( 204987 )  2024/08/25 01:34:20  
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電車の席(画像:写真AC) 

 

 コロナ禍でリモートワークが広まったが、満員電車での通勤・通学が再び当たり前の社会に戻った。 

 

【画像】マジ!? これが電車内の「迷惑行為ランキング」です(計8枚) 

 

「以前より空いた電車」 

「通勤しない生活」 

 

を一度体験してしまったがために、以前にも増して、満員電車にストレスを感じるようになった人は少なくない。 

 

 それに加え、この暑さである。真夏のプラットホームで熱風に吹かれ、背中を汗がつたう。自販機で飲み物を買えば生ぬるい。電車に乗る頃には、殺気立っている。 

 

 混雑した電車内では押されることが常態化しているが、自身の意思で動くのではなく、 

 

「動かされる」 

 

ので、人々はそこに大きなストレスを感じる。ドアの開閉に合わせ、前の人を押すことになる。しかし多くは仕方がない人たちだ。流れに合わせるために動いている。そうではなく、問題なのは、どさくさに紛れて、 

 

「人を押すことでストレスを解消していそうな人たち」 

 

だ。あえて強めに押したりする。ダチョウ倶楽部のメンバーだった故・上島竜兵氏の 

 

「押すなよ!押すなよ! 絶対に押すなよ!」 

 

は“フリ”だったが、本気で押してほしくない気持ちから、変に押してくる人を 

 

「押スナー」 

 

と名付け、彼らの行動について考えてみたい。 

 

満員電車のイメージ(画像:写真AC) 

 

 電車において、人が人を押すシチュエーションには次のようなものがある。 

 

・混んだ電車に乗り込むため 

・席に座るため 

・自身のスペースを確保するため 

・もっと奥に移動するため 

・下車するため 

 

席に座るために押すのはあさましく感じられやすいが、どれも電車を利用する行動としては当たり前のものだ。 

 

 後ろに押スナーがいて、その結果、自分が前の人を押すことになって、押スナーと勘違いされるのが嫌という人たちもいる。 

 

 一方で、押スナーはもっとドライである。 

 

「車内の奥のほうが空いているのに、詰めないで突っ立っている人が邪魔」 

「降りないで出口で踏ん張っている人は何なのか」 

 

 実際、流れを止めている人たちがいる状況であれば、その人たちに動いてもらわないと、自分自身、そして後ろの人たちが、乗れなくなる、降りられなくなる。そういう意味では、動きをつくらなければいけないこと自体はたしかである。間違っていない。 

 

 押スナーたちは、ある意味、“満員電車のプロ”である。毎日毎日、何年も何十年も満員電車を利用してきて、その仕組みに慣れきっている。 

 

「押されて怒るような人は電車に乗らないほうがいい」 

 

慣れきっている分、心が乾ききっているのか、電車において、押されるのは当たり前、状況に合わせられないほうがおかしい人としている。 

 

 問題なのは、邪魔な人は押してもかまわないという気持ち、その気持ちが少々憂さ晴らし的な押し方になることだろう。 

 

 

満員電車のイメージ(画像:写真AC) 

 

 SNSで多く見かけたものに、押スナーのせっかちな行動がある。 

 

 確実に下車したいという気持ちからか、ドアが開く前からぐいぐい押してくるというのだ。前の人たちはドアが開いていなければ、ドア方向に押し付けられるだけできつい。満員電車で痛い思いをした人々の体験談に 

 

「若い女子の紙袋の角が痛い」 

「男子学生のスポーツバッグが痛い」 

 

が多いのだが、彼らは無自覚なので押スナーではない。押スナーは、腕で押してくる人、バッグで押してくる人、どちらも多いのだが、なかには、 

 

「おばあちゃんが指の関節で背中をぐりぐり押してきて痛い」 

「中年女性がお尻でボンって攻撃してきた。ぼよんとした感触が気持ち悪い」 

 

といった変化球もある。せめて押すときに、「すみませーん、降りまーす」といいながらだったら、周囲の不快感が減ると思うのだがどうだろうか。 

 

 無言だからこそ陰気で怖い。 

 

 ただ東京は特に、ぶつかっても謝らない人が多い土地。あまり声をかけるのもかえって不自然なのか。押す回数が多すぎて、いちいち声を出してられないのか。 

 

 またこちらも声をかけられる回数が多いと、疲れるし不快になるなんてこともあるのだろうか。 

 

満員電車のイメージ(画像:写真AC) 

 

 多くの人々は、朝夕の通勤通学だけで大きなストレスがかかっている。押スナーに遭遇すれば、肉体的な痛みもあれば、メンタルも削れる。数年前に、リュックサックを押された人が、相手に頭突きして前歯を折り、傷害容疑で逮捕されるという事件があった。そういった衝動に駆られながらも、多少の不快には、 

 

「耐えるしかない」 

「乗り遅れるわけにはいかないから我慢」 

 

として、心を押し殺している人々が大多数ではある。しかし、押されてどうしようもないときもある。例えば、 

 

・前に子どもがいてこれ以上詰められないとき 

・前にリュックサックがあって、おなかを押されてつぶされそうなとき 

 

である。人々が対処しているのは、 

 

「無理です」 

「これ以上行けません」 

 

などSOSを出すことだ。後ろからのプッシュがやわらいだりする。相手もこちらの状況が分からずに押していることもある。そこはやはり、コミュニケーションである。 

 

 もうひとつ、SNSで効果的とあったのが、 

 

「吐きそう」 

 

とつぶやくことであった。これは、以前も、満員電車でスペースをつくりたいときにいうとサーっと人がはけると書いてあるのを見かけた。 

 

 こういった魔法の言葉も、いざというときのために覚えておきたい。 

 

鳴海汐(国際比較ライター) 

 

 

 
 

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