( 205849 )  2024/08/27 17:02:25  
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フワちゃんを社会的に抹殺した我々の逆鱗の正体 信用経済ならぬ「不信経済」はいかに形成されたか

東洋経済オンライン 8/27(火) 10:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/951577e6e31451695723894970fd10cd00f714cb

 

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真鍋厚氏は、信用経済の対極として「不信経済」が現れており、最近の炎上事案によってその状況が浮き彫りになっていると指摘しています。

人々は無意識に他者や行動を“格付け”しており、「世間」という基準が信用や不信に大きな影響を与えていると述べています。

特に「世間」の暗黙の了解に挑戦すると、社会的な制裁を受け、時には炎上事案に発展する可能性があると警告しています。

また、自身の言動が世間にどのように影響を及ぼすかを考える必要があると主張しています。

(要約)

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(画像左:本人の公式Xより・画像右:Michael Reaves/Getty Images Sport) 

 

信用が経済活動の中で、大きな役割を果たしている状態を「信用経済」と呼ぶ。だが、昨今の炎上事案を見ていると、「信用経済の対極にある、“不信”経済とも言うべき状況が生まれている」と、評論家の真鍋厚氏は指摘する。なにが、我々をここまで突き動かすのだろうか?  

 フワちゃんのSNSへの不適切投稿が波紋を呼んだが、ここには信用経済の対極にある “不信”経済とも呼べるような作用が働いている。 

 

フワちゃん「やす子へ公開暴言」が示す根深い問題 単なる誤爆では済まず、イメージに甚大な影響か 

 

 感情的な負債が蓄積して爆発したようなものであり、いわゆる世間とのずれを売りにするキャラクターがかえって裏目に出た面がある。人々は関心や興味のある事物をただ漫然と消費しているのではなく、無意識に“格付け”しているようなところがあるのだ。 

 

 その“格付け”の判断基準になるのが「世間」というモノサシなのである。これが信用と不信のポテンシャルに多大な影響を与えている。 

 

■「世間」の逆鱗に触れると“抹殺”されかねない 

 

 「世間」が共有する暗黙の了解への挑戦が「笑い」の要素になっていると、なおさら炎上した際に激しい怒りを呼び起こしやすい。 

 

 ここで重要なのは、歴史学者の阿部謹也が世間とは、「『非言語系の知』の集積」であるとして、対象化することが急務だと述べていたことだ(『「世間」とは何か』講談社現代新書)。つまり、「世間」の逆鱗に触れると、法的な制裁どころではない社会的な制裁が発動して、“抹殺”されかねないからである。 

 

 このような事態が発生する社会的な背景は、パリ五輪で問題化した選手に対するバッシングにも関わってくる非常に厄介な性質を持っている。 

 

 そもそも「世間」はあまり対象として認識されていない。空気のように存在しているからだ。けれどもその影響力は甚大だ。心理学者の井上忠司は、『「世間体」の構造 社会心理史への試み』(講談社学術文庫)で、 「世間体」は単に道徳規範的なものだけでなく一切の生活態度を規定するものと指摘した。井上が例に挙げたのは、農村評論家の大牟羅良(おおむらりょう)による「農村の世間体」(1953)という論文である。 

 

 

大牟羅氏によれば、農村で「世間体がいい」ということは、つまるところ、ムラの習俗から逸脱しない行為を意味していた。逆に、「世間体が悪い」といえば、それは、ムラの習俗から逸脱した行為を意味しているのである。そんな「世間体」の内容は、たんに道徳規範的なものだけにとどまらない。物事にたいする好き嫌い、美醜の判定などにいたるまでをも、ふくむのである。極端にいうなら、個人のいっさいの生活態度を規定しているかにさえ、見えるほどであったという(同上)。 

 

 これは「世間」の内面化の表れである「世間体」を最も適切に言語化している。 

 

 井上は、さらに「これはなにも、農村にかぎったことではあるまい。程度において多少の差異はあるとしても、『世間体』は、都市にもごくふつうにみられる現象であることに、変わりはない」と述べている。 

 

 このような行動原理を模範的に実践する人物、仮想された標準的人間という規格から外れると、たちまち社会的な制裁を受けることになる。芸人のような人々も例外ではない。「習俗から逸脱」したキャラクターを面白がるところにすでに実は心理として「恥を笑う」のに似た社会的な制裁の萌芽がある。感情的な負債を糧にしているため、燃える場合は必然的に燃焼性は高くなる。 

 

■阿部詩選手の号泣は「醜態」なのか 

 

 ここで興味深いのは、キャラクターだけでなく、一時的な言動にもこのメカニズムが見い出せる点だ。パリ五輪で話題になった選手に対するバッシングが典型といえる。柔道女子52キロ級の2回戦で敗退し、号泣した阿部詩選手が好個の例だろう。 

 

 ここでは、負けた後に「人前もはばからずに号泣する」行為が社会的な制裁を正当化する根拠になっている。その深層にあるのは、仮想された標準的人間、つまり「あるべき日本人のモデル」から逸脱する「醜態をさらした」という論理である。日本人の名誉を傷つける「恥辱」に映ったのである。それは、感覚的にはまるで「アカの他人」の前でそそうをした「身内」を叱り飛ばすかのような仕草にも見えた。 

 

 

 だが、例えば、フランスの日刊紙「フィガロ」は、ドラマティックな一場面として報道しており、不名誉な態度という見方はしていない。 

 

 小見出しには、「フランス国民が共感と優しさで寄り添った力強い瞬間」とあり、続く記事には「阿部詩は必死に立ち上がり、伝統的な作法で相手に頭を下げ、畳を離れ、そして……泣き崩れた。トレーナーの腕の中で、この日本女性は長い間その状態を保ち、突っ伏し、体を丸め、痙攣し、悲しみを叫び、涙の奔流を止めることができなかった。それは力強い瞬間であり、フランス国民は共感と優しさをもって彼女に拍手を送った」とある。 

 

 それから「大会は一息をつく機会を得た。偉大なチャンピオンが、まさに野心的な名誉の舞台に倒れたのだ。 24歳の彼女がさらに強くなって戻ってくることに疑いの余地はない。成長するためには時には転ぶことも必要だからだ」としめくくっている(“JO - Judo : entre cris et pleurs, la détresse totale de la championne olympique Uta Abe”2024年7月28日/Le Figaro)。 

 

 「世間」のもともとの意味を考えると、「世間」は「身内」と「アカの他人」の中間に位置づけられ、その狭い範囲内における日常規範でしかなかった。だが、前出の井上は、それが情報化によって著しく拡大したことに言及している。「『セケン』が『アカのタニン』ないし『ヨソのヒト』の領域へと浸透し、両者の境界がすこぶるあいまいになってきている」というのだ(前掲書)。 

 

 これは個人の言動が世界中に可視化され、「アカの他人」との距離を縮めてしまうインターネット、SNSの普及によってさらに加速した。「個人のいっさいの生活態度を規定しているかにさえ、見える」と評した「世間体」の意識が、時間・空間的な制約を超えて暴走するような側面が、テレビしかなかった時代よりも増しているといえる。人々は、おそらくほとんど無自覚なまま、スマホの画面からしきりと神経を逆なでされるようになったのである。 

 

 

 加えて、ここに絡んで来るのが、先の「あるべき日本人のモデル」からの逸脱という“事件”に限らない、自己の感情と時間というコストを費やした分のリターンを得られなかった負債感だ。 

 

 パリ五輪は、国家的なものである以上に国民的な祝祭行事であり、この期間だけ異様に盛り上がる「瞬間的で気まぐれなファンダム」が形成されたといえる。そのため、期待にそぐわない結果や期待を裏切られる場面が、あたかも投資を裏切る損失として計上されるのだ。 

 

 そこには、「コンテンツ」の消費者としての冷酷ともいえる構えが見え隠れする。五輪の競技は生身の人間が織りなす予測不能なドラマではなく、娯楽性の質が問われる「コンテンツ」として受容されている面があるのだ。 

 

■世間の問題を皆で考えるしかない状況になっている 

 

 ファンやオーディエンスにとって、「コンテンツ」は、安全な場所から観賞し、参加し、評価し、裁定できる暇つぶしなのである。テクノロジー・アントレプレナーのオリバー・ラケットとジャーナリストのマイケル・ケーシーが『ソーシャルメディアの生態系』(森内薫訳、東洋経済新報社)で述べているように、「コンテンツ消費者は劇の中で言えば、こちらに共感的な脇役にもなれば、完全な敵対者にもなる。どちらにしても、私たちと彼らとの相互作用が物語に肉づけをし、その印象を完成させる」からだ。 

 

 冒頭に取り上げた阿部は、「世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできない」とし、「昔も今も世間の問題に気づいた人は自己を世間からできるだけ切り離してすり抜けようとしてきた。(略)しかし現代ではそうはいかない。世間の問題を皆で考えるしかない状況になっている」と警鐘を鳴らした。とりわけ「世間」と「コンテンツ消費者」の組み合わせは、感情的な負債感を理由にして、恐るべき人権侵害を引き起こしかねない。 

 

 わたしたちは、「世間」が野放図に広がる中で、対象化されない無数の規範、五輪だけではない「瞬間的で気まぐれなファンダム」といったものにもっと注意を払う必要があるだろう。 

 

真鍋 厚 :評論家、著述家 

 

 

( 205851 )  2024/08/27 17:02:25  
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情報伝達速度の向上とインタラクティブ性が広まり、情報端末の普及やSNSの発展によってリアクションタイムが短縮されていることが指摘されています。

情報の拡散が連鎖反応を引き起こす核分裂連鎖反応と同様に、一定以上の感情を呼び起こす情報がネットワーク上に投入されると、連鎖的な反応が生じることが説明されています。

 

 

また、SNSの普及により「炎上」が続いたり、批判や排斥が起こる現象が指摘されています。

このような社会状況において、一言の失言や失態で一気に社会的地位や信用を失う可能性が高まっていることが懸念されています。

特にSNSを通じた誹謗中傷や集団心理による同調圧力が強調され、個人や芸能人、有名人などが一瞬で社会から抹殺されるリスクがあることが指摘されています。

 

 

このような状況において、個人や企業、芸能人などは常にネット社会での言動に注意を払い、評価や信用を守るために努力する必要があるとの声があがっています。

 

 

(まとめ)

( 205853 )  2024/08/27 17:02:25  
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=+=+=+=+= 

情報伝達速度の向上とそれがインタラクティブである点でしょう。 

情報端末をほぼ全ての個人が有して、しかもそれらがワイヤレスで接続されていることで、時間や場所を選ばず常時情報をチェックし反応することができる。同時にその作業を効率よく実行可能なツールとしてのSNSが発達して一般化した。 

 

これら条件が揃った結果得られたのがリアクションタイムの著しい短縮。 

 

この状況が齎すのはいわゆる連鎖反応というやつで、核分裂連鎖反応と同じ。通常は反応しないけど、ある閾値を超えた高速中性子が投入されると核分裂反応を起こして連鎖していくのと同様に、ある一定以上の感情を想起する情報がネットワーク上に投入されると、極めて短いサイクルで次々に反応して連鎖が拡大する。 

 

逆鱗というのは、要はそれが立ち止まって制御することができないという意味。 

 

まあフワちゃんの場合はその前の蓄積があって着火しだけとも言えるけど。 

 

=+=+=+=+= 

まさしく、こうした記事が繰り返し出てくることによって、ネット上の世間体で炎上が続いたり、引導が渡されてしまうような気がする。 

昔は池に投げ込んだ石が起こした小波はすぐに減衰していったが、今は同じような小石でも瞬時に地球の裏まで届くような津波になる。 

当然、その水面につながる多くの人を刺激してしまう。 

時代の流れという言葉で片付けたくはないけど、そう時代に生きていることに対する自覚と、言葉そのものに対する熟慮がより必要な気がする。 

 

=+=+=+=+= 

このSNS時代はフワちゃんだけでなく、有名人だろうが一般市民であろうがたった一言の失態で炎上の標的にされたら、一瞬で積み上げた人生実績が崩壊してしまいます。 

人間関係が壊れ、自身のメンタルが壊され、職を失い、家族を失い、居場所も失うという負のスパイラルがあっという間に完成します。 

 

本来は当事者たちだけで問題を解決するものが、SNSやメディアを通じて不特定多数の人に拡散され、自分たちが思っている以上に周りが勝手に負の意識を増長させ、取り返しのつかない状況になってしまいます。 

 

フワちゃんは今まで失言や失態の多さは有名だったで、フワちゃんに負の感情を持っていた人にとって、今回の炎上は格好の餌食になったんだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

フワは不祥事を起こすよりずっと前から「なぜ売れているのかわからない」とあちこちで言われていたし、それなのにGoogleから数千万円単位(下手したらそれ以上)のスポンサーシップを得ていたので、世間一般からの累積した不満が爆発したのが実情。 

阿部のように、普段からたゆまぬ努力で積み重ねた結果敗退してしまったことによる国民のリアクションとは全く別で、同じ記事で論じるのは変だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

「不信経済」と言うより「不機嫌な日本社会」だと思います。 

「誰かが、何処かで、不平不満を唱えている。虎視眈々と、袋叩き・総叩きの対象を探している」ような、余裕のない日本社会だと思います。 

その根底にあるのが「シロか、クロか、どちらなのか。シロでなければクロ」的に短絡的に考える風潮です。実際の人間社会には「シロとクロの間に広がる、広大なグレーゾーン」があるのですが、グレーゾーンの存在を許しません。グレーゾーンでは「個別判断」が基本で、それまでの行ないや、基本的な考え方、置かれた状況や背景事情などを勘案して決めます。例えると「イエローカード」の様なもので「次は許さないからね」と寸止めで終わらせます。日本語で言うと「仏の顔も三度まで」と似た感覚です。 

最近は「一発レッド。一発で退場処分」が多いように感じます。本当にそれで、日本人のみんなが幸せになるのでしょうか?大いに疑問を感じます。 

 

=+=+=+=+= 

人間は社会的生き物で、同じ価値観を共有することで社会の秩序を保って集団で生を守ってきた。 

だから当然その社会においては価値モデルがあって、それに近づく生き方が手本となり、逸脱したら秩序・モラル違反として厳しい扱いを受ける。 

それはフランスでもアメリカでも同じで何も日本人が特殊で異常なわけじゃない。 

その文化的な価値観を壊して世界的普遍なものがあるはずだから、それに従うべきという筆者の見方には賛成できない。 

そのことと、SNSなど匿名で誹謗中傷することとは関係がない。 

もしSNSが全て顔写真付きの本人特定情報の元で書き込まなければならないとしたら、そんなに辛辣で無責任な、それこそ不破が書き込んだ「死ね」というセリフを使うだろうか? 

それは社会が一つの価値観しか認めないからではないと思う。 

フランス人は賞賛したが日本人は貶すのは日本の社会が異常だと言わんばかりの記事にはとても賛同できない。 

 

=+=+=+=+= 

誹謗中傷した芸人を擁護する気は全くないが、ネットでの投稿にはある種の同調圧力が存在する。少しでも大勢と異なる意見を投稿すると、たちまち攻撃してくる輩がいるのだ。それを経験して知っている人間はもう投稿しなくなる。その結果多様性は失われて結局同じ見方だけが大勢を占める事になる。また大勢と一緒に他者を攻撃する者は、自分が攻撃される側になることは無い。そこに得がたい他者との共感のようなものを感じてしまう人間は、実は大して怒ってなくても執拗に相手を攻撃する集団の一人となる。 

これは中世の魔女狩りのようなものだ。 

 

=+=+=+=+= 

世間一般常識に敢えて反発するような投稿をする人達も同調者を求めている。支持者を増やす為に内容はさらにエスカレートしていく。 

そしてSNSにはそうした投稿者で溢れている。 

どこかで間違えると蓄えた分だけ反動が来る。 

 

フワちゃんに関しては一般メディア視聴者からの支持はもともと少なく、SNS経由の支持者がメインだった。 

SNSでしくじったら支持者の大半が離れるということだろう。 

 

柔道の号泣に関しては、相手を格下と見て今の自分の全力を尽くさなかった事。それを見た人も本人も悔やんでの事だと思う。相手へのリスペクト不足がスポーツ選手としても武道家としてもどうなのかと。 

 

何にしろ、常識は時とともに変わるが最近は変化というより単なる破壊になっているように思う。 

みんな自分基準で測るしかなくなってきている。 

 

=+=+=+=+= 

根底は貧しさじゃないのかな。物理的にも精神的にも満たされない、貧困が広がっている。そういった人が欲求や承認を満たしやすいのがネット。自分に都合の良い情報だけにアクセスして、自分より弱い者を皆で袋だたきにする。ローコストでローリスクでできる。本当に貧しい社会になった。 

 

=+=+=+=+= 

ネットによって地域差が無くなったことや 平均年齢が上がり 中高年人口バランスが増えた事での価値観の偏り 

結果 日本全国村社会になったってだけ。 

これが逆に若い層の人口比が高ければ日本全国姥捨山になる。 

 

まぁこういう世論間に身を置くのは良いとして 世論間に埋もれてしまうと俯瞰できなくなる。 

埋れるタイプは 他人やものからから影響を受けると簡単に発言するが、俯瞰してる人からしてみたら常に自分は自分 他人は他人なので 刺激しか受けないと意識してる。 

 

 

=+=+=+=+= 

人が他人に不信感を感じるのは、実は家父長制のせいです。縄文時代に家父長制はありませんでした。当時は結婚制度もなく、父親を特定する手段がなかったので父親という役割がなく、子供達は集落全体で育てられていました。そうした環境で育てば、人々が感じる不信感は、もっと薄らぐ筈です。全体が一つの家族であるという安心感が育まれるからです。けれど家父長制が生じると、男性が女性を支配し、子を産ませ道具や跡継ぎに利用する仕組みが出来ました。この仕組みを維持して家族を支配する為に、家族や一族の外側は常に危険で信用できないという感覚を女や子に刷り込む事が大事だったのです。そうした生育環境では全体との一体感は失われ、周りの人は信頼できず、対立してるという感覚が育つようになります。そして子供は親から無力感を与えられ、親やパートナーに依存して成長します。これが私たちの不信感の源なのです。家父長制の残滓が問題です。 

 

=+=+=+=+= 

西欧社会には「世間」が存在せず、ただ神に対する誠実さのみ求められる。海外の選手が試合後に威勢を示し、雄叫びを上げるのは(大きな意味で)神への感謝だそうだ。 

剣道やってるジャパニーズとしては到底納得できないが。 

 

=+=+=+=+= 

最近の若者はとはどの時代でも言われ続けた迷言ではあるが 

それでも超えてはいけないラインってのがあって 

フワ某さんは今までの平然とそのラインを越えまくってた 

それでも大人側がまぁ最近の世代はねで済ませ続けて甘えさせたのがここまで発展してしまった 

叱るべきときは叱る 

甘やかすと付け上がられる 

 

=+=+=+=+= 

ネット利用者は、気に入らない人を「抹殺」しても、それは「本人が悪いから」とその結果を当然のこととしている。でも「抹殺」は、裁判でもあり得ない重い罰だ。ネット利用者は裁判官より、厳しい罰を与える。それを当然の社会だとしてしまった。法治国家でなくなる怖さがある。法治国家である日本では「私刑」は禁止されている。それが何も疑問に感じない社会になって良いのだろうか。私はネットは単に、ネットはモラルが低下した世界になったと考える。 

 

=+=+=+=+= 

興味深いですね、SNSの普及により自己の規範、正義,あるべき姿が世界中で発信され多数派の意見が世間を形成している。匿名の中でリアルでは出せない本音や悪意も相待って醜悪なネット世論が出来上がり、その意に反する者は炎上と。 

人間の醜さがより可視化された気がする。 

 

=+=+=+=+= 

真鍋さんの切り口は素晴らしい観点だ。大衆相手に書いているから分かりやすさを第一にしたのだろう。論評にとどまらず論述されたものも読んでみたいと思った。 

日本は同調圧力が凄まじい。だから、それを利用して政府、自民党は電波のみならずSNS等にまで規制をかけている。だから、これだけ虐げられても変われない。この件に関して言うなら「侮辱罪」だが、なんちゃって改正でお茶を濁して、この世界を維持してしまった。 

同調圧力は、打ち破ることはできる。不利益を恐れず、みんなで立ちあがろう。 

 

=+=+=+=+= 

フワちゃんはもちろん、阿部詩もテレビに出まくりチヤホヤされてモデルみたいなことをやってたりしてあまり良く思ってなかった人も少なくないんじゃないかな。槍投げの北口さんが負けて号泣してもそこまで叩かれてなかったと思う。もちろん誹謗中傷は良くないが「決定打」は爆発のきっかけに過ぎず、日頃の行いが重要なのかな。 

 

=+=+=+=+= 

とても今日まで深く読みした 真鍋さんの他の記事も読んでみたいと思いました 

ただ私としてはフワちゃんが社会的に抹殺…されているとまでは思えないのです  

仮に抹殺されたとして、誰が抹殺したのか? 

「世間」とはその逆鱗、反感、否定をインターネットに文字、言葉として投稿したり、動画で発信した人と、そういう発言や発信をせずとも心の中で各々の良心と常識、規律、道徳心に基づいて自分の感情の中にフワちゃんの発言にたいする衝撃や悲しさや怒りの気持ちを覚えた人、というふうに理解したのですが、これはそこまで否定的に考えるほうが実は恐ろしい事に向かっていく気がします  

やす子さんのお気持ちを全て知る事は出来ませんが やす子さんと過去の自分、今の自分を重ねて感情移入し人を傷つける言葉と行為が許される世の中は望まぬとする「世間」の思いや行動こそ尊び大切に守らねばならない思う 

 

=+=+=+=+= 

そりゃ、芸能界という閉鎖された村社会での関係を広く世間に晒している(テレビで放送している)から、世間(日本に住む人)の反感が出たら叩かれ、使われなくなるのは当たり前ではないだろうか?以前は広く意見を発信する術や共有する術が無かったから、供給側の都合で操作できたが、SNSや動画投稿サイトの充実で可能になり、世間(消費者)動向に敏感にならざるを得ないスポンサー企業の意向が働いているだけ。特定の人がいなくなろうが、テレビ放送は終わらない。代わりの才能豊かなタレントが出てくるだけ。それが新陳代謝と言うのではないか?それにそれはタレントだけの話では無く、一般の会社、会社員にも日常的に起きている話。 

 

=+=+=+=+= 

善意の方を誤解や誹謗中傷で潰したのなら分かるけど、フワってそれほどこの社会に必要ですか? 

叩く必要はないでしょうが、身から出たサビですし、これまでも色々周囲にご迷惑をかけたり、そもそも言動に不快感を持つ人々が多かったのですから、テレビから消えたところで喪失感を持つ人はそれほどいないと思いますが。 

またグローバル企業の広告に出るなら、企業が嫌う差別的言動をする事がどれだけリスキーなのか判断するべきでしょう。 

企業から損害賠償を求められてもおかしくはない事案ですよ。 

東洋経済さんはフワに復活して欲しいですか。それだけの価値が彼女にありますか? 

 

 

=+=+=+=+= 

全体のシステムとしては信用経済だけど、個々の関係性から見たら信用なんて無いに等しい部分が誰の周りにもありますよね。 

信用の無い関係性のほうが増えてしまったら、相手を攻撃しても構わないなんて発想にもなるでしょう。 

 

いじめまでいかなくても誰かをちょっと除け者にしたり、ミスや癖を変だと笑ったり、そこまで怒る必要ある?ってことでネチネチ怒ったりしてしまうことがある。 

あいつは仕事できないとか、最もらしい言い訳をつけて吐け口にしている。 

その吐け口がネットにも、っていうだけだから、誹謗中傷する一個人の問題というよりも社会の歪みなのだと思うのだけど。 

 

=+=+=+=+= 

何でも科学的に証明して善悪が無い様に都合良く解説している。単純明快にするべきだろう。駄目なものは、何と理由を付けようが駄目なんだと自覚するべきだろう。最近の風潮は、被害者よりも加害者の境遇を証て減刑を願う傾向が強い。刑罰の裁定を世論を煽って変えるべきではない。被害者の心情を考えて毅然と判断するべきだろう。こんな事を言うから犯罪に向かう人が増えています。 

 

=+=+=+=+= 

経済における「信用」というのは「貨幣商品『金』の節約体系」のことで、商業信用(為替手形、約束手形)から銀行信用(日本銀行券)が生まれ、国民的信用(国債流通)に至る重層的構造を言います。 

 

=+=+=+=+= 

スクショや動画キャプチャに煽情的な言葉を添えて投稿すればおすすめやトレンドでSNSプロットフォームが拡散してしまうからなあ。 

 

大衆が扇動されるのは防げないとすれば、プラットフォーマーの責任は大きいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

フワに関しては今回の投稿に始まったわけでなく、失礼な口のききかたや態度が積み重なったうえでのとどめの一撃によって限界を超えたのが結果なのでは? 

しかも「死んでくださーい」といじめとして受け止められるような投稿。 

やす子さんという相手を選んでの投稿。 

 

安部詩選手に対してのバッシングの熱量とフワに対しての熱量は相当違うと思うけど。 

私としては阿部選手が連覇を狙って五輪に臨んだ結果、思いがけない負けで目の前が真っ暗になって号泣したことに関してはいつまでも引っ張ることでもないと思う。 

それだけ悲しかったんだろう。 

まあ泣いた場所や礼儀が…っていう意見はわかる。 

 

しかし悪意に満ちたフワのそれと同列で社会が判断しているかっていうと、それは違う。 

 

=+=+=+=+= 

フワ側が、ちゃんとした経緯などの説明をして、番組の制作サイドやグーグルを納得させれば良い話し。 

(まぁ、今回の件で納得させれる説明なんて、一切思い浮かばないけど。)  

後は、日頃からの信頼関係だろう。 

 

結局は単に、日頃からの信頼関係も希薄で、経緯の説明のなどの説得力も、炎上理由を上回れなかったと言う事。 

 

=+=+=+=+= 

そんな小難しい言い方しなくても簡単に言い表せるよ。 

①ネットの普及によって個人が意見を発信するメディアを持つようになった 

②その結果、個人がジャーナリストの真似事を出来るようになった 

③悪を裁く行為が気持ち良いので娯楽化し、叩いても良い対象を積極的に探す人が増えてきた 

この娯楽性を経済として捉えるなら、それはローリスク・ハイリターンな遊びであり、ロジックをひねり出して公敵を積極的に作り出せるネタの供給者は英雄になれるわけだ。 

 

=+=+=+=+= 

フワちゃんを社会的に抹殺した我々の逆鱗の正体・・なんてタイトルだけど、肝心のフワちゃんについては他人の記事の引用にお任せ、自分は長々と阿部詩について書いている。経済用語まで使い、頑張ってタイトル考えた感だけはある。そもそもフワは社会に抹殺されたというより、素行に問題があったのにマスコミが勝手に持てはやし続けた結果、やっぱり・・な事が起きただけなのでは。 

 

=+=+=+=+= 

よくわからん記事だな。 

 

世間、世間というけど、今回の件は大衆のせいなのか? 

 

フワちゃんのCMを全部削除したグーグルが出した下記の見解は、 

いったいなに? 

 

《Google は、他者を尊重しない行為に関しては厳格なポリシーを有しています。(以下略)》 

 

 

やってはいけない一線を越えたことをやってしまったら、制裁を受けるのは当たり前=健全だと思うけどな。 

それが大人の責任というものじゃないのか。 

 

=+=+=+=+= 

フワと阿部を一緒にするな。フワは引っ込んでろ、とか違う言葉だったらここまで大事にはならなかったと思う。多分。 

阿部が問題になったのは試合会場からどかないで号泣してたからだと思う。インタビュアーの前で言葉にならなかったとかなら違ったと思う。 

確かなのはその程度の考察も出来ないこのマスコミは信用ならないって事かな。 

 

 

=+=+=+=+= 

抹殺にかかった人もおったけど「あ、終わったな」って、スーーーッと引いた人も多かったと思うよ。 

表現がストレートすぎたし。 

単語を逐次置き換えてたから、誰か宛のメッセージを間違えたわけでもないし。 

この時点で、ほぼ終わりが確定した感じだったのが、やす子との面談が終わって出されたコメントが決定打だった。 

「アンチを想定して人を悪く言うコメントを考えて、それを見せて楽しんでた」って聞いたら、『なんて性格の悪いことをしてんだ、この女は』って思った。 

発表まで時間はあったんだから、文章の表現を考える時間もあっただろうに、考えてアレしか出せない周囲の人間もおかしいし。 

この発表で、俺は躊躇なくフワを終わらせることができた。 

 

=+=+=+=+= 

失態をした事はいけませんが、その失態を徹底して叩いた人々は、その人々が何かしら失態や失敗等をした時、今度はその人々が叩かれると考えます。 

失態をした人々を徹底して叩くと、今度は自分に跳ね返るものです。 

 

=+=+=+=+= 

田舎の閉鎖姓や隣人監視の強い結び付きにいやけがさし、若者は都会に出ていくが、SNSという史上最悪の村社会が出現したのが今の日本。そこでは田舎ですら見過ごされる些細な事柄までテキスト化され写真付きで未来永劫残る。衆人監視の最終形であり農耕民族日本人の性そのもの。 

 

SNSを基準に物事を判断し続ける限り、永遠に自分の好きな事はできない。 

 

=+=+=+=+= 

私は苦労せずに稼いでいるように見える芸能人へのヘイトが貯まったものが爆発する現象と見ている。アンジャッシュ渡部やダウンタウン松本も同様。 

芸能人はSNSの使い方で生涯年収が変わる時代になっていることを理解した方が良い。 

 

=+=+=+=+= 

フワは、元々伏線があって、自分はYouTuberとして周りの迷惑考えずに普通にカメラ回すくせに、自分は写真撮られることがNGとか、飛行機に乗ってリクライニング戻すのスタッフにやらせたとか、いろいろニュース出てましたよ。 

 

最終的に最後のXの投稿が致命的でしたけど、退場させようと既に待たれてましたよね。 

 

=+=+=+=+= 

>負けた後に「人前もはばからずに号泣する」行為が社会的な制裁を正当化する根拠になっている 

 

この行為自体は別に問題なかったのでは? 

問題の本質は号泣し続けた結果、その後の試合に影響を及ぼしたことでは? 

試合なんだから勝ち負けが当然生じる。 

その結果負ければ悔しいし、泣くこともあると思います。 

ただ、それを理由に試合進行を止めてはだめです。 

自分の事は自分で解決し、他人に迷惑をかけてはいけない。 

特に国際試合ともなればあの国の選手は、となりますよね。 

フワちゃんの場合は日頃から遅刻、暴言が共演者でも指摘されています。 

それを観ていた人からすると、今回の暴言は限度を超したということだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

私は日本人は(村民から悪い意味での都会人へと変化している集合体)と考えている 

フワちゃんの芸風は村民からしたら(醜い行い)である 

敬語を使わない、他人を敬わない、正に村の人からしたら恥ずかしい人 

故に年代に関わらずの民意によって抹殺されたのだと思っている 

 

阿部詩さんに関してはフィガロの記事の通りだと村人意識の強い私は感じた 

(武闘家たるものかっこ良くあるべき)という意識の方々からは不様に見えたのだろう 

私はその意見には変な都会人的な冷たさを感じた 

日本人の良さは(のほほんとした温かさの中にある礼儀正しさ)にあると思う 

もちろん、経済や政治といったのほほんばかり言ってられないものもあるが、普段の生活の中には余裕を感じられるものがあって良いはずである 

 

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ネット炎上によってテレビ番組やタレントの品位が問われるようになったのは 

明らかにプラス面だ。 

 

しかし、同時に「ふてほど」のドラマのヒットでも分かるように、少数のクレームが幅を利かせて息苦しい社会になっているのもたしかだ。 

 

戦前の全体主義や軍国主義もこういう「空気の支配」によって作られたものなので十分に警戒する必要がある。 

 

よしもとの芸人やフワちゃんが素晴らしいとは言わないが、こういうタイプの人たちが抹殺される世の中は、それはそれで怖い。 

 

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そもそも「世間」イコール「SNSの投稿」という構図が異常だと思います。マスコミも最近ではきちんと取材せずにSNS上の炎上とかをニュースにしているマスコミ自体のレベル低下が顕著です。SNSの投稿、ネット民の意見が世間であったり世論であったりしている社会がそもそも変です。もういい加減にSNS投稿中心の報道やめませんか?! 

 

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不信経済なんてそもそも概念としてありえないね。経済って信用を元に成り立っているんだから。 

単にコンプライアンスが厳しくなったからでしょ。ああいう「し○」発言で人の命を踏みにじる発言したからテレビもネットもスポンサーのコンプライアンス対策で除外した。 

フワちゃんみたいな人権違反な人が自社のスポンサー番組に出演してたらスポンサー会社のコンプライアンスレベルまて疑われかねないし。 

 

 

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今回フワが活動休止を余儀なくされたのは、もちろん、暴言であるが、それまで、失礼芸と称して先輩に対して、呼び捨て、タメ口、挙げ句の果ては遅刻の常習、など世間の不愉快さが溜まっていたのが暴言で爆発したものではと思う。 

 

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日本人は、そんな馬鹿じゃないです。「突然に抹殺された」としても、その裏には、彼女の普段の言動がバックグランドにあります。もしも彼女が普段、いろいろなボランティアをやっていれば、彼女は評価されたはずです。 

 

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フワと詩を同じ次元で見ていいのかとは思いますが。。。 

(詩は過半数の人は問題と思ってないと思います) 

叩く側が安全地帯から面白がって叩いて、結果としてそれほど満足感を得られないという事実を認識するのが大事かな。 

 

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衣食足りてる人間はそもそも他人を批判しない。自分が幸せだから。逆に貧困層や非成功者は自分が不幸なので溜まった鬱憤を何処かで晴らしたい、でもお金は使いたくない。その為、五輪の選手の様な成功者を妬んでちょっとでも変わった行動をしたら叩きたがる。まさに他人の不幸は蜜の味で愉悦を感じたい訳だ。 

 

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国や地域によって「何が善で何が悪か」は異なるわけで、阿部詩氏の件ではフランスが寛容で日本が不寛容と言わんばかりの書き方をしているが、そうではない 

 

日本でOKなことが海外だとNGの事柄なんていくらでもある 

麺をすする、鼻をかむ、食器を持って食べる、子供の頭をなでる・・・ 

その中に「人目もはばからずギャン泣き」が日本では「少しNG寄り」だったってだけ 

阿部詩氏に寄り添うコメントもたくさんあったし、評判がガタ落ちした印象も無い 

 

フワちゃんに関して言えば、元々アンチは中高年を中心に沢山いたわけで、「裏では礼儀正しい」という嘘が明るみになったあの投稿が決定打になっただけ 

 

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とにかくネット民というか世間は獲物に飢えているし、いいねとか共感にも飢えている。 

以前にYahooで駐車場のトナラー記事が出た時に【自分はそんなの気にした事無いし、一台分でも空いてたら何処でも停めるよ】と書いた途端に総攻撃を受けた。 

ポツンと離れて停めてる車の横に停めるとは一言も書いて無いのに、お前みたいな奴をトナラーと言うんだよ!とか、目印が無いと停められないんだったら車に乗るな!とか、どうせボロボロの車に乗ってるんだろ!とか勝手な憶測で叩く事に快感を覚えているようだった。 

多分、自分はそんなの気にしないというか、トナラーに出会った事がないというのが逆鱗に触れたんだろうね。 

不寛容というか、気にする人が居るんなら気にしない人が居ても不思議でも何でも無いはずなんだけどね。 

 

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阿部詩の件に関してフランスは新聞の小見出しを例にして日本はネットの一部の声を例に出す 

この一事を見ても資料を平等に適切に扱わず持論のために都合のいいように切り抜きしてるので、この人の意見は論ずるに値しないと思う 

 

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一般企業でも目に余るパワハラ行為や職場の規律を著しく乱す行為があれば懲戒解雇になる。 

フワちゃんの今回のSNSや過去の行動、言動をみれば業界から追い出されても仕方がない。 

芸能界、政治家の世界は民間企業からみればゆるゆる。 

 

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政府関係を批判するのは、一番しゃべり易いことなわけさ。 

でも、それをもしも「延長」したらね、政府が貨幣を出しているだ 

それを「信用しない」となったらね、『自分が使っている貨幣自体が単なる“紙っぺら”に帰す』んだってね。 

『そしたらね、やっぱり「信頼できる政府を作るにはどうしたらいいか」という議論無しに、政府批判なんかやっている、これが何百年と続いているんでしょう?』 

特に、戦後日本人は70年もそれが続いているでしょう。 

どっかでその「信頼」っての? 

何も僕ね、ロマンチックに言っているんじゃないんですよ。 

まぁ別に、(世間が)安倍さんを信じなくたっていいけどね、まぁまぁこれだけの歴史がある国だから、間違うこともあるだろうけど、大きく間違うことは無いだろうなと“信頼したことにして”、俺も大した能力は無いけど、顔みたらあいつの方が(自分よりは)良さそうだから、あいつを選んでおくかってね 

 

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珍しさが薄れ、言動にちょっと飽きが来たのだと思うよ。 

単価も上がったから利用価値が減っただけでしょ? 

「社会的に抹殺した」なんて・・・東洋経済が扇動的な単語で注目を集めたいだけじゃないか。 

 

 

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フワちゃんに関しては元からあのキャラクターな訳で 

今回のワードがNG言うならばあのの新曲で〇ね歌ってるのを情報番組で流してたのはおかしくないの?? 

外資アメリカ企業のgoogleに乗っかって皆でふわちゃん追いだした感じがしてそこに日本の基準は無いのかね?なんか気持ち悪いと思う 

 

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我々では無いと思うけど 

Googleの広告抹消が大きいんだと思うのよね。 

現在のテレビで数少ない大口顧客から切られたら使えない 

世間の声なんか知れてるでしょこれは付和雷同で関係無いでしょ 

大きいのはスポンサーの意向 

 

=+=+=+=+= 

単に匿名弁慶を気にしすぎているだけ。 

ちゃんと身元明かしてからやれとなればまず誰も何も言わん。 

実害ないからな? 

自分の職場はネット問い合わせは署名とメアド認証制に 

年末からなる。それだけヒドイと言う事。 

動画サイトとかの批評も発信者の購入証明立ててからじゃないと 

その内テレグラムの社長と似たような目に遭うだろう。 

特にゲームソフトのエアプ低評垂れ流しているユーチューやニコは。 

 

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「我々」は主語デカすぎ。フワちゃんにもオリンピックにも興味ない人のほうが実は大多数……過半数以上は「ふーん」で終わる話。実際、フワちゃんが誰なのか知らない人も多い。ブラウン管の前にいる人だけが「世間」ではない。 

 

=+=+=+=+= 

抹殺したのはマスコミでありテレビ局ですよね。 

SNSで素人に何と言われようとも、問題がないのならマスコミもことさら取り上げなければいいし、テレビも起用し続ければいいじゃない。 

わけのわからん大衆に迎合して、タレント抹殺してんのはそっち側だよな。 

 

=+=+=+=+= 

人を攻撃して金を稼ぐ出版社も問題 

1つの会社が2つの雑誌を発行し複数の意見のように装う卑劣な状況 

虐めも個人攻撃も金が儲かれば平気でやっている 

 

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失われた30年が作り出した不満がこういう形になったと思うが。。 

 

希望も見えない、政治は信じられない、などこの国の未来への不安なの 

かもしれないな 

 

=+=+=+=+= 

フワの件は、テレビ業界内の評価と世間の評価に乖離があったんだよ 

阿部の号泣に関しては、日本人が有する武道家の概念で、あの場所で泣く事はみっともない、武道精神としてあり得ないと感じたんだよ 

 

=+=+=+=+= 

ぶっちゃけ 自分に関係ないし どうでも良い事だけれども。暇だから我が事のように怒りプンプン丸になるんだろう。 

 

総じて暇なんだよ。やること無いから他人と話さないから平気で他人をけなす言葉が発せられる。 

 

=+=+=+=+= 

抹殺したのって"社会"じゃなくてマスコミ=内輪の人でしょ。 

ネットが出てくるはるか前から、気を衒った色物のタレントを出してきて賛否両論の話題を作り、話題性が落ちてきたらスキャンダルを報道してそのままサヨナラ、ってパターンは結構あったわけで。 

それをネットの声という曖昧なものをスケープゴートにして自分達が犯人ではありません、と逃げているだけ。 

 

 

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この著者はあえてネット村民ということを避けているように見える。 

世間の評価からかなり逸脱することがあるネット村民に、やんわりと注意しているような感じがする。 

 

=+=+=+=+= 

彼女がずっとテレビに出続けていたことが『ひずみ』エネルギーを溜めていったのでしょう。それが有る時に爆発。地震といっしょです。 

 

=+=+=+=+= 

社会的にって言うより小さな小さなTV世界の中での話だろ 

取り上げるほどの事でもないし、そんなことあったの?フワちゃんって誰?って人の方が多いやろ。大げさなだけ。 

 

=+=+=+=+= 

>フワちゃんを社会的に抹殺した我々の逆鱗の正体 

正体はあなた方のような、メディアです。 

メディアはさらに批判を煽り立てる事も常とう手段。 

メディアとは発行部数や視聴者を稼げばよいという論理。 

正義はおまけでついているだけです。 

 

=+=+=+=+= 

有名人だから何でも許される、揉み消せるという傲慢さ、 

舐めた態度が嫌いなのよ。 

皆がずっと思ってたことが溢れ出たということでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

社会的抹殺。なかなか過激な言葉ですね。 

 

一見、そう見えますが、ファンは一定数いるっぽいので、抹殺ではない気がします。 

 

=+=+=+=+= 

結局負債感でしょ。それがゴロゴロしてる。 

人を信用するのも失敗した人にチャンスを与えるのも度量がいるからな。それが無い奴がゴロゴロしてる。 

小者化激しいな。綺麗事と我が正義の押し売りでどっかの野党みたいだww 

 

=+=+=+=+= 

朝からワイドショーで、浅はかな知識で大衆を釣るだけの 

不満不審を放送していたら、そうなるでしょうよ 

 

=+=+=+=+= 

その社会から名声と富を得るのです。残酷な仕打ちを受ける前に夢を見られるのです。 

 

=+=+=+=+= 

モラルとはギャンブルの同義語だ。 

 

ヤバイ意識がなければ、すでに中毒だ。 

 

平和とは大人しいギャング支配の意。 

 

死刑執行人もまた死す、を永遠繰り返すのがサガ。 

 

 

=+=+=+=+= 

最近、テレビ見ること減ったなぁー。 

何となくつけてると、うるさいし、 

内容によってはイライラするから 

消すことになる。 

 

=+=+=+=+= 

世間体がどうとか根本的にズレたこと言ってるとしか思えんのだが。 

人としてどうって話がまずあるんじゃないのかね。 

 

=+=+=+=+= 

周囲に庇う人がいなかったのは「遅刻癖」が原因では。大きな不信を買う要因だし。 

 

=+=+=+=+= 

真鍋 厚 :評論家、著述家 

この人がそんな気がしているだけ 

フワちゃんは自滅したんですよ 

抹殺した我々なんか存在しませんてば 

他にも語ってるけど、なんだかなあ 

 

=+=+=+=+= 

ほーら、やっぱり出てきた「フワちゃんに対する扱いは正しかったのか」ネタ 

〇〇オンラインという屋号こそが一番信用ならねェ 

 

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元々業界内で嫌われてたのがCMくれてた大企業を踏み躙る形でボロ出したから徹底的にキャンセルされたってだけじゃねーの? 

 

=+=+=+=+= 

論点がすり替えられてる。 

「〇んでください」と言ういじめをナチュラルに行う人間を「抹殺」したというのか? 

 

=+=+=+=+= 

「不信経済」というご大層なものではなく、「ごり押し」、「押し売り」の反動が来ただけのこと。 

 

=+=+=+=+= 

見なきゃ良いんじゃないか。現実では何も言ってこない奴らばっかりなんだから。 

 

=+=+=+=+= 

マスコミが気に食わないを陥れるために、今まで作ってきた風潮じゃないですか? 

 

 

=+=+=+=+= 

叩かれる人以上に完全に潰すまで叩き続ける輩の人格の方が問題だ。 

 

=+=+=+=+= 

とりま、社会的に抹殺されたのではなく 

元々表に出る資格のない人だと思うがなぁ 

 

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われわれ とか言って巻き込むなよ。小学生が言う みんな 持ってる 的な幼いレベルですね。 

 

=+=+=+=+= 

テレビから抹殺したのはスポンサーです。 

 

=+=+=+=+= 

信用(クレジット)の意味を履き違えています。 

 

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楢山節考でムラ全体でやるやつあるよな 

 

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貧すれば鈍する。 

この一言で終わる話。 

 

=+=+=+=+= 

......経済の話は? 

 

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世論なんて無責任だよ 

 

=+=+=+=+= 

いじめっ子が退学処分されただけですよ。 

 

 

 
 

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