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無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは

弁護士ドットコムニュース 9/4(水) 11:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/90f006e5577158790fbebb22bd4c9eae3a0b0503

 

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無期懲役囚の手紙からは、刑務所の生活が安定しており、食事や滞在などが提供されることが強調されている。

刑務所では努力せずに必需品を提供されるが、社会ではそれらを手に入れるためには努力が必要だとの矛盾が指摘されている。

無期懲役の囚人たちが、服役生活と向き合う中でどのように変化するのか、その限界が見えてきた。

(要約)

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「刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ」。新幹線殺傷事件を起こした無期懲役囚の小島一朗から届いた手紙にはそう書かれていた(弁護士ドットコムニュース撮影) 

 

多くは人の命を奪う重大な事件を起こしながら、刑が確定した後は社会から忘れ去られていく無期懲役囚。期限のない刑罰によって、人間はどう変わり、どう変わらないのか。 

 

【国内最長レベル】64年も刑務所にいた91歳の元殺人犯 

 

現在も服役している受刑者には、あえて無期懲役を狙って事件を起こし刑務所での生活を「とても幸せ」と表現する若者や、「有期刑なら深い反省はなかった」と考えを改め仮釈放の機会を自ら放棄した者など、様々な人がいる。彼らと手紙をやり取りする中で、無期懲役という刑罰の限界が見えてきた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介) 

 

無期懲役囚の小島一朗は新幹線の車内で乗客を殺傷する事件を起こした。写真はイメージ(BASICO / PIXTA) 

 

凶行は時速300キロ近いスピードで走行する新幹線で起きた。 

 

2018年6月9日午後9時45分ごろ、新横浜ー小田原駅間を走行していた東海道新幹線のぞみの12号車で、乗客の女性2人がなたで切りつけられ、それを止めようとした兵庫県の会社員の男性(当時38歳)が首などを切られ死亡した。 

 

現行犯逮捕されたのは、当時22歳で住所不定の無職、小島一朗(28)。 

 

「一生刑務所に入りたい」「無期懲役になりたい」 

 

そう述べた小島に対し、横浜地裁小田原支部は2019年12月18日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。 

 

報道によると、小島は判決を聞いた後、法廷で手を上げながら「ばんざーい」と3回大きな声で叫んだという。 

 

小島一朗から届いた手紙には下書きした跡があった。ところどころ文字の色が赤や青になっている部分も 

 

望み通り無期懲役囚となった彼はその後、どんな受刑生活を送っているのか。 

 

今年4月、小島が収容されている刑務所に手紙を送ると、約1カ月後、計21枚の便箋が2回にわたって届いた。 

 

小島は服役してから食事を拒否したり暴れ回ったりするなど、刑務所内で度々トラブルを起こしているようだ。 

 

現在は「寝たきり」の状態で、他の受刑者と隔離された保護室に入っており、着替えや入浴、トイレなど日常生活を刑務官らの介助によって送っているという。 

 

<私はもう、あとは栄養失調で心停止、すなわち餓死するのを待つ。もういつ死んでもよいやというかんじ> 

 

下書きした跡が残る手紙には、つらつらと余生に関する投げやりな記述が続く。自身の罪を悔いたり被害者や遺族に謝罪したりするような言葉はなかった。 

 

<私は死ぬまで保護室ないしは観察室に入っているために人を殺して、刑事施設に入ったのです> 

 

 

小島一朗は手紙で「無期なら死ぬまで国が面倒を看てくれる」と書いてきた 

 

受刑者となってまだ5年にも満たないが、彼は塀の中での生活が期待していた通りであることを度々強調する。 

 

<信じられないかもしれないが、私は今とても幸福です。こうなることは人を殺す前から分かっておりました>  

 

<日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある>  

 

一方で手紙には、小島が社会にうまく適応できずに苦しんでいたと思わせる記述もあった。 

 

<刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ。ところが刑務所は努力しなくてよい。社会にいる時にあれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは食べないと食べてください(と)お願いされる> 

 

小島は事件を起こす前、半年にわたって野宿生活を送っていた。この「家出」中に新幹線での無差別殺人を計画したとされている。 

 

<仮釈放は怖い。もう二度とシャバには出たくない> 

 

裁判の判決では、裁判長が「刑務所での服役の日々を送らせ、受刑の現実に直面させることで、その刑責の重さに向き合わせることが相当である」と述べた。 

 

これに対し、小島は「裁判長が『受刑の現実に直面させる』と仰っていたが、さて、どうだったでしょうか」と挑発するように続ける。 

 

<死ぬまで刑務所に居てもよい無期でこそ、私と国は一つとなる。無期なら国が死ぬまで面倒を看てくれる> 

 

死刑でも有期の懲役刑でもなく、あえて無期懲役となるように意図した小島は、手紙で「刑務所と社会はあべこべである」と日本の刑事司法の矛盾に触れている。 

 

美達大和(ペンネーム)は現役の無期懲役囚として獄中から多くの著書を出している 

 

刑務所に入るために事件を起こす人がいる一方、事件を機に考えを改める者もいる。 

 

美達大和(みたつ・やまと)のペンネームで多くの本を出している男性は、今もある刑務所に服役している現役の無期懲役囚だ。 

 

美達は2件の殺人を犯した。すでに30年近く服役しているが、著書などを通して仮釈放の可能性を放棄したと公言している。 

 

仮釈放されないことを受刑者自身が決められるのかという疑問に対して、美達は著書で、「工場に出ることを拒否し、単独での処遇を受けることによって可能」と説明している。 

 

今年6月、美達に手紙を送ると、本名や収容されている刑務所、事件の詳細を明かさないことを条件に書面での取材に応じた。 

 

無期懲役囚として獄死することを決断した理由について、美達は「倫理」を引き合いに次のように表現する。 

 

<反省した結果、自分にも非があり(自己の信条により他者の生命を奪う事は断じて許されないと)、相手が生き返らぬ以上、自己を殺すか、人生を捨てるとせねば倫理の対称性の点からも納得できず、出ない(社会での人生を捨てる)としました。今、生きているのは、善行も行ってから終わろうという意味で、被害者遺族の年齢を鑑み、その人の死より早く人生を終える事にしています。全く逡巡も迷いもなく、さっと決めました> 

 

 

「反省した結果、自分にも非があり、相手が生き返らぬ以上、自己を殺すか、人生を捨てるとせねば倫理の対称性の観点からも納得できず、出ないとしました」。無期懲役囚として獄死することを決めた理由を美達大和は手紙でそう説明した 

 

美達は同じ刑務所に収容されている無期懲役囚を観察する中で感じ取ったことを著書に記している。 

 

<無期囚が仮釈放になる服役期間の三十年、三十五年という年月は、それだけを考えれば長い年月ですが、口を開けば娑婆のことばかりで、被害者と遺族について話すことはほとんどありません> 

 

では、美達自身は無期懲役に服する意味をどう考えているのか。 

 

<物事の受けとめ方につき、複眼的、多様性が加わりました。また、仮に自分が正しく、相手に非がある場合でも、「ちょっと待て。世の中にはこういう人もいるのだ。ま、いいか」となる事が増えています。  

 

「ま、いいか」は妥協的で大嫌いな言葉・態度でしたが、今はこだわりません。有期刑なら、社会で次にどうするのか、また野心マンマンになるのは明白なので、深い反省、省察はなかったのではないか、と捉えています> 

 

社会に戻れることが確約されていない「無期刑」だからこそ、自身が犯した罪に深く向き合えている。美達の手紙からはそんな思いを読み取ることができる。 

 

性犯罪を繰り返して無期懲役囚となった男性から送られてきた手紙 

 

無期懲役囚は今、ほとんどが塀の外に出ることがないまま獄死している。”終身刑”化しているのが現実だが、その中で開き直る者もいる。 

 

西日本のある刑務所で服役する男性は、これまで性犯罪を繰り返してきた。刑務所に2度入り、出所して2年後、街で偶然見かけた女性を強姦目的で襲った上、命を奪った。 

 

無期懲役刑について、彼は「死刑よりきつい」と話す。その理由が手紙に書かれていた。 

 

<無期囚は仮釈(放)率が少なく、刑務所内で亡くなるか、出所後2年以内に亡くなる人がほとんどだからです。特に(今いる)刑務所には、私が生まれる前からおられる方や私が来てから、中で亡くなられた方などがいるので、そう思うのかもしれません。一般的な死刑と違い、無期懲役は時間をかけて行われる死刑であり、終身刑と同じだと感じています> 

 

その上で、過去の服役とは異なる受刑生活を送っていると明かした。 

 

<これまでは有期刑でしたので、懲罰のことを全く気にしていませんでした。今回は無期刑なので、なるべく懲罰を受けないようにしようと思っています。そのかわり、仮釈放なんてないと思っているので、所長や監査官に対し、苦情を出したり、訴訟を起こしたりしています> 

 

記者が取材している無期懲役囚たちから送られてきた手紙の一部。解読が難しい字を書いてくる人もいれば、丁寧な字できれいに書かれたものもある 

 

無期懲役刑は日本で、死刑という極刑に次ぐ重さの刑罰だ。その意味はどこにあるのか。 

 

美達からはこう返信があった。 

 

<よほどの覚悟がないと仮釈放には至らぬ刑(ただし、大半の芯がない腰抜けの者にはどうってことのない)です。という刑の反面、ほとんどの者は反省より社会に出ることのみしか眼中にない刑でもあり、効果につき疑問です。現実は更生、改心より懲罰、社会の保安上、獄に入れておく刑となっていますし、それが妥当です> 

 

※この記事は弁護士ドットコムニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 208432 )  2024/09/04 14:34:36  
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このテキストには、犯罪者に対する刑罰の厳しさや社会への影響について様々な意見が述べられています。

一部の意見からは、無期懲役や刑務所内の環境を厳しくすべきだという主張や、犯罪者への人権保護よりも被害者や社会の安全を重視すべきだとする考えが現れています。

また、刑罰の目的や効果的な運用についての意見や、再犯防止に重点を置くべきだとする意見もあります。

 

 

全体的に、犯罪者と被害者や社会とのバランスや、刑罰の効果的な運用についての検討や改善を求める声が多く見られます。

また、犯罪者への適切な処遇や更生についての議論も含まれています。

 

 

(まとめ)

( 208434 )  2024/09/04 14:34:36  
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=+=+=+=+= 

無期刑の者たちには 

極力質素にした食事と厳しい労務作業を科すべきであろう。 

 

刑務所はホテルや介護施設ではない。 

 

罪を犯したことを後悔させるような場所でなければ、意味が無い。 

 

被害を受けた人たちと同等の苦しみを与える場所にしなければならない。 

 

軽い犯罪ならまだしも、 

情状の酌量の余地が無い重罪人には更生する可能性がほとんどないことを前提とした処遇にし、 

過酷な環境下で、服役させることが必須である。 

 

=+=+=+=+= 

死刑を廃止して終身刑にすべきだ!と主張する人たちは、こうした、「長く服役するために重罪を犯す」人たちがいる事を無視します。 

今に始まった事ではなく、大昔からある強力な犯罪動機の一つです。 

死刑は抑止力にならないという言説も、「死刑廃止が動機になる」危険を無視しているに過ぎません。 

 

社会を守るために刑法があり、刑罰があります。 

人権尊重大いに結構ですが、社会を守る大前提を軽んじる事があってはならないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

刑務所の囚人に人権を持ち出すから、このような考えに至るのでは? 

罰なんだから、食事にもっと差をつけてもいいし、満期になったら出るのではなくて、さらにそこで審議するとかね。 

刑務所は人権のないとところとは言わないまでも、薄いところ。もう入りたくないと思わなければ抑止力もならない。 

そもそも、相手の人権を無視した結果刑務所にいるのである。他人の人権を蹂躙するとはこういうことであるということを前提にしないといけない。 

と私は思う。 

 

=+=+=+=+= 

なかなか読んでいて面白かった。コロナの時に感じたが大学へ教えに行く必要もなく、自室にこもり続けて遠隔授業だけしていたコロナ自粛中は、買い物時の緊張感を別とすれば幸せな時間だった(遠隔授業に慣れるまでろくに寝れないくらい負担は大変だったが・・・)。必要な本や論文が手に入りインターネットまで接続できる、本まで出版できてしまう自由があるなら、終身刑も悪くないかもしれないな、と思います。多忙化した大学で学生への奉仕と雑務に追われ、研究時間もろくにとれないより余程、幸福というものです。 

 

=+=+=+=+= 

無期懲役になることが目的で重犯罪を犯し、まったく関係の無い者が利用されて被害者となる。 

被害者を出さないで無期懲役になれる制度を作れば良いのではないだろうか。 

希望すれば、釈放無し、仮出所無し、恩赦無しの無期懲役囚になれる制度です。 

出れるのは、病気による通院と死亡時のみ。 

刑務所生活は税金が使われるので大勢の希望者は無理でしょうが。 

刑務所生活費用は、なるべく無期懲役囚に作業をさせて稼いでもらう。 

 

=+=+=+=+= 

こういう記事を見ると、日本は本当に犯罪者に優しい国だなと痛感させられる。 

真面目に必死に道を外さず生きていることが馬鹿らしく思えます。 

殺人や性犯罪、弱者などへの虐待を犯したものには人権など考慮すべきではないんじゃないかな。 

人の命や心を殺した人間が三食寝所も保証されのうのうと生きていられたら、被害者やその家族はたまったものじゃないです。 

 

=+=+=+=+= 

海外の刑務所は日本のような更生施設でなく劣悪な懲戒場です。なので受刑者も、またムショ送りはたまったもんじゃないと考えます。日本のよい所かもしれませんが、一定、刑務所はもう絶対勘弁と思われるような設計も重要かと。後は維持費コストが嵩む懲役より、シンガポールや中東のような鞭打ち刑の導入も犯罪抑制の選択肢にはなるかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

この前刑務所の食事をしていたけれど、そこら辺の小学校よりもすごく良い食事でした。。 

そして食事を作る方たちや栄養士の方たちは少しでも良い食事を届けようと栄養面を考え、ストレスのない生活を送れるようにと、ホテル並みのサービスを提供している感じでした 

この方たちは日々の仕事を的にされているので、それは仕方がないことだと思うのですが、被害者や遺族のことを思うと本当にいたたまれません。 

 

この場合、健康で保つためのギリギリの食事を与えることとし、味付けはまずい位でちょうどいいのではないでしょうか? 

そして作業も残業もなく、本当に清潔な場所で行われており、社会に出た方がずっと過酷だと思いました。 

なので、もう少し長く働かせるか、もう少し過酷な辛いと思うような仕事を与えるのが妥当だと思います。 

でないと刑務所の方が世間より楽だと思われている事は、こういった犯罪をこれからもうむ事になりかねないです。 

 

=+=+=+=+= 

金銭的な面から受刑者を見ると、公表はされていないが、一人当たり約4百万円以上の負担が生じている。これらは、もちろん我々の血税からである。 

 

我々は日々まっとうに暮らし、税金を納めているが、決して生活は楽ではない。 

 

一方、刑務所で何も社会に貢献せず、のうのうと生きている受刑者もいる。 

どうすれば良いのか自分には分からないが、心のモヤモヤ感はぬぐえない。 

 

=+=+=+=+= 

殺人を犯し無期懲役で済んでしまうのが 

問題だと思います。 

 

それまで死なないように守る必要もないと思います。 

少なくともここ居たくはないと思えるような環境でなくては 

意味がないと思います。 

 

もし今よりも劣悪な環境だろうと生きていける。 

亡くなった被害者はどんな罪の償い方をしようが 

二度と帰ってくることは無い。 

 

出会いさえしなければ今も生きていられたかも命。 

再び社会に戻れる可能性のある懲罰は無意味だと考えます。 

 

 

=+=+=+=+= 

社会から永遠に隔離され、悟りか開き直りかの様な心境となっている受刑者もいるんだろうが、反省がなければ社会復帰なんてまずあり得ず、無期懲役の意義は「有害な個人を永遠に隔離する」ことに集約されてしまうだろう。 

反省も贖罪もなく、檻に繋がれても「幸福」と宣うのでは、なんともやりきれない気持ちになる。 

 

=+=+=+=+= 

規則正しい生活、規則正しい食事と、不便のない生活が保障されているようなものになってしまっています。 

現状で貧困にあえぎながら日々を送られている方々よりも恵まれている環境ともいえるかもしれません。 

服役刑の見直しをする必要があると思いますが、もちろん最低限の人権は保つ必要性もあるでしょう。 

無期懲役であっても反省や更生を求めるものであるはず。 

更生が見込まれない場合、その状況を含めて刑を最裁する必要もあると思います。 

 

=+=+=+=+= 

本人がどう思ってるかなんて関係ない。 

どんなに反省したと言ってる受刑者も本当の腹の内はわからない。 

何より大事なのは危険な人物をしっかり社会から隔離し続けるという事。 

安易に保釈などして再犯の被害者を出すような事はあってはならない。 

真面目に生きてる一般市民が安心して暮らせる世の中を維持し続ける事が何より大切なんです。 

 

=+=+=+=+= 

無期刑者には、辛い肉体労働をやらせるべき。 

無期刑になるには、殺人かそれに近い大きな犯罪を犯さないとならないイメージ。 

どちらにしても、相当の犯罪を犯した者のみ。 

冤罪では無い限り、刑務所でこの記事の様にリラックスするってのは納得出来ない。 

 

=+=+=+=+= 

日本での再犯率が高いのも頷ける。 

出所した後に社会での居場所(受入れ先)が乏しいというのも原因の一つだが、それ以上に、刑が刑として機能していないというのが最も大きな原因ではないか。 

犯罪を犯さず、真面目に働いている人が最も幸福であるような国にしないと、今後もこのようなモンスターが出てくるのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

永山基準は原則尊重すべきだと今でも私は思っていますが 

その上で、もう少し幅は持たせるべきでしょう。 

幼女一人の殺害で死刑が適応されたのは、大変結構なことですが 

例え被害者が大人一人であっても、無期懲役になるために計算して 

殺人を犯したものについては、死刑適用で良いのではありませんか。 

こんな判例を残してしまったら、模倣犯を生み出しかねません。 

勿論、最初から死刑になりたい奴までは止められませんが 

最初から無期懲役になるために殺人を犯す奴を生み出すよりは、マシです。 

 

そして、被害者のご遺族が決してそう考えないことを理解した上で、第三者の勝手な感想を言いますが 

異性愛主義者の性犯罪については、例え殺人がなくても、無期懲役適用はアリでしょう。 

彼らにとっては、欲望を満たす対象を排除することが 

もっともキツい刑となるのは、記事の通りかと。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも刑罰の目的は何かというところに帰着するのだろう。 

教育や矯正だったり犯罪予防と考えると、記事の通り刑罰を望んだり反省のない者には意味は無い。 

刑罰は純粋に罰であり悪いことをすれば同じ事が自分に返ってくる、それ以上でもそれ以下でもないんだろうと思う 

その意味で、人を殺せば死刑となる可能性があることは罰として容認できるんじゃないかな。 

 

=+=+=+=+= 

殺人のような重罪犯罪者を税金使って死ぬまで面倒見るシステムは見直すべき。無期は廃止。一人でも故意に殺した事が疑いない事実なら死刑。中国のように判決確定すぐ執行にすれば抑止策にもなり、税金の無駄もなく、被害者の遺族も少しは報われる。暴行傷害・殺人・性犯罪など再犯率が高いのに数年で仮釈放でまた舞い戻る間に被害者が増える現状も含め、どうみても現行の凶悪犯罪の処罰のなまぬるさ、犯罪者への過剰な人権保護を象徴している。被害者側に寄り添った法改正を強く希望する。 

 

=+=+=+=+= 

どの刑罰がどのくらい重いかはケースバイケース。その人自身(性格や考え方など)やその人の置かれた環境等を考慮して、その上でどの刑がその人にとって重いのか軽いのか、判断されるものだと思う。どんな刑が科されたかではなく、その人にとってどんなモノが科されたかが重要だと思う。科された刑の意味や、誰のどんな思いがあって科されたのかを考えなくては意味がない。 

裁判において臨機応変に適切な判決が下される世の中を常に願い、自分も考えたり行動したりしたいものだ。 

 

=+=+=+=+= 

保護室にいるのは受刑者本人の保護なのか、他の受刑者の保護なのか。刑務所内で一定の作業をさせることで作業内容に応じた食事を提供することも考えなければならないだろう。 

社会の安全を守るために自由を拘束しているのにそこが安住の地であるように思っているからこそ、タダ飯食わしているほど甘くないことを知らせるべきであろう。刑務所の中に憲法第25条のような権利はないと思う。受刑者の権利を保障するならしっかりと義務を果たせと言いたいところです。個にあった課題を与えれば良い。 

 

 

=+=+=+=+= 

欧州に比べればだいぶんマシだとは思いますが、犯罪者の人権を弁護士が必死に守る我が国の制度は許し難い面もあります。本来死刑は判決が確定後半年以内に執行しなければならない、となっています。なのに数十年も経ってもまだ100人以上も執行されていない。死刑囚は懲役犯と違って労働義務もありません。本当にただ日々時間を浪費するだけ。現在の法務大臣がサインしないと執行出来ない制度を改めて、エスカレーター方式で執行していくべきだと思うね。犯罪者の権利が一般人と同じ、と言うのも一考の必要があるとは思う。「刑務所へ行きたくない」と思われなければ刑罰にならないからね。 

 

=+=+=+=+= 

受刑者の人権を尊重するあまり、刑務所生活が快適になっているのは、遺族や国民にとっても納得がいかないと思う。 

重大な犯罪を犯したから刑に服しているのであって、刑務所の中で反省の日々を送らなかったら意味がない。 

期待通りの獄中生活は「幸せ」なんて受刑者に言わせたら、司法の敗北だと思う。二度と刑務所には戻りたくないと思えるほどの獄中生活でないと、無期懲役の意味がないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

社会に出ても生活保護をうけるか、他人を傷つけ犯罪を犯すなら、その費用で刑務所的なすべて管理された施設に入ってもらうほうが社会の安定にもつながるし、本人にもよいんだろう。 

無期懲役狙って犯罪を犯される前に、そういう施設をどこかに作って入ってもらうのも社会として必要と思う。 

 

=+=+=+=+= 

もしも、懲役刑に服す犯罪者本人が刑期内で何の反省もしないと成るなら、刑務所での生活待遇、刑罰としての所内作業、社会奉仕作業のレベルを考慮した厳しい内容にするしか無い。被害者からしたら本来命をもって償いを要求されるのが大半だろう。社会的に本来逸脱した人間が真艫に更生し立派な社会人に成るなんて言うのはほんの一握りもいないと思います。 

日本の刑期、刑罰に関しては被害者にもっと寄り添った内容に見直しするべきかとも思います。 

 

=+=+=+=+= 

そりゃあそうだろうなと思いました。一般人の目には裁判の決定しか見られないし、刑罰=贖罪にはならない。しかも精神障害、学習障害のある人達がどれだけ自分の罪を理解出来るのか疑問だし遺族だって救われてる訳でもない。 

更生する事が目的なら研究が必要だけど、ただの犯罪者の遺棄先(老人ホームでもある)ならば刑務官も辛かろう。 

これからも犯罪は増えそうな気がする。刑罰のあり方を時代に合わせて模索する時期なんだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

なるほど。ザクっとした考えですがそれならば、犯罪を犯さなくても、社会から弾き出された人が最低限それなりに生きていける受け皿があれば良いのかなと思います。要は犯罪者でなくても入れる刑務所みたいな所って事ですよね。衣食住+作業(有償)はワンセットで。 

生活保護は、扶養照会という家族へ連絡が行くハードルがありますし、生活保護は難しい、かといって一般社会で生活できる程普通に働くのも難しいという人達の受け皿が必要なのではないかと思いました。今もすでに自立支援の施設はあると思うけど、精神疾患がないとダメだったりしますよね。 

記事に出てくる懲役囚のように、自力では生きていけない、刑務所に行きたいと思うような人がサッと入れる施設があれば良いのかもしれないですね。 

 

=+=+=+=+= 

刑罰は、辛く耐え難いものでなくてはならない。 

刑務所暮らしが楽とか3食付きとか甘い処遇だからこそ、年越しをするために刑務所に入りたいとか、馬鹿なことを考える輩がいるし、犯罪も無くならない。 

捕まり刑務所送りになったら最後、地獄の苦しみが待っている…という処罰なら、誰も犯罪など犯さない抑止力にもなるだろう。 

 

=+=+=+=+= 

餓死を目指してるなら幸福なのは噓ですね。強がりだと思います。幸せなら生き続ける努力をすると思います。社会に適応できなかったのでいさせてもらえる空間があってよかったくらいの感覚かと。刑務所の生活の動画を見ましたが、あんな生活は幸せでも楽でも何でもありません。自由は殆どないし、塀の中で老いてボケてしまった受刑者の下の世話も他の受刑者がやらねばなりません。病気になっても最良の治療を受けられるわけではないので、病気にならないために外に出られる時間はみんなで、ランニングし続け体を鍛えるしかありません。この記事で塀の中は楽で幸せだと勘違いしてしまう人が出ないことを祈ります。 

 

=+=+=+=+= 

いつも思うのですが、自分の食事ぐらい自給自足させてほしいです。 

働かず何も頑張らなくても食事と寝床が与えられる、治療もしてくれる、自由時間もあって何も考えず与えられたことだけやればいい、そりゃ楽ですよね。 

更生させるための施設がただの保護施設みたいになってます。 

人が1日生きるために必要な最低限の金額は自分で稼いでもらう(そのために妥当な仕事を与える)とか、税金で犯罪者を保護する必要性を感じないです。 

 

=+=+=+=+= 

少なくとも世に出ないのだから、塀の中でどう思うかなんて関係ないし、考えても仕方ないと思う。だって受刑者が例え反省しても被害者が生き返ったり、傷ついた気持ちは元には戻りませんから。 

そんなことよりまだまだ犯罪が増えているのだから厳罰化や防犯カメラの設置や一度でも犯罪した場合にはGPSをつけるとか犯罪の抑止をして行くべきだと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

刑務所が国民生活の最後のセーフティーネットになっている。刑務所の待遇はあまり変わらないのに、国民生活がどんどん貧しくなっているのが原因だと思う。 

 

彼のやった犯罪は許されるものではないが、人生を放り出すには22歳はあまりにも若すぎる。社会がどれだけ彼にとって生きにくい物であったかを考えると複雑な気持ちになる。無期刑の人からひょんなことから手紙が来てやり取りをしているけど、「反省」ができる人なら無期刑なんてならない。その人も同じで、自分の犯した罪には触れず出られることだけを考えているような文章で、知的なハンディキャップがあるのを思わせるような文面だった。この記事を読んで胸糞だけど、自分ができるものを他人ができると思わない方がいいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

あるルールで成立している社会と、それと相容れない人物とを隔離しておく目的が無期刑だろう。本人が変わるか、社会が変わるまで出すわけにはいかない。社会も本人も変わる見込みがなければ死刑だ。隔離に経費がかかるのは当然だ。刑罰は被害者遺族の報復措置ではないのだから、受刑者が幸せなのは刑務所の平和的運営にプラスであり、良いことである。 

 

=+=+=+=+= 

刑事事件でも、民事とは別の観点で被害者への慰謝料を換算して、服役中の作業で発生する賃金でその金額が支払われるまでが服役期間とすればいい。 

そうすれば、民事で損害賠償が確定しても、支払い能力無しで被害者が泣き寝入りする事も無い 

当然、衣食住にかかる費用も服役中の作業にて発生した賃金でまかなうようにするべき。 

 

=+=+=+=+= 

日本の法制度は被害者より加害者が守られる仕組みになっていると言わざるを得ない。 

無期懲役は終身刑と同様に扱い、生命維持に最低限必要な食料や衣料は自分で作ることとし国の予算を極力使わないようにするべきだ。 

犯罪者の人権を守るための予算は、すべて被害者への補償に充てられるべきである。 

 

=+=+=+=+= 

犯罪者の更生を目的とした理想主義的な近代司法制度の限界でしょう。人間は進歩するという前提のもとに犯罪者を更生させて社会の役に立つようにすることを理想としたわけですが、そんな理想では誰も納得しない状況になりつつあります。司法の世界には選挙もないし民主的な手続が機能していないので、だからこそ司法関係者は世間の納得というものをもっと重視すべきです。 

 

=+=+=+=+= 

意図的に刑務所へ行きたいと考え犯罪を行ったり、繰り返したりする者に対しては、刑務所に居たくなくなるような収監の方法も考えるべきではないだろうかと思った。 

あと、通り魔的殺人に対して過去の判例からの無期を求刑・判決するというのも今後司法は再考すべきかと思う。 

人の命はそんなに軽くないと思うし、我々の税金で懲役している事を理解させるべきかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

罰である以上、安逸な生活だけを保証するものではなく、反省を求める苦役が妥当であるが、 

生活苦から、または仕事の失敗を恐れて、のような犯行と、 

完全余裕の中での己の利益を狙って、または他の人の不幸を狙っての犯行。 

これらを同じ刑に処することはできないだろう。 

前者のような場合、出所してからもまた同じ罪を犯すことは考えられるし、 

後者の場合は苦役によって反省を求めることが重要だ。 

 

=+=+=+=+= 

世の中にはこうした更生不能の人がいる訳で、更生不能の人に更生を期待した刑罰を与える事に意味はありません。 

刑務所内での作業は手に職をつけ出所後に自立して更生した生活を送る為の準備でもあり、意味のあるものです。しかし更生不能な人にそんな前向きな作業は不要です。意味など与えてはいけません。意味なくひたすら辛い作業にすべきです。 

 

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このことからわかるのは、犯罪を起こさなくても本人の意思で入れる刑務所的な施設を作ることは犯罪防止に役にたつということ。 

刑務所レベルの生活水準で刑務作業をしながら集団生活をする。それなりの維持費用はかかるだろうが、犯罪を起こされた時の損害や司法にかかる費用と比べたら社会的なコストはそれほど高くないだろう。 

昔は企業の独身寮が同じような機能をはたしていた。 

 

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決して許されるものではありませんが、一生懸命働いても、非正規だといつ更新してもらえなくなるかわからない、無職になれば国民健康保険も払えないし、家賃も払えない、食べるものがない。 

今、正社員もリストラが続く。遊んでいたりしたわけじゃない。忙しいときは、深夜まで働いてタクシー帰りしてそれでも首になる。 

妻も仕事を辞めさせて転勤についてこさせても首になる。それも子供の学費がかかるときに。ローンもあるのに。 

衣食住すべてがあり、仕事を探すことも必要が無い、全てのプレッシャーから解放される。 

シャバにいたって贅沢することもなかったそんな人が多くいるこの世の中で、仕事探しもなにもかも必要なくなるって彼らにとって幸福だとすれば。 

今の社会がどれほどまでに狂っているかがわかる。 

 

 

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こういう自立できない人向けの強制労働施設ってあっても良いと思うんだよね。 

働けるけど賃料やら生活費の払い方がわからないから生活できないみたいな人を集めて働かせる施設。 

給料は出ないけど3食飯付き風呂トイレ共有で3畳間の個室に住めるみたいな。 

 

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いわゆる「無敵の人」ですね。 

 

被害者やその家族は本当に無念です。 

 

本当に許せないことで、断罪されて当然なのですが、そもそもこういった犯罪が起こらないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。 

 

刑を厳しくなどといった意見もありますが、このような「無敵の人」には、効果ない気がしますし、どうしたものでしょうか・・・。 

 

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私の持論としては情状の余地が一切無い場合において、受刑者が望むなら被害者関係者からの要望を取り入れ処分内容が検討できる法制定をすれば良いと考える。例えば記事にある様な無期懲役の判決が出て裁判所にて万歳三唱をする様な加害者である場合、以後の厚生及び情状の余地一切ない。自ら望んでいたとも記されていたがそんな甘いものでは無いと通観するほどの『刑』の執行をしなければならない。憲法に人権とあるがもはや憲法が想定している『人』の定義では無い気がする。極論を言えば『恐怖』を感じさせる刑になる様しなければならないと感じる。懺悔心がある受刑者ならば懺悔ができる刑にすれば良い。一律刑だからよくわからなくなる。 

 

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日本にも終身刑を作るべきだと思う。 

凶悪犯罪の無期懲役受刑者も出所できることは決まっている、反省しない者にとって出所してまた凶悪犯罪を起こさないとも言えない、かえって無期懲役を廃止して終身刑にしたほうがいい犯罪者のほうが多いと思う。 

所内待遇もギリギリに落とすべきだと思う。 

 

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日本には終身刑はない 

死刑に次いで重いのは、無期? 

でも期間を定めない懲役だから、 

模範囚を勤めれば数年〜十年単位で 

仮釈放ときく 

だから適度に暴れて模範囚、仮釈放を回避する 

とても悪どく計算している 

これとは逆のシステムは出来ないものか 

凶悪囚として強制再審、死刑囚に変更できる 

毎日執行の恐怖に苦しんでもらう 

そうでもしないと、事件に巻き込まれた被害者や家族など 

一生くるしめられる 

 

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小中高の生活の中には、働くことについて真剣に向き合える機会がないんだよ 

 

それが、現代の若者が生きる事に対して原動力がないことの原因さ 

 

モノを作る、サービスを提供する 物事を教える  

 

とにかく、黒板の文字を板書することいがいの体験をもっとたくさんすることがとても大事 

 

学校という空間には 従うという生活しかないというのが正しいな 

 

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まさに「無敵の人」が待ち望んだ結果なのであろう 

 

刑務所の意味を成していない 

一番悲惨なのはこの無敵の人に攻撃された罪なき「被害者」だ 

 

年老いた貧困老人が、わざと罪を犯し刑務所入りを希望している 

衣食住が確保され数時間に一度の見まわりもあり、 

孤独死の心配もないからだ 

 

そういった者たちにとっては 

一般社会での生活よりはるかに快適安全な「国営老人ホーム」さながらである 

 

かかる経費は当然に税金であり、我々一般国民の労働が原資となっている 

 

生活保護含め抜本的な改革、見直しが急務といえよう 

 

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はじめに出て来た無期懲役の人は、文字や文章を読む限り、普通に働いて稼ぐ能力に乏しい人のように見受けられます。年金や保護を受けながら作業所等に通う生活ができていれば、犯罪を起こすに至らなかったのではないでしょうか。 

刑務所に入るために罪を犯すとなると、犯罪被害者が生まれてしまうし、刑務所の運営費用も嵩んでしまう。(一人当たりの費用は生活保護費の方が安いくらい。)そのうえ受刑者は元犯罪となり社会復帰も難しくなる。 

生活保護のハードルが高いのは仕方ないけど、犯罪を犯さなくても刑務所相当の衣食住の提供が受けられる施設はあっても良いと思います。 

 

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知人で服役してた方がいますが、出所してすぐ長い間帰りを待ってくれていた家族を捨てて、他の女性と交際するようになった。「なぜ家族を捨てたの?」と聞いたら、「せっかく出所できて自由に暮らせると思ったら、重い事ばかり求められやになった」と身勝手な理由でした。刑務所に服役するのは法に反した罰則であって、本人が更正するかは別の話だとこの時感じました。刑務所が犯罪者の都合の良い場所になってはいけないと思う。 

 

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この受刑者が真摯な反省をしたところで、亡くなられた方が戻ってくるわけでもない。 

その意味で、刑罰の内容は純粋に応報で良いように思う、 

受刑者が反省しようがしまいが、考慮する必要はない、 

従って、真摯な反省が有るから仮尺にするとかいう対応も不要。 

ただ、刑務官が苦労して食事を与えて生かしておくこと自体には意味が有るように思う、 

前言と矛盾するかもだが、何時かこの方が、自分が塀の中に居る事の意味を本気で考えられるようになったとしたら、その時初めてこの方は自分自身が生かされている事の意味を、実感でき、事の重大性に気付くことが出来る気がする。亡くなられた方はもはや何ともできないが、この受刑者自身の精神・魂は救われる可能性が生じる 

 

 

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育った環境や生来の気質も様々で、どこで何をしていても社会との繋がりや生を感じられない、幸せが分からないという方もいるでしょう。そういう人は、刑務所に安全や安らぎを感じるのかもしれません。だけど、「幸せ」という言葉は、その人の脳がそう思おうとしているだけなのかな‥と思います。本当に心から満たされているなら、どうしてこのような手紙を他者に書こうと思うのでしょうか?それでも誰かと繋がっていたい、世界の一部でありたいという心の表れなのかもしれないと感じました。 

最大の刑罰は、死でも無期懲役でもなく、生きながらにして誰とも交流会することが許されない、一切の人気を感じることができない日が延々と続くことではないでしゃうか。 

刑務所でしか心安らげない特殊なケースを中心に刑罰を議論しても、現実どうしようもないように思いますし、きっと彼らが本質的に幸せかはわからないなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

劣等感が強い人は「誰も自分のような人は必要としていない」「みんなから馬鹿にされているに違いない」「できないやつだと思われているに違いない」といった思い込みが激しく人間関係を築こうとしません。 

人間関係を築けば失敗も起こるので傷つけたり傷つくことがあります。 

その傷つくかも、嫌われるかも、という不安に耐えられないので多少不便でも殻に閉じこもるように極力人と関わらない生き方を好みます。 

劣等感が強く激しい人にとって刑務所はそれが実現できるとても都合のいい環境に見えるのでしょう。 

罪の重さと向き合うことは必要ですが、その前段階で自身が抱える真の課題と向き合わなければ何度でも刑務所に入ろうとして罪を重ねたり無期懲役を狙った犯罪を行う人が出てくるのは当然です。 

自分が何から逃げているのか、なぜ逃げているのか、逃げて何がしたいのかを見つめなおす再教育が欠かせないでしょう。 

 

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犯罪者には過酷な人生が待っている、こういうイメージがつかないと自暴自棄な人間には犯罪抑止力にはならないのだろうね。そんな犯罪者の被害にあった人にはなんと言っていいのかわからない。被害者が自分の身内だったらと思うとどうして良いのかわからない。死刑制度を反対する意見を言えるのは死刑囚の被害者の遺族にしかないとい論調の記事を見た。本当にそう思うようになってきた。 

 

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無期懲役に必ず島でも山奥でもいいから、農作業とか生きる価値を与えるべきじゃないか? 

例えば詐欺ですぐ出すなら懲役プラス被害額が捻出するまで農作業させる! 

当然被害額が億とかいきゃ懲役30年とか、それ以上もありで、公正とか二の次でいいだろ! 

犯罪者は労働の人員とかくらいの扱いでいいど思うが。 

2度と犯罪犯したくないと思わせるくらいの刑期でいいだろ! 

抑止力にもなるはず! 

 

=+=+=+=+= 

無期囚の言葉は、感情を排除した事実に基づいた解説に近い考察だと感じる。 

当該受刑者の大半が罪に向き合う時間より、希望や実生活の保守に時間を割くのも現実そうであろう。 

昔、(刑務所生活の何が苦痛なんだろう容易く過ごせそうだ)と思っていたのは、今でも変わりなさそう。 

受刑者の権利や健康に留意しながら管理しなければいけないのは、境い目が不明瞭になり罰せられてしまう刑務官のためにも必要だとは思う。 

目の前で娑婆での欲求と犯罪自慢に盛り上がる受刑者を日々見ていれば、犯罪者に携わる者の方がよっぽど罪悪に向き合い精神を乱す気がする。 

言葉や手紙や態度だけならいくらでも反省は示せる。嘘やパフォーマンスであっても。 

権利は与えてもそれ以上に厳しく重い義務と刑罰を科さなければ意味が無い。 

貧困と多様性の強要でこれからますます安心安全安泰な刑務所ライフは需要が増すかも。 

 

=+=+=+=+= 

この記事は罪に対する刑罰の在り方を問うている訳で。 

今の時代の価値基準に合っているのかどうかという点、厳しい世の中、単一家族や単一の個人という社会生活者が増え、助け合いも無くただ日々の糧を得る為だけに生きる個人は食べられるだけ刑務所はマシ、生きる目的が不明だったり社会との関わりが苦手な人個人にとって刑務所は寧ろ生きがいになってしまう。 

多くの被害者や遺族は加害者に対して厳罰を望み、痛みや苦しみを味わって欲しいと願う訳で。 

全ての加害者が刑務所がいいとは言わないにせよ、再犯率が50%程度という日本の犯罪の実情を鑑みると痛みや苦しみ以前に反省すらしていない加害者の現実もある。 

刑務所とは何なのか?刑とは?更生とは? 

死刑さえ望む加害者がいるこの現代で、人権は尊重すべきだが、被害者や遺族の人権、加害者とその家族の人権それぞれがあり反目する部分も多い。 

ただやはり少なくとも反省や後悔は必要では? 

 

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私にはどうしても無期懲役が理解できない。例えば禁錮○年なら刑務所内で反省し更生して出所しなさいねと、これは理解できる(実際更生するか否か別として)。でも無期懲役は基本出所が無いわけだから反省も更生も必要ないわけだ。3食昼寝つき+軽作業でまさに究極の生活だと思う。しかも善良な国民の血税で生活が維持されるわけだから。 

 

=+=+=+=+= 

刑務所は保護施設では無いので、基本自活させるようにするべきではないのか?例えば、水道代、電気代はみんで割り勘をするために労働をさせる。食事だって刑務所の中で畑を作ってもいいし、外から購入しても良いが、基本自分らで何とかする。 

建物、看守さんは税金を投入するべきだが、日々の生活は囚人が稼ぐ事でコストの削減、生きることの大変さを実践するべき。 

 

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刑務所の中が 

過酷な生き地獄なのであれば 

昔で言うところの懲役太郎を望む者はいないだろうが  

 

例えばだが 

毎日とても耐え難い罰を課され 

刑期を終えるまで持つのか 

それとももっと苦難の体罰などが先にみたいな場所なら 

そんなところに自ら入って行こうとはならない 

 

人間いろいろな事情から 

故意ではないが事件に巻き込まれ 

悲運な目に遭うように 

罪を被ってしまうようなことや 

冤罪などもあるから 

ただ刑務所は罰を与えられ過ごすとこれではないのだろうが 

更生施設かもだがその効果は低いようにも思う 

 

考えようにはこの世の生活は 

自己責任でやり繰りしなくてはならず 

まず職を持たずには成り立ちにくい 

金もなければ電気も水道も使えない 

 

刑務所は最低限 

寝るところも食事も出され 

自由は塀の中以外にないが 

その欲さえ苦でなければ 

同じことの繰り返しに生きていられはする 

 

刑務所を行き方に選択する世の中ではまずい 

 

=+=+=+=+= 

無期懲役狙いの犯罪者に無期懲役出すのは法的には適切な量刑であったとしても、何だか納得いかないのはどうしたら良いんだろう?死刑狙いで犯行に至って、希望通り死刑を執行された事件もあったよね。 

刑務所が快適すぎるのが良くないという意見もあるけど、犯人を痛めつけてみたところで精神が真っ当な刑務官が病むだけで本人には大したダメージない気がする。 

 

 

=+=+=+=+= 

殺人犯など無期囚に人権など不要と言いたいが、もしそんな法律になったら、自身の犯罪を決して認めない容疑者だらけになるだろう。そうなると裁判も長くなるし、遺族も辛い。囚人の生活をある程度保証することも、社会が円滑にあるための必要悪だと思う。はっきり言ってこのまま社会に放たれても迷惑だからね…。 

自分たちの税金がこんなことに浪費されているのは悲しいことだけど、犯罪者の隔離場所として、一定の品質を保つこともまた大事と思ってる。 

 

=+=+=+=+= 

人権を訴える機会が多くなり、刑務所に居る人間にも人権を与えるようになった結果、いつの間にか人によっては素晴らしい空間となってるようですね。真っ当に生きている人間や被害者遺族に対して大変失礼な状況になっている。個人的には生きている心地がしない場所であるべきと思ってるのですが、一部の団体によって超快適空間に変貌してるのかと思うと…やりきれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

多くの人が勘違いしているが、死刑囚や無期刑の受刑者は刑事訴訟において矯正教化の可能性が否定された存在であり、本来更生を望むものではない。 

近代の教育刑の考えに基づけば、刑罰により矯正教化が可能なら有期刑でよく、敢えて無期刑以上を科すのはLRAの基準から見ても人権侵害だろう。 

であれば、記事に登場するような人間にこそ、無期刑以上の刑罰が科されるので有って何もおかしなことはないと思う。 

また無期刑に対しても多くの誤解があるが、無期刑の殆どが仮釈放なんて認められておらず、どんな模範囚であっても30年で出所することなんてあり得ない。またこの取り扱いは年々厳しくなっておらず、殆どの無期刑受刑者は獄中死しているのが現状です。 

 

=+=+=+=+= 

食事を与える無期懲役刑に限界があるのではなく、22才の若者が【どうしても食べ物を得ることができなかった社会】に限界があるのだと思います。 

22才の若者が、これからの60年以上の人との繋がりや自由な未来よりも獄中の仕事や囚人との交流、食事を選ぶ。生きることの歓びや魅力がない世の中だということです。 

凶悪犯罪を犯すことを厭わない道徳はどこで形成されたのか。そこまで酷い訳でもなくとも似たような感情、考え方を持っている若者は潜在的にも多いのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

記事にされている受刑者は、偏った人を抜粋してる気はするのですが 

無期懲役と言っても作業そのものが大した事ないものであったり 

苦痛を伴わない物であれば意味はない気もしますね 

犯罪、特に性犯罪に関しては自身での更生の可能性は低く、動物に芸を仕込むが如く、飴と鞭では無いですが、無期懲役の受刑者のみならず、全ての犯罪者には、重労働を課すべきなんじゃないかと思います 

受刑者の人権とか色々言う人いますが、塀の中に入った時点で人権もう無いと思います。 

少なくとも被害者はそう言う気持ちです 

 

=+=+=+=+= 

刑務所に入りたくないと思うのは社会で十分な 

生活ができていた者でここにある様な食事に事欠いたり住居も持たない者には刑務所は衣食住付きの 

有難い施設、ここに日本の刑法の甘さが出ている、 

刑務所が楽しいや刑務所に満期まで居る為に独居房も厭わずの不貞腐れ受刑者を甘やかすだけだ。 

法改正をして重労働を課す等もっと厳しい対応が必要だ。 

 

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それだけ一般生活を地獄のようにした国の責任でしょう。多少の自由の制限と引き換えに毎日適度な労働と食事。入浴も出来る。余暇にスポーツ等の娯楽もある。精神的に追い詰める人間や陰湿ないじめしてくる人間もいない。 

一般生活は本当に地獄。一生懸命働いても税金で半分近く持っていかれる。ストレスからか精神的に追い込んでくる人間ばかり。刑務所の方が幸福と思う人間は沢山いると思う。高齢者で満足に働けない人は犯罪起こして人間らしい生活求める人よくニュースで見る。競争社会につかれた若者が刑務所に救いを求める人もいる。企業はもっともらしいこと言って生活必需品は馬鹿みたいに上がる。物価も上がって税金も上がって給料は変わらず企業は過去最高益続出しても国は何も動かない。国と企業が結託して国民から搾取する。搾取疲れで絶望して不安のない刑務所生活求めるのは理解できる。 

 

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この記事に書いてあるような受刑者らの手記は、挑発めいたものもあれば、本心を記したものもある。死刑を望む者もいれば、死刑を怖がって逆張りで懲役などにせずさっさと殺してくれなどと言う者もいるだろう。そうした犯罪者の「望み」や「本音」の模索に翻弄されるあまりに、「死刑にも限界があるのではないか」という疑念に駆られる人もいるだろう。 

だが思うに、犯罪者の希望や戯言などというものを聴く必要自体、一切無い。 

要は、被害者やその遺族の処罰感情を重視することだ。刑罰の意義は、被害者の処罰感情や社会の批判に報いること(応報刑論)と、犯罪者の更生(教育刑論)であるが、後者が望めない場合、刑罰に求めるべきは前者のみであり、更生しようとする意思のない者に与える人権などない。 

新幹線の件の受刑者のような受刑生活を満喫しているような輩の場合、反省や謝罪も今だになければ、「処罰再審査」をして死刑にできる、というのは? 

 

=+=+=+=+= 

この手紙もまた社会への挑発目当てという捉え方もできる。 

だだ、犯行前のこの男がそれほど困窮していたのならば、一度なにかを与えて“失いたくない”と思わせてから奪うのでなければ罰にならないのかなと思った。でもそれをするためには何を与えればいいのかな。 

やはり死刑という制度は必要だなと思う。当人が反省していてもしていなくても被害者遺族が「一刻も早くいなくなってくれ」と祈る受刑者はいると思う。生存の権利を与えておくだけで遺族や被害者の尊厳を繰り返し傷付けるならば、その日数は少ないほうがいい。 

 

=+=+=+=+= 

今パラリンピックが開催されてますが、身体にハンディが有っても、それを克服しようと言う強い気持ちが有れば、困難を乗り越える事ができるって感じさせられます。片やこの新幹線の事件の受刑者は、五体満足の有り難さを感じれなかったのは残念ですね。心が病んでしまう事の方が厄介やなって思ってしまいました 

 

 

=+=+=+=+= 

ただ単に極刑を免れるために心にもない反省の言葉を述べて、罪を悔いることもしないでの無期懲役にどのような意味があるのか疑問です。ブラボー刑務所という歌があるけど、刑務所では家賃も食費も医療費も無料だから、ある意味恵まれている。 

こんな環境で更生の可能性の無い人物に余生を送らせるなら、必要経費は本人や身内から徴収すべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

とても難しい話だと思う。コメントされている方の大多数は刑務所には入ったことはないと思います。人によってその環境が快適か否かはマチマチではないのでしょうか?大概の方はもう入りたくないと思うはずです。無期懲役や極刑を望む人は極めてレアな存在です。だからこうやって取り上げられている。この短い記事を読んだだけで今の刑務所が手緩いとも思わない。この犯罪者が何故刑務所での人生を選んだか、その経緯の方に興味がある。この犯罪は断固許せないが、こんな輩は一定数発生するのだろう。ただ法律的にはこれが限界。本当に反省する人しない人がいるだろう。でも人の内面なんて皆が指摘する通りわからない。法律というガイドラインの中で最大公約数で刑罰を与えるしか無い。死刑廃止論もある中で難しい問題だと感じました。 

 

=+=+=+=+= 

どこかで聞いた噂程度の話ですが、無期は刑務作業などやることがあるので精神を保てるが、 

死刑は刑務作業がなく何もやれることがないので暇を持て余して精神的にかなり辛いと聞いた記憶があります。 

 

これが本当なら無期狙って犯罪を犯した人には無期と死刑の間として刑務作業などがない無期刑を作ってもいいのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

学者や法曹は、死刑制度を維持すべきか廃止すべきか?とか長期の服役の意味は?とか真剣に議論しているが、実際塀の中に入っている者の多くは、被害者の気持ちや贖罪といったことを何も考えずに生活しているというのが実態ではないのか。記事に出てくるような外部と積極的に交流したり、著書まで出版したりして自分の考えを発信する者は少数派であろう。 

無期懲役囚も服役の長期化と高齢化で、仮釈放になるころには自分がなぜ懲役に行ってたのかすら分からなくなっていたりするのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

「刑」について考え直さないといけない時代になってきていると思う。 

「人権」という名の下、死刑の廃絶や刑務所内の環境改善等、犯罪者によっては「刑」が刑の体をなしていないようになりつつある。そもそも人権を蹂躙した人間の人権を保護することが正解なのかどうかという疑問を、多くの人が抱かねばならないようなことになってしまっている。 

日本の江戸時代以前の刑は、非常に過酷なものであったのはよく知られるところ。牢内の環境は劣悪かつ、受刑者のヒエラルキーが明確で、受刑者の手で私刑が行われたケースも頻繁にあったという。また、遠島による懲役刑はさらに過酷で、刑期を終えるまでに何割かが命を落とすようなものだった。 

今の時代に必要なのは、「刑が刑足り得る」ということ。江戸時代の刑が適切だったとは言わないが、少なくとも犯罪に相応しい刑は与えられていたと思わざるを得ない。 

 

=+=+=+=+= 

世の中100%上手く行く制度というのは無い。言い出したらキリがない。個人的には、「日本の刑罰は最悪かもしれない。但し、世界のどの国の刑罰も除いてが条件だが。」という思い。刑罰という視点では、今の日本は上手くやってる方だと思う。 

 

この記事では、受刑者の「死刑の方が、無期よりマシ」みたいな一例のコメントが載っているが、あくまでそれは受刑者の意見。やはり、遺族の視点も持つことが大事だと思う。 

 

遺族には様々な遺族が居ると思う。 

 

時々、ニュース・テレビで放映される「死刑よりも無期懲役で、反省し続けて欲しい」という、個人的には「少々善人が過ぎるのでは?」と思わないでもない遺族の方も居られれば、やはり、死刑を一区切りとして、己の心にけじめをつけたいと思われる方も居られよう。 

 

完璧ではないが、あらゆる遺族の感情に対処できる可能性を持っている、日本の刑罰は、妥当なものだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

罪に対して罰が軽過ぎると抑止にはならない。 

あっちにもこっちにもいい顔してきた結果、犯罪者全てにも人権がどうのということになってしまった。 

 

罪の重さは一律ではないが、あまりにも無責任過ぎる行いに対して『人間らしさ』を望めるものだろうか。 

 

傷付けられた人達より、傷付けた人達の方が自分勝手に生きられている。 

衣食住を保証されて、時をすごした後に世に放たれる。 

 

内容が軽微であれば戻ってくる人も少なくないと聞くし、そうやって調整しながら死にたくないから世話になろうなんて被害者はたまったもんじゃないでしょう。 

 

鞭打ちとか、刺青とか、世に放たれてからも戒めになる何かは必要なのでは? 

全く無関係な赤の他人を傷付けて、殺したのは1人だから大丈夫てのはおかしい。 

 

ご遺族は実行しないだけで殺してやりたいと思うこともあるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

死刑は迅速に刑の執行をすべき。 

人権が…と騒ぐ人もいるが、そもそも人の命を奪ったのは誰?被害者の人権は? 

 

努力せず安定した生活が送れる獄中生活なんてさせるべきではない。 

 

被害者遺族にしてみたら反省や謝罪、後悔の気持ちを持ってもらいたいのは当然と思う。 

しかし、残念ながらこうやって反省のかけらもないような人間もいる。 

死刑とは死をもって償うという事を国はどう考えているのか。なぜダラダラと長引かせるのか。法務大臣は刑の執行を早く判断するべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

記事は心からの反省に焦点を当てているが、正直、そんなものは分からない。なぜなら、心の中で本当に思っていることを書いている、(接見中に)話しているとは必ずしも限らないからである。刑務所が受刑者反省を促す取り組みを行っていることは知っているが… 

 

記事中の保護房にいるとされる「彼」からの手紙も、ひらがなばかりでIQは下手したらそれほど高くないことが推測され、刑務所でも人とうまくやっていけないのはそうした部分が影響している可能性もある。その結論として、投げやりにも彼なりに「無期懲役」を意図的に選択したのであれば、彼もまた、社会のセーフティネットに救われなかった側面を持つ。 

 

刑罰は受刑者本人のためだけではなく、被害者感情(や時に世論)の留飲を下げさせる側面や社会的な抑止効果を持つ。なので、量刑の妥当性は過去の判例にもとづく相対的なもので、個々に合わせた絶対的な尺度はない。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも罪を犯し、他人に危害を加えたり、他人を不幸にした人間の人権が制限されていないのはどうなのだろうかと思います 

 

刑罰を受けるものは、他人の人権を無視して罪を犯し、不幸にしたり、危害を加えているのになぜ人権がここまで過保護に保障されているのだろうか、なぜそこまでしないといけないなだろうか 

 

 

=+=+=+=+= 

以前から言ってるけど 

罪の確定と更正のあいだに 

矯正が必要なケースは多いんだよ。 

 

そもそも罪を認識してなければ 

罰にはならないのね。 

再犯率は=矯正の必要数でもある 

罪が軽ければ軽いほど再犯率も高いだろうし。 

 

人権派の言うことも解るが 

代理処罰があるからこそ 

私の刑である私刑が違法なわけで。 

 

法がその役割を果たせないなら 

日本の社会の安定は果たせない 

 

=+=+=+=+= 

>よほどの覚悟がないと仮釈放には至らぬ刑(ただし、大半の芯がない腰抜けの者にはどうってことのない)です。という刑の反面、ほとんどの者は反省より社会に出ることのみしか眼中にない刑でもあり、効果につき疑問です。現実は更生、改心より懲罰、社会の保安上、獄に入れておく刑となっていますし、それが妥当です 

殆どの被害者や残されたご遺族が望んでいるのは純粋に加害者が犯した罪に見合うだけの厳しい懲罰を与えることであって、加害者の更生、改心なんて期待していないのが現実だし、無期懲役についても社会の保安上の観点以上に大きいのは、あくまでも被害者や残されたご遺族の無念さを慮ってのことだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

まずは、再犯率ゼロを前提とした刑と罰にすべき。 

小さい頃から犯罪をしたら酷く、辛い人生になることも教えることが必要。 

みんなが過ごしている社会に、馴染めないのなら、それをサポートする体勢は用意するとしても、しっかり生活をしている人の人生に悪い影響を与えたなら、犯罪者の人権は二の次、三の次としてお金をかけずに更生させるプログラムを作るべき。 

まともな人間が損をする社会はあり得ない。 

 

今の立法者は被害者が受けた精神的、肉体的、時間的、金銭的な苦痛を味わうべき。 

 

ほんといい加減にして欲しい! 

 

=+=+=+=+= 

私の友人は地方のとある刑務所の刑務官をしていますが高齢者犯罪の人ばかりで押し車でやっと歩けたりあるいわ寝たきりに近いなど何らかの介護支援がひつようになり刑務官なのにおしめ交換やトイレ誘導などがプラスで仕事としてあり何をやってんだろうと自問自答することがあると話していました 

やりきれないと思います 

 

=+=+=+=+= 

人を殺したり普通の人が考えられない罪を 

犯す人には普通の常識が皆んなと違うので 

同じ人間では無いと思うしかない。。 

 

無期懲役を本人が希望していて 

判決が本人の希望通りなったのが 

どうなのかと思ってしまいます。 

こんなふざけた奴は死刑で良かったんじゃないかと個人的には思ってしまいます。 

 

ただそれが出来ないのも分かるけど、、、 

 

刑事罰の判決を決める裁判で被害者の心情も考慮するのかも知れないけど過去の類似の 

事件と鑑みて刑期が決められるのも 

どうかと思う。 

 

犯罪を犯した人を誰もが納得する判決 

なんてのは重罪には無いのかと思ってしまう。 

 

=+=+=+=+= 

無期懲役が実際の受刑者からこのような表現に至る事は正さなければならないと思います。 

無期懲役が故の厳しく心正すような重罰を課すべきだと思うのですが、改善を願うばかりです 

 

=+=+=+=+= 

こんな考えなら、4系でも良いんじゃないかと思うけど、刑務所制度ってのも矛盾がありますね。 

確かに、何でも整ってるから何しようにも受け身で与えられる。社会で働くなら、受け身だったらそもそも仕事もお金も貰えない。 

やっぱり勉強してそれを生かすとか、自分からアタックして攻めて行かないと通用しないし、ずっと続けていく必要があるから、誰しもが何処かで躓いたり、病気になったりで上手く行かない事が多い。 

 

それでも大半の人は必死でルール守ってやってるんだけどね。でも何かそれに関しては分かる気もした。1カ月位仕事抜け出してフリーになりたいとか思うことあるもの。 

 

=+=+=+=+= 

価値観の違いと視点の違いですね。 

そもそも刑罰って現在進行形で受刑している人からしたら避ける意味も価値もありませんよね。 

だって実際に受刑しているわけですから。 

刑罰って受けたくない人にとって有効で、刑罰の大小は受刑者だけでなく被害者や遺族に意味のあることですから、受刑者が反省するかしないかとか意味なんてそちら側に見出すことじゃーないと思いますね。 

死んでから葬式の心配をしても仕方がねーって話です。 

社会は服役していない大多数の人達で構成されていますから、この大多数に刑罰が相応の抑止力となり、社会の治安が維持できるのであれば、それ以上それ以下の価値観は必要ないと思いますよね。 

 

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厳罰化のルートもあるけど、個人的には豊かな社会を目指す国家である限り、こうした無敵の人が発生しない環境を国民全体の努力や寛容でなんとかしてこう、が良いと思います。 

 

しかし…国が移民に積極的なので、自暴自棄は国民全体の努力寛容以外の要素が増えてきた。厳罰化しか方法論が無いところまで、来てしまっているかもしれませんね。 

 

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無期刑は必要だろうか?この記事を見て改めてそう思わされた。いっそ無期刑を無くして死刑か有期刑だけにしてはどうだろうか。更に死刑囚には死刑の期日を知らせて被害者が味わった死の恐怖を感じてもらう。そのうえで本当に悔い改めた者にだけ恩赦を与えてやるようにすれば再犯率も少しは下がるのではないか。 

 

 

 
 

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