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「『虎に翼』にLGBTQ要素、いる?」性的マイノリティ表現に違和感を覚える人に言いたいこと。NHKのみならず、ドラマや映画で描かれることが増えてきたが

東洋経済オンライン 8/27(火) 7:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7246c71c41c802b1662c6bedbafcacb7b7eaaab

 

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8月19日に放送された朝ドラ『虎に翼』で性的マイノリティのエピソードが取り上げられ賛否が分かれた。

しかし、性的マイノリティを描くことは世界的な潮流であり、映画やドラマでも増えている。

日本でも過去に性的マイノリティを描いた作品はあり、最近はNHKの夜ドラ『恋せぬふたり』のようにバランスの取れた作品もある。

しかし、取り上げる作品が増える中で、ただ触れるだけの物語が増える恐れもあり、作り手には切実さが必要とされている。

(要約)

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性的マイノリティについての描写に賛否が集まった朝ドラ『虎に翼』第21週(画像:NHK『虎に翼』公式サイトより) 

 

 8月19日の週に放送された『虎に翼』が波紋を呼んでいる。物語の中に挿入される、性的マイノリティの登場人物たちのエピソードが賛否両論を生んでいるのだ。だが、これは世界的な潮流でもある。 

 

【写真】「虎に翼」で“ゲイカップル”を演じた二人の仲睦まじいツーショット 

 

 本稿では、その世界的な潮流や、日本でのこの20年の性的マイノリティのドラマ・映画での描かれ方にも触れながら、描くときにとるべきバランスについて考えていきたい。 

 

■性的マイノリティのエピソードは世界的な潮流 

 

 NHKの朝ドラ『虎に翼』の第21週・101回では、主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)の友人である轟太一(戸塚純貴)が自身の“お付き合いしているお方”として、同性の遠藤時雄(和田正人)を紹介。寅子が少なからず動揺する場面がある。 

 

 103回では、性転換手術を受けた人物として山田(中村中)や、同性のパートナーを持つ人物たちが登場。「私たちと話したいんでしょ?  何でも聞いてよ」と水を向け、しばらく寅子たちと性的マイノリティに関する談義を繰り広げる。 

 

 もちろん、多くの人が見る朝ドラで、このようなテーマが入り込んでくることは意義深いことではある一方、視聴者の中には、これを唐突、押し付けがましいといった感覚で受け取る人もいたようで、賛否が割れている。 

 

 たしかに、第21週の『虎に翼』は、主人公の寅子と星航一(岡田将生)が結婚するのかどうかという展開に注目が集まる中、付け加えられたエピソードのように感じた人がいるのも理解できる。 

 

 だが、物語の中に、性的マイノリティのエピソードが挿入されるというのはもはや世界的な潮流でもある。 

 

 その流れが顕著だったのが近年のディズニー傘下の作品だ。2つ例をあげてみたい。 

 

 ピクサー制作の『トイ・ストーリー』のスピンオフ作品である2022年公開の映画『バズ・ライトイヤー』では、かなり唐突に、女性同士のキスシーンが挿入され、2人が子どもを育てていくエピソードが挿入される。それらの描写が問題視され、公開中止になった国もある。 

 

 

 公開中止もやむなしと決意したうえでの、この作品にとって譲れないエピソードなのかとも想像できる。だが、そのシーンは一瞬で、正直、これが男女だったとしても、物語の大筋には大した影響がないといっていいものだった。入れ替え可能なエピソードのひとつとして“付け加えられている”感が否めないものだ。 

 

 日本の実写映画がアメリカで改変された例もある。山田太一の小説を原作に、1988年に公開された大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』は、現在はディズニー傘下にあるサーチライト・ピクチャーズによって昨年リメイクされ、『異人たち』というタイトルで今年、日本公開もされた。 

 

 日本版で風間杜夫と名取裕子が演じていた男女のカップルは、『異人たち』ではゲイの男性同士という設定に変更。日本版では風間杜夫演じる主人公が、若い頃の自分の母(秋吉久美子)と出会い、性的な雰囲気が漂うことが、この作品の味のひとつとなっていたが、同性愛者に設定変更されることで、その要素は丸ごと削ぎ落とされていた。 

 

 アメリカ版では過去の感覚で生きる両親が息子たちの同性愛に抵抗感を示すというエピソードに時間が割かれるなどして、もとの作品のテーマ性が薄まってしまった印象だ。本来の作品の良さや物語の流れを壊してまで、改変するべき設定だったのかには疑問が残る。 

 

 当然、性的マイノリティの描写を入れること自体には何も異論はない。だが、そうした設定が物語の中で機能しないのも問題であるし、逆に機能しすぎて原作を壊すことになるのにも疑問が残る。 

 

■昔から性的マイノリティを描く作品はあった 

 

 だが、そういった方針にも変化が見られそうだ。昨年末、ディズニーのCEOは、近年の作品に性的マイノリティへの配慮が含まれることなどに言及。「クリエイターは自分たちの目的を見失っていた」「一番は楽しませることであり、メッセージ性ではない」と発言し、“揺り戻し”の姿勢を示唆している。 

 

 

 その点、まだ日本では“揺り戻し”は起きておらず、むしろ進んでいる最中、という印象だ。 

 

 『虎に翼』に限らず、昨年の大河ドラマ『どうする家康』でも家康の最初の側室が、女性を愛して家康のもとを去っていくというエピソードが描かれ「史実の改変では?」といった物議を醸した。 

 

 性的マイノリティのエピソードが挿入されることへの観る側の反発や動揺は、近年の日本でも見られるものだ。もちろん、そういった作品の数自体が多くなっていることに起因もしているだろう。だが、昔から性的マイノリティを描く作品がなかったわけではない。 

 

 例えば、2001~2002年に放送された『3年B組金八先生』(第6シリーズ)では、上戸彩が性同一性障害(当時の作中の表現)のある生徒を演じた。 

 

 上戸彩演じる鶴本直が「俺は男だ!」と訴えるシーンや、父親役の藤岡弘、に「お前は女だ!」と胸を揉まれるシーンは衝撃的で、当時、このドラマで初めて、心の性と体の性が一致しないケースを知った視聴者も多いだろう。もちろん、当時のドラマでこのような題材を正面から扱うことは珍しかった。 

 

 同じ2001年に公開された映画『ハッシュ!』は、ゲイ男性同士のカップルと女性ひとりの3人がどう“家族”をつくり、子どもを育てていくのかという、20年前より現代のほうがより広く受け入れられそうなテーマの作品だ。 

 

 監督は、自身もゲイであることを公表している橋口亮輔で、1980年代後半から性的マイノリティの男性の苦悩を描いてきた軌跡の上にある、ひとつの到達点とも言える切実な作品だ。 

 

■“触れただけの物語”が量産されてしまう恐れ 

 

 それから20年以上が過ぎ、社会の意識も変わった。性的マイノリティを取り上げる作品も増えた。だが、それによって、なくなってしまったのは“新鮮さ”と“切実さ”かもしれない。 

 

 数が増えることによって、当事者ではない観る側の人びとも、意義は認めつつ「またか」と感じてしまうのかもしれない。初めて取り上げられる事象に対する“新鮮さ”、未知のものを理解したいという感情が生まれることは少なくなっているだろう。 

 

 さらに、もちろんすべての作品がそうというわけではないが、取り上げる作品が増えることで、その“切実さ”が足りない作品も紛れ込んでくるだろう。作り手が、あくまで“流行の事象”として、深く考えずにそのテーマを挿入しただけであれば、視聴者も見抜く。 

 

 

 そして、それは何より当事者の方たちに失礼な態度なのではないだろうか。作り手が切実に向き合う気がなく、“トピックとして加える”感覚の先に、『バズ・ライトイヤー』のような、その設定がなくても成立する“触れただけの物語”が量産されてしまうのではないだろうか。 

 

 当事者性があることと作品としての素晴らしさは決してイコールではないが、「作り手が当事者なのかどうか」という疑問など湧かなくなるほどに、このようなテーマを扱う場合には、切実さが必要なのではないだろうか。 

 

■NHKが取り上げることの重み 

 

 “新鮮さ”も“切実さ”も併せ持っていた近年の例で言えば、『虎に翼』と同じく吉田恵里香の脚本によるNHKの夜ドラ『恋せぬふたり』(2022年)が、良いケースだった。 

 

 アセクシャル(恋愛感情を持たない人)を主人公に描かれた8話のドラマで、ギャラクシー賞など数多くの賞も受賞。主人公の切実さや、主人公がアセクシャルであることを知った周囲の登場人物たちの感情の動きが丁寧に描かれていた。 

 

 決して設定として“挿入”されたわけでもなく、押し付けがましいわけでもない。ドラマとして面白く見られながら、アセクシャルという存在への認識も深まる、絶妙なバランスの作品だった。 

 

 素晴らしい物語が社会性を持っていることはよくある。だが、その逆は必ずしもそうではない。社会性があっても面白くない物語はたくさん存在する。そのバランス感覚は作り手の才能に委ねられるだろう。朝ドラ『虎に翼』も、この絶妙なバランスの感覚の上に作られている珠玉の作品だと考えている。 

 

 一方で、受け手によっても受け取り方が違ってきてしまうのは当然のことでもある。NHK、さらには視聴者の数や層も広がる朝ドラの枠で放送される以上は、作り手のバランス感覚がより必要になってくる。公共放送であるNHKが取り上げることの重みや、それによって纏う“正しさ”も、反発の一因になるだろう。 

 

 もちろん、ドラマに限らず、社会の中でマイノリティとして生きている人びとにスポットライトを当てるのは公共放送の担うべき役割であり意義だ。だが、ドラマという物語の中で浮いていたり、“押し付け”が強すぎたりしても視聴者は反発する。 

 

 

( 205831 )  2024/08/27 16:37:05  
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- 様々な意見があるが、朝ドラ「虎に翼」において、LGBTQを扱うことへの賛否が分かれている。

 

- 作品によってはLGBTQを無理矢理取り入れていると感じる人もおり、バランスが崩れているとの指摘もある。

 

- 一部の視聴者は、過度な啓発やメッセージ性を感じて面白みを失ったという意見もある。

 

- また、時代背景やストーリー展開に違和感を覚える人もおり、作品の狙いや視聴者へのアプローチに疑問を感じる声もある。

 

- 一方で、LGBTQを自然な形で取り入れる良い例や、異性愛と同様に描かれるべきだとする意見も存在する。

 

- 全体的には、作品の質やストーリー展開に対する批判や期待、メッセージ性への違和感など、多岐にわたる論調や感想が寄せられている。

 

 

(まとめ)

( 205833 )  2024/08/27 16:37:05  
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=+=+=+=+= 

視聴者が望むなら、あるいは作品の核になるなら 

別に出演しても構わないと思う 

ただ最近の作品は特にバックグラウンドや 

その後展開もないのに出演させている状況が多々ある 

そのような状況だと反感を買うこそあれ、 

共感が増えることはないだろう 

素晴らしい作品を作ることが、至上命題であるはずなのに 

ポリコレが最重視される今の流れは 

正直怖いと感じる 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティを扱うことに問題があるのではなく、マイノリティを扱うことを目的としていることが問題になる。 

シナリオの進行上で理由のある登場なら違和感も無い。無理やり扱うために突然話を押し込んだようにされると政治的意図しか感じられず不快感を生じる。 

 

=+=+=+=+= 

LBGTを描くのは構わないが、描き方が余りに現代的に過ぎて、さらに言えば綺麗ごとにすぎて、とても昭和三十年代初頭とは思えないし、その集まりに「小学生の娘を連れてこい。」なんてあり得ない。 

当然当時だっていた訳だができるだけ隠して、息をひそめるように生きていた訳だし、当時の差別されていた状況をリアルに描いた方が、意味がある様に思うのだが。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛を描くことは何も問題はないが、このドラマでの取り上げ方には違和感があった。このドラマはヒロインの寅子が裁判官として世の中の見過ごされがちな問題に向き合う活躍が見たいし、それが大きなテーマだと思う。ならばどうしてもLGBTを盛り込みたいなら、それに関連した訴訟を寅子が担当する展開でもよかったのではないか。旧友が実はそうでしたというエピソードを敢えて作る必要をあまり感じなかったし、性的マイノリティゆえの結婚への障壁と、寅子たちの事実婚選択とのリンクは、壁の種類が違いすぎてやや強引な気がした。 

 

=+=+=+=+= 

昭和のエンタメでも同性愛は描かれてますよね。  

江戸川乱歩「孤島の鬼」、川端康成「少年」では同性愛の告白や描写がハッキリ描かれている。  

江戸川乱歩は「時代遅れかもしれないが男色を描きたかった」と、あとがきで書いています。  

「孤島の鬼」は昭和初期に書かれた小説です。 

そのあとがきで「時代遅れの男色」と書くということは、江戸川乱歩にとって、昭和以前は男色は珍しいことではないという感覚だったのかなぁと思いました。 

 

=+=+=+=+= 

私は中学生の時(70年代)から「風と木の詩」「トーマの心臓」とかジャン・ジュネとか読んでいたので。ただ当時、そこそこ仲の良かったクラスメイトが実は、と打ち明けてくれたのはTV等でニューハーフタレントが結構、活躍していた90年代になってから。20年近い時を経ての勇気なんですよ。それくらい風当たりが強かった時代があるわけで。実際今でも嫌悪感がある人達がいるわけですよね。そのことを思う時、「虎に翼」での描かれ方だと当時でも世間のハードルは皆が思っているほど本当は高くなかった、話せばわかる人達も多いのだと誤解を生まないか。そこが気になるんです。悩んできた隠してきた側の個人の捉え方の問題に収斂される懸念がないか? といえば良いんでしょうか。時代が、世間が、彼らに沈黙を強いてきた、そういうところありませんでしたか? という視点が抜けてないか、と。そこらあたりでモヤモヤしちゃうんですよね…。 

 

=+=+=+=+= 

「虎に翼」に関してはあきらかに失敗だと思う。 

三淵嘉子というモデルがいて、この方の人生を描くのが主流の筈だが、作家は最初からLGBTQ要素を盛り込む設定で物語を進めてきた。 

実際の三淵嘉子氏には何の関係もないのに。 

それでも当時の表に出ることが難しかった人々の苦しみが描かれていたか?と言われれば全然と言っていい。 

皆が集まってそれぞれの体験を打ち明けていたがそれは令和の今とあまり変わらない印象を受けた。 

あの当時の人達は周りに悟られないよう息を潜め普通に暮らすことに懸命だったと思う。 

知られたら最後、理不尽とも言える仕打ちを受けてた人もいたから。 

なのにドラマでは良き理解者ばかりで「皆幸せ」で終わってしまった。 

それが理想だとしても昭和30年代はそうじゃない。 

三淵嘉子氏の人生を借りるなら、寅子の抱える事件に絡めるとかすればもっとリアリティもあったろうに。 

 

=+=+=+=+= 

表現の仕方で当事者達に思わぬ影響がでてしまう非常にデリケートな問題 

オネエばかりがテレビに出だした頃は、性的マイノリティーの人達はみんなこういった話し方をすると思われてしまったりね 

朝ドラは親御世代が観ているということもあって、あまり誇張した表現になってしまうと嫌悪感を持たれてしまったり、身内に良からぬ疑いの目や問いただしが起きてしまう 

日々を穏やかに暮らしている人達にとっては大迷惑な話になりかねない 

本当に難しい問題です 

 

=+=+=+=+= 

大好きなドラマで、本当に質の高い脚本に敬意を持っていました。しかし突然LGBTQがらみの話になり、一気に醒めました。 

戦後の物語なのに、登場人物全員が現代の価値観で動いているからリアリティが無いし、ドラマに不要なエピソードを取って付けたようで、新潟から帰ってきてから一気に作品の質が落ちたと感じています。残念ですが前半の素晴らしさまでが損なわれるものではないので、今はここまで楽しませてもらったことに感謝しつつ惰性で観てます。 

 

=+=+=+=+= 

轟が花岡さんを好きなのだとは最初からそんな感じはしていて嫌な気はしなかったが、先日のおにぎりの会?の描き方はちょっと唐突だと思った。話の流れに沿っていないというか、LGBTQ要素はあっても構わないが無理やり入れた感が拭えなかった。そして次は働く女性の妊娠。家庭も問題山積みだし、うまく着地してと切に願う。途中まですごく面白かっただけに。 

 

 

=+=+=+=+= 

曲解しないでいただきたいのですが、多様性が嫌なのでも、否定しているのでもありません。 

ありのままを受け入れることこそが多様性を肯定することだと思うのです。 

であれば、ディズニーのやっていることは、多様性 の「演出」であり「押しつけ」ではないかと。 

もう既に出来上がっている物を無理やり捻じ曲げるのではなく、これから多様性に沿った創作物を作っていけばいいと、個人的にはそう考えています。 

 

そして、『虎に翼』における多様性の扱いについては、今後の展開を見守りたいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティの人を扱うと、配慮するような空気の世界が描かれる。今の世の中でも他人だからいいじゃないと言っているが、自分の子供や身内にいたら、いいじゃないと言えない人も少なくない。 

社会を反映しているならまだわかるが、令和の時代でも日本はまだ遅れているのに昭和もまだ戦後数十年で描くのは違和感しかないだろう。上流社会こそそういった偏見は強い傾向にあり、今の時代でも変わらない。マイノリティの人で芸能界で活躍している人は、学歴が高い人も多い。それは絶対条件と感じるような世の中だったんじゃないかしら。 

世の中、本音と建前があるので、ドラマの世界になればいいな。ぐらいな感じで見ないとね。 

 

=+=+=+=+= 

批判されるかもしれませんが…。 

率直に申し上げて、寅子と航一さんの再婚は事実婚でなく婚姻届を提出する形の結婚にして欲しかった…と今も感じているのが本音です。今作のモデルとなっている三淵嘉子さんも、婚姻届を提出して結婚された筈なので。 

 

届を出してから、寅子が「実は…」と葛藤する展開の方がまだ良かったような気がしています。(あくまでも私見ですが) 

 

=+=+=+=+= 

記事の内容には概ね同意です。 

別に扱うなと思ってるわけじゃない。朝から重い話やセンシティブな話をしたっていい。 

要所要所であれば。何より面白ければ。 

9週目の終戦あたりまでが面白過ぎた。 

家族と戦争、寅子の成長を描く前半から、後半は独り立ちして判事や所長になって仕事のエピソードがメインになっていく展開を期待していました。だって公式が「リーガルエンターテインメント」って謳ってるんだからそう期待するのはおかしくないですよね。 

実際は残り30話程度になった今になっても身の回りのドロドロした人間関係のような昼ドラレベルの話ばかりであれだけ毎日がワクワクした朝ドラだったのにどんどん温度が下がっています。 

寅子が史実と異なる事実婚をしたことにもかなり違和感を感じたし冷めましたね。 

男がー、女はー、みたいな直接的な表現ばかりじゃなく、あの時代から強く生きた寅子の背中で語るような物語を期待していました。 

 

=+=+=+=+= 

別に現代ドラマでLGBTQの問題を扱うのはいっこうにかまわない。 

しかし、このドラマは初の女性裁判官の人生を描いているわけで 

あって、視聴者もそこを見たいわけだろう。例えば戦前戦後の食べる 

のも大変な時代とか、その後の高度経済成長期とか。 

その当時にLGBTQなんてほとんど実際的も裁判的にも問題になってなかった 

のに、そこにスポットをあてるのは見てる側は違和感を感じる。 

 

=+=+=+=+= 

LGBTQについては確かに世界的ムーブメントとなっていますが潮流という表現には違和感を感じます。 

まず、1つはこの性的多様性という問題が政治的道具になっており、その利権に群がる人達によって過度に取り上げられている事です。 

その為、露出的には世界で諸手を挙げて賛同しているように見えますがそれらLGBTQを使った過度な商業主義と政治的アピールの場となっている事で反発も多くなっています。 

もう1つ、欧米には理解はするが容認はしないという事がある通り、LGBTQや人種差別に対して表面的な体裁と内心的な心情の自由は別です。 

その為、欧州などではそういった人々に対しては無関心を装うのです。 

ですから欧州においては寛容性のとプライド、体裁の観点から反対の声は起きません。 

もし、非寛容と判断されれば極右のレッテルを貼られこれまた自国の体裁の為に世論から叩かれます。 

しかし、これからの欧米はどうでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

現在80代くらいの男性が、子供の頃から恋愛対象は同性だったけれど自分だけがおかしいと思い、誰にも相談することなく男として結婚して父親になった 

みたいな記事を読んだことがあります 

 

虎に翼の時代も内に秘めていただけで、今と同じ割合くらいいたんだと思います 

寅子の場合は人権を深堀りする法曹業界にいるため、カミングアウトする人が身近にいるだけで、LGBTQをねじ込んだとは思わないけど 

最近の寅ちゃんはちょっと苦手かも 

でもこんな朝ドラヒロインは伊藤沙莉さんじゃなきゃできなかったと思います 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラ、今回のに関してはしつこさを感じる。自然な表現じゃないからかも。マイノリティの自分達を認めろと強要されている気分になり、逆効果に思える。 

朝のドラマなので、もう少し爽やかな雰囲気でもいい。マイノリティに否定的な人こそ、少数派になってきているのでは? いつまでも声高に訴える必要はないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

こうしてドラマなどに頻繁に登場させることで、視聴者が自分の身の回りにもいるのだと理解するようになれば、それだけでも意味はあると思う。ただ双方に対するリスペクトは絶対に必要。安易に流行に乗るのではなく誠意と覚悟を持って制作してほしいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティーに焦点を当てるのは良いんです。ただ朝ドラに関してはやり方が啓蒙的だからつまらない。わざわざ台詞として言わせてしまう。 

ドラマとしても楽しめるように、人とのやりとりで見せてほしい。 

あと、同性愛の特に男性同士の話はゲイと言うより男同士の少女漫画感がある。同性愛は割と漫画や文学では日本はポピュラーなテーマだと思うけど、耽美だったりハイソでキレイかほんわかなテイストが多い気がする。 

同じNHK番組なら「弟の夫」は良かったな。BLではなくゲイとしての作品だった。 

 

 

=+=+=+=+= 

現実では性的マイノリティの方がどれほどいらっしゃるのかは知りませんが、創作の中ではもはやマイノリティでは無くなってる感じがしますね。 

とりあえず出しておけばいいだろ、みたいな作品のせいで余計にマイノリティの方への風当たりが強くならないか心配です。 

 

=+=+=+=+= 

性的“マイノリティ”、 

本当の所どれ程マイナーなのだろうか、 

をドラマでどう表現するのが適切なのか、今は過渡期、試行錯誤の時期なのだろう。 

この朝ドラで性別適合手術が告白された場面では映画「リリー(実在で1930年代に世界初の男性→女性の手術を受けた)のすべて」を思い出した。このリリー役を演じた俳優がストレート男性だった為、当事者の俳優が演じるべきではと議論を呼んだ。 

朝ドラでの表現が説明的過ぎた面はあったが、脚本/制作側としては外せないテーマだった事は伝わった。 

自分はブリティッシュベイクオフ(料理コンテスト番組)をよく観るのだが、参加者紹介のおり、ゲイやレズのパートナーをごく普通に紹介しているし、人種/宗教なども多様だ。あの“普通な感じ”が好ましい。ドラマの中で普通になるにはまだ時間がかかるのだろうな。 

 

=+=+=+=+= 

それはそれで構わないが、わたしは寅子のキャラ変がつまらなくなった。明朗活発、少し理屈っぽい寅子ではなく、なんにでも反省しばか丁寧に謝罪しいつも自らの「正しいこと」に縛られている痛いオバハンになってしまった。 

台詞が多様性の尊重という教条主義に囚われていてまるで生きた人間のリアリティが感じられないのも不満。 

てわけで今週から録画をやめてみないことにしました。 

 

=+=+=+=+= 

時代とはいえ、「虎に翼」は戦後の時代背景のドラマには、男女同権と法はともかく、まだまだそれすら確立されていない時代。 

余り必要はない気がします。 

 

だが、昔から歴史や小説を読むと、男娼も娼婦も同じように存在したし、ジェンダーはいつの時代にもいたということに、タブー視する時代は終わったのかなとも思う。 

 

=+=+=+=+= 

映画でもドラマでもそういった性的マイノリティが演出、ストーリー上必要なら全く問題は無い。それを性的マイノリティに配慮したと言わんばかりに無理矢理入れ込むから反感や批判になる。 

それが多くの人達が目にするドラマなら尚更だろう。こういった事をするから逆に性的マイノリティに対するネガティブキャンペーンになっていると思う。 

特にディズニーの映画でむりくりこういった人達を唐突に登場させるのは映画製作をナメているだろう。 

 

=+=+=+=+= 

性的マイノリティの当事者や障害者の中でも社会的保証を認めてほしい反面メディアで扱われることを嫌う人は多いと聞きます。パレードを大々的に行う人たちの報道を見るたびに偽物や変態も居るのではないかと、この先の社会に一抹の不安を拭えません。本当に難しい時代になったものです。 

 

=+=+=+=+= 

優しく少数者を排除し続けることで、最後はいつのまにか人は二人になるという話を聞いたことがある。 

どこまで自分と違う人たちの存在を認めることができるかなんだけど、多数者は横暴になりやすく、そして少数者を否定しやすい。でも少数者も意外と他の少数者を否定していたりする。 

あと少数者の存在を否定することは自分を否定することになる。 

ナチスが台頭したドイツは、初めに障碍者や同性愛者、共産主義者が否定された。そのときはユダヤ人の多くはあるような悲惨な道に進むとは思っていなかっただろう。 

 

=+=+=+=+= 

今の地上波系のドラマは、ジェンダー問題を描くことが不文律になってるんでしょうかね。『どうする家康』や今の大河でもできてきましたしね。 

無理からこじつけで、白々しく熱が冷めます。 

少なくとも描くなら現代ドラマで描いて下さい。 

歴史や時代モノのドラマで、今の価値観に当てはめて描くのはやめて。 

私は1970年代生まれで、今の朝ドラの時代にはまだ生まれてませんが、 

子供の頃は、ほとんどの母親は専業主婦でしたよ。 

今日のラストで、高校生が言ったことも、当時なら全然おかしな考えじゃないと思うけどね。 

最終回も迫ってきて、作者が自身の主張をもりこみたくて、我慢できないんでしょうね。最後っ屁が、でるわでるわ。 

『恋せぬふたり』はよかったのになぁ。脚本も時代考証を間違える 

駄作に変わってしまうお手本ですね。 

 

=+=+=+=+= 

この件ものすごく敏感に反応されてる印象です。 

嫌悪かなとも思ってしまいます。 

当時にもそういう人達がいた、でもその声は声なき声で。 

現代でも同じ状況な気が。 

でも、ドラマならその声をピックアップできる。 

そもそものこのドラマの趣旨とも合っていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

歴史的な話をすると「ヒトラーLGBTQ説」というのがあります。私は信じてて、たぶん画家を目指していたヒトラーの本質は繊細で優しい人間でした。でも父親のアロイスは残酷な性格で、厳しい体罰を与え家父長制の精神を叩き込みます。そこでヒトラーは、自分では無い自分になることを父から動機づけられるのです。だからヒトラーは、自身のLGBTQ的な性質を、強烈な意思の力で封印し、家父長制的な人格を強めたのです。その為、ヒトラーは自身を偽って生きる事になり、喜びを感じられなくなりました。代わりに選民意識や人種差別思想や怒りがヒトラーを支配するようになりました。家父長制は人の心を潰し、義務に奉仕するロボットに作り変えるカルトです。サルバドール・ダリは夢の中で女装したヒトラーを見たと言っていますが、鋭い洞察かもしれません。もしヒトラーが好きな絵を描き、同性パートナーと親しく暮らせていれば世界は平和だったでしょう。 

 

 

=+=+=+=+= 

映画のように「興味のある人が金を払って観る」という形態であれば、そこにどんな思想が盛り込まれようがかまわんとは思う。 

だが、国民から広く受信料を徴収しているNHKがこういった特定の思想や表現に偏るような番組作りを行うというのは、「世界の潮流だから」などというような理由で安易にやらせていいものではないのではないかな。 

 

=+=+=+=+= 

実はそうだったのカミングアウトが唐突すぎる。 

こうなるとどうしても時代に合わせて無理やり詰め込んだように見えちゃうんだよね。 

作品の根幹にLGBTQがある作品を作ることはいいと思うけど、無理やり虎に翼に要素として入れる必要はなかったと思う。 

 

=+=+=+=+= 

そんな小難しい事よりも、面白いかそうでないかなんてどんな作品でも見る人それぞれ違うの当たり前。 

虎に翼は最近、史実を曲げてるとか、あの時代に則さないとか、果ては事実婚の件はモデルになった方に失礼とか冒涜とか言い出す人も出て来るのが厄介ではありますがね。 

しかしそれもまた見る人の感じ方のひとつでしかない。 

作家さんはそんな事に臆さず書きたい事をどんどん書いてほしいですね。 

最終的な感想がどうだろうと。 

何十年と続く朝ドラだからこそバラエティに富んだものを期待してます。 

 

=+=+=+=+= 

寅子は民事の裁判官だから、いろんなケースが出てくる。そのうちの一つ。ゲイや性転換など今はもう珍しくなく違和感はない。それより籍を入れないで同居して、先妻の子供達に時として注意をする親みたいなもの、どうなっていくのかと思います。籍をいれた方が家族関係はすっかりすると思うと、別姓を名乗るために婚姻をあきらめる意味がわからない。 

 

=+=+=+=+= 

虎に翼は前半までは面白かったのだけど、後半に入ってから何をやりたのか分からないドラマになってしまった。 

あれもこれもとブチ込み過ぎて、焦点が絞れていない。視聴者の視線が分散されてしまっているように思う。 

 

=+=+=+=+= 

LGBTQへの理解を推進している時期だとどうしても意図的な感じがしてしまうケースが多いよね。 

当事者や理解を示し賛同する人は心がキレイで純粋、自由で柔軟な思想、 

否定的な人は古い慣習や世間体にとらわれている頭の固い人という感じで 

賛同する人のほうが正しいという設定しなってしまう。 

民主主義的に考えれば人の思想や生き方は自由、生物学的に考えれば男女の違いには理由がありそれぞれの役割がありそれを受けいれるのが理にかなっている。 

もちろんどのようなことにも例外はあるのは確かだが全ての人が賛同しなければならないものではない。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛だけを「理由がないなら描くべきでない」というのは賛同しかねる。それなら全ての恋愛要素を理由がないなら描くべきでない。 

「男女だからくっつけとけ」と言わんばかりの雑な異性愛描写がある作品なんてたくさんある。私はそれがとても嫌だった。 

意味のない異性愛が描かれない虎に翼は私にとって安心して見られる数少ない作品だ。 

 

=+=+=+=+= 

脚本家の方が轟の時に出したコメントを見ましたが、「元々存在していたのだから出てきて当たり前だ。いないことにしているのがおかしい」というような内容でした。 

ドラマでも「自分達だけが理由を求められる」というような台詞がありました。 

 

たしかに、マイノリティは左利きですらほぼ登場せず、出せば「なぜその設定か」を問われがちです。 

それを踏まえると「新鮮さ」がなくなるくらいがちょうどいいと思います。 

 

LGBTQを出すのに理由なんてなくていい。 

ただの気まぐれとバリエーションとして出てくるくらいがちょうどいいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

今回の朝ドラに関しては、裁判官の寅子さんの話をメインに、モデルの三淵さんの人生に沿ってストーリーが展開してほしかったな、と思います。 

女性初の判事、原爆裁判に一貫して次席裁判官として関わり続けたこと、家庭裁判所長になったこと。 

2度の結婚。 

これだけでも、放送期間に収まるかなというところ。 

ストーリーの中の日常として、扱うのは大切なこととも思うけど、LGTB、夫婦別姓、家庭内の女性の扱われ問題、それぞれに1週間、2週間と使うと、三淵嘉子さんをモデルにしたドラマの主点は何だったのかと。 

原爆裁判、もう丁寧には描かれるような期間がないな、と、とても残念に思っています。 

 

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朝ドラ「虎に翼」における性的マイノリティの告白や言動はそれが彼等、彼女等の『翼』である事を示し、また娘の優未に興味津々にさせることは彼女の未来の視点としても語られる事となるのでは?と考えています。 

そして秋から朝ドラ「おむすび」に出演するピーターこと池畑慎之介さんの生まれた時期のドラマ構成として、 

他にも民放bs再放送で連動している「花子とアン」の『腹心の友』連動や語りとしての美輪明宏さんの芸能人生と、少なからず性的マイノリティはこの時代から存在したとして視聴者への刷り込み×は置いといて、アピールなのでしょう。 

さよならとは違う、『ごきげんよう、さようなら』も主題歌連動と云えますね。 

 

 

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だがしかし、今回の朝ドラは詰め込みすぎ。しかもそれらはその時代、社会問題にはなっていない事案だし。確かに今の時代には法の元での自由、平等という観点で扱う事が急務ではあるけれど、戦後すぐの時代が背景のドラマに全てブチ込んで来る必然性は無く、むしろ違和感を感じてしまう。 

 

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子供の頃にみてたクレヨンしんちゃんはLGBTも出てきたけど面白かった。 

今はLGBTを出すことが目的になってて内容自体が面白くない。ゴリ押し感も強まっていて、当時は何も気にしなかったのに、今は少し嫌悪感さえ抱くようになった。世の中に対して逆効果だと思う。 

 

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脚本家の主張もわかるけどさ 

 

色んなことを詰め込み過ぎて、バランスが崩壊してドラマ自体がつまらなくなってるんだよ 

そして、詰め込み過ぎた結果、扱う問題が薄っぺらいものに成り下がってるんだよ 

朝ドラなんだから、もうちょっとシンプルに全体のバランスをとって、深く掘り下げるぐらいでいいんだけど 

 

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日本の映画が長らくつまらなかったのは、変なメッセージだらけでストーリーが不自然になり面白くないから。 

 

ディズニーも毒されたみたいだが、早いうちに気がついたようで良かったと思います。 

 

聴衆が楽しめるかどうかかまエンタメのコアな目的であり、メッセージなんか求めてないのに、何でもかんでもメッセージ込められると、お腹いっぱいなんですよね。 

 

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通常8:30過ぎに出社する私は7:55からの天気予報を見て8:00〜15は朝ドラを付けてる(朝食や着替えをしながら出る準備をする)のがルーティンですが「虎に翼」は途中から見るのをやめました 

 

理由の一つは今回のLGBTなど堅苦しい(というか私にとって興味の無い)話題を頻繁に放り込んでくるから。その後間はBSのワールドニュースに変え、15分から「あさイチ」に戻します。 

 

ちなみに見るのをやめたのは「ちむどんどん」以来ですかね。10月からは橋本環奈さん主演の「おむすび」を見る予定です。 

 

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虎に翼は語り口が下手。 

LGBTに限らず、種々の法的論点や社会問題を取り上げようとする気概はあるのだろうが、いかんせん物語に反映されていない。 

主人公が法学部時、戦前の弁護士時、戦後の裁判官時には法的にはこうなっているが実際はこうだったとかの説明が少なすぎる上、それが積み重ねられないので、物語や登場人物のキャリアが全く積み上がった感じがしない。 

また、脚本家が放送後にSNSで脚本にはこう書いていたという説明とも言い訳とも言えないテキストをアップしているが、ドラマは放送された物が全て。言い訳しようが、脚本集が公開されようが、それは全く別物。 

また、放送時の社会問題を取り上げるのは良いとしても、虎に翼の時代に反民主主義的な最高裁長官や最高裁判事が多数存在した結果、裁判所が反市民、反民主主義になった事は取り上げていないのは不誠実。LGBTはじめ家族法関連の判決に影響していることも無視している。 

 

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最初は楽しく見てた人が 

自分の嫌いな同性愛要素入れられて 

ドラマに裏切られた気持ちになってるんだと思います。 

序盤で女性に対する差別偏見問題を見せて 

それをどう受け止めていたか分かりませんが 

同性愛に対して同じように差別偏見意識を 

視聴者が持っていたなら 

このドラマが楽しいわけがありません。 

 

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小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画、音楽・・・ 

昔から同性愛、非異性愛を描いた作品は多くあるし 

社会的認知も広がっているけど 

いままでも、これからも 

マイノリティからマジョリティになる事はないだろうし 

また、ドラマのような綺麗事ばかりでもない。 

 

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海外ドラマを見ていると、男女、男男、女女の性的シーンが決まり事のように執拗にある。まるで眼に普通のことだ、慣れろ慣れろと強要されているように感じ、制作意図なんだろうと感じる。そういうことだから我がNHKもそういう啓蒙的な意図があるのだろう。 

 

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この作品の骨格は、憲法14条だったはず。14条の「法の下の平等」は、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により差別されないことだ。 

封建社会からわずか80年〜90年のこの朝ドラの時代では、いかに14条の精神と向き合い、広めていくか・・基礎課題だろう。 

草創期の女性裁判官の視点での、課題への迫り方を期待して見ていたが、いきなり現代の人権視点に跳んでしまった。このまま作者の自己満足に付き合っていくか否か思案中だ。おそらく、私はこの朝ドラから離脱する。 

 

 

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よくぞ取り上げてくれたって感じの記事。 

性的なマイノリティそのものに異議は唱えませんが、それにしても「ごちそうさん」あたりから、物語に関係の無い、腐女子ネタが登場していました。大河のおんな城主直虎でもありましたね。 

「作りたい女と食べたい女」みたいに、初めから性的マイノリティが主テーマのドラマなら、視る方もある程度、理解した上だから良いが、それを期待していないドラマで無理矢理マイノリティを見せられる、ステルスマーケティング的な手法は視聴者を欺く馬鹿にしたやり方だと思う。 

 

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苦しい立場の人と、苦しい立場でもモラルがあるというのは別問題なので、助けたい人はいるけど、一緒にこんなモラルない人の助けにまでなってしまうので人の迷惑ならないか心配になるともやもやした気持ちになったりします。 

 

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あのお堅いNHKも一度舵を切ると止まらないのか,まずは「生理」を取り上げ「性的マイノリティー」に言及し,さらには「婚姻問題(夫婦別姓の是非)」に及ぶ。それを昭和30年前後の舞台設定で現代の視聴者に投げかけている。 

その違和感は何となく「昭和時代の設定なのに,灰皿や喫煙者が一人もいない」のと相通じる。 

 

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多様性云々言い出してからのLGBTQの扱いってなんか、無理やりぶっ込んでる風に思えるのは私だけなんやろか…特にNHKはねじ込んでる感が強いなぁと何年か前から思ったりしてた。 

時代の流れと言えばそうなんだけど、最近は慣れたからどうとも思わないし、元々それを異形だとも思ってなかったから余計に違和感覚えたよね。 

虎に翼は、80年ほど前にできた憲法の矛盾とかそう言うのにもスポット当ててくれていて 

日本は特にジェンダー平等を認めてもらえない風潮にあるのが大日本国憲法とか、戦前の天皇の神格化の流れから来てる?とか言うのがすごくよくわかって、毎回そういうくだりが出てくると知らなかったことが多くてびっくりする。 

 

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そんなに物わかりが良かったですか?って首を傾げてしまう。女性の格差問題については視点が良くて感心しましたが、戦争孤児・障がいや同性愛については本当に雑。 

 

轟さんのストーリーはよねさんとの話だけで良かったと思う。虎子や周囲の理解が良すぎて、課題から気持ちが離れてしまう感じ。ハンセン病や公害訴訟のように訴える権利すら与えられない時間が長かったわけで、偏見と利権に振り回された歴史を雑に扱うと、抵抗感を覚える 

 

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素人が失礼な物言いかもしれませんが、なかなか冷静な論評だと思いました。特に、 

 

>だが、103回で、当事者たちが集まり寅子たちと会話するシーンには 

>付け加えの印象があったし、バランスが傾いた感覚があった。 

 

LGBTQ描写に寛容な私でも、このシーンはかなり取って付けた危うさを感じました。番組制作の責任者も当然そのあたりのことは認識した上で踏み込んだのでしょうけれど。 

 

困難な時代を生き抜いたありがちな女性成功物語にしたくないという意気込みは感じます。ドラマの内容と別に、今後どこまでこうした姿勢を貫けるのか、メタな視点でも目が離せない朝ドラです。 

 

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花岡のことで伏線はあったにしろ、ちょっと唐突感がありました。よねさんの「花岡のことが好きなんだろ」とい意味が人間として好きという意味と取っていたのですが、轟はそうだったのかという感じです。 

 

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いや「世界的潮流」って言われてもねえ... 

 

大失敗したディズニーの二の舞を今からやるというのがいかにも親方日の丸のNHKらしい。ディズニーに限らずアメコミ等もポリコレを大上段から押し付けるようになったことでファン離れが起き、入れ替わるように日本の作品が国際的に台頭するようになったのは周知の事実。(ある統計によると、全てのアメコミの売上よりも鬼滅の刃の翻訳版含め全世界の売り上げのほうが大きいのだという。) 

 

日本のクリエイターは今までと同じスタンスを貫けばよいのである。性的マイノリティだかなんだか知らないが遥か昔からストーリーの流れの中で自然に漫画・アニメに出てきていたものだ。視聴者が見たいのは面白い、あるいは感動する作品であり、政治メッセージではない。 

 

ま、全国民から強制的に視聴料をむしり取っているのでどんな駄作を作ろうと財務の安泰なNHKには関係のない話だろうけど。 

 

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最初から言ってくれれば見るのを避けることもできますが、和食にパクチーいれるようなことはやめていただきたい。 

世界的風潮かしらんけど、欧米は今でも人種差別が残り、近年の「子供の発見」まで小さくて劣った大人としてムチ打ってた揺り戻しが一部で起きているだけありましょう。 

別に性的マイノリティをみとめることが進んでいるわけでもなんでもないとおもっておりやす。 

ドラマの舞台にもなった上野駅あたりで怖い思いをした男性の話を度々聞きましたっけ。 

「虎に翼」に関しても物語上の必然性か全く感じられず、教育でもしているつもりか?と感じられ、嫌悪感を強めただけでありました。 

実験はよそでやってくれ!それだけです。 

 

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アメリカのテレビドラマをよく見ていて、日本のテレビドラマは朝ドラ以外は見てないので描き方に疑問は感じません。 

逆に未だにそこを気にしている人が多いのだというのを記事で知り驚きというかギャップを感じる 

 

 

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性的マイノリティを認めようとする世の風潮は勝手にどうぞなんだけど、朝早くからの朝ドラで「見たくはない」と言うのが正直な気持ち。 

時代的には「変態扱い」されていた時代背景なのに今どきの話題を盛り込み過ぎて違和感しかない。 

 

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長々と書いてあるけど、結局、面白いかどうかってところでしょ。人それぞれだから。面白くないって人が圧倒的に多ければ作品に問題あるんだろうけど。全員に受け入れられる作品はない。ただ、違和感感じさせて視聴やめさせるっていうのはテクニック的に下手な脚本演出だと思う。観てもらわなければ考えるきっかけにもならない。結論ありきの押し付け感を感じさせるようじゃダメなんだよな。 

 

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ドラマや映画はポリコレ、マイノリティ、多様化の嵐だが、一体誰が求めてるのか。それ入れないと公開できない仕組みでもあるのか。 

なんか逆に世の中が息苦しくなってる気がする 

 

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昔から日本の文化だったんだけどね。男色の武士なんていくらでも居た。 

いつから日本はこんなに心が狭くなったのか。 

自分自身と違う人の事は受け入れられない人が大半なのかな。 

私自身は、なんの抵抗もない。それどころか、何がそんなに嫌なのか分からない。 

あるがままを受け入れれば済む話。 

抵抗している人達は、他者の気持ちに寄り添えない可哀想そうな人達なんだね。 

 

=+=+=+=+= 

物語は素晴らしいお話です。 

轟さんも真っ直ぐで真面目で、子供にも周りの人にも優しくて大好きです。 

 

マイノリティの方達にも、むしろ当たり前で違和感もありません。 

 

ただしもう少し寅ちゃんの物語に馴染ませないと、せっかく取り上げた意味が無い。 

 

お話自体が違和感の詰め合わせになってしまって、浮いてしまっています。 

 

=+=+=+=+= 

最近のLGBTQの批判って、ここ数年で急にLGBTQという存在が出てきたかのような批判のされ方をされてることが多いから、この時代から昔から公にはしてなかったけど、いたんだよってことを表現する意味では登場させても良かったなかなかとは思う。唐突だったり詰め込み過ぎって意見も全然納得いくんだけどね。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛など性をテーマにしたドラマはメッセージ性があるから認めるとして、 

記事にもあるが、徳川家康の側室が同性愛者を告白し去っていくシーンや、昭和30年代の日本で同性愛や夫婦別氏制度を、声高に主張する人が思えない、要するに取って付けたような現在の人権論を、時代背景を無視して当時の人に言わせてみました、とりあえずLGBTを登場させました的な展開はドラマとして興醒めなのですが 

それもNHKは受信料でドラマを作っているのに、これほど偏った、思想を押し付けは許されないのではないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

このドラマって,当時こんなこと話題になっていたのかな?と思わせるネタが結構見られる。 一部ではあったかもしれない事を取り上げ、現代の目から見て、作品の社会的内容が高度であるかのように見せかけているだけにしか見えない。 どの程度その時期の事実とその広がりを調べた上で創作されている作品なんだろう? フィクションだから言及しても仕方の無いことかもしれないけど、当時を知っている高齢者から見ると違和感を感じる。 もっとも、薔薇族なんかが出ても朝ドラじゃあ、違和感感じるけど。 

 

=+=+=+=+= 

現代の問題(もちろん昔から当人にとっては問題だっただろうが)をドラマに詰め込み過ぎて違和感。 

多様性についてもここまで多様性多様性と言われると、多様性の押し付けや単に多様性という言葉を利用しているだけに思えてしまう。 

 

=+=+=+=+= 

男女カップルだって、漫画の実写ドラマ化で脇役に男女がいるとドラマ版では勝手にサブカップルにされているとかよくあるだろうに。ハピエンぽくするために雑にくっつけられるなんてのも。なんでそれが性的マイノリティカップルだと駄目なんだ?障碍者が「障碍者を描く」作品以外ではいないことにされているのと同じように、「性的マイノリティを描く」作品以外ではいないことにするんなら、それこそ男女カップルへの過剰な優遇だろ。 

 

 

=+=+=+=+= 

籍を入れられる状況にあるのに 

姓にこだわり内縁関係とした寅子と航一。 

通常のケースは、籍に入れたくても 

外部的要因で入れられないケースが 

多いだろうから、そういう人から見たら、 

「寅子と一緒にするな」と言うだろう。 

 

このドラマは、憲法14条が好きなようだが、 

現実のケースは、すべて異なっており、 

何が平等で何が平等でないかは、 

非常に難しい問題。 

例えば、夫婦別姓を法制化すると、 

いわゆる「内縁関係」との格差が 

顕在化する。 

「被害者」と思っていた人が 

簡単に「加害者」になる 

ことを知るべき。 

 

このドラマに関して言えば、 

憲法の「両性」を「双方」と勝手に 

言い換えていたので、 

極力警戒的に見ている。 

 

=+=+=+=+= 

これから日本の方向を決めるのは、国会でなく裁判所だとマスコミの方から聞きました。 

どれだけ議論を尽くそうと、裁判官が違憲判決を出せば、それは無意味。 

ですから、マスコミは裁判官との繋がりにかなり力を入れているようです。 

裁判官ドラマ、ますます増えるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

世界的な潮流って、一時期宣伝文句に多用されたアメリカで大流行と同じ無意味な言葉だと思う。 

まあ、面白けりゃ良いのだけれど、ノルマみたいに多様性要素を入れました感がある作品が増え過ぎだ。 

 

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LGBTや夫婦別姓について、令和の価値観を昭和のドラマに持ち込むな!というネットの批判が少なくないわけですが、それらは昔からあった。しかしそれは社会から時代から見て見ぬふりをされた、つまり透明化されたわけですね。この透明化ということで思い出すのが、アメリカのアフリカ系作家のラルフ・エリソンの自伝的小説『見えない人間』(1952)、見えない人間とは透明人間のことではなく、作家自身が育った1930年代アメリカでアフリカ系の人間は見えない存在だったということです。この小説は1953年に全米図書賞を受賞しますが、公民権運動のきっかけになった有名なローザ・バークスさんバスボイコット事件よりも前、アフリカ系の公民権が認められるのは1964年になってからですね。もうひとつ1920年代に活躍したジョイスと並ぶ20世紀文学のレジェンドでありフェミニズム文学の先駆であるヴァージニア・ウルフ(続く) 

 

=+=+=+=+= 

幕の内弁当みたいに色々詰めすぎて、最終回に向かってどんなドラマを作ろうと思っていたのか意図が見えない。 

女性初の裁判官とドラマと聞いて、どんな人となりでどんな仕事ぶりをしたのだろうかと思って興味を持って見ていたが、新潟の職場でのキスシーンからおかしなことばかりで、全然興味をそそられない女性裁判官というイメージになった。 

 

=+=+=+=+= 

何事も程度ものでしょう。 

問題は当時の時代背景を無視し、事実を捻じ曲げ、さらにはご指摘の様に性転換を奨励するかのような描写は余りに行き過ぎでしょう。また別姓推進も一方的で偏向番組そのものと言われても仕方ないと思います。 

三淵嘉子さんを冒涜するのではと言いたくなりますね。 

 

=+=+=+=+= 

モデルと一応公表されている方がいてその方が自分の苗字を残したいので事実婚を選んだのならそれで良いが・・違うのでしょ? 

「三淵嘉子と佐田寅子は違う」と言うならモデルなどと言わなければいい。 

モデルと言うなら自分の思想を三淵さんに載せるのは卑怯。 

 

=+=+=+=+= 

要はキャラクター自体にLGBTQであることに必然性があるか 

それを見せることによってストーリーに大きく関わる事柄なのか 

記事にもあるけど上戸彩のやつは強烈だが上手く描けてたと思うよ 

取ってつけたようなアピールには違和感しかない 

昔からオカマ芸能人は一定数いて人気もあったりCMに起用されてたり日本ではむしろ受け入れられてる方だと思うのだが、ここでブッ込む必要がないのにやってますよアピール?みたいなのが最近多すぎる 

 

=+=+=+=+= 

寅ちゃんの結婚の話と轟さんの話をリンクさせるだけなら納得いったよ。 

問題は仲間の集まりのシーンを無理くり差し込んだこと。ドラマを作ってる側はそんなつもりはないかもしれないけど、ずっと見続けてる視聴者からしたら違和感だらけ。だから「時代背景考えてる?」「ポリコレだ」的な感想も出てくる。なんなら原爆裁判の話にもっとシフトして欲しいよ。裁判官の話なのに東京に戻ってから裁判の話ほとんど出てこない……。 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラで 

あまり恋愛要素とかチューとか盛り込まなくてよいと思います(異性でも同性でも)。親しいな、いい関係なんだなくらいでいいと思います 

ところで涼子さんと玉ちゃんも恋人?それとも言葉通り親友ということでしょうか。 

 

 

=+=+=+=+= 

この時代にマイノリティをチラチラ持ち出すあざとさに腹が立つ。LGBTを取り上げたいならそれに相応しい別の舞台でやればいい。昭和のそれも30年代に入れ込むテーマではないと思う。 

最近のNHKは、違法滞在の外国人を美化したり本当に押し付けがましい。彼らの犯罪率の高さには目を瞑る?彼らが犯罪を起こしてもことごとく不起訴になる、それは問題提起しないのだろうか?そして治安はますます悪くなる。 

ともかく今回の朝ドラはリタイアした。 

最初は面白かったのに残念。 

 

=+=+=+=+= 

これはLGBTQをテーマにした事よりも、ストーリー展開の問題だと思うけど、 

 

「虎に翼」では、道男や美佐江など、ストーリーに波風を立てる登場人物が突然登場して、今後のストーリーや寅子の人生に大きく関わる存在になると思っていたら、 

道男は笹寿司で働くようになって、猪爪家とはあまり関わらなくなったし、 

美佐江はミサンガの件が特に解決するわけではなく、そのまま退場?してしまうし、 

もしかしたら、今後の展開で寅子に大きく関わるのかもしれないけど、現時点ではメインのストーリーには関わっていない。 

 

轟が同性の恋人の遠藤を紹介した後に、他にもトランスジェンダーの登場人物が登場したので、今後もLGBTQがドラマのストーリーに関わると思っていたら、今週のストーリーでは現時点ではLGBTQについては触れられていない。 

 

「虎に翼」では、メインストーリーかサイドストーリーか、展開がわかりにくい面があると思う。 

 

=+=+=+=+= 

史実になかったことを思想信条で強引に入れ込み、作品の流れをぶち壊して意図的にLGBT優先の主張を押し込むから可笑しなことになる。最近のディズニー作品は登場人物にLGBT比率を決めているようだ。それもこれも民主党政権下で勢力を増した民主党支持派のポリコレLGBT連中のせい。日本も影響を受けつつある。ハリスなんかが大統領になったら日本にも圧力がかかってそのうち子供番組のアニメなんかにもLGBT比率が適用されるぞ。 

 

=+=+=+=+= 

LGBTQが大事な問題であることは分かるがその問題範囲が広すぎて物語として浅くて荒っぽい。 

あの時代にそれぞれの話が主人公に都合よく進んでいったとは思えない。 

むしろ一つのテーマで主人公が葛藤してゆく話のほうが腑に落ちるのだが。 

第一航一さん、台詞が無く無表情でよく役者できるなあ、彼が出てきだして面白くなくなったなあ。かれに役者は無理。モデルがお似合いだ。。 

 

=+=+=+=+= 

ドラマ制作会議で「今はLGBTQ要素も入れないと」「そうですね」で、もっともらしく描いてるけど、いかにも上っ面……みたいな印象をもってしまうときがあります。 

それだと、違うんじゃないかな、と感じてしまうのですが、そういう強引さがなければならない時代でもあるのかな、と、迷うところです。 

 

=+=+=+=+= 

ディズニー映画は、ポリコレに突き進んだおかげで、テンタメとしての価値を失った。ここ数年、これといった洋画が無くなった。 

朝ドラも声の大きな一部の界隈には喜ばれるだろうが、それが正しい道だと錯覚したらディズニー映画と同じ道を辿るだろうな。 

 

=+=+=+=+= 

LGBTQはわかるが、このドラマは昭和30年代。70年ほど前の時代にその概念はあっても公言できただろうか。さらに夫婦別姓まで盛り込んで。 

時代背景を考慮すれば不要だと思う。無理に朝ドラに取り入れるから不自然になるのだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

時代的にこういった話って公にされないぐらいのもんでしょ。流石にねじ込み過ぎじゃないの。スーパーマンが同性愛者とか時代背景とか登場人物を捻じ曲げてまでやるもんじゃないでしょ。 

 

=+=+=+=+= 

取り扱うのは構わないが、虎に翼では時代背景から少し早いのでは?と感じた。 

 

色々な人がいるのはわかるが、“認めろ“とか、 

押し付けは困る。 

他人がどのように思うかも自由だ。 

ただ物理的に男と女なのだから、見えない中身は他人からはわからない。 

 

=+=+=+=+= 

ただ単純に、作品として寅子に共感できなくなったという人が多いのでは? 

それとこの作品で見たかったのはマイノリティ云々の人の話ではなくて、法廷の話だったという人の方が多かったんだろうね。 

 

 

 
 

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