( 203802 )  2024/08/21 14:52:35  
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岸田首相は、9月の自民党総裁選に出馬しない。8月14日に表明したこの決定は唐突な発表であったが、これを機に総裁選に手を挙げる候補が続出している。その数は11人に及ぶ。どのような総裁選になるのであろうか。 

 

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出馬の意欲を示す議員は、石破茂元幹事長(67歳)、河野太郎デジタル相(61歳)、茂木俊充幹事長(68歳)、小林鷹之前経済安保担当相(49歳)、小泉進次郎元環境相(43歳)、高市早苗経済安保担当相(63歳)、上川陽子外相(71歳)、野田聖子元総務相(63歳)、斉藤健経済産業相(65歳)、加藤勝信元官房長官(68歳)、林芳正官房長官(63歳)の11人である。19日には、小林が出馬表明を正式に行った。 

 

推薦人を20人確保しなければならないので、この11人全てが立候補できるとはかぎらない。私が国会議員のときに、総裁選に出馬しろという周囲の声で20人の推薦人を集めたが、党の長老にそのリストを見せると、即座に切り崩しにあって、一人、また一人と離脱してしまった。そのため、この件はマスコミも全く気づかず、闇に葬られてしまった。 

 

いずれの議員も派閥のしがらみや、党内の上下関係、選挙区事情など多くの制約を抱えており、自分の思い通りには行かないのである。20人の推薦人を集めるのは容易ではない。 

 

しかも、麻生派を除いて、派閥は解散してしまっている。解散しても議員間のつながりは残っているが、かつてのように派閥を基盤として推薦人を確保するわけにもいかなくなった。それだけに、20人をどこから集めるのかという問題が大きくなっている。 

 

麻生派の河野太郎、旧岸田派の林芳正、旧安倍派若手の支持を受ける小林鷹之の三候補は、20人を確保したが、それ以外の候補については、まだ不明である。 

 

そもそも自民党の派閥は、自分たちの領袖を首相にすることが目的の集団である。親分が首相になれば、子分の自分も大臣などの役職に就く可能性が高まるとして、所属議員たちは汗を流す。 

 

派閥は「カネとポストの配分単位」である。派閥の領袖は、部下に政治資金を配り、選挙を助ける。 

 

一般的に、派閥の規模に比例して、大臣、副大臣、政務官のポストが配分されるので、派閥は、所属する議員の数を増やそうとする。当選6~7回にもなって大臣になれない議員は、派閥の推薦枠でなんとか閣僚になろうとする。 

 

タテマエを言えば、派閥とは政策集団であり、同じような考えを持つ政治家が集まるはずである。しかし、今の派閥は、必ずしも政策を基準としたものではなくなっている。 

 

自民党の派閥は、中選挙区制という制度が生み出したものである。中選挙区とは、一部の例外を除いて、定数が3~5である。自民党は強くて、一つの選挙区から複数の当選者を出す。たとえば、5人区では5人とも自民党ということがありうるし、4人、3人、2人と、複数が当選する。そうなると、野党候補との戦いよりも同じ自民党の候補との競争のほうが熾烈になる。 

 

かつて「三角大福中」と言われた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘が率いる5大派閥の時代に、たとえば、田中派と福田派の議員がいる選挙区で、新人が対抗して出馬しようとすると、それ以外の三木、大平、中曽根の派閥から立候補するしかなくなる。こうして、定数5と派閥数5が一致するのである。 

 

同じ自民党から複数の候補が戦うので、政策の競争ではなく、ばらまくお金の競争となる。そこで、「カネのかかりすぎる選挙」が問題となり、小選挙区制に移行したのである。 

 

衆議院が小選挙区比例代表並列を導入してからは、派閥は中選挙区時代のような意味はなくなった。小選挙区では1人しか公認候補は出さず、公認権を持つ総裁が誰を公認するかを決める。そこで首相官邸の力が強くなったのである。 

 

 

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岸田が退陣を決意したのは、支持率が低迷し、来るべき総選挙の顔となりえないという党内外の声が高まったからである。 

 

昨年12月に派閥のパーティー券販売収入の裏金問題が明るみに出て、政界に激震が走り、安倍派の閣僚の辞任などが続いた。岸田首相は、派閥の解散を決め、麻生派以外の他派閥も追随した。 

 

しかし、これは本末転倒で、派閥を解散したからといって、政治とカネの問題が片付くわけではない。派閥の裏金問題が発覚したから派閥を解散するというのは、あまりにも短絡的で、ポピュリスト的対応である。裏金にせずに、きちんと政治資金収支報告書に記載すればよいだけの話である。 

 

岸田は、同時に政治資金規正法を改正して、パーティー券購入者の公開基準を引き下げるなどの改革を実行した。しかし、特定の個人や団体ではなく、広範な人々から政治資金を集める手段としては、政治資金パーティーの開催は悪い手法ではない。 

 

派閥は、宏池会の領袖、大平正芳元首相がかつて言ったように、「切磋琢磨して」政策の競争をするというプラスの面もあったことを忘れてはならない。自民党が長期にわたって政権の座に就いているのは、この派閥間の切磋琢磨によって優れた政策を生み出してきたからである。 

 

野党と競うのではなく、自民党内で他派閥の政策論争をする。そのことによって、党内に複数の政策選択肢ができる。政策Aが不評なら、政策Bや政策Cがある。これは総裁・総理候補についても言えることで、リーダーDが不人気なら、リーダーEやFがいる。 

 

1974年12月に田中角栄首相が金脈問題で辞職すると、後継首相になったのは「クリーン」と評される三木武夫であった。このイメージによって、国民は、あたかも与党から野党へと政権が移ったかのような感じを抱いた。「派閥間のたらい回し」が疑似政権交代の意味を持ったのである。 

 

今回の総裁選挙も、たとえば世代交代で、小林鷹之や小泉進次郎が当選すれば、自民党が刷新されたようなイメージを振りまくことができるであろう。 

 

 

世論調査では、次期総裁・総理候補としては、石破茂がトップである。しかし、この人には人望がない。推薦人20人すら容易に集まらない。そもそも、これだけの大物政治家にしては、自らの派閥も政策集団も消滅してしまったのはなぜなのか。安倍派や岸田派などと同じ規模の石破派があってもよさそうなものである。 

 

福田康夫内閣(2007年9月26日~2008年8月2日)で、私(厚生労働大臣)と石破(防衛大臣)は同僚であった。後継の麻生太郎内閣(2008年9月24日~2009年9月16日)でも、私は厚労大臣、石破は農林水産大臣と同じ閣僚であった。 

 

二人とも懸案事項をたくさん抱えた大臣であり、予算委員会では野党から質問を浴びせかけられたものである。それだけに、野党の質問が石破大臣に集中すると、私は一休みできるし、逆に私が吊るし上げられると、石破は休息の時間が持てた。 

 

大臣になる前も、私は国際政治学者として外交や安全保障を専門としていたし、石破は「防衛おたく」として、議員会館の部屋に戦車や戦闘機のプラモデルを並べていた。私たち二人は、自民党の外交防衛政策の立案に共同して当たったが、学者的な理論を展開して、仲間の政治家たちには煙たがられた。 

 

党の新憲法起草委員会(2005年)では、第9条の改正について、「国防軍」案の石破と「自衛軍」案の私が対立する。石破は、私に対して『あんたは、それでも学者か、論理の整合性がないではないか』と噛みついた。私も負けておれないので、『あんたは、それでも政治家か。9条を一日でも早く改正することが大事ではないのか』と反撃したのである。 

 

鳥取県の石破の選挙区にもよく行った。寒い時期には、夜になると二人で蟹を食べながら、談笑したものである。 

 

田中角栄の薫陶を受けたにしては、石破ほど政治家らしからぬリーダーもまた少ない。派閥を作るとか、金集めをするとか、部下に兵糧をばらまくとか、そういうことに長けていない。そこで、周囲に人が集まらず、「人望がない」などと陰口をたたかれる。 

 

しかし、政策立案能力、風格からして、日本のリーダーにふさわしい人材であることは確かであり、それが国民からの高い支持につながっている。しかし、それだけでは党内の支持を動員することができない。田中角栄的な泥臭さもまた必要ではないか。 

 

舛添 要一(国際政治学者) 

 

 

 
 

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