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「19浪で九州大学に合格」。共通一次とセンター試験受け続けて20年、心病まずに挑戦し続けられた理由。

東洋経済オンライン 8/25(日) 5:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c31e0a022cff3d8dd78f413bbf1c4c098b577517

 

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20年前と比べて浪人を選択する人が減っている中、浪人経験者である山田洋さんが19浪を経て九州大学に合格した経験を語っています。

山田さんは浪人期間20年間、アルバイトで生計を立てながら共通一次とセンター試験を受け続けました。

彼の浪人生活は、毎年少しずつ成績を上げつつ長く続いたものでした。

性格的にマイペースな山田さんは、根を詰めずに勉強を続けることで長い浪人生活を乗り越え、最終的に合格を勝ち取りました。

その過程で、勉強への嫌悪感を持たずに続けられた理由や、20年間の受験生活を振り返っています。

(要約)

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※写真はイメージです(写真: Fast&Slow / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は他大学に進学したり、就職したりすることもなく、共通一次とセンター試験を20回受験して「純粋19浪」を経験し、九州大学工学部電気情報工学科に合格した山田洋(ひろし)さんにお話を伺いました。 

 

【写真】19浪を経験した山田さん。今は塾で子どもたちに受験指導と浪人時代の経験を伝えている。 

 

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■就職も他大への進学もせず「純粋に19浪」 

 

 今まで、この連載では10年を超える浪人を経て、挑戦を続けてきた人たちを紹介してきました。 

 

 10年以上の場合、多くの人は浪人期間の途中でどこかの大学に入ったり、会社で働きながら受験勉強を続けていました。 

 

 しかし、今回お話をお聞きした山田洋(ひろし)さんは、どこにも進学も就職もせず、「アルバイトで生計を立てながら」共通一次とセンター試験を20年間受け続けて、純粋に19浪して、九州大学に入った方です。 

 

 19浪ともなると、1人の赤ん坊が現役の大学生になるまでの期間、浪人し続けてきたとも言えるでしょう。今回はその壮絶な浪人人生に迫ります。 

 

 山田さんは1966年、鹿児島県鹿児島市生まれ。10歳で父親が亡くなってからは母子家庭で育ちました。小さいころの山田さんは、活発で、人と話すのが好きな子どもだったようです。 

 

 「至って普通だったと思います。遊ぶことが大好きで、勉強はほぼしない子どもでしたね」 

 

 小学校・中学校時代前半の成績は中の中くらいでしたが、中学2年から塾に通い始めると、急激に成績が伸び始めました。 

 

 

 ここで「勉強の楽しさに目覚めた」山田さんは、地元の進学校である鹿児島中央高等学校に進学します。しかし、優秀な人たちが多く通う高校だったため、進学してからの成績は中の下で推移しました。 

 

 「高校では柔道部に入って部活を頑張っていました。でも成績はよくありませんでしたね。英語だけは得意で平均くらいの成績はありましたが、模試の偏差値は50もいかず、どこの大学もいちばん下のE判定だったと思います」 

 

 性格的にもマイペースで、授業を除く勉強時間は1日1~2時間程度だったと語る山田さん。志望校は、「国公立に進めたらラッキー」と考えて、地元の鹿児島大学を目指していました。 

 

 しかし、センター試験の前身である共通一次試験の得点は630/1000点程度。鹿児島大学の農学部畜産学科を受けたものの、落ちてしまいました。 

 

■家賃1万5000円の4畳半アパートに住む 

 

 現役時は鹿児島大学一本の受験だったため、山田さんは不合格通知を受け取ってから浪人を決断します。その理由については「大学に行きたいという夢はあったため」と語ってくれました。 

 

 「兄が東京にいる関係で、地元の予備校よりも、都内の大きな予備校に入りたいと考えた」山田さんは、上京して代々木ゼミナールに入ります。 

 

 しかし、この環境の変化が、彼の浪人生活を長引かせる要因となってしまいました。 

 

 「亀戸にある、4畳半で家賃1万5000円のアパートに住むようになりました。元々のんびり屋さんだったのですが、東京に出てきて、都会の華やかさに流されてしまいました。現役のときよりは勉強時間は増えて1日2~3時間くらいはしていたはずですが、遊んでしまった時間のほうが長いです」 

 

 とはいえ、代ゼミの優秀な講師の指導のおかげで苦手な物理の成績を上げることができ、共通一次は600点台の後半を獲得しました。 

 

 母子家庭という経済的な理由から、国公立しか選択肢がなかった山田さんは、この年も前期試験で東京農工大学工学部電気電子工学科のみを受験し、落ちてしまいました。 

 

 こうして2浪に突入しますが、この年からは親に頼らないことを決めます。新聞奨学生をしながら、学費を捻出して代々木ゼミナールに通いました。しかし、朝早く起きて、夕方にも夕刊を配るスケジュールは苛烈を極め、勉強に費やす時間がとれなかったようです。 

 

 「朝早く起きて新聞を配るので、帰宅して予備校に行くまでの間に寝てしまうんです。それで結局、あまり勉強時間の確保ができませんでした。新聞奨学生をやっていたので、新聞販売店が予備校代を全額出してくれましたし、新聞配達のお給料ももらえるので、それで安心してしまっていたのもよくありませんでしたね」 

 

 

■苦手科目だけの受講に切り替える 

 

 2浪・3浪も同じような生活をした結果、毎年少しずつ成績は上がったものの、1年目ほどは上がらなかったようです。 

 

 「それでも、浪人生活が長くなればなるほど、上の大学に入らなきゃと思っていたので、2浪目からは東大を志望して、受験し続けていました」 

 

 新聞奨学生の過酷な生活に耐えかねた山田さんは、4浪目以降は代々木ゼミナールの単科コースに切り替え、苦手科目だけ月謝を払ってピンポイントで受講するようになりました。これ以降15年間、生活習慣はほぼ変わらなかったそうです。 

 

 「毎年、ずっと何かの科目を受講していました。予備校全体の学費がかかるわけではないので、毎年アルバイトをやって、学費のやりくりをしていました。 

 

 接客の仕事が好きだったので、デニーズや魚民・笑笑などの飲食店でウェイター、ゴンドラでビルの壁を清掃、新宿2丁目で水商売、銀座のクラブでボーイ、とさまざまなアルバイトをしました。東京はバイトがいくらでもあったので、危険なバイトもたくさんやりましたね」 

 

 2浪目からは、毎年東京大学の理科1類を受け続けた山田さんは、共通一次がセンター試験に変わってからも、単年で得点が下がることはあれども、着実に、ゆるやかに成績を伸ばし続けていました。 

 

 「成績は少しずつ、トータルで見ると上がり続けていました。点数が(前年に比べて)微増の場合もあれば、たまに何十点か上がるということを繰り返す十数年で、最後の年には共通一次・センター試験で一度も満点を取れなかった科目は、国語と英語だけになっていました。 

 

 合計で、共通一次とセンター試験は20回、東大は18回受けましたね。昔はセンター試験の足切りラインはさほど高くなかったので、二段階選抜を突破できず、足切りにあったことは一度もありませんでした。それでも、全部の科目で高得点を取れることはなかったです」 

 

■長い間勉強して嫌にならなかった理由 

 

 どこの大学もE判定だった模試の成績も、5~6浪目くらいからはD判定が出るようになり、19浪目には東大でC判定が出るようになりました。ここまで長く受験勉強を続けられた原動力はどこにあるのでしょうか。 

 

 「実は私もよく『そんな長い間勉強して嫌にならないの?』と言われました。たしかに毎年、受験に失敗したそのときだけは落ち込んでいましたね。でも、自分の性格的にすぐ気持ちを切り替えられるのがいい点だったのだと思います。 

 

 

 何浪かした時点で、一流企業に就職するのは諦めていました。『どうなっても、自分の人生だ』と達観していて、自分を雇ってくれるところで生きていければいいやと思っていたのが、よかったですね。勉強に関しても、毎年アルバイトと勉強を交互にやる感じで、根を詰めて勉強をずっとしているような1年じゃなかったので、続けられたのだと思います」 

 

 マイペースでのんびり屋さんの性格がよかったためか、メンタルが落ち込んだり、人生が嫌になったりすることもなく浪人生活を続けられた山田さん。 

 

 しかし、19年間続いた受験生活もついに終わるときが来ました。 

 

 19浪目、山田さんは2004年に受けたセンター試験で自身最高の770/900点を叩き出しました。この年も前期日程で東大を受験しますが、受験生活20年目にして初めて、後期で九州大学工学部電気情報工学科に出願しました。その理由は、自身ではなく、家族の状況の変化が大きかったようです。 

 

 「母親がもう高齢になっていて、19浪目の年に病気になってしまいました。それで、この年でもうそろそろ大学に入らないといけないと思い、初めて後期日程で出願しました。東大はこの年も不合格でしたが、九州大学には合格したので入学することを決めました」 

 

 20年間、受験生活を続けてきて初めて掴んだ大学の合格。喜びもひとしおかと思いきや、感動はなく、「ようやく区切りがついたか」という感じだったようです。 

 

 1浪~19浪までずっと亀戸の4畳半の物件に住み続けた山田さん。彼は今、自身が大学に落ち続けた理由を「勉強が足りなかった」と振り返ります。 

 

 「東大に合格するための学力が足りなかったのは、勉強量が足りなかったことに尽きます。アルバイトをしながらの勉強だったので、毎年、センター試験の直前になると、夏休みの宿題を最後にやるように、慌てて勉強していました。でも、根を詰めてやらなかったからこそ、一回も勉強が嫌いにならなかった、というのはあると思います」 

 

 

( 205141 )  2024/08/25 16:34:45  
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このテキストは、浪人生活や大学進学に関する様々な視点や意見が含まれております。

一部では19浪を続けた人の選択を評価される声もありますが、他の方からは浪人生活の長期化や時間や労力の無駄について否定的な意見も見られます。

また、自立した生活を送っていることや塾講師として活躍していることをポジティブに捉える声もあります。

 

 

大学進学や浪人生活を巡る様々な意見が寄せられていますが、個人の人生選択や経験に対する考え方や価値観が多様であることが伝わってきます。

また、現代の社会環境や経済面の視点から浪人生活や大学進学に対する懸念や批判も表明されています。

 

 

(まとめ)

( 205143 )  2024/08/25 16:34:45  
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=+=+=+=+= 

母子家庭で経済的な制約があると言いながら、お金のかかる東京に1人住まいをして、経済的な自立は二浪目から。。 

 

お金がかかるから国立と言いながら合格可能性を無視した受験を毎年続ける。 

 

しかも20年間子供として母親を経済的に支える視点が一切無い。 

 

同じ母子家庭で育った同じような年齢の自分からしたら色々と感じるところはあります。 

 

=+=+=+=+= 

19浪した事がクローズアップされているけど、実際はこの人はフリーターとして20年間東京で頑張ってきて毎年目標を定め大学受験をしてきた人。 

 

生活費プラス受験料や勉強費を稼がなければならないから危険を伴うものも含め色々なバイトをしてきたという事かと思う。 

 

社会人で必要がないのに沢山資格を取る人とかと同じで、勉強をする事自体が好きなんだと思う。たまたまこの人は受験勉強が好きだったのだと思う。 

 

だから勉強を沢山する年もあればそうでない年もある。趣味と捉えたらいいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

なんだか凄いのだが 

現役で受験して不合格になり、2回目では1学年したの子より準備ができて 

3回目では2学年したの子より準備ができて追い抜かれる。 

18回目のときには 自身がゼロ歳からの再準備をする期間と一緒。 

2倍勉強したって耳にすることあるが、ホントに2倍の人生を歩んでるのね。 

 

心病まずなのかな?別の意味で病んでいるようにも思う。 

 

=+=+=+=+= 

これはこれで楽しそうな生き方だね。 

目標はあるし、それを掲げながらも追い詰められない精神と生き方で、程良く生きながら程良く頑張り続ける20年。 

正直、生きるだけなら就職もべつにいらないと思う。 

結婚がどうとか、老後の2000万がどうとか、それを抜かせば、生きられるとこまで生きるってくらいが丁度良いと思ってる。 

ココカラ大学に入って勉強して、それを活かしても活かさなくても、それまでに作った生活感でもってそれなりに生きていくでしょう。 

頑張ることを放棄したわけじゃないんだし、なんだかんだそれなりの収入を得るようにもなりそう 

。 

雇われるのはなかなか難しそうだが。 

 

=+=+=+=+= 

18歳で現役合格した人と比べた場合、19浪=大学入学時はアラフォー。 

挑戦し続けることは素晴らしいし生き方は否定しないけど、その時間をもっと他に使った方が豊かな人生を送れると個人的には思いますね。大学に入ることよりも、何を学び、社会に出て何を成し遂げたいのか。 

 

あと最近は推薦合格や内部進学が一方で増えすぎて、まともに勉強せずとも有名大学に進学できてしまう人もいるアンフェアな時代。大学受験で何浪もすることの価値や苦労が評価されにくい時代になったなと感じています。 

 

=+=+=+=+= 

うーん…人それぞれだけど、コレが自分の息子なら2浪で止めるなぁ。やっぱり夢を追うのも良いけど期限を決めないとズルズルやってしまう。 

 

19年も頑張ったその熱量を企業に入ってから注ぐことが出来れば出世して親孝行だって出来ただろうに。申し訳ないけど自分には時間の浪費にしか見えなかった。 

 

=+=+=+=+= 

一流企業の総合職として入社したいのであれば旧帝大クラスに進学した方がいいので結果私の時代ではセンター試験で8割以上の得点が必要になりますね。私は6割くらいの得点で底辺大学に行きましたけど。 

高校の勉強が出来ても大学は大学の勉強がありますし特に理系の場合大学で学ぶと高校の勉強はほんとに基礎だったんだな。とおもいます。可能であれば若いうちに大学の勉強に触れて社会に出たほうが同じ年齢になったとき仕事で出る成果は大きいと思います。それは私生活でも同様の傾向だと思います。 

この方のやったことは確かにすばらしいと思いますが趣味の一環にも感じられます。 

 

=+=+=+=+= 

同年代なので、つい読んでしまった。 

私も地方の田舎出身で大学は国立しか選択肢がなかった。現役の時は2次試験で全く歯が立たず、1浪までと決めてかなり頑張って勉強したので志望校に合格することが出来た。もし、ダメだったら滑り止めの私立だったが、学費も相当高かったから苦労しただろう。 

この人の人生なのでこれが正解なのかどうかはわからないが、希望を持ち頑張る、というのは良いことだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

凄いのは凄いけど、結局、本当に大学に行って勉強したかったのかなって思ってしまう。 

 

親御さんの健康状況が悪くなったから、後期試験の九州大その年は受けた訳ですよね。 

ということは今までは、前期の東大のみを受けてたのかな。 

 

経済的に私立が無理だとしても、本当に大学へ行こうと思ってたなら、3浪目あたりからは中期や後期は普通は受けてそうなものだけど。 

 

=+=+=+=+= 

九大工学部電子情報工学科で勉強して最終的に塾の講師ですか?大学で専門を学んだ意味はあるのでしょうか。ただ学歴という履歴をつけるための浪人と大学生活のような気がします。ただただ成績上げゲームを19年間してクリアしたから慣れ親しんだ塾の講師を相変わらずやってるという人生かなと思います。ゲームクリアお疲れ様とは思いますが、人生勿体なさ過ぎる気がします。 

 

 

=+=+=+=+= 

現役時点の共通一次試験の630点で、高い確率で地方大学の工学部の後期日程に合格出来る。十分、エリート枠ですけど、何故そうしなかったのか?単に大学で学ぶ意欲もなく、大学卒業後に働きたくなかったように思える。 

九大で2年も留年している事からも、大学で学ぶ意欲はなかったように思える。 

とは言え浪人時代の経験を活かして今、働かれていることは素晴らしい。 

 

=+=+=+=+= 

時代だなと思いました。 

この方の最初の受験の頃は、経済も右肩上がりだっただろうし、就職もすぐになんとかなりそうな空気感があって、多浪も気にならない時代だったのかも。 

そこから、団塊ジュニアが増えてきて、9浪前後は倍率のピーク。ただ、バブルは弾けてたけど、フリーターでも一生過ごせるんじゃないか、みたいな雰囲気はあって。 

2000年を超えて、氷河期で、一流大卒でも就職に困る時期になり。 

東大にこだわらず、どこかに入っていたなら、就職も楽にできただろうに。 

 

=+=+=+=+= 

大学に入ることがゴールになっている気がします。 

19年間、大学に行かずとも社会に貢献し、大成した人は多数いると思います。 

年齢と学歴については、飛び級が評価されるのと同様に、遅いと価値が減るものです。 

いずれにせよ、社会に出てからがスタートなので、頑張ってほしいものです。 

 

=+=+=+=+= 

浪人中も現在ももっぱらその時々の事情しか考えられておらず、19浪の過程でも将来の生活設計は眼中になかったように見受けられます。 

 

人生、将来を確実に見通したり計画したりすることは出来ませんが、おおまかにでも将来何にどれぐらいお金がかかるかイメージしたりとか、出費と収入を長期的にどうバランスさせるべきかとかを考えていたら、合格するまで19回も浪人を続けるという結果にはならなかっただろうと思います。 

 

心病まずに挑戦し続けられた理由よりは、むしろ思考が硬直化してしまった理由を掘り下げたほうが読者にとっては教訓になるような気がします。 

 

=+=+=+=+= 

エキセントリックというか、ちょっとしたビックリ人間大賞というか、 

想像もつかないですね。 

そういえば私の小学校の知人で小中学校時代はさして成績がいいとは言えない女性の方でしたけど、行った先の高校で猛勉強を始めてどうやら国立大学に合格したらしく、その後は司法の道に行きたくて司法試験を受けているという話を聞きました。 

10年ほど前に私の母親がなくなり、その方の親御さんが弔問に訪れてきてくれたのですが、大学卒業から十数年経った今でもまだ司法試験合格を目指していてその年の前々年くらいには「あと1点足りなかった」ということで、「惜しかった」と娘の言を真に受け照らしたのがとても憐れに見えました。 

その親御さんも数年前に亡くなったと風の便りで聞き、40代半ばにもなって本人はこれからどうしていくんだろうと考えたことがあります。 

 

この記事でふとそのことを思い出しました。 

 

=+=+=+=+= 

時間と費用の浪費でしかないと思います。 

継続する力を他に向けられれば良かったのではないでしょうか。 

家庭の経済力に問題があるなら、時間をかけずに進学そして就職という道を選ぶ事が最も大事だと思います。 

 

私より少し年上の方の様ですが、私が受けた年のセンター試験の得点率が知りたいな。7浪の積み上げがどれくらいなものなのか個人的に知りたい。 

とはいえ理一の足きりにあってないとの事なので80%弱は少なからず取れているのかな。80%弱あるのであれば地方国公立であれば上位以外であれば進学できる水準だと思いますけど(2次試験の能力はわかりませんけどね。)。 

私は75%弱で5Sのうちの1つに進学しました。 

 

=+=+=+=+= 

面白い。人それぞれだから、本人が納得できる人生ならそれでいい。 

大企業に入ってパワハラセクハラで病んだり、ノルマがきつくてやめたりした後に、社会が怖くなってひきこもったりするより、よほど健康的。 

 

はたから見たら羨ましいくらいまともそうな人生だったのに、あの世に自ら行ってしまうほど追い詰められる人もいるからなぁ。 

自分で選択して納得いく人生生きてる人は 

、見方を変えればある意味で成功してるんだろうと思う。 

 

=+=+=+=+= 

受験勉強に必要なのは、スピードと密度、そして繰り返しです。 

 

基本的には暗記型なので、覚えては忘れ、覚えては忘れをいかに早い回転で繰り返せるかがポイントです。 

人間の頭は性能が悪いので、どんなに覚えたつもりでも、時間が経てば忘れてしまいます。だから忘れる前に何度も上書きしなくてはなりません。 

 

必要なのは「密度」なので、時間を掛ければ掛けるほど効率が下がります。 

短期集中、1年勝負で取り組むのが、最も高い結果を得られるのです。受験勉強は、時間を掛けてはいけないのです。 

 

まあ、この記事の方はその意味ではずいぶん遠回りをしたものだと思いますが、それでも充実した人生を送れているようですから、良かったですね。 

 

=+=+=+=+= 

執着するな、ということを改めて学ばせてもらいました。 

切り替えられたのは19年目…それも自発的ではなくお母様の病気とのこと。 

失敗しても何度でも立ち上がる、という教訓としてまとめているのは違うと思いました。お母様がご病気になっていなかったらまだ浪人生活を送ってたことでしょうから。 

 

そもそも取り組み方としてバイトと並行して受験して複数回失敗しているのであれば、学業に専念した方が良かったはず。 

企業勤務で部門を兼業して上手くいくケースをみることはほぼないと思います。女性であればマルチタスク処理に優れていると思いますが、女性であれば現実的であって、なかなかこういう変わった浪人生活というのがないのではないかと思ったりします。 

 

内的な動機の変化はないので、本人は失敗から何も学んでないように思えます。失敗から立ち上がったというよりは、執着し続けても大きく得るものはないと思ってしまいました。 

 

=+=+=+=+= 

不屈の精神でいくつになっても勉強は出来る、を体現されていることは凄いです。しかし20年も浪人生活していたら、国公立は学費が安いも何もない気がします。経験値が上がったり達成感はあると思いますし、バイトや一人暮らしでただのスネ齧りでは無いのも理解しますが、それでもやはりあまりにも長きに渡る浪人生活というのは無駄に思えてしまいます。どこぞの大学に進学しておいて上を目指したほうが親御さんの心配も減ったと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

塾の講師をやっている人は本来塾講が第一志望ではなかったと思うけれど、息子の塾の先生なんかを見ると、ほとんどの人がふてくされもせず淡々とまじめに塾講の仕事をやっていて生徒にも優しい。そういう姿を私は尊敬する。それはそれとして19浪はやり過ぎじゃないか、人生200年あるならともかく限られた時間を有効に使わないと勿体ない。というか受験の戦略の失敗だと思う。基本的には模試でA判定ないしB判定のところを受験して、自分のやりたいことを専攻することを重視するのが大切だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

19年受験勉強の時間について、親側、子側の視点でコメントが上がってて、賛否ありますが、現役時代、まともに受験勉強せず、学校の説得と親の経済状況を忖度して、あまり行く気が湧かない地元の短大に進んだ私。その時に学んだことは何も覚えておらず、あの時は各方面から反対されていたことでも、自分がやりたいと思ったことを突き進むべきだったと振り返る。今になって、大学で経済や経営を学びたい欲求があるので、この記事を読んで、何歳でも大学受験に挑戦すべきだと、背中を押されたような気持ちにさせてくれた。 

 

=+=+=+=+= 

自分も田島OBです。 

この方は自分のいた時には聞いたことなかったので、後輩になるんでしょうね。田島での生活がめちゃくちゃ楽しかった、と言ってくれて嬉しいです。 

 

多浪生は心を病みがちですが、社会に出れば関係ないです。 

大学再入学の人々もいますから。 

高校から大学へ行くのが当然、みたいな風潮が弱まって、高校→社会人→大学のような回り道の人生も普通のような価値観の社会になれば良いなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

受験勉強というキャリアを積み重ねて、それを塾講師として活かしている。 

ひとつのことを突き詰めれば繋がるものですね。 

親の視点になれば長い浪人期間中に社会人としてのキャリアが積めずに心配になりそうなものですが、それを強硬に止めなかったこの方の親は凄いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

いや、もっと選択肢はあったはず。 

人生、それしかないと考えることも大切だが、 

これはどうだろう? 

これがある? 

と多角的な考えを持つことが、様々な所で役に立つ。 

逃げるは恥だが役に立つ。 

と、逃げたとか避けた、あきらめたなどと責める時代ではない。 

固執すること、こだわることより 

幅広く柔軟に考えることをして 

明るく楽しく生きることが素晴らしいことに繋がることもある。 

 

=+=+=+=+= 

すごく面白い記事。 

人生の意味を考えさせられる。「何をするか、何をしたか」ではなくて「楽しめたかどうか」。楽しめた人はこの人と同じように自ずと魅力や説得力を持つ。 

受験勉強ごとき、その中身を考えたらほぼ無意味でテレビゲームの攻略と大差ないバカげたものだ、自分もそう思う。しかし彼は自分で決めた目標に向かい続け働きながら遠回りしつつも達成した。さらにその後の学生生活も楽しんだし、親の介護や留学もし、天職と思える仕事に就いて人生を楽しんでいる。 

大学卒業、就職、結婚、家庭、子育て、そして老後を迎えるというのが推奨され要求される人生モデルだろうが、まったく違ってもこれだけ充実感のある人生を手に入れられる。食べていける。それを証明しているから面白い。そしてなにより彼を知った若者たちにとっての希望や安心材料になる、そこがいい。 

 

=+=+=+=+= 

いや、さすがに諦めなければ夢が叶うとかの限度を超えていると思いますが。 

 

うちは母子家庭です。 

息子は中学のとき、ほぼ最下位でした。 

工業高校でトップの成績になれば鉄道会社の採用試験受けられるかもよと軽く伝えていたのですが、その倍率の低い工業高校に進学し、なぜかそこで勉強をするようになり、資格取りまくり、学年トップの成績で大手の鉄道会社の採用試験を受ける権利を得て、高卒で就職しました。 

毎月頑張ってお金貯めているようです。 

もちろん色んな面で支えてきましたが、こんなにミラクル起こす子は居ないんじゃないかと思います。 

  

19浪ですか。せめて大学の勉強活かした仕事に就くとか、、してないんですかね?? 

頑張ったねとかいう言葉は申し訳ないのですが出てこないです。 

 

=+=+=+=+= 

冷ややかな反応が多いけど塾講師はベストだと思う。 

 

塾講師であれば、わからないということがわかる、つまり苦手な教科をゼロから、苦手だった人の視点で九大レベルまで引き上げる過程を熟知している。得意科目を教える学校の教師とは違った視点を持った講師になる。 

 

元暴走族上がりの人気予備校講師がいたが、喋りの上手さ以上に、自分の経験でつまづきやすいところを重点的に分かりやすく教えていたことが人気を支えていた。 

 

本人が経験を活用できたのなら、信頼の厚い講師になると思う。大手予備校に招聘されたら高給取りになれる。参考書や体験談の需要も高そうだね。19年を取り返すチャンスはある。 

 

=+=+=+=+= 

自分は成功しましたがこれに近しいことをやってました。 

撤退ラインを考えないでひたすら突き進む功罪ですが、彼に足りないのがあったとすれば伴走者、メンター的な存在でしょうか。 

 

社会人になると自分の立ち位置や目標に何が足りないか親身に相談できる相手がいないものです。テスト結果だけではなく勉強にあたっての心構え、キャリア形成を定期的に話し合えたら状況は変わっていたかもしれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

大学院時代40代社会人大学生と一緒に受講した事があります。 

どんなに歳をとっても学ぶ事が必要かつ重要であると若輩ながら感じました。 

ただこの件は、珍しいだけですごい事ではないと思います。 

上記と同じように社会人でに社会に貢献しながら九大に入られたならと感じました。 

本音言うと50手前の新社会人に価値があるとは思えないため、 

企業の一管理者から見れば、努力は理解するが選択肢として最も良い選択を 

考えなかったか?いいます。 

時間は人生の選択肢に大きく影響しますので。 

 

 

=+=+=+=+= 

人それぞれの人生だから、私には何も言えないけど… 

これから大学を卒業して、就職をして…と考えると厳しいことが沢山あるのかなと考えてしまう。 

高校の時の元カレを思い出した。彼は医大に入ることを目標としていて、結局10浪くらいしたのかな?でも年々明らかに勉強以外のことに流されていたみたい。 

その後どうなったのかは知らないけど、きっと医大には行けてないと思うし、望んでいた人生とは違った生き方をしていると思う。 

やっぱり「諦める」とか「切り替える」ってことも時には重要な気がするな。 

 

=+=+=+=+= 

19浪だけの人ではなく、浪人生活しながら経済的に自立した人でもあるし、受験勉強の経験がそのままライフワークになった人でもある。 

お母さんが生きてるうちに大学に入れてよかったよ。お母さんにとっては不安が絶えなかった人生だったかもしれないが、がんばる息子をずっと応援できたことは幸せだったんじゃないかな? 

刃牙の誰かのセリフじゃないけど、誰しも一度は最強を目指すがほとんどの人がいろんな理由で諦める。諦めなかったバカだけがたどり着ける世界がある。そこにはたどり着かなかったとしても、過程が大事って本当だな〜。とこれ読んで思いました。 

 

=+=+=+=+= 

浪人生活で成績が緩やかにでも上がり続けたのが凄いと思います。 

普通はどんどん忘れていくのもあるので維持するのも大変なはず。 

裏を返せばそれだけ頭は高性能だったと言えるわけで。 

2年3年本気で勉強すれば最終的な学力まで到達出来たはず。 

 

頭が良いのに15年以上親を安心させることもなく離れて過ごしていたという点で本当に無駄な生き方をしたなという印象。 

 

=+=+=+=+= 

納得は行かなくてもせめて1〜2浪で入れば、年が近い友人が出来る。大体自分と同じ学力の人たちなのだから、悲観することはない。しかし、納得のいく大学に行っても19浪ともなると、親が自分と近いような同級生と学ぶことになる。虚しくないでしょうな。その時間にやれることは他にもあったはず。 

自己満足であれば良いのかもしれませんが、失った機会も多いかと。 

どこかで客観的なアドバイスをくれる人がいたら良かったかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

何浪だろうが何歳だろうが構わないが、一つの席を手に入れたのだから、本気で何かを学んで欲しいね。もちろんそれなりの想いがあっての挑戦だったんだろうし、他人に関係ないことだろうとは思うけど。個人的にはそこまでして大学に行く、という気にはなれないが、それだけ本気で何かを研究したいと思えるなら、それはそれで素晴らしいことではある。 

 

=+=+=+=+= 

勉強はコスパの意識を持たなければならないと再認識させられました。この歳から大学入って働いたら生涯年収はいくらになるんだ?今度は自分の子供にお金が必要になるのにお金が無いかも?結婚も大変。今の時代にこんな話をすると古いと言われるかもしれませんが、人生のスタンダードは仕事して家族を持って子供を育てる。これを何世代も繰り返す。19浪もしたら次に続かなくなる。私が親か祖父母なら浪人するたびに目標を下方修正して現実的な大学に入学させます。 

 

=+=+=+=+= 

19年って、単純に時間軸で考えると人生の1/4だ。自分で生活の糧を得ている自立型の浪人だから、周囲がとやかく言うべきではないと思うが、19年間で本来得られたかも知れない機会・出会い・経験・学びも有ったのではなかろうか。19~38歳って「人生の核心」とも思えるし。ただ「19年掛けて希望を叶えた」という経験もなかなか無い。人生は本当に人それぞれだなぁ。 

 

=+=+=+=+= 

結局、浪人年数が長すぎると民間企業や公務員試験は年齢がハードルになってしまう。 

そうなると塾講師などの自営業を始めとして就職先の選択肢が狭まってしまう。 

今の世代は推薦も数多あるし、昔と変わらない入学定員だから、いろいろな受験方法を検討して入れるところに入ったほうがいい。 

 

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人生はいろいろなのだけれど、その時その時にしないといけないことがある。 

試験は、一気呵成にやらないといけないと思っている。 

受験の年に全力で勉強して試験を受ける。 

それでの結果なら納得して自分の人生を歩める。 

受験、大学生活、アルバイト、サークルやクラブ、恋愛、などなど、 

同じ年代でしか味わえないものがたくさんある。 

 

でも、この方は、楽しかったと言ってるから、そんな人生もいいのかもしれないね。本人が楽しいなら。 

 

=+=+=+=+= 

普通の人間としての考えですが浪人中はほぼアルバイト生活、勿論正社員としての勤務は無いので国民年金も満額受給出来ないだろうと思います。 

 

厚生年金は塾で正社員?として働き始めるまで納められないので掛け金も退職するまで20年くらい、多分年金合計で10万円行くか行かない位、余計なお世話ですが人生設計は考え無いのでしょうか。 

 

あるいは自分は元気なので生きてるうちは働き続けると言う意思なのでしょうか。 

 

 

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普通の人間としての考えですが浪人中はほぼアルバイト生活、勿論正社員としての勤務は無いので国民年金も満額受給出来ないだろうと思います。 

 

厚生年金は塾で正社員?として働き始めるまで納められないので掛け金も退職するまで20年くらい、多分年金合計で10万円行くか行かない位、余計なお世話ですが人生設計は考え無いのでしょうか。 

 

あるいは自分は元気なので生きてるうちは働き続けると言う意思なのでしょうか。 

 

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>前職の塾で担当した英語の授業では、自身の波乱万丈の人生を絡めながら話す講義内容の面白さもあり、生徒が評価する塾講師アンケートで何度も1位を獲得。そして現在も教育関係の仕事で、唯一無二の経験・経歴を教え子たちに伝えています。 

「もう20年近く、教育関係のお仕事をさせてもらっています。私は子どもが大好きなので、天職だと思いますね。私は人がしない経験をいっぱいしてきたのですが、今、好きなことをやって、最低限食べていけるだけの生活ができていますし、浪人時代の経験を子どもたちに伝えられるので、ありがたいなと感じます。 

 

19浪という、他の人にはとうてい真似の出来ない生き方をされているなと思いました。それでも今現在も浪人中も、充実した日々を送っておられるので、人生は人それぞれ、悔いの無いように公私ともに幸せな日常を送れれば良いのだという良い例の記事だと思いました。 

 

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大学は年齢様々でいいと思う。 

実際入って思いました。 

4浪の子も面白いだけ。 

第二外国語できて留学している年下の子の方が実力があったり、19浪の人も何かしらの能力ありそうで面白そう。 

先生とかそれより上の年齢だし、実力があれば大学内ではひっそりリスペクトされる。 

レベルが高い大学ほど学力リスペクトが大きいので九州大学なら居心地いいんじゃないかな。 

 

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19浪というよりフリーターが大学に合格したっていうカンジ。 

19浪でそれなりの学歴を得たようですが、何か大切な別のモノが欠如されていらっしゃるのではないかと思う。 

ま、人の営みなんて人それぞれでいい訳で、ケンタッキーフライドチキン創業者カーネルサンダースは65歳で起業したと言われているのだからこれから新入社員として活躍されてもいいのでしょう。 

 

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20年も頑張られたことに対して畏敬の念はありますが、大学はあくまで通過点です。当初九州大学に入って将来何がしたかったのでしょうか。 

将来の目標のための手段がいつしか目標に変わってしまったのですかね。だから受かっても達成感がないのでしょう。元々の目標ではないですからね。 

でも、人生やり直しはいつでもきくということを改めて勉強しました。 

 

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私も一浪しましたが、19浪とはびっくりです。良い見方をすれば、夢ってどこまでも諦めなくていいんだな、というのと、反面、面接と小論文だけで現役合格できる推薦制度はとても効率的だな、とも思います。浪人したことは後悔はしてないけど、友達とも疎遠になるし、1人の闘いでとても辛かったです。この方も早く社会人になれば、私大でも奨学金を借りることもできたでしょう。ただ記事の中で辛いと言ってないのは、それだけ勉強が好きで、それで塾講師になったのでしょうね。記事にも自分の人生だからとありましたが、ご本人は後悔してないでしょうし、良いと思います。 

 

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読んでみたら思っていたのと違っていました。 

19年も浪人したらそれまでの分も含めて人生半分無駄に生きてきたのではないかと思いましたが、アルバイトではあるけれどもそれなりに人生経験を積んできたのと、そこまで悲壮感がないのもちょっと拍子抜けしました。 

 

大学って最終目標にすべきものではないから、何回か受験してダメなら見極めることも必要だと思いますし、頭のいい人は時間の使い方もうまいから、勉強以外をあれこれやっていてもいい大学に受かったりします。昔はなんでそんなことができるのかと思っていましたが、時間の使い方が下手な私みたいなのが一番いけない。 

 

ただまあ、他の人もコメントされているように母親のことはあまり考えていないなというのは感じました。 

 

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まず19浪して大学に入ることに理解できる人は稀だと思う。 

もちろん本人の考えや環境によるものなので他人にとやかく言えることではないだろう。この失敗経験を塾で生かして後世に伝えていきたいというのは良いとしても塾という性質上、浪人生活を美化するようなことはまずいだろうな。 

記事からは失敗しても立ち上がる諦めない執念のようなものが最後に目的を達成できた要因として成功例のような印象を受けるが、普通ではない19浪することによって失うものやリスクについても公平に伝えないと間違ったメッセージを送ることになるような気がする。文面からして結婚や子供がいる年齢にもかかわらずその様子は感じられない。結婚が全てではないが通常の社会生活からかけ離れてしまっていることにより社会への貢献の仕方も変わってくるだろう。一人の人生としては面白いが伝え方は難しい事例だと感じた。 

 

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結果として合格して良かったと思う。社会に貢献していないと批判する人も多いが本人が納得出来ているならそれで良いと思う。 

母親の世話を言うコメントもあるが、親にしてみればむしろ自分の為に子供が夢をあきらめるようなことがあってはうれしくないのでは。むしろ子供も頑張っているのだから自分も頑張る気になるのでは。 

代ゼミは自主性を尊重する予備校。勉強するのも遊んでしまうのも本人次第。地方出身だと刺激が強いかもしれない。歌舞伎町にも歩いていけない事は無い。 

予備校生相手の喫茶店も多かった。 

確かに出来る仕事は少ないかもしれないが、予備校や塾などではこの経験は活かせるだろう。 

初志貫徹。頑張ったことにはエールを送りたい。 

 

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授業も評価が良いなら、もはや勉学こそが天職だったのでしょう。 

 

好きな勉学に囲まれて下の世代に慕われて授業の評価も高いのでは、そして生計も成り立つのでは、勉学は師であり勉学は日常であり勉学は弟子であり、 

 

これは美談と見えるのは、記事を見た感じ、人柄は良さそうで、得意分野を極めて仕事に活かしているという成功例だからか? 

 

 

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この方の高校時代から初期浪人時代は、おそらく予備校の最盛期。 

世代の人数が多く、AO入試や大学数も少なく、大学入試の競争が今よりはるかに激しかった時代。偏差値も、よりもてはやされた時代と思われる。 

 

その中で偏差値主義に染まって抜け出せなくなってしまったか。 

くしくも、息子の進学に力が入っているかのように見える秋篠宮家の紀子さんも1966年生まれで同じ歳。 

この年代は、厳しい入試競争の時代だったがゆえに、偏差値に対する執着やコンプレックスが強いのかもしれない。 

 

しかし、学びの分野は様々で、どの分野も東大に行くのがベストという訳ではない。いまは海外の大学も以前より選択肢に入るようになって幅は広がっていると思う。 

 

塾の講師をされているらしいが、視野が狭い高校生に対して、偏差値主義を植え付けて再生産するのではなく、今の時代にふさわしい選択肢と考え方を示せたら素晴らしいのではないか、と思った。 

 

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夢を諦めないと言うときれいな歌の歌詞みたいですが、ときにはキッパリと諦める要領の良さも必要だと思う。若いうちは自分の才能を信じて例えば俺は芸事で食ってくんだとか言いたくなる気持ちもわかるが実際に夢を叶えられるのは数%。才能のないものに固執し続けるとハードな人生を送ることになる 

 

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昔放送されていた「キテレツ大百科」というアニメで主人公の隣家に多浪の浪人生・勉三さんという人が出ていた。アニメ「サザエさん」には伊佐坂家の息子で浪人生・甚六が出てくるけど、物語の時間軸はずっと同じ(カツオは小学5年生のまま等)。キテレツ大百科の勉三さんは最後の方でようやく大学に合格していたけど、現実の世界で19浪で大学合格する人がいたとは驚いた。 

 

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支えてくれた家族と資金に感謝しないと行けない。 

志があっても資金の目処が立たず止むなく別の道を選んだ人のほうが多いだろう。19年結果を出せなかった事に対し本当に頑張ったと言えるのかどうかを自問自答するべきであろうとは思う。 

このまま順当に入学卒業したとして、果たしてその先の就職その後の就業についていけるのか疑問がのこる。 

ここからが本当に頑張らなくてはならない道のりになると思うので言葉通りもっと死ぬ気で頑張ってほしい。 

 

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色々な人生がある。大学に入るのが目標だったから一直線に進めた。入ってからも人生は続いていく。いろんな経験を糧にこれからも頑張ってほしい。浪人は決して時間の無駄ではない。アルバイトや予備校の中での人間関係など得るものも多かったはず。 

自分の人生を生きることが大切。 

 

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どこの大学に行くじゃなく、行って何をするかだよね。 

自分は同期よりも期待されておらず、後々 

優秀な奴が辞退しての補欠みたいなものだったらしい。 

今となっては同期の部下もおり、私よりもよっぽど優秀な大学を出ている者も沢山いる。 

19浪の努力は素晴らしいとは思うのですが、そのエネルギーを他に向ければもっと良い人生を送ることが出来たと思います。時間はどんなに大金を積んでも取り戻せない貴重な物ですから。 

 

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大学受験は環境作りに失敗すると全然成績が上がらない。環境作りといっても、通う学校、授業の質・相性、教材の質・相性、通学時間、友人関係、勉強以外の趣味、自分に向いた自習場所を確保できるか、異性との関係など様々ある。 

 

特に授業の質・相性が大切だと思うので、大学受験だけ考えると、高校はさっさと辞めて大手予備校の授業を受けて、自分にとって使える講師を見つけて、集中できる自習スペースでじっくり勉強すると旧帝大の普通の学部なら誰でも受かるんじゃないかと思う(医学部は難しい)。 

 

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たしかに何かを成し遂げると言うことはすごいことだが。。。 

 

その期間に得るはずだったことも同時に失っている。例えば就職していても収入面やスキルなど。また恋愛に関しても幾度か恋をし結婚して子供を持っていたかも知れない。 

色んなことを考えると時間を費やし過ぎたようにも思えるが、それもこの方の人生。後悔しないように歩んで欲しい。 

 

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最初は批判的に読んでたけど、こんな生き方もあるのかなと思った。この方のお母さんも心配はあっただろうけど、子どもが前向きに頑張る姿はきっとうれしかったはず。19浪なんてほとんどの人が経験することないし、唯一無二の存在で、塾講師として人気があって、本人が満足できているなら、こんな素晴らしいことはないと思った。 

 

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まあ、自分でも言ってるが相当のんびりした人なんだろう。 

恐らく、お袋さんが3浪目くらいで倒れられたなら4年目に志望校に合格できてたくらいの能力の人だと思う。 

19浪に対してとやかく言う権利があるのは、お袋さんだけだろ。 

 

猛勉強して不合格し絶望してる3浪目くらいの若者が、塾講師に「ちなみに私は19浪だが、まっとうに生きている。」と言われてみろ、きっと気持ちが楽になる。 

こういう人がいても良いのではないか? 

 

 

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2004年、当時38歳で19浪の末に国立大学に合格、 

合格後は2留を経て6年後2010年に大学を卒業。 

以後14年間、非常勤の塾講師として勤務。 

 

大学の勉強では遅れをさほど(?)取らずに 

卒業できたようで何よりでした。 

「受験失敗学(?)」という面からみれば 

確かに貴重な存在かもしれない。 

3浪までなら卒業時26歳だからと挫けないで 

アルバイトで働きながら浪人する人も 

他にいるかも知れないし。 

 

いくらアルバイトをしながらとはいえ 

よくぞ受験メンタルが19年間も持ちましたね。 

 

途中30歳くらいで大学進学を諦めていても 

塾講師にはなれたのではないかな? 

まあ普通の面接では4浪の履歴の時点で 

面接落ちしそうだけど。 

 

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あきれるわという気持ちと、19浪までしてあきらめない粘り強さはすごいね。この方は塾講師にいいでしょう。子どもたちに同じ目線で教えることが出来そう。特に偏差値50以下の子を教えるには、なぜわからない、出来ない、勉強が長続きしないかを自分の体験からリアルに理解できるだろうし、解決をサポートできそう。子どもの頃から優秀でいい大学を出た講師は、そういった優秀な子を教えればいい。偏差値50以下だけど高校まで諸事情で勉強しなかった、もしくは苦手だったけど、上位大学で本気で学びたいと思う子限定で、結果を出せば、いつやるか先生みたいに有名になるよ。 

 

=+=+=+=+= 

私と近い年齢ですね。私ものんびり屋だが現役の時に受験した中堅大学に素直に入学してストレートに就職した。その間、同い年の後輩と何人も接して、自分は同い年に敬語を使う必要がなくて良かったと思っていたが、ここまで年齢差があると敬われちゃうんだな。私はもっと良い大学に行けたんではなかったかなあと思ったりすることもあるが、その点この人は悔いなしだろう。 

 

=+=+=+=+= 

大学が人生のゴールなら良いが。 

個人的な意見ですが、19浪した者を、よく頑張ったと言ってくれるほど世間(会社)は優しくないと思いますし、逆に、一つのことに固執して修正の効かない人間という印象もあるかな。 

まあ、他人の人生をどうこう言える立場ではないので。 

結局のところ、本人が満足してれば良いと思う。 

合格、おめでとうございます。 

 

=+=+=+=+= 

大学はアメリカ方式の方が社会にも本人にも良い結果をもたらすと思う。 

入口は広く出口は狭く。ちゃんと学習した者にだけ卒業資格を与えた方がいい。 

 

入口を広くする事で社会人現役でもリタイア後でも興味のある講義を聴講する機会が得られる。 

様々な年齢の者が利用出来る環境は若い人にも良い環境となる。 

生涯学習として通い続けるも良し、大学名に見合う実力を着け卒業試験に挑んで卒業するも良し。 

 

入口を狭くしてただ4年遊ばせて卒業するだけが大半の今の大学には何の意味もない。 

もちろんしっかりと学んで卒業していく子も沢山いますよ。その子達の学習環境まで悪くしている今の大学の在り方に強い不快感があります。 

 

大学側からすれば今の方が管理も楽だから変える気はないのでしょうね。 

関西大学の落ち目っぷりがあるかと思えば反対に指導強化をして評価を上げ続ける大学もある。 

少子化の今こそ大学のあり方を見直すべきでは? 

 

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なんか批判が多いですが、他人に迷惑をかけている訳でもないし、親以外の者の批判は気にしなくてよいと思う。がんばったよね。 

ただ、受験経験者として、陥りがちな失敗が有るように思う。司法試験の講師がこう言っていた。 

「一日5時間10年間やっても合格しない。一日12時間一年間やるほうがよい」と。これ大学受験でもあると思う。浪人で一年間1日10時間勉強すれば、まず国公立は受かったと思う。何なら旧帝もいけたかも。センター6割以上とっていたなら、そこまで実力がないわけではない。むしろ、親に土下座してでも1か2浪目に全てを捨てて、勉強のみをやる方がよかった。 

日本はなぜかコツコツを推奨するところがあるが、一気に集中して後は遊ぶぐらいの方がよいことの方が多い気もする。 

 

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自分は記事の山田さんより少し年上です。山田さんの達観力と継続力には頭が下がります。山田さんもご存知だと思いますが当時我々受験生の中には「ラジオ講座」がありました。そのスローガンは「継続は力なり」でした。正にその力を手にされたわけですね!立派だと思います! 

お互い60に足がかかっています。健康に注意して頑張りましょう! 

 

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20年間「受験する側」で受験問題と向き合ってきたんだから、そりゃ入試のエキスパートになれるし、職業としては他の道はないだろうね。ただ、多分それって採用されるかどうかはともかくとして、大学に合格せずとも浪人期間中でもなれただろうし、早くに教える側を兼ねておいた方が合格も近かった可能性ある。 

 

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過程としては「随分な年月を注ぎ込んだ迷走」感を否めないけど、 

本人的には「落としどころ」を抑える事の出来た人生を歩めているんじゃないのかな、と私は思えました。 

 

地元帰って悲願の国立大学生になり、 

母の介護をし見送って海外留学、のちに塾講師として働く。 

 

専門の勉学を修めたのに、っていう惜しむ声も聞こえてきそうだけど。 

そこは人生、そんなに簡単にいかないのが就活。 

ましてや19浪九大工学部卒。 

在学中に履歴書出したところで、面接時に好奇の質問沙汰に晒されて、 

内定落としまくりの企業…なんて想像に難しくないでしょう。 

何浪かの時に諦めたって一文もあるくらいですし。 

 

他にも色々な困難や悩みがあったはず。 

それでも本人が、塾生にメディアに「そういう」自分の人生を語る。 

強メンタルもだけど、自分の人生に納得しているのが正直羨ましい。 

 

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私も母子家庭で育ち、早く母を楽にしてやりたい、安心させてやりたいと貧しいながらも必死に勉強して大学進学してそれなりの働き続けられる就職先に恵まれました、母には本当に感謝。 

この人は気ままにやりたい放題で母への感謝を全く感じられない、本当に足らなかったのは学力でも勉強でもない、感謝と信念である 

 

 

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おそらく私の1学年上の方。翌年から受験制度が変わるので現役合格のプレッシャーは結構あったかな。 

入学した地方国立大(金岡千広のひとつ)が嫌で有名私大への隠れ浪人を目指しましたが、所詮は高校3年間でその程度しか勉強しなかった精神力。隠れ浪人に耐えられるはずもありませんでした。 

 

この方、20年近くも受験するのは結構だけど、私と一緒で頑張りきれない性格は成績を見れば一目瞭然。受験生としては全然ダメですね。それをプラスに変えているところは立派ですけれど。 

 

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読んでいて最初、コレだけ鈍感力備わってたら大したもんだな、お母さん相当苦労したんだろうなって思いましたが、最終的に一人前になれて、迷惑かけたのは家族くらいだろうし、荒んだ性格にならなかった人生なら、成功だと思いました。 

私は凡人なので、1,2浪あたりで、意味あんのかコレ?って思って進路変更するでしょうけど。 

 

でも、氷河期末期の私より少し後の時代に入学されてるので、就職難ではなかっただろうし、自身の超学歴社会の時代や、その後に続く団塊ジュニアの激しい競争社会や、大氷河期時代に卒業向かえなくて、時代的にも良かった気がします。 

 

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20回も受験て凄いな... 

自分やったら3回アウトなら諦めてしまいそう。 

最終塾講師との事やけど、20回も頑張って塾講師ってのも勿体ないような... 

人の人生やから他人が口出しする事じゃないけど、20年の時間は余りにも勿体ないから、違う事してたら人生変わってたんじゃないかななんて思ったりもしました。でも、、何年もかかっても何かを最後までやり遂げるて事中々できないからそれは凄いかも。 

 

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批判的なコメントが多いですが、私は純粋に凄いと思います。この意思の強さは見習うべきだと思います。只、この意思の強さを仕事や趣味や恋愛などもう少し違う事に向けても良かったのかなと。当方も入った高校がいわゆる底辺高で大学に入る偏差値や学力も足りず、「大学に入れるだけでも御の字」的な集団圧にも負けて行きたいと思う学科に行けませんでした。結果的に大学には入れたものの、選んだ学科で結局自分は何がしたいのか?が見えず大学卒業後も色々な職種をフラフラしいます。やはり初志貫徹の精神は凄いと思うし、そう考えると大学は偏差値はまだしも(個人的には大学の偏差値は殆ど考え方の問題だと思っています)人生を左右するので学部学科だけは妥協しては行けないと思っています。行きたい学部に行く学力が足りないならこの方のように何浪してでも目指すべきだと思います。自分の生活環境に及ぼす影響はフォローしないといけないとは思いますが。 

 

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ここまで開き直って大学を受け続けることに驚きです。自分の人生なので人に左右されず、他人に大きな迷惑をかけることなくやって来たのだから、誰にも否定はできないと思います。勉強という頑張りが好きだった方かもしれませんね。いろいろな考えがあっても良いと思います。 

 

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そもそもなんでみんなこぞって大学に進学するのかを考察すると、高卒よりも初任給昇給昇進がよくて生活の安定につながる、生涯賃金が高いという経済的な理由からなんだよね。第二新卒と言われる年齢以上の浪数や留年を重ねて一般的なルートから多いに外れてしまうといくら有名大卒でも大卒メリットがなくなる。例外的に勉強大好き実家が太めで大学入り直す人もいるけど例外中の例外だ。その点は念頭に置くべきだと思う。 

 

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親に頼らず自分の稼ぎで生活して学費も賄うなら、浪人するのは自由だと思うよ。浪人中勉強しかしてないとかならヤバいけど、仕事しながらマイペースで目指す方法もあるんだなとは思った。ただここまで長いと大学で学びたいというより、ただ試験に受かることだけが目的のように見えるけどね。 

その経験を活かして塾講師してるなら、無駄にはなってないけど、普通の人はやっちゃいけないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

これ人生、どんなことに価値を見出し、人生を過ごすかは、その人のみにしか分からないことではある。人生の価値は誰にとっても普遍的なもの、共通の意味の世界ではないですからね。 

 言えることはこの方の周囲のかたの忍耐強さというか、この方の価値のなかに土足で足を踏み入れない配慮というか、、、、周りにも恵まれたのは事実でしょう。。。 

 浪人することに意味をみいだしたのか、希望の大学、学部に合格をすることに意味を見出したのかは(結構、色々な大学を受けて、最後にたどり着いたのが九州大学ということだから九大を目指して19浪ではないから、ここ!ということでもなさそうですし、、。 

 

 でも何はともあれ、現在、お幸せならば悔いは少ないでしょ。 

 

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二浪か三浪時点で別の大学に行き、大学でキチンと勉強して正規の職に就くべきだったと思います。 

 

目標大学も狙う分野も二転三転。妥協嫌いかと思えば最終盤であっさり妥協。 

 

19浪だけで早や37歳。入学後の留年も推して知るべしだから、40代半ばで卒業できるか否かといったところ。 

 

働き盛りの年齢の大半である20年以上を学生として過ごしたため、若い頃の20年分ではなく定年前20年の「高額な」給与や報酬を既に逃している。社会保険や年金料も納めてはいないはず。 

 

50歳手前の「大卒新入社員」を雇う企業があるかは別にして、経歴を不審に思うのは間違いない。 

 

うまく職に就いたにせよ、高齢や病気になった時に始めて、自分のやらかした事の重大さに気付くのだと思う。 

 

せめてキチンと職に就いて貰った給料で、女手ひとつで育ててくれたあ母さんに親孝行だけは忘れないでほしいものだ。 

 

=+=+=+=+= 

浪人とは違いますが、私は30歳を過ぎて大学院に入り直しました。文系です。結局、「入院」が長引いてドクターまで行ってしまい、当然のことながら再就職できずに、今は専門分野とは無関係のブルーカラーの仕事を自営でしています。でも自分の選択に後悔はありません。大学院に進学して自分に自信を持つことができました。大企業に就職するだけが進学の目的ではないですし、何浪しても勉強を続けた彼はスゴイと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

自分も2浪し合格したが、それが限界だった。 

努力した事は達成せずとも無駄にならないというがこれに関しては駄目だったら、単純に2年間プー太郎していただけ。と決めつけ、かなりプレッシャーで自分が追い込まれた事を思い出した。 

 

ただ、人生は自分のものだし、有意義であったかどうかは自分で決めるもの。この人にとって大学合格が人生のゴールだとしても、他人がとやかく言う事ではない。 

 

自分は今年50歳独身、まだ「色々な人がなんで結婚しないの、結婚は幸せだよ」とお節介にも言ってくる。単純に他人と一緒に生活する事が出来ないし、逆に病んてしまいそうです。人生は人それぞれ。 

 

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人はどんな事でも廻り道をしてしまうものです 

志を貫き結果を出した事は凄いです 

苦労を知っているから教える事も親身になってあげれると思います 

そして採用した塾も凄く理解があります 

日本は大学は高校出てそのまま行くコースが普通とされてますが、海外では自分でお金を貯め30代から大学生になる人も普通にいます 

私自身50手前ですが、人生で3回目の大学生をしています 

 

=+=+=+=+= 

まぁでも、犯罪者でない以上、他人がとやかく言うような内容ではないかなと思っています 

 

色んな人生の過ごし方がありますが、人に危害を与えるような生き方ではないので良いのではとも思います 

 

母子家庭で親の経済的な面倒は兄が見ているのかもしれません。 

 

健康なのにバイトもせずに生活保護を受けている人もいます 

 

他人に迷惑がかかっていない事が前提ですが、この方の親が、この方を見て、この子はこれで良いと思っているのであれば、それで良いのだと思います 

 

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一浪だけでも大変なのに頑張ったですね。19年も大学受験してたのはすごいと思う。その時のセンター試験の点数で入れる国立はあったと思うんだけど、そこを助言してくれる人はいなかったのかな?大学はどこだって大変なんです。試験だのレポートだの、バイトもするし。入ったところで頑張ればいいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

確かに、19年も受験というチャレンジをしたことはすごいと思いますが…本来の目的を見失ってる気がします。 

典型的な日本人にありがちな大学に入ることが目的となっていて、結局その先が見えてないよね、と思いました。 

大学に入ってこの人は何がしたかったのでしょうか? 

東大を受け続けたというけれど、この方は東大に入って何かしたかったのなら死に物狂いでもっと勉強したらよかったと思うし、最後に違う大学に妥協するくらいなら最初から身の丈にあった大学にすればよかったと思います。 

自分は都内の中堅国立大でしたが、同級生にはお金がなくて、在学中も奨学金貰って新聞配達のアルバイトをして生活費を家に入れながら勉強している子もいましたよ。 

過去最高得点のセンターが770点で本当に東大目指していたとしたら、呑気だなと自分は思います。 

 

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大卒ですが、大学で学んだことを社会で活かせている人がどれほどいるのかとても疑問に思います。医師やエンジニア、官僚、士業、学者などのエリートを目指さないなら、高卒か高専卒で社会に出た方が20代の貴重な時間を使うには良いのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

好きに生きたら良いと思いますが、共感はできません。 

センター試験を受けた翌々日に震災が起こり、私も浪人しましたが、超氷河期に大学卒業が重なってしまい、長引く就職活動に耐えかねて、いっそのこと高卒で就職すればよかったと後悔していました。 

ようやく正規就職したのは30歳でしたが、大学で学んだ知識を活かせるわけでもなく、婚期も逃し、ただただ生きるためだけに働いています。 

それでも、世間が見える仕事に就けたこと、大学時代に自由を謳歌し、生活力と大学でしか学べない専門知識を得たことは大きかったと、感謝もしています。 

学習塾には中学時代に通っていて、楽しい場所だったので、かつては塾の先生も良いかと思っていましたが、今から思えば、ペーパーの勉強だけでは世間の流れに付いていけず、井の中の蛙で終わっただろうと思います。 

 

蛙になりたい人は、そういう人生も有りかと思いますが、友人として会いたいとは思いません。 

 

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でもいくら亀戸でも江東区の3駅は利用出来る地域。1万5千円は事故物件か風呂なしレベルで破格の安さです。予備校も地方都市だったらあるかもだけど代ゼミは予備校の名門です。偏差値50から東大c判定、九大に受かるまで続けたのはすごい。19年かかったというよりも、経済的にもなかなか難しいことだから時間はかかったし、揺れたり流されたりしながらも成し遂げたと言えるかな。普通には受からない大学だからそれは芸人など芸能などの夢を追い求める人とも変わらない。遅咲きでこの先の夢を叶えるのには遅すぎるかもしれないけど大きな肩書きが出来て胸を張って生きられるならそれは良かったのかなって。 

 

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19年前に九大に合格した同級生たちは色々なところで成長して活躍してるだろうに、今から頑張って彼らに追いつくのは無理だろう。 

ほかの手段を使ってたら同じくらい活躍できた可能性もあるだろうにもったいない人生の使い方をしてしまっていて気の毒に感じる。 

まあ、人の人生だから好きに生きたらいいと思うけど。 

 

=+=+=+=+= 

この人は「受験勉強」が趣味になっちゃったんですね。 

 

私たちは、大学入学を就職のための手段として考えていて、それが固定観念化しているのですが、この人にとってはそうではなかった、というだけの話です。 

 

俳優目指して、40代になってもバイトしながら生活している、とか、博多祇園山笠だと、夏に長期休暇取れない会社には就職しない、とか、趣味に生きる人間って以外とたくさん居るものです。 

 

たまたまこの人は大学卒業後、趣味を生かした職業に付けたのでラッキーでしたが、俳優にせよ山笠にせよ、何にもならずに生涯過ごす人なんてたらふく居るので、全然責める気にはなりません。 

 

母子家庭で母親を楽にさせるとかいう価値観も、ある意味一方的ですよ。親のために自分の人生を掛けてほしいと願う親も、それはそれでおかしいし、実際、この人は母親の介護をキチンと果たしているので、バランスの取れたいい人生なんじゃないかって思います。 

 

 

 
 

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