( 208388 ) 2024/09/04 02:07:52 0 00 やす子さんのチャリティーマラソンでは4億円以上もの募金を集めた(画像:「24時間テレビ」公式Xより)
前記事ではやす子さんのチャリティーマラソンについて書いたが、本稿では「24時間テレビ」全体のあり方について考えてみたい。
【写真】「透けてない…?」チャリティーマラソンで物議を醸した「やす子さんのウエア」
■「24時間テレビ」は先進的な取り組みだったが…
近年の「24時間テレビ」は毎年批判される“炎上コンテンツ”となってしまっている。
特に今年は、日本テレビ系列の日本海テレビ社員による寄付金の着服問題、これまで旧ジャニーズタレントを起用してきたメインパーソナリティーの廃止、台風接近……とさまざまな問題に直面し、例年以上に多くの批判を浴びることとなった。
批判の中には、真っ当なものもあれば、的外れなものもあるが、色々な意見が交錯していて、何が本質的な問題なのか(あるいは問題でないのか)がわかりづらくなっている。
批判の論点を整理し、その正当性を検証しておくことは、本番組に限らず、これからのチャリティーや寄付のあり方を考えるうえで、意義のあることであると考える。
「24時間テレビ」は1978年に始まり、今年(2024年)で47回目を迎えた。現在では、企業や著名人が社会貢献活動を行うことは一般的なことだが、開始当時はそうではなかった。
アメリカのスーパースターたちが集まり、USA For Africaを結成し、チャリティーソング『We Are The World』がリリースされたのは1985年だが、「24時間テレビ」はそれに7年先行している。
その意味では「24時間テレビ」は先進的な取り組みであり、日本のチャリティーイベントの先駆けとして高く評価されてもよさそうなものだ。しかしながら、現状ではそうした評価は得られていない。
どうしてこのような状況になってしまったのだろうか?
■「24時間テレビ」に対する4つの批判
現在における「24時間テレビ」への批判を整理すると大きく4つに分けられる。
1. 放送内容に対する批判(“感動ポルノ”、“偽善”など) 2. 費用に対する批判(タレントへのギャラ問題など) 3. 寄付金の集め方や活用方法への批判 4. 番組やテレビ局の不祥事トラブルに対する批判 1に関する批判は以前からあったが、顕在化したのは2016年だろう。
この年の「24時間テレビ」の放映時間中に、NHK Eテレの“障害者バラエティー番組”「バリバラ」が、「検証! 『障害者×感動』の方程式」というタイトルの特集を組んだ。そして、番組の中で障害者を感動の道具とする“感動ポルノ”に対して異議を唱えた。本番組は、視聴者から大きな共感を集め、Twitter(現X)でもトレンド入りした。
この番組の影響を受けたのかどうかはわからないが、最近の「24時間テレビ」は“障害者の感動物語”のようなものは減っているようにも見える。ただし、“感動ポルノ”や“感動の押し売り”という批判は依然として続いている。
障害者に限らず、逆境に負けずに努力を重ねるストーリーは受け入れられにくくなっている。「根性」「忍耐」という言葉も死語とまでは言わないまでも、古臭く感じられるようになった。
いまでも「24時間テレビ」に感動する人がいるからこそ、一定の視聴率と募金額が確保できているのはあるだろう。ただ、視聴率も募金額も減少傾向にあることを考えると、番組の内容が時代遅れになっているところはあると思う。
一方、「24時間テレビ」を批判する形となったNHKは「プロジェクトX」の新旧作を放映しているが、同番組も旧作放映時と比べると、共感を得にくくなっている。本作もいずれ“感動ポルノ”と言われる可能性は十分にあるだろう。
人を寄付やボランティアなどの社会的行動に移させるために、感動を与えることは依然として有効なやり方だ。番組が提供する“感動”が時代遅れなのであれば、テーマを再検討するなり、演出のやり方を変えるなり、新たな“感動”のあり方を模索すればよいだろう。
■“チャリティー”と“お金儲け”のジレンマ
続いて、2、3の批判について考えたい。両者はいずれもお金の問題であり、裏表の関係にある。お金の流れが見えにくいことが、「24時間テレビ」が批判される要因となっているように見える。
まずは、2の費用に関する批判から先に見ていきたい。
今回にしても、お笑いタレントのやす子さんのチャリティーマラソンのギャラが1000万円だったといううわさが流れ、やす子さん自身がXに「チャリティーマラソンのギャラ1000万円ってデマが飛び交ってるけど、一銭もいただいてないですよ! 憶測やデマをすぐ信じちゃうのやめたほうがいいですよ」と投稿して否定した。
ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKIさんも、Xに「過去も今回もギャラはいっさいもらいません」と投稿している。
一方で、過去の日本テレビ側の発言や、メディアの報道を見ても、すべての出演者が無償というわけではないのも事実のようだ。
この点について、「チャリティー番組だから無償でやるべきだ」「海外のチャリティー活動は大御所でもノーギャラだ」という批判がある。
欧米に関して言えば、大御所の芸能人ともなれば、莫大な資産を持っている。それを世の中に還元するべきだという社会通念もあるし、そうすることで人びとから賞賛を得ることもできる。
しかし日本においては、いくら社会貢献だといっても、すべての出演者に他の仕事を犠牲にして無償で出演してもらうことは、現実的ではないように思う。
「募金の一部が出演者のギャラに使われるのはおかしい」という批判もあるが、これも的外れな主張だ。
「24時間テレビ」のチャリティー事業は、公益社団法人である「24時間テレビチャリティー委員会」が設立してそこで行っている。決算報告書も公開されている。毎年、支払い報酬の費目に100万円程度計上されているが、これが出演者のギャラに当たるとは思えない。
出演者のギャラや番組制作費は、あくまで日本テレビが負担しているはずで、その原資は広告収入から充てられているはずだ。ただ、そうなると「チャリティーなのに広告収入を得ているのはいかがなものか?」という、また別の批判が出てくる。
特別番組を放映してはいるが、通常と同じビジネスモデル(広告収益を得る無料放送)で放送活動を行っており、それとチャリティー活動がセットになっている(ただし、チャリティー活動は社団法人を設立して切り分けている)のが、「24時間テレビ」だ。
テレビ放送を通じて、視聴者を啓発したり、募金を促進したりできるのが大きな強みであるが、放送活動の部分が、「チャリティーのあり方に反する」「商業主義に走っている」という批判も呼ぶ結果になっている。
昨今の批判の激化の背景には、多くの企業が社会貢献活動を行うようになり、「24時間テレビ」の商業主義的な側面が目に付くようになってきたという事情もありそうだ。
■社会貢献には“持続可能性”が不可欠
最近、“サステイナビリティ(持続可能性)”という言葉をよく耳にするようになっているが、この考え方は社会貢献事業において非常に重要だ。
「出演者は無償でやれ」「日テレの社員は無給でやれ」「広告収入は全額寄付に回せ」という批判があるが、確かにそれが実現できれば理想的だ。ただし、それは“持続可能”とは言いがたい。
例えば、「せっかくなら環境にやさしい服を買おうかな」と思っているときに、「いま着ている服を破れるまで着続けるべきだ」「古着を買うほうが環境にいい」と言われたら、どう思うだろうか?
「そのほうがいい」と判断し、「そうしたい」と思えばそうすればよいし、「そこまでするのはつらい」と思うなら、相手の意見に従う必要はない。「環境にやさしい服を買うほうが、そうでない服を買うよりはいい」というのも、また真実だ。
いくら正しくても、我慢を強いられるような方法は長続きしづらい。
よくも悪くも、「24時間テレビ」は日本テレビ、あるいは系列テレビ局の収益事業の足を引っ張らなかった(あるいは収益事業に貢献した)からこそ、47回も続いてきたと言える。
一方で、「環境にいい服を買っているのだから、たくさん服を買ってもいい」という発想になると、本末転倒になる。
“持続可能性”を担保することは重要だが、チャリティー活動が免罪符になったり、過剰に利益を得たりすることは避けなければならない。そうした意味では、しっかりチェック機能を持つことは重要であるし、健全な批判には真摯に耳を傾けるべきだとは思う。
残念ながら、「24時間テレビ」に対する批判の多くは、“持続可能性”を考慮しておらず、有用なものとは言いがたい。
企業の社会貢献活動が活発化する中で、活動の目的、活動の過程や結果を明確にすることが重要になっている。
「24時間テレビ」は放送時間も長く、規模の大きい活動であるから、活動の目的や寄付金の用途を絞り込むことは難しい。
しかし、今年のやす子さんのチャリティーマラソンのように、「過去に児童養護施設に身を寄せていたやす子さんが、施設の支援のために走る」と目的を明確化して、企画内容もそれに沿ったものにすることが重要だ。
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