( 207420 )  2024/09/01 15:29:50  
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菊間千乃氏「やだ」教科書の表記変更の動きに困惑「ザビエルはザビエルでいいじゃない。そこ?」

日刊スポーツ 9/1(日) 8:43 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c50c750c83981e8c12adc6b964c8bc83a95078cf

 

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元フジテレビアナウンサーで弁護士の菊間千乃氏が最近の教科書で偉人の名前や記号の表記が変更されていることについて困惑しており、番組でその例を挙げられると、昔の表記に慣れ親しんでいることを指摘し、新しい表記に戸惑いを示していた。

他のゲストからは新しい情報や発見があるたびに更新することは歓迎すべきだと提案されたが、菊間氏は苦笑いしながら受け入れ難そうな様子を見せていた。

(要約)

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菊間千乃氏(2021年3月撮影) 

 

 元フジテレビアナウンサーで弁護士の菊間千乃氏(52)は、8月31日夜に放送された同局系「情報7daysニュースキャスター」(土曜午後10時)に出演し、最近の教科書で、一部の偉人の名前や記号などが、かつての表記から変更されているケースが増えていることについて、困惑気味に違和感を隠さなかった。 

 

【写真】坂上忍に「ザビエル」で散々イジられた大物歌手 

 

 番組では、米国大陸を発見したコロンブスが「コロン」に、第16代米大統領リンカーンが「リンカン」に、また、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの「ザビエル」が「シャヴィエル」などという形で、さまざまな表記が変更されていると紹介。番組MCのTBS安住紳一郎アナウンサー(51)が「いろんなことがあって、一度に覚えきれなかったんですが、教科書表記などが変わっているということです」と述べると、菊間氏は「もう、昭和脳なので、ザビエルはザビエルだから。シャヴィエルとか、ちょっと何言ってるんですか?という感じになりますよね」と、主張。「ザビエルでいいじゃない。そこ?って思いますよね」と、納得できない表情で続けた。 

 

 安住アナに「1度覚えた人はこれでいいかもしれませんが、新しく覚える人は、ということかもしれません」とフォローされたが、菊間氏は納得できない表情のまま。「気持ちが顔に出てちゃっている」と指摘されると、菊間氏は笑いながらも「やだ」と応じた。 

 

 この日のもう1人のゲストでクリエーティブディレクター山崎晴太郎氏が「新しい研究や発見があってアップデートするわけだから、我々も歓迎すべきだと思います」と菊間氏に提案したが、菊間氏は「歓迎すべき…」と、苦笑いで応じていた。 

 

 

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日本語での外国の固有名詞や人名の読み方に関する様々な意見がありました。

多くの声が、歴史的な名称や表記に対する変更や改定について慎重な姿勢を示しています。

一部では、日本語における外来語や外国人の名前の表記は決して正確ではないことや、過去の教育や文脈に基づく命名や呼称に対する尊重の重要性が強調されています。

また、歴史の教育やコミュニケーションの適切な方法についてもいくつかの意見が見られました。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

変える必要なんてないと思います。 

正確にカタカナで表記するなど、あまり意味がない。どのみち正確には表しきれない。 

実は全然名前が違った、というならいざしらず、読み方にそんなに時間と労力をかける必要があるのでしょうか。 

マクドナルドをマックゥドゥナルドと表記するんでしょうか。 

読みにくいカタカナばかりになりますよ。 

それよりもきちんとその人物を理解して 

把握していることのほうが大事。 

覚えやすいことも大事。 

 

=+=+=+=+= 

元々外国語表記のものを日本語に置き換える際、若干の違いは出てくるのはある意味当然かと 

そういう意味ではシャヴィエルだって日本語発音では正しくないのかと 

正直どっちでもいい、ってことはわざわざ変えるところでもないのかと 

 

というより歴史の勉強は個別の名前を細かく覚えることに終始しがちですが、本来はそうでなく歴史全体の流れをストーリーとしてきちんと把握することが重要なのではないかと 

 

つまりザビエルにしろシャヴィエルにしろ、なぜ日本に来たのか、日本でどういう活動をしたのか、が重要ではないかと 

 

=+=+=+=+= 

我が家の子どもたちに「揚子江」と言っても中華料理店名の認識でした。 

今は「長江」と教えられる。こういうのは昭和あるあるネタの例として 

親子間対話ができる、とポジティブに捉えます。 

 

=+=+=+=+= 

これで有名なのは、ゴエテとは俺のことかとゲーテ言い、という昔からのネタがある。 

今新しくしても更に変わることもあるだろうし、記憶を変える必要ないかなと。 

映画監督のマーティン・スコセッシはイタリア系で、長い間ハリウッドではスコシーゼが普通でスコルセーセなんて表記もあった。 

 

=+=+=+=+= 

外国では、例えばドイツの固有名詞を英語圏では英語のスペルで読んだりするので、発音はまぁまるで違います 

読み方なんて読む方の国で決めればいいじゃないですか 

 

日本では多分その固有名詞が入ってきた経路によって読み方が決まったんじゃないでしょうかね 

じゃぁ無理に変える必要性はないんじゃないかな、とは思う 

もちろん言葉は変わるものなので、多数派が変えようぜとなったら勝手に変わるでしょう 

 

=+=+=+=+= 

不自然でない程度に原音に近づける、という考え方がとられているのだと思う。それ自体は正しいことで、固有名詞などは本国で呼ばれる形に近づけて表記することに反対できない。最初にザビエルと表記した人も、それが原音に近いと考えたのだろうから。 

 そしてその方法をとれば、外国語を話す際に間違った発音をしないで済む。Jeffersonという名は日本ではジェファーソンと必ず表記されるが、米国でそう発音すると別人と勘違いされる可能性がある。ジェファスンが原音に近い表記だろう。 

 しかし、それを徹底してゆくと、今回のようなことが生じる。例えば、有名なエジソンは、エディスンと表記しなければならない。エジソンといえば発明王でとても立派に聞こえるが、それをエディスンと表記すると何かその辺のおっさんのようではないか。 

 やはり、原音から離れてしまっていても人々に親しまれてしまっている表記の場合は扱いが難しいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

実情に合った表記変更は必要だと思いますが、ごちゃ混ぜで統一性がないから解りにくいところがありますね。  

例えばA国の物なのに伝わったのがB国経由だから名称はB国語だったり、伝わった時代によって違ったり、同じ漢字圏なのに台北はタイホクで北京はペキンだったり、漢字圏から外れたのに読みはカタカナでユンなのに尹と漢字表記したり、とにかく統一性がなくて分かりにくいのが実情です。  

改訂するなら統一性を持たせないとより複雑で混乱させるだけだと思います。  

どうせカタカナ言葉で現地や外国人に通用する言葉ではないものが大半なのですからどう変わろうが構いませんが、改訂したらしたで広く認知させる必要はあると思います。  

日本人同士世代間で通じなかっりすれば、誰のための改訂?となってしまいます。 

 

=+=+=+=+= 

私もリンカーンのまま、ザビエルのままでいいんじゃないかと思う。 

 

それよりも学校で教える歴史の内容や優先順位だと思う。 

 

教科書の1頁目から縄文や弥生から学んでいくのではなく現代・近代史から逆に学んでいくべきではないだろうかと思う。 

 

隣国では若者達にも独自の歴史認識をすりこんでいるが、日本では授業時間が足りず、重要な近代・現代史は適当に流して終わりなる。 

 

リンカーンやザビエルを見直す時間があるなら、歴史の逆教育の検討をお願いしたいと思う。 

 

 

注) なお本コメントはあくまで私見の投稿ですので、他の方からの返信コメントでの異見や稿撃は無視しますのでご承知おきください。 

 

=+=+=+=+= 

歴史上の人物名称が変更されたことを周知されていないからいきなり変更してますと言われても旧名称で学習してた世代にとっては混乱してしまいます。 

このような変更を周知しないのはおかしいとは思います。 

発音表記を本来の読みに合わせるなら今までの表記と並行して教えないと世代間で今後話題に出るたびに話がかみ合わなくなる可能性も出てくるのでは。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも日本語での読み方ですからね 

 

英語読みが世界で一番多いからってそれに合わせる必要はないでしょ。そんなこと言ったら「ウィルス」は英語読みなら「バイラス」だし、中国なんか北京は「ベイジン」でも「ほくけい」でもなく「ペキン」、その国々で色々あっていいんだと思いますよ 

問題になるのはその国の人がその公式名では嫌だという場合例えばロシア語読みの「グルジア」がソ連時代のイメージが嫌で「ジョージア」と呼んでほしいとか戦争中のウクライナがロシア語読みの首都「キエフ」を「キーウ」と呼んでほしいといった場合で、その場合は日本が相手の国のことを思いやる立場ならそうするべきだと思いますが 

 

 

=+=+=+=+= 

人名に限らず、物でも歴史的事象でも他の国では読み方は異なる事が多いよね。言葉が違うんだからそれは当たり前ですよ。無理やり元の国の発音に近づければ、かなりおかしな発音になったりして聞きとれない事も有りそうですね。 

できればその国で分かりやすくした方が良いし、最初決めていた言葉を何十年何百年経過してからわざわざ変えたりするのは混乱を招くだけだから本当に良くない。 

 

=+=+=+=+= 

細かい話ですけど、ドラマなどでも呼び方、読み方が変わっている固有名詞、結構ありますよね。思いつくだけでも、 

浅井長政:あさい→あざい 

護良親王(大塔宮):もりなが→もりよし、だいとうのみや→おおとうのみや 

山内一豊:(これは結構昔だけど)やまのうち→やまうち 

聚楽第:じゅらくだい→じゅらくてい 

地方差、個人差があるのかもしれませんが。。。 

それなりに根拠があって変わっているのでしょうけど、昔の人間なのでどちらかというと上記では左側の読み方に親近感があります。 

 

=+=+=+=+= 

世界史の教科書で、シャルル大帝、あるいはチャールズ大帝と記載があり、どちらも正解であったと記憶しています。(ちなみにドイツ語読みではカール大帝)今となっては英語とフランス語発音の違いだったと理解できています。 今回は、言語の違いとは異なる事案ですが、正確に近い表記なら、変えていいと思います。ここにこだわる理由が不明。統一される方が、好ましいと思う理由は、固定観念っていうやつですかね。 

 

=+=+=+=+= 

50年ほど前、中学校の歴史の教科書には「カルビン」と書かれていた。これは、英語の発音に近い。 

高校に入って、世界史の教科書を見たら、「カルヴァン」と書かれていた。彼はフランス人だから、フランス語の発音に近い「カルヴァン」に変えたのだろう。 

 

先日、フィリピン人と宗教改革について、英語で話していたとき、私が「カルヴァン」と言ったら、通じず、「カルビン」と言ったら、わかってくれた。 

フィリピンは英語も公用語の一つだから、英語は通じる。歴史上の人名も英語で学んでいるのだろう。 

ま、しかし、彼はフランス人だから、カルヴァン のほうがよいだろうな。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも外国語の発音をカタカナで表現すること自体に無理があるので、これまで使い慣れてきた表記まで変更する必要が果たしてあるのかどうかは疑問ではありますね。 

カタカナは日本語なので日本人どうしで通用すればそれで十分役割は果たしていると思うのですが。 

 

=+=+=+=+= 

なぜ変更しなければいけないのかが疑問。 

歴史上の人物名など、浸透している認識を踏襲すれば良いと思う。 

建築の巨匠 ル・コルビジェ、ル・コルビュジエなど色々混用されている。新たに発見された理論に基づくような知識は更新されるべきだけど、過去の人物名を変更するのは混乱の極み。 

 

=+=+=+=+= 

昔日本にマクドナルドを出店させようと本国法人に交渉したときに、 

現地法人は発音を正確に、という要望を出したけど、その発音では、日本人は発音しにくいこと、聞き慣れない発音であるため、 

要望通りでは流行らないと判断してマクドナルドになった。 

ザビエルではなく、シャヴィエルとするなら、カタカナ表記ではなく、現地表記にしないと。 

 

=+=+=+=+= 

表記変更はシャヴィエルもマガリャンイスも30年前には変更になっています。 

今さら話題になることに驚きです。 

ただマガリャンイスがマゼラン海峡を通って世界一周と言う表記には違和感がありました。 

 

=+=+=+=+= 

Xavierを英語で読むとゼイビアーみたいに聞こえますね。ドイツ語だったらザビエルっぽくなるのかな?カタカナで表記したらどうやっても原語の読み方とはかけ離れたものになってしまう。表記を正確にしたいと言うならカナはそのままに原語を併記する方が良い。ザビエルはザビエルのままで問題ない。 

 

=+=+=+=+= 

モハメッドがムハンマド、アレキサンダー大王がアレクサンドロス大王。最初に聞いたとき、誰のことかと思ったよ。 

英語読みだったのを原語の発音に合わせようということなんだろうが、そもそも日本語のカタカナで表記するには限界があるんだし、欧米追従主義の臭いがして嫌だね。 

みんなが覚えたものをコロコロ変えると、世代間で話が通じなくなるという不都合が大きいんじゃないか。きっと国際社会で日本人が…とかなんとか高説を垂れるのであろう研究者の上から目線な自己陶酔よりも、大多数の実益を重視した方がいいと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

本来はそう読むというのもありかもしれないが、歴史的にずっとそう言い続けてきた呼称を変えてしまうのは歴史認識に何かズレが生じないか 

それこそ新しい教科書を習った生徒は昔の書物に触れて、この人誰? ってならないか 

宣教師たちがスパイ行為をしていたことも本来ならきちんと教科書に乗せるべきだし、南蛮貿易の中で日本人が奴隷として売られていたことも忘れてはいけない 

ただキリスト教の教えが為政の都合が悪いからと言うだけで弾圧を加えたような説明はあまりにもおかしい 

 

=+=+=+=+= 

戦国大名の浅井長政だって30年くらい前は「あさい」だったのがいつのまにか「あざい」と濁るようになってたしな。 

あと読み方ではないけど源頼朝とか足利尊氏の肖像画とか、その年号に起きた出来事(鎌倉幕府)とかいろいろ変わったなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

他国の人の読み方なんて正直どうでも良いと思うのですがね。他国の歴史で日本人が出てきてたら、ご丁寧に読み方をアップデートしてくれるのかな。 

それよりもシャビウェルだかザビエルだかが、何しに日本に来たのかをちゃんと学んだほうがその後の例えば豊臣秀吉の動きとかの意味とか理解できるような気もしますが。 

でも何が本当がよくわからない歴史において、あまりにもちゃんとストーリーを作って教科書に載せてしまうのはダメなのかもですかね。ま、健全なのか隠蔽なのか忖度なのかは全ての情報が降りてこない下々の私たちにはわかりませんが、そうなるとどうでも良い読み方のアップデートくらいしかすることが無いのかもしれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

変えるには思惑が有って帰るのだろうが変えない方が良い場合も有る、以前漢字を子供に教えたら先生に書き順が違うと注意されたと言う書き順が変わっていた事を知らなかった自分は唖然とした、漢字の書き順を変える必要性を感じられない。 

 

=+=+=+=+= 

いずれにしても 外国語を日本語の発言に変えた時に 日本語的に言い換えただけだからザビエルはザビエルでいいじゃないか。でなければ 表記も含めて原語にすれば良い。問題は いまだに英語や外国語を話せる日本人が少ないということではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

>「新しい研究や発見があってアップデートするわけだから、我々も歓迎すべきだと思います」 

 

例えば聖徳太子が聖徳太子(厩戸皇子)になったように、歴史的な研究が元で名称を変えたり()表記するのは理解できる。 

が、だとしてもむやみやたらと大きな変更をするのは世代間で誰の事か話が通じなくなったり混乱の元となるので必要最低限にしてもらいたい。 

さらにそれ以上に、近年の無意味に言い方や「読み」を変える風潮はなんとかならないかと。 

住所不定→住居不定 

河川敷(かせんじき)→かせんしき 

依存(いぞん)→いそん 

現存(げんぞん)→げんそん 

など。 

放送禁止用語のように何か理由や意味があって別の言い方に変えるならともかく、最近のメディアは何の意味も必要もないのに何故わざわざ頻繁に変えたがるのか? 

言語は人間の意思疎通の最も重要なツール。むやみやたらと無意味に変えることがいいとは思わない。 

 

=+=+=+=+= 

私が高校生のときの40数年前の世界史教科書には、フランク王国のカール大帝/シャルルマーニュをチャールズ大帝、ロシアの女帝エカチェリーナ2世をキャサリン2世と、ともに英語読みで書いてました。何でも英語読みには抵抗がありましたからよい傾向だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

なぜか日本は海外の名称を現地の発音に合わせようという動きが活発だけど、海外は日本の名称を日本語の発音に合わせようという動きなどほとんど無い。 

くだらない欧米礼賛主義の一種だと思う。 

 

欧米同士では「カエサル」→「シーザー」とか「ゲオルギウス」→「ジョージ」とか、自国流に変えるのが普通のように見える。 

 

日本でも「イギリス」を「ユーケー」とか「大ブリテンと北アイルランド」みたいに言い換えるような動きは無いようだし、他も言い換える必要は無いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

外国人と英語で話すときに、案外と困るのが、英語圏ではない人名や固有名詞。ミカエルはマイケル、シャルルはチャールズ、ムンクの「叫び」は何という? 

ボリュームは増えるが英語の表記を添えることで、とても学びになる。 

 

=+=+=+=+= 

だよ、そんな細かいところにこだわってどうすんのと 

あと、史実がコロコロ変わったりするよね、新たな証拠が出てきたとかでさ 

それだって現代の人間が目撃したわけでもないのにさ 結局推測の域を出ない 

時の政権によって良いようにも悪いようにも記録には残されるよ 

今もまだ縄文時代から順に歴史の授業してるのかもしれないが、そんなところで時間を取るより先に現代史から取り掛かる方がいいんじゃない? 

これだけ今世界は動いているんだから 

縄文から幕末までは各自学習でいいと個人的には思う 

 

 

=+=+=+=+= 

配慮する事はいい事だけど、国のアイディンティティを捨ててまで配慮をし過ぎる事を良しとは思えない。 

 

だって一番いい見本が、いまだに名前と苗字を逆に名乗らなきゃいけないんだよ、なぜか海外では。アジア圏で日本くらいじゃないの、こんな屈辱をずっとやられている国は。 

 

そこまでして配慮し過ぎるべきではないんじゃないかな、そろそろ堂々と日本人である事を日本自らが主張できる環境になっていってほしい。 

 

=+=+=+=+= 

これからの人は正式名で覚えていけば良いのでしょうね。私が中学生の時英単語50問テストが有り満点者には症状が頂けた…私は「ラジオ」の単語をragioと書いて1問ミスってしまった思い出がある。その時何故日本って和製英語で話すのだ!と苦々しく想った覚えがあります。外来語は世界で通用する発音で統一して欲しいですね。 

 

=+=+=+=+= 

外国語を和訳する時に違いが出るのは当たり前ですから、気にしません。 

多くの国で通じる方に修正すれば良い。 

過去には、グルジアをジョージアに呼称を変えたようなことも有ります。 

フランスも国際的には、正式名称は、レクビッリクフランセーズですし、国際呼称は、フランクライヒです。 

 

=+=+=+=+= 

どれだけ頑張って表記を変えようが、その国の人には通じない。できるだけ現地語に近づけたいのはわかるが、無駄な努力では? 

アルファベット表記にしたところで「カエサル」が英語圏では「シーザー」と読まれるように、読みが国によって違うのはやむ無しですよ。「オーストリア」も現地ごよみでは「エスターライヒ」ですしね。あ、これもウムラウトを発音できてないから通じないけど。 

現地語に近づけようってのが無駄な努力かと。 

あと、漢字言葉はほとんど日本語読みするのはなぜ? 

 

=+=+=+=+= 

歴史って明らかないなってないことがいっぱいある。だから考古学的文献的に「これ今までの解釈が間違ってたんじゃないか?」という発見があったらアップデートするべきだと思う。聖徳太子だって当時は聖徳太子とは呼ばれてなかったんだから厩戸皇子に変えるのは当然。歴史っていうのは印象で学ぶものじゃない。 

 

=+=+=+=+= 

どうなんだろう? 

バイオリンとヴァイオリンみたいなもんか? 

それだとどっちでもいい。 

ニュースなどで、国のグルジアはロシア語読みから現地読みのジョージアに変わった。 

それは現地人にとっては重要。 

英語合わせのをカタカナ読みににしたのを、本来の母国語にあわせるののらいみがある。 

で、どのパターンになるんだろうな? 

それがわからんままだから水掛け論になると思うんだが。 

そこを正しく伝えるのも教育だと思うんだが、丸暗記でいいと思っている奴の都合で教えるからこうなる。困ったもんだ。 

 

=+=+=+=+= 

『17人のスティーヴンソン : 図書における外国人名のカナ表記1』という書籍があります。 

これは「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などの作者であるロバート・ルイス・スティーヴンソンを代表例として日本の図書における外国人名のカナ表記の揺れを調査したもので、タイトルの通りスティーブンソンさんには17種類の表記があるそうです。 

 

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私がこの問題に最初に違和感を持ったのが、”ムハンマド”です。元々この名前をカタカナで言い表す事は不可能なのではと感じます。私なりには、”モ/ムハマッド”辺りが正解だと思いますが、ムとモの間の音を表すカタカナはありません。 それなら、アラビア文字では無理でも一応世界的に一般的なアルファベット表記にしたらどうでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

私達が習ってきた歴史はなんだったのか。 

教科書を作る時にはわかってたのかわからなかったのか。 

わかってたけどそのままで今まできてしまったのか。 

 

人名も大事だけど鎌倉幕府が出来たのは1192年とは今は教えてないと聞きました。 

犬公方と言われた徳川綱吉は良い人だったとも。 

西郷隆盛は写真嫌いで銅像の西郷さんの顔は本物とは全然違うとも。(おじさん?弟の?顔を参考にした?) 

また、人前に出るときにきっちりしてた人が着物姿を見せる事はなかったから犬を連れたあの銅像はおかしいと。 

 

昔の歴史を教えられた私達はどこをどう修正しなければいけないのかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

ザビエル関連だと、伴天連(バテレン)という言葉はザビエルらが発したパードレというポルトガル語を聞いてできた言葉、切支丹(キリシタン)も同様ですね。ザビエルについても当時の人がザビエルと聞こえたからそう伝えられているんですから、これはザビエルのままで良いように思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

勉強して大人になって気づくことは、教科書なんて嘘ばかりだったってこと。教科書なんて相手にする意味がない。 

ザビエルに限らず、日本語(カタカナ)にすること自体が無理だし、やるべきではないんだよ。日本語は日本語、外国語は外国語と理科して両方を使い分けなきゃいけない。なのに日本人の多くは日本語変換した発音が正しいと思って生きてしまうので、日本人のカタコト発音では地名すら正しく伝わらない。アジアの中でも突出して英語ができない国民になってしまうわけだよ。 

 

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大阪の堺市にはザビエル公園があります 

 

正式名称は戎公園 

 

誰もシャヴィエル公園とは言わないでしょう 

 

教科書を作成するときの基準を考え直した方が良い 

 

まずは、広く日本人に馴染みのある名称で書いて 

何が本来の呼び方かわかりませんが、 

学問的にこれが正しいとされる書き方を注釈で示せば良いのでは 

 

=+=+=+=+= 

現地読みに近づける 

 

っていうのはわかるんだけど、それやっちゃうと英語読みともまた違って、結局そう発音したときお互い疎通できるのは限定されちゃう、ってことも起きるわけで 

 

。。。どっちみち日本語発音で通じないことがほとんどだから、別に今更変えなくても。。。と思うけどね。。。 

 

ところで明治時代の文章に書いてあるカタカナ英語の方が、今よりもずっとホントの発音に近いんだけど、あれもどういう経緯で変えちゃったんだろうね。。。 

 

あんま気分でコロコロ変えてほしくないよ 

 

=+=+=+=+= 

これはもう、ザビエルで覚えた人は一生ザビエルでええんとちゃうんかいな?今さらそれで試験を受けることだってないだろうし。 

こういう人らには厩戸皇子は今でも聖徳太子だろうし、騎馬武者の肖像画は足利尊氏なんだよね。 

昭和30年代に刊行された社会科の本をみたら、ペリーのことは「ペルリ」と書かれてたりしたから、ザビエルがシャヴィエルに今のところなってても、また将来変わる可能性はある。 

でも今の授業でシャヴィエルと習った人にとっては死ぬまでシャヴィエルなんだよ。 

 

=+=+=+=+= 

まあ確かに他国の他の時代の言葉を日本語で表記するのだから、ザビエルでもシャヴィエルでもどちらも日本語の発音で言えば合っていないでしょう。どちらでもよいし、変える必要もないのではないですか。そして究極は、本人が名乗っていた名前が本当はどう発音していたかは、時代が古くなれば、検証のしようがない。まあ紫式部なんて人はいないと言っているようなものでしょう。実はザビエルの方が、当時の本人の名乗っていた言葉に近かったりして。 

 

=+=+=+=+= 

コロンブスがコロンですか… 

コロンブスの卵なんて言葉もありますし、歴史上の人物の呼び名を変えることにあまり意義を感じませんね。 

そもそも外国語の発音をカタカナで表現すること自体が非常に難しいので、発音にこだわって変えたとしても正確な発音とは違いますしね。 

 

=+=+=+=+= 

ザビエルの綴りはXavier、リンカーンの綴りはLincoln。 

 

他の国、たとえばドイツではそれぞれ クシャフィア(あるいはクシャヴィア)、リンコルンと言っています。 

 

また、アレクサンダー大王はヒンディ語でイスカンダルと言います。 

 

同様に、日本でも長年聞き親しんだ言い方でいいのではないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

日本国内で世代を超えてコミュニケーションを取ることの方が大事では無いのだろうか?最近社会科の内容の呼称が変えられつつ有るが、変える事の弊害の方が多い気がする。 

 

=+=+=+=+= 

明治の初めに有名な小話がありますよね 

「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」 

何か4つも5つも呼び方があったらしい 

確かに、本来の現地読みやアルファベット表音を正確に言い表すのはかなり難しいけれど、私は(ゥ゙など表記が増えた現代だからこそ)なるべく実際に合わせるべきだと思います 

ザビエル→シャビエル、コロンブス→コロン、リンカーン→リンカンにしてもこれから覚える人たちにはどうってことない、いまの私たちが単に変わればいいだけです 菊間氏の「イヤだ」は本心?らしくない気がしましたね 

思い出しました アメリカ大統領だったレーガンさんは長い間リーガンと呼ばれてました(アメリカからの申し入れがあったとか) 

大変なのは中国語名ですね、なまじ漢字なのでお手上げに近い 

 

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クリストファー・コロンブスは本来イタリア人だからクリストフ・コロンバと呼ぶべき、みたいな話だよな。 

正確には無理でもそこそこ近づけようとするのはいいのでは。 

戦国時代を統一したのはノウブネイジ・オウデイとか教えられてたらちょっと嫌だし。 

(正確には統一ではなく安土時代に移行したのかな。) 

 

 

=+=+=+=+= 

今時はなんでも国際化が進み映像で学ぶ時代なので発音に近い表記のが良いでしょうね。 

ヘップバーンなんかもともとの発音のかけらもありませんし、発音によせれば良いと思います。 

 

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変えるなら変えても構わないとは思う。ただ、義務教育ですからねぇ。変えるのなら一言告知をして欲しいと思う。鎌倉幕府だって1192年・良い国作ろう鎌倉幕府で習ったんだよ。それを変えたなら、「すいません間違えたこと教えてしまって、今後は変えますね」と訂正して貰わないと困りますよ。我々の古い常識が覚えている我々が古く悪いと言われるのはとても心外な重いがするんです。義務教育なら責任をとって欲しいよ。思いませんか? 

 

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鎌倉幕府の成立年を1192年から1185年に、または聖徳太子の名称を厩戸皇子と表記…というのは、「より事実に即した表記にするため」と合理的な理由があるので理解できる。 

 

しかし、Francisco de Xavier、または Francisco de Jasso y Azpilicuetaという人物を「フランシスコ・ザビエル」とするか、「シャヴィエル」とするかについては、どちらも「より事実に即した表記か否か?」で言えば否だと思うので、些末な問題だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

現時点での発音表記より、当時の日本人がどう呼んでいたかならわかるけど 

あまり意味のない事だと思う。 

それを言うならば、アジア史特に漢字圏の皇帝などの名称はすべて正しい表記読み方に変えるのか?ってことにならないでしょうかね。 

 

=+=+=+=+= 

菊間さんはわがままですね。 

これから歴史を習う訳じゃあるまいし、新しい事が分かったんだからアップデートするのは教科書も当たり前にやります。例えば坂本龍馬は司馬遼太郎の小説になったから有名になっただけで、小説自体はフィクション。実際は明治維新に何も関わっておらず、薩長同盟にも何も尽力していない事も昔から言われており、単なる下級武士だっただけで、歴史の教科書から消えました。日本の歴史に「古墳時代」とありますが、戦前は既に大和朝廷がありましたから「大和時代」と言われてましたがGHQが禁止。でも、最近の歴史教科書では大和時代(古墳時代)で復活し、歴史学者が喜んでいます。 

 

=+=+=+=+= 

カタカナにするから表記に問題が起きるんじゃん。 

もうアルファベット表記にしとけば問題無いでしょ。 

まあそれを発音する時に問題が出るかも知れないけど、それはその人それぞれでお互いの意思疎通が出来れば、それで十分じゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

ウクライナの地名の表記が変わったように、現地発音に合わせることに賛成です。 

いま政府に求めたいのは、我が国の英語表記を中国語読みに由来するJapanではなく、NihonまたはNipponとすることです。 

 

=+=+=+=+= 

まぁ、時代の流れってのはあるよね 

グルジアがジョージアになったり、インドのボンベイがムンバイになったり 

特に外国由来のものは、日本風になってるものが多いので修正やむ無しって感じだけど 

日本古来のものでも、聖徳太子はいなかった 

厩戸王子だとか 

鎌倉幕府は1192年でなく1185年だとか 

研究解析が進むにつれ、修正されるものもある 

 

日本語英語なんかもそうだよね 

シュミレーション→シミュレーションみたいな 

 

より正しくなるなら、仕方ないよね 

 

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今になって変える必要があるのかわかんないし、「リンカーン」が「リンカン」、「ザビエル」が「シャヴィエル」はまだしも、「コロンブス」が「コロン」って…何で略すかなぁアウグストゥスとかヴァスコ・ダ・ガマとかも略すの?直す人・現状維持の人になる基準もよくわかんないし、歴史って後世でどうにでもできるもんだとなってしまわないか気になる…… 

 

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コロンバスはコロンなの?どっかの都市名とは関係ないんだ。いづれ報道・マスコミも追従するのか…スポーツ欧州選手の呼び名とか難しいですよね。テニスも欧州とカナダ選手とか超難関。更に車のジャガーはジャギュア?ミシュラン三つ星レストランはミチュリン三つ星かな?と自分でアホ臭いこと言ってるが、名前表記より大事なのは歴史歪曲ですよね。 

 

 

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本国から「その発音は原音と全然違うから変えてくれ」って言われたのならともかく、わざわざ変える必要ないと思います。 

音韻体系が異なる外国語を無理矢理五十音に当てはめてる時点で矛盾した話です。 

 

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ザビエルは日本の呼称といて残してもいい気がする。それを否定し始めたらカステラとか他の呼称はどうするんだって話になってくる。()をつけて正式名を併記するとかにすればいい。 

 

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研究者と文科省初中局長のお気持ち次第なんだろうから好きにすればいいよ。ただアップデートするから変えたらお知らせしてくれればいい。 

 

そして幼名から始まる戦国武将もエピソードの時期によってはこうなるのか。征夷大将軍になれる条件もわかるからいいのではないか。死後は戒名か。 

 

平朝臣織田上総介三郎信長 

豊臣朝臣羽柴筑前守藤吉郎秀吉 

源朝臣徳川蔵人次郎三郎家康 

源朝臣明智日向守十兵衛光秀 

源朝臣武田甲斐守太郎晴信 

源朝臣真田左衛門左源次郎信繁 

 

相互主義でやってきた中国人のことも原音主義にするのか。劉備(リュウビ)も劉備(リウベイ)とするか、最初から昭烈帝とするか。さらに昭烈帝(チョウリエディ)とするのか。 

 

これも変えたら教えてください。 

 

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正直いい年になってから、ザビエルなんて名前 

テレビのクイズ番組見てるときくらいにしか口にしないので 

どう変わってもいいかな 

 

それより、昔の創作物レベルの資料を元に記載されている事項を 

早く修正した方がいい。 

 

坂本龍馬は削除しようとしたら、嘆願書が届いたから延命って 

それって学問なのか? 

別に坂本龍馬を偉人だと思う人がいるのは勝手だけど 

フィクションを教えるのは教育ではない 

 

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コロンブスがコロンね。 

昔、光栄の『大航海時代Ⅲ』に登場したときには、クリストバル・コロンで出てきたから、まあ分からなくはない。 

いままではクリストファー・コロンブスだったかな。 

 

読み方変わったり、成立の年号が変わったり、人物像に「伝」が付いたり、私が学んだ歴史とは変わってしまった。学生には「え?なに言っているの?」とか言われるのだろうね。 

 

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読み方なんて世界中で違うのが当たり前。例えばハインリッヒさんがオランダに婿入りすればヘンドリックさんになる。他の国なら、ヘンリーにもアンリにもエンリーケにもエンリーコにもアンリークにもヘンリクにもなる。 

日本人はXavierさんを”ザビエル”と呼べばいいし、他の国ならシャビエルやハビエル、サヴィアと呼ぶ人もいるだろうし、「進撃の巨人」のファン同士なら”クサヴァーさん”と呼んだっていい。 

 

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固有名詞はその国の呼び方で呼ぶのがいいと思う。ザビエルはスペイン人なので、スペイン語の読み方シャビエルがベター。 

英語の教科書でも日本人の名前は、姓+名の順で表記するようになったようだし。 

 

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亜米利加をアメリカ、仏蘭西をフランスに変えるときも、変えなくていいんじゃない?という声はあったと思う。今や亜米利加とか仏蘭西とか書く人はいなくなったしそもそも読めない人もいる訳で、ザビエルも変えてもいいと思うけどね。 

 

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外国人の名前や地名、固有名詞等をより発音に近い表記にすることそのものは間違っていないですから、試験の解答として「どちらも正解」となるなら実質的な問題は無いですね。 

時間の経過と共に新しい方が定着して行くだけなので。 

 

ただ聖徳太子を厩戸皇子に変えたりするのは慎重さが必要だと思います。 

鎌倉幕府の年号を変えたりね。 

これは史実を変えることになってしまうし往々にして思想的なものが絡んでいるので。 

大抵はサヨクの仕業です。 

 

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リンカーンをリンカンとするのは、今始まったわけじゃなくて、もう50年近く前からあったことですからね。織田信長を「おーだのぶなが」と読むようなもの。 

それぞれの国の実状に合わせて変えていくのは必然と思います。他国の文化を尊重するという意味もありますから。 

日本でも「坂本竜馬」を「坂本龍馬」に直す動きは多数派になってますしσ(^_^;) 

 

 

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つまりあれですよ 

オアシスじゃなくてオエイシスだって言い張る人の意見が通った感じですかね...。 

日本語表記なんで細かい点は考えなくていいんじゃないかと思いますけどね。 

そのうちビタミンはバイタミン、ジャガーはジャグウァア、イージーゴアはイーズィーゴーアにしなきゃいけなくなるんでしょうか? 

 

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こういう変更をするならカタカナ表記基本をやめて、アルファベット表記を基本にしましょう。 

 

漢字表記の中国人名の読みが日本語→中国語やアルファベット表記の欧州人名の読みが英語→フランス語→ドイツ語と変遷しても表記はそのままだからなんとかなるが、カタカナ表記で変遷されるとたまらない。 

 

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これを変えるということは『イギリス』とか『オランダ』とかの表記も変えるのかな? 

個人的には『ウィルス』とかも変えてほしいかな。 

つきつめていくと日本人は『カタカナ』を使うのをやめるのが一番いいんじゃないかな。 

 

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まず Xavier を 

『ザビエル』と発音するのは英語圏で、 

『シャビエル』と発音するのはスペイン語圏です。 

なお正確にはザビエルは『ゼイビア』、 

シャビエルは『シャビエ』となるようなので、 

日本語表記自体どちらも正しくはないです。 

 

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あまりにも実際の発音と違うから修正圧力になってるんでしょうね。 

 

例えば、海外で昭和天皇が「Emperor Jowa」とか表記されてたら「「ジョワ」って誰だよ?」となるかと思いますが、 

シャヴィエルがザビエル表記なのも「さすがに「ザ」はないでしょ」ということなんだと思います。 

 

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教科書のこう言う所を変えた人、変えようと言った人は絶対にいるはず、でなきゃ変わる事はない。 

この人達は国民の前に出て来てどうして変える必要があると思ったのか?何故自分達の主張(変更云々)に国民は従わなきゃならないのか?等を理由を説明していただきたい。 

でなきゃこんな訳のわからない変更はたまったもんじゃない。 

 

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一部の研究者が偉くなってきた時、自分の爪痕を業界に残そうとする。 

 

歴史学界では、既存の人や地名の発音を自分で調べてきた現地風のものに変えてしまうことをもって「功績」と悦に入るのである。 

ザビエルがシャヴィエルに代わって、本質的に何が変わるというのか? 

 

ファッションブランドの世界でもこういうことがある。モンクレーをモンクレール、オークレーをオークリーと言い換えたりして「今度のコレは違うぜ」と、これは自覚的にやる演出の類なので罪は軽いか。 

 

研究者の自尊心のためという理由であれば、クラシックな呼び名を変えることは私は反対だ。 

蔣介石はユワンシーカイで、毛沢東はマオツォトンで中国はチュンホァか?誰がそれで喜ぶ? 

しかし言葉は生き物、言葉は政治。成功した改名は正しいのだ!ともいえる。役不足もすべからくも貴様も意味が変わってしまった。 

言葉とは何だ?言葉とは力だ。念が現実を変えるシステムなのだ。 

 

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「キエフ→キーウ」みたいな問題があるなら変えるべきとは思うけど、できる範囲で説明は公に発信して欲しいよね。 

 

大人が子供に尋ねても何言ってるかわからない感じになるし、特に教える側の人は積み重なると結構なストレスだと思う。 

 

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ザビエルは、スペイン人だがナバラ人、バスク人でもあって当時のカスティーリャ語での発音はシャビエルと推定、現在スペイン語ではハビエルだそうだ。バスク語だとシャビエルコア? こんなの厳密にどれが正解と決めようがないよ。 

 

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シュープリームスがスプリームスになってたり 

アリソンリメリックがアリソンライムリックになってたり 

時代とともに読みが変わるのはよくあるけど 

全部発音を合わせてたら大変なことになる 

検索を考えると発音に近づけるのは学者のエゴでいいことではない 

 

 

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だったらなぜ、日本はJapanのまんまを許すんです? 

まっさきにNipponまたは、Nihonに変えろって言うべきでは。 

日本自身だって、にっぽんか、にほんかで複数読みを許してるのに、他国の名前には読みに拘るとか矛盾してますよ。 

 

そもそも正しさってなんですか? 

全ての国を現地読みにこだわるなら、まず身近な隣国から修正しないといけないですよ。 

これを変えた人は、それに全部つきあえると思ってるんですかね。 

到底日本人じゃ発音できそうにない読みだったらどうするんでしょう。 

 

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意味のないこと、ではイギリスは日本だけでブリテンと読み替えしない。習近平をシンチーピンとに表記にはせんでしょう。元々日本語表記で良くないか。外国出る人が学べはいいこと。、キム・イルソン、ではなくてキンニッセイでよくない。だったらジャパンじゃなくてニッポンと国際的に主張しなさい。日本語は外国の読みを認めて、外国のものは日本読みを当地の言葉に変える。ここに日本の国としての国プライドが足りない。実際隣の国は国際的な名称を東海、独島と言っている。エベレストを一時期現地呼びのチョモランマに変えたが結局報道では両方言ってたが結局浸透しなかったかエベレストに戻っている。 

 

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すごく昔話になるけど、中学生の時のはなし。 

フランシスコ・ザビエルの名前が出たときに当時の社会科担任が「いいかぁ、くれぐれもサンフランシスコざるエビって言うんじゃないぞ」って言ってた。多分先生の持ちネタだっただろうけど案外ウケて先生ご満悦だったことを今でも何故か覚えている。 

 

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名前・名称、特に名前は、その国の発音に近いものに変えるべきです。 

 人が相手の名前を呼ぶときに、たとえば、「私は、山田(ヤマダ)です。」と自己紹介した人に対して、たとえば「カワモトさん」と呼んだらどうでしょうか。 

 発音が難しい場合もあるでしょうが、極力近いものにする努力はすべきです。 

 教科書は別だ、タダ単に知識が身についたかをチェックするだけのものだから、とは違うでしょう。 

 

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それよりも、「国を愛するように」となった教育指導要領、だっけ? 

に合わせた内容にしてくれよ。 

重要なことを良くも悪くも双方出すだけでいいんだよ。 

母音の少ない日本語で、現地発音に合わせようとしても無理だし、そこはそこまでの重要性はないよ。専門家レベルならともかく。 

 

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何のための変更なのかよく分からない。 

不要な表記変更は過去の文献との食い違いの元になるし、利用者の混乱を招くから止めた方が良い。 

例えば、偉人の子孫の方から日本に「正しい発音で学んで欲しい」と抗議が来たのなら、対応せざるを得ないと思う。 

お偉いさんの仕事してますアピールのための変更ならいらない。 

 

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原音に近づけるなんて言い出したら、ほぼ全ての人名や地名など、見直さなければならなくなるし、例え全て見直し終えたとしても、出来上がった教科書はなんだコレ?みたいなものになると思う。 

 

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試験でシャヴィエルをザビエルと書いたら誤回答になるんですかね?だんだんネイティブな発音に表記を訂正していきたいなら、その遷移期間においては旧新の表記を併記すべきでしょう。そうせにゃザビエルで学んだ人にはシャヴィエルでは通じません。 

 

実存主義で著名なデンマークの哲学者であるキルケゴールなんて、キェルケゴールやらキアゲゴーやら色々言われるお陰でウィキペディアでは「表記と仮名」で一つの長文の項目になってるくらいです。どんだけ日本語で表現しにくい人なのやら。 

 

どの呼ばれ方であったとしても、どの人のことを言っているのか特定できるようにすること、その人がどのような事をし、後世にどのような影響を与えたのか、それを正確に伝えていくことこそ、教育の役目だとは思います…が、キルケゴールが何を言い伝えたいのか、凡人の自分には理解不能ですけどね。 

一神教のザビエルは、さぞ八百万の神々に困惑したことでしょう。 

 

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人名地名は各国で呼ばれ方読み方は違います。ここの厳密性に固執するとキリがないです。今は英語が公用語なので、統一したいならせめて英語に寄せないとただの「日本の方言いじり」になってしまいます。リンカーンの表記も「ラジオ」か「レディオ」かっていうどうでもいい議論。 

 

無駄な世代間ギャップを国内方言で作り出す愚行です。 

 

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もともと間違っていた情報を教えられていたのだから、訂正や修正と言うこと 

違和感があるのは理解できますが、間違ったまま後世の子どもたちが教えられ続けるより良いと思います 

 

 

 
 

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