ってみたり試着したりしたいので、もっぱらこのお店で買っていた。一階にある喫茶店も雰囲気がよかった。トイレもきれいだし、駐輪場も完備。 

本当に良いお店だった。これまでありがとう。 

 

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徒歩圏内にイトーヨーカ堂がある。1階の生鮮食品売り場は賑わっている。しかし2階の衣料品・生活雑貨の売り場は閑散としている。3階にも売り場があったのだが そこはビックカメラになってしまった。そのうちここも閉店するのかなぁ。食品専門のスーパーとしては十分やっていけそうな印象だけど。。。 

 

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イトーヨーカドーだけではなくいくつもの総合スーパーや百貨店が閉店に追い込まれているけれども、そもそも消費者が今までは衣料品や日用雑貨等を買うために総合スーパーや百貨店等に行くしか手段がなかった。 

けれども現在はユニクロやGUの廉価な衣料品やニトリの日用雑貨等に消費者が流れ、さらにはAmazonのような巨大インターネット通販の台頭で出かけなくても商品を手に入れることができるようになってしまった。 

 

廉価で便利なものに流れるのは仕方ないかもしれないけれども、なんか廃線する鉄道に群れる「葬式鉄」を思わせる光景に胸が痛みます。 

 

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イトーヨーカドーのフードコーナー、ポッポで良くソフトクリームやお好み焼き食べました。 

アパレルもそれなりに手頃で、娘の入学式とかのセレモニースーツは2回フォーマルコーナーで買いました。 

その娘も大学生になり、卒業式に参加するならその時のスーツ着る予定です。 

ほかにも結構買ったような気がする。 

中高年になるとユニクロの服は、シルエットが合わないような気がする。 

 

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今は亡き祖母が、私が小学生の時にイトーヨーカドーて買ってくれたLEGOブロックのバギーのような乗り物(当時350円くらい)が、今も棚に飾っている。他のブロックはパーツが欠損したり、バラバラになって箱に入り、甥っ子にあげてしまったが、これだけは変わりなく大切にしている。『おばあちゃんが』『イトーヨーカドーで買ってくれた』バギーというのが、大切にしている理由です。思い出をありがとう、イトーヨーカドー! 

 

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閉店時にこれだけの注目を集め惜しまれるのなら、それだけ積み重ねたものがあったということでしょう。そう言った要素も買収後のグループ内に継承できればいいですが、看板やブランドに依っているので難しい問題ではありますね。 

 

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周辺住民にとって、綱島駅の精神的支柱だったのではないか。店舗の敷地面積の約三分の1が実質無料の駐輪場として開放され、駐輪場として使い店舗で買い物しない人も相当数いたと思われる。 

そんな人に目くじらを立てず、綱島経済圏を無料駐輪場で拡大し、周辺商店街の活性化に寄与し続け、40年以上綱島に鎮座したヨーカドーは、綱島のアイデンティティの根幹になっていたのではいか。最終閉店時には地元住民のヨーカドー愛が具現化されたと考える。 

時代に合わなくなって来たのは仕方ないとして、今後、綱島駅周辺を根幹無しでどう街作りを行うのか。非常に注目したい。跡地に建つものとして単なるタワマンではない何かを期待したい。 

 

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イトーヨーカドーはイオンモールなど他社ができる以前は最初のショッピングモールを作ってくれた。 

 

確かデニーズも横浜のヨーカドーショッピングモールの中に1号店ができた。アメリカそのまんまのファミリーレストランが今では当たり前だが、当時はかなりセンセーショナルなレストランだった。 

 

そんな私たちの買い物形態を変えた先駆けで、地域に密着し思い出も多い。無くなる寂しさもある。これだけたくさんの人に利用され、愛されていたのだなと思った。 

 

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高度成長〜バブル期までは、総合スーパーも当時の「萬屋」として機能していたように思いますね。その後「萬屋」の一部はバーチャル空間に居場所を移したように見えます。衣料品や住まいの品などは、こうしたバーチャルモールに市が立つようになりましたし、バブル期を経て単に必要を満たす消費に飽きたらなくなった人々は、リアル店舗としての専門店へも流れていきました。 

専門性の高い人材の育成にも遅れを取った総合スーパーは、いわゆるワンストップサービスだけが取り柄になっていった印象があります。 

そんな中で食品部門だけは総合スーパーもカテゴリーキラーとしての戦闘力を保持していましたので、今に至るまで経営基盤を維持しているのだと見えます。 

注目はドンキでしょうか。 

長崎屋やユニーの食品部門のノウハウを活かし、新たな総合スーパー像を模索しているようにも見えますが…。 

デフレの申し子ドンキがどこまで戦えるか、見ものです。 

 

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綱島民の私が8歳の時オープンしました。綱島のスーパーで初めてエレベーターが設置された店舗でした。用もないのにエレベーター乗ったものでした。先日久しぶりに乗ってみたらとても小さいエレベーターで速度もめっちゃ遅かった。 

ファミールとポッポもワクワクポイントでしたがサイゼリヤとなり味気なかった。一つの思い出と青春が消えていく。最終日は仕事で行けなかったけど妻が行ってくれて惣菜を買ってきたので食べることができました。ありがとうございました。 

 

 

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イトーヨーカドーが出来た時は、百貨店みたいな複合モデルのスーパーは新鮮だった。ただ、今の時代では、お店のサイズや入っているお店が中途半端だったのがよくなかったのだろう。昔は、そこでしか商品を見れないし買えなかったが、今はネットで比較ができて安く変えてしまう。 

VRの技術が発達して、家で試着などが出来るようになれば、イオンモールなどの大型ショッピングセンターが、今度はドンドン閉店して行くのかもしれない。 

 

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綱島のヨーカ堂は幼少の頃に親に連れられてよく行きました。1980年代後半に差し掛かると、ミニ四駆やゾイド、ファミコン関係でオモチャコーナーはとても賑やか、無料で出来るゲームコーナーに私も並んだものです。最上階のレストランでお昼ご飯は楽しみの一つでした。向かい側にあったサトームセンも含めて賑やかでしたね。その道の先のプールももう無かったかな?寂しくなりますが、今でも綱島は大好きな街です。 

 

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イトーヨーカ堂は綱島西の象徴のようなものだったから、なくなるのは寂しい。 

 

おもちゃ売り場、レストラン、ゲームコーナー、文具などもあり、子どもの頃や子育てをしていた頃に家族とここで過ごした思い出のある人が地元には多いのだと思う。 

 

地元の人がイトーヨーカ堂を利用しなくなっていたとは思わないが、子育て世代の数は確実に減っているので、あのようなファミリー向けの店舗はもう維持できないのだろう。 

 

綱島のイトーヨーカ堂も最後は一階の一部がドラッグストアになっていた。 

高齢社会になって、クリニックとドラッグストアばかりが増えていくように感じる。 

 

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ヨーカドー綱島店、生まれてからずっとお世話になってました。幼少期はお年玉を貰ったらおもちゃや服を買いに行き、小学生になったら文房具やノートを買いに行き、3階の奥のゲームセンターで放課後遊びまくったりもしたなぁ。。大人になってからも食品コーナーやドラッグストアにお世話になったり。実家を出て子供を産んでからは、実家に戻った際に赤ちゃん休憩室にお世話になったりサイゼリヤ行ったり。私の人生ヨーカドー綱島店での思い出がありすぎて、閉店セレモニーがこんなに盛り上がったと知って泣けました。多分私のような長ーいお客様が沢山いるはず。 

これからどうなるかは分からないけど、無くなって困る人がいるのは確かです。 

次に出来るお店も、出来たらヨーカドーのような感じで、街の皆に愛されるようなお店がオープンすることを望みます 

 

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ヨーカ堂のある支店が閉店した後に某トライアルが入りました。少し調べてみたらそこは中国系企業のようです。行くと一見、ヨーカ堂と似た趣の店内となっていましたが、一番の違いは客用台車に付けられた端末でその場でカード決済が出来るようになっていたことです。が、私はそれよりも気になったことがあり、それは店内に一切のベンチやイスが無くなっていたことです。客に休む場はなく買ったらすぐに帰れ、買ってる途中も休むなという無言のメッセージと受け取りました。店内のフードコートも無くなってました。つまり客を金づるとしか見てないのです。 

そこは二階建て店舗なのですが、暫くして採算の立たない二階部分を閉めて、採算の取れる品のみを一階に押し込んで一階のみで改めて開業してました。一般企業で赤字は確かに失くすべきですが、損切りが目立つ、客のことは考えてない方針はそれまでのヨーカ堂とは明らかに違うなと感心しました。 

 

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当初、ヨーカドーの閉店予定リストに綱島店は入ってなかったんだよね。それで油断してたけど、乳幼児期から入学準備、成長期の子供服などなど、子どもがいると節目節目でとってもお世話になってきた店舗。閉店の張り紙を見た時はショックだった。だって40年以上ここにあった店なんだよ。 

普段買いできる距離じゃないから、なかなか通えなかったけど、お世話になった記憶があるからこれだけの人が集まるんだよね。我が家も、お世話になった息子を連れて、今月は相当数通いました。 

 

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商圏の核となる部分が開店当初は夫婦と子供の世帯メインだったのが、子供が独立して親元を離れて、夫婦も高齢化で購買力も小さくなって……そんなところが都市部のヨーカドーには多いのでは? 1か所で何でも揃う総合スーパーは高齢者にとって便利だがたくさん買わない、買う必要がない。店にしてみれば儲けにならない。綱島のある横浜なら子連れ世帯が多くて小学校を新規開校している (期限付きのはずが児童数が減らない) みなとみらい地区のような条件なら、車を持たない世帯にとって近場の総合スーパーはありがたく、購買力もあるだろうから店はやっていけるだろうが。 

 

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閉店の時だけ集まるなよとか何か言った気になりたいだけのコメントも目立ちますが、ここは食略品売り場周りは盛況でしたよ。 

40年以上やっている店舗なので家族で思い入れある方も多かったでしょう。 

ただ問題は生活用品売り場で、築40年以上ということもあるのか古い雰囲気のままで、最近はあまり人も寄りつかないのも納得するような感じでした。 

 

ヨーカドーは好きなので食品周りに特化して、なんとか復活してほしいです。 

 

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これは、時代の流れなので仕方がない事なんだと思う。確かに馴染みのお店が閉店するのは、とても寂しい事ではありますが、企業として経営が成り立たない店舗は閉店・撤退させる。 

イトーヨーカドーにも「勝ち組」ともてはやされた時期はありましたが、昨今は「業績低迷」が続き企業として経営は縮小傾向でした。 

今後はロピアが伸びて行くと思われます。 

イトーヨーカドーは5年後に完全にはなくなっているでしょう。ホールディングスの買収問題もあり、イトーヨーカドーの切り離しは避けて通れない事態になりつつある。 

 

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イトーヨーカドーが あった跡地に 運送会社の大きな大きな 配送センターができて 憩いの場はなくなるし、配送センターの 大きなトラックは出入りするしで 殺風景になりました 

 

ヨーカドーやイオンがあるから家を建てるという方もいらっしゃると思うのですが やはり最後は経営状態により 変化していくものなのだなと思いました 

 

私は大阪市内に住んでいるので、ありとあらゆる お店の中から買い物ができており 不便な生活をしたことはありませんが、少し郊外に行くと なじみのスーパーが移転 や 倒産 でなくなっている地域があります。 

最後の砦として残っていたイオンやヨーカドーなどがなくなると 町1つが消されたような気がして  

 

実際 行ってみても ママチャリで爆走するお母さんもいません。自習の中学生や、部活帰りの高校生 や、お年寄りの方の憩う場所もない 

行政と組み、残す方法はないのかなと考える時があります 

 

 

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週に数回は訪れていました。閉店が決まり、最後の日が来ることもわかっていたのに、今日も土手を自転車で通る際に悲しくなりました。 

時代と共に街が変わり、近隣には安くて良いスーパーやショッピングモールがいくつもできましたが、少しレトロ感のある絶対的な安心感がありました。たくさんの思い出の詰まった場所がなくなり、寂しい気持ちでいっぱいです。子供達の文房具なども品揃えが多くて助かりました。社員の皆さん、ありがとうございました。 

思い出すと泣きそうです 

 

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総合スーパーは最近なかなか難しいけれど、 

やはり勢いのあった80年代や90年代に 

子供だった世代 あるいはその親世代は 

いろいろな思い出がありそうですね。 

もちろん21世紀になってからも 

毎日の生活に密着して 

何でも揃っていたヨーカドーがなくなるなんて、 

みんな本当に悲しい気持ちになると思います。 

 

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ヨーカドーオリジナルの伸びるジーンズ愛用者です。 

腰回りも裾長も在庫品から幅広く選べ、腹囲に合わせて腰部も伸び安価で良かったのですが1年前にヨーカドーオリジナルの衣料品は終了とのことで在庫処分になって売り切れてしまいました。 

 

思い出す毎に似たような製品を探しておりますが未だ発見出来ておりません。 

 

そういえば昨冬は2年毎に購入していたヨーカドー&DUNLOP SPORTSコラボの冬の上着を購入しようとしたらこれも提携解消で無くなってました。 

 

地元は11/24に閉店も発表されてしまいましたし、良い品を安価で提供頂いていたのですが残念です。 

 

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今まで何度か引っ越しをしましたが、いつも近くにあったのがイトーヨーカドーでした。 

幼少の頃に父親が「ザ・洗いざらし」の書かれた当時のヨーカドーのプライベートブランド?的なシャツを愛用していたのを懐かしく思います。 

 

何かと縁があり、20数年前に高校生の頃初めてのアルバイトもイトーヨーカドーの精肉部でした。郊外のこぢんまりとしていた店舗で、ポッポが無くなってしまったり、2階が全てテナントになってしまったりで少し寂しくも思いますが、未だに健在です! 

 

来たる春日部店が閉店するときは、某アニメの影響もあってもっとすごいことになりそうですね、、、 

 

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昭和の後期に登場した時のイトーヨーカドーは、まさに新時代のショッピングセンターだった 

当時の少年の目線で言うと、ブームのガンプラもファミコンゲームも、レコードもマンガも、イトーヨーカドーに行けば買う事が出来た 

 

そんな楽しいイトーヨーカドーに何故行かなくなったのかは心当たりがあって、それはおそらく本屋でマンガが立ち読み(失礼)出来なくなってからだ 

 

立ち読みで時間を潰せなくなったイトーヨーカドーや街のデパートは、必要な物を買ってすぐ去るだけの店になった 

 

本来それが当たり前の姿なんだが、結果として団塊ジュニアの青少年だった自分たちの足が、イトーヨーカドーやダイエーやデパートから遠のいたのは確かだ 

 

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イトーヨーカドーやイオンはまだ関東の郊外、駅近に多いけど、 

衣料は西松屋やしまむら、Honeys 

薬は(イオンならグループの)ウェルシア 

雑貨は100均で(イオンならグループの)キャンドゥやセリア、ダイソー 

等を引き入れて箱としての体をなしていると思う。 

 

これを見て思うのは完全に規模感でショッピングモールに負けるんだよな。 

身近にあって便利だけど買わない、何か緊急事態の時だけお世話になる感じ。 

それ以外は大規模ショッピングモールに買い物に行く。 

そりゃ駅近のイトーヨーカドーやイオンは衰退の一歩になるよね。 

入ったテナントが「売れない」って言って引き上げるのが目に見えてるから。 

 

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ヨーカドーのような大型店が出店して地域の小さな店が連なっていた場所はシャッター商店街に変わり、ユニクロが全国展開をして他の多くの衣料品店が売り上げが減り閉店していく。 

 

今後日本の小売りはどんな形になるのだろう。 

強いものが勝つ、のだろうけれど過去を知っている身としては寂しさがある。 

日々の買い物は社交の場でもあった。 

 

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地元百貨店の閉店時もこうでした。駅前に地元民があふれて拍手の中シャッターが降りた。みんな名残惜しそうに見てましたね。 

ここ数年は客より店員の方が多かったフロアには最終日客でごった返していて、活気に満ち溢れて楽しませてもらいました。良い思い出です。 

 

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全国各地でスーパーやデパートの閉店ニュースを目にすることが増えた気がする。 

ネットショッピングや大型ショッピングモールの台頭など、商環境に大きな変化が訪れているのと同時に、「人口減少」「停滞する経済」を契機とした「長期的な円安」「日本人の購買力低下」「日本の国力低下」も感じざるを得ない。 

資源もなく、農産物も豊富ではなく、ITはじめとした知識集約型産業でもアジア諸外国にリードされている日本... 

「豊かな生活を送るためには海外に仕事を求める若者が急増している」とも聞く。 

日本は元気を取り戻すことはできないのだろうか...。 

 

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やはりこういうスーパーやデパートの閉店はその地域が廃れていく。 

郊外の大きなショッピングモールなどが人気だが、遠くても駐車場が広いので県外からでも買い物客が集まってくる。 

しかし若いうちはそれでもいいかもしれないが年を取るとそうはいかない。 

近い所にデパートやスーパーがあるとどれだけ有難いか。 

家の近所でもイトーヨーカドーが撤退したが今も大手スーパーやデパートが撤退を続けている。 

かつては多くの人が集まって活気が有った、その近所にも個人店が並んでいたが今は個人店も閉店、人もまばらだ、徐々に廃れた街に変わりつつあり寂しさだけが残っている。 

 

 

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ここ、店の前にはいつもたくさん自転車が止まってたのに、中に入るとあまり人がいる感じはしなかった。 

こんなに集まるなら普段から買い物してあげたら良かったのに… 

綱島駅はキレイになって、少し離れた所には新綱島駅もでき、活気もあるのに残念。 

 

武蔵小杉はヨーカドーとグランツリーの同系列同士がすぐ近くにあって、周囲にもスーパーたくさんあるけど頑張ってるね。 

 

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田舎に住んでるけど、気づけばヨーカ堂クラスの小売店がなくなってしまい、イオンとドンキ、コンビニ、ドラッグストアが殆どとなってしまった。昔は洒落た感じでヨーカ堂行けたけど、最近は候補に上がらず足が遠のいてしまった。人口減少やネット販売もあるから仕方ないけど、ここまで続いたなら長年愛されたとも思います。 

 

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うちトコもなくなるなくなるとずっと話があって、ついに閉店して跡地にはグループ内のスーパーが入った。 

田舎だからやっぱりなくなると痛いものではあるよ。でも採算が合わなくてアチラがコチラがとついに県内唯一もって話でさ。まぁ人気のショッピングモールと比較すれば地味だし流行りは遅めではあるけれど、手堅くあるので安心感で衣食住取り揃えることが出来たんだけど。駅前中心に行きやすい距離感であったのがなくなっちゃったからね、本当になくなって初めてこんなに痛いか…てな感じあるよ。田舎だから車は必須で郊外大型店舗とかな流れもあるからね。車社会ではあるけどやっぱり郊外は遠いんだよね。 

 

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15年前に新卒でヨーカドーに入りましたが、食品部門以外はお荷物状態でした。 

既にその時から人件費削減、経費削減が連呼されていましたしね。 

減らしたパートさんの分を社員がほぼ毎日残業してカバーしていたので、定時で帰れる日はほぼありませんでした。 

総合スーパーという業態に見切りをつけて3年で辞めましたが、割ともった方ではないでしょうか。 

社としてはコンビニ事業の方に力を入れていくのでしょう。 

 

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ユニクロ、シマムラ等の隆盛でスーパーでの衣料販売は大苦戦。通販の普及も大きい。祖業の食品販売に早くから回帰出来ていたら又変わったでしょう。しかし、売上増やすには生活必需品の衣料に手を出したのは間違いではなかった。でもユニクロがこんなに国民受けしたのは想定外だったでしょう。今は西日本居住なのでヨーカドーを見かけることはありません。 

昔は長崎屋とかスーパーマーケット+αな業態が人気の時代もありました。 

衣料は流行り廃りや在庫管理など難しいですね。 

人口減少の中で旧業態のビジネスの苦戦は続くでしょう。イオンモールもあと何年かで同じ事になることもあり得るなと感じました。老人にイオンモールは広過ぎるそうです。どこに何が売っているかわからないと聞いたことがあります。人口構成を見据えての戦略が必要ですね。 

 

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幼少期は地下のフードコートで母と妹とご飯を食べ、中学の時はモトマチヨシダで友達の誕生日プレゼントを買い、高校生になったらサイゼで友達とご飯を食べ、大学生の頃はサンドラッグで化粧品を買い…… 

思い返すと色々な思い出があるし、多分私と似たような思い出の人は多いと思います。 

出身が綱島ですと言うと「温泉orラウンドワンorヨーカドーがあるよね!」と言われるくらい、綱島のアイコンだと思います。 

私も地元を離れていなければ閉店ライブ行きたかった!今までありがとう! 

 

というか、綱島西エリア住まいの人の食料品、日用品、学用品を購入するお店が本気でない気がするんだけどこれからどうなるんだ? 

 

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地元の春日部も11月下旬に閉店になる。 

今では滅多にない地下にスーパーがあり、できた当初は屋上に幼児や小児向けの遊園地もあった。 

綱島みたくライブはやらないだろうけど、当日は人がかなり来ると思うし、テレビ局も間違いなく来るだろう。 

かなり前から閉店の噂があったけどよく耐えてくれたと思う。 

 

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買収費用が約5兆円と言われていますが、コンビニ業に特化しての不採算部門は間違いなく切り捨てるのは、誰でも想像がつきます。カナダには、インド系の企業家が多いとは聞いていましたが、そこまでの買収提案ができるレベルの企業が存在していたんですね。イラン、華僑、インド、ユダヤなど商売のシビアーさでは、日本人の想定なんて完全に飛び越えています。日本製鉄のUSスティール買収が成立するかどうか(私には無理としか見えませんが)話題になっていますが、セブン&アイが日本人に愛されているとはとても考えられませんので、意外と成立する可能性は十分あると思います。 

 

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ここは屋上の駐車場へは車用エレベーターで行くというの変わったスタイルでした。 

昔は上下に警備員さんがいましたが、途中からはセルフでボタン押して移動してました。 

昔は駐車場待ちの渋滞もありましたが、それも無くなり、利用客も少なくなっていたので、かなり前から閉店は囁かれてましたね。 

思い出たくさんなので、本当に残念です。 

 

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50代女性です。 

イトーヨーカドーは昔から好きです。 

洋服(個人的に普段着にちょうどいいものがある)、下着(綿100%は着心地最高!)、日用品、食品などなんでも揃っていてとても便利です。 

軽食メニューが揃う「ポポ」も好きでした「ポポ」がある店舗はもう少ない。 

デパートはたまの贅沢な買い物の場所。 

色々なブランド店がテナントとして入っているショッピングモールやアウトレットは狙いを定めないと疲れるし…。 

イトーヨーカドーさん、頑張ってほしいです。 

 

 

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残念ですが、無くなって気がつきますよね。普段から使ってあげてなかったのかもな。いつまでもあると思っていた。無くなった時に自分の生活に影響があることを理解して、安いからとか、ポイントあるからとか辞めて、利益を与えてあげないと無くなるんですね。簡単に潰れるなら。国内循環も意識して、外国に買収されないようにしないと。なんでも一局集中されると最後に外資系が買収して、簡単にコントロールされかねない事も考えて行動していきましょう。 

 

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フランス資本の「カルフール」、 

日本に出張ってきたけどそれほど隆盛しなかったよね。 

 

セブンを買収したがってるそのカナダ資本の会社、 

グローバリズム的には結果出してんだろうけど日本ではどうかな? 

 

日本って世界を席巻してるグローバリズムとは一線を画した独特の価値観や購買層を形成してる、 

そこを掴めないと買収はしたけど苦労しそうな気がする。 

 

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要するに価格競争に負けてしまったのかなぁ?ニトリやユニクロは安い?しかし、西友やイトーヨーカド-は少しばかり高い?今の時代安いのが当たり前。昔々長崎屋ってスーパーは良かったのに無くなったし、イズミヤ何かお手頃でしかもおしゃれな服が有りよく行ったものだけど今の洋服って安いけど物持ちが悪くなりすぐに毛玉や首周りものびのびになる。昔の服って少々お高いけど物持ちは抜群に良かった。メイドインジャパンでは無いからなのかなぁ? 

 

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イトーヨーカドーなどのスーパーでは色んな物を扱っているとはいえ、それぞれの面積が小さいので一つの物、例えばフライパンや鍋だと選べても2種類とかしかなくて選択肢がかなりの確率で妥協が必要なんですよね。それが分かってるので最初から専門店に行ってしまいます。あと最近はまず百均にあるなら百均でいいよねってのもあるかな。スーパーは日々の食料品とアンテナショップ、ファーストフード飲食店、クリーニング、行政の出張所、駐車場にGSの組み合わせくらいが丁度いいですね。イオンタウンみたいに映画館があれば息抜きが出来るかな。 

 

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30年前にヨーカドーで働いていた元社員です。綱島店は同期が働いていた店舗です。近年閉店の話が多くて淋しさを感じます。辞めて30年経ちますが、地元(九州)にヨーカドーあるならもう1度働きたいと思える会社です。 

閉店は残念ですが、社員の方々、パートさん、アルバイトさん、お疲れ様でした。 

 

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もし本当に海外にセブンが買収されてると外国人経営者やスタッフに成ると思うので、コンビニや日本人の主婦がよく使うヨーカ堂なども品質サービスなども凄く落ちてダメに成りそうです!コンビニ食品でさえ品質が落ちて不味く成りそうなイメージです。 

セブンイレブンやヨーカ堂などのグループは、やはり日本人の経営者とスタッフで居て欲しいです! 

 

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IYの閉店が続くのはすでに日本企業ではなくアメリカのファンドが筆頭だからです。つまり日本人に聞いても意味ない。高く売れれば売ってしまう。ダイエーはまだ西日本にいくつかあるが、それより先にIYが完全になくなるかもしれません。ゼロになる可能性かなりあると思います。株の上場するっていうのはそういうこと。会社そのものを投資商品として売買する外資にねらわれる時代になっている。円安だから。特にアメリカのファンドに。アメリカは金になればなんでもありの世界。日本人とは価値観が違う。アメリカには老舗って一つもないです。発想がないし、国自体が300年しか歴史がないから。日本のいい会社は上場なんて廃止したほうがいい。くだらないファンドに買われて売られてなくなるだけ。社会を守るとか地域に根差すとか無関係。自身の金になればいいっていう金の亡者。日本社会をぶち壊しているのはアメリカですよ。 

 

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安倍自公政権で消費税を5%から8~10%まで2回も上げ、一方では低賃金の非正規社員が全体の40%にまで増えてしまったら、一家の食料品購入が中心になり、国内の各種消費経済全体とその生産能力は低迷する一方といえるでしょう。 

都市はともかく地方ではすでに駅前商店街がシャッター通りになったり、田んぼの中に巨大なショッピングモールができたりしても、少子高齢化の加速する社会では車や足の確保もできない高齢の消費者にとっては買い物することも大変だろうし、せめて消費税を5%以下にでもしないと消費経済を立て直しての商店活性化は無理といえるだろう。 

 

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総合スーパーが閉店する一方で、食品を中心とする普通のスーパーは新規出店が相次いでいる印象です。かつて町の八百屋などが総合スーパーに押された形から、専門店に戻るような感じで業態が変わってきているということなのでしょうね。 

 

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家の近くのイトーヨーカドーも数年前に無くなった。 

何かと便利に利用していたけど、お客さんも少なく、テナントも撤退して行き、後半は店内が閑散としていく様に怯えていましたが、案の定、、 

 

閉店セレモニーは、たくさんの人が集まっていました。 

この人たちが普段からヨーカドーを利用してくれていたらなぁと思ったりもしますが、昔ながらのデパート、百貨店がどんどん閉店していくのは本当に寂しいし、不便になります。 

 

みんなモールにやられてしまった。 

 

 

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就職活動の時に一番最初に切ったのがヨーカドーでした。(30年前)人事部の方のヤル気のない事ビックリした。ウチは兎に角給料安いよ。会うなりソリャナイヨ。個人的には曳舟店で両親が買物し、立石店で私の産着等購入、女子とスケートに行ってたのは、高砂店?だったので愛着はあった。利益率追求の姿勢は昔から有りましたが、四つ木店あたりからつまんねえ売場になりましたね。いつ行っても変わらない。コストコだって1週間に一度変える。そんなオイラは◯エツっていう地獄スーパーで死にかけた。 

 

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元々衣料品屋だったから衣料品事業からの撤退を決断できなくて続けた結果が今なんだろうけど、衣料品コーナーのガラガラ感は全国どこのイトーヨーカドーに行っても同じですね。 

でも、昭和平成で時間が止まったような雰囲気が私は好きです。 

ありがとう。 

 

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45年の茅ヶ崎も来年の1月閉店。思い出はいくつもある。高校生の頃テナントの雑貨屋でバイトしたり、CABINの洋服が可愛くよく利用したし、アルフィーのヒット曲と同じ名前の「メリーアン」という婦人洋服店があり、曲がヒットする前からの店名。当時ちょっとだけ話題になった。本屋にはんこ屋さんで年賀状の印刷を頼んだりヨーカードーはよく利用してた。 

社会人となり利用駅が隣り駅となり、いつの間にか足が遠のいてしまった。 

気がついたら月日は流れ時代は変わり、イトーヨーカドーの閉店。 

 

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イトーヨーカドーは関東に引っ越してきてから知りましたが、地元住民から愛される理由は何となく分かる気がします。 

ただ、実際に便利に使っているのって食料品部門だけで、衣料品や生活雑貨は「急に必要になった時に助かる」みたいな立ち位置で常時の需要はなくなっていたと感じます。もっと早く食料品部門だけに絞るか、衣料品や生活雑貨はテナントを入れるかしていれば未来は違ったのかなと。 

正直、初めてイトーヨーカドーの衣料品コーナーに行った時は「こんな洋服、こんな値段で、誰が買うの?」というような物ばかりでしたから…。 

 

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イトーヨーカドーや西友が好きでよく利用するけど、最近のイトーヨーカドーは駅前の一等地にありながら営業時間が20時までとかだしなぁ…。 

だから仕事帰りに立ち寄りたくても利用出来ない。 

イオンやコープは嫌いだから利用したくないし。 

 

実家がなくなるような感じ。 

わかるな〜 

小さい頃から馴染みのある場所で、今まで当たり前にあった場所だからね。 

 

横浜や埼玉からも撤退し、比較的業績の良い店舗ですら淘汰するんだから、 

そのうち47都道府県から完全撤退する日も近そうだな。 

 

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残念ながら今までの小売業の形態は、これだけネットショッピングが発達してしまったら、もう厳しいと思う。ただ食品や生鮮物だけは、かろうじて残るであろう。しかしそれだけではあまりにも利益が少なすぎるので、もう大型スーパーとして営業することは厳しすぎる。ヨーカドー、ダイエー、思い出は尽きないが自分の心の中で綺麗なまま、閉店を見守っていこうと考えている。 

 

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子供の頃は夏休みは綱島でドラゴンボールやクレヨンしんちゃん、ドラえもんの映画を見て、帰りはイトーヨーカ堂でオモチャ(ミニ四駆とかデジモンとかゲームソフト)見て帰ったりとかもしてたな。 

お小遣いが限られていたから欲しくても買えなくて指くわえて見てたけど、今回の閉店ニュースを見てふとそんな懐かしい日々を思い出した。 

 

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時代も変わり、建て替え・業態変更の必要もあったりで思い入れのある商業施設がどんどん消えていきますよね。昨今はなかなか思いをはせることもないと思いますが、最後くらいこうやってみんなで盛り上げて終わるのも良いかと思います。色々希薄になった世の中なのである意味ほっとしますね。 

 

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綱島、ヨーカドーの存在、大きかったですよね。 

都合で一年ほど週一で綱島へ通っていたことがある。 

でもこの閉店の状況を見ると親しみをもたれ、なにかしら便利さに助けられたひとが多かったんでしょうね。 

ヨーカドーは規模を縮小して食品を中心に扱う新業態を開いてもらえるといいなと思う。 

それとも、駅前大規模開発の計画があるのだろうか。 

 

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小学生の子供がいると、学校から突然「明後日までに︎︎を持参して下さい」と家にないものを急に用意しないといけない事が多々ありますが、ヨーカドーが近くにあると大抵は用意できるので非常に便利です。 

なので私は支える意味も含めてヨーカドーで買い物するようにしています。 

 

 

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自分が今住んでいる街でも、西友百貨店事業部、ヨーカドー、地場百貨店2軒、地場スーパー3軒、パルコのような形態の大型店2軒が消えた。 

原因は、高齢化と人口減少と景気低迷。 

閉店時に、お祭りのように人達が集まるのは異様に感じます。 

まるで、お葬式。店舗の葬式でもあり地域の葬式でもある様な。 

政治や行政、地域住民も未だにその深刻さを感じていないだろうが、高齢化、少子化、空洞化と人口減少は、この先、想像を絶する状況をもたらすと思います。 

 

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うちの近くにもイトーヨーカドーがあります。 

最初にOPENした時にはデパートと違い庶民的で買い物によく行きました。 

買い物が終わり、お決まりで 

「ポッポ」で家族が食事をし帰宅しました。 

姉が高校生に成りアルバイトでポッポで働いていました。 

古き良き時代を本当に過ごせた思い出のお店です。 

 

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近隣にはイオン系列の店ばかりになってきたので、多少離れたイトーヨーカドーに買い物に行くことがある。 

イトーヨーカドーは、イオンとは違う品揃えをしてるからだが、最近は力が入っていないような印象を受ける。 

イオンとイトーヨーカドーが今後も存続してほしいが難しいのかもしれない。 

 

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総合販売業は成り立たなくなりました、食品は地方スーパーに、衣料品は各専門店に、日用品も専門店自体が部門別になるくらい専門化してます、この流れは必然的な流れです、後は食品部門のさらなる専門化でしょう、高級食品部門は有力だと思います 

 

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色々あるスーパーの中で、ヨーカドーが一番好きです。 

うちの近所のはどこもまだ健在だけど閉店になったら凄く悲しいな。 

子供が生まれた頃もネットスーパーでお世話になりました。 

当時はヨーカドーのネットスーパーが1番良いと周りのママ友たちもみんな言ってました。 

これからも頑張って欲しい。 

 

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こういう問題は難しいし、歴史は繰り返すと思う。その昔はヨーカドーが出店したことによって、閉店せざるを得なくなった商店がたくさんあったでしょう。現代はユニクロ、ニトリによってヨーカドーが淘汰された。でも将来はユニクロ、ニトリも新進気鋭店舗に淘汰される可能性があるのだ。 

 

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普通に考えたら。 

過去にイトーヨーカドーが進出してきて成功して、地元の商店街が弱体化した地域で、そのイトーヨーカドーが撤退するのなら、とんでもない商機だってことだよね。 

ここに「無駄な売り場を廃したヨーカドー」みたいなお店ができたら、地元の人はみんな買い物に行くわけで。 

千葉県にできたSIPみたいなのがこのエリアにいくつか出来たら、そのエリアを独占できるわけじゃん。 

新規でスーパーを立ち上げるのは大変だけど、SIPクラスのお店ならそれほどではない。 

「昔ながら」が無くなる場所には、チャンスが一杯転がってるわけだ。 

 

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ヨーカドーの役目が終わったと言う事だと思います。 

衣料品に専門性求めるならアウトレット行きますし、ネットで買います。 

日用品だって近所のドラッグストアで買えます。 

大規模店舗なだけに駅近くの徒歩圏内、しかもマイカーで行くと駐車場も大変だったりと、 

ヨーカドーに入るのも面倒です。 

ヨーカドーだから買うって選択肢もありません。 

気軽に入れる近場のお店があるし、ヨーカドーに行ってもSNSで映える光景はない。 

若者だけではなく、今の若いお婆ちゃんもSNSで華のある生活をフォロワー公開している人も多い。 

ヨーカドーはショッピング先としてはあげにくい。 

SNSで話題性がある場所しか行かなくなってる現代人の意識を考えたら、年寄りくさい場所かもしれない。 

 

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昭和平成の頃はイトーヨーカドーの最盛期。よく利用した思い出がある。他にもダイエーや長崎屋など大型スーパー時代が続いた。街全体に活気があり、歌や演奏などの色々なイベントがあった。しかし、時代とともに社会や街は変化し、翳りが出てくる。 

 

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利便性も大事なんだが近所の小さなスーパーで買い比べてみるのも面白い。回ってるうちに何に力入れてる店なのか分かってきて、野菜はここ、魚はここ。肉はここでなくちゃ。ってくらいに相当味オンチの自分でも分かるくらいに違う。昔からの仕入れ先があるんだろうね。 

大規模スーパーが出店して地元の商店街がシャッター街になっちゃったなんて昭和平成のニュースもあったけど、時代は繰り返すのですかなぁ。 

 

 

 
 

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