( 206839 )  2024/08/30 17:53:08  
00

「虎に翼」番組CPに聞く 最終回どうなる?吉田脚本絶賛「エンタメと主張の両立」同性婚描写は自然な流れ

スポニチアネックス 8/30(金) 12:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5c1204d04ee69fd6de2c8e799781e9b91329d77d

 

( 206840 )  2024/08/30 17:53:08  
00

NHKの連続テレビ小説「虎に翼」について、残り1カ月であること、ヒロインの佐田寅子が「原爆裁判」や「少年法の問題」に取り組む様子が描かれることが明らかにされた。

脚本家の吉田恵里香氏の作品で、女優の伊藤沙莉が主演。

社会問題を取り上げ、視聴者に問いかけるドラマとして期待されている。

(要約)

( 206842 )  2024/08/30 17:53:08  
00

連続テレビ小説「虎に翼」も残り1カ月、佐田寅子(伊藤沙莉)が担当する「原爆裁判」や尽力する「少年法の問題」が描かれる(C)NHK 

 

 ◇「虎に翼」制作統括・尾崎裕和氏インタビュー(3) 

 

 女優の伊藤沙莉(30)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「虎に翼」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)も残り1カ月となった。制作統括の尾崎裕和チーフ・プロデューサー(CP)に、脚本・吉田恵里香氏(36)の作劇の魅力や終盤の展望を聞いた。 

 

【写真】連続テレビ小説「虎に翼」第100話。轟太一(戸塚純貴・中央)は佐田寅子(伊藤沙莉)に遠藤時雄(和田正人)を紹介し…(C)NHK 

 

 <※以下、ネタバレ有> 

 

 向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田恵里香氏がオリジナル脚本を手掛ける朝ドラ通算110作目。日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子氏をモデルに、法曹の世界に飛び込む日本初の女性・猪爪寅子(ともこ)の人生を描く。吉田氏は初の朝ドラ脚本。伊藤は2017年度前期「ひよっこ」以来2回目の朝ドラ出演、初主演となる。 

 

 結審に8年を要した「原爆裁判」と並行し、第21週(8月19~23日)は「夫婦別姓や事実婚」「同性婚やセクシュアリティー」、第22週(8月26~30日)は「女性の社会進出」をテーマに描いた。 

 

 現代に通じる社会問題を盛り込んだことについて、尾崎CPは「初期の段階から決めていたというよりは、戦後の民法改正に携わり、人生を積み重ねた寅子なら、こういう思考の筋道を辿って2回目の結婚に至るんじゃないかと、吉田さんがストーリーを紡いでくださいました。同性愛者の轟(戸塚純貴)も、年齢を重ねてパートナーが見つかれば、法的な婚姻関係の問題にぶつかるのは必然的な流れだと思います」と経緯を説明。 

 

 「どう受け止めていただくかは視聴者の皆さんそれぞれで、ドラマとしては、寅子や轟がこう悩み、考えたという姿を描くことで“問い掛け”になっていればいいなと思っています」と狙いを明かした。 

 

 吉田脚本の凄さは「エンターテインメント性とテーマ性(主張)の両立」。各年代の5人の“イマジナリー寅子”が夢の中に現れ、名字変更について意見を交わし、視聴者の爆笑をさらった第102回(8月20日)が最近の好例。「力のある台詞がどんどん出てくる作家。ちゃんとエンタメでありながら、見る側が自分事として撃ち抜かれるといいますか、自分の中に何か気づきが生まれるような台詞を書かれるのが、吉田さんの脚本家としての魅力の一つだと思います」と絶賛した。 

 

 寅子は1914年(大正3年)生まれ。第20週「ふたたびの東京編」(8月12~18日)スタート時の劇中の年代は1955年(昭和30年)で、寅子も41歳に。“アラフォー寅子”を演じる伊藤についても「新潟で部下のことをよく観察していて、僕が見習いたいぐらいの上司ぶり。年齢を重ねた寅子を自然に表現してくださっています」と称えた。 

 

 第24週(9月9~13日)以降の最終盤は、“家庭裁判所の母”と呼ばれた三淵氏のキャリア通り、寅子が東京家裁に異動。三淵氏も対象年齢の引き下げ阻止に力を尽くした少年法の問題が描かれる。 

 

 三淵氏は1979年(昭和54年)に定年退官。1984年(昭和59年)に亡くなった。69歳だった。 

 

 最終回(第130回、9月27日)に向けては「晩年になっても寅子の本質、コアな部分は変わらない、というところに持っていきたいのが吉田さんの思い。それがどう表れているか、寅子の何歳までを描くのかも是非、放送を楽しみにしていただければ」とアピールした。 

 

 =インタビューおわり= 

 

 

( 206841 )  2024/08/30 17:53:08  
00

この記事からは、実在の人物をモデルにした作品である朝ドラに対する批判が多く見られます。

脚本家が個人的な主張を押し付けることや、現代の問題を過度に盛り込むことへの疑問が強調されています。

また、時代背景や登場人物の行動が現代社会の価値観に合わないと感じる人も多いようです。

モデルが実在の人物だからこそ、歴史に沿った展開を望む声もあります。

一部の視聴者は、過度な問題提起やポリティカルな要素が作品の雰囲気を台無しにしていると感じているようです。

 

 

(まとめ)

( 206843 )  2024/08/30 17:53:08  
00

=+=+=+=+= 

実際の方をモデルにしてるのに創作しすぎて、今の時代ならこういうことを言ってくれたんだろうみたいな物語を作り出してしまった朝ドラは酷すぎると思う。描きたいドラマを作りんたいなら初めからオリジナル脚本にすればいい。 

 

=+=+=+=+= 

完全な創作ならば好き勝手にやっても何も言いませんが、モデルの方がいる話なら極力実際のエピソードに近づけるべきでは? 

モデルの方のイメージを悪化させることにもなりかねませんので、勝手な主張を入れる感覚は理解できません。 

 

=+=+=+=+= 

私はもう結構前に離脱しましたが、最近のは話に聞いてるとやっぱり観るのやめてよかったと思わざるを得ません。 

主張、思想が強すぎるんですよ。世間様に言いたいことがあるなら自分でオリジナルドラマや小説を書けばよろしい。そちらでいくらでも主張できます。聞く耳を持つ人もいるでしょう。現代では関心ごとの一つですから。脚本家は「こういう問題がわからない視聴者は~」と視聴者批判までしてるようですが、誰もLGBTQのことは否定はしてないんですよ。それをモデルのいる朝ドラで、オリジナルエピソードとして当時の時代に合わない展開で盛り込むのが不自然と言ってるんです。わからないのかなぁ? 

 

=+=+=+=+= 

過去の時代の女性たちがどんな苦労と努力をして道を切り開いてきたかを見たいのに、いきなり現代社会の問題を練り込まれても、ほかでやってくれとしか言えない。 

 

=+=+=+=+= 

明らかに時代を無視した上に物語のモデルとなった人も居るのにそう言った事をプロデューサーのに対して脚本家がやりたいように物語を描くのは 

違うだろう 

 

時代を無視し、同性カップルや性別を移行した人が登場した際、現代の問題を描くのは、国から製作費の出ているNHKがやるべきドラマではないだろう 

民放であるならまだしも、国営放送で政治的意図で行うのは違うと思う 

 

=+=+=+=+= 

見てたけど、プロパガンダ酷すぎて疲れて見なくなりました。NHK流石に酷すぎませんかね。多様性を尊重する世の中なのは理解しますが、昔の古き良き日本を否定するのはどうかと思います。卑弥呼やら紫式部やら北条政子やら数えきれない位、昔から女性は表舞台で活躍してきましたよ。海外はどうなんですか?尖閣発言やら本当に受信料払っちゃ行けない放送局だなと思いました。 

 

=+=+=+=+= 

ドラマにしにくい難しいテーマを扱う以上、当然エンタメとして超一級でなければバランスが取れずにひたすらネガティブなスパイラルに陥る。まさに本ドラマはその残念すぎる好例だ。個人的には脚本家の思想・心情がもろに出ようが、現代的な価値観が不自然だろうが全く気にしないが、それは、ドラマとして面白いというのが前提だ。「朝ドラ」の脚本は高確率で出来が悪いので過度に期待するのは間違いだとわかっているが、最低限脚本家として能力のある人を起用してほしい。原作付きドラマで評価されたような人は一番危ない。この手の脚本家にオリジナルを書かせると大抵視聴者は半年間苦行を味わうハメになる。 

 

=+=+=+=+= 

ここまで欠かさずに見ていますが新潟編になってから雰囲気が変わってしまい話がとっ散らかってる感じがします。 

演者さんは奮闘しているが脚本、演出が残念。 

今は寅ちゃんとって岐路の場面だけど、もっとカラッと爽快にやり上げて欲しいところ。 

 

=+=+=+=+= 

ずっと楽しみに見ているが、轟の花岡へのふんわりとした同性愛的感情あたりまではよかったと思うが、その先はちょっと余計というか…。 

架空とはいえ轟という登場人物のキャラクターに影響するものだし、LGBTに関してのことを盛り込みすぎな感じがした。 

この当時からあった問題とはいえすべてをストーリーに入れる必要はないわけで。特にまだ小学生だった寅子の娘をそういう人たちに対面させるところはちょっとどうかなあ…と思わずにいられなかった。 

 

=+=+=+=+= 

テーマ性とエンタメが両立? 

この脚本家が手本として挙げている野木亜希子さんが脚本を手がけた映画を先日見に行きましたが、それこそエンタメと重い社会問題が両立して描かれていて、虎に翼の人はとうてい追いつけないなと正直思いましたよ。 

ただでさえ脚本を書き切るのが大変と言われている朝ドラで、この人の年齢とキャリアでこんなに社会問題を盛り込んだドラマを描くのは無理があったんじゃないでしょうか。 

 

 

=+=+=+=+= 

今の価値観を遡及して、時代ドラマで描かないでほしい。 

同性愛とは違いますがアセクシャルを描いた 

『恋せぬふたり』がよかったのは、現代で描いたからですよ。 

美輪明宏さんが、若い頃、歩いてるだけ石を投げられた時代ですよ。 

このドラマのように 同性愛を、はいそうですかと受け入れられた 

時代じゃないよ。 

金八先生で上戸さんが演じらた90年代でも、 

『いつかジェンダーマイノリティが普通に受け入れらる社会になったらいいね』と願いでしか描けなかったんですからね。 

 

三淵さんというモデルさんがある訳だから、あるい程度、事実に沿った 

話を描いていただきたい。 

三淵さんは、再婚されて三淵姓を名乗ってますしね。 

あの時代に『家族のようなもの』ってなんなの?って思っちゃう。 

 

=+=+=+=+= 

同感かな。何となく学生時代の終わりごろから性問題みたいなシーンが気になり、猪爪家初め 

、現代の問題が盛り込まれてからは、本当に初の女性裁判官としてその時代その時代を乗り越えて今の法曹界に?ってストーリーだと思っていたが、寅子の周囲で今の時代の問題の発生とどう向き合うかと言った話に変わってきたのかなと思います。他の方も「創作なら」とか、「実際にモデルの方がいるのに!」などの声が出るのも当然かと思う。問題提起も良いとは思うが、やはりNHKの朝の連ドラは家族で楽しめるドラマだと思う。特に今の若い世代の人なら、本当に昔からこんなに性問題や男女同権 

はあったんだ、と言う認識を持つよ。コレは間違いに他ならない。 

 

=+=+=+=+= 

昭和の時代を生きた人なら分かると思いますが、あの時代、同性婚や夫婦別姓なんて考えは公にされるのものではなかったです。同性愛のようなマイノリティはひた隠しにして生きていた時代です。 

昭和の歴史をなぞるようなストーリーなら、フィクションを主要なテーマに沿えるのは歴史改変にもつながる大変危険な行為です。 

特に影響力のあるNHKの朝ドラであればなおさらです。もう一度歴史というものをよく考えてもらいたいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

ずっと欠かさず楽しみに毎朝観ています。 

優三さんが亡くなり、花岡さんが亡くなり、はるさんが亡くなり、、とほとんど史実通りだったので(史実は娘ではなく息子だが)、てっきり航一さんと結婚して星寅子になるのだと思って観ていたら、おやおやおや?夫婦別姓問題入れてきた?となりました。 

同じタイミングで轟さんのカミングアウトもありました。 

この辺りですかね、おやおや?と雲行きが怪しくなったのは。個人的には航一さんが出てきてからスカッとする寅子ではなくなってきた感じはします。 

現代での問題を提起するのも悪いわけではないけれど、ちょっと足し算しすぎちゃったかなとは思いました。 

それに時間を割くなら、今週の星家のドタバタからののどかとの和解をもう少し丁寧に描いてほしかったな。 

 

=+=+=+=+= 

実在した人物をモデルにした作品で物語の展開に興味がありましたが、脚本家の個人的な主観によってドラマはモデル像からどんどん乖離し、脱線・暴走をしているような気がしす。今の時代に合わせた問題点の提起は理解しますが、その事によって荒唐無稽な物語になってしまうのは本末転倒ではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

毎日NHKの朝ドラを楽しみにしている視聴者の一人です。虎に翼も視ています。 

伊藤沙里の演技力と重くなり過ぎない配慮が伺える演出のおかげで何とか見続けられていますが、これは恐らく原作(者)の意図だと思うのですが、政治的(ポリコレ)なメッセージ性がちょっと強すぎるし、表現がストレート過ぎるし(主人公のキャラがそうだけれども)、主張が一方的過ぎる懸念を感じます。このテーマ(原作)は朝ドラには相応しくないんじゃないかな。 

折角清々しい朝を迎えられたのにドラマを見て眉間にしわが寄ってしまったり、モヤモヤさせられては迷惑です。(視なけりゃいいのに視てしまう私) 

この様にメッセージ性が強いドラマは夜の10時台辺りで企画して頂きたい。 

様々な主張があっても良いし、ドラマでそれを表現するのも良いけど朝ドラは止めて欲しい。朝は深刻にならず、ほっこり生温いくらいで丁度どよい。朝から余り考えさせないで欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

最近のドラマは無理矢理入れなきゃならないかのようにLGBTに絡めたストーリーを入れる傾向があるのかな。そもそもそういう感情に悩んでいる方たちに対してもしくは極端な偏見を持つ人に対して「特殊なことではない」という流れは良いことだと思いますが、幼いうちからどちらを好きでもいいんだよって世界作りは子を持つ親としてはなんとも言えない気持ちになります。もちろん我が子が同性を好きなんだと悩んでいたら受け入れるつもりですが。 

 

=+=+=+=+= 

いろいろな社会問題を取り入れること自体は悪いこととは思わないけど、やり過ぎると啓蒙ドラマ、教育ドラマみたいになっていく。 

付け加えれば、「令和の裁判官がタイプスリップしたの?」とツッコミたくなるほど、寅子の態度や物言いが「令和の日本人に受けられやすい」ことに違和感を覚える。 

最初からそういう「設定」なら面白かったかもしれないが、戦前生まれの日本人が、ここまで革新的な思想を持てたかと言えば難しいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

虎に翼、モデルがありながら現代の社会問題を提起するというのは面白い手法だと受け止めています。 

一方で、女性の社会進出を描くなら、そこにフォーカスしてほしいという思いもあります。 

誤解を恐れず言いますが、女性差別の問題が描かれる時、往々にしてセクシャルマイノリティ問題と「抱き合わせ」で語られることに強い違和感を覚えます。 

それにより、全体が「やかましいマイノリティの戯言」などと矮小化されて批判されるのを度々目にします。 

女性をめぐる問題とセクシュアルマイノリティの問題は、関係性はあるものの同一ではないので、一緒くたにされるべきではなく、それぞれの文脈で語られるべきだと思っています。 

 

=+=+=+=+= 

私もバイセクシャルですし。どちらかといえばビアンよりですので、彼氏より彼女いた年数人数多く長いのですが。 

ドラマに無理やりぶっこんでくるのはどうかなとおもいました。 

 

家康の側室のときも苦笑いしました。 

 

朝からはどうでしょうか。 

 

母と見ていて気まずかったです。 

 

母も慣れているようですが、私はカミングアウトしていませんので。 

 

それなら、最初からそういうドラマのほうが納得いきます。 

 

 

=+=+=+=+= 

同性愛のくだりは全く要らないのではないかと思いました。 

当時は同性愛者であることは隠しに隠して誰かに言うなどということは有り得なかったと思います。 

よねさんみたいに髪を短くしてスーツを着ている男装の女性は稀にですが居ましたが、その人が同性愛者だったかどうかは解りません。 

夫婦別姓も当時は誰一人考えもしなかったと思います。 

ドラマで当時の非日常のようなことを入れる意味は無いと思いました。 

現代に合わせようとしたのでしょうが、違和感以外感じませんでした。 

 

=+=+=+=+= 

最初はよかったんだけど、だんだん演技力も凄いのがあって、おなか一杯になりました。 

何かを訴えたいのか、今の世の中に伝えたいことがあるのかはわかりませんが、花岡と轟の関係で終わりにしておけばよかったのに、ぐっと踏み込んだ感じになって何だか気が向かず見ていません。内容は今の世の中では大切な事なんでしょうが、個人的には重くて。 

 

=+=+=+=+= 

「らんまん」は主人公の才能、植物愛が伝わり、応援したくなる人物だった。妻のすえちゃんも耐える女でなく「自分が見たい夢を追う」という自分軸がしっかりしていた。というか登場人物すべてが「自分の生き方を他人任せにせず、主体的に動く」「悪人がいない」清々しい人物造形だった。令和の感覚をうまく落とし込んでいたと思う。 

 

しかし「虎に翼」は寅子の法律家としての活躍も才能も描けていない。次から次に小ネタをぶつけては解消しないまま話が進む。最悪なのは、エピソードを動かすために、キャラクターが都度改変されること。 

演じる役者さんたちが気の毒でしかたない。 

 

戦後10年にしては、悩みの質もおかしい。戦争や原爆を体験した人間が「女は働かなくていい」「子どもができてキャリアが閉ざされるなんて地獄」なんていうかな?生き延びるのに必死な時代。ファンタジーにもなっていない。 

 

=+=+=+=+= 

違和感はある。最近のドラマならわかるけど、むりくり入れる必要あったかなと。あったとしてもリアルに行けばかなり残酷な話になって終わりだと思うんだけど。それこそ取り上げたことNHKが後悔するくらい。民放でも意識して盛り込みすぎじゃないのかなとは思う。 

 

=+=+=+=+= 

「エンターテインメント性とテーマ性(主張)の両立」って今声高に言わなくても昔からある手法やん。 

 

ただ思うのは、「朝ドラに重いテーマをそのまま入れるなよ」ってこと。 

まだ結論の出ていない【重いテーマ】を重く伝えられると、朝から胃がもたれるんだよ。別の場でやってほしい。そのテーマ性(主張)とやらは、「朝ドラ」に求めているものではないんだよ。 

 

思えば、大河の「どうする家康」も変な思想を盛り込んだから、「これは大河なのか」と言われてたでしょ。 

 

「カムカムエヴリバディ」も「ブキウギ」も心に届くメッセージ(=今も思い出す登場人物たちの思い、そして名場面)はあったよ。それで十分なんだよ。 

 

=+=+=+=+= 

日本人には原典重視の感性がある。フィクション、もしくは二次創作と銘打った作品だったら嫌悪されるものではなかった。 

また、しばらく前に発生した別の原作改変騒ぎの時も、各メディアから脚本家のフォローが入って余計炎上したが、こうして最終回前に誘導を入れるのもヤブヘビな気がする。 

最後まで見た視聴者の評価さえ良ければ、オンデマンドも回るし、世間の感性を変えることもできるだろう。 

 

=+=+=+=+= 

私は吉田脚本家や松岡氏の考えには賛成出来ない。実在する人物をモデルとして描いているドラマなのだから事実と余りに掛け離れて自らの思想を押し付けるのは、また針小棒大に描くのは如何なものか。NHKの朝ドラは爽やかな気持ちを視聴者に持たせるもの、無難なドラマが大半だと思っていたがこんなドラマが続くと朝ドラから離れる視聴者が増えるのではないか。NHKも視聴率の良さに調子に乗り過ぎているのでは。 

 

=+=+=+=+= 

同性カップルの話が出てくるが、ひどく現代的感覚で 

昭和30年にそれをカミングアウトする事は社会的に 

抹殺されるようなことだったと思います。 

その後のことですが、丸山明宏氏やピーター氏が出て道を開き、 

それは芸能界という特殊なケースでしたがそれでも 

シスターボーイ、変態性と言われていました。 

Sという女性歌手がいましたが相手が同性だったことが判り 

芸能界を追われました。 

現代でも芸能界なら多少容認されるでしょうが一般的に 

カミングアウトはし難いし、多くの知人、友人が心から祝う事は無いでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

折角の岡田将生さんを見たいのですが、話しが今の時代を盛り込みすぎた、ん?という展開ばかり見せるのでみるのをやめました。伝えたい想いみたいなものはわかりますけど昔の時代、そのシーンはあり得るのか?と結びつきませんでした。 

一個重たいの終わったと思ったらまた始まって繰り返されたため息切れです。 

どの、ゆみちゃんもいいし子役さんも好きな子ですが、一個前のゆみちゃんから急に変わりすぎた感じがあります。 

 

=+=+=+=+= 

父親が主役の亭主の戦死公報を隠していた辺りから変だなと思い、恩師に楯突いて花束贈呈拒否した時に常識ないなあと思い、男色・事実婚で時代背景や史実無視に呆れてモノが言えなくなった。 

脚本家のイデオロギーを披露する場所じゃない。だったら、三淵嘉子がモデルですって言わなきゃよかった。 

 

 

=+=+=+=+= 

終戦までを描いた第1章と呼べる部分までは史上最高の朝ドラが生まれたと言って憚らない内容だった。 

女性で日本初の弁護士、判事、裁判所長となっていく三淵嘉子というヒーローが誕生するまでのエピソードゼロのような感じで、45話の最後にオープニングを持ってくる演出も相まって、これからどんな活躍をするのかワクワクした。 

そこから思いも寄らない失速。 

流れが自然かどうか以前に、とくにここ最近は純粋に面白くない。 

毎朝ワクワクするほどだったドラマだったのに。 

もう終わりも近づいてきたのに、寅子自身の仕事、活躍が全然描かれておらず、ただ脚本家の主張を言わせたいがための周辺人物の話を聞くような内容ばかり。 

こんなに同作品内で落差を感じるのは初めてかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

吉田脚本絶賛「エンタメと主張の両立」 

はて? 

三淵さんと言う実在する人がモデルにいたからこそだと思いました。オリジナル脚本と言いながらも、基本のおおきな軸は三淵さんの人生を描いていて、そこに好き勝手に、現代の課題である同性愛とか事実婚とかを好き勝手に盛り込み、思いを放ったら、三淵さんのストーリーに戻ってくる。戻り先があるから勝手に暴れられるんだ! 

なるほど! 

も思いました。 

完全オリジナルストーリーで、これだけの課題を盛り込んで主人公、脇役を固めてドラマを作ったら、果たしてここまで話題になったのだろうか? 

 

補足的に、この和田制作統括は、少し奇をてらう感じの作品がお好きのようで。まっ、流石に鎌倉殿の13人は史実もあり大きく外す訳に行かなかったようですが、これまたなるほどと! 

 

違う制作統括と脚本家で三淵さんストーリーを観たかった。最後は外さずに、ランディングして下さい。 

 

=+=+=+=+= 

朝から同性婚や苗字がどうとかうるさくて見るのが嫌になってきた 

何でも今の価値観のおしつけはつまらない 

そもそも実在の人物をモデルにしておいてよくそこまで改変できるな~ 

局こそ違うけどセクシー田中さんの騒動から何も学んでないね… 

 

今では家に帰ってレコーダーにとってるちゅらさんの方が全然おもしろい 

苗字がかわるから、一緒に住めるからでウキウキしてるエリーの方が何倍も可愛いし面白い 

 

=+=+=+=+= 

当初、法律がテーマの朝ドラと聞いて「全部セリフで説明するような説教くさいドラマになったらいやだな」と思っていた。前半はそうでもなかったけれど、最近は懸念していた説教っぽいドラマになっているかな。 

ただどんな朝ドラでも途中中盤でだれてしまう部分はある。ラスト1ヶ月で盛り返してほしいね。 

 

=+=+=+=+= 

今の時代の流れで「夫婦別姓」「同性婚」、いわゆる多様性を伝えたい気持ちはわからないでもないが、実際にこの時代、あからさまにこういうことが」主張できたかというとそれは違ったと思う。 

※今の時代、結婚する相手の姓を名乗ることに幸せを感じる人も少なくはない。 

 

本当のこのドラマを通じて伝えたいものは何なのか。 

もし、今の時代の主張を訴えたいのであれば、「朝ドラ」という場ではないと思う。 

最近のNHKは随所にこうしたところが目につくが人それぞれ、考え方が違うことを認識して製作にあたって欲しい。 

 

寅子のあまりにも押しつけがましい言動、行動で主役を演じる本人までが嫌いになってしまいそうだ。 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラ、今までほとんど見ていなかったのですが、法律が好きだったので、このドラマだけは録画して毎日楽しみに見ています。 

 

憲法、法律以外にも現在の日本に存在する様々な問題が盛りだくさんで、毎回毎回、そうだね、うんうん。と切なくなるとともに、大人としてこれを次世代に持ち越さないよう、何かできることはないかと考える日々です。 

 

=+=+=+=+= 

夫婦別姓について、現在の夫婦別姓は個を大切にすることからであるが、当時にもあった夫婦別姓は家名を残すためであることが(今よりも)多かった。個の尊重ではなく、むしろ個は大切にされていない。よって、現在の感覚で夫婦別姓を持込むのは、違和感があり過ぎる。 

また、個の尊重のための夫婦別性であれば、別姓が理由の困難は本人だけ(は言い過ぎかもしれないが)の問題だが、家名を残すための別姓の場合は子や孫にまで影響がある。例えば長男は夫の姓、次男は妻(の実家)の姓にするなど。当然、家業や墓を継ぐなどということも小さなことではない。 

夫婦別姓ひとつをとっても、ドラマ一本分ぐらいのエピソードはある。それなのに、このドラマは"問題"を取り上げ過ぎだし、扱いが深くない。ドラマで描かれている時代は、婦人参政権や女性議員、女性の社会進出が進んだ時代でもあり、エピソードにも事欠かないだろうに、そちらが疎かなように思う。 

 

=+=+=+=+= 

いま海外だとディズニーとハリウッド映画を筆頭に、「同性愛や黒人優遇キャストの作品を作らなければだめ」というルールができているが、ついにその波が日本にまで波及してきたか。 

 

そういうことに振り回されない独自の文化を持っているのが日本の良いところ。どうか圧力に屈しないでもらいたい。 

 

=+=+=+=+= 

「現代社会の問題を織り込みすぎて、昔の時代の描写が薄れている」のではなく、 

昔から同じ問題があったにも関わらず、なかなか変われなかったことを描いてるのだと声を大にして言いたい。 

そして「現代の世情を織り込んでる」わけでもなく、現代に至っても未だ存在する問題を解決するためにどのようなハードルがあったのか、そしてどうすべきなのかを改めて考えさせる筋立てであり、描かれている問題が新しく感じてしまう事自体への警鐘でもある。 

描かれている出来事はおおよそ史実にあった裁判をモデルにしていたり、社会におけるマイノリティの立場も半世紀経過してもそれほど変わっていない。 

 

=+=+=+=+= 

社会問題全部盛りすぎと言われてますが、このドラマは憲法14条から始まっています。寅子のかかわる法律や憲法を全体のテーマにしているところが秀逸です。 

また、朝ドラはモデルがいる場合でも、役名からオリジナルで史実に忠実なわけではないです。なつぞらとかもそうだった。史実にも興味があるので、ドキュメンタリーも作って欲しい。関連番組もどんどん作って! 

 

 

=+=+=+=+= 

最近急激におもしろくなくなってきた。 

夫婦別姓だの同性婚だの、現代の問題をぶっ込んできたのが違和感しかない。同性婚なんて今でこそ理解ある人が増えてるけど、あの時代にそんな理解ある人が多かったとは思えないのに、みんな受け入れすぎてて怖い。最近は流し見で十分です。寅子の力入りすぎな演技も見てて疲れてきました。 

 

=+=+=+=+= 

虎がごめんなさい言うのがなぜかいつもひっかかっていました。登場人物のセリフがみんな理屈っぽくなってきたり観ていても楽しくなくなってきました。製作者の考えを押し付けられている感じ。伊藤さんや岡田さんというか役者さんみなさん、演じていて息苦しいんじゃないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

始まったころは面白くて楽しく見ていましたが、途中からポリコレに傾倒しだして全くつまらなくなってきました。 

コメントを見てると同じような人が多く、間違った感想じゃないことが分かって安心しました。 

実在のモデルがいるんだから多少の演出はあっても、なるべく忠実なほうが面白かったと思います。 

非常に残念で、近年稀に見る駄作に落ちぶれてしまいました。 

 

=+=+=+=+= 

事実婚を主人公カップルのエピソードにしたことは、やり過ぎだったかもしれませんが、モデルがいるドラマでも、事実と違うことは多々あることだと思います。 

 

夫婦別姓や同性婚を「現代の問題」とすることには疑問を感じます。 

少数だったとしても、どの時代にもいた人達だと思います。 

結婚したら夫の姓にすることに、事実婚や夫婦別姓の法改正など考えつかなかったとしても、心がざわついていた女性はいたのではないでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

記事では絶賛しているけど、脚本家の方や作り手の思想がキツくて観るのがしんどくなった。 

 

せっかくモデルの方がいて、なかなか興味深い人生を歩んだ方なのに、そこが上手く活かされていない。 

 

戦前までは毎日楽しく視聴していたけど、今は色々と盛り込み過ぎてとっ散らかった印象がある。 

 

肝心の裁判官のシーンが少なくて湿っぽい話ばかりだし、主人公も毎回眉間に皺を寄せてばかり。演じ手が気の毒なドラマになってしまった。 

 

=+=+=+=+= 

途中から見なくなりました。その時代のそのままの感覚、当時のあるあるで描いた方が面白かったかな。段々なんかこうあるべきって説教くさい感じがしてきて見てて疲れてしまった。 

それからどうしても伊藤さんと役柄、セリフに違和感を感じる事があって、伊藤さんのキャラクターが生かされてないようにも思いました。 

 

=+=+=+=+= 

飛躍し過ぎている。Xに「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」と投稿されていたそうだが、描くのは良いけど、その時代の社会では世界中大半の国で受け入れられなかったLGBTQや性転換手術、トランスジェンダー問題を描くならどうしようもない社会の壁があった現実を正直に描けばよかったと思う。そう言う人が社会からどのような差別・誹謗中傷に晒されたかを時代背景に即して描きそれらに対する寅子の決意を描けばよかったと思う。 

現代的な思考と判断に走り過ぎて物語が陳腐化してしまった。 

それにこのドラマのモデルは現代人であり、まひろのように古代を生きた人ではなく史実資料も大量に残されている。モデルが現代の人ならば脚本に制約が付きまとうのは仕方がない。嫌ならオリジナルの脚本の方が良い。 

 

=+=+=+=+= 

ひところのハリウッドで、LGBTを描くことが「社会派」である??という不思議で余計な風潮が入ってきて、やたらとLGBTを描く映画が増えてしまったことが、ちょっと残念だったが、それに近い感じかな。自然な流れの中で描かれるのは良いと思うけれども、あくまで寅子が主役だと考えると、あのようにクローズアップしないといけないようなものが多様性だと考えると、それを視聴者に押し付けていると考えた場合にはおこがましいという感じがしないでもない。 

 

=+=+=+=+= 

ポリコレドラマを作るのならば、実在の人物をテーマにするのは止めた方が良いと思う。 

 

故人に失礼だ。 

 

ポリコレ全体主義はこのように「個人の権利」や「事実」より、自分達の主張を優先するが、こんなものを信じてはいけないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

寅子を、年齢と共に丸くなっていくような人物には描きたくないそうですが、“もがく”感じは希薄で、何かあるとすぐに「ごめんなさい」で片付けていて、中途半端にいい人に。 

それでいて理由が明確でないまま本人だけがこだわることが増え、理屈っぽさを感じるようになりました。 

反感を買っても、もっと猪突猛進の人に描いてもらってもよかったんじゃないですね。 

寅子をとりまく人たちも、「しょうがないわね」と半ば呆れつつ、時間をかけて最後に「やっぱり、たいした人だったんだ」と得心いくようなことでも。 

でも、それだと良心に訴える朝ドラではなくなるのかな。 

とにかく失速していて、勢いがなくなってきました。 

 

 

=+=+=+=+= 

「あの時代に、同性婚や夫婦別姓にそれだけ理解や許容があったのかな。あれば令和の今はもっと違っていたのでは」と思いつつ「これ、ドラマだし」と思い直して楽しんでいます。 

演出にそれなりの意図があるのだから黙って楽しんでいれば良いんだと「どうする家康」で学びました笑。ドキュメンタリーではないですし。 

今日の回では、のどかの意地っぱりがよく伝わりました。本当は愛情に飢えていたんですね。 

航一も先の戦争について深く悩んで父親らしい事をしてこなかったのですが、今の星家の人は、航一が戦前に総力戦研究所にいた事を知らされていなかったんですよね。家族に話せる任務ではないし、無理もないです。 

優三さん遺伝の優未の腹痛、ナレーションで「さすが寅子の娘、これが思わぬ事態に」とありましたが、結局色々経て、のどかの意地も溶けてめでたしめでたし。 

ただ、寅子のひどい生理痛まで遺伝しませんように。あれ、マジで辛いから。 

 

=+=+=+=+= 

中盤からだいぶ制作側の主張が強く出てくるようになりました。 

あくまでドラマなので史実に完全に基づけ、とまでは言いませんがもう少し自然な感じで物語に落とし込めなかったのでしょうか。 

重みがあるとまで言わせた「はて?」を乱発し娘にまで言わせたり、学芸会のような結婚祝いパーティーでの祝辞分割喋りとか。 

もはや登場人物は人格を失った制作側の代弁者のようです。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛に差別や偏見が今よりあって自殺したり社会的に死ぬ時代に他人が簡単にアウティングしたりファッションのように言うのは扱いが軽すぎてリアリティーが薄く感じられました 

異性の恋愛すら何も言わないような時代なので尚更です 

対して自然に判明する妊娠へのアウティングには穂高先生をそこまで痛めつけるかと思うほど重すぎてバランス感覚がよくわかりません 

しかも怒りや批判で終わり 

モデルの方が特にそういうことを言い始めたわけではないようなのでそれ以上は踏み込めない浅いものになってしまっている感じ 

同性婚にしてもそうでしょう 

尺をそれらの展示会にできるほど残りは多くはないです 

 

新聞社さんライターさんにも言いたいけれども制作側の意図を流す記事ばかり 

それを解釈したり論説的批判的肯定的なことをバランスよくできるかという力が足りないと思います 

 

終盤は「リーガルエンタテインメント」名誉挽回の法廷劇を期待します 

 

=+=+=+=+= 

優三さんとはるさんが退場してから一気にドラマの内容が変わってしまったような気がします。スタートよりポリコレ臭がしてましたが、戦後編になると……。華丸大吉の朝ドラ受けを見たくてつけっぱなしにしているのですが、なんか俳優さんたちがトゲトゲしていて(すべての登場人物が攻撃的な感じ)、主役にしても脇役にしても前半の方が生き生きしていて可愛かったように感じます。(主要な役の方は変わってないのにね)ポリコレ満載ってのはプロデューサー&脚本家&スタッフ含めてNHKさまの方針なんだろうなぁ。AK制作の実在の方をモデルにした朝ドラって、その方(モデルになった方)やご親族に対するリスペクトが全くないなって感じます。結構協力を断られたケースが多いのでは? 

 

=+=+=+=+= 

脚本家は向田邦子のシナリオを読んで、もう少しドラマを勉強して欲しい。 

寅子の多様性に対する純粋な疑問は分からないではないが、戦災孤児やLGBTなどのエピソードがその場限りの尻切れトンボ。以降のドラマの盛り上げにほとんど貢献していない。 

戦前の家族のシーンが良かっただけに残念。 

この分だと新潟のミステリーも本筋に関係なく終わりそう。 

 

=+=+=+=+= 

法曹がモデルだからか話が理屈っぽすぎておもしろくない。 

司法試験目指してる学生時代まではおもしろさも感じたが、最近はニュース終わりの惰性でなんとなく見てるだけ。 

午後12時半からの『ちゅらさん』の再放送のほうがはるかにおもしろい。 

「正論をいろいろ並べてみました、わたしって意識高くてステキでしょ」という脚本家の自意識が前面に出て押しつけがましい。 

政治的な主張をしたいなら、ドラマじゃなくて報道のレポートでも書いて『報道特集』とか『サンデーモーニング』で発表すればいいのにと思う。 

 

=+=+=+=+= 

nhk法が今の時代に合ってないという批判が多い中でも国民から強制的に受信料を徴収して 

それで作るのがエンタメとしてでも史実やモデルを尊重するでもなく 

作者のポリティカルなコレクトネスであったり思想を優先したとっ散らかったドラマなわけです 

僕はこういった人として筋の通っていないダブルスタンダードが大嫌いです 

まずモデルがいるなら事実とは違う人物像として描くべきではないですし 

どうしても思想を優先したいなら架空のキャラにでも扱わせるのが筋じゃないでしょうか 

それにLGBTへの配慮こそ時代の求める今あるべき形なのだと偉そうに言うのなら 

まず真っ先にNHK受信料という時代に合ってない悪法を国民の意志に従い無くすべきではないでしょうか 

正しさとは何か答えがあるとするならこのドラマと制作サイドがやってる事は 

間違いなく悪であると言えるでしょう 

 

=+=+=+=+= 

これが平安時代のように脚本家の裁量重視で物語を紡ぎ出せるようなものならともかく、詳細に人生を描ける近代史の人物を主人公や登場人物にしたのなら、その時代の当人達が体験してもいないような現代設定やエピソードを差し込むのは、その方達の尊厳を傷つける行為なのではと考えます 

佐田に名字が変わった時は何一つ言わなかった寅子が、再婚を考えた時いきなり夫婦別姓を望み、現代の事実婚を航一から引き出すような傲慢さを見せたり、同性愛者が急に増えるような展開には、そこまでが面白かっただけに残念でなりません 

いよいよ原爆裁判を中心に話が進んでいくのかと思っていたのに、いきなり現代の話が放り込まれたのですっかり気持ちが萎えてしまいました 

主人公のモデルとなった三淵嘉子さんは、出生姓武藤から最初の結婚時に和田、再婚時には三淵と男性側の姓を名乗っています 

なのに局の都合でこんな形にされて、三淵さんが気の毒でしかありません 

 

=+=+=+=+= 

実際のモデルや時代背景から飛躍してます。令和の時代にも意見を二分する内容を無理くぶっこんだ意図には何があるのでしょう。NHKもいろいろやらかしてますから何処かからの圧力でなければ良いのですが。 

 

=+=+=+=+= 

こういう自賛記事出る辺り、また高評価コメントがほぼない所を見ても実際はかなり厳しい評価なのだろう。 

実在の人物出せばリアリティを担保できるとでも思っているのでしょうか。エンタメ部分も俳優陣の個性や演技に頼り切っている印象。穂高先生のエピソードで流れが変わったね。 

 

 

=+=+=+=+= 

すごく好きな朝ドラでしたが、 

穂高先生への暴言あたりで主人公が嫌になって見なくなりました。 

 

その後の展開はわかりません(ごめんなさい) 

 

今回の回も同じように気分が悪くなるような感じでしょうか? 

ご感想をコメントしていただけたら助かります 

 

=+=+=+=+= 

フィクションとしては秀逸だが、勘違いして誤解を生む表現が多過ぎる。 

百年前の世界に現代の感覚を持ち込んでいるから、当時から同性婚に肯定的な人物も少なからずいたように誤解する人が居る。 

当時の世相から言って同性婚なんてタブー視されてほとんどの人から理解されず忌避されて、誰からも助力をえることなどできなかっただろう。 

下手をすれば、社会的に抹殺されていたはず。 

もう少しフィクションだってことを強調すべきでは? 

 

=+=+=+=+= 

新潟編から東京編になって、令和の視点でLGBTや夫婦別姓を昭和のドラマに描くのはおかしいと言ったコメントが結構ありましたね。これは実は昭和にもちゃんとあった問題なのですが、なかったことにされていた、なにせ女性の生理の話だって今までの朝ドラでは描かれなかったんですからね。これだけ拒否反応があったと言うことはまだまだ多様性という言葉を知っていても、その意味を理解できない人が結構いるということで、そのことがわかったことも意義がありますね。今の子供たちは学校でSDGsを学ぶわけで、その中にジェンダーの平等もちゃんと入っています。好き嫌いはあっても、偏見や差別があってはいけないという当然のことを大人も常に自覚しなくてはいけないでしょう。ところで脚本が遅れていて、クランクアップできないという一部報道がありましたが、クランクアップは無事にしたのでしょうか?来週のエンタメニュースに出るのかな? 

 

=+=+=+=+= 

最初の一ヶ月は面白かったけど、 

穂高先生に物申したときくらいから、一気に寅子が嫌な女になってしまった 

別に穂高先生も弁護士をやめろと言ったわけではないし、雲野先生も戻っておいでって感じだったのになんであんな感じになっちゃったんだろう… 

 

=+=+=+=+= 

そういえば、「舞いあがれ!」のコロナ禍のマスク着用姿も必要なかったと思います。 

 

平日毎日の通勤・通学・家事前に見る朝ドラは、視聴者が現実を少し忘れたくて見てるような面もあるから、ドラマの中にリアルの社会状況を取り込まない方が良いような気もします。 

 

朝ドラは全体の放送時間では大河ドラマより長いということなので、始まりから前半の流れは出来が良くても、中だるみがあったり、余計なエピソードを詰め込みすぎて、見てる側の期待を裏切るような結末になることもありますね。 

 

最近では「らんまん」がいちばん良かったと思います。 

 

=+=+=+=+= 

アメリカ流リベラルへの配慮、もしくはアメリカからの要請でしょうか?ここは日本です。ここまでくると番組制作が偏向していると言わざるを得ない。センシティブな問題に対し国営放送が特定の思想への誘導と教化、美化をはかるような番組制作はやめて欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

教育的というか、主張が入りすぎているというか、見てて気持ち悪くなってしんどくなりました。わざとらしいというかあざといというか。やるならもう少しさりげなくやったほうがよかったかもしれませんね。エンタメ性ってそこじゃないと思うんですけど。精一杯エンタメをやった上で、さりげなくテーマを入れる方が、気持ちよく視聴できると思うんですけどね。 

 

=+=+=+=+= 

現代ではない時代設定のドラマなのに、現代の価値観を押し込め過ぎたらどうしても違和感出ます。LGBTのところと夫婦別姓のところは、ドラマの時代背景とあまりにも合わなかった。 

 

これがやりたいなら、現代劇を作ればいいのにって思います。私は同姓婚にも選択的夫婦別姓にも賛成の立場ですが、イデオロギーとドラマとしての説得力は別。イデオロギー盛り込んだ結果、ドラマの完成度下げてどうするんだと思います。 

 

今やってる働く女性に対する男性の受け止め方や、産後も働き続けることの難しさ、義理の家族とのギクシャクは、この時代であっても「そりゃこうなるわな」って感じられるので、今週からはまた楽しく見てます。 

 

=+=+=+=+= 

とても楽しく興味深く視聴しています。 

 

男女別姓、同性婚などは昨今の課題で、寅子の時代には大きく取り上げられていない為、「史実」に反する勇足な脚本との指摘。はたまた政治的意図を疑う。そんな意見を持つ人が居るのは理解出来ますが、彼女の本質を表現する上では必要なシーンだったと思います。 

 

例えば戦争体験などが分かり易く、今の世代には乗り越えて来た試練の重さは、肌感として共感するのは困難でしょう。 

 

寅子が果たしてきた事を、現代の視聴者に自分ごととして置き換えさせるのなら、LGBT問題に向かい合う姿を描く事が、まさしく戦後の民主化に違を唱える人々と、戦って来た主人公の真実に迫る事が出来るのだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田恵里香氏がオリジナル脚本を手掛け」と書かなければならない程ドラマは腐って崩壊している。浅く不自然にテーマをひと齧りしては次々と並べているだけで、時代や背景にマッチした物語などではない。 

 

 

=+=+=+=+= 

同性愛や夫婦別姓は主張としては理解できるけど、時代背景を無視してあまりに露骨すぎる気がしました。その時代に生きていた訳ではないので描写として合っているなら申し訳ないが、あまりにここ数十年の現代の社会問題を取り込んでいたのでそう感じましたね。 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラにいつも思うが、NHKは反日思想ありきのテーマに結論付けるために実在の人物像を捻じ曲げるし、時代背景の理解もめちゃくちゃ。 

そもそも、終戦直後の時代設定にLGBTを打ち込むとか、文化的歴史的な見地からしてあり得ない。 

皆が傷を隠して生きることに必死な時代なのに、差別だ人権だと騒ぐ余裕は市民社会にない。 

 

=+=+=+=+= 

ここ最近の朝ドラでも面白い方で、音楽の使い方が良いし、物語は思想強めだけど面白い。 

だだし、脚本家がXにポストする長文が上から目線で思想の押し付けが酷い。それに共感する「気付いた人々」が上げる声もきつい。 

SNSがかなりマイナス要素に働いている。 

 

=+=+=+=+= 

フィクションなので史実と異なる展開はあるのでしょうが、人権的な意識を高めたいというのであれば、まだ古い慣習に縛られています。LGBT、多様性のひとつにパートナーを作らないという選択があります。パートナーがいて1人前、これも古い意識ということを忘れてはなりません。 

 

=+=+=+=+= 

まあ、ポリコレ汚染の先に何があるのかは、アメコミやらディズニーやマーベル、スターウォーズの凋落を感じている人からすれば改めて言うまでもない話だろ。 

 

スパイの容認、ポリコレ作品の生産がNHKの終了を加速させるのならそれはそれでアリだと自分は思う。 

 

=+=+=+=+= 

日本の伝統を大切にするという自称保守主義者が思った以上にはびこっていて、案の定、歴史も時代の文化や意識の変遷も知らないことに暗澹とする。現代、議論になっているようなテーマは昔から存在しているものだし、ある意味昔の人たちの意識の方が進んでいた。高校生時分に保守化がひどいと評されていた今の五十代以下には想像つかないだろうがね。 

 

=+=+=+=+= 

番組的に脚本家がどうだとか、制作側の何とかだとか、難しそうな事はわからないしどうだって良いけど、スカッと泣いて笑える良い終わり方をお願いします。良いドラマでした! 

 

=+=+=+=+= 

なんかとある勢力の思想をマスコミが一生懸命推し進めてる感があるよね。 

男女間でしか成り立たない夫婦の概念を同性でも可能にしたら国が根底から崩れると思うよ。 

子供が増えないことには何の発展にもならないし。 

しつこく報道して政治にプレッシャーをかけようとするだろうけど、それで政治が動くなら民主主義ではないわ。 

 

=+=+=+=+= 

テレ朝の「ブラックジャック」のDrキリコと同じで、原作や実在のモデルがあるのに、勝手に「今の社会に問いかけたい」「問題提起したい」という謎な意識高い系思想がチラついて嫌になる。 

そもそもテレビドラマごときが何かを社会に問えるような立場にないことを自覚したらどうだ? 

社会は遊んでいるわけではないぞ。あんたらドラマ制作人より、実際の世の中のことを一番理解している。そして考えている。 

 

=+=+=+=+= 

来年のNHK連続テレビ小説は、やなせたかしをモデルにした「あんぱん」らしいね 

この調子なら、やなせたかしの平和を愛した思想を利用して、日本軍や自衛隊を悪者に仕立て上げるプロパガンダドラマになることが容易に想像できる 

 

 

=+=+=+=+= 

ドラマの展開をどう受け止めるかは個人の自由。見続けるのもやめるのも個人の自由という前提で。私の場合、同性パートナー問題、結婚後の姓へのこだわりなど、視聴者へ「思考の押しつけ」に辟易して離脱しました(ほかの方のコメントにもあるプロパガンダ強すぎという意見に同意)。モデルの三淵さんとかけ離れた主人公の名前も、ここにたどり着くための理由だったのかと腹落ちしました。脚本家も俳優さんも好きで、ロケ地探訪するほどでしたが。 

 

=+=+=+=+= 

尾野真千子さんがきっと 

現代の法律に携わる方で、 

身内の過去等を調べるうちに 

現代と比較する感じかな?と思ったら 

昔ので進行しちゃってて。 

昔の当たり前じゃなかった頃が 

見たかったな。ドラマは完走します。 

 

=+=+=+=+= 

ポリコレが自身の主張を述べるために、放送(それも公共放送)を利用し、エンタメと両立などとほざく。 

ならば、架空の人物で一からストーリー作ればよかろう。 

 

「自然な」という表現は、大した根拠もなくイメージ化を図る慣用句でしかないと考える。 

 

個人的には、民放ならまだいいが、視聴料強制徴収されている放送では止めて欲しい。 

私の場合、家にTVはないが、自動車のカーナビにワンセグがついているので仕方なくNHK料金を払っている。 

 

逃げ恥も連続ドラマは面白かったが、ポリコレ満載の2時間スペシャルはつまらなかった。 

 

=+=+=+=+= 

昭和の時代に実在した人物に託して、作家個人の主張を広く宣べるためにテレビドラマ、それも国民の受信料で成り立つNHKを利用するのは、やはり行き過ぎだと思う。 

たとえば同じ創作でも、数年前の大河で明智光秀は実は生き残って・・・というエンディングは、確証がない史実を別の視点から解釈し直したもので、脚本作家の創作の許容範囲内といえる。 

また4百年以上も昔のことなので、そうした創作も現在の血脈・関係者にあまり影響がない等の理由で許されると思うが、今回のドラマは違うケース。 

同性婚にしても国会等の公の場で十分な議論さえ始まっていない状況で、国民それぞれが色んな立場を持っている状況。 

それなのに、実在の故人の意思表明もない案件について、一脚本家が独自の主張を同人に託けて宣明するような行為は、その個人への配慮を欠いた逸脱行為のような気がする。 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラは見たあと元気をもらって揚々と出勤できるような内容を望みたい。脚本家の思想や主義を説教されてるようで、気持ちがざらざらする。それにてんこ盛りすぎてとっ散らかり、途中で曖昧にされたエピソードもあり、その落ち着きのなさは、決して良作とは言えなかったちむどんどんを思い出した。 

 

=+=+=+=+= 

他にもよくあるのが、まだ幕末に近い頃の時代で「武士の時代はいずれ終わる」とか「身分の違いがなくなる日が来る」とか、とても当時は言ってなさそうなセリフが出てくる。こういう後出しジャンケンもドッチラケルのでやめてほしい。かつての必殺シリーズのように"そういう設定のフィクション"として作るのなら問題ないが。 

 

=+=+=+=+= 

戦後まもない時代の結婚観なんて 

家父長制から男女同権の婚姻に移り 

「家」を各々が作る核家族の時代の到来で 

その家の名を家族が同じ苗字で名乗ることへの違和感なんて 

なんの話をしてるんだろうな?レベルの飛躍です 

 

同性愛者についても 

日本は元々「そういう人もいるね」以上の干渉は避けるべき 

という態度が主で 

宗教弾圧してきたその反動でやたら寛容を示す 

欧米のような流れは無いのです 

 

=+=+=+=+= 

朝ドラは政治的主張強めだったり 

ちょうど再放送されてるオードリーみたいに 

登場人物がヤバい人だらけで狂気じみたものもある 

元から万人向けでは無いのかも知れない 

 

制作側の主張したい事と、主な視聴者層である女性に向けた内容のミックス 

戦後ネタや女性の社会進出ネタは何度も使われているね 

 

=+=+=+=+= 

昭和30年代に事実婚はありえないと思います。 

私は1965年生まれだが小学校の時にクラスメイトの苗字が突然変わってびっくりした覚えがあります。 

そんな時代に最初から父親と母親の苗字が違うなんて考えにくい。 

 

=+=+=+=+= 

脚本家がまだ若い方では?と思った 

現代で注目されているテーマをこの時代に斬新に盛り込んでこの記事のように脚本家として持ち上げてもらいたかったのかな? 

みなさんが書いているようにどうしてもやりたいなら史実がないオリジナルの現代作品でやれば叩かれなかったのに 

それといつも問題が起こった後の解決がお粗末な気がする 

新潟のミサエっていう東大生?の話も広げるだけ広げて回収が???のままというか、これから掘り下げてやってくれるのならすみません 

何にしてもいろんなことをあちこちに問題としてあげて不穏な空気とか出していくのはいいけど星家の不穏な話もいまいち消化不良だし 

起承転結の起は大袈裟すぎるくらいなんだけど結が弱いというか拍子抜け 

 

 

 
 

IMAGE