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【批判殺到】「体罰はやられる方の利益」戸塚ヨットスクール設立者が“体罰肯定”動画…尾木ママ「時代錯誤」

FNNプライムオンライン 8/21(水) 7:13 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/ade05fe326fb200292147dd098ac980220e643d0

 

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スパルタ教育で知られる「戸塚ヨットスクール」の創設者である戸塚宏氏が、体罰を肯定する内容の動画をYouTubeで公開し、批判を浴びている。

この学校は厳しい教育方針で知られ、不登校や非行少年の更生に効果があるとされていましたが、体罰が過剰に行われ、死亡事故が相次いだことで注目されました。

戸塚氏は懲役6年の刑を受けています。

動画では、体罰についての戸塚氏の主張が繰り返され、若い世代の間から否定的な声が挙がっていますが、一方で体罰が一般的だった時代を経験している年代からは異なる意見も出ています。

尾木ママこと尾木直樹さんは、体罰は法律で禁止されている現代にはそぐわないとし、叱ることは説明することであり、叩くことは痛みを与えて我慢させるだけであり、愛の力を示す方法だと語っています。

(要約)

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FNNプライムオンライン 

 

スパルタ教育で知られる「戸塚ヨットスクール」創始者の戸塚宏氏が、動画で体罰を肯定する持論を展開し批判が殺到している。 

 

【画像】1976年に開校した戸塚ヨットスクールの様子(1983年) 

 

戸塚氏はYouTubeで配信した動画内で、体罰についての持論を展開。 

 

「体罰は善なんよ」」「ひっぱたきゃ痛い。痛いのはイヤ。イヤだから頑張る。だから進歩する」などと、体罰を肯定する主張を繰り返した。 

 

戸塚ヨットスクールは1976年に開校した。 

 

厳しい教育方針が不登校の子どもや非行少年の更生などに効果があるとして注目され、全盛期には100人近くの訓練生が在籍していた。 

 

しかし、戸塚氏とコーチらが訓練生に行きすぎた体罰を与え、死亡させるなどの事件が相次ぎ、戸塚氏は懲役6年の刑に服していた。 

 

動画の中で戸塚氏が繰り広げた「体罰に関する持論」は他にもある。 

 

ーー体罰と暴力の違いは? 

暴力は自分の利益のためにやるやろ。 

体罰は…やられる方の利益のためにやるんだ。 

体罰は、進歩を目的とした有形力の行使。 

 

“やられる側の利益”であり、進歩を目的としていれば体罰を加えても良いと主張する戸塚氏は、さらに自身の経験も交え、こう話す。 

 

「俺が小学校の頃だよ。ひっぱたいた先生に向かって『ありがとうございました!』って言ったよ。我ながらびっくりしたよ、あれは。結局、後から考えてみたら、俺を進歩させるために体罰やったなと思えるんや」  

 

今回、戸塚氏が出演したのは戸塚氏を支援する2人のスタッフが立ち上げたYouTubeチャンネル「令和ヨットスクール」だ。 

 

なぜ、この動画を投稿したのか、24歳のチャンネル運営者に聞くと、「戸塚先生だからこそ伝えられるメッセージは、やはり動画として残した方が(世の中に)伝わりやすいっていう風に考えてます。時代に合っていないっていう部分は重々承知の上で、(戸塚氏)の思想を残したいっていう思いもあります」と説明する。 

 

しかし、戸塚氏の“体罰を容認する発言”について、若い世代からは、「(今の時代に)そぐわないと思います。体罰で生まれるものはないと思ってる(30代)」「教え方は他にもある。体罰が正しいとは思わない(10代)」といった否定する声が多かった。 

 

一方で、「体罰があった時代」を経験している年代の人からも、「ビンタとかは当たり前だった。言葉の暴力みたいな…怒号が飛ぶみたいなのは当然あった(50代)」「(体罰は)昭和で終わりかな…。令和・平成でも(体罰は)ないのかなって…(40代)」といった声が聞かれた。 

 

教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんは、体罰は法律で禁止されているとした上で、「体罰というのは今の時代に全くそぐわない。時代錯誤と言えると思います。叱るって言うのはどういうことかというと、説明するってことなんです。叩くのは痛いから、我慢してやめるだけ。それは愛の力でも、“暴力とは違う”という事でもない」と訴えた。 

(「イット!」 8月20日放送より) 

 

イット! 

 

 

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このテキストでは、体罰について賛否両論の意見が対立して出ています。

一部の意見では、過去の体罰の効果や必要性を述べる声もありますが、現代の価値観や法律との兼ね合いも考慮すべきだとの指摘があります。

一方で、体罰による教育は時として必要であるとの意見、また、過保護やため息の側面を指摘する声もあります。

 

 

戸塚ヨットスクールの取り組みに関しては、一部からはその手法が体罰を超えて暴力的であるとの批判があります。

議論は複雑で、体罰や教育方法に対する考え方や価値観の違いが見受けられます。

 

 

全体的には、教育における体罰の是非や代替手段、子どもに対する教育のあり方に関する様々な視点が示されています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

現場の教員です。リアルな話でいうと生徒は先生をなめ切っている。腕を掴んだだけで「体罰」。親も乗り込んでくる。ある意味子どもよりも親の存在が厄介かも。口だけで要注意な生徒を説得させられるほど現実は甘くはないんです。尾木ママの偽善にはヘドが出ます。体罰がダメなのはわかりきっていることだから、口で説得するのは当たり前。でも声を張り上げただけでパワハラだと言われてしまう今、教師は何もできない。キレイごとじゃないんです。ヨットスクールみたいに極端までにはいかないものの、教師が子ども、親に対抗できる手段を文科省も何か示してもらえないものかと悩む日々。 

 

=+=+=+=+= 

積極的な体罰は良くないがいざという時の武器を先生も持ってないと生徒に舐められてしまうんじゃないのかな。 

私が小学生の時は怖い先生と優しい先生の区別があって怖い先生が担任の時は生徒も大人しくしてた。 

怖いと言っても普段は冗談を言う楽しい先生で部活の指導が厳しかったり、いじめをしてるやつにはビンタしてる感じたった。 

子供ながらに悪いことをしたらビンタされるのが普通の感覚だったから今はゆとりと言われても仕方ないなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

当時から問題になっていたヨットスクール。 

週刊誌の記事程度の知識しかないが、不登校等の子を親の依頼で受け入れていたかと。 

ヨットの操船を通して自己実現の体験をさせ自立させると言う考えだったと理解している。 

体罰と言う語を使用しているが、過酷な状況を経験させることで現状を克服させるプログラムということで、体罰が適当か、雑な使用では?と感じる。 

過酷な訓練は何の準備もなしでは行えない。八甲田山の訓練並みなら批判もあろうが、教える側が周到に準備して、困難を克服する経験を積ませるプログラムはどこにでもある。 

と言うスクールの意味を理解した方が発信を始めたと理解するが、発信すること自体を否定するなら中共並み。 

元生徒を誹謗中傷するなら、男の体臭と同レベルだがそうではないのだろう。 

他人を攻撃する言説は戒めるべきだが、1つのメソッドを「体罰」と言ったからと否定するのは、発信の機会を制限することでは? 

 

=+=+=+=+= 

個人的にはある程度は叱責や手をあげることも教育上は必要だと思っています。 

今って生徒側が少しでも気に食わないことをされたらすぐにハラスメントだとか体罰だとか騒げば忽ち学校側、教師側に非を押し付けられる風潮になっているのが問題だと思う。 

そしてそれに一緒になって親が出張ってきてモンペのごとく暴れるから余計子どもの甘えが増長する一方だと思います。 

 

大切なのはその叱責やある程度の暴力性もきちんとした教育的目的や意味、愛情があったうえでの叱責等になっているかが大切だと思います。 

そして親もなんでもかんでも我が子可愛さに甘やかすのではなく、自分の子が間違っていたらきちんと思い通りにならないこともあるってことを指導するのが親の務めだと思います。 

まあ、その叱責などが間違っているか、正しいかの判断すらできない者が親になっているケースも増えているんでしょうけど。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも体罰を助長するYoutubeは公共の福祉に反するとして制限すべきでは?TVでは一発アウトだと思うけど、今やYoutubeはTVよりアクセスしやすいため、制限の必要性はより高いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

「体罰はやられる方の利益」 

→体罰に関しての是非は別にして、この方は体罰を肯定するのであれば自身も体罰を受ける覚悟を持ってもらいたいです。 

自分は年長者だからもう体罰を受けないと考えているのなら大きな誤りです。 

年長者でも介護を受ける者として、自身がうまく出来なかった時に体罰を受け入れるべきです。 

それを受け入れてこそ、発言に真価があります。 

 

=+=+=+=+= 

体罰の定義にもよるので、私と考え方が異なるのか分かりませんが、多様性を認めるなら、この考え方が存在するさのは良いかと思います。 

 

ただ体罰と暴力の境界線が曖昧なので、やる側の感情コントロールが難しそうですね。また周りは履き違えた人をその場で止めれるようにしないといけませんね。対岸の火としないように… 

 

また体罰には、物理的な方法と精神的な方法と2つありますが、相手のことを思って罰していることが伝わり易い方法を選択できるサポートを周囲は身につけないといけないですね。罰の与え方が精神的な方法の一辺倒だと、ハラスメントを受けたという記憶になってしまうので。 

 

=+=+=+=+= 

暴力と体罰は違うとか、叱ると怒るは違うと言うのを見ることがあるけど、現代って受けた側がどう捉えたか?が主とした観点になってきているので、やる側が「違う」と言っても伝わらない事の方が多いはず。 

 

それに、この体罰を肯定する事で危険だなと思うのは、その匙加減や許容範囲が人それぞれの尺度で変わるので、極端な話、親が子供に対して「しつけのつもり」でやった体罰(暴力)による事件ってたまにあるけど、これだって同じことじゃないかと。 

 

ただ一時期、自分自身で興味があってABAの勉強をしていた事があるんですが、叱らず導くと言う教育方法って、かなり勉強が必要な気もするんですよね。 

これもまた、なんでも褒めて伸ばすが善と言う単純なものでもないとも思います。 

 

子供や人を教育する上では、教える側が自分論だけで関わるべきではないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

よく、「時代錯誤」とか、「昔は当たり前だったけど」という言葉を聞くけど、時代に関係なく体罰はいけないし、体罰が当たり前だった時代を生きてきた人(僕も含め)も、それらはいけなかったという認識を持たなければいけない。勿論、昨今、体罰を行った教諭だけが罰せられて、体罰を受けるようなことをした児童や生徒、並びにその親が何の処分も無いと言うのは許せない。 

その上で、戸塚氏及び戸塚ヨットスクールに置いて、非行に走ってた子供を立ち直らせたという実績はあり、それは素晴らしいと思うけど、一方で体罰という名の暴行から逃れるべく“死”に追いやられた人もいる。「体罰はされた人の利益」とか言ってるけど、死に追いやられたのにどこが“利益”なのか。 それは無論、“戸塚氏の言う体罰”ともまたかけ離れてるし、どんなに素晴らしい実績があっても、これらは全くを以て許される事ではない。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は必要悪だと思ってます。 

 

体罰が否定されてきたのはここ30年くらいのことで、それより前は有史以来行われていた行為であり、当たり前の行為でした。 

ここ最近、多様化/ポリコレなど今まで正としていたことが驚くような早さで否定されているので社会でもひずみが出始めているのが現実。 

 

人間も時代とともに進化しているのだから単純に体罰を禁止するのではなく、不必要な体罰や過剰な体罰をさせない社会システムを構築させることに注力してもらいたいものです。 

 

 

=+=+=+=+= 

体罰は駄目だと思う。 

私も中学生の頃、給食の前に友達とふざけていたら、生活指導の先生に耳を引っ張られ、耳の付け根が少し切れ出血した事があり、未だにトラウマです。 

でも、最近の様に、叱責されたり少し叩かれたら「体罰だ体罰だ」と喚き立て、元の非は生徒にあっても、先生が簡単に処罰される様な風潮は、それも問題だと思います。 

親まで出てきて後押しをするものだから、余計に子供が増長して、先生は更に何もできなくなる。 

そうやって甘やかされて育った子供は、ろくな大人にはなりません。 

また、甘やかされて育った子だから、ちょっとキツイ事、辛い事があれば、すぐにもっともらしい理由をつけて逃げ出す。 

最近、何かにつけてタイパが悪いとか、挨拶しない自由もあるとか、何とかかんとか言い訳して、自分の能力不足を正当化しようとする人が多くなりましたね。 

そうして未熟なまま大人になる。それは当人にとっても損ではないか? 

 

=+=+=+=+= 

積極的な体罰は良くないがいざという時の武器を先生も持ってないと生徒に舐められてしまうんじゃないのかな。 

私が小学生の時は怖い先生と優しい先生の区別があって怖い先生が担任の時は生徒も大人しくしてた。 

怖いと言っても普段は冗談を言う楽しい先生で部活の指導が厳しかったり、いじめをしてるやつにはビンタしてる感じたった。 

子供ながらに悪いことをしたらビンタされるのが普通の感覚だったから今はゆとりと言われても仕方ないなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

この方と20数年前お話しをする機会がありましたが、とにかく弁が立つ、こちらの側の反論や意見を「なるほど、そうですよね」と、一度受け入れた後、その反論や意見に対して丁寧に自分の考えを話す、それに対して反論しても同じ様に返して来る、それが2時間以上続きました、大前提にこのスクールに来る子供は普通ではなく、親が手に負えない位荒れてた子供が入っている(全員では無いが)そして卒業された生徒が更生した事実もあるし、親御さんが感謝している事案もある、そんな事をしなくても更生すると言う人もいるかも知れないが、そんな事をしたから公正できたと言う部分もあり、物凄く複雑な気持ちになりました、この方とお会いする前は全否定でしたが、話をして否定出来ない部分もあり、反論出来なかった部分もありモヤモヤした事を思いだす。 

 

=+=+=+=+= 

体罰についてですが、実際のところ。 

「体罰を禁じ手にはしないほうが良い」と思います。 

偏差値70なら10000人に1人、偏差値60なら1000人に1人、偏差値50以下なら100人に1人くらいは、体罰ありで考えないと対処できない子供がいると考えます。 

ですが反面、アメリカの監獄実験よろしく、人間とは「与えられた役割に人格が引っ張られて操られる」という存在でもある。 

体罰ありの指導を日常的に続けていると、相当にできた教諭でも暴力に人格を支配されてしまう場合がある。 

対策としては、今日は体罰ありの日、今日はなしの日と、内々でこっそりローテーションで先生同士で回すのがよいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

私は体罰賛成派です。当然やみくもに体罰をしていいわけじゃないです。 

説明すればわかる・・そんな現実は甘くないと思います。 

痛い思いをすることも時には必要だと思います。 

ただ、体罰を与える側も愛情を持った体罰でなければ意味はありません。 

それはただの暴力になってしまいます。 

 

私は子供が悪いことをした場合(嘘ついた時)、ほっぺつねって泣かしたことありますが・・ 

 

二度とするなよ・・という事は、きちんと教えるべきじゃないかとは思います。 

 

=+=+=+=+= 

叱る理由を説明しないと危険な場合と、普通生徒に危害が及ぶ事があります それをパワハラとか、体罰って文句が出るなら 親の勇み足 かなり私も叱る事ありますが、必ずどうなるかを説明しますよ 言葉のチョイスを間違い、言うだけでは後で、親から電話かかる教職員はいますね って事は親の顔色伺う教師は何も、言わないな それは子供や集団のためにはならない 暴力は暴力しか生まないので、体罰はいかん まずは子供との信頼関係を築きましょう 

 

=+=+=+=+= 

私は隠れ虐待と学校でのいじめを経験してきました。体罰、虐待、いじめに共通して言えることですが、ここでコメントしている多くの人が理解していない重要な点があります。それは、「脳に深刻な傷を負わせる」ということです。 

 

福井大学子どものこころの発達研究センターの友田明美教授の研究によれば、暴力や暴言を受け続けることで脳の前頭前野が萎縮し、暴言によって聴覚野が異常に拡大することが明らかになっています。また、脳の状態を正常に戻せる年齢は現状では24歳までとされています。それを超えると、回復は非常に難しくなるようです。 

 

このような理由から、体罰を肯定することは決して許されるべきではありません。尾木ママの意見に反対する人がいますが、体罰が脳に与える深刻な影響を本当に理解しているのでしょうか? 

続く 

 

=+=+=+=+= 

戸塚ヨットスクールのやり方は、今となっては「時代錯誤」にしかならないのです。 

当時の考え方はそうでなかった。 

ただそれだけです。 

当時はまだ「体罰」や「指導死」が取りざたされても「やられた方も悪い」という考えが大きく、このスクールで死者が出ても「親の言うこと聞かないと、戸塚ヨットに入れるぞ!同じくなりたいのか!」と私の親も普通に怒ると言ってましたよ。 

当たり前ですが、私は自分の子供にはそんなこと言いません。 

まぁ、そんな時代と今を比べたって意味がないのです。 

同じ過ちを繰り返さないようにするのが、これからの教育者としての責任です。 

過去に暴力や恐怖で解決してきた問題は、教育者の範疇を超えるものとして、教育だけに解決を求めてはいけませんし、警察機関との連携など、それ以外の方法で対応するしか無いのです。 

 

=+=+=+=+= 

自業自得を学ぶことは成長において大切ですし、それが体罰である必要はないと思いますが、校則で定められているような処罰でさえ適切に運用されず、問題行動の目立つ生徒に対する教員側の手段が極端に制限されているんですよね。 

 

義務教育であれば退学処分はないですし、授業の進行を妨げる生徒を退室させることは生徒の学ぶ権利を妨げるとの理由から認められません。成績についても、二重三重と救済措置が設けられています。 

 

普段から校則やモラルを軽んじている人達が、ゴネれば我儘が通用する事を覚えてしまったら、尚更好き放題しますよ。 

せめて、校則に定められた処罰くらいは適切に運用されてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

まあこの人の考えはいきすぎてて、肯定してそのやり方で世界が回るならとんでもない事になるとは思うが、確かに今の時代、先生も子どもを注意しても、響きもしないし改善しようともしない。この時点で今も崩壊しているのは事実だから、やっぱやってはいけない事をした時にそれなりの制裁がくると思って、それを避ける為に反省するという流れで教育を考えてもいいとは思う。俺も子どもの頃は先生の注意が響かない事もあったけど、やっぱこれ以上やると完全に酷い目に遭うから、それ以上やらないように真面目にしとこうとはなったわけで。人間そんな感じに成長してけばいいんじゃないかなって思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

戸塚先生のイメージから、常時体罰を与えているように感じるのでなおさら拒否反応を示す人が多いのではと思います。著書を読むと腑に落ちることが多いです。その子が自分の弱さに打ち勝って自立した大人になるためにはどうすれば良いのか、ということです。「言葉で説明」?人間は高等動物かもしれませんが残念ながらそこまで高等ではないと思います。また全ての子に体罰が必要とは言っていないと思います。時代錯誤どころか、今後も議論の継続が必要なことだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

今の若い子は体罰どころか怒られた経験すらないよね。優しく教えてあげてるけど、間違いを指摘されただけでショックで辞める子がいる。さすがに社会に出たら「そうだね、でもこっちのやり方の方がいいかもね」みたいなやり方は通用しないんよ。パワハラとか当たり前で育ってきているので、反面教師として若い人とのコミュニケーションには人一倍気を付けてるけど、ここ数年の世代は特に難しい。運営者の世代の子が体罰なんて耐えられるはずないと思うよ。 

 

=+=+=+=+= 

体罰の必要性は時代で変化するものでは無い、だって人間が進化して思想が変わっているわけではないのだから。 

俺が子供の頃は親から拳骨くらいは当たり前にあった、だけど世界的に体罰はダメって流れになってきたから、日本も同調して言わなければ世界から批判がくると危惧して言い始めただけじゃないの? 

親や教師が一方的に鬱憤を晴らす体罰は問題外だが、 

悪いことして拳骨される、あの拳骨が痛いからそれを受けるような行動はしないように気を付けるようにもなった。そういう面では必要性があったのかも知れない。 

思えばうちの親が拳骨するときは、俺の成績が落ちたとかそういう事ではなく、人に迷惑を掛けた時だった。今は拳骨をしてくる親はもういないけど、「人に迷惑を掛けない」という信念だけは今も持って生きているつもり。 

 

=+=+=+=+= 

問題行動を起こすから圧力で止めよう、では無くて問題を起こす子どもたちの背景を深く考えることが先だと思います。 

それと、そこに丸投げすれば解決できると思っている保護者の方々はどうなのでしょう。 

 

戸塚ヨットスクールがしていることは体罰ではなくてただの圧力的な暴力。そこから信頼関係が生まれて解決に向かうとは思えません。 

 

体罰にも正しい方法とは思えないので基本的には反対ですが、 

戸塚ヨットスクールの場合、体罰ではなくてただの暴行と軍隊教育みたいなものなので別の問題だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

体罰に変わる別の手段は必要。ただし口で諭すことではない。(学校の話) 

 

体罰は肯定はしない。暴力との境目が分からないから。 

が、口で説明しても教師や大人を舐め腐った子どもがいることは事実で、そこに強い指導ができない現状が問題。それにより周囲の人間が疲弊する。 

 

注意すること自体をパワハラと扱われたらストレスを貯めながら黙認するしかない。問題行動のある子どもを複数人でジャッジして、特別なカリキュラムで対応することをしないと教師のなり手がいなくなる。 

 

=+=+=+=+= 

まず定義づけをしないままの議論は極端な意見と意見のぶつかり合いになり時間の無駄 

その意味で法やルールに反する行いに対しては「暴力指導」であるとコメントした方は素晴らしい。 

体罰→法や規範に反した行い 罪に対する罰 

暴力指導→ミスに対する罰 

ならば中学生、なんなら高校生くらいまではつまり自分で責任を取れない年齢までは、尾木が求めるように理屈で説明したって判らない。だから怪我させない範囲での体罰は必要。 

しかし戸塚のやったような暴力指導は無意味であり、当然体罰としても怪我させるのは行き過ぎ。 

戸塚がやり過ぎて世間を騒がし、それを見て調子に乗った尾木のような輩が騒ぎ立てた結果が、社会を舐めた子供が大人になり歪んだ日本を生んだのだろう。 

なんでも頃加減が大切だと言う事。 

 

=+=+=+=+= 

私が子供の頃の記憶でしかないが、親が素行不良の子供を戸塚ヨットスクールに預け、何ヶ月かだった後にはその子供が丸坊主になり、ビシッとした兵隊のような所作の子供になる、みたいな映像をTVで見たことがある。 

子供ながらに、親が面倒見切れなくなった子供の預け場所という印象があった。 

 

戸塚ヨットスクールの教育方針が有効に効く子供もいるんだろうけど、体罰よりカウンセリングが必要な子供には逆効果だろう。 

 

だから一概に子供に暴力はダメかどうかは私にはわからない。 

 

ただ有効に効いた子供でも、大人になり子供を持った時に、その子がどういう性格かを見極めもせずに、自分がされたことと同じこと、つまり暴力や根性論で押さえつけるような大人になりそうで、それが怖い。 

 

=+=+=+=+= 

体罰の是非についてはともかくとして、この戸塚ヨットスクールに関しては、その体罰によって多数の死者・自殺者を出しているし、この創設者もいわば殺人犯ですよ。 

その殺人犯の発言や動画をエンタメとして楽しんだり、体罰を肯定するための材料として利用するのはかなりリスキーだと思う。 

そりゃ過保護すぎたり、モンスター生徒やモンペがのさばるのも問題ですが、影響力のある人間が体罰の必要性を説くよりも、体罰以外の抑止力について提案する方が支持を得られると思います 

 

=+=+=+=+= 

限度はあるけど感情的には体罰肯定です。私が子供の頃は学校はもちろん、ビジネスである進学塾ですら体罰がありました。それ自体が良い事、というのではありませんが、大人と子どもの信頼関係が今よりはるかに強かったように思います。学校の先生にも親と同じように全力で反抗し、全力で怒られて、反抗期のエネルギーを受け止めてもらったように思います。 

 

今の教育はその点、完全にビジネスに見えます。子どもが大人をナメてかかり、「体罰」という言葉を自らの武器として使用しています。そんな環境の中で教職員は口では綺麗事を言っても、本当に荒れている子には心が離れて「ハイ、体罰はダメなので言うべき事は口で言いましたよ。それでダメなのは知りませんよ。」となっているように思います。そして子ども間のイジメ、暴力に体を張ってまで対応する人はいません。結果、体罰よりはるかに多くの子が結局イジメや自殺で死んでいないか?と思います。 

 

=+=+=+=+= 

昔は悪いことや失敗をすると叱咤されたし度が過ぎると叩かれたりしました。 

教員などは慣れたもので叩き方を知っているのかケガなどすることもなかったです。 

親も公認で悪い事をしたらどんどん叩いて下さいと言わばお墨付きを与えていました。 

教員もむやみやたらに手を出すこともなかったです。 

自分が悪い事をしたのだから仕方ないという思いもありました。 

職員室で正座させられてネチネチ説教食らうより一発頬を叩かれた方が効きました。 

今は正座させたりネチネチ言うのも体罰なんですよね。 

丸裸でどうやって多感な時期の子どもと接することが出来るのか? 

何かあれば、すぐに職を追われてしまう教員の成り手が少ないのもわかります。 

体罰はいけないのも分かりますが、言葉で通じない場合の対処の仕方や、警察と連携して行くやり方なども検討していくべきです。 

 

 

=+=+=+=+= 

子どもは殴らないと言うことを聞かないという潜在意識があるから体罰を容認する声が出てくる。実際に学級崩壊した学校を見れば「ほらみたことか」と余計に体罰を許容する。 

しかし、 

学級崩壊をした瞬間だけを見て判断するのではなく、なぜそのようなことになったのか?という仮定に着目する必要がある。 

無論、大人の世界であれば話は別だが、失敗を重ねながら成長していく少年少女なら更生を促すためにも重要なことだ。悪さをして殴られるだけでは、その時は反省するフリをしても心の底では納得できないでいることが多いだろう。 

それでは本当の教育とは言えない。 

 

=+=+=+=+= 

もちろん肯定はしないが、私が子供の頃は悪さが度を過ぎると「戸塚ヨットスクールに入れられる。」という、ある意味抑止力のような役割りもあった。 

今の子供達はコンプライアンスに守られ、怖いものがない時代。 

 

「先生、手出したらクビやろ、ほら、殴ってみろや、悔しいか」 

「先生の子供イジメたるわ」 

 

こんな事が学校で日常的に起こっている。 

 

最低限の規律、懲戒は必要かと思う。 

 

=+=+=+=+= 

賛否が問われるが、最低限の叱責や教育の体罰は必要であると考えます! 

新社会人の中には目上の人を舐めてかかる者達もいますし、教育の説明してても何か合ったらパワハラ、セクハラと言ってきて扱いにくい! 

行き過ぎた体罰は悪ですが、最低限の教育的な体罰はありだと思います! 

 

=+=+=+=+= 

体罰は効果のある場合はある。ケースバイケースだが、確実に、ある。 

 

だが、取り返しのつかない失敗や悲劇に繋がることもある。 

 

どちらも可能性の問題だが、後者の場合はあってはならないので、だから体罰は全面的にやめよう、ということなのだと私は考えています。 

 

=+=+=+=+= 

利益と言い切ってしまうのは違うかな。利益に繋がる可能性はあると思う。正直尾木さんが出てきて手をあげるのではなく話して理解させるとか言ってるの聞いて、社会を人生なめてる甘やかされた人間が増えるんだろうなと思った。ま、多少増えてるのかもしれないけど子連れの家族を見ていると教育として体罰を使っているなとわかるとこもある。 

騒いでる子供がお父さんお母さんのドスをきかせた一言で静かになるの育児頑張ってるなと思う。たまに行き過ぎてゴツンと叩かれる子もいるけど。 

こうだからここで騒いじゃいけないのと言葉だけで理解させようとしている親は頑張ってはいるんだろうけど静かになったりいたずらをやめる確率が低い気がする。子供なんて楽しくて興奮する場所ではただの猛獣。そういうところでママのげんこつを思い出して周りに迷惑かけ無いように我慢させる、これは暴力じゃなくて教育だと思うけどね 

 

=+=+=+=+= 

世の中が如何に理不尽に出来てるか、若い?うちに体験しといた方が良いとの解釈なら、暴力に晒されるのもその種の体験になるかもね。 

 

痛い目に遭わないと抑制が働かない個体も一定数いるのは間違いない。国家だって警察という暴力装置を用いて法を破る者を制裁してる。法やルールは一方的に決められ破れば一方的に制裁される、そういうもの。 

話し合いで法やルールの変更は出来るけど、法やルールを破ったその場で話し合うべきことじゃないよね。犯罪行為をなした犯人と話し合うことで100%逮捕に漕ぎ着けるならそりゃ話は楽で済むけどさ。 

 

教育現場でも、暴力によらず話し合いで解決するなら、その詳細で誰でも運用可能な分厚いマニュアルを最低限作成しておくべき。 

簡易版マニュアルもどきだけアリバイ的に用意しといて、ほぼその場その場で立ち合う大人個人の裁量任せが実態というのは教育を請け負う組織の怠慢でしかないと思うけどね。 

 

=+=+=+=+= 

確かに体罰はある程度は必要と思いますがこの人が言うと説得力がないと思います、死亡している例もあります、今の40代以下の先生のほとんどが叩かれたことがほとんどない方々ばかり叩かれていないということは、痛みをわからないと思います、理屈ではわかると思いますが、昔の先生達は叩き方もチャント分かっていましたし限度もチャント分かっていました、親の考え方も今と昔では全然違います、昔の親は学校では先生達が親だからと教えられていました、だから結構先生にお父さん、お母さんと間違えて呼ぶ生徒も結構いましたしそれでクラスが笑いにあふれていたじだいでした、自分は先生よりも親の考えを変えないといけないと思います、親が過保護すぎる今の世の中無理ですね 

 

=+=+=+=+= 

体罰を容認するべきとは言わないが、一部の子供たちには言葉では伝えられないのも事実。 

言葉で理解できない子供達に体罰をもって理解させられたかもしれない可能性を捨てて、成長させ続ける事は教育放棄とはならないだろうか? 

過剰に保護された子供達が歪んだ思い込みで他人を傷つける事が無い事を祈る。 

綺麗事で変わろうと思えるのは大人だけだよ。 

 

=+=+=+=+= 

体罰がやられる方の利益、とは思わないけどさ、体罰世代のせいなのか?どうしても必要な時はあるとは感じる。 

暴力は良くないのは充分承知の上でね。 

子供の頃は散々叩かれたなぁ。時には竹刀や箒でってのもあったっけね。人道外れるような事をした自分も悪かったと反省もしましたけどね。 

今のご時世でも体罰って減ったとは言え無くならないわけだし、話して理解出来るなら話して指導すれば良いだけかと。かと言って理解出来ないから体罰を与えて解らせる、という事とはまた違うと感じるし。 

安易な体罰はやられた側だけが心も体も痛いけど、体罰を与える側はなんの痛みも無いと思う。真剣に向き合えば、体罰を与える事も無くなるのかなぁ、とは思いますね。まぁ、他の手段を知らない人はやってしまうのかも知れないけどさ。 

ウチはお行儀躾は当たり前、悪くてもせめて人道外れず痛み位はわかる人間にはなって欲しいなぁ。 

 

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体罰を禁止にと言ってる人のほとんどが、昔机にかじりついて勉強ばかりしてきた人達みたいな感じがするのは気のせいだろうか。 

そして、勉強では順位を決めても、かけっことかスポーツではみんな平等に順位はつけないとか言ってる人達もこういう人達のような気がします。 

ビンタを打たれながら育ってきた人達は、体罰と暴力を分けて考えてるような気がします。 

確かに過剰な体罰で亡くなられた方がいますが、過剰な言葉の暴力で亡くなられた方の方が実際は多いのでは? 

体罰イコール悪の決め付けではなく、ちゃんと考えるべきではないかと思います。 

 

 

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時代にそぐわないと言う人もいるが、現代は体罰が非難される時代ではあるが、体罰が有用かどうかと言う事実は時代は関係無いと思う。 実際に有用かどうかを何らかの形で検証する必要があると思う。 

 

ちなみに日本より先に体罰禁止を打ち出した欧米の国々の中には「やはり体罰には一定の効果があった」と言う方向に動いていると言う記事を読んだ事がある。 

 

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「今の時代」という言葉が多用されますが、本当に便利な言葉だなと思います 

体罰を善とは 全く思いませんが、昔の時代は 体罰によって 強制していたことも事実 

金銭的にも物質的にも精神的にも 総中流と言われた昭和の時代、 

社会の落ちこぼれを体罰(強制)によって 中流まで上げていたのも事実だと思います 

言っても分からない理解出来ない人は必ずいます 

今の時代は、落ちこぼれはいつまで経っても落ちこぼれのままだと思います 

だって、言ってわかったり理解できる人は、そもそも落ちこぼれませんから 

上と下の層にはっきり分かれて 中間層がなくなったのが現代だと思います 

やさしいように見えて、落ちこぼれにはとても厳しい世の中になっていると思います 

 

=+=+=+=+= 

体罰と暴力は同じ。叩かれれば痛いしその場は言うことを聞かせられるが、その後は叩かれることに怯えて自主的な判断に欠ける人間に育つ。話して言う事を聞かせるよりも叩くほうが楽なので、馬鹿ほど体罰に依存する。 

そして叩けば相手の言うことを聞かせられることを身をもって理解しているので、自分の子供や友達に暴力を振るう。いわゆる暴力の連鎖が起きる。 

 

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一番の問題は体罰と暴力の境界線が難しいという事じゃないかな? 

言葉で注意すれば分かるっていうのは理想郷の世界だよ。現実的には難しい。うちの子は叩かなくても言う事聞いたって言う人いるけど、子どもには個体差ある。すべての子どもは同じではない。 

言っても分からないのであれば、叩いて教えるしかない。もちろんそれも言葉が分かるようになってから。言葉が理解できないのに叩くのはちょっとおかしいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

両方とも言いたい事は理解出来るが極端すぎる 

 

戸塚氏は人が死亡するまでの体罰には当然問題がある 

 

尾木ママは説明と言っているが、実際に今の子供達や保護者に対して説明を行っているのだろうか? 

 

説明しても理解しようとしない子供にどう対応するのだろうか? 

 

理解するまで説明すると言うなら、それこそ教師の負担は増える一方だと思う 

 

メディアで言いたい事を言って、後は現場任せの無責任な状態なのでは? 

 

両氏共に自分の成功体験しか語っていないのだから、世間の意見が別れるのは当然だと思う 

 

=+=+=+=+= 

私は体罰は反対です 

私の子供の頃も学校の先生が体罰を愛のムチとか言って美化して行っていて保護者はそれを非難するどころか「先生、もっとやって下さい!」というものすらいる時代でした 

今思えば確かに比喩的に尻を叩く意味でそれ程痛みを伴わない体罰を行う教師もいましたが 

体罰を行う多くの教師が児童生徒を暴力によって従わせるためだったり、感情的に気に入らないから暴力を振るっていただけでした 

体罰なんてマニュアルやきちんとした指導実習があるわけでもなく、個人の裁量頼みな上に 

体罰を受ける側の子供も人によって感じ方が全然違うので容認するのは危険すぎると思います 

 

=+=+=+=+= 

批判している方々は体罰の行きつくところが「死刑」になるとは思っていないでしょう。 

誰にでも体罰は決して許される行為とは言えませんが 

再犯数回、反省もなく被害者は子ども、といった凶悪犯罪者でも 

優しく諭して説得すればいつかは反省するとでもお考えでしょうか? 

 

教育現場の体罰然り、相手によっては有効というか体罰行為以外で制することが困難な生徒もいるのではないでしょうか? 

体罰は怖いです、今の若者にとっては経験したことの無い恐怖でしょう。 

経験したことがあった私でも辛かった記憶です。 

全校集会で貧血で座り込んだ生徒を平手打ちする、周囲の生徒にマットでグルグル巻きにされた生徒を引き釣り出して平手打ち。被害者なのに。 

脱線しましたが、体罰全てが悪ではなく、相手によっては教室から退去命令や 

奉仕活動などで外部に委任するなどして授業を円滑にするよう体罰といわれる行為を容認しても良いと思います。 

 

=+=+=+=+= 

大人(教師)を舐め腐った子供が増えて世の中良くなりましたか? 

学校の先生は明らかに子供が悪いと思っても、胸ぐらをつかまれても 

我慢して何もできないのが現状だ 

過激に限度を超えた体罰はいけないとは思うが 

教育のための体罰はある程度は必要! 

世の中きれいごとだけで上手く行かない事は大人が一番わかっているはず。 

このままズルズルとダメ人間が増えても構わないと思うのなら 

体罰反対とぬるま湯で子供を育てるのもいいかも知れんが 

一定のルールに則って体罰を与えるのは子供の将来の為でもある。 

 

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現実問題、「やらなければいけないことをやらない」あるいは「やってはいけないことをやる(特に犯罪)」子どもたちが言葉で心を入れ替えるというケースはかなり稀です。 

 

そうした時、「いや、それはやる気が足らないか方法が悪いだけだ」と空虚な理想論を貫くか、「言っても良くならないならしかたがない」と手段のみにこだわって結果に責任を取らないか、戸塚氏のように力ずくで矯正するか、の三択になります。 

もっとも、力ずくで矯正しても卒業したら元に戻ってしまう場合が多いのですが。 

 

結局、どのような手段を使っても真人間になれない子供はいつの時代も一定数いて、せめて未成年の間だけでも力ずくの指導を受けるのは全く意味がないわけではないのかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

私的なものはともかく、学校は公的機関なんだから、やっぱり法律が必要 

懲罰に関する規則がゆるすぎるから子供や親が増長するのでは? 

発達障害がない場合に限っての話 

素行不良で他の児童生徒の学校生活に支障をきたすような者に対して、親の参観と必要に応じた監督を義務付ける 

従わない場合は罰金 

これは教育委員会とは別の機関で行う 

学校警察?みたいな組織を作る 

学校にはドライブレコーダー的に、スクールレコーダーを設置する 

年取った教員はきついかもだが、今の若い教師たちはコンプラとかしっかりしてるから撮られても平気だろう 

とにかく学校で一番嫌な仕事は、問題行動があった時の事情聴取など、一連の対応だ 

警察でも裁判官でもないのに起こった事件を解決しなければない 

学校に警官を置いてくれと何度思ったことか 

頼むから学習活動に全力を注げるようにしてもらいたい 

 

 

=+=+=+=+= 

体罰もセクハラも、「時代に合わない」って云うの、やめて欲しい。 

それって「時代」のせいにして、いまはやってない、でも「時代」に合えばやりたいって言ってるようなもの。 

「時代」が求めれば簡単に復活するってことだもの。 

ダメなものはダメ、でいい。 

体罰上等な時代に子供だった自分は、時代なんかでまた体罰が復活して欲しくないと切に願います。 

 

=+=+=+=+= 

体罰はいけないこと。尾木ママが言う事は正論で理解できます。 

 

しかし、言っても聞かない人・何度説明しても理解しない人等困難な事例は後を絶ちません。指導者・教師をなめきっている子どもや保護者もいます。 

 

綺麗事を言うだけじゃなくて、もっと現実に即した対応方法を識者は考え議論し発してもらいたいですね 

 

=+=+=+=+= 

時代に関係なく、体罰はやる側のやられる相手を利用した自己満足で本当に相手の事を考えた行動ではない。 

 

いじめと何ら違いのない行動。 

 

ましてや腹痛を抱える人間に暴力や海へ生徒を突き飛ばす行為は犯罪だし実際それで逮捕され起訴されている。 

 

ましてや円安は根性論や今の子供たちのエネルギーで是正できるものでは無い。 

 

=+=+=+=+= 

暴力と体罰は違うよ。 

「静かにしなさい」「他の生徒に迷惑だ」 

口で言ってもわからない生徒。腕を引っ張って教室の外に出そうとすれば「暴力」。「廊下に出なさい」と言えば職務放棄。 

にも関わらず、生徒が教師に暴力を振るっても耐えろとか、こんなのおかしいよ。 

馬や牛は言葉が通じないからムチをうつ。人間だって何度言ってもわからなければ、時には叩くことだって必要だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

札幌市職員などへの恫喝・強要問題が報道された,自民党参議院議員の長谷川岳氏は,戸塚ヨットスクール事件の渦中に,同スクールに入校していた。さまざまなスクールの事件を知っているにも関わらず,否定的には語っていません。「人間は本当の危険にぶつからないと、本能的な危機管理の力は育たないと思う。いろんな批判は受けても、私は筋の通った意見だと思います」ということだそうです。 

この議員の恫喝問題の背景には,このような教育歴があることは十分に考えられます。父親がスクールの支援者であったようです。 

 

他方で尾木氏の次の意見にも賛成できません。 

 

>叱るって言うのはどういうことかというと、説明するってことなんです。 

 

体罰は認められません。しかし𠮟責(叱る)はときには必要だと思います。体罰と叱責は違います。しかし叱責は単なる説明とも違います。そこを整理しないから,教育において叱責ができなくなってます 

 

=+=+=+=+= 

毎回この種の報道を目にするたびに思うのは、「体罰」という言葉の不適切さです。 

「罰」は「罪」に対して与えられるもの。暴力をふるった、ものを盗んだ等、法的・常識的にどう考えても悪いことをしたことに対してなら「体罰」と言っても良いと思います。 

ですが、この手の記事で対象にしているのは成果を十分あげられなかったとかミス・エラーをした等、一般人からみれば「罪」とはいえないことに対して行なわれることです。これを「体罰」と称することは(たぶんそれらを「罪」と考えている)該当指導者の立場に立っているようなものだと思います。 

上記(本来の)体罰と区別し、「暴力」とか、「暴力指導」等と呼ぶのが正しいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

問題のある子を集めて別クラスを作ると良いね。 

真面目に学習する子にとっては迷惑なだけ。 

問題ある子に何言っても無駄でしょうね。 

その子に問題ある前に家庭に問題あるのが大半。 

適当に教員の仕事をこなしてれば、やがて卒業して出て行くんだから責任なんて考える必要無い。 

まともな親なら子供に他人に迷惑かけてはいけない事を教えてキチンと躾するでしょう。 

そんな事で教員が鬱になったり退職するなんて間違えている。 

体罰までして他人の子に教育する必要は無い。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は本人と指導者だけの話だと思っている人がいるが、周囲の人間からすると、「あれはやってはいけない事」「あいつが体罰受けて当然」と周囲が認識する意味もあると考えます。尾木直樹氏のように、愛せよとか抱きしめてあげて下さいなどと言ってる人の指導では修正できないぞ。 

 

=+=+=+=+= 

「時代錯誤」という表現は適切ではない。なぜなら、戸塚ヨットスクールは戸塚宏の指導の下、現在も存続しているからだ。これは、彼の教育方針に需要があり、現代においても必要とされていることを示している。 

言い換えれば、尾木氏の教育論では対応しきれない状況が常に存在しているということでだ。この点を理解すれば、「時代錯誤」という言葉は出てこないはず。 

 

戸塚宏の教育論が社会を良くするとは思わないが、尾木氏のように彼の教育論を否定するれば社会が良くなるとも思わない。 

 

=+=+=+=+= 

戸塚氏の思想に賛同はできない…が、こちらが情熱もって言葉だけで子供達を教育するのも限界があるのもこれまた事実。 

多くの人の本心は 今の時代にあってないから 誰かが見てるかもしれないから 大きな声、音をたてて子供達を叱ると通報されるかもしれないから…そんな事も少なからず考えながら我が子達と接してるのではないだろうか… 子供達がどの子も性質、性格が同じではない もちろん親も皆んな同じではない そんな中で 普通は子供を叱るのに手はあげませんよ…ってのは一例に過ぎないとも思う。 

決して体罰なり家庭内での鉄拳制裁を肯定する訳ではないが…時には我が子に痛みを覚えてもらう意味でも鉄拳制裁は必要なのではないだろうか… 子供自身が心の傷みも身体の痛みも知って初めて人に優しくなれる子もいるのではないだろうか…もちろんそんな事しなくても大丈夫な子になってくれるのが理想ではあるが 親が思うように子供は育たない 

 

 

=+=+=+=+= 

体罰がなくなって人の痛みを知る機会が減った 

体罰がなくなって人の気持ちを考えられなくなった 

体罰がなくなって怖いものがなくなった 

体罰がなくなって子どもたちが伸び伸び生活するようになった 

などなど正解か不正解、善し悪しはそれぞれが決めること 

いずれにしてもやり過ぎはよくない、どっちにしてもね。 

 

=+=+=+=+= 

まず冷静になって理知的、科学的な見地に立ってオーサーコメンテーターの投稿を読んでから投稿した方がいいと思います。 

とにかく戸塚ヨットスクール事件が社会問題になった頃と今とでは教育思想や受ける生徒の思想も雲泥の差であるのに、戸塚氏の発想は全く変わっていない。 

一番問題なのは「隠蔽と事勿れ主義」の学校の職場体質であって、狡猾ないじめカースト生徒やその我が子の非を認めない親を論破し適切かつ臨機応変な教育が出来ない教師に原因があると思います。 

議論出来ない者ほど大声や暴力で相手をねじ伏せようとする。 

 

=+=+=+=+= 

軍隊にいた人の本を読めば必ず書いてあるのが「強い部隊ほど体罰やいじめはなかった」という言葉です 

なんで体罰がある部隊が弱いかと言うとあんまり酷いと後ろから撃ち殺されるケースや自殺が多発するからで敵と戦うどころじゃないからです 

風通しの良さや上への信頼が良い組織を作る 

アメリカの特殊部隊のシールズの訓練も最初はめちゃくちゃ見張るんですが最後は「こういう訓練やっとけ」とだけ言って監視しないそうです 

見てなくてもお前らならやるだろと訓練生に信頼してることを示すためですね 

体罰撲滅されてから世界に通用するアスリート達が出てきているのも同じ理由でしょうね 

殴ってたら信頼関係なんて出来ませんし強くならない 

 

あと今の子たちはSNSという武器を持ってるので教える側が理不尽なら告発という弾丸を撃てますよ… 

 

=+=+=+=+= 

ただ、最近の教育は、おかしな大人を生み出す温床となっているのも、確か。 

子育て広場での、若いお母さん方の振る舞いは常識がなさ過ぎて、うんざりです。 

 

相手の子供に怪我をさせようが、知らんぷり。 

おもちゃをバラバラにしようが、知らんぷり。 

子供をほったらかしで、携帯だけさわっている。 

 

本当は、お母さんと遊びたいけど、遊んでくれないので、さみしそうにしている子が、むすこと遊んでいる僕に「遊びにまぜてほしい」と、自分からお願い。 

たくさん遊んで、子供が「ありがとう、今度、おっちゃん、僕のお家へ遊びにきてほしい」とまで、感謝の意を表しても、母親は何の挨拶もお礼もなく、携帯をカバンにしまって、そそくさと退出。 

 

自分は両親(両方要介護状態)、義母(難病で半身麻痺)、仕事持ちで、自分の時間なんか通勤の移動時しかない極限の中でも、子供とのふれあいを大事にしているが。。 

 

よい大人がこんなのでは。。 

 

=+=+=+=+= 

かつて、学校で体罰が大問題になったのは、体罰と暴力が混在して、生徒が死傷するレベルまでエスカレートしたことが大きい。しかし、生徒から教師や親への暴力もあったし、素手とも限らなかったので、仕方ない面もあったが。 

その上で、今も「体罰」が有用な場面は少なくないはず。大人として、実際に子供を育ててみれば、戸塚氏の話は分かる。 

いつの間にか、体罰は犯罪!話せば分かる!って言う人が増えたが、どれほど良い環境に居るのか。言葉すら通じない餓鬼や魔物みたな者にどう対応しろと?  

体罰は善とは言えずとも必要悪。秩序を維持し、悪から他を守るには有形力が不可欠 

 

=+=+=+=+= 

言うこと聞かない子や、わざと他人に迷惑をかける子、寝坊で遅刻した子などにゲンコツとかなら有りだと思います。 

しかし、勉学にしろスポーツにしろ、教えたのに出来ない子、周りより成績が悪い子に体罰はありえない。絶対にいけません。 

先生の指導力が無いだけ。 

また、生徒の努力不足と言う輩もいるが、努力するよう考え方を導くのもまた指導者の力量です。 

 

=+=+=+=+= 

体罰は、昔も今も法律違反で、犯罪行為であったことは変わらなかったと思います。容認されていたというか、昭和はまだ、軍隊意識の懐古主義や神仏思想の罰という概念の誤解によって、正当化する人間が多かったからだと思っています。 

 

=+=+=+=+= 

戸塚さんと尾木さんは両極端な二人だと思う。戸塚さんは最早教育ではない。調教と訓練の世界。尾木さんの教育理論は完全に甘やかし。こういう人をメディアが持て囃して世論形成していくからまともに社会生活送れない子どもが増える。不登校なんかを美化しすぎ。統計によると不登校の原因は50%が怠学・非行。いじめは0.9%。どうせ夏休み明けは生活リズムがめちゃくちゃになってる中高生が不登校になるんだぜ。いつまでも自立できない子どもが多すぎる。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも体罰を助長するYoutubeは公共の福祉に反するとして制限すべきでは?TVでは一発アウトだと思うけど、今やYoutubeはTVよりアクセスしやすいため、制限の必要性はより高いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

いまの小学生や中学生、先生に『叩けるなら叩けばいいよ』って煽ってバカにする生徒もいるのに反抗期の子供に口で説明するは通用しないときもある。個人的には、人として許すべきではないことは叩いてでも注意してもらいたいと思います。僕が中学生、高校生の頃は当たり前に叩かれたけど、それで学校に来なくなった生徒もいなかった。先生がいなくなれば叩かれた事ネタに笑い話になったのに。 

今の時代ダメだと言うなら、先生たちのことを思うと指導できないのは先生のせいではなく時代のせい。先生が手を焼く生徒は小学生だろうが中学生だろうが学校側から登校禁止にするしかないと思う。 

他の生徒に悪影響与えてまで集団の中に置く必要もない。他にそういう子が通う所を作ればいい。 

 

 

=+=+=+=+= 

ちょっとだけ思ったのは時代錯誤という言葉 

時代の問題というより見るべきは効果の問題ではないかと 

一定数効果が出るし体罰でなければ治らない人がいるのも事実 

ただだから正しい、すべての人にやってよいということではなく 

逆効果の事が多く根本的解決にならない方がほとんどなので 

やらない方がいいという事だと思う 

変な話効果が絶大で全員に効くなら肯定されるだろうしね 

 

=+=+=+=+= 

まぁ、この問題に関しては「体罰・暴力は絶対にするべきではない」でいいと思う。 

 

が。それを時代錯誤ってのはどうかと思う。 

昔だって体罰は許されるべきじゃなかったしそれ自体が「時代の流れ」で片付いたものではない。 

時代の流れの中において間違いは沢山ある。 

体罰を容認してはいけない理由が「時代錯誤」ってのはあまりに浅はか。 

 

=+=+=+=+= 

もう半世紀近く前のことですが、中学のときの先生から散々ビンタやゲンコツくらっだけどその先生のことは好きだった 

逆に体罰なし、言葉も丁寧だけど嫌いな先生もいた 

体罰はダメだとは思うけど一番大事なことじゃない気がする 

 

=+=+=+=+= 

一切、親や大人に怒られた時に手を挙げられずに躾や教育が出来るのか? 

勿論、即体罰は絶対に反対だし基本的には体罰なんて行わない方が良いに決まっている。 

今は、大きな声で叱ればスグに恫喝、手を挙げれば体罰、自分が気に入らない事は何とかハラスメントと阿呆じゃないかと思う。 

で、あればどうしてもダメな場合にお互いの主張を聴いて第3者が客観的に判定をして子供側の主張が間違っていた場合は強制的に修正or罰を受けさせる裁判の様な制度を作るべき。 

どうにもならない場合に、その他の代替手段を用意もしない代替手段を提示もしないで、現場や担当者で何とかしろっていうのは卑怯その物。 

理想としてはわかるが、誰もキズ付かず皆で仲良く、手を取合って何て事が出来るのであれば世界から戦争や紛争、犯罪なんて人間の歴史上無くなっているに決まっている。 

皆そんな無菌漂白社会が本気で可能だとホンキで信じているのであればお笑いだよ。 

 

=+=+=+=+= 

日本に限った話ではなく今だったら猛反発する欧米ですら小学校でムチ打ちの 

体罰があった。「トム・ソーヤの冒険」を本かアニメで見たならわかるはず。 

 

それが廃止されたのは当然「役に立たなかった」「ただの感情まかせの暴力」 

と看做されたからじゃなかったのか?「すずめの学校」ですらムチ振った訳で 

それが当然だったのかも知れないが、教える側は何かの刷り込みで受ける側は 

何かのイニシエーションとして「体罰は有益」と思い込んだだけだろう。 

 

今まで信じられた「迷信」が科学的に無根拠どころか破壊するのみだったなら 

ウサギ跳びみたいに辞める以外ないのではないか?「こなくそ」で成長する人 

なんてむしろ少数派でそれこそ「破壊行為」で何かダメージが来てしまう。 

 

=+=+=+=+= 

体罰はダメなのは知っている。 

ただ、「法律でだめだからだめなんだ。」と言っている人随分と幸せな人生を歩んできたのでしょう。 

現実には言葉だけでは成り立たない世界もある。 

戸塚ヨットスクールは必要悪だと思います。 

だからこそ、表は出てきてはいけないのかなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

今の時代にそぐわないと言うのは当たっていると思う。しかし、成果を上げた事も事実。感謝してる人がいて噂を聞いて息子を入れた人が沢山いるのだから。肯定もしないが否定もしない。否定するなら吉田松陰を初めとする日本の偉人の中にはそう言う教育で育っている人もいる。それらの人も否定されなければならない。 

 

=+=+=+=+= 

体罰全てを否定する気は無いが、体罰を相手の利益のためにするってのはちょっと行為を正当化し過ぎてるなと思う。 

 

ただ、必ずしも体罰全てが悪かと言われたら、そうは思わないかな。 

体罰を肯定する気もないが、やらなきゃならないときもある。 

 

=+=+=+=+= 

人って優しくされないと優しくなれないもんですよ。もちろん優しくするのと甘やかすのは別物ですが。 

恐怖支配では心の安寧は保てません。否定されてばかりだと自己肯定感も育ちません。子供の性質は一律ではないので厳しく接するにも向き不向きがあるので見極めは大事ですよねえ。 

 

=+=+=+=+= 

54歳男性です。私の同世代の方達は体罰を肯定される方結構いらっしゃるようですが、私は断じて反対です。言うことを聞かない子供は叩いてでも聞かすべきだというのもわからなくはないですが、された方は一生心の傷になりますので。 

 

 

=+=+=+=+= 

子供たちに対しては現在、確かに過保護なトレンドが高まっています。戸塚氏の教育論は傾聴に値すべきで、生まれてから亡くなるまでの人生一貫的な成長を見据えた、厳しくも愛を持った教育の手段として体罰は必要であるといわれています。私も働き始めは陶器の灰皿で頭を殴られたり、タバコの火をまぶたに押し付けられたり、、階段から蹴落とされたりしましたが、そうすることで我が社の一体感は高まり、目標達成に涙して抱き合うことが出来たのも事実です。そういった教育を脈々と紡いでゆき、美しい伝統として昇華させる必要性を戸塚氏は訴えているものと理解されています。 

 

=+=+=+=+= 

体罰と称する暴力至上主義は時代遅れ。でも、尾木氏が認めるように、「叩くのは痛いから、我慢してやめるだけ」の効果はある。即時的で刹那的な効果だけど。指導上、時には体罰は必要。しかし、相手のための抑止力としてだけ効果がある。それ以外は暴力。相手には憎悪と恐怖しかない。「愛」など暴力にはない。そこを間違えたらだめ。暴れる子に、落ち着かせようと腕をつかんで止めたら、指導者が体罰で訴えられる現在、体罰とは何か、もっと議論すべき。尾木氏の「叱るって言うのはどういうことかというと、説明するってことなんです」も、時代に適した発言ではない。お花畑の教育論が幅を利かすほど、教育現場はポジではない。 

 

=+=+=+=+= 

体罰やらパワハラやらが当たり前に在った時代の現実もよ〜く識っている世代ですが、幼い頃からひっぱたかれて「良かったな、有り難いことだ」などと感じたことはただの一度もありません。「いつか倍返ししてやる」と恨みを募らせるだけでしたね。まぁ、時が経てば恨みつらみも薄れて、ネガティブな感情に囚われて生きる馬鹿馬鹿しさに「水に流す」ことにはなるのですが、それでも「体罰なんざぁ碌なもんじゃねぇ…」と断言したいと思います。 

ただ…体罰肯定派の方の意見の中で、「世の中舐めきってる」連中の矯正には「体罰もやむなし」とあるのは、たしかに仰る通りという面もあるように思います。 

ですが、そんな連中に体罰見舞ってまで愛を込めて矯正する必要なんて無いんじゃないかとも思ってしまいます。どうせ因果応報で「わかる」時は来るはずですから。 

その時にしっかり後悔し、悔い改める誠意を見せる者には寛容をもって応えればよろしいかと。 

 

=+=+=+=+= 

全面的な肯定も反対もしませんが、中には言葉による指導の全く通じない人間も居ます。それこそ犯罪を繰り返す犯罪者の様に。会話での指導が通じないのはそういった予備軍です。 

快楽的な暴力や意味のない体罰はダメですが、ある程度のものは必要かと。 

 

=+=+=+=+= 

もう無責任な第三者の体罰に対する綺麗事はいいよ 

 

反対派の人達で、問題ある生徒を引き受ければ現場への負担も減るし体罰もなくなる、綺麗事ばかりで現場任せにするから現場が苦労する 

 

体罰反対なら言葉じゃなく、行動で子供守ればいいじゃん、言葉で理解できないような子供を反対派の人達が体罰以外の方法で厚生させれば解決する問題 

 

=+=+=+=+= 

時代のそぐうとかそぐわないとかは別として怖いから何かをさせられてプラスになることはあると思うけどね。本来は怒りとか体罰の匙加減の問題と思うんだけど、白黒論で単純化してしまったから世の中が変な方向に流れていきそうな気がする。 

LGBTQなど見ても他国から来た文化って理解できないことが多いから時代に合っているのが必ずしも正解とも思えない。 

 

=+=+=+=+= 

「痛くなければ憶えませぬ」にも一理ある。 

ただ「手心」がちゃんと入っている事にまで条件反射的に「暴力」「犯罪」と被害者面するのは確かに「時代」なのかも知れない。でもソレは正しくはない。 

 

時代とか法律とか自分以外の正しそうな後ろ盾を使って批判するのは卑怯でしかない。 

 

ダメなのはただの暴力を教育だとほざいてるのがダメなだけ。 

正当化してるのがダメ。 

そんな単純でお手軽な正義なんて正義としても要件すら満たしてない。 

 

=+=+=+=+= 

体罰自体は否定しない。けど人間には運用できないものだから使うべきではないと思う。 

どうしても運用したいのなら、報告書を義務付けて虚偽が判明した際には刑事罰を科すくらいしないとね。 

 

=+=+=+=+= 

嫌だよ、暴力は。ただ、軍隊なんかで最初に暴力と暴言でこれまでの自尊心を徹底的に叩き潰してからゼロになったところで軍人に育て上げるという、洗脳的教育が捻れた自尊心を持ってしまい社会に適応できなくなった人間を再生(更生ではんし)するというのに近いかな。どうしようも亡くなった場合に綺麗事は通じず、逆に他人に害すること思えば戸塚さんのような存在も必要かなと。 

 

=+=+=+=+= 

俺はこの人にそこまで批判的になれない。戸塚校長にしろ水谷先生(夜回り先生)にしろ、そうした極端な教育者の手を借りざるを得ないような生徒を生み出さないよう、事前に如何にして予防するかが大事なのではなかろうか。 

 

 

 
 

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