( 208545 ) 2024/09/04 16:47:25 2 00 イトーヨーカドー、「33店舗閉店」で露見した“残酷な真実”とは? 津田沼店を訪れると、あまりに”悲しい光景”に切なくなった…。東洋経済オンライン 9/4(水) 6:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e0e03129a8846280fb3077327e98b7afdc9e80a7 |
( 208548 ) 2024/09/04 16:47:25 0 00 9月に営業を終えるイトーヨーカドー津田沼店。かつては「津田沼戦争」の中心地だったが、会社が何も変われないまま、歴史を終えることになった(筆者撮影)
■閉店する33店舗が決定、100店舗を割るヨーカドー
GMS大手のイトーヨーカドーが、再び世間を賑わせている。ヨーカドーといえば、今年の2月に東北地方を含む17店舗の閉店を発表。また、親会社のセブン&アイ・ホールディングスがスーパー事業を分離するという実質的な「見放し」も受け、自力での再建を求められている途中だ。
【画像13枚】「人の姿はまばらで…」 46年の歴史に幕をおろす、イトーヨーカドー津田沼店の悲しすぎる”現在の姿”
そんなヨーカドーだが、来年2月末までに閉店する33店舗の詳細が判明し、大きな話題となっている。報道によれば、茨城県で唯一の店舗であった竜ヶ崎店や埼玉の西川口店、千葉の姉崎店など、関東近郊圏での閉店も行われる。この縮小により、イトーヨーカドーは一気に93店にまで減ることになる。
閉店する店舗の中でも、話題を呼んだのが、9月に営業を終える津田沼店だ。閉店が決まった当初から、「悲しい」「あの津田沼店が……」という声が聞かれた。
【画像13枚】「悲しい」「あの津田沼店が…」 46年の歴史に幕をおろす、イトーヨーカドー津田沼店の悲しすぎる現在の姿
そんな中で、筆者が「面白い」と感じたポストがある。一般ユーザーの投稿のため、直接引用することは控えるものの、そのポストではイトーヨーカドー津田沼店に「閉店」の2文字が掲げられるとは想像もできなかったと述べつつ、津田沼という街について、「ここ20年で一番、『行く』街から『住む』街に変化した街だと思う」と指摘していた。
何気ないポストに思えるが、チェーンストアや都市について執筆活動をしている筆者には、イトーヨーカドーが持っている、本質的かつ普遍的な問題が潜んでいると思えた。
そこで今回は、閉店する津田沼店を実際に訪れながら、街とヨーカドーの関係性について考えていきたい。
■津田沼店を訪れてみると…
ヨーカドー津田沼店は、新京成線の新津田沼駅から直結している。入り口のドアの前には、閉店のお知らせが貼ってあった。
中に入ると、顧客から店へのメッセージを募集するコーナーが。ポストイットにそれぞれの人が津田沼店の思い出を書いて貼っている。その数は膨大で、津田沼店が地域の人から愛されてきたことがわかる。
その横には、閉店までの店の陳列について説明するポスター展示があり、一歩踏み入れただけで、完全に「お別れモード」に包まれる。
店内にも、至るところに「閉店売りつくし」と張り紙がしてある。いろんなものが安売りしていて、大量に積まれた商品が放り込まれたラックの周りには、ちらほら人がいる。
でも、ちらほら、だ。たくさんいるわけじゃない。そこがまた、一層悲しさを際立たせる。
もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている。ヨーカドーの昔の写真の展示から、当時の資料、津田沼の歴史年表まで、ちょっとした博物館のようである。
入り口にもあった「津田沼店の想い出コーナー」はここにも広がっていて、無数のポストイットが貼られていた。これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう。
■「津田沼戦争」に参入したヨーカドー
津田沼店が撤退せざるを得ないのっぴきならない理由はなにか。
もちろん、それはイトーヨーカドー全体の業績が悪いことはいうまでもないが、津田沼という街ならではの理由もある。
もともと、津田沼店は1977年に誕生した。今年で46年目を迎える。
当時、津田沼には「西武津田沼ショッピングセンター」「丸井」「サンぺデック(ダイエー津田沼店)」「長崎屋」等の大型商業施設が多数立地していた。商業的な激戦が繰り広げられるさまは「津田沼戦争」とも呼ばれ、当時は勢いのあったヨーカドーがその戦争に参入した形となる。
「戦争」ともなれば、本気を出さざるを得ない。売り場面積は当時としては最大。地下には「津田沼ファミリーワールド」という、さまざまな食料品を取り扱うモールのようなものもあり、食べ物であればなんでも揃った。こうした戦略が功を奏し、津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる。大勢の人が訪れるためか、松田聖子のコンサートが開かれることまであったという。
前述したポストでは、「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ。
■商業エリアの中心が動いた
しかし、ここに強敵が現れる。津田沼店誕生の4年後に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」である。津田沼店からはわずか4キロほどで、車で行けば10分かからない距離。津田沼の隣、船橋の臨海エリアに誕生した。ちなみに、元はと言えば、懐かしい人には懐かしい「船橋ヘルスセンター」がある場所だ。
ここは、今でこそ全国に増えた「ららぽーと」の1号店にして、現在でも日本最大級の面積を誇る大ショッピングモール。現在の敷地面積は約171,000平方メートルで、東京ドーム3.6個分。でかすぎる。
とはいえ、ららぽーとTOKYO-BAY、オープン当初は日本に本格的なショッピングモールがなかったこと、ららぽーと自体が初出店だったこともあって、先行きが不安視されていた。なにより、すぐ近くの津田沼は戦争中だ。そんな激戦区にあって、後発の業態がうまくいくはずがない、そう目されていた。
だが、その目論見は見事、外れる。オープン時には4万人が来場し、推定では25万人が来場したらしい。客の勢いは止まらず、このショッピングモールはさらにさらに面積を広げていく。
そこでの集客にあやかろうとしたのか、2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある。明確に「行く」街は、この臨海エリアになったのである。
さて、そうなると大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった。
その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ。
■街の変化より、変化が遅かったヨーカドー
こうして津田沼の街は変化を続け、それに合わせて「津田沼戦争」も収束、街の形に合わせるようにして、商業施設も変化していった。
ところで、唐突だが、ここで思い出すのが、最近私が精力的に取り組んでいる「渋谷カフェ少なすぎ問題」である。これは、土日の渋谷では、どんなチェーンカフェも混んでいることを指摘したものだ。この要因には、コロナ禍を経てリモートで仕事をする人が増えたことや、都市自体に人がゆっくり休める場所が少ないことが原因だと考えている。
しかし、その大元にあるのは、「人の変化」と「チェーンストアや商業施設の変化」、さらには「街全体の変化」のスピードが、それぞれ異なっていることだ。
人間の流行は、わずか数年程度で移り変わっていくのがほとんどだ。それに対し、商業施設などは、すぐに出店できるものでもなく、本部による出店計画や工事などを経て、やっと出来上がる。人々の興味よりも変化のスピードが遅いのだ。もちろん、チェーンストアの入れ替わりも、人々の興味の変化に遅れて生じる。
そして、それらを包み込む街ともなれば、もっともっとその変化は遅い。渋谷の再開発は2012年から2027年まで、15年がかかっている(というか、それ以上になりそうでもある)。
一方で、コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。
にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。
そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。
しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか。
■改革はしているが、肝心の消費者を見られていない
イトーヨーカドーの「変化の遅さ」はこれまでも取り上げられてきた。日本経済新聞の社説でも「遅すぎた経営改革」として語られているぐらいだ。実際、同社の取り組みを見ていると、この「人の変化」に対応する、という意識が希薄なのではないか、と思ってしまうことにたびたび遭遇する。
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( 208549 ) 2024/09/04 16:47:25 0 00 =+=+=+=+= 地元の者です。 本当に津田沼店がダメになった理由は 真横に立てられたAEONが原因です。 もちろん記事の内容も合っている思いますが。 AEONは車で行くと駐車場と売り場が近い。 対してイトーヨーカドーは駐車場が別棟にあり、遠い。 地元に住む私はイトーヨーカドーを昔はよく利用していましたが、今は使い勝手が良いAEONを利用します。
子供の頃は日本一の売り上げを誇った津田沼店。買い物が終わり、レストラン街や屋上の遊具で遊んだ思い出がたくさんありました。
長い間、ありがとうございました。
=+=+=+=+= ヨーカドー開店以前から近隣に住んでいますが、ただ記事にあるららぽーととヨーカドーの購買目的、客層で被る部分なんてごく一部でしょう。コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張も同様です。 閉店要因は色々あるでしょうが、何と言っても1番大きいのは駅を挟んでヨーカドーの真裏に2003年に開業したイオンです。利用者なら皆知っているのでは。
チェーンストア研究家を名乗りながら一言も触れていないなんて、まさか現地にまで行っていながら駅の反対だから目に入らなかったのだろうか。
=+=+=+=+= 60代です。イトーヨーカ堂なくなったらどうしょう?若い方はネットで買いますが、下着、子どもの水着や水泳道具、イトーヨーカ堂なら必ず売っていたので、頼りになります。少し値段はお高いかなと思いますが、ヨーカドーなら売っている思っています。下着もお値段をわりに長持ちしています。イオンさんも便利ですが、あまり広くない、なんでもそろうってお店ついつい車でいくことあると思います。 電化製品おいたり、いろいろ工夫していました。通販もしていますね。ネットで注文してセブンイレブンで受け取りってできるとこれ良かったとリピ買うするのかな。私はご贈答品や下着、イトーヨーカ堂なくなったらどうしようって思っています。日傘、シーツ、化粧品もイトーヨーカ堂でした。食品はついでに買っていました。お野菜も独自ブランドで無農薬と地場の農家さんのお野菜も良かったです。ニンニクや青梅買いました。野菜も肉も魚も品物良かったです。
=+=+=+=+= 今から四半世紀前、通勤に新京成線を使っていて津田沼は、経由駅でした。ちょうどその頃に、ヨーカドーが初めて、千葉にある店舗を閉店することになったと話題になっていたのを思い出しました。それまでヨーカドーは創業以来、出店した店を閉店したことがなかったので。まさに隔世の感ありですね。
=+=+=+=+= 昔、イトーヨーカドーと運送契約を結んでいました。常に上から目線で勝手に有無も言わせず運賃も設定(考えられないような低運賃)して強要してきました。また、些細なミスでも遠方で有ろうが担当者と上司を呼び出して厳重注意と下請けに対してブラックの最たるものでした。経営不振に陥るのもさもありなんという事でしょう。
=+=+=+=+= イトーヨーカドーって日本一早い入社式で良くニュースなったりして、高校の卒業式から翌日に新人研修、友達と卒業旅行とかも行けず、そっからシフトを組まされ、GWや盆も正月も長期休暇なんて勿論取れず、大卒のキャリア組の本部バイヤーの言いなりの売場展開、生鮮なんてアキダイさんみたいな地元のたたき上げのスーパーに鮮度も値段も勝てず、年数経てばプライベートなんて考えない知らない土地へいきなり転勤、それでも長年耐えて頑張って副店長ぐらいまで昇格(昇給は手当だけあまり変わらない)したら、閉店ガラガラ長い間御苦労サヨウナラだもんな。 お客さん目線で書き込みしている人が多いので従業員目線で書きました。
=+=+=+=+= 今はどうか分からないけど、本部フロアにピラミッド型の図が描かれていて、上の方にお客様・お取引先様の文字があった。 しかし実際は取引先の担当者や上司は呼び捨てで呼ばれ、社内の報告資料を作成手伝いとの名のもとに当然のように1から作らされる。 店舗改装の応援に行けば事前打ち合わせ通り行い、途中で確認をしてOKをもらっても終わってみたらなんか違うとやり直し。 取引先が積極的になんとしてもヨーカドーと取引を拡大するんだという気持ちも薄れたのかな。
=+=+=+=+= イトーヨーカドーが閉店しても需要があれば後継として他の食品スーパーなどが営業を開始するからそれでいいのではないか。何でも時代とともに変化する。銀行業界、パナソニックや東芝などの家電業界、鉄道ダイヤなども20年前~30年前とは全く異なる。良き思い出は思い出として記憶にとどめ進化していくことは必要だと思う。
=+=+=+=+= イトーヨーカ堂に限らず、中部圏でもユニー等の大型の総合スーパー(GMS)の凋落が激しいと思う。 食品売場はどこもお客はいるが、生活雑貨、衣類はどこの店舗を見てもお客さんはまばらな気がする。 店によっては、それらがあったスペースは縮小されテナントが入ることが幾つかの店舗でも見られる。 それこそイオンのモール店でも、専門店街と食品売場はお客さんであふれているが、生活雑貨、衣類売場は客数は少ない気がする。 昔はここの店に行けばある程度揃う。そんな形で買い物をしていたと思うが、今では衣類や生活雑貨は専門店やネット通販で買うことが多いと思う。 ただ、大型店舗が自身の住む地域でも閉店したが、無くなると改めて不便さを感じるばかり。
=+=+=+=+= 津田沼のイトーヨーカドーは当時全国のイトーヨーカドーの中でも1番の売り上げがある店舗と聞きました。確かに40〜45年前頃は、高根台、北習志野、前原のマンモス団地から会社員、大学生、高校生が新京成電車に乗って新津田沼でJRに乗り換えてたから、津田沼はかなりの人で賑わっていました。それ以降、団地の住民は高齢化し、人口も減ってしまい今に至ったのではないでしょうか。僕もよく学生時代イトーヨーカドーやパルコで買い物して帰りました。まさか松田聖子まで来てたとはびっくりでした。あと、そのパルコもなくなってしまいさびしい限りです。
=+=+=+=+= 自分がヨーカドーで勤めていた時は 津田沼店は売上上位の店舗だった… 未来永劫つづくと思っていたけれど それがまさか閉店するとは 想像もつかなかったわ… ヨーカドーのスローガン 変化への対応と基本の徹底 時代の変化に対応しきれなかったって事ですね。 伊藤さん、鈴木さんらの強い推進力を 失って、どう立て直すか…
=+=+=+=+= 多くの人がコメントしているように、津田沼店に関しては、どう考えても駅の反対側にできたイオンの影響が最大要因。 あと、セルフレジ化はむしろヨーカドーの導入は遅すぎるくらいだったと思うけど。有人レジが混雑したのも最初だけで、今では高齢者も一部まだ有人でないとダメな人はいるが、大概は普通にセルフレジで精算してます。
=+=+=+=+= ヨーカドーに最後に行ったのは10年以上前。それでも関東のヨーカドーは活気があるなと感じるくらいすでに地元のヨーカドーは昭和臭が漂っていました。タイミング的にも法改正を機に近くにイオンが建ち、ヨーカドーに残るお客さんは近所のお年寄りくらい。変化をしなかったというのは幼いながらにも感じることでした。「懐かしく、美しい記憶の中」に存在していると締められているように、時代に取り残され今の存在ではなくなってしまっていることが何よりも物語っていると思います。
=+=+=+=+= 経営陣が刷新されないとダメですね。 私も少なからず愛社精神もあり春まで30年勤めましたが善くも悪くも鈴木会長失脚後は会社として何の成長戦略を示せない。 内部従業員への働き方などを改革などど言って人を減らしてお客様への利便性を遠ざけてる。 不採算店舗の閉鎖を実施すれば黒字店舗だけで経営が持ち直すと考えているのかも知れないがそういうマーケットには競合や専門的が出来てやがては赤字に転落する。閉店の止血作業と同時に例えばドラッグストアのような利益性の高い販売業態の店を出すとか成長戦略を示せなきゃ先細る。鈴木氏失脚後何年も基本とか原点とか精神論ばかり。それを言う経営者は往々にして成長戦略を示すことが出来ない無能な証拠。 経営を傾かせた人が責任とらずに店でお客様そっちのけで大名行列をして役員から店長まで上層部はパワハラまがいの言動で従業員を追い詰めてる。こんな組織では尻窄みも当然の結果。
=+=+=+=+= 北口の津田沼ヨーカドーは魚が新鮮と言われてきましたが、南口に角上スーパーが出来て、「魚は角上」とお客様が角上に流れました。通常の食品はイオンの方が安いので、北口のイオンで買う人が増えたとも思います。 駐車場もイオンの方が便利です。食品売場の下に駐車場があり、買っても買わなくても一定時間無料です。駐車のためだけにイオンの駐車場を使う人もいますが、大抵は駅前の用事を済ませてイオンで食品を買って帰る。駅に一番近くて数時間無料の駐車場は魅力的です。ヨーカドーの最近の駐車料金は知りません。ヨーカドーだと駅前の銀行が遠く感じるし、食品売場からも駐車場が遠いので不便な感じがする。 イオンに駐車してヨーカドー内のダイソーやニトリで買い物をする時もありますが、食品は安いイオンで買います。ヨーカドーは中高年向き衣類が多かったのですが、断捨離ブームで衣類を買う人が減ったのも原因でしょうね。
=+=+=+=+= 行く街から住む街と言ってベイエリアを挙げればそれっぽく聞こえるかも知れないけど、巨大ショッピングモールの流れというより、AEONの利便性でしょう。お隣同士なのにこの差は大きい。何処の地域でも例え百貨店でもユニクロや家電量販店が入るケースもあり、買い物は駅前に車で来て駐車待ちする時代から随分前に変わってきていて、駐車場の利便性が確保出来ないとなると駅前での購買層をマネージメントする必要がある。やっと百貨店もハードル下げてきたし、ヨーカドーも相応にテナント考慮してはいたものの、時代に合うチョイスかどうかってところが大きいと思いますね。マーケティングが古くAEONに大敗しただけの話
=+=+=+=+= 津田沼から幕張とかららぽーとも近いけど休日は渋滞してるから時間にするとそれなりに時間はかかる。単純に隣のイオンに敗けたって感じの気がしますが。津田沼だけで比較したらイオンの方が売場の通路も駐車場も広いので使い勝手はイオンの方が良いですからね。駐車場もイオンは買い物しなくても2時間半無料に対してヨーカドーは買い物しないと無料にならないですし。そういう細かい差の気がします。
=+=+=+=+= ほんと津田沼戦争があったことが懐かしいよね。 イトーヨーカドー津田沼店や西武津田沼ショッピングセンター、丸井、サンぺデックなどの大型商業施設が出店しており、1977年にオープンしたイトーヨーカドー津田沼店もその一翼を担っていた。 ちょっと駅から離れたところにもダイエーのエキゾチックタウンなんかもあったよね。 イトーヨーカドー津田沼店は、全国のイトーヨーカドーで長らく1位の売り上げを誇った有力店。そういえば、うちの近所にあったヨーカドーも6年ほど前に撤退になったけど、常に10位前後だったんだよね。 まぁ津田沼戦争で勝ち組はどこもなかったってことなんだよね。
=+=+=+=+= 基本の徹底と変化への対応、がイトーヨーカドーの社是だった。商売する哲学者とまでいわれた創業社長伊藤雅俊とシステム経営の権化鈴木敏文のタッグは、世界の小売業界に革命をもたらしたとさえ評された。各種の業務改革は顧客への意識改革であったが、おそらくは社員にいつのまにか顧客の実相が見えなくなっていたのだろう。元は北千住の下町にあったスーパーマーケットが世界有数の流通業に成長する過程で、身の程をわきまえずに足元が見えなくなってしまったのか。一つ売って何円でしかない利益を大事にし客に頭を下げる行為が商売、その積み重ねが店を大きくしてきたことをヨーカドーの幹部社員は忘れてしまってようだ。
=+=+=+=+= 私も結婚するまで津田沼に住んでいました。 車社会の昨今確かに駐車場の問題は大きいと思います。今思うとなぜあのような離れた形にしてしまったのか不思議ですし立体駐車場は出口が一箇所で出ずらい。50年前の駐車場所のひと区画の大きさなのか小さく入れずらいです。歳をとって思うのがイオンの方がひと区画も大きく駐車場しやすい。イオンに比べて生鮮食品は断然ヨーカ堂のほうが質のいいものが取り扱っていると私は思うので津田沼からの撤退は大きいですね。
=+=+=+=+= 街を造るにあたり、分譲住宅を少しずつ売るとかの規制を設けた方が良いと思う。 一気に売ったものに一気に同世代が住まい、一気に年老いてゴーストタウン化することにより、購買力が一気に減っていく。少子化も拍車をかけている。小売業側も商店街→スーパー→モール→ネット通販と、時代に合わせた変化を遂げているが、買い物難民を産み出さないように、国には持続可能な街づくりを後押ししてほしい。
=+=+=+=+= 地元の者ですが、全然行かなくなってしまいましたが無くなると寂しい。 30年以上前はメッチャ混んでて立駐から出るのが大変でした。また7階のレストランフロアに電車の模型が走っていてこれも子供の時に見るのが大好きでした。 ちなみに昔は火曜日が店休日。 時代の変化についていかなかったので仕方ないですが、この昭和の古さも味があっていいかと思いました。 最終日9月29日は行ってみようかな。
=+=+=+=+= 26年前にイトーヨーカ堂全店176店舗の商品開発を担当していたメーカー勤務(定年退職)の者です。 皆さんのおっしゃる通り、ヨーカドー津田沼店は、売り場面積当たりの年間売上高が日本一を長い間達成した数少ない超優良店舗でした。 突出していたのは、衣料品と食品(惣菜、生鮮品)。 今、思い返しても、現在のイオングループ店舗のそれらよりも遥かに優れた品揃えだったと思います。 ダイエー等に比べて価格は2~3割高めだったが、デパ地下並みの品質をキープしていました。 ゆえに、お客様満足度は高く、支持評価されて日本一の売上高がキープされたと思います。 もうひとつの理由は、45年前から1998年迄の日本経済の右肩上がりの高度経済成長があります。 毎年年収は1~2割上がり、世界3位の一人当たり所得を実現。土地が高く東京に家を買えないサラリーマン家族が、便利な津田沼(習志野市、船橋市)に移住したからです。
=+=+=+=+= 地元にもヨーカ堂あるけど大きいショッピングモールの一部という感じ。主力はセブン&アイブランドを充実させた食料品。モールがリニューアルを重ねて通路では全国の物産展を入れ替わりでやっているし、スリコ、ニトリ、ダイソー、カルディ、その他アパレルも大手はくまなく入ってるのでかなり賑わっている。地方都市なので車が必須。駐車場はモールより大きいくらい完備されていてプラスLRTが開通したので高齢者と学生の利用者も増えた。今後は規模を縮小してヨーカ堂、というよりセブン&アイで展開して行くのでしょうね。
=+=+=+=+= ヨ一カド一津田沼店…残してほしかった。小さい頃両親に毎週末連れられて買い物したり、お茶したり、レストランで食事したり、帰りには食料品を買っていた。お正月用品もお盆もクリスマスケーキもバレンタインチョコも、本も年賀状も下着やパジャマもなんでも揃った。今でも残してほしいと思ってる。いうなれば私たち家族の思い出の場所でもある。今…介護施設にいる母親に津田沼店なくなちゃうんだって!!と話したら涙ぐんでました。 イオンできても私はヨ一カド一さんでいつも買い物してましたよ。これからどこで買い物すればいいの!? 最後のお礼に週末買い物に行こうかな?これからイオンさんで買い物をすることはほとんどないと思う、なんか面白くないというか、温かみがないんですよ。 イト一ヨカド一津田沼店の皆さま…本当に本当にありがとうございます。かつて家族で過ごした大切な場所でした(•‿•) ありがとう
=+=+=+=+= 地元住民です ヨーカドーは開業当初嬉しさに湧き上がってたのを思い出す 売上が全国1位になったくらい賑わってた しかし隣にイオンが君臨してきてから業績が傾き始めた感じだ 現在の状況を見れば一目瞭然だ まず規模が違う 閉店はんと寂しいし悲しいが現実と向き合って行かなければだ 46年間ありがとう。
=+=+=+=+= 創業家の伊藤会長がお亡くなりになり、祖業のスーパーを守ってきたイトーヨーカドーにも改革の波が押し寄せているということだろう。
私もよくイトーヨーカドーに行くが、他のスーパーに比べて老朽化は否めない。
モータリゼーションと大店法の改正により、駐車場を停めやすい郊外型のショッピングセンターに顧客を奪われたということが敗因であろうが、超長期的な視点で経営を考えることの重要性をあらためて再認識した。
=+=+=+=+= 数年前まで、AEONのある街に住んでました。幼少期と現在はイトーヨーカドーのある街にいます。 AEONは本当に品数が多いのと、PBに力を入れていて、あと何といっても、安い!庶民のためのスーパーだなと数年間で実感しました。 比較してイトーヨーカドーは、品質や陳列はとてもキレイで良いけれど、いつもお値段は二の次。これでは、リッチな客層しか見てないのかなと思われても仕方ない。かといって、成城石井などのように高級品に特化できているわけでもない。最近はセブンプレミアム?など頑張ってるみたいですが。どっちつかずな印象なんですよね。 今って、両極端じゃないですか、なんでも。そこの波に乗り遅れてるのがイトーヨーカドーって感じですね、個人的には。でも、地元のヨーカドーは愛着あるから買い続けますけどね。
=+=+=+=+= 低迷の要因は複数あるだろうが、個人的にネットスーパーのあり方に疑問があった。 ネットで注文してその日に運んでくれるとあってサービス開始当初は半年程度頻繁に利用していたが、食料品の賞味期限間近のものばかりなことに気づき、利用を辞めてしまった。 本来ネット注文に対しては逆の発想をするべきところだと考えるが、そういったところに消費者との乖離があるのだと思う。
=+=+=+=+= 繰り返されている事が起こっただけ。どこでもそうだがイトーヨーカドー等の総合大型店が出来る前は地元の商店街がそれなりに活気があったと思います。しかし大型総合スーパーが出来て地元の商店街が寂れそして今は総合大型店(衣料、家庭雑貨、食品)等がそろった大型店舗は食品以外、必要とされなくなった事が大きな原因。(歴史は繰り返される)の言葉道理の現象ですね。
=+=+=+=+= 近くに住んでます。 確かに駅を挟んだ隣にイオン津田沼店、わたり通路を通るとミーナ津田沼店。 なかなかの激戦区だと思います。
私としてはヨーカドー、好きなので無くなって欲しくなかった。良く言えばノスタルジックを感じさせる店内。年季は入ってるが、トイレ等もキレイに掃除されていたので、イオン・ミーナと共存していって欲しかった。 イオンに無いものがヨーカドーにはあったり。2件をハシゴして、しょっちゅう買い物していました。
店員さん達も親切にしてくれて、感謝しかありません。無くなる前にヨーカドー、行っておこう!
=+=+=+=+= スーパーが破竹の勢いだった70年代は、デパートと商店街の間で安くて何でもある業態だった。
コンビニ、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、ユニクロ、超大型のショッピングモール、アウトレット、ドンキ、アマゾン、楽天などがなかった時代に、スーパーは無双で、多くの商店街を葬ってきた。
その覇者がダイエーとイトーヨーカドーだったけど、先に崩壊したダイエーの轍を踏まないように変わる時間は十分にあったのに、残念ながら、半世紀の命だった。
食料品に特化した中小規模のスーパーは頑張ってる店も多いけど、駅前などの大きなスーパーや、地方の百貨店などは、築50年前後の建て替えの時期にもなってきてるし、正直、建て直して同じ業態というのは全く考えられないから、最後の淘汰に入ると思う。
=+=+=+=+= うちの近所にも大きなヨーカ堂があったけど閉店になりました。 息子達が小さい時にできてお誕生日やクリスマスのプレゼント、ことあるごとにヨーカ堂で買いました。 長男はサンタさんからのプレゼントの包装紙に小さくヨーカ堂とローマ字書かれてあるのを見て『サンタさんもヨーカ堂でおかいものするんや!』ととても喜んでいたのを懐かしく思います。 閉店のニュースはやっぱり寂しいものがありますね。
=+=+=+=+= ヨーカ堂の津田沼店、当時ライバルだったダイエーよりも人気店となり勝ち組だった。食品の売上げは全国のヨーカ堂の店舗の中でトップと言われてた。当時春日部にヨーカ堂初のデパートと言われたロビンソン百貨店がオープンした時は、津田沼店の食品マネジャーが抜擢されロビンソンの食品マネジャーに着任されてた。津田沼店閉店した時は基幹店なので驚いたけど、ヨーカ堂の3スローガンの1つ、『変化に対応』が機能してなかったのだろう。上司に対してイエスマンしか出世出来ない雰囲気がある反面、業者への強固な締めつけは厳しく、栄枯盛衰、驕る平家は久しからずとはこの事だ。
=+=+=+=+= 大阪の堺のものです 近くにイトーヨーカドー津久野店があり利便性もよいので頻繁に利用しています。 そのとなりの駅(車だと5分弱)にアリオ鳳ができて以来、毎年閉鎖店舗の記事が出るたび「津久野店もついに閉まるのか…」と地元では噂になります
でも毎回生き延びてるどころか結構賑わってて、逆にアリオ鳳の中にあるイトーヨーカドーの方が閑散としてて心配になります
ここに何かヒントがあるんだと思います
=+=+=+=+= 津田沼店がオープンする際生地手芸売り場のチーフとして上大岡から転勤しました。開店準備で周辺をチラシを持って歩き回ったのも懐かしい思い出です。有給休暇を取る社員なんて誰もおらず休みの日はMRと称してライバル店の価格調査に行かされ、講習会の出席も当たり前のように参加を促されました。売り出しの前日はタイムカードを先に押しての残業も普通にありました。今ならブラック企業です。当時は若い社員が殆どの会社だったので誰も言い返せなかったのだと思います。はいの返事のかわりに、ました!と言わされるのですが普通にはい!でいいじゃん、と思ってました。
=+=+=+=+= とても面白い記事でした。 時代の変化より街の変化の方が遅く、そんな中でイトーヨーカドーが取り残されたのは、チェーンよりさらに大きいセブン&アイ・ホールディングスという巨大な組織の一部になってしまったのも要因でしょう。 さらにセブングループ全体では成功していたので、余計に気付くのに時間がかかったように思います。 都市部では人口が多い分高齢者も多いので、地域に根差したお店では、まだまだ対面接客の需要は大きいと思います。 買収の話もあるけど、時代にあったカタチで残ってほしいです。
=+=+=+=+= 私も津田沼界隈を良く利用しているが、ヨーカドーは新京成線路を挟んだ隣のスキーイング津田沼跡地にイオンモールができているので若い人たちはそちらに流れていると思う。 ただ、私の母はイオンモールは広すぎてどこに何があるかわからないので、年寄りの足でもまだ回りきれるヨーカドーは便利だという。 食品レジもそれなりに有人レジがあり、年寄りにはちょうど良かったようだ。 現在の店舗の大きさと業態をうまく変化させれば存続できたのではないかと思ってしまう。
=+=+=+=+= かつては津田沼のヨーカドーと言えば、東日本でも屈指の店舗だったのに時代は変わりましたね。今はコンビニもあり、ネットでポチれるので、駅前立地の大型スーパーの必要性は段々なくなってきているのかも知れません。あと、大手以外でも生鮮3品のコスパの良いところはいっぱいあるので、ヨーカドーに行くメリットが減ったのもあるかも。
=+=+=+=+= 新京成線を利用して出かけた帰りには、このヨーカドーで買物をして電車に乗ってました。 車を利用しないので、新京成とJR利用するうえで、使い勝手がよくて。 コンコース前に、洋服から食品まで、時には物産展も展開されていて、それも楽しみでした。 閉店は寂しい限りです。 津田沼はパルコも消えてしまいました。時代の流れかもしれませんが、モリシアも無くなるとか噂が。
ヨーカドーのお手洗いは 何時も綺麗で、大手商業施設には珍しい、便座シートも完備。 何かとお世話になっただけに、閉店は本当にさみしい限りです。
=+=+=+=+= この記事で船橋エリアや幕張新都心エリアの他社については触れられているのに、真横に作られた売り場面積数倍のイオンモール津田沼について触れていないのは故意か偶然か?
確かに幕張や船橋に行くことは増えただろうが、地域住民も日々の買い物まで遠出しているわけではなく、イオンモール津田沼との競争で地元客の取り合いに負けたのが直接的な理由だろう。イオンモールも規模の割に客が多い訳ではないが、両方行ってみると来店者数には大きな差があることがわかる。
=+=+=+=+= 地元に住む者として、なかなか面白い考察ではあったけど、この考察からスッポリ真横にできたAEONの存在が抜け落ちているのは解せない。 確かに津田沼は行く街から住む街へと変貌を遂げた。ここは合っていると思うが、住む街の大型スーパーとして需要はあったはず。しかし、施設の老朽化、若者向けのテナントもなく、時代遅れ感が年々増すばかりだった。モール型でテナントも若い層向けのAEONに客を取られるのは必然だった。 ただ、残念だ。イトヨーにはAEONにはない強みも良さもあるはずなのに、 時代について行くための努力が見えなかった。津田沼の駅前は丸井もPARCOもなくなり、さみしくなった。再開発がうまく行って活気が戻る事を願っている。
=+=+=+=+= イオンもヨーカドーも共通して言えるのは、 食品売場と専門店街は活気があるが、衣料品売場は客がいない イオンリテールとイトーヨーカドーの違いは同じ赤字でもイオンは総合スーパーで集客して自社系専門店で金を使って貰えれば良いという感じかと思う しかしヨーカドーは自社系専門店は専門店で個々で黒字化が求められているから撤退なんだろ 地方もあんなに食品売場は客がいるのに閉店させる店もあり、イオンなら絶対にやらないだろうなと思う 丸大新潟や弘前や五所川原や尾張旭などはイオンなら絶対に切らない
=+=+=+=+= 自分は埼玉県と福島県に住んだことがあり、どちらも車で20分の距離にヨーカドーがありました。 共通点として駐車場が狭く出入りもしづらい、立地が街中で周辺の道幅が狭い。 4〜5階建ての縦長の建物だったので売り場が狭く階層移動がいちいち面倒。 立地や建物の構造は仕方ないとは言え、テナント数も少なく映画館などの娯楽施設も無い。 結果イオンなどのショッピングモールと比べて不便で暇つぶしも難しい時代の流れについていけていない印象でした。
=+=+=+=+= もう、かなり昔だけど当時、働いていた会社に新入社員で入った子が半年位で辞めて津田沼のイトーヨーカドーに転職したな。津田沼は、しょっちゅう買い物に行ってたけど最初にパルコに寄って、それから丸井、イトーヨーカドーの順で寄って買い物してて、ヨーカドー寄ると、たまに、その子が働いてるのを見掛けた事も、あった。今は津田沼も全く行かなくなったけどヨーカドー津田沼店も無くなっちゃうんだと思うと何だか寂しい気持ちになるね。
=+=+=+=+= うちの地元のヨーカドーは全国でも売上トップ10に入る店舗らしく、土日は常に大混雑してるので、閉店続きというのが逆に信じられないほど。
でも確かに他の方のコメントにあった通り、生鮮の鮮度は他のスーパーに負ける。 あと頻繁に模様替えをし過ぎていて、以前より動線が悪くなったり、よく利用していた雑貨な衣料品コーナーを撤去したり、「本当にお客のこと考えてる?これで売上上がると思ってやってるの?」と疑問に思うことは多々ある。
=+=+=+=+= 結局イトーヨーカドーは時代の流れにアジャストできなかっただけだと思う。春日部店しかり、1Fに化粧品売り場おいてるけど、昔は化粧品売り場で買うのが主流だったけど今は某小売りチェーン店でも買えるし、ネットで海外製も買える。 昔と違って今は全国規模でなくても地場でチェーン展開している中規模店もあるし、こういう店って車で来店する人の事を考えて店を設計している感がある。あと共働き家庭にあわせてお惣菜を充実させたり、簡単に調理して完了するおかずキッドなども販売している。 衣料品売り場もあるけど、今は某アパレル店で安く買う人も多いしネットで服買う人も多い。 なによりも店内が暗いし客もいないし、トイレ借りるだけならいいけど入店して買い物したいと思わない。
=+=+=+=+= どの地域みてもそうだけど、大きな駐車場併設で、モール内に色んなお店があって、スーパーも質価格ともに安定してる店でまとめ買いするのが今の買い方だよね。 昔のスーパー、とくにヨーカドー系は駐車場があるにはあるけど使いにくいとか、砂利駐車場でカートが使えないとか結構あるので・・・ アリオはその点現代化されてますけど、まだイオンモールほど数がないですよね・・・ あと最近は、こういった郊外モールで買い忘れたものを近場の徒歩圏スーパーで買うケースがおおく、 そういった面でもイオン系のアコレ、マイバスケット強いですよね。 コンビニのセブン・イレブンでは高いんですよね。。。
=+=+=+=+= 私が幼少期の頃は屋上に小さな遊園地みたいな遊具があって、イトーヨーカドーでのお買い物が身近で気軽なエンタメだった。 母に玩具ねだったりソフトクリーム買ってもらったり、朧げながら懐かしい楽しい思い出がある。
当時は食品も衣料品も大体のものが一同に揃っててすごく便利だったけど、 今は競合スーパーやネットもあるし、昔のままの調子だと難しいんだろうなぁ。 デパートもどんどん様変わりしていくし、小売は時流が早いなと感じる。なんだかちょっと寂しいけどね。
=+=+=+=+= 津田沼店は基幹店と言っても良い店舗だったろうと思います。定期的に行ってみていれば何が問題なのか、当然わかったろうと思うのですけどね。まあ、ここはイオンがありますから、撤退しても地域の住民は困らないでしょうけど。 経営状態の良い大規模ショッピングモールというのは、こまめにテナントを入れ替えたり広げたり狭めたりを繰り返しています。かなり敏感に顧客の変化を見て対応しているのだと思います。経営陣が店頭を改革できないようなGMSにはなかなか…。
=+=+=+=+= 私が津田沼に来たのは40年前。中学時代は神奈川県で「藤沢百貨店戦争」を見ていたので「津田沼スーパー戦争」の熱さに興奮しました。ヨーカドーは地下のフードコートをよく利用しましたね。でも買い物は駅の反対側のダイエー(エキゾチックタウン)が多かったかな。やがて長崎屋、遅れて丸井、そしてPARCOが閉店しました。ついにヨーカドーも。確かに駅前は道が狭く、交通量が多く車で利用するには不便です。電車利用の方は一度にたくさん買えません。私はヨーカドーもよく利用しますが近くの幕張店に行くようになりました。イケア、コストコ、イオンモールそしてららぽーと。ここはあらゆる買い物をするのに何の苦労も無い稀有なエリアだと思います。街の姿は変わっていきます。駅の南側はもっと劇的に変わりました。悲しむだけでなく、時の流れを受け止めながら過ごしていこうと思います。
=+=+=+=+= 懐かしい店でしかないって指摘がすごく的確だなと思った。 百貨店だとか、書店だとか、近年嘆かれてるものの殆どがこれだよね。更に昔に遡れば八百屋なんかが消えてスーパーマーケットになっていったし、街の電気屋が消えて家電量販店になっていった…同じようにイトーヨーカドーも惜しまれつつも使われなくなって消えていくだけではあるんだよね。 うちの近所のイトーヨーカドーも近年リニューアルしてテコ入れし、一時期は今後を占う店のひとつともされたけどどうにもならず、結局消滅した。テコ入れ程度じゃ復活できないくらい、時代から遅れてしまっているんだよね…。
=+=+=+=+= 確かに以前は津田沼まで行って買い物をしていた時代はあったけど、ららぽーとやIKEAがある南船橋とイオンがある幕張(幕張駅からは離れている)に行くようになってからは買い物目的で津田沼駅周辺に行くことは無くなった。
=+=+=+=+= 通勤ルートになっている準地元エリアに2008年から三菱地所の肝入で大型アウトレットモールが開業し、あれから16年・・今でも県外から訪れるお客さんもいるようですが開業当時の大渋滞は夢のようで、あと10年持つかどうか・・致命的なのは立体駐車場と店舗が離れているため商品単価の低い書店は閑古鳥状態。その反対に商品単価の高い「モンベル」は強気の商売を続けています。確かに雨具などバイクショップの高いヤツよりモノが良いので不便な立体駐車場を使ってでも買いに行きますけどね。それ以外は不便な立体駐車場を使って買いたい商品は少ないと思います。当初はBOSEの直営店もあったのですがいつの間にか閉店・・
=+=+=+=+= 大阪です。 病院の帰り道にヨーカドーがあって、よく利用します。 ヨーカドーのプライベートブランドとイオンのプライベートブランドでは全くおいしさが違うと思います。
若い方はイオンがお好きなようですが、失礼ながらお値段は同じなのに、イオンはヨーカドーの足元にも及びません。
毎週家の下にダイエーの移動スーパーがきて本当に今年も暑かったので助かったのですが、イオンのプライベートブランドだけは本当に違うし、さすがはヨーカドーと言う感じで、大阪も閉店されたら本当に困ります。
=+=+=+=+= イトーヨーカドーもヨークブースも頑張っていると思います。 月に一度使えるシニアクーポンとか、5%オフクーポンとか、魅力が一杯あります。配送サービスも便利だし。 イトーヨーカドーのポテトサラダば美味しいし。 イオンも魅力がありますが、シニアカードにはバーコードがなく、ウエルシアとポイントをガチャボンで繋げましたが、バーコードがなくて使い勝手が悪い。プライベート商品も最近は質が落ちている気がする。 私は、ヨークブースやイトーヨーカドー派なので、店舗が無くなるのは本当に辛いと思います。 最近の物価高で、どこのスーパーに行っても、買い控え以前に予算が叩き出せず、買いたくても高くて買えない。と言うのが本音。 少しでも安いものを選ぶと、どうしても同じものになり食卓がマンネリ化してしまう。 イトーヨーカドー、ヨークブースには頑張って欲しいです。 応援しています。
=+=+=+=+= イトーヨーカドー津田沼店は青春そのもの。小学中学のころは自転車で30分かけてヨーカドーをはじめとする津田沼界隈に出かけていました。 現在は食料品売り場以外は「ほぼ」人がいない状況でしたね。それでも好きで行ってましたけど。結局残ったのはイオンだけでした。このままだと船橋店もいずれでしょう。今は関東圏に住んではいないけど9月中には訪れたいと思います。
=+=+=+=+= 日常的に一カ所で全ての買い物を済ませる生活スタイルじゃなくなったんだよね。わざわざ買い物に出掛けるものとネットで買うもの「以外」と言えば、もはや食料品や消耗品だけ。それらもコストコやドンキ・薬店で買える。駅近は駐車場が少ないからデメリットにもなる。 一方で、衰退少子化日本では、近場で全ての買い物を済ませたい高齢者のニーズに応え得る業態が次に来るはず。
=+=+=+=+= 都市部での撤退には代替店が進出するだろうが、問題なのは経済原則とはいえ、地方でそのまま商圏が衰退していくこと。 アメリカのウォールマートを思い出した。地域への出店で、商環境を破壊し自社利益を上げ、採算悪化で素早く撤退する商法に批判が多い。 日本の大手スーパーはそれほどでないが、身勝手な面もある。
=+=+=+=+= 津田沼のヨーカドーが廃れた理由は、横にできたイオンの存在が大きいと思います。駐車場が別棟なことも不便さを感じました。 ららぽは、先日数年ぶりに行きましたが、こちらはこちらで、そごうがあった時とは一変して苦しい印象がありました。 ららぽが厳しいのも、幕張にできたイオンの存在が大きいかなと感じます。 昔はIKEAがある場所ら辺に、室内型のスキー場や巨大迷路などがあったり、近隣に日帰り温泉もあってレジャーも兼ねていたけど、、いまは駅もできたし幕張イオンの方が魅力的に感じます。施設が広すぎるのが難だけど。 サッカーのジェフは、色々あって市原に拠点を持ったけど、幕張に拠点を持っていたら良かったのになと思います。だだっ広いイオンだけよりも、マリンスタジアムがあって、サッカーのスタジアムもあったら、もっと楽しそうだった。
=+=+=+=+= 記事の筆者が指摘しているキーワード「変化対応」こそイトーヨーカドー中興の祖と呼ばれる鈴木敏文前会長が常に重要視していたことです。米国セブンイレブンと業務提携し、その後は本体を買収。1980年代にダイエー、イオンと総合スーパーの派遣を争っていたイトーヨーカドー。鈴木氏は「小売りを科学する」と店頭での売り上げデータをもとに在庫回転から的確な仕入れを商品部バイヤーに要求し「売り逃し」「機会損失」ゼロを現場に要求していました。90年代が業績のピークだと思いますが祖業の「衣料品」での地元消費者の信頼厚く肌着などの実用衣料から外出着までスーパーの衣料品部門では圧倒的な強さを発揮していました。ダイエーが自社店舗の全国制覇にこだわる一方で関東ローカルの駅前立地で核テナントとして営業。ダイエーが経営破綻する一方で圧倒的な利益体質の企業に育てました。転機はイオンが郊外モール戦略で業績を伸ばし始めたときでした。
=+=+=+=+= 小学校の時に津田沼に引っ越してきた時は、駅が木造で駅前にサンポーと言う小さなスーパー。イトーヨーカ堂はちょうど工事中で、早く出来ないかなと思ったものだ。 上階にあったペットショップはお気に入りだったし、玩具屋で最初のガンプラブームの時に早朝から並んだりもした。アパレル店でバイトしたりもしていて楽しかった。社会人になり実家を離れたりして行く機会は減ってしまったが、思い出がたくさんあるので残念ではある。 記者の言うとおり変化に遅れたのが原因だと思う。扱う商品などに目新しさも減っていたし、隣のイオンの方に行けば売っていたりとイオンにも負けてしまって。因みにイオンのところにあった新京成の車庫やスキーイング津田沼は懐かしいな。仕方ないとはいえ残念です。
=+=+=+=+= 元々、同じ系列のセブンイレブンが小売店舗として成功しているのに、イトーヨーカドーの低迷は経営戦略の失敗です。特色はあまり無くて、スーパーとしては普通の価格、記事にあるような周りの変化に素早く対応しているとは言えないと思います。イオンやメガドンキやOKストアも利用しますが、それぞれ特徴があって楽しいです。
=+=+=+=+= 客が来ないから店を閉める。ある意味当たり前だ。私の地元もヨーカドーが閉店して久しいが、無くなる直前は地下の食品店以外はほぼ客はおらず閑散としていた。 時代の変化に適応しなかったというよりは、適応できなかったと言う方が正しい気がする。箱がある以上外と骨組みを変えるわけにもいかない。どうしたところで機能的な古臭さは残るし、老朽化もする。有りもので営業したいのは当たり前だし、過度の設備投資も難しいと考えているうちに新しいショッピングモールに客は流れてしまったのだろう。そうなればゼロから新店舗を立ち上げるのと変わらない。撤退やむ無しだ。 実際、無くなって悲しむ人の相当数はノスタルジー主体でものを言ってるだけだとも思う。仮に営業を普通に続けていたら、思い出すこともせずにイオンモールあたりの常連客として買い物をしていたはずだ。無くなると言われなければ思い出さないから、思い出の店が無くなるのだろう。
=+=+=+=+= 地元民です。どちらも利用していましたが、子供を生んでからはイオンの方が欲しいものが置いてあったり、授乳室も広かったりなどでヨーカドーさんはあまりいくことがなくなってしまいました。
変わりつつある街に寂しさを感じますが、閉店前にお買い物いこうと思いました。
=+=+=+=+= ららぽーとに客層が向かったというがあそこで毎日スーパー代わりに野菜や肉を買う人は少ないでしょ。明らかに客層が違う。やっぱり隣のイオンの存在が大きい。特に本社のある千葉でのイオンの存在はどのスーパーも敵わないと思う。 ヨーカドーの金の〜シリーズといったオリジナルブランドは少し割高でもクオリティが高くて成功してる感もあったけどなぁ。 ここだけに限らず何十年も地元密着のスーパーが消えるのは寂しいですね。。
=+=+=+=+= 最寄り駅に大きいヨーカドーがあり、以前は屋上にトランポリンや乗り物、遊具やゲーセンなどがあり賑わっていました。
某有名CD、DVD、楽譜販売店、サーティワン、本屋、薬局、フードコート、レストランなどが入り、衣食住何でも揃っていましたね。
最近はガラガラですがおそらく時代に着いていけなかったのかも知れません。垢抜けない洋服、一昔前の下着類、陳列も購買意欲が沸かないし、その頃は生鮮食品は強気の高値。 今は手頃で新鮮な野菜や肉魚、今風で質の良い衣類、下着、靴、食器、雑貨店が多いし、スマホにうとく手の遅いレジ。 ヨーカドーは候補に上がらなくなりました。
でも昔と比較すると生鮮食品は良品で安くなったし品数もあるので閉店すると困るのがヨーカドー。
=+=+=+=+= 津田沼のヨーカドーは新京成線の新津田沼駅があってこそ。 習志野台や高根木戸、高根台等の団地には日常のスーパーマーケットはあったが、それ以外のちょっと良い生活用品や被服類は新津田沼のヨーカドーやそれこそ「津田沼戦争」の店舗に行っていた。記事には強敵としているららぽーとは、直線距離では近いものの、鉄道や道路事情があまり良くなく気軽に行けるところではなかった。 ところが京葉高速線ができ、イオンモール(津田沼、八千代緑が丘)ができれば、駅から離れている「津田沼戦争」店舗や単体のヨーカドーの魅力は薄れる。また、車で行ける現在勢いのあるスーパーマーケット等の出店が続いた。 「津田沼戦争」各店舗の母体の弱体化による特別感の喪失、パルコ津田沼の閉店もその影響が強いだろう。
=+=+=+=+= 商売は弱肉強食の世界とは言え、近隣にライバル店が出店されると影響は受けざる得ない。 ショッピングモールみたいな各店舗が入っているところで空き店舗が出始めるとお客は行かなくなる。 お客がお客を呼ぶ流れができなくなるのか、空き店舗があるとつまらなくなる。 お店の陳列棚に商品があまりないと購買意欲が減るように、お店がズラーッと並んでないと行く気が失せるから不思議。 サービス業で働いていますが、ネットで欲しいものが買えるこの時代に実店舗で売上を上げていくのは物凄く大変と痛感する毎日です。
=+=+=+=+= イオンとヨーカドーがタッグを組み、共同で同じ場所へ出店している店舗もあるが、イオンはお客が沢山訪れているのに、なぜかヨーカドーは閑散。 駐車場の構造や店舗のレイアウトも似ているのに、なぜかヨーカドーには人が少ない。 しかし、商品力や接客品質はヨーカドーの方が格上に思う。価格もヨーカドーは3重も4重も割引(クーポン、見切り品、ボーナスポイント、まとめ買い割引、ハッピーデーなど)を併用出来る場合も多く、イオンより結果的には安上がりで買い物が出来る。 安くて良いモノなのに、なぜかお客はイオンより少ない。 結局は現実よりもイメージが先行して、 「ヨーカドーは価格が高い、家族向けではなく中高年向け」など、世間の固定観念を払拭出来ていないのだと思う。
=+=+=+=+= まぁ新しい物が生まれ、古い物が淘汰されていく、これが正しい新陳代謝であり世の常なのですよね。 でも、イトヨーって閉店閉店と暗いニュースばかり報道されますが、ウチの近所のイトヨーは時代の流れに対応しながら元気に生き残っていますよ。 百均や雑貨、インテリアや衣料など全国的な人気店を積極的にテナントに取り込み、最新のショッピングモール顔負けの店舗揃えで休日は客で賑わってます。 あとは建物の古さもあるのでしょう。 築10年20年ぐらいの比較的新しい建物であれば思い切った改装やテナント入れ替えも可能ですが、30年40年と古ければ耐震性等々もあり、閉めて他所に注力した方が効率的と判断するでしょうからね。
=+=+=+=+= 知人にイトーヨーカドーの本部側相手の商売をしてた人がいます。今でも当時の文句を聞きますね。その人が本気で客のことを悪く言ってるのはイトーヨーカドー以外に聞いたことがない。
話を聞く限り基本的なビジネスセンスに問題がある感じでした。会社としての利益ではなく、与えられた仕事を疑わずに遂行し、その負担を下請けに回す。その仕事自体が利益を上げているかは考えない。
そういう本部なんだから現場が改革出来るはずがない。どんな会社も寿命がありますが、こうして衰え、会社はなくなっていくものです。
=+=+=+=+= OBとしては実に寂しい気持ちになります。子会社とは立場が変わってしまう程、業績不振になり、しかし店舗構成に全く変化なく、「変化への対応…。が」店内で働く従業員は高齢化が目立つ様です。 もともと衣料品店が原点にあって、それらを蔑ろにしているかの様な事態にはとても衝撃を受けました、初代はどんなお気持ちか察するに余り有る。
=+=+=+=+= イトーヨーカドー津田沼店も確かにそうだが、 50年の歴史に幕閉じる【藤沢店閉店】はもっと地元ではショックだそうだ。
藤沢店は実は「イトーヨーカドー発祥同然、デニーズ発祥店舗」でもあった。 開店当初、店内にデニーズが展開され閉店後でも店内をガラス越しで眺める事ができる稀有な存在だった。
藤沢という土地柄実は、東急ハンズの発祥の地でもあり道路はさんで隣土地に倉庫状の東急ハンズ藤沢店開店こそハンズの発祥なのである。
藤沢を撤退した企業は記事にあるように「変化に追いつけなかった」というのは図星だろう。丸井・西武・東急ハンズ・ダイエーいずれも撤退した。
ならば、津田沼店も同じ理由だろう。同グループ企業セブンイレブンが「変化に対応するコンセプト企業」であるのに、何故こうなったのか。
創業者を「追い出した風土」にあるのではないか。これも図星だと思う。
=+=+=+=+= この店ではないがヨーカドーはよく利用してた。駅近で食料品から日用雑貨まで何でもある。値段も手ごろで品質も悪くない。 だが、衣料品はユニクロで食料品は地域密着の激安店で買うことが多くなった。郊外にはショッピングモールもできているから、自然と足が遠のいた。 薄利多売で大量に仕入れて大量に売るから安価になるというメリットも人口の減少であまり感じない。価格は商店街と変わらない。 閉店は本当に残念です。でも時代の変化に合わせて売り方も変化しないと生き残りは難しいと思いますが。
=+=+=+=+= 津田沼はダイエーとイトーヨーカドーの両方があったころが懐かしいね。 ダイエーは撤退して今はモリシアになってるし、丸井はミーナになった。イトーヨーカドーが撤退しても似たような何かに変わるんだろうなとは思ってる。 イトーヨーカドー撤退はやっぱり隣接するイオンが原因だろうね。新津田沼駅の通路を通れば2,3分で行けちゃうし。イオンが人工スキー場のままだったら今みたいに閑散としていないんじゃないかな。
=+=+=+=+= 1975年生まれです。新京成沿線高根公団に生まれ、19歳で大学に入るまでを過ごした街です。新京成も30年乗っていないです。新津田沼⇒JR津田沼の不便な徒歩の乗り換え。30年前の思い出が蘇ります。新京成の改札出て左に行くとヨーカドー直結! ガンプラやドラクエⅢを並んで買った店です。記憶は断片的ですが、高校受験の市進、浪人時代の代ゼミ。パルコもあったような?丸井も?確かスキーイング津田沼という室内スキー場も? JRのデッキに大きな本屋があったかな? JRからの帰路、昨年他界した父が酔ってお土産に買う31アイスクリーム.....涙が出ます。 ああ....気になってきたので、30年振りにオートバイのツーリングで行ってみようかな.......
=+=+=+=+= 今の若者は、昔の若者よりも幸福度が高いのだそうです。 昔の人(今の中高年)は欲しいと思うモノに支配され、それが手に入らないと不幸だと思うし、欲しいモノが手に入ればまた新たに欲しいモノが現れるので幸せを感じにくいのかなと言えます。 しかしながら、今の若者はモノに支配されておらず、コトを楽しむ事を重視しているから幸福度は上がっているのかなと思います。 生物には防衛本能や予知能力があって、昔の幸せのカタチでは幸せになれないと予見すれば変わり身出来る能力があり、ある意味自然な事でもあります。 そしてイトーヨーカドーは正にモノを売って人を幸福にしてきました。しかしながらモノは今や幸福のカタチでは無くなりつつあるので衰退はやむえません。 悲観的に捉えがちなニュースが多いですが実は、未来の人達の方が幸福度が高い社会になる可能性が高いと私は思います。
=+=+=+=+= ウチの地元、武蔵小金井のヨーカドーは、駅前である事、店舗が比較的新しい方である事、競合店が殆ど無い事から今回の店舗整理の対象から外れてますが、今後はどうなる事やら。過去同じ様に競合店が無かったはずの国分寺店が閉店しましたからね。 その国分寺店、ドイトを経て今はサミットとパチ屋が同居してますが、はっきり言ってヨーカドー時代の様な活気はありません。建物の老朽化が進めば完全閉店になるでしょうね。
=+=+=+=+= 第三次産業は、多すぎる。過当競争状態だと思う。スーパーやコンビニやレストラン等多すぎだろう。だから価格も上げられない。外国人労働者は排除して建設や第二次産業に回帰するべきだろう。建設は人手不足で労務単価が上昇している。建設投資に対して供給力不足だ。若手労働者が足らず後継者問題も発生している。国はこれらの給料を上げる(公共単価上昇)補助をして建設の魅力を上げる手助けをするべきだろう。又、第二次産業を国内に呼び込み輸出を増やす動きも必要だろう。現状の日本は、サービス産業が多過ぎてバランスが悪い。逆に言えばサービス産業しか国内投資出来ない状況が長く続き過ぎた。円安でリバランスが可能な内にどうにかするべきだろう。
=+=+=+=+= PARCOの次はイトーヨーカドーが…。 津田沼もどんどん寂れていくなぁとつくづく感じます。 イトーヨーカドーには子供の頃は家族と一緒に行った記憶があります。大人になった今でも上の階にあるnojimaやニトリに寄って買い物もしたりします。 通院している病院の帰りに今月いっぱいでの閉店というのを知り大変驚きました。 今ではAEONに行く人が増えたから致し方ないのかもしれません。 本当に今まで大変お世話になりました。
=+=+=+=+= 津田沼に親戚が居たが、昔は京葉道路から先は海でしたからね。そこが埋め立てられて、人が住み、便利なショッピングモールが出来、大型冷蔵庫の普及で買い物が週1-2回で済ませらるようになると、ワンストップの便利なところに居ますわね。イオンの本部も幕張に来て、気が付いてみたら強豪に取り囲まれていましたね
=+=+=+=+= GMSに勝ち組無しです。イオンだって小売業は厳しい。これは時代です。若い人達がどこへ行くかで決まります。半世紀前は百貨店、四半世紀前はGMS、今はDSが主流。ドラッグストアも入るか。この先、どんな新しい業態が出るのか?流行るのか?若者の心をいち早くとった業態が勝ち組になると思います。 ヨーカドーは団塊の世代と共に・・・ドンキはZ世代と共に・・・ さて、次は何世代になるのでしょうか。
=+=+=+=+= 今から30年前くらいの学生時代は、ずっと津田沼に遊びに行っていました。 駅直結の便利なヨーカドーかなりお世話になったし、丸井は学生には金額お高めだからちょっと見るくらい、PARCOはおしゃれでワクワクしたし、サンペとエキゾは買い物し易かったし、ゲーセンとかも良く行きました。
ららぽーとも行きましたが、津田沼周辺ぐるっとしたら事足りたから専ら津田沼。 子供が出来てイオンもちょっと行ったけど、イオンは何処にでもあるしもの珍しくも無かったから、思い入れはそんなに無いんですよね。
思い出の店もほぼ無くなってしまい寂しい限りです。 ヨーカドー、最後に足を運んでみようかなと思っています。
=+=+=+=+= イトーヨーカドーは、セブンイレブンとくっついた時から少しずつ落ちていったように思う。スーパーに買い物に来て、セブンイレブンと一緒はなんか購買意欲が失せる。また、衣類も周囲の平均に合わせたような感じでオリジナリティがなくなってきて、しかも高級感だけ出すから売上が伸びなくなったのかな? もう少し、価値レベルのオリジナリティを大切にしたら良かったのにと残念に思う。
=+=+=+=+= 消費者が量販店の勢力競争に巻き込まれているのだと思う。 個人商店が生き生きしてた時代には戻れないのだろう。 消費者がクルマで遠方まで行って、駐車場に並び、金を払うためにレジに並び買い物する。 買い物は楽しいのだが、競争して総取りして大して儲けてなく納税も少ないのは貢献度として如何なものかと思う
=+=+=+=+= すぐそこにAEONが有る事の方が理由では。 また、そもそも津田沼はJRと新京成の新津田沼駅を中心に開けた街なので、車でのアクセスがあまりよろしくない。 太い道はあまりなく、駅に近づくにつれて、ほぼ渋滞に巻き込まれるのが確定。 最近の郊外型ショッピングモールが流行る状況では、土日にわざわざ行きたい場所ではないだろう。 またAEONにしても、確かSKIing津田沼の跡地だったと思うので、ちょうどよくあの面積の土地があったので出店できた訳でイトーヨーカドーもあの土地を抑えて、駅ビルだけに特化しない方策もあったハズだが当時の経営層にそういった発想は無かったのだろう。 さて、AEONにしても大型店舗とはいえ駅前型といってよく今後どうなるかは判らない。 サンペディック⇒モリシア津田沼の再開発がJRの反対側の出口で控えている。 車で行くのなら、ららぽや京葉線の沿線のモールもある。 中々に激戦区だ。
=+=+=+=+= 悲しいね、栄枯盛衰そのものだ。中坊の頃、他店だけど地元にヨーカ堂が開店した時は、確か980円だったボタンダウンのカラーシャツを買いにいったものだ。けど、ヨーカ堂開店以来、駅周辺の昔ながらの商店街が一気に寂れてしまっていく様子が非常にショッキングで、友人宅の焼き鳥精肉店も大打撃。結局は店じまいしてしまった。それからウン十年後の現在、当のヨーカ堂が直面している悲しい光景とは・・・・かつて大打撃を受けて閉店に追い込まれた商店街の店主らはどんな面持ちでその姿を見ているだろうか?!
=+=+=+=+= 船橋方面在住ですが、東葉高速鉄道が出来てから津田沼駅周辺は寂れてしまった気がします。津田沼周辺は道路渋滞が酷く、電車で行く人が多いと思う。バブルの頃のエキゾチックタウンとか懐かしいですね。西武船橋も無くなっているので、主要購買層の高齢化の影響とネット販売の全盛かもしれないですね。
=+=+=+=+= 地元民です。 ららぽーとや三井アウトレット、カルフールなんて関係ないです。近くにイオンができたのが要因。 駐車場も広いし小さな子供がいる家庭はフードコートやキッズスペースが多いイオンに行く。 会社帰りに買い物したい人はオープン時間が長いイオンに行く。 津田沼は北と南が線路で分断されてて車でのアクセスはちょっと面倒。北側と南側(湾岸)両方にイオンができたので立地的にも不利なヨーカドーは負けてしまったのでしょうね。
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