( 208608 )  2024/09/04 17:59:12  
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 齋藤元彦兵庫県知事のパワハラ疑惑が告発された問題で、県議会第4会派「ひょうご県民連合」が斎藤氏への不信任決議案提出の方針を固めたという。県議会調査委員会(百条委)で証人尋問を受け、8月30日、斎藤知事は、アンケートで指摘されたパワハラ言動の認識を聞かれると「記憶にない」「一つ一つ覚えていない」「私も完璧な人間ではない」などと回答した。 

 

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 氷河期世代の悲哀に詳しいネット論客のポンデベッキオ氏は「齋藤知事はパワハラを受けて育った記憶が抜けないのではないか」と考察するーー。 

 

 世間を賑わせることが多いニュースの一つに、中年男性によるパワハラ問題がある。定期的に政治家や大企業の重役、プロスポーツの監督やコーチ、先輩たちによるパワハラが告発され、そのたびに大きな話題となっている。 

 

  こういったニュースに登場するパワハラマンたちを観察するとあることに気が付いた。それはパワハラで失脚する人には氷河期世代のアラフィフ男性が多いということである。 

 

  いま最も熱いパワハラ問題と言えば、兵庫県の齋藤元彦知事によるものであるが、彼も46歳であり氷河期世代だ。なぜ厳しい氷河期の時代を生き残り、せっかく社会で地位と名誉を手にした斎藤知事をはじめとした氷河期の成功者たちは、次から次へとパワハラ問題を起こしてしまうのであろうか? 

 

 調査特別委員会の調査結果や県職員のアンケートの数々を見る限り、どのような理由があったにせよ、齋藤知事がパワハラに該当する言動や行為を部下に行っていたのであろう。 

 

 コンプラが最重要視され、社会性や協調性がなによりも大事と言われる令和時代に、なぜ齋藤知事は部下に激しいパワハラ行為を行ってしまったのだろうか。それには理由がある。それは氷河期世代が昭和のパワハラ指導を受けて育った最後の世代だからだ。 

 

 我々が若かったころの平成日本では、まだパワハラが"愛のムチ"や"厳しい指導"として容認されていた時代だったのだ。筆者は氷河期世代後半組ではあるが、校内でタバコを吸ったヤンキーを体罰でボコボコにする体育教師や、試合で弛んだプレイをした選手に腹パンをしたり頭をどついたりする顧問が存在した。 

 

 テレビでは某名古屋地区の監督が『燃える闘将』として持ち上げられ、年末の特番では審判を突き飛ばしている映像がお茶の間に笑いの種として届けられていた。試合中に血まみれになるほど選手を殴っていたことも公然の事実として社会に受け入れられていた。今の時代であればコンプラ違反で即解雇されていたはずである。 

 

 当然、一般企業の中にも常軌を逸したパワハラ、ブラック労働が蔓延していた。今のようにインターネットやSNSで事前に就職先の企業を調べるすべもなく、就職率の低さから今の若者のように行き先の選択肢すらまともに持てなかった氷河期世代の多くが、ブラック企業に絡めとられ、そこでのパワハラに心や体を壊されてしまった。 

 

 

 2000年前後の日本社会は、今では考えられないコンプライアンス違反がまかり通っていた社会だったのである。 

 

 数字の上がらない社員を徹底的に愚弄するなどはもちろんのこと、些細なことで怒鳴る、肩や頭を殴る、物を投げる、飲み会で芸を強要してくる、飲み会の送り迎えをさせる......そういった今の時代であればパワハラとして一発退場をくらうようなことが、氷河期世代が10代20代の頃は当たり前のように行われていたのである。この記事を目にしている氷河期世代の人間は、上記のようなパワハラ被害に遭ったことがある人は多いのではないだろうか。 

 

 今の時代とは比べ物にならないブラックな社会人生活の中で、出世競争に勝ちあがっていった氷河期世代たちは『上司のいうことは絶対』『部下はどれだけ雑に扱ってもいい』『辞めればまたすぐに代わりを雇えばいいだけ』といった価値観を持つようになっていったのだ。 

 

 つまり、組織や上司のいうことは絶対であり、部下は必ず従わなければならない。その中で結果を出して権力を掴めば、同じように部下を扱ってもいい。そういった弱肉強食の社会の仕組みを、おそらく齋藤知事も無意識のうちにインストールしていたのではないか。 

 

 齋藤知事のみならず、氷河期世代のアイコンとして政界や芸能界、スポーツ業界で活躍するものたちの多くが、強烈な自己責任論者なのは、彼らがそれだけ厳しい時代を生き抜いてきたということなのである。 

 

 荒々しくても結果を出せば、いやむしろ荒っぽくなるぐらいの暴力性を出さなければ成功することが難しかった時代を生き抜き、そして勝ち上がってきた氷河期世代の勝ち組たちが、今まさにパワーを手にして動き出しているのである。パワハラ問題が起きないはずがない。 

 

 彼らは痛覚が麻痺した格闘家のような存在で、痛みに敏感になった令和社会では上手く生きることができていない。今の時代にパワハラで告発される氷河期世代の成功者たちの多くは、誤ったとしても本音の部分では『なんでこのぐらいでパワハラだと騒がれないといけないんだ?』と思っているのである。 

 

 内部告発した部下に対して怒りをあらわにした齋藤知事からも、本人の中では自分の言動がなぜここまで騒がれているのか、現代の価値観に対しての適応できていない様を感じ取ることができた。 

 

 

 もちろんパワハラを行使する氷河期の成功者たちが悪いのは100も承知であるが、彼らは彼らで社会から壮大な梯子外しをされてしまったことも事実だ。 

 

 少子化によって社会全体からヨシヨシされ、乳母日傘で教育される新入社員を見て『俺たちのあの扱いは一体何だったんだ?』『この弛んだ若者たちをもっと厳しく躾けるべきなんじゃないか?』と考えてしまう氷河期管理職たちの気持ちも理解できなくはない。 

 

 さらに、今なお権力の中心にいる団塊の世代の長老たちは、若い世代にはパワハラするのは控えつつも、これまでパワハラしてきた氷河期管理職には変わらず鞭を打ってくることが多い。氷河期管理職は今なおパワハラに苦しんでいる人間もいるのである。 

 

 しかし、氷河期を生き残った者たちの中には、このように厳しい環境下におかれてもなお、パワハラを悪として根絶しようとしている者たちの方が圧倒的に多い。だからこそ、令和の日本ではこれだけ社会からハラスメントが減少しているのである。いくら制度を整えても、社会を構成する多くの人々が賛同しなければ、世界はより良い方向には変わっていかない。 

 

 パワハラを受けてきた氷河期世代たちの多くは、今なお上に陣取る団塊の世代からパワハラめいた指示や指導を受けながらも、自分たちの代でこの悪しき風潮を終わらせようとしているのだ。 

 

 人間は恐怖感を与えられながら指導されるより、褒めて自主性を伸ばす指導を受けた方が良い結果を得られることは、自然科学研究機構生理学研究所の定藤規弘教授らの研究などによっても明らかになってきている。氷河期世代が受けてきた、団塊の世代たちからのありがたい指導の多くに意味はなかった、ということに多くの氷河期管理職たちは身をもって気が付いているのである。 

 

 人の本性が最も露わになるときは、組織の中で権力を手にしたときだ。団塊の世代が退場した後に、彼らが座っていた席に着くのが氷河期世代管理職たちだ。団塊が残した負の遺産を氷河期世代の手で葬り去ることができるのか? それとも齋藤知事のように次世代に悪習を引き継いでしまうのか?すべては氷河期を生き残った男たちの手にかかっている。 

 

ポンデベッキオ 

 

 

 
 

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